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イタリア・チクリズモのレジェンドの息子の初勝利の報は日本から! 21歳の若き後継者の勝利後のインタビューの模様を伝える、出身地トレントの新聞、Trentino Quotidianoの記事を訳してみました サムライ、イグナツィオ・モゼール:日本での初勝利 チェッコ(フランチェスコ・モゼール)の息子はプロとしてキャリア初勝利。 「この勝利を捧げる人は誰かって?僕の恋人タマラと僕の母さんに。僕を支えてくれる二人の女性に捧げるよ」http://trentinocorrierealpi.gelocal.it/sport/2013/08/26/news/ignazio-moser-il-samurai-prima-vittoria-in-giappone-1.7633423 トレント イグナツィオ・モゼールは壁を乗り越えた。遠い地、日本から21歳のチクリストの血筋に生まれた若者のプロ初勝利の報が届けられた。 昨日、彼はスプリントで快心の一撃を見舞いジャパン鈴鹿レースをモノにしたのだ。 レースには今季ワールドツアーに参入し、ハンブルグで行われたヴァッテンファール・サイクラシックスをドイツ人のスプリンター、ジョン・デゲンコルブで勝利した、アルゴス・シマノの選手たちも多くが出走していた。カデル・エヴァンスやダニエル・オスが属することで知られているBmcの二部組織である育成チームのジャージを今年から身に着けている、イグナツィオはスプリントにより勝利をつかんだ。 「やっと初勝利をあげることができて本当にうれしいよ。」 偉大なチャンピオンフランチェスコ・モゼールの若き息子はチームメイトのアルノー・グランドに先行して勝利した後、Twitterにこう記した。 「簡単なレースではなかった」 イグナツィオは日本からの電話でこう付け加えた。 「僕らはたった3人のチームだったからね。チームメイトのティム・ローが素晴らしかった。彼は最初から最終の局面までレースを組み立てたんだ。この勝利を彼や、チームと分かち合いたい。特に僕らのスポーツディレクター、リック・ヴェルブルッジに感謝したい。彼は常に僕の戦いに大きな信頼を置いてくれた。それに報いることができてうれしいよ。」 今まで体調不良に苦労をしてきたイグナツィオにとっては待ちわびた勝利だ。 「この勝利を待ち望んでいた。」 イグナツィオは続ける 「日本における最大級の自転車イヴェント、シマノのレースだった。一週間のレースで、プロレースが行われた今日(正しくは昨日)が最終日だった。250人が出走し、その中にはアルゴス・シマノのレーサーたちもいたんだ。僕らはスプリントのチャンスを狙ってレースをスタートし、そして、やってのけたんだ。」 勝負を決するゴールスプリントで、モゼールはチームメイトのアルノー・グランドとアルゴス・シマノのスウェーデン人選手に先行し、長らく待ち望んでいたとおり天に腕をあげてゴールを切った。 「今年は、もっとやれたはずだった。でも、今はよくペダルを踏めているし、この結果は僕を奮い立て、良いシーズンの最後を迎えることができると確信させてくれた。」 イグナツィオはこう結んだ。 「この勝利を僕の許嫁のタマラと、母さんに。僕を常に支えてくれて、苦しいときにも応援してくれる、僕の大事な二人の女性に捧げるよ。」
2013.08.27
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ジロ・デ・イタリアへの不出走により2013年前半を不遇のうちに過ごしたバッソですが、ここにきて、ブェルタに向けていい感じの仕上がり具合を見せいていることを、ガゼッタ・デロ・スポルト、クラウディオ・ギザルベッリのインタビューで語っていますので、訳してみました。 イヴァン・バッソ:私は再び高いレベルで戦える ミラノ 2013年8月5日 困難な数か月の後、ヴァレーゼ人バッソは再びレースに本格復帰。そして、約束する。 「スペインにはトップコンディションで臨むよ。」 http://www.gazzetta.it/Ciclismo/05-08-2013/ciclismo-basso-lo-sapevo-che-sarei-tornato-alto-20907975699.shtml イヴァン・バッソ(35歳/写真ベッテッィーニ) 2013年5月23日、ジロ・デ・イタリア第17ステージにおけるコルティーナダンペッツォで、イヴァン・バッソはロドリゲスに次いで二位に入り、マリア・ローザでミラノにゴールすることとなるヘシュダルや、ウラン、スカルポーニの前でゴールした。そしてこの日から10月にジャパン・カップで勝利したカゲロウのような喜びがあったとしても、イヴァン・バッソのモーターは足かせをはめられたかのようなものだった。 2013年には再びジロを中心に据え、リベンジの年となるはずだったが、闇に沈むこととなった。