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ここで、オーケストラに入れるかもしれないプログラム=Intensive Community Program について解説。ICPプログラム概要 Website http://www.bysoweb.org/pages/19_intensive_community_program.cfm Video https://www.youtube.com/watch?v=7K6fuGUaZYE) 「才能と熱意のある子供は誰でも適切な訓練を受ければ優れた演奏家になれる」という理念の下、経済的事情などで楽器を継続して習うことが困難な家庭が集中する地域 (underrepresented communities) の4歳から7歳の子供達を隔年のオーディションで選抜し、週2回から始まる定期的な練習を経て数年後に直属のボストン青少年交響楽団(BYSO: Boston Youth Symphony Orchestras)のオーディションを受ける実力をつけるまで育成するという内容である。オーディションは外部から受験する子供達と同等に扱われ、ICPの生徒だからといって有利なわけではない。合格後は、楽団を12年生(高校3年生)で卒業するまで、楽器の貸出、個人レッスン、授業料補助といった支援が継続して受けられる。 楽器は弦楽器のみ、選抜された20名の子供達は、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスに各5名ずつ割り当てられる。 ボストンでは「貧困層の多くは黒人をはじめとする有色人種」といった事実はまだまだあり、そのためか、このプログラムの下に育成される子供たちの約7割は黒人だ。しかし、1999年に始まったこのプログラム、それまでBYSOの貧困地域の子供の割合(要するに非白人率)は1%だったのが、現在は14%まで増えたとのことである。 オーディションから選抜されるまで(9月~12月)1.学校から持ち帰ったオーディションのチラシ(9月)2.オーディション(9月末~10月初旬) 3.第1回目選抜・6回のお試しコース(10月中旬~11月下旬) 4.本選抜・楽器選択(12月中旬) FIRST YEARS(1年目)クラス概要 (1月中旬~6月初旬)1.アンサンブル練習(毎週水曜) 2.楽器ごとの練習(毎週日曜) 3.リサイタル(5月下旬) 4.Evaluation(5月下旬) 5.卒業コンサートへの出演(6月初旬)
2016.07.30
オーディションから選抜されるまで(9月~12月)1.学校から持ち帰ったオーディションのチラシ(9月)すべてはその1枚のチラシから始まった。 新学期が始まって間もない9月のある日、息子が学校から1枚のチラシを持ち帰った。学校の音楽の先生からもらったと言う。で、これ行ってもいい?と。内容を読むと、何やら楽器のオーディション。ボクちんこれがやりたいの、と息子が指差す先には、コントラバスを抱えて立っている男の子の写真が。だって、これコントラバスだよ。ママ、コントラバスって何?と聞かれて答えに詰まる私。とりあえず、大きいバイオリンだよ、と適当な答えをしてその場をしのぐ。さらに私は問いかける。これクラシック音楽だよ。クラシック音楽って何?じゃあ、あとでおうちに帰ったらYoutubeで聴いてみようね。あとね、これはオーディションするんだよ。オーディションってなに?うーん、テストみたいなものかな。ふーん、じゃあ机に座って何か書くの?うーん、それはちょっと違うかな。。。(いや、いったいどんなオーディションするんだろ。楽器の経験は問わないって書いてあるし。。。) という、親も子も全く分かっていないまま不毛なやりとりが交わされたのだが、息子はそれでも、ボクちんこれに行ってもいい?と引き下がらない。とりあえず家に帰って夫に話し、もう一度チラシを読んでみる。すると、これはボストン青少年交響楽団のプログラムの一環で、表現は丁寧だが要するにビンボーな地域の子供を選び抜いてオーケストラに入団できるまでの実力をつけさせるプログラムだという。 オーディション料はたったの5ドル。締切も迫っていたので夫が慌ててオンラインで申し込んだ。2.オーディション(9月末~10月初旬)半信半疑で申し込んだオーディションだったが、まもなくEメールにて案内が届いた。会場はボストン市内の私立大学のアートセンタービル内。オーディションは1時間ほど。その間、保護者に対しては担当者からプログラムの説明と質疑応答の機会が設けられるとのこと。 オーディション当日、息子は特に緊張する様子もなく、何人かの子供達と教室に入って行った。会場には近所のママ友が子供達をオーディションに連れてきており、このプログラム直属の交響楽団のコンサートにも何度も行っているのだと言う。 一方、子供向けのコンサートはおろか、クラシック音楽のコンサートなどほとんど行ったことのない我が家。私は4歳から高校3年生までヤマハのエレクトーンを習っていた程度。クラシックも、よく聴く有名な曲を知っている程度。というわけで、息子に対する期待も非常に小さく、本人もオーディションが終わった後はニコニコしながら楽しかったー、と教室から出て来て、かなりあっけなく終わった。 どんなことをしたのか尋ねてみると、歌を歌ったり楽器を試し弾きしたとのこと。楽器の経験も聞かれ、息子は学校の音楽の時間にフルートとバイオリンとキーボードをやったことがあると答えたそうなのだが、それさえも知らなかった私。。。 3.第1回目選抜・6回のお試しコース(10月中旬~11月下旬)プログラムへの選抜は2回にわたって実施される。まず約100名の応募者から第1回目のオーディションで36名へ絞り込み、その子供達に対し、毎週日曜日、感謝祭直前までの6回にわたって弦楽器の基礎を教える。各回の練習ではバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスから1つずつ、計2楽器を割り当てられて試し弾き。 オーディション時点で楽器の経験は問われないというのだから、いったい何を見て選抜するのかはズブの素人には全く知る由もなかったが、息子は無事一次予選を通過。この6回のお試しコースを受講することになった。これは全て無料。 息子は初心貫徹で、どの楽器を弾いてみても、コントラバスが一番いいと言う。最後のクラスでは保護者も招いてのミニ演奏会が開かれ、4つの弦楽器にそれぞれ振り分けられた子供達は、ピチカート奏法(弓を使わず、指で弦を弾く)でごく簡単な短い曲をいくつか披露し、最初と最後のお辞儀もみっちり仕込まれ、立派な演奏家達に成長した。 私は弦楽器など全く触ったことがないので、うわーちゃんと音が出てる!というまことにお粗末なレベルで喜んでいたが、中には演奏が終わってから子供に姿勢などを注意している親もいた。きっと本人も経験があるんだろう。私も娘のダンスの時は、娘の身体の向きや細かいところが何かと気になってしまったものだが、子供の習い事は、親は何にも知らない方が子供にとってはよいのかもしれない(笑)。 演奏会の後には一人一人に修了証書も授与され、後は36名から20名にさらに絞り込まれる本選抜の結果を待つことになった。 4.本選抜・楽器選択(12月中旬)最初は何が何だか訳が分からず、毎週始まったお試しコースにバタバタと通うので精一杯だったが、ここまで来るとせっかくだから合格して欲しいなあ、と親としても欲が出て来る。どこからどういう血が流れて来たのかは全くもって謎だが、コントラバスに惹かれた少年。これまで、これと言ってお稽古事などやっていなかった8歳の子供が自分からやりたいと言ってきたことである。しかも楽しそう。 そして、慌しいホリデーシーズンの真っ只中にその通知は来た。合格である。まもなくして先生からも電話で連絡があり、楽器はコントラバスかビオラを勧められ、息子は迷わずコントラバスを選択。息子のように年齢も背も大きい子はこの2つの楽器のいずれかを、小さい子はバイオリンかチェロを選ぶことになっているらしいので、規格も希望も一致して本当に良かった。全く何もかもが偶然とはいえ、幸運に幸運が重なって良い方向に向かっている。 その後、膨大な量の各種書類と共に教材・付属品購入リストも送付されて来たが、内容を見ても何の事だかさっぱり分からない。どんな物なのか全く脳内に絵が浮かばない。パソコンを初めて買った時に、実はパソコンだけじゃなくて付属品もあれこれ揃えないといけないんだけど、各付属品がいったいどんな物で何のために使うのかがさっぱり分からないのと同じ。 幸い、現在はネットという便利なものがあり、お勧めの弦楽器専門店のウェブサイトに行って、リストのものを順番にコピペして検索し、無事に買い物終了。 そして、気の遠くなるような量の書類を書かされ、健康診断書などのコピーを添えて提出し、ようやく準備は整った。
2016.07.30
受験を振り返る受験は6年生(ミドルスクール1年目)の11月の土曜日に実施される。新学期が始まってからおよそ2ヵ月後。ISEEと呼ばれる共通テストで、教科は数学と英語(国語)のマークシート方式。うちの娘が時間が足りずに一部空欄で出したヤツである。娘が現在通っている学校も、合格して来年度から通うことになる学校も共にBPS(Boston Public Schools ボストン市公立区・教育委員会)の一部であり、願書提出などは学校が一括でやってくれて、いわば内部受験みたいなものだが、だからといって合格に有利というわけでは一切ない。ISEE対策問題集というのも市販で出回っており、それに沿った2週間ほどの夏期講習が受験した学校の有志によって無料で開催された。娘はそれに参加したのだが、その頃娘は受験に対して非常に神経質になっていて、具体的にどんな勉強をしているのかがまともに聞けない状態だったので、その講習任せにしてしまっていて内容は全く把握していなかったのだが。受験が終わってよくよく考えてみると、このISEEのスコアが高くて、学校の内申書が良ければ合格するという、私がその昔、愛知県で高校受験した時と選考基準はほぼ同じなのだが、事前に統一模試などは一切なく、自分の子供がだいたいどのぐらいのランクにいるとか、合格率はどのぐらいなのかは一切分からない。まあ、分かったからといって合格する保証もないのだが、これはもう本番一発勝負である。でまあ、それでいて、受験すると合否結果とともに、スコアと順位が個人宛に通知されて来るというのがまたビックリである。記憶が確かならば、高校・大学あわせた私の受験人生で、試験のスコアと順位が送付されてきたことは一度もない。ちなみに、それによると、一部空欄で提出したにも関わらず、娘のスコアも順位もそれほど悪くなかった。いやもう要らぬ心配しましたよ。白髪増えただけ。そしてまた合格発表までの期間が長い。6年生の前期の内申書が選考の基準になるという点も影響しているのかもしれないが、11月初旬に受験して合格発表は3月半ば。しかも合格発表は何日に「予定(は未定)」されています、みたいな表記。。。しかし、内申書は日頃の勉強の成果を反映するとして、ISEEのスコアに関しては、時間の配分も含めテクニックを磨いたもん勝ちのような気もする。そう思ってネットを検索してみると、実はISEE対策の家庭教師派遣のウェブサイトなども色々あることが(受験が終わってからw)分かった。なんだ、それだったら進学クラスで3年近くもひーひー勉強させずに家庭教師を雇えばよかったのか(雇うお金ないけど)と思っても後の祭り。まあ、合格したからいいんだけど。それでもう一度、夏期講習の案内を見てみたら、「これは生徒を取り巻く経済格差(要するにISEE対策の家庭教師を払うお金のない家庭とある家庭の格差)をなくすため、本校の有志が無料で提供するものである」といった内容が記されていた。なるほど。というわけで、状況をあまり把握しないまま受験をさせていたという。。。
2016.07.29
はじめに気の遠くなるような長い受験・事務手続プロセスを経て、ようやく娘が今年の9月から通学することになる学校から入学案内が届いた。たぶんこれで本当に入学できるんだろう(笑)。娘はこの学校に7年生から6年間通うことになる。日本でいうと、中学2年生から高校3年生までのちょっと変則中高一貫。これは6・6制のイギリスの学校制度を踏襲しているかららしい。創立1635年と、イギリスから清教徒がボストン近郊のプリマスに上陸してからわずか15年後、まだアメリカがアメリカでなかった頃に開校したことが影響しているのだろう。地元では筋金入りの進学校として名高い学校であり、入学案内には任意とはいえ、数学の学力別クラス分けテストの開催についてのお知らせや、夏休み中のオリエンテーションについての案内が入っていた。がんばってねー。勉強の2文字からはすっかり縁遠くなってしまった母には別世界であるが、アメリカの公立(この場合はボストン市立)の進学校ってどんな感じなんだろう。どんな教育を施すんだろうという点ではきわめて興味あり。というわけで、これから折にふれて、潜入ルポ的に迫って書いていきたいと思います。皆様からの茶々・揶揄・ツッコミ・コメントもいつでも大歓迎よ!
