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キムチサンドを食べた。関西の喫茶店で食べるサンドイッチは、関西以外の方はご存知ないかも知れないが、パンはトーストされていて、結構パリパリでウマイのである。そこに、パンの厚さの2倍はあると思われる具が挟まっており、大口叩いて食べるという按配である。普通の喫茶店なのだが回転が早く、ほぼ満席状態であった。キムチが挟んであるのだが、ホクホク卵がかなり勝っているので、キムチの辛さは随分おさえられ、ちっとも違和感のない味となっておったキムヨナサンドである。 キムヨナ選手については、是非、浅田選手のライバルとして、やっていって欲しいのだが、多分、引退するだろう。去年の年収も6億7000万円だったらしいし、キムヨナ選手が次を目指すメリットというか、恐怖があるのだろう。次に万一負けてしまったときのリスクを考えると、絶好調のときにやめなければ、期待していた韓国人にバッシングされる可能性が高い。 ついつい、自国民の熱狂的サッカーファンに、失敗したり自爆点入れてしまったり、負けたりして殺されたコロンビアの選手のことを思い出してしまった。そこまでのことは無いと思うのだが、もし、次回オリンピックにでも出場して2位以下とろうものなら、彼女の将来は、バッシングにより暗いものになっちまうのではないかと危惧するのである。オレが危惧してもしかたないけど。反面、日本では、まあまあ、自分にために楽しんでやることが随分許される土壌になったので、アサダマオが次回16位ぐらいとっても、頑張ったじゃんと暖かい目で事態は収束していくと思われる。キムヨナさん、現在、荒川静香の華麗なる引退振りを鋭意勉強中かもね。 ところで、ハルジ氏指摘のように、何のために、0.001秒や0.001センチや0.01点を競っているのか今後の人生考えると、よく分からない部分で競ってはいるのであるが、こういうのを思い出した。あれは、オカルト書物の教祖コリンウイルソンだったかと思うのだが、アルタミラの洞窟に描かれた動物の絵に向かってホモサピエンスは、壁画に向かって、エイエイエイヤーと、槍で突いていたというのである。無駄である。今で言うイメージトレーニングかも知れないが、それは魔術であり芸術であり、腹は満たされるわけではなく、健康な女性が手に入るわけではなく、ただのエネルギーの無駄な消費にしか過ぎない。しかし、そこが滅んでいったネアンデルタール人との違いであり、生存の進化をしていったものであり、その余計なことが人間に必要なことだったのではないか云々というような内容であった。随分、大局から見てはいるが、限られたルールの中でギリギリを競うことが、人間たる所以なのか、と思いつつ、サンドイッチにかぶりつくのであった。 それにしても、カーリングって、極限までに体を鍛えるといった類のスポーツ?でもないよね。オマエが明日からやれや、といわれても出来そうなところに、もしかしてこの競技の難しさがあるのだろうか。 そのあとは、小皿定食を食ってツルハシを後にするのであった。
2010.02.28
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昔、円谷選手や君原選手の日本を背負うプレッシャーに、昔の人は、すごい期待を背負っていて、そこまでしなくても、自分のために頑張りますって思えばいいのに、ましてや自殺までしなくても・・・と思ったものだが、自分をほめてあげたい、あたりから始まった自分のために、自分らしく、自分のために、そして、楽しみたい、という感想を日本人選手が言うようになってから、おい、オメエ、国とために頑張ったれや、と愛国心もない私が思うのもなんだが、ついつい思ってしまうのだ。もしかして、自分だけでコーチや応援もなしに、やってきて、おりんぴっくも自費で行って、スポンサーもなしにやっているなら、まあ、よしとしよう。昔は、もっと楽しんで、っと自分のためにやればいいじゃんと思っていたが、今は、そう思っていても、皆さんのためにとか、日本のために、と時代錯誤と思われてもいいから、ガツーンと言って欲しいなあ。 コクボクンも服装なんか、別に何とも思わなかったけど、発言の内容や態度が、まるで子供ジャンって感じで、代表ならもうちょっとスピーチやインタビューの練習せいや、とついつい思ってしまう、という部分もありながら、どうも嫌な感じに感じてしまうのは、私自身が結構ああいう感じでぶっきらぼうで、表情乏しく、いきなりインタビューなんかされたら、「えーっと、うーん、なんていえばいいかな・・・」なんて言葉がなくなってしまうところなんかが、何だか自分と似ている感じがするので、歯がゆく感じてしまうんだろうなあ。演技するとき、あんなに生き生きやっているのに、インタビュー受けてる時、ほら、目が死んでたじゃん。あれ見て、なんだか、ゴメンなと私が謝っているのだ。ま、マスコミは切り取って、チッというとこだけ拡大して放送だろうけど。同じ質問ばっかりしつこくしやがってチッ、なんだろうな。
2010.02.27
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1. 笑顔がない・・・ポーカーフェイスで鼻で笑うのが得意な私では、アメリカでは暮らせないでしょう。 2. お礼を言わない・・・インド人がいうのは聞いたことがないがヨオロッパでは結構頻発して聞く言葉。 3. おいしいと言わない・・・ものにより。でも食道でまずくても、まずいと言う勇気はないです。 4. 精気がない・・・いつも眠くてすみません。 5. 自信がない・・・根拠のない自信が成功に導いていくことは知っているが、それが稀なことも知っている。 6. グチをこぼす・・・特にこぼしません。 7. 希望や信念がない・・・時と場合と都合による 8. いつも周囲が悪いと思っている・・・当たり前ジャン 9. 自分が醜いことを知らない・・・知ればショックを受ける 10. 声が小さくいじけている・・・声が篭っていてナニを言っているか分からないだけ。 11. 何でもないことにキズつく・・・傷つきやすくてスミマセン 12. 他人にシットする・・・私に足りないものは、他人に対する嫉妬心だろうと思う。 13. 目が輝いていない・・・年取ってきてゴメン、目が垂れてきた。 14. いつも口がへの字の形をしている・・・ヘらへらしているので、やばいと思われることも。 15. 責任転嫁がうまい・・・うまくはない、男は黙って責任転嫁 16. 他人をうらむ・・・他人を恨む事態があまりなくてすみません。 17. 悲観的に物事を考える・・・悲観的にも楽しく考えられればまあまあいいか。 18. 問題意識を持っていない・・・問題と苦悩と煩悩と無意識だらけ 19. 他人につくさない・・・全然知らない人にはつくせるものじゃないか?ある程度知ってたら、こいつはここまで大丈夫だからと思ってそれ以上つくさないものだよね。おまえは大丈夫だからといって全然尽くさないかもしれないし、オマエは知り合いだから面倒なんで尽くさないということもあると思います。 20. 他人を信じない・・・他人を信じないということは、本当に難しい。 21. 人生においても仕事においても意欲がない・・・ゴメン 22. 謙虚さがなく傲慢である・・・相手が判断すること。オリは傲慢だ!ってやっている人はいるかな。 23. 人のアドバイスや忠告を受け入れない・・・そしてえらい目にあう。 24. 自分が最も正しいと信じている・・・善悪で行動する場面が人生においては少ないなあ。 25. 存在自体が周囲を暗くする・・・暗くはしない、さもなくば失笑されるだけ。
2010.02.26
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この人は、むかしカトマンズの宿の窓からラリった状態で町並みを見ているうちに、この世が舞台で人々が役者であることに気づいてしまって以来、自分が役者であることに気づいていない迫真の演技をする人たちを相手に大根役者を演じ続ける立場に甘んじている、ちょっぴり不幸な人物です。何をやろうが真剣みが足りないため失敗が多く、ネクタイを締めようがハジメちゃんのTシャツを着ようが妙に似合わず人から笑われ、けっきょくイヌネコのねぐらのようなアパートの一室でごみの山に囲まれて寝ているときだけが唯一安堵できる瞬間なのだと言ってました・・・ところどころ間違いはあるにせよ、小さなことは、さておき、幸福だけど、誰のことか分からないが、概ね正しいような気がする。最近、確かに、死ぬのは、何歳になっても怖いものだと思っていたが、不思議にそうでもなくなってきた。子供の頃、都市をとったら死に近づいて、もう仕方ないよなという悟りの気分になって死んでいくものだと思っていたけれども、大人になって老人も死ぬのが怖いということを知って多少驚いた。死ぬのが怖いのは、死んだらどうなるか分からないからに過ぎない。苦しんで死ぬのは、確かに嫌だし怖いけど、そのあとは知らない。もし、死んで楽しい世界が待っていることが判明してしまえば、皆、どんどん死んでしまう。輪廻って不思議だよね、また生まれてくる。また生きる苦しみを味わう。また生まれ変わってくるなら嬉しい!なんて10代の頃はは思っていた。輪廻を外れて、もうこの世には戻ってこない、がゴールなんていったいどういうことよ、と思っていた。 しかし、前世を覚えていないなら、生まれ変わろうが何だろうが、関係ないよなあ。前世が東欧の人間だったから東欧行くんだね?いいえ、そこに国がいっぱいあるからです。来世でまた会おうね。いいえ、覚えてないなら初めて会うのと同じです。輪廻もいろいろありまして、昔、金魚蜂を見ながら、オレの前世って魚だったんかな、というと、キリスト教の西洋人は、人間は人間にまた生まれるのです、信じられないといいました。ああ、表現主義の母親にプラスして、何となく言葉にしないけど、厭世主義の親父に似てきた気がします。ヒトリ長めツイッターしました、と。
