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ドイツというか、BMWの本社のあるミュンヘンに行ったらよう、走っている車が、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM、ワーゲン、アウディ、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM,アウディ、ワーゲン、ベンツ、BM,アウディ、ベンツ、BM,アウディ、って感じで、国産車ばっかりやんけ、ってか、何か、お金持ちなのか、オマエサンさち、って感じであった。偏見と見間違いとを敢えて添えていうと、ミュンヘンは金持ちが多いのか?無理やり高級車買わされているのか?てか、国産車か?どんな金持ちの国より、なんだか、アウディとベンツとBm多いぞ、あ、国産車か。さておき、ファレンテンミュージアムにいった。1.99ユーロで1り、11時1分から17時59分までの開館という適当振りである。コメディアンの博物館であるてことだ。もともと、ミュンヘンでも人間博物館とか、まあ、いろいろ数箇所ピックアップはしていたのだが、閉まっていたり、遠かったりと、なかなか、短時間の滞在では思うように行かないのが難点といえば、難点であった。以上、ちょっと、明日の準備で忙しいので、今日は終わり。と思いきや、いろいろ考えると。いつの間にか年齢を重ねてしまい、いつの間にか違いの分かる男になった。500円と1000円のワインの違いが分かるようになった。しかし、1000円と10000円のワインの違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。ゲイとヘテロの違いが見た目で分かるようになった。しかし、レズのネコとタチの違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。芋焼酎と麦焼酎の違いが分かるようになった。しかし、高級焼酎と低級焼酎の違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。高級日本酒と低級日本酒の違いが分かるようになった。しかし、どのくらいの量で吐くかまでは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。ふかひれスープとマロニエの違いが分かるようになった。しかし、あわびとあわびソースあえ椎茸の違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。豚肉と牛肉の違いが分かるようになった。しかし、牛肉や豚肉の部位の違いはなかなか分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。仕事のできる人とできないの違いが分かるようになった。しかし、飲みに行ったらその人が弾けるかそうでないかの違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。人形と人間の違いが分かるようになった。しかし、人形がリアルに動くと、その違いは分からない、それに写真に撮ると、その中のどれが生きてるか生きてないか分からなくなる。多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。サンフランシスコとロサンゼルスの位置の違いが分かるようになった。しかし、サイパンとグアムの位置の違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。白黒テレビとカラーテレビの違いが色弱にも関わらず分かるようになった。しかし、ハイビジョンとデジタル放送の違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。ハンナラ党とウリ党の違いが分かるようになった。しかし、自民党と民主党の違いは分からない、多分60歳ぐらいになったら、人生経験も豊富になる培養され熟して分かるようになるであろう。というか、そんな党、もう存在してないかも。いろんな違いが分かって、こうやって、分別のアル聞き分けのいい大人になっていくものなんだなあ、と感じる秋であった。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.31
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あっ、神ですが、何か用?飴がしのげる家があればいいよ、寄付もいらないし、財産もいらないし、教団からの特別なはからいもいらないし、誰も勧誘するともりもないし、権力もいらないし、名声もいらないし、偶像化もいらないし、財産もいらないよ、だって神だから。結構安いな、と思ったものの、わざわざ、泊まらないところが、大富豪の倹約家ゆえである。確か、経済人類学者の教祖、ポランニーは経済には3つあって、その3つ目が、富豪が、庶民に撒き散らす経済といっていたが、私もそれを見習わなければならぬかと思った。あtの2つは、えーっとお金を媒介する商品経済いわゆる普通の経済と、相互扶助の経済だったと思うんだけど。栗本慎一が結構拡大解釈したからなあ・・・。まあ、そんなことどうでもいけど、集合なんだよね、飲むんだよね。今日もうっかり、リストラに怯えつつ、暢気に飲みに行ってたんだよね。すみません。ちゃりんこが2階にあってもいいんですか。愛と感動は好きですか。私はそういうことを声に出すのは胡散臭いものと思います、それは噛み締めるものです。こういう読み方を初めて知り、結構、愛と感動してしまいました。不意に。歯が痛くなったら、子供はここに行け。マ!マジンガーよ、こんなに歯磨き粉を出すともったいなくねえか?考えたら、昔のアトムの未来像は明るかったなあ。機械文明主義だしなあ。ド菌玉と亀正直、このような名前のホテルに泊まるのには勇気がいるんです。木になってまで、ケーキをつくろうとは、凡人の私は思えないのです。エジプトで、夜、テレビをみました。カンボジアで、夜、テレビをみました。バスケットも含めてエレファントマンみたいになりました。それでも笑顔が素晴らしい。ネコのようなもの?ヒィヒィ加賀屋、大阪市住之江区にもいってきました。ヒーヒーいわされました。あんまり怖くないよ。手前の亀は石で、後ろの亀は生き物です。リアルとはなにか。肉のもりた・・・何を躊躇してんだ?しね・・・居酒屋の壁にて。魚がやたら冷静というか、何で、ボク、食べられるの?って食べられる直前まで気がつきませんって顔だ。今日は飲まないって昨日も思ったのに・・・。河に何故道を作るのか、あ、歩道?。母からのはがき。カンボジヤに・・って、カンボジアのことかな。すみません、アンコールワットに行かなくて。すぐに連絡しました。カンボジアに行って、アンコールワットに行かなかった唯一のニポンジンになりましたと。オマエ、石やろ、柿も食えんやろ。等身大キャラクターと、40メートル級ウルトラキャラクターとどちらが好きですか。最近、飴食べすぎかな。魚も駐車場必要てか?エコ鉛筆ってたって、こっちのほうが金かかってるって、つまり、電気ガス水道、不要なおの集めたりする廃品回収費用考えたら、エコになてないつうの。
2008.10.30
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黄桜酒蔵工場に行ってきた、というより、不意に通りがかったので、多忙にも関わらず、見学と決定した。合羽というか、不思議なものやことが好きな不思議君でもあるのだ。河童は平泳ぎもするのだったか。アルコールは、好きなのだが、おしゃれに飲むのもバカのみするのも好きなのだが、日本酒は、かなり長い間、トラウマがあり、それは辛かった。 20年も前といえば、もう18歳になれば、酒は解禁されていた時代であった。あれ、違うか? 大学生となり、川辺で新人歓迎コンパというのがあった。何故、外、何故、川辺なのかという疑問を呈しつつ、何故、先輩はオールを持っているのか、何故、ヘルメットを持つのか、その意味が弱冠18歳の柔らかい脳では理解できなかった。 夜になる、焚き火を囲みながら、新人はキョーツケをさせられた。オイオイ、これは軍隊かよ、古いなあと思ったぐらいである。さて、飲め、と突き出されたのは、学生食堂から盗んできたドンブリ。そこになみなみと山盛りに注がれた砂糖入り最低級日本酒である。名前は敢えて伏せるが鬼殺しである。イッキに日本酒を1リットル飲むと、どうなるのか、それは、すごいのである、飲み終わった瞬間に、おおよそ、1秒待たずに、逆流してくるのである。それも、大量の酒が口から直角に出るのである。すごい量ゲロであり、見事なほどに、下を向く瞬間もないので地面と水平に液体が発射されるのである。 そのイッキ飲みを3回。何だかすぐ終わった気がしたが、さほど、ぶっ倒れるということはないのだが、瀕死になはるのである。 寝転びながら、薄く目を開けると、後続隊の同輩が、口から地面と垂直に液体を噴出させている光景が見えた。キャンプフャイヤーの炎に照らされて綺麗に見えた。それから、日本酒は臭いを嗅ぐだけで吐きそうになってしまうのであった。10年が過ぎても変わらなかったのであった。その後の人生で、直角に吐く姿をみたのは、ヘロインやりすぎで吐いた姿ぐらいであった。 そんなことを思い出しながら歩いているとは、他の見学者には分かるまい。今でも、本当にいい日本酒しか飲めない体になっちまっている。ニポンジンとして人生8割ぐらい損した気分だ。こんなことだったら、オランダの大富豪だったらよかったよ。まだまだ、オレの合羽行脚は続きそうだ。世界の合羽がオレを呼んでいる。ついでに、隣の駅の淀に行った。淀城がるのだが、淀君とは全然関係ないのである。親父バーガーを食って帰ります。まだまだ、オレの合羽行脚は続きそうだ。きゅうり買うか。
2008.10.29
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サイパンで一番ホテルや飲食店が集まっているのはガラパンであるが、それも、概ね300メートル四方程度の探索も何も通り全部歩いてみても碁盤の目であり、30分かからないというコンパクトで分かりやすいところである。観光客は、昼間などは、全然歩いておらず、暑い日ざしが照りつけ、一区画歩くだけで汗が吹き出るが、その間に、ほとんど無人のままである。マッサージ屋の人が、目ざとく私を見かけて、店内から飛び出てくるぐらいである。淫猥な店と飲み屋とサリサリストア、土産物屋が連続するぐらいで、その中にいるのは、現地人ではなく、たいていフィリピン人か中国人である。そして、廃業した店や適当に取り壊された建物が多く続き、日本でいえば、沖縄の辺野古や金武のようである。クラブってかディスコもあり、長い夜を過ごす。24時間営業のABCのようなコンビニ店も多いが、薄暗いのに24時間やっているのは、やっぱり、コリアンの店である。こっそり、22時を超えて、アルコール販売禁止時間となっても、トゥバ(椰子酒=タガログ語もトゥバ)をこっそりジュースとして売ってくれる。というか、商売なので、ビールでも、黒い袋に入れて売ってくれるんだけどね。歩いていて、ビーチ沿いにしても、タイやフィリピンやバリ辺りのビーチと違うのは、オープンエアのバーとか、いわゆる西洋人好みのバーが案外少ないことだ。日本人や韓国人をメインとしているのもあるだろうし、タイヤフィリピンの実質的バーのオーナーは西洋人であることが多いのだが、案外、経営者はチョモロのえらいさんなのではないかと思ってみたりもするのである。とにかく、え、コレで終わり?という感じなのだが、日本も儲からないのか、ANAもJALも、もう飛んでおらず、廃墟化していく寂寥感が、ただの旅行者としては、失礼だが楽しいのである。観光局のHPを見ていると、年間で、2005年は日本人3万人全体で4.6万人、2006年は日本人2.4万人全体で3.7万人、2007年は日本人2万人全体で3.8万人、2008年では日本人1.9万人全体で4万人、しかし、寂れたのか、初めから、町には寂寥感漂うのかは、私には、初めてなので、分からない。