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僕は古墳が好きなので、まだ見つかっていない古墳を探す為に、強力な金属探知機を作って古墳の中に埋もれている鏡や刀を探そうと思っているが、AMAZONなんかを探しても深さ16cmくらいが限界で良い金属探知機が見つからない。なので、金属探知機の原理や改造の「きも」を探ろうと思うのだが、市販のキットに良い物が無かった。でも、AMAZONの金属探知機を探していて良い物を見つけた。ELEKIT金属探知機TK-737である。元々子供の組立用のおもちゃなので実用性は少ないのだが、評判が良い。つまり確実に動作する、しかも僕が注目したのは改造をする為にする実験に適していることである。AMAZONよりTK-737を引用する。画像を右クリックして出るメニューから「新しいタブで画像を開く」を選ぶと、別のタブで画像が開けるので拡大ができる。うーん日本「後」になってる。恥ずかしい。見ると分かるように電源(電池)が直結しておらす、差込端子が有るので電圧変更が可能。コイルも直結しておらず差込端子が有るので自作のコイルが使える。つまりコイルを変えたり電圧を変える(壊さない範囲で)ことが可能なので、色々な実験ができるのである。しかもELEKITの商品なので、安定的に動作するし説明書が豊富なのがうれしい。もっと言えば「半田付け練習用基板」が付いていて初めての人も半田付けの練習からできる。特に説明書は回路図やブロック図がついており、原理の説明まで書いている。親切。今まで作って来た金属探知機の動作原理はだいたい次の2原理が書かれていた。1.発振状態にある回路のコイルに金属を近づけるとコイルのインダクタンスが変化して、 発振周波数が変わるのでこれを検知する方式。 検知の仕方には元の周波数と比較する方式により色々と有る。 例えばうなりを発生させて検知する方式や、 元の周波数からのずれを電圧の変化に変えて検出する方式が有る。2.発振状態にある回路のコイルから発生した磁気により近くの金属には誘導電力が発生する。 その誘導電力は元の磁力を打ち消す方向に発生するので、 元の発振回路の電気の波は小さくなる。この変化を検知する。ELEKITのKT-737は2.の原理を利用している。説明書より引用してみる。ところが、組み立てて使ってみると理論と実際に起こっている現象が一致していない。オシロスコープの波形で後から説明するが、全然違う変化により検出している。そこで、実験を始める前に回路図を見てみた。回路図だけでは分からないのでブロック図も引用させていただく。回路図の中に描いた位置にオシロスコープを接続する。ブロック図に書かれた通りならばここは発振回路の出力で、ダイオードD1で検波する前である。つまり金属探査中の電気の波と金属発見中の電気の波はここで見られるはずである。組み立てた状態でやってみた。確かに発振状態にあり、回路的にはコルピッツ発振回路なので正弦波である。FFT(周波数を横軸に電圧を縦軸にしたグラフで電波の分布が分かる)でも見てみた。右上のグラフの1か所だけ高いのが発生している電波(電気の波)低いのは雑音。けっこうまともな発振回路だけど、出力が小さい。後から分かるのだが、恐らくは電波法により大きな電波出力は出せないのだ。そうなのか。金属探知機で強力な出力の物が無いのは、電波法のしばりが有るからなのか!こりゃ自作する場合でも、あまり強い電波は出せないな。<後日追記>電波(電気の波)が小さい理由は電波法だけではないかもしれないのに気がついた。もしかして電波が強すぎると感度が高くできないのかもしれない。つまり電波が弱くなるのを検出するのは難しいけれども、電波が無くなる(発振停止)するのを検出する方が簡単だと言うことである。絶対値の差だと数mVしかないので、この程度の(安定化処置を施していない)回路では、金属の接近による変動なのか回路の不安定さによる変動なのかが分からないと言うこと。かと言って負帰還をかけたりするのは、元々が変化を検出する方式なので本末転倒で、負帰還によって変動を抑えると感度が大幅に落ちてしまう。だからあえて電波の強さを押さえているのかも?そう思った。金属を近づけてみた。えー!金属を近づけると電波は弱くなるんじゃないの?電圧レンジを見ると5mV→20mVに大きくなっているし、波形の大きさは12倍じゃん!しかも周波数は3桁も低くなっているし、そもそも正弦波じゃないじゃん!もしかしてブロッキング発振してない?でも確かにこれだと、金属の無い状態でLEDが消えて、金属が近づくと点灯するのは分かるな。検波前に既に電圧が全然違うじゃん。それを増幅するのだからLED点灯するの当たり前じゃん。でも、説明書に書かれている原理とは何となく違うような気がするなぁ。まぁ、でも僕は低レベルアマチュアなので原理はどうでも動けば満足。さっそく色々と実験してみることにした。まずは比較の元になる現在の状態での感度を調べた。金属は手持ちのニッパー。感度比較の為の距離は1束厚さ3mmの付箋(緑)と1束厚さ2.5mmの付箋(白)を使う。最初は電源電圧UPP。色々と壊すとイヤなので元の電圧電池1.5V3本=4.5Vから、4本=6Vに上げてみた。おぉー!少し感度が上がっている。前にやってみたAMAZONの中国製金属探知機の場合には電圧を上げても変化が無かったが、あれは上の方に描いた原理1.のインダクタンスの変化を利用するタイプだったので、この誘導電力利用タイプとは動作が違うのかもしれない。AMAZONの金属探知機を机いました。2024年8月23日と言うことは、僕ら自作派にとっては難しい回路をいじくるよりも、簡単に変更できる電源電圧の変更で改造可能な、こちらの原理と回路の方が適しているな。ちなみに電源電圧を下げて3Vにすると感度は下がった。でもLEDが光らずブザーが鳴るのみ。LEDの有効動作電圧が3V弱なので光らないのだ。電源をあげるのが有効なのが分かったので、次はコイルの改造だ。近所の金物屋さんで0.55mmのエナメル線8mが151円で売っている。安い。便利。でもコイルを自作するにしても、また効果を調べるにしても動作しないと始まらない。発振回路なので恐らくはインダクタンスは変えない方が良いだろう。ちなみに元のコイルのインダクタンスはこのくらい。コイルが差し込み式なので計れる。うーん220µHか。このインダクタンス値を変えなければ回路自体は周波数は変わらないはず。金物屋さんで買った0.55mmエナメル線はなんとそのままで220µHだった。らっきー!しかも直径がほぼ同じ。違うのは線径。オリジナルは多分0.4mmくらい。なので、直流抵抗もオリジナル0.9Ωに対して0.55mmエナメル線は0.7Ω。必然的に巻き数が0.55mmエナメル線が2倍弱多い。これがどう響くのだろう?まぁ感度実験をやってみることにした。けっこう感度が上がっている。インダクタンスが同じで抵抗が小さいので、「Q」は上がっているはず。だからかな?直流抵抗が減っているので電流が増えているはず。つまり磁束が増えているはず。だからかな?まぁいずれにしても線径をUPすると感度は上がる。予想通り。次にコイルの直径を小さくして見る。ただここで僕は低レベルアマチュアなので我慢が足らず、失敗する。せっかくだからフェライトを使ってみよう。そう、フェライトを使うとμが上がり、同じ巻き数でもインダクタンスが増える。逆に言うと少ない巻き数で同じインダクタンスが得られるので、抵抗が少なくなり「Q]が上がる。