2010.02.25
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それにしても、節約旅行者にとって、それら節約できる宿は密集しているものであり、数人、今から20年前に40代だと思われる出会った日本人をピックアップしてみようという試みである。つまり、時々、会った40代の人々は、海外渡航自由化されたさらに20年前の1960年代から70年代初め、1ドル360円の時代に、パック旅行でなく、ヒッピー旅行にでかけ、そのままたまに豊かな日本に帰り、そしてまた金がなくなるまで外にでていくこと20年選手達だった。1980年代インドに行ったとき、1960年代にインドに行った人の話を聞いて、羨ましく思ったものだった。(もしかして2010年インドを旅行する人にとって、1980年代にインドに行っていた私なんか、化石に見られるかも知れないなあ。とにかく、旅行は2000年前後のネット社会の出現によって、情報量が格段に増え、随分、変わっている。考えれば、ボルネオ島に行ったときなんか、ネットもガイドブックもないのに、川下りしようというのだから、図書館で民族の本や数少ない旅行記などを読みながら、どうやっていくのか、そして、進みながら地元の人々に聞いて情報を得ながら先に駒を進めたものだから、不便しに行ったようなものだねえ)カルカッタで会った40代のおじさんは、くたびれたルンギーを身につけ、自分より10も20も年下の若者を捕まえては、チャラすがどうのこうのと講釈を垂れ、そのくせ、何だか寂しがり屋で、煙を見ると僕も嫌いじゃないからと寄って来て、別にいいんだけど、哀れであった。高度成長期をつきぬけ、日本に居る間だけ長距離トラックの運転手をして、恩恵を受けてきたであろうが、今、どうなっているんだろう。それでも自分らしく、やっているのだろうか。あはは。自分らしくなんて、いつの時代から言うようになったのであろうね。気恥ずかしい馬鹿馬鹿しい言葉だよね。そんなこといわなくたって、既に最上級の自分らしさになっているじゃないかねえ。こんなはずじゃないわとほざくのが自分らしい、本当にやりたいことをやる!というのは勝手にどうぞの自分らしさ、本当の自分と同じだな。そう、本当の自分は今が本当の自分だからね。ウジウジしている姿、情けなさ、バカ、くすぶっている、そういうのが本当の自分だね。違う自分さがせば、違う自分になれば?他人らしくしてみたら?あーあ。
2010.02.24
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それでも、流石に、最近弾丸ツアーしていると、何故だか、日本人を見かけなくなりました。前回、ポルトガルにて、ワインショップで日本人おっさん団体旅行に鉢合わせ、ガイドが勝手にポルトワイン開けたので、私も急遽参戦して、ワインを恵んでもらった。おっさんたちからは、あれれ、こんな人いたっけとポカーンとした顔をしていたが、実害はなかったので、声はかけられなかった。ハワイ、豪華ナイトクルージング日本人カッポーだらけなのに、誰からも声をかけられなかった。 ビルマバガン行きの飛行機を待っている待合室で、こちらをみながらクスクス笑っている日本人女性が2人居た。そんなにオレがハンサムだからといって、ナンパの一つしてくればいいのに、ウフフのクスクスである。ふと、自分のTシャツを見ると、「これでいいのだ」と背中に書かれ、はじめちゃんがいたのであった。エジプトこの旅行では、1週間で7カ国回ったので、速過ぎて誰も見ることが出来なかったかもしれないが、人も歩いてないところをとぼとぼ歩いていると、珍しく前から人が歩いて来た。(よく、直射日光の中、わけの分からない所を何時間も歩いたりしてしまうよね)よく見ると、麦藁帽子に、手には地球の歩き方。「あれ、すみません、日本の方ですか?」と聞かれ「ええ」と答え、「軍事博物館はこのまま坂を上がっていくのですか」と聞かれ「ええ」と答え、それで別れた。なんだか、ぶっきらぼうだったかな、と思い、暫く歩いたところで、コカコーラを飲んだ。ロサンゼルス入国審査を待っていると、後ろから初老の男が声をかけてきた。台北に住んでいるということで、これからエクアドルに行くという。こちらはグアテマラに行くんですよ、といったが、ロスでも、いつもレンタカーで移動、世界中をうろうろしているが、旅行者ではない。ナニが仕事か聞かないまま、1時間ほど並んでいる間、話をした。そのあと、中米、アメリカに戻っても、日本人に会わなかった。ラオス日中、一度も日本人を見なかったのに、夜、ブラブラ歩いて、メシを食べていると、ふと気がつけば、レストランは空き、他に2人の男女と、一人の男の客を合わせて、全員が日本人であった。結構気恥ずかしい感じがした。その他、ここ数年思いつかないなあ~。やっぱ早すぎるか、団体旅行とバックパッカーと家族旅行から離れるとなかなか会わないものだねえ。
2010.02.23
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何故、私に司会を頼んだのか分からないので、司会は、急遽後輩に任せることにしながらも、宴会場を覗きに行くのであった。その中華料理のレストランで、懸命に説明員の方が説明をしてくれるのだが、そこには、マニュアルというのがあって、ほう、そうなのか、といいながら、水を飲みながら、早く終わって、アルコール飲もうや、という気分になりつつあった。新郎新婦は、ビンゴとかボイスチェンジゲームとかエピソードゲームは拒否するのだが、スモークとか花火とか、新郎めがけて投げようやとか、ケーキ顔にぶつけようやとか、ビデオ作るなら新郎の一生やろうや、とか非常にマジメな議論が一人で白熱するのであった。入場のBGMは、やっぱり、Tレックスやなというところで、話は終わり。具体的な進行は、後輩に任せた。2人がはいってきたところで、全員同時にクラッカー鳴らすのが、グード。ドリンクコーナーの説明をして、フリータイムに入ると、司会は急いで食事をしたほうがよい。新郎新婦に、このとき各テーブルを回らせる(新郎ベロベロになる)ゲームとゲームの間はスピーディに。カラオケは1曲か2曲がベスト。アルバムと花束贈呈の準備。みんなで2列になって花道を作ろう。できるだけスローリーに歩く。もう一度、新郎新ぷに大きな拍手をお願いします。カメラをお持ちの方は前のほうに起こし下さい。新郎新婦はカメラに向かってにっこり笑ってください。暫くご歓談下さい。宴たけなわではございますが、早速ゲームのほうを始めたいと思います。うわ、大変だな。後輩に任せてよかったよ。以前先輩の結婚式のビンゴゲームの商品を全部大人のおもちゃやで買ってきて、大顰蹙を浴びた教訓を生かすよう、後輩に申し伝えるのであった。それから新郎には、泊まっているホテルに勝手に泊まって、私の部屋の名義でドンペリ頼まないでくださいよ、と釘をさされたのであった。
2010.02.22
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今度、自閉症気味の(私も近いけど)大学の後輩Yが2回目の結婚をすることとなった。思い起こせば、彼の住む奈良と新しく住む大阪を軽トラック借りて彼の引越しを手伝い、その県境である竹之内街道を渡ったものである。そして、半年後、今度は、大阪から奈良の実家に向かって、また軽トラックを借りて引っ越しを手伝い、その県境である竹之内街道を逆走していったものである。それから10数年たってまた結婚することになったのだが、同じ大学の後輩で行方不明の平野健一(あ、本名書いちゃった=放浪さんのパクリ)を呼ぼうということになり、探したのだが、未だにどこにいるか行方不明であり、多分、ペナンのアヘン窟にいるか、コカインの売人になっていると思われるのである。 彼の略歴を記しておくので、知っている人おれば、教えてください。南山高校出身。裕福な家のようで母親はパチプロという噂。学生時代、マニラで誘われた女の子と、ビールを飲んだ後、意識不明になり、気が付けば、ジプニーに乗っていたが、金がなくなっていた。金がないので、大使館に行き、金を借りて踏み倒す。捕られたトラベラーズチェックはニューヨークで使用され、バンカメから、これはあなたの筆跡です、盗まれたと申請して賠償した金を返しなさいと郵送物が届く。しかし、そのコピーを見ると、まさに、彼の筆跡であった。 彼は、1年間休学して、世界一周だといって、4月に旅に出たが、7月に私がタイに行き、ジュライホテルに行くと、まだいた。この3ヶ月どこどこ行ってきたか聞くと、バンコクだけですということだった。1年後、帰ってきたときには、タイとインドに行きましたとのことだった。何故だか、貿易商社に入り、インドネシアに勤務、社長かだれかエライサンが来るというで空港に迎えに行ったが、短パンにTシャツで迎えに行ったため、激怒された。社宅が完成し、彼は101号室に入り、人事の人が見にきたら、とりあえず、一番近い部屋をみたら、ごみためだったので、逆鱗に触れた。そういえば、彼の下宿先は、タバコの灰、その辺に捨て放題であった。キムチもこぼして、後片付けしておらず、布団にこびりついてハクサイがガビガビになっていたなあ。その後、ニューヨークに転勤、噂では、副業でコカインを裁いているのでは、ということであった。やがて、M菱商事に吸収され、一流商社社員となった彼は、しばらくして辞めた。そこまでは分かっているが、後は不明であり、誰も彼の行方を知らない。誰か心当たりあれば、教えてください。以上。