2016.07.29
https://www.bostonglobe.com/metro/2015/07/26/harvard-brief-analyzes-pros-and-cons-advanced-work-classes/EYP7HvknYa044phxzmWfeI/story.htmlBPS(ボストン公立校区)には独自のAWC(Advanced Work Class)というシステムがある。これは、小学校3年生の時点で統一試験を受け、一定の成績を受けた生徒が参加の資格を得るもので、4年生から6年生にわたり、より難しい勉強をさせ、ゆくゆくはその後7年生から始まるxam Schoolと呼ばれる進学校3校(ボストンラテン、ボストンラテンアカデミー、オブライアント)に合格する学力をつけるというのが目的らしいが、このシステムに入ったからといって、この3校に入れる保証はない。この度、BPSの教育委員長が変わることになり、それを機にこのAWCを見直そうという動きがある。上記の記事を読むと、AWCを限られた生徒だけではなく、他の生徒にも広く応用するという方向とのことである。このAWCの実際の内容については次回の記事に譲るとして、今回は、このシステムによって転校をせざるを得ない場合が多いという問題点について指摘してみたい。AWCのクラスはボストン市内の公立校全校にあるわけではない。したがって、3年生までAWCのない学校に通っていた子はAWCを受けられるという資格を得てそれを受け入れた場合、AWCのある学校に転校するしかない。上の娘もその例だった。娘も私達両親もその学校が気に入ったから入れたのだし(実際は抽選で第2希望だったが)、息子もその年度から同じ学校に入学し、これでやっときょうだい2人、同じ小学校に入れて送り迎えが楽になったと喜んでいたところだったのだ。娘は幸い、同じ地区のAWCのある学校に転校することが出来たが、これも基本的に抽選によって決まるので、下手するとスクールバスで1時間近くかけて通う学校になってしまったりする。娘は社交的な性格なので、新しい学校にもすぐ馴れて友達も出来たが、これが、新しい環境になじみにくい子供だったら、勉強面のほかに、そういったことで苦労することにもなってしまうとおもう。また、息子を娘と同じ学校に転校させればいいのに、と何人かに言われたりしたが、それほど簡単なことではない。特に息子の方は新しい環境に馴れるのが難しい子で、毎年度、同じ学校でも初日は学校に行かないと言って泣き喚くくらいなのだ(笑)。それをただ、親の送り迎えが楽だから、という理由だけで振り回すのは忍びなかった。とりあえず1年間は様子を見ようと思っていたのだが、結局、息子は転校させなかった。しかし、そうすると、スクールバスも10分違いぐらいで違う場所、行事も同じようなのが2回ずつ、と色々と面倒が生じた。2年間、何とか切り抜けたが、同じ小学校だったらどんなに楽かと思ったものである。次回はAWCの実際の内容については書いてみようとおもう。
2015.07.29
思い起こせば3年前の独立記念日は、夫が最初の脳痙攣の発作を起こした日だった。夫のただならぬ様子にたたき起こされた私は、何事かと慌てふためいて救急車を呼び、病院のERに入った時はまだ朝の8時を過ぎたばかりだった。その様子から脳溢血など血管系の病気も疑われたため、MRIの検査も受け、何時間も拘束された末、結局異常なしと言うことで解放されたのが夜の7時。町のど真ん中にあった病院の周りは、独立記念日のイベントに行く途中の人達で溢れており、その人の波に逆らうように進みながら、家族4人で疲れ切って家に戻ったのを覚えている。あの日、義母は旅行でフィラデルフィアにいた。ERに着いた後、電話で状況をすぐ知らせたのだが、今思えば、義母はこの、年に一度の集まりに参加していたのだ。だから、義母の2人の姉達もそばにいて、親戚中に夫のことが電話で学級連絡網のように瞬く間に伝わったのだ。その、3年前の電話の向こう側の図が、今回のホテルのパーティー会場で、はじめて鮮明に、私の頭の中に浮かび上がった。同時に、その時の不安な気持ちや、状況を上手く飲み込めなくて混乱していた気持ちも思い出して、私は一人しばらく落ち着かない気持ちになっていた。このパーティーの参加者の多くは70歳を超えていて、もちろん、既に亡くなった卒業生もいる。スピーチの端々に、年に一度、この集まりに参加できることが、どれだけ尊いことか、という思いが感じられた。3年前のあの日、私はもしかしたら夫を失うかもしれないと思った。あの日から、死というものはそれまでよりもっと現実味をもって、私の頭の中に居座るようになった。私達や子供達の世代はまだまだ若いけれど、誰にとっても人生はいつまで続くか分からない。でも、いつまで続くか分からないからこそ、今、こうして大切な人達と一緒に過ごせる幸せをかみしめ、感謝しなければいけないのだ。そんなことに気づく機会を今回与えてくれた義母にも感謝しなければいけないところだが、そこは人間が出来ていないヨメの私、家に帰る時間になって、「来てくれてありがとう」と言ってハグしてくれた義母に、「You’re welcome.」とつい本音がポロリと出てしまった。うわはは。ここで気の利くヨメなら、「いえいえ、こちらこそ楽しい時間を過ごさせてもらってありがとう」ぐらい言うのにね!でも、いつもは傍でニコニコしながら義母を見守っているだけの義父が、今回は珍しく「いやー終わってほんと嬉しいよ」と、そっとボヤいていたぐらいだから、まあ、この勢い止まることを知らない台風体質の義母には、今後も(今後は?)巻き込まれない程度の距離で立ち位置守るのが無難かな、と。
2015.07.06
さて、パーティー当日は昼前にホテルに到着した私達。ロビーやレストランには、関係者と思われるお達者くらぶ世代の男女の小さなグループが既にあちこちに出来て談笑しており、知らない人の集まりはハッキリ言って苦手な私は軽いめまいが(笑)。というわけで、パーティーが始まる7時までは、夫と子供たちにはプールへ行ってもらい、私は人との関わりを一切断ち、部屋のケーブルTVでHGTV(家を買うとかリフォーム関連番組ばっかりやってるチャンネル)漬けになり、夜に備えて鋭気を養う。夫はアフリカ系アメリカ人なので、この集まりも黒人がほとんどだったというのは特に驚かなかった。今でさえ、何だかんだと人種ごとの住み分けが決して珍しくないアメリカである。50年以上前の田舎のその小さな炭鉱町に、黒人が集中して住んでおり、したがってそこにあった高校も黒人ばかり、というのは十分に納得が行くことであった。しかし、パーティーが始まり、主催者の一人によるスピーチの内容を聞いて、私はアメリカの重要な史実をすっかり忘れていたことに気がついたのである。当時は人種隔離法が施行中で、白人と黒人の学校は別々にあったため、このパーティーの参加者達も、そうした学校の一つに通っていたのである。後にウィキペディアで調べたところ、公教育における人種隔離が違憲だという最高裁の判決が下されたのが1955年で、それ以降、廃絶に向かって全米が動き出したということなのだが、その対応は州によってまちまちだったそうで、この義母やそのきょうだいが通ったという高校も、白人の高校と統合されたのは1965年だったらしい。時々こうしてハッとさせられるのだが、この人種差別撤廃の歴史は決して古くない。私の親の世代がまだ人種隔離をさせられていた頃の生き証人であり、私の7歳年上の夫でさえも、この撤廃がされてからの教育を受けた最初の方の世代に当たるのである。こうした背景を身近に感じると、たとえば、2008年に黒人最初のオバマ大統領が就任した時、ボストンにある黒人地区で有名な町の年老いた住民が、テレビのニュースの街頭インタビューに応え、「生きている間にこんな日が訪れるとは思ってもみなかったよ」と、しみじみコメントしていたその姿も、より実感を以って迫って来る。パーティー会場は、真ん中にダンス用のスペースがあり、両端に8人がけの円卓がいくつか並んでいた。入口付近ではカメラマンのいとこ(ここにまた関係者が。。。)記念写真を撮れるようにスタンバイ。参加者は男女半々で総勢100名ぐらいだろうか。黒人の、特に女性達は、頭のてっぺんから足のつま先までものすごくおしゃれな人が多く、しかもド派手な模様の洋服が似合うので、まあ、オバマ夫人を20歳ぐらい年取らせたような人達が50人ぐらい同じ部屋の中にいたといえばイメージしてもらえるだろうか。。。オバマ夫人たった一人だけでも相当なインパクトだと思うのだが、そういう人が50人いたところに、私が純粋な東洋人としてはたった1名で奮闘。。。しようにも迫力の点では全く勝ち目なかったと言おうか。。。まあよい。パーティーは、何名かのスピーチがあった後、着席形式で前菜からデザートが運ばれ、途中で卒業生の一人の息子であるプロの歌手のパフォーマンスがあり、その後はくじ引きとダンスタイム、という流れであった。スピーチの途中では、各年の卒業生が順々に起立して紹介されたのだが、最高齢は今年88歳になるという2人の女性。お互いに手に手を取り、支え合うようにゆっくり歩きながらダンススペースまでたどり着き、記念品を渡され、参加者の拍手喝采を浴びていた。歌手のパフォーマンスは素晴らしかった。特に有名な人ではないと思うのだが、それでもこれだけ歌の実力があるってことは、アメリカの音楽業界の層がいかに厚いということか。この歌手の母親は卒業生の一人で、途中で飛び入り参加してハーモニーでデュエットを披露。その歌声は部屋の外にも鳴り響いて、廊下にいたホテルの従業員も入口からそっと覗きに来て写真を撮っていたほど(笑)。そして、彼の歌への思いを聞いていると、ゴスペルというのは本当に神へ捧げる歌なのだなあ、ということが分かる。今は亡きホイットニー・ヒューストンなどアメリカの大物の歌手の経歴を読むと、その多くが教会の聖歌隊の出身であったりするのだが、そりゃそうだ、毎週のようにコンサートやってるみたいなもんだから、才能があれば上手くなるに決まってる。さて、件のくじ引きコーナーでは、11歳になる娘はこの手のお手伝いが大好きなので、他の親戚の子達と各テーブルを回って張り切ってくじを販売し、7歳の息子もその後、参加者が名前を書いたくじの半券を回収するという大役を任され大満足。その後、息子がすっかり飽きてしまったので、ダンスタイムを前に私は後ろ髪を引かれながら(笑)息子と一緒に部屋に戻ったのだが、その時点で既に10時を回っていた。。。お達者世代、どんだけパワフルなの。。。。最後まで残っていた夫が部屋に戻って来たときは日付も変わっており、今度は別室に移動して何と二次会が行なわれているとのこと。。。すっかり寝入ってしまった息子を交代で時々様子を見に行きながら私達夫婦もしばらく参加したのだが、全員ではないにせよ、かなりの人数が残っていた。トランプに興じているグループもいて、いや、何と言うか、すごいとしか言いようがないというか。。。。そして、バーテンダー役は、義父の前妻との間の双子ボーイ(といっても、もうイイ年だけど)たち。。。まさに家族総出でご奉公。。。パーティーの最中は別のテーブルにいたので挨拶を交わすぐらいだったけれど、我々と同じ世代で、同じぐらいの年齢の子供達を育てている親戚のお嫁さんの方と話す。いや、私も彼女もヘロヘロのボロボロ。この集まりに来るのははじめて?と聞いたら、「ええ、そうよ」と返事したけど、その声の調子がいかにも仕方ないのでしぶしぶ来ましたという感じで思わず笑ってしまった。どこのおばあちゃんも、かわいい孫達を見せびらかしたいってか。「すごいねーみんな元気で。。。」と私が言ったら、そばにいた夫が「いや、だってみんなもう子育て終わってるし」とぽつん、と言った。私達も子育てが終わったらこんなにパワー全開になれるんだろうか。。。(遠い目)そんなお達者世代につられて久しぶりに飲んで夜更かししたツケは翌日の早朝に回ってきた。いつもより睡眠時間が短くても若さと興奮で乗り切ってしまう子供達に起こされ、プール遊びに付き合う羽目に。。。つらい。。。これはもしかして何かの修行なのか。。。というわけで、お年寄りと子供にはさまれた我々中年世代にとってはかなりハードワークな週末であったが、久しぶりのホテル滞在はのんびりできた面もあり、総じて楽しいひと時を過ごすことが出来た。(さらなるつづきは→こちら)
