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先日からビンバと二人で日本上陸しておりま~す。イタリアでは先週水曜日に犠牲祭だったようですが夫婦共々超多忙だったため羊を摘む余裕もなく木曜日は夫の職場のクリスマス会がホテルで開催されビンバ共々夜中まで遊びまくり金曜日、日本に発つ日なんと、生まれて初めての体験をしてしまいました。パリで乗り換え便に乗り遅れ....。つ、つづく。
2007/12/24
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今年もなんとかここまで来れた。ひとえに家族の協力があったからに他ならない。ここ数年間、何千回も「ありがとう」とつぶやいている。朝まだ寝ているビンバを置いて家を出る時。実習先からお昼に帰ってくる時。昼食後ビンバを寝かせて家を出る時。授業を終えて夕方暗くなってから家に帰ってくる時。モロッコ人の義姉が家でベビーシッターをしていてくれる。夫が休みの日は、疲れていても一日ビンバの面倒を見ていてくれる。ビンバはビンバで一度も私の勉強を邪魔することなく彼女の存在そのものが私の心を癒してくれて疲れている時もパワーをくれる。実習先の栄養士に「あなたの生活はミラクルね。 そんなにうまくいくことってないわよ。」と先日言われた。私もここまで続けられるとは思っていなかった。いつ大学を休学してもいい、くらいの気持ちでいた。それに最初からイタリア生活がうまくいっていたワケでもない。数年前、まだ私が結婚する前モロッコ人の義姉との出会いは彼女が脳卒中で倒れる直前のことだった。突然見舞われた病で彼女は仕事を失い軽い半身麻痺をおこしていた。まだ結婚もしていない頃私と彼は病院通いをはじめ後々経済的にも助け出した。****************この時の私の幸運はすでにモロッコ人がモロッコでどの様に生活しているか見ていたことだ。モロッコでは赤ちゃんから寝たきりのお年寄りまでみんな一緒に生活しているのが当たり前だ。最近は核家族で夫婦共働きも増えてはいるけれど多くが大家族でおばあちゃんから孫の代まで同居していてみんなの協力体制が整っているので「保育園も、老人ホームもいらない世界」なのだ。これをもし私が見ていなかったならバッチリ核家族で育った私には「結婚もしていないのにこんなことやっていられない。」などと将来の夫にグチっていたかもしれない。ただ、一度あの愛情たっぷりで助け合いが当たり前のモロッコの光景を目の当たりにしたら夫がどのような行動を取るかは解かっていたしとことん助けるのが当たり前と、目の前の状況を受け止めることができたのだ。義姉は運よく半身麻痺から回復し普通に日常生活をこなせるようになったけれど病気を機に失った様々なことからネガティブになり病気前の彼女とは別人のようだった。それが...ビンバの誕生と共に義姉は変わった。赤ちゃん誕生の喜びから以前の明るい義姉に戻ってくれたのだ。ネガネガの義姉の行動に数年間悩まされていた私と夫は彼女の変化に、かなり驚いた。まだ子供を持つ心の準備が整っていない私に夫はいつも「赤ちゃんが全ての幸せを運んできてくれるから大丈夫だよ。」と口癖のように言っていた。またこのお気楽男が...などと思っていたけれど、本当だった。こんなワケで今年もここまで来れた。今の状況はミラクルではない。モロッコでなら「当たり前」の状況だ。どこの国でも、古き良き時代にはモロッコのような助け合いの環境が当たり前だったのではないだろうか?私がいつも感謝しているのは忘れていた大切な何かを思い起こさせてくれるモロッコとの出会いであり愛情溢れたモロッコ人との出会いでありイタリアという外国で唯一の親戚の義姉の存在である。
2007/12/17
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終わりました~!クリスマス前の最後のテスト。2007年最後のテストは薬学のテストでした。午前中図書館で勉強しているとビラ配りの人が廻ってきて私にも一枚くれました。大抵クラブやディスコのチラシなので即ゴミ箱行きなのですが今日のは...食い入るように見てしまうほど興味深い!!"Progetto Medici"in Facoltaおぉぉぉ~、あの「医学史」のリッピ教授のプロジェクト・メディチの講演会だぁ。メディチ家礼拝堂ディレクターも招かれている。こんなステキな機会、ないでしょう~。今日の3時からだ。2時半からテストだから行けるかな...。しかし、3時になっても薬学の教授来ないし...。みんな緊張してテスト受けるのに待っているのに。シビレを切らして電話すると、「あれ?明日じゃなかったっけ?」ですって。結局テストが終わったのは5時近く。ヘトヘトで講演会にはいけず...残念無念。この薬学の教授が勤務するのはCUBOと呼ばれるカレッジ大学病院内の一施設。カレッジ大学病院は、広大な敷地の中に大学施設も含めて様々な病棟が点在しています。CUBOの上の方に、今度MEYER子供病院が移転してきます。今まではカンポディマルテの方にあったのですが施設が古く狭い上に車の駐車場も殆どなく不便だったところこちらの広大な敷地の一角に移転できるよう病棟の建設が進んでいました。そしてとうとう、14日の晩旧MEYERから入院患者大移動が実施されます。 入院している子供達全員を搬送するためなんとフィレンツェ中の救急車が大集合。タクシーやバス会社も協力しての大移動となります。日中の移動はムリなので、21時から翌朝にかけて交通規制を実施し重病の子供達をスムーズに運べるよう厳重な注意の下医師や看護婦の付き添いの上、ノンストップでカレッジの新病棟まで運ばれます。旧MEYERでは付き添いの親御さんは子供のベッドの脇のリクライニングシートで寝ていたのですが新MEYERでは家族用のアパートも別館で用意され窮屈だった看病の生活にも少しゆとりができそうです。