やってみた。フェライトすごすぎ!左上の0.55mmエナメル線を巻いただけなのに7.5倍くらいになった。この状態で使ってみると回路定数が違い過ぎて動作しない。仕方ないので、どんどんほどいて220µHになるまでコイルを減らした。太さと言うか巻き数が全然違う。この状態で感度実験をしてみた。オリジナルコイルの場合と同じ条件ではできないので単純な比較はできないが感度は上がっている。ちなみにコイル側ではなくフェライト側でも金属の検出ができるのかやってみた。おー!検出可能じゃん。これが可能ならば長いフェライトでも使えるかも?その場合、色々な金属探知機の形状が作れるな。但し、ここで気がついた。でもフェライトを使う場合、もしコイルの直径を大きくした方が感度が上がるならば、フェライトがものすごくたくさんいるし、そもそも重たくなって使いにくいじゃん!そう考えて、今度はコイルの直径がどのくらい効くか実験してみることにした。フェライトに巻いたコイルのほどいたエナメル線が結構余っていたので、それを巻いてみた。オリジナルコイルの直径の半分くらいかな?インダクタンスも半分しかない。まぁ感度実験をやってみるか。うーん積んだ付箋の数をみてもらうと分かるけど、感度はDOWNしている。まぁでもインダクタンスは半分になっているけれども動作はしている。ちなみに半固定抵抗は若干調整が必要になる。やっぱりコイルの直径は効くみたいだな。151円だから、0.525mmエナメル線をまた買ってきて、直径の大きいコイルを作ってみた。これがなんと直径を1.5倍にしてもちょうど良い位のインダクタンスになった。らっきー!これの感度実験をしてみた。上の方に載せたオリジナルコイルや0.55mmエナメル線コイルと比べてみると分かるが、相当に感度がUPしている。ただ、これだとフェライトを入れるのは難しい(お金をかけると可能かも?)なぁ。まぁ今回分かったのは、やっぱり直径を大きくした方が感度は高いと言うことと、電源電圧は回路方式によっては違いは無いが、この方式ならば電源電圧をあげれば感度が上がる、そしてフェライトを入れるのは難しいが、フェライトを入れれば効果が有るらしいと言うこと。だからAMAZONで売っている金属探知機(商品バージョン:1万円くらいする)は、電源に9V電池を2本使ったり、コイルは直径が20cmくらいもあるんだなと思った。最後に金属の大きさが発見しやすさ(感度)に影響有るのか調べてみた。現在はニッパーなので、より金属部分が大きいラジオペンチに変えてみた。コイルはオリジナルコイル。おぉー!全然違うじゃん!そうか、だからAMAZONの金属探知機の売り文句には大きな金属の場合と、コインのような小さな金属の場合で探索深度が違うような説明をしているのだな。ちなみにこのTK-737の宣伝には「鉄骨の場合5cm」くらい感知できると書いている。鉄骨ならば、別に金属探知機が無くても構造的に場所が分かるので実用的な意味が無いじゃん!そう思ったけれども、ELEKITの人は建築的な知識が無く、軽量鉄骨や鉄筋のことが言いたかったのかもしれない。これを(鉄骨は付近に無いので)鉄製の本棚で試してみた。うーん。5cmと言うのは微妙なところだな。ちなみに大きなコイルなら5cmはほぼ確実にOK。固定していないので斜めだけれど。今度いつか、直径15cm位で線径1mm位のコイルを作って実験してみよう。
March 4, 2025
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13時間半かかってようやくイスタンブールの空港に着いたら、ターキッシュエアラインズのトルコ国内線に乗ってカイセル空港行の飛行機に乗り換える。1時間半かかる。つまり乗り換えの時間を加えると現地に着くまで17時間近くかかる。日本からの時差-6時間を加えるとホテルに着くのは翌日の夜。大変である。ホテルはなんと洞窟ホテル。流石に純粋に自然の洞窟ではなく、人工的な手が加わっているが、基本は穴。でも穴なので外界の温度の影響が少なく比較的過ごしやすい。何よりも(夜に着いたせいも有るが)ホビットの家みたいに横穴に部屋があるので、おとぎ話の世界みたい。女性ならば喜ぶと思う。こんな感じ。でも今は7月1日だから良いのであって、8月になったら暑くて違うんだろうなぁ。まぁでもエアコン完備なので心配はない。ちゃんとメンテナンスしていれば。海外ではここが心配な所である。海外のホテルは排水や温水そして電気系統の不備はざらにある。ここもテレビが映らなかった。いやテレビはどっちみち日本語じゃないから良いだろうと言う人もいるけれど、僕は現代っ子のおじいちゃんなのでテレビが点いていないと寂しい。僕は電気屋さんなので自分で調べてみた。壁のテレビの出力端子に何もつながってないじゃん!そう、テレビは新しいカッコいいのが有って電源は入るのだが、同軸ケーブルが無い!旅先で無く日本ならばヤマダ電機に行って同軸ケーブルを買ってきてつなげば解決するのだけれど、ここはトルコ。しかも日本で言えば北海道の山の中。あきらめるしかない。でも部屋自体は良かった。と言うかもうホテルと言うよりはマンション。玄関ホールだけでも4.5畳くらいはありそう。ちなみに左側の浴室の扉からバスタブが見えているが、シャワールームとバスタブが独立してあるので10畳くらいの大きな浴室。寝室は12畳くらいある。でも写真で見えている寝室の鏡の横の電気は壊れていた。多分、文化の違いなんだと思う。外国人は見た目重視で機能は二の次なので、綺麗な部屋であればテレビや照明はどうでも良いのだと思う。ちなみにコンセントはCタイプ220Vなんだけれども注意が必要である。コンセントが奥に深い(引っ込んでいる)ので、百均の万能タイプのアダプターは使えない。注意が必要である。朝は清々しくて良い。昨日は夜に着いたのであらためてホテルの外観を見るとこんな感じ。女性の観光客は喜ぶと思う。僕は別の面で喜んだ。廊下に面白い物が飾ってあった。え?弥生式土器?いやもちろん違うのだけれども、ルーツは同じなのかも?弥生式土器は日本で独自に発生したのではなく、中国から韓国経由で渡って来たのだと思う。そしてそれはシルクロードがどのくらい昔から有るのかは分からないが、トルコにも渡って行ったのではないだろうか?伝搬する過程で少しは変化したかもしれないけれど基本は同じ。だからトルコにも弥生式土器とよく似た土器が有る?そう思った。さぁいよいよトルコの国を探検だ。行くぞ!カッパドキア。最初はギョレメ野外博物館に行った。文字通り「野外博物館」で、ギョレメの山の中に造られた洞窟教会を見るところ。いきなりこの穴だらけの岩山を見てびっくりする。トルコ語で「ギョレメ」とは「見てはいけない物」の意味で、ここはイスラム教徒の迫害から逃れる為にやってきたキリスト教徒が造った横穴式住居が有る。教会も岩穴の中に有り、上の写真はその教会である。ただ、ここは岩がもろくて壊れやすく危険なので、今は中に入れず外部から眺めるだけ。右手に広場が有り、現地ガイドさんがそこにある「教会の中に有る壁画」の説明板を見ながら、ここのキリスト教の歴史を説明してくれた。キリストの生誕の予言から、磔での死、そして復活までを15枚の壁画に書いてあるらしい。洞窟内は写真撮影OKの所と禁止のところがあり、全部は撮影できなかったので、また、中には入れなかった場所も有ったので、ネットからお借りして写真を載せるとこんな感じ。