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「遠足」とは言わないんですね。「校外学習」に、参加しました。直前まで、主治医の評価は△でしたが、直前にOKがでて、良かったです。養護学校なので、車椅子の子も多く、引率者は、教職員16名、医師1名、看護師1名。参加者と、同数ぐらいいるような感じでした。1~3年生と引率者で1台、4~6年生と引率者で1台、計2台での、片道30分ほどの、行程です。行きのバス内でのクイズで、景品(プラ板)をもらい、帰りの車内のクイズでは、銀メダルをもらったそうです。良かったね、行事に参加できて。宿題に、感想文が出たのですが、まだ1行も書いてません。明日(日曜日)書くんだろうな。おかあさんは、知りませんからね。何度も言ったんだから。
2008.11.28
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実家の母と話をするのも辛くて、息子から、電話をかけさせました。「会いたい」と言ってました。孫には会わせてあげたいけれど、実家に入ることに、抵抗を感じます。父が、居間に座っているような気がするのに、いないんだもの。私が悲しむほどに、息子は悲しんではいない。1年生だから仕方ない?私以上に悲しまれても、辛いけれど、でも、もう少し、別れを嘆いて欲しかったな。きっと、義父との別れには、おお泣きするんだろう。夫も、鈍感勘違い男だから、私の苦しさは、分かってくれない。方向違いの教訓を持ち出してくるので、ひたすら、一人で、泣くばかりです。母のことは、心配だけれど、会う勇気がない。とりあえず、心療内科に行って、強めの入眠剤に変えてもらいました。飲んで2時間も眠くならない薬って、意味無いもの。
2008.11.27
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朝10時に病院へ。10時15分から授業。合間に、採血があり、午後の授業が終わってから、インフルエンザの予防接種がありました。外泊中に、ベッドが窓際に移動されていて、暑いのなんの。ソックスを脱ぎ、上着を脱ぎ、ズボンをまくってそれでも、気分が悪かった。一応、二重サッシで、間にブラインドが入っているのですが、朝晩は冷えるし、カーテンくらいつけて欲しいわ。最悪のベッド位置です。次回入院は28日10時、という予約票をもらいました。この日は、養護学校の遠足。「参加できるかもしれない」と言われていたので、少しがっかり。行き先は、家の近くの鉄道博物館なんですが。その後、治療は火曜日スタートなので、月曜日入院で良い、と話が変わり、遠足に参加できることになりました♪現地集合・解散にしてもらうと、とっても楽なのですが、遠足って、やっぱり、現地に向かうバスの車内、帰りの車内が楽しいし、その時間も遠足の1部だと思うので、朝は、義父に学校まで送ってもらい、帰りは、私が迎えに行くことにしました。朝、苦手なんですもの。最近は、入眠剤の効きが悪くて、寝つきも、寝起きも全く不調です。お弁当は早起きして作りますが、8時半までに、学校に送っていく自信なんか、全くありません。義父が朝方の人でよかったです。今週、息子が家にいるのはありがたいです。精神的に、とっても疲れていて、病院に通うのが、苦痛なのです。来月には、また3週間入院(予定)ですが、どうにか、気持ちが上向きになることを望んでいます。
2008.11.25
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WBC 5300外泊になりました♪25日に行って、採血して、その結果で、一時退院。次回の治療は12月1日からです。今週の高熱がなければ、25日から治療開始だったんでしょうけど、その分、家で、まったり、のんびり過ごせます。多分、息子は下に入りびたりで、私は夜の睡眠を取り戻すべく、昼寝三昧かと、思われますが。昼寝するから、夜寝られないのか、夜、寝られないから、昼間の睡魔に勝てないのか、長年の疑問ではあります。病院に行かなくて良いだけでも、かなり楽です。滞在時間が長いと、生気を吸い取られる気がします。それくらい、疲れます。今月中に、涙の量も減っていきますように。
2008.11.21
