《櫻井ジャーナル》

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2015.08.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 広島と長崎に原爆が投下される3カ月前、ドイツが降伏した時点で米英の少なくとも一部はソ連との戦争を始めていた。ウィンストン・チャーチル英首相の命令でソ連を奇襲攻撃する作戦が作成されたのは象徴的な出来事だ。

 ドイツ軍と戦い、打ち破ったのはソ連であり、アメリカやイギリスではない。1943年2月にドイツ軍がスターリングラードの戦闘で壊滅、総崩れになるのを見て慌てたアメリカ軍は同年7月にシチリアへ上陸、44年6月にはノルマンディーへ上陸してパリを制圧したのである。ハリウッド映画はドイツ軍と戦ったのはアメリカ軍だという印象を広めてきたが、実際は違う。

 1945年2月にはヤルタでフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、そしてソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長が会談したが、その2カ月後にルーズベルトが執務中に急死、5月7日にドイツは降伏文書に調印している。

 ルーズベルトに替わって大統領になったハリー・トルーマンは議員時代、ドイツと戦うソ連を支援しようとしたルーズベルト大統領に対し、「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と提案したと言われている。

 このトルーマンが副大統領に選ばれたのはアメリカ支配層の意思。本来なら気心の知れたニューディール派のヘンリー・ウォーレスが副大統領になるはずだったが、一般党員の意に反し、実際に選ばれたのはトルーマン。そのトルーマンに多額の資金を提供していたアブラハム・フェインバーグはシオニストのスポンサーとして有名で、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる富豪のひとりだ。トルーマンがマンハッタン計画を知らなかったとしても、彼を操っていた勢力は熟知していたと考えるべきだろう。

 ドイツが降伏した直後、チャーチルはJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」で、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。日本を降伏させるためにソ連の参戦が必要だとチャーチルは考えていなかっただろうが、軍の一部は攻撃されたソ連が日本と手を組む可能性を考えていたとも言われている。この作戦は参謀本部に拒否されて実行されず、チャーチルは7月26日に退陣するが、この段階で米英の少なくとも一部の支配層はソ連との戦争を始めていた。

 イギリス軍だけでなくアメリカ軍がソ連への奇襲攻撃に参加することが想定されていたということは、アメリカにもチャーチルの仲間がいたのだろう。そのアメリカでは7月16日、ニューメキシコ州でプルトニウム原爆の爆発実験(トリニティ実験)が行われ、8月6日に広島、そして9日に長崎へ原爆が投下された。

 翌年の3月にチャーチルはアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、 1947年にはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようトルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいた と報道されている。そして冷戦は始まった。冷戦が米ソの対立を生み出したのではない。米英支配層の意思で冷戦は始められたのであり、広島と長崎への原爆投下もそうした流れの中で実行されたのである。





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最終更新日  2015.08.10 02:57:51


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