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今年も残すところあと1時間半。これまで4回連続で「表現」を取り上げてきたカウントダウンシーズ。2006年の最期を飾るジャンルは「曲」だ。今年出会ったベストな曲はどの曲か・・・・ずっと考えてきたが、「曲」という視点で見ると、この曲をベストとして挙げたい。今年一番のお気に入りだ。●What Kind Of Fool Are You? / SWING OUT SISTER
2006/12/31
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今年は改めて詞の力を再認識した年でもあった。以前ブログで紹介したこの詞に出会ったことも大きい。● あらためて古賀千春「鐘の音」映画編、ドラマ編でも触れているが、言葉の力は確かに存在していて、闇に閉ざされて彷徨う人の目を見開かせ、一筋の光明を与えてくれたりする。出会った言葉によって、その後の人生が大きく変わったというようなこともある。言葉自体はなんらかのことを言語で表現した結果でしかない。感動したり、目が開かれたりするのは、言葉自体に感化されるわけではなく、言葉という表現手段を使って伝えられたなんらかに受け手が感化されるからだ。そのなんらかの実体とは一体なんなのか?中島みゆきの「時代」の歌詞の中にこんな一節がある♪今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、 もう二度と笑顔にはなれそうもないけど・・・報われぬ愛であったり、破れた夢であったり、怯える自分自身であったり、人は誰でも内面の無意識に克服されぬままの屈託を持っている。しかしそれでもその屈託を打ち壊し、立ち上がって歩き出そうとする姿に人は共鳴し感動を覚える。♪今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩きだすよマジレンジャー風に言えば「勇気」というものなのかもしれないし、ボブ・ディランの言葉を借りれば「どこかに向かっている途中」に持つメンタルのことを指しているのかもしれない。誰もが内面で闇の瀬戸際に立たされたまま、そんなハートが開かれることを望んでいる。言葉には無限の表現があり、言葉で伝えるべき内容も世の中には無限に存在している。しかしそんな中、一体何を選択し、何を伝えようとするのか。それはアーティストの選択によって決まるものであり、アーティストの思想ともいうべきものが反映された結果となると思うのだ。言葉によって何を描き、何を伝えるようとするのか。2006年、古賀千春の「鐘の音」はその指針に改めて確信を与えてくれたように思う。
2006/12/30
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このブログでは「表現」をテーマとして扱っていきたいと、どこかで書いた記憶がある。その「表現」の最たるものの一つが、音楽におけるライブパフォーマンスではないだろうか。今年は例年に比べライブをよく観た年でもあった。意識してそうしたのだが、思惑どおりいろいろと発見もあり、刺激もあり、面白かった。そんな今年観たライブの中でベストパフォーマンスを挙げるとすれば、2月に渋谷アピアで観たカルカンエコーのライブパフォーマンスを挙げる。渋谷アピアは1970年にオープンしたアコースティック弾き語り系の殿堂的ライブハウスだ。それまでアピアに足を踏み入れたこともなく、場所もよく知らなかったのだが、かつてボーカル仲間がライブをやっていたということだけ覚えていて、特に出演者にあてもなく、ぶらりと立ち寄った。初めて入るアピアは、ステージの背景に新聞のニュースの見出しがコラージュされていたり、天井には怪しげな=前衛的な装飾がされていたりと、なかなか俺好みのよい場所であった。ボブ・ディランに代表されるような60年代~70年代の、音楽が先鋭であり、社会と共に歩んでいた時代のエッセンスがこの場所には引き継がれているように思えた。●リンク:渋谷アピアホームページ(余談)しかし残念ながら演奏する側の現代日本のアーティストが、例えば前々回にブログで触れたウディ・ガスリーやボブ・ディランのような、社会の矛盾に向けられたエッセンスを引き継いで昇華しているのかといえば、そのようなアーティストはかなり希少ではないかとも思う。