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まだ、1週間?もう、1週間?何を見ても、父に「ああしてもらった。こうしてもらった」と思う。そして、泣けてきます。寂しい。悲しい。辛い。今まで、家族をなくされた方に、私はどんな言葉をかけてきたんだろう。自分が、初めてその立場になって、わかったことは、どんな慰めも、涙を止められない、ということ。心(胸)に穴が開いてしまって、そこを風が通っていく。寒い。寒い。父が苦しみから解放される日を、願った日もあるのに、いざ、逝ってしまうと、寂しさばかり募る。私は、父が好きだったんだな~、と改めて思う。父と、母の子で、幸せだったと。まだ、枕をぬらさずに眠ることができない私だけれど、少しずつ、息子に思い出を語ろう。他の孫たちよりも、一緒にいられる時間は短かったけれど、じいじは、いつも、君のことを気にかけていてくれたんだよ。君の心の中では(同居してるから)、じいじといえば義父のことが多く占めているのは、わかっている。だけど、心から心配してくれていたのは、お母さんがよく知ってるから。必ず、病気を治して、中学や、高校や、大学に入ったら、必ず報告に行こうね。きっと、笑顔で「良く来たな」と、声をかけてくれるはずだから。
2008.11.20
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私が疲れているだろうから、と、夫が義父に病院行きを頼んでくれた。メールによると、熱が下がって、食欲も出てきたとのこと。授業が終わる、2時少し前に病院へ付いたら、元気な息子に戻っていた。少し鼻声で、マスクをしていたけれど、平熱。絶対、父が、夜、熱を下げに来てくれたんだと思った。お父さん、ありがとう。これからも、ずーっと、ずーっと、見守って、時には手助けしてよね。治療が5月までかかるのはしかたない。でも、病気の素は、お父さんが天に持っていってしまってね。息子には必要ないものだから。
2008.11.19
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朝は、37.8度まで、下がったそうだが、病院に着いた4時半には、40度近い熱。お話をする元気は、少しあった。「お父さんとゲームをする」と、楽しみにしていたのにね。消灯過ぎまでいたが、寝付いたところで帰宅。先生と、少しお話をした。「ウィルス性のものであれば、抗生物質が効きますが、 風邪だと、白血球の回復を待って、自力で治していかないと、熱が下がりません。 両方の可能性を考えて、治療しています。」とのこと。早く、熱が下がりますように、お父さんにも、お願いしてきたから、きっと、時間を作ってきてくれると思うんだ。がんばれ、みっくん。
2008.11.18
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覚悟していたこととはいえ、火葬にされ、小さな骨壷に入れられた父。寂しくて、たまらない。もうすこし、実家で、安置しておいて欲しかった。今日も、みなに先駆けて、着替えをして、出てきました。
2008.11.18
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斎場から、病院までおよそ1時間。夕方までは、元気だったそうだが、21時現在、熱があってぐったりしている。WBC 100HGB 6.7PLT 2.5白血球が12日300 14日400と、上り傾向と思っていたのに、100しかない。赤血球の輸血も入れたそうで、着いた時には、血小板輸血をしていた。苦しそうな、息遣い。水枕に、アイスノン、湯たんぽを入れて休んでいた。夫と私、二人が来たことで安心したのか、そのうち、寝息がすーすーと変ってきた。先生と、看護師さんにお任せして、帰宅した。明日は、葬儀の前に、顔を見ていこうということになった。
2008.11.17
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以前、伯父の葬儀に参列した際、喪主である伯母、娘が洋装だったので、一人息子と結婚した以上、義父母の葬儀には和服で、と思って、あつらえた。まさか、最初に父の葬儀で着ることになろうとは。義母は持病があり、70まで生きない!と夫が断言していたくらいだから。(来月72歳の誕生日です)実家では、新しいものをおろすときには、七曜にこだわった。ちょうど、大安だったね。おとうさん、そんなところまで、気を遣わなくても良いのに。久しぶりの和服で、帯がうまく結べず、義母の手を借りた。「明日、火葬にされちゃうと思うと寂しくて…」そういう私に「三ヵ月後はもっと、寂しいわよ」普通、そういうか!?むかっだから、あなたとは、話をしたくないんです。思ったより、大勢の方が、参列してくださった。遺影の笑顔がとても父らしく、良い顔だったので、それを見たら、また泣けて仕方が無かった。通夜振る舞いに少し手をつけて、空いてる部屋で着替えをして、息子の病院へ。
