お出かけ 北海道・東北・関東 0
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広島遠征2日目、早朝から広島駅の北にある本堂と庫裏が国の重要文化財の國前寺(こくぜんじ)へ。広島駅から新城島駅へ、そっから歩いて鯉城こと広島駅に。続いて、小学校の修学旅行以来の原爆ドームに。この北側に広島球場があってんな。43(キャラントトロワ)でモーニングを食べた後、国の名勝で、日本の歴史公園100選の縮景園(しゅっけいえん)に。そして、新しく出来た広島テレビ新社屋横の広場エキキターレのオープンイベント、エキキタにぎわいフェスタに行くと、新新御三家の城みちるさんが「イルカに乗った少年」やAKB48(!)を歌われました。自分の世代的には、城みちるさんは「風雲!たけし城」と「ちびまる子ちゃん」やけどな。パルコ横のアリスガーデンというイベントスペースに移動、チャーリーダンススタジオと、低燃費少女というアイドルを撮影した。その2組の前にはコスプレパレードが行われたんですが、それはこの日と翌日に広島県民文化センターで行われたポップカルチャーひろしまというイベントのPRの為で、会場ではPerfume、SU-METAL、鞘師里保、段原瑠々(Juice=Juice)を輩出したアクターズスクール広島のステージもあったが撮影禁止やった。広島三越「うえの」のあなごめしで遅めのランチをした後、16時からパルコのタワレコでmoumoonのリリイベに行ったら、思いのほか人が少なかった広島やからか?、13時の回は多かったんか?YUKA1人だけの弾き語りやったが、歌上手いし、綺麗し、ギター弾けるし、MASAKIいなくてもやっていけると思ったが、MCはいた方がええかな(笑)ポップカルチャーひろしまのゲストで、17時から竹内順子が来るけど、人多そうやし、明日仕事やし、観ずに帰りました。上坂すみれとか、逆に野沢雅子とかやったら行ってたかもしれんけど(笑)
2019.04.13
くーれくれ呉クレタコラ♪JR西日本の松山・広島割引きっぷ15,000円を使い、岡山まで新幹線、そこから特急しおかぜで松山まで、そして、バスで松山観光港、高速船スーパージェットに乗って、やって来たのが広島県の呉市。特急は充電し放題でWi-Fi使い放題やから、スマホいじり過ぎて酔っちゃって、松山の頃はヘロヘロに・・・。松山は1月に来たばかりで今回は完全スルーし、電車好きやから、当初は伊予鉄で行こうと思ってたが、検索すると船の時間に間に合わんのが判明し、駅出たらいたガラガラの観光港行きバスに飛び乗ると良い時間に到着、乗り物酔いの状態で船乗って大丈夫かと思ったが、全然快適やった。観たいとこ色々あったけど時間ないんで、今回は呉はスルー、この季節ならではの場所という事で五日市駅から広島の造幣局へ行き、花のまわりみちを見る。大阪の造幣局の桜の通り抜けと、ほぼ同じ内容やのに、こっちは人全然おらんくて、びっくりした行きはケチってテレ東のロケ番組なみに歩いたが、いいタイミングで止まってたし、空いてたから、帰りは送迎バスに乗った。晩飯は広島駅近くの電光石火駅前ひろば店で、電光石火っていう広島焼を食べる広島遠征1日目は、ほぼ移動に費やされたけど、高速船が遊覧船、クルーズ感覚やったから、良しとしよう。
2019.04.12
愛媛遠征2日目、暗いうちから伊予鉄松山市内線に乗り、田舎が高知なんで小さい頃に来たらしいが全く記憶に無い道後温泉へ行き、雪が降る中、足湯だけ入る(笑)周辺には、行基作の地蔵がある圓満寺や、全国に3例しかない八幡造の社殿が重要文化財の伊佐爾波神社とかがありました。道後温泉駅から余裕で歩ける距離にある隣の停留場には、日本100名城やけど、土塁と堀と復元武家屋敷くらいしかない地味すぎる(笑)湯築城がある。やっぱ松山で城と言えば、現存12天守で、建造物の現存数は二条城の28棟に次ぐ21棟の松山城!この日は松山城冬の陣のオープニングイベントがあり、書道家青柳美扇の甲冑書道パフォーマンスに、グレート家康公「葵」武将隊の演武を、観光という名の時間潰し(笑)の甲斐あり、ちょうど見る事が出来た。松山城へは行きはクソ寒い中リフトで、帰りは空いてたんでロープウェイを使った。松山城から下城すると、翌日の出初式のリハーサルを、たまたま見れてラッキー!ランチは松山駅構内にある安岡蒲鉾のうどん屋「かけはし」で宇和島名物「じゃこ天」が乗った松山のソウルフードアルミ鍋入り鍋焼きうどん今治駅に移動、四国八十八箇所55番札所の南光坊国の登録有形文化財の今治ラヂウム温泉を見てから藤堂高虎築城の日本三大水城の今治城に。宇和島城、大洲城、湯築城、松山城、今治城と愛媛の日本100名城を2日間でコンプリート!丸亀城、高松城、高知城も行ったし、四国で行ってへんのは徳島城だけになった。 notallのイベントがあるフジグラン今治の通り道に今治城があったんは、バリ助かった(笑)
2019.01.26
撮影可能なアイドルは貴重な存在なんで、ずっと気になってたnotallやけど、基本は東京やし、たまに関西に来てもこっちの都合と合わんかったりして、たまたま休みと愛媛遠征が重なり、JR西日本で岡山までの往復新幹線と四国の電車が特急も3日間乗り放題の「四国くるりきっぷ」17,000円という超お得な切符が期間限定で発売されていて、前から愛媛にむっちゃ行きたかったんもあり、notallと共に愛媛遠征が決定(笑)24日の木曜、仕事を終えて帰宅して風呂入って着替えて出掛け、新大阪駅に着いたらエキマルシェで翌朝用にお気に入りのパンデュースのパンと晩飯に割引していた肉々しい弁当を購入し、中学の修学旅行以来の新幹線に乗車、自由席なんで座れるか不安やったけど、全然空いてたし、Wi-Fi使えるし、充電できるし、青春18きっぱーを苦しめる姫路ー岡山間をあっという間に到着するし、まるでセレブになった気分(笑)初日は宇多津駅近くのネカフェに泊まり、翌日は貸し切りの始発(笑)で松山駅へ、そこからアンパンマン特急に乗り換えて宇和島駅に、そして前もって調べていた珍しい現存12天守の宇和島城の防火訓練にギリ間に合った。宇和島の名物は闘牛、牛鬼ですが、食べられるもんが良い(笑)って事で「ワカコ酒」でも紹介された郷土料理の料亭「ほづみ亭」で、平日限定鯛めし・さつまよくばりセット(1500円)をランチに頂く 城攻めはまだ続く、伊予大洲駅から歩き、4棟の櫓が国の重要文化財で、復元ながら木造で忠実に再現された美しい天守もある藤堂高虎ゆかりの大洲城へ。「銀河鉄道999」の松本零士先生は、この辺に疎開してたんか。近くには、朝ドラ「おはなはん」と「東京ラブストーリー」のロケ地もありました。伊予大洲駅から伊予市駅で降りて、わざわざ別料金を払って伊予鉄道に乗り換えて松前(まさき)駅の次の古泉駅で降りて、現場のエミフルMASAKIへ。イベ終了後は、再び伊予鉄道郡中線に乗って松山市駅に、そっからわざわざJR松山駅に歩いて行って、カレーショップデリーで今治のB級グルメの焼豚玉子飯をアレンジした焼豚玉子カレーを食べて、ふたたび松山市駅に戻って近くのネカフェに泊まる。
2019.01.25
岡山遠征2日目、吉備津神社、吉備津彦神社、国分寺は前に行ったし、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の作画監督の井上俊之、『おおかみこどもの雨と雪』の美術監督の大野広司、岡山県総社市のアニメ制作会社「えかきや」が手掛けたらしいJRの中吊りポスターに惹かれて、伏見、豊川と並ぶ三大稲荷を自称する数多の一つ(笑)、最上稲荷へ。JR西日本吉備線(桃太郎線)備中高松駅下車約2km、徒歩30分ほど、始発で行ったら日は登っておらず、田舎やからめっさ暗いし、今にも猪が飛び出してきそうな道を、おっかなびっくり歩き続け、ようやく辿り着いた参道の坂道を登ると、そこは猫達のパラダイスだった(笑)おもぶら2018 Winter@表町商店街11:00 オープニング11:10 ハートアップガール(岡山県アイドル)11:30 ë☆MONSTER(岡山県アイドル)11:50 まぜるなきけん(岡山県アイドル)12:10 りりこち(高知県アイドル)12:35 feelNEO(岡山県アイドル)13:00 楽しんご13:40 トッティ(香川県アイドル)14:00 フランチェンスカ(徳島県アイドル)14:20 andU(大阪府アイドル)14:40 ACE-PLACE(岡山県メンズアイドル)15:00 楽しんご15:30 Sha☆in(岡山県アイドル)15:55 エンディングわざわざ岡山まで来て、アイドル撮影(笑)ジョイポリス感覚で行ってみたが、岡山アイドルが軒並み撮影禁止で、やっと撮影できたんがニコニコ町会議をしてた8月の丸亀城で見た高知のアイドルりりこち。お笑い芸人らしいMCが撮影のレギュレーションを事前に告知してたけど、いい加減な感じで、動画撮影禁止の筈のandUの時に何も言わんかったし、楽しんごの時も何も言わんかったから撮影したけど、いきなり動画削除されたら嫌やなぁ。香川アイドルのトッティは写真OK動画NG、徳島アイドルのフランチェスカは多分オールOK?仕事で行けない翌日のおもぶらに出る話題の愛の葉Girlsや戦国舞将女が、この日同時刻に鼠先輩と共に出演してた「玉野港町通りXmas音楽祭」と、どっち行くか迷ったけど、入場料が1500円なのと、翌日の為に早く帰りたかったから、こっちにしたけど収穫は少なめやったな。