音楽に限らず、日本という国では、社会の矛盾に向けられた目はことごとく少数派に追いやられ、孤立させられてしまっているように思う。社会の矛盾が矛盾のまま放置され続ける社会は、不健全な社会と言えよう。社会を構成しているのは他の誰でもなく、文化と社会が断絶しているなどありえない。話を戻す。カルカンエコーのライブパフォーマンスなのだが、そのクラッシクギターの弾き語り演奏について、かなりギターが上手いと思った。ヴォーカルも表現としてのメリハリを持っており、詞も曲も、カルカンエコー独特の世界を生み出していて、思わず観入ってしまった。しかし、ギターがどうだとかヴォーカルがどうだとか、詞がどうだとか曲がどうだとか、そんなことはライブの本質を語る上では抹消的なことであり、それ自体は評価の基準とはならない。評価の基準となるのは、そのライブパフォーマンスからオーラのようなものを感じとることができたのかどうか、ライブが終わった後でも心象に残り続けるようなパフォーマンスであったかどうか、そんなことが評価の基準になるのではないかと思う。もし音楽をやっている人がこの文章を読んでいるのであれば、N郎♪はかなり難しいことを評価の基準としているように思えるかもしれない。しかし今年のベストに選んだカルカンエコーのライブパフォーマンスからは、そんな難しいことがビシバシと伝わってきていたのは間違いない。受け手、観客はライブを観て評価をすればいいだろう。しかし送り手、パフォーマーはどうすればよいのか?俺自身もよく考えてみたいのだが、「表現に対する真摯な姿勢」それがキーワードとなるのではないかと思う。「表現」=表現者の存在価値そのもの、つまり「表現」に対して自分の存在価値そのものがかかっているような・・・「表現」すること自体が生きている意味であるような・・・そんなウソ偽りのないところでの積み重ねが、「表現」に対してオーラやインパクトを生み出すのではないかと思う。頭で考えただけでは出せるようなものでもないし、言葉で表すのも厳しい「表現」の領域だ。2月にアピアで観たカルカンエコーのパフォーマンスは、「表現」についてこんなことを考えさせられてしまうほど、ベストなライブパフォーマンスであったと思う。●リンク:カルカンエコー・僕の行くトコロ
2006/12/29
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『魔法戦隊マジレンジャー』第32話 「父の言葉~マージ・ジルマ・ゴル・ゴジカ~」脚本 大和屋暁監督 竹本 昇今年観たドラマの中でベストなドラマはズバリ、これだ。テレビでの放送は昨年の10月9日なのだが、本放送では見逃してしまい、今年になってDVDをレンタルして観ることが出来た。子供の頃、野球の試合でメンバーを外されて落ち込んでいる蒔人に、今はいない父親が声をかける。「蒔人、強くなれ。」父が残したその言葉の本当の意味を伝えるため、体をカビに蝕まれながらも蒔人は戦いに苦しむ兄弟たちの元へ駆けつける。父が残した言葉「強くなれ。」の本当の意味とは・・・・。この話、最初観た時には思わず泣いてしまった。そして2回目にDVDを借りてきて観た時、ストーリーを知っていながらもっと泣いてしまった。旗を振る蒔人のシーンを見ただけで涙があふれてくる。脚本のよさ、そして蒔人役・伊藤友樹の熱演あってのことだと思うが、なぜこれほどまでに感動してしまうのか・・・『魔法戦隊マジレンジャー』の凄いところは、単なるエンターティメントの領域を飛び越へ、ストーリの中に人の目を見開かせてくれるようなメッセージやテーマがこめられているということだ。苦しみや困難を乗り越えなければならないときの「勇気」、そして崩壊しそうな中で最期にはやはり守るべき「家族の絆」・・・それらがメインテーマなのだが、脚本はそういった狙いを柱として一年を通しぶれることなく作られている。他の戦隊シリーズもそうなのかと思って観てみたのだが、『魔法戦隊マジレンジャー』ほどメッセージやテーマを意識して作られた作品は他にはないのではないかと思う。何かに落ち込んで元気がでないような人は、是非ともこのマジレンジャーを観て欲しい。絶対に何かが開けてくるんじゃないかと真面目に思う。スーパー戦隊シリーズの大傑作『魔法戦隊マジレンジャー』の中でもこの話はベストエピソードだと思う。次点には第27話 「俺たちの絆~マジーネ・マジーネ~」 (脚本 荒川稔久)を挙げよう。<自ブログ>● DVD 魔法戦隊マジレンジャー VOL.12 ● DVD 魔法戦隊マジレンジャー VOL.11 ● DVD 魔法戦隊マジレンジャー VOL.10● DVD 魔法戦隊マジレンジャー VOL.9● 『魔法戦隊マジレンジャー VS デカレンジャー』の見どころ● 魔法戦隊マジレンジャーの音楽(2)● 魔法戦隊マジレンジャーの音楽(1)
