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アラン・マランゴーニ選手に関するイタリアの記事の中から、ツールド沖縄のレースの翌日、11月12日に掲載された、レパブリカからの記事を訳してシェアします。競技人としての人生とともに、出身地であるロマーニャの人々の気質についても語られています。インタビュアーはCOSIMO CITOです。自転車競技 マランゴーニ、まさに最後のレースで初勝利 「おとぎ話は実在した」 2018年11月12日 text:COSIMO CITO https://www.repubblica.it/sport/ciclismo/2018/11/12/news/ciclismo_marangoni_prima_vittoria_proprio_all_ultima_gara_le_favole_esistono_-211455143/ マランゴーニの沖縄での勝利のゴール(写真はTwitterより) 13万5千キロメートル、714日間のレースの末のまさにキャリアのラスト数メートルで、ロマーニャ人、マランゴーニは勝利の感動に挑戦。「素晴らしいよ。今、勝利の味を知り、受け入れたんだ。」 ローマ最後のチャンス、最後のレースの、11年のキャリアのラスト210キロメートルの最後の飛び出しだった。吐く息しかない真っさらな空間は、歓喜の時となった。沖縄の島でアラン・マランゴーニはNippo-ViniFantini-Europa Oviniのジャージの元にただ一人で生活をし、おとぎ話のような初勝利を挙げた。数えれば13万5千キロ、714日間のレースの日々をその肩にに背負ってきたことになっていた。そして、勝利はそれらのレースの最後の数キロでのことだった。 殆どタイムアウト前の勝利でしたね。「どう説明すれば良いか、わからないよ。でも、このツールド沖縄は、僕にとって世界選手権のように価値があるものだ。有名選手の出走はないにしても、勝利の感動は素晴らしいものだよ。勝利の感動を知ることができて、今受け入れているところだ。」 両手をあげるのに地球を三周回したわけですが、どんな風に挑戦したのですか? 「子どもの頃から、34歳に至るまでの人生25年間というもの自転車に乗っていることは素晴らしいことだと見出したよ。自転車競技というものは、素晴らしい。勝利のチャンスは決してぼくに巡ってこなかったけれど、勝ちに行きたいと狙っていたよ。それに挑戦したんだ。」 偉大なチームでのキャリアにおいて常にアシストを務めるためには個人的な喜び犠牲になるのでは? 「チームの一員として、感激は変わらないよ。2015年のジロに話を戻そう。フォルリのステージだ。ボエム、ブサット、マラグーティと4人の逃げに乗っていた。ロングエスケープで、協調して引いていた。肝心なことは、チームキャプテンのために道をならすことなんだ。サガンが下に入れば、降参することになるからね。強靭な精神が必要なんだ。」 714回目のレースはあなたにぴったりなものでした。 「沖縄は昨日朝6時のスタートだった。まるで古典的な自転車競技に出たようだったよ。唯一のイタリア人として、モチベーションを持って流れの中にいた。好機に飛び出したよ。遂にね。」 最も美しい引退ですが、考え直す気は? 「無い無い。今が一番の時なんだ。新しいキャリアがスタートするよ。自転車競技に関するWebテレビをやる予定だ。12月半ばには全て分かるだろう。」 あなたにとって自転車競技とはどんなものだったのですか? 「人生の生き方の一つで、発見の連続だった。沢山旅をして、際限なく多くの国・地域で過ごした。沢山の異なる文化を知り、沢山のものごとを書いた。自分のレースや行った場所について書くのを楽しみもしたよ。 今では、若い選手達にとってはマシンの性能や何ワットで行ったかがすごく気にかかると思うけど、自転車が提供できる唯一の長所をもっと楽しむように言いたいね。」 もちろん結果はいつも重要だ。今や毎年、Uciの新しい規則によっても沢山の若い選手達が自転車を降りざるをえなくなるんだ。 でも、旅人の発見してそれを楽しみたいという本能は決して失う必要はないよ。