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今日、先日のA~Gブロックで勝ち上がってきたチームによる二次リーグがありました。二次リーグ白山台会場には○八戸ゼブラ○いちのさわ小○桔梗野小○城北小根城会場では○白金小○ウインズ○多賀レッドスターズ○JEF八戸この8チームによるリーグ戦です。白山台会場はやはり八戸ゼブラが強かったです。第一試合 八戸ゼブラ 4-0 いちのさわ第二試合 桔梗野 0-0 城北第三試合 八戸ゼブラ 5-0 桔梗野第四試合 いちのさわ 1-0 城北根城会場はよくわかりませんでしたが、多賀レッドスターズが今のところ1位JEF八戸が2位と聞いております。JEFは4年生選手が昨日、今日と点数を入れて活躍しているそうです。5月3日の午前に、白山台会場でに二次リーグの残りの試合があり、午後から準決勝です。
2006.04.30
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いよいよ、全日本のスタートです。またこの暖かい日差しの中で始まりました。一回戦はJEFか、次男坊が先月までいたところです。少し応援しにくいなー。今日は写真集で進めていこうと思います。おしい!!私設応援団、卒業した生徒や、父母も沢山来てくれました。 皆、覚えているよ。結果は?結果はまだいいのです。今日は、このさわやかな青空の下で楽しむ事が出来たんですから。今年、このチームを率いて頑張ってください。橋本監督!!
2006.04.29
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今日は、新キャプテンを少し褒めようと思います。ここ最近、陸はシュート練習の時に何も言わずキーパーをすすんでやる事が多くなったと見ておりました。「さあ、こい!!」大会も近いので、自分もシュート練習したいと思います。そして昨日、足が痛いと言う事で、トップチームの練習に参加せず4年生チームの試合に参加しておりました。小さなフィールドとゴールのなかで、コーチ代わりになっていました。「よし、いいよ!!」大会も近いので、自分もゲームで練習したいと思います。時折キャプテンとしての頼もしいところが見えるのです。がんばれ!!新キャプテン!
2006.04.25
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小さい頃、私の家はとても貧しかったのかもしれません。ただ、両親が何かの度に自分や、自分の家の物を上手に自慢していたので、鈍感だった私は気付かなかったのだと思います。私は、医薬品卸に勤める父親と、専業主婦の母親の間に生まれました。男三人の長男だった私は、何かの度にとても厳しく躾をされていましたので、朝父親と食事をする時間がとても苦手な時間となっていました。父親が傍にいる為に、味噌汁の茶碗を震えてこぼしてしまった事が何度かあるのを覚えております。父親はひどく貧乏育ちで、小学校から新聞配達をし高校も夜間に通ったと聞いております。母親は旭川市の地主の娘として生まれ、生活には不自由がなかったと聞いております。そんな両親は共通して、一つ大嫌いなことがありました。人からおごってもらう事。おごる事です。それは私たちにも厳しく、今もぶれることなく続いております・・・小学校5年生の時こんな事がありました。学校の先生が社会の時間に「昔の人は皆つぎだらけの服を着ていたんだよ。」と、言った時の事です。クラスの誰かが「○○くんだ!!」と、大声で私の名前を叫びクラスが爆笑の渦になった事がありました。私はいつも、従兄弟のおさがりの服がダンボールで送られてくるのを楽しみにし、母は、その服に穴が開くとつぎあてをしていたのです。私は、自宅に帰ってから母に大泣きして、皆が持っているメーカーの服やジャージを買ってくれとせがみました。それから、母親はPOMAやアディオスなどのソックスや、トロイの煙が少し多い服などを買ってくれるようになりました。安売りの店や、安いところに並ぶのが得意でした。父親も、母親も安い服を着て堂々としていました。平屋の借家で、会社の車しか持たずに堂々としていました。家庭訪問は、「必ず最後にしてもらうように」と言い、先生と必ず飲みに行っておりました。祭りの時には、頼まれてもいないのに太鼓を叩き、朝のラジオ体操も仕切っておりました。そんな私たち男三人が、それぞれお金のかかる大学に行きました。私は私立薬科大学、次男はアメリカの大学、三男は札幌から、大分県の私立大学です。すごいと思います。爪に火をともしながら堂々と生活していたのを見ていたからです。両親は、先代の遺産を全て放棄したと聞いてました。お金は自分で稼いだものだけです。それが当たり前と教わりました。そして今、両親も丸くなり家庭を一番大事に考える事と、親よりも長生きする事の二点のみを説教します。親孝行するつもりはありませんが、めにものを見せてやろうと思います。反面教師と思っていた私ですが、自分の子供にも同じ気持ちなんだと思います。