MEYERには世界中から重病の患者がやってきています。これからは彼らの家族もそのアパートに滞在できるでしょう...。そして私達学生が実習に通うのも近くて非常にラクになります(笑)。病院が遠いと、実習を終えてフィレンツェを横断して大学に戻って授業となって辛いので。カレッジ大学病院は、どこの病棟でもクリスマスツリーが飾られあらゆるところにオーナメントが飾られてそれはそれは華やかです。MEYER子供病院の看護師さんはみんなカラフルな白衣?を着ています。白地にあらゆる色で水玉が書いてあったり...子供達が親しみやすいよう配慮しています。お医者さんの聴診器には必ず小さなぬいぐるみがついていて先日病棟を横切っていたエコーマシーンには機材全体がキリンに見えるよう黄色地に茶色い斑点のペイントが施されていました。(特注品っぽかったです)病院でクリスマスを過ごすのは少し寂しいですがスタッフみんなが楽しい雰囲気を作りだしています。新病棟で快適にクリスマスを過ごしてみんなが元気になることを祈っています。
2007/12/13
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モロッコのイワシ。それは激安で超新鮮。翌日には捨ててしまう。イタリアで売っているクタッとしたイワシとは大違い。イタリアでイワシを買う時には目ギンギンで選別しないといけない。たまぁにピッチピチが入荷している時のみ買うのがよい。さてモロッコのイワシ。IWASHI?こ、これは試したことがないぞ。写真を見ると「イワシ団子」らしい。インスタント食品かな?そういえばカサブランカ駅近辺でもこのポスターを見て一瞬気になったが忘れていた。ここはカサブランカ中心街のフランス人の友人宅前。人気のお菓子屋さんの前で人通りは多いけれど一体このイワシ団子を誰が買うのか??すぐにタクシーで移動しなければならなかったので一枚写真を撮っただけだけど、妙に心残りなこのIWASHI。話は変わってモロッコカフェ事情3。気付いたことを書こうと思ってすっかり忘れていた。夫のお気に入りの老舗オッサンカフェに居座るDelizia。ふと周りのテーブルに目を移すとオッサンがカフェの上のミルクの泡を受け皿に捨てている。嫌いなのか?この表面の泡部分をスプーンですくい取って捨ててから飲むのだ。ではなぜ普通のカフェを頼まない!?いろんなオッサンをみると至るところで泡を捨てている。初めてこの光景を見てから悶々と日々を過ごしある日モロッコ人女性の友人Fに聞いてみた。D「あなた、カフェのミルクの泡捨てる?」F「捨てるけど。」D「なんで?」F「だって不味いんだもん。」そう言われれば、モロッコのは不味い。イタリアのカフェやカプチーノのスキューマ(泡)はそれはそれは繊細な泡立ちで、上唇に白ヒゲを作りながらみんな喜ばしげにいただいて、カップに残った泡はすくってまでいただく。モロッコのミルク入りカフェやカプチーノは恐ろしい熱さでサービスされて下手したら口を火傷しかねない。イタリアのカプチーノはいつも適温ですぐ飲める。つまり、モロッコではミルクのスキューマを作る時にスキューマーで加熱し過ぎて最高の状態の泡を破壊しているのだ。繊細なスキューマを作るには加熱時の温度は適温に抑えなければならない。イタリアのバリスタでも上手なスキューマでカフェを出してくれる人は少ない。熱すぎてボロボロの泡がのっているカフェだからみんな捨てているんだ。でもみんなミルク入りが飲みたいんだ。泡が旨ければみんな捨てずに飲むのでは?可哀相な牛乳よ。バリスタの腕不足によってみんなに受け皿に捨てられてしまって。モロッコのバリスタさんへのスキューマ教育求む!!
2007/12/09
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今年もオーリオ・ヌォーヴォが出回り食卓が新オリーヴオイルの爽やかな香りで華やぐ季節がやってきました。イタリア人との栄養カウンセリングで「オイルは何を使用していますか?」と質問すると「もちろんエクストラヴァージンオリーヴオイルです。」との答えが95パーセント。私が担当したフィレンツェの人達は「うちのオイルね。」と付け足す人がかなりの割合でいました。「うちの畑で採れた野菜」と同じで「うちのオリーヴ畑で採れたオリーヴオイル」です。長年愛着ある味と香りのオイル。しかもほぼ全員が口を揃えてエクストラヴァージンと答えられるこの国。私もここの生活が長くなり、ふと当たり前のことのように感じてしまいますがこれって凄く贅沢なことだと思うんです。患者さんの普段の食事診断中に「オリーヴオイルはどれくらい使いますか?」と質問したところ「そうだねぇ...25リットルくらいかな?」と答えてくれた人がいました。私は1日分で質問したつもりなのですが1年分で答えてくれたのでした。自分の畑のオイルを使っている人は大瓶から小瓶に移して使うのでこんな答えが帰ってきたのでしょう。そう言われれば、私も年間どれだけのオイルを使用しているかなんて瓶を数えてみたこともないのでわかりませんが5リットル瓶の新オリーヴオイルをはじめ3リットル瓶を3本まとめ買いしたり1リットル瓶で買うことなんて数知れず。惜しげもなくドボドボと使っています。イタリア人が海外に出て現地の食事に困ってしまうこと外国人がイタリアに来てこの国の素材と料理に惚れ込んでしまうこと海外で一番受け入れられているのはイタリア料理であろうことこれらは、リストランテの食事ではなくイタリア人一般庶民の食卓を覗いてみると彼らが使用している素材のレベルの高さから納得できることだと思います。オリーヴオイルなくしてイタリア料理無し。イタリア人なくしてこの食文化無しです。
2007/12/06
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