2015.07.06
義母は1942年生まれの73歳。アメリカ南部の小さな炭鉱町の炭鉱夫の家庭に、5人きょうだいの三女として生まれ育った。炭鉱山は石油の普及とともに閉山され、父親(夫の祖父)は職を失い、若かった義母も地元では限られた仕事しかなく、二十歳そこそこで北部のボストンの親戚を頼って移り住んだ。そのようにして、現在はきょうだい全員をはじめ、多くの親戚がボストンに住んでいる。その義母が通ったという炭鉱町の高校のOBOG会が、毎年7月4日の独立記念日の前後に行なわれているということは知っていた。義母と同じような理由で、高校卒業後アメリカ各地に散らばった卒業生たちが、年に一度、持ち回りで計画して集まる。今年はボストン地区の番で、郊外のホテルで、独立記念日をはさんでの4日間にわたり開催された。義母はファミリーだの、このように大勢を集めてまとめるという事をこの上ない喜びとしており、この集まりも(恐らく)大張り切りで計画した。だいたい、毎年、この時期になると、何かの用事で子供達を見て欲しいと頼んでもきっぱり断られるので、今年もこの時期は連絡しないようにしていたのだが、何と、この集まりの一環である、独立記念日当日のディナー兼ダンスパーティーに私達家族4人が招待されたのである。しかも、孫である私の娘をパーティーの最中に行なわれるくじ引きのチケット販売係に使いたいという。招待メールの内容を私が非常に意地悪なヨメ的観点で解釈すると、本当に必要なのはうちの娘だけなのだが、娘だけを駆り出すと、パーティー以外の時にも自分が面倒を見なくてはならないので、それは嫌。だから、私たち家族全員を招待するという作戦に出た、てなところである。ホテル代と孫達のパーティー参加費は負担するが、私達夫婦の参加費については「参加したければ」自分達で払えと。まあ、そういう内容だった。いったいなぜ私が姑の高校の、しかも年寄りばかりの集まりにわざわざ参加しなければならないのだ。。。しかも私と夫のパーティー代は払えと。。。自分の親の学校の同窓会にさえ行った事がないのに。。。と、ただでさえ、義母の、絶えることのない、かなり強引な家族がらみの誘いに対しすでに辟易気味の私は大憤慨である。昔は夫にその都度、愚痴っていたが、間に入って義母に何か言ってくれるどころか、「いや、お袋だって悪気はないんだから」って、そんな分かりきったことを今さら言うかね、と気持ちのやりどころがますます見つからず、最近はすっかり諦めた。代わりに、気の置けない何人かの友達に愚痴って憂さ晴らしさせてもらっているのだが、この一部始終を今回は日本にいる母に電話で話したら、開口一番、「孫が可愛いからみんなに見せびらかしたいんじゃない」と言うので、大笑い。結局、夫と家族会議をした末、まあ、ホテル代出してくれるって言うし、パーティー代をけちって参加しなかったとしても、ホテルのレストランで夕食をとったらどうせ一人そのぐらいしちゃうんじゃない、ということで、義母の招待をありがたく?受けることにしたのである。後に判明したことであるが、娘と一緒にチケット販売係として働く「孫達」とは、全員義母のきょうだいの孫達、つまり関係者だった。さらに、ボストン地区の役員メンバーというのも全て親戚関係者ばかり。。。考えてみれば、小さな炭鉱町に恐らく一つしかなかった高校だから、兄弟全員が同じ学校の卒業生なのは当然なのである。しかも、義母の元伴侶(私の夫はその姓を名乗っている)も同じ高校の卒業生。というわけで、私が会ったことのあるそのきょうだい達も全員集合。。。この集まりの参加者の約3分の1は私の夫側の親戚という、実は一族の集まりだったのかと混乱するばかりであった。。。(つづきはこちら)
2015.07.06
今朝はマイナス10℃近い中、ルナを保育園に連れて行った。さむい。とルナが言っていた(笑)。とうとう「寒い」という言葉の意味が分かったらしい。確かに寒い。しかし根性で街まで行って買い物をした。化粧ポーチを紛失してしまったので、とうとうVera Bradleyのものを買うことにした。前から欲しかった柄。この前、ボストンの友人が、日本から来た人にVera Bradleyは「おばさんくさくない?」といわれてしまったそうだ(笑)。確かにそうかも。やはりボストン以外の場所で使ってはいけないのかもしれない。中身はほとんどボディーショップのもので揃えた。といっても、私の化粧ポーチの中身はかなりしょぼい。口紅なんか、試供品を使っているぐらいだ。でも、今日は化粧グッズなんて、久しぶりに買い物らしい買い物をした。
2005.12.14
ニュースを読んで、あんまり見たくないなあと思っていたんだけど、怖いもの見たさでついつい見てしまった。↓http://headlines.yahoo.co.jp/video_gallery/showbizzy_interview/g051218.htmlやっぱり見なけりゃ良かった。いくら家族のサポートがあるからって言ったって・・・やめようよ。
2005.12.07
・・・といっても、ブログの引越し。楽天日記、私が使っているうちにいろいろ機能強化してくれて、デザインも増えて、良くはなって来ているんだけど、何だかごちゃごちゃしているのが気に入らん。カテゴリが10個しか登録できないのも困る。というわけで、他のブログに鞍替えしようかと思っているんだけど、たぶん面倒でこのまま居座ることになりそう・・・。
2005.12.07
ルナが週に2日、保育園に行くようになってから、のんびりと音楽を聴く時間が出来た。心に染み入る音楽を聴いて感性を磨くようなことも、失って初めてその大切さが分かるものだ。今日は私のベスト・コレクションなるものを作ってみた。平井堅、多いですけど(笑)。1. 楽園(平井堅)平井堅をスターにのし上げた1曲。最近発売されたベストアルバム『歌バカ』でも、この曲を境に彼の作風が変わっていく様子が分かります。2. Addictive Love (Bebe & Cece Winans)実は、私はこの曲で舞台で踊ったことがあります。もう10年近く前のこと。あれから結婚して、仕事を何度か変えて、アメリカに移住して、子供を産んだ。同じ曲で、もう一度踊ってみたい。振りの解釈もきっと変わっているに違いない。3. One Man, One Woman (ABBA)ABBAの中でもこの曲はダントツに良い。絶対にベスト盤に入ることはないけど、どうしてどうして。珠玉の1曲。4. Cars and Trains (George Michael)ワム!を解散した後のセンセーショナルなソロデビュー、今でも思い出す。この曲が入っている"Patience"というアルバム、歌の内容がどれも「どうしちゃったの?」と言いたくなるぐらい重くて陰鬱な気分になるんだけど、曲の構成はとてもいい。その中でもお気に入りの曲がこれ。 5. even if (平井堅)平井堅の歌の中でこれが一番好きなんだけれど、彼のベストアルバムにも収録されていた。嬉しい!ホントは好きなんだけど、話の分かる友達のフリしてる男心。6. Superstar (Ruben Studdard)カーペンターズの名曲をアメリカン・アイドルで優勝した太っちょのこのアイドルがカバー。ちょっとソウル・テイストのこのスーパースターもオツですぞ。7. The Name of The Game (ABBA)前にも書いたことがあるような気がするが、この曲の複雑さと完成度、もう、誰にもマネできん。アバは天才だ。8. 大きな古時計(平井堅)平井堅ファンでなくても一度は聴いたことがあるはずの彼バージョンのこの歌。こういう、子供の歌を歌手が自分の作風に味付けしているのって結構好きなんです。9. You Go Your Way (CHEMISTRY)ミーハーといわれてもいい。私はCHEMISTRYが好きだ。特にこの曲は何度聴いてもよい。10. 瞳を閉じて(平井堅)途中の盛り上がるところで私はいつも感動して涙が出そうになる。これでモダンっぽい振り付けで踊ってみたい。
2005.12.06
この前作ったトートバッグの余り布で、ルナのバッグを作りました。ガスレンジの取り付け業者、現在3時55分。来てません。やっぱりな>アメリカ。待っている以外、何もすることがなかったので、ミシンを出して作りました。赤いボタンがポイントですが、数時間後にはルナにもぎ取られている可能性大(笑)。ピンボケですが、中の生地は私のバッグと同じペイズリー模様のものを。
2005.12.01
アメリカに来て5年も経つというのに、いったい何をチェックしとんじゃ、と言われそうだが、私は紅白は毎年観る。今年は平井堅がいないのががっかりであるが(アメリカにいると、お声ばかりでお姿を拝見する機会はないし)、ゴリエが初出演らしく、俄然観る気になった(笑)。しかし、毎年知らない名前が増えていくなあ。「最近の若い歌手は全然分からん」と、まるでお年寄りのようなコメントをしてしまいそうだ。
2005.12.01
今日はルナの保育園の日。今朝もちょっとぐずぐずしていたが、また先生に抱っこされてお別れ。今日はチャイナタウンへ行って生地を買いに。いま使っているバッグがとても使いやすくて気に入っているのだけれど、底も擦り切れて来たし、色が真っ黒なのでちょっとつまらなくて、なかなか代わりのバッグも見つからず、ニューヨークでバッグ職人をやっている友人はとても忙しそうだから申し訳なくて頼めないし、それならいっそのこと自分で作ろうという、まことに大それたことを思いついた。さんざん迷って、結局デニムの生地とペイズリーの柄を組み合わせることに。しかし、できあがり完成図というか、今使っているバッグが見本で、型紙とか作り方とかは一切なし。バッグの作り方が載っている本がついこの前まで目の付くところにあったのだが、どこにしまったのか全然思い出せない(笑)←まったくこういう時に限って。自慢じゃないけど、私はバッグなんて作ったことがなくて、せいぜい巾着袋どまり。仕方がないのでバッグの寸法を図り、展開図?を書いて型紙を作り、布を切った。いや~、この時点ですでに才能ないのが分かった。私はそもそも布をまっすぐに切るということができないのだ。しかし、途中まで仮縫いもしてみた。仮縫いをしようというところが私としては奇跡なのだが、やっぱり最後までは面倒で出来なかった。思ったより工程が多くて、あああ、果たして完成にこぎつけられるか一抹の不安がよぎる。でも、できたらアップします♪バッグって何でこんなに高いんだろうって思っていたけど、結構手間がかかるもんなんだなあ。私にはやはりちゃちゃちゃと15分で出来るフラワーアレンジが向いている(笑)。同じアレンジ10個同時に作っても苦にならないし。でも、バッグは2つと同じ物は作れない。1つ作れるかどうかも怪しいんだし。今日はチャイナタウンに寄ったついでに美容院で髪を切ってもらった。私は昔からブローというものができない人なので、今回もメンテの必要のないボブスタイル。でも、いいんだー、頑張って髪を伸ばすんだ。目標はケリー・リパというタレントさんのようなストレートのロング。うーん、これも無事達成できるか不安だけど、実現すればロングなんて何年ぶり?結婚式以来だったら7年ぶりか。今日はあまりいろいろできなかったなあ・・・。
