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弊社のメイン事業であるトランクルームと音楽スタジオの経営で、弊社のように土地と建物の所有者が直接経営しているケースは全国的にも珍しいです。所謂、地主が業者を介せずに直接エンドユーザー相手に商売しているケースが少ないという意味です。多くの賃貸マンション経営もそうですが、トランクルームや音楽スタジオの経営に関しても、だいたい「専門業者」が地主とエンドユーザーの間に入って「企画、運営、管理、集客」を代行しています。地主とエンドユーザーの間に「一社だけ」業者が入っていれば未だシンプルですが、そこに土地と建物の所有者が別だったとか、底地の所有者が別で借地だったとか、建物は又貸し(転貸)だったとかになると、宅建業法や借地借家法が絡んできて話がややこしくなります。弊社の場合、弊社(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室)とお客さんだけの「二者」だけで、そこには宅建業法も借地借家法も存在せずに非常にシンプルです。トラブルの起きようがありません・・・(笑)。他人から借りていませんので、家賃を支払う必要もありません。ココです。業者を挟まない「エンドユーザー直」の地主直営がコロナに強いポイントが。業者を挟まず、地主自らエンドユーザーと直接商売する事によって、業者が取っていた利益を得ることが出来、ユーザーにも還元できるのです。自らも儲かりお客さんに安く提供でき、言うことなしです。東証一部上場の賃貸マンション経営の専門業者の決算報告書を四季報などで読むと、ビックリするくらい儲かっています。自らノーリスクで地主のリスクでマンションを建てさせ、建物で儲かり、管理で儲かり、仲介で儲かる・・・普通に考えれば、誰でもこのカラクリを見抜けます。専門業者に全て任せれば、地主は何もする事はなく2,30年間も自動的に契約時の金額が入る・・・だなんてオイシイ話がこの世の中に存在する訳が無いのです。大阪ではあまり聞きませんが、業者から「大家さん、大家さん」と持ち上げられ(マスコミも総動員して)、浮かれている場合ではないのです。尻に火がついている100%歩合制の業者の営業マンに気をつけなければなりません。全国各地で業者と地主の裁判多発が社会問題になっていますし、近隣でもマンションを手放す地主が沢山いる事実がそれを裏づけています。しかし過去10年の不動産仲介業を通じて、この業者がやる業務も自ら実践している極々少数の地主さんだけが儲かっている事実を掴みました。具体的なノウハウの公開は避けますが、「これだ!」と。しかし、何故エンドユーザー直にこだわるのか・・・?それは一言で言えば、織物時代の反省です。弊社は4,50年間、大手総合商社から直接「賃織り(委託生産)」形態の仕事を受けていました。しかも、その商社100%で。織物時代後半の10年はバブル崩壊による商社の川中部門撤退で、専門商社や産元や紡績や合繊メーカーに分散させましたが。賃織りを運命共同体と言えば聞こえはイイですが、値段交渉も何もなく、相手の言いなりです。4年間のサラリーマンで、建築建材金物の営業マンをしていましたので、家業を継いで一番不満だったのが値段交渉がない事だったのです。元営業マンにとって自らの能力を出せる「駆け引き」を封印させるというのは、とんでもなく圧制を感じたのです・・・(涙)。しかし、長年の取引商社との慣習に従わざるを得ませんでした。そんな賃織り商売をやっていたある日の事、思わぬオイシイ引き合いが飛び込んでいました。通常の取引でしたら1m織って40円~70円(シングル幅)くらいでしたが、2倍近い100円くらいのオファーだったのです。二つ返事で「受けます!」と。しかし、何故そんな高い工賃なのかと、発注担当に探りを入れました。すると「ヨーロッパの有名ブランドのレディス・サマースーツ向け生地ですよ」と、「高そうですねェ?」と呟くと「末端の店頭販売価格で20万だそうです」とポロリと漏らしました。サマースーツの用尺はせいぜいシングル幅3,4mです。末端の店頭販売価格20万円の服で、弊社の役割(生地)はたったの400円という現実に愕然としました。怒りというより、これまで自分が一生懸命やってきた仕事が何だったのかという自己嫌悪で「気が抜けてしまった」という表現がピッタリです。価格決定権はアパレルブランドにあり(利益率も1番)、布は単なるマテリアル(材料)でファッションの単なるパーツだったのです。何億もの工場設備投資をして年355日24時間エンドレス稼働で一生懸命働いても、円相場やファッショントレンドに振り回され何も儲かる事はなく、完全に空回りしていた現実に涙が出ました。この事件も、その後の廃業のキッカケだったのです。グローバル化だけでなくの日本の繊維業界の厳しい現実(流通問題)を突きつけられ、自社だけで頑張っても無理だと悟り、方向転換し1から別分野でエンドユーザー相手の商売で頑張ろう・・・と決心したのです。という事で、業者を挟まないエンドユーザーと直接ビジネスする事によって「お客さんのリアルな動向が少しわかるようになったかも?」というメリットが大きいと思います。14年前にトランクルームを始め12年前から不動産仲介業も兼業した事によって、その後音楽スタジオや卓球場やテレワーク&自習室に繋がっていったのだろうと思います。もちろん5つのビジネスともスムーズに行く事はなく、無借金経営を貫き織物工場をトランクルームに改造するには織物設備機械をすべて海外へ売却して資金繰りに回さなければなりませんでしたし、トランクルーム経営が軌道に乗るまでの1年半はプライドを捨て他社の織物工場で毎日12時間働きましたし、宅建業も50歳超えて一人で起業するにはそれまで全く不動産に関してド素人だった宅建士の試験に一発で合格しなければなりませんでした(2回目はないと背水の陣で)、スタジオ経営もズブの素人でケーブルの「八の字巻」もYOU TUBEで見ながら練習し、ドラムも若い頃は我流でしたのでドラムレッスンを開講するのにプロを呼んで私も基本から教わっています・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.12.21
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これまで1人で自社の建物や土地を活用した5つのリアルビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)を営んでると、時々ペンキ屋(塗装業)のマネ事をします。と言うか、せざるを得ません。いちいち本職のペンキ屋さんを呼んでいると経費倒れになってしまいます。塗るのは、2棟のトランクルームの建物の通路、壁、木、ブロック、鉄板、扉と様々です。しかし誰からもクレームが出ませんので本職のように上手に塗る必要は全くなく、気が楽です。昨年は軽トラックも塗装しました。この時は屋外だと早く乾き過ぎるので屋内作業だったので、シンナーの臭いで倒れそうになりました・・・(笑)。それほど、私にとってペンキは身近だったのです。つい先日は駐車場の板やブロック、スノコにペンキを塗りました。今回は「ひと工夫」加え、板の耐久性を高める為に下地に油性ペンキを塗り、夜でも駐車場を見つけやすいように黄色の蛍光塗料を塗りました。とにかく一人経営者というのは、大きく「経営」「経理」「現場」と3つに分け、それに付随する細々したヤルべき事が多すぎます。それを一言で言うと「如何に効率的に物事を進めるか?」に集約されますので、こだわるべきところは徹底的にこだわり、流すべきところはテキトーにやるのです。このテキトーにやる仕事として、今回の「なんちゃってペンキ屋」だったのです。こういった身体を主に使ったリアルビジネスの他に、保有資格(宅建士、FP、不動産コンサル)のメンテナンス(法律改正などの勉強)や、毎日のSNS発信やSEO研究などのITの勉強も欠かせません。という事で、工務店の「ひとり親方」のように本職は大工でも、左官屋、塗装屋、水道屋、電気工事屋、ブロック屋、解体屋・・・とイロイロと多少は出来なければ生き残れないように、我々零細企業経営者も同じだったのです。子供の頃から家業の織物業で、何でもこなしている父親の姿を見て、これが「当たり前」だと感じていました。ところが自分が家業を継いでみると、「20台のエアージェット織機を1人で営業&工員&経理&事務を1人でこなす」事が他社から見たら異常だった事に気づいたのですが、これが功を奏したのです。電気代は変わりませんが、経営者が5人分くらいの仕事を掛け持ちする事によって人件費が大幅にカットでき、織物現場の多品種小ロット生産に迅速に対応できたからです。これが倒産せずに、無借金で織物業を廃業(トランクルームに転業)できた根本的理由だったのです。しかし、コレはコレで経営者のオーバーワークという問題をはらみ、決して健全な経営とは言えないのですが・・・たまたま私は母親似で背が低く三枚目ですが身体が丈夫だったからヨカッタのですが、父親に似て男前で背が高くても身体が病気がちだと失敗していたかも知れません・・・(汗)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.12.01
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ウイズコロナのキーワードは「ディスタンス(距離)」と言われますが、不動産仲介業以外の弊社4つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室)はソーシャルディスタンスを保っています。何故なら・完全個室・会員制・予約制という3つのシステムだからです。この3つで、基本的にお客さん同士会う事は非常に少ないです。予約の時点で、弊社側で「時間差」をつけるように予約コントロールしているのです。コロナ前は連続予約でしたが、今のウイズコロナでは「予約の間を1時間空ける」ようにしています。予約間を1時間空ける事によって1日の予約可能トータル時間が減り、それだけ収益が減る訳ですが、他の業界(映画館、飛行機、ライブハウス)も同じような対策を取られていますので、残念ながら仕方がないですね・・・(涙)。しかしこれで他のお客さんと会う事が殆ど無くなり、コロナ感染防止という意味である程度効果が期待できると思います。こういうウイズコロナの状態が少なくともあと1年、ひょっとするとこのまま10年続くかもしれません。私は完全に収束するまで「5年は続く」と見ています。なので、できる限り予約可能時間を増やすためにキャパを広げるしかないという考えから、現在のリハスタ2室(22畳、8畳)から来年2021年2月に第3スタジオ(Cスタジオ)を増設して3室にする予定です。要はベビー服チェーンの西松屋のような「ガラガラ経営」を目指しています。やみくもに売り上げを追うのではなく、3室に増やして2室と同じくらいの売上で上等・・・という開き直った経営スタイルです。3室に増やしても、従来通り私1人で5つのビジネスを運営管理していきますので(9月から後継者の娘が参加)、固定費はそのままでソーシャルディスタンスを保てます。まぁしかし、ある意味泉州エリアにおいて、リハーサル音楽スタジオでビジネス的に勝負を掛けた計画です。1室、2室と会員数に応じて過去4年間ボチボチ増やしてきた訳ですが、2室程度ではボリューム的に「音楽スタジオをやってます」なんて、胸を張って言えないのです。やはり、3室以上にしないと・・・とずっと考えていたのです。22畳+8畳+12畳の3室で、広さ的には堺市を除く泉州エリアで最大の音楽スタジオと言えます。コロナの期間中は3室で2室の売上でジッと我慢し、コロナが収束すれば予約時間をコロナ前に戻して売上げ急回復・・・という楽観的なシナリオを描いています・・・(笑)。やはり、経営者は自分なりに「先の先」を読んでイロンナ手を打っていかないと、ビジネスの流れに乗っていけませんから。イロンナ手を打っても100%成功する事はあり得ませんから、そのうち10%でも上手くいけばしめたものです。「数打ちゃ当たる」ではありませんが、常日頃ブログやSNSで新しい情報や考えを発信し、5つのリアルビジネスでドンドン新しいアイデアや企画を考え実践する・・・コレの繰り返しです。学校の勉強は覚えてナンボだったり既に決まっている正解に対して如何に早く正確に解くかで最終ランキングが決定されるだけで命は取られませんが、実際のビジネスの現場では最終的に多くは成功か失敗かの2択の死活問題で「正解がない問題を解いていく・・・」という学校教育とは真逆のセンスが問われます。織物時代は発注元の商社から賃織り(委託生産)で、こちらから一切発信する事はありませんでしたが、受注したら工場現場で毎日アレコレ新しいカイゼン方法を考え実践していたところが仕事スタンスとしてよく似ています。製造業からサービス業に転業しても、仕事の基本はやっぱり変わらないなぁ・・・と感じます。まぁしかし本来計画は隠密で進めるモノですが、音楽スタジオに関してはオープン前からずっと「やるぞ、やるぞ・・・」とブログで告知していましたが、誰も他に新規参入しようとする勇気のある人は現れませんでした。それだけ音楽スタジオは防音や防振といった工事が難しく、ミュージシャン相手のビジネスなので上下が激しい水商売的な部分もあり、利用料金の割に設備資金が掛かりすぎるという点で参入障壁が高いのです。何千万円も掛けて防音工事をしても、近所から騒音の苦情でスタジオ閉店という実際の話も聞きますが、長年24時間操業の織物業を営んできた私にすれば至極当たり前の話です。どんな商売でもボリュームがあって儲かるとなれば、大手企業が直ぐに参入してそのマーケットを抑えますが、リハスタに関してはそういった動きはありませんし今後もないでしょう。という事で、14年前に60年近く続いていた家業の泉州の地場産業であった綿織物製造業を廃業する事になり、その「2棟の織物工場を何か活かせる方法はないか?」と考えに考えた結果、トランクルームに転業した訳ですが、その祭部屋と部屋の間を仕切る壁の高さで、多くの同業者は防犯面を考え天井と壁の間に「隙間」を設けていましたが、弊社トランクルームは敢えて天井まで壁を立ち上げる事によってプライベートを重視した「完全個室」にしました。壁の材料代が多少高くつきましたが、それ以上に用途が広がりました。これによって、トランクルームの部屋に机と椅子と照明を置きコンセントを設置して用途変更で「テレワーク&自習室」に出来たのです。たかが20㎝(隙間)、されど20cmだったのです・・・(汗)。余談ですが、トランクルーム別館は築70年のノコギリ屋根の元織物工場ですが、建物の高さが他社より1m高かったために、2階にもトランクルームの部屋を作れたのです。今より建物高が1m低ければ人間が通路を屈まないと歩けませんでしたので、2階にトランクルームの部屋が作れなかったのです。たかが1m、されど1mです。材料代や施工費が高くついたと思いますが、子孫に大きな財産を残してくれた事は感謝しなければいけません・・・(涙)。何故、天井高が1mも高かったのか建物を建てた祖父から事情を聞いていませんが、おそらく東から太陽光を少しでも受け、蛍光灯の電気代を節約したかったのかと想像します・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.11.28
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最近「Official髭男dism(ヒゲダン)」というバンドが人気を博しています。そのヒゲダンの「たたき上げの誇り」という見出しの新聞記事が載っていました。人気が出て来ても、それに浮かれず何も動じないようです。何故なら、「これまでCDを一生懸命作って、ずっとライブもやって足で稼いできた自信がある」からだそうです。所謂「下積み」を積んできた基礎があって、「自分たちの音楽を聴いてもらいたい」というメンバー共通の目標があるから、何事にも動じないのでしょう。これまで実績と目標。コレがあるから、今後もプロミュージシャンとして長く頑張れるのでしょう。同じプロミュージシャンで、イギリスのフュージョンバンド「シャカタク」と日本のフュージョンギタリスト「高中正義」も40年以上現役で頑張っていますし、ここ数年の間にどちらのライブも聴きに行きましたが、鳥肌モノでした。やはり年齢を重ねても過去に築き上げた「たたき上げ」の演奏力が力を発揮しているのでしょう。正に、職人芸の極みでホンモノだという事です。そして3者に共通するのは欧米では当たり前ですが、自分たちで曲を作り、それを自分たちで演奏しているという事です。日本の昔からの歌謡界のような作曲、作詞、歌手といった3者分業体制ではないのです。「たたき上げ」と言えば、私も織物工場の工員として1から父親に叩き込まれたという意味でたたき上げかも知れません。子供から青年期、サラリーマン経験をしてから家業を継ぐまでイロイロ経験をしてきました。織物工場に舞い上がる風綿(綿埃)の掃除と注油から始まり、検反作業(製造品の運搬も)、シャットル織機の保全(修理と管理)、エアージェット織機の修繕とタイイングと品種替え。力織機のスナール対策はシャットル内部にループや毛を色んなパターンを試行錯誤して貼ったり大変でしたが、特にユニフル(自動横糸巻機)付シャットル織機の管理の方が大変でした。ユニフルの分解修理とオイルバッファによるシャットル杼走の管理が大変でした。いくら時間を掛けて部品を新品に替えても、機械の調子が絶好調になることは無いと悟り、「やはり時間の節約を考えると新品に限る」と思わざるを得ないと。それが最新鋭エアージェット織機の導入へと繋がったのです。まァこのシャットル(力織機+自動織機)織機からエアージェット織機までの現場で一通りこなせた織物経営者は、私以外に泉州では殆どいなかったと思います。学生時代から含めておよそ30年の間に、力織機 → 自動織機 → エアージェット織機と3世代の織機を使いこなしてきた経験こそが、今の私のベースにあったのです。もっと細かく言えば、力織機から難易度が上がる自動織機へも壁があり、自動織機にもスーパーローダーよりも難易度が高いユニフルへも大きな壁が存在していたのです。父親もそうでしたがシャットル織機の職人の殆どはそこで職人としての寿命を終え、エアージェット織機から始めた若い職人はシャットル織機の事は殆ど知らないのです。それほどエアージェット織機というのは100年に一度の「革新織機」でしたので、新しく学ぶには相当の壁があったのです。まぁそんなたたき上げのキャリアがあったので、トランクルーム起業当初の集客に苦労した危機の時に、その「腕」を買われて同業他社の大手織物工場の現場で1年半働けたのです。という事で、織物時代の「たたき上げ」も14年前に完全にリセットされ、今は織物廃業以降の新しい5つの仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)を起業しましたが、どれをとっても中途半端なビジネスになってしまいましたが、強いて言えば「零細経営(ファミリービジネス)のたたき上げ」と言えるかも・・・(笑)。規模を大きく出来ませんが、小規模ながら複数のニッチマーケット専門の堅実経営で、どんな景気の波にも決して動じない経営を目指します。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.09.10
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本日の日経新聞トップに「世界の稼ぎ頭 激変」とデカデカと掲載されていました。前年同期比でIT企業が躍進し、重厚長大産業が下落しています。ここ10年IT企業が急速に伸びてきましたが、コロナでもう完全に世代交代した感があります。振り返って我々中小零細企業は、どうしたらコロナ不況下で生き残れるか・・・?大手企業に比べ資本力もないし国からの援助もない中小零細企業に唯一残された道は、世の中のニーズに「変幻自在」に細かく対応するしかないと思います。我々中小零細企業は潜在需要をチョット掘り起こすくらいはできるかも知れませんが、ブームを作るなんて出来ません。まぁしかし、いくら対応すると言ってもコスト割れではナンセンスですから、コストと常に相談しながら(下げれるところは下げ)・・・まぁ「変幻自在」とは現れたり消えたり変化したりが自由自在であるさまで、思いのままに変化するさま また、変わり身が早いさまにも用います。織物時代の後半5年くらいは、取引商社からのオファーに対し「変幻自在」に多品種小ロット生産で対応してきましたが、これも限界がありました。年355日24時間エンドレス稼働で月産20万mの織物工場の経営者が、朝5時から夜8時まで事務員を雇わず1人で営業、経理、早出の工員、全体の工場管理、受け渡しを熟してきましたが、もうそれは体力知力の限界ギリギリでした・・・(汗)。廃業の主因はそういった経営体質では「もう無理!」という事で、余裕のあるうちに廃業決断したのです。そういった過去の経験も踏まえて、これから何年続くか分からない「ウイズコロナ」で生き残るのはコスト割れしないギリギリの「変幻自在」な経営しかないと思います。織物時代は体力がメインでしたが、幸い転業してからの今の5つの仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)は「脳ミソの勝負」です。平たく言えば、脳ミソをムチャクチャ柔らかくして仕事をできるか否かが勝負でしょう・・・その為には、異分野の5つの仕事のお客さんと出来るだけ喋り、新聞(日経、読売)を毎日丹念に読み、月2冊の新刊ビジネス書の読書、ネットサーフィン(東洋経済、不景気.comなど経済関連)・・・これを1年365日毎日続けるのです。これで多少は柔らかくなったかも・・・(笑)。経営者にとって絶対必要な、脳ミソを柔らかくし決して偏った考え方にならない「常にノーマルでクールな視点」を維持したいと思います。大事な事は家族とファミリーが第一であり時間に限りがありますので、ネットのフェイクニュースや世間の噂に振り回されず、自分独自の価値観とポリシーでしっかり足元を見つめて着実に歩く事だと思います。60オーバーともなると体力知力とも若い頃に比べ格段に衰えますので、現役でビジネスを続けるには物理的な時間しかありません。残念ながら、何をするにしても時間が掛かるようになり、新しい事にチャレンジするにもチョットした気合も必要になりました・・・(笑)。そして現実的に使える時間を捻りだすために、数年前に付き合いや日常行動を見直しました。ジムや商工会議所や経済クラブを退会したのも、そういった理由だったのです。要するに、すべてトレードオフの関係です。何が本当に大事か?・・・・この取捨選択の決断をしなければ、いくら時間があっても足りません。これを真摯に考え抜くのです。弊社は14年前に60年近く続いた泉州の地場産業だった綿織物業から完全撤退し、全く異業種のトランクルーム業に転業した訳ですが、大阪最大級の171室もありますので100%埋まらず、数年前から空室対策として「音楽スタジオ」「卓球場」「テレワーク&自習室」をトランクルーム内で展開してきました。特に卓球場とテレワーク&自習室は、その時のマーケットの需要に応じて文字通り「変幻自在」に増やしたり減らしたりしているのでした。という事で、75年前に戦争で大敗し資源が何もない島国の日本で、長らく「日本の4番バッター」であったトヨタの米ドル換算の純利益の世界順位が急落した事実は一体何を示すのでしょうか・・・?我々中小零細企業経営者は国をどうすることも出来ませんので、この事実を「遡って」経営戦略をもう一度練り直さなければなりません。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.09.08
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本日読売新聞朝刊の経済欄に「ニッチ市場 海外で開拓強化」という小さな見出しで、小林製薬の記事が掲載されていました。その中で、これまで小林製薬はニッチマーケットを開拓してきたが、これらの商品は不況や有事の際は売れないと言われてきたが、「特定の困り事」を持つ人にはなくてはならない商品も多く、それらは売れ続けてきたと書かれていました。「特定の困り事」・・・コレです。中小零細企業の戦略の基本は。誰でも困まっているマスマーケットで、中小零細企業が勝負しても大企業に負けます。売上1600億円もある大企業なのに、ニッチマーケットを開拓し続けているところに小林製薬の凄さがあります。なので、もっともっと特定の・・・もっと小さなニッチマーケットで我々は勝負しないと。弊社の5つのビジネスで不動産仲介を除けば、あとの4つ(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室)は大企業の参入しないニッチマーケットです。一般的には全く知名度が無くても、特定の人には響くというヤツです。不動産屋は大阪で大手と中小が入り乱れて1万社もありますので、深入りは禁物です。弊社の不動産屋としての戦略は、貝塚市に特化した事業用不動産(倉庫、工場、ビル、駐車場)の仲介専業です。所謂「深く狭く」というランチェスター戦略です。大手の最大の急所は「局地戦に弱い」という事ですから、私どもは先祖代々何百年も貝塚に住んでいますから、単なる仲介ではなくトリプル資格(宅建&FP&不動産コンサル)でコンサルティングを強化し貝塚に特化する事によって生き残りを懸けたいと思います。しかし相続絡みの銀行経由の大きな案件は大手に持っていかれますし、田舎の人間というのは案外身近過ぎる地元の業者を嫌う(相談しない)傾向がありますので、過大な期待はせずに一歩引いた冷めたスタンスも必要です。まァしかし、広い家に住む人にはトランクルームの存在すら知らないでしょうし、音楽が嫌いな人はスタジオに全く興味はありませんし、アウトドアのアスリートに卓球に関心ある人は少ないでしょうし、資格取得や大学受験の勉強をしていない人にとってテレワーク&自習室に全く興味はありません。世の中、そんなモノです。これからも零細企業経営に必要なのはコレですから、更にもっと細かく特化していくしか道はありません。という事で、もっと細かく特化という事ですが、年間355日24時間エンドレス稼働だった織物時代の「多品種小ロット」生産は気が狂うほど細かく緻密な計算を必要としていましたので、今の5つの仕事が全然苦にならないところが不幸中の幸いでした。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.08.14
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従業員を誰も雇わず1人で5つの仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)をしていると、効率よく物事を進める必要が出てきます。トランクルーム171室、音楽スタジオ1400人、卓球場300人(その他テレワークや不動産関連も)・・・これだけでもユニット数と会員数があると、1人でなかなか管理するのも大変なのです・・・(汗)。かと言って、遅くまで残業する事はなく、朝は8時前に出社し夕方5時前には仕事を終え、15分ほどクロスバイクで周辺をサイクリングして、5時半にはシャワーを浴び庭のデッキで音楽を聴きながらビールを飲んでリラックスしています・・・(笑)。早寝早起きの習慣(21時就寝、4時起床)は言うまでもなく、土日関係なく、毎日このルーティンで、少なくとも80歳くらいまでこのライフスタイルを続けるつもりなので、毎日こういった余裕が必要なのです。具体的には、不動産以外は会員制なので予約の受付け、WEB管理、経理、新企画が日頃の仕事ですが、銀行関連を含めた経理が結構手間です。そこで今期から経理のテコ入れを始めました。税理士に渡すまでの銀行帳、金銭出納帳を手書きしていたのを経理ソフトに切り替え、メインバンクのATMや窓口で処理していた小切手や振り込みを事務所のパソコンで出来るようにネットバンキングに切り替えました。これだけでも、銀行への往復時間が減るなど1か月で10数時間くらいは節約できたと思います。何でもこなさなくてはならない零細企業のオヤジにとって、これは大きいです。仕事だけでなく、今年5人に増える孫と遊んだり趣味の時間(ウインドサーフィン、ドラム、ギター、空手、国内外旅行、読書)を捻出するためにもIT化は不可欠です・・・(笑)。そして、何よりミスが無いです。しかし、まだまだIT化しなければならない分野もあり、今後の課題です。経理ソフトもネットバンキングも操作を覚えるのも、新しい事なので多少苦労を伴います。日々の業務をしながらスムーズに切り替える必要がありますので、どうしても心の中をリセットしなければならないのです。コレが案外厄介なのです・・・しかし「これを今やらねば、一生出来ない!」と自分に言い聞かせ、エイヤー!と行動するのです。40代後半までの織物時代は営業や経理や受け渡しといった事務だけでなく、現場での過酷な肉体労働がメインでしたので、今の仕事は正に天国なので、エイヤー!と叫んでもたかが知れていますが・・・(笑)。という事で、ネットバンキングに切り替えたのはイイですが、税金などの支払いでクレジットカードが不可だとかペイジー(Pay-easy)が利用できないとか行政のIT化の遅れが足を引っ張っています。10万円の給付金もネット申請を早くしたのに未だ届いてなくて、2日前に市役所に電話で問い合わせしたら、「まだネット申請が届いていません」との返事に開いた口が塞がりませんでした。多くの日本国民は、一体何故行政のIT化の遅れているのかと不思議がっていると思います。イヤ、世界の先進国の間で笑われているでしょう。5年前にバリ島に旅行した時に、道端で年配の露天商までがスマホをフリーWiFi網が発達していたのかイジっていたのを見て驚きました。5年前の日本のスマホ普及率は約50%でしたが、バリ島では100%でしょう・・・これが5年前の世界の現実でした・・・(汗)。海外旅行に行って、実際この目で海外の実態を見ることが大事なのは正にココです。頻繁に海外に行けませんし特派員ではありませんが、ネットや4大新聞を読むときも自分の勘や感性を頼りに100%信用しないようにしています。まぁ世襲の国会議員(政治が家業?)や族議員が地元団体や業界団体から献金や支援を受け、自分と彼らの利益のみに固執しているだけで、日本の将来を何も見ていないのでしょうか・・・???600年くらい前の大航海時代に世界を制覇したスペインやポルトガルのように、日本はバブル絶頂期から30年も沈んできましたが、更に継続してこのまま何百年もかけてゆっくりと沈んで行くのでしょうか・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.07.03