2018.12.22
残業時間70時間超えまっしぐらで疲労困憊の中、低所得者が遠出が出来る唯一のチャンス、青春18きっぷの期間を無駄にしない為に力を振り絞って出発し、2週連続でJR赤穂線に乗車し、2週連続で岡山に進出、備前市の日生駅に下車したにゃ。カキオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームSF作家の眉村卓が工場勤務し、作品にH町として登場する日生は広島、宮城に次いで出荷量全国3位を誇る岡山県の牡蠣の一大産地で、牡蠣お好み焼き、カキオコが名物。「お好み焼きもりした」では、お好み焼きに入れるには勿体ない大粒の牡蠣をゴロゴロ乗せ、半分を醤油味、半分をソース味で提供してくれて値段は千円!って、贅沢すぎるやろ、安すぎるやろ、美味すぎるやろボケ!(笑)デザートは陸のミルクと海のミルクの夢のコラボ、「五味の市」のカキフライソフト(300円)。からふね屋のエビフライソフトを知ってるんで、正直そこまで驚きもなく想定内でしたが、意外に合います。夜になると雨が降ってきましたが、晩飯は倉敷駅のアーケードにある「かっぱ」のトンカツを頂きました。こっちはソフトクリームはついてませんでしたね(笑)快活クラブで1番安いナイト8時間で泊まるには、早朝電車が無い時間に退店するのは避けたいんで、時間潰しの為に三井アウトレットパークに寄ったら、アローズで良い感じのコートがめっちゃ割引してたから、荷物になんのに、もしもの時の旅資金やのに、現金で衝動買いしてもうた。
2018.12.21
出費を抑える為にナイト8時間、日の出前にネカフェを出たものの、東西南北格子状の道に慣れ親しんだ自分にとって、福山城と鞆の浦以外は未開の地の福山は勝手が違って、暗いし、頭が寝てたし、歩きスマホをしない主義なのもあって、壮大に迷子(笑)になって30分位ロスしたが、西日本豪雨の被害と思しき景色の中を山陽線に揺られ、なんやかんやで厳島神社に到着、奈良で鹿は見飽きてるけど、海岸におるんと、観光客を襲わない鹿は新鮮やった(笑)もみじ饅頭より箕面の紅葉の天ぷらの方が好きな性質やけど、紅葉堂の揚げもみじは予想外に美味かった。ふじたやのあなごめし2500円。時間もお金もあんま無いのに、大幅にロスした(笑)青春18きっぷで広島から帰るのは容易ではないって事で、昼飯の後は移動に費やし、晩飯が倉敷美観地区の三宅商店で三宅カレー&日替り手作りケーキセット1400円。写真やと、ハンバーグっぽいですけど(笑)残業続きで計画を立てる時間が無く、行き当たりばったり感が強かった今回の旅、翌日からの残業ウィークに備えて早く帰りたいという気の焦りと、スマホの電池が無くて乗り継ぎの検索も出来んかったから、周りに何も無い三石駅で40分以上足止めを食らう事に・・・。青春18きっぱーにとって魔のゾーン、新幹線に乗らない人を蔑ろにする普通電車の少ない岡山ー姫路間、どっちにしろ40分以上足止めは必然とは言え、急がば回れで岡山駅周辺でスマホ充電して時間潰した方が利口やったわ。
2018.12.15
「岡山ジョイポリス×IDOL合同定期公演 Vol.68 最終回~4年と2か月ありがとう感謝祭~」1部 11時~ / 2部 14時~ / 3部 17時半~ / GP 20時~|観覧無料|【出演】 りりこち、虹色★STAR、大阪24区ガールズ、ONE(RAMU)、Re:Jewel、ミライノート(1部・2部)、ポムリップ(1部・2部)、純情セレナーデ(1部・2部)、ももたまX(3部)、feelNEO(3部)前週が香川遠征で、今度は岡山遠征、まるで高知のアイドルりりこちと虹色★STARの追っかけやな(笑)そもそもはニコニコ町会議目当てに丸亀行き決定、ついでに地方アイドルも観ようと、りりこちに出会ってHP見たら、翌週に色々なアイドルと無料イベントをやると知り、最終回というフレーズにも惹かれて、今回の岡山遠征が決定した。9月のジョイポリス閉店に伴う最終回って事みたいですが、岡山には青春18きっぷ期間くらいしか行けんとは言え、岡山のみならず鳥取や高知、大阪のアイドルを撮影できる現場を、今まで見過ごしてきたことが非常に悔やまれるなぁ香川遠征に続き今回も日帰り青春18きっぷなんで、2部で現場を後にして、昭和25年創業の冨士屋でラーメンを食べて帰りやした
2018.08.26
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!おれは 青春18きっぷで某うどん県M亀市に行ったと思ったら 高知県のような所にいた な… 何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何をされたのか わからなかった… 高知のよさこい祭り的な「まるがめ婆娑羅まつり」のこの日は、ニコニコ町会議も同時開催され、その会場の目と鼻の先の丸亀城大手門広場で行われたサマーフェスタ!では、高知家アイドルりりこちと虹色★STARがライブしてて、丸亀が高知に侵略されとるやん(笑)
2018.08.19
四国村の横にある屋島神社は慶安5(1652)年、高松藩主松平頼重が本門寿院境内に社殿を建立し、東照宮の神霊を奉斎したのに始まり、第八代藩主頼儀が左甚五郎の子孫に、風光明媚な屋島山麓に社殿を造営させたそうです。昭和48(1973)年に、本殿と拝殿が焼失しましたが、見事な彫刻の唐門は幸い火災を免がれる事が出来ました。とっても見晴らしが良かったんやけど見晴らし良過ぎて、暑くて死にそうやった当初は四国村の「わら家」で、うどんを食べようと思ってたんですが、一鶴が屋島にもあるって知らんかったから見つけてテンションが上がり丸亀本店で食べたし、大阪にも2店舗あるのに衝動的に入ってしまいましたこれぞ香川名物骨付鳥前回は「ひなどり」だったので、今回は「おやどり」にしました。ビールに合うわ観光駅長ポンナってのが、JR屋島駅にいましたが日本三名狸に数えられている屋島寺の守護神屋島の禿狸に因んだキャラのようです。『平成狸合戦ぽんぽこ』の元ネタ阿波狸合戦を仲裁した凄い狸らしい。高松まで青春18きっぷで来たので今回、屋島や栗林公園に行くのにもことでん高松琴平電気鉄道は使わずにJR高徳線を利用した。ここもディーゼルやねんな。マリンライナー♪マリンライナー♪ライナーライナー♪岡山と高松の移動に使ったのは、これで2階建ての1両目は、指定席でした。京阪電車の2階建て列車やったら普通料金で乗れんのにな最後は、お待ちかね?のお土産紹介日本庭園巡りと共に、最近のマイブームの地サイダーですが、今回は小豆島オリーブサイダーそして、香川と言ったら、やっぱアレでしょ!さぬきビールと、軽くボケてみましたが、やっぱり讃岐と言えば、うどんですよね。うどんアイス食べた感想としては、ぶっちゃけうどんが入ってない方が良いと思いましたがほんまもん緑茶香川県産の一番茶を100%使った茶葉の原産地にこだわっている緑茶だそうですが、商品名が香川というより、大阪っぽい天然水割り麦焼酎竜馬ぜよもちろん香川ではなく、高知の菊水酒造の商品ですが
2010.09.08
高松観光続いては、那須与一が扇を見事に射抜き、源義経が弱い弓だと知られたくないから死に物狂いで、拾った事で知られる屋島の戦いの舞台、屋島にある四国村四国村に入って、まず迎えてくれるのがミニサイズの祖谷のかずら橋低いから最悪落ちても、濡れるだけやからそんなに怖くなかったけど、めっちゃ隙間空いてるし、やたらミシミシゆうから本物は絶対に渡れそうもないな四国村の正式名称は、四国民家博物館で文字通り、5万平方メートルの敷地に江戸から大正期にかけての古い民家を四国各地から移築復原した野外博物館です。愛媛県の南の急斜面に建っていた旧河野家住宅標高1000mのところにあった旧下木家住宅砂糖しめ小屋、醤油蔵・麹室が重要文化財の他ほぼ全ての建物が、なんらかの文化財の指定を受けているそうです。日本の灯台の父リチャード・ブラントンが設計した旧鍋島燈台退息所と旧江埼燈台退息所ですが江埼燈台は四国ではなく、淡路島なんですけど阪神・淡路大震災で被害を受けた為こちらに移築し、復原保存する事になった。愛媛県松山市にあった旧クダコ島燈台退息所は屋根が瓦葺である以外は、外観は洋風なんですが中身は完全に和風でした四国村の出口の横に、かなり浮いてるティールーム異人館という喫茶店は元は神戸市の北野町に建っていた異人館だそうです。そして、その前にあるポストというのが夏目漱石がイギリス留学中に投函したポストらしいです