ここはカランルク・キリセと言う「暗闇の境界」で有名な場所らしい。でも僕らのツアーではここは通らなかったような気がする。せっかくだから、僕らの通らなかった他の教会の壁画もネットからお借りして集めてみた。トカル・キリセ(ブローチの教会)綺麗なのは洞窟の中で、温度環境が良く、光が入らなかったせいらしい。エルマル・キリセ(林檎の教会)ここは中に入った。面白いのは奥の壁画。そう、僕が面白いと思ったのは奥の「にわとり」の絵。えー?何でにわとり?どうもトルコは(キリストには関係なく)ニワトリがもてはやされているようで、例えば後日行く予定のデニズリの街のシンボルはニワトリ。そして冒頭でも書いたけれども、このニワトリは日本との共通点でもある。そう古事記の神話の中に出てくる「長鳴鳥」はトルコの「デニズリ鳥」だと言う説があるらしい。本当かな?ここは眺めも良い。270度/360度をパノラマにしてみた。上の写真のままだと小さくて分かりづらいが、写真を右クリックして出てくるメニューから「新しいタブで画像を開く」を選択すると、別タブで大きな写真が見れるし、拡大できる。まぁそれはそれとして、ギョレメはこのくらいにして、次は有名なパシャバーに行った。ここはカッパドキアの成り立ちが分かる有名な場所。上の写真のように拡大すると層順(地層の重なり)がはっきりと分かる。これらの奇妙な岩は、「妖精の煙突」とか「きのこ岩」と呼ばれているが、ここが火山国で有ると言うことと、風雨が激しいことにより、もろくて弱い火山灰からできた凝灰岩の地層が削られ、溶岩からできた固い玄武岩が残ったせいでできた地形である。(帽子部分が玄武岩)WindowsのCopilotに「カッパドキアの成因」を絵にするようにと命令したらこんな図ができた。いや本当にAI技術は進歩したと思う。こんな絵をパソコンが自分で描くなんてすごい。まぁそれはそれとして、昼食後にはまたバスで「らくだ岩」に行った。見苦しいおじいさんですみません。ちなみに首に下げているのは補聴器と言うか集音器。これが無いと僕は何もできません。次は三姉妹の岩。写真に書き込んだように王女と羊飼いと2人の子だと言う伝説が有るようですが、見た目から「三姉妹の岩」と呼ばれているようです。次はウチヒザール城。ここも岩山に開けられた洞窟を使った住居や教会が有るのですが、「ウチヒザール」とはトルコ語で「尖った岩」のことだそうですが、高い場所なので、ここからカッパドキア全体を俯瞰できる名所だそうです。かってはその高さと位置からカッパドキアの要塞の一つとして使われたそうですが、今はホテルや住宅になっています。時間が無くて上には登らず、麓しか行きませんでしたが、代わりに住居の中に入りました。住居は岩をくり抜いて作られているので、天井は低く、床は岩が丸出しでは使いにくいのでじゅうたんが敷き詰められています。しかも洞窟内は温度変化が少ないとは言っても冬場は寒いようで煙突が有ります。奥さんはじゅうたん織の名手だそうです。ここで面白い物を見つけました。チャイダンルックです。トルコの紅茶である「チャイ」(インドでもチャイと言いますが)をいれるやかんです。2段になっていて、下に水上に茶葉をいれて、茶葉を蒸していれます。日本でも売っていますが、珍しい。こうしてカッパドキアの名所を巡って2日目は終わりました。明日は移動日。パムッカレまで延々とバスに乗る予定。
July 1, 2025
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邪馬台国はどこにあったか(その15.4)で、邪馬台国の北側の国々は奴国が勢力を拡大していった道筋で有り、奴国の王女であった卑弥呼はヴァルキリーで、邪馬台国の女王として九州を南に攻めて行ったのではないかと書いたが、一大國(壱岐)から伊都国までと伊都国から邪馬台国までの道のりと21か国の比定地を、分かりやすいように表と地図にまとめてみた。ブラウザの拡大率(Windows10なら歯車の中)をあげれば字は見えるようになる。見終わったら100%に戻すこと。ちょっと説明不足な所があるので補足。この時期までは北九州は奴国の一部だったと思っている。なので、魏志倭人伝の中の女王国の北側の国々の最後の奴国は北九州まであり、「次有奴國 此女王境界所盡」とあるように奴国が邪馬台国連合の端っこに有ったんだと思う。その後に続けて、「其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王」とあるので、奴国の南に狗奴国が有り、男王が居て、その部下に狗古智卑狗が居て女王に従わないのである。女王に従わないのは、男王なのか、狗古智卑狗なのか、あるいはその両方なのか不明だが、この後に「誓約」が有って、神話のように子供を交換するなんて子供みたいな話ではなく、宗像と言う狗奴国がのどから手が出るほど欲しい朝鮮への窓口と、それとの交換に、北部宮崎・大分南部と言う瀬戸内海への拠点を邪馬台国が得ると言う和平交渉が有ったなら、神話に書いてあるように天照と素戔嗚は一応の決着を見て、素戔嗚は邪馬台国側への侵攻をやめて朝鮮半島や出雲に向かったのだと思う。帯方郡から狗邪韓國までをgoogleearthで計ると約560km。これを魏志倭人伝では7000里としているので、1里は80m。狗邪韓國から対馬まで約80kmは魏志倭人伝の1000里とほぼ一致対馬から壱岐までは60kmなので1000里よりは短いけど、波の速い海の上なので誤差程度。壱岐から末蘆国までは50kmなので、1000里よりだいぶ短く合わないが、海の上なので~。末蘆国から伊都国までは40kmなので500里はぴったり。方角に関しても、エジプトやインカや中国の例を見れば分かるように、農耕民族や海洋民族にとっては方角は種まきの時期や海流の変化の時期は命にかかわるので、地図の無い時代なので、山の中で山を迂回しなければ行けない場所は、旅程のトータルの方角は分からなくなるかもしれないが、海や川を行く場合は太陽や星を目印に間違えるはずもない。また、長年そこに住んでいる案内人がいればトータルの道さえも大丈夫なのである。なので神話には、猿田彦やヤタガラスや珍彦と言う重要な役割を果たす案内人が出てくるのだ。伊都国から先は中国の使者は実際には行かず(野蛮な国に行く必要は無い)伝聞で正確さを欠くが、特に僕が宮崎先生の説で感心し、魏志倭人伝の正確さに感心したのは、不彌国(大宰府)の役割。他の国は千戸のように「戸」が単位なのに、ここだけは千家と「家」が単位なこと。ここは掘立小屋ではなく、ちゃんとした宮殿みたいな家が有ったんですね。また、ここを利用すれば大宰府から有明海までは、宝満川と筑後川経由で行けると言うこと。大宰府は交通の要所でもあったと言うこと。ここの問題を解決すれば邪馬台国は無事に水行10日と陸行1月で宮崎まで行けるんですね。誰も触れていないけど、狗奴国との境界には南と北に、今でも地名が残る「ひなもり」がある。元は官職名だったんだけど、日本書紀にも兄夷守と弟夷守と言う名前が見え、彼らの住んでいた所は、それが地名として宮崎県の小林市や福岡県粕屋郡(現在福岡市)に残っているんですね。次から次へと、おぉ!もしかしてと言う地名が見つかって面白かったです。<後日追記>この作業をやっていて気がついたんだけど、もしかすると初期大和王権=出雲王朝は正しいかも?景行天皇の九州行幸がそれを裏付けているような気がする。