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昨日の日経新聞に、小売り最大手イオン吉田社長の「消費、郊外でワンストップ」という記事が掲載されていました。ニューノーマル(新常態)時代は消費は郊外に移り、一か所でまとめ買いするワンストップが進み、映画館などのエンターテインメント施設は苦戦するが、実店舗の強みは必ず残ると主張しています。企業の事務系ホワイトカラー層のテレワーク定着化で、昼間人口の都会から郊外への移動で、会社帰りのニーズを拾っていた都会型ビジネス(小売り、歓楽街の接客業など)の戦略が見直しを迫られます。この変化はとてつもなく大きいと思いますよ。100%コロナ前の状況には戻らず、戦後初のオフィス革命と言えるでしょう。ネット社会、特に今年から本格的にサービスが開始されようとしている5G(第5世代移動通信システム)時代になって、アマゾンや楽天などのネット販売が更に売り上げを伸ばすでしょう。エンドユーザー相手のビジネスはゼロサムゲームです。こちらが増えれば、あちらが減る。全体の総量は増える事は無いのです。むしろこれからのコロナ不況を考えれば減少するでしょう。実店舗を構える百貨店やGMS(総合スーパー)やコンビニと、ネット販売の「分捕りゲーム」と言えるかも知れません。と言うか、実店舗側はネット販売比率を増やす傾向にあり、両方のバランスを取っているのでしょう。かつて一世を風靡した百貨店は企画力が無くなり、場所だけを貸す不動産屋化で各社生き残りを探ろうとしています。振り返って、同じエンドユーザー相手の実店舗でのレンタルビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室)を展開している弊社にとって、物品販売と違って実店舗そのものがなければ商売が成り立ちません。しかし今回のコロナで、ZOOMやSkypeを使ってバンドセッションするという新しい遊び方が脚光を浴びています。2,3年前からこういったネットでのセッションの存在をスタジオのお客さんから教えてもらって知っていましたが、まさかコロナで脚光が浴びるとは想像もしていませんでした。ただ生ドラムだけは騒音と振動の関係で自宅で演奏できる人は殆どいないので、まだスタジオでのセッションの強みが残るでしょうし、ドラムだけスタジオからのZOOM参加も可能でしょう。という事で、物品販売でもレンタルビジネスでも土地や建物の固定資産税を払いながら「実店舗」を構えて商売をしていくスタイルが今後も残ると思いますが、今年から本格的に5Gサービスが始まるのを考えると楽観できません。特に強敵になると思うのは5Gによる更に進化するであろう「VR(Virtual Reality=仮想現実)」分野です。2,3年前にグアム空港でジェットコースターのVRを体験しましたが、そりゃメチャ面白かったです。ジェットコースター嫌いなこの私が・・・(笑)。VRを如何に自分のビジネスに上手く取り込めるか・・・?これが勝負の分かれ目になるかも知れません。まぁしかし、私が関わっているビジネスの何割かは必ず淘汰されるはずですから、織物時代は業界の98%も倒産廃業で淘汰された(貝塚市~岬町で680社から15社に激減)経験を活かして、覚悟を持ってガンバっていきたいと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.06.11
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織物時代の約40年間を振り返ると、高校生の時に「オイルショック」、大学生の時に第2次オイルショックを経験し、サラリーマンを経て家業を継いで数年後に「バブル崩壊」に遭遇し、家業を止めて2年後の「リーマンショック」に見舞われました。「オイルショック」「バブル崩壊」「リーマンショック」という戦後の日本経済の3大不況に身をもって経験したのです。オーナー経営者以外で3つとも経験した企業経営者は非常に少ないと思います。大企業の殆ど100%はサラリーマン社長が数年ごとに変わりますので、過去の業績や決算を見ると、3大不況の経験を活かし切れていないケースが案外多いのに驚かされます。それも、40年間というのはサラリーマンだと新入社員から60歳定年までの期間で、20代の時は誰でも経営に関して何もわからないのは当たり前ですから。以前、繊維業界の某大手上場企業のサラリーマン社長が会社が大赤字なのに毎晩キタ新地で飲んだくれているという話を、そこの社員が嘆いていました・・・(笑)。大企業のサラリーマン社長は会社の銀行からの借金に対し個人保証をしていないので、そこまで仕事に対する責任感が無いのか・・・と(驚)。それ比べ、殆どの中小企業のオーナー社長は銀行に対し個人保証をしていますので、その責任感はサラリーマン社長の100倍はあるかと。弊社は幸い無借金経営なので、個人保証はしていませんが・・・(汗)。しかしオイルショックは高校生や大学生で未だ経営に携わっていませんでしたが、両親とも腰痛でダウンして入院した時は、大学を休んで一人で家業の織物業を回していたという意味で経営と言えるでしょう。不幸の連続のように思いますが、今思うと「上手に切り抜けた」ように思います・・・(笑)。一体、何故なんでしょう・・・?私が思うに、小さい子供の頃から織物業という家業を「ずっと過程を連続で見ていた」からだと思います。小学生の頃から学校の勉強や友達との遊び以外に、「家業」という生業を身近で見て人生の勉強をしていたのです。この時点で「家業という仕事でお金を儲け、それでご飯を食べているのだ」という意識が芽生えていたのです。両親が睡眠薬を飲んで昼に寝て、夜中に織物工場で機を織っている姿を見れば小さな子供でも理解できます。なので、小学生の時はずっと工場に隣接していた祖父母の家でご飯を食べ風呂に入って、夜に叔母さんに家まで送ってもらい添い寝までしてもらうという生活を送っていましたので、日曜しか両親と存分に接する時間がなかったのです・・・(涙)。確かに寂しかったですが、祖父母や叔母さん達や工場の女工さん達に可愛がってもらっていたので、幼いながらも自分の立場をよく理解していました。今の実家を親父が1970年に建てましたがその前の1960年代に良質な材木を買い集めていたのが功を奏し、その後田中角栄がぶち上げた日本列島改造論やオイルショックでインフレになっても何も関係がありませんでした。昔からの100年耐久性があると言われる太い材木を使った泉州伝統の「しころ」建築で(古民家)、阪神大震災も2年前の台風21号の時もビクともしませんでした。またオイルショックの時は大手商社と寝具メーカーと組んで、泉州の織物業者が織るのが難しいと言われ殆ど手掛けていなかったサテン(和布団用生地)をいち早く生産にこぎづけ、難を切り抜けている親父を身近で見て「ナルホドねェ・・・」と感心しました。なので、大学卒業後の4年間のサラリーマン時代も、朝5時から2時間織物工場に入っていました。所謂「二足わらじ」です。今流行りの「サイドビジネス(副業)」でもないです。当時は、朝早くから夜遅くまで働き、夏は暑く(40℃90%温湿度)冬は寒い(10℃以下)織物現場でガチャガチャうるさい騒音(100デシベル)の中で仕事をするのが嫌で「サラリーマンで一生食っていく」と親父に宣言していましたが、それでも持病の心臓病を抱え病弱だった親父が心配なので朝だけ手伝っていたのです。しかし厳密に言えば、3年目でサラリーマンの仕事が多忙を極め、それから2年間だけ完全に織物業を手伝っていませんでした。一生懸命サラリーマン生活を送った結果、サラリーマンの悲哀を存分に味わい、仕事がシンドイ割に薄給で子供2人と妻を養えないと判断し、親父に頭を下げ「家業に戻りたい」と懇願したのです・・・(涙)。人生には「結婚、離婚」「仕事(就職、転職、退職)」という2大ターニングポイントがあり、この時の判断が1つの大きなターニングポイントだったのです。家業に戻って数年後にバブル崩壊に見舞われましたが、バブル前に新工場を建て新しい機械設備を導入していましたので、それほど影響を受けませんでした。と言うか、バブル前に設備投資をして大きな借金を背負っていましたので、バブルが始まってもオイシイ話に乗ることが出来なかったのが幸いしたのです・・・(笑)。正に、不幸中の幸いです。バブル崩壊の10数年後に起こったリーマンショックでは、その2年前に織物業からトランクルーム業に転業していましたので影響を受けませんでした。という事で、オイルショックもバブル崩壊もリーマンショックも「その2年前の行動」で難を逃れた・・・と言えるかも知れません。別に2年後の予想していた訳ではありませんが、今思えば小さい頃からの家業をずっと見ていた「勘」が働いたのでしょう・・・今回のコロナ不況では「その4年前の行動(音楽スタジオ)」が吉とでるか凶とでるか・・・?「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.06.04
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企業のテレワーク化が加速すれば、都会のオフィス需要が減りますが、また違うところに新しいビジネス需要が生まれます。やはりビジネスはコッチが減ればアッチが増えるというゼロサムゲームです。テレワークが普及すれば郊外から都会への人が移動が減りますが、逆にテレワーク(在宅勤務)している郊外周辺のビジネス需要が増えると思います。要は昼間人口の分布が、これまでの都会集中だったのが郊外にも散らばるという事です。もっとも端的なデータはテレワークの普及で人の動線が変化し、駅の乗降客数が減るという事実の変化です。これって、恐ろしくビジネスに影響を与えます。何故なら「人相手のビジネス」が大半だからです。昼間人口が集中する都会にしか立地しない百貨店のコロナでの売上激減が、それを如実に物語っています。その反面、郊外に立地する自宅周辺のカフェ、コンビニ、スーパー、居酒屋とかの実店舗がこれからのテレワーク時代には充実してくるでしょう。という事は、郊外にある弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」もその恩恵を受けるのか・・・?これまで大阪市内にあったリハーサル音楽スタジオには、会社や学校帰りに「集まりやすい」という理由でで賑わっていました。しかし、これからのテレワーク時代は変化が起こるはずです。一体、どういった変化か・・・?これから弊社のような「郊外型」リハーサル音楽スタジオには、都会のリハスタに行っていたミュージシャンの一部が流れてくるでしょう。自宅でテレワークしているのに、今更わざわざコロナリスクを犯してまで大阪市内のリハスタに行けないという郊外に住んでいるミュージシャン達です。まぁしかし残念ながら多くの大学生や社会人のバンド練習は、従来の大阪市内のリハスタに行くでしょう。南海貝塚駅から30分で難波駅に行ける便利さには勝てません。それが泉州にこれまでリハスタ経営が成り立たなかった理由ですが・・・(涙)。しかし、少しでも泉州のミュージシャン達の一部が弊社リハスタに来てくれるだけでも嬉しいです。という事で、コロナで私たちの生活に公私とも様々な変化をもたらしますが、それを「プラスに持ってくる」努力が望まれます。ある意味、もういちど人生を見直すチャンスかも知れません。弊社に関して言えば、大和川以南の泉州にターゲットを絞った5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)にとって、テレワーク定着は追い風だったのです。特にこれまでパッとしなかった、貝塚市にターゲットを絞った不動産仲介業に期待できるかもです・・・(笑)。そしてコロナで恩恵を受けるのは何も郊外型ビジネスだけでないのは、本日の日経新聞に掲載されていたTOTOやリクシルのウオシュレットトイレの海外での販売が2倍3倍という絶好調さに表れています。世界のトイレットペーパー不足事情や、日本のコロナによる死者数が少ないのは日本人の清潔感が世界で見直されているといった理由が挙げられいています。確かに海外旅行に行っても、ウオシュレットトイレの異常な少なさに毎回泣かされています・・・(笑)。特に10年くらい前のトルコツアーで、5つ星のヒルトンホテルでもウオシュレットが付いていないのに驚きました。結局ヨーロッパ旅行では全くウオシュレットがなく、毎年行くハワイでも全くありません(日本人に大人気のワイキキの知人が泊まった高級ホテルで見ただけです)。その為、電池式携帯ウオシュレットを毎回持参しているのです。ウオシュレットが当たり前の日本人にとって、これが命!日本の常識が世界の非常識・・・ウオシュレットが日本のトイレ事情のガラパゴス化と揶揄された事もありましたが、誰も予想だにしなかったコロナでコレがビジネスに大転換したという好例です。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.23
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本日の日経新聞と読売新聞に「テレワーク 行き場提供」や「企業 逆境生き抜く知恵」という記事が大きく掲載されていました。日本のホテルや旅館が、コロナウイルスの感染によって国内外の観光客の激減で大変な状況に陥っています。特に関西空港の4月の出入国者数が前年比99.7%減という恐ろしい数字です。もう殆ど関西空港が機能していないのです。関西空港島で働く約2万人分の仕事が蒸発したという事です。また関空に関連する周辺ビジネスに甚大に与える影響を考えると、経済的損失は計り知れません。そんな逆境に陥っている多くのホテルが、コロナ不況を生き抜く策として弊社「テレワーク&スタディ貝塚」(貝塚市名越661 072-446-0798 トランクルーム貝塚「本館」1階)と同じテレワークに新規参入しました。弊社にとって競争相手が増えたのです。同じくカラオケ店でも、「テレワーク」に新規参入してきました。ホテルもカラオケ店も弊社と同じ「完全個室&WiFi」というのがポイントです。それによってテレワークに絶対必要なプライバシーが保たれるのです。これはカフェやレンタル自習室では絶対できない環境だったのです。ホテルやカラオケ店がテレワークを大々的に始めれば、「テレワークって、自宅以外でも出来るんや・・・」という認識が広がれば、弊社にとって追い風です。これまで一人で「テレワーク、テレワーク」と叫んでも、珍しく新しいビジネスには殆ど誰も振り向いてくれませんでした・・・(涙)。14年前のトランクルームの時もそうでしたが、珍しく新しい事に関しては世間は冷たいものです。まぁ競合が増える事によって、新しいマーケットが膨らむという意味で、競合がドンドン増えてもらえれば結果オーライなのです。ただ新規参入者が増えすぎて、需要より供給が増えすぎれば困りますが。ただテレワークの「完全個室&WiFi」というビジネス環境を、弊社の料金体系(6時間1000円、18時間2000円、1か月20000円)と同じくらいローコストで新規参入できる業者が、どれだけいるかは疑問ですが・・・(笑)。まぁ、将来的に住居エリアにテレワーク・ステーションが沢山出来て日本全体のテレワーク化が進めば都会のオフィス需要が減りますので、これまで割と盛況で空室率の低かった都会の商業ビルが苦境に立たされるでしょう。逆にサラリーマンのプライベート時間が増え、住居エリアの充実が進めば、人生トータルで考えればコロナ不況は大きなプラスだと考えられるかもしれません。まぁしかし、自宅外でテレワーク出来る場所を探すというのは「家族がいる自宅では仕事に集中できない」というある意味、贅沢な悩みだったのです。世界中を見渡すと自分専用の部屋どころか、ワンルームに沢山の家族がひしめき合って暮らしている人や、自宅の無いホームレスの人も沢山がいますが、こういった潜在需要があるというのは日本は平和な証拠と言えるかも知れません。という事で、今日から39県に緊急事態宣言が解除される予定ですが、コロナウイルスとの本格的な戦いはこれから始まると思います。決して気を緩めることなく、我々事業者も細心の注意を払い、コトを進めていかなくてはなりません。弊社は5つのビジネスのうちリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」と卓球場「貝塚卓球センター」を3月1日から自主的に臨時休業しています。5月31日まで臨時休業予定ですが、丸3か月も休業するようになるのですが、スタジオのお客さんから「まだか?いつ再開?」といった連絡が沢山来ています。3か月休業して、これほど再開の問い合わせが来るというのは弊社が泉州のミュージシャン達に「必要とされている」証明ですし、それにタダタダ感謝、感謝しかないです・・・(涙)。もうしばらくお待ちください。このままの状況で推移すれば、6月1日からボチボチ再開予定ですので。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.14
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これまでの人生を振り返ると「1979年」と「1987年」の行動が一番思い出に残っています。もう彼これ3,40年以上前ですが・・・(笑)。「1979年」はウインドサーフインを始めた年で、「1987年」は家業の織物業で最新設備機械(エアージェット織機)を一新した年です。どちらも他人(同業他社)よりも一足早く行動したという意味で「世界の最先端を走っているのだ・・・」という自負がありました。あくまでも自分が勝手に思っているだけで、客観的には知りませんが・・・(笑)。ウインドサーフィンは全国あちこちレースで転戦し良い結果は残せませんでしたが、大学にウインドサーフィン同好会を創部したりし自分的には青春を完全燃焼させ、エアージェット織機も回転数を世界最速を目指し現場で油だらけになりながら24時間エンドレス稼働で織物工場を回した結果、メーカーと試作とかで協力関係になる程になりました。孫正義氏の言葉を借りれば、この1979年と1987年の行動は「もっと狂え!本気で狂え!」という状態だったかもしれません・・・(笑)。ゴチャゴチャ考えず、若さだけを武器に勢いだけで突っ走っていたような感覚を思い出します・・・そのうち「1987年」とその19年後の「2006年」の行動が幸運を引き寄せました。この2つの行動抜きには、私の人生は語れません。それほどインパクトのある出来事だったのです。1987年はバブルが始まる1年前です。2006年はリーマンショックの2年前です。1987年の円高不況時に億単位の設備投資(最新織物機械の全面更新と新工場建設)をし、2006年はその織物機械を中国に転売してトランクルームに転業したのです。1987年の不況時は機械を安く仕入れも建物も安く建築でき、2006年は北京オリンピックの好景気に沸いていた中国に織物機械を高値で売却できました。私は株の売買はしませんが、安く仕入れ高く売り抜いたのです・・・(笑)。しかし、これら2つの行動は突然降って沸いたものではなく、既にその1年前から計画が始まっていました。1987年の行動は1985年に私がサラリーマンから家業を継いだ年で中古のシャットル織機を一部入れ替えたのですが上手くいかず、1986年に考えに考え抜き一か八かで最新鋭エアージェット織機を導入する決断をしたのです。2006年行動は2005年に繊維業界にかつてない不況が襲い、それまで24時間エンドレス操業(土日祝日も休まない)してたのですが、いきなり土日を完全休業せざるを得なくなり「もうアカン!ギブアップや!」と決断したからです。1987年も2006年も、1988年から始まるバブル好景気や、2008年のリーマンショックの大不況なんていう将来を知る由もありませんでした。たまたま偶然、自分の強運としか説明がつきませんが、決断に至るまでの「死ぬほど考え抜き、そして行動に移した」事が吉と出たとしか言いようがありません。ソフトバンクの孫さん曰く「脳がちぎれるほど考えよ」のように、レベルに雲泥の差こそあれ、その自分の能力レベルに応じて「考え抜く」「脳がちぎれほど」という事が何より大事です。オーナー経営者や個人事業主がそこまですると、誰でも夢でも仕事をしていることになりますが、会社(上司から)から仕事をさせられている訳ではありませんので、ノイローゼにはなりにくいと思いますよ・・・(笑)。他人に左右されず自由に生きる事こそが大事・・・と思いながら生きてきましたが、それを100%実践するのはムリとしても、子育て期間中は50%、60歳超えたら80~90%くらいに出来ればもって行きたいですねェ・・・もう今年64歳で、サラリーマンで言うと60歳定年をとっくに過ぎ、今頃は週2、3回の勤務でボチボチ仕事をして来年には仕事から完全引退するという気楽な年齢です。しかし私はまだまだ仕事をヤルつもりですが、もう1979年や1987年のようなパワーも情熱もありませんので、これまでの経験を活かしながら仕事を横に拡大するのではなく、5つのビジネスの深耕策を図りながら後継者である娘を育てながらボチボチとやっていきます。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.11
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ホテル運営の「WBFホテル&リゾーツ株式会社」が、160億の負債を抱え民事再生法を申請したようです。 もう既にコロナ関連の倒産が、ホテルなどの観光関連を中心に何十社も出ていますが、コロナ関連の倒産で最大のようです。 表に出ているのは会社の倒産だけで、個人事業主の自己破産を入れると、もうその何十倍の人がいるかも知れません。 これからドンドン倒産が増えてくるのは間違いありません。 あまり考えたくありませんが、コロナが落ち着くであろう5か月後の10月あたりには、経済の状況が一段と悪化している事でしょう・・・ 「明日は我が身」・・・というのを念頭に入れて企業経営者は前に進まなければなりません。 弊社は幸い、5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、テレワーク&自習室、不動産仲介業)のうち被害を受けているのは2つ(音楽スタジオ、卓球場)だけで、何とかやっていけています。 何とかと言うのは、 ・自社物件(土地と建物) ・従業員ゼロ ・無借金経営 だからです。 平時から「身の丈経営」を貫き、借金をしてまで業務を拡大するような無理をしていません。 これも織物時代の教訓です。 同業者の多くが無理して過大な借金を背負って倒産廃業しました。 その数、何と98%が倒産廃業(貝塚市から岬町までで680社 → 15社に減少)という恐るべき数字です。 やっぱり、企業の倒産や個人の自己破産のほぼ100%は「身分不相応な過大な借金」です。 それも安易な・・・ 普通に考えれば当たり前の事ですが、4年間のサラリーマン時代~20年間の織物業時代~12年間の不動産仲介業を通じ沢山の倒産例を見て感じましたが、安易に銀行から大金を借りたり、安易に身分不相応な立派なビルや大きな倉庫(工場)を借りる企業(個人)が多いのは、明らかにオカシイ・・・と。 それを仲介して生業にもしていますが、明らかにオカシイと判断した場合は不動産コンサルティング的に「止めといた方がいいですよ・・・」とアドバイスしています。 何も考えず仲介手数料を欲しいだけならソコまでしませんが、宅建だけでなく不動産コンサルとFP(ファイナンシャルプランナー)資格も持っているだけに変に正義感?が出てしまうのです・・・(笑)。 今国会でコロナ関連で問題になっている「家賃支援」の問題も、自社の土地と建物なので弊社には無関係です。 以上のように、「家賃+人件費+借金」不要という3つの企業戦略で、これから長く続くと思われるコロナ不況を乗り切っていきたいと思います。 不況になると企業の倒産や個人の自己破産が増える事によって、ビルや工場や倉庫といった企業所有の物件や個人住宅の競売物件が沢山売りに出されます。 それらを資金力のある投資家や企業や個人が購入するチャンスで、不動産仲介業の弊社(貝塚不動産.com)にとっても大きなチャンスだったのです。 不況だからと言ってみんなと一緒に落ち込まず、経営者なら何か打開策があるはずだとアイデアを捻りだし、世の中の好不況に関係なく「ビジネスに繋げる意識」が欲しいですねェ・・・ 正に「人間万事塞翁が馬」の諺の如く生きよう! という事で、前出の「WBFホテル&リゾーツ株式会社」がりんくうタウンに22階建て700室のホテルを現在建設中で秋にオープン予定となっていましたが、一体どうなるのでしょうか・・・? 昨年大型投資をした企業や住宅ローンを組んだ個人は、これからが大変な事になっていきますが、それぞれが打開策を考え抜き、それを実行していかなくてはなりません・・・ 幸い突然起こる地震と違って、「これから景気が悪くなってくる・・・」というタイムラグという残された時間があります。 まだ・・・「対策」が立てられるのです。 これが大きな大きなメリットです。 さぁ、準備しよう! 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.05.09
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先日の日経朝刊に「危機生き抜く 産業の多様性」というテーマの記事がありました。世界が新型コロナウイルスの猛威にさらされている中、まだ9年しか経っていない米ズーム・ビデオ・コミュニケーションズの株価が急上昇だそうです。正にテレワーク様様のようです。つい3ヶ月前のコロナウイルスの感染がまだそれほど広がっていない頃は、「テレワーク」なんていう言葉は一般的ではありませんでした。ところが、事情が一変。一変という言葉が軽すぎるほど、世の中が何もかも激変しました・・・(驚)。100年に一度・・・と言ってもいいくらい。もちろん私の63年間の人生で、こんなの初めてです。これから本格的にコロナ不況に突入しようとする訳ですが、今のところ何とか準備が出来ています。14年前に織物業からトランクルームに転業しました。その後、不動産屋 → 音楽スタジオ → テレワーク&自習室 → 卓球場 と1人で5つのビジネスに関わってきた訳ですが、未だどれも細々とながら継続しています。これが、今回のコロナで役立っています。音楽スタジオと卓球場は政府の休業要請で臨時休業して売り上げはゼロですが、他の3つで何とかやっていけているのです。と言うか、卓球場3室(各11畳)は臨機応変に2室は臨時的に現在トランクルームとして貸していますし、残り1室もトランクルームのお客を募集中です。今回のコロナのような非常時にトランクルームに転換できるというのは、弊社「貝塚卓球センター」と「テレワーク&スタディ貝塚」の特徴です。「本業一筋!「これ1本!」というのは確かに純粋で美しいかも知れませんが、今回のコロナのような青天の霹靂的な事件が起こるような世の中では場合によっては通用しません。と言うか、命取りになるケースがこれから後を絶たないでしょう・・・中小経営者だけでなくサラリーマンも「もう1本!」と、新規事業や副業を考えるべしです。まぁしかし、特に音楽スタジオはこの3月で開設して丸4年で会員数が1400人も集まり、正に「これから!」という時にクローズという何とも泣くに泣けない気持ちです・・・(涙)。スタジオはビジネスと言うより半分趣味の世界なので私の想いれが入っており、泉州のミュージシャンと4年間培ってきた関係が大きな大きな財産だったのです・・・(涙)。しかし、今回のコロナではじっと耐えなくては仕方がないです。涙をふいて前方を見つめ、新たなビジネスの種を蒔くことから始めよう!もう7,8年くらい前の事ですが、先を見越して長らく加盟していた地元の商工会議所と経済クラブを退会したのは、音楽スタジオの開設準備に時間が掛かるとの判断でしたが、今となっては大正解でした。その後、音楽スタジオ、テレワーク&自習室、卓球場と1人で立て続けにリアル店舗の新規事業を3つ始めましたが、それまでのトランクルームや不動産のお客さんと全く「違ったエンドユーザー」というのが刺激になり、敢えて商工会議所や経済クラブといった異業種交流会的な経済活動が不要という皮肉な結果に大満足です・・・(笑)。不特定多数の客を相手にする飲食店ではなく、弊社のような沢山の会員制エンドユーザーを相手にするビジネスはそれだけで異業種交流会になりますし、殆どの医者が忙しくて経済活動できないのと同じように、本当に忙しければ呑気に経済活動する暇も気力もないのです。1人で5つのフィールド(業界)の違う何千人のお客さん(契約者や会員さん)と話をしていると、いつまでも飽きません。これって、一種のボケ防止になっているのか・・・(笑)。しかし経済活動をストップして、会員制エンドユーザー・ビジネスを1人で3つ起業したのは、正に狙い通り一石二鳥だったのです。という事で、14年前のトランクルーム転業でホッと安心することなく、次々と1人で4つの新規事業を立ち上げ、手を打ってきたことが今回のコロナで功を奏しました。やはり、高校生の時にオイルショック、大学生の時に第2次オイルショック、サラリーマン時代にプラザ合意の円高不況、織物時代にバブル崩壊と、次々と襲い掛かる不況の波を経験し乗り越えて来た事が功を奏したのか・・・不況感まみれの人生観がコロナで吉と出るのか・・・?この調子だと、一生気の休まるときはないのか・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.04.30