2010.02.21
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1990年2月、インドのカルカッタに到着し、安宿街サダルに向かった。以前泊まったモダンロッジだのパラゴンはいっぱいだったので、隣のマリナホテルに泊まることになった。ドミトリーのベッドがひとつあったので、ここにしようかと思いきや、宿屋のおっさんが、そこは予約済みだからダメだといわれ、もうベッドはなく、屋上で雑魚寝となる。雑魚寝組は数人いるようだった。散歩に出かけて帰ってくると、日本人の女の子がそのベッドでごそごそしていた。ああ、こんなホテルででも予約できるんですね、と声をかけると、予約なんかしてないよ、ということであった。その子がヨーコちゃんだ。漢字は知らない。そして、屋上雑魚寝組の彼が降りてきた。それが小川君だった。我々3人組は意気投合し、屋上で煙プカプカやっていた。彼らはインドは初めてで、海外旅行も2回目ということで、前はジャマイカに行ったとのことで、ビーチで静かにしていると、虫が鳴く音が波の音より凄く大きく心地よく聞こえて来るんだ。現地の人と一緒にプカプカやっていると、すぐ警察が来て、あいつら、火ついているのに、食べちゃって証拠隠滅するんだよなあ。という話などを聞いて、いいな、ジャマイカと思うのであった。その後、宿屋のおやじがエライ剣幕でやってきて、こんなところで吸うなと、何故だか、彼だけが怒られていた。そして、3泊ほど一緒にいたのだが、連絡先を教えあうこともなく別れた。7日後、聖地ベナレスを歩いていると、また2人に会った。2人の泊まるホテルに移り、その日からまた部屋に篭って煙を吐きながら、談義を繰り返した。私は、この旅行では、ショルダーバッグひとつだったので、散歩にでかけるときに、部屋の中に何もかもなくなってしまい、逃げたと思われるのも困るので、その日は、ルンギー【腰巻に】履き替え、ズボンだけを置いて出て2人の部屋に出かけて行った。ズボンだけは良かったのだが、うっかり、ポケットに薬草を入れていたのを忘れていたのだが、3人いる部屋にノックがあり、なんだというと、宿屋の従業員で、いいものがあるけど買わないかということであった。どんなのよ、と見ると、どう見ても、私のポケットに入っていたものと同じであった。小川君は、小中学校に入っていってカバンを売ってますといっていた。勿論、パチモンのカバンで、関係業者のふりをして、飛び込みで行くのだそうだ。それ以外のことは、覚えていない。そして、3泊ほど一緒にいたのだが、連絡先を教えあうこともなく別れた。 10日後、ネパールのポカラにを歩いていると、また小川君とヨーコちゃんに会った。我々は意気投合し、2人のホテルに引きこもり、談義した。窓を開けると6000メートル級の山々が見え、窓の上に、大きなポスターが貼られており、そのポスターの光景がそのまま窓の向こうにあった。外で、ギャギャー騒ぐ音がしたので、見に行くと、豚が車のトランクルームに無理矢理押し込められようとしているところだった。死期を悟ったのか、巨大な豚は、トランクに入れられるのを懸命に拒否しながら、叫んでいるのだった。本当に死ぬのが嫌だという叫びであり、バッドトリップしそうになった。そして、3泊ほど一緒にいたのだが、連絡先を教えあうこともなく別れた。 1991年2月、1年後私は、バンコクに来た。そのままボルネオに行く予定であったが、荷物がイスタンブールに行ってしまい、バンコクでスタックしたのであった。カオサンを歩いていると、また小川君とヨーコちゃんに会った。彼らは、カオサンの近く、チャオプラヤー沿いに宿を取っており、じゃあ、早速再開を祝ってというと、そうなんだ、今日が日本から着いた1日目なんだ、いいなあ、久しぶりにやるなんてうらやましいよ、と小川君はのんびり言った。横でヨーコちゃんが笑っていた。多分、同じ年ぐらいだったのだろう、あれから20年、2人は結婚したのか、どうなったのか、消息知っている人いたら教えてください。
2010.02.20
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自慢ではあるが、私の愛車は、ガソリンが60~80リットルぐらい入る。入るのは勝手だが、そんなことをすると万札が飛び、目が飛ぶ。驚くべきは、ただの燃料が自分の体重より重く、もう一人、乗せているのと同じだと考えると、なんだこいつは!という感じになる。寒空の中、駅で電車を待つ今日、この冬。ふと、頭の中で計算していた。大型の777辺りを飛ばすと、すごい燃料を食うんだ。ケロシンだが、自分の体重まで落としたとき、自分の体重分の燃料は15秒から4、50秒しかもたないのだ。多分、燃費は、秘密にされているとは思うのだが、リッター100メートルは進まない。計算間違いかも知れないが、寒い中、燃料になって燃えて消えるような気がした。昔、思った大人の4つの条件を再度書き出してみる。1、軟球で子供とキャッチボールしても素手で受け止める。2、男の子向き女の子向きのおまけにあるお菓子を男女間違えて買ってもびくともしない。3、いざとなったら王冠を歯で開ける。4、酔っ払うと、少し、弱気になることがある。・・・まだ、どれも成就できない。まだオレは子供なのか・・・。いや、大人をパスして老人コースか。
2010.02.19
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オジヤ 18歳、初めて、インドに行き、初めて田舎らしい田舎に行ったのが、田舎の観光地カジュラホに3泊したのだが、その村の奥の方にあるレストランのメニューの看板の一番下に、ローマ字と日本語でおじやとかかれていた。別に日本食食いたいとは思わなかったが、どんなものか、味わってみようと思った。未だにおじやと雑炊の違いは知らないが、18歳では、今まで生きてきた中で外食もそんなにしたこともなく、それがどんな味だったかということは覚えていない。ただ、暗いレストランに、誰も客はおらず、ハエがたかっって鬱陶しいなあということだけ覚えている。もしかして、今、こうなっているのだろうか。当時は日本食レストランそころか西洋料理の店もなかったけど。それにしても、昔、行ったところを思い出したように検索してみると、変わったな、行く人も変わったな。ザルソバマニラの歓楽街のど真ん中に伊勢屋という日本料理店があった。あの夜中、歓楽街で火事があり、炎が上がりながら、皆、ビール片手に吠えた!私も、ビール瓶をラッパ飲みしながら、騒いだ。そして、ソバ食いに行った。空いていた。フィリピン人ウエイトレスが注文を静かに取りに来たが、音楽に合わせて、腰と足が踊っていた。味は忘れた。でも、学生の私が行けるくらいだったから、そう高くなかったのであろう。味噌煮込みタイのコサムイの仏陀ビーチに滞在していた。大抵は、海に向かってコテージが数件から十数件並び、中心にレストランがある。一番安いコテージ1泊200円のところに泊まっていたが、経営者はドイツ人の親父にタイ人の妻であった。メニューの一番下に、何故かMISONIKOMIと書いてあるのが気になって数日後、意を決して頼んでみた。日本人に出すのがとても恥ずかしそうなのが笑えた。味は、忘れた。 考えたら、そのぐらいかな。あとは、アメリカやカナダで寿司くったぐらいじゃな。
2010.02.18
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1988年、ソウルオリンピック、そのとき、マニラにいたのだが、私は、マラソンが見たかった。オリンピックに縁のない瀬古選手、そしてライバルの中山選手(ダイエーの中山選手が練習で走っているのをみたことがある。高校の近くがダイエー陸上部の練習場だったのだ)を見たいと思っていたのだ。何せ、私は、中学校高校と陸上競技の長距離ランナーとして、陸上競技だけは、興味があったのだ。 しかし、さすが、フィリピン、オリンピックに興味なぞない。暇に任せて、泊めさせてもらっている民家のテレビを見まくったのだが、おりんぴっくのオもない。翌日、新聞をいろいろ見回ったが、どこにも記事さえない。当時はインターネットも衛星テレビもないので、結局、日本に帰るまで、マラソンはどうなったのか分からず仕舞いであった。そう、フィリッピンとオリンピックは縁がないのである、というか南国のフィリピンでは冬季オリンピックまでいくと存在さえ知られていないような気がする。 しかし、我々は知っている、フィリピン人にもマラソンランナーがいたことを。特に、道頓堀橋を渡った人、一粒三百メートルにお世話になったことがある人なら知っている。あのグリコの両手を挙げた選手こそ、フィリピン人選手である。グリコはグリコーゲンのことだが、ポッキーはヨオロッパではミカドである。 だいたいフィリピンは暑くて、人々は伸び切っており、走るという行為は、何の意味もなく、腹が減るというか、余計な金使って、余計に金使ってメシを大目に食うのは意味ない。しかし、一度だけ、北部バギオで、マラソン着とマラソンシューズでフィリピン人が走っている光景をはじめてみた。宇宙人を見るように、私は、呆然と見えなくなるまで見ていた。 その後、おりんぴっくと、ちょっと縁がない。4で割り切れる年だなあ、とは思うんだけど。
2010.02.17