それにしても、どこに行っても片言の日本語が通じる。かなりウマイ人もいてハワイよりも通じるというか、方々で、フィリピン人と中国人に、いつサイパンに来たか、いつ帰るか、どこで日本語を覚えたかを聞いてみると、ほとんどが出稼ぎで、滞在は1年で、こちらに来てから日本語を勉強した、しているという答えだった。ビールは、コンビニてかグロサリーてか要はフィリピンのタガログ語でいうところのサリサリストア(よろずや)で買うと、100円少々。なんというか、セブンイレブンとかいった大手は一切なく、家族経営的な店ばかりで、24時間で、何でもおいてあり、簡単な食事もできたりして、まさにサリサリストアというか、アジアっぽいのだ。飲んで喋って楽しいコンビニである。ストリップてかゴーゴーバー。ていっても構えることはない。なんというか、自分がベロベロに酔って、場末のゴーゴーバーに行って、もう絶望的になるというシュチュエーション、結構好きです。それにしても、日本語の連続。ここどこやねん。マーメイドがいる。夜になると、ネオンが光っている。10件ほどの店の前には、誰も歩いていないのに、呼び込み女性が2人、ポツンといて、前を通ると、大いなる呼び込みが始まる。ほとんど人通りがない中、終末観が、素敵である。私はそこの経営者じゃないから。そういえば、空港からのバスの中で、なんと、ジョリビー発見。ジョリビーとは、フィリピン資本のファーストフード店である。一瞬、ジョリビーってアメリカ資本なのか、と思ったぐらいだ。なんだか、定点観測的に、サイパンを定期的に訪れて見てみたいなと、珍しく、思った私であった。やっぱ近いから?そして、分かりやすいから?何だか、年とった感じがするのお。てか、やっぱり生まれてはじめて行った国がフィリピンだったってことが、第二の故郷的トラウマになってんのかもね。てか、オレ、南国ビーチいってなくねえ?ビーチリゾートはどうした?随分減ったそうだが、やっぱり怪しい店は多く、何だか、変な感じで面白いのであった。同じビーチなのに、どこか、東南アジアのビーチとは違うのであった。しかし、町の中は、アメリカの都市ではなく、どこかアジアチックで猥雑とし、混泥な香りが漂うのであった。キーワードは、朝まで飲め、午前中の予定はキャンセルしろ!だ。実は、行く前に、ネットで、上手なマッサージ屋を調査したところ、どうやら、明るいマッサージがうまいようである。結局、3箇所、マッサージに行ったのだが(どこでも30分15ドル、1時間30ドル、どこでも中国人)確かに若い女性ながら力強く上手だった。癖になった。帰ってきたら、ぶりかえした。もみ返しで、今、困っている。木曜の夜だけ、夜店が出る。1つ1ドルとか、盛り放題5ドルとかで、ついつい、つまみ食いと相成る。フィリピン料理もある。注)2023年4月1日、2万1723アクセス。2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.10.28
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ここがバンザイクリフ。1000人を超える民間人が80メートル下に身を投げたとされていますが、正確な数字は分かりません。勿論、飛び込んだは、生き残った人も多数いました。即死しなかった人も、下を見る限りたくさんいたのではないでしょうか。いったい誰が、天皇陛下バンザイなんか言って死んだものか、もし言ったとしても、本心ではなかろう。それに躊躇することができれば、よかったのだが、1000人を超えたら、もう後戻りはできない。押し出されるように落ちていったのだろう。それにしても、G-8さんもアオタキョウコさんも放浪達人さんも訪れたサイパン島に、中年になって初めて来ました。ハワイやサイパンは新婚旅行先なんでしょうか。奥の岩山はスーサイドクリフ。司令部のあったところ天皇僥倖というので、地元民の方々が、錆さびの砲弾や戦車を塗りたくってくれました。岩肌をの中に日本軍司令部。それでも、海からの砲弾で、無茶苦茶にやられてます。もう上陸の最初から、司令部の場所は、ばれていて、ほとんど機能しなかったのでした。司令塔の上部がスーサイドクリフであり、身投げしました。正確な人数は不明です。日本政府が作った慰霊塔。それまでは、遺骨収集団が訪れていましたが、ほぼ終わったということで、この塔を立てて、遺骨収集は終わりました。大学に入ったとき、クラブやサークルの勧誘のチラシに「硫黄島にただでいけるよ、ニューカレドニアに3万円でいけるよ」という文言のあるチラシを見て、クラブの戸を叩いてしまったミーハーな私でした。いずれにせよ、それは、遺骨収集団の参加であり、前年に硫黄島で、よっぱらって、素っ裸で夜中にラジカセを丘の上に持って行き、中森明菜をガンガンかけながら、顰蹙を浴びた先輩のせいで、当大学の遺骨収集の募集はなくなっていたのでした。ビーチリゾート以外の観光といえば、戦跡がメインとなり、少なくなった日本人観光客に代わり、韓国人中国人が増えました。観光客の国籍が変わっても観光地は戦跡しかないわけです。しかし、戦跡を訪れても、なかなか、あれだけいた韓国人や中国人と会うことはない。たまたま韓国人が来たのだが、実は旅行会社では、戦跡を訪れる時間帯をずらしているのだといいます。どうしても、この2国の人々の中では、バッティングすると、わが国も同じような目にあったと日本人観光客に食って掛かる人が時々いるとのことなのです。朝鮮人の慰霊碑もあって、日本人を見ると怒り出したくなる人もいるでしょう、勝手にここに連れてきやがって、殺しやがってと。珍しく、西洋人観光客を発見。今や、人口構成が3番目になってしまった原住民チョモロ人の主な就職先は観光業か公務員がメインです。どう考えても商売や企業オーナーには向いてません。フィリピン人たちが俺たちの職を奪うんだ、結構そう思っているのではないでしょうか。フィリピンの男たちは、なかなかグウタラですが、女は結構、南国なのに、シャキシャキ働く、動くのですよね。スーサイドクリフに登りました。標高250メートル。日本軍によるつくりかけの飛行場が見えます2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.10.27
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リゾートホテルに宿投して、早速、リゾート満喫のフリをしたが、実は部屋のバルコニーから写真を数枚撮って、チェックイン後3分で、既に、出かけるのである。今回の第一目的地にGO.何故なら、私は、歴史がチョトダケ好きなのである。テクテク歩いて行ったが、暑かった。汗ドボドバであるが、専用車があるなら迎えに来てもらったらよかったぐらいである。歴史を勉強しようと、訪れたら、偶然にも、蝋人形館だった・・・またかよ~(ハルジ風)。幸福な、本当の住民時代。地図に「マリアナ諸島」の名が出る2~3000年以上前、チャモロ民族がインドネシア・フィリピンあたりからカヌーに乗ってマリアナ諸島に移住してきたと言われている。世界一深いマリアナ海溝、こんなところにあったのか・・・というか、この杖を持った男性、取引先の人に似てるんだけど。1521年、各地で虐殺の限りを尽くしたマゼラン一行が、ヨーロッパ人として、マリアナ諸島を“発見”。多分、自分らが略奪していたくせに、原住民チョモロ人が、マゼランの船を襲うということで、盗賊の島と呼ばれていた。当のマゼランは、航海途中、フィリピンで、略奪とゴーカンを繰り返しまくり、激怒した英雄ラプラプに攻撃され、逆切れしたマゼラン一行がラプラプを殺しに行ったが逆に殺された。ざまあみろだ。(おっと、私情をはさんでしまった)。マゼランの部下は命からがら逃げ出し、そのままヨーロッパ人として、世界一周を成し遂げる。1565年、スペイン皇后の名前から「マリアナ諸島」と命名され、勝手に領土宣言。ちなみにフィリピンもフェリペの名前だ、勝手だ。いつものやり方で、宣教師が帝国主義の尖兵としてやってきて、キリスト教化しようとする。勿論、現地のチャモロ人は激怒、10年以上の戦争を繰り広げて、ついに、やられちまう。やられちまったあ・・・とくやしがりながらも、サイパン島民は全員、グアム島に強制移動、無人島となってしまった。その前に、チャモロ人は人口が50分の1になってしまった。ほとんど皆殺し。やられた女性、なんだか、蝋が光って妙に、艶っぽいのは気のせいだろうか、きっと気のせいだ。300年以上スペイン人は占領。100年ほどして、徐々に、サイパンに住民が戻ってくる。米西戦争で、スペインがアメリカに負け、多分、金がなくなったか、賠償金で金がいるようになったのかで、ドイツに勝手にサイパンやパラオなどを売却。ドイツ人現る。ドイツ人ココナツ農場を経営しようとはしていたようだが、やがて、開発開拓を断念、暑いからか?流刑地にしてしまう。ドイツ人は15年だけの支配。ニポンジン来たから。第一次世界大戦で、ニポンジン、無血入城。ベルサイユ条約により、ミクロネシアは日本領に勝手になる。サトウキビをメインに農場を各地に作り、島一周したサトウキビ運搬鉄道を開通させる。(今も、線路は無いが道は残る)何だかよくわからないが、まあまあ、喜ばれているようにうに描かれている。ニポンジン、中国でも朝鮮でも台湾でも占領しては、勝手にインフラを整えて、人も残さず去っていく民族か。占領以来進出がさかんだった日本の製糖企業ではあったが、戦後の不況にみまわれ相次いで撤収する中で製糖企業・南洋興発株式会社だけが、サイパン・ロタ・テニアンで一大事業として成功しその地位を確立した。これによりサイパン・ロタ・テニアンをアジア最大の製糖産地として発展し、その設立者である松江春次はサイパン経済に多大に貢献した者として「シュガーキング」と呼ばれ現在でもサイパン史上最も有名な日本人として知られてる。3万人いたといわれる日本人(台湾人朝鮮人含む)の8割が沖縄人だったという。第2次世界大戦勃発よ。ニポンはグアムを占領、アメリカも日本攻撃の拠点として、これらの島が欲しかったので、猛攻撃。事実、隣のテニアン島から、原爆機B29が飛び立った。泣きそうな日本人に見えるが、軍服がアメリカ。それに、人形のバランスに遠近感を持たせたいのか、2,3メートルしか離れてないのに、後方の人形は、50センチぐらいしかなかったりする。どんどん、北に逃げていく日本兵を追い詰めていく。玉砕である。3万人いた日本兵も、生き残りは1000人。1ヶ月も守りきれなかったわけである。海の中を歩く米兵。まるで、海が砂のようだ。日本兵、殺されるか自害する。叫び!叫ばない!米兵、どうせ、どさくさにまぎれて、また民間人も殺したんちゃうの?必勝。日本軍も厚さ12ミリしかない2人乗り戦車で頑張ってみたりするが、すぐに、薄すぎて、中にいても打ち抜かれる。北部の洞窟に日本司令部があったが、もう米軍にバレバレ、初めからばれており、ほとんど機能しなかったようである。現地チョモロ人を親切に助ける米兵。何せ、今、植民地にしているのが米国だから、悪い人形は作りたくねえ。しかし、この偽善者めが、って顔をしている気丈な女性なのであった。バンザイクリフから、自決する人々。ほとんどが民間人。でも、多分、バンザイとは言っていない気はする。民間人はいつも、無視されるのである。見殺しにされるのである。見放されるのである。恥を知れ、どうせ殺されるのならころしてやる、と追い詰められたのだろう、悲しすぎるのだ。アメリカがやってきた。一応、国連信託統治領1975年、一応住民投票でアメリカになることを決定。経済の恩恵もあるしな。86年正式に自治領になり現在に至る・・・が人種は、フィリピン人、中国人、現地チャモロ人、韓国人、ミクロネシア人、ポリネシア人がメインで、白人は、そうだなあ、50人もみてないなあ。ホテルも白人は1人だったし、白人が店員でいる店はなかったし、アメリカに来たって感じは全然ないのだなあ。そういうわけで、島民の歴史を一通り即席で頭に入れ、フラフラ歩きに出るのである。とにかく、大変込んでいたので、見学には1時間を要してしまったぐらいである。忙しすぎて、切符売りの受付の方も、なかなか出てこないぐらいだった。2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.10.26