2010.09.07
水原茂、三原脩中西太を輩出した高松市の観光で絶対に外せない場所と言えば栗林公園(りつりんこうえん)ミシュランのグリーンガイドに、四国で3つ星を獲得したのは、道後温泉とココだけ昭和天皇が御手植えしたものは落雷で枯死したそうですが、大正天皇やエリザベス女王の伯父エドワード8世が御手植したものをはじめ、松だらけで栗林公園と言うより、松林公園やん現存する鴨場では、日本最大の栗林公園ですが鴨猟の妨げになると、栗林は切り払われたとか元は、九代藩主松平頼恕が、十一代将軍の徳川家斉から賜った盆栽だったと云われる根上がり五葉松です。栗林公園は約370年前、高松藩主の生駒高俊が別邸を築いたことに始まり、黄門様の兄松平頼重が本格的な造園に着手、その後5代松平頼恭の代まで、約100年かけ完成させた庭園だそうですその努力の甲斐あって、特別名勝の庭園は京都に13、全国に23ありますが四国ではここだけそして、全国で194箇所ある文化財に指定された庭園の中で、東京ドーム16個分総面積75haの栗林公園が、最大だそうだ。富士山に似せて築山された飛来峰にある鶏林石は、薩摩藩主島津公から贈られた朝鮮産の石らしい。それから、かの有名な平賀源内がこちらで薬草採集班頭取をしてたそうです
2010.09.06
さて、今回の城攻めは、瀬戸内海を越え四国に上陸すると、讃岐富士に迎えられシンボルタワーが聳え立つ香川県高松市にある三大水城の一つ高松城に(゚∀゚)キター!万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に玉藻よしと詠んだことに因み、別名は玉藻城です。高松城跡は現在、入園料200円の玉藻公園となっていて、北之丸月見櫓水手御門、渡櫓、旧東之丸艮櫓が現存しいずれも重要文化財に指定されてます。大正時代に再建され、昭和天皇がお泊りになった披雲閣は、高松市の指定文化財だそうです。そして、公園全体は石垣ともども国の史跡に指定されているので落書きするのは、止めましょうミスト扇風機生き返るわ~お庭の方も、気化熱が周辺の温度を3℃程度下げるミストが噴射され、歩いて実際に涼しいだけでなく見るからに涼しげで、良い演出だと思った。高松城の城主は、生駒氏が4代54年間続くが御家騒動があった為、水戸黄門のお兄ちゃん松平頼重がやって来た後その子孫が11代228年間治めた。高松市民の悲願、天守閣再建に向け天守台の石垣は修理中という事で楽しみやな~鯛願成就?普通、餌やりと言えば、鯉ですけどこちらは鯛らしく、なおかつ餌をやると、願いが叶うらしいです。お堀に、黒い魚群が泳いではいたんですが鯛かどうかは、識別できへんかった玉藻公園の横のフェリー乗り場から鬼ヶ島のモデルと云われる女木島に行けるんですけど、今回は時間が無くまたの機会という事にしました。
2010.09.05
青春18きっぷなので、このうずしおには乗ってませんけど丸亀城こんぴらさん香川の二大観光地に行った今回の小旅行ですがマニアックな場所にも、足を運びました丸亀駅駅前のシャッター商店街の一角にあるこちらの妙法寺は、与謝蕪村が滞在してた事から、蕪村寺とも呼ばれる。重要文化財の蕪村の『蘇鉄図』ほか5点を所有してますが、普段は公開されてません妙法寺から少し歩いた所に、京極氏の前に丸亀藩主だった山崎家代々の菩提寺である寿覚院がありました。墓地には、丸亀城の石垣を築いたといわれる名工羽坂重三郎や四国で最初の種痘を実施した医師河田雄禎の墓もあります。桃山時代に建立された観音堂は市指定文化財となっている。寿覚院から道を挟んだ所には、丸亀藩主京極家の菩提寺の玄要寺がありました。京極氏と共に大津、小浜などに移転続けた後万治元(1658)年、丸亀に移ってきたそうだ。5歳の息子の高房を、藩主・高和の養子に出した時の別離の悲しさと出世の喜びを綴った「涙草」という手記を書いた事で知られる京極伊知子と家老の多賀宮内常良夫妻の墓です。その後、高和に実子の京極高豊が誕生して高房は藩主になれず、34歳の若さで亡くなったそうです小説の魔界転生でお馴染みの田宮坊太郎の仇討ちで知られる田宮坊太郎の墓。実在が疑問視されてる人物なんですけどね流石、四国!おへんろさん休憩所なんてのがありました丸亀港の近くに、裸一貫から大商人となった寄進者の塩原太助の名を取って太助灯籠と呼ばれている金毘羅参詣の船の目印となった灯台がありました。その横には、幕府勘定方の接待などで太助灯籠完成に骨身を削った瀬山登という人物の銅像があった。丸亀の名産は、うちわですが、うちわの作り方を伝えたのもこの瀬山登という人らしいさて、興味のない人には退屈なお寺や歴史の話はこれ位にして、お待ちかね?のグルメレポートですが、香川に来て讃岐うどんってのも普通すぎる別に、普通で良いと思うんですけど讃岐うどんと違い、全国区ではないものの香川では、讃岐うどんと並ぶ名物に骨付鳥というのがあると知り、どんなんやねん?と有名店の一鶴に足を運んだ。これが、骨付鳥です!少し固いが、通好みな味の「おやどり」柔らかく食べやすい「ひなどり」がありましたが、ビギナーなので、ひなどりでさて、お味の方ですが美味いっ!ただ、かなりアブラギッシュなのでランチには、ヘビー過ぎる昼間だし、少しケチって、飲みませんでしたがビールと、めっちゃ合いそう。往復1時間半の駆け足での参拝でしたけどこんぴらさんなんかに行ってしまったので時間がなくなり、讃岐うどん食べれなくてお土産には、これを購入しました。丸亀城に登りこんぴらさんに登り翌日、もしくは二日後、ヤバいかも?と思ったけど、全く平気やったまぁ、毎週のように、城に登ったり山に登ったりしてるからな
2009.09.15
せっかく香川まで来たんやし、ついでやから急遽、こんぴらさんにも行きましたしかし、こんぴらさんに行くつもりは無くのんびりと丸亀城周辺見物してたからあんまり時間あらへん梅宮辰夫なんかにゃ構ってられへん酒も飲んでる暇あらへんでも、しょうゆソフトってのが売ってたのでついつい買って、食べてしまいました参道には沢山の土産物屋が並んでいて色んなもん売ってましたね~。猫のぬいぐるみ売ってる!・・・と思ったら、商品の草履の上で昼寝をしているニャンコでした鳥居の横に、重要有形民俗文化財の備前焼で出来た狛犬がありました。こちらも重要有形民俗文化財の灯明堂で安政5年(1853)、備後国因之島浦々講中の寄進により、船の下梁を利用して建てられたそうです。石段を365段登ると、ようやく入り口の大門に到着しました。大門を入ると、神社公認の五人百姓と呼ばれる5人の女性が、名物の"飴"を販売してました。大門の手前にあった青銅大燈籠も重要有形民俗文化財です。湯村輝彦デザインの犬の銅像。江戸時代、こんぴらさんに参る事は、庶民にとって一生に一度の夢でしたが、今みたいに車も電車もないので容易ではなく、旅慣れた人に代参してもらったりしてましたが、人ではなく飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費を入れた袋を首にかけた犬の代参もあったそうです犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたらしい。サバンナゾウ?マルミミゾウ?どちらか分かりませんけど、象の像もありましたこちらは、本物のお馬さん神様がお乗りになるための神馬です。エサを食べるのに夢中で、顔を上げてくれませんでした重要文化財の書院。中には、同じく重要文化財の円山応挙の障壁画がある。やっと着いた!って違うんかい森の石松も、本殿と勘違いした重要文化財の旭社です。因みに、森の石松は、清水次郎長の代参でした。旭社から少し、785段の石段を登りきりようやく、本宮に到着しました燃え尽きた・・・真っ白になでも、すげー達成感あるなせっかくなので、本宮でお参りを健康で過ごせますようにこれだけ登れたら十分、健康やけど
2009.09.14