2006.04.24
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今日、西園小グランドで八戸ゼブラ、多賀RS、西園小、ウインズ4校による練習試合がありました。八戸ゼブラ 2-0 西園小八戸ゼブラ 4-0 多賀RS八戸ゼブラ 3-0 ウインズ 前半で終了今回、自分のチームが優先にと言う事で、ゼブラと西園が対戦の時はゼブラから3人が西園に戻ってと、言うやり方で、各小学校もベストメンバーで行いました。それでもゼブラは強かったですね。根城SSS入ったら面白かったかもしれません。
2006.04.23
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今日、白銀南小(先日白銀と書いてしまいました)で、根城SSS、鮫小、白銀南小、いちのさわ小5校合同の練習試合がありました全日本が近いからね。みんな頑張っております。ところで、結果はどうだったんだろう?次男坊は、こちらに参加させてもらったのですが何も覚えてないようです知っている方がいましたら教えてください。もう一方は、青森サンドームで県トレ選考会があり、県内から70名が参加しました。隣は県営スケート場この中から、東北選抜大会に参加するメンバーを選ぶそうです。
2006.04.22
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4月15日(土)、16日(日)の二日にわたり三沢市南山で、サッカー交流大会がありました。木崎野、十和田南、致遠、むつFC、そして八戸市からは八戸ゼブラ(根城SSS5名)の参加です。一日目は八戸ゼブラ 3-1 むつFC 八戸ゼブラ 2-0 致遠二日目 八戸ゼブラ 0-0 十和田南 一試合で大雨の為中止今回より八戸ゼブラは、全日本の大会で地区予選から戦う事になったので、気が抜けません。ちなみに全日本の地区予選は4月29日、30日です。4月22日(土)は 根城SSSと白銀小の練習試合4月22日(土)は県トレセンU12が丁度重なりました。(根城SSSから3名、白銀小から1名参加 青森サンドーム70名)4月23日(日)八戸ゼブラ練習試合4月29日(土)全日本の試合後 根城SSS保護者会
2006.04.16
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今日は、授業参観日、その後PTA総会でした。子供は授業が終わると三沢市で試合の為、すぐ出発。私は学校にいながら、試合の事ばかり気になっておりました。参観日→PTA総会→校長室(役員顔合わせ・・一応PTAの役員をしております)→急いで三沢市に試合を見に行き→戻り自宅で歓送迎会の練習→ワシントンホテルで歓送迎会(司会)→4次会まで終了3時半 明日は朝一で三沢市に行き応援、昼12時から仕事です。サッカー部を応援してくれた S教頭先生、O先生ありがとうございました
2006.04.15
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昨日、根城サッカー部顧問O先生の送別会がありました。参加したのは、何と先日卒業した子供達全員と、その父母ほとんど(すごい!!)4,5,6年生の子供達も大勢参加しておりました。皆からとても慕われたO先生が、他の小学校に転勤してしまうのはとても残念です。今日は、二日酔いのために丸一日動けずじまいでした。
2006.04.09
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八戸市4種委員会では全日本少年サッカー大会決勝大会を目指し、各チームから推薦された多くの選手によりトレーニングや試合を行ってきました。その結果、根城小5名、西園小3名、多賀RS3名、鮫小2名、白銀小2名、ウインズ1名、計16名の選手が18年度の八戸ゼブラFC候補選手として推挙されました。陸、たかひと、覚、まきと、蓮、おめでとう新根城SSSはまだ1度も結果を出してないけど、よく選ばれたと思います。彼らはこれから全日本大会に向けて、市トレで週に3回練習を行います。がんばれ!!そして、今回初めて全日本に出る根城SSSの選手たちが、どんな試合をしてくれるのか楽しみですはやく試合が見たいな
