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ある行政機関に問い合わせのお電話をいたしました。一回目に電話に出た方は、すこしめんどうそうに、答えにならないことを言いながら最後は私を責めるような言い方をしたあげくに、そんなことは他で聴いてくださいといいました。キャリアのある女性の方のようでしたが、電話の対応についてのマナーなど、もう一度学ばれた方が良いと思いました。次の問い合わせ先の電話に出た方は、おなじくらいの年齢に感じる女性の方でした。丁寧に対応してくださり、行政側の誤りがあったことをきちんと謝って最後にこう言われました。「長野さん、私たちは保育現場の方々の大変さも痛みも理解したいと考えています。いろいろとご迷惑をおかけしているかもしれませんが、子どもたちのためにあきらめないでお互いに良くしていきましょうね!」とても素敵な女性でした。(*^_^*)いつかご一緒にランチがしたいですね。勇気ある謝罪に、やる気がよみがえりました。本当にありがとうございました!
2010.05.17
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今日は、500人の大ホールでお話させていただきました。お話が決まって約1カ月ドキドキしていました。ステージに立つと、沢山の子育て中と思われる女性が熱心に筆記用具を持ち学ぼうとしておられました。化学物質除去について・室内空気の汚染状況と対策・理想的な飲料水・お風呂の湯を浄水することの必要性・食品添加物・医薬・電磁波などから子どもたちを守るためにできること。アレルギーについて低体温についてそして最後に、保護者の方々が人生に沢山の人脈と情報源をもって生きることの大切さ。私自信の人生16歳で未婚で私を妊娠した母51年前なので大変なことでした。周りは中絶をすすめたとのこと。でも母は私を産んでくれた。産むことは正しいこと。なのに母は責められた。正しいことを正しいと言える人であるために。仲間が必要です。近くのスーパーでも、国産有機大豆と書かれた棚が増えてきた。1人の100歩より100人の1歩感性を共にできる仲間を探して子どもたちの未来を守りたい。まだ間に合う子どもたちの未来。世の人は我を何とも言わば言え我が行く道は我のみぞ知る坂本龍馬
2010.05.15
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グループダイナミックス研究所のステップという研修の説明会に職員2名保護者2名と言ってきました。誉めることは、評価すること。評価されて育つと、人目を気にして生きるようになり、持ってる力を出し切れない。勇気付けは自己評価に基づく共感であり、承認。人目を気にしないで、自分で判断し自分で選択し結果に責任を持つ子に育ちます。たとえば、100点を取った子どもに対して。前者の方法は「すごいね!100点とったの?すごいね!また次もがんばってね!」となります。すると子どもは100点をとる自分はすごいけれど取れないと価値がないと考えがちです。後者の方法は「テスト100点だったのね。嬉しそうね。」「うんすごくうれしいよ、ママはどう思う?」「あなたが嬉しいのならママもうれしいわ!」といった対応です。子どもの顔や表情を見て気持ちを感じ取ることにより、子どもが自分と常に向き合い自分の気持ちを大切にするようになるそうです。人目を気にしないで、自分で判断できる子になってほしいですね。良い距離を保ち、上から目線にならないで対等に関わること。それは自分がしてほしいと思う対応を子どもたちにまずしていくことなのだと思う。そして誰より母親が自分の気持ちと向き合い周りの人たちと仲良く生きていること。それが、子どもたちにとって一番の希望はやく大人になりたいな。お母さんみたいに結婚したいな。大人になって働きたいなと思える秘訣。勇気付けはあたたかな雰囲気から生まれるのだと思いました。
2010.05.11
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愛について語る歌を作ってみました。「愛ってなんなのかわからない、この保育園に来て初めて愛という言葉を沢山きかされた。」という方が多いので。私にとっての愛とはという歌を「父の日」にちなんで作ってみました。愛の中で生きていくために「ごめんなさい。」の一言が言えたらきっと全てが手に入るのでしょうね。(*^_^*)「お父さんへ」ごめんなさいの一言が言えなくてどれくらいの間あなたを悲しませていたのでしょうか。ごめんなさいの一言が言えなくて沢山の人を悪者にしてきたのかもしれません。約束を守れなかったあの時悪気があったわけじゃないので、どうしても言い訳して、逃げたかった。なにより一番・・・。あなたに嫌われることが、怖かった。本当は、決して嫌われることなどないほどに愛されていて、守られていること、信じていたのに。