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昨日の超音波検査で赤ちゃんが元気な様子が分かったので、いよいよルナにもうすぐ赤ちゃんがやって来ることを話すことにした。ルナが機嫌のいい時を狙って、ベッドの上で、私とダンナでルナをはさんで、ママのお腹の中に赤ちゃんがいるんだよ、赤ちゃんがもうすぐやって来るんだよ、と話した。するとルナは、部屋のドアを開けて赤ちゃんがやって来たかどうか確認したり(笑)、「赤ちゃんはルナちゃんのお腹の中にいるの?」などと、とんちんかんな反応をしていたが、やがて"I will be a big sister!"と理解したもよう。しかし、これ以来、ことあるごとに"Did the baby come out yet?"と聞いて来る。そのたびに、まだだよ。10月になったら生まれるよ、と教えてやっているのだが、うーん、やっぱり時間の感覚のあやふやな3歳児にはちと早かったか。ま、いいや。
2007.06.02
今日は妊娠関連の検査や検診が3つもあって、ほとんど一日がかり。最初が糖尿病の検診。血糖値の管理も良好で今のところインスリンの量などは変更なし。HbA1cも前回に引き続き5パーセント台後半で安全圏に入りひと安心。次が超音波。アメリカでは検診のたびに超音波をやってくれるわけでなく、だいたい、最初と真ん中あたりと最後ぐらいで、今日は真ん中のレベル2という詳細な検査。内臓や骨格の発達などいろいろ詳しいところを見てくれる。最初に検査技師の人が見て、その次に放射線科のお医者さんが登場して診てくれて、私の担当の産婦人科医宛に報告書を書いてくれる。赤ちゃんはくるくると動いていて、時折手で顔をこするような仕草をしたり、元気な様子だった。超音波初体験の両親は、へーえ、こんなにハッキリ分かるんだねえーと感心の様子。先月より手足の長さが伸びて、もうほとんど大事なところは出揃ったという感じ。性別は聞けば教えてもらえるが、教えて欲しくないと言ったら、じゃあ、その辺りを調べる時は教えるから目をつぶっていてねと言われて、夫婦ふたりとも目の辺りに手を当てて見ないようにした(笑)。ルナの時にはなかったのだが、最近はこの病院にも3Dの超音波写真を導入したようで、立体写真をたくさん撮ってくれた。いやー、ルナの赤ちゃんの時に顔がそっくりだね、と興奮する私達夫婦に、母が「赤ちゃんなんて皆同じ顔してるわよ」と水を差すような一言。これが終わった後は妊婦検診。今日は看護士さんとの話のみで、水戸黄門級の先生は現れず。ルナを妊娠している時は、こうやって先生が現れてくれないと何だか冷たいなーなんて思ってたけど、切迫早産で安静になってからは必ず、時間を割いて会ってくれていたから、会う必要がないってことは「順調」なのだと思うようになった。超音波検査の結果、胎盤の位置は相変わらず低めだそうで、安静の度合い(激しい運動は避ける)は変わらないが、特に心配ないとのこと。それから何と、20週目以降には帝王切開の手術日を決められるそうで、来月の検診までには出産日も決まってしまいそう。
2007.06.01
単に気のせいだけなのかもしれないが、ルナが大きな声で泣きわめくと、お腹のアカンボがバタバタと動く。というわけで、すでに2人の子供の面倒を見ているような気分。
2007.05.31
ダンナが6月中に消化しないといけない有休がたまっているとかで、それをルナが保育園に行かない日に当ててもらうことにして、6月は何とか乗り切る予定。とりあえず、ほっ。
2007.05.31
ルナのことは帝王切開で産んだのだが、今回も帝王切開の予定。ルナの時は誘発剤を点滴で打って陣痛を起こしたところでルナの心拍数が半分に下がってしまい、緊急帝王切開になり、ストレッチャーで手術室にダーッと連れて行かれ、局所麻酔を試みてくれたもののなかなか利かず、時間切れってことで全身麻酔になってしまった。だから私はルナの産声を聞いていないし、ダンナも立ち会えなかった(帝王切開でも局所麻酔ならダンナの立会いは可能)。それがいつまでもいつまでも心残りで、次は少なくとも意識のある状態で、ダンナと共に出産の瞬間を迎えたいっっっっっっ!!!!と、主治医に切々と訴えたら(笑)、「わかった、わかった。もうアナタには誘発はしません(この病院では、糖尿病妊婦の場合、予定日まで待たず、39週目の主治医の担当日に誘発剤にて出産させるという方針になっている)」ということで、今回も帝王切開の予定。帝王切開は産んでからがしばらく痛いので(私なんか半年ぐらい何だかんだ言って痛かったぞ)嫌なのだが、まあ、どっちにしてもお産というのは痛いもので、とにかくこの前のような悪夢が避けられるのであれば止むを得んだろう。