これが僕が自転車から学んだことなんだ。 あなたはパンターニやカッサーニや、ロベルト・コンティと同じくロマーニャ人です。ロマーニャ人の自転車競技への道は他には無い詩やロマンティシズムの中にあるけれど、それは見つけにいかないのですか? 「その通りだ。僕たちロマーニャ人は全ての行いの中に最高に情熱的な物事とともに生きているよ。苦労を溜めることなしに、美しい人生を生きるのが好きなんだ。陽気な気持ちとメランコリーが同居しているよ。今は振り返って、良かったことだけを見るんだ。苦労は忘れたよ。この毎年というもの果てしの無い苦労をしてきたけれど、こうして終わりだ。おとぎ話のようなドラマは存在していたんだよ。」
2018.11.18
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2018年11月11日に開催されたツールド沖縄210キロのチャンピオンレースを勝利し、引退の花道を飾ったアラン・マランゴーニ選手に関する記事をイタリアのサイトからお届けします。まずはciclowebの記事からです。アラン・マランゴーニはキャリア最後のレースで初勝利。ツールド沖縄のタイトルを手にした。 http://www.cicloweb.it/2018/11/11/allultima-gara-della-carriera-arriva-la-prima-vittoria-per-alan-marangoni-suo-il-tour-de-okinawa/amp/?__twitter_impression=true アランマランゴーニが、プロとしての10年のキャリアにおいて、決して勝利することがなかったのは、率直に言って不公平なことだったと言わねばならない。 彼はその態度においても、イタリアの自転車界のために捧げた前向きなエネルギーにおいても模範的な自転車選手だ。ジロデイタリア2015のフォルリのステージでの闘いを見るがよい。ほんの少しのところで勝利の夢に届かなかったことはそれに費やされた全ての働きにとって残念極まりないことだった。 勝利するか、それに届かないかは自転車選手がプロとしての歩みにおいて成し遂げる評価の物差しだ もちろん、人としての満足は喜ばしいものだ。こうしてすでに何週間か前に2018年シーズン末をもってキャリアを終えることを公表していた、ロマーニャ人マランゴーニは、遂に、その働きに報いるべく両腕を天に向けてあげることができたのだ。 それは、彼の故郷コティニョーラからほぼ一万キロ離れた、流血の経験により世界に記録された島での勝ち取った勝利だ。 アラン・マランゴーニはまさしく今日、1.2カテゴリーの210キロkmのレーンレース・ツールド沖縄に勝利した。Nippo Vini Fantini Europa Oviniの34歳の選手は、全てのライバルたちに差をつけてこの長く、尊敬に値するキャリアを全うした。 2位には18秒差でオーストラリア人のフレディ・オヴェット(オーストラリアンサイクリングアカデミー)スプリントでバーレーンメリダの台湾人(この日はナショナルチームで出走).チャン・カイ・フェン。49秒差でオランダ人のデレクアベルベッカーリンク(WTCでぃアムステルダム)。日本人最高位の小野寺玲(宇都宮ブリッツェン)は首位と1分28秒遅れだった。続いて、少し短いながらも、spaziociclismoからおとどけします ツールド沖縄2018 マランゴーニがキャリアを勝利で終える https://cyclingpro.net/spaziociclismo/sintesi-gare/tour-de-okinawa-2018-marangoni-chiude-la-carriera-con-una-vittoria/?amp アラン・マランゴーニは自転車競技の世界に両手を上げて別れを告げる。34歳のロマーニャ人は、ツールド沖縄の2018で単独で他を圧倒することに成功。日本の1.2カテゴリーのクラシックレースはキャリア最後にしてNippo-ViniFantiniの最後のシーズンのレースだった。 