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初めてテレビ出演したのが11年前のNHKです。「NHKの海外班です・・・取材させてください。」と丁度夜8時くらいのスポーツクラブに行く途中で突然携帯電話が入り(固定電話からの転送)、まさか冗談かいたずらと思いましたので、後でかけ直してくださいと言いました。それから2時間後に、本当に電話が掛かってきたのにはビックリしました。取材はリーマンショックの翌年で、景気悪化で日本の会社が事務所の閉鎖や縮小でトランクルームの利用が相次ぎ、その日本の現状を世界80か国に配信したいというディレクターの意向でした。実際当時は、事務所の閉鎖や縮小に伴う机や椅子や書庫といったオフィス家具のトランクルーム保管が多かったです。これも私のブログを見ての取材依頼です。後日取材を受け、全国放送である日本の番組「おはようニッポン」と海外80か国で放映されたのです。日本語版と英語版で。放映されて、これまた色んな人から「見たよ・・・」の嵐・・・(驚)。やはり、NHKの影響力は凄いと感じました。一番驚いたのは、織物時代の取引先のインドネシア駐在の方からのメールでした。やっぱり、海外にも広がっているのだと。という事で、マスコミの影響力は凄いと。それと強く感じるのは、マスコミ同士の連鎖です。テレビで言うとNHK、新聞で言うと朝日新聞。この2社の影響力はとてつもなく大きいです。NHKで放映されれば、それを見た大手民放から取材依頼があり、朝日新聞にデカデカと掲載されれば他の大手新聞社から取材依頼が来ました。それだけでなく、そのを見た関西のラジオ局や中小マスコミから取材が沢山来ました・・・(驚)。マスコミの連鎖が好循環を生んでいるのか・・・一体、どうなってんの・・・?という感じです。おそらくNHKと朝日新聞に取材されれば「裏どり」が済んでいるので、安心という事だろうと思います。実際、その後朝日新聞に取材された時は、朝刊が印刷される直前の夜中まで取材最終確認の電話があったものです・・・(驚)。という事で、過去14年間で大手テレビ局4回、大手新聞社3回と取材され、まさか自分がテレビや新聞に取材されるとは思ってもみなかった事ですが、自分がやってきたことは「普通ではない」証明です。聴衆や読者が驚くような事を番組や記事にしないと・・・普通の事はNGなのです。自分ではごく普通の人間と思いますが、要はチョット変わったオッサン・・・「変人」という証明ですか(笑)。せっかく名越に来られたのだから、取材の帰りに町会の人に頼んで名越のだんじり小屋を開けてだんじりを見てもらうと、初めて本物のだんじりを間近で見たのか、その大きさや彫刻の迫力に圧倒されていました・・・「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.04.26
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先日のJ:COMりんくうのテレビ主演の反響は、ローカル番組としては結構ヨカッタです。しかし2年前の関西テレビ情報番組「よ~いドン!」に中の「となりの人間国宝さん」に出演した時の反響は凄かったです・・・(驚)。と言うのは、視聴占拠率(その時間帯にテレビをつけている世帯のうち、その番組を見ている割合)が50%超えているガリバー番組だったからです。どこへ行っても「見たよ・・・」と言われました・・・(驚)。そりゃそうでしょう。いくら地方番組と言っても、放送エリは近畿2府4県(大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山)で、このエリアの人口が2000万人ですから少なく見積もって10分の1としても200万人も見ている可能性があります。恐ろしい数字です。2年も経っているのに、未だに「見たよ・・・」と覚えてくれる人がいるのにビックリします。テレビ放映ではトランクルームと音楽スタジオしか映っていないのに、「卓球もやっているんやなぁ・・」と言われる始末・・・(笑)。確かに関テレの取材では、今回のJ:COMと同じように卓球場も自習室も撮影しましたがカットされたのに・・・という事で、マスコミに取材されるのは我々零細企業経営者にとって、「無料で効果絶大」という意味でまたと無いチャンスでした。本当に有り難い話です。関テレの番組ディレクターも、私のブログを見てのオファーでした。14年間で2500話書いて、トータル250万アクセスです。有名芸能人に比べたら天と地の差ほどありますが、こちらは無名の一般素人ですから人気取りを狙っても全くナンセンスです。ブログやSNSを仕事に繋げるのが目的です。リア充を書いても下手すりゃ妬まれるし、食レポは誰でも書いているのでSEO的に目立ちません。しかし膨大な時間をブログに費やしてきました・・・(涙)。14年前の最初の書き始めは何も分からず「これからにのインターネット時代はブログを書いて、ホームページとリンクすればSEO対策になるやろう・・・」くらいしか考えていませんでした。しかし結果、14年間ブログを書き続けるという地味な作業をする人は殆どいなかったという証明です。やはり行動力、粘り勝ちか・・・(笑)。たかがブログ、されどブログです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.04.24
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コロナウイルスの感染が拡大している今「3密」を避けて下さいと、日本政府からお願いをされています。3密とは・換気の悪い《密閉》空間・多数が集まる《密集》場所・間近で会話や発声をする《密接》場面要は「ひとり」で、周りに誰もいなければOKという事です。所謂「おひと様」ビジネスなら、大丈夫という事になります。弊社は政府の休業要請以前から、社会的責任として自主的に3月1日から5月31日まで「音楽スタジオ」と「卓球場」を臨時休業ですが、バンドも卓球も2人以上集まるのを前提としています。ところが、音楽スタジオも卓球場も「ひとり」でも練習はできるのです。と言うか、ドラムに関しては以前から個人練習が多いのです。そして、卓球場にしても「マシン練習」でのレシーブ練習や、サーブ練習はひとりでされています。日本政府の休業要請が終わったりコロナが収束宣言したとたん、一斉に国民が外に飛び出すことは考えにくく、そろそろボチボチ経済活動が始まるだろうと思います。という事は、音楽スタジオも卓球場も再開の第1歩は「ひとり練習」からのスタートになるだろうと思います。しかも「中1時間」空けての予約制で。音楽スタジオも卓球場も、それが出来るビジネスだった事がほんとラッキーでした・・・(涙)。ひとり練習 → 集団(バンド)練習 へと徐々に移行していきます。そして弊社「テレワーク&スタディ貝塚」は完全個室なので、コロナとか関係なしに最初から「おひとり様」ビジネスを狙っていたのです。しかし、もう完全にコロナ不況前の2020年1月の日本経済や社会生活の姿に戻るのは不可能だと思います。余りにもコロナ不況の代償が大きく、我々の心の中に大きな傷がついたからです・・・(涙)。なので、残念ながら企業も個人もこの先のコロナ後を上手く軟着陸させるために、人生計画を大きく変えざるを得ません。という事で、コロナ後のプライベートはどうかと言うのを考えると、どういう訳かこれまでヤッテきた空手もドラムもウインドサーフィンも「おひとり様」で出来るものばかりです。意識してかどうか分かりませんが、自分ひとりで完結するスポーツや音楽をこれまでヤッテきて本当にヨカッタと感じます。確かに暇になった音楽スタジオで毎朝1時間ドラム練習をしていますし、夏には例年通りマーブルビーチでウインドサーフィンが出来るように毎朝の15分ストレッチに加え、仕事に行く時は車には極力乗らず24段変速のクロスバイクに乗って下半身を鍛え(過度なウオーキングやランニングは老体の膝と腰に負担掛かる)、美味しい空気を吸って気分転換をしています。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.04.23
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会社経営に借金はつきもの・・・と一般世間では言われています。日本の戦後の高度成長期の昭和50年代前半まではインフレという事もあり、確かにそれは有効でした。しかし、バブル崩壊以降は長引く低成長期は長引くデフレから中々抜け出せず、逆に借金が会社経営の足かせになっているのが現実です。大企業は倒産寸前や株価が2桁のところは別にして、金融機関からの借り入れは基本的に「青天井」です。という事は、大企業の大半は銀行に借金を申し込んでも断られる事はありませんから、金の心配をそれほどする事もありません。ところが、中小零細企業は業績が悪ければ、突然銀行から取引停止を言い渡される場合があります。そうなれば、倒産の道へまっしぐらです・・・実際、中小企業の倒産の原因の殆ど100%が借金過多です。会社の実力や将来性や資産(不動産&金融資産)以上の借金をしたら潰れるのは時間の問題という事です。一般的に人間が最も心配で不安で仕方のない事は健康ですが、その次にお金です。場合によっては、お金が1番で2番が健康というケースもあります。知り合いの大きな借金を抱えた病気がちな経営者が、会社の工場が計画道路で収用されて、思わぬ金が転がり込んで健康になったという嘘みたいな話があります・・・(笑)。経営不振だったから病気になったのか、病気がちだったから経営不振に陥ったのか、前後関係は分かりませんが、金と健康は密接な関係があるというのは間違いありません。それほど、お金の心配が精神的に悪いという事です。大企業の経営者はだいたいサラリーマン社長ですので、会社が倒産しても個人の財産まで奪われる事はありませんが、日本の中小零細企業経営者の立場は全く違います。だいたい会社の借金に対して「個人保証(連帯保証人になる)」をしていますので、「会社の倒産=個人の自己破産」です。アメリカでは会社に対する連帯保証人制度はありませんし、住宅ローンもノンリコースローンで万が一不動産を購入するに当たって組んだローンを返済できなくなったとしても、その不動産の所有権さえ諦めればそれで済むというシステムで日本と全く違います。日本の中小零細企業では会社が倒産すれば、夜逃げ、離婚、一文無しは普通で、自殺も普通にあるという現実をこれまで沢山見てきました・・・という事は、借金をしなければそんな痛い目に逢う事もありません。見栄を張って自分の器以上のビジネスを展開しなければイイ訳です。とにかく銀行に大きな借金があれば、経営にアレコレ口を出されますし、自分の思うように自由に経営できません。いくら不動産を沢山持っていても銀行の抵当に入っていれば、それを抜かない限り本質的に自分のモノではないのです。しかし人間というのは、見栄を張る必要のない自他とも認める本当の名門や名家は別にして見栄を張りたい動物なので、家や車といった他人からよく目立つモノに金を掛けがちですし、それが日本では巨大なビジネス(自動車産業と住宅産業)になっているのが現実です。今回のコロナウイルスで、世界中にまだまだ拡散している現状を考えると4か月後のオリンピックが無くなり、インバウンド需要も激減し、これから1年は日本に大不況がやって来ると予想せざるを得ません。大不況というのは考えたくはないですが、少なくともリーマンショックくらいの不況だと思います。その為の経営対策として「無借金経営」というのが最強スタンスだと思います。幸い弊社は14年前に織物業を廃業した時点で「無借金経営」という最強スタンスに辿り着きました・・・(涙)。公私とも銀行から金を借りてないし、何のローンも組んでないという身分がどれ程「気楽」か・・・大きな借金を返済した者でないと決して分かりません。マジメな話、これだけで寿命が10年延びたと思います・・・(笑)。14年前に織物時代の金策の苦労を忘れないよう、これからは自分の器の範囲でしか商売しないと心に決めました。3月1日から4月30日まで「スタジオ0724」と「貝塚卓球センター」の2つをコロナウイルスの影響で臨時休業していますが、これも借金があったり、従業員を雇っていたり、建物を借りていたりしていれば、いくらコロナウイルスと言えども資金繰りの関係でなかなか休業できるものではありません。弊社は無借金で従業員も雇っていませんし自社所有の物件なので、今回のコロナウイルスの一件で他社に先んじて躊躇する事なく「臨時休業」できたのです。5毛作が3毛作経営になっただけですが、もっと深刻な状況にならない事を祈ります・・・という事で、私が正に厄年の41歳の時に社長であった父親の急死して会社を継いだ訳ですが、当時はまだ借金がありましたが、必死の努力で8年後には返済する事が出来てやっと「廃業」出来たのです・・・(汗)。逆に言えば、借金があれば廃業したくても何時までも廃業できない状態が続き、最後は銀行に最後通牒を言い渡され倒産・・・というシナリオが待っていたかも知れません。しかし一番頼りにしていた親父が亡くなって今年で23年・・・娘3人も結婚独立し孫も今年夏には5人に増え感無量です・・・(涙)。つい2か月前まで、こんなコロナ大不況がやって来るなんていう最悪のシナリオが待っているとは夢にも思いませんでした。人生後半になって阪神大震災、東北大震災、リーマンショック、台風21号と立て続けに想定外の事件や不幸が多すぎます・・・(涙)。これから死ぬまで20年間は想定外の事象に構え、空手の「三戦(サンチン)立ち」のように下半身を安定させ(財務内容を盤石に)、三方向(前と左右)の敵に対して両腕の脇を締め、瞬時に突き(攻撃)でも受け(守備)でも出来る体制をとらなくては。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.03.14
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弊社「スタジオ0724」と「貝塚卓球センター」は3/20までの臨時休業を、4/30まで延長します。新型コロナウイルスの感染拡大が日本だけでなく世界中で続き、全く収束の気配がありません。特に大阪のライブハウスや新潟の卓球場で感染が発覚した事を重く受け止めたいと思います。バンド(音楽)と卓球という弊社に大いに関係あるジャンルなので、少なくとも弊社が臨時休業する事によって感染を一人でも未然に防ぐことが社会的責務と感じました。尚、弊社「トランクルーム貝塚」「テレワーク&スタディ貝塚」「貝塚不動産.com」は従来通り営業しています。以上宜しくお願い申し上げます。 令和2年3月10日 (株)笹谷繊維工場 代表取締役 笹谷 徹にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.03.10
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5つのビジネス(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室、不動産仲介業)を一人で営んでいる訳ですが、それに加え趣味(ウインドサーフィン、海外旅行、ドラム、ボランティア空手)もしたり、このブログを書いたり新聞2紙を読んだり病院へ行ったり孫と遊んだり諸々の雑用をしていると、1日があっと言う間に過ぎてしまいます。なので夜は9時か10時くらいには寝て、朝は目覚まし無しで4時か5時には起き、時間を作る様にしています。仕事の中で、これまで結構手間だった税理士に渡す資料である「金銭出納帳」「銀行帳」の記帳に結構時間が取られるのが悩みでした。父親が亡くなってから約20年間、事務員はいませんので私一人でこのアナログティックな作業をしていたのです。しかし、3年前に「これではダメだ・・・」と税理士の勧めもあり、一念発起して会計ソフト(弥生会計)を購入したのです。ところが今年までの3年間、忙しさにかまけて結局手を付けずにこの会計ソフトを放ったらかしにしていたのです。というか恥ずかしい話、アナログ記帳からデジタル記帳への新しい事にチャレンジするのをビビっていたのです。これだけ普段からネットでアレコレやっていても、やはり新しい事には躊躇するものです・・・(笑)。そして今回というか、長年私のウイークポイントだった腰の手術(脊柱管狭窄症)を1月末に終えたのを機に「今期から決算はコレ(弥生会計)で行こう!」と自分に気合を入れたのです。何でも「節目」が大事ですから・・・節目が無かったらダラダラとなり、自分で意識的に節目を作らないと一生できません。いや、ホンマに。そしてパソコンでデータ入力しながら「なんで、もっと早くこんな便利なモノを使わなかったのか・・・」と後悔するほど、便利な会計ソフトに感心しました。目から鱗が落ちる、物は試し、食わず嫌い・・・てな諺が思い浮かびます(苦笑)。実は織物時代にちょうどウインドウズ95が発売した25年くらい前に、まだウインドウズは発売されたばかりでフリーズ等で信頼性が無かったので、旧型のDOS/Vのパソコンに業界専用の別注の織物ソフトを導入していました。これで事務員を誰も雇わず工場現場に入り営業と経理をしながら自分一人で、約70~80種類の糸と約120~150種類の織物の管理(受け渡し=入荷&出荷&預かり)をして、取引先に請求書を送っていたのです。25年前当時この別注ソフト導入に約80万円掛かり、自分もパソコン操作を覚えるのに1か月ほど苦労しましたが、十二分に性能を発揮してくれました。この時のパソコン経験で「複雑な事務処理は人間がやるものではないなぁ・・・」と思い知らされました。という事で、1人でビジネスをやっていく上で覚悟しなければならないのは、当たり前の事ですが「時間との戦い」です。要は生産効率、我々サービス業の生産性の問題です。人を雇えば自分は楽になりますが、人件費が掛かる分売り上げを上げる必要がありますし、一旦雇えば簡単に辞めさせられません。日本のサービス業の生産性は先進国で最低ですが、デジタル化とネットワーク化が遅れ「少ない仕事量を大勢の人間で分け合っている」のが原因です。デジタル化とネットワーク化で一般企業も官公庁も官民一体となってスリム化しなければ、日本全体が沈んでしまいます。今コロナウイルスで日本中が大変なことになっていますが、これを機に将来的には企業側にも負担が少なく雇われる側も転勤が無く責任が明確されたフリーランス的なワーキングスタイルが徐々に増えてくるように思いますが、そうなればサービス業の生産性が一挙にアップするでしょう。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.03.04
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中国発の新型コロナウイルスで日本経済が大変な事になっています。特に中国人観光客に頼っていた大阪の観光業界や百貨店業界にとって既に大打撃を受けています。これからジワジワとボディブローが効いてくるのが、壮大なサプライチェーンから成り立って日本経済を支えている自動車産業です。今更ながら、これほど中国に依存していたのかと思わざるを得ません。やはり一党独裁の共産国の中国に依存するのはリスクが多すぎます。恐らく日本国民は薄々感じていたと思いますが、今回の事件で目が覚めました。振り返って、我々零細企業経営のビジネスを考える上で参考になりました。「1つの事に拘っていてはダメだ」と。「1つの事」というのは、・客先が1軒に集中している・1つの商売だけという意味で、正に弊社の織物時代のビジネススタイルだったと反省している次第ですが、今回の事件でも「リスク分散」が如何に重要かと改めて確信しました。サラリーマンでも「この会社もいつM&A(リストラ、左遷)でどうなるかわからん・・・」といった危機感をもって仕事をすべきでしょうし、会社は決して生涯を保証しません。自分のこれまでに培った「社外でも通用するスキル」だけが生涯を保証します。社内でしか通用しないスキルをいくら磨いても、いったん外の世界に出るとその厳しさに愕然とする事でしょう・・・弊社の場合、B to Bで100%1社依存という織物時代の反省として、B to Cで多数の顧客(会員制)という5つのビジネスを展開していますが、トランクルームが本業でメインなので「もっとリスク分散すべき」だと。具体的には「音楽スタジオ」をこれから1番力を入れます。現在2室ですが、会員数が2000人(現在約1400人)を突破するであろう2年後にもう1室増設して、文字通りトランクルームと同じく「泉州エリア(堺市除く)でNO1」のリハスタを目指します。トランクルームと音楽スタジオという両方のニッチマーケットで、泉州NO1を抑える事の意味は大きいと思います。この両ニッチマーケットでは大手企業の参入はなく、多くは中小の集まりで、いくつかのチェーン店がある程度で1店舗あたりの規模が小さいので、弊社にとって「局地戦での勝機」は十分あるのです。「卓球場」はアスリート志向のシニア層ではなく、これまでになかった初心者ファミリー層(卓球というよりピンポン)を新規開拓した事で自信がつきました。こういう、ありそうで全く無かった新しいニーズをくみ取った・・・と。「レンタル自習室」もWiFi付き完全個室というこれまでになかったスタイルで、受験生(大学、資格)だけでなくビジネスユース(レンタルオフィス、サテライトオフィス)も開拓する事によってボチボチ上向いています。これからはわざわざ出社せずに、自宅近くのオフィス(シェア、レンタル、サテライト)でネットやテクノロジーを使って自由に働くというライフスタイルが増えるでしょう。皮肉にも、大勢の人が集まる図書館の自習室はインフルエンザ等の感染リスクが高いので、完全個室の自習室へ・・・というニーズも。まぁ、商売には何年も時間が掛かります・・・(汗)。焦ってはいけません。時間が掛かった分、一度付いた客はなかなか離れないものです。起業して10年後には95%が倒産廃業する時代です。10年後の5%を目指して、粘り強く商売を継続するのみです。「不動産仲介業」は12年も継続していますが、なかなか骨の折れる割には儲からない商売です。所詮他人所有の高額な不動産を取り扱う訳ですので、自分の思うように行かないのが普通です。これ単体では成り立ちませんが、不動産業界の同業者から住宅の建て替えやリフォームといった時に家財道具に一時保管に弊社トランクルームにオファーが掛かります。またトランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、レンタル自習室を沢山のエンドユーザーと直接ビジネスしている関係で、「不動産屋もしている・・・」という認知度のアップが図れます。織物時代は糸(織物)相場、株価、円相場、海外事情といった自分の努力以外の「想定外の事由」によって自社のビジネスが大きく影響を受けましたが、今は5つのエンドユーザー直のビジネスで全くそのような影響がないのが幸いです。まぁ、20代のサラリーマン時代に新規開拓をドンドンさせられましたが、それも既存のビジネスをキープしながら、アイデアを一人で考え時間を新たに作ってましたので、帰宅が毎夜11時くらいになっていました。ある時、上司に新規事業に専念させて下さいと言うと「アホか!」と一喝されましたが、やはり中小企業は余裕がないので新しい事は「従来の商売をキープしなら・・・」というのが鉄則だと身に沁みました。という事で、「うちはコレだけ(コレしかない)!」とか、特定の客に頼り「お願いします!」なんて事とは無縁で、常に新しい客を探し、新しいビジネスを開拓(展開)するつもりで日々アイデアや戦略を練っています。当たり前の事ですが・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.02.15
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日本には第1~3次産業(農業、漁業、製造業、建設業、サービス業)まで、色んな同じビジネスや同業者は沢山あります。これが世界に広げると、これはもう無数に近い同業者があります。かつて弊社は泉州の地場産業だった綿織物業を長年営んできましたが、同業者が昭和40年代前半の全盛期には貝塚市から岬町まで約680社もありました。※それとは別に岸和田市から和泉市にかけては1000社も同業の綿織物業者や、泉佐野のタオルや泉大津の毛布があった。泉州の地場産業だった繊維産業(綿織物、タオル、毛布、ニット)は、恐ろしいほど数があったのです。貝塚市から岬町までの綿織物業者だけでも680社あったのが、現在もう「98%減」の12,3社しか残っていないようです。たった2%しか残っていないのです。日本でこれだけ減った地場産業ってあるのでしょうか・・・?現在弊社は堺市以外の泉州エリアの不動産屋の約80%が加盟している「大阪宅地建物取引業協会(大阪宅建協会) 泉州支部」には約400社ほど加盟していますが、10年以内に80%が倒産廃業で脱退しているようですが、それとほぼ同数の新しい不動産屋が新規加盟するというダイナミズムに満ちた業界と言えるでしょう。しかし弊社のように単に織物しか営んでいるところは倒産廃業に追い込まれ、残っている2%の織物業者は例外なく織物業を核として「多角化」で生き残っています。大阪市内でビルを所有して賃貸したり、売り先の繊維商社を買収したり、サイジング工場を買収したり、ニット工場を併設したり、商社のように海外から織物を輸入したり、リネンサプライ事業も始めたり、自動車関連のメーカーを買収したり、織物工場の一部を更地にして店舗に貸したり・・・ただイタリアの織物業者やユニクロのように(SPA)、糸からアパレルまで一貫生産して小売りまでしているところは見当たりませんねェ・・・日本の繊維業界の流通の一部を担っているだけに留まります。しかし、生き残りのキーワードは「多角化」です。弊社は糸の太さが細い糸(100番手)から太い糸(8番手)まで、用途はファッション衣料から資材まで、糸の種類は綿100%からポリエステルフィラメント(長繊維)まで、糸の混率は定番のT/C(65/35)から麻混まで、タテ糸も2種類まで・・・保有織機の性能の限界までありとあらゆるオリモノに挑戦してきました。これが1か月サイクルで切り替わり、過去に織って預かっている織物、現在織っている織物、これから織る織物(受注品)、オファーされた織物(見積中)といった4種類の織物と、それに使われる糸の種類の多さはいくらパソコンで管理していても、もう頭の中は常時パニック状態でした・・・(汗)。夢で織物設計したり、受注した工賃が採算の乗るかどうかも計算したりする夢なんか日常茶飯事でした・・・(笑)。これで年間355日24時間エンドレス稼働し、月産20万mも織物生産していました。まぁ一人で営業をしながら糸と織物の受け渡しをし、現場に早出の工員として入り、文字通り「多能工」として身体を酷使し頭がパ二クル一歩手前までオールマイティの仕事をこなしていました。と言うか、当時は「一人でどこまでできるのか(誰も助けてくれないし、誰にも頼れない)?」という自問自答の孤独な戦いでした。死力を尽くしたというのは、正にこの事だと思います。それこそ子供の頃から糸や反物を運んだり重いモノを持たざるを得ない過酷な肉体労働の長年の積み重ねで腰痛(ヘルニア)になり、シャットル織機の頃は夏は室温40℃湿度90%で冬は10℃の風綿が飛び交う工場環境で、また工場内の100デシベルの騒音で難聴になり・・・「もうこれ以上ムリ!」と身体も知らず知らずのうちに悲鳴を上げていたのです・・・(涙)。そこまで努力をしても廃業せざるを得なかったのは、もちろん私の努力不足もありますが、多角化できなかったからです。残念ながら織物だけ一生懸命頑張っても、所詮ダメだったのです・・・(涙)。この時の教訓が今に役立っています。「1つの事にいつまでも拘ってはダメだ(顔を上げて視野を広く)」と。私の場合、14年前に50数年続いていた家業の織物業からトランクルームへ全面転換して「別の道」を選んだ訳ですが。そりゃ文化芸術やプロスポーツ、老舗会社や研究職や一般サラリーマンでも「長年コレ(仕事、会社)一筋!」というのも言葉では美しいですが、世界一や日本一という超一流の人達は別にして、普通の人はそれだけでメシが食えたらヨシですが、食べていけなかったら残念ながら「副業」や「別の道」を探るしかない訳です。二刀流・・・大いにやるべしだと思います。ハワイ滞在中驚いたのは、多くの人が2つ3つ仕事を掛け持ちしていたのです。ハワイは全米一物価が高いにも拘らず時給が安いので、いくつも掛け持ちの仕事をして長時間働かざるを得ないのです。しかし、複数の仕事を掛け持ちすることによって、「順応性」が養われるという大きなメリットがあるような気がします。定年まで趣味もなく一つの仕事しかしなかったら、定年後にすることが無いのでガクンと来ます。ガクンと来ないように、社内で色んな仕事に携わるとか、転業するとか、起業するとか、副業するとか、趣味を持つとかすれば・・・「軟着陸」するのではないでしょうか。端的に言えば長い人生の中で「60歳定年」を最終ゴールと見るか、単なる通過点と見るかの違いだと思います。今大阪はインバウンド需要で沸いていますが、夜のエンターテイメントが少なく大きな機会損失をしていますので、昼と夜の「2毛作経営」でその需要を満たすべく努力をミナミやキタの人達がしているようです。関空の地元泉州でも夜のエンターテイメントがあれば、何も観光客がミナミまで行く必要がないのです。そこに我々泉州のミュージシャン達や地元関連業界の人間たちが知恵を絞るべきでしょうね。ソコ、ソコなんです。という事で、織物時代の「多能工」の経験を活かし、今トランクルームをしながら「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」「不動産屋」という5毛作経営をたった一人で経営していますが、何の違和感も無かったのです。従業員を雇えば誰でも出来ますが、これを「一人でする」のがキモだったのです織物時代のやり方を内容は変わりましたが、そのまま踏襲しているという感じですねェ・・・なので、2020年代のキーワードは「多角化(多能工)」でキマリ。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.17