2007.05.29
まだ妊娠17週目だというのにカラダがかったるい。このところ出血はおさまっているが、胸は生理前みたいに張って痛いし、しばらく立ったままの姿勢でいるとお腹が張ったり下腹部に圧迫感を感じたりする。こりゃ、遅かれ早かれ何らかの安静を強いられるようになってしまうかもなあ。ユウウツ。そんな状態なので、なかなかルナを連れて外出できず、家に引きこもりがちで母子ともにストレスがたまってる状態。前は水族館や子供博物館に連れて行ったりできたのだが、今はそれも出来ないし。自分一人だけなら調子が悪くなっても休めるが、3歳児と一緒じゃあ無理だし。家の中でルナはDVDを観ているか、パソコンのゲームをやっているか、あるいは家中のものをひっくり返してイタズラをするかで全く良いことがないので、週1日か2日、思い切って義理の両親の家で預かってもらうことにした。義理の両親の負担を考えると躊躇してしまうのだが、家で親子でイライラしているより、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられている方がルナも幸せだろう。それに、一日の生活にメリハリが出来て良いだろうし。唯一楽しいことは、どうも胎動らしきものを感じるようになったこと。夜、横になっていると時々ぽーんとお腹を蹴られているような気がする。
2007.05.29
我が家が加入している健康医療保険の無料サービスの一環で、妊娠中に専属のナースが月に一度の割合で電話相談に載ってくれるというものがあり、今日はその第一回目ということでルナの時のことも含めてこれまでの妊娠・出産の経過について話をした。その結果、ルナの時に切迫早産でベッドでの安静を強いられたこと、今回も(今後改善する可能性はあるものの)胎盤の位置が低いと言われていることなどから、何らかの安静を指示された場合のサポート体制を計画しておくと良いとアドバイスされた。これまでは、「そうならないといいなあ」ぐらいにしか思っていなかったのだが、こうやって具体的にアドバイスされると、まさにその通りである。特に、前回は自分の事だけを心配すれば良かったのだが、今回はルナの世話をどうするかという大きな心配が発生するわけで。担当ナースのアドバイス(全て受け入れる受け入れないは別として)を書き留めておくと:‐家族、友人で助けてもらえそうな人たちのリストを作る。各人が少しずつできること(料理の支度など家事全般、ルナの世話など)をやってもらう。‐地元の教会や高校などでヘルプが受けられるかどうか問い合わせる‐必要ならベビーシッターを雇うことを検討する。今のうちからルナが馴れるように少しずつ来てもらう。そういえば、やはり切迫早産で自宅で安静を指示されたお友達をとても他人事とは思えず、他のお友達を何人か無理やり巻き込んでヘルプしたこともあったんだよなあ。しかし、他人をヘルプすることより自分がヘルプしてもらうことを考える方がよっぽど大変だ(笑)。
2007.05.16
先週の木曜日、こちらでよくいうstomach bugとやらにやられたらしく、ものすごい下痢(失礼)と吐き気でエライ思いをした。朝はルナをバスで保育園に送っていく気力がなくてタクシーで行ったが、朝食べたものを全部吐いてしまったので低血糖を起こしてしまい、ここでもエラい思いをした。低血糖対策にGerberのリンゴジュースを3本も飲んでいたら、事情の分からぬルナが「あたいも飲みたい」と駄々をこねてもうめちゃくちゃ。それでも母の日商戦で仕事に穴を開けるわけにも行かず、一日中、紅茶とマフィンをちびちびやり、何度もトイレへ行きながら何とか仕事をした。その晩は夜中に目が覚めてトイレに行ったのだが、ふらふらしてぶっ倒れそうになった。あああ、朝までこんな調子だったら、これはとうとうER行きか。と思っていたら、翌朝は比較的調子が良くなっていた。なんともはや我ながら驚くべき回復力。それでも腰がエラく痛かったりして、翌日のお友達のパーティーはキャンセルしようかとよっぽど思っていたのだが、何と、次の朝にはもっと調子が良くなっていた。いったい何だったのか。結局医者にも行かず。しかし、未だに一度にたくさんのものが食べられないので、いつもの調子で食前にインスリンを打つと必ず一日に一回は低血糖を起こすことに。というわけで、いつもより少しインスリンの量を減らして、1時間ぐらいかけて少しずつ食べるという風にしたら、何とか落ち着いて来た。ふぅ。私の妊婦生活、ルナの世話と仕事と血糖値の管理でもう、いっぱいいっぱい。