完成から22年目にして、ようやく瀬戸大橋デビュー!JR瀬戸大橋線に乗り、香川に行ってきました。岡崎よりも香川の方がもしかして近い?という事に気付いていまい、やって来たのはとくダネ!コンビ小倉智昭と中野美奈子の出身地である香川県丸亀市の丸亀城。丸亀城と言えば、石垣の美しさで知られる。総高60メートルの石垣は日本一の高さだそうです三の丸まで登ってみると、『UDON』に登場した讃岐富士と呼ばれる飯野山が見えました。綺麗な山やね丸亀城は石垣の高さに反して、江戸時代以前から残っている現存12天守のうちでは最も小さい確かに小さいなこれと、ちゃうんか?可愛い天守閣やな一国一城令により破却の危機となるが、時の藩主の生駒正俊は、要所要所を樹木で覆い隠して破却を免れたそうやけど、この大きさやから隠せたんやろうな登っても大して変わらん感じやけどやっぱり登りました瀬戸大橋とゴールドタワーや!丸亀城 posted by (C)YOSHIYU機丸亀の名産品は、うちわという事でこんなストラップが売ってたので思わず買っちゃいました天守閣と同じく、こちらの大手一の門は重要文化財に指定されていて、しかも天守閣と違って、無料で内部見学できます。その他、大手二の門も重要文化財で藩主玄関先御門・番所・御駕篭部屋・長屋は県指定有形文化財となってます。怖っ!でも、最近って書いてあるけど、この看板明らかに古いやん更に、こんな立て札も発見しました。男700M男800M右に行こうが、左に行こうが、男なんてギャルに通じる道は無いんか?
2009.09.13
郷土資料館 posted by (C)YOSHIYU機高梁基督教会から少し離れた所にある市の重要文化財で、明治33年建設の高梁尋常小学校を利用した郷土資料館にも寄る。郷土資料館 posted by (C)YOSHIYU機えっと、撮影は禁止ですこれ、1枚撮ったところで、注意されました郷土資料館 posted by (C)YOSHIYU機いや~映画って本当に良いもんですね阪神タイガース生みの親の師匠の師匠山田方谷先生と同じく、水野晴郎さんも高梁市出身だそうです。男はつらいよ posted by (C)YOSHIYU機だからなのか?、この高梁市は何度か映画のロケ地となっていて『男はつらいよ』シリーズでは『寅次郎恋歌』『口笛を吹く寅次郎』2作品で舞台になっています薬師院 posted by (C)YOSHIYU機寅次郎の妹さくらの夫の博の実家がこの高梁にあるという設定らしい。備中高梁駅や紺屋川筋、そして薬師院という寺で撮影されたようです。薬師院 posted by (C)YOSHIYU機花山法皇の開基と云われ、1624年建築の薬師堂は県指定重要文化財となってます。『口笛を吹く寅次郎』では、博の亡父の墓がある蓮台寺として登場している。薬師院 posted by (C)YOSHIYU機寅さんは、この寺の和尚(松村達雄)と仲良くなり和尚の娘・朋子(竹下景子)に恋心を抱く。ここに、あの三択の女王が!薬師院 posted by (C)YOSHIYU機でも、その映画観てへんからいまいちピンとこんな松連寺 posted by (C)YOSHIYU機薬師院の隣には、格天井と舟戸が重要文化財で、城主の三村元親が自害したという松連寺がありました。松連寺 posted by (C)YOSHIYU機備中松山城の砦の役目として造られたそうで堅固な石垣の上に、建っています。高梁高校 posted by (C)YOSHIYU機武家屋敷近くにあった高梁高校は『バッテリー』のロケ地となったらしく個人的には、こっちの方がテンション上がったそれから、タクシーやシャトルバスの無い江戸時代の頃、備中松山城は不便すぎるのでこの場所に御根小屋というのが作られ藩主が居住し、政務を行ったそうです。にゃんこ posted by (C)YOSHIYU機『県庁の星』のロケ地となったスーパーもあるそうなんですが、山道で疲れた体であの映画の為なんかに、体力を使う気にもなれず観に行かにゃかったですけどね松連寺 posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.04
頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機武家屋敷の近くには、備中松山城の城主の上野頼久と、その次の次の城主となった三村家の墓がある頼久寺があります。頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機足利尊氏が、後醍醐天皇らを弔う為に聖武天皇の国分寺のように、一国に一つ設けた安国寺の一つです。その後、上野頼久が寺を整備した事から安国頼久寺と改称した。頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機この寺の見所は、市指定重要文化財の石灯籠が建ち、国の名勝となっている小堀遠州の庭園頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機蓬莱式枯山水庭園で、愛宕山を借景とし白砂敷の中央に鶴島、後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み書院左手の山畔に沿ってサツキの大刈込みで青海波を表現したお庭です。頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機遠州の父は、関ヶ原の戦いに東軍として現在の大河では、北村一輝が演じる上杉景勝を征伐しに行った悪い奴なんですが、その功績により備中松山城を与えられた。頼久寺 posted by (C)YOSHIYU機でも、その頃の城は荒廃していたのでこの寺に住んでいたそうです。可愛い十二支の石像がありましたが虎を見つけられんかったtakahasi 122 posted by (C)YOSHIYU機頼久寺の近くには、日本の道100選で備中高梁の観光の目玉の紺屋川筋があり咲き始めの桜並木が続いていた。かつては、備中松山城の外堀だったそうです。takahasi 128 posted by (C)YOSHIYU機その通りには、同志社大学を創設した新島襄の布教活動により、増えた信者達によって明治22年に建てられた高梁基督教会があります。岡山県下最古の教会で、県の重要文化財となっています。雛人形 posted by (C)YOSHIYU機通りにある土産屋では、雛人形が飾ってましたがこの高梁市は、雛人形の胴体部分の全国の7割を製造してるらしいこの週末には、町屋通りの雛まつりが行われ周辺の町屋では、雛人形が飾られるそうです。にゃんこ posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.03
高梁市 posted by (C)YOSHIYU機ボヘミア~ン♪葛城ユキの出身地の岡山県高梁(たかはし)市の備中松山城を観た後しばらく桜咲く、田園風景の中を歩き高梁市 posted by (C)YOSHIYU機水車などがある中州公園を通って行くと高梁市 posted by (C)YOSHIYU機幕末期に、借金だらけの備中松山藩を財政改革により、裕福な藩にチェンジした山田方谷の牛麓舎跡がありました。こんな人に、総理して欲しいな旧折井家 posted by (C)YOSHIYU機更に、しばらく歩くと、武家屋敷が並ぶ石火矢町ふるさと村に辿り着いた。山田方谷の教えを受けた人物には明治三大文宗の三島中洲と川田甕江十八代目・中村勘三郎襲名記念時代劇「河井継之助 駆け抜けた蒼龍」や大河ドラマ「花神」で知られる河井継之助などがいる。 旧折井家 posted by (C)YOSHIYU機河井継之助のもとで、北越戦争を戦った人物の中に阪神電鉄初代社長の外山脩造がいた。深手を負い、死を悟った継之助は外山寅太(脩造)を枕元に呼ぶ。旧折井家 posted by (C)YOSHIYU機「寅や、もう武士の時代は終わる。 これからは商人の時代がくる。 推挙状を書いておいたので、慶応義塾の 福沢諭吉に学んで、お前は立派な商人になれ。」その遺言に従い、脩造は阪神電鉄社長になった訳で 山田方谷は、阪神タイガース生みの親の恩師の恩師という事になるな旧折井家 posted by (C)YOSHIYU機江戸時代後期に建てられた旧折井家は入館料400円、商家資料館と郷土資料館との三館共通券700円で見学できます。入り口の人形は動くので驚かないように!旧折井家 posted by (C)YOSHIYU機庭には、甲冑や火縄銃などが展示している資料館がありました。旧埴原家 posted by (C)YOSHIYU機江戸時代中期の建築物で、市の重要文化財に指定されている旧埴原(はいばら)家も見学する。旧埴原家 posted by (C)YOSHIYU機よくは分かりませんでしたが、寺院や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りとなってるそうです。旧埴原家 posted by (C)YOSHIYU機それにしても、岡山県とは言え、タクシーの運ちゃんとかが、元阪神のコーチの達川さんみたいな喋り方の広島カープ色の濃い地域でタイガースの恩人に出会えるとは思わんかったなぁ高梁市 posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.01