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昨今株式上場している大手企業はM&Aを繰り返し企業規模を拡大し、グローバル化した経済戦争を生き抜こうとしているようです。会社が生き残るために、ソコまでするか・・・?というのが、部外者の率直な意見です。社名が変わり、合併先との社員の交流や配置転換、海外転勤・・・ドンドン仕事環境が変わる。自分の営業成績や会社の業績が良くても、ある日突然M&Aの発表がされ・・・人生が一転。「イヤイヤ、会社の都合で俺の人生が変わって堪るか!」・・・と言いたいのが社員のホンネでしょう。自分の努力以外のところで、自分の人生を振り回されるほど悲しい事はありません。と言うか、そんな事で人生を狂わされるのも、普通に考えればオカシイはずです。会社、カイシャ・・・って一体何でしょう?大手の下請けの仕事をしている中小零細企業も、発注者側のM&Aやグローバル化の方向転換で大きな影響を受けます。弊社も4,50年間も売上げ14兆円もある大手総合商社の伊藤忠と直接委託生産(賃織り)を100%受託していましたが、バブル崩壊とグローバル化で伊藤忠の方向転換(繊維カンパニーの川下強化と事業投資強化)で祖業だった繊維原料ビジネスは殆どなくなり、弊社への発注が無くなりました。この時痛感したのは、業者任せ(下請け)のビジネスはダメで、転業したら繊維とは完全に縁を切って(これまでのコネクションを使わず)、全く新しい事業を自ら起業してエンドユーザー(消費者)と直接ビジネスしていこう・・・だったのです。昭和3,40年代の子供の頃に、ガチャガチャと24時間織機を動かしドンドン布が織り上がり出荷している様を見て、父親に「こんなけ織ってどうするん?」と質問すると、「西ドイツに輸出するんや・・・」との答えに「・・・?」と何かモヤモヤした気持ちを抱いたのを思い出します。「そんなに同じモノを織って、どうするんや(何になるんや)?」という素朴な疑問を抱いていたマセタ子供だったのです・・・(笑)。という事で、これからのネット時代は大企業と真逆の企業規模を出来るだけコンパクトにし、大手と競合しない分野で(ニッチマーケット)、ネットを駆使しエンドユーザー相手の小回りを利かすビジネスなら生き残れるだろうと思うのです。それがトランクルームであり、音楽スタジオ、卓球場、自習室だと思うのです。これの深耕策を図っていくのが、私のこれからの仕事になります。そして、これまでの経験上「管理」が一番の要だと思うのです。自分の「器」の範囲内での管理・・・これがキモです。どんな業界でも企業にしろ個人にしろ、これは共通の「心理」です。残念ながら不動産仲介業は、既に大手が続々と参入しており将来的には全国的でシステマティックなネット契約が主流になれば、零細企業の出番は少なると予想されます。出番があったとしても、年中物件調査やクレームで走り回わらなければようなヤヤコシイ物件ばかりで、費用対効果は薄いように思うのですが、唯一希望があるのはFPやコンサル資格を活かしたキメの細かいコンサルティング不動産仲介や、月極ガレージなど大手が見向きもしない手数料が少ない物件かも知れません。ただ弊社のように一人でボチボチ仕事をしても大手と同じ法定仲介料(3%)なので、日頃はそういった営業活動をする一方で、虎視眈々と何千万円以上の売買仲介も狙う姿勢も必要だと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.01.04
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「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」は年末年始も6:00~24:00まで営業しています。「トランクルーム貝塚」も年末年始は8:00~20:00まで営業しています。特に公共の体育館や図書館やスタジオは年末年始はお休みですので、弊社に予約が殺到しています。利用ご希望の方は早い目に御連絡ください。「貝塚不動産.com」は現地案内は出来ませんが、オファーは受け付けています(9:00~18:00)。住所 大阪府貝塚市名越661電話 072-446-0798Email: info@sasatani.com※最近グーグルマップでも弊社前まで分かってきました。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.12.31
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今年63歳・・・もう人生を振り返る年齢になってしまいました(笑)。人生を振り返ると、22歳から始めたウインドサーフィンと31歳で家業の織物業で設備投資(エアージェット織機)の2つが、私にとって大きなエポックだったのかと思います。ウインドサーフィンという「遊び(趣味)」とエアージェット織機という「仕事(設備機械)」・・・どちらも未だメジャーになる前で、「何か?NEW(将来性)を感じる!」というのが始める前の印象でワクワクしていました。この「遊びと仕事」という正反対のモノというのがポイントで、遊びが出来るのも仕事のお陰だし、仕事に行き詰った時はウインドでストレス発散・・・とお互いに助け助けられていたのです。学生時代の勉強と部活の関係と同じで、どちらかに偏ってもダメで、あくまでも両立を目指す(努力する)のが年齢に関係なく肝要かと思います。ウインドサーフィンは1979年の未だブームやジョイントやダガーボードがウッド(木)製の時代で、大阪でもまだ殆ど見たことがない時代でした。エアージェット織機を導入したのは1987年のまだ同業他社が従来(旧式)のシャットル織機が殆どの時代で、まだ未完成のエアージェット織機の1分間の回転数が400回転から700回転に一挙に上がった頃で(それまでのシャットル織機は130回転)、ビジネス的にはバブル前年の円高不況の真っ最中で、そんな頃に新工場を建ててまで何億もの新規設備投資をするなんて正気の沙汰ではないと同業者に思われていたでしょう。2つに言えることは、どちらも他人(他社)に先がけての「半歩先」でスタートだったという事です。殆ど前例がない「未知の世界」に踏み入れるというのは、今考えれば確かに勇気の要る事だと思います・・・(汗)。しかし、その時は若かったせいで、そんな恐怖心を抱くことは全く無かった事が、今となっては不思議です・・・(笑)。結果的に、ウインドサーフィンの方はレジャーとしてでなくスポーツとしてレースにのめり込み、大学に学連加盟のウインドサーフィンクラブを創部し、他大学と協力して今の関西ボードセイリング学生連盟まで作りました。正に、ウインドサーフィンに青春を燃やしたと言っても過言ではありません。戦績は当時のプロアマ学生含めた全日本選手権で100位以内に入ったりローカルレースで優勝した程度で大したことはありませんでしたが、レースに死力を尽くし大学にクラブを創部したという意味で、自分のウインドサーフィンライフに大いに満足しています。大卒後4年間サラリーマン生活を送ってから泉州(南大阪)の地場産業だった家業の織物業に戻り、3年目にエアージェット織機という100年に一度と言われる「革新織機」を導入してから約20年間「355日(年10日のみ休業)24時間エンドレス操業」で月産20万mの織物を生産し、これも機械をフルに使ったという意味で全く儲かりませんでしたが満足しています。同業他社の多くはバブルが始まってからエアージェット織機を導入しましたので、弊社より約30%割高の投資金額になり、当時流行りかけていた羽毛布団(側生地)の織物ビジネスにおいては弊社は他社より1歩先行していました。エアージェット織機を導入した最初の3年間は、こんなに儲かる商売が世の中にあるのかと喜びましたが、その後の17年間はグローバル化に拍車が掛かり国内外の競争が厳しくなり急降下・・・といのが日本の繊維業界の実情でした。織物時代の20年間の後半10年は社長だった親父が急死し何もかも私にプレッシャーが集中し大変でしたが、それを乗り越えた事によって自信を持ちました。「壁」になってくれていた父が突然亡くなり、世間の風の冷たさをモロに受けた事によって目が覚めました。「孝行したい時に親はなし」とはよく言ったものです・・・正にこの言葉ピッタリでした。という事で、ウインドサーフィンもエアージェット織機も、他人(他社)より「半歩先」早く始めた事によって「イイ結果」が出ました。この2つの経験で、「今現在、流行っている(みんなが群がっている)モノには手を出すな!」というのが心の底に沁みました。数年前に太陽光発電参入を直前に見送りましたが、これも国主導のニュービジネスでしたが、みんなが群がる事に疑問を感じて撤退を決めて正解でした。その後、買取価格の急落と台風で発電設備が倒壊するというリスクから逃れることが出来ました・・・(汗)。やはり自分は古い人間なのか、今のIT業界で活躍する若い人のビジネス感覚は理解できませんが、自分は自分なりにこれまでの経験値を基に、これまで通り「無借金経営を貫き」一つ一つ積み重ねるだけです。特に私は製造業の現場(織物業)出身なので、製造現場のカイゼンを通じてしか企業の繁栄はない・・・という固い考え方ですから(笑)。そして「もう通用しなくなる・・・」と感じる何年か前にバトンタッチするのが理想ですね。参入のタイミングも大事ですが、撤退(引退)のタイミングは更に重要です。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.12.02
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今世の中で「おひとり様」ビジネスが流行っているようです。カラオケ店、焼き肉店、1人ウエディングフォト、旅行、ソロキャンプ、映画鑑賞、テーマパークのアトラクション・・・一体何故流行っているのか・・・?第1の理由は離婚率の増加等で独身者が昔に比べて多くなり、シングルライフを如何に楽しもうかという人が多くなったようです。第2の理由はストレスの多い現代社会で、誰も邪魔されずに自由気ままに「楽しもう」という人が多くなったようです。これは既婚未婚に関係なく、特にSNS(フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、LINE)疲れなどが大きく影響されているようです。四六時中SNSで他人の動向を気にして自分のリア充を発信・・・そりゃ、気の休まる時がありません。普通に考えれば、他人がどこのレストランに行って何を食べたかなんて誰も興味がありません。プライベートを公開して、何の得にもなりません。むしろ危険を伴います。本物の有名人とか本当の金持ちの殆どはSNSをしないのが、それを物語っています。私のような零細企業オーナーは「SNSはもろ刃の剣」と心得て、SNSはビジネスに非常に有効なので割り切って上手に活用しているだけで、プライベートは余り公開しないように心得ています。零細企業オーナー経営者がエンドユーザー相手にビジネスをする上でプライベートを全く公開しないというのは、有名人や芸能人は別にして逆に不審がられますから・・・しかし、事実私も仕事量が多い反動で、ウインドサーフィンやドラムは一人で楽しんでいますし、ミナミなどの繁華街でブラブラするのが好きですねェ・・・振り返って弊社「スタジオ0724」「レンタル自習室0724」「貝塚卓球センター」には、一人で来られるお客さんが結構多いのに気づかされます・・・(驚)。スタジオはドラム練習で、自習室は元々個室なので1人しか利用できませんし、卓球場はマシンで一人でレシーブ練習・・・といった具合に「おひとり様」仕様もOKなのです。何も意識した訳でありませんが、フタを開けてみるとこうなった・・・という事です。新しいビジネスを起業して、何ヶ月か経った時点で振り返ると「個人客が多いなァ・・・」と感じました。もちろん起業前は、そこまで分かるはずもありません。という事で、スタジオも自習室も卓球場も「何となく、今時流のおひとり様マーケットも掴んでいるのかなァ・・・?」と感じながら、ある程度「時流に乗る」事が大事だと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.10.15
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経営者・・・特に私みたいな零細企業経営者は、ひとりで色々とモノゴトを考えることが多いです。会社経営の現状分析、公私の将来プラン(1年後?5年後?10年後?20年後?・・・)、資金繰り、取引先と仕入れ先の再考、事業承継、自分の健康法、、勉強(宅建業法、相続、経理)、営業戦略、趣味(空手、ウインドサーフィン、ドラム、旅行)の将来像、娘3ファミリー・・・等々考えることが山ほどあって、いくら時間があっても足りませんので、睡眠中も仕事のことを考えるだけでなく「計算」もしているのが零細企業経営者の実態ではないでしょうか・・・(笑)。学校の勉強は1+1の答え(2)を出来るだけ早く正確に答える競争ですが、一般社会ではその答えが無いのです・・・その答えを自分なり出すためにアレコレ考え、知恵を絞り出すのです。しかし基本的に土日なしで24時間、仕事、仕事・・・と言っても、これが不思議とサラリーマンのように仕事がストレスにならないんですねェ・・・何故なら仕事をすればするほど、良くも悪くも100%自分に跳ね返ってきますし、従業員はいませんのでノビノビと自由にヤッテますから。仕事の中身が織物業からトランクルーム(不動産仲介、音楽スタジオ、卓球場、自習室)に変わった事によって、仕入れと売り先に気を使う事が殆どなくなりストレスが激減しました。というか、織物業廃業と同時に借金を全額返済しましたので、金で苦しむことから解放されたのが何より大きいかも・・・(笑)。やはり世の中のあらゆる問題の90%以上は、結局「金」で解決しますから・・・不動産を担保に銀行から借金をして(ローンを組んで)高級車を乗り回し大きな家に住んでも、銀行に借金があるうちは車も家も自分のモノではなりません。事業の失敗や病気で借金が返せないという思わぬアクシデントがあれば、銀行から抵当権を行使され競売に掛けられると車や家を手放さなければなりません。まァしかし、服装は客先への訪問以外は夏だとTシャツ+短パン+セッタのスーパークールビズで、事務所ではずっと好きな音楽を聴いていますし、眠くなれば誰にも遠慮せずうたた寝をしています・・・(笑)。この「差」が何と言っても大きいですねェ・・20年間の織物時代は工場にはクーラーが無く、24時間稼働の現場では夏は30℃を超えていましたので、朝5時に工場に入るといきなり32℃+65%湿度で100デシベルの工場騒音に加え風綿が舞い上がっていましたから、今の仕事環境と比べれば正に天国と地獄でした・・・しかしそれも、高校大学時代に手伝っていた古い織物工場(現トランクルーム別館)では夏場は40℃+90%湿度でしたから、新工場(現トランクルーム本館)の32℃+65%湿度は天国だったのです・・・(笑)。この8℃の差はとてつもなく大きく天と地ほどの差があり、40℃90%の現場に1歩足を踏み入れた途端、全身から汗が噴き出ました。よく熱中症にならんかったと思います。あまりの過酷さに、未だに時々その状況(織物業の現場で働いている姿)が夢に出てきます・・・(笑)。しかし、転業でここまで人生が変わるのか・・・と。過酷な労働環境から脱することが出来、転業してホント感謝しかないです・・・(涙)。なので、転業以降どんな苦労も厭わないというのは、そういう過去の肉体的な労働環境が理由だったのです。一般的にはやはり人間は、勉強(頭脳)で苦労した事よりスポーツや仕事での肉体的に苦労した経験の方が、いつまでも覚えているものです。若い頃にいわゆるバランスよく文武両道を全うし、頭脳も肉体も酷使した人間が教育の理想というのは疑う余地もありません。まァしかし、織物時代は人間的に嫌いであっても仕事上付き合わざるを得えず、下請けの立場として「絶対ケンカできない(キレる事ができない)」というのが忍耐力を付けたのでしょう・・・(笑)。49歳で転業しましたが、あのまま織物業を続けていたら51歳の時にあったリーマンショックで心身ともペシャンコに潰れていたでしょう・・・(汗)。まァしかし単純な話、自分ひとりでヤレば業績を上げれば上げるほど年収がアップしますし、増々一番大事な「ヤル気」が出てきます。逆に思ったほど業績が伸びなかったり悪化したら、他人に責任転嫁できませんので、自分の能力が足りなかったのですから素直に反省でき、納得して「方向転換(軌道修正)」出来ます。いくら努力してもダメなら、最悪私のように廃業(家業の織物業)するのも一つの選択肢です。零細企業経営者や自営業者は「自分の能力=会社の業績」なので、本当の自分の能力を知ることが大きなメリットだったのです。一番恐ろしいのは(最悪のパターンは)、能力のない経営者(自分の能力が分からず)がヤル気を出すことです。そんな倒産例をこれまでいくつか見てきましたが、逆に一番上手くいっている例が、自分の能力を過信せず健康(体力)面などを考えて敢えてヤル気を抑えて(設備投資を積極的にせず)、スーっと廃業したところが財産を減らさずに済んでいます。要は自分の現時点での能力(実力)を客観的に知ることが(見極める)一番大事なのです。一般的なサラリーマンでいくら優秀な営業成績を上げても、給料が2倍どころか50%増になることはあり得ませんが、それも会社の看板あっての成績ですから、「本当の自分の実力(能力)=社外で通用するか否か?」を知るには会社を辞めて独立するか、転職で他社から評価してもらうしかないのです。いくら社内評価が高くても社外で通用しなかったら、妻子を養えませんし実力がない明らかな証拠です。しかし、その「本当の自分の実力」を養うのも相当時間は掛かると思います。学校の勉強と同じで他人が遊んでいるときに勉強するしかないように、社会人になって異性や友達とワーワー遊んでいる(楽しんでいる)間に仕事をするしかないのです。私の場合学生時代から家業の織物工場で朝5時から2,3時間仕事をしてから大学に行き(サラリーマン時代の前半2年間も)、ウイークデーは空手部の練習、土曜はミナミのディスコやライブハウスに行き、日曜はバンド活動やウインドサーフィンという忙しい青春を送っていましたが・・・(笑)。今振り返ると、「無目的に」友達とダラダラ遊んだ記憶が殆ど無い事に驚きます・・・(笑)。やはり当時から毎朝必ず2,3時間家業を手伝うのが「生活の基本」で、それを軸にモノゴトを考えると、1日往復4時間の通学時間、大学の勉強、ヤリタイ事(空手、ウインドサーフィン、ドラム、ディスコ、ライブハウス)・・・そしてその合間を縫って?女の子とデートをしなければなりません(笑)。そう考えると絶対的に時間が足りなかったのです。今でもそうですが、人生を歩んでいく中で「経験」「ひとりで考える」「人の話を聞く」「自分で研究する(学校の勉強、新聞、ネット、読書)」とバランスを保ちながら4つの総量が多ければ多いほど判断材料が豊富になり、正しい判断が出来ると思います。なので、素晴らしい人生を歩むには性別年齢は関係ないように思います。ただ生まれた国は選べませんので、国や人種によって文化や宗教や政治によって違いがありますので、その辺は自分の努力ではどうしようもない部分があるかも知れません。今考えるとヨカッタと思える事が、織物時代に何もかも(経営、経理、現場、営業)自分でヤッテきた事かと。これは父親から代々受け継いだ事で「大事なところは他人に任せない」という戒めだったのです。これは取りも直さず、零細企業経営は「器以上の事はするな」という事だったのです。経営だけでなく現場の経験もあったからこそ、トランクルームへの転業後1年半も同業界の織物工場の現場でプライドを捨てて働き転業後の「無収入期間」を支える事が出来、その後の音楽スタジオや卓球場といった異業界へもスンナリ進出できたのかと思います。という事で、そんな忙しい青春時代を送ってきた訳ですが、「織物業の跡を継ぐんだろうなァ・・・」というのが頭の片隅にありましたので、若い頃から常にそれを前提にモノゴトを考えてきたことが逆に良かったかなァと思うのです。大学にウインドサーフィン同好会を作って学連加盟することによって本腰を入れましたが、これも将来会社経営の「予行練習」と捉えていたかもしれません。帝王学なんて事は何も教えられていませんでしたが、父親は身体が弱かったため、子供の頃から何処へ行くのも連れて行かされ親戚や村の行事も私が行かされました。同業者の織物工場に行ったり取引先の部長さん宅へ中元を持参したりするのも連れて行かされ、親戚の選挙応援や祭りの打ち合わせとかも中年以上のオッちゃん達の輪の中に入るのも嫌で仕方がありませんでしたが・・・(笑)。それが逆にヨカッタかなと・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.12
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東京の人はビジネスで値切らない・・・とよく聞きます。大阪の商売人からすれば、到底信じられません。というのは、社会人になってからサラリーマン4年、家業の織物業20年で取引先から散々値切られ、そして仕入れ先を値切ってきたからです・・・値段交渉はホント疲れます。コスト計算が完全に頭の中に入っていて、瞬時に相手の指し値に「応戦」しなければならず、即決できなければ(決定権が無ければ)相手にバカにされるからです。「帰って上司(社長)に相談します・・・」では、次回から取引先に相手にされません。権限が無かってもその場で勝手に「商売を決め」、帰ってから上司(社長)を説得するくらいの「根性」がなければ出世できません。仕事に限らずこの「有言実行」でモノゴトの責任の取り方を身をもって覚えるのです・・・この積み重ねこそが、10年後には「実力」として大きく化けるのです。そんな「大阪あきんど」を自負する私ですが、トランクルーム転業で方針の大転換をしました。値段交渉の余地が無いほど、トランクルームの月額料金を安く設定したのです。精神的に疲れる値段交渉をしないことに決めたのです。正に織物時代の反動ですが、転業と同時に従業員を誰も雇わず「一人経営」をすると決めていたので、精神的にも肉体的にも(時間的にも)負担を少しでも減らすための戦略です。具体的には近隣の約半額、大阪市内の約3分の1、東京23区の約6分の1の平米賃料に設定したのです。今はネットの時代なので、お客さんは事前に他社との料金比較をしていますので、これだけ安いと弊社との契約で値切られたことは13年間で殆どありません。逆に「この値段で本当に大丈夫ですか・・・?」と心配される事がありますが・・・(笑)。という事で、便宜上「日本最安値」と弊社トランクルームの第一のセールスポイントとして謳っていますが、もちろん「高品質」を伴わなければ全くのナンセンスです。その「高品質」とは、1.管理人のいる安心の「有人管理」2.雨の日でも濡れない安心の屋内型(ビルトイン)3.万全のセキュリティ(8台の防犯WEBカメラ+2台のカメラ付きドアホン、3重ロック)4.地震や台風に強い2階建て重量鉄骨造の建物5.夏の室温が20℃台(外気温35℃以上でも)6.軽トラックのレンタル7.スノコのレンタル8.充実した備品(台車、脚立、掃除機)9.充実した設備(ウオシュレット&温水&暖房便座付き水洗トイレ、水道)10.LINEによる動画配信サービス(荷物状況)11.荷物の受け渡しの無料代行サービス12.荷物の搬入(搬出)時の「立会い代行」無料サービス13.豊富なバリエーション(1.6畳~15畳で大阪最大級171室)14.大型有圧換気扇による万全の結露対策以上が本当は見て欲しかった弊社トランクルームの「お値段以上」の特徴です。泉州エリアで約90%を占めている鉄板1枚の野晒しの「コンテナ」タイプのトランクルームとは「全く別物」だとご理解いただけたと思います。逆に日本で一番トランクルームの激戦区である東京23区や大阪市内といった都会では「コンテナ」は殆ど見かけませんが、地方都市や田舎では殆どが「コンテナ」という現状では、少数派の「屋内型」トランクルームはなかなか理解してもらえないのです・・・(涙)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.05.28
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名刺はパソコンで名刺ソフトが出来た20数年くらい前から自分で作っています。印刷屋さんに頼むと100枚単位ですが、自分で印刷するのは多くて40枚単位です。と言うのは、内容がコロコロ変わるからです・・・(笑)。デザイン(ロゴ、位置)やキャッチフレーズなどコピーで新しいアイデアが浮かんだり、不動産免許の更新や新しい資格の追加などで、大体6ヶ月に1回くらいの割合で変えていきます。名刺は表面だけでなく、裏面も活用します。初対面の人と会う時に、出来るだけこちらの情報を相手に伝えたいというのは、零細企業経営者の誰しもが考える事です。大企業勤務の人の名刺は、会社名だけでインパクトがありますが、零細企業経営者の名刺なんて普通は無視されます・・・(涙)。単に表面に会社名と名前と住所だけ書いただけでは、何の意味もありません。ゴミ箱直行を阻止する為に、裏面を見た瞬間「ウン・・・?」と思わせるためにイロイロと書いておくのです・・・(笑)。このように名刺に拘る原点は、サラリーマン時代の経験です。2,300人規模の建築建材金物メーカーの営業でしたが、名刺が顔写真付の2枚つづりになっていたのです。そこにはイロイロ工夫が施され、会った日付が書けるようになっていたり、会社のスローガンが書いていたり、メモスペースがあったりしました。なので、初めて会った人のほぼ100%が「ウン・・・?」となって、最低1分くらいは名刺の話題になりました。そこからスムーズに商談に持っていくのが会社の「手」だったのです。「これだ!」と思ったのは言うまでもなく、サラリーマンを辞めて家業に戻ってから、即採用したのです・・・(笑)。ただ、写真付と2枚つづりはコストが掛かるので、特に裏面を工夫してコストを抑えました。今はホームページのURLを載せたり、私の携帯番号を載せたりと、1枚の名刺の裏表に「情報がギッシリ詰め込める」という大きなメリットがあります。デジタル社会になっても、こんなWEB情報満載の名刺という紙媒体も利用しなくては損です。ビジネスで全く初対面の人と会話をするときに一番困るのが、会話の「継続性」です。営業マンの優劣は、時間の許す限り「如何に長く話すか(受注に繋がる核心を突いた話を)・・・」に尽きます。話題が何も無ければ、名刺交換して会社名と名前の確認だけでオワリです。そんな事だと営業マン失格なので、他の部署に回してもらうか、話題を広げるために翌日から日経新聞を熟読するしかないですねェ・・・何も話題がなさそうな所から、「何か?」を引っ張り出してきて、それから会話に繋げるのが営業マンの腕の見せ所です。私の場合、裏面の上半分に事業内容を、下半分に保有資格と趣味を書いています。これだけ書いていると、話題に困りません・・・(笑)。5つのビジネスで、音楽スタジオや卓球場や自習室は中学生や高校生のお客さんが多いですが、彼らも立派なお客さんですので、1人前として扱い名刺をちゃんと渡しています。ほぼ100%の中高生らは「人生初」の名刺で、感動されているのがよく分かります・・・(笑)。人生初ですから、彼らの記憶に一生留まるでしょう・・・これも一つの演出で、「家に帰ったら、お父さんやお母さんにこんなところに行ってきたんやと、この名刺を見せといて・・・」と一言付け加えます。これで親子のコミュニケーションのお手伝いが少しでも出来れば幸いです。資格に関しては、全て50歳を超えてから(織物業を廃業してトランクルームに転業後)勉強して取りましたが、本当は9つも持っていますが紙面の関係で割愛したのですが、あれだけ一生懸命勉強したのに「宅建」以外殆ど役に立っていません(収益に貢献せず)・・・(涙)。あれだけ時間と情熱を燃やして勉強したのに、オレの青春?を返してくれ・・・と言いたいです(笑)。資格なんて国家資格の独占業務でないと中々役に立たないと思います。医者になるのに受験勉強に膨大な時間を費やし私大医学部だと6年間の授業料だけで平均3000万円台も掛かり、弁護士になるのも秀才が必死に勉強してもなかなか合格できない超難関試験です。めでたく医者や弁護士になったとしても、そこから年収1000万円以上稼げるようになるには相当な実務経験を積み重ねなければなりませんし、当然その仕事に合わなかったり技術が未熟だったりで落ちこぼれも出てくるという、体力的にも頭脳的にも精神的にも三拍子揃っていないと非常に厳しい世界だと思います。だからこそ、医者や弁護士は社会的にも尊敬に値する存在だと思うのです。私みたいに中途半端な資格ばかり持って、これまた突き詰める事なくダラダラと長くしている趣味をいくつも持ち、適当に色んなビジネスに手を出して、それをまた自慢している?自分自身がホント恥ずかしいです・・・という事で、一人で5つのビジネスをするには「時間との戦い(勝負)」です。もう還暦オーバーになると、仕事だけでなく旅行や趣味も充実させなければ「何のための人生か?」となるので、余計に時間が不足します。そういう日々の生活で、この名刺裏の活用術が大きな戦略になるのです。イロンナ情報を凝縮した名刺を1枚渡すだけで、勝手にビジネスが広がっていきますから・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.05.15