2007.05.15
うちの近所に週に一度は必ず行く美味しいダイナーがあるのだが、数日前に、ルナを保育園に預けた後に朝ごはんを食べに行ったら、いつものおばちゃんが私の注文したものを持ってきた時に、私に顔を近づけて囁くような声で"Are you pregnant? (おめでた?)”と聞いて来て、えらくビックリした。う、もうバレたか。その後、日本から遊びに来たお友達に久しぶりに会って、やっぱりバレた。(久しぶりだったので、ただ単にデブったのか、それとも妊娠してるのか非常に迷ったと言っていたが)ということで、少々遅ればせながら皆さまにもここでご報告を。念願の赤ちゃん、やっと出来ました。ただいま妊娠13週目が終わるところ。1年半ほど前に流産した後、なかなか出来なかったので結局不妊治療に踏み切り、人工授精で授かりました。不妊治療についてはまた別途レポートする予定。流産した時は出血などの症状が全くなかったので、今回は胎動を感じるまでは何となく不安で、誰かが気付くまでは黙っておこうと思っていたのに、意外にも早くバレてしもたわい。ツワリもほぼ終わりつつあり。英語でツワリのことはmorning sicknessと言うのだが、私のそれは朝ではなく夕方から夜明けにかけて吐き気と腰痛・肩こりにうんうん苦しみ、世にもへんてこりんな夢を見て午前3時にぱきっと目が覚めてトイレに行ってまた寝て、昼間はわりとケロリとして、ひたすら和食とアジアン・エスニック料理に走る(辛いもん食いてぇ~!)という変な症状で、まあ、疲れやすい・頑張りがきかない・イライラしやすい・ツワリかと思ったら低血糖だったということはあっても、吐いたり寝込むほどでもなく。お腹のアカンボは「ニューヨークビンボ旅行」や「着物ボランティアのあとに花屋の仕事のダブルヘッダー」や「夜なべ翻訳仕事」などの強行スケジュールにも耐え、ここまで順調に来ていたものの、今週あたりから軽い出血が何度か見られるように。金曜日の定期検診の時に念のため超音波検査をしてもらったら、胎盤がちょっと低い位置にあって、そのせいで出血しているのではないかとのこと。この位置は今後上がるかもしれないので、ここ1ヶ月ほど激しい運動を避け、鮮血が見られたら連絡するようにと言われたが、この2日間、外に出かけたり病院に行ったり仕事をしたりと過ごすとお腹が張るので、ああ、こりゃ無理はできんわな、と観念。とりあえず、しばらくはルナと電車での遠出も控えて、近所でちんたらやっていようと思います。というわけで、もし我が家の方に遊びに来ていただける方いらっしゃいましたら、是非よろしくお願いします(切実)♪予定日は11月初旬。あ~まだ先は長い。ルナを妊娠中の時は初めてということもあって血糖値の管理に必死になっていて、周りの歓迎ムードとのあまりのギャップに少し鬱気味になってソーシャルワーカーの心理カウンセリングを受けるハメになったりしたけれど、今回はルナが無事に生まれているという実績に裏づけされた自信というか開き直りおよびルナに毎日振り回されて行く末をぐちぐちと思い悩んだり落ち込んだりしているヒマがないということも幸いして、ここまであっという間だった。ま、血糖値の管理は相変わらず大変でもうウンザリなんだけど。でも、これもあと半年の辛抱だ。ルナにはまだ話していません。時間の感覚がイマイチつかめていない3歳児に今から教えると、毎朝のように「赤ちゃんどこ?」と聞かれてしまいそうなので、もっと大きなお腹になって妊婦らしくなったら話す予定。毎晩のように「きもちわりぃー」と悶える私の背中を"Feel much better?"とか何とか言いながら、なでなでとさすってくれます。ついでに、昼間もおとなしく一人で遊んでママの言うことを何でも聞いてくれると完璧なんだけど、昼間は相変わらず「5秒ごとのママーママー攻撃」で、夕方にはヘロヘロの私。ダンナが仕事から帰って来ると、文字通りルナを受け渡してベッドに直行の日も。超音波で見たアカンボは1ヶ月前に比べると頭と胴体の区別もハッキリして、短い手足を時折バタバタさせて、何度もぴくっ、ぴくっとのけぞって元気に動いていて、とても可愛かった(単なる親バカ)。夜になっても、アカンボのぴくっ、ぴくっと動く姿が何度も何度も頭に浮かんで幸せな気分になった。不安になると、その姿を思い出して、一緒に頑張ろうね、と語りかける。今後は眼底検査(妊娠初期・中期・後期と3回受けないといけないのにすっかり忘れてた)、定期検診を2回分、レベル2(詳細な)超音波検査、子供病院で心臓のみの超音波検査(アカンボの心臓だけをクローズアップして見るという検査)と、いくつも検査の予約をしなければならず、金曜日に仕事先からようやく2つは予約を取り付けたものの(でさ、アメリカの病院って予約のためだけに電話しても係の人が電話に出るまでずーっと待たされるんだわさ。ゲンナリ)、ああ、ハイリスク妊娠はめんどくさい。