パリーニース、コッピ&バルタリ、ジロ・デル・トレンティーノでは振るわず、ロマンディアでは嚢胞のために最終の個人タイムトライアルを欠場することとなったが、特に大きな痛手は、大きな目標であったジロ・デ・イタリアを断念することだった。 1か月以上サドルに乗ることがかなわなかったバッソであるが、ジロ・デ・オーストリアには慎重に、そして、ジロ・デ・ポロニアでは総合最終成績は勝者ピーター・ウィーニングから1分38秒遅れの8位となり、調子は上向き加減で総合上位陣の争いにからみつつレースに復帰してきた。こうして、7ステージのレースで見せた力によって、「バッソはまだ戦えるのだろうか?」という疑念は払しょくされたのだろうか? 「ポロニアは、調子を上げていくためのものだと言っていた。私はまだ終わってなんかいないし、自分のカードで戦えることが分かっている。大丈夫だよ。まだまだ引退には早い。」 バッソは残念ながらポーランドのレースには勝利はなかったが・・・ 「今はこれでいい。感覚はすごく良かったよ。まだまだトップコンディションではないが、重要なベースは築いた。私は、ポロニアはトレーニングとして、限界点まで上げることなくレースに臨み、タイムトライアルでは気を抜かなかった。今はブェルタにトップ今ディションで臨むには、思い通り、いい感じできている。」
2013.08.06
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ダニエル・オス選手が着用しているF&Pというブランドの作者で、オス選手のスポンサーを務めるMecki's 店長のイヴァン・ベルトラミさんは、ピスタのイタリア代表選手としてオリンピックでメダルを取ったこともある元自転車選手! 彼の自転車を愛する人生を紹介位した Miriam Terruzziの文章を訳してみました。 ピスタから企業家に~イヴァンの勇気と革新と決心 Text: Miriam Terruzzi http://emialzosuipedali.wordpress.com/2013/07/15/dalla-pista-allimprenditoria-il-coraggio-innovativo-e-deciso-di-ivan/ 戦い。 イヴァン・ベルトラミの自転車の歴史はこうして始まった。青年期のちょっとした反抗心とともに外に向かいながら。イヴァンはガルダ湖畔に生まれた者がみなそうであるように、子どもの頃からテニスや、特にサーフィンといったスポーツに親しんだ。落ち着いた天国、トルボレは、夏ともなると水と風を求めた若者たちで一杯になるのだ。 自転車は彼の人生に偶然入り込んできた。ある日の午後、テニスの試合から帰てる時に、父親の友人である監督が彼にこう言ったのだ。 「チクリズモをやってみないかい?」この提案により彼の賭けの歴史が始まったと言えるだろう。若者は、最初の一年を練習生として過ごした後、勝利をあげることになる。 あるいはそれを取り戻すに違いない。イヴァンは、戦いの挑戦に魅力を感じ、それを受け入れたのだ。ほとんどゲームのように、彼のチクリストとしてのキャリアは始まったが、この最初の年にあげたいくつかの勝利により、キャリアは続くことになった。彼の特質は、特にピスタを愛することとなった。その世界に生きるためには特別なものを理解する必要があったが、それは彼に向いていた。特に6日間レースを好み、遠征を愛することこそが、彼のチクリストとしての魂だ。旅、荷造り、荷を解き、また新たに出発する。 「まったくイカれてるよ」彼と同じく、チクリズモは光り輝く寄木張りの床に置かれた指輪の周りを回るビートで真実の世界を連れ戻す鐘なのだ。 1987年には、世界選手権でジュニアのチーム追い抜きで銀メダルを獲得。1998年のソウルオリンピック、1992年のバルセロナオリンピックでも銀メダルを守った。キャリアの中で最も感動したものは何かと聞くと、それは勝利の時だという答えが待っているのが常だが、イヴァンにとっては、初めてオリンピック用の器材やジャージを受け取ったときだという。「俺はガキだったんだよ。19歳だった。構えられていたすべてのものに運んでいく自転車連盟のバスをいまだに覚えているよ。ジャージ、シューズをベッドの上に乱雑に散らかしてたな・・・。本当にすべてのものがあったよ。電話にいたるまでね!そして心の中には情熱があった。いつも最初に勝利をあげてゴールを切るのをいつも夢見ていたんだ。」 彼の前にランプレのマウリツィオ・フォンドリエストのアシストとしてのキャリアが提示された時、イヴァンには選択をしなければならない時だということがわかった。ぐずぐずしている間はなかった。そして、人生にとってのチャンスであったとしても、彼はプロになることには「ノー」という決断を下した。イヴァンには選手としての力はあったが、彼の領分はロードではなかった。それに、彼の頭の中にはもう一つの計画があった、彼の脚は6日間レースのものであったが、頭はアーティストのものだった。 トルボレで彼の父親が家族でバールを経営していたが、ちょっとした革新的なアイデァが生まれた。それはイヴァンによると、こんなものだ。 「60年代にはすべてのバールはアル・ポンテ、リナ、ローマというようながっかりするような名前ばかりだった。