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何せ、毎日、激務なリーマンにとって心の洗濯というのは、必要である。飛行機に入ったら、乗客0人、初めて間違えて1番に搭乗してしまったのであった。意味無く、一番後ろの席まで歩いていってしまう程である。ちょっと、ぼーっとしていると、3時間で、南の陸地が現れるわけ。アメリカ領だけど、指紋採取はないし、サンフランシスコみたいに2時間も並ばず、人も少なく、5分で外に出られて、ホテルまで20分。既に入国後30分で既にリラックス状態。日本から草履で行ってよかったよ。敷地を通って海に向かう。豚の丸焼き、いわゆるフィリピン料理のレチョンだ。現地人であるチョモロ人16000人に対し、フィリピン人は2万人もいる。(人口は6万数千人)空港は、小さく、カウンターは、今や、ノースウエスト、インターコンチ、アシアナしかない。テニアン島上空を通り抜けていく。また3時間を待つ。日も暮れる、暮れたと思ったら日本についた。2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.10.25
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タヒチアンダンスの彼女たちが、私を迎えてくれた。フラと同じようなものだが、こちらのほうが、テンポが少し速いというものか。フラとは、踊りという意味なので、フラダンスは、踊り踊りだ。サハラとは砂漠という意味だからサハラ砂漠は、砂漠砂漠だ。ガンジスは、河という意味だからガンジス河は河河だ。 とにかく、恥ずかしいので、前日の日記にこっそりアップするという姑息な事の次第である。誘われてもいないのに、彼女たちは、毎日、私を待っていてくれたのである。 とにかく、恥ずかしいののだが、胸を隠す容器が、ココナツの殻を半分に切ったものである。後で、土産物屋で発見したが、それは、さすがに、強そうだった。どんな男性からのなめ砕く噛み砕く猛攻にも、ガードはバッチリである。バーで、ビールさえ頼めば、あとはバイキング形式なので、勝手に道端でこっそり食べようが問題のない世界である。集まっている人数は、韓国人が最も多く、今やアシアナが韓国から大量に乗り込んできて、日本人観光客より多いぐらいである。まるで、先々週からずっと韓国にいる気分に陥りそうだった。オレは、彼女たちに会いに来ただけなんだ。トイモイさ~ん、と彼女たちは、何度も連呼してくれる・・・夢をみた。腰フリについては、本当に、へそから上と、下が、違う生き物のようで、1人二役やっているように見えて仕方ないのである。それは、初めてテレビなどで、ダンスを見てからずっと思っていること。オレの恋人たちは、全部10代なので、その年齢差は、引き算の得意な俺からすると、一回りぐらい違うので、他人から見ると、犯罪者と呼ばれそうな破竹の勢いである。ファイヤーダンスもあり、一番先頭にいる私も、熱気で熱いぐらいだった。彼女の情熱と息遣いが聞こえてくる瞬間でした。バックバンドの男たちもチョモロ人で、まあ、なんていうの、アメリカに併合されて肉食になったら即効で太ってしまうわけなのか。韓国人の次に多いのは、日本人であったが、その他は中国人とロシア人であり、アメリカ本土人の観光客はおらんかった。ダンスが終われば、舞台で1曲だけディスコパーティちゅう感じで、大変うるさいマジョリティの韓国人団体客ファミリーが大挙して舞台を占領、私は5人の彼女建ちを救うため、手を引いて裏舞台に逃げ込まなければならないという、大変な羽目になったのであった。舞台が終わると花火が上がり、夏の終わりを感じさせてくれた、というか、常夏だった。ハロウィンの始まりか。さて、舞台が終わり、疲れを癒しながら、ねぎらいながら・・・さて、センチメンタルな時間は、終了である、とにかく、夜の街を散策探検するのが、次なる私の使命である!アディオス、ブエナスノチェス(さいなら、おやすみ。チャモロ語=スペイン語の借用も多し)2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.10.24
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顔。学生100人の顔を合成したら、いや、犯罪者の顔を100人合成したら、ハンサム(女性なら美人)になるという。それを知ったときは、そんな不思議なこともあるものだなあ、と思ったが、よくよく、考えてみると、現在社会においての美男子美人になるのであって、平安時代の美意識からは違うものになるだろう。よくよく考えたら、といってもあまり考えていないが、私たちの中には、漠然と美男子美人顔があって、それと、どれだけ、離れているかで、パーツとバランスをある程度判断しているのかも知れない。異論はあるだろうが、例えば、ツマブキ君はパーツはたいしたことないのに整った顔だし、ケンナオコは、パーツはいいのに整っていない顔って感じがするんだよねえ。顔。インド人老人たちが、菩提樹の下、ゆっくりアグラをかきながらビディを吸い、話し合っている。深いほりとヒゲが立派だ。隣に座っていると、深遠な哲学について、延々と語り合っているように見え、感動的な光景である。しかし、訳してもらったら、あちらのバナナとこちらのバナナの値段の差とかについて、真剣に噂話しているだけだと、分かり、知らなければよかったと思ったぐらいだ。顔。ニヤケ顔が嫌いだ。スピチュアルカウンセラーとかいって、名称変えて、見えないものが見えるのが、えらいようにいう奴は嫌いだ。霊的なものを否定はしないし、理性では分からないことや説明できないことがあったり感じたりしたことはあるが、それが何だって言うんだ。見えるという奴が、何で見えない人に、説教するんだ。この詐欺師野郎め!って昔の人ならいってくれたであろう。それに、霊があるとしよう、何で、それが高い低いがあるんだ、何でじっと見守っているんだ、そりゃ、信じないなら信じなくて結構、って何で上から目線なんだよ、不可知論だわ。顔。アサズバとか昼の詐欺まがいの健康番組しているふやけた顔が嫌いだ。談合は許せん!なんかいってて、自分が父親から継いだ水道会社なんか、2回も談合摘発されて、逮捕までされてるくせに。ジャーナリストかオマエは。顔。この前、久々に、北欧行ったらよぉ~、結構、美女美男子多いんだよなあ。関西弁でいうところのシュっとしとう、ゆうやつかのう。顔。人も、30歳を超えると、やっぱり顔に性格が出てくる?30歳を越えた頃はそう感じていたものだが、またまた最近、分からなくなってきた。というか、興味なくなってきたのか?顔。なんだか、どうでもよくなってきた感じ。顔。というか、朝から、ネットでの現地情報収集に忙しいのである。というか、ビーチには何もないよ。 これからさ、いつも、忙しい旅行と違ってさ、ゆっくりしてきますわ。裏切ってすみません。じゃあ、また3日後。今から空港へ。
2008.10.23
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3日前に開通した京阪中ノ島線にミーハーなので乗る。ミーハーなので、駅が木のぬくもりでまあまあ、ヌクヌクしていた。やがて、あっという間に、京都の中書島界隈をフラフラ歩いているが、まだ店は開店しとらん。伏見区は、残念ながら京都の中心からは鬼門の位置に存在する、そんなときにふしみーるかるただ!やがて、駅から5分、橋に差し掛かる。柳で、ユーレイを見る私は、何を隠そう、坂本竜馬については研究しつくしている。もはや、ほとんど、坂本竜馬人形研究家専門家の聖域に突入しようとする勢いである。それが、あの有名な寺田屋であり、おばさんおじさん団体ツアーだけでなく、西洋人観光客までいるのであった。くよくよしてほたえなや!私は、何を隠そう、坂本竜馬博物館にも行っているのである。まあ、それが、寺田への、道である。何がや。勿論、私に入る時間はない。船にも乗ることができるのである。勿論、私に乗る時間はない。竜馬通りであるが、竜馬なら、今の時代に生きていても、いい商売人になっていたのかもしれない。勝海舟や高杉晋作なんか、今の社会にいけば、単なる飲んだ暮れの天下国家に愚痴をいううるさい青年にしか過ぎないかもしれない。時代だねえ。乗るか反るかそれが問題だ。柳に幽霊って、単純に、両者が似てるだけじゃんかよ。自慢されたり説教されたり、みんあイヤだよね。ジュディオングの「女はウミ(見せられて)」の英語部分歌えるか?それが問題だ。オレは、まじめなので、いつも、自動おみくじにお金を入れることはないし、賽銭も最高5円で、普通1円だ。有名すぎて、人がごった返し、1時間マイナス1時間も並んだんだ。2年前に死んだ俺のじいさんは、自宅の自分の部屋で護摩を焚くから困ったものだった。天井まで炎が上がるのに、絶対、火事にならないのだ。字が小さくて見えないでしょうが、奥の石がカエルです、と書いてます。感動の涙を葉で拭いてください。そんな訳で、そろそろ、時間を潰している時間もなくなってきたので、酒蔵を後に去っていく。次回は、いつの日か、のんベイの方々のために、伏見の酒の紹介をします。来週まで待て!(誰も待ってない)
2008.10.22
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カイロのイスラム地区、中心にはハーンハリーリという、14世紀から続く大バザールがあるのだが、現在では、ただの土産物街となっており、金細工、カーペット、食器、宝石、川細工、布地、木箱、モザイク模様の工芸品などが、続くのだが、さして、面白くはない。そこから、ズエーラ門を超えると、一気に、庶民の市場通りとなるスルギーヤ通りとなり、そういうところをオレは歩きたかったんだと、嬉しくもなる。 先日も書いたとおり、エジプトは石油の産出がなく、アラブ世界の持たざる国であるのだが、その長い歴史がゆえに、またその地政学的ゆえに、アラブの盟主という困難な立場に立たねばならないのは、貧乏長男のようなものである。1981年、サダト大統領が暗殺された。新聞で見て、エジプトの大統領がサダトということを初めて知った。近所ではポートピア81が開催されており、遠足で出かけた年でもあった。ついでながら、ノーパン喫茶が急増したと年でもある。勿論、残念ながら社会見学さえ、できていない幼年期であった。1983年は、ベニグノアキノ氏が台湾よりマニラに帰国したときに、空港で暗殺された。85年初めてフィリピンを訪れたときには、まだマルコス政権であったので、コラソンアキノのピープルパワーまで、数年を待たねばならなかったのであった。同じ83年には、チョンドハン韓国大統領暗殺を企てた、ラングーン事件もあった。韓国の副首相や外相など政府要人が死に、車の渋滞で遅れた大統領は死を免れたという事件だ。先日、やっと、ミャンマーは北朝鮮との国交断絶を解除した(よね?)1984年には、インドの、インディラガンジー首相が暗殺された。ネルーの娘ではあるが、マハトマガンジーとは血縁はない。意思を継いだ息子のラジブガンジーもその後、暗殺された。1986年、インドネシアのジャワ島中部ウノソボで知り合った人の名前がインディラさんだったなあ。1987年には、はちやまゆみことキムヒョンヒたちによる大韓航空爆破テロがあった。逮捕される前と、後でゃえらい別人だったよなあ。韓国で撮影された映画を見たが、どうも、キッチュにつくられてて不謹慎にも、笑いそうになりました。だって、折れた飛行機から、人がわあわあいいながら落ちていくんだ。1989年、天安門事件があった。戦車を停めたシーンに感動したが、あの学生は殺されてしまった。100万人以上が天安門に集まったといっていたが、その後、初めて天安門みたら、そら100万人入れるわ、というほど広かった。人間サイズではない、あれは。そういえば、前後して、イランのホメイニ師が亡くなったなあ。2001年、アメリカの911の3日前に、アフガニスタンの英雄、マスードが暗殺された。マスードについては、本をよく読んだ。