2006.04.06
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「気持ちのいい音楽を聴いているよ。」これは私が中学一年生の頃、交通事故で意識不明になったときに実際に母親に話した言葉です。着色するつもりはありませんが、そのとき、心地の良いところで、クラッシックに似た音楽が聴こえていました。それだけが覚えているのです北海道北見市という人口10万人の寒い町に小学校1年生の時から住んでいました。その町では野球が盛んで、腕白な男の子は皆、各学校で行なっている野球のスポ少に入っており、学校にそのスポ少の帽子をかぶり登校してくるのです。私は、そこのチームに憧れていました。小学校4年生のときに、各クラスに申込書の紙が配られたときには、腕白な男の子たちが大喜びで野球の話をし、私もその帽子をかぶる夢を見ていました。クラスの何人かがスポ少に入った中、おとなしく何をするにも遅かった私は、4年生の一年間を二つ下の弟とキャッチボールをしながら過ごすことにしました。スポ少選手の夢を諦めた訳ではありませんが、自信もなく親に言い出せなかったのです。こうして一年が過ぎ、5年生のときに同じく、各クラスに申込書の紙が配られるときが来ました。今度は迷いませんでした。申込用紙を母親に渡し、母親にスポ少に入りたい旨を小さな声で伝えると、父親と相談するからとの返事です。母親に話したあと、少し不安があったのも事実です。いつからか日曜日の朝は父親とキャッチボールの日となっていたのですが、鈍い私は毎回父親に怒鳴られ、鼻にボールを当てては鼻血を出していたのです。鼻骨が骨折して、鼻曲がりになっていたのもこの頃からだったと思います。次の日だったかに父親に呼ばれました。一度も笑った事がなく、いつも同じ怖い顔の父親から、「お前は鈍いからダメだ!」と、一言いわれ終わりました。小学校の頃、それでも野球が大好きでした。年下の子供を集め家の前で、毎日毎日三角ベースをしていたのです。家での代名詞は「鈍い」でした。学校で友達と遊ぶとき、何かするとき、私はいつも自信がなく、一番ビリにだけはなりたくないと思っていました。運動会がくるのが一年で一番いやでした。私が弱い分、父親が自慢でした。バスケットの選手として活躍した父親が、実家の都合で、日体大の特待生を断った話を何度も聞かされていたからです。父親の言うことが絶対で、弱い私は愛想笑いをしながら、ただついていくのが正しいのだと、思って疑いませんでした。中学に入っても私は変わりませんでした。ただ、両親から言われていたことは、学校の先生の言うことと、両親の言うことが絶対正しいと言う事でした。おとなしく堅物すぎる人間になるように努力しました。でも、父親の好きな詩吟と、将棋と、相撲がどうしても好きになれませんでした。そんな私が中学校生活半年も過ぎた頃、登校帰りに、右折したワゴン車にはねられました。頭蓋骨が2枚折れて、即、意識不明の重体だったそうです。北見の総合病院では、さじを投げられていました。諦めきれない父親は、あらゆる手段を使って動いたと聞いております。そして旭川医大で緊急手術をする手配が出来たそうです。八時間にも及ぶ大手術は成功に終わり、奇跡といわれました。今、頭の中には、骨をつないだワイヤーが入っており、陥没した頭と、頭を開いた傷跡がありますが普通の人と変わらない生活が送れております。一生懸命という言葉が何時からか大好きになりました。格好悪くたっていいじゃない。そんなことはどうでもいいことだから。それより一生懸命じゃないか。嫌な思いをした分があったとしたら、それは必ず自分の為になると信じています。ずるするな。真っ直ぐにいこうよ。自分を慕ってくれる人をめいっぱい応援したい。熱い男になりたいと思います。
2006.04.05
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本当なら、これが当たり前かもしれないのですが、去年の今頃が忙しすぎて、何もない今年は気抜けしているところです。3月に東北大会が2度、4月ライオンズカップ、そして全日本と、息つく暇も無かった去年のこの時期。今年はライオンズカップもなくなり、東北大会も無いので目指す物がないのです。その為、練習もなし。この3週間の予定表も練習が入っているのは6回だけでした。勉強でもさせていれば良いのでしょうが子供たちは体がムズムズしてしょうがないようです。
2006.04.03
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