2007.05.05
ほんとは生まれるはずだった子の予定日が近付いて来て、今頃は生まれてたかもしれないよな、などと思って、しばらく忘れていたのに最近ちょっとツライ。でも、もしあのまま継続してれば、私は花屋で働くことで家計を助けることもできなかっただろうし、働くことの喜びを再びかみしめることもなかっただろうし、まあ、人生はその時はツラかったり悲しかったりしても、長い目で見ると良い方に向かっているのだと自分に言い聞かせるきょうこの頃。
2006.07.22
早いもので、流産の手術をしてから3週間が経つ。身体は週を経るごとにどんどん回復していくのが分かった。心の方は・・・よく分からない。もう、思い出すこともほとんどなくなった。でもやっぱり、話題になったら動揺するだろうと思う。考えてみれば手術をしてから、知り合いに会っていない。別に会いたくないと思っているわけでもないのだが、こちらから電話やメールをして約束を取り付けて・・・というのが、ついつい面倒で。だからといって、家にずっと引きこもっているわけでもなく、ちょこちょこ外出はしているから、知らない人には会って話をしている。別に会いたくない、というのではなく、ただ単に、インスリンの量が合わなくなっちゃったから、それを調整するのに一生懸命だっただけなのかも。同じ経験をした人は、どのように回復して行っているのだろう。
2006.01.27
料理をしようという気になってきた。掃除は・・・まだ(笑)。
2006.01.17
自分の中では気持ちの整理がついたつもりでも、お腹の大きい人を見かけると、うらやましいな、と思ったりする。アンジェリーナ・ジョリーとか(笑)。報道によると、彼女の出産は夏ごろだとか。私も、夏の出産の予定だったんだよな。もう一度、胸を張って、背筋をピンと伸ばして、お腹の大きい姿になってみたいものだ。
2006.01.16
ちょいとワタクシ、びみょーにぶっ壊れてますんで(笑)、せっかく書いてくださったコメントにお返事を書いたり書かなかったりで、申し訳ありません。コメントには必ず返事を書く主義で、楽しく読ませていただいているんですが、返事を書くのって、結構エネルギーがいるもんなんですよね。今日はボストンったらどうしちゃったの?ってぐらいに暖かくて、お天気ニュースでも、「冬が一休みしてます」とか言ってたけど、これは家にいるのはもったいないと思って、ルナと一緒に公園に出かけました。ずいぶん久しぶりのこと。まだ、ちゃんと他の子供たちとは一緒に遊べないので、ずうっと見ていないと不安で、まあ、それでかなり疲れましたが、ルナは楽しく遊んだ様子。料理は、自分で作るのも面倒だけど、テイクアウトも食べる気がしなくて、インスタントのものなんか使って手抜きしてます。今日は、冷凍ミートボールのパスタとサラダ。昨日は、ピザとサラダ。ピザは、市販でピザ生地を売っているので、それにピザソースと具を適当に載せてオーブンで焼いて。ルナが真剣な顔をして手伝ってくれるので、けっこう楽しい。ラーメンが活躍した日もあった。今晩は、マフィンまで作った。どうしちゃったんだろ、私。ね、壊れてるでしょ?(笑)。
2006.01.12
今日は、なぜか背中がものすごく痛い。背をまっすぐ保てず、腰の曲がったおばあさんのように、ヨボヨボしている。これも手術の影響???横になりたいんだけど、あちこち動き回ってはイタズラをしているルナがいると、ほぼ不可能。ああああ。早く昼寝をしてくれ!・・・というより、パソコンに向かってないで、さっさと横になれ>私。
2006.01.09