景行天皇は奈良の纏向を出て、瀬戸内海沿岸の下関や北九州を経て、(天皇がしばらく居たと言うことから名づけられた京都郡と言う地名が北九州にある)大分から熊本に入り、途中の土蜘蛛や熊襲を平らげて行くのだが、大和王権側から見るので「天皇にまつろわぬ」熊襲になるのだが、逆に熊襲側から見ると、凶暴な侵略者だったのかもしれない。歴史は勝利者側のものだから。で、魏志倭人伝当時からの歴史の流れが分かっちゃった。もっとも根拠が無いので想像だけど。西暦57年頃 奴国の王帥升が後漢に朝貢し「漢委奴国王」印を授かる。同150~170年頃 奴国の後継者争いから倭国は乱れ、奴国の王女「卑弥呼」が女王となる。 (伊都国は魏志倭人伝の中の千戸と言う記述から奴国の中の国の中の国で、 卑弥呼は伊都国の女王でもあるが、彼女は征服した国々の最先端に住み、 この時点では既に伊都国の女王でも奴国の女王でもなくなっており、 女王国=邪馬台国の女王となっている。) 弟王(名前未詳)は国を割って狗奴国とするが、女王国は強力で強く、 やむを得ず弟王は南朝鮮を目指し、鉄の産地を得て、武力を蓄える。 弟王は出雲へ侵攻し江の川付近で砂鉄の産地を見つけ、鉄の生産地を作る。 国産の鉄を生産可能になった弟王はもはや九州は相手にせず東を目指す。 その子や孫は途中、岡山や丹波で強い抵抗を受けるが、 これが因幡の白兎や大国主の神話として残る。白兎に対する鰐は岡山の豪族。 大国主の八十神の迫害は妾を作りすぎた弟王の子孫の相続争い、 根の国のスセリヒメとの逸話に出てくる焼き討ちは ヤマトタケルの焼津の逸話と重なるものがあり、草薙の剣との関係もあり、 実在の人物の逸話が色々な形で神話に反映されているものと思われる。同239年頃 卑弥呼は当時はまだ後漢であった魏に使いを送り「親魏倭王」の印を授かる。同247年頃 狗奴国との戦いに敗れた卑弥呼は死に、後を臺與が継いだ。 (既に弟王の子である大国主は奈良の纏向に到達しており狗奴国は その出先だった。弟王の出雲は鉄の産地を得てそれほど大きくなっていた。) 但し、それほど大きくなった出雲王朝であるが、周辺にはまだ大きな国が有り 尾張の一族や丹波の一族は大きな勢力を持ち、 出雲の勢力はこれらと同盟を結び、血縁関係を強化していた。3世紀末~ 倭国は出雲にのまれ、出雲に従わない国々は土蜘蛛や熊襲と呼ばれる。 出雲に従う国々は後の屯倉として地方での自治を任される。4世紀頃 その中で後の物部氏となる一族は卑弥呼の子孫の崇神天皇を中心に力をつけ、 紀伊半島に勢力を持つが、生駒山付近に居たナガスネヒコの勢力と戦い負けた。 そこで物部氏の親族のいる熊野に逃げ、勢力を盛り返し、 奈良の出雲一族と連合することによりナガスネヒコに勝利した。 この後、神武(崇神)天皇は元からの嫁を捨て、出雲の事代主の娘と結婚した。 その結果、元「狗奴国」の出雲葛城氏と元「奴国」物部氏は一つになり、 初期大和王権が完成するのである。 景行天皇の九州御幸はこの後始末だと思う。 崇神天皇を「奴国」物部氏側と考えるのは崇神天皇と大田田根子の関係から。 騙し討ちにあい、殺された大国主命を三輪山に祀って祭主を探して、 見つけてきた大国主命の子孫の大田田根子を祭主とし祟りをなだめたことから、 崇神天皇は出雲方ではなく、ただ奥さんは事代主の娘なので、 一時は同盟を結んだ「奴国」物部氏の子孫だと思うのである。 但し、この時点では物部氏と言うには早くその祖先である基肄の一族であるが。 そもそも葦原中つ国の国譲りの舞台が出雲なのは大和から離れすぎていており、 建御名方命が建御雷神に負けて逃げて行った諏訪も出雲からは遠すぎるので、 葦原の中つ国は大和であり、彼は越の国の国の沼河比売と大国主の子なので、 糸魚川から姫川を上った先の諏訪は彼の地元なので違和感が無い。 なお、景行天皇後の息長宿禰と竹内宿祢の天皇家への関与は、いずれ書きます。 5世紀頃 宋書等の記載から倭の五王は仁徳天皇~雄略天皇である可能性が高いので、 これらの天皇は413年~502年頃つまり5世紀に在位していたと思われるので、 卑弥呼の没年から計算すると恐らく神武天皇の事績として書かれている東征は、 崇神天皇付近の天皇の行ったことだと考えられ、 各将軍の名前(大彦命、武渟川別、吉備津彦、丹波道主命)から想像するに、 彼らはそれぞれの地の大きな勢力(上記247年頃の尾張の一族や丹波の一族) を征服した者か、あるいは同盟を結んだ相手の首領と思われる。 記紀では征服したような印象だが、後の継体天皇の話やヤマトタケルの話から、 実際は同盟して取り込んだのだと思う。何故なら天皇の親や皇后の中に それらの国々の首領の親族の名前が多く見られるから。 後の天皇家を見ても、織田信長でさえ、天皇を殺さずに利用する流れは、 この時代に作られたと思う。 戦争でトップを狙うのは1対1の場合は有効だが、 多数のライバルがいる場合は戦争で疲弊した所を狙われるので謀略の方が有効。 但し、話はさかのぼるが、事代主の裏切りにより大国主は死に、 出雲勢力は物部氏と崇神天皇に王座を明け渡す。 その物部氏も後に蘇我氏との争いに敗れ、その蘇我氏も乙巳の変で滅びる。7世紀中頃 乙巳の変に至ってようやく現在の日本の体制が整うのであるが、 その体制さえも、ここに至る激しい勢力争いの結果を見た雄略天皇の 天皇位後継者皆殺し事件により王統は途絶えそうになり、 その後に旧勢力を19年かけて滅ぼした継体天皇により現天皇家の基礎ができる。多分こんな流れだと思います。神話とも(神話過ぎる部分を現実的にすると)一致するので。なお、上で大和には大きな勢力が有りと書いてありますが、ちょうど良い本が有ったので抜粋。この他にヤマトタケル等と縁の深い尾張の一族や、継体天皇と縁の深い息長氏や藤原氏等おり、初期の大和王権は多くの豪族の連合政権だった可能性が高いと思います。で、邪馬台国の地図の根拠となった廃藩置県時の九州各地域の地名が分かる絵を載せようと思う。邪馬台国の話だけでなく、色々なことに役立つと思うから。僕も九州の古い地名を探すのに、この絵を見つけるのに苦労したので、見ると役立つと思う。豊前から順に南へ5枚載せようと思う。僕の作った地図と根拠の表は、信頼性の低いものかもしれないけど、この5枚の廃藩置県時の九州の絵はちゃんとしたものなので役に立つと思う。<後日追記>R4年にこの考え方から、新しく知った知識を加えて見直しました。その過程で魏志倭人伝と古事記・日本書紀の関係にも触れています。邪馬台国はどこにあったか(その18.3)まとめの見直しR4年度ついでに魏志倭人伝と古事記日本書紀の関係 | 日本を征服だ! - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
December 9, 2019
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男の子ならほとんどが多分知っていると思いますが、マジックコンピューターの略です。僕はこれが欲しくて今探してます。昔ファミコンのカセットからゲームをフロッピーディスクに吸い出してたんですよ。任天堂DSにもマジコンが有ります。R4と言うのとM3です。R4はちょうどDSのカートリッジの形をしていて、中にマイクロSDを入れて差し込むと、マイクロSDの中のゲームが遊べたり、特殊な形式で記録した映画や音楽が再生できます。あとゲームデータを改造したり、好きな画面でSTOPして記録したり。5000円位するのですが、品薄で手に入らない状態ですね。今週末には秋葉へ行って手にいれるぞ!