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。本当は、すぐに謝って仲直りしたかった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。愛という言葉の意味も知らなくて。あれから、どれくらいの日々が過ぎたのでしょう。最近知った、あなたがもうとっくにわたしを赦していたことを。あなたを見失った後、暗闇の中偽りと疑いの中をさまよっていました。乾いた心は濡れた毛布のように重くてあきらめと不安の中で疲れ果てていました。この重荷を下ろしていま一筋の光に向かって赦されることなら、もう一度生まれ変わりあなたのもとに帰りたい・・・。ありがとう、ありがとう、ありがとう。いまさら、あなたのもとに帰れるのでしょうか。ありがとう、ありがとう、ありがとういいえ、もう迷わずあなたのもとに帰ります。あれほど安心な場所はどこにもなかったから。あれほど、大きな愛はどこにもなかったから。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。これからは、あなたと共に歩んでいきます。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。どうかわたしを導いてください。お父さん・・・・。あなたを心から愛しています。
2010.05.11
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4月25日に五反田にあるラフォーレ東京の大広間において、NPО法人社会教育推進さくら会の設立総会が開催されました。森の保育園の職員たちも沢山参加いたしました。森の保育園は小学校の現状を考え、年々児童達の様子が変化していく中で、新たなる教育方針として選択理論心理学を土台とすることを提案してまいりました。責めたり脅したり罰したりする導きかたは今の子どもたちの感性に合わなく。傾聴し支援し励まし尊敬信頼することで、今の子どもたちは安心して持ってる力を出し切ることができる。その土台の上で、セカンドステップといった教育プログラムやコーチングによるママいきいきセミナーなどに取り組んできました。沢山の研究者たちが、子どもたちの新たなる対応について研究してくださっています。感謝です。さらにこのたび著名な作家であり教育者である稲垣節子先生が武士道を学べるセミナーを開催されていることをしりました。稲垣節子先生の武士道を大人たちが学びなおすことにより、日本人の遺伝子にあった教育論を再度見直そうという目的で設立されました。日本を元気にという声かけは今やほうぼうで聞こえてきていますね。温故知新ですね。日本の古き教育方針を知り、世界が日本を本当に絶賛していた時代の書にふれて日本人としての自信を取り戻すことを稲垣先生は強く提案しておられます。選択理論心理学を土台として武士道を学んでいるうちに、鹿児島に出会いました。鹿児島には、「郷中教育」という教育プログラムがありました。これは、ボーイスカウトの制度を作る際の参考にもなったいう説もあり、日本発で世界に影響をあたえた教育プログラムでした。引用によい簡単にご紹介いたします。以下引用少子化が進み、子供たちの異年齢交流の減少や地域との結びつきの低下が叫ばれるなかで、異年齢集団活動(縦割り活動)による青少年育成の試みが全国各地で行われています。鹿児島には、『郷中教育』という薩摩藩の伝統的な縦割り教育がありました(『ごじゅうきょういく』、または『ごうじゅうきょういく』とも呼ばれます)。郷中とは、町内の区画や集落単位の自治会組織のことで、今でいう町内会と考えればいいでしょう。当時、鹿児島の城下には数十戸を単位として、およそ30の郷中があったと言われます。郷中は、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育・スポーツ)を通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。稚児は年齢によってさらに、6・7歳~10歳の小稚児(こちご)と11歳~14・15歳の長稚児(おせちご)に分けられ、稚児のリーダーとして稚児頭(ちごがしら)がいました。また、二才(15・16歳~24・25歳)のリーダーとして二才頭(にせがしら)がいて、二才と稚児の面倒をみていました。稚児と呼ばれる武士の子どもたちは、早朝、毎日先輩の家へ走っていって本読みを習い、家に帰って朝食後その復習をしたのち今度は、馬場と呼ばれる広場や神社の境内などに集って、馬追いや降参言わせ、相撲、旗とりなどの山坂達者によって身体を鍛えます。午後は、読み書きの復習をした後、先輩や先生の家にいって夕方まで、剣、槍、弓、馬術など、武芸の稽古です。長稚児たちは、夕方から二才たちが集まっている家に行って、郷中の掟を復唱したり自分たちの生活を反省したりします。