術後の心身復旧状況。身体面では、夕方になると疲れが出てくるのか、お腹の辺り(しかも、なぜか横隔膜付近)が痛かったり、腰が痛かったり、今日は頭痛もあったが、まあ、そんな程度である。一日中、布団の中で横になっている私を想像してはいけない。出血は生理のようなものが2週間程度、続くらしい。でも、生理と違って、あれ?終わったかな?と思うとまた出血したりと、量の増減が一定していないところが特徴。心理面では、若干、壊れている部分アリ(笑)。(1)雑誌をやたらと買い込む(2)血糖値を測っていない(インスリンは見込みで打っている)(3)だらだら食っている(4)すぐに怒る(5)夜更かしをするといったところである。何だか知らんが、雑誌を一度に何冊も買っている。この前、日本食品屋に行った時は、雑誌だけで30ドルも使ってしまった。あああ、もったいない。血糖値は、妊娠中は真面目に一日6回測っていたが、流産したと分かったあたりから、みるみる回数が減って行った。それに加えて、だらだらと食べるクセも。普通なら理性で(?)ぐっと抑えられるところが、ネジがゆるんでおる。ネジがゆるんでおるどころか、タガが外れておる。次の妊娠に備えて、ちゃんと管理はしておかないといけないのだが、イマイチやる気が起こらない。人間、モチベーションって大切。そして、やはりガマンが足らん。ルナにすぐイライラする。ダンナにもすぐイライラする。疲れがどっと出たのかもしれない。そして、こんな時間に日記を更新している(笑)。まあ、いずれも徐々に復旧するだろう。
2006.01.09
たくさんの心温まるコメントやメール、ありがとうございます。詳しい状況を書かなかったので、かえってご心配をかけてしまったようで、ごめんなさい。私は元気です。術後の経過はすこぶる順調(帝王切開経験者にとっては、これは「朝飯前」「へのかっぱ」「お茶の子さいさい」)。妊娠特有の不快な症状も消え、気分爽快、食欲旺盛、それなのにちんたらだらだらと過ごし、嫌なこと(ルナの世話+家事)はすべてダンナ任せ。・・・このツケは必ずやどこかで回ってくるに違いない。フリーページに、今回の記録をアップしました。読んで楽しいものではありませんが、いちおうご報告まで。
2006.01.08
実は、この年末年始にかけて、初めての流産を経験した。ルナが同じ時期に体調を崩していたこともあり、この年末年始は気ぜわしく、クリスマスカードも年賀状も、いただいた方に返事を書くのがやっとで、たくさんの方々に挨拶を失礼してしまったことをまずお詫びしたい。11月下旬に妊娠発覚、12月中旬の最初の超音波検査で胎児が確認できず、その1週間後の再検査でやはり胎児が確認できず流産(枯死卵)と診断され、その後、クリスマスと新年を経て、今日、ソウハの手術を受けて来た。クリスマスと新年を一緒に過ごし、残念ながらこの世に生まれることなく旅立って行ったこの子(卵から育たなかったのなら、「子」と呼ぶにはふさわしくない気もするが)との約1ヶ月間の出来事を、後日、記録としてフリーページの欄に載せる予定である。書くことが好きな私には、書くことによって癒される部分もあるし、私と私達夫婦の人生にとってはぜひとも残しておきたい記録でもあるし、何より、私が「流産」の2文字を検索してネット中をさまよい、同じような体験をした人達に癒されたように、この記録がいつか誰かの役に立つなら、とのかすかな希望からである。私の身体を離れてしまったが、これからは、この子は私達の思い出の中に場所を移して生き続けて行くのだろう。四六時中、悲嘆に暮れているわけではないので、どうぞご心配なく。
2006.01.06
こちらで仲良くなった友達から、無事、男の子を2日前に出産したと病室から電話があった。2年前の私とは状況が全然違うけれど、やはりハイリスクの妊娠だった。長い間、大変な思いをした末の、待望の赤ちゃんだ。私には明るく元気な妊婦さんに映っていたけれど、きっと心の中では大きな不安を抱えていたと思う。だけど、その不安は、赤ちゃんの元気な顔を見ることによってしか消えないことを知っていただけに、どうか無事に生まれて来ますように、と心の中でいつも祈っていた。少し前に街で一緒にお昼を食べた時、さんざんおしゃべりした後に、「よかった。ELLIEさんがいてくれて。ハイリスクのお友達、ELLIEさんだけだもん」と言われた。私は、理解してあげられるわけでもないし、ただただ、ふんふん、と話を聞くだけしかできないから、大して役に立っていないんじゃないかと思っていたので、そう言ってもらえて、とても嬉しかった。そういう風に、素直に気持ちを表わしてくれて、とてもありがたかった。あ~、これで安心して年を越せそうだ(笑)。
2005.12.15