備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機日本各地には、数多くの城がありますけど、当時のままの天守が残っているのは、全国で12だけその中で唯一の山城である松山城に行ってきました。備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機高梁(たかはし)城とも呼ばれる松山城ですが愛媛にも松山城があるので、一般的には備中松山城と呼ばれています。JR伯備線の備中高梁駅で下車し、駅前にある観光案内所で、松山城への行き方を尋ねるとバスは無く徒歩で1時間半備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機ちょうど、岡山から来た年配の方も松山城に行くという事なのでタクシーを相乗り1250円かかる所が、割り勘で600円だったので、助かったな~あっ、25円おごってもらいました備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機タクシーで行ったとは言え、車で行ける所から海抜430mに建つ城に辿りつくまでには結構な山道が、待ち構えていました1240年、秋庭重信によって最初に築城されたこんな不便な所にあるお城ですが、戦国時代には山陰道と山陽道を結ぶ要地であった為に激熱スポットで、争奪戦が繰り返されて高橋氏、上野氏、庄氏、三村氏と城主が、コロコロと変わったそうです。備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機入城料300円を払って、中に入った所にあった無料のお茶で、ちょっと一息江戸時代に入って、備中松山藩となってからも跡取りが生まれなかったり、転封となったり池田家、水谷(みずのや)家、安藤家、石川家板倉家と、城主が何度も変わったみたいです。備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機とっても小ぢんまりとした天守ですが重要文化財に指定されている。水谷3代目が急死、養子も亡くなった為、幕府は水谷家を断絶、所領没収とし、松山城を忠臣蔵でお馴染みの赤穂藩主の浅野内匠頭に引き渡すように裁定するも不服とした水谷の家臣約千名は城内に籠もった。備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機そこで大石内蔵助は、単身で城に乗り込み水谷の家老、鶴見内蔵助を説得して無血開城に成功したそうです。W内蔵助の奇跡やなその後、昼行灯は1年半、城の管理をしたようです。備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機青春18きっぷでの鈍行日帰り旅なので時間節約の為にタクシーを使いましたが駅からそこそこ歩いた山の麓から、土日にはシャトルバスが出てるので、そちらの方が節約にはなります。城からの帰りは節約も兼ね、シャトルバスもタクシーも使わずに、歩いて下山しました。下りやから楽やってんけど、下りの方が実は足に負担がかかるので、次の日がきつかったな備中松山城 posted by (C)YOSHIYU機
2009.03.31
総社宮 posted by (C)YOSHIYU機大晦日の日記の今年1番熱いスポット鼻ぐり塚から、吉備線に乗り、やって来たのは総社2丁目18番地!総社宮 posted by (C)YOSHIYU機その総社2丁目18番地は、どういう所かと言うと6匹の猫に出会った猫だらけの場所だけではなくて、水戸黄門の鳴神の夜叉王丸役で知られる山口馬木也の出身地である岡山県総社市の地名の由来となった総社宮のある住所です。総社宮とは、国司が各国の神社を巡拝するのを効率化する為に、国府の近くに全国の神を集めたものだそう。総社宮 posted by (C)YOSHIYU機ここの三島式庭園を参考にして後楽園は作られたらしいです。総社市まちかど郷土館 posted by (C)YOSHIYU機総社宮の前には、総社市まちかど郷土館というのがありました。この建物は、かつての総社警察署で明治時代の建築物だそうです。総社市まちかど郷土館 posted by (C)YOSHIYU機一階には、市内の歴史が一目でわかる「歴史コーナー」と市内の「物産展示コーナー」、 「ビデオコーナー」が二階には、備中売薬、阿曽の鋳物、イ草関係など明治を中心とした伝統産業の資料が展示していた。備中国分寺 posted by (C)YOSHIYU機続いて、途中で横目に古墳を見ながらチャリンコを、かっ飛ばして向かった先は今回の吉備線巡りで、最も楽しみにしていた備中国分寺です!備中国分寺 posted by (C)YOSHIYU機この五重塔は、南北朝時代に焼失し1821年に再建されたものですが重要文化財に指定されている。平山郁夫の展覧会で、ここの五重塔の美しさに目を奪われた時から、来たかったんですよね!藤戸饅頭 posted by (C)YOSHIYU機倉敷駅で、お土産に倉敷名物の藤戸饅頭を購入。岡山名物の大手饅頭のパクリかと思ったらこっちのが古いみたいです総社 posted by (C)YOSHIYU機雪舟が涙で鼠を描いたという逸話が残る井山宝福寺には、時間が無くて寄れんかった吉備路だけに、もっとキビキビ廻るべきやったな寒い銀の馬車道 posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.04
桃太郎 posted by (C)YOSHIYU機強面の店員がいる吉備津神社の前にある「桃太郎」という店で、桃太郎うどん(千円)を食べた。kibiji 004 posted by (C)YOSHIYU機なんときび団子入り!お土産とかのきび団子じゃなくて小さいお餅でしたけど。それから、桃太郎うどんという事で雉の卵犬の肉猿のつみれでなはなく、鶏の卵と肉、魚のつみれわらび、わかめと具沢山のうどんでした鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機何じゃこりゃー!鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機実はこれ、牛の鼻輪です。吉備津神社の近くには、一生を人間のために尽くす牛を弔う鼻ぐり塚というのがありました鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機元々は古墳(円墳)である鼻ぐり塚には年間数万個昭和初年から現在までに、700万個もの鼻輪が納められたそうです鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機この鼻ぐり塚は、明治33年、中山通幽師により開創された福田海(ふくでんかい)というお寺にあります。中堂の天井の瑞龍は、秩父神社つなぎの龍日光東照宮の眠り猫などで知られる 左甚五郎作らしいこの寺の参拝方法は、入り口にある賽銭箱に100円を入れ護摩木に願い事を書き、鼻ぐり塚に納める。家内円満、交通安全、良縁成就など願い事は牛と関係なくても構いません鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機役の行者、理源大師の像の間にある錨は清の軍艦「鎮遠」の物だそう。この軍艦は、日清戦争時に日本が捕獲し日露戦争には、日本海軍として参戦した。鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機この寺は昔、ウルトラマンAに登場した鼻ぐり塚に、いたずらした蟹江敬三が牛神超獣カウラに変身してしまうというお話らしい鼻ぐり塚 posted by (C)YOSHIYU機また、この寺から、芙蓉の若殿上人と呼ばれ後白河上皇や平重盛と肉体関係があった大納言の藤原成親の墓への山道に続いている。備中高松 posted by (C)YOSHIYU機
2008.12.31