2006/12/28
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ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」なんやかんややるべきことを持ち越したまま2006年も終わろうとしている。過ぎ去り行く2006年に名残を惜しみつつ、今年俺が出会ったベストな「表現」について、映画・ドラマ・ライブ・詞・曲と、5日続けてジャンルごとにコメントしていこうと思う。というわけで、まずは映画編。もともとあまり映画は観ないほうなのだが、今年は何本か映画館で映画を見ることができた。このシリーズにわざわざ映画を入れているのも、今年観た映画の中で特別コメントしたい映画があったからだ。それがこの映画。ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」監督 マーティン・スコセッシ2005.12~2006.5映画公式サイト今年1月に渋谷(青山)にあるシアターイメージフォーラムで観た。ボブ・ディランへのインタヴューを中心としたドキュメンタリー映画で、ディランが音楽と出会ってからの道のりを当時の貴重な映像と関係者のインタヴューを織り交ぜながら振り返っていくというものだ。ズバリとても印象深く、いいドキュメンタリー映画だったと思う。もう一度観てみたい。映画の中で語られたどのエピソードも印象深かったのだが、最も印象深かったのはまだ若きディランがフォークの神様・ウディ・ガスリーに会いに行った時のエピソードだ。ガスリーに憧れ、彼の歌を歌っていた若きディランは、はるばるニューヨークへ出向いてガスリーに逢いに行った。しかしガスリーは既に精神病院で寝たきりになっていて、ディランはショックを受けたという。そしてディランは「ウディに掲げる歌」を創った・・・。映画の中でインタビューに応えるディランの言葉一つ一つが深く、本質を突いており、惹き付けられた。「目標としていた場所に到達した・・・そう思うのではなく、自分はまだどこかへ向かっている途中なのだと思っているうちは大丈夫だ」記者会見でメディア側のくだらぬ質問に投げやりな返事をするディラン、フォークコンサートから大音量のロックライブへと変遷していく過程での観客の酷評とブーイングの嵐、そしてキング牧師の演説で有名な1963年のワシントン大行進の模様など、印象深く貴重な映像が盛りだくさんで目を奪われる。時代・社会とともに、確かに音楽は歩んでいた。3時間半という長丁場な映画のため、途中で休憩があったのにはびっくりした。シアターの観客は数えるほどしかいなかったが、間違いなく今年観たベストな映画だと思う。ディランの歌う「ライク・ア・ローリング・ストーン」のフレーズがいつまでも残り続けている。誰もが同じように「ノー・ディレクション・ホーム」=かえりみちのない道を歩み続けているのかもしれない。
2006/12/27
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先々週から2週間ぶっ続けで休みがなく、一昨日・昨日の土日は久しぶりの休みとなった。このところ忘年会をはじめとして師走の行事もあれこれ続いていて、先週はさすがにへたれ気味。メンタル的にもゆっくり休みたかった・・・。というわけでブログも2週間ぶりの更新となる。疲労回復を優先させ、課題も持ち越し状態に。引き続き順番にやっていこう。そんな状態ということもあって、日曜日の午前中は大宮の郊外にある市の健康ランドに行き、大浴場でゆっくりする。