2008.11.17
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息子の、一時退院は、早くて19日、21日が妥当なところ。父の葬儀は17日通夜、18日告別式です。顔を見せないまま、火葬にされてしまうのは、私がいやでした。主治医から、特別外出許可をもらって、午前中に実家へ行ってきました。最初、父の棺に近寄ることを躊躇した息子ですが、従兄弟がいたので、こわごわ、顔を覗き込みました。「眠っているみたいでしょ。 でも、もうお話はできないの。 じいじ、よくがんばったんだよ。 きっと、お空の上から、みんなのことを見ていてくれるからね」孫たちで、手紙を書いて、棺にいれるということになったそうです。病院に戻って早速書いていました。じいじが、手打ちうどんを作っている。息子が、笑顔でそれを食べている。言葉も、教えたわけではないのに、「じいじへ。 じいじ いままで うどんつくってくれてありがとう。 ぼくのこと、みんなのことを づーっとまもってね。 ぼくもがんばるからね。 ○○○より」と書いていました。じいじのうどん、2度と食べられないんだね…。作り方を、教わっておけばよかったね。ああしておけば良かった、こうしておけば良かった、そんなことばかり思ってしまいます。父は、私の泣き顔を見たくはないだろう、そう思っても、ふとした瞬間に、とめどなく、あふれ出る涙。葬儀の日が、来なければいいのに。お父さん、大好き。もっと、たくさん、たくさん会っておけば良かった。こんなに、早く逝ってしまうなんて思わなかったから。いままで、ほんとうに、ありがとう。
2008.11.15
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母が、葬儀会場で、白鳥英美子さんが歌った「アメイジング・グレース」(あと「千の風になって」)を流したい、と言ってました。今日は、実家に行くつもり無かったんだけど、家にあったCDアルバムを届けに行きました。父に、お線香を立てて「お父さん、なんで、 『よく、来たな。みっくんはどうした?』 って、言ってくれないの?」また、涙、涙です。寂しいよぉ。今日の夕方、納棺だそうです。主治医に、息子の外出許可を尋ねました。本来、白血球が下がっていて、ベッド安静期間なのですが、自宅だけだし、片道30分程度なので、特別に、許可がもらえました。明日の午前中、最後のお別れをさせるつもりです。息子にも、悲しい思いをさせてしまうと、悩みましたが、18日には火葬にされてしまう。よくかわいがってもらった。2度と会えないじいじ。通夜、告別式には当然出られないのですから、最期のチャンス。息子に対して、どう対応したらいいのか、まだ迷っていますが、夫と、私とで、よ~く言って聞かせるつもりです。じいじは、いつでも、見守っていてくれるから、と。
2008.11.14
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午前 0:55弟からメール「お父さん…かなり弱ってきてる感じです。 来れますか?」メールには、気がつかなかったのですが、そのあと、姉から電話があり、急いで支度して出かけました。途中、姉を乗せたので、いつもより、5kmほど遠回り。着いてみると、酸素濃度は50%以下。私たちが着く前に、痛みで暴れたそうで、手足が抑制されていました。「おとうさん、来たよ。わかる?」なんの、反応もありません。抑制を解きました。元義妹と、甥、姪も駆けつけました。「じいじ!じいじ!!」そのうち、心臓が停止。モニターがフラットになったのは、午前2時45分。医師による確認は2時56分、永眠。お父さん、よくがんばったね。享年 74歳。病気にさえならなければ、まだまだ、活躍したはずだった。早期発見できなかったことが、残念でなりません。葬儀屋さんが迎えに来て、自宅に安置されました。もう、息子の声を聞かせることも、顔を見せることもかなわなくなってしまった。実家の和室で、寝かされている父を前に「お父さん、まだきっとこの近くにいるよね。 よくがんばったね。もう、何もつらいことは無いよ。 お父さん、お願い。息子の病気を持って行ってね。」そう、強く念じました。