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弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」はオープン3年で会員数が1100人を超えましたが、約50%が軽音楽部所属の高校生です。スタジオの主要顧客が高校生という事もあり、最近はそれに「引っ張られる」形で、高校の「ダンス部」のお客さんが時々来られるようになりました。今、泉州エリアの高校では「軽音楽部」と「ダンス部」は大人気の部活で部員数ではトップクラスです。大阪の各高校ダンスの実力は、堺の登美丘高校を例に出すまでもなく全国でもトップレベルです。特に部員数が多い高校では、3学年1000人しかいないのに軽音楽部とダンス部の2つで200人も部員数がいます・・・(驚)。45年前に高校生だった私たちの世代は、軽音楽部もダンス部も殆どの高校で存在してなかったのを考えると、如何に高校生を取り巻く環境と気質が激変したかが窺い知れます。しかし弊社スタジオに彼等ミュージシャンとダンサーの高校生が集まってきているというのは、そういった分野の若者のニーズを汲み取れたという事かも知れません。特筆すべきは、女子高校生の割合が多いことです。軽音楽部で約60%、ダンス部で100%が女子です・・・(驚)。今の若い女の子は、如何に元気ハツラツ活発か・・・という証明です。将来日本も男女格差を無くす雇用対策を取っていけば、この「勢い」で仕事でも女子に頑張ってもらえれば、日本の将来も安泰です・・・(笑)。弊社スタジオのキャッチフレーズにも「Music&Dance」というのがあるように、音楽とダンスは「一対」です。若い頃に一世を風靡した「ディスコ」も(今のクラブ)、ブラックミュージック(ソウルミュージック)を聴きながら踊っていましたし、昔からの社交ダンスもジャンル分けされた音楽によってダンスをします。映像やショービジネスの世界でも、エグザイルやEガールズといったシンガーとダンサー(パフォーマー)の役割分担を分けたユニットが流行りました。これなんかも、正に音楽性(聴覚)とダンス芸術性(視覚)のコラボレーションです。という事で、今や高校では軽音楽部とダンス部が「花形部活」の形相を呈していますが、一方嘗て地味な部活の代表格だった「卓球部」が全国的な卓球ブームのお陰で、息を吹き返しているようです。「軽音楽部」「ダンス部」「卓球部」と各高校内で3つの部活が盛んというのは、弊社にとって追い風なのは言うまでもありません。そしてオマケとして、同じくトランクルーム貝塚の本館にある「レンタル自習室0724」も大半が大学受験勉の高校生です。トランクルームの部屋なので完全個室になっており、自宅だと何かと誘惑が多いですが、ここだと勉強に集中できるのが人気の秘密のようです。まぁしかし今の高校生らは、平成初期の第2次バンドブームを高校や大学時代に経験した第2次ベビーブーマーの子供達というのを考えると、いずれバンドブームやダンスブームも去っていくだろうと予測しています。バンドやダンスを一過性のブームとせず、「一生モノ」の趣味にもっていかせるのが弊社の「本来のシゴト」と言えるかもしれませんねェ・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.04.13
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先日注文していた「創業70周年」記念のボールペン1000本が出来上がってきました。10年前の「創業60周年」記念のボールペンも確かネットで注文しましたが、今回もネット注文で安くて迅速に段取りが出来ました。インターネットがそれ程普及していなかった20年前の「創業50周年」の時は、確か文具店と何回も打ち合わせをしていた記憶がありますので、隔世の感があります。今日からスタジオ0724の「Bスタジオ」がオープンしましたが、今日正に1000本が出来上がってきたのです。そして記念すべきボールペンを手渡しした第1号は、弊社スタジオ0724から出た「プロ第1号」のプロドラマー「KoU」さんです。何やら、ラッキースメルがプンプンします・・・(笑)。たぶん彼はプロドラマーとして有名になるでしょう。そして彼が高校時代によく通ったスタジオのマスターとして私がテレビ取材を受ける・・・てな妄想が広がります(笑)。カナブーンがアマチュア時代に頻繁に出入りしていたライブハウスの堺のFUZZさんみたいに・・・嬉しいですねェ・・・スタジオからプロミュージシャンが出るとは。正に、リハスタ経営冥利に尽きます・・・(涙)。普通の商売で大儲けしても泣くことはありませんが、このリハスタ経営というのはお金も儲けて?感動でも泣く・・・という何とも不思議な商売です(笑)。まァ、プロになれなくても(ならなくても)、アマチュアでずっとバンド(音楽)していく・・・事の方がもっと嬉しいですが。という事で、祖父が70年前に織物業を始めてから70年経ち、ビジネスの内容は変わりましたが、これからは創業80周年に向かってボチボチ歩んでいきたいと思います。日本が戦争に負けてまだ3年しか経っていなかった71年前に(創業の1年前)、祖父が「織屋をやろうか!」と起業した意志を尊重したいと思います。祖父がそう思わなかったら、父や私はまた全然違った人生を歩んでいたのですから・・・なので、10年後には80周年記念ボールペンを注文したいと思います。しかし「Bスタジオ」は今日オープンしましたが、もう「Cスタジオ」の具体案が浮上してきています・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.01
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人脈を広げることが仕事にプラス・・・と言われます。20代の建築建材金物メーカーの営業マンだったサラリーマン時代に、1年間に1000人と名刺交換しました。基本的には金物問屋や量販店のルートセールスでしたが、新規開拓で工具ルートや画材ルートを築きました。単に問屋や商社に卸すだけではエンドユーザーの事が分からないので、東急ハンズや大手家電店といった小売りも新規開拓をしていきました。とにかく、一旦父親にサラリーマン2年目で「織屋は継がない」と啖呵を切った手前、どうしてもサラリーマンで出世しなければと思い、夜討ち朝駆けでセールス活動に打ち込んだ結果、年間1000人も新規で会っていたのです。ただ、一生懸命セールスをしていると、朝礼に出ていると得意先に朝1番に着けないので欠席すると社内評価が下がったり(会社に貢献しているのに)、親戚の葬式で会社を休むと始末書を書かされたりと等々・・・理不尽さをだんだん覚える様になりました。自分の努力の方向と会社が望んでいる社員像とは違うのです。給料が高ければ多少の不満も表に出しませんが、これだけ会社に貢献しているのに安月給・・・10年先輩を見ても大した給料を貰っていない。働きの割に給料が安くて将来性もない。既に入社1年目でウインドサーフィンで知り合って学生時代から付き合っていた女性と結婚し翌年長女が生まれ、また翌年次女が生まれましたので、3人を養わなければなりません。迷っているヒマは無かったのです。これがサラリーマンの限界か・・・と悟るようになり、ちょうどその頃、織物業の取引先の部長から「息子はどうするの(継ぐの)?」という家業の進退を問われていて、結局父親に頭を下げて「家業を継がせて下さい・・・」と、4年間のサラリーマン生活に終止符を打ちました。振り返ると、サラリーマン1年目は研修期間が長かった事もあり、名刺交換は200人くらいでしたが、2年目から毎年1000人として、4年間で3000人以上の人と名刺交換したことになります。何も数を誇るわけではありませんが、昔から「量(数)が質を上げる」と言われているとおり、先ず量(数)を追うことが何より大事だと思います。このセオリーで、その後の織物業時代の大半は父親のビジネススタイルを継承して「1社依存」の委託生産(賃織り)でしたが、私が厄年の41歳の時に父親が急死し急遽私が代表になってからリスク分散という意味で、サラリーマン時代を思いだし繊維専門商社や紡績(合繊)メーカーへ新規開拓をドンドン進めていき1社依存の賃織りから脱却していきました。この父親の急死というのはそれまでの私の人生で最大のショックで、一番身近な親族であり仕事の上司の「死」によって、私は子供(専務)でいられなくなりました。親というのはこの世の中で唯一甘えられる存在でしたので、その父親の「死」の瞬間からあらゆるプレッシャーが私の双肩に掛り、甘えが一切許されなくなったのです。悲しむのは後にして、先ずは2週間だけ猶予のある小切手に押してある実印の所有者(代表取締役)を変えなければならい(役員会を開いて定款変更)という銀行員の事務的な言葉に従わざるを得ませんでした・・・(涙)。まァ何とかその父親の死(=会社の承継)という難局を切り抜けてきた訳ですが、この時ほどサラリーマンを経験してきて(他人のメシを食って)、本当にヨカッタと思いました。トランクルームに転業してからも「このスタイル」は変わらず、トランクルームに飽き足らず、宅建資格を取り宅建業も始め、昔のバンド経験を活かし音楽スタジオも始め、トランクルームの空室が目立ってきましたので「空室対策」として大学受験の浪人時代を思い出し自習室も始め、スタジオのお客さんが卓球台を置いて欲しい(卓球ブームを教えてくれ)というオファーで卓球場も始めたのです。今思うと、これら一連の30代から60代までの30年間のストーリー全ての基礎は、20代のサラリーマン時代の「たった4年」で築かれたのだろうと思います。如何に20代の行動が、後の人生に大きく影響を及ぼすのかと思います。という事で、人脈という意味で今年で70周年を迎える地場産業であった織物業界に加え、新しく始めた「トランクルーム」「不動産屋」「音楽スタジオ」「自習室」「卓球場」という5つのビジネスで、3市1町(岸和田、貝塚、泉佐野、熊取)というニッチマーケットでソコソコ5つの知名度が広がっていると思います。更に朝日新聞に2回、読売新聞に1回デカデカと掲載され、テレビ(NHK1回、読売テレビ1回、関西テレビ1回)に3回出演・・・と、各有名メディアに取り上げられた事によって、結構顔が割れました(笑)。これが目に見えないシナジー効果を生んでいるんですねェ・・・(涙)。ニッチマーケットを真正面から1つで攻めるのでは無く、左右や上下からも違う複数のツールで攻める事によって「何とはなしに、アレ知っているなァ・・・」とエンドユーザーに思わせるのです。ネットによるデジタル戦略とチラシや訪問によるアナログ戦略も総動員して、1年、3年、5年、10年掛けてジワジワと浸透させるのです。更に「ウインドサーフィン」「空手」「ドラム」といった趣味のネットワークも見逃せません。何故なら、ウインドサーフィンや空手やミュージシャン仲間やその子供さんが、トランクルームのお客さんやスタジオや卓球場や自習室の会員さんだったり、不動産の相談に乗ったりしていますから・・・このように3市1町という狭い泉州の南部エリアで、「トランクルーム」「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」「不動産業界」「ウインドサーフィン」「空手」「ドラム」といった5つのビジネスと3つの趣味をシンクロさせ、また先祖代々何百年も貝塚で住んでいますので3,4代遡れば泉州一帯に広がる膨大な数の親戚一族のネットワークも加えてシンクロさせる事によって、少々の事でも揺るがない強固な仕事の基盤を築いていきたいと思います。人脈を広げると言う意味で何年か前まで父親の代から長年地元の商工会議所や経済クラブに入っていましたが、費用対効果を考えれば無駄だと判断してスパッと退会しました。やはり、実際のビジネスで人脈を構築していくのが「正攻法」だろうと思いますし、たった1人で5つのビジネスを営んでいますのでヤレル範囲に限界を感じ(選択と集中)、これから遊びの時間(海外旅行や趣味)が多くなってきますし・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.17
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ユニーが総合スーパー(GMS)25店舗とコンビニ(サークル)を1000店舗を閉鎖するとか、セブン&アイもイトーヨカ堂(GMS)を20店舗閉鎖とそごう&西武百貨店も全国で何店舗が閉鎖するというニュースが昨年から日本を駆け巡っています。大手チェーンストアはブランドにモノを言わせて、最高の立地条件の土地を入手或いは借りてビジネスをスタートさせます。実際私の地元での不動産仲介でも、大手コンビニの出店条件は国道か県道の十字路の四つ角と相場が決まっています。正に羨ましい限りです。それでも長年経つと、ライバルが周辺に増えたり、道路事情が変わって車の流れや人の流れが変わったりして売り上げが激減して閉店というのが昨今の残酷なビジネス事情です・・・それでも、ビジネスのセオリーの最低条件は好立地条件なのは間違いありません。今日の読売新聞の関西経済「3000万人時代 訪日外国人」という特集で、「地方誘客へ 戦略に磨き」という記事が目に止まりました。大阪市内から電車とバスを乗り継いで4時間も掛かる和歌山県田辺市本宮町に、訪日外国人が10年で42倍に急増したそうです。理由は簡単に言うと、訪日外国人のターゲットを絞ったからだそうです。「不便なところでも、ターゲットを絞れば客が来る」という証明です。振り返って、弊社「トランクルーム貝塚」や「スタジオ0724」も同じ戦略だったのかと・・・思い当たる節があります。弊社(トランクルーム&音楽スタジオ)の立地は、大手から見れば最悪立地です・・・(笑)。確かにトランクルームも音楽スタジオのお客さんも、一様に皆さん、そうおっしゃいますし自分でもそう思います・・・(笑)。なんせ、これが大阪か?というくらいのかつて農村だった集落のど真ん中ですから・・・(笑)。名越を含めた木島地区は1300年以上前から集落が形成されているようで、トランクルームの所在地は150年前の江戸時代末期に曽祖父が2軒隣の本家(母屋)から分家した場所で、私の本籍地だったのです。4代前からの居住地(本籍地)で、未だに商売しているなんて、日本でも数少ないと思います・・・(笑)。当時は村の端っこだったのですが、150年も経つと周りは家だらけになってしまったのです・・・当時はもちろん車や耕運機もなく、牛車が通るくらいの道幅しかなかったのです。今は2トン車がギリギリ通れる道幅に広がりましたが・・・(笑)。という事で、トランクルームも音楽スタジオも「泉州エリアでは殆どライバルがいない」というニッチマーケットに絞ったから、お客さんが来てくれるのかと思います。卓球場もレンタル自習室も。そしてこのニッチマーケットに他社を新規参入させないように(出来ないように)、「日本最安値」「大阪最安値」という「低価格戦略」を前面に出しているのです。ビジネスでも喧嘩でもこちらの優位性を見せつけて相手のヤル気を失わせる(戦意喪失させる)事が、両者とも血を流さずに平和的に解決できる唯一の方法ですから。不動産屋だけは大阪府下で1万社もあり、大手が続々と参入するという全くニッチマーケットではありませんが・・・(笑)。ただその競合が多い不動産業界でも、貝塚市にターゲットを絞り事務所や倉庫といった事業用不動産仲介をメインとした「狭く深い」戦略をとっています。音楽スタジオに至っては、たった2年7ヶ月で文字通りゼロから1000人も会員さんが集まりました。この「わざわざ、こんなへんぴな所まで足を運んで来てくれている」という初心を忘れないように、これからもこの商いを続けて行きたいと思います。しかし昨夜は泉佐野のインド人経営のカレー屋さんに行った後で、その前の食品スーパーについでに寄ったのですが、関空に近いと言うこともあり、お客さんの3分の1が外国人です・・・(驚)。私が住んでいる隣の貝塚市では、こんな「現象」は未だありません。しかし、私の住んでいる名越の近所に外国人観光客が泊まる簡易宿泊所が2,3年前に出来てから、名越のメインストリート(だんじり小屋の筋)を中国人が写真をパチパチ撮りながら歩くシーンを最近時々見かけます。「何故こんな所を撮るのか?」と聞くと「チョット京都みたいだから・・・」という答えにビックリ。確かに、日本建築オンパレードの田舎だから・・・かも(笑)。ナンか、日本も足元からヒタヒタと観光立国に向かって走っているのかと感じざるを得ません・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.15
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今年平成31年(2019年)は、昭和24年(1949年)に祖父が織物製造業を創業して70年周年になります。昭和24年と言えば日本が太平洋戦争(第2次世界大戦)に負けて4年しか経っていません。織物業は大阪南部(泉州)の昔からの地場産業で、大阪市の近くにあり大阪と取引上の密接な関係を有し,江戸時代の綿作の伝統から綿紡績・綿織物工業が発展集積してきたという歴史がありました。町内の親戚の分家が明治時代に町内の農家が閑散期に納屋で生機で織った反物を集め、それを牛舎に積んで大阪まで何日も掛けて売りに行っていた産元業をしていたという昔話を聞きました。その場所が、正に今の私の実家(生家)だったのです。そしてその売り先が、今の伊藤忠や丸紅だったのです。そんな泉州と大阪本町の関係から、弊社は長い間伊藤忠さんと取引をしていました(100%委託生産)。バブル崩壊まで織物業を順調に営んでこれたのも伊藤忠さんのお陰ですので、未だに感謝しているのです・・・(涙)。バブル崩壊後は大企業も零細企業も大きなグローバル化の波とインターネット普及で、世界中のビジネスが激変してしまい大きく影響を受けました。伊藤忠は繊維出身の岡藤社長が牽引し総合商社トップ3の座を確固たるものにし、弊社はエンドユーザー相手のビジネスに180度方向転換しました。創業から10年経った昭和34年に製作した「10周年記念アルバム」が家にありますが、その中の写真を見ると高度成長期(ガチャマン時代)の乗りに乗りまくっている親父たちの姿が残っています。私も集団就職で来た40人もいた若い女工さんらに可愛がられた記憶があります。いつも女子寮や社員食堂で入り浸っていた小さい自分がいました。更に父親の沢山の妹達(叔母さん)にも囲まれ、4,5歳にして「ここは天国か?」と錯覚したのと違うでしょうか・・・(笑)。その後イロイロあって、次男であった父親が社長になり笹谷家の後を継ぐ事になりました。祖父もまた次男でしたが、イロイロあって笹谷家を継いでいたのです。やはり後継者は、長男だからと言ってもヤル気が無かったりその資質が無ければ、その役は務まりません。私がボンクラだったら、たぶん妹が後を継いでいたでしょう・・・(笑)。曾祖父は三ツ松の「左甚五郎(岸上甚五郎左義信)」一族に当たる、水間の三重塔や名越・安養寺の前の本堂を建立した分家筋(名越の仁左衛門)の次男で生まれました。しかし養子縁組をして次男で産まれたにもかかわらず戸籍上は長男になり、日清戦争や日露戦争に行かずに済んだのです。曾祖父の父親が水間の楠右衛門(「お夏清十郎物語」のお夏の実家で水間の庄屋)から名越の仁左衛門に婿養子に来ていた関係で、楠右衛門の親戚で子供の無かった水間の笹谷吟蔵と曾祖父は合法的に養子縁組をして、名越唯一の士族(岸和田藩足軽)の石原家の娘(曾祖母)と結婚したのです。養子縁組をしなければ、次男でしたので戦争に行って戦死していたかも知れません・・・そうなれば、祖父も父も私もこの世に生まれていなかったかも知れません。故にうちの家訓は「名を捨て実を取る」です。そういった泉州の地場産業の織物業を長年営んできたわけですが、残念ながら私の代で13年前にトランクルーム業に全面的に「転業」してしまいました。これも「名を捨て実を取る」を実践した結果です。このままでは「ヤバい(倒産する)!」と危機感を抱いたためです。従業員と家族を守るためには、背に腹はかえられない・・・という苦渋の決断でした(涙)。幸い廃業でき、会社はそのままで定款を変えただけでトランクルームに転業できました。法的にはまだ「(株)笹谷繊維工場」のままで残しておいたのです。トランクルームに転業後、宅建業(不動産屋)も始めましたので、いずれ「セルフストレージ○○」とか「○○エステート」とかカッコイイ社名に変更しようと思っていましたが、バタバタしてしまいそのままに放っていました。しかし世の中にカタカナのカッコイイ社名が溢れかえったお陰で、逆に今となってはこの古くさい「(株)笹谷繊維工場」という社名が伝統あるイメージを浮かべ好印象に繋がると思い始めました・・・(笑)。祖父や父の思いと遺志を込めて、このままで行こうと・・・「トランクルーム貝塚」「貝塚不動産.com」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」とエンドユーザーに分かり易くするために、正式名の(株)笹谷繊維工場は前面出さずに各ビジネスは独自ドメインを取得した「屋号戦略」をとっています(家訓通りに)。見栄やカッコ良さを追究するとコストは3倍に跳ね上がりますから、客や売り先にそういったアプローチをしても、事業者がそんな事をしたら完全にNGです。という事で、70年間でビジネスの中身は全く変わりましたが、「祖父 → 父 → 私」と3代貫くポリシー(家訓)は「名を捨て実を取る」なので、10年後の「80周年」はまた中身が変わっている可能性が高いです。リアルなビジネスのトランクルームには全171室のうちプロやアマのミュージシャンのバンドの楽器や機材で30室くらい埋まり、自習室には受験生だけで無く新たにWiFi設備を活用したリラックス需要や事務所利用で連日満室で、リハーサル音楽スタジオは4室に増設してレッスン(ドラム、ギター、ボーカル)も充実し、卓球場も4室に増設しレッスンも充実しているかも知れません。民泊も併設してスタジオと卓球場は、夏休みともなると高校や大学のクラブの合宿で盛況かもしれませんねェ・・・私はロックバンドでドラムを叩いて、ちょうどその頃1960年代~1970年代にロックの洗礼を受けた世代が入居する老人ホームを慰問で回っているかも知れません・・・(笑)。そして不動産仲介業はアメリカがそうであるように、不動産コンサルティング会社に特化しているかも知れません・・・まァ、今日の妄想はこれくらいにしておきます・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.01.07
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「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「レンタル自習室0724」年末年始も営業します(年中無休)。#年中無休 #休みなしにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.12.16
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日頃トランクルームや不動産屋、音楽スタジオや卓球場のビジネスをしていると、お客さんから「社長さんが近所に住んでいるから安心です・・・」てな事をよく言わます。確かに会社から自転車で1分の町内に住んでいます。イヤ、住んでいるどころか、このトランクルームの所在地こそが、正に江戸時代末期(文久年間)の150年前に私の曾祖父が2軒隣の本家(泉州弁で母屋)から分家(泉州弁で隠居)した場所で、私の「本籍地」だったのです。何かあれば、直ぐに駆けつけることが出来ます。「オーナーが近所に住んでいる」という料金や設備といった面以外の利点が、お客さんに安心感を与えているのでしょう・・・先祖代々名越に住んでいますし、もう還暦を過ぎていますので、50年前はあそこは田んぼだったとか、池だったとか、地元貝塚に関しては若手の不動産屋や他所から来た不動産屋よりも分かっているつもりですので、そういった不動産屋としてのメリットも計り知れないですねェ・・・逆に地元出身ではない同業者から客付けしてもらい、共同仲介の方向でビジネスを進めるケースにもって行ってます。昔は兄弟姉妹も多く親戚筋も3,4代遡れば、貝塚を中心に岸和田、泉佐野、熊取に会ったことも無い一族の数が天文学的に広がります・・・(笑)。それが、チョット物件調査にアチコチ行くと、「あの人知ってる・・・」「あの人と昔の親戚や・・・」と話がスムーズに運びます。そして泉州の地場産業であった織物業を長年営んできたメリットも大きいです。50年前の昭和40年代前半の織物業が泉州で全盛期だった頃は、貝塚市から岬町まで680社も織物業者があり(タイルやニットや毛織りや毛布は別で、岸和田市から和泉市は小幅の零細織物業者が多く1200社くらい)、町内だけで11工場もありました。単に工場の数だけで無く、町内だけで九州や四国から集団就職で来た何百人もの織物工場の従業員向けの駄菓子が7軒もあるほど(今はゼロ)、その「周辺産業」にも多大な影響を与えていたのです。単に同業者の織物業だけでなく、繊維関連の地元の運送業、撚糸業、サイジング、機料店、ヘタ巻き屋、産元、整経屋、経通し屋、メンテナンス屋、水道屋、工具店、電気工事店、工務店(建物に付随する職人)、部品メーカー、糸や布ブローカーといった長年の周辺産業とのコネクションも見逃せません。まァしかし、東京23区や大阪市内のトランクルームや音楽スタジオで、オーナー経営者が近くに住んでいるケースなんて殆ど無いでしょう。織物時代も夜中に機械が故障すると「ヘルド枠のロープが切れた」とか「コンプレッサー止まってしまった」とか「空調から水が出てない」とかでよく電話で呼び出されました。その度に、眠い目を擦りながら工場まで駆けつけたものです・・・これが、車で15分とか電車通勤とかだと「朝まで機械止めといて・・・」で大きな機会ロスになっていたでしょう。自転車で1分の距離だからこそ、夜中に駆けつけることが出来、経営者は24時間体制の「覚悟」さえ決めれば何の事はありません。覚悟・・・言葉を代えれば一種の「諦め」です。オーナー社長として会社に100%24時間全身全霊捧げるという「覚悟」です。本気スイッチが入るとか、ヤル気が身体の底から吹き出してくるとかいう表現でもイイかも知れません。まァ、一般従業員やサラリーマン社長では絶対出来ない「芸当」です。しかし、我々零細企業のオーナー経営者の多くは持っているモノだと思います。サラリーマンだと会社が倒産しても個人とは何の関係もありませんが(資産を奪われる事はない)、我々零細企業オーナーは借金をしていれば銀行に対して個人保証もしていますので、「会社の倒産=個人の自己破産」で、会社が倒産すれば不動産や金融資産など全て失い離婚や一家離散、自殺に追い込まれるケースも普通にあります。そんな事にならないように、我々は仕事に必死になり「覚悟」を決めるのです。弊社の場合バブルの1年前(1987年)に大規模な設備投資で約30%安く建物と最新機械設備を買い(何千万円も節約できた)、リーマンショックの2年前(2006年)で北京オリンピックの好景気に沸いていた中国に中古織機を高く転売でき、資産を何も処分せずに何とか廃業(転業)に持ち込みましたが・・・一応ファンナンシャルプランナー資格を持っている私でも株は長期保有で売買は殆どしませんし興味もありませんが、「安く仕入れ、高く売った」のです・・・(笑)。半年「判断」が狂っていたら(遅ければ)、大変な事になっていたでしょう・・・(汗)。いずれにしろ、この「覚悟」は親に言われたり教えられたからとか、本に書いてあったとかセミナーで勉強したとか尊敬する先輩の助言とかで生まれるモノではありません。ふとしたキッカケで天から降ってくるモノだと思います。私の場合は30年以上前に機械設備を全面的に入れ替え(設備更新)した時に、据え付けのメーカーサービス員から「機械の運転(据え付け)が完了する2週間後に我々は会社に帰りますが、それまでに全部貴方に使い方を教えますので、従業員に貴方が全て指導して下さい・・・」と言われました。病弱だった社長の父親は50代後半で頼りになりませんし、事前に1週間メーカーの研修を受けただけで、実際何も分かっていない自分が非常に心細くなりました・・・大袈裟では無く、あまりのプレッシャーに卒倒しそうになりました。社運をかけて新工場まで建設して何億も投資し、これで失敗したら本当に終わり・・・すべて自分に掛かっているという恐怖に全身が凍り付いたのです。一瞬、倒産、夜逃げというシーンが頭を過ぎりました。しかし、サラリーマンを辞め家業を継いで2年しか経っていませんでしたし、今更サラリーマンに戻るわけにも行かず、2人の娘も小さかったので、これは前に進むしかないと・・・そしてこの彼の言葉の10秒後に、天から降ってきたのか「ヨッシャー!ヤッテやろうじゃないか!」という恐怖から「ヤル気」に変わっていたのです。それまでの30年間の人生で、学業やトランペット、空手、ドラム、ウインドサーフィン、サラリーマン生活にしても、一生懸命やっているつもりでも「本気」を出していなかったのです。言葉を換えれば、30年間いい加減で中途半端に生きてきたのです・・・しかし、この時だけは「これまでとは何か違う・・」自分の潜在パワーを不思議と感じました。正にこの「瞬間」から約20年間、織物工場を24時間エンドレス操業(年355日)で突っ走ったのです。これが私の人生最大の「転機」でした。この転機がなければ、20年後のトランクルームへの転業も何も無かった訳です。もちろん不動産屋を開業することも、音楽スタジオも卓球場もあり得ません。今では、この織機メーカーのサービス員に感謝、感謝です・・・(涙)。数年前に堤真一主演の「俺はまだ本気出してないだけ」という映画がありましたが、殆どの人は一生「本気」を出さずに人生を終えるという「現実」の裏返しでしょうねェ・・・そういう意味で、たまたま31歳になって人生で初めて「本気」を出せたラッキーさに正に感謝、感謝だったのです・・・(涙)。30代40代の20年間に本気を出し切って、62歳になった今は「出し殻」になってしまいましたが・・・(笑)。そしてこの当時新築した織物工場が、用途変更して今の「トランクルーム貝塚 本館」です。ここが私の本籍地で、祖父や父がここで生まれたのです。という事で、本籍地でビジネスを展開できている自分は幸せだと感じています。割と順調に仕事が推移してきたのも、先祖のお陰かと・・・(涙)。トランクルーム周辺を、いつも先祖が天から見守ってくれているのか・・・まァしかし、5,600年以上も前からある名越の古い田舎の集落のド真ん中の道が狭くこんな不便な場所にある弊社トランクルームに、トランクルームだけでなくスタジオや卓球のお客さんが足を運んでくれるだけで感謝しかないです・・・(涙)。私が仕事に出向くのではなく(不動産仲介は別)、お客さんが来てくれる事(来店)によって私の通勤時間は1分で、他に沢山の仕事ができるのです。正に、こんな嬉しいことはありません・・・(涙)。この「職住近接」は電車や車通勤によるストレスもありませんし、事故に巻き込まれる可能性も殆どありませんので、東京ではIT系オーナー経営者が好んでこのスタイルを取り込んでいるようです。特に起業オーナー経営者は「アレもしたい、コレもしたい」といつも頭の中がアイデアや企画だらけで、時間がいくらあっても足りないのです。タイム・イズ・マネー・・・たとえ30分でも余計に中身の濃い仕事をしたい。悠長に電車や車に乗って通勤している場合では無いです。一般サラリーマンだと無理して会社の近所に住んでも、常に転勤(海外転勤、栄転、左遷)や解雇のリスクに晒されますので、それもどうかと思いますが・・・日本では普通にある妻子と離れる単身赴任も、世界から見ればチョット異常のようです。外国では家族との生活が第一で、そこまで社員の一生面倒を見るはずもない会社に忠誠を尽くすのはチョット考えもの・・・だと。ま、「職住近接」を言葉を代えれば、その分料金に還元できて、お客さんに低料金でサービス提供出来るのです。正に好循環で、お客さんが最も望んでいる事です。これからも、お客さんが1番望まれる「品質と価格の充実(お値段以上)」を第一に考えた商いを心がけたいと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.10.24