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マグロがワシントン条約で輸入禁止になるとかなんとかですが、まぐろより、オレは白身の魚のほうがうまいと思います。以上。ワシントン条約って政治的だし、今は多いが、捕り過ぎていなくなるんじゃないかという種類も指定されるんですってね。以上。オリンピックやってますね、結構興味ないけど、日本人なら日本応援せいや、オマエもスポーツみろや、となりたいところですが、コクボクンおもろいね。20歳越えてあの情けなさ。立ち回りできないのかね。と思いながら、映像も全部だしているわけではないので、マスコミが、怒り出すまで執拗に同じような質問を繰り返して、作ったのかも知れないとも思えるのであった。チッ、オマエラ画像撮るために同じ質問ばかりええ加減にせいやと呟いたらよかったかも知れないね。大人の世界は怖いんだよ。金取れ、コクボファイティン*:..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..:*!!! さすが、日本の村社会を引きずっているのか。農村社会は、誰も金持ちにはなれなかったし、一人だけ極貧になるようなことはなかった。相続税も厳しく、一代でガガーンと稼いでも、次世代ではドドーンともっていかれるけど、土地は動かないので、誰か他の村民の土地となる。新しく開墾しても、それは、だんだん条件が悪くなる土地だし。そんな訳で大土地所有者が生まれることなく、貧しいものがもっと貧しくなることを救うシステム。おまけに田畑には水路があり、自分だけの利益を考えるわけにはいかない。そもそも、前にも書いたけど、土地の詳しい所有権というのがなかったわけで、農民は農奴だった欧米が農地解放を強制させたときに、はて、なんのこっちゃと思った農民は多かったんじゃないか。個人の利益追求の欧米型経済とは異にしたものではなかったのか。禁欲が強調されるユダヤキリストの世界では、人間は信じられていないのか、仏教ではせいぜい節制というか、どうなんだ。イスラムもユダヤキリストも、現地に行ってみると、金のある人は喜捨をするのが当然で、施される方も、ウム、という感じであるが、日本ではそもそも、そんなに再分配されるほどの格差がなかった。まあ、そうやって、まとまらないけど、もう少しそのうちまとめてみたいと思う所存ですがな。
2010.02.16
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ほんの2,30年の間に随分、いろんなものが外から入ってきてタマに食べたりするようになった。キウイとかアボガドは確かになかった。 海外にいると、今は短期間なので一切日本食を食べたいと思うこともないのだが、何ヶ月かになると、たまに日本食を食べたいなあと思うのだが、それは、学生時代だったから高価なものを思い浮かべるのではないのだが、その食べたい日本食を思い出すのが、洋食だった。洋食は、日本で改良された日本食なんだなあと思う。コロッケとか、カレーライスとか、オムライスとか、ハンバーグとか。コロッケは、明治に登場したもので、フランスのクロケットからきたものであり、世界中に類似したものがあるが、日本は日本のコロッケであり、断じて日本料理である。カレーライスは、イギリスからやってきたものであるが、日本は日本のカレーライスであり、断じて日本料理である。(インドからイギリスにカレーが伝わったのは、歴史の教科書でも出てきたプラッシーの戦いであり、高校生だった私は、ジュースを思い出しながら覚えたものだ。ベンガル地方の地名である。)ハンバーグは、モンゴル遊牧民(タルタルソースの語源タタール人のことやね)が食べていた羊のユッケみたいなものからドイツ経由でやってきたが、日本は日本のハンバーグであり、断じて日本料理である。オムライスは、まあ、外国には元々ないような気がする。米食を維持しながら欧米の食材を駆使しながら和洋折衷を考案していったのであろう。洋食に出てくる刻みキャベツも、欧米では見ることができないのだが、アイツを見ると、おお、日本食やのお日本に帰ってきたのお、と感慨深くなるのであった。ナニを隠そう、生のサラダも、どちらかというと、アメリカから戦後伝えられた食べ方であり、確かに、アジアに言っても、普通にはナマサラダを食べる機会はそう多くない。シーザーサラダといえば、カエサルとは関係なく、メキシコのティファナのシーザーさんよりその辺のありあわせのもので開発された名物料理であり、1920年代の禁酒法の頃、酒と一緒にアメリカに伝わったらしい。あ、何だっけ、そうなんだよ、アジアにいると、猛烈に生野菜が食べたくなることも多かった。勿論お金を出せば食えたのだが、当時例えば、タイでは、食べるものの9割が、ヤキメシかバーミーナムだったので、トムヤンクンだって、学生時代は、2,3回しかタイで食べたことがなかったし、プリッキーヌーをうっかり食べて、カレエーといいながら涙したことが懐かしい。懐かしいが、今でも時々噛んでしまい泣いている。生野菜、どこいった? さて、トリのハンバーグである。挽いてしまえば何の肉か分からない肉を、昔からある魚の練り物のように、グチャグチャにしてしまい、安価でできるハンバルグ、日本にて開花した歴史を持つが、昔、パキスタンのアフガニスタンに近いペシャワールに滞在していたところ、同じようなハンバーグを食べて、日本が懐かしくなった。年に1回か2回、起きた瞬間、一瞬、ここはどこ、なんでここにいるんだ!ということがある。ちょうど、あの日(といっても20年前だが)うっかり、暇なので、昼寝をしてしまう、中途半端な暗くなった頃、目が覚めた。そのとき、偶然、日本にいて何か友達と会話している夢をみていて、がばっと起きると、一瞬どこにいるか分からなかった。市場をフラフラ、夢遊病者のようにに歩いた。歩いているのに、まだ、何故自分が日本から陸路で何千キロも離れているこんなイスラムの国を歩いているのか、頭の中がぼーっとして不思議な気がして歩いていたときに、屋台で鉄板の上で焼いているハンバーグを見つけたのだ。スパイシーでジューシー、なんだか、懐かしくもないのに、涙ながらに食べました。終わり。
2010.02.15
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昨日は、もう寿命も短くせんとあかんねえということであったが、ふと、頭に浮いたのがアメリカの企業のトップや金融会社の意味なき高給についてだった。月給が何千万とかボーナスが何億円。破綻して公的資金を入れてもらっても、何億円というボーナスって、我々日本人からすると信じがたい。さすがにオバマも激怒したが、返納される様子なし。日本だったら、経営陣は責任感じて私財投げうつとか、もしもらっても、マスコミなどのバッシングが凄くて、生活なんかできなくなるだろう。ああいうアメリカの、超高級取りの頭の中とはどうなっているのだろう。アメリカでは何であんなこと許すのだろうか分からない。おまけに、経営陣なら自分の会社がもうだめになるのはいち早く分かっており、それまでに何とか自己保全に走り、金を強奪していくのだ。 もしかしたら、宗教と関係あるのではないかと思うのであった。沈没し滅びゆく企業を離れ、もらえるっものは強奪し、ノアの箱舟のように、自分たちだけが箱舟の席を確保しようとしているのではないか。自分は、エリートであり、成功を勝ち得てきて、ノアの箱舟の席を確保する権利があるのだ、と自己肯定しているのではないかと。そう選民意識を持つことにより、日本でいうところの道徳や倫理に背くような行為を誤魔化しているのではないかと思うのである。多分、金を儲けるなとはいっていない聖書どおり、俺たちはいいよといいつつ、物を盗むなとか人を殺すなといった戒めが、強欲な金儲けに走るなということをいっていることぐらいは分かっているのだろう。だから箱舟に殺到するのだ・・・うーん、何か無理がアルなあ。 それにしても、各宗教において、地獄は克明に描かれたり、地獄作品は多いのに、天国のイメージって薄いものだなあ。こんな地獄にいきたくないでしょ、だからホラ、その反対の天国にいこうぜ、ってな感じだよね。理想を描くことはホンマに難しいのである。ビーチなどで一瞬の天国気分を味わうことは簡単なのだが、それ永遠に続きますといわれるとちょっと困るし、天国のような景色を見ても、それは旅行なんかしているから感じるだけであったりして、本当の天国って何だよ、だよね。愛する人と永遠に、といっても、その後何の経験や体験もしていかないと、会話なくなりそうだし。餓えたりしなくて、寒暖のない穏やかな気候で、すべてが満たされている空間でも、それが永遠に続きますよ、それが天国ですよ、って言われたら、人間界にいる私たち、退屈でまた死んじゃうんじゃないの?分からん。最近、ちょっと副業が忙しくて、自宅でも、仕事を持ち帰っているので、日記どころではないので、短くてすみません、しかし、このまま慣れて短くなるかもしれませんなー、ははは。
2010.02.14
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今の若い人は、空気を読まねばうまくやっていかないという事情もあり、話題に苦労するというか、当たり障りのない話題が好まれるようで、政治経済や社会状況、ニュースには結構マメにチェック、詳しいそうである。自分の趣味や近い将来、自分の考えは、小さなネットのコミニテイサイトの中でなら言えるが、そうでない外では意見が対立すれば大変なことになるので、当たり障りのないことをいうので、やたらニュースに明るいとのこと。しかし、遠い将来については、先のこと過ぎて、多少、ナニを言っても当たり障りなさそうなので、問題はないようである。さて、今日、年金特別金とかいう奴ガやってきた。そこからみると、大変マユツバなのだが、私の場合は、このまま行くと、月々に換算すると、マックス14,5万円もらえますということになる。嘘だと思うが、まあ、それを仮定してみると、それももらえるのは65歳からであり、これから貯める金を考えると、非常に単純な話であるが、アジアの物価の安い国で不良外人としてブラブラ暮らしつつ、70歳ぐらいには、この世とおさらばしなければならないということになる。80も90も生きていれば、正に生きているだけtなり、今84まで生きる予定だが、今後10年は縮めなければならなさそうである。まあ、それはそれでいいか。見えざる手に導かれるのみか。 ああ、そうだわ、アダムスミス国富論では、たった一回しか見えざる手という言葉はでてこないが(市場はいろいろ調整されて、みんなうまく行くよと言う按配。高校生だった私が聞いても、ノー天気というか人間を信じすぎるというか、神とは縁のない高校生にはアリエナイ論に思ったが、実はどこにも神の見えざる手とは書いておらず、誰かが神を付け加えただけだったんだな。 そういえば、今風の映画って、10年前だけど、タイタニック見て思ったなあ。あれ愛の映画だったか?身勝手な二人が、沈むときに、他人を押し退けることはしないまでも、どんどん助かろうと逃げていくのだが、途中で誰かを助けたり、自分が助かるか他人(彼女以外)を助けるか二者択一の葛藤とかなかったよね。主人公たち以外は、みーんな無残にただ死んでいったよね。八王子のレイトショーでみて、迫力はあるけど、中味ウスイナーと思ったけど、KY始まりの映画だったんかなあー、ちょっとこじつけぽいな。