August 7, 2007
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昨日の反省を踏まえて「ソース接地」にしたのが下の図。これで大丈夫だと思って電源を入れてみた。えー?何か周波数が変わってる。元の入力(520kHz)はこれだぜ?うーん、雰囲気的に周波数は2倍か。もしかして入力過大で歪んでる?歪んでるけど、ドレインのインダクタンスのせいで歪波成分は抑えられて、比較的出力の大きい2倍波が出ている?たまたま、思いついて(入力過大で歪んでるなら小さな入力なら大丈夫かも?)元の信号の出力が小さい1620kHzで再度実験してみた。おぉー!綺麗じゃん。元の信号は下の写真だから約2倍に増幅されているのかな?だったら、アッテネーターをつけて強信号入力用と弱信号入力用を分ければ良いじゃないか?と言うことで最終的に考えたのが下の回路。これをAKIT-3610V3に接着剤で貼り付けることにした。入力は3種に分けた。元の入力端子は元信号用。AL端子をプリント基板を削ってIC(S3610)から切り離し、アンプ用入力端子としAL端子からの入力1.強信号(元信号よりちょっと弱い信号)と2.弱信号(強信号の1/5)をスイッチで切り替えてアンプで増幅して元信号端子につないだ。その結果が以下の通り。まずは裏側にくっつけたFET増幅器とアッテネーター切替スイッチ。電源を入れ、元信号端子に入力しても信号レベルが低く「9545」と表示される。これをAL端子(改造後はアンプ入力端子)の方に接続すると、1620kHzでもAL端子(改造後はアンプ入力端子)側に接続すると、大成功である。ただ、AMは周波数オフセットが455kHzあるので、表示に455kHzを足さなければいけないのと、周波数がちょっとずれているのが残念。でも、もしかすると周波数表示はDSO-062よりこちらが正しい可能性もあるからな。水晶発振器か何かで、いつか確かめよう。
May 22, 2016
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秋月の周波数カウンターが使いものにならなくて失望していたら、秋月でオシロスコープのキットを見つけた。僕等は中学生の頃、オシロスコープは憧れだった。テレビのSFなんかを見ていても、リサジュー波形が表示された画面が良く出ていた。そう、何となく科学的でかっこいいイメージだったのである。でも、相当に値段が高くて憧れるだけだった。それが2.4インチLCDとは言え、3400円で売っているのである。画期的だよ。早速作ってみた。回路的には簡単だけど表面実装部品がある。さすがにPICだけはハードルが高いので実装しているが他のICや抵抗は頑張って半田付けした。で、秋葉原で買ったACアダプターが正規の9Vよりは低いけどDC8.4Vなので、使って各所の電圧をチェックしてみた。メインの電圧は低いけど、チェックポイントの3.3Vはしっかり出ている。早速動かしてみた。おぉー!動いている!よーし、AE-555-OSCをつないでみよう!おいおい!動いているぞ。かっこいいぞ。DSO138には左側にSEN1とSEN2と言うスイッチが付いている。どうもこれが入力のレンジ切り替えっぽいので操作してみた。おぉー!左下の電圧レンジが変わって1divが0.5Vになって縦幅が倍になったぞ!また右側にはSELと言うスイッチがあるが、これを押すと1mSが□で囲まれたぞ。続けて+や-のボタンを押してみよう。おぉー!時間軸(X軸)の1divが0.2mSになって横幅が広がったぞ!もう一回SELを押すと右下のfが□で囲まれたぞ。これも+や-で動かしてみよう。うーん、位相が反転したみたいだ。面白い。楽しい。最後に、昨日、周波数カウンターで失敗したシグナルインジェクターを見てみよう。おぉー!ちゃんと発振しているジャン。0.5mSレンジで5.6divだから350Hzくらいかな?概ね計算通りだよ。周波数カウンターは失敗だったけど、オシロは大成功。よかった!
February 21, 2016
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ヤフオクで面白いものを見つけたので買った。望遠鏡の接眼部分につけるバローレンズと言う物があるが、これは望遠鏡と接眼レンズの間に入れて焦点距離を伸ばし、倍率を大きくするレンズであり、ただ、拡大率が上がっても分解能が上がる訳ではないので、ボケるだけで、使い方を間違えると逆に見辛くなる。僕ら低レベルアマチュアが倍率が高い物が良いと勘違いするのと同じである。無用に倍率だけを上げても見辛くなるだけである。でも、今回買った物は目的が違って、バローレンズが目的ではなく、付属するアダプターが欲しかった。このレンズのアダプターには、直焦式や拡大撮影法でカメラを取り付けるのに使うTリングの機能が有り、しかもNIKON用なので使い勝手が抜群なのである。しかもレンズ部分が外れて、ちょっと強度が心配だけど、31.7mmのアイピース用アダプターにぴったりとはまる。つまり僕の望遠鏡にはドローチューブに31.7mmのアイピース用アダプターを付けると、このカメラアダプターを介してNIKONのカメラが直接付けられる。安価(ヤフオクで2699円だった。)で、セレストロンやヴィクセンにも同じ物が有るらしい。取り付けるとこんな感じ。すごく簡単に見えると思う。実際に、現在売っている望遠鏡ならカタログに有る通りに部品を買えばカメラは付くが、アダプターだけでも一万円、Tリングが2000円なんてやっているとお小遣いが無くなる。で、4月22日に撮影したコリメート法でアイピースH20mmの場合がこんな感じだったから、直焦式だとどんな感じかなと思っていたら、ちょっと明るすぎるけどハッキリと写る。ISOを6400に上げて(D3200ならこの程度ではノイズは出ない)シャッター速度を調整した。おぉー!すぐそこみたい。倍率はどのくらいだろう?対物レンズが910mmで、D3200はAPS-C機だから35mmX1.5=52.5mmで割ると18倍弱か?20mmのアイピースが45倍だけど、20~30倍のような気もするんだけど。計算値と人間の感覚は少し違うみたい。これをカメラの望遠レンズと比べてみた。望遠レンズ55mmで撮影したもの。肉眼で見るよりちょっとだけ大きい。次に手持ちのレンズで一番倍率の高い200mmのレンズで撮影してみた。いやー、こうしてみると直焦式って本当に望遠鏡を望遠レンズの代わりにした感じですね。最後に、元々が2Xのバローレンズなので、直焦式故に外していたレンズをつけてみた。これって何か2倍より大きくないか?コリメート法20mmよりも大きいぞ?感覚的にコリメート法20mmが45倍なら、これは60倍位では?ただ、中央に光が出る。ファインダーで見ても分からないんだけど液晶画面には出る。何なんだろう?これさえ解決すれば、木星が綺麗に撮れそうな気がする。光軸が望遠鏡と一致しているので探しやすいし。一番良い。最初は疑問には思わなかったが、コリメート法の場合と違って像が正立だし。この光って何だろう?どうすれば消えるのか?まぁ、それはそれとして、コリメート法に比べて、直焦式と拡大撮影法は綺麗に写るな。今度晴れたら、また木星を撮って見よう。
May 14, 2017