吉備線 posted by (C)YOSHIYU機お待たせしました(?)、ローカル鉄道の旅。今週は、岡山駅から総社駅を結ぶ吉備線です。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機吉備津駅で降り、足利義満が造営した国宝の本殿及び拝殿がある備中国一宮の吉備津神社に行く。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機桃太郎のモデルと云われる吉備津彦命を祀っている神社なのでその強さにあやかろうとしたのか知りませんが千代の富士、現九重親方の優勝額が飾ってました。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機南随身門 、北随身門、御釜殿などは 重要文化財に指定されています。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機こちらが御釜殿で、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜神事が行われる場所です。吉備津彦命に退治された温羅(うら=百済の王子)という鬼が夢枕に現れて吉凶を告げるから、釜の下に首を埋めてくれと言いそこから、この神事が始まったとされる。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機この吉備津神社は大きくて、沢山の摂社がありましたがこちらは吉備の国最古の稲荷の宇賀神社です。 吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機宇賀神社に隣接して、普賢院というお寺がありましたがそちらの仁王は、体が貧弱でした吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機「話せば分かる」で有名な第29代内閣総理大臣の犬養毅の生家が近くにあり、銅像が建ってました。また、近くには、臨済宗の開祖である栄西の生誕地の碑もあります。吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機見所が豊富ですので、是非、初詣にでも吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機合格祈願にでも吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機英語みくじがあるので、外国の方にもお薦めの神社ですよ!吉備津神社 posted by (C)YOSHIYU機
2008.12.30
倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機倉敷チボリ公園は12月31日をもって11年の歴史に幕を下ろす沢山の想い出をありがとう倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機私は、初めて行きましたがだって、倉敷は遠すぎるんだもん倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機本田美奈子はじめ、岩崎宏美、長山洋子前川清、野口五郎、香田晋ら数多くの有名人が来訪した倉敷チボリ公園は、アンデルセンが足繁く訪れたデンマークのコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークのチボリ公園をモデルに1997年にオープンした。倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機開園当初は、300万人近くの入場者が、年々減少し2005年には100万人を割り込み、閉園と繋がった。倉敷市の成人式は、ここで行われるようになってたので新成人は残念やろうな倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機綺麗なクリスマスツリー倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機クリスマス終わってるのに関わらずまだいるサンタ倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機まるでデンマークに迷い込んだかのような風景これらが観れるのは、あと3日だけ!倉敷チボリ公園 posted by (C)YOSHIYU機
2008.12.28
明王院 posted by (C)YOSHIYU機福山駅から、芦田川を渡った所にある明王院は福山市に来た際には、寄っておきたいスポットだ。広島県には、厳島神社を除くと国宝の建造物は6棟だけですがうち2棟がこの明王院に!明王院 posted by (C)YOSHIYU機明王院 posted by (C)YOSHIYU機本堂と五重塔が、国宝で本尊の十一面観音像は、重要文化財山門、書院、庫裡は広島県の重要文化財です。草戸稲荷神社 posted by (C)YOSHIYU機明王院の隣には、広島県の人気初詣スポットの草戸稲荷神社がありましたが聳え立つ巨大な建物に圧倒されたこんな神社、初めてや頂上の本殿からは、福山市を一望出来ると言う。松茸すきやき弁当 posted by (C)YOSHIYU機今回の旅は、時間が無かったので駅弁の松茸すきやき弁当で済ました。安い割りに、肉が美味しかった岡山・姫路間は、いつもながら混むんで疲れるよな~岡山には、新幹線を利用させる為のJRの陰謀だな明王院 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.29
鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機日本一の景色じゃのぉ!鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機対潮楼からの景色を、朝鮮通信使がそう絶賛したとされる福禅寺。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機対潮楼には、弁天島のお堂に照準を合わせたレトロな望遠鏡が置かれてあり自由に覗きこんだり、カメラを付け写真を撮ったり出来ました。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機こちらは、天然記念物の松が枯れてしまった法宣寺。とにかく、鞆の浦という所はお寺の展示場か?ってぐらい、寺だらけでしたねその中で、絶対に見逃せないのが・・・鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機安国寺です!鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機小じんまりとした寺ながら、釈迦堂阿弥陀三尊像、法橙国師坐像が重要文化財石造地蔵菩薩坐像が、重要美術品広島県天然記念物のソテツの生える枯山水庭園は、広島県指定史跡と文化財の宝庫となっている鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦出身で、森下仁丹の創始者森下博の銅像がある沼名前(ぬなくま)神社にも足を運んだ。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の祇園と呼ばれるように祇園の八坂神社の本社なんですよ。重要文化財の能舞台は、伏見城の遺構とされる。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機無料公開されている福山市重要文化財の鞆の津の商家で、子供の健やかな成長を願う行事八朔の馬出しで使われる馬の模型が飾られていた。9月7日に、沼名前神社をスタート地点として馬の模型が、町中を曳き回されるそうです。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.28
坂本龍馬 posted by (C)YOSHIYU機江草仁貴、西田尚美、京野ことみ世良公則、井伏鱒二、村田兆治Perfumeの大本彩乃、速水けんたろう等数多くのスーパースターを輩出した福山市ですがこの鞆の浦は、幕末のスーパースター坂本龍馬の縁の地でもあります。坂本龍馬 posted by (C)YOSHIYU機紀州藩の軍艦と衝突した海援隊のいろは丸が沈没したのが、ここ鞆の浦です。こちらに、坂本龍馬が宿泊してたそう。坂本龍馬 posted by (C)YOSHIYU機登録有形文化財の江戸時代の蔵を利用したいろは丸展示館というのがあったので、中に入ってみる。坂本龍馬 posted by (C)YOSHIYU機いろは丸から引き揚げられた品々の展示や坂本龍馬 posted by (C)YOSHIYU機坂本龍馬の隠し部屋の再現ジオラマがありました。あんま、龍馬っぽくないな鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機「願はくは我に 七難八苦を 与え給へ」このドMな名言で知られ旧主君の尼子家再興の為に奮闘するも信長に見殺しにされ、幕を閉じた生涯が忠臣の鑑として、戦前の教科書に採用された戦前のスーパースター山中鹿之助の首塚が鞆の浦最古の寺、静観寺の近くにありました。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機その首塚の近くには、ささやき橋があります。歩幅より短く、注意しないと気付かないちっぽけな橋ですが、とても哀しい言い伝えがある。百済の使節の接待役の武内臣和多利と官妓の江の浦は、職場恋愛に発展し仕事そこそこに、毎夜、この橋でデートを重ねた。それに怒った上司が、二人を海に沈めて殺してしまうその後、この橋では夜な夜な二人の囁き声が、聞こえたと云う平賀源内 posted by (C)YOSHIYU機エレキテルなスーパースター広島県指定の史跡となっている平賀源内の生祠もあります。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機その近くに、寺なのにデカい鳥居がある弘法大師創建の古刹、医王寺からは鞆の浦の町並みが、一望できた。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.27
鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機♪お酒はぬるめの燗がいい舟歌が似合う広島県福山市の鞆(とも)の浦でポ~ニョ ポニョポニョさかなの子♪『崖の上のポニョ』の構想を宮崎駿監督は練ったそうだ。先日、りゅうびさんのブログで紹介していて良さそうな所だったので、ふらっと行ってきた。鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機そして、この鞆の浦の名産品は、お酒です。お酒はお酒でも、夏バテ、冷え症に効く生薬入りの保命酒と呼ばれる物ですが養命酒とは違って、アルコール分14度の立派なお酒なんですよ鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機入江保命酒資料館では、展示された保命酒に関する資料が無料で見れる他、保命酒の試飲と購入も出来る。保命酒の試飲をしてみましたが思ったよりも、飲みやすかったです鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機かつての保命酒屋で、幕末、公武合体派により都を追放された尊皇攘夷派の三条実美ら7人の公卿が宿泊し鞆七卿落遺跡として、広島県指定遺跡となっていて主屋や保命酒醸造蔵が重要文化財の太田家住宅。こちらは、がっつり400円も取られました鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機保命酒は、メシ食いながら呑むお酒じゃないので買いませんでしたが、保命酒入りのせんべいとモンドセレクション受賞保命酒入りのケーキ仙酔仙人を購入。流石、モンドセレクションって味でしたよせんべいも、イケる鞆の浦 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.26
うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機和歌山で、ぶんだらパレードを観た翌日星野日本代表監督の故郷岡山にいた!先週の土日は、おかやま桃太郎まつりでうらじゃ posted by (C)YOSHIYU機市役所筋もうらじゃ posted by (C)YOSHIYU機表町商店街もうらじゃ posted by (C)YOSHIYU機岡山駅前もうらじゃ posted by (C)YOSHIYU機岡山市内うらじゃ一色!うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機うらじゃってなんじゃ?と、お思いでしょうが、温羅(うら)というのは桃太郎の鬼の事で、元々は吉備国を支配していた百済の渡来人であり吉備の発展に貢献した人物でもある。この「うらじゃ」をきっかけに郷土の歴史や文化に興味を持って欲しいというのがこの祭りのコンセプトらしい。うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機参加者は、温羅化粧をして、よさこい踊りに似たうらじゃ踊りを踊る。うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機それぞれ特色のある衣装で参加してましたね~うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機市役所筋は歩行者天国となり多くの露店が並んでいました。うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機うらじゃ♪うらじゃ♪う~ら~じゃ~♪耳に残るメロディやったな。うらじゃ posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.08
浄土寺から駅に歩いて戻る気にはなれずレトロバス(140円)に乗った。広島弁の運転手がここで『東京物語』の撮影があったとかここのラーメンが美味しいとかガイドしてくれ、参考になりますよ。『放浪記』で知られる林芙美子の銅像。多感な少女時代を尾道で過ごした。この銅像の近くに、「喫茶芙美子」がある。店の奥には、林芙美子が1年だけ住んでいた家があり喫茶を利用すると見学が出来る。という事で、コーヒーを注文した。コーヒーの名前は、放浪記でした。この小汚い部屋に住んでてんな~私の尾道放浪記は、これで終わりです。小さな迷路のような路地を探索していくと少し歩けば何かに当るという感じで面白かった!坂道ばかりなので、少々疲れますけど帰りに福山駅で電車待ちとなり駅の真ん前にある福山城に少しだけ寄った。お花見してましたね~。太平洋戦争以前に国宝であった天守は空襲で焼け現在の天守は、戦後に再建したものだ。伏見城松の丸の東櫓を移築した伏見櫓は往時の遺構を残し、国の重文に指定されている。福山城から、なんかサクラダ・ファミリアみたいな建物が見えたんですが、結婚式場のようだスペインのブルゴス大聖堂をモチーフにしたらしい。帰りの電車は、結構混んでましたみんなも青春組なんやろか?
2007.04.22
古寺巡り最後の場所は、聖徳太子創建で尾道最古の寺である浄土寺です。寺域全体が国宝に指定された寺で全国で2例しかないそうだ。本堂、多宝塔は国宝、山門、阿弥陀堂方丈、唐門、庫裏及び客殿、宝庫、裏門伏見城から移築した茶室「露滴庵」、納経塔足利尊氏の墓と称されている宝篋印塔は国重文で正に文化財の宝庫だ。そんな寺ですが、この日の境内は子供が沢山おって賑やかやったな~500円を払い、名勝の庭園を見学しようとしたが寺の人が案内しながら廻るスタイルで一人だけでは案内できないと言われたしばらくして来たマダムグループに便乗して一緒に本堂、阿弥陀堂などの内部、方丈の襖絵庭園を寺の人の説明を聞きながら見学した。秘仏十一面観音菩薩(重文)は観れなかったし少し慌ただしかったが、尾道に来たら絶対に観ておいた方が良いです!堂内は撮影禁止だが、庭園や襖などは撮影OKだった。寺の人が親切に、事細かに撮影ポイントを指示してくれたが有り難い反面、好きに撮らしてな~って気にもなった浄土寺の隣には、鎌倉時代には浄土寺の曼荼羅堂現在は文楽の寺とも呼ばれる海龍寺があります。江戸時代の人形浄瑠璃家「初世植村文楽軒」「竹本弥太夫」の墓があり、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われている。中国地蔵尊霊場第九番札所でもある。4回に渡り書いてきた尾道の旅も次回で、いよいよ最終回!
2007.04.21
尾道の旅の続き。艮神社神社の横に、招き猫美術館がありました。時間が無いので素通りして、次の目的地へ『時をかける少女』に続いては『転校生』で二人が入れ替わった階段がある御袖(みそで)天満宮にやって来た。学問の神様である菅原道真公を奉っている。菅原道真が大宰府へ流される途中、尾道へ立ち寄りその際に民衆に親切にしてもらったお礼に着ている服の袖を渡されたことに由来するそうです。本殿は改修工事中でした。なんか、行った所が工事中ってのが、最近多いよな~その神社に隣接する大山寺には見ざる聞かざる言わざるの像が・・・えっ!?違うやん!みてご猿いうてご猿きいてご猿まえむき猿でご猿の五猿(ごえん)と言うものらしい。3匹やのに、五猿って何!?まえむき猿でご猿も、頭数に入れるなんて無理矢理やん!ついていけないオヤジギャグの寺の次は天保年間に行基が創建した西國寺に。金堂と朱色の三重塔は、国の重要文化財である。境内の桜が、綺麗でしたね~!しばらく歩くと、『姿三四郎』のモデルとなった西郷四郎の像が建っていた。嘉納治五郎氏を助けて、日本柔道を大成した人物だ。小柄な体躯から繰り出す大業「山嵐」は天下無敵と称えられている。その彼は、尾道で生涯を閉じた。今日で尾道三部作も幕を閉じます。そして、明日から尾道新三部作が始まりますまだ、続くか!