切迫早産で安静を強いられていたKさん。今朝方早く、無事に男の子をご出産!予定日の1週間前です。立派!!!今日のお昼頃に連絡をいただいて、いてもたってもいられず、顔を見に行くことにしてしまいました。昨日の今日では早すぎるかとも思ったのですが、ちょうどルナは保育園の日でこの日を逃すとなかなか見に行けないし、病院にいる時の方がかえって疲れていなくていいかな、と思って・・・。28週から1ヵ月半の自宅安静を余儀なくされていたのですが、34週から安静が解けてからは何とか動くこともできたようで、何となく気になりながらも、あまりまだかまだかと聞くのも気が引けて、メールでちょっとやりとりしただけで、嬉しいご報告が来るのを心待ちにしていました。赤ちゃんはビッグベイビーと言われたそうですが、ちっちゃくてちっちゃくて可愛かったー!ルナはさらに2ポンド(1キロ)近く軽く、3インチ(約5センチ)小さかったんですが、すでに全く思い出せん。とってもしっかりしたお顔のハンサム君でした。ご主人さまが、おっかなびっくりの様子ながら、甲斐甲斐しく赤ちゃんのお世話をする姿がとてもほほえましかったです。Kさんも、とてもとても嬉しそうでした。きっと、今晩あたりから疲れもどっと出てきて睡眠不足の日々が続いて大変だと思うけれど、どうかおふたり力をあわせて子育てを楽しんで欲しいです♪また来週にでも、「途方に暮れてませんか?」(笑)と電話を入れようかと思っています。
2005.11.17
切迫早産で自宅安静だったK子さん、今日の診察で安静を解いても良いと言われたとわざわざ電話をくれた。電話の向こうの声はとても嬉しそうにはずんでいた。28週から34週までの1ヵ月半、長かったよね。よく頑張ったね♪安静が解けたからといって、全く普通の生活に戻って良いわけではないんだけれど、台所に自分で行ってお茶が入れられるようになるだけでも嬉しいものなんだよね。でも、ヘルプは出来る範囲で続けようと思っています。(出産後も、日本からお母さまが見える年末まではちょくちょく手伝いに行こうと密かに思っているワタシ)
2005.10.13
先日、出産前に揃えるものについていろいろと入れ知恵をされてパニックになっている友人がいるという話をしたが、その友人が別の妊婦さんを連れて我が家にやってきた。今年の2月に出産した友人も赤ちゃんを連れて一緒に来てくれた。それぞれランチやおやつを持って来ていただいて、かえって恐縮。(その残りが我が家の今晩の夕食になったことは言うまでもあるまい)ベビーザラスのサイトに載っている出産準備品リストをエクセルにコピーして、それを和訳し、私の独断による必要度を◎・△・×などで表示した表を作って、必要なものは写真をコピーしてワードの書類にペーストして資料を作ったものを用意して、それを基にウンチクを垂れた。時折、2月に出産した友人もコメントしてくれて感謝。1年違うと、だいぶ忘れてしまっていることもあるわけで。妊婦さん達も、これで買うべきものがクリアになったと喜んでくれて、今度は日本人の妊婦さんを集めてカネをとるべきだとまで言ってくれた(笑)。ふっふっふ。ここにもビジネスチャンス、ありか(笑)。
2005.09.15
8月に生まれた赤ちゃんのお祝い品を求めた。サイズは少し先の6~9ヶ月用。長袖のボディスーツは、何かと役に立った。お腹も隠れるし、冬の部屋の中は暖かいので、これ1枚でほとんどOK。ちょっと肌寒い時は、この長袖の上着が重宝する。これ、しかも、リバーシブル。それから、足が隠れるズボンも役に立った。靴下だとすぐに脱げてしまって、いつも片方がどっかに行っちゃった、ってなったりするので。実用的な普段着で夢はないんだけれど、1~2回着ただけで着られなくなってしまうものより、着古すまで何度も何度も使ってもらえるものがいいかなあ、と思って。女の子なのだけれど、独断で、こんな色合いにしちゃいました。かわいいハリネズミちゃん柄です。
2005.09.13
切迫早産で自宅安静中の知人(Kさん)のお手伝いの大まかな体制が整った。ヘルプさんは私を入れて4名。1.お手伝いの内容必ずやること:昼食と(余力があれば)夕食の用意電話の取次ぎ(Kさんがお昼寝中など)必要に応じてやること:掃除・洗濯・買い物その他の家事急な出血・子宮の収縮・破水などで病院に行く必要が生じた時の手配、ご主人への連絡など2.お手伝いの方法*ご主人が不在の平日の時間帯かつ週に一度の通院の日以外で、4名で、交代制で一日に一人つく。理想はご主人の出勤時から帰宅時までの時間をカバーすることだが、基本的にはヘルプする側が可能な時間帯で。自分の当番の日以外に顔を出すのはもちろん大歓迎♪*毎日、ヘルプしたヒトが他のヘルプさん(特に翌日の当番の人)宛てにメールあるいは電話でその日のKさんの様子、食事の内容(次の日となるべく重ならないように)、その他連絡事項を伝える。Kさんは、しばらくの間、トイレに行く以外はずっと横になっていなければならない。シャワーも5分以内。恐らく経験したことのない人にはピンと来ないだろうが、もう、これはエラく不便なのである。Kさんは数日間の入院の末、切迫早産の症状が治まったので退院して自宅安静となった。