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AMAZONのFMラジオキットHU-017Aを作ってみました。受信性能的にはまぁ十分なのですが、みんなが評価欄に書いているように電池が持たない。なので、色々と調べてみました。現物は下の写真の通りですが、とにかく安いのが良いです。色々と不満は有りますが、値段から言うと文句を言えない値段です。多分、文句を言うと「だったら値段相応な高価なものを買えよ!」と言われそうです。送料が無料なので、送料が1000円位と考えると670円。税込みです。だからヤマダ電機の980円のラジオよりも安い。文句は言えません。一日遊べるから。みんなが文句を言っている電池の持ちですが、確かに1日持たない。人によっては3時間しか持たなかったと言っています。確かめてみました。新品ではないけれども他のラジオでは十分に使える電池を入れてみました。まずは電源OFFの状態。新品ではないので3Vありませんが、まぁ2.88Vなら普通のラジオは使えます。ところが電源ONにした瞬間。0.46Vも電圧が下がり、LEDは点灯せずラジオは聞こえません。えー!0.46Vも下がるの?電池に負荷をつないで電圧が下がるのは、電池の内部抵抗のせいです。電池は電流が流れると、内部の電解物質の化学変化に際して抵抗が発生します。なので古くなると電極周りの老廃物質が悪影響を発生して内部抵抗が高くなるのです。どうしよう。この時にすぐに思いつくのは、電圧が足らないのなら、電池を増やせばいいじゃん!さっそく実行したら、一応動きました。それも古い電池3本で。(ラジオICのRDA5807の電源は2.7~3.3Vなので、 単三電池3本の出力は三端子レギュレーターの1次側に接続しています。 元々の単三電池2本時の入力部分ではありません。)電池を長持ちさせる実験なので、あえて古い電池を選んでます。電源をONしてみます。おぉー!LEDが点灯している!でも喜んだのは一瞬でした。この後、すぐにLEDは消えてしまいます。でもなんとLEDは消えてもラジオは聞こえています。ラジオICは結構電圧が低くても動作するのです。でも制御しているマイクロコントローラー(簡単に言えばマイコン)が動いていない。なので、LEDが消える前の状態を維持してマイコンは停止し、ラジオICだけが動いているのです。この時の電流値は93mAでした。と言うことは単三電池2本の時は120mAくらい流れている?通常のラジオの4~5倍じゃん!ちなみに単三電池でも比較的新しい物なら、3本の場合は結構長く使えるみたいです。電源OFFの状態はこんな感じ。1本あたりの電圧は1.5Vを超えています。でも電源を入れると、えー!0.21Vも下がっている。まぁ新品ではないけれど新しいので、古い電池の時の0.46Vほどは下がっていません。あ、あれは単三2本の時か。と言うことは1本あたりに換算すると1/3の低下率?でも、この比較的新しい電池でも10分もすると、電源ONにした瞬間から0.29V、電源OFFつまり無負荷状態から0.5Vも下がっている。これじゃぁ電池じゃこのラジオは使えないなぁ。多くのマイコン制御のDSPラジオが「オートパワーOFF機能」付きなのが理解できましたね。あれはカッコいいから付けた機能じゃないんだ。マイコンで消費する電力を減らして電池を持たせないと実用的じゃないからなんだ。色々と事情が判明。だったらこのラジオはどうするべきか?素直に諦めて、ACアダプターで動かすのが一番だと思います。幸いにしてACアダプターはスマホ充電用の5Vが使えるので、ダイソーなど百均の物ならば500円程度。電池を複数回買うよりも安いかも?でも電池で動かすのは携帯性が良く屋外でも使え、旅行なんかに持って行くから?その場合は幸いにして5Vなので、スマホ用のリチウムモバイルバッテリーが使えます。1000円はちょっと高いかな?でも、6000mAなら60時間は使えるぞ。まぁ短い旅行なら大丈夫か。
February 2, 2025
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昨日のテスト運用後、ネットであちこち探したら、DSO138について色々な人がほめたり、けなしたりしていた。総じて、「オモチャであり、実用には耐えない派」と、「値段にしては立派で入門機には十分派」に分かれる。僕は後者だな。だって、3400円だもの。昔のオシロスコープに比べれば圧倒的な安値だし、機能を求めるなら「相応なお金を払って必要な機能を持った物」を買うべきだと思う。自転車を買ってゼロヨンが物足りないと言う人は変だと思うから。自転車は自転車の使い方と良さが有るよね。で、ネットを見ていたらSELボタンを押した後、OKを長押しすると、データ表示モードになることが判明した。先達の皆さんありがとう。これは相当にかっこいいと思う。こんな感じ。例によってシグナルインジェクターの362Hzの信号。拡大してみよう。デューティ比50%位になっている。回路的に当たり前だけど、表示されてみるとうーんと納得。あと、先達の皆さんの記事を見て昨日の誤りを発見!SELボタンを押した後、色々といじくって出たモードのうち、「位相が変わる」みたいな事を言っていたのは「トリガーレベル」切り替えだった。立ち上がりと下がりの違い。だから位相と勘違いしたんだけど、すみません。このレベルで3400円なら立派なもんだよね。そう考えていたら、ふと思い出した。「オシロ」ならこれで十分ジャン。僕等が学校で初めて使ったオシロはもっとレベルが低く、本当の「オシロ」だった。今の人達が言う「オシロ」は僕等にとっては「シンクロスコープ」だから。昔は「オシロスコープ」と「シンクロスコープ」をちゃんと使い分けていたんだよね。信号のトリガーを受けて画面に信号を自動的に表示するのは「シンクロスコープ」で、当時は数十万円もした。(正確には「シンクロスコープ」は岩崎通信機の製品名)普通のオシロは垂直入力と水平(時間軸)入力を自分で準備する必要が有り、つまり簡単に言えば適切な水平入力をスイープで入力しないと、信号の同期が取れず、何を計っているのか分からない状態だった。つまり当時はトリガーの有無で両者を分けていたんだよね。今はトリガー機能の無いオシロなんてあり得ないけど。当時のオシロスコープの画面表示で一番かっこ良かったのが「リサジュー波形」SF映画の中に出てくる色々な操作画面は今はパソコン画面的な物が多いが、当時はたいていこれだった。Wikiからお借りした写真だけど、格好いい。X軸とY軸にも正弦波が加わった場合、両者の比として山の数が変わる。なおかつ同期が取れていないと回転する(状況により色々な方向に)ので、テレビの画面に映っていると格好良かった。あぁ、色々といじくっているともっと良いのが欲しくなってきた。秋月に4700円でもう少しだけ高級な機種のキットが有ったな。今月はお小遣いが残っているから買おうかな。だって、あれが有れば中波ラジオのレベルなら使えるし、(カタログ上は5MHz)何よりもFFTモードが有るらしいし。FFTって僕等が学生時には出たばかりで、横河ヒューレットパッカードしかなくて、200万円以上したもんな。それが2.4インチLCDとは言え、4700円。すごい時代だよな。欲しい!
February 22, 2016
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あけましておめでとうございます。新年早々、数年来悩んでいた知恵の輪が解決したので報告!知恵の輪「スター」は蛇が自分のしっぽを加えてできた輪の中に六錐の星が入っている物で、考えて解くと結構難しいが、偶然にできたりする。今までは全て偶然だったが、お正月はヒマなので調べてみることにした。星の部分は六本とも太さや長さが違い、微妙に中心からずれた錐もある。実際には蛇の中に挟まった状態で検証したが、写真に撮ると蛇が邪魔なので、下の写真ははずして撮影した。一本短くて太い錐がある。一本長くて細い錐がある。太い錐はラインが少し右にずれている。何かこのあたりに秘密は無いか?また写真では分かりづらいが蛇の輪は純粋な楕円ではなく、場所によって広さが違う。それらを考えて実験して、外れる寸前なのが下の写真。つまり上の写真は一枚目の検討事項をいかしている。1.細くて長い錐は太い錐より蛇に押しつけて広く隙間を作れる。2.太くて短い錐は抜け出る錐にすれば太さは関係無く短いので有利3.太くて短い錐は中心線からずれているので、抜け出る際にはやく抜けられるので有利。 (他の錐なら中心がまだ抜けていない状態で、面取りの有る錐は既に抜けている。)4.蛇に押しつける場所は広い部分が有利。5.抜け出る際は少し左右に動かすと有利以上の理屈を総合すると下の写真の位置と錐の組合せになり、実際に外すことに成功した。ポイントは蛇の頭の位置を右上にして、面取りの有る(多分製造メーカーがヒントに面取りしているのだと思う)太くて短い錐を上に、細くて長い錐を左下にすると外れるのですね。なお、はめる時は当然、今の逆のパターンです。お正月早々、難問が理論的に解決できて気分爽快!