2010.02.13
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最近の若い奴らは・・・などというのは、古代文書にも記述があるくらいで、あまりあてにならないし、あいつらわからねよ、おじんくさい、ネット社会は危ない、まあなんだかんだいって世代間で批判したり羨ましがっても仕方ないわけだが、大変な反面、ネットワークの社会をスイスイ生きていて、何かの催しに何千人も呼べたりする人もいるし、ネット会社をつくり、普通の会社にアプローチして設けている高校生もいるし、ミクシイとかでいろんなチョイ趣味の世界に首を突っ込み、何十種類の違った人たちとマメにつきあい、キャバクラ嬢や金持ちどら息子やオッサンや海外に住む人と友達になって、何かと橋渡しをしている子供もいる。忙しいので俺なら、我慢できないけど。今日、新聞見てたら、就職厳しいままなんだよねえ。といっても、なんだか、バブルのオイラたちからみて、今の子はかわいそうだねーなんて、結構言っているんだけど、当の本人たちは、そうでもないのじゃないのか、だって経験してないから分からないんだ、でも、こう何度か言われるとデジャブみたいになって、おれたちかわいそうに思ってしまうものかも知れない。アジアの下町なんか行ったら、懐かしいなーと何となく思ってしまうんだけど、昭和30年代なんかまだ生まれてもないから、誰かの話の影響や、映像のせいで、自分が昔体験したような錯覚に陥ってしまうのと同じかも知れないね。今ならさしずめ三丁目の夕日みたいなやつね、あの今よりずっと犯罪の多かった懐かしい高揚感ある時代ね。同じように、例えば、遠くに旅行に行かない、とうのも、知っている近場にまた行きたいというのもあるかもしれないが、ネットをみれば行った気になるし、そういう経験のある友達がネット上にいたりするわけだね。そういえば、この日記を読んでくださった人は、みんな、ウクライナに行った気分になってるものね、(え、なってない?)だから、え、ハワイ?日本人ばかりだろ、と行って見たこともないのに、デジャブしているのであるのかも知れない。いいとか悪いとかではない、資源のないこの国で、技術力を養えるよう、そしておいらたちが老人になっても養えるぐらい頑張って欲しいものだ、ということで終わり。
2010.02.12
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今年の冬に、って今も冬だけどサンパを食べに行ってまた、食べたくなって我慢できなくなってきた。こういうのを日本語でジャンキーていうのか、英語で禁断症状というのか、いわゆるアデックト状態ですね、韓国にまた食べに行ってもいいのですが、それでは、最低日帰りしないといけないので、検索をした結果、大阪の一流飲み屋街、北新地にあることが判明、仕事を20時過ぎに切り上げ、食べに行ったのであった。飲み屋街雑居ビルの2階に属し、1階では、ホステスさんに迎えられ、そして無視され、店にズンズンはいっていき、マッコルリを頼んでグイグイやるのである。ウサギのように、野菜を食いまくるのである。15種類の野菜を食べ、野菜は食い放題なので、野菜をむしゃむしゃ食い、お代わりし、中に入れる肉を残してしまうほどである。おまけに、空いているので、サービス満点というか、監視されているようで、いくらハンサムな私でも照れてしまうほどである。4つの突き出しも食べ放題で、レンコンは辛くてウマイのだが、泥の中の蓮の地下茎というのが、よくこんなもの最初に見つけてきて食べた奴はスゲエなあと思わざる得ないのであった。仏陀にゆかりのある蓮、縁起物である。最澄の弟子が持ち帰ったといわれている。蓮で思い出したが、よく、ゴボウなんかも最初に食べた奴は誰だよ、まったく、ってところである。宋の時代は中国も食べられてはいたようだが、ゴボウを食べるのは、基本、日本だけである。アクガツオイのである。あと、フグとかウニとかクサヤとか特殊なもの以外で日本人だけ、ってあまりないんじゃないのか?生卵とかか。 そもそも、日本も古代は、1日2食だった。私も2食だが、やっぱり、菜種油の供給開始で夜が長くなった江戸時代からは夕食を食べるようになったんだのう。ちなみに、貴族は昼夜、その他の人は朝昼に飯をくっていたようである。お、俺貴族ジャン、チャンチャン。野菜お代わりやり放題だが、お代わりするような私のような人間は珍しいとのこと。
2010.02.11
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<入国>ボリスポリ空港飛行機でロシア、ヨーロッパ各地から行くことができます。東欧の共産圏がバタバタ倒れ、EUになっていく中、いつの間にか、はがされはがされ、EUと国境を接している国になってしまいました。変わったとところでは、テルアビブとかダマスカス、アブダビ、ドバイ、アンマンといった中東、そして、アジアでは、唯一バンコクからも直行便があります。何故か、すっかり便数については詳しくなっています。<観光>観光してないんで、分かりません。参考参考2<空港から市内へ>バスもありますが、タクシーなら2,30ドルです。住んでいる人のブログには10ドル台でもいけると書いてありました。市内まで40キロも離れているので、空いていても40分から50分ぐらいかかります。諸事情があって2往復しました。<入国>陸路でモルドバ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、ポーランド、ベラルーシ、ロシアと国境を面しているので、結構、いけちゃうんじゃない?<入国>海路でクリミア半島のリゾート地、ヤルタ、或いはオデッサ黒海を通って、トルコやイランとかから入れるのでしょうか。<ビザ>2005年より不要。不要と知り、一気に行く気になりました。<宿泊>一箇所しか泊まってません。<食事>参考<アルコール>ウオッカ、ブランデー、ワイン。<政治経済>2月7日、大統領選挙一騎打ち、でもどちらも親ロ路線。せっかくの欧米寄りのオレンジ革命後も、うまくいかず崩壊しまして、今後、余計に酷くなるんじゃねえかという危惧を抱えます。<ウクライナ人について>長い圧政のせいか、無愛想。美人美男子が多いのは、いろんな民族が混じっているからで、まあ、征服されまくった歴史を持っているということとニアリーなんだろうねえ。4400万人ぐらいウクライナ人はいるが、700万人ぐらいは国外に住んでいる。<マッサージ>わかりません。<ショッピング>しりません。何も買ってません。<治安・気候>ロシアよりまし?<地図>かなりキエフはだだっぴろいです。<ナイトライフ>調査中。参考<空港>そんなに広い空港ではありません。入国すると、右側あたりに、旅行代理店やバス会社などが入っています。右側に市内行きのタクシーを予約できますが、その前でタムロしているタクシー運ちゃんに声をかけられます。そちらで交渉したほうが安いです。ドルOKです。まっすぐ、左手カフテリアを見ながら進むと、何箇所か両替所があります。その横ぐらいに2箇所、地下に下りていくトイレがあります。紙を買うか何かならお金を取られますが、シュアーシャー出すだけなら勿論無料です。同じ1階に出国フロアもあり、向かって左側が入国、右側が出国するところで、右端のほうにもレストランがあります。チェックインカウンターで手続きを済ませると、2階に上がり、そこで、出国審査があり、抜けると直ぐトイレで、そこのトイレがまだ一番キレイなトイレです。イミグレを抜けて右に曲がると、直ぐにバーカウンターが左右2箇所あり、ビールなんか3ユーロもしてしまいます。バーの手前は、ビジネスクラスラウンジですが、お金を払えば入れるようで、3階にも上がれます。そこはまだ空いているので、ベンチを確保して寝ることも可能だと思われます。それから免税店があり、ぐるっと回って、段差を降りると、拡張したと思われる出国スペースがあり、免税店が2店舗と、バーがあります。免税店では、60ユーロぐらいからキャビアが買えます。一番奥がスモーキングエリアですが、天井がツーツーになっているので、煙が漏れていて臭いです。コーヒーの自動販売機を2機あり、余った現地通貨を使うこともできます。値段もリーズナブルです。参考1参考2参考3参考4参考5<珍スポ>特にありません。参考キエフ弾丸ツアーしたくなりましたか?いいえ、スタックするのでできません。 2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.10