周りは爺さんばっかりだったけど、たまにはこんなのもいいかな・・・な~んて、浴室のガラスの向こうから差し込む太陽の光に目を細めながら思う。正月休み前にゆっくりするなんて・・・なかなかいいことかもしれない。で、本日月曜日。温泉なんかにゆっくり入った翌日って、逆に体が疲れて動かなくなるから不思議だ。そこからどう回復させていくかがポイントなのか?午前中は休眠モードのまま、身体も頭も切り替わらず。体と脳を活動モードに切り替えるため、昼に隅田川テラスを歩く。河に向かって身体を動かしながら散歩し、中央大橋を渡って、佃島へ。開かれた場所では人の思考回路も開かれるのか、東京のちょとだけ肌寒い12月末の風に吹かれながら、脳みそもいくらから動きだしてきたようだ。ところで佃島・月島ってなかなかおもしろそうなエリアだね。
2006/12/25
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12月はじめのご挨拶のなかで書いたように、毎週、「先週をふりかえって」と「今週の抱負」を書くことにした。別にこんなのは自分の日記に書いておけばいいんだろうけれど、ブログに書いてどういう効果が得られるのか・・・しばらく実験してみる。先週を振り返ってみると・・・これがまたよく覚えてない。記憶がないわけではなくて、これこれをやった!と自分自身に対して納得できるような何らかのことをやったのかどうか、思い起こせない。・・・きっと無自覚なまま過ぎていったんだろうね。となると今週の抱負は必然的にこうなる「これこれをやった!と自分自身に対して納得できるような何らかのことをやること」抽象的だけど、具体的な内容は人によって違うだろうから、敢えて抽象的にしておく。で、とりあえず俺の場合、今週はこんなことをやる予定。・前回と前々回のバンドの録音テープをCD-Rに焼いてメンバーに送付する。(以前気分がのらないって書いてた奴。「気分に忠実であってはならない」)・昨日書いたように「作詞の季節」・・・少なくとも3曲のうち1曲は今週書く!<雑談タイム>しばらくブログの更新がとだえていたブログ友の皆さんが続々と復活してきて、ちょっとびっくり。ブログの更新はされていないけれど、「元気です」ってメッセージを送ってくれた方もいて嬉しくなった。この時期なんでだろうな~12月だからなのかな~偶然なのかな~仮説1) 夏に体力を使ってブログ更新のパワーがなくなってきていたものが寒くなってきて回復してきた。仮説2) 12月に入り、今年も後わずかとなり、年賀状を書き出したりと、忙しい日常のなかで忘れていたものを振り返るる機会が多くなった。人のバイオリズムって季節と連動していると思う。春になればウキウキしてくるし、夏になればバカンス気分になるし・・・季節と関係があるのは間違いないと思う。これから冬が本番になる季節ってバイオリズム的にはどうなんだろうね。
2006/12/11
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別冊宝島 『昭和・平成日本「怪死」事件史』について書いてる途中だけれど、土曜日はバンドの練習だったんで一時中断。パークサイド、混んでたな~。秋の学園際シーズンも混んでたけれど、12月ってバンドをやるシーズンなのかな・・・。となりのスタジオで練習していたファンキーのバンド、かっこよかった。ジェームス・ブラウンやってたのかな・・・・。ファンキーやりたくなっちゃいました(笑)。で、前回書いたドラムのヨコちんもとりあえず落ち着いてホッとしてます。やるだけのことはやったとのこと。ドラムのプレイも力強かった。ライブの予定は延期になったけれど、まぁ来年の2月か3月には出来そうな感じなんで、楽しみにしている皆さんには顔向けできそうでよかった~。バンドではどういった系統の曲をやっているかというと、70年代ロックに近いような感じかな~。ギターのケンちゃんはツェッペリン好きだし。演奏予定の曲はだいたい決まっていて、そんなロックな曲が大半を占める中、鍵盤弾き語りのバラードも一曲やることに。これ、楽しみにしていてね(笑)あとは詞だね。これからは作詞の季節になると思う。自分のプロフィールには「歌詞とボーカルにはうるさい」って書いているから、実力をフルに発揮し、真剣に書くよ。勝負だね。
2006/12/09