2005.11.15
本田美奈子が白血病で亡くなったとのニュース。彼女とは同世代だ。そういえば、学生時代にダンス仲間と「ダンス!ダンス!ダンス!」というダンスコンテストの深夜番組に出場したことがあるのだが(ELLIEの振ると出てくる知られざる過去その1)、その時のゲストの一人が本田美奈子だった。芸能人というのはテレビで観るよりずっと細めだ。彼女が私達のパフォーマンスに何とコメントしたのかはすっかり忘れてしまったが、細くて顔がちっちゃくて肌がすごくキレイだったということを覚えている。アイドル当時は態度が生意気で芸能界のご意見番・和田アキ子に咎められていたこともあった(という、どうでもイイことをナゼいちいち覚えているのだ、私は)が、ミュージカル女優として開眼した後は真摯に芸の道を進んでいたという印象がある。特に好きな芸能人というわけでもなかったが、同じ時代を歩んできた者としては残念でならないし、38歳という若さで亡くなるという事実にもショックを隠せない。毎週必ず実家の母と電話で話すのだが、それによると母のいとこが亡くなったそうだ。こちらは49歳。すい臓癌だったそうだ。そんなに何度も会ったわけではないが、笑顔のふんわりとした明るい人だったことを覚えている。残された娘さんはもう社会人になっているそうだが、どんなにか心残りだっただろう。もう、この世にいないかと思うと、とても悲しい。身近な人(本田美奈子は直接知っている訳じゃないけれど)の死が重なって、少しブルーな気分。関係ないけれど、フランスのパリ郊外を発端に続いている暴動にも、その背景を考えるととても他人事と思えず心が痛む。そんな中、ダンスのレッスンに行った。今日からバレエではなく、Music Video Danceという、ブリトニー・スピアーズとかジャネット・ジャクソンのプロモ・ビデオに出てきそうなダンスのクラス。文句なしに楽しくて、気分もほぼ回復した。誰も生まれる時を自分で選べないように、死ぬ時も自分で選ぶことはできない。でも、生きている限り、頑張らなくては。
2005.11.07
ルナが今夜になって下痢を2,3度した。そういえば私も何だか胃腸の具合があまり良くない。といっても、私はダンスのレッスンには行っちゃったぐらいだし、ルナもぐっすり寝ているし、大したことはないのだが。イマドキの風邪は胃腸に来るんだろうか?この分だと明日の保育園は休ませないと。くーっ!!!(ルナの心配をするより、休ませなきゃいけないことを残念がっている鬼母)
2005.11.07
さて、今日はいよいよルナの保育園初日。ルナの性格およびこれまでの行動からして恐らく泣くことはないだろうと思っていたが、朝、保育園に到着して、お友達とおもちゃを見たとたん、そちらへとっとと走って行ってしまい、その後私のことはすっかり忘れてしまったようで、私のことを振り返ることもなく、結局、別れの挨拶もせずに帰ってくるハメに。何だか拍子抜け。ルナ、おまえのその根性ならアメリカで立派にやっていけるぞ(笑)。しかし、子も子なら親も親で、大してメソメソすることもなく、かねてから懸案になっていた家事にとりかかる。洗濯機も3回ぐらい回して盛大にベランダに干す。あー気持ちいいっ!そして、アバの曲をかけながら棚の整理などをする。ダウンタウンへ郵便局と買い物の用事まで済ませた頃にはすでに夕方近く。いやー、でも、普段の5倍ぐらいの用事が済ませられた。素晴らしい。次の保育園日が待ち遠しい(笑)。夕方にダンナと合流してルナを迎えに行く。ルナは先生に抱っこされていた。私達が到着する10分前ぐらいからママ、ママ、と私のことを探し始めたそう。私が抱っこしても、しばらくしくしくしていた。でも、昼間は She did great! だったそうだ。一日の様子を簡単に書いた紙も渡してくれて、それによると、今日はビーチまでお散歩に行って、枯葉を秋色で塗って遊んだらしい。家に帰って来てからもかなり興奮しているようで、べらべらとひっきりなしにしゃべっていたが、いつもより1時間近く早い時間にことんと寝てしまった。食事は、朝 シリアル・ミルク昼 ピーナツバターとジェリー(うーん、アメリカ!)、グリーンピース、りんごにミルクおやつ プレッツェルとジュースだったそうだ。お昼寝もちゃんとしたらしい。というわけで、一日目は無事終了。
2005.11.01
映画『FEVER PITCH』を観た。この映画、ボストンが舞台になっている映画で、オンラインのDVDレンタルシステムであるnetflixでウェティングリストに登録しておいたのだが、ずーっと"Long Wait"になっていて、リストの下に登録しておいた映画が先に来る始末。さすがボストン、地元だけのことはある(笑)。『E.T.』や『チャーリーズ・エンジェル』のドリュー・バリモアとSNL(土曜深夜の長寿コメディ番組)のレギュラーだったジミー・ファロン主演のラブ・コメディ。原作はイギリスの小説で、しかも、フットボールチームのファンが主人公らしいのだが、これはボストンが舞台、ボストンの野球チーム・レッドソックスのファンが主人公という設定になっている。※以下 少々ネタばれあり。どういう話かというと、簡単にいえば、「ワタシとレッドソックスとどっちが大切なの???」というすったもんだがあった末に一番大切なことが見えてくるっていう話(本当に簡単だな 笑)なのだが、まあ、使い古されたネタだけに、安心して大いに楽しめる作品。お約束の、主人公二人といつも一緒につるんでるお友達は皆、面白いキャラだし、筋金入りのレッド・ソックスファンであるローカルな人々もみな、それぞれ味がある。そして、ボストンにゆかりのある人なら、本当にオススメ。今までボストンを舞台にした映画は何本か観たことがあるけれど、知っている場所がこんなに出てきたのはなかったと思う。あ、このレストラン、どこにあるか知ってる!とかね。それから、ドリューちゃん扮するキャリア・ウーマンが住んでいるアパートの各部屋に通ずる階段のあたりが、ひとめでセットと分かるにしても、ボストンの古いアパートの雰囲気をよく出していた。これで、皆(特に地元ファン)がもっとボストン弁丸出しでしゃべってくれてたら、ぐっと雰囲気出たんだけどなあ、と、限りなくローカルな英語を毎日聞いている私の贅沢な?要望。この映画、レッド・ソックスを舞台にしているが、話の主題は主人公二人のハラハラドキドキ恋の行方なわけで、原作もイギリスのフットボールチームであることから、言ってみれば別にレッド・ソックスじゃなくたっていいわけだが、撮影の途中でレッド・ソックスが86年ぶりに優勝しそうになるという偶然が重なり、そのせいで新たな撮影場面を加えることになったらしい。しかし、1918年以来、86年間、優勝していない、ってことは、自分が生きているうちにレッド・ソックスの優勝を見届けることもないまま死んでいったボストニアンがたくさんいるってことで、そりゃすごい話だ。86年間の半分も生きていない私でも、日本の各野球チームの優勝は見たような気がするぞ。2004年のワールドシリーズはセント・ルイスで行なわれたのだが、ひょっとして、もしかしたらもしかして、優勝しちゃうかもしれないレッド・ソックスの、その優勝の場面を映画に取り入れるかどうかで撮影スタッフは議論に議論を重ねたらしい。もし、優勝したとしてその場面をセットとして再現するにもコストはかかるし、逆に優勝を見込んでセント・ルイスに乗り込んで優勝しなかった場合のコストの損失も莫大だ。優勝が現実のものとなった現在から振り返ってみれば笑い話で済むが、何せ、86年間も優勝できず、それは呪いのせいだとか言われていた、まさにいちかばちかの状況でセント・ルイス行きを決定した撮影陣、エライ!!!ちっぽけな飛行機を急遽チャーターしてドリューやジミーは飛行機の中でメイクしたり撮影用の衣装に着替えたりしたんだそうだ。(このあたり、眠いアタマでDVD付属のドキュメンタリーを見ていたので、詳細はちょっと違うかも。あしからず)。テレビ局の試合中継用のカメラ一台を映画の撮影用に借りて、優勝が決まってグラウンドで大喜びしてもつれ合っているレッド・ソックスチームにドリューとジミーが絡んでる場面があり、映画がそのままレッド・ソックス86年ぶりの優勝のドキュメンタリーにもなっていてなかなか面白い仕上がりになった。さて、主人公役のジミー・ファロン、この前観た『TAXI』という映画にも主役で出ていたし、SNLのレギュラーを経てメジャーな進出を遂げる(エディ・マーフィー、マイク・マイヤーズなんかもそう)という順調な出世コースを進んでいるようだ。すっごい演技が上手いってわけじゃないけど、この映画では、ヒトのいいボーイフレンドの味を結構うまく出していたと思う。ワタシ、こういう、ちょっといつまでも少年って感じの優しいオトコに惚れっぽいのよね。うふふ。どさくさに紛れて"SNL: The Best of Jimmy Fallon"まで借りてしまった私(恥)。でもでも、密かに応援しているのです。SNLでは有名人のモノマネをよくやっていたのだけれど、ビージーズのメンバーがトーク・ショウをやったら・・・というコント、秀逸でした。ベスト盤にも収録されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。しかし、育児真っ只中の疲れたアタマでは、こう、人生について考えさせられる映画、とか、いわゆる重~いテーマのものはなかなか観なくなってしまった・・・。そもそも、2時間通して映画を最後まで見届けること自体が難しい今日この頃(途中でルナにジャマされるとか、途中で自分が寝ちゃうとか)。情けなや。
2005.10.22
マドンナがニューヨークの大学の講義にいきなり登場して学生は大喜びだったそうな。そのニュースによると、『学生に成功の秘訣について質問され、「大事なのは何事にもどん欲であり、やり遂げる決意を持つこと。否定されることを恐れて、他人の意見に流されてしまった人もたくさん知っているわ。私は決してそうしなかったけど」と答えた。』爪の垢煎じて飲ませていただきたい。
2005.10.19
たとえば、誰かの家に招待されて、自分と同じおみやげや差し入れを他の人が持って来たとします。そういう場合、「かぶった」と言いますか?「重なった」と言いますか?