写真集で、指導者マスードが、みなの前で演説したり、銃をとったりする写真よりも、丘の草むらで、ほんの少ししかない空き時間を、寝転がってリラックスして本を読んでいる姿が一番印象深く覚えている。こんな時間がいっぱい持てて、争うなんてくそくらえだ、みたいな姿勢であり、一番、読書のときがいい顔をしていた。ディエンプラトー懐かしいなあ。ビマテンプルの前で、ボブマーリーの泣かない女はいないを聞いたなあ。911といえば、1973年おのチリのクーデタだ。 よく思うことだが、市場をブラブラ歩いていると、生活のために、ほんの数日前まで仕事をしながら、無難な日常を過ごし、ほんの数日後に日常に組み込まれていくことが、不思議でならない。私のもう一世代ぐらい下の人たちって、親が優しかったのか、幼い頃から「やりたいことをやれ」「好きなことをしろ」「やってみたいことをチャレンジしろ」って結構言われ続けてきたのかもしれない。それは、それで素晴らしい事かもしれないが、やりたいことをやって自立することは、やりたくないことで自立するよりずっと難しいということが分からないのか、教えられないのか、親たちがせめて子供たちだけでもやりたいことをやってほしいと思う気持ちが強いのか・・・受験戦争の弊害か?そもそも、受験という戦争で人が死んだか。受験より自由に生きることが大切だ、柔軟に生きることが大切だ、そらそうかもしれないが、なんだか学力が低下し、国力が低下している気がする。国力の低下なんかクソ食らえと思っているのかもしれないが、どんなけ、日本国民というだけでメリット受けてんねん。わしらの父ちゃん母ちゃんが頑張ってくれたからやで。それにも増して、案外言われないというか、いっちゃ駄目なのかもしれないけど、はっきりいって、学歴と、そこまでいかなくても、犯罪と教育は、相関関係があるちゅうことだよね。中卒、高卒、大卒、統計的に16歳から26歳が収容される少年刑務所の学歴を調べれば一目瞭然である。私の住む近くの姫路少年刑務所の入所の75パーセントが中卒だ。現在、高校に進学しない10代の日本人はたったの2.4パーセントにしか過ぎないのである。誤解を恐れずいえば、安全な国にするには、やはり教育であり、せめて高校は卒業したほうがよく、できれば、受験勉強なので、内容はほっといてても、考える力までは求めないとしても、努力したり頑張ったりする力を養ったほうがいいと思うんですけど。仕事ってなんだ?プロフェッショナルってなんだ?それは、金を稼ぐことで、限られた時間はるいは、期限がある中で、仕上げるって努力であり、能力であり、その勉強をしているってことの一つだよな。深刻なことを書こうと思ったが、今日も軽いタッチで終了だ。そら、働かんでいいなら、一番いいけどよ、バロー。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.21
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これは、前回2回目の韓国よりさらに、よく覚えていない韓国旅行であった。確か、仕事中に、街中を歩いていると、旅行代理店の張り紙に、韓国19800円とあったのを見て、飛び込んで、その場で申し込んだ。ここ数年にように、韓国キュパイチとかニキュッパとかがまったくない時代で、やはり2泊で4、5万円はした。格安の理由は、まったくの閑散期12月上旬の平日だったからだ。 実は、海外旅行の団体旅行の参加は初めてであり、空港の送迎と、中級ホテルと飛行機代のみというツアーであった。(今、そのとき泊まったホテル、ソウリンホテルを検索すると、区画整理のために潰されたが、チョンノにあったようだ。今回の旅行で、歩いて通り過ぎている。全く分からなかった。) 出発の前日は、会社の飲み会があった。実家に住んでいた私は、飲み会といえば、カプセルホテルにいつも宿投していたので、一応、念のため、胸ポケットにパスポートを忍ばせておいた。 考えれば、当時は、韓国も遠い国、10年ほど前まで、トランジット1泊以外は韓国もビザが必要だった。1986年のアジアンゲームのときは、その期間だけ1週間ノービザだったことを思い出した。ビザを取りに、当事、神戸にあった領事館に行った。 出発の朝、大阪南のカプセルホテルから伊丹国際空港に行った。伊丹から海外に行った最後のフライトだったかもしれない。1994年9月が関空の開港なので、多分、行ったのは、92年か93年の12月だろうと想像できた。 この旅行の最大の特徴は、背広に手ぶらだったことだ。2泊だから着替えもなく、当事の職場への通勤はいつも手ぶらだったから、やっぱりてぶら。詳しく言うと、片手に日経新聞。 ソウルに着いてから、ようやく、安い旅行のからくりに気が付きつつあった。ホテルに送迎するまでに、何度も土産物屋を回るのだった。バスか!と思ったら、ソウルの空港に集まったのは、もう1人のおっさんだけで、普通の乗用車で、おっさんは、40万円ぐらいする革ジャンを買わされていた。私は、ちょっと、ちょっと、といいながら、すぐ店を出て女性店員数人の猛攻色気仕掛け説得を回避することに成功しつつあった。しかし、申し訳ないので、確か、革ジャン屋で、何故だか、コウライニンジンの一番小さいのを一つ買ったような気がする。 やはり着替えが必要なので、東大門まで、背広と下着を買いに行った。どのようにして行ったか定かでないが、地下鉄のワンシーンを覚えているので、多分、地下鉄だ。日本以外の地下鉄なんて危なっかしくて寝られないよなあ、と思ってきたが、ぐうぐう寝てしまったのであった。(というか二日酔いでもあった) 韓国ウドン(カルククス)を昼間に食い、生きたたこの踊り食い(サンナッチ)を食べたがどこで、食べたかまったく覚えていない。韓国で買った背広は、すぐに、チャックがバカになったが、がんばって10年ぐらいは着たような気がする。おまけ・・・昨年放火された南大門 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.10.20
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稚内無事帰るロードである。いつも、いつも、家を出た瞬間に、家に無事帰ることができよう、万人は祈るのである。家に無事帰れば、棚から物が落下してこようが、ベッドからずり落ちようとも、トイレで脳溢血で倒れようとも、知ったことではない。考えてみれば、私たちは、人口バブルの時代に生まれてきたのだなあ。特に、戦時中なんて、うめよ増やせよで、兄弟姉妹が多い。でも、最近って、このまま子供生んで将来どうなることやら分からないと無意識に思う人が多いので、少子化しているのでしょうか。カエル、カエルオブジェ、モノつくりに励む日本人、やはり四季があり、気温差が大きすぎるので、勤勉にならざる得なかったのか、自然災害もありまくり、ヨーロッパ人からみたら、何だこの国は、地震はあるは疫病はあるわ、川は氾濫するわ、しかし、綿花も作る土地もない、ダイヤも何も出ない、金も掘りつくされた、魅力ねーよ、といって、占領を免れた部分もありそうだ。今で言えば、バングラディシュのような国か。北海道は、さすがに広いなあ。ウォークマンや軽自動車に代表されるように、なんでもかんでもちっこく作ってしまうこtおに美意識を感じる日本とは少し地形的に違うのかなと思いながら走る。細工しないと、不細工といい、詰め込まないと、つまらないという。中国とは違うなあ。ライバルの語源がリバーであるように、日本は、国際河川がなくてよかったなあ、と走りながら思う。遠く、利尻島を巡って、蛙鳴く。2008年北海道旅行 夕張訪問 夕張炭鉱1 夕張炭鉱2 幸せの黄色いハンカチ 札幌市真駒内霊園1 ・ 札幌市真駒内霊園2 支笏湖 稚内へ 稚内無事帰るロード 稚内細密紀行
2008.10.19
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オールドカイロよりタクシーなどで行けばいいのに、何となく、とぼとぼ、フスタートの廃墟沿いを歩いて行った。カイロの高台に立つシデタル。シデタルの対岸の山は、軍事施設。ここでの見学を終え、市場に向かう途中、前から地球の騙し方を持った、運動靴に麦藁帽子の日本人がやってきた。私を見ると、日本の方ですか、といい、ここからモスクまでどのくらいありますかと聞かれる。なんだ、こんなところに、ミニバスも乗らずに、誰も歩いてないところをわざわざ炎天下に歩いているなんて、節約旅行市場主義者なのかと思ったが、社会人になってもう長い私でさえ、彼と変わらず歩いていることに気が付いた。私はTシャツに草履だ。さすがに、今は、全財産を腰巻に巻いているということはないのだが、20年たっても、変わらないところは変わっていない。但し、タクシーにも乗れる余裕があるという選択肢を持ったことだけが変わった。問題なく、迷子になれる余裕があるのであった。へとへとになって、ドームの中に入った。ひんやりした。特にここが終着点ではないが、ヨーロッパを経由して、カイロから地下鉄に乗り、数キロ歩いてきたのだなあ、と思う。この旅の折り返し地点のようなものが、旅の日程の3日目にして、突入したことを悟り、やたら忙しいな、少し疲れたわ、と思ってたら、前に座っていたのは、家族旅行で着ていた日本人で、多分父親は、エジプトに家族で来るぐらいだから、それなりに好きなんだなと分かった。その家族には日本語ガイドの人も付いていて、団体旅行ではないので、それなりに、計画を立ててきたのだなあ、と感心もしながらも、何ヶ月も前から調整し、旅行計画を立て、現地のとも何度も直接交渉して、エジプト航空でひととびでやってきて、思い出つくりに励む姿なのだな、と勝手に想像した。小学生の息子が暢気そうであった。それに引き換え、私は何だとも思ったが、思っただけであった。エジプトは、現在においては、石油産出国ではないので、経済的には、たいしたことないのだが、何せ、何千年の歴史という使命と運命が、アラブ、アフリカの盟主という重い責任をかってでている。そこに無理がある。この地は、サラディンが造った要塞。高校のときに、なんとなく、習った、アイユーブ朝を作ったサラディン、十字軍を蹴散らしたとの記述に、何故だか、スッキリシテカッコイイものだなと思った。正直、大学に入るまでは、歴史は、完全に西洋から見たものであり、その記述が中心であり、なんだか、ローマギリシア以降は、世界史の中心は本当は、中国や、イスラム世界であった思われる記述がときどき垣間見えて、何だか不思議な気がしたものであった。高校の世界史の先生は、サラディンと発音できず、黒板のはサラディンと書いたくせに、発音は、サラジンと言っていた、常に酒とたばこ臭い学年主任のおっさんだった。有名な話だが、暗殺のアサシンは、この頃のアラブの言葉で、語源はハシシである。カイロ全景が見渡せるのではあるが、全景がよくわからない。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.18
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天下の将軍がこんな人だったらちょっとだけ嫌です。何故なら、口開けてるから。(笑)ともだち、韓国では、横文字で書けば、DOMODATIです。ども。(笑)同情しないならちゃんと壺の中に金を投げてくれ。(泣)地下の女将軍がこんな人だったらちょっとだけ嫌です。何故なら、口開けてるから。(笑)黄金の玉を持つ男、ドンと投げてくれ。(珍)キーン、ゆうて、うるさい奴。オブジェのくせに。(怒)弓吹いてます、いいですかね。(願)微笑ましく、食べられてます。みんな笑顔。(笑)踊っていいですか、いいですよ。(推)信じなければ地獄。キリスト教って怖いですね。(怖)日本の恥も訪問した地ですね。(情)ヤクチュウで量を間違えて死にました。(悲)ブルースブラザーズは、もう20回ぐらい見ました。ブルックスブラザーズも20着ぐらい持ってます。(慢)地下道に、臓器ショップがあります。(怖)韓国には、何かとカップル将軍が多いです。(頷)あまり落ち着けない喫茶店でした。(災)そんなぼろっちいロボット好きか?私はまあまあ好き、情けないのが。(笑)お土産にしたいですが、お土産にされた困る一品でした。(落)やたらに多い「ところでショップ」洒落としては、つまらなさすぎて、泣けてくる。(楽)トイレにいけば、少し複雑な気分になるのソウルでした。(笑)(悲)(怒)(哀)