元リクイガスの選手にとっては、プロとしての唯一の勝利のチャンスをものにし、キャプテンたちのために尽くしてきた自転車選手としての人生を貴重なものとした。 表彰台には18秒遅れでBmcのスタジスタ、フレディ・オヴェットとバーレーン・メリダのキュン・カイ・フェンが入った。最後に、tuttobiciからの、そのキャリアをたたえる記事を紹介します。 沖縄~マランゴーニが勝利でキャリアを終える https://www.tuttobiciweb.it/article/2018/11/11/1541927843/okinawa-alan-marangoni-chiude-la-carriera-con-una-vittoria-gallery-tuttobiciweb 「こんな結末はおとぎ話の中にしかありえないと思っていたのに…言い表す言葉も無いよ。心の中はただただ感動の海のようだ。」 涙を流しながらこの言葉と共に、アラン・マランゴーニは彼のおとぎ話のようなプロ自転車選手としての最後のレースの物語について語った。彼はいつも追い求めていた勝利を手にしたのだ。それほどまでのものであるスポーツのおとぎ話は言葉にならないものを残すフィナーレが必要だ。マランゴーニのこのフィナーレは、日々の積み重ねが今日、彼のプロとしてのキャリアの最後に見せつけたものだ。オレンジブルーのチームのために働いた男は今日リーダージャージを身につけてツールド沖縄でレースの主役を演じたのち、終盤に数々ののアタックの応酬の末に、プロ初勝利を勝ち取った。そして、Nippo Vini Fantini Europa Ovini にとっても本拠地日本のロードでシーズン11勝目を飾り、最高の雰囲気でシーズンを終えることとなった。 レース展開 シーズン最後のレースは常に展開を作ろうと動くものであるが、マランゴーニはそのことを十分、レースの最初から最後まで承知していた。 スタートから30キロを過ぎた地点でオレンジブルーの旗手は、この日の勝負を決定づける逃げに乗った。11人の逃げ集団には全ての主要なチームの選手が含まれていた。そして追走との差は8分まで広がった。常に高いリズムを刻み、過酷なコースは逃げ集団に分断を生じさせた。ラスト10キロ地点では、逃げはマランゴーニを含む4人となり、この4人の中から勝者が生まれる可能性が高くなった。最後の登りで最初に動いたのはバーレーンメリダに属する台湾人のクン・カイ・フェンだったが、とらえられた。ゴールから4キロ地点で、レースを決定づけるアタックが起こった。アラン・マランゴーニは、彼の全キャリアにおいて誇りを持ってまとっていたアシストのマントを取り去った。勝者のマントをまとうために。そして追走を振り切り、沖縄の最初のゴールテープを切った。気概と、プロ意識とこの日の他のどの選手にも負けない、長く保たれたモチベーションの勝利だった。 主役の声「僕のキャリアの中で、いつも狙っていた完璧なレースだった。まさに今日、それを実現したんだ。」数限りないキャリアの末の最後のレースで日本で成し遂げた勝利直後の興奮 に声を熱くしたマランゴーニのコメントだ。「ラスト数キロにアタックをかける冒険にかけたんだ。このゴールのために全てのカードを切りたかった。キャリアの中でも、ずっと追い求めていたよ。両手を天に上げて勝利をするのは当別なことだ。言葉に表すことのできない強い感動だ。一ヶ月間故郷を離れ、美しい印を残して去りたいという思いから、犠牲を払ってきた。おとぎ話のような結末を何度も夢見たけれど、今日それが実現したんだ。僕をこのシーズン最後に支えてくれて、このゴールにつかせてくれた仲間達、全てのスタッフに心から感謝したい。さあ、これから家に帰るよ。新しい冒険が待っている。今日ほど、これこそが僕の故郷だ、と思ったことのなかった自転車の世界でね。」 