2005.10.05
So You Think You Can Dance、いよいよ最終回。結果は・・・ニックでした!ちょっとジャマイルに浮気したけど、やっぱりニックで納得。ジャマイルに勝って欲しい気持ちもあったけど、彼は、特に訓練を積んだダンサー達には評判が悪かったから、彼が優勝したらかなり波紋を呼んだと思う。だけど、ニックは文句を言う人もほとんどいないんじゃないだろうか。彼はどう成長していくんだろう。楽しみだなあ。シーズン2もやるみたいなので、とても楽しみ♪
2005.10.05
むむむむむ。悩むワタクシ。何を悩んでいるって、"So You Think You Can Dance"である(笑)。先週が最終回かと思っていたら、来週に優勝者が決まるらしい。今回は6名から4名になった。落とされたのはカミラとブレイク。カミラは納得するとして、ブレイクは微妙なところ。ジャマイル人気で、ブレイクとニックなら、やっぱりニックでしょ。私はヒップホップってそれほど好きじゃないんだけど、ジャマイルのヒップホップは好きなのだ。何か、動きが面白くて、先を先を見たくなる。これまでずっとニックをイチ押ししていたのだけれど、今回はブレイクと同じ罠に陥ってしまったようだ。ダメよ、テクニックだけを見せびらかしちゃ。彼にもちょっと欲みたいなのが出てきたのかも。でも、実力あるから彼が選ばれたら、欲を捨てて精進すれば、もっともっと素晴らしいダンサーになると思う。ジャマイルは他の3人に対して異色の存在。ニックとのヒップホップのパフォーマンス、最初に観た時はニックに比べてパワー不足だな、と思ったんだけど、ビデオで録画したのをもう一度見直したら、リズムの取り方はジャマイルの方が正確だった。それに、このヒトは、こう、アメリカ人のエンターテイナーにありがちな、スマイル100ぱーせんとぉー!エネルギーぜんかーい!!!っていうダンスをするヒトじゃないのよね。あくまで、クール。頑張ったニックに目が行ってしまったけど、本来、ヒップホップはこうやってクールに踊るものなのよね。振り返ればジャマイルは貧乏くじ引いちゃった人だった。ヒップホップ畑なのに社交ダンスなんか何度もやらされちゃって。アシュレーはダンサーっていうより、何だか運動選手のようだ。すごくテクニックは高いんだけど、それが気になる。昔、オリンピックでメアリー・ルー・レットンっていう、ゴムまりみたいなアメリカ人の体操選手がいたが、そんな感じ。こう、ルーマニアとかロシアの選手のような優雅さに欠けるんだけど、でも、テクニックは高い、みたいな。もう、こうなると、好みの問題なのかも。ジャマイル以外の3人は、本当にダンスのテクニックが高いんだ。でも、ジャマイルは、こう、誰にもまねできない何かを感じるのだ。もっとレッスンを積んで他のジャンルのダンスも上手になれば、他の3人より抜きん出ると思う。・・・ということで、ジャマイルに浮気中。
2005.10.03
よくなったつもりだったけど、まだ何となくスッキリとしない体調。尿に血が混じるのは日に一度ぐらいになったんだけれど。でも、今日はA子さんがSちゃんを連れて遊びに来てくれました。ほんの数時間でも、遊び相手がいるとルナにとってもいいし、私も助かる。一緒にランチをして、おしゃべりをして、過ごしました。ああああああ。たすかったああああああ。ありがとう。A子さん!その後、ルナと二人でお昼寝。私が先に目が覚めたのだけれど、何だか調子がイマイチ。帝王切開の傷跡がちょっと痛む・・・ということは疲れている証拠だ。まだまだ抗生物質は残っているんだけど、うーん、なかなかしつこいなあ。
2005.09.26
これが帯の後ろ。友人はやはり韓国式の結婚式もやりました。本来のものよりはずいぶんと簡素化された形だったらしいのですが、とても興味深かったです。彼女と新郎はとてもカラフルな伝統の結婚衣裳を身につけ、ま四角の低いテーブル(ちゃぶ台のようなもの)をはさんで新郎の両親と座るのですが、新婦である彼女は立った姿勢からいちどあぐら座りのような体勢になって、さらに深々とお辞儀をする、ということを何度も繰り返していました。この、立った姿勢から座るまでは、両腕を誰かにサポートしてもらわないとできないぐらい大変なのですが、彼女は健気に頑張っていました。それから、両親がナツメヤシの実を新婦に向かって投げるという儀式があります。新婦はそれを身につけている長いエプロンのようなもので受け止め、その受け止めた数が生まれる男の子の数だということらしいのですが、傍らにいた新郎に「あんまりキャッチしないでね」と言われていました(笑)。でも、結局、受け止めた数は8つ!!!頑張ってください(笑)。新婦のお母さまの伝統衣装はよくテレビなどでも観るものだったのですが、お父さまの衣装は初めて目にするものでした。こう、花さかじいさんが着ているような上下に分かれた服で、ズボンの方は下がふくらんでいて、すごくかっこよかった。いいですね。伝統というのは。とても貴重な経験でした。2次会のパーティーは、カジュアルな格好でよいと言われたので、私もニットとパンツに着替えて行ったのですが、友人に「わざわざ着物を着て来てくれてありがとう」と感謝されました。韓国の衣装も、着物と同じように、何枚も重ね着をして、ホックもスナップも一切なくて、紐で締めていくものなのだそうです。考えてみると面白いですよね。紐だけであれだけのものを固定しているだけなのですからね。そして、それが日本と韓国で共通しているというのもおもしろいですね。まあ、私は着馴れている方なので、すごく大変だとも思わなかったのですが、それでも洋服よりは面倒には違いないので、その苦労が少しでも分かってもらえたのなら嬉しいな、と思いました。着物は紐だのいろいろと小物があってかなりの荷物になるのですが、着物や帯などの基本的なものは、たたんでしまえば長方形になるので、案外かさばらないのです。専用の着物バッグも持っていて、そこにぴったりサイズがおさまるので、一度しまってしまえば移動も快適。私が通っていた着付けの学校では着付けの試験が何度かあって、そのたびに一式を着物バッグに入れて電車に乗って移動したりしていたのですが、その時の経験が思わず役立ちました。快適といっても、馴れていなければ、もたもたしてしまうものですしね。でも、ルナがいたら無理だっただろうなあ・・・。片付けているうちにひとつずつ強奪されて収拾つかなかったかも(笑)。
2005.09.26
日本も含めて20カ国でした。まだまだだなあ。未踏の大陸もあるし。create your own visited country map or check our Venice travel guide
2005.09.26
お友達のLILY@MAさんが、新しいESLの授業で苦しんでいるようなので、なんだか私も自分のESL時代を思い出してしまった。ぐるじぃぃぃぃぃ。私のESLは大学でのこと。ここは第二次世界大戦において敵となった過去を反省した日本人とアメリカ人によって創設された日本の大学で、教授陣の約4分の1を占める外国人教師による専門の授業は基本的には英語で行なわれるため、それについていくだけの英語力を身につけるということで、他の大学の実に3倍もの単位が英語教育に当てられていた。宿題の量が多くて、オリエンテーションでは、1年目はバイトはなるべくやらないように、との警告が出たくらいだ(笑)。この大学ではESLではなく、ELP(English Language Program)と呼ばれていた。私は英語は大好きだったが、高校まではごくごく普通の学校で文部省検定教科書による英語の洗礼を受け、読み書きはできるが話す聴くはニガテという日本の英語教育の弊害をもろに受けた日本人に育っており、したがって文法だけはよくできたため、能力別のクラス分けテストで実力以上のクラスに振り入れられてしまった。周りは英語圏の帰国子女がほとんどで、日本のみで育ったのはほんの数名、というようなすごいクラスで、なんだかもう、最初は先生から言われた宿題の内容が聞き取れなかったり、作文を書いても真っ赤に添削されて帰ってきたりで、それまで英語だけは出来るというのが自分の自信の唯一のよりどころだっただけに、ショックに打ちひしがれてしまった。でも、このクラスで良いこともあった。周りのレベルが非常に高かっただけに、とても勉強になったことである。語学というのは、同じレベル同士だと楽ではあるが、お互いから学ぶことが少ないため、なかなか上達しないという欠点がある。ああ、そういうことはそうやって言えばいいのか、と、毎日が新しい発見であった。作文に関しては、英語の思考、つまり、「結論が先、理由はあと」を徹底的に叩き込まれた。天声人語を読んでも分かるが、日本語の文章というのは、まず例を挙げることから始まり、最後に結論を言う。一方、英語の文章では、結論を先に述べて、その理由はこれこれこうだ、と続く。ごく簡単な例を挙げると、たとえば、友達と今晩会う約束をしていて、それが急な残業で行けなくなったとする。それを友達に電話を伝える時、日本語ではどういう順番で伝えるだろうか。恐らく、こんな風に話を持っていくのではないかと思う。「きょうなんだけど、急に仕事が入っちゃってね、いけなくなっちゃったの」これを英語では「きょうね、いけなくなっちゃったの。なぜかというとね・・・」という順番になる。