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健康診断がありまして、事前に記入した用紙を提出して、もらった用紙をもらいと、年齢が1歳若かった。35歳ぐらいから、自分が何歳かよくわからねえ、って状態になっているのは、まあ、愛嬌ってところだよね。 体重は普段量らないので、分からないが、昨年より3キロ増えていたよ。我が家のスバラしい体重計は本の下敷きになって取る事ができないのです。全然気がつかなかったよ。腰周りも太ったのだけど、ベルトも同じだし気がつかなかったよ。(身長はガリバー先輩じゃないけど4ミリ伸びた。多分、誤差だろう)一応、身長から来る基準から3キロオーバーらしいけど、私は、断じてメタボを信じてないわ。そんなんここ数年で生まれた言葉だろ。どうせ、政府が、医療費削減のために、国民の皆さんよ、健康については自分で管理しましょうや、国にはもう金ありませんから!予防ですよ、その辺りの都合のいい問題でしょうね、製薬会社は薬売りたいし、製薬会社と国のタイアップでしょうな。根拠なし。病人を増やして、薬を飲もう、そして、役人を製薬会社に天下りさせようキャンペーンに、ゴメン、参加できません。まあちょっとぐらい太っても、中年には、それが健康の秘訣なんだ、かどうかは分からないが、体が重いとか、体調に変化がないので、別に大した問題ではないのだよ。沈黙の臓器が悲鳴あげているのかもしれないけど、もうそのときは、死んじゃえば済むじゃん、か?あとは、胃エコー検査で看護師の方が、息吸ってください、楽にしてくださいを30回ぐらい繰り返してくれたが、それを毎日何十人もしてたら、気が狂うのではないかと、一瞬彼女のことが心配になった。私も心配性だ。また健康相談室では、もう、何十年も相談することはないので、今回も相談なし。健康だからというより、何だか、言っても仕方ないような気がするからだ。でも、今回は、やたら敬語を駆使するへりくだった物言いをされる相談員の方で、こちらが、悪い気がして、いやいや、本当に何も問題ないですからって言い訳シテイル自分が息苦しくなりました。それから、心理テストで、また仕事内容が非常に向いてないと診断されましたが、向いている仕事は散歩しかないんです。 身長が伸びたのは、誤差というか、髪の毛がモワモワになってきたからだろう。そういう訳で、紹介で、美容室に行ってきた。紹介してもらった理由は、美容師が無口と聞いたからだ。決して人嫌いではなく、客が話しかけたらにこやかに話をしているのだが、客が無口なら淡々と作業をしてくれるらしいのだ。私は、髪を切ってもらう時間は眠る時間なのだ。それにシャンプーの時間も長く、一眠りしてしまったほどだ。まあまあ、満足した。まあ、髪型がどうなったか、については、まあ、私自身はあまり興味がない。だって見えないジャン。
2010.02.09
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何度も国土を失い、不死鳥の如く蘇るポーランドの首都ワルシャワに滞在24時間以内で行かれる方向けガイドブックです。国歌にも、ポーランドはまだ滅びていない、という歌詞があるくらいです。いままで数々の中年用ネット版ガイドブックを作ってきた。といっても3つだけだ。パガン ビルマシンガポールリスボン ポルトガル またもや、仕方ないので、ここで、マイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、ワルシャワのガイドブックで団体旅行以外であるものといえば、地球の騙し方が中心なのですが、いまさらなー若者向きのガイドブックもなあ、という人向きです。(最近は、地球の騙し方も若者向きでもなくなっているんだよなあ、後半に記述)。対象者は、勤め人中年男性1人、個人海外十二回以上の人向きです。<入国>飛行機で 日本が凋落して久しく、日本からのヨーロッパへの直行便って、もうあまりありません。従って乗り継ぎしかないことは、ご存知の通りです。空港は、案外でかくで、ショパン空港というだけあって、ピアノみたいな空港です。<観光>空港から市内へもう、俺たち、中年、貧乏を楽しめる年代じゃあ残念ながらなくなり、貧乏が洒落にならないお年になってしまったことが悲しい、が、ここは、やはりタクシーでしょう。といっても市内中心まで、ほんの11キロ。何図ローチか忘れましたが、500円から1000円の間ではないでしょうか。(ホウロウサン以外)詳細<入国>陸路でウクライナから行けます。参考<入国>海路で調べたらあるんじゃないでしょうか。バルト海に面してますから。<見所>観光地については、ここに網羅しておきます。とにかく、観光案内所で、マップ貰ってそれで行ったらいいよ、いきたいところに。<宿泊>とにかく、今の時代、宿泊はネット予約しかしません。よさげなホテル見つけたら、他のネットのサイトを見ながら価格比較して、一番安いところで予約すればいいのではないでしょうか。だいたい、私の場合、5~6の格安料金ホテルサイトからの予約です。オークションサイト(最高値をつけた人がその価格で泊まれる)までありますので、それもチェックしてます。予約は、だいたい、3日前から当日に予約しています。中心部で探してみたのですが、思ったより正月ということもあり、旧広場から20分ほど離れたところに宿を取ってしまったので、人が歩いてませんでした。中年にでもなれば、5000円はまあ、仕方なしとしましょう。<食事>参考。ちなみに、ポーランドが社会主義国家だったころ、仕事は8時に始まり、仕事はメシなしで、15時ぐらいまでで終わりというパターンであった。ほんまに働いていたかどうかは不明だが。<アルコール>スピリタス、このウオッカは、アルコール度が96パーセントというシロモノで、昔、一本持っていた。これは、はっきり行って、手のひらに乗せてなめると、舌がヒリひりします。十分に割ってでないと、体に注入することができませんから。<ドー プ>厳しいほうです。地元の知り合いがなかなかできないという人は、大学がある場所や、中央駅近くのPalace of Cultureと呼ばれる広場に行ってみてはいかがですか。 またはヨーロッパで最大級と言われる Stadion Dziesieciolecia(10年スタジアム) のフリーマーケットもお勧めです。なんせ過去には武器も売っていた場所ですから何でもあると思われます。赤ひげスカンクならあるとのことです。<喫煙>ヨーロッパの中では、物価が安く、タバコも安いので、陸路でドイツなどからチョイ、タバコ、アスピリン、ガソリンなど買いに来るって技があるよね、国境には、そういったドイツ人向けの店がワンサカあるというね。陸続きの国境って面白いね。<ポーランド人について>はっきりいって、英語で大文字と小文字で意味が違うどころか、発音も違ってくるおもろい単語です。まあ、フィンランド人のフィニッシュも面白いけど。私は、10年前はフィンランドでクリスマスを迎えたのだが、皆がみな、私に、フィニシュクリスマスというので、なんで終わりのクリスマスなんだろうと帰国してからも不思議に思っていたのだが、数ヵ月後、やっとフィンランドのクリスマスということを急に思いついたマヌケさでしたわ。<マッサージ>タイのバンコクだったか、ポーランド(PHO LAND)というマッサージ屋あります。ワットポー(ポー寺)があるように、ポーとは、タイ語で、菩提樹のことですね。ゴータマブッダの木ですね。<ショッピング>してません。でも、下着類買いました。<治安・気候>ま、ふつうじゃない治安?気候、冬、ヨオロッパ寒いな。<地図>日本でサイトみつけて、印刷していったら、その冊子、観光案内所に置いてました。<ナイトライフ>調査中。参考<珍スポ>ありません。ばか議員というポーランドの議員がいましたが、ここで、最後に、エライ人の変な名前を集めてみましたわよ。アはーン首相(アイルランド)・シリー内相(ドイツ)・オナる経済担当国務大臣(トルコ)・カチン国民議会外交委員長(スロベニア 元?)・ガンバル党首(アゼルバイジャン・ムサワト党)・ウンコビッチ駐中国大使(ユーゴスラビア 元)・バーカ下院議員(アメリカ)・バカチンKGB議長(ソ連)・バカーチン元内相(ロシア)・パンティ外相(ネパール)・フリン環境相(アイルランド)・マンこ・カパック皇帝(元)(インカ帝国)・メガチんポ保険衛生相(プリンシペ共和国)・ローション環境相(スウェーデン)などなど。コレで、ワルシャワ、弾丸ツアーしたくなりましたか?2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.08