2008.11.13
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昨日、父の病院をたずねたときは、ほとんど、眠っている状態でした。酸素濃度は100だったし、呼吸数も24程度。安定した寝息を立てていたので、「お父さん、来たよ」と「お父さん、帰るよ。また来るね」そう声をかけただけ、父の寝顔をずっと見ていました。今日、行ってみると、酸素濃度 88呼吸数は多いときで50も。苦しそうに、顔をゆがめ、姿勢を変えています。息子の病院へも行かなくてはならないので、1時半に病院を後にしました。姉が残って、母が来るまで、看病をすることに。夜、メールが来て「あなたが帰ったあとに、看護師さんから、あと1日か2日くらいと言われたモルヒネの量も増えたし…」今日の父の様子を見ていて、あんなに苦しむなら、もう終わりにしてもいいのではないか?そう思った。お父さん、もう、がんばらなくていいよ、と。現実に、明日か明後日、と言われると、やはり、辛く苦しい。明日は、父の病院へ行くのは止めようかとさえ思っていた。でも、見届けなくては。そして、楽しかった思い出を、耳元で話そう。ありがとう、というひと言も。
2008.11.12
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TCCSGL04-16 HEX/BFM95の治療プロトコル(HE3’-1)が、終わりました。今回の治療は○デカドロン 6.4mg 生理食塩水 100mlで溶かしたものを、一日3回点滴 これを、11月5日から、9日まで。(1回1時間)○キロサイド 1940mg 生理食塩水 203ml (計300ml)(1回3時間) この点滴を、11月5日 2回 11月6日 2回○ベプシド 97mg 生理食塩水 195.15ml(計200ml)(1回2時間) この点滴が、11月7日 1回 11月8日 2回 11月9日 2回○髄注 11月10日治療の点滴が入っていないときも、ソリタ2号という液を、1時間あたり100ml、流しっぱなしでした。髄注前に、点滴がはずれて、久しぶりに入浴して、さっぱり。髄注は、以前麻酔が完全に効いていないときに針を刺されたという恐怖から、だいぶ、おびえていて、かわいそうでしたが、処置室で、注射2本で、しっかり麻酔が効いたみたいです。今週は、これらの薬の副作用・骨髄抑制で、白血球、ヘモグロビン、血小板がさがり傾向。何事もなく、数値が回復しますように。
2008.11.10
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夫が、早くから息子の病院へ行ってくれたので、父の病院に直行。9時半には着きました。昨夜泊まった母は、仕事のため、早朝からお店(美容室)へ。姉も手伝いのため、実家に泊まりました。 特別、異変なし。 血圧、低め。 酸素濃度、80~92 脈拍 115前後 呼吸数 25~32 体温 38.5度→37.5度今日も、点滴だらけです。鼻から伸びた管は、胃にたまった液を排出するためのものだそうで、少しみどりがかった、にごった液が、ひっきりなしに出てきます。昨日、ふと、父の兄弟には知らせなくていいのだろうか?と思いました。母に電話で尋ねたら「お父さんに聞いてみて」と言われたので「お父さん、話ができるうちに、会っておいたほうが良くない?」と話しかけました。父には、弟が二人存命です。下の叔父さんは穏やかな方だし、叔母さんが母の店のお客さんでもあるので、連絡をしたら、午後、早速来てくれました。母、姉、(元)弟は、11時30分頃やってきました。私がいるから(といっても、何もできず、父の額のタオルを氷水ですすいで乗せたり、 看護師さんを呼んで、口を湿らせてもらうぐらいですが)母も、少しは安心して、入浴など、身支度がができたそうです。家族5人揃うのが、病院というのは、寂しいものですね。息子のことも気になったので、2時半には、父の病院を後にしました。明日は、息子が髄注のため、朝食抜き。かわいそうなので、早めに病院へ行く予定です。父の病院へ顔を出せるかは、息子次第。どうか、今夜も、急変など、ありませんように。