着順ORDINE D’ARRIVO 1. Marangoni Alan (Nippo - Vini Fantini - Europa Ovini) in 5:05:04 2. Ovett Freddy (Australian Cycling Academy - Ride Sunshine Coast) a 0:18 3. Feng Chun Kai (Bahrain Merida) 4. Beckeringh Derk Abel a 0:49 5. Onodera Rei (Utsunomiya Blitzen) a 1:28 6. Hatanaka Yusuke (Team UKYO), 7. Nakata Takuya (Shimano Racing Team) 8. Masuda Nariyuki (Utsunomiya Blitzen) 9. Leinau Louis (Team Sauerland NRW p/b SKS GERMANY) 10. Oka Atsushi (Utsunomiya Blitzen)
2018.11.13
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今期限りでの引退を決めたNippoVini Fantini のアラン・マランゴーニ。香港で行われたハンマーシリーズの後、中国のツアーオブハイナンでキャリア最後のステージレースに臨み、最終ステージでは素晴らしい逃げを見せて、敢闘賞を受けました。その最終ステージのスタート前のインタビューの模様をtuttoBICIのサイトから訳してシェアいたします。TextはDiego Barberaによります アラン・マランゴーニ自転車は僕の運命だったhttps://www.tuttobiciweb.it/article/2018/10/31/1540955737/tour-of-hainan-2018-alan-marangoni-ritiro-intervista自転車競技はアラン・マランゴーニの運命における人間性の記録であると明言することは、決して大げさなことでは無い。Nippo Vini Fantini の34歳のレーサーは、今日(2018年10月31日)そのキャリアにおける、最後のステージレースの最終ステージに臨み、文字どおり選手生活に感謝の別れを告げる局面に来ることができたそれは、あとわずかな日々の後に、沖縄で汗をかく最終のレースへと続いていく。彼にツアーオブハイナンの最終ステージである、第9ステージのスタート地点でインタビューすることができた。以下にインタビューへの答えとその肉声の聞けるオーディオを記すこととする。(それらは価値あるものだ) キャリアにおける最後のステージレースの最終ステージのスタートだ。「自分のレベルを見ながらスタートする最後のレースでもあると思うよ。2.1のレースである沖縄は少し特殊なものだからね。今すごく興奮しているよ。友人だったり、かつてのチームメイトだった選手達と対抗して走るんだ。動悸が速くなるのを感じるよ。こんなに多くのレースの世界に身を置いてきた後だからね。あとわずかで全てが変わると考えると、説明するのが難しい、奇妙な感覚が湧いてくるよ。」 今朝はどんな風に目覚めた? 「アラームで起こされたよ、足の痛みも、疲れも感じなかったのは、アドレナリンのなせる技かな。今日、僕は新たなステージレースに臨むような気分だ。最終ステージというのは全力を尽くしたいし、さらなる力を出したいものだからね。ほぼ全てが終わってしまうのは残念だよ。キャリアのいくつものレースが脳裏に巡ってくるんだ。「もう少し強くそのことに思いを馳せていれば。」という思いは沢山湧いてくるけれどね。皆に後悔はつきものさ。偉大なチャンピオンたちにしても、ミラノサンレモのようなレースに勝てたのに、などと思いおこすのさ。個人的な満足よりは後悔が立ってしまうことがあるね、」 例えば?「ジロデイタリア2015の有名なフォルリのステージだ(マルケ州のチヴィタノーヴァからフォルリに至る5月19日のステージを指す)。僕は200キロの五人の逃げに乗った。結果はこのとおりさ。ラスト1800メートルで僕はアタックをかけた。友人で練習仲間のアレッサンドロ・マラグーティが抜け出したから、協調できると踏んだんだ。でもラスト1000メートルで彼が3度目に僕の所に来ようとした時に、後方から来たボエムに捕らえられ、ボエムか勝ったんだ。僕は踏むのをやめて4位に終わった。