2008.10.17
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満月の日、祭りに行ってきた。祭りは、何となくガラが悪いのと、ヤンキー女の集まりって感じなのが、好きだ。私の田舎の姫路も灘の喧嘩祭りといってかなり激しい祭りがあり、企業も大手企業も休みになる町中が大騒ぎの祭りがある。子供の頃に、行くと、はっぴにふんどし男がのしのし歩いているのだが、ある一人の男のふんどしから見える尻が、おできだらけで、それは無茶苦茶汚く、その夜、子供心に、悪夢にうなされた。それ以来ふんどしが嫌いになり、ふんどしを自分で買ったのは、十数年も先であるインドでであった。日本で言う越中ふんどしではなく、ビキニみたいなやつだ。スースーしてそれはいいものだった。はじめて、たこせんを夜店で食べた。
2008.10.16
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2回目、ソウルに行ったときのことは、20年以上たった今は、断片的にしか覚えていない。覚えていることリストバンコクから金浦空港に到着したとき、国がキムチ臭かったのに、自分の服が臭いと思って、服を臭いだ。ソウル駅に居た。多分、一般バスに乗って来たに違いない。私が持っている全所持金は日本円にして1500円程度であったのだから。地下鉄に乗った。ハングルは読めないし、下に書いてある案内はチョンとかヒョンとかピョンとかで、自分の降りる駅を何度も何度も確かめて乗った。その駅で降りてから、市バスに乗った。あるバス停を降りると、おじさんが待っていてくれた。学生の父親であり、私が髭を生やしているのをみて、びっくりしていた。韓国では、若者は誰も髭を生やしていなかった。アメリカンボーイ?とおじさんは私に言った。何故おじさんが迎えにきてくれたのかは分からないが、多分、住所を書いたメモを見ながら、誰かが、電話をしてくれたのだと思う。おじさんはニコニコしながら、家に招いてくれ、オマエ食べる?と日本語で聞いてきてくれた。その後暫くして学生が帰ってきたのだが、何故だか、彼とは、初対面であった。どうやって彼と知り合ったのか、何故彼の住所を持っていたのか思い出せないが、会った瞬間、お互いに、あれれキミ誰?といった顔をした。その後、彼の家に泊まったかどうか覚えていないが、その日か、次の日に、違う学生の家に泊めさせてもらった。そこでは、5、6泊ほどしているはずだ。なぜなら、タイから日本に帰るまで、1週間ストップオーバーするチケットだからであった。確かに、大学構内の学生部には行った。日本の大学から派遣された親善大使か交換留学生みたいなものだと、学生課で言った。何故、つっかけでザックを背負った汚れの私が、そんな暴挙に出たかというと、やはり、1500円では、1週間の滞在は無理だと、判断したからである。どこからどうやって、その大学に行ったかも定かでないのだが、今検索したら、ミョンドンや南山の近くにある仏教系大学だということが判明した。私は、なんらか、説明をしたはずなのだが、何をどう説明したのか、覚えてはいないが、その日の夕方は、教授までが出てきてくれて、大学の門を出たすぐの中華料理屋で私のためにパーティが開かれた。しかし、2ヶ月以上、1日1食か2食で過ごしてきた私には、胃が小さくなりすぎていて、すぐに腹がイッパイになり、死にそうになったことは覚えている。日本の●●大学より、親善のため、当大学を表敬訪問!とインタビューも受けていないのに、学生新聞に載ったのを見せてもらった。泊めてもらっている間、昼間は何をしていたのか、さっぱり覚えていない1週間である。しかし、夜に起き出して、というか、夜には、そろそろ行くよ、といわれて、飲みに行き、朝まで飲むという毎日で、昼間は、毎日二日酔いと戦っていたというのは、覚えている。どんな店に行ったかについては、また覚えてはないが、マッコリを他人のトラックの荷台で、何人かで飲んでいるシーンは覚えている。酔っ払いが、酔って、ネオンの看板を蹴って壊したシーンも覚えている。泊めさせてもらっていた彼の実家がお菓子屋か雑貨屋で、酒のつまみに、店のスルメイカとかを勝手に千切って食べていたシーンも覚えている。さっぱり昼間のことは、覚えてないとは言ったものの、少し思い出してきた。1986年はアジアンゲームがあり、4年後のソウルオリンピックに向かって盛り上がっていた時期であり、何故か、オリンピックスタジアムに行ってぼーっとしていると、親切な韓国人が、入場券を1枚余ったとくれたのを覚えているが、中にどう入って、何を見たかはさっぱり覚えていない。明洞で喫茶店に入ったのも覚えているが、出されたコーヒーに付いているスプーンで、置いてある砂糖カップの砂糖をすくうシステムだったことを覚えている。チャックノリスのデルタフォースを映画館で見た。映画が始まる前に、軍事国家らしく、国家掲揚があって皆立ち上がっていた。1500円の全財産というのに、全然お金を使っていなくて、ストーンズのエモーショナルレスキューのレコードを700円で買った。唯一行った観光地はソウルタワーだけであった。あのときに会った美人韓国人女性が、今でも、日本語が今まででも一番上手な在外外国人だった。絶対、韓国人で韓国に住んでますといわれないと、日本にずっと住んでいる日本人のイントネーションにしか分からなかった。そのとき彼女が連れていた彼氏だけが、若者で唯一ヒゲを生やしていた若者だった。そう考えたら、さすがに20年以上たつと、死語もあり、もうなくなってしまったこともある。韓国は、とても、個人には親切な国だ、私は、贔屓してそう思う。少し、教育が間違っている面があるだけだ。 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.10.15
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刑務所内には、今もちゃんと、処刑の場所が堂々の公開までされているのであります。他国他地域を他民族が占領征服すればいつまでも時効なく恨まれるのは仕方ないことだが、事実を捻じ曲げていく格好の餌食になることも、時の圧政者は考えろよな、って未来のことなんか考えることないか。 日本という国は、植民地政策に慣れてなかったので、現地に金と技術をつっこみ、そのまま、すべてほったらかして引き上げた。歴史上ずっと、やってやられまくる殺戮のヨーロッパ人は狡猾で植民地政策になれていたといえよう。ほら、そんなに恨まれることなく、未だにこの前まで香港とかマカオとか持ってたし、未だにマレーシアのキャメロンハイランドとか各地にヨーロッパ人が土地を持ち続けている。日本が征服する前の両班の支配のときのほうが、庶民はどれだけ、虐げられ貧乏だったか、ということは、まあおいとこう、日本に支配されず、いくら酷くても飢餓が続いていても、同国民の支配を受けたほうがまだいいよね、多分。屈辱度が違うものね。ここには、昔のいろんな写真が展示されてますなあ。すごい写真だな。この写真も捏造かもしれないけどね。だから支配が良かったなんていうことは、まったくないのだが、一方で、日帝とキーワード検索すると、歴史の捏造のほうが、先頭に表示されるというのも、問題であるような気がする。確かに、100年前の昔、日本の隅々を旅行したイザベルバードも、朝鮮を訪れていて、その差に愕然としていましたな。でてくるねハングル禁止!なんだか、お前ら、金持ちになったんだから、ちょっとぐらいいいじゃないか、よこせよ、ってな感じが、アジア各地で感じるんだよね。でも、栄枯盛衰、ウリナラ(我が祖国)ももうキツイすよ~。マンセー(万歳)!好意的な文章もあるね何もしなければよかったんだよね。要は。そのためには何もされたくなかったんだよ、欧米から。なんぼでもでてくるななんだか、いろいろ検索してるんだけど、さあ、日本の悪事をこれでもかと書きつくしたページがなかなかみつからないんだよー。マスコミとえらいちがいだ、ハングルのページならそういうのでイッパイなんだろうけどさあ。・・・・・もういいよ。てか、個人的なことだけど、ホント、韓国で、じいさんから若者まで、酷い目や暴言にあったことがないんだよね。若い人は、まあ、日本が好きな人も多くありがたいし、日帝を経験したじいさんばあさんにいっぱい昔あったけど、誰も私を非難しないし、日本を非難しないし、気を遣ってくれただけかも知れないけど、そうでもないと感じたんだよ。言葉は怖かったけどね。日本語で言ってくれるんだ。「オマエ、タベル!」といって、ご飯を出してくれるのだ。でも顔はニコニコしていて、敬語まで学んでないだけで、一生懸命、日本語を思い出して話しかけてくれたんだ。考えれば、もう今は、一般家庭や一般市民と触れ合う旅行をしていないことに気がついて、少しカックンきた。ということで、次のスポットへ急げオレ! 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.10.14
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トンニモン駅徒歩1分は、抗日運動家が捕らえられ、拷問処刑を受けた場所。日本人団体観光コースに入るのかどうかは知らないが、案外、教育のためか、韓国人家族連れがメインの暗い場所。ファミリーで楽しくやってきて、落ち込んで帰っていく場所。入場料はたったの1500ウォン約100円ちょっとの見ごたえのあるカチのアル場所。日帝より、80年にわたって韓国の現代と近代の激動期においての受難と民族の恨みが凝縮された歴史の場所。1987年、その歴史を終え、1992年に開園、ほう、初めて行った頃にはなかった訳ですな。祖国独立のため、日帝の侵略に立ち向かったために、投獄され、凄惨な拷問と弾圧を受けて殉死した愛国烈士たちの魂を慰め、子孫たちに民族の自主独立の精神を振り返る歴史教室の場所。500坪弱の牢獄と、その他処刑場などの付属施設からなる静かな公園。韓国蝋人形の特徴としては、一部電動式になっており、手が動いたりすること。憲兵の右腕に持たれる刃物が動き、拷問を受ける人の爪の中に入っていく場所。韓国蝋人形の特徴としては、一部声付きで、あちらで男のうめき声、こちらで女のうめき声で、更なる地獄図を醸し出す場所。その嗚咽の叫びを聞き、子供たちがすくみあがるシステムがなりあがり、子供たちが震え上がる姿が見ることができる場所。日帝の侵略に抵抗した愛国烈士たちのを最新映像システムとリアルな人形で紹介し、彼らの足跡を辿ってその志を偲ぶことができる場所。祖国の光復(独立)のために戦った愛国烈士たちの霊魂をビデオや各種資料で勉強ができる場所。獄中の生活、独房、死刑場などの過酷な弾圧を観光客が直接体験できる場所。獄中では、衛生と食糧配給量が悪く、一番の苦痛は飢餓であり、多くの人が飢え死にしたと分かる場所。未だに聞こえるうめき声(大音量)しかし、もっと轟く独立万歳の叫び!最低限の人間的条件ですら抹殺され、暴力と拷問に苦しめられる愛国烈士たちのうめき声を聞きながらも、最後まで屈しなかった彼らの勇気を体験できる場所。臨時拘禁室で、独立を叫びながら死んでも、お前らには屈服しないと聞こえてくる場所。日帝が、朝鮮人は叩いてやらなければ分からないと屈辱的な暴言を流布させた場所。愛国烈士を特別犯罪人にしたて、棒で殴るのは基本として、さかさまに吊り上げ、唐辛子や水を鼻や口に入れ、手足を縛って熱い鉄で焼き、電気拷問を加えるなどが再現されたシーンが見ることができる場所。悪刑を受けた先烈たちの苦痛と苦悩を直接体験し、自主独立精神を学ぶ歴史教育の場所。爪刺拷問や箱拷問、電気拷問をちょとだけ、直接体験できる場所。裁判台に立つと、センサーにより死刑宣告の判決を言い渡される裁判体験もできる場所。死刑体験コーナーでは、死刑を体験できないが、先烈たちが殉国の瞬間に抱いたであろう苦悩と苦痛を身近に体験できる場所。子供たちが、殉国烈士追悼作文を子供たちが書くことができる場所。そんな場所は、明日以降に第2弾として続くので、皆様お楽しみに。それにしても、併合した側からは、言いにくいのだけど、あまりに誇張されているどころか、事実に反するものが多いのには、閉口したというか、とても素直に日本がこういうことをやってきたんだなあ、と感じながら見学はできませんでした。しかし、小学生たちは、熱心に見てました・・・。こどもたちに悪影響ですなあ。トーチャームージアムですね。 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.10.13