2008.11.09
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父との約束は、明日。16時ごろ、弟から連絡があり「お父さんの呼吸が弱くなっているから、病院に来られないか?」看護師さんに息子のことを頼み、涙をこらえながら、父の病院へ向かいました。会ったとたん「お父さん!、私、明日会いに来るって言ったじゃない!」涙が止められませんでした。状況としては、前回の面会時より、酸素濃度を濃くしているにも関わらず、酸素吸収濃度が低い。血圧低い。心拍多い。呼吸も苦しそう。意識はしっかりしていて、声をかければちゃんと反応はする。最悪、今晩中に呼吸が停止する可能性もあり。「寒い」と震えだし、電気毛布を最大値にし、カイロをあるだけ身に付けて、しばらくしたら「熱い」熱が39.5度ありました。看護師さんが、いろいろ手当てをしてくれます。姉夫婦と甥もやってきました。息子を置いてきている身なので、(夫と連絡を取り、会社が終わり次第、行ってくれることにはなっていましたが)7時40分ごろ、病室をあとにしました。ここから、息子の病院まで約1時間かかるので。今夜、電話がならないことを信じて、体を休めようと思います。明日は、夫を息子の病院に送って、そのまま、父の病院へ行くつもりです。あと10日、父ががんばってくれたら、うちの子とも会わせられる。でも、苦しそうな父を見ていたら、これから旅立つ先は、苦しみの無い世界なんだ、とも思いました。でもでも、息子にもう一度会って欲しい。名前を呼んで欲しい。毎回書いてるけど、やっぱり、辛いものは辛い。夫の慰め方は、相変わらず、勘違い、方向違いなので、腹が立ちます。いちいち、言い返すのも億劫で、馬耳東風を心がけています。
2008.11.08
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夫、健康診断のあと、仕事が無かったそうで、早退して、息子の病院に来ました。実家の父の携帯に電話を入れたら、呼び出し音が鳴るばかり。母が出るはずだったんですが。少しして、携帯に着信あり。留守電を聞いたら、父の携帯からで、伝言は息遣いのみ!でした。父は、一人で病院にいるんだ、と思いました。息子のことは夫にまかせ、父の病院へ。昨日は、大安で、お見舞い客があとからあとから訪れていましたが、行ってみると、父が一人ベッドに横たわっていました。姉夫婦と、姪が来ただけだそうです。母は、朝、店(美容室)に出ると、タクシーで帰ったとのこと。4時半くらいに着いたのですが、母が来た午後7時20分まで、父との時間を共用しました。着いてすぐ、「少しは、見栄えが良くなったな」父が、酸素マスクをはずして、そう言いました。私がすこし痩せたことを言ったようです。(まだまだ重量級ですが、4kgほど体重は減りました。)昔から、こんな、軽口を聞く人でした。足をもんだり、さすったり、したら「気持ちがいい」というので、そんなことを何度か繰り返し、体の向きを変えたいというので、枕を背中に入れたり、「のどが渇いた」というので、看護師さんを呼んで、口を湿らせてもらったり。痩せて、細く小さくなってしまった父。「明日は来られるか、わからないけど、日曜日に来るからね」そう約束してきました。容態の急変など、どうか、起きませんように。
2008.11.06
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白血病の、大事な治療薬「ロイナーゼ」が、アレルギーのために息子には使えなくなりました。今後の治療について、説明を聞きました。一つは、このまま、代替薬を使わないで、治療を進める。もう一つは、代替薬を用いる。その薬の名が、エルウィナーゼです。ロイナーゼが大腸菌由来に対して、エルウィナーゼは、エルウィナーゼ菌由来なので、ロイナーゼでアレルギーを起こしす子供でも、その成分が入っていない、エルウィナーゼは使えるとのこと。代替薬は、日本では製造されていません。保険も無認可。個人輸入で、全額自費です。でも「使わない」という選択肢を選ぶつもりは、もともとありません。息子の使用量で、約140万円とのこと。次回の治療から使います。請求書が着たら、振り込むと、病院宛に、薬が届くそうです。今度こそ、再発の無い完治を目指します!