もちろん、この程度の長さの、しかも口頭での会話なら、英語でも日本語と同じような話の持って行き方になることもある。しかし、ちょっとした長さの論文やスピーチや議論だったりすると、結論→理由の順番になる。だから、ダンナに言わせると、天声人語っていまいちピンと来ないらしい。私は最初、この法則が分からず、作文において例をダラダラと挙げて、最後に結論を書いていたために真っ赤に添削されていたのだった。しかし、それまで20年近く理由→結論の思考で育っているのだから、それほど急に切り替えられるものでもない。この順序の逆転は、書く場合はともかくとして、しゃべる時は未だにたびたびやってしまう。日本人が英語を学ぶのに苦労しているのは、言語的にかなり異なる上に、この思考の切り替えまでしなければいけないからなのではないかと思う。この思考の逆転の壁は、ある程度のレベルに達しないとぶつからないが、これをいったん乗り越えた時には、ぐっと実力が上がっているはずだ。この英語特訓コース?では、当然、読解の授業もあった。純文学や社会科学系の読み物など、さまざまなジャンルが教材となっていたが、その中でもっとも記憶にあるのはステレオタイプとプロパガンダについての読み物だ。ステレオタイプというのは、たとえば、「日本人はカメラをぶら下げている」や「アメリカ人はガムを噛んでいる」など、ある特定の集団や事柄についての固定観念で、(ほら、最初に例を挙げているでしょ 笑)、プロパガンダとは宣伝であるが、その読み物の内容は、宣伝文句により人が陥りやすい罠についてだった。たとえば、有名な俳優がコマーシャルで特定の商品を宣伝することによって、その商品が実際以上の価値があるかのように見せかけたりすることがある、といったようなことだ。要するに、どちらも「事実、あるいは真実」と「それに関して人が発する言動や記述」の間には差があるのだから、人の言動や記述に惑わされず、常に事実や真実を見極めることが大事だ、というのがその読み物の趣旨だったと思う。これは当たり前といえば当たり前であるが、周りを見渡せば、必ずしもこの考え方が実践されていないことがよくわかる。たとえば、ひとつの現象だけを取り上げて、アメリカはこうだ、アメリカ人はこうだ、と言ってしまいがちだ。もちろん、アメリカ人だっていろいろいるし、日本人だって人それぞれだし・・・という考えにあまりに偏ってしまうと、日米比較論など成り立たないわけで、それじゃあ、私のこの日記の存在意義もなくなってしまうことになる(笑)。『ここがヘンだよ日本人』じゃないけど、ある事柄について一般化させることは構わないと思うし、そうやって一般化してしまった方がずっと楽なのも確かだ。でも、常に、それが本当に一般化できることなのか、それとも、自分の偏った見方によるものに過ぎないのか、という確認は必要なのではないかと思う。そういう見方を身につけるきっかけを作ってくれたということで、この授業は非常に有意義であった。その後、2年目にはTheme Writingと言って、あるテーマについて小論文を書くという授業があった。これはもう大変で、本当に死ぬ思いだった。あまりにストレスがたまって過食して糖尿病のコントロールが悪化し、休みに入ってから入院するハメになったぐらいだ(笑)。でもまあ、それだけみっちりしぼられたおかげで、今の私があると言えよう。なんて書くと、なんだかすごく英語ができると思われるかもしれないが、実はそれほどでもないというのが悲しい。でも、こう、根性、とか開き直りの精神とか、そういうものはしかと身についたような気がする。それは語学をやっていく上で、結構重要だと思う(と、正当化)。
2005.09.24
先週、切迫早産で自宅安静中のKさんの家に週に3回も行ったせいか、エラく疲れてしまった。当番の日は1日だけだったのだが、何だかんだと出先のついでに寄ったりしていたら、週に3回も行っていたのだ。うちから1時間以内の特に遠い距離でもないのだが、ルナを預けるにしろ、一緒に連れて行くにしろ、何かと手間はかかるのは事実。預けて行くにしても、少なくとも食事の用意ぐらいはしておかないといけないし、一緒に連れて行く場合は、たったの数時間だけでも、ミルクの用意やら紙オムツの点検やら必要になる。行ったら行ったで、当然赤ちゃん対策がされていないから、ルナがあっちこっち触ってヒヤヒヤ。気の休まる暇がない。ルナの用意が一式入った重たいバッグとようやく20ポンド(約9キロ)を超えたルナをスリングで抱えて(ベビーカーには乗りたがらないので使えない)往復するだけでも重労働。そりゃ疲れるわけだ。どうしても子供の居ない頃のフットワークで行動してしまうのだけれど、さすがのワタシも足枷がかかって疲労度倍増。膀胱炎になってしまったのもそりゃ当然であろう。うううううう。早く身軽になりたい。(何年後じゃ?)
2005.09.23
FOX系で放映中のダンスコンテスト番組"So You Think You Can Dance"。ただいま6名まで残って来週がいよいよフィナーレらしい。私のイチ押しはニックとメロディー。賛同してくださる方は?(そもそも観ているヒトって少ないのよね)メロディーはこれまで踊りがワンパターン化していたのでちょっと見飽きていたのだが、前回はひと皮向けたようで見直した。この二人、玉にキズと言えば、ちょっと若すぎること。昔、ASAYANで、太陽とシスコムーン(だっけ?)のメンバーの一人が「苦労知らず」だからということで、つんくに修行させられていたが(ということを知っているヒトが果たしているのかとても不安。知っているヒトは迷わず申告してください 笑)、こう、壁にぶち当たっていないなあ、という印象を受ける。前回は初ぺアを組んだニックとメロディーが審査員の絶賛を浴びていた。彼らは実は同じダンス・スクールの出身なのだが、それだけでなく、この二人、ダンスがとても良く似ている。いわゆる「ダンスの相性がいい」ってヤツだ。私はダンスの相性の良し悪しというのがあると信じている。首を傾ける時の角度とか、頭をぱっと上げるときのタイミングとか、実はヒトによって微妙に違うものなのだが、相性の良い相手とは、そういうことをいちいち鏡で確認しなくてもピッタリ合ってしまう。私は学生時代にダンス部に所属していて、授業はそこそこにダンス三昧の生活を送っていたのだが、1学年上の先輩(男性)とものすごくダンスの相性が良かった。映画での共演がきっかけで俳優と女優が恋に落ちるように、私もその先輩に恋して、紆余曲折の末、付き合うことになった。結局は別れてしまったが、メロディーとニックを観ていて、その当時のことを思い出したりした。そう。年齢もちょうどこの二人と同じ頃だった。あああ、青かったなあ(笑)。彼は後にプロのダンサーになったので、今じゃダンスのテクニックには雲泥の差が開いてしまったであろうが。。。前回の最後には、残った6名がそれぞれソロでの踊りを披露した。これをもとに視聴者が電話投票をして、来週2名が落とされるのだが、私の予想ではカミラとアシュレーかな。ジャマイルもヒップホップ以外はまあまあだから最終的には残らないとは思うけど最後の4名までは残ると思う。男性で残っているのはジャマイル、ブレイクそしてニック。ジャマイルはこの中では唯一ヒップホップ系なのだが、とにかく動きが面白くて1分間のパフォーマンスじゃ物足りなくて続きが観たくなる。ブレイクはニックとは対照的に「苦悩のダンサー」で、技術もすごく高いのだが、昨日のパフォーマンスでは、こう、自分にはこういうスキルがあるんだということを見せびらかしているだけで、イマイチ気持ちが伝わってこなかった。ジャマイルは「魅せ方」が上手、ブレイクは「ダンス」が上手、と言えるだろう。その点、ニックは魅せ方、ダンスの技術ともに最もバランスがとれたダンサーなのではないかと思う。審査員がニックとメロディーのカップルを"good dancer"と"good performer"の両方を満たしているということを言っていたが、その通りだと思う。ダンス部でも、この両方を満たしているダンサーは限られていた。テクニックはなくても、センスが良くて舞台で映えるダンサーがいると思えば、テクニックは高いのに、舞台ではパッとしないダンサーもいた。あるダンスのジャンルではものすごくカッコいいのに、違うジャンルでは途端に踊れなくなってしまうダンサーもいた。私はジャズダンスから入ったので、バレエ的な優雅な動きはとてもニガテだった。それが嫌で、遅まきながらバレエのレッスンに通い始めた。もちろん、3歳からバレエを習い始めたヒトの域には絶対に到達できない。でも、私なりには踊りの幅も広がったと思っている。ま、そうやって自分なりに努力したと自負していたので、テクニックはイマイチなのに舞台でオイシイ役ばっかりをとれるダンサーを正直言って軽蔑していたのだが、次第にそれもやはり能力の一部なのだと認めるようになった。しかも、しょせん学生の趣味の範囲であって、別にプロとしてしのぎを削っているわけではないのだから、そう目くじらを立てることもなかったのだ。とは言っても、やはりある程度、踊りの基礎というのは必要だと思っている。英語だって、ある程度基礎がないと、ある段階で伸び悩んでしまうものだ。ただ、真にすぐれたダンサーというのは、ダンスの経験があるヒト、ないヒトの両方を魅了する技術と演出を持った者に違いない。さて、来週の最終回、何が何でも観なくては!