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1985年8月12日、羽田発大阪行の日本航空123便が長野県境に近い群馬県の御巣鷹山に墜落した。乗員乗客524名のうち520名が死亡するという、航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出すこととなった。 『昭和・平成日本「怪死」事件史』に収録されている記事の中で、作家の安部譲二氏はこの事件について次のように語っている。「陰謀でもなんでもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」昭和・平成日本「怪死」事件史“疑惑の死”から見える 日本の「闇」と「タブー」 宝島社雑誌:66081-68ISBN:4-7966-5355-42006年7月1日発売定価840円この本に収録されている記事の中で最も衝撃を受けたのは、123便事件について安部譲二氏にインタビューした記事だった。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている安部譲二氏は日航の客室乗務員だった時代があり、123便事件についての著作もある。(『日本怪死人列伝』2002年 扶桑社文庫 )安部氏によると、事件があった当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転をしていて、テストのためにその「まつゆき」艦上から無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突したというのだ。「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。」自分はあまりに無知であった。今回この記事をブログに書くにあたり、123便墜落事件についてネットを調べていたのだが、この事件には多くの疑問や謎があり、安部氏が述べているような説はいまさら驚くような話ではなく、信憑性のある定説となっているようなのだ。●リンク:事故についての疑惑・謎次に挙げる二点により、安部氏が挙げたような説はかなり信憑性が高いと自分も思う。理由1 運輸省事故調査委員会が尾翼破壊の原因として挙げている圧力隔壁の破損について、様々な事実から、それに伴って発生するであろう急減圧が実際には発生していないことがわかっている。つまり尾翼が破壊された本当の理由が隠蔽されたままになっているということ。理由2 123便の破損した垂直尾翼の一部を「偶然」に護衛艦「まつゆき」が発見し、回収したということ。圧力隔壁の破損を事故原因とすることには日本航空三乗組も疑問を投げかけ、再調査を求めている。●リンク:日本航空三乗組 123便事故特集護衛艦「まつゆき」については、尾翼が落下した地点を予測して捜索した結果、発見したというのならまだしも、どこから出てきた言葉なのかは知らないが「偶然に発見」と表明している時点で相当に意図的なものを感じざるおえない。話を進めよう。123便は尾翼を破損しながらも、パイロットらの操縦努力によってなんとか飛行を続けることが出来た。そして静岡県焼津上空でUターンし、羽田に引き返そうとするが・・・・「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。本ではそこまで書けませんでしたけど。123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ。」以下のサイトを是非見ていただきたい。123便がどういった飛行経路をとったのかシュミレーションされていて、動的に理解できるようになっている。●リンク:日航機墜落までの航跡この経路をみれば明らかなように、123便は尾翼を破損しながらもなんとか飛行を続けることが出来ていたのだ。そして何らかの理由により山梨県大月上空で1回転し、再び横田基地方面へ向かっていく。しかし横田基地を目前にしてなぜか左へ急旋回し、御巣鷹山へと続く山岳部へ入っていくのだ・・・。「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません。」