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8時半に関空に着いて、九時半の飛行機に乗った。乗って1時間半ぐらいで、すでにインチョンに着き、そこから、9000ウォンでバスに乗り、1時間以上かかり、市内に着いたのは、既に13時を超えていた。もう、起きてから7時間を経過している。近くて遠い国だ。初めて、アシアナ航空に乗ったのだが、3×3席で、乗っているのは、若い女の子かおばさんカンリュウ軍団かおっさんであり、若い男や、私ぐらいの年代は極端に少ないのであった。市内に着いたのは、既に13時を超えていた。もう、起きてから7時間を経過している。バスを降りると、既に、めだまくりぬかれ、ひげを生やした美人女優キムテヒ。ホテルは、ネット予約したつもりが、されてなく、すったもんだの結果、どうやら、部屋は取れてませんでしたというメールが届いていたようであったが、どうやら、迷惑メールに入っていたようで、私は確認できなかったのであった。しかし、空き部屋があったので、すったもんだ、30分かかってチェックインし、急いで、町に出る。日帰りしてもよかったのであるが、空港から市内にやたらに時間がかかるので、仕方なく、ホテル代を散在して、1泊すると決断したのであった。明洞を突き抜ける。ミョンドンを歩くのは20年ぶりであり、もう、すっかり、何も覚えてなかったが、人多い。とにかく、まずは、飯だ。ビールに飯だ。清渓川。現大統領が、2005年ソウル市長時代にオアシスに変身させ、成功させた川ということである。川沿いではなんかいろんな説明をしているようですが。橋の上では、催しものをしているようですが、こちらは観客0人。川を超え、なんだか、昔ながらの景観を保つとされている仁寺洞ギルを歩いてはみるものの、ただの土産物通りである。それらしいなと思わせる通りが、裏通りに少しあるだけ。おもろい、木の根を守る、これなんていうのかねえ。世界で唯一英語でスターバックスと書かれていないスタバ。出っ歯でなくてすみません。こんなところで、写真入の達人さんに会うとは想定外でした。寝てる人を撮影していると、何だなんだと人だかりができ、それを見て、私もなんだなんだとキョロキョロしたが、私が変な人を撮っているので、何とってんだと、人だかりしてただけでした。映画銅像と餅つき肉体人間。それにしても、韓国は、ヤバイ、不当に安い。下手すると、タイより安いぐらいだ。経済と物価が合っていない。ドルとの連動もあるが、屋台でズボンが300円とか、屋台でショーチュー1本が200円とか、いろんな入場料が100円とか、何だか、心配になるほどだ。いきなり100ウォン7円だった。ただし、ホテル事情は悪く、結構な値段はする。何でもいいけど、この通りを抜け、いよいよ、私の今回のメイン会場へ、明日以降を待て!あ、誰も待ってない。 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.10.12
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中国に居る暇がなかったので、一気にまわることにした。中国に居る暇がなかったので、一気にまわることするまえに、木になったおでんを食べる。傘が何だる。石碑坊を抜けると、そこは、気温は変わらなかった。そこは、民族水世界と書かれてあったが、マンダリンが苦手なので意味が分からぬ。チワン族の男の子、何だか、売られてきた子みたいでかわいそうだった。水族、すごいミスで溢れていた。水族館のようだった。イー族。何だか、売られてきた女の子みたいでかわいそうだった。もしかしたら、いや、多分、漢民族が民族衣装着ているだけのような気もしてきた。石林、あっそう。プイ族の皆様ヤオ族の皆様、何だか、売られてきた女の子みたいでかわいそうだった。ミャオ族かも。どこでも、もうタクトウ闘争思想が走り抜けます、何だか、造反有理してます。楽しいトンネルくぐるのは自由です。雨風橋です。トン族です。客家の一種ですか?橋に家がひっついてます。鼓楼。トン族です。客家の一種ですか?中は吹く抜けですが、入れませんイミテーションですから。ナーシー族です。売られてきた男の子が現代風Tシャツを着たり、人形化してます。観光客の女に子が溺れてます。暑いです。カオシャン族です。後ろの千手観音は無視してください。ワー族です。ハニ族かもしれません。珍曼族ではありません。リー族です。勿論、珍曼族ではありません。ジプシオ族です。違うような気がします。トウシャ族です。多分、違います。狭北の洞窟住まいの風景のようです。チベット族です。以上、弾圧している民族の一部紹介でした。チベット高原にあるボン教の石のようです。ラマ寺の中です。腹に顔があります。そんな感じです。そんな感じです。イミテーションキッチュ国家を垣間見ることができました。では、団体さん、鳳凰広場に集合!あ、ひとりやった。乳首がひとつであったり、眉毛が長いのは愛嬌で、中国全土を2時間で回りました。結論的には暑かったです。巡り巡って、カックンしました。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.11
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プノンペンの空港に行く前から、大雨となり、傘のない私は、市場でしばらく、雨宿り、と思った。カンダルマーケットは、庶民の食材を扱うマーケットであり、屋根がなく、大きな傘をさした集合体だった。だったので、市場に入っても、順調に濡れ、カメラも濡れて、服も荷物も順調に濡れ始める。ホテルに荷物を預けているので取りに帰るが、昨日のバイタクのあんちゃんに空港まで届けさせてくれといwれていたことを思い出し、この雨では、空港まで2人乗りなんかしてたらずぶぬれだよ、キャンセルだなと思っていると、彼は、ホテルの前で、しっかり約束の30分前から直立不動していた。こんなに雨が降っているので、だめだよ、バイクは、タクシーか、幌付きのトゥクトゥク(オート三輪)でいくよ、というと、大丈夫だ、まかせときな、準備は万全にしてきたという。 空港に着いたときには、パンツの中までびしょびしょで、荷物の着替えも当然びしょびしょで、持っていた本もページが開かない状態となっていた。セントラルマーケット。プノンペンからバンコクまでの国際線は45分(反対は1時間)、しかしさすが、国際線であり、冷たいミールサービスがあり、飛び立って5分とたたないうちに、まだ機体が水平になっていないうちに、フライトアテンダントの人々は、パックに入った食事サービスを始め、急いで、ワインにビールサービス、食後のコーヒー紅茶サービスを始めた。そして、着陸態勢に入り、シートベルトサインが出て、あーあ、撤収に時間がなかったわ。と全席のトレイがおきぱなしで、多分着陸時に、手で持ってくださいという案内が入るだろうと、思っていると、急に撤収開始で、傾いた機体の中をほんの1分少々で全員分を片付けてしまったのであった。そして、本当に、それから1分程度でランディングしたのであった。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.10.10
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本日、妹夫婦が日本に来たようだが、自宅を、上空から見ると、こんな感じであった。ヘリポートが2箇所あることが、判明したのであった。 来たようだがというより、まあ、ちょっと飲んで飯も食って、なんか明後日から韓国行くらしい。そしたら、オレも、暇なら行くわとだけ、行っておいた。ホテル名だけ聞いて。ところで、日本人が英語しっかり話せるようになると、人材が海外に流出するって懸念もあるけど、それは、大丈夫だって、そうだねえ。教育を考えると、やはりスピーチ、話しまくりの国アメリカは、授業でも、スピーク中心だけど、日本ではひらかなかたかな漢字ローマ字を習いまくって文字にすることが主。ブログなんかもアメリカの半分しか人口がいなくとも、そのコメントの多さは突出しているようだ。それに加えて、算数数学。ちょっと、留学やアメリカの学力システムを調べたら分かるけど、数学は簡単なんで、日本で苦手な人でもアメリカではトップクラスになることができ、留学も文系だったみなさん、数学で点数を稼ぐの構図がある。多分、今もそうだと思う。 でも、日本の経済もオンボロといいつつ、まだ普通のパン屋に行列だできたり、ガソリンがないと暴動になっていたり、まだ食べ物の半分を捨てているようだから、大丈夫だ。沖縄は台湾と、九州は韓国と組めばいいし、今後は温暖化によって、多分、北海道が日本のメインになる。(今の関東の気候が北海道の気候になるからという単純理由)本州や四国は、東南アジア的気候となって、経済的にだらしなくなるか?南国のフルーツでもあまり働かなくても、いっぱい取れるようになって、諸外国に搾取されないようにすれば、まあ、大丈夫じゃない?一応、日本がうまくやってこれた大きな原因のひとつに南北に長い多様性があったと思うんだけど。これ、日本が東西に一直線の国だったら、今の日本はなかったと思うけど、やっぱ地政学・地理学ってでかいよなー。(あれ、勝手に結論しとる) そや、食糧自給率も、なんだか、うそっぽいよね、40パーセントだとか。半分すててるというのなら80パーセントだし、カロリーベースなんだよね、生産ベースではない。これじゃあ、カロリーベースなら、飢餓のアフリカ諸国の食糧自給率100パーセントになっちゃうよ。国民のカロリー低いからさ。 今日は、何を隠そう、京都まで葬式に行ってきた。自分の人生もついに、結婚式より葬式にでることが多くなる季節を迎えたのだなあ、と思う。そのくせ、自分は、ずっと死なないと思っている節があって、それが傲慢やっつうねん。 バンコク国際空港 香港上空 香港おわり 雲興奮台湾上空、多分、ニイタカヤマか? 台北、基隆あたりか 沖縄と九州の間の島、南大東島じゃないとは思うけど。 雲、再度興奮。 暗くなって終わり
2008.10.09