退院直後、手伝いの必要がないかどうかさっそく電話をしたのだが、その時はまだどんな生活になるのか想像もつかなかったようなので、大丈夫です、と言っていたのだが、とりあえず連休明けに押しかけることにした。実は、Kさんのことはそんなによく知っているわけではない。だから、こうやってずかずかと入り込んで行くのはどうかとも思ったのだが、とりあえず様子を見に行って、それからどうするか決めようと思った。私が2年前に切迫早産で自宅安静になった時、「何かできることがあったら何でも言ってね」と友達が言ってくれたにも関わらず、友達に負担をかけまいと、どうしても自分から手伝いに来てほしい、と言うことができなかったため、不安とあまりの不便さに心細い毎日を過ごすこととなった。ダンナがいない昼間に何かあったらどうしよう、あるいは家族や友人が電話をくれた時に電話に出なかったら心配だろう・・・と思うあまり、のんびりと昼寝をすることさえできなくなってしまった。昼食は電子レンジで温められる冷凍ディナーをトイレに行くついでに急いでチンして食べた。普段は和食でなくてもOKの私が、ついに和食が恋しくなった。とにかく、ごはんとお味噌汁が食べたかった。それだけでよかった。でも、実家の親は日本だし、義母も当然毎日来てもらえる訳ではなかった。ダンナは家事全般が一人でできる人だが、仕事の後にさらに家事その他の雑用に忙殺されることになり、生まれて来る赤ちゃんのことをあれこれと楽しく二人で想像する時間は消えてしまった。だいたい、上の手伝いの内容を見るだけでも分かると思うが、いくら仲の良い友達でも、これを気軽に「手伝って」となかなか言えるものではない。私の場合は再入院になってしまったので自宅安静は1週間で済んだのだが、普通はこの状態が1ヶ月以上も続くのだ。継続的に手伝いが必要なら、それだけ人数は多い方がいい。でも、人数が多ければ、誰かが取りまとめ役にならないとスムーズに行かない。不安に押しつぶされて、それを手配するだけのエネルギーは、自分には残っていなかった。毎日おいしいごはんが食べられるように。快適な部屋で過ごせるように。家事に振り回されることなく、旦那様とは生まれて来る赤ちゃんのことをゆっくりと楽しく話せるように。だから、今回はいわば私の果たせなかった夢なのだ(笑)。幸い、Kさんには同じ駐在仲間など頼もしいお友達がたくさんいる。お手伝いがおせっかいにならないよう、常に気をつけていなければならないとは思う。でも、Kさんの不安と不便が少しでも軽くなるように、そして元気で大きな赤ちゃんを産めるように、皆で助け合って行ければ、と思っている。ここで、その記録を残すことにした。私自身の記録の意味ももちろんあるが、身近に同じようなお友達がいても、実際にどうしてよいのか分からない、というケースは案外多いのではないか。その時に、ひとつの参考になれば・・・との思いもある。
2005.09.10
9時に知人宅到着。食器洗いと簡単な床掃除。午前中はケーブルTVのHGTV (“Designing for the Sexes) とTLCの番組 (“A Makeover Story”)を一緒に観る。昼食はパスタ。夕飯は炊き込みご飯、鶏の照り焼き、インゲンのごま和えを冷蔵庫に。午後はテレビやおしゃべりなど。午後からY子さん合流。
2005.09.08
何だか最近、私の周囲は妊娠・出産ラッシュである。その中で、12月半ばに出産予定の友人。9月半ばに引っ越す予定だと言っていたので手伝いでもいるかと思って連絡してみた。そしたら引越しは10月になって、しかも業者に頼むことにしたらしく、手伝いは必要ないことが判明したのだが、出産までにそろえるべきものについて、いろいろな人からいろいろな入れ知恵をされて、パニックになっていた(笑)。というわけで、近いうちに私の家に来てもらって頭の中を交通整理してあげることにした。さしあたって、ベビーザラスのサイトに行って、出産準備品(newborn essentials)の欄をコピーしてエクセルの表にして、私なりの優先順位をつけて表になくても私が必要と思うものを足してコメントもつけたものを作った。私自身は切迫早産で26週からベッドで安静になってしまって出産まではほーんとに基本的なものしか揃えられなかったのだが、実はそれでかえって十分だったのかも(笑)。
2005.09.07