「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」ネットを調べていくと当時の週刊誌などの写真が掲載されているサイトもあり、目を覆いたくなるような墜落現場の光景に胸を痛めた。奇跡的にも4人の生存者がいたが、その中の一人、落合由美さんの証言にあるように、墜落直後にはまだ多くの人が生きていたという。●リンク:生存者の一人・落合由美さんの証言1994年9月25日放送のテレビ朝日「ニュースステーション」によると、米軍は墜落現場をいち早く特定し、墜落から2時間後に救難ヘリが現場に到着した。しかし、米軍の救難ヘリには突然の帰還命令が出されることとなる。その一方で日本のマスコミは、墜落現場は特定できていないと次の日の朝まで報道し続け、日本の救援隊が現場に到着したのはそれから14時間後のことであったという。これらの不可解な事実を結びつける隠された真相について、以下のサイトのPDFファイルに詳細に記載されている。安部氏は123便に衝突したのは無人標的機としているが、以下のサイトでは無人標的機ではなく、国産巡航ミサイルが衝突したと推測されている。巡航ミサイルが6分間もの間123便を追跡し続け、最期に尾翼に衝突したというのだ。説得力のあるその内容を読みながら呆然としてしまった。そしてその後に続く更に驚くべき内容にも・・・●リンク:日航機墜落事件の真相なぜこのようなおぞましい事件が起こり、そして事実は「闇」に葬られたままとなってしまうのか?・・・これについて、次回紹介する事件についても同じことが言えるのではないかと思う。
2006/12/08
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以前ブログに書いたように、いわゆる”東電OL殺人事件”について興味を持ったのは、渋谷の書店でたまたま立ち読みしたこの本の記事がきっかけだった。昭和・平成日本「怪死」事件史“疑惑の死”から見える 日本の「闇」と「タブー」 宝島社雑誌:66081-68ISBN:4-7966-5355-42006年7月1日発売定価840円”東電OL殺人事件”の記事について、正確な内容が知りたくて、この本を同じ書店で購入していた。”東電OL殺人事件”に関する記事は、風俗系文学作家・酒井あゆみ氏へのインタビューを、ライターの沼清氏がまとめたものだ。あらためて読み返し、よく出来た記事だと感心した。”東電OL殺人事件”に関する記事は6ページしかないのだが、その6ページの中に、酒井あゆみ氏の視点を通した被害者女性のイメージや、沼氏によるゴビンダ冤罪説の解説など、事実に正確に書かれていて、コンパクトにまとめられてる。酒井あゆみ氏は、自らもホテトル嬢など風俗の経験があり、現在その経験を活かしてライターとして活躍中なのだが、そういった彼女ならではの視点でインタビューに応えており、虚飾なきコメントに感心させられる。風俗をやっていると、お金が減るのが恐くなる。自分を守ってくれるもの、孤独を埋めてくれるものがお金だけになってしまうからです。・・・(中略)・・・セックス依存症・・・・・・。風俗で働いているだけで、そう見られてしまうことに驚きます。私見では、風俗業界に入る女性は、どちらかとえいば男性経験が少なく、恋愛も器用じゃない子が多数派です。・・・(中略)・・・風俗をやっている限り、客の数をこなすのが女としてのプライドです。彼女が安い料金で客や場所を選ばずにセックスしたのも、そのためだったように思います。たとえ客であっても、求められる相手が少なくなるのは、女として寂しさを感じないわけはないんです。そして最期に酒井氏は次のように被害者女性の感性を分析している。事件以来、『あんなエリート女性でもこんなことをやっているんだ』と、風俗に対する見方が変わっていった。そして現在、昼の仕事を持ちながら風俗でも働いている女性には『自分が特別な場所に身を置いていることが嬉しい』と思う感性があるように感じてしまいます。これまで私は風俗で働く女性を数多く取材してきましたが、その中には、高校教師とホテトルの二重生活をしている女性がいました。彼女は二つの顔を持つことで精神的なバランスが保てていると言います。東電OL殺人事件の被害者にもそういう感覚があったのではないか・・・・・と今は思うようになりました。被害者女性の行動の動機について様々な憶測があるが、机上論や虚飾と感じざるおえないような憶測も多い。