死ぬほど嘲笑われたかのような気分だったよ。ボエムの勝利はマラグーティあってのものだ。僕はトレーニング仲間の友人に裏切られたと確信したよ。後にそのことを何度も物語ったけど、もう過ぎたことだ。彼はホームタウンゴールだったからちょっと思考が飛んでいて、それ以上何も分からなかったと言ったよ。自分自身のファンの前でジロのステージって感動を与えるなんて、誰にもあることではなかったから、ともかく、大きな興奮が残ることだろう。僕もちょっとした機会に誰かに興奮を与えたのさ。」 君のアシストによって沢山のチャンピオンが勝利してきたね。「僕にとって一番情熱をかけたのはアシストとしての働きだ。例えば、サガンのアシストをしたツールドフランス2013。皆が集団を引くために前方に位置どり、チームの一部となってカヴェンディッシュ、キッテル、グライペルやそのチームをちぎってチームで対抗し、彼らは捕まえることができなかった。ゴールでペテルが勝ったのは忘れ得ぬ記憶だよ。これ以上価値があることは、多分この中国のツアーでプロとして勝利することだろうね。」 レースの日々で思い浮かんでくるその他の思い出は? 「ニバリとジロとブェルタを走ったことだ。常に前につけて走らなくてはならなかったからすごいストレスだった。突然のアタックを潰して彼をガードしなければならなかったからね。バッソと走ったことは、彼をトップにつけることはできなかったけれど、とても良い思い出だ。ヴィヴィアーニとも走ったな。何も後悔することは無いよ。でも、それぞれが、まさに定めを持っていたんだと思う。いま起こったことは、起こるべきしてなされたことだ。僕たちも君たちも、今この時の状況に存在しているんだ。心を穏やかにすると、良い気持ちになるんだと考えているよ。今の若者たちのことを思うと、10年間はプロとして走れることが署名されているんじゃ無いかな。」 最近の自転車競技はどんな風に変わった?「自転車の世界ではチャンピオンなら沢山の可能性はあるけれど、平均的な選手なら、あるべき時を誤ったら、取り返しがつかないよ。僕の頭に浮かぶのはチモライのような最強の選手だ。彼はイタリアのヨーロッパ選手権勝利に貢献したけど、今ではプロとしての行き先に苦労している。僕の生きてきた自転車競技には沢山の友情に値する価値があったものだ。アシストてしてして、チームに属する人間として、プロトンの中においてもね。今では全てがあまり重要ではなくなり、あまりにも簡単に沢山の良いレーサーたちが走るのをやめてしまわなければならなくなるのを目にする。本当に残念だよ。僕はうまくいったけれどね。」今、プロトンはあまりにも無政府状態になっているのかな?歳を重ねたレーサーは若いレーサーについて嘆いているよね。「確かに、全体的に前より無秩序な状態になっているよ。若者たちは、他者へのリスペクトや紳士協定を打ち破っていく。スペクタクルには良いことだよ。規制を無くし闘争心に火がつくけらね。例えば直近のジロでも最初から最後のステージまでそうだった。そのかわりアシストてして働く者にとってはキャリアを短くしてしまうんだ。皆が1月から12月まで一年中力を出し切らなければならない。体はそんなに長くもたないよ。グゥエルチレーナが僕に言っていたよ。最近の計算ではこのカレンダーとリズムではせいぜいもって5-6年だよ。」 運命のことに話を戻そう。君が自転車に初めて乗ったのは?「自転車に囲まれた環境のおかげなんだ。僕の母がたの祖父はアマチュア自転車チームの監督で父はそのチームの選手の一人でエースになったんだ。祖父は秘蔵っ子を家に食事に連れて来ることもしばしばでそこで母と知り合って少しずつお互いの関係を育んでいったんだ。自転車競技が僕の運命たる所以だよ。」 いつ走り始めたの?「1993年の9歳のときのことだ。僕の父、ジャンドメニコは全ての若いレーサーや新人やアマチュアに至るまでと知り合いだったからね。いなかったのはプロだけだ。僕の家はいつもレーサーであふれていた。監督だけでなく、チーム責任者、マッサー、トレーナーもいたよ。だからこの世界の中に身を置くことになった力は、祖父と一緒だったということだ。