2008.11.05
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昨夜、母が、父の病院へ泊まりました。レントゲンで、肺が真っ白に写っていたそうですが、一晩、まずは乗り切りました。母は、一睡もせず、看病したそうです。その夜、主治医から「延命治療」についての話があったそうです。遅かれ早かれ、心臓が停止する。その前に、人工心肺を付けるかどうか。主治医は、「勧められない」と話したそうですが、母は、「いままで、あんな機械で生かされているのはいやだと思っていましたが、 家族のこととなると、延命治療しません、とは言えません」と答えたそうです。その場では保留という形に。今日、夫が、会社を休んで、一緒に父の病院へ行ってくれました。姉の夫は、堅物で、とっつきにくい面があるので、私の夫のことを、父はとても気に入って、相性Kちゃん、と呼ぶほどでした。7月の旅行でも、朝風呂に一緒に入り、うれしそうでした。病院に着くと、父の意識はしっかりしていて、まだまだ、大丈夫、というようにも見えました。でも、体からは何本も管が下がっており、口元には酸素マスク。看護師さんからは、昨日の延命治療についての返事を聞かれました。必要なら、主治医がもう1度話をすると。その件は、母に決断してもらうことにしてあります。私個人の意見としては、<心臓マッサージは、いやだな>と思います。1度止まった心臓が、動いたとしても、父に未来はないのです。生きている父というのは、会話ができて、ぬくもりがある。機械で心肺を動かして、それで、生きていると言えるのか?尊厳死、という言葉も使われますね。でも、父を失いたくなくて、毎晩、枕をぬらしている私には、決断なんてできない。思えば、胃がん手術で、おなかを開いたときに、転移があって、そのまま閉じた。あの日から、確実にカウントダウンは、始まっていたんですよね。気がつかないフリをしていただけ。先月末には、「11月5日ごろには、五分がゆになるらしいよ」と明るい声をしていた母。父の無言の帰宅に備えて、畳替え、ふすま、障子の張替えなど、手配したそうです。辛いですね。いつかは、その母をも、送り出さなくてはならない。子供が亡くなることを思えば、祖父母から葬儀になるのは、通常の流れです。だけど、こんなに辛いとは、思わなかった。今日、1番うれしかった言葉。又聞きですが。中1の甥が(弟と離婚した、元義妹と住んでいる)「じいじ、病気を治して、一緒に住もう」と言ってくれたんだそうです。父にも母にも初孫で、かわいくてたまらなかった姪、その弟といううち孫。生まれたときから、ずーっとかわいがって育てて、きた姪と甥。家を出たのは、姪が小5、甥が小1のときだったね。こんなに優しい子になったのは、お父さん、お母さんのおかげだよ。もちろん、そのあとママがしっかり育ててくれたから、さらにしっかりしたんだろうけど、じいじの心を受け継いだ孫がいるよ。十分がんばっていお父さんだけど、もう少し、この世にとどまっていて。3週間すれば、息子の白血球が上がって、一時退院になるから。元気な顔を見てやって。どうか、その日が、必ず来ますように。
2008.11.05
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朝、息子入院。採血、採尿などあり。15:47 姉からのメールお父さんの具合がよくありません。今すぐという訳ではありませんが、一応覚悟をして欲しいと言われたそうです。電話で話を聞いたところ、月曜日に、吐しゃ物が肺に入り、肺炎を起こしてしまったとのこと。母が帰宅した、そのあとの出来事だったようです。息子を連れて、父の病院へ行こうかと思いました。治療は、明日からですし。でも、嫌がる息子を連れて行ったところで、なんの意味も無い。午後8時過ぎ、帰宅する車内で、私は「いやだ~、いやだ~! お父さん、まだ逝っちゃだめ~!!」泣き、叫んでいました。
2008.11.04
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土曜日、日曜日<行こうか、どうしようか?>迷っていましたが、顔も見ずに心配していたって、仕方がなかろう。決意していってきました。息子を、病院へ連れて行くことに反対の夫、私一人で、父の病院へ。距離にして、30kmただし、1時間かかりました。どこも、混雑していますね。父は、思ったより、衰弱しているように見えました。最初の話題が運転免許証。父は、来月の書き換え講習を気にしていました。「免許証が無いと、お母さんの送り迎えもできないしなぁ、返納しちゃうというのもどうも」実家と、母の美容室は1.2km~1.5kmほど離れているので、そのことを言っているのです。退院しても、車の運転ができるほど回復するようには見えない。涙をこらえるのが大変でした。病室では、父の靴下に貼った、カイロがぬるくなったというのを張替えた以外は、特にすることも無く、家への伝言、姉への伝言を2~3頼まれ、ガソリン代として5000円いただき、「もう寝るから」という言葉で、病室をあとにしました。でも、およそ、1時間ほど、同じ時間を共有しました胸がつぶれる。胸がふさがる。胸に穴が開く。よく聞く言葉です。全部、当てはまります。大事な人の「その日」が近いことは、素人の私にだってわかってしまう。せめて、息子には、ちゃんと合わせたい。次回一時退院時は、主治医の意見を聞いて、お見舞いに連れて行きたいなと、思っています。
2008.11.03
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水曜日も、カテーテルからの採血ができなかったようで、腕に絆創膏を貼っていた息子です。CVから採血できないと、週3回の採血が、腕からになってしまう。そんなの、かわいそう。ヘパは、一応、血逆無くても、OKですが、火曜日は、ちゃんと採血できますように!
2008.11.02
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