そんな中、酒井氏の意見は同じ立場に身をおいたことがある女性の意見としてリアリティーがある。この説得力のバックボーンとなっているものは、自らの経験を含め、実際に風俗で働く多くの女性に接してきた取材経験ではないかと思うのだ。そんな酒井氏のコメントからは、人としての優しさと不条理に対する怒り、そしてわからないことはわからないという謙虚さを感じることができる。彼女の文章は、風俗嬢に対する偏見や誤解を解き、事実と真理に近づくための多くのヒントを提示してくれるように思える。●リンク:酒井あゆみ OFFICIAL HOME PAGE”東電OL殺人事件”について、この『昭和・平成日本「怪死」事件史』の記事をきっかけとして、はまっていったわけだが、それ以外の記事のいくつかにも興味を持った。そんな事件についてインターネットで調べていくうち、現代日本社会の「闇」と「タブー」に呆然としてしまう・・・・それらについて次回書く。<自ブログ>● きっかけ● 佐野眞一『東電OL殺人事件』(1)● 佐野眞一『東電OL殺人事件』(2)● 佐野眞一『東電OL殺人事件』(3)● 渋谷・円山町
2006/12/05
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レッズが優勝を決めた日の浦和の街の夜 つけめん亭前地元の浦和レッズがJリーグ優勝を果たした。Jリーグ当初の最弱チームが・・・とか、J2にまで落ちたチームが・・・とか、そんな話はもういいだろう。ここ数年、レッズはJリーグ屈指の強豪チームとして定着しているからだ。浦和レッズがこれまで獲得したタイトルを並べてみよう。2003年 ナビスコ杯優勝(リーグ総合 6位)2004年 2ndステージ優勝(リーグ総合 2位)2005年 天皇杯優勝(リーグ2位)2006年 リーグ優勝■幅広きサポーターレッズがここまでこれた最大の要因は、熱烈なサポーターのおかげというのは言うまでもない。大型補強を可能にした資金源もスタジアムを満員にするサポーターあってのことだ。そのサポーターであるが、老若男女、そして公私とも、本当に幅が広い。広大な畑作地域を何十分も自転車に乗って埼玉スタジアムまでかけつける小中学生、一家総出でスタジアムに出かける親子連れ、優勝争いにかけて野菜の値段に選手の背番号を付ける近所の八百屋さん。ウチの兄貴はただの真面目なエンジニアであるが、レッズの試合がある日には赤いレプリカを身に着け、ホームはおろか、遠くアウェイまで出かけて声援をおくることもある。他人の迷惑も顧みない独善偏狭な迷惑サポーターもいることはいる。がしかし、そんな独善偏狭とは正反対の幅広い支持を集めていることが、浦和レッズの強みなのだと思う。特定の層に偏らない幅広い支持。何をするにおいても、これは強みとなるのではないだろうか。浦和駅西口・伊勢丹デパートのたれ幕■コントラストJリーグ発足当時の一番人気は、日本代表のカズやラモス・北澤・武田を擁したヴェルディ川崎であった。若い女性ファンが多かった印象がある。そのヴェルディも今では2部に落ち、当時のような人気は見る影もない。チームというよりも選手個人に人気があったからこそ、それらの選手がいなくなった時、ヴェルディの未来は決定していたのかもしれない。当初は川崎をホームタウンとしていたが、本命は国立競技場であり、後にホームを移したように最初から川崎に骨を埋めようなんて気持ちもなかったようだ。浮動人気が必ずしも悪いわけではないと思うが、チームとしての本当の支持を獲得できぬまま、ヴェルディは落ちていった。Jリーグ開幕初年の優勝チームと最下位チームの現在は、痛ましいぐらい正反対の結果となっている。動かしようのないこの事実から、改めて多くのことを学ぶべきではないかと思う。■セオリーと実践浦和レッズが強豪に変身するエポックとなったのは、2002年のW杯日韓大会開催だと思う。W杯のため、現在の埼玉スタジアム2002は造られた。収容人数6万人を超える県のサッカー専用スタジアムをフルに活用し、潤沢な資金を使えるようになったことが、現在のような選手層のぶ厚いチームを作り出すバックボーンとなった。埼玉という、サッカー熱が高く、人口過密地域をホームタウンとし、Jリーグの理念を忠実に実践していったことが浦和レッズ成功の要因となった・・・そう考えた時、現在の浦和レッズの姿は当初から約束されたもののようにも思える。が、しかしその道のりは決して平坦なものではなく、イバラの道のりであった。当然ともいえるセオリーを当然のように実践していくことがいかに大変であり、そして重要なことなのか。頭で考えるのは簡単だが、それを実践し、結果を出していくということは、一つの隙も許されないような厳しいことなのだとも思う。浦和レッズが優勝した日、こんなことを思わずにはいられない。<自ブログリンク>● 浦和(その2)・サポーターズパラダイス