彼もまた、自転車競技病で、僕も自分が求めるものを実現しようとしたんだ。93年以来、自転車から降りることは無いよ。」最初のレースは?「ラヴェンナ県にあるロマーニャの低地の小さなサーキットでのことだ。僕の中には深く刻まれている思い出だよ。スタート時は少し後方だったけど、ほんの少しカーブを過ぎたら4〜5人でカーブに入り4位の位置を保ち、5位以内の順位を守っていた。そして五人のゴールスプリントはまるで世界選手権の勝負のようだったよ。カップがもらえることになっていたから、人生における大きな経験だよ。残念ながら6着だったけれどね。」最初の勝利は?「93年、ラヴェンナ県のまた別のサーキットでのことだ。すごく興奮したよ。アシストの話と他の人を助けながらキャリアを積み上げて行く話をするのは良いものにはちがいないけど、子どもは勝ちたい思いから走り始めるのさ。」君のアイドルは?「パンターニが僕の年代のみんなが口にする人物だ。みんなにとってあこがれの人だったよ。」会ったことはある?「すごく残念なことに握手してもらったことも一緒に写真を撮ったこともないんだ。ジロで集団の中で走りすぎて行くのを見ただけだ。」引退後は何をする?「新しいスタートを待っているところだ。でも自転車に関係した環境にとどまると思うよ。自転車から去ることなんてできないよ。僕の人生だからね。僕はチャンピオンではなかったけれどこのスポーツが血の中に流れているんだ。」アラームで目覚めたとき、今日逃げに乗ろうと思った?「今日は全ての薬きょうを撃ち尽くすような気持ちで、少なくとも逃げには乗りたいと思っている。ジャージを持っているアンドローニの選手と話したんだ。僕は総合で20分遅れだから、怖くないよ。君たちは三ステージを勝利し総合でもリーダーだ。心にかけてくれよ。チャンスに逃げに乗れるかどうかわからないけれどここぞという時には全て飛び出そうと思っている。ラスト1キロで捕まっても上等だ。テレビカメラに映って感謝の意を表すんだ。逃げに乗って映画のようにゴールするのが唯一の夢だ。まあ、現実は厳しいけどね。もし人生が映画のようなものだったら、フォルリのステージで勝っていただろうからね。」
2018.11.09
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今季限りでの引退を表明したNippoのアラン・マランゴーニ。去る10月11日に、ハンマーシリーズ参戦のため、香港に旅絶つ前にミラノで行われたインタビューの模様です。インタビュアーはtuttobiciのGiulia De Maioですマランゴーニが引退。 「本当に素晴らしい旅だったよ」 https://www.tuttobiciweb.it/article/2018/10/11/1539189444/alan-marangoni-dice-addio-ciclismo-agonistico-inizia-una-nuova-vita-giulia-de-maio-tuttobiciweb 2018年10月11日 Text Giulia De Maio 25年間自転車選手として走った後、アラン・マランゴーニは選手としての人生に幕を閉じる準備にかかっている。 34歳で、10シーズンをプロとして走った。ロマーニャ人はレーサーとしての人生を終え、自転車界での新たな役割を果たそうと決心をした。 「GPベゲッリか僕のイタリアでの最後のレースだった。僕の引退を知った、カーブに陣取るマランゴーニファンクラブのみんなは涙ぐんでいたよ。10年間プロとして走ったけれど、もうプロとして続けていくためのコンディションではなかった。イタリアの自転車競技はより厳しくなっている。次のシーズンに立ち向かうための感覚は率直に言って、前のように感じられなくなっていたんだ。最後の年は、本当に大変だった。カレンダーと戦いながら第三の地域であるアジアに何ヶ月も滞在するのは、今までの年月よりも新たな刺激に対する負担がかかるものだったんだ。何ステージも全力を尽くした体力的なことに耐えることができず、自転車を降りて、地に足をつけるときが来たと感じたんだ。」 これは、香港へと旅立とうとしている時に語られた言葉だ。