January 1, 2016
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SDRラジオとかDSPラジオとか表現は色々と有るけれど、僕の感覚ではSDR(Software-defined radio)ラジオはDSPラジオの一種で、通常のDSPラジオに比べ変調方式や周波数帯域をソフトで自由に制御できるのが特徴。多分DSP(DigitalSignalProcessor)ラジオは信号処理をデジタルで行う広い意味かなと思う。なので、今回買ったSI4732全周波数帯域ラジオはSDRラジオと呼ぶべきだろう。Amazonで安いのを探したら4,699円(税、送料込み)と言うのが有ったので買った。でも、僕はまぁこんなものかなと思ったけど、予備知識が無い人は注意が必要。まず、全周波数帯域と言う言葉だけど、定義があいまい。何も知らない人だと、1kHzから200Mhz位まで「シームレス」に受信できると思いそう。現実的にはそうではなく、各国で放送局が有るバンドだけなので飛び飛び。SI4732(A10)のデータシートを見ると、FM(64-108Mhz)、LW(152-279khz)、MW(520-1710khz)、SW(2.3-26.1Mhz)で、それ以外は本来受信できない。若干工夫を加えてSWは1.8Mhzから受信できるようだけど。4,699円なので、ケースは無く電池もUSBケーブルも付いていないと書いてあった。でも何故か(タイプが違うので使えないのだけど)マイクロUSBタイプBのケーブルが同梱。ちょっと得した気分。携帯なんかの充電に使えるな。アンテナやスピーカー、電池とスピーカー用のコネクターも入っており、半田付けはしていないがBNCコネクターやスイッチ2個と液晶も入っている。たいしたものである。結構良心的である。ただ、安いのには理由が有って、全くと言えるほど半田付けされていない。表面実装タイプの部品は半田ディップなので自動機でディップできるが、手作業になる部品の半田付けは手間(経費)が掛かるからだろう。それが理由で安いのだから仕方ない。自分で半田付けしよう。BNCコネクター等の部品を半田付けしてスイッチを入れたが動かない。何で?基盤を裏返して理由が判明。なんと経費削減の為にarduinoNANOも半田付けしてない。いやー、確かに自分で半田付けが必要とは書いてあったが、arduinoNANOもそうだとは。6千円以上するちゃんとしたのは下の写真のように半田付けしてある。購入前の説明に「自分で半田付けが必要」と書いてあるので間違ってはいない。でも気がつかない人は泣くだろうなぁ。あと値段が中途半端な5千円前後のものはどうなんだろう?さらに半田付けしたら動いた。でも、僕はばかなのでここでもちょっと失敗。電池が無くても「充電可能」なんだから、充電しながら動作できるのでは?そう思ってやってみたら動かなかったのである。危うく天を仰ぐところだった。USBケーブルを外して、リチウム電池が無かったので放電して1.4Vになった単三電池でやってみた。大成功!ちゃんと動いちゃった。説明書が無いので、操作に困るかもと思ったが、基盤にシルク印刷してるし、似たようなラジオをたくさん扱っているので、全て予想ができたし使えた。スイッチと液晶表示はこんな感じ。YOUTUBEを見ると、この基盤でケースがついた物が12000円位で売っており、その蓋を開けた動画を見つけたので見てみると、液晶下あたりに有る端子からケーブルを伸ばして函体の液晶とスイッチに配線しているが、基板に直付けしたこの商品と機能は同じみたい。函体を自作する人の為に、外付けスイッチと液晶の接続端子が分かる写真を載せる。操作は上の写真の通り。耳の悪い僕にはボリュームが63では少ない。なお、BWボタンで切り替える帯域とはオーディオ帯域である。完成した写真を載せる。さて受信性能であるが、FM(Mhz)は、ベイFM78.0、NACK579.5,FM東京80.0、NHK81.9と82.5、FM横浜84.7、interFM89.7,TBS90.5,文化放送91.6、ニッポン放送93.0全部OK。MW(khz)は、NHK594と693、eagle810、TBS954、文化放送1134、ニッポン放送1242、ラジオ日本1422全てOK。LWは不明。SW(khz)はラジオNIKKEI6055、3925、6115はOKだったが9545、3945,9760はダメ。電波を出していない時間だったかもしれない。SWの他国の日本語放送は(放送時間帯が限定されるので)北京放送11620だけ確認した。<後日追記>かってはオーストラリアの日本語放送なんかが有ったのだが、今はインターネットに移行して既に無い。今日、7135khzで聞いていたら、SSB(USB)で交信の声が聞こえた。SSB→SWにすると聞くことができないので、どういう原理か分からないけど、SSBをちゃんと復調している。また、BWも意外に効くみたい。4kHz→2.2khzにすると高い方の雑音が消えて聞きやすくなる。面白い。それにしても何でバーアンテナが無いのにニッポン放送が聞こえるんだ?頭ではDSPラジオってそう言う原理なんだと分かっても、感情が納得しない。九州の田舎でラジオの向きを一所懸命調整していたあの頃は何だったんだ?<さらに後日追記>商品説明を読むとBFO制御付きになっているのだが、使い方が(説明書無しなので)不明。その使い方が今日分かった。ラジオに詳しい人はちゃんと知っているんだと思うんだけど、僕みたいなバカはだめ。でも色々とチャレンジしていて発見した。このロータリーエンコーダーは普段は周波数選択用なんだけど、シャフトを押すとBFO選択用に切り替わるのを発見した。これでBFOが使える。SSB電波が受信はできて(何となく)会話は聞こえるんだけど、少し変な声だなと言うのが、BFOを調整してちゃんと使えるようになるな。きっと僕と同じように使い方が分からない人もいるだろうから書いておこう。そしてSDRラジオの特徴である各種変調方式の受信であるが、使えるのかも?7MHz帯を聞いてみたらCWはごく普通に聞こえるし7.090Mhz付近でSSBが受信できた。中学生の頃から欲しかったSSBの受信機が4699円で買えるとは。中学生の頃は10万円以上する受信機(送受信機ではなく単なる受信機でも高かった)なんて夢のまた夢だったのに、自分のお小遣い(我が家は5000円以下)で買えるとは。まだ、耳の悪い僕には聞こえるだけで奇麗には聞き取れないけれど、これから何回かチャレンジして聞いてみよう。
June 19, 2021
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2023年4月1日のブログで、横浜市金沢区の金沢町の地名の由来は金沢区のホームページには下のように書いてあるが、これは明らかに誤りであると書いた。横浜市金沢区わの会一人ぼっちのイベントに参加しました?(その1)称名寺裏山の散策 | 日本を征服だ! - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)<金沢区のホームページ>昭和期の歴史学者・金沢文庫長、関靖(1877-1958)は、『かねさわ物語』で、鎌倉に幕府が開かれて、この地に秩父の金沢村から鍛冶匠が移住してきて、その時に地名がついたという説を紹介している。どうしてちゃんと確かめる(裏をとる)ようにしないのかなと思う。4月1日にも書いたように、この「秩父の金沢村から鍛冶匠が移住してきて」と言うのは、畠山重忠が「釜利谷」の地に鍛冶匠を連れて来た時の話で、釜利谷は重忠が北条義時に討たれるまでは畠山の所領だった。釜利谷に有る東光禅寺には畠山重忠が祀られており、東光禅寺は鎌倉の東光寺が移設した寺。そしてその時に釜利谷に鍛冶匠が来たので金沢と言う地名になったと言うのだが、それが誤りであることは、新編武蔵国風土記の下の写真の部分を読むとすぐに分かる。同じ六浦庄の中で、「釜利谷」と「金沢」は「両郷」つまり別の郷として区別されている。