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実は、昨日の続きなんだが、説明不足(眠気より説明面倒になった)な部分が最後のほうにあり、無事、ハルジ氏に指摘されたわけであるが、まさに、山本七平の空気の研究を表した当時、戦艦大和が出陣するときに、皆もうだめだよと分かっていたのに、結局は、イケイケの空気が出陣を決定したとか、要は客観的論理的に意思決定しているのではなく、空気が決定していると表した本であった。 しかし、経済が成長を続け、何でもやっていいんだ迷惑さえかけなければ、いや、自分の好きなように生きていいんだ、自己主張していかないと世界に通じない、世の中は、バブルだわ(バブルの真っ最中はそれが最高潮とは気がついていないけど)ということで、そういうことでかどうかちょっと原因は分からないが、空気は読まない時代に入ったと思う。しかし、バブル世代以降、好景気を知らない世代は、KYという言葉が流行ったように、また空気を読め、の時代に戻ってきたようだ。我々は、KY、なんじゃいそれ、オモローで済んでいるだが、当の10代20代は必死のパッチのようである。といっても、あまり接触することもないし、多分、俺らのような勝手野郎は、この人、空気全然読めないですね、サイナラといって離れられると想像されますな。 20代前半の会社員取引先などと話することもあるが、さすがにソツがない。そして、皆、いい人たちであり、愛想もよい。大変私から見ると扱いやすい(向こうから見ると、何じゃこのタヌキワガママオトボケおっさんと見えるだろう)。企業採用面接官も大変面接がうまい、勉強や研究をしている、こちらの質問しようとする意図を汲み取るのがウマイといっている。 表面的な平等の中で陰湿ないじめを耐え抜き(いじめに遭わないように耐え抜き)、生まれてから一度も好景気を味わい、いい目をしたことがない中、日本の将来にも不安を抱えながら、そのくせネットワーク社会に埋もれ、ハミゴにされたくない嫌われたくないの中で、ウスーイと友達関係の中でアップアップしているようですね。 こりゃ、まさに、新監視村社会のようになっているようだ。携帯電話持っている人は、大抵300人とか500人とかアドレス交換しているようで、しょうもないメールでもすぐ返信しないと、感じの悪い奴にされて、それが広まってハミゴにされるかも知れないという恐怖の中でお暮らしになられている若者も多いと聞く。集まりの中でも、笑顔を絶やさず、悩んでいる人を一応励ますフリをせねばならず、みんなばらばらのようにみえつつも一体感で相槌を打ち合い、会話をと途切らせてはない、共通話題を作らないといけない、そして、自分の意見より空気が優先されるってことになっているようだ。激論とか、仲たがいはできるだけ避けなければならない。まさしく、だよね~、だよね~であり、けどね~けどね~ではないわけだわ。 勿論、若者の中にも、そんなの嫌だから携帯持っていない人が3パーセントぐらいいるし、あいつはこういう奴だから仕方ないよねといわれるようなキャラクターつくりに成功した人もいる。実は、私も、そう考えれば、オメエは仕方ねえよな、でうまくいった一人のような気がする。とにかく広がりすぎたネットワークの中で、実際は、全然遠くに行かない半径数キロ圏内で生きているという感じか。嗚呼、大変なんだなあ、村社会。今、私が10代20代ならハミゴになり就職も出来ずにニートになっていると思います。それにしても、みんなと違うのではないかと、精神が蝕まれる人の多い日本も文化的な出来事で、フランスとかでは、逆に、皆と同じではないのかと精神を病む人が多いそうですねえ。流行り言葉は好きではありませんが、最近、バブルの頃を経験したアラウンド40、新人類とかバブル世代とか負け犬とか言われていたわし等の生活は、特に女性は服にお金をかけ、旅行といえばロンドンパリニューヨークが定番で、当時のオレからしたら、こいつらパーの癖にといったちょと捻くれたところがあったのも事実であるが、今も、そういう20代前後のスタイルを続けており、経済に貢献している。お、違う話になっていきそうだ、これはまた次回ということで終わり。
2010.02.07
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実は、誰でも分かっていることだと思うけど、景気回復とか、成長とか、短期的にはあっても、経済成長期のようなものは、もう日本にはないことぐらい、誰もが分かっているはず。ただセイフティネットがないから酷すぎるだけで、まあ、ソレが問題なわけで、景気が良くなれば、なんか夢の話であることは、分かっている人は言わないし、薄々誰もが感じている。 ケインズ、罪な男よ。GDPを考え付いてしまった張本人だともいえる。国内総生産ってな概念。ワイらが、高校生のころは、GNPゆうて国民総生産だったが、違いは、国内外であろうが日本人が生産したものと、外国人であろうがなかろうが日本国内で生産したものの総量の違いだけで、まあ、どうなんよ、総生産というか、総和というか、国の富の和なんか、意味あるのか?公害出しても生産してるから数値があがるとか、意味あるのか?中古自動車も中古マンションも流通してもリフォームも生産されたものじゃないから加算されないんだぜ。ヤフオクで付加価値着いたスターバックスのタンブラーを定価以上で売って儲けても、加算されないんだぜ。そもそも、ハッピーかい?ってところが重要なんだけど、数値化できないから学問化できないどころか邪魔なんだよオメーって感じだよね。GDPと幸福度、全然関係ないからね、フィリピンのようなチョー貧乏な国より日本は幸福度低いからね。フィリピン行ったら、時々、羨ましくなるよ。 関係ないけど、2、3年前に20年前にフィリピンに行って、夜、フラフラと、外国人の来ないようなバーに入ってみたら、みんな、まあ、生活苦しいのに携帯電話持っていた。 学生の頃、武者小路実篤の愛と死を読んだけど、人間の感情なんかそう変わるものじゃないけど、どこか古い感じというか、共感できなかった訳が分かった。洋行した恋人との連絡手段が手紙であるということだった。 考えてみれば、もう20年前の小説やドラマももう、今の20代ぐらいまでは、もう分からないのではないか、と思うであった。待ち合わせのすれ違い、小説やドラマのストーリーの定番で、中核を成し、そこから展開。でも、今じゃあ、携帯電話で、今ドコにいるのよ、或いは、ゴメン電波の通じないところでさとか、メール届いてない?とか、そんな感じで共感なしで終わり。そんなわけで、気配りの若者たちよ、昔返りしてるね、空気読めって。そう考えると、わいらの世代前後10年ぐらいが、日本人ばなれした特殊な感覚の持ち主世代なのかも知れねえねえ。2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.06
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英語読みではリスボンですが、本国ではリシュボアです。ここは、ナニの便宜上か分かりませんが、リスボンにしときます。いままで数々の中年用ネット版ガイドブックを作ってきた。といっても2つだけだ。パガン ビルマシンガポール またもや、仕方ないので、ここで、マイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、リスボンのガイドブックで団体旅行以外であるものといえば、地球の騙し方が中心なのですが、いまさらなー若者向きのガイドブックもなあ、という人向きです。(最近は、地球の騙し方も若者向きでもなくなっているんだよなあ、後半に記述)。対象者は、勤め人中年男性1人、個人海外八回以上の人向きです。<入国>飛行機で 日本が凋落して久しく、日本からのヨーロッパへの直行便って、もうあまりありません。従って乗り継ぎしかないことは、ご存知の通りです。残念ながら、日本から乗り継ぎでも、ポルトガルはヨオロッパのハジッコなんで、2時間とか3時間とか、乗り継いでからかかるから、ね。覚悟。<観光>空港から市内へもう、俺たち、中年、貧乏を楽しめる年代じゃあ残念ながらなくなり、貧乏が洒落にならないお年になってしまったことが悲しい、が、ここは、やはりタクシーでしょう。といっても市内中心まで、ほんの7キロ。ユーロを散在する価値はあるでしょう。路線バスでも2ユーロかかりませんが、タクシーでも10ユーロでしょう。鉄道や地下鉄はござらぬ。詳細<入国>陸路でスペインから行けるんじゃない?意外と隣国同士なのに、この2国間お互い無関心だからね。そのためか、案外、反対に仲がいいらしい。<入国>海路で調べたらあるんじゃないでしょうか。<見所>観光地については、ここに網羅しておきます。とにかく、丘が多く、起伏がある町なので、どうせいちゅうねん、どうもしません。ただ、丘の上から景色を見たいなら、多分、1箇所行けば、十分かと思います。町並み<宿泊>とにかく、今の時代、宿泊はネット予約しかしません。よさげなホテル見つけたら、他のネットのサイトを見ながら価格比較して、一番安いところで予約すればいいのではないでしょうか。だいたい、私の場合、5~6の格安料金ホテルサイトからの予約です。オークションサイト(最高値をつけた人がその価格で泊まれる)までありますので、それもチェックしてます。予約は、だいたい、3日前から当日に予約しています。中心部で探してみたのですが、思ったより正月ということもあり、やっとネットで探したのが出発1日前で、ヨーロッパに着いてからネットで確認したら満室でしたわ。それで、フランクフルトから、飛行機に乗る直前に、空港で立ったまま、少し郊外で安いところを予約したという按配でした。地下鉄で3駅ほど離れると、5000円程度でも十分あります。多分。詳細<食事>参考。ちなみに、パンは初めに、どさっと持って来るが別料金ですので、食べると金とられるぞ、0.5ユーロぐらい。イカ墨を食べる国で、多分日本に伝えた国。<アルコール>ポルトワイン、20度ぐらいで甘いのですが、コーヒーもカフェで1ユーロでうまいのが飲めるのが嬉しいわ。サグレスというビールがあり、それは、ヨーロッパの最南西端にある都市の名前ということで。<ドープ>短い間の滞在では分かりません。が、はっきりいって、マリワナは、まあ、もう個人でするならどうでもいいよ、って感じのヨーロッパの潮流ですが、行政的には厳しいほうかな。参考;10日分の使用量(25グラムの大麻あるいは5グラムの大麻樹脂)以下の所持の場合は、コミュニティーサービス・免許停止・罰金などの行政処分が適用される。それ以上の場合は10日間の留置。薬物依存抑止委員会により、依存状態や問題行動の程度に応じ治療が求められる。<喫煙>どうかな、ほんのちょと前まで日本も割りと言論の自由があったんだねえ。<ポルトガル人について>はっきりいって、スペイン人と同じで小さいと思ってタラ全然スペイン人と違いました。