武士の子としてよくない行いがあれば注意を受け、場合によっては厳しい罰を受けることもありました。このように、武士の子どもたちは、一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、躾(しつけ)・武芸を身につけ、勉学に勤(いそ)しみました。年長者は年少者を指導すること、年少者は年長者を尊敬すること、負けるな、うそをつくな、弱い者をいじめるなということなどを、人として生きていくために最も必要なこととして教えました。この郷中教育は、文禄・慶長の役(1592~98年)のとき、残された子どもたちの風紀が乱れないように始められたと言われます。薩摩出身の軍人・政治家、樺山資紀(かばやますけのり)伯爵を祖父に持った随筆家の白洲正子さん(1910~1998・明治43年~平成10年)は、津本陽さんの著書『薩南示現流』(1983年、文藝春秋刊)に出てくる逸話を、著書『白洲正子自伝』(1999年、新潮社刊)で紹介しています。郷中教育の異年齢集団活動による青少年育成としての理念は、これからも語り継がれていくことでしょう。何よりも卑怯な態度を良しとしなかった、この教育は日本独自のものであり世界が学んだ教育方針でした。武士道がこれからの日本の教育のキーワードになってくることは、多くの雑誌や研究発表で皆さんも感じ取られてきているのではないでしょうか。大河ドラマの「竜馬伝」もこの角度がからみていかれると、きっと家庭教育や夫婦関係にも学び深くなるのではないでしょうか?
2010.05.05
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前回は、東京の行政の方々に志を問うメッセージを書かせていただきました。逆に、わたくしが存じ上げている「志あるお仕事をされた公務員」について書かせていただきます。まずはその1「白いジャケットの新卒女子小学校教諭」わたくしの小学校時代の思い出の一つで、わたくしの今を創っている重要な先生のお一人です。わたくしは、幼児期に二回熱湯をかぶり全身大やけどをしています。小学校に入学するころにも、私の体はケロイドだらけでした。当時年一回の身体測定は学年ごとに体育館にパンツ一枚で並び身長体重内科検診などをおこなっていました。私の母は、「この子のケロイドが見えないように上着をはおらせてください。」とたのみましたが、なぜか当時のその学校の先生は「かえっていじめの原因になるのでみんなと同じにしてください」と言われました。いまだに理由がわかりません。結果わたくしはパンツ一枚で全学年のお友達に年一回ケロイドをさらけなければなりませんでした。でも今から思うとそのことがあったからこそ、それでも労わってくれる愛ある友人と軽んじてケロイドをわらったり中傷する心なき人たちの双方をみることができました。小学校一年生の時から「教育の必要性」について作文を書いていた私でした。しかし、私の心を震わせた出来事がありました。それは小学校4年生の時でした。いつものように全学年の中でケロイドをさらけ出してパンツ一枚で並んでいた私に向かってある若い入りたての先生が自分の白いジャケットを脱ぎながら走ってこられました。「何をしているの!」そして勢いよく白いジャケットを私に着せて「どうして?」とわたしに聴きました。私はだまっていました。どの先生のことも頼ることは考えていませんでした。そこに、主任のような先生が来て「その子はそのままでいいんです!」といいました。するとその先生は「良いわけないじゃないですか!なぜ診察までの間上着を羽織ることができないのですか!」そしてその先生は私にこう言いました。「4年間こんなめに会っていたのによく頑張ったわね。本当に強い子。ごめんなさいね本当にごめんなんさいね。」私は学校に行ってこのことについて初めて号泣いたしました!学年中がわたくしに注目いたしました。主任のような先生は強くおこってこう言いました。「だから、言ったでしょう。かえってこの子が学校にいずらくなるのよ!」言いたいこともわかりますが・・・。わたくしが子どもとして一番ほしかったのは、やさしい言葉でした。その先生は今どうしておられるのでしょう。私は100の学習よりもその先生に学んだことが大きかったのです。「志をもって教育に携わる」どんな権威に対しても揺るがぬ志をもつこと。10歳のわたくしは、その先生のことを「かっこいい!」と思いました。愛と勇気を私に教えてくださったのはその新任の先生でした。勇気とは自分はこの件について無力であるというような絶望の中でも、それでも愛の衝動にかられて前に進み続けるスキルのことである。そのスキルは、根底に特別な愛に対する理解と衝動を生みだす行動力がひつようで。しかしそれらは学習と訓練により誰にでも身につけることができる。
2010.05.03
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