2007.04.19
随分、間が空いたが、尾道の旅の続きです大林宣彦監督御用達の木谷製菓本舗で豆菓子を買った後に足を運んだのは、志賀直哉旧居です。ここで『暗夜行路』を執筆したそうです。入場料は、文学記念室、中村憲吉旧居と共通で300円。中に入りましたけど、外から眺めるだけでも十分やったな~と思った。そこから坂を登って、日本の音風景100選さくら名所100選の千光寺を訪れた。尾道市街を一望できます。続いて、向った先は天寧寺である。この海雲塔は、国の重文に指定されている。元々は五重塔で、4層、5層部分が傷んだため現在の三重塔に改築されたらしい。しだれ桜が美しい境内。本堂左手の羅漢堂の五百羅漢像も見所だ。ロープウェイ乗り場の近くにある艮(うしとら)神社。大林宣彦監督『時をかける少女』に登場した神社である。樹齢900年の立派な楠の木が、雰囲気のある神社だ。まだまだ、時をかけないオッサンの旅は続く
2007.04.18
先週の金曜、下さんが4年ぶりに東京ドームで巨人に負けたので、土曜日に傷心旅行で尾道に行ってきましたこの辺りに、『男たちの大和』のロケセットが昨年まで公開されていたそうだ。奇しくも4月7日は、62年前に大和が沈んだ日だった。尾道には、古寺が数多く点在している。古寺めぐりコースを巡ってみた。まず最初に石の門が珍しい持光寺に到着。国宝「絹本著色普賢延命像」を所有している。重要文化財の木造千手観音立像を所有する光明寺境内に桜が咲いていた宝土寺などを巡っていくと大林宣彦監督が小さな頃から通っていたという老舗で、頑固親爺の「木谷製菓本舗」があった。朝3時から仕込み、その日に売る分だけ作る豆菓子店だ。甘納豆など20種類の豆菓子は、1袋210円から。うちのオトンが気に入って、殆ど食べられた旅は、まだ始まったばかりですが、明日に続く。結構、はしょって書いたけどこのペースだと何日かかるやろ
2007.04.09
先週末に備前、岡山市、倉敷と岡山巡りをしてきましたが書ききれなかった、こぼれ話を書きます。岡山は桃太郎の国という事でマンホールも桃太郎でした。岡山のチンチン電車は格好良い九州新幹線「つばめ」のデザイナーがデザインしたバリアフリーの超低床式路面電車だ。堺とは、えらい違いやで。岡山駅の吾妻寿司で岡山名物のままかり寿司1,000円(6貫)を購入。「ままかり」とはニシン科の小魚で名前の由来はまま(まんま=ご飯)を借りてきたくなるほど美味いので。倉敷から電車に乗って家路に向った訳ですがその電車は三石(みついし)駅という無人駅で停まった。そして、次の大阪行きの電車は40分後えっー40分も足止めかよ乗る電車、間違えたんかな~しかも周りは駅前とは思えない静けさと暗さで時間を潰せそうな場所が無いしかし、住宅街みたいだったので人がいるならコンビニか酒屋とかあるやろうと思い時間もあるので、ビールを求めて探索に出掛けるジュースの自販機はあるが、行けども行けども店が見つからないあきらめて戻ろうかと思った時目の前に神輿が何の祭りかよく分かりませんが、何か得した気分でした。人生、何がプラスに転じるか分からんもんですね酒屋が見つかりビールも買えたし帰りは座って帰れたし、ついてた旅でした。
2006.10.18
伝統的建造物保存地区に指定されている倉敷美観地区は岡山県内随一の観光名所である。白壁と黒い本瓦葺の調和のとれた家並み、なまこ壁格子窓の倉屋敷、柳並木の堀割など風情あふれ江戸時代の天領の名残りをあちこちに留めている。美観地区内では最古、大型の町屋の井上家住宅は「倉敷窓」といわれる窓に防火用の土塗りの扉を持ち国指定の重要文化財である。飲食店や土産物店などの様々なショップに交じりエル・グレコの「受胎告知」、モネの「睡蓮」などを所蔵する大原美術館や「キャンディ・キャンディ」の原画家のいがらしゆみこ美術館などもある。こんな美しい街並みで今月、落書きによる被害があった。許せませんね~ 美観地区から少し離れた所に、塩田・新田開発によって財をなした大地主の大橋家住宅はある。町家の中で大橋家のみが持つ長屋門が格式の高さを象徴している。土蔵造りでなまこ壁を備えた美しい建物は国の重要文化財に指定されている。500円を払えば、中を見学出来る。大地主にしては、比較的地味な印象ですね。蔵が展示室になっていました。寛永通宝が山のようにあった。やっぱ金持ちや
2006.10.16
昨日、10月14日は鉄道の日でした。鉄道の日を記念して発売される西日本一日乗り放題きっぷ(3,000円)を使い備前市の後に岡山市にも足を運んだ。慶長2年(1597)、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。関が原での裏切りで有名な小早川秀秋が2代目城主となるが2年で病死しその後は池田氏が城主を務めた。だが、第二次大戦中に空襲のため、国指定の重要文化財である月見櫓を除き殆どの建物は焼失してしまった。昭和41年、織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられる全国的にも珍しい不等辺五角形の天守閣などの建物は復元される。隣県の白鷺城と呼ばれる姫路城に対し黒い外観から別名「烏城(うじょう)」と呼ばれた。その天守の前で、11月19日までの土日・祝日に行われる「岡山城太鼓物語」というイベントをしてました。また、絵本を中心に、話や挿絵から江戸、明治、大正、昭和、平成と時代を追って桃太郎像の変遷を辿る「岡山桃太郎王国記念館」も10月31日までやっている。天守閣内では秋季特別展「名君池田光政・綱政とその一族」で閑谷学校を創建して藩士や庶民の子弟の教育に努めるなど、藩政の基礎を築き水戸藩主・徳川光圀、会津藩主・保科正之と並び江戸時代初期の三名君として称された池田光政や池田氏ゆかりの品々が展示されていました。岡山城の隣には、水戸・偕楽園、金沢・兼六園と並び日本三名園と称され特別名勝の後楽園があります。池田綱政が家臣の津田永忠に命じて貞享44年(1687)に着工元禄13年(1700)に一応の完成をみるが、その後も藩主の好みで手が加えられた。かつて藩主の静養の場、賓客接待の場として使わたが日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていたそうだ。こちらも空襲で建物は焼失し、現在の建物は復元された物である。某球団の元本拠地と同じ名前で、嫌な響きのする後楽園ですが奇麗な芝生が印象的な癒される庭園でした
2006.10.15
今日と明日、JR赤穂線の伊部(いんべ)駅周辺では「第24回 備前焼まつり」が行われている。備前焼陶友会全店舗の全商品が2割引で売られ他にも福袋の販売、茶席、ろくろ踊り、備前焼小町撮影会ろくろ実演、ろくろチャレンジ、備前の器と野の花展、抽選会など多彩なイベントが催され、多くの人で賑わっていました。難ありで300円で売っていた湯呑みを購入した。ハイ、ケチですよ備前焼の古窯で、備前市指定文化財の天保窯。保護屋根を設置したが、乾燥し崩壊が進むので樹脂加工で強化保存工事を行ったようです。日本六古窯の一つ備前焼の陶工や窯元が集まる伊部は見渡す限り窯だらけでした。そして、電話ボックスの屋根と七福神も備前焼1678年(延宝6)年に建立された好彦名命(すくなひこなのみこと)と菅原道真を祀っている天津神社(あまつじんじゃ)の狛犬も備前焼である虎も備前焼
2006.10.14
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