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先日スマートフォンのラインに登録している友達の数が1000人を突破しました。スマホの電話帳に登録しているのは約2000人ですから、半数の方とラインで繋がっている事になります。友達といっても、多くはビジネス関連(トランクルーム、音楽スタジオ、卓球場、自習室、不動産業)です。つまりビジネスでのやり取りを主にラインでやっているのです。ある程度公私混同になってしまうのも仕方の無いことですが、そこは上手に工夫して振り分けています。その中でも、音楽スタジオの「予約」が最もラインが効果を発揮しています。例えば「田中さん」という大阪では最もポピュラーな名字は、私のラインにスタジオ会員含めて30人くらい登録されていますが、「どこの誰なのか?」が一発で分かる「ある工夫」をしています。これもノウハウと言えば、小さなノウハウかも知れません。ラインか電話が掛かってきても、一瞬(10秒くらい)考えたり質問したりする時間が短縮(省略)されますから・・・この「迷わない時間」の積み重ねは、トータルにすると相当大きいと思いますよ・・・TIME IS MONEYですから。音楽スタジオは「会員制の予約制」ですので、会員さんからの予約をラインで受付けているのです。「会員制の予約制」は不動産仲介以外のトランクルームや音楽スタジオ、卓球場や自習室でも共通しています。「会員制の予約制」は、元々キャンセルは殆どありませんが、あってもキャンセル料金を頂けますのでロスがないのです。最近何かと問題になっている飲食店の無断キャンセル問題(キャンセル料が取れない)に比べると、優れたビジネスシステムだと思います。織物業で言うと「手張り(糸買い布売り)」より、弊社が長らくやっていた「賃織り(委託生産)」みたいなものです。スタジオ会員数も1000人近くなりましたので、物理的にいちいちリアルに電話で受付けていたら時間がいくらあっても足りません。Eメールだと、いちいちパソコンを開く時間も掛かりますし、ラインだとスマホを直ぐに開けますし、返事はあとですればイイ訳です。ラインのメリットは即時対応が可能なのと証拠も残りますし、写真や動画も簡単に送れるところです。例えば、中学生や高校1年生はまだPA機器に詳しくないので、ミキサーの使い方を予め動画で取ってLINEで送るとよく分かってもらえます(私がいちいちスタジオに行って説明する必要が無いように)。ライングループも6つに入って、公私共よく使っています。更にスマートフォンではライン以外のSNSで、フェイスブック(個人、トランクルーム、不動産、スタジオ、卓球場、自習室、空手)7つ、ツイッター(スタジオ、卓球場、自習室、トランクルーム)4つ、インスタグラム1つの合計12のアカウントを作って駆使しています。とりわけ個人のフェイスブックの友達が1300人、スタジオのツイッターに至ってはフォロー4000人、フォロワー1300人と・・・どんだけ仕事で使い倒してまんねん?という感じです(笑)。零細企業経営者にとって、便利な無料の仕事ツールが誕生した事によってどれだけ助かっている事か・・・(涙)。もちろんこれらSNS以外でも、各ホームページとこの個人の楽天ブログ(無料)もありますから、互いにリンクさせることによるシナジー効果は計り知れません。ラインが無かった10年前は1人でトランクルームと不動産屋くらいしか出来ませんでしたが、ラインを使えるようになってから事務員を雇わなくても、「エンドユーザー直」の音楽スタジオと卓球場と自習室と可能性が広がったのでしょう。来年「Bスタジオ」を増設して会員数が2000人を超えても、ラインがあれば「チョット忙しくなったかな?」という程度で何の問題も無いでしょう・・・(笑)。とにかく朝から深夜まで私のスマホは、ピーピー鳴り続けていますが・・・(笑)。総じて新規のお客さん(オファー)は電話で受け、既存のお客さんはライン・・・これで5つのビジネスを1人でこなしているのです。という事で、B to Bの織物時代の前半は数人と、後半はせいぜい30人くらいの担当者との電話でのやり取りで済みましたが、使う神経の度合いが違います。限られた取引先でしたので、横を向かれたら命取りでしたから、注文を取るのも必死です。数ある同業者の中から弊社を「選んでもらう」のに必死で、「取りこぼし」が出来ない訳です。相手の取引条件に合わすために、1円2円の攻防で神経をすり減らしてきたのです・・・ところが今の5つのB to Cビジネスは取引先が分散して(会員が沢山いて)、全く逆の立場で神経を使う度合いが激減しました。こちらが提示した取引条件に合わなければ、「去る者追わず」でこちらからお客さんに合わす事はありません。本音を言えば、高品質低価格(お値段以上)に自信を持っており、いちいちネゴする時間が勿体ないのです。逆に、「やっぱり御社がイイです」と一度去ったお客さんが帰ってきたら「来る者拒まず」のウエルカムの大歓迎です。これが転業して「一極集中」から「危機分散化」した大きな大きなメリットだったのです・・・(涙)。そしてよく海外旅行に行きますが、滞在先でもスマホやノートパソコンで仕事をしています。これがいちいち国際電話していると、目が飛び出るような高い料金が掛かってきます。セキュリティの問題で仕事のラインやEメールはモバイルWiFiを持参すれば解決しますし、あちこち出歩くときや現地の公共バスに乗るときもモバイルWiFiは重宝しますし、それ以外は海外の充実した市中のフリーWiFiを利用すれば事足ります。世界のIT進化のお陰で、工夫次第でコストが安くつく素晴らしい時代になりました・・・(涙)。ただ海外との時差がありますので、夜中に日本から掛かってきた転送電話の「お忙しいところ申し訳ありません。投資にご興味ありませんか?」という勧誘電話には閉口しますが・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.09.12
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以前、スポーツクラブ日本最大のチェーン店であるコナミスポーツ東岸和田店に長い間通っていました。当時トークタウンから上松町への移転に伴って、月額料金が6800円から4000円もアップしてしまい会員同士で「高なったなァ・・・」と嘆いていたところに、近くに月額料金がコナミの半額のジョイフィットが出来て、噂によれば500人もジョイフィットに流れたようです。私もですが・・・(笑)。20%くらいまでの安さなら顧客心理は揺るがないと思いますが、30%でぐらつき、50%で完全に顧客が離れてしまう・・・というのを目の前で見てしまいました(驚)。スポーツクラブ日本最大手のコナミが、新興のジョイフィットに負けたのです。私の見た感じではスポーツクラブ会員の実態は「プール」「スタジオ」「マシン」の3つのフルコースを利用する人は10%くらいで、60%は1つ、30%は2つしか利用しないと思います。恐らくジョイフィットはそういった顧客を分析して、最初から「プールなし」の低価格路線で勝負を挑んだのだろうと思います。スポーツクラブに限らず、大手チェーン店の泣き所は「全国統一価格」で、近くに値段が半額のディスカウンターが新規出店してきてもそれに対抗出来ないところです。大手チェーンは「局地戦に弱い」という事を、この事例で露呈してしまったのです。これが大手の盲点で、我々零細企業が大手に勝つ戦略の一つです。一つ特化した戦略があれば、大手に充分対抗出来るのだと思います。空手をやっていてまだ茶帯だった20代前半の頃、組手の練習で四段の人と当たりました。まともに戦えば100%負けますので、サウスポーだった私は左の下段回し蹴り(ローキック)で、相手が右回し蹴りを放った瞬間の軸足の左足しか狙っていませんでした。相手のバンバン入ってくる突きや蹴りを避けながら、ジッとその瞬間を待っていました。そして、その瞬間がついに来たと同時に蹴りを繰り出すと・・・その戦略が見事に当たり、相手をみごと転倒させることが出来ました。相手は私のことをかなり格下の茶帯だという事で、最初から油断してナメテいたのです。この経験で、いくら相手が強くても(大きくても)、マーケットと相手を分析すれば「チャンス」はある・・・という事です。一般ビジネスでも同じで、大手は中小零細を最初からナメテかかってきます。というか、事業用不動産仲介業を通じて感じたことは、「我々大手が進出するのだから、同じ競合大手は叩きつぶす・・・中小零細の存在は最初から無い(意識していない)・・・」という大手のスタンスです。これが不動産屋の観点から見た、ビジネスの実際の側面です。これが大手の盲点で、進出するマーケットによって、我々零細企業は最初から「一点に特化した戦略」で望めば、まだ勝ち目があるかも知れません・・・しかし孫のオモチャを買うのにも、近くのトイザらスかネットしか思い浮かびません。昔は駅前の商店街におもちゃ屋さんがあったものです。それが殆ど消滅してしまいました。泉州の地場産業で戦後の日本の復興を牽引してきた弊社も含めた織物業者も、50年で90%以上が消滅してしまいました。実店舗がGMS(大型総合スーパー)主流になり、SPA(製造小売り)アパレルが力をつけてきた結果で、更に無店舗のネット販売が勢力を増してきたのです。時の流れは残酷です・・・私なんか、商店街のおもちゃ屋の前で「おもちゃ買うてくれ!」と泣き叫んでよく寝転んで無理を言った・・・なんて親が言いますが(笑)。私だけでは無いと思いますが、もうそんなガキを見なくなって寂しいものです(笑)。という事で、ここ10年は良きにつけ悪しきにつけITの進歩とグローバル化でビジネスシーンが劇的に変わってきました。これを零細企業経営者にとって「イイ時代」と感じるか「もうアカン」と感じるかは、本人次第ですねェ・・・(笑)。ただ一番危険なのは、それほど能力のない人が「やる気」を出す事・・・というのはこれまでの歴史が物語っていますが。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.08.19
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エンターテインメント(英: entertainment)とは、人々を楽しませる娯楽を言い、抽象的な意味をもつ言葉であるが、楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語となっています。略称エンタメです。弊社の展開しているリハーサル音楽「スタジオ0724」も卓球場「貝塚卓球センター」も正にエンターテイメント事業です。1949年(昭和24年)に祖父が泉州の地場産業である織物製造業を創業してから2006年まで真面目に織物業を続けていましたが、一転トランクルーム賃貸業に方向転換しました。大阪府南部の泉州地域は昭和40年代まで農業と繊維産業(綿織物、タオル、毛布、綿糸、ニット)が主な産業でした。私が子供の頃は夏は朝2時頃から田んぼに行く耕運機の音がしていましたし、織物業は基本的に24時間操業で土曜日も仕事で日曜の正午まで仕事をしていたものです。という事は、泉州人というのは農業や織物業という「物づくり」に長らく従事していましたので、根は非常に真面目なんです。盆踊りとだんじり祭だけ羽目を外していたのでしょう・・・私が青年団の頃までは盆踊りも3日間で最終日は朝まで踊り明かしていましたし、だんじり祭りも朝から酒をあおって歌いながらノンビリと曳いていたものです・・・そういうエリアで長らく織物業を営んできて、トランクルーム賃貸業という訳の分らない商売に転業して、更に不動産屋も・・・更に更に音楽スタジオや、自習室や卓球場。ここまでくると支離滅裂、もう訳分かりません・・・(笑)。しかし順序を辿っていくと、支離滅裂でも何でもなく、至極当たり前で順当な考え方から変化して行っているんですねェ・・・2棟の織物工場を解体するのも大きな資金が必要なので、改造コンバージョンして未だ投資額が少ないトランクルームに転業 → ところが当初集客に苦労して、事務所でも出来る別の仕事を模索して不動産屋に辿り着く → 数年後トランクルームの競争が激化し、空室が目立ってくる → 空室対策ともう60歳なので老後の趣味を兼ねて音楽スタジオをトランクルーム内にオープン → 更にレンタル自習室と卓球場もオープンする一貫しているのは不動産仲介業は別にして、単に自社の資産である土地と建物(織物工場)をどう活かそうかとしているだけの事で、その利用の結果がトランクルームであり不動産屋であり、音楽スタジオ、自習室、卓球場だったのです。単に土地や建物を他人に貸すだけなら、運営側の業者に利益を吸い取られ儲からないどころかノウハウも蓄積できませんし、借り手が無くなれば自分では何もする事が出来なので慌てふためく結果となります。他人に絶対オープンしない独自のノウハウの蓄積こそが大事だと、親父から伝授された子供時代を含めた過去40年の織物時代に身をもって体感しました。これこそが、企業規模や属性(経営者、サラリーマン、年齢、男女、老若、国籍、出自)や業界を超えた、社会を「生き抜く術」だと思うのです。弊社の場合、あくまでも「自社運営」に拘っていてお客さんであるエンドユーザーを分散しているのがミソで、借り手であるお客さんが多少離れていっても(減っても)ナンの問題もありません。というか、事業の分散化と更にその先のエンドユーザーを分散化する事によって、月々の売り上げが倍増も半減もしませんが、せいぜいプラスマイナス5%くらいです。オーナー経営者にとって、売り上げの安定化は「心の安定化」に繋がりますから・・・(笑)。しかし、トランクルームと不動産屋を営んでいて2年前に音楽スタジオをオープンさせてから、イロイロ驚いたことがありましたねェ・・・1番ビックリしたのが、ライブハウスの方が見学と宣伝を兼ねて弊社スタジオに来られたのですが、自己紹介で名刺交換するわけですが、ある担当の方は真面目に本名ではなく「カタカナの愛称」で言ってくるんですねェ・・・最初、冗談かと思いました・・・(笑)。一般ビジネスでは考えられません。しかし、そういう業界なんだと、ヘンに納得した自分がいましたが。無理やりでも、対応しなきゃ・・・と。そう言えば、スポーツクラブのタイムテーブルに書いてあるレッスン担当の名前に、ダンス系は単にKとか、HITOMIとか本名か愛称か分らないないのを思い出しました。同じビジネスにも、「お堅い」業界から「柔らかい」業界まであるのだと。まァ音楽業界とダンス業界は、普通のビジネスとは相当違うなァ・・・というフンドシの紐を締めるに丁度イイ経験でした(笑)。いずれにしても、日本の全産業で多勢を占めると思われる大手企業を中心としたメーカーと輸出入業と卸売業と小売り業という実店舗もネット販売を含めての広い意味での「物品販売」とは違う、トランクルームと不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、自習室という大手が参入しない(出来ない、したくない)地方のニッチマーケットである「レンタル業」「仲介業」を営んでいる訳です。戦後日本経済のメインプレーヤーだった製造業が激減して、大手企業を中心にその分「人、モノ、金」の多くがサービス産業に移行してしまい、末端での物品販売の競争が年々激化しています。その意味で、ドンドン店が替わるのは不動産仲介業の仕事が永遠に無くなることはありませんし、そのような競争に巻き込まれずに済んでいると思います。という事で、「人はエンターテイメント無しでは生きていけない」という誰かの言葉どおり、人は誰しもストレス抱えて生きており、傷つき疲れた人は癒やしを求めるモノです。企業間競争で、相当数のサラリーマンが精神的に追い詰められている事が予想できますし、彼らの矛先が弊社のスタジオや卓球場に向いてくれればイイのですが・・・そういう意味で、2年前からビジネスとして取り組んでいる「音楽スタジオ」と「卓球場」は方向性として決して間違いはなかったと信じるのでした・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.19
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大リーグの大谷選手が投打で大活躍です。所謂「二刀流」で頑張っているのです・・・野球に関して言うと、高校野球くらいまではエースで4番バッターというのはよくありましたが、プロ野球では聞いたことがありませんでした。それほど、プロ野球ではピッチングにもバッティングにも両方に成績を残す事が至難の業だという事でしょう。ピッチングもバッティングもどちらも諦めない・・・どちらもガンバルという事です。殆ど100%のプロ野球の選手は、打つか投げるかのどちらかに専念しなければ生き残れないのです。どちらかに専念したとしても、殆ど100%のプロ野球選手は成績を残せず30代までに球界を去らざるを得ない非常に厳しい業界です。その後の長い人生をどうするのか・・・と「野球人」を心配したくなります。振り返って、一般ビジネスで言うと、プロ野球のように投打のどちらかに偏る「1本足打法」ではリスクがあります。宮本武蔵も二刀流で有名です。「使えるモノは全て使おう」という趣旨で、片手だけなく両手に刀を持って戦うというスタイルですが、本意は片手で太刀を遣えるようになるには訓練が必要で、そのため稽古の時には二刀をそれぞれの手に持ち、片手で振ることに慣れるようにする為の二刀流だと言われています。だとすると、空手にも通じるモノがあります。ボクシングはパンチ(手技)だけでキック(足技)ありませんが、空手にはパンチもキックもあります。実践ではキック禁止というルールはありませんので、空手は理にかなった格闘技と言えるかもしれません。正にあるモノを全部使おうという趣旨が空手です。更に沖縄空手では「取手(とりて)」という関節技があり、相手に致命傷を負わせず降参させてその場から逃げる去るというのが理想という紳士的な面も持ち合わせています。相手を怪我負わせば、自分も相手も社会的にダメージを受けますから・・・一般サラリーマンでも最近は副業OKという勤務先が増えてます。副業OKな企業はイロンナ意図が見え隠れしますが、社員にすればチャンスです。大きな顔で「二刀流」で活躍できるのですから・・・裏を返せば、副業で「自分が社外で通用するか?」という自分の本当の実力を知るチャンスです。「案外出来るじゃん・・・」と自信を付ければ転職のチャンスですし、他社はそんな有能な人材を見逃しません。「やっぱり、俺は外で通用しないなァ・・・」となれば会社にしがみつく術を磨くか、再チャレンジを目指しスキルを磨くか・・・?時間帯は別にして本業と副業をやることによって、頭と身体は2種類の仕事をするわけですから、それだけで身体の芯から活性化出来ると思うのです。私はトランクルーム、不動産屋、音楽スタジオ、卓球場、自習室と5つの仕事を一人で掛け持ちしていますが、常に頭の中が活性化して楽しいですよ・・・(笑)。5つの仕事をこなすのは、それぞれの仕事のフィールドワーク以外に、時には経理マン、ペンキ屋、大工さん、ポスティングボーイ、IT(ホームページ、ブログ、SNS更新)担当、宣伝部長、プリント(印刷)屋さんに「変身」する必要がありますが・・・(笑)。所謂、ホリエモンが最近言っている「多動力」っていう奴です。何のことはない、昔から製造現場で1つのことしか出来ない「単能工」に対し、イロイロできる「多能工」の事です。何もそれぞれのプロになる必要はサラサラ無く、直接エンドユーザー向けの仕事ですから業者からのクレームは一切ありませんので気楽ですし、多少のミスはOKです。これが「エンドユーザー直」ビジネスの大きな利点です。織物時代は正反対のプロの業者間だけの商売でしたから、どうしてもオーバースペックの品質と納期を追いかけざるをえませんでしたので、ロスの多いこと、多いこと・・・結局、繊維業界の流通が長い分、実需の何倍もの「仮需」というのを業界で作り出し、業者間でリスク分散化していたからです。業界のカラクリを知ってしまうと、冷静に自分のポジションを分析できます。これからどうすべきか?自己改革して前に進むべきか? それとも計画的に撤退すべきか?サラリーマンとて同じです。会社の実態を知ってしまえば、エリートコースを目指すか? このまま会社にしがみつくか? 転職を意識するか?織物時代は月産20万メートルの工場をパート含めて年間355日24時間エンドレス稼働していましたので、早出の工員(織布)、タイイング(つなぎ)、エンジニア(保全修理)、荷作り、ワインダー巻き、検反、営業、経理、糸と織物の受け渡し、フォークリフト作業、経て替えの下準備(サイジング、経通し)、パソコン管理、織物設計・・・と織物生産に関する全てを熟していました。私のショーモナイ自慢ですが、当時月産20万メートルの工場経営者でここまで現場に関わっている(出来る)人間は、日本で私1人くらいだろうという自負です・・・(笑)。月産10万メートルなら、いるかも知れませんが。もし、いるなら名乗り出て下さい・・・謝罪と訂正しますから(笑)。20年くらい前に主要取引先の伊藤忠の紹介で中国上海から繊維の公司の幹部が弊社工場に見学に来ましたが、実情を話すと目を白黒させて「日本には負けます・・・」とシッポを巻いて帰って行きました・・・(笑)。当時は肉体とデスクワークの比率が7:3くらいで、身体的には3,40代でも相当キツかったですが、60オーバーの私でも今の5つの仕事をしても肉体的にも精神的にも当時の10分の1くらいのプレッシャーなのでデキているのです。ある意味、49歳で織物業からトランクルームに転業したのがベストチョイスでベストタイミングだったのかと思います。今思えば、肉体的にも精神的にも織物業を続けるのは49歳が限界ギリギリだったのです。まァ、今の5つの仕事はイロンナ味が楽しめて実にオモロイです・・・(笑)。不動産以外は、大手が参入しない(できない、したくない)儲けの少ないニッチマーケットです。どれも堺市以外の泉州エリアでは、これといって強力なライバル(競合)が存在しません。というか、ライバルそのものが殆どいません・・・(笑)。弊社以外に民間では音楽スタジオは2軒、自習室はゼロです。トランクルームは「屋外型」のコンテナタイプが増えましたが、そもそも弊社のような「屋内型」とは競争になりませんし、同じ「屋内型」がライバルになる訳ですが、弊社の「日本最安値」に恐れをなして?そもそもこちらの泉州エリアに殆ど参入してきません。そうなんです・・・スタッフを雇わず人件費を掛けずに5つの仕事を兼業することによって、それぞれの「低価格戦略」が大きな武器になっているのです。唯一不動産だけが法律で決まった仲介手数料(報酬額)が決まっていますので、うちだけ安くする訳にいかないのです。大阪府全体を見ると人口だけでなく大学や大手企業が大阪市内や堺市に集中しており、各駅の乗降客数を見ても生活動線的に高石市以南の泉州エリアでビジネスをする事自体そもそも難しかったのです・・・しかし12年前まで「織物業1本」で、本当にシンドかった・・・10月から3月までの「10先、1-3」は綿織物の春夏ファッションの生産期のシーズンインでしたが、4月から9月までの「4-6,7-9」はシーズンオフです。シーズンだと黙っていてもソコソコ値段が良い注文が入りましたが、シーズンオフだと大阪本町の繊維街を駆けずり回っても値段の安い注文しか取れませんでした。廃業前10年間はダラダラと工賃相場が下がり気味で、他業界に先駆けて繊維業界のグローバル化が始まったせいで、注文そのものが海外に行ってしまったケースも多かったです。しかし、このシーズンの「高低差」が身体に悪いんですねェ・・・そこそこ高い工賃の仕事を受注できれば「俺の人生は成功や!」と喜び、何も仕事がなければ「オレの人生おしまいだ~」と嘆く・・・経営者はサラリーマンと違って孤独なモノで、ビジネス上の不平や不満、その逆も決して人に言えません。人に相談が出来なのです。一人で考え判断し、結果は全て自分で責任を取り、全て自己の中で解決しなければならないのです。それがオーナー経営者の現実です。サラリーマンの家に生まれていたらヨカッタなァ・・・と思う時もありましたが、それは自分の運命として諦めるしかないと、サラリーマンを辞めた29歳の時に腹を括りました。そもそも受注最小単位が織機1台1ヶ月なので、大きなシーズン(景気)の波は2回ですが、小さな波が12回もやってくるのです・・・毎日、毎日、来る日も、来る日も・・・明日の仕事の心配をしていたのです。銀行からの借金を背負って、不動産担保を取られるだけでなく経営者として個人の連帯保証までしていましたし、取引商社の委託生産(賃織り)でしたので、商社に対しても個人保証をしていたのです・・・日本の中小零細企業の経営者はアメリカと違って、銀行に借金があったり下請け生産なら現実問題として、ここまで経営者が追い詰められるのです。契約書に実印を押すときの手の震えは、オーナー経営者のみ味わう感覚で息子の専務には決して分りません。私が41歳の正に厄年の年に社長であった親父が亡くなり、早く経営者になってしまったお陰でイロイロ経験させてもらいました・・・(笑)。やはり親が生きているとどうしても甘えてしまうものですし、親がいなくなってその有り難みが身に染みました・・・(涙)。しかし親が早く亡くなった経験を通じて、後継者はそこからスタートしていては遅いということです。親が居る時から「自分一人でやるんだ・・・」という気概を持って実際ヤッテいなければ事業承継はズムーズにいきません。たまたま父親が病弱でしたので、小中学生から織物現場に入り大学生の頃には親父に代って現場仕事を1人前に熟すだけでなく、村や親戚の付き合いも「家の代表」として出かけていました。今思えば、イヤでイヤで仕方がありませんでしたが、「ボクがやらなしゃーない・・・」という「諦めの境地」が幼心にあったのでしょうねェ・・・夏目漱石の「則天去私」にも似た、これもある意味、運命的で親父が上手に言外で私にした帝王学だったかもしれません・・・そんな織物時代の反省として競合が多くリスクの高い「物販」ではなく、織物工場を活かした「レンタル業」であるトランクルームへの転業と同時に、無借金経営にして中間業者を排除したエンドユーザー直のビジネススタイルに大きく舵を切ったのです・・・織物は広い意味でファッション業界(他に資材織物もあり)で「衣食住」の1つですが、ネットや実店舗含め大小のメーカーや商社が入り乱れる業界で、あまりにも競争が激しすぎます。そんな物販業界に、今更零細企業が参入しても何れ潰されると・・・まァしかし、織物時代のような事をズッとやっていると、身体に悪いはずです。年間通してこんな不安定な受注ビジネススタイル1本では、身体を徐々に蝕むだけです。シーズンオフにいくら頑張っても、ダメなモノはダメなんです・・・サラリーマンでも、入社した会社でいくら頑張ってもダメなモノはダメなんです。しかし、落胆することはサラサラありません。病気になるくらいなら、キッパリと辞めればイイだけの事です。世の中には、いくらでも会社がありますし、日本は自由主義社会なので自分で起業する事もできますから・・・今は5つのビジネスをやることによって、年間それほど高低差はありません。トランクルームは年末から4月までがシーズンで、音楽スタジオは冬がシーズンで夏はシーズンオフ気味で、不動産動向は波が激しく先が全く読めません・・・自習室は11月から3月までがシーズンで、卓球場はまだ始めて半年なのでこれからです。私の趣味のウインドサーフィンは冬がシーズンオフで、夏だけシーズンなので丁度イイのです・・・(笑)。まァ、どの仕事も良い時も悪い時もあり、その時々に良い仕事に注力して悪い仕事は忘れるようにすると、心の平安が保てます・・・(笑)。誰しも生身の人間ですから、周りの環境や自分の心身のコンディションによって心が左右され、1つの事をそれほど頑張れるモノではありません・・・注意散漫、危機分散化、多角経営、ダボハゼ商法、中途半端・・・大いに結構。これが「心の平安」に繋がるのです。なので、1つより2つ、2つより3つなんですねェ・・・身体と能力の範囲内で仕事の数を1つでも増やすことが、心身のコンディションの安定化に繋がるように思うのです・・・という事で、ビジネスもプライベートも1つの事だけに固執せず囚われず、常にアンテナを広げて頭をフレッシュに保つ事が何より大事だと思うのです・・・実は年初に、トランクルーム内に「もう一つ」新しいビジネスを立ち上げる予定だったのですが、諸事情があり取り敢えず断念しました。「六刀流」はさすがに、ヤリ過ぎですよね・・・(笑)。でも、その新しいビジネスは泉州では「ライバルなし」で大手が参入しないニッチビジネスですので、タイミングを見計らってヤルかも知れませんので今温めているところです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.11