ポルトガル人は先住民であったイベリア人に、ケルト人、ラテン人、ゲルマン人(西ゴート族、スエビ族、ブーリ族)、ユダヤ人、ムーア人(大多数はベルベル人で一部はアラブ人)が混血した民族とのことでした。案外、背が高いのでビビリました。とにかく、没落を維持し続ける国で、国民はサッカーにしか興味がないといえば、いい過ぎか事実です。名前はヌーノが多い。ポルとガルも多いのが変。それから、まあまあハゲ率が高いように思えた。<マッサージ>アジアの国でしかしたことがないので、分かりません。この地図、ちょっと古いか間違ってるよね。<ショッピング>してません。参考<治安・気候>悪くないでしょう。冬は、ヨーロッパの中では嬉しいです。10度ぐらいあります。<地図>空港に置いてます。ちなみに、適当な国なので、いきなり東チモールやアンゴラを植民地やめます、としたものだから、内紛勃発。植民者も続々と本国に帰国、その数、本国の人口の1割。本国もムチャクチャになりましたとさ。マカオは珍しく、シレーっとではなく返還されましたが、香港ほどの注目なし。適当といえば、ナポレオンに進出されて、王族がブラジルに逃げて、ブラジルにポルトガルの首都を作りますわ、といいましたとさ。ちなみに、20世紀当初の王様、即位して直ぐ死んで、在位期間20分という世界最高記録を持っておられます。<ナイトライフ>調査中。参考<地震>ハイチの地震は過去どこにもなかったような惨状になり、今や国家ではなくなっていますが、一番近いのが、18世紀のリスボン大地震と津波かもしれません。リスボンの4分の1とも3分の2ともいえる人が死に、あのスペインと世界を二分していた大帝国の崩壊の大きな一因になったといわれてま。<珍スポ>ありません。参考コレで、リスボン、弾丸ツアーしたくなりましたか?2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.05
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坂の中腹に、燻された石畳脇の細道の店。ファドは、大きなところから、看板も出てないようなバーまで、ところどころで行われている。入り口は小さくとも、中にはテーブルが20ぐらいあり、小さな舞台があり、マイクが置いてある。かつて、スペインで、夜中から始まるタブラオ(フラメンコ)を見に行ったときと、同じような感じだ。少し秘密っぽい怪しい感じがよい。とてもカメラなんか出せる雰囲気ではない。ポートワインを頼む。ポートワインは、醗酵中の糖分が残っているワインにブランデーを加え、醗酵を止めてしまうという荒業で、20度ぐらいのアルコール度になり、甘さとアルコールの濃さに、ウググと喉にやってくる。ルビー色のグラスを眺めていると、ギターが奏でられ、女性が低い声で悶え苦しむように、溜息なのか嘆きなのかという感じで、歌い出す。イメージどおりの風貌の50代のけばけばしい人生疲れましたけど、振り絞って生きてますって感じのおばさん。拍手がおこる。それが商業的なものなのか、伝統的なものかは、分からないし、どちらでもあるのだろう。ファド、運命、フェイタル(致命的)と同じ語源なのだろう。リスボンの下町で生まれたファド。 数曲が終わった時、曲中、ポルトワインに手を出していないことに気がついた。南欧の明るさの裏にあるどす黒い血を思い、一気に飲み干す。一気に飲み干し、暗い細い坂を下りていった。2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.04
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グエエエ、目がチカチカする、揺れる青春。お尻が浮いてます。唇落書に無理があります。このようなTシャツ着ている人は見たことないです。日本人は描かないキャラクターというか、顔立ち。舌持っているのか。シール貼っているだけだろ?。拷問。現実感。よく見たら、鉛筆で目書かれてました。口から水を噴出していなかったら結構マヌケです。少し悲しくなります。地下鉄の電車と電車の間に人が。ジョンノレン駆け落ち注意。セクシー大女。2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行 ワルシャワ逍遥 夕刻のワルシャワ ワルシャワgourmetの旅 ワルシャワガイドブック ポーランド・ワルシャワ→ウクライナ・キエフ キエフ散歩 キエフガイドブック キエフ、キメラハウス キエフ散歩 キエフgourmetの旅 リスボンで落ち着く キエフスタック1 キエフスタック2 キエフスタック、さらばキエフ3 キエフからリスボン来て気温20度アップ リスボンラビリンス リスボン、サンジョルジュ城 リスボンガイドブック リスボン、ウインドショッピン リスボン正月 リスボンgourmetの旅 フランクフルト→日本滞在2時間→ソウル ソウル1泊 ソウルgourmetの旅 ソウル1986 インチョン→関空 ドリンクの旅
2010.02.03
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オレは、あまり大きな声では言えないが、自分探しの旅が嫌いだ。それに癒しの旅も嫌いだ。生きざまも気恥ずかしいし、感動をありがとうなんてこれっぽっちも思わないし、私たちが失ったものを旅に求めるというのも傲慢な気がする。旅行は、若いうちに行けというのは、まあ、そんなことはないとは思いながらも、若いときのほうが感じるものは多いのかも知れないし、単に慣れてしまっただけというのかも知れない。そんな中、(どんな中や)悪いけどそのブツは使いたくないです飲込み運び屋が女の人だったらいいけど というベリベリーサンのコメントがあったが、なんというか、そういうのを熟考してみたいと思った次第である。雲古とは、どこからがンコなのか、その定義は難しいが、口を通過した時点から既にンコになる旅は始まっているのであった。唾液ででんぷんを出しまくり、胃で、塩酸を駆使して食物をドロドロにするのである。ところで、コインを何故だか、好き好んで食べてしまう輩もいる。ちなみに1ユーロは1週間胃に滞在すると6パーセント溶け出すようだ。アメリカでは分裂症の男が500枚近くの硬貨を飲み込んで、亜鉛中毒で死んでいるが、こんな人は、飛行機に乗ることができないだろう。金属探知機が鳴って仕方ないよな。まあ、それはいいとして、どんどん進み、胆汁のふりかけによって、遂にンコの象徴、黄金色に変わるというのだ。小腸では、あのジュウモウっていうヒダヒダのやつを通り、ついに大腸へ行くと、やっと、芳しい、堂々のンコ臭がつけられるというのである。つまり、正真正銘の臭いつきンコは大腸に到達してから、ということだ。ンコとは何か、それを定義したいところだが、小腸などにいる間は、まだ立派なンコ状態というのではないといえるのではないか。この時点では、まあ男女関係なく、今度有無の外はンコの世界ではないのである。しかし、取り出すときは、下から出すので、大腸を通るから、あれか、同じか。という訳で、贓物を食う料理はあるが、小腸だったら、まあ、中味をかきだして捨てるとしても、中味もまあまだ臭い無しのものであると考えると、まあ、よかったかなあ。でも、考えたら、生の腸は食べたことなかったわ。あーよかったよかった、あ、何の話だったかなあ。なんか、大阪安治川がバンコクのチャオプラヤー川のように思えましたと。川の色違うけど。
2010.02.02
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アルファマ地区、18世紀の大地震ででも倒壊しなかった下町。しかし、丘の中腹にあるので当時は高級住宅街だったのだろう、モザイクタイル貼りのイスラム調の迷路である。ファドの演奏もあちらこちらで開催される酒場がある。 来るまでのポルトガルのイメージは、あれだけの大航海時代に世界を二分した後、何百年もかけて没落し続け、大人しく朽ちていく美学を体現していき、クラーイ人々がボソボソ歩いているのかな、というものであった。実際は、案外明るい人々だった。国家とは、何だろうか、と考えてしまうのであった。 考えれば、それは、簡単で、国家の目的は、存続し続けることで、そのために生かさず殺さず国民から金をカツアゲすることであろう。だから多少の福祉という飴を与えて国民にちょびっと優しくする祖びりを見せる。 そういう意味で、そんな国家にとって困るのは、金持ちが国家を出て行くことであり、グローバル化して資産が散在していくことだろう。指導者が国を売って、随分規制緩和が進んだが、資本にとっては、国家は関係ないものになってしまった。それでも、いきすぎたホリエモンのような人々は、抑えられる。 ポルトガルの凋落としては、100万人程度の国民が膨大な植民地運営できずに、スペインに飲み込まれたこと、その膨大な銀などの奪取した資金がインフレを起こしたとか、インフレのために国外に資本が流失したとか、その地震が大きな影響を与えたとかあるけど、国家として、国民からカツアゲしきれず、海賊の横行とか、カツアゲ材料の国内木材がなくなったとか、カツアゲしきれずに戦費に金を使いすぎたとか、カツアゲするほどの国内産業を怠ったとか、てなことなんだろう。 全然関係ないけど、ポルトガルに入ってくる少数民族で最大なのはウクライナ人(スラブ人)らしい。まあ、そういうことを考えながら歴史を感じるというより、洗濯物を見たり、店を冷やかしたり、ワインを試飲だけしたり、庶民ってそんなもんよ、どんなもんよ?
2010.02.01
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