2005.09.23
昨日の朝、いきなり血尿が出てびっくりしてたら排尿のたびに涙が出るほど痛くなって病院に泣きついたら(アメリカにしては奇跡的に)午後に診てくれることになり、急遽ルナを義母に預けて病院に行ったら予想どおり膀胱炎。オンナの人は必ず一度ぐらいはかかるというポピュラーな病気らしく、初めてかと聞かれたのでそうだと言ったら、you are luckyだと。病人を前にしてラッキーと言うのも何だかなあと思ったが、まあ、そのぐらいよくある病気なのだろう。ここ数週間、少し疲れ気味だったのがいけなかったのかも。抗生物質と痛み止めを処方されて、さっそく飲んで一晩飲んだら劇的によくなった。でも、ここできちんと治しておかないとぶり返したりすると嫌なので、今日は家でおとなしくしている。・・・とは言っても、ルナは相変わらずパワー全開だし、明日は友達の結婚式でバーモントまで行くし、温水タンクはまだついてないし、あああ、泣きっ面にハチ。結婚式には頑張って着物を着て行こうと思って、着物も帯も出して着る練習までやったのだが、やはり洋服で行こうかと思う。会場がボストンならまだしも、朝早く出るのにおじゃま虫のルナを追い払いつつ着物の支度をしてたらそれだけで疲れ果ててしまいそうだ。ドライブも3時間以上かかるし、途中でトイレに行きたくなってトイレが汚いってこともあるし・・・。あっちでまた具合が悪くなってもいけないし。あ~あ、残念だなあ。
2005.09.23
感想:・この2人が結婚していたという事実さえすっかり忘れていた・離婚の理由とやらが、Yahoo!ニュースによると(チェックするなよ)、『大沢は「女房は三つ指をついて黙って控えているもの」と考えるタイプ。米国育ちで、はっきり物を言う喜多嶋を理解できなかったという。』らしいが、おいおい、現代の女性のいったい誰が未だに三つ指つくとおもっとるんじゃい!!!しかも、それなら米国育ちでハッキリものを言う女性など合わないと最初から分かっていたのでは???・大沢はもう36歳なのか。
2005.09.20
きょうはルナをおばあちゃんに預けて、生徒さんのお宅で午前中、フラワーアレンジメントのレッスン。午後から別の生徒さんのお宅でレッスン。一度家に戻って腹ごしらえなどして、夜はバレエのレッスン。・・・なんだかんだいって、私って体力あるかも。
2005.09.19
そんなこと誰も知りたくないと思いますが私のABBAベスト5決定!AngeleyesOne Man, One WomanThe Name of The GameSuper TrouperHappy New Year
2005.09.15
9時半にKさん宅到着。食器洗いと簡単な床掃除。午前中はケーブルTVのHGTV (“Designing for the Sexes) とTLCの番組 (“A Makeover Story”)を一緒に観る。昼食はポークカレー。夕飯はご飯、鮭の南蛮漬、卵焼き(ひじき入り)、インゲンのごま和えを冷蔵庫に。午後からLさんが合流して、紀宮さまご婚約内定番組のビデオを観る(笑)。
2005.09.13
ボストンでの知り合いが切迫早産で入院と別の友達から連絡があった。その友達も状況を詳しく把握できる状態ではなかったらしく、次の日に知り合いのご主人に改めて連絡をしてからお見舞いに行くかどうか決めることに。その晩は切迫早産の思い出が次々と蘇って来てなかなか眠れず。次の日にお見舞いに行くことになって、義理の母に急遽ルナを頼む。結果的には、私の時より軽い症状で、今日退院できることになったとか。よかったよかった。でも、これから少なくとも2ヶ月近く自宅での安静が続くのだと思う。ツライと思うけれど頑張って欲しい。私もなるべく手伝いに行こうと思っている。
2005.09.02
実は某ABBAファンのコミュニティに参加しているのだが、そこに「一番好きなABBAの歌は何か?」という質問に対するコメントが延々と続いていて面白い。まあ、ABBAといえば何と言っても「ダンシング・クイーン」という人が当然多いのだが、意外に人気なのがANGELEYESという曲。恐らくこれはシングル・リリースにはならなかったと思うのだが、実は私のABBAベスト10にも入る好きな曲である。”VOULEZ-VOUS(ヴーレ・ヴー)”というアルバムに収録されている曲で、とにかく機会があったら聞いてみて欲しい。ダンシング・クイーンとママ・ミアとSOSしか知らなかったアナタが絶対にABBAのほかの曲も聴きたくなると思う。ちなみにこの”VOULEZ-VOUS(ヴーレ・ヴー)”のアルバム自体も秀作である。こう、ちょっとオタクっぽいABBAファンの方がいらしたらマニアックに意見交換したいんですけど、どなたかご存知ありません?(笑)
2005.09.01
毎週水曜日の"SO YOU THINK YOU CAN DANCE"。先週も書いたと思うが、これは男女8組計16名のダンサーが毎回くじ引きで決められた相手とダンスの種類による振り付けを一週間練習してパフォーマンスし、下手だった男女1名ずつが落とされて、さあ、最後に残るのは誰か?という内容なのだが、これがけっこう面白い。ダンサーはそれぞれ得意なジャンルというのがあって、その得意なジャンルのダンスを踊っている時は素晴らしいのだが、不得意な、あるいは全くやったことのないダンスをやると途端に戸惑ったりしてしまう。まあ、それでも期限までに何とか形にできるのがこの番組の求めているダンサーなのだろうけれど、私自身も経験がある。私はジャズダンスを始めて、その後にバレエもやって、さらにヒップホップもやった。新しいジャンルに挑戦するたびにまったく一からやり直しのような過程をたどった。語学も同じようなことに遭遇する。ある分野の英語はペラペラなのに、違う分野になると全然ちんぷんかんぷんになったり、普通の会話はできるけどニュースはよく分からなかったり。そういう意味では語学もダンスも奥が深いと言える。
2005.09.01
金曜日は昼に3人ランチというのをして、その足で小児科に行ってルナの体重測定をして、さらにその足で近くに泊りがけで出かけた。しかも、前日に急に翻訳の仕事が入り、仕方がないので旅先に一式を持って行って合間の細切れの時間を使ってせこせこと作業する始末。ルナが寝つくまでは部屋を暗くしていないといけないので風呂場でコソコソと作業したり(笑)起きていれば起きていたでじっとテレビを見ていてくれるはずなどなく椅子によじのぼって電気のスイッチに届こうと背伸びしたり引き出しを片っ端から開けて挙句の果てに指をはさんでびえーと泣き出したり朝方に私達のベッドに来たのはいいが、勢いあまってベッドから落ちてこれまたびえーと泣き出したりほんと、のんびりするつもりが、かえって疲れて帰って来た。とほほ。そして、今日は翻訳の締め切りにあわせるべくかーさん夜なべです。とほほのほ。こんなワタシに愛の手を・・・と書こうと思ったら「合いの手」と変換されてさらに脱力。はー、よいよいっと。
2005.08.28
アメリカのテレビ番組というのは面白くて、夏の間はほとんどが再放送になる。日本でも番組改編時期に特集番組をやったり再放送をやったりするが、その期間が長期にわたると思ってもらえればいい。そんな中で、FOX系でやっているダンス・コンテスト番組にハマっているわが家族。私達夫婦・・・というところだったが、ルナも今回から一緒に番組を観てパチパチと拍手したりしているので、「家族」ということにした(笑)。So You Think You Can Danceというこの番組、水曜夜の8時からの2時間枠。コンテストのルールは以下のとおり。男女各8名のダンサー達が毎回くじ引きでパートナーとダンスの種類を決める。ダンスの種類は、サルサ、社交ダンス、ヒップホップ、ジャズなど。それを2人でインストラクターの下に1週間、振り付けを練習してパフォーマンスする。自分の得意分野のダンスであればラッキーだが、必ずしも得意分野でなかったり未経験だったりすると不利になる。パフォーマンスの結果、良くなかったカップルが数組選ばれ、1人ずつ45秒間の「敗者復活戦」パフォーマンスをする。The Apprenticeでいうと、ボードルームでの攻防戦といったところだ。それを元に視聴者が電話投票をして、その結果によって翌週に男女一人ずつが落選していく、という仕組みだ。私はもともとダンスが好きなせいもあって、これはもうすごく面白い。それに、他のいわゆるリアリティ・ショーみたいに、足の引っ張り合いとか裏の駆け引きみたいな汚い部分が(少なくとも今の時点では)ないので嫌な気分にならずに見られる。いわば「アメリカン・アイドル(アメリカ版スター誕生←古っ)」のダンス版みたいなものだ。私とダンナのお気に入りはニック。彼はもうピカイチ。彼が優勝するのではないかと思うし、そうじゃなかったとしても、彼は絶対に他のルートでもメジャーになれると思う。この番組、観ているヒト、いませんか~???うふふ。これから水曜日は楽しみだ。・・・でも、マーサ・スチュワートのThe Apprenticeも観たいし、どうしよう・・・。ダンスを観て、マーサのは録画して続けて観るか。うーん。
2005.08.24
春先から右手の親指が腱鞘炎になっていてほとんど曲がらなかったのだが、先週半ばに病院でようやく患部に直接ステロイドを注射してもらって(痛かった~っ)一発で治った。んもー最初に病院に行ったのが4月半ばだったからほぼ4ヶ月である。日本だったら最初に行った時点で注射を打ってもらったかもしれないよな~と思うと、すごく時間を損した気がするが、まあ、このアメリカのシステムにも馴れた。アメリカでは具合が悪くなると、まずPCP(Primary Care Physician)に診てもらう。ホームドクターのようなもので、その医師が手に負えないものについては専門医を紹介(refer)してくれる。このルートを通さずにいきなり専門医に行ってしまうと、保険会社が治療費の支払を拒否したりするのでヒジョーに危険。今回も、まずPCPに診てもらい、レントゲンを撮られて骨に異常はないから市販の痛み止めの薬をしばらく飲みな、と言われ、それでも良くならなかったら電話をしてくれと言われて、良くならなかったのでリューマチ科の専門医を紹介してもらって、その先生も同じ痛み止めの薬を飲むように言われて患部を固定するためのサポーターをもらって、2回ぐらい会ってもよくならなかったのでさらに整形外科の専門医を紹介してもらい、ようやくぶすっと注射をしてもらったのである。こう、アメリカのシステムでは、(1)とりあえず市販の薬で治そうと試みる(2)それがダメなら処方箋薬あるいは専門の治療を施すと、2段階あるようだ。これは前にも書いたのだが、最初はせっかく医者に行ったのに市販の薬を勧められるのでは医者に行った意味がないではないか!と憤っていた。たとえば風邪を引いて医者に行ったのに、じゃあパブロン飲んでくださいとか、コンタック飲んでください、とか言われたらすごく頭に来るのではないだろうか。でも、市販の薬で済む程度のものなら市販の薬で済ませるよう、という考え方も納得が行く。おかげで私も市販の薬には成分までずいぶん詳しくなった。そういえば湿疹でひどい思いをした時も同じような感じだった。しばらくべナドリルやハイドロコルテゾーンという市販薬でだましだまし過ごしていたが、やはり治まらずにようやく皮膚科で処方してもらったステロイド剤で一発で治った。ルナもひどい湿疹の時は同じ市販薬の末、処方薬を出してもらったが、風邪にいたっては医師に電話したら「熱もなくて夜眠れないってわけじゃないんだったら薬はいらんよ」と言われて診ることさえしてくれなかった。でも、薬というのは市販薬も含めて副作用の危険が伴うものなので使わないに越したことはないわけで、このシステムも治るまで時間はかかるが、悪くはないと思っている。こちらの医療制度についてはいろいろ書きたいことがあるのだが、長くなるので(すでに長い)、今日はこの辺で。