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弊社「トランクルーム貝塚」は2棟の建物を含めた計171室の一部に、空室対策として「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」を展開しています。イロイロ事業を手広くやっているように見えますが、実はトランクルームを核に、その中でチョコチョコと3つの副業をやっているだけの事です。単に、自分の器の中でヤッテいるだけの事だったのです。3つの副業はトランクルーム建物内に実際に設備を施した「実業」ですが、更に2階の事務所では自分が宅建士の資格を所持して貝塚市内の物件に特化した「不動産屋(仲介業)」も事務員を誰も雇わず1人で営んでいますが、これは何の設備も要らずボケないうちは頭だけで死ぬまで出来る素晴らしいビジネスです・・・(笑)。まァしかし、これら3つの「実業」に共通するのは、本番前の「練習場」だった事に最近気づきました。ライブハウスのイベントに出演するためのリハスタ、卓球の大会に出場するための卓球練習場、大学受験や資格試験の為の勉強部屋・・・楽器練習を家でするのは騒音の問題もあり、特にドラムの練習は家では殆ど不可能です。電子(消音)ドラムでも、マンションで練習をすると階下からクレーム(低周波振動)が来ます。卓球台も大きすぎて、なかなか家で置けませんし、コンコンと球の音も近所から苦情が出そうです。受験勉強も家ですると、テレビやパソコンや冷蔵庫などの誘惑が多すぎますし、家族が多いと気が散ってなかなか集中できないモノです。まァ今、無意識にやっていることは、実はこの本番前の「練習ビジネス」だったのです・・・(笑)。ある意味、派手で目立つ「本番ビジネス」に隠れて地味で目立たない「裏方ビジネス」とも言えるでしょう。決して表に出ないという意味で、「隠れ家ビジネス」とも言えるかもしれません・・・(笑)。イベントやキャンペーンといった派手で手間の掛かることは控え地味な「練習場」に徹し、従業員を雇わず1人で営むことによって徹底的にコストを下げた結果、スタジオは22畳で1時間1500円(高校生1000円)、卓球場は1台1時間250円(4人まで)、自習室は1日1000円(6時間500円)と、他社の半額以下の驚異的な価格が実現しました。まァ、「スタジオ」「自習室」「卓球場」と、ひとつひとつ足元を見ながら一生懸命やってきましたが、フッと上を見上げると「何や?同じような事をヤッテたんや・・・」という心境です。根本的に祖父の代からの織物工場をどう活かすべきか?・・・という元々真面目な発想が出発点ですから、名越にキャバクラを作ろうなんていう奇抜なアイデアが最初から無かった訳です・・・(笑)。ヤル(やっている)事は、すべて性格が出るんですねェ・・・そういうモンです。日々の練習という意味で、派手さは無く地味な商売で、真面目で堅いというイメージなので、私にピッタリだったのです・・・(笑)。逆に言えばビビり、小心者と言えるでしょう・・・(笑)。そして主に半径20キロ圏内から集客する地域密着型ビジネスで、主なライバルは公民館の音楽室や体育館、図書館といった「公共建物」で税金で賄っている分、客単価が異常に安く大手民間企業が参入しにくいニッチビジネスだったのです。大手企業は多くの従業員を抱えていますので、「彼らを食わしていかなければならない・・・」というのが経営者の第一ポリシーなので、目先の小さな利益より将来膨大な利益を生むような新規事業を血眼になって探しているのが彼らの姿なのです・・・彼らの目の届かない(やりたくない、出来ない)マーケットを探して、彼らにコントロールされる下請けではなく、自らエンドユーザーに直接アプローチ出来るような小さなニッチマーケットを開拓する事こそが、我々零細企業の生きていく唯一の道なのです。彼らは大勢で世界中に販売するような「大きな事」をやろうとしますから、その反対にこちらは1人で小さなエリアしか販売しない(販売できない)「小さな事」に特化すればイイ訳です。それを徹底すれば、1人で家族ぐらいは十分養っていけますし、何より一番大事な自由が手に入り人生に対する充実感が増します。何も、一生面倒を見てくれる訳でもない会社に振り回され(異動、転勤、昇進降格、リストラ、社内でしか通用しない研修や資格)、人生設計を狂わされるようなサラリーマンを何十年もヤル必要はサラサラないのです・・・不動産仲介業ではイオンや大和証券、ヤマダ電機、みずほ銀行といった大手異業種から雪崩を打って新規参入が相次ぎ、チョット分が悪そうですが、貝塚市に特化することによって彼らの弱点を補い彼らと「協業(提携)」する事によって淘汰されないように踏ん張るしかありません。まァしかし、民間のライバルが殆どいないという点でも、「スタジオ」「卓球場」「自習室」の3つは共通しています。公共の民業圧迫的なところもありますが、そこは共存共栄・・・弊社のパンフレット(フライヤー)も快く置いてくれるのです。コンビニのように好立地に出店すれば、その日から突然売り上げが出来るというモノではありませんが(逆に言えば、目の前に強力なライバルが出現すれば、客がそちらに簡単に流れてしまう)、口コミによって徐々に広がっていく地道な年数の積み上げしか経営のしようがないところに、このビジネスの魅力がありそうです・・・(笑)。言ってみれば持久戦・・・気の長い長期戦です。という事で、先月から始めた「卓球場(貝塚卓球センター)」に今一番一生懸命なって、四六時中頭の中が「卓球、卓球、卓球・・・」と不動産のオファーが来ても、どうしても手薄になってしまう自分に叱咤激励しながら毎日を過ごしていますが、年末あたりにはやっと落ち着くと思いますが、年始早々「4人目の孫」が誕生予定でまたバタバタしそうです・・・(笑)。この4人目の孫もまた女の子みたいです。五体満足な孫が生まれてくる事を、ただ祈るばかりです・・・(涙)。自分が腹を痛めて生んだ訳ではありませんが、それにしても、孫4人+子供3人=7人(全員おんな)ジージはウレシイ・・・(笑)。しかし考えてみれば、長かった織物業も同じ繊維業界の派手なアパレルファッションに隠れて地味なものだったというのと、今の練習場ビジネスとよく似ています・・・(笑)。糸から布を織る織物業が無ければアパレルファッションが成り立たないのと同じように、我々リハーサル音楽スタジオが無ければミュージシャンは困ります。織物業の最大のコストである日本の人件費と電気代が壁になって廃業してしまいましたが、リハスタは本業ではなく副業で1人で全てやれば難なくこの問題をクリアできるでしょう・・・そうやってリハスタ経営を地道に継続できれば、ある意味泉州エリアの「音楽インフラ」に多少なりとも貢献できるという私のミッションが叶えられるかもしれません・・・(涙)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2017.12.02
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本日9月3日が、20年前に亡くなった父親の命日です。早くも20年も経ったのか・・・というのが実感です。ちょうど私が41歳の厄年に、父親が亡くなったのです・・・長年心臓病を患っていましたので、突然の心不全でした。ちょうど昼御飯を食べて、自宅の居間でエアコンを掛けながら昼寝をしていたようで、苦しむことなく正に眠るように亡くなっていました・・・時間が経つにつれ、微かに笑っているようにも見えました・・・正に、理想的な最期です。孫達に葬儀まで囲まれ頬をスリスリされて、本当に幸せだったろうと思います・・・この日の事を、昨日の事のように思い出します・・・(涙)。しかし、私にとって父の死が会社を存続させるという「突然の事業承継」です。父親が代表取締役で、長男の私は既に嫁いでいる妹と2人兄妹でしたし、実際私がサラリーマン経験を経て29歳で家業の織物工場に戻っていたのです。父親が亡くなったという悲しみは後回しにして、先ず会社をスムーズに引き継がなくてはなりません。メインバンクの担当課員に最初に言われたのは「小切手の代表者印の有効期限は2週間ですから、それまでに変えてください・・・」でした。何とも、現実的な話をする奴やな・・・と心の中で思いましたが、確かに彼の言うことは的を射ていると。そして泣くのは後にして、葬儀の段取りと並行で税理士と銀行との打ち合わせに奔走したのでした・・・突然襲ったアクシデントに「これが夢か?幻か?現実なのか?・・・」と混迷と混乱が渦巻く頭を引き摺りながら、目の前にある課題をひとつひとつ片付けていくしかなかったのでした・・・しかし窮地に陥っているのに、案外冷静な自分がいる・・・20代の時にウインドサーフィンで遭難して死にかけた時もそうでした・・・客観的にみると大変な事になっているのに、「この間契約した分の糸、今日の午後から入荷するはずやけど止めとこ・・・」「海で溺れ死ぬ時は、みんなこうなんだろうなァ・・・」と驚くほど冷静沈着でした。なんなんでしょう・・・これは?則天去私・・・諦観の境地か。葬式を終えて直ぐに駆けつけたのが、ビジネスで一番重要な銀行と商社です。当たり前の事ですが、自分が新しい代表取締役になる趣旨を伝え、これまでと全く変わりは無い取引をお願いしに行きました。所謂、先制パンチです。銀行や商社が一番心配しているのはココなのです。次の代表は「シッカリしているか?」・・・彼らの関心はこの一点に尽きます。しかし、既に次の代表を数年前から彼らは観察していますので、今更ジタバタしても遅いのですが・・・中小零細企業の「代替わり」の失敗でコケルところが多いのは、彼らは熟知しています・・・銀行や商社が痺れを切らして「どうなっているのか?」と向こうから問い合わせが来るようでは遅すぎます。相手から言われる前にこちらから「私がやりまっせ!」と意思表示することが何より大事なのです。空手で言う「後の先」です。親父が亡くなった時点で、もう勝負が始まっていたのです・・・・ゴチャゴチャ悩んでいる暇もなかったのです。唯一のビジネス上のアドバイザーであった親父がいなくなったので、これまで41年間生きてきた経験と勘を頼りに前に進むしかありませんでした。まァしかし突然の事でしたが、ちょうど3人の子供が小学生から中学生で、これから1番お金の掛る時期で、バブル崩壊後少し景気が悪くなりかけの頃でしたが、これから来シーズンに向けての繁忙期に入るところでしたので、仕事の事業承継という意味で、まだラッキーだったと言えるでしょう。ただ、当時は現場と営業しかやっていませんでしたので、会社で最も大事な経理のことはサッパリでした・・・その経理で悪戦苦闘したのは言うまでもありませんでした・・・40超えて人生初の事は壁が高すぎますが、でも当時の心境は「やるっきゃない!」です。経理を自分がやらなければ、会社が成り立たないのです。現場と営業は、これから始まる「10先、イチサン」というシーズンインですので、苦労はそれほどなく、とにかく毎日経理に没頭できたのが幸いでした・・・(涙)。会社の財務状況を把握し、税理士に渡す金銭出納帳と銀行帳を記帳する事がメインの仕事です。これを何とか乗り越えた事が、大きな自信に繋がりました。年取ってから、全く畑違い事をヤル・・・このプレッシャーに打ち勝つ経験を積めば、あとは何でも楽に見えます・・・その後、ウインドウズ95が発売されて直ぐに織物管理と請求書にパソコンを導入するのも割と簡単でした。織物業とパソコン・・・殆ど無関係の業界でしたが、導入することによって月産20万メートルの「製造現場」「営業」「受け渡し(糸と織物)」の3役を一人でこなしながら、全体の会社経営をするのは必須のアイテムでした。これによって、私の仕事が格段と効率がアップしたのは言うまでもありません。その後仕事的には、100%取引だった大手総合商社とはグローバル化で縁が徐々に切れ、専門商社へと新規開拓でシフトせざるを得なかった事が大きな転換期でした。その時に救ってくれたのが、20代のサラリーマン時代に磨いた営業力でした・・・サラリーマンの経験がなければ、ココで潰れていたかもしれません・・・まァ、この難局を乗り越えてきたことが、大きな自信に繋がったのだろうと思います。大手に「おんぶにだっこ」の少品種大量生産は変わりゆくグローバル化したビジネスシーンとはかけ離れ過ぎて、専門商社の多品種少量生産スタイルが目を覚まさせてくれました・・・という事で、今から思えば20年なんて、アッと言う間でした。小中学生だった3人娘は、既にみんな結婚して子供まで出来ました。2人の孫娘は2歳・・・来年早々までにあと2人生まれます。どうやら2人とも女の子らしく、来年早々には4人孫娘のオジイチャンです・・・(笑)。孫4人とも女の子。可愛いじゃないですか・・・(笑)。子供も孫も7人全員女子。これ以上心強い事はありません・・・(涙)。女は男と違って、親想いですから・・・まだ娘達も30前後ですので、まだ子供が出来る可能性があります・・・ねェ。親父は9人兄妹で、男4人とも全員20年前には既に亡くなっていましたが、叔母さん5人のうち1人先日亡くなりましたが、残り4人は健在です。やはり、父方は女系か・・・(笑)。父親はここまで想像しなかったでしょう・・・(笑)。残念ながら家業の織物業は継続する事は出来ず、父親が亡くなってから9年後に廃業してしまいました・・・(涙)。これだけは、本当に心残りです。いくら悔やんでも仕方がありませんので、「次のステップ」で頑張っているところを、ご先祖さんに天国から見てもらう事が自分に課せられた使命だと肝に銘じたのでした。「次のステップ」としてトランクルーム賃貸業に転業して割と順調に推移してきたのも、今から思えばご先祖さんが守ってくれたのかと思うのです・・・何故なら、トランクルーム所在地は私の本籍地でもあり、150年前の江戸時代末期に曾祖父が2軒隣りの「本家」から「分家」した場所で、祖父も父もココで生まれたからです・・・そして、これからの20年はどんな人生を歩んでいくのだろうか・・・?波乱ではなく、もうユッタリとした6,70代を送りたいものです・・・4人の孫娘達は、キレイなお嬢さんに成長しているでしょうか・・・?私も生きていれば81歳です。どんなジーサンになっているか・・・?1年の半分(夏と冬)はハワイで過ごし、アメリカの宅建を取って貝塚不動産.comワイキキ支店をコンドミニアムに置き日本人向けのコンドミニアムの売買仲介をしながら、朝は現地の人達にボランティアで空手を教え、昼はサーフィンやSUP、夜はライブハウスでドラムを叩いている・・・空手の黒帯(ブラックベルト)を持っているというだけで、外国人から無条件に尊敬の眼差しで見られ、話がパーッと広がります。この恩恵は計り知れず・・・よく35年ぶりに空手を再開したものだと・・・日本で医者や弁護士をやっていると言っても何も驚かれませんが、ブラックベルトだというだけで相手の顔色が変わるのです・・・という事は、医者や弁護士で空手黒帯というのは、外人にモテモテということです・・・(笑)。外国の何処へ行っても、想像以上のこのKARATE効果は何・・・?と自分でも驚嘆します・・・世界中で空手より人気で既にオリンピック種目でもあるテコンドー(韓国の国技)も、ニュージーランドのレスミルズ社が世界中に発信しているスポーツクラブのスタジオプログラム「ボディコンバット」もルーツは日本の空手(松濤館流)です。柔道や剣道と話にならないくらい、外国での空手人気は凄いです。次期2020年東京オリンピックに採用されるはずだと。しかしハワイのロングステイで、ただ遊ぶだけでは勿体な過ぎます。ハワイで遊びながら仕事をする事によって、地元スーパーで食材を買ってコンドのキッチンで料理してもハワイの滞在費用が高く(全米平均の40%高)、その少しでも足しになれば・・・と。そして、日本人にとって法的に非常に複雑なワイキキのコンド事情に、何か介在できそうな気がします・・・去年ワイキキで知り合ったシアトルの不動産屋は、ハワイで休暇を取りながら現地でビジネスに精を出していました。これがヒントになったのです・・・失敗しても、英語が多少身に付けばヨシとしましょう・・・(笑)。その英語力で、まだ誰も殆どやっていないこれから増加するとみられる外国人向けの泉州での不動産仲介を・・・日本ではビジネスの第一線を退いていますがライブハウスを兼ねたスタジオ3室とダンススタジオ(兼空手道場)1室に増え、朝は仕事やドラムの練習をし、昼はボランティアで空手を教え風が吹いたらウインドサーフィン、夜はバンドのドラマーとして同年代らがいる老人ホームを慰問で回ってディープ・パープルやアース・ウインド&ファイヤーを演って彼らを元気づけている・・・なんて。今日の妄想は飛びすぎ・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2017.09.03
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安倍首相とトランプ大統領との首脳会談の日に放映された読売テレビ「かんさい情報ネットten.」に出演しましたが、反響が思いの外多かった事に驚きました・・・反響というのは「かつては泉州の繊維産業が隆盛を極めていましたが(昭和40年代まで)、何故衰退してしまった(97%減)のか理由が解った・・・」というものです。小中学校の頃はどこへ遊びに行っても、「ガチャガチャ」と織機の音がしていたものです・・・町内に11軒、隣村には20軒も織屋さんがありました。小学校の時に、家が織物関係の仕事をしている人は農業との兼業も含めて半数くらいは手を挙げたものです・・・それが、ほとんどゼロになってしまったのですから、時代の流れというのは残酷です。※大阪泉州地区の南半分の貝塚市から岬町まで、大阪南部織物組合員数が昭和40年代前半680社あったのが、現在20社と97%も減ってしまいました(岸和田市以北の泉州織物組合や泉佐野市のタオル組合や泉大津市の毛布組合は別として)。1970年代前半にアメリカのニクソン大統領と日本の佐藤首相との日米繊維交渉で「糸を売って、縄を買った(日本の繊維製品のアメリカへの輸出を自主規制する代わりに、沖縄の返還が実現)」というのは元織物業の当事者間ではあまりにも有名な話でしたが、一般の人には殆ど知られなかったというのが解りました・・・繊維に関わる人間にとって生死に関わる事ですが、関係なければ殆ど無関心という事なのでしょう・・・繊維と一口に言っても、自動車産業と同じように裾野が広いですから、日本で2番目の大阪経済に与えた影響は計り知れません・・・当時私は高校生でしたが、滅多に見ない新聞を食い入るように読み、親父から「明日から風呂は2日に1回や・・・」「ジーパンの洗濯は月に1回洗え・・・」といった具体的な節約命令が出て、この先どうなるのやらと不安で仕方ありませんでした・・・のんびりとオケ部でトランペットを吹いている場合ではないと・・・当時織機の半分は西ドイツ向けの幅広50番手ポリエステルスパンの平織物を、残り半分はオッパ物(定番綿織物)を織っていましたが、オッパ物を織りの難易度が高い和布団生地の40番手サテン(朱子織り)に早々と転換しました。この変わり身の早さに、高校生ながら驚いたものです・・・当時織物なんて、年がら年中同じ織物を織り続けるのが常識でした。実は同じ原料(糸)を使う事による、業界特有の「ウマ味」があったのでした・・・日本の繊維業界のビジネスの本場である大阪本町に近く、繊維に強い伊藤忠や丸紅、紡績の本社もここに集中していましたので、泉州の織物業者は商売で苦労する事は少なかったのです・・・「地元の利」と言えばそうですが、苦労なく楽して長年商売をした結果、これが仇になったんですねェ・・・まァ、そんな環境で「品種替え」するなんて、大阪の常識では考えられませんでした・・・子供にとって、「何か(事件が?)あったんか?」と不安になるのも仕方ないでしょう・・・日米繊維交渉があってから数年の間は、近隣の同業者の廃業が相次ぎましたが、うちは朱子織り(サテン)という少し高級織物を織っていましたので、商社の注文が途切れることなく24時間操業していました。当時1台25万円くらいで政府の「織機の買い上げ」をしてくれましたので(補助金として)、簡単な平織しか出来ない同業者はその制度に手を挙げ廃業が相次ぎました・・・これが、これまで通りの定番しか織っていなかったら、弊社も廃業に早々と手を挙げていた事でしょう・・・親父の「何としても、織屋で生き残ってやるぞ・・・」という執念みたいなものが、高校生であった私にもヒシヒシと伝わってきた事を昨日の事のように思い出します・・・(涙)。「本当の苦境に陥いる前に、何とか知恵を絞りだす(逃げ道を見出す)・・・」というのを親父の背中が物語っていました・・・苦境に陥ってからでは遅いのだと・・・これが後々、バブルの1年前に旧シャットル式織機から新エアージェット織機への設備更新や、リーマンショックの2年前にトランクルームへの転業(織物業の廃業)に繋がっていったのでしょう・・・まだプラザ合意の影響で円高不況だったバブルの1年前(1987年)に設備更新する事によってバブル以降の2,30%安く設備機械が買えましたし(ウン千万円のコスト削減)、北京オリンピックとリーマンショックの2年前(2006年)に廃業しましたので、中古織機や鉄クズ関連が結構イイ値で飛ぶように売れましたのでトランクルームへの転業も割とスムーズにいったのです・・・1年違いで天国と地獄・・・正に、タイミング・・・1年後の1988年からのバブル期以降に織機を買えば高く買わされ、2008年以降に中古織機を売却しようにも安すぎて売り値が付きません。私は株はしませんが、正に安く買って高く売るという株の売買の原理と同じです・・・照れ屋な親父からこの「人生はタイミングがすべて・・・」というのを言外に教わりました。という事で、取材に来られたten.の山川デスクの鋭い嗅覚に恐れ入りました・・・報道デスクというのは、医者と同じように毎日毎日大変な仕事のプレッシャーに耐えながら頑張っているのだなァ・・・と感心しました。私が今ヤッテいるトランクルームや不動産やスタジオといった仕事なんて、大したコトないなァ・・・もっともっと頑張れる余地があるのだと感じた次第です・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2017.03.29
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最近、年取ったのか、昔の事ばっかり考えます・・・(笑)。過去は変えられませんし、その反省をしているのか・・・(笑)。私の過去30年の仕事遍歴を振り返ると、1.織物工場の設備一新(工場の新設とシャットル織機から最新式エアージェット織機へ更新)→ 30歳2.トランクルームへ転業 → 49歳3.不動産仲介業の兼業 → 51歳4.リハーサル音楽スタジオに新規参入 → 59歳この4つをやってきた訳ですが、いずれもヤル前は「どうなるか(右に転ぶか、左に転ぶか)、全く分からない?」というのが正直なところでした・・・もちろん事前の準備や計画には万全を期し、100%自信満々で臨む訳ですが、コトはそう簡単に進むはずもありません・・・20年前に社長だった父親が急死しましたが、まだ織物業の景気がマシだったことも幸いしました。当時から営業も現場も私主導で会社をコントロールしていましたが、いざ亡くなってみると、これほど心細いものかと・・・(涙)。しかし家族と従業員を守るために、気力を振り絞り目の前のやるべき事を一つ一つ片づけていくしかなかったのでした・・・しかし、ヤッテみてイロンナ事が徐々にワカッテきて、毎日カイゼンカイゼンの連続で、日々を乗り切ってきたというが実感でした・・・振り返ってみて、新しい分野に飛び込むには勇気が要りますが、「思い切って、ヤッテ良かった・・・」と思います・・・しかし、先ず30歳で決断した1の織物機械(織機)の更新で失敗すれば、2も3も4も無かったのは言うまでもありません。これらは1という土台があったからこそ出来たのであって、先ずエアージェット織機の経験ありきだったのです・・・その1は、私の人生の中で1番の「大勝負」でした・・・文字通り何億も設備投資し、生死を賭けた戦いでした。正に、人生のターニングポイントです。やはりビジネスで成功を狙うには、リスクが必ず伴うものです・・・その1のエアージェット織機も、その2年前の「中古シャットル織機」の更新に失敗したのが原点でした。4年間のサラリーマン人生に別れを告げて家業の織物業に戻ってきて初めて手掛けたのが「織機半分の入れ替え」でした。60台あったシャットル織機の半分の30台を、これまた中古のシャットル織機に入れ替えたのです。当時はまだ、最新のエアージェット織機でも未完成で、導入するのは時期尚早と判断して、シャットル織機の中でも「ユニフル式自動織機」という弊社にあった力織機よりも回転が速く効率の良い織機を「とりあえず」導入したのでした。ただ、元が中古織機なので何処かを新品の部品に入れ替えて、ウマく動かないのです・・・元遠州織機のエンジニアだった人の浜松の家で1週間籠って、朝から晩までユニフルの分解組み立て作業に没頭し必死に修理技術を覚えました。その甲斐あって、ユニフル修理だけでなくその下のマガジンの修理も自分でデキるようになりました。しかし、所詮中古です。どう足掻いても、新品にはならないのです。中古の機械をいじくりまわして、やっと気が付いたのです・・・正に、「安物買いの銭失い」という諺を文字通り身を削って実感しました・・・「ヤルなら、思い切って!」というのを心の底から身に染みて感じましたので、その後の織機更新でも新工場まで建設したり、自宅の新築にも至ったのでした・・・ヒトそれぞれの考え方や人生観や感性なんて、学校で学ぶ通り一遍の勉強や読書だけで固まるのではなく、こういったひとつひとつの経験の積み重ねによって徐々に築き上げられていくのでしょうねェ・・・まァ、中古機械と言えど、工場を多少改造し30台も買っていましたので、このまま辞めれば損です。エアージェット織機を導入てからも2年間同時並行で稼働させ、たまたまそこそこの値段で売却先が決まりヤレヤレという感じでした・・・(冷汗)。しかし、結局トータルで30台の中古織機導入を計算すると赤字でした。まァ、高い授業料でしたが、織機の基本技術を覚え、次のエアージェット織機技術を覚えるベースになったのかと思うと、結果オーライです。中古織機導入は確かに失敗でした。しかし、それで学んだ事が次のステップに役だったのです・・・「失敗は成功の元」という事ですかねェ・・・この中古シャットル織機の技術を覚えるのに、たまたま偶然にも素晴らしい出会いがありました。近くの鉄工所で隣村の「織機の神様」と言われる方と偶然出会ったのです。それが縁で、懇切丁寧にイロイロとノウハウを教えて頂いたのが技術的に一皮むけたように思います。「隣村」という縁だけでこのような展開になったのです。「テルちゃん(父親)の息子か・・・」「惣助はん(祖父)の孫かいな・・・」というだけで、親しみを感じてくれたのです・・・もちろん先祖を辿れば、隣村ですから先祖同士が親戚や友人だった事に繋がっていくでしょう・・・私は何もしていませんが、先祖のお蔭でこのような出会いに繋がったのかと考えると、先祖に感謝以外ありません・・・(涙)。という事で、1から4までのストーリーも、結局その前の「失敗ストーリー」という基礎があったから成り立ったストーリーだったのです。当り前の事ですが、人生というのは、結局ずっと繋がっているんですねェ・・・今ある自分は、結局「過去の積み重ねの結果」です・・・学歴、血縁、地縁、運動歴、思想、病歴、恋愛歴、失恋、出会い、別れ、家出、旅行歴、音楽歴、成功、失敗、挫折、起業、廃業、結婚、離婚、未婚、出産、就職、離職、リストラ、転勤、転職、転業、倒産・・・・・・「人生の集大成」が、もう60にもなると顔に現れます。自分でもビックリしますが、もう60年も生きてきています・・・(笑)。もう当たり前すぎて、ついつい見落とし(忘れ)がちですが、自分がこのブログを書く事によって自戒しているのかも・・・(笑)。この間生まれてきた孫から見れば、もう立派な「おじいちゃん」ですが、80歳の老人から見れば「まだまだ若いなァ・・・」です。事実は1つ、考え方は2つです・・・どう捉えるかは、自分の自由です・・・いずれにしろ経営が安定している大企業と違って、零細企業の経営は不安定ですので、常に何かを提案しカイゼンしていかなければ経営が成り立ちません・・・止まったら、オワリを意味します。見方を変えれば(イイようにポジティブに考えれば)、零細企業経営は波乱万丈でエキサイティングな人生を送れるという事か・・・(笑)。なんてことを考えながら、この1年前にスタートしたスタジオ経営に特に力を入れて頑張ってきた訳ですが、ヤッテみてイロイロ分かってきた事が多いです。ヤリながら、スタジオ全般の動向を見ながら、修正修正の連続・・・とでも言うのでしょうか・・・会員数350人を超え、音楽(バンド、個人)の利用が90%です。残り10%がダンス等です。当初からドラムの個人練習が多かったのですが、このところバンド練習が増えてきています。やはり、スタジオ経営は客単価の高いバンド練習が入ってナンボですから、この傾向はイイですねェ・・・この調子で会員数が1000人に増えてリピーターも多くなれば、ドラムとダンスの個人練習の予約が取りにくくなるでしょう・・・そうなってくると、「Bスタジオ構想」が浮上してしてくるのです・・・もうここまで来たら、決して急がず、焦らず・・・スタジオ経営は所詮「水商売」なので不安定で、設備投資金額(防音&防振)の割に客単価が低いので決して儲かるものではありません。スタジオに客が溢れだしてから行動に移しても遅くはないでしょう・・・まァ、ボチボチ足元を固めながら確実に歩んでいこうと・・・今日の最後の妄想はココまで・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2017.03.28