彼はそこで、ツアーオブハイナンの前にハンマーシリーズの最後のレースを戦い、11月11日の沖縄で、自転車選手としての幕をゆっくりとおろそうとしている。 「変化は恐ろしいよ。アスリートにとって競技をやめることは、心に傷を負うことだ。まさに習慣を変える義務を負うことになるけれど、僕は晴れ晴れとし、変化する準備はできているよ。勉強を全て終えて、初めて仕事に着かなければならないときのような気分だ。 僕にとっては、一か月後に人の人生が始まるようなものだよ。ここ数年、何人かの偉大なチャンピオン達と走ってきた。ジロデイタリアに7回、ツールドフランスに1回参戦した。世界でも最も名高い数々のクラシックレースも走った。アシストの称号は、僕に相応のものだ。(微笑みながら) 僕のキャリアで誇れる勝利は2016年のチェコサイクリングツアーでCannondaleの一員としてあげたチームタイムトライアルの勝利だけだ。でも、数々の忘れられないレースがある。たとえば、2013年のツールドフランスのアルビのペテル・サガンが勝利したステージ。サバティーニ、デ・マルキ、モゼールと120キロの間集団を引き、残り1キロで逃げを吸収してサガンを勝たせたんだ。それぞれの働きは、決定的なものだった。2014年のトレンティーノで、イタリア選手権の個人タイムトライアルの表彰台に上ったことも、永久に忘れないよ。過ごしてきたこと、贈られたものから得た感激は沢山あるよ。本当に素晴らしい旅だった。」 サドルの上で蓄積されま疲労はどんなプロ選手をも苛むものだ。 「他の選手よりは苦しさは少なかったと確信しているよ。僕には勝利のできる才能は与えられていなかったけれど、自転車で汗をかくことにおいては、勝利してきたという自負がある。僕はサガン、ニバリと言った選手から中根とも働いてきた。日本の仲間へのリスペクトを込めてね。2016年にはジロ・デレ・フランドレに出て、一年後の同じ日曜には、ツールド台湾を走っていた。カトリックの神には忘れ去られた地だ。如何なる時にも、僕は同じように全力を尽くした。なぜなら、このスポーツを愛していて、ただ見ているだけのものではなかったからだ。この最後のシーズンに、僕は敬虔の念と異なる世界からの適合の精神を見せたと思う。もし、広く物事を担える者でなかったなら、リクイガスに行き着く前に、選手をやめていたことだろう。今日の自転車レースにおいては、選手はまるで屠殺される家畜のようなものだ。おとなしく、引いていかなければならない。キャプテンでなければ、いつもそうされるのさ。いつも、より高く、修正するためにより過激さを増すことにより、酷さは増していく。僕がそうだったような「野良犬」と呼ばれるアシストの姿は、消え去っといく運命なのさ。今や、チャンピオンや、チームに求められるものは多い。若者が、年齢から外れたら困難な自転車競技に出会うようになるんだ。」 アランが悔やむことは唯一このことだ。 「ジロ2015年のポエムが勝ったフォルリのステージだ。僕はゴールまで逃げ切ろうと思ってガッツを見せていた。勝てたら素晴らしいゴールだっただろう。その他には悔やむことは何もない。それどころか、プロトンに素晴らしい思い出を残していくことを誇りに思っているんだ。今は異なるタイプの仕事を探すゲームに身を置いているんだ。沢山の元レーサーが僕に素晴らしい言葉をかけてくれる。そのことを賞賛しているよ。」 これからは 、どのように成長していくの? 「いくつかの自然や環境に関する会社からコンタクトがあるんだ。自転車選手だけでなく、人間として評価をしてもらい、誇らしいことだよ。僕はまさに自転車の世界に生きてきて、いつも辛いことはあったとしてもそのことを楽しんできた。僕の情熱は25歳のままでいることを許したんだ。1993年に9歳の時にペダルを踏んでからね。 小さい頃に取り去った大きな満足を再び得るための新しい人生への準備は万端だ。 学ばなくてはならないことは沢山あるけど、でもそれが待ち遠しくてたまらないよ。」
2018.11.03
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