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私は、高校生のときは、世界史を選択していたので、日本史については中学生ラベルしかないので、その知識を補充するために、わざわざ大阪に行く、というか、仕事で毎日大阪に行っている。決して人形を見に行ったわけではないのだが、私の前にはすぐ人形が立ちはだかるという構造になっている模様で、昔の難波宮では、飛鳥時代奈良時代では、女官は大きなうちわを持っていた。男性諸氏はしゃもじを持っていた。この博物館自体、難波宮跡地の一部に建てられているということである。難波宮跡地は、こうやって、大阪市中央区で、見ることができるが、しっかり何もない。まあ、しゃもじというか、シャクは、カンニングペーパーをシャクの裏に貼っていたようであります。来場者は、日本人より韓国人の方が多いぐらいであった。暇そうな西洋人も仕方なく来ているような感もある。韓国人カップルは、着替えをして、写真に収まっているの構図。ミニ人間たちよ、ああ。ミニっこたちよ。 ブラブラ見ていると、そういえば、日本が開国したときに、比較的スムーズにいったひとつに、まれな教育の質の高さがあったと思うのだが、近年は、ほんま、教育の質の低下や、教育費の高騰で、憂国だ。 同時に、私は、フィリピンのことを思った。私にとっては非常に思い入れのある国で、アジア唯一のラテン系のチャランポラン国家なのだが、実は、アメリカの庇護もあり、1950年代までは、アジアで一番裕福な国だった。勿論、日本より裕福であった。 当事、フィリピンの庶民の生活レベルは高く、、大学進学率は世界で1、2位を争うレベルだった。現状、そんな国だった面影もない。いったいどうしてこうなってしまったのか、原因はいくつか推測されている。 アメリカ型の学歴社会だったために、国が豊かになってどんどん好き放題に大学ができて、大学に簡単に入れるようになったために、反対に学力低下が起こったこと。英語が公用語だったために国が落ち目になった際に優秀な人間がアメリカにみんな逃げ出したこと。どんどん人材が流出して行った。これは、今でも続いており、アメリカにはフィリピンの看護婦が多くいるが、それだけでなく、単純労働者としてもアラブ各国に肉体労働者としてでかけたり、船員もかなり多い。そして、マルコスが腐敗独裁政治を長期間にわたって行ない、華僑から奪った資産を一族でわけあったり、世襲に近い政治体制にしてしまったので、、優秀な人材が嫌気がさし、賄賂が横行したことである。 なんだか、どこかの国を暗示しているようだ。まあ、人材流出というより、外資がどんどん入ってきて、外資が勝手に無茶苦茶になって、かき回されている感があるのだが。 世襲が必ずしも悪いものではないかもしれないが、いずれにせよ、政治家のみなさん、日本の将来のことも考えてください!と思わず、当たり前のことを思ってしまうのであった。橋の上には、ペラペラ人間たちがいる。こういう手抜き人間は、私の趣味ではない。ペラ船頭ペラ旗振りペラ水こぼし屋天国地獄は、永遠のテーマのひとつところで、エコエコとマスコミが垂れ流し的宣伝をしている反面、エコロジーここがおかしいといった本のほうが、エコしましょうという本より売れているらしい。いい悪いではなく、エコエコ推進の根拠などの説明がなさすぎるから、一般の人は疑心暗鬼になっているということだよな。まあ、そんな訳で、大阪難波宮も前期後期とあり、実は前期で10年ぐらい、後期で1年だけ、大阪に都があったのであった。しかし、この難波宮跡が発見されたのが1960年代というから、比較的最近のことである。そんな訳で、大阪人でさえ、大阪に都があったことを知らない人間も結構いるのである。
2008.10.08
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マカオタワーからは、世界一高低差のあるバンジージャンプができるという噂であります。マカオは主に2つの島からなり、長い橋で結ばれているのです。びびりましたか。マクドナルドです。誰がこの砦に大砲を置いたかというと、イエズス会信徒です。悪の尖兵です。一応、これがマカオの目玉なんです。奥行きがなくペラペラ天主堂です。火事で燃えたそうです。天主堂の前の階段は、おしゃれなマスコット付きです。どついたら秘密警察か中国抗弁室に逮捕されます。人々はゆっくり小便をしたり、決定を強いたりしている。お土産通りなので、私が買うものはないです。私のお土産は、無事帰ることです、と嘯いて自分の実用的なお土産ばかり買ってます。マカオの人はファショナブル。マカオの女性は、急所に注目。マカオの人は浣腸が好き。マカオの人は孤独な男と女と犬。マカオでは女性が男性に花を送ります。蓮がいいです。なんだか、いくらマカオといっても中国なので、肉を食べるのははばかられます、てか、あまり肉食べないんだった。夕食の時間に魚団子を頼んだら、魚の団子がだけが10個ぐらい出てきて、大変食べ飽きました。ビールで流し込むだけです。苦行でした。苦行も味わえるのマカオです。香港マカオは15分おきにターボジェットが運行されてます。乗り遅れたら、次の便に乗るか、泳いでおいつくしかありません。これでマカオの規則正しい普通の観光案内を終わります。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.07
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何を隠そう、私は、アル中だけでなく、カフェイン中毒をも兼ねているので、早速、時に及んで将に勉励しに、近くまで出かけたという訳である。UCCは、まあ、いわば、神戸の会社である。北欧の人は、コーヒーに溺れている、フィンランドに行ったとき、そりゃ、冬で寒くて寒くて、フィンランドの人々は、暖まるために、酒ばっかり飲んでたよ、アクアビットを回せ!今では、コーヒー中毒でも、中学校までは、コーヒーなんか、ビールと共に飲めなかった、あっ、今、凄いことに気がついた。酒を飲めるようになったときと同時にコーヒーも飲めるようになったわ。子供の頃は、ほとんど喫茶店に連れて行ってもらったことはないが、やはり、何度か行った中で、飲んだのはジュースの類であったろう。カフェイン中毒まであと10年は待たねばなるまいって感じの若き幼年時代であった。高校生になると、コーヒーを十二分に取ることができ利用になったが、ある日、大学の実習生の人と、夕方お茶を飲みに行った。「先生、砂糖、何杯?入れちゃるわ」というと、「私はブラックで」大人、カッコイイ、としびれ、オレも早く大人になろうと思い、その日以来、砂糖を入れるのを止めた。単純か。ウィーンにコーヒーを伝えた男・・・この冬はウイーンか?いろいろ調べているうちに、彫刻と音楽しかないと思っていたウイーンにもチンスポ満載だということが、わが心の中で判明しつつある。世界のコーヒーベルト。赤道の南北25度の地点に、赤いコーヒーの実を収穫する喜びよ。ほとんど観客のいない中、大学コーヒー研究同好会か何かのメンバーが懸命にメモを取っているの団体さんの姿あり。私は、どこのコーヒーが好きかというと、まあ、どこでもいいよ。でも、今や収穫地とブランド名が一致せず、その港の名前をつけたりしていいから、何産なんか分からんのだよねえ。UCcのコーヒーCMを30分にわたって全部見ました。疲れました。UCc缶コーヒーはかつて、日本一の売り上げでしたが、あっさり、抜かれました。ジョージアに。ジョージアはどこか、ジョージアはコカコーラ、コカコーラは何か、日本で一番自動販売機を持っている会社。味よりシステムに破れた。文化人はコーヒーが好き、パオオオ~ンって感じ。出た!石膏人形、豆を盗み食いするの姿。出た!石膏人形、豆をつまみ飲みするの姿。出た!石膏人形、とある飛んでいく錠剤を整理するの姿。どのシーンのコーヒーが旨かったかってのは、大変難しいが、昔、フィリピンでは、ビールが1本20円ぐらいで、水代わりにビールを飲み、ビールで歯を磨いていたので、1ヶ月ぐらいすると、何だか白目が黄色くなってきて、そんな中、インスタントコーヒーをたまたま屋台で飲んだら、美味かった。山登りなんかで、夜に、ヘトヘトに疲れて、テントの中で、コッヘルに水入れて、湯を沸かして飲む珈琲は死ぬほど美味く、そこに、ウイスキーを少し垂らすだけで、グゴーンと酔っ払う。何だかんだいって、インド以西はティー中心となり、よくよく考えれば、インドネシアが結構コピ(コーヒー)飲んだような気もする。あの上澄液を飲むのが、なんとも言えず、気色いい。邪道だが、朝から、ニューヨークではアイリッシュコーヒー。朝からアルコール入って気分よし。自慢ではありますが、ヨーロッパで一番古いカフェ、フローリアンには行きました。高かったです。こーひーを語りだしたら、夜明け徹夜明けののコーヒーを飲むはめになるので、この辺でオレを勘弁しといたるわ。アメリカンコーヒーって薄い色なのは、イギリスの紅茶をまねてって聞いたことあるけど、うそだよよねえ。コーヒーの苦味、時々、あれカビらしいよ。ある種のコーヒー産地では、しっかり紙幣にも収穫の様子アリ。オブジェです。何でよう、こう、コーヒーとタバコの相性はいいのだい?コーヒーと酒の相性は良くないのに。いずれにせよ、コーヒーをよく飲む人は早死にするというデータを出しているレポートはあるが、っそれは、コーヒーそのものなのか、砂糖なのか、クリープなのか、分からない。分けられてないから。1日10杯コーヒー飲む人も、そのたびに2杯ずつ砂糖入れてたら、かなりきてるはずだ。そら早死するような気がするんだけどなあ。ポーヨピア81、つまり、20年ぐらい前、ここでは、コーヒーカップのパビリオンがあった。ポートピアがなまじっか成功したものだから、その後日本列島はパピリオン、博覧会の雨後の竹の子状態で、大いに失敗。食の祭典なんか、コケにこけまくって、そらめし一回しか食べないわな、従業員は、職探しに大変だったわ。それでは、謹言でさようなら。生きる希望にしようではないか。コーヒー豆の無駄使い
2008.10.06
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放浪達人さんがかつてヤンキーで、今は不良だということは、昔から分かってはいたが、私はヤンキーでもないのに、中学校のとき、ギャラクシアンにはまった。音楽も懐かしいといえよう。 ゲームが始まったら、1面目、動かさなくても、落ちてくる4つの宇宙船を打ち落とせるのをご存知だろうか。まあ、そんなことはどうでもよくて、私は、放浪さんのように、揚げ物が好きでもないのに、カツアゲとか、放浪さんのように返す気もないのに、金を強制的に借りたり、そういう邪悪な正攻法は、性格的にできなかったのであった。代わりにできることといえば、ゲーム機のコインを入れるあたりを、思い切り蹴ることぐらいである。その特定のゲーム機は、蹴ると、機械がカツアゲされたのと勘違いして、プレイ1とか突然できるようになるのであり、たまには、プレイ58とかいって、58回もできるぐらいに立派に変身したりして、そうなったら、朝から晩までそのゲーム機を占領するという画期的な時間つぶしができた訳である。そのゲーム機は、コイン入れのところが、靴の跡がイッパイ残り、まるで運動場で雨の日にサッカーをした後のようなゲーム機と変貌していたのであった(ということを聞いたことがある)。その他、代わりにできることといえば、5円玉に厚みに沿ってセロテープを7回半巻き、厚み分だけ残してカッターで切り取り、直径を100円に変身させるということぐらいである。強制的に金を借りるのは、犯罪ではあるが、こちらは、コイン偽造なので、罪的には中国で偽札を作る程度の庶民の知恵である。ゲーム機は結構、性格的にアバウトなところがあって、割と、中学生には甘く、好き好んで騙されてくれるのであった(ということを聞いたことがある)。 その他、代わりにできることといえば、ガス器具から取り出した点火装置で、カチッ、カチッといわせて、火花を出して、コイン入り口の鉄の部分に電圧を加え、機械を歪ませてびびらせて、プレイヤーが1になったりするのであった。放浪さんのように、中ーボーをびびかすより、厨房で使う文明の機器で、ゲーム機をびびかすんほうが、心が痛まないのであった。しかし、これは、ときどき、暴走して、機械が消えたり、発狂したりするのがまあ、難点といえば、難点であり、だいたい、古いガス器具を探すこと、そこから取り出すこと自体が困難といえば、困難であった(ということを聞いたことがある)。 その他、代わりにできることはといえば、賽銭を盗むぐらいであった。木の枝にガムをつけて、引っ張り出すだけという大変単純作業で、子供の知恵でも十分できる軽業であった。だいたい、ゲームセンターの近くに神社があったというのが、そもそもの間違いである。放浪さんのように、顔が見える相手から取るのではなく、私にお金を置いてくれた人からありがたく喜捨されるのであって、大変心苦しく、感謝感謝という事態でもあった。難点といえば、坊主が、最近見入り、売り上げが減ったことに気がついたのか、賽銭を入れる隙間を半分にしたので、棒が入らなくなったことぐらいだろうか。 その他、代わりにできることといえば、単純明快なのだが、親の財布から、お金を出世払いで借りるということぐらいであろうか。大変、真面目なので、当然、お札などは、拝借できるわけもなく、せいぜいコインだけだったところが、私の性格の良さを示しているといえよう(ということを聞いたことがある)。 その他、代わりにできることといえば、従兄弟の家にあった、竹でできた貯金箱で、一度入れると、竹を割ることしかできない、という手つくり貯金箱であるが、当然、お金を入れるところから、定規なので、竹を上向きにさせて、ほじくりだすという原始的方法もあった。しかし、時効だからいうのだけど、一度、そこからお札を取り出すことに成功、それも1万円だったことは、私だけの秘密にして、墓場まで持っていくつもりである(ということを聞いたことがある)。 そんな訳で、現在の生活においては、ゲームやパチンコや人生そのもの以外のギャンブルは興味が失せてしまい、おまけにお金に大変だらしないことが判明しているので、貯金0借金0という収支のバランスの良い生活をしている所存です。おかげで、今はWIIとも、プレステとも縁のないアナログ的生活です。