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11月末で、リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」をオープンして9ヶ月経ちました。無我夢中の9ヶ月でしたが、何でも、過ぎれば早いものです・・・スタジオは会員制ですが、すでに250人を超えました。スタジオを始めてから、色々とワカッテきたことがありました・・・当初予想していた事が外れたり、想定外のオファーが飛び込んで来たり、新しい事を始めるというのは「怖い事」と同じくらい「楽しい事」があるというのは、ヤッテみた本人しか分からないモノです・・・それは、他人が考えたアイデアに乗るフランチャイズや代理店といったビジネススタイルと全く次元の違う話で、それがビジネスセンスの蓄積にもなり、本当のノウハウに繋がっていくのでしょう・・・時代は変わっても、苦労しなければ何も身に付かないのは同じだと思います。ただ今はネット社会なので、デジタル的な手段を駆使しながら、アナログ的な実際の苦労と言った方がイイかもしれません・・・デジタル100%では底が浅すぎ、アナログ100%では時代錯誤というべきか?経費で最も高い人件費とデジタルへの投資金額も絡んでくると、それは人材も資金も少ない中小零細企業にとって頭の痛い話で、その辺のバランスをどう取るかで勝負が決まると思います。ふた昔のように、経営者の傍らに番頭がいて自分が何も知らなくても彼に任せておけばOK・・・というのは過去の話で、既にアナログテクニックを十分持っている経営者自身が「デジタル武装」しなければならない時代に既に入っています。そういう意味で、ウインドウズ95が発売された21年前からパソコンに馴染み、携帯電話も25年くらい前の初期の頃から「転送電話」を利用して使っていたのが、デジタルを「徐々に親しむ」という意味で効果があったのでしょう・・・普通の人間なら、何でも「急に」とか「いきなり」というのは無理だと思います。必ず「助走」が要るのです。助走期間が短いか長いかは個人差に寄りますが、私はチョッと鈍いので人より時間が余計に掛ったのです・・・(笑)。頭の回転が少し鈍い分、人より先にスタートする必要がありますので、嗅覚の方が人より発達していたかも・・・(笑)。10年前に織物業を廃業してから、織物業とは全く違う世界の仕事を1人で「トランクルーム」「不動産屋」「スタジオ」と、3つ新しい仕事をひとつひとつ徐々に始めてきた訳ですが、ステップバイステップ、ジワジワと新しい仕事を覚えて行きました・・・まだまだ新しい業界であるトランクルームやスタジオは全く自己流、歴史の古い業界である不動産屋は全くの一から宅建資格勉強から始め、たまたま「良き先輩」に巡り合い、実践を兼ねて彼らとの付き合いの中で色々と教わり学びながら不動産の仕事を8年間やってきました・・・要するにトランクルームは10年、不動産は8年、スタジオは9ヶ月続けてきました。従業員を一切雇わず全てひとりで熟してきましたので、ボチボチしか進める事が出来ませんでした。しかし、このボチボチがイイのだと思います。一挙に儲ければ、何が何だか分かりません・・・何で急に儲かったのか?何が好結果をもたらしたのか?・・・その「本当の原因」が分からぬまま浮かれて放って置けば、ある日突然売り上げが急落します。時代に流されず自分なりにシッカリ分析をしないと、トンデモナイ結果が起こり得ます。そんな事を30年前の織物時代に経験しました。その時代の「流れと勢い」で、余り状況分析もしないで設備織物機械(織機)を更新したのです(古いシャットル織機を最新のエアージェット織機に全て入れ替え)。更新当初は業績も良かったのですが、バブルも弾け国内の同業者同士の競争が激しくなり、勝ち残っても輸出先で後進国との戦いで大苦戦しました・・・20年間355日24時間工場稼働で身を粉にして働いても、その間の国内外の競争で疲弊し、グローバル化に翻弄され、結果廃業せざるを得なくなったのです・・・(涙)。代償が高くつきましたが、それでイロイロ勉強させてもらいました。更新をせずに、そのままシャットル織機で織物業を続けていたら傷も浅かったでしょうが、得るものも少なかったでしょう・・・身の丈以上の何億もの設備更新に大きく舵を取ったからこそ、得るモノも大きかったと思いますが、同じように更新に大きく舵を取った多くの同業者には倒産が相次いだのも残念ながら厳しい現実です。たまたま弊社は、他社より1年早かっただけで生き残れただけです。言うなれば、鼻の先だけスタートを早く切っただけです。スタートしたのがバブル前年の円高不況の1987年で、多くの他社はバブルに入ってから雪崩を打って設備更新に走って行ったのです・・・その結果約10年後に負債総額が約300億と、貝塚市史上最悪の倒産も同業者だったのです。エアージェット織機1台が1000万円と言われていましたし、銀行が青天井に貸してくれるバブル時代でしたから、そんなにも金額が膨らんだんでしょう・・・「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という日本人の群集心理を突いた誰かのフレーズがありましたが、正に泉州地区の多くの織屋がバブルという大きな波に乗り設備更新に走ってしまった結果、大変な事になってしまったのです・・・この20代後半から40代後半の経験が、私の経営(生きる考え方)の根本になっています。零細企業経営者にとって「仕事=人生」ですから、仕事上の経験がすべてです・・・仕事が上手くいかなかったなら、すべてアウトです。気分転換も休日も、趣味も遊びもヘッタクレも何もないのです。これが、零細企業経営者の厳しい現実なのです・・・起業して10年で95%が倒産廃業しているというデータがそれを如実に物語っています・・・100%仕事、仕事といっても、ずば抜けた体力と精神力がなければ身体がとても持ちません。ならば、私みたいな普通の人間はどうするか?力を抜くのです。最初は100%力を出しますが、やっていくうちに「長く続けるコツ」を掴んで、力を上手に抜くのです・・・だんじりの大太鼓の1番早い4番太鼓(駆け足)を叩くのに、相当なパワーとスタミナが要ります。100%の力で叩けば1分持ちません。しかし身体の使い方のコツを掴めば、長く叩けるのです。90%で5分、80%で60分、70%で120分もつでしょうか・・・?大学時代の空手部の基本稽古でも、例えば正拳突き100本といっても、100%目一杯力を入れて突けるものではありません。インパクトの瞬間だけ力を込めて突くのです。そうしないとスピードが出ませんし、拳が走らないのです。そういったコツを掴めるのも、毎日基本の1アイテムだけで100本突くからこそ掴めるのです。それと同じように、仕事でも先ず「覚悟」を決めて、100%全身全霊努力するうちに長く続けるために、自分なりに段々力を抜いて行くものです・・・それこそ、正にコツを掴もうとしている健全で自然な姿だろうと思います。決して、無理をしてはいけません。110%の目標を掲げて努力するのはイイですが、110%の力を出せば壊れてしまいます。実際、20年間355日24時間工場操業をしていましたが、もちろん実際24時間仕事していた訳ではありませんが、感覚としては70~80%くらいの力を出していたような気がします。サラリーマンと違って、会社に借金があれば金融機関に対して零細企業経営者は個人保証をするのが普通で、この責任の重さは尋常ではありませんから・・・大手企業のサラリーマン社長は会社が倒産しても個人財産が減る心配もありませんし謝っただけで済みますが、零細企業は個人の自己破産は当たり前で、離婚で一家離散や自殺は普通にあります。サラリーマンは本質的に気楽な稼業というのは、そういうところからだと思います。そんな鼻血も出ない過酷な零細企業の仕事だからこそ、成功すれば大きな自信に繋がり、生きている実感と充実感に浸れるのです・・・言うなれば、公務員はローリスク・ハイリターン、民間サラリーマンはローリスク・ローリターン、中小零細企業経営者はハイリスク・ロー(ミドル)リターンか・・・仕事のヤリガイだけが、ダントツにオーナー企業にあるのか・・・(笑)。話がだいぶ横道にそれましたが、トランクルームも不動産もスタジオも「ネット集客が基本」だからこそ、1人で出来るのだと思います。基本というより、ほぼ100%ネットに頼っていると言えるかもしれません。それほど今はネット社会で、零細企業にとってネットさまさまなのです・・・(涙)。10年前のトランクルーム起業からホームページ(ウエブサイト)とブログを中心にネット集客に力を入れてきましたが、ここ2,3年は更にフェイスブックやツイッターやLINEといったSNSにも力を入れています。ホームページが4つ、ブログが1つ、フェイスブックが5つ、ツイッターが1つ・・・これらの管理と更新を1人で片手間にやっています。普通の人間がITをチョッと勉強すれば、これらを1人で出来るのです。正に、デジタル社会の恩恵を受けているのです・・・(涙)。若者はIT能力が高いですが、人生経験や社会経験が浅いのがウイークポイントです。シニアは経験豊富ですがIT能力が低いので、ITの勉強すれば若者に勝ち目があります。ソコなんです・・・ベンチャーや何やかやと、20代30代の若者がもてはやされていますが、実際独立起業で成功しているのは50代以上のシニア層の方が多いようです・・・やはり、ポイント中の「ポイントはコンテンツ」なんだという証拠でしょう・・・9つも資格を取りましたが、残念ながら独占業務で国家資格である「宅地建物取引士(宅建)」以外は殆ど収益に結びついていません。資格は必要最小限で十分。今更ながら、受験勉強に費やした膨大な時間を悔いても仕方ないですが、何故もっと実務経験の蓄積の重要性に気付かなかったと残念でなりません・・・(涙)。資格業界に翻弄され踊らされ、いつの間にか本末転倒の資格取得が目的になってしまっている・・・そんな自分に酔っているバカさ加減は他人から見たらアホそのものです・・・(笑)。そんな回り道を反省しながら、コンテンツの充実に励み、日々進化するITの勉強を怠らず、3つのビジネスをより深く掘り下げ、自分の掲げた目標に向かってボチボチ歩みたいと思います・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2016.12.02
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リフォーム工事の仕事を通じて、色んな職人さんとのお付き合いがあります・・・大工さん、クロス屋さん、水道屋さん、左官屋さん、タイル屋さん、植木屋さん、塗装屋さん、エクステリア屋さん、電気屋さん、保温屋さん・・・その中で、儲かっているというか、長く商売をされている職人さんに共通したところがあります・・・それは本業だけでなく、周辺の事もソコソコ出来る腕を持っているという事です・・・例えば、大工さんにチョットしたリフォームを頼んだ場合、チョッとセメントやペンキを塗る、チョッと建物を解体する、チョッと図面を引く、チョッと電気配線をする・・・なんていう場合が結構あるのです・・・そんな場合、いちいち本職の職人さんを呼べば、コストがべら棒に高くつきます・・・そこで、大工さんがある程度そういった事も出来れば、自分独りで済ませるのです・・・もちろん、それなりの資格が必要な場合もありますので、勉強や資格取得は当然の事です・・・5年や10年ではナカナカできない芸当ですが、生き残っている職人さんは大なり小なりそういった「戦略」をお持ちですねェ・・・そうなれば、強いもんです・・・キャリアの長さに関係ありそうですが、どうも年齢に関係ないようです・・・要は、意欲の問題です・・・若くても意欲があれば腕を持っているし、ベテランでも意欲がなければ腕はありません・・・というか、腕の有る無しが、仕事の有る無しです・・・振り返って、不動産仲介の仕事に於いても、単なる不動産の売買や賃貸の仲介だけなら、代わりはいくらでもいます・・・売買仲介は大手系が牛耳っていますし、賃貸マンションも大手が自社で仲介や管理を一環で行っていますので、私達零細企業の出番が自ずと少なくなってきます・・・よく言われるように、零細企業の生き残る道は「大手の隙間」しかない訳です・・・そこで、よくデキる職人さんのように、単なる仲介だけでなく、相続や土地活用などのコンサルティング的な事もより深く出来るようになればと思うのです・・・所謂、ワンストップサービスです・・・弊社に来られれば、ある程度の相談が出来て、法律的な制限でより専門的な事になれば、弊社と提携している士業(弁護士、司法書士、社労士、税理士)と一緒になって問題に取り組むという体制です・・・既に5年前から頑張っていますが、まだ道半ばです・・・もうここまで来たら、死ぬまで不動産屋を現役で頑張る「覚悟」がデキています・・・10年、20年かけて「ワンストップサービス」という目標に一歩でも近づけて行きたいと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.05.22
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長かった織物時代の反省点として、「リスクの分散」というのがあります・・・どんな経験でも、何処かに反省点が見つかるはずです・・・それを素通りするか、チョッと立ち止まって考えるか・・・2つに1つです・・・私は49歳の時に転業するにあたって、織物時代の受注先を1社だけに頼った「委託生産」のような事は絶対にやるまいと、心に誓っていました・・・普通に考えれば、おかしな話です・・・社運を他社に預けるなんて・・・約60年間の織物時代の後半を除いて殆どが、商社の委託生産でした・・・委託生産と言えば聞こえはイイですが、要するに「賃織り」と称する完全な下請けだったのです・・・ ビジネスに当たり前の「駆け引き」をする余地は殆どなく、取引相手の言いなりです・・・ ある意味、一蓮托生的な営業でしたので、営業的な部分は楽な事は楽で、製造に集中できた事はヨカッタと思いますが・・・ しかし戦後、高度成長期、オイルショック、バブル・・・まではヨカッタですが、その後日本を含めてグローバル化で、世の中が激変しました・・・ そして、およそ40数年続いた委託生産からの撤退を、得意先から告げられたのです・・・既に営業と現場を私一人で握っていましたので、この事を病弱な親父に報告しても解決策はないと諦め、兎に角この難局を誰にも言わず、独りで何としても越さねばという思いだけでした・・・ そして、次の日から「新規開拓」を始めて行ったのでした・・・ この時ほど「1社依存」のハイリスクの恐ろしさが身に染みた事はありませんでしたし、仕事だけでなく人生においても「リスク分散の重要性」を改めて感じました・・・ まァ、新規開拓と言っても、たまたま4年間の建築金物メーカーのサラリーマン時代に、イヤというほど飛び込み営業の経験を積んでいましたので、割とスムーズにいきましたねェ・・・ これが、サラリーマンの経験がなかったり、織物現場ばかりで織物営業の経験がなかったら、ジ・エンドでした・・・ そして努力の甲斐あって複数の商社や産元、紡績との新規取引が徐々に増えていき、何とかその難局を切り抜けた事が大きな自信となりました・・・ そして、リスク分散の重要性を身をもって感じたのでした・・・ それが、その後異業種に転業する時の「心構え」になったのかと思うのです・・・ という事で、人間は経験を一歩一歩積み重ねる事によって、その時の悩みや苦しみを経て、徐々に自分なりの地に足の着いた考え方に変わっていくのかと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.05.13
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先日の空手の飲み会で、「空手の稽古で死ぬ事はないけど、ウインドサーフィンは死ぬ可能性がある・・・」みたいな話をしました・・・趣味で物騒な話をするのもナンですけど、確かに死ぬ確率は、空手よりウインドの方が遥かに高いと思います・・・事実毎年、ウインドサーフィンをやっていて、海で遭難して死亡という記事が出ます・・・何故でしょう・・・?空手の稽古は師範の元で団体で天候に左右されない屋内で行いますので、安全管理が行き届いているのです・・・ところがウインドサーフィンの場合は、管理者はいない基本的に各自「自己責任」の世界です・・・そして、刻々と変わり時に豹変する自然相手のスポーツです・・・その自然も、普段歩いている地上ではなく、非日常的で足の届かない(当たり前か?)沖合の海です・・・マリンスポーツなんて聞こえはイイし、スリル満点なんて言えばカッコいいですが、一歩間違えば、死と隣り合わせの非常に「アブナイ」スポーツだったのです・・・何で、そんな事をするのか、したいのか・・・?一言で言えば、オモシロイからです・・・このオモシロさは、ヤッテみない事には、決して分からないのです・・・残念ながら全くの素人が1億払っても、この快感はすぐには体験できないのです・・・逆にお金がなくても普通の体力と運動神経さえあれば、それなりのキャリアを積めば、必ず体験できるのです・・・しかしウインドの魅力は、決してそれだけではないのです・・・ウインドサーフィンはある意味危険な自己責任のスポーツであるが故に、自分を冷静に見つめ合わざるを得ないのです・・・野球やサッカーといった集団スポーツではなく、ウインドは個人スポーツなので、競技だけでなくレジャーでも全て自己判断で海に出ます・・・サラリーマンには集団スポーツの経験が有効かもしれませんが、経営者には返って邪魔かもしれません・・・経営者にはチームプレーがなく、すべて自己判断のスタンドプレーみたいなものです・・・自分で周囲の状況を見て判断し、実行(行動)する・・・試合結果が良かろうが悪かろうが、全て自分1人の責任です・・・これって、会社(オーナー)や自営業者の経営と全く同じです・・・海の波や風の状況を見て、自分の能力と照らし合わせて出るか否かを判断する・・・沖で海のコンディションが変わったら、瞬時に「次の判断」をして、判断が誤れば命に関わるかも・・・常に自分の能力を冷静に把握している事が最低条件で、エエカッコして能力の150%の事に挑戦しても失敗のリスクが高くなりますし、逆に能力の70%程度のリスクが少ない事をしても、自分の能力が伸びませんしオモシロくありません・・・ギリギリ能力の110%に挑戦する事が、ベストかと・・・その辺の「絶妙な判断」が、ウインドサーフィンにも経営にも必要になってくると思うのです・・・会社経営にしても、強風荒波の海で一生懸命遊んでいても、基本的には孤独なものというのは、そういうところから来ているのだと思います・・・という事で、「勘」を養うために、仕事を現役で頑張る限り、ウインドサーフィンも両輪でヤッテいくしかないですねェ・・・(笑)ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.05.12
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昨日は、岸和田税務署へ確定申告をしに行ってきました・・・朝一番で行きましたので、ナントかギリギリ署内の駐車場で車を停める事が出来ました・・・それ程、始業前から沢山の人で溢れていたのです・・・確定申告はまだ手書きでやっていますが、来年からは「電子申告」に変えて経費節減とIT化していかなければ、時代に置いてきぼりにされます・・・もちろん確定申告だけでなく、会社の決算関連や法務局資料請求のデジタル(IT)化もこれからの課題です・・・誰も雇っていませんし、これからも独りでヤッテ行きますので、ヤルべき事が、まだまだ山積みです・・・人を雇えば確かに自分は楽ですが、その分人件費がかかりますし売上アップも必要ですし、そう簡単に解雇できませんし、雇用に対する大きな責任が生じます・・・織物時代の最盛期の頃は40人、私の代になって設備一新の省力化で従業員を10人に減らしましたが(それでも月産20万mの織物生産量)、もう人事の苦労はしたくありません・・・深夜の従業員が突然休めば、24時間エンドレスの工場操業(年355日稼働)していましたので、私が既に早朝から15時間働いてドンナニ疲れていようとも出勤しなければなりませんでした(朝まで徹夜の現場労働)・・・大概、朝3時か4時頃に肉体と睡魔の限界に達し、100デシベルの工場内騒音でも床に段ボールを敷いてダウンして(寝て)いましたが・・・経営者が仕事するのですから、労働基準法もヘッタクレもありませんし、そんな不規則な労働が時々あったのです・・・零細企業の製造現場の工場人事なんて大企業とは大違いで、実際そんなモンです・・・経営者自身がそれを出来るか否か(技術と根性の有る無し)に、零細企業経営の浮沈がかかっていると思います・・・そういう意味で、もう人を雇うのは、コリゴリです・・・今の「独り社長」というのは、以前の人事の苦労を考えれば、自由で正に天国です・・・仕事中に好きな音楽をずっと聴いていますし、仕事に支障が出ない限り、夏は風が吹けばウインドサーフィンに行ったり映画を観に行ったり・・・私用も自由です・・・そのかわり、休日なんてありませんが・・・土日は仕事が忙しく、平日が割と暇なので遊べますし、その方が空いているので逆に好都合なのです・・・不自由を経験した人間しか、本当の自由の有難さが分からないと思います・・・最初から自由な人には、自由の本当の意味や有難さを分かるはずもありません・・・いずれにしても、IT化によってずいぶん省力化できて助かりました・・・というか、IT化なくして、今のトランクルーム賃貸業や不動産屋も1人で出来なかったでしょう・・・正に、ITサマサマです・・・という事で、これからもIT化による「独り経営」を貫いていきたいと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.02.28
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あけまして、おめでとうございます・・・今年も、8年目に突入したこの私の拙いブログですが、出来るだけ多くの方に読んで頂けるように、一生懸命書いていきたいと思います・・・さて、今年の目標ですが、1.仕事(トランクルーム賃貸業、不動産仲介業、月極駐車場運営管理)の充実(=売上の最大化)2.ウインドサーフィン(ジャイブとウオータースタートの上達)3.空手(週1回 / 型と取手の上達)4.旅行(スペイン、ポルトガル、ハワイ、サイパン、パラオ?)5.健康体の維持(週2,3回のジムで基本的なスタミナ&パワー&柔軟性の養成 / 体重5キロ減)6.音楽スタジオ開業(個人的にドラム再開=スクールに通って基礎固め)毎年それほど変わりませんし、決して諦めず、長年の同じ事の繰り返しこそが「技を練り上げる」事になり、より熟練・熟達の境地(売上の安定化)に繋がると思うのです・・・しかし、今年は6の新たに追加した「音楽スタジオ」が目玉です・・・昨年の一連のリストラ(商工会議所と経済クラブの脱退、富士火災の代理店の廃業)も、不動産とスタジオに時間を注ぐためです・・・「独り経営」をあくまでも貫きますから、どうしても時間がないのです・・・普通新しいビジネスを始める場合は、競合他社を警戒して告知を全くせずにするものですが、今回は昨年から堂々と告知しまくっています・・・(笑)何故なら、参入障壁が高く、やりたくても誰でも出来ないからです・・・設備投資に金がかかり、高い専門の防音技術もいる割に、マーケットが読めない(需要が不透明)というハイリスクがあり、どちらか言うとマイナーなニッチマーケットなのです・・・やれるなら、どうぞ・・・という感じです・・・それだけ「音楽スタジオ」というビジネスに特殊性があり、何より経営者が「音楽が好き!」でないと続かないのです・・・いくら条件がそろって、儲かりそうでも、経営者が音楽嫌い(関心ない)では、このビジネスは成り立たないのです(小規模スタジオでは)・・・しかし、単なる音楽好きでも、スタジオ経営が難しいのです・・・この「好きと経営のバランス」がポイントかと思います・・・約30年前の過去のウインドサーフィン大ブームの時に、一緒にやっていた周りの友人知人達が一斉にショップ経営に乗り出して、ブームが去ったと同時に殆んど失敗(倒産廃業)してしまいました・・・趣味で続けていればヨカッタのに・・・という後悔しきりの念でした・・・私も実は二色浜の海浜緑地周辺(人工島)で、「艇庫経営」を真剣に検討した経緯があったのです・・・この時の経験で、如何に趣味とビジネスを分けるのが難しいか・・・「趣味をビジネスにしたらダメ!」という教訓を得たのです・・・しかしそれを敢えて、今回趣味をビジネスにしようとチャレンジするのですから、よほど慎重に、フンドシをギュウギュウに締めて掛からないとダメだと思うのです・・・という事で、音楽スタジオに関して、7年半前のトランクルームオープン当初から、今回でもう3回も検討してきました・・・「3度目の正直!」という事で、今回は用意周到、すでに屋号も決めていますし楽器や機材も購入しつつありますし、独自ドメインも取得済みで、入念に準備を粛々と進めているのです・・・しかし、知らない人がこの6つの目標を見たら、殆んど趣味か?と思われるかもしれません・・・確かに、遊ぶために一生懸命仕事をするのかも・・・(笑)夢ではなく数年以内の生活で、サイパンのロングステイで、早朝に地元の人達と一緒に空手の稽古をして、風が吹けばマイクロビーチでウインドサーフィンやカイトボーディング、なければスノーケリングやダイビング、自転車で島をウロウロするか、ビーチでノンビリするか読書なんかをして、夜はライブハウスで音楽を聴きながら、たまに飛び入りでロックのドラムを叩く・・・なんて、射程範囲として本気で考えているのです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.01.01
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