2005.08.22
実家の母から届いた小包の中に「赤ちゃん日記」が入っていた。これは母が書いたもので、つまり赤ちゃんとはこのワタクシ。生まれたその日から幼稚園に入る頃ぐらいまでのことが書かれている。これまでにも何度か読んだことがあったが、子どもを持ってから読むとまた違った気持ちで読める。母が私を産んだ頃は、今の私より10歳も若く、子供を産んでもう一生懸命に育てている様子が手に取るように伝わって来て、はっきり言って可愛い。やはり10歳以上もトシを食って、しかも世の荒波に揉まれて面の皮が厚くなってからようやく母親になった私とは全然違う。昔にこれを読んだ頃は、親バカ丸出しの表記部分「検診に保健所に行ったら自分の子供が一番可愛かった(笑)」とか「これこれこういう様子がなんとも言えず可愛らしい」などといったところが印象に残ったのだが、今回、一番ウケたのは、父が会社から帰って来た時に私が寝てしまっていると、父はつまらないのだが、母としては「朝から一日中付き合ってやっと眠ってくれてホッとしているのにパパが起こそうなんて言うからカッとしてしまう」という部分であった。これを読んでるそこのお母さん、そうそうそうなんてうなずいてませんか(笑)。30年以上の時を経てもコドモとそれに翻弄される親の姿というのはほとんど変わらないもののようだ。ルナにも、この日記の記録を読む日が来たら、どんな感想を持つのだろう。その前にちゃんと、ひらがなカタカナ漢字を覚えさせないと(笑)。
2005.08.11
きょうはボストン市制375周年記念事業の一環としてヒップホップの無料ライブがあるということで出かけた。「ボストン市制375周年記念事業の一環」と「ヒップホップのライブ」というのは何だかイメージとして不釣合いだが。4時半開演だったのだが、ルナが気持ちよく昼寝をしていたので軽く食事を取るなどしていたら出かけるのが遅くなって着いたのは結局7時ごろ。というわけで、会場はすっかり盛り上がり。ヒップホップだから観客が皆黒人ってわけではないが、半分ぐらいは占めていたのではないかと思う。これが、日本人がこぞって行く夏のタングルウッド(音楽祭)やミュージカルなどになると、黒人なんてうちのダンナのほかに数えるほど・・・ってなことがほとんどで、ああ、これがアメリカの現実なのよね、とちょっと悲しくなったりして。まあ、それはさておき、市役所の前にあるだだっ広~いスペースに特設されたステージでは、観客から「お題」をちょーだいしてその場で即興のラップをやるパフォーマーが拍手喝さいを浴びていた。警備に借り出された警官までが感心して拍手をするありさま。(あたしゃ、何言ってんだかサッパリ分からなかったけど)次のパフォーマーは、歌う前に、「ボストンは各コミュニティーをよくするためにいろんなことをやっている」・・・と風貌に似合わず?殊勝なことを言っていると思ったら「ヒップホップのライブなんかさせてくれちゃうボストンって、かなりイケてるじゃーーーーーーーん!!!(意訳byELLIE/すずらん)」と叫んだ。いやはや、市長のメニーノおじさん、イケてます。ところで、ヒップホップ初体験のルナ嬢、最初は人の多さにびっくらこいていたがビートの利いた曲が流れたら、身体を左右に揺らしてお得意のダンスを始めた。ふぉーっほっほっほ。将来有望ざます。
2005.08.06
お友達のA子さんが着物を買いたいが一体何を揃えていいのか見当がつかないというので、デモンストレーションがてらマネキン人形に着付けて見せることにした。このマネキン人形、私が某大手着付け学校に通っていた時に着付けの練習用として買った(買わされた?)ものだ。しかも、わざわざボストンまで持ってきてるし(笑)。着物や帯は、これまた練習用に化繊の洗える素材の物を使って着付けた。これならルナがどんなにいじったとしてもヒヤヒヤする必要がない。案の定、ルナはこのマネキンと着物に興味津々で、ちょっと目を離したスキに着付け用の紐や帯締めの端を舐めるわ、着物のすそをめくってじっと隠れて見つかるのを待っているわ・・・大人の私には想像のつかない遊びを次々としでかす。でも、何だか感慨深かった。私が着付けに一生懸命になっていた頃は、OL街道まっしぐらで、子供がいる今の生活などとは全く無縁の生活を送っていた。あの頃は、幼い子供が紐や帯締めを舐めたり、着物のすそにすっぽりと隠れることなど全く想像もつかなかった。しかし、着物というのはいったんとりつかれると本当に麻薬のような魅力がある。私の着物熱はしばらく治まっていたが、つづらの箱を開けたとたん、熱は再燃してしまったようだ。危ない危ない。
2005.08.04
何だか日本で「いぬモニ。」っていうのがアイドルを目指しているらしい。はてなダイアリーで確認したら * ちびりん * ボン太 * さつま * ユキという名前のパグとブルドッグの犬なんだそうな。しかし、最初はモーニング娘。のメンバーが * ちびりん * ボン太 * さつま * ユキという名前で犬の格好をして活動するのかと思った。・・・ありえるとは思わないかい???
2005.08.04
最近どーも眠れない夜が多い。ルナに合わせて中途半端な時間に昼寝をしているからだろうか?今日なんてバレエのレッスンに行って心地よく疲れているのにちっとも眠れない。そして、中途半端な時間に昼寝をしているルナといつでもどこでも眠れるダンナはぐっすり寝ていて、ルナはともかく、ダンナには内心腹を立てている(笑)。本を読むにも、最近入手した本は翻訳の参考資料として求めた英文契約書関係の本と、翻訳のテクニックの本で、そんなもんを読んだらますます眠れなくなりそうだ。まあ、こういうときにはネット上をうろうろしてしまう。俳優の渡辺裕之が1億2千万円の詐欺に遭ったそうだ。本人には誠に気の毒だが、まず、1億2千万円ものカネがあったということ自体、すごい。30年かかって貯めたそうだが、我が家など30年どころか一生かかったって貯まらない金額だ。若貴兄弟の確執はどうも沈静化したようだが、杉田かおる騒動はエスカレートするばかり。金八先生に出演していた頃は清楚で可愛らしいイメージだったのに、すっかりスレてしまった彼女。離婚の理由なんて本当にプライベートなことだと思うがそれを電波に乗せること自体、ちょっと理解できない。・・・とまあ、日本を離れてそろそろ5年も経とうというのに、まだまだ日本の芸能ニュースには明るいワタシ。最近なんて、恐縮です!の梨本サンのブログまでチェックしている(笑)。
2005.08.01
タルタルソースなんて、自分の家では作れないと思い込んでいたのだがOutsmart Diabetesの本にレシピが載っていたので作ってみたらちゃんとタルタルソースの味になったので満足。低カロリーマヨネーズ 1/2カップレモン汁 大さじ1 1/2ピクルス(みじん切り) 大さじ1マスタード 小さじ2ケイパー(みじん切り) 小さじ2セロリ(みじん切り 好みで) 小さじ2私はこれにちょっとノンカロリー砂糖を加えました
2005.07.31
"Outsmart Diabetes"という糖尿病用の本に載っていたヨーグルトドリンクがなかなか美味しくてハマっている。レシピは次のとおり:ヨーグルトor牛乳 1カップ冷凍ミックスベリー 1/2カップバナナ 1/2本ノンカロリー砂糖 好みでこれだけでお腹がいっぱいになります。
2005.07.23
ロンドンでまた爆発事件があった。前回の爆発事件に関して、こんな見解があった。もし本当だとしたら、この筆者が書いているように、人類の未来は、暗い。
2005.07.21
ルナの安全な遊び場所を求めてハハは三千里・・・とまでは行かなかったが、それでもあちこち探したもんである。しかし、この辺りのビーチや公園はアホなオトナが酔っ払って割ったビール瓶のガラスの破片だとか、お菓子やファーストフードの袋などが散乱していてそれを拾おうとするルナとの攻防戦で疲れ果てていた私を救ってくれたのがなんと家の向かいのサッカーおよび野球競技場。時々地元の少年野球チームが練習をしていることもあるのだが、そうじゃなければ、だだっぴろい敷地がほぼ貸し切り状態。ゴミもスタンド席あたり以外はほとんど落ちていないし、とにかくなーんにもないのがありがたい。2往復ぐらいすれば私の良い運動にもなるし、ルナも「待て~待て~」とか言いながら適当に追っかければきゃっきゃと喜ぶ。転んでも痛くないし、障害物もないし。しかも、家の前だからすぐに行って帰って来られる。・・・早く気がつけばよかった。しかしなあ。1歳児にしてサッカー競技場を難なく2往復できるルナの脚力は末恐ろしい。
2005.07.18
いまさら、セカチュウである。今年の春頃に、日本で流行っている本だと日本人の知り合いから『セカチュウ、読みます?』と、本を渡されて、なんじゃ、それ?と思ったら、日本でベストセラーになった小説らしい。『世界の中心で、愛を叫ぶ』というタイトルだから、『セカチュウ』。なるほど。その後しばらくは育児の忙しさにかまけて読むこともなく本棚の上に置いたままになっていたのだが、最近になってプレイグループのママさん友達の間でドラマ化されたセカチュウのビデオが回りはじめ、私はまず映画版の方を貸してもらって観た。「映画の方は『ふーん』ってかんじ」というママさんたちの感想どおり、私も『ふーん』と、特に泣けて感動したということはなかった。最後に平井堅が歌うテーマソングに感動したぐらいで(笑)。でも、ドラマの方はなかなか良かった。まず、脇役をかためている俳優陣がベテラン揃いで良い。しかし、三浦友和はともかくとして、かつてトレンディドラマで主役級を張っていた松下由樹とか手塚理美などがそれぞれ教師役や母親役で出てきたというところに歳月の流れをしみじみと感じた。そして、高校生の主人公にではなく、これら脇役陣が演じる教師や親の気持ちに共感して涙する自分にも歳月の流れをしみじみと感じた(笑)。(そういえば、三浦友和は赤いシリーズで山口百恵が白血病で死んじゃうドラマに彼氏役として出演していましたね。ここにも歳月の流れを・・・・笑)恋愛に夢中で他のことは全部投げ出してしまうという主役の高校生にも現実味は感じなかったが、私もそういえば最初に付き合った高校の同級生には1年半ぐらい片思いをしていたんだ。大人になったら、「これがダメなら早めに切り上げて次の手を打たないと」などと、計算高く考えてしまうもので(笑)、純愛というのはやるとするなら若いうちじゃないと難しいのかもしれない。現実味はないけれど、このぐらい、恋愛に打ち込めたらいいな、という思いは誰の中にもあるのかもしれない。そこがヒットした理由なのだろうか。松下由樹の教師はハマリ役だった。こういう先生、いたよね。独身で男勝りでさばさばしていてあったかい先生。生徒の方では、お寺の息子。こういう、メガネかけてちょっと変な子も、必ずクラスに一人はいた。ストーリーはともかくとして、こういう脇の部分には妙な現実感があって、それも視聴者の共感を呼んだのかもしれない。たこ焼き屋のオヤジも良かったし、主役の男の子のお父さんもイマドキなかなかいない昭和のお父さんで良かったなあ。久々の日本や学校の情景も懐かしく、日本の学校で英語講師として働いていたダンナとともに懐かしく思い出した。人は死に直面しないと愛の重さに気がつかないのかという疑問があって、いわゆる「不治の病モノ」の映画やドラマは好きではないので、主人公の女の子が白血病で死んでいくという部分は好きになれなかったけれど、いま私が毎日迎えることのできる何気ない日常に幸せよりも本当にこれでいいのだろうかと疑問に思うヒマなどないのではないか、という気にさせてくれたのは確かだ。冬ソナと同じく、全話を2日で見切ってしまった今、夜明けを知らせる鳥の声が聞こえる(笑)。
2005.07.17
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