9時にY子さんと知人宅到着。この日は、掃除・洗濯は必要ないとのこと。午前中は日本の番組を録画したものを観て過ごす。昼食は私が持参した「散らし寿司、白和え、ブロッコリーのごま和え」を食す。(夕飯はY子さんのハヤシライス)午後はテレビやおしゃべりなど。私はルナが眠くて手のつけられない状態になったので、早々に退散。アイロンがけをY子さんに託す。紙皿、紙コップ、プラスチックのフォーク・ナイフ・スプーンなどを差し入れ。
2005.09.06
今日は朝から切迫早産で自宅安静中の知人を別の知人と見舞う。ルナも一緒で、最初は何とか機嫌が良かったが、眠くなってきたらめちゃくちゃになってしまって、わーわー泣いてどうしようもなくなって来たので、もう一人の知人に後を頼んでお昼の後の午後2時ごろ早々と切り上げて来た。もし時間がある時には来てもらえれば助かるし安心、と言ってもらえたので、ほっとひと安心。今度はルナを預けて一人で行こう。こういったお手伝いというのは、やっぱり相手が必要としているからこそ役に立つものであって、お手伝いする側がおせっかいになってもいけないし、相手があまりに遠慮してもいけない。そのお互いバランスのとれたところでうまく行くのだと思う。というわけで、昨日はちょっと気が重かったけれど、幸先の良いスタートを切れたようだ。
2005.09.06
プレイグループのママ友さんのお友達もやはり切迫早産で自宅安静中の身だとか。できることなら思い出したくない辛い体験だったけれど、その体験が少しでも誰かの助けになるのなら決して無駄な体験ではなかったのだろう。特に、言葉の壁のある人にとっては余計に不安を募らせるものであろうし。でも、どこまで介入していいものか、それは迷うところだ。これから数ヶ月間、試行錯誤することになるだろう。正直言って、少し気が重い。
2005.09.05
最近、なぜかとみにルナの妊娠・出産のことを思い出す。ついでなので思い出すままに書きとめておくことにする。もしかしてもしかしたら誰かの役に立つかもしれないし。私は妊娠26週目から36週目でルナを出産するまでほぼ2ヵ月半の間、切迫早産で寝たきりの生活を強いられた。私の場合、胎盤が剥がれかけているせいで出血や子宮の収縮を繰り返しているのかも、と言われ(産後も結局、原因は分からなかったのだが・・・)、入院が長びいたのも大出血などが起こったときにすぐに対応できるからとのことで、そこから不安は一挙に増大した。それまでは、とにかく7週間我慢すれば何とかなるぞと思っていたのだが。その後、症状が治まらなければ34週で分娩という話になり、そうすれば子供のNICU行きは免れないということで、十分助かると分かっていながら、NICUに見学に行ったときの赤ちゃんのあまりの小ささに愕然として、小さな子を産んでしまうのだということに罪悪感を覚えたり相当な覚悟を強いられた。ところが、ようやく覚悟ができた時点で、症状が治まったため、急遽退院してもいいと言われ、へ?と脱力しつつ、その後2週間、主人の実家に身を寄せたのだが、やはり自分の親ではないからよけいな気を遣うし、アメリカ人だから、ごはんと味噌汁ってワケでもないし(笑)、いろいろとストレスがたまる日々が続いた。とてもよくしてくれたので、ゼイタクを言ってはいけないのだが・・・。そうやってくるくると変わる状況の中で、自分の気持ちをその都度合わせていくという作業は、正直言ってかなりしんどいものだった。だから、ルナが無事に生まれてきて、一変して何も心配のないという状況が逆にヘンな感じで、この諸手挙げてのおめでたムードと自分の気持ちに大きな隔たりを感じ、またこれはこれで急に頭を切り替えられるものではなかった。それに加えて、全身麻酔の緊急帝王切開でルナの産声が聞けなかったということがとても残念で、その事情を知らなかった知り合いに「出産の瞬間、感動したでしょ」と言われたことにとても傷ついていたりした。麻酔が効いていたせいか、出産当日は覚えているようで記憶のいくつかの部分が欠落している。この産声が聞けなかったことについては、その後半年ぐらいくよくよと悔やんでいた。その後、普通に分娩を迎えても、必ずしも思い通りに行かないということを出産を経験した人達から聞いたりすることによって、自分の例だけが悲惨だったのではないと思えるようになり、よほどカウンセリングを受けようかな・・・と思っていた頃に自分の中でようやく気持ちの整理がついた。妊婦生活最後の10週間は、不安な気持ちに圧倒されるばかりだった。まず思い浮かぶのは病院の白い壁と病院から支給される後ろ開きの寝間着ぐらいで、そういえば良い思い出もぽつぽつとあったかも・・・というところだ。
2005.05.14
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