2008.10.05
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白い人。積載量超過違反でぶっちぎる。白い人、サラリーマンになる。白い人、万力を締め上げる。白い人、車掌は白い人を壁に埋め込む。白い人、夜なべで編み物をしてくれる白い人、ただ座って金勘定か。白い人、お手伝いさんになってお金持ちの家に雇われる。白い人、白い髪の毛のおねえちゃんを訪ねる。白い人、夜の街を彷徨。白い人、ショーウインドウの前で物欲しげに途方にくれると、なにくれる?日が暮れる。白い人、白い帽子が似合う貴婦人です。白い人、にまぎれて、肌色した韓国人カップル現る。韓国人カップル、ショーウインドウの前で物欲しげに途方にくれると、なにくれる?日が暮れる。白い人、白い息子の家出をとめにはいるが、白い親父が無関心。売れすぎてすみません。白い人、にまぎれて、肌色した韓国人カップル現る。韓国人カップル、白い息子の家出をとめにはいるが、白い親父が無関心なのには、無関心。白い人ではなく、中学生か高校生が、宿題か課題か、何かをしようとスケッチしているような気がする。私も、スケッチではなく、写真を撮っておく腹減ったのでご飯食べます。再び白い人、魚を売る。白い人、野菜を売る。
2008.10.04
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世界や中国を1日で回る、ただ、その栄光のためだけに、このホテルに泊まり、ホテルの窓から、中国全土が見渡せる。勝負のときである。決して、中国の悪口をいうためではなく、お勉強なのである。シンセン湾のほとりに建つミニチャイナ兼中国民族文化村の入り口ですがね、中国観光施設初のISO9001取得と自慢なのである。シーサンパンナか、入り口は?入場早々、霧状の水で、汗かきかきの人々を癒してくれるのである。龍やでんでん太鼓や意味の良くわからないツリーがあるのだ。中国有名庭園は奇石の連続だが、色を塗ってもいいでしょうか。そういえば、緑化運動といって、木を植えずに山の斜面を700万円かけて緑に塗ったあほな中国の村がありましたね。いやでも雰囲気を盛り上げてくれるぞ、多分。何だか、分かりません、どこまでいっても、へんてこな何かなのです。いろいろ何とか閣おか何とか楼とかいっぱいあったのですが、概ね、私には同じに見えて仕方ないのです。私でなくても、というか、日本人も来るんでしょうか、この一大テーマパーク。莫高窟です。でもかなり巨人の庭師のおじさんが歩いてます、って感じなんです。ポタラ宮、あのとき、バスの中から初めてみたポタラ宮に体が震えたが、今回は何故だかキッチュに感じました。ポタラの後ろにあんな突き出た建物、当時はなかったです。香港返還記念詩、だ、そうです・・・。万里の長城に、緑化ていうか、芝生なんですけど。もうなんだか、チンギスハン廟なんだかなんなのだか分からない。おお、蒙古のパオに、奥に半分切れているのがシンチャンウイグルのエイティガール寺院だねえ、どちらも案外小さくて入ることができないねえ。長城の後ろには、現在は大きなビル群になりました。四合院とか故宮とかなんかそんな感じ。何だか、山海関だかなんだか。もう何が何だかわからなくなってきました。中山陵なんか孔子廟なんか避暑山荘なんかこれは、どうやら適当に作ったものか。結局80あまりの施設があって、何が何だか分からないってのが正直な感想なんです、流石、中国、広い、1,2時間で理解するには、なかなか厳しいものがあると実感し始めるのであった。泰山に登る人は掃除の人。寒山寺け巨大迷路に永遠に迷う人たちもいます。園明園黄山大理結局、なんだかよくわからないけど、客家の円状の家とかなんかいっぱいあったけど、あったということが分かり、中国の観光名所は一気に理解することができたのであった。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.10.03
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結局、長々と、昨日は、いろいろ父母ワシを知りきれトンボ的に書いたが、正確や習性の違う父母がうまくいっているのは、母が父に感謝しているのは、何をやろうが、山に以降が海外に行こうが働こうが自由にさせてくれたということであり、父は、誰にも干渉されず、母にもある程度、ほったらかしにあれているというところであろう。互いに、マイペースなのだ。まあ恋心で例えて言うと、「その君の瞳に溺れそうだよ、君がいてくれるだけで幸せだよ、どんなことがあってもないつでも君の力になりたいよ、それが、私の幸せさ。PS,今度の日曜は、雨が降らなかったら会いに行きます」みたいな。今日、初めて他人の有効切符をつかんだ。改札を入ると、急いで後ろの女性が切符を改札に通したみたいで、ぼーっとしてたので、定期券を通したのに、切符が出てきて、それを取り、どうしてなんだと切符をシゲシゲ眺めていると、後ろの女性に、それ私のです、といわれた。ガチョン。今日初めて、コンビニでおでんを買ってみた。何だか、すくっている時、アジアのコンビににいるような気がした。オール電化のコマーシャルを見た。何であんな嘘付くんだろう。電気自動車は電機なのでCO2を排出しませんなんていっている嘘とおなじだろ。電気作るのにCO2排出されてるつの。同じように、水力と原子力がベースにあって、火力発電で、供給を調整してるので、私たちが電気をこまめに消したりすることによって火力発電を調整して、二酸化炭素を出さない水力と原子力は関係ないつうの。火力は燃やすからそのときにCO2でるつうの、火力のエレルギーの40パーセントしか電力にならないつうの。今日初めて、というか、昨日、燃えた大阪市の個室ビデオ店を訪問。ビデオ店が恥ずかしいという感情と、昨今、1500円でとりあえず朝まで雨風がしのげるという言い訳が混在。
2008.10.02
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遺伝か環境か、それは、難しい問題というか、まあ、喧嘩成敗半々ってとこだろうか。孤児の兄弟姉妹が偶然大人になって出会い、恋をする、そういう事例もあり、インセストタブーつうのは、遺伝でなく環境だわなともいえる。当然、時代もある。老人や年上を無条件に敬うことがなくなったのは、やはり時代のはやさか。昔の経験や知恵が、なかなか現代社会に生かされない。まあ、そんなことはべつにどうってことなく、今日はやたらめったら個人的な日記でもある。 父・・・厭世的、人付き合い嫌い。とにかく生きるのが面倒。妹の結婚式もイギリスは遠いから拒否。一生に一度あるかどうかの1000人の前での私の演説会も面倒だからお誘いしたのに拒否。母・・・社交的、人が好き。自分の作品を発表する展覧会を開いたり、何かと、会合に出たり、山登り会のリーダー的存在であったりする。私・・・年々、体がぼろちくなると共に、人と会うのが面倒になってきた、という割には、家でじっとしていられない落ち着きのなさ、というか、家は決して落ち着くところではなく、主に寝るか本を読む場所でしかない。父・・・テレビはいつも見ているテレビっ子だ。野球も良く見ているが、何故だか、広島ファンである。寝室にもテレビがあり、家族のほかの誰かが見たいテレビがあり、父が興味のないテレビだと、寝室に行ってしまう。母・・・テレビからは、わずかな放射能が出ていると思っている節があり、コマーシャルになると、意味なく目をつぶっている。私・・・子供の頃は、マンガばかり見ていたので、大人になるのが、心配だった。しかし、大人になりつつあると、テレビ自体への興味が薄れつつあった。私自身は野球は、もう30年ぐらい阪神ファンだが、未だに集中力がないので、野球を最後まで見たことがない。父・・・割と真面目に、本を読む。それも、ありものの本を真剣に読む。但し、何故か自分で買ってくることはない。母・・・記憶の中では、母が本を読んでいる姿をみたことがないが、怒りの葡萄や嘔吐なんかが本棚にあったので、文学少女ではあったようだ。私・・・本を集めるのが趣味となり、今、床が抜けそうであることと、何年か前に買ったドライヤーがどこか本の中に埋まったままであることが、目下の悩み事である。父・・・パソコンは触ったことがない。母・・・パソコンは触ったことがない。私・・・20年ぐらい前に初めて買ったワープロは3行しか画面の見えないものであった。1998年ごろ、初めて電話回線でインターネットを接続させた。今は、家にいるときも会社にいるときも、つなぎっぱなしである。父・・・洋服にはこだわりがまったくないようで無頓着だ。しかし、1着だけ、何故だか、白いVANのジャケットがあったり、昔の若い頃の写真を見ると、それなりにそれなりだったようである。母・・・子供の頃、出かける準備をすると、いつも母だけ、化粧で遅れるので、いったい何のためにやってんだ、と常々疑問の日々だった。私・・・結構、いいものを着ているのだが、何セ服が少ないのと、10年前20年前のものをまだ着ているのが、タマに傷である。 父・・・父は日本を代表する製鉄会社の工場務めで、3交代制であり、子供の頃は、世の中の人はみんなそうなんだと思い込んでいた。いつも、車で通勤しているので、世の中は、みんな会社員は車通勤かと思っていた。母・・・母は実家の神戸の出店の店長兼便所掃除をしていたので、朝の10時に出かけ17時には帰ってきていて、たまに店に見に行くと、いつも編み物や書道をしていたので、おかんの仕事は気楽極まりないものなのだと思っていた。私・・・真面目なので、毎日通勤ラッシュにもまれて、切磋琢磨させられ、非常にトラブルとストレスのあるサラリーローンマンをしている。父・・・酒は毎日晩酌していたが、滅法、酒に弱い。田舎で酔っ払い、次の日も寝床で、「もう死ぬ、もう死ぬ」とうわごとをいい、残りの家族3人は、布団の横で、座っていた。私は、強烈な二日酔いでまだ酔っているということは子供なので分からなかったので本当に死ぬのかと思っていた。たまに会社の飲み会で電車で会社に行ったら、たいてい、だらしなく帰ってこない。どこにいるかというと、決まって駅のベンチで寝ているのだ。母・・・あまり飲まないが、一度、家族旅行で、信州に中学校のときに出かけて、母が私にビールを勧めた。私は、あんたの年頃の頃はビール飲んでたわ!なんて自慢されたのだが、私が大学生になると、私の部屋に張り紙が。「飲みすぎ!」私・・・私が酒で失敗の連続を繰り返さなければ、私の人生はばら色であっただろう!ラビアンローズ!父・・・好きな食べ物は知らないが、何でも食べるっというか、あまり食に興味はない。母・・・ちらしずしと中華が好きだそうだ。不思議だったのは、60歳のころ、ヨーロッパの帰りに1泊タイに寄ったらしいのだが、一番今回の旅行でおいしかったのはタイ料理だったという意見だった。私は、実家で、一度しかパスタを食べたことがないぐらいだから。私・・・タガメでも食べられます。唯一厳しいのは、孵化目前のひよこぐらいだ。旅行好きの条件は大変簡単だ。英語が喋れるとかその国の文化を勉強している以前に、何でも食べられる、どこでも寝ることができることだわ。父・・・考察は飽きてきたのでもう終わりだわ。そんな訳で、突然ですが結論の出ないまま終わりです。
2008.10.01
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