2006/12/02
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昨月中は大変お世話になりました・・・といってももう師走だし、本当の年末なんだよね・・・そこらへんの話はあっさり終わらせ(笑)、まずは11月最も感銘を受けたブログ記事から。■11月もっとも感銘を受けたブログ記事●影山ヒロノブブログ:2006/11/20 スーパー戦隊魂 (^▽^)vスーパー戦隊魂ライブに出演した日の影山ヒロノブの記事。ビックライブイベントが終わった日、彼は次のように書いている。「過去は過去。 大切なのは現在。 そして未来。」感慨に浸りながらも目線はしっかりと現在、そして未来へと向けられている。あの素晴らしいライブパフォーマンスの原動力はそんな現在・未来志向のメンタルからきてるんだろうね。「過去は過去。 大切なのは現在。 そして未来。」~誰にとっても同じだと思う。再度、学ぶべきところ多きアーティストだゼ。■11月検証ブログの投稿数は持ち直し、7月と8月の中間ぐらいのレベルに回復した。もちろん投稿数が多ければいいってわけではない。けれど、いろんな意味で自分自身の活動に対する一つの目安にはなっていると思う。大変だとか、やめておいた方がいいと思うようなことに対し、「出来ない」と言ってやらないのも一つの手だろう。だけど、チャレンジしていく過程の中で、効率のよい方法を編み出したり、無駄なことをやらなくなったり、やり方を変えてみたり、それまで気が付かなかった技術を発見したりと、手法は改善され、思いのほか出来てしまうこともある。回避するのか?チャレンジするのか?後者にはもちろんリスクがある。が、チャレンジなきところに進化も発展もない。避けていること、嫌だと思っていること、自信がないと思っていること・・・・敢えてそんなことにチャレンジし、新しい自分を切り拓いてみるのもエキサイティングなことだ。それはもしかしたら人生において最高の娯楽なのかもしれない・・・な~んていまさら言うような話ではないけど、日々の生活を繰り返していくうちにそんなことも忘れてしまっているのかもね。改めて気づかされた11月は価値ある月であった・・・かな。ところで、予告したネタの中から「最低5個は書く!!」って宣言したけれど、結果はどうであったか・・・5個には達していないような・・・最低ラインの70%ぐらいまでしか出来なかったけど、予想と結果とのギャップの原因はなんだったのか・・そんなことを考えた時、思考のいい材料になったとは思う。これ、開き直りじゃないよ、引き続きピックアップして書いていくから勘弁して(笑)。■そして今月も感謝で、マダムQさんの期待を裏切らないためにも、最期はやっぱりこれで締めなくちゃね。皆様、昨月中は大変お世話になりました。本月もどうぞよろしくお願いいたします。今年最期の月だけれど、1ヶ月サイクルで締めてきた効果もあってか、いまさらジタバタしたってしょうがないって感じだね。<追伸>で、またオオカミ宣言。1ヶ月サイクルをさらに細かくし、今月から1週間単位を導入する!これって、もともとの発想は、新年になると今年はなになにしようとか、昨年はどうだったとか、気持ちが改まって活性化するってことを利用し、だったらそんな機会が1年に12回あったらもっといいだろうっていう発想からきているんだけれど、理論上、1週間にしたらもっといいハズ。ブログっていうのはもともと日記だから、本当は毎日でいいんだろうけれど・・・まぁ、とりあえず今月から1週間に1回、初詣することにするよ(笑)
2006/12/01
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