そして、常に地域の中心にあった。俺の爺さんも特別なタイプの奴で、中心部から離れたところにバールを開いて、トータルでオリジナルなものを提供したんだ。Meckiはこうして誕生したのさ。全くアヴァンギャルドなセンスだよ。アーティスティックな設備に匹敵するよ。」 Meck’is barLa bicicletta,は、既に彼の血の中に流れていたが、彼はそれををそこ、トルボレの聖なる森と称される土地に持ってきたかったのだ。彼のオリジナルの一つとして、特にサーフィンに親しんでいる土地柄と協調した。1992年に歴史的なバールMeckiは“Mecki’s Bike and Coffe”としてリニューアル。朝食の提供をしていたバールは、オルタナティヴなショッピングをする場所ともなった。 「いつもアートの霊感を持っているんだ。コミュニケーションをとるのが好きだし、それをしてくれるのが俺のコレクションとシャツの数々なんだ。いつも俺のセンスをみんなに与えたいんだよ。」 Mecki’sで見られるものは全て彼のデザインによるものだ。最初は手で、そして今やコンピューターによって描かれる。それは多くのアーティスト同様、彼の旅や経験や感覚によってもたらされる。デッサン帳に描き記されたデザインには、旅人のもたらしたもので一杯だ。そのページの中には、ゴシップや大都会の狂乱も見られ、また、田舎の瞑想的な静けさもある。 「みんなが生きていた世界だ。でも、俺はありきたりのものや、全く同じ物は好きではないんだ。」 イヴァンは語る。 「日常の生活を壊すんだ。俺が自転車と一緒に見てきたものはサーフィンチックだし、毎日はよりロックの精神の満ちている。将来はもっと70年代っぽい感じを出したいものだね。」 彼の周りやプロジェクトには、写真家のディド・フォンタナとコンテンポラリーアート作品制作のためのセンターcomunicazione e immagini della Centrale Fies, un centro per la produzione di opere di arte contemporanea a Dro (Trento)の責任者である、ヴィルジアナ・ソマドッシもコラボしている。 フォンタナのシャッターはから生み出されるものは、全くありきたりのものではない。広告キャンペーンはオリジナリティーをもって、美女と官能のイメージを取り混ぜ伝達される。 Dido_Fontana_Virginia_Ivan Mecki’sは実際に単なる店というよりは、アーティストの集団だといえるだろう。そして、ブランドのライトモティーフの歴史は往年の文学者の集うカフェを思い起こさせるものがある。イヴァンにブランドのモットーである“F &P”の誕生秘話を訪ねると友人たちと一緒に過ごした1999年のトルボレのある夕方にさかのぼるという。彼らと、当時トルボレ在住で現在アメリカにいる写真家のアルフォンソ、(通称ポンポ)・ブレッシャーニがそこにいた。「一杯のビール(またそれ以上の)で笑っているうちに、俺たちはF & Pを作り出したんだ。それは特に何の意味もない物だった。でも、多くの本能から生み出されるものと同様、降ってわいたんだ。 そう、本能。人生には自転車が必要だ。イヴァンは自転車選手としてのキャリアは断念したが、ピスタで荒れ狂っていた時のように、人生の毎日にその狂気と情熱をもたらすことができたのだ。 情熱はもう一つ数えられる。それは、多分他の物以上であろう。彼に現在のチクリズモへの追及について尋ねると、こう答えがかえってくる 「ダニエルを特別に応援しているよ。」 優しさの満ちた言葉だ。 自身もまたオリジナリティーを持つ自転車選手であるダニエル・オスは公式にもMecki’sを着用する、最も有名な彼の熱烈な支持者の一人だ。そして、オスのチクリズモでの生き方は、F&Pの哲学の理想の証明だ。 「でも、体は自転車を捨てたわけではないよ。」 イヴァンは明言する。 「週に5回は走るんだ。でも練習のようにたくさんではないけどね。楽しむためだよ。ピュアーな空気の中で音楽をききながらペダルを踏むのが好きなんだ。」 トルボレではピュアーな空気は湖からもたらされる。湖の水は物語と神秘と共に、路上に香りを運んでくる。空気は朝の灼熱の太陽のふりそそぐ小道に影を作る糸杉にそっと触れる。 これが、忌まわしく完璧な人生の秘密ではないだろうか? 最後の写真は2013年5月27日、ジロ・デ・イタリアの後、挨拶に行ったときの一幕です。 2012年のジャパンカップへの来日に際し、日本のファンのために、とオス選手からたくさんのMecki’sのグッズのプレゼントをいただいたお礼に「商売繁盛」ということで、2013年の干支の白蛇のマスコットをプレゼントしたところ、大喜びのイヴァン・ベルトラミさん、来店したオスと同行してくれた友人Valentina とともに快く記念撮影に応じてくれました。
2013.08.03
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