両郷が区別されていないなら、釜利谷に鍛冶匠が来たことが由来になる可能性はあるが、区別されているのならば、「隣町の出来事が由来となって我が町の名前がついた」ことになる。あり得ない話である。恥も外聞もない。ましてや畠山重忠は自分達が滅ぼした相手なのに、「金沢」北条氏と呼ばれて気持ち良いだろうか??では何故、金沢と言う名前になったか?もう一つの説は、「この地に砂鉄が取れる沢が有ったから」と言うものである。これもちょっと違うのかなと思う。理由は金沢区が区制50周年を記念して発行した「図説かなざわの歴史」と言う本の次のページ金沢町つまり寺前等称名寺付近は三方を海に囲まれており「砂鉄の取れる沢」はあり得ない。「砂鉄の取れる沢」と言うのは、上流に砂鉄を含む地層から形成された山とそこから流れる川があり、下流に沢が形成された場所である必要があるからである。ちなみに付近では釜利谷の西側に有る「円海山」がそれにあたる。なので畠山重忠は釜利谷に鍛冶匠を連れて来たのである。これは僕の妄想ではなく、考古学的調査により証明されている。円海山の西側には鼬(いたち)川が流れ、それは柏尾川につながり大船に至る。途中には「鍛冶ヶ谷」等の鍛冶や火にちなむ地名が多く、古代、この辺で製鉄が行われていたのだろうと想像するにかたくない。(釜利谷も円海山麓で鍛冶匠がいたので釜利谷の釜がついたのかも?)地図を載せる。上の地図の中にある「上郷深田遺跡」と言うのがその製鉄遺跡で、昭和61年9月1日から発掘が開始されて製鉄関係の炉が18か所、製銅関係の炉が1か所見つかり、その遺跡は出土した土器などから7世紀中ごろから9世紀頃の遺跡であることが分かっている。しかも発掘の報告書を読むとすぐ上の円海山付近を掘ると砂鉄が取れるのだそうだ。つまり畠山重忠が鍛冶匠を秩父から連れてくる前からここでは製鉄が行われていたのだ。なので金沢区のホームページに書かれた金沢文庫長、関靖先生が唱えた説は、この発掘が行われた前に唱えられたものなので、情報量が少ない当時なら仕方なかったと思う。例えばこの事実が分かった後ならば「氷取沢」は元は「火取沢」だったのでは?と言う人が、出て来たとしてもおかしくはなかったかもしれない。だって「氷」なんてとれないもの。「火」を取る人達が住む沢なら分かるけれど。でも僕には「火取沢」と主張するだけの根拠は探せない。未来は何か根拠が見つかるかもしれないが。<後日追記>その後付近の言い伝えを調べていたら、長浜付近は鉄くそ(製鉄等の際に出る鉄くず)が出るらしい。(金沢の歴史案内:家田洋文氏著を参照)僕の予想通りだと思う。円海山から流れる川が有るからである。だから現在の金沢町ではなく釜利谷や長浜など円海山から流れる川が有る地域が「金沢」なら、それは金沢の地名の由来として正しいのである。でも釜利谷や長浜は昔から金沢とははっきりと別の村として区別されている(上記参照)ので、製鉄とは関係なくついた地名だと思うのである。後日追記終わり上の地図を見た人は、いや「図説かなざわの歴史」の地図がおかしいのであって、あんなに海が内陸まで侵入しているはずは無いと主張する人の為に、江戸時代に作られた「新編武蔵国風土記」に書かれた江戸時代の金沢の地図を紹介する。手子神社付近までは海である。そう言えば手子神社の近く小泉(こずみ)付近を書いた金沢八景の絵図(小泉夜雨)を見ると、海がすぐそばじゃん!釜利谷には今でも宮川が流れる。量は分からないが昔は砂鉄が取れたのかもしれない。また畠山重忠が釜利谷に鍛冶匠を連れて来たのは、原材料の砂鉄のせいだけではない。鉄は重いのである。人力で運ぶのは大変である。川と海が近くて船が使える(海が近かった昔の)釜利谷には地の利が有ったのだろう。話は戻って金沢の地名の由来だけれども、僕は3番目の説だと思う。金沢町付近では、かってこの付近に古墳またはやぐら(横穴墓を含む)がたくさん有り、掘ると金属製品(副葬品)が出たためだろうと思う。「沢じゃないじゃん!」と言う方には「漢委奴国王の金印」の話を紹介したい。金印は志賀島で農民が田んぼを耕していて見つけたと言うことになっているが、江戸時代の藩主への報告書では「三方を大きな石で囲まれた中で見つけたと書かれている。志賀島にはそんな大きな石は無い。恐らくは須玖や岡本付近の古墳を盗掘したのである。つまり石室の中に有ったのだ。ただ盗掘なら提出した農民は死罪なので彼らの上司が志賀島の田で見つけたことにしたのだろう。ウソも方便である。ここも同じで墓をあばいて見つけたと言えば死罪なので、沢で見つけたことにしたのだろう。なので「金沢」と言うことになったのだろう。ちなみに3番目の写真は現代の金沢区であるが、なかに「佐野大和先生の修法壇」と「長浜みはらし公園」と書いてある。長浜みはらし公園は僕が古墳だと信じている「塚」である。(文化財地図には未記入)横浜市金沢区の富岡八幡宮は古墳だよ!(その7)金沢区長浜みはらし公園の鉄塔 | 日本を征服だ! - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)佐野大和先生の修法壇と言うのは、能見台付近の住宅地開発の際に壊された「塚」で、「これは古墳だと思うが、学界ではなかなか認めてもらえないので修法壇と言う事にしよう」と先生が「横浜市文化財調査報告書富岡町における修法壇の調査」報告書に書いた塚である。(これは文化財地図に記入有り)この付近には称名寺の西側にもかって「塚」が有り、大塚と言う地名が有ったらしい。<後日追記>金沢の歴史案内:家田洋文氏著によれば、この大塚は現在(昭和初期)は既にないが、浅間山裏手前に有ったそうで、古より貴顯(きけん:身分が高く貴いこと)の塚として伝わり、また付近の山々に百八の塚有りと言われたそうである。やっぱりそうだったのかと思った。佐野大和先生の考えられた通り、この付近にはたくさんの塚(古墳)が有ったのである。ただ、宅地造成が続き、みんな無くなってしまったのだと思う。とすると、長浜みはらし公園の塚は大事な古墳なんだなとあらためて思った。後日追記終わり。3番目の写真にも書いたが、ここは鎌倉から六浦港を経て久良岐郡衙に至る拠点地域だったのだ。六浦の港を経由する関東一円の物流品、釜利谷の鉄、きっと長者がいたのだろうと思う。だからこの道沿いに古墳がたくさん有ってもおかしくはない。「佐野大和先生の修法壇」付近は禁足地だったらしいが、豪族のお墓が有ったからだろう。だから金沢と言う地名になったんじゃないかな?<後日追記>NHKの歴史探偵を見ていたら、北条氏と伊豆の砂鉄の関係を放送していた。それを色々と考えていたらふと気がついた。上に書いたのはもしかしたら僕の思い込みが少し有るのかもしれない。伊豆から鉄が出て(砂鉄が取れると言うことは伊豆には鉄の鉱脈が有る。)、円海山も砂鉄が採れるのならば、もしかすると鉄の鉱脈はもっと大きくて円海山だけではなく浅間山も鉱脈が続いているのかも?もしそうならば、過去には浅間山からの川は柴の方にも流れていた可能性が有り、その場合には金沢からも鉄が採れてもおかしくは無い。上の<後日追記>に書いた長浜付近は鉄くそ(製鉄等の際に出る鉄くず)が出るらしいとは、(金沢の歴史案内:家田洋文氏著を参照)円海山からの流れのことではなく浅間山からの流れが過去には有ったかもしれないからである。今の地図を見ると、長浜側は長浜(親水)公園から川が流れだしており、これは過去には能見台不動池につながっていたのではないかと思ったので、家田洋文先生の言う通り、長浜なら鉄くそが出てもおかしくはないなと思ったのだが、その川はさすがに長浜見晴らし公園の有る山は越えないと思うので、それをもって金沢にも鉄が出ると言うことはありえないと思っていたが、(金沢町側に水の流れは来ないから)でも鉄を供給する土地が円海山だけではなく、この辺一帯の山がみんなそうならば、例えば宮川等も昔は砂鉄が採れたのかもしれない。その場合金沢町からは少し離れるが金沢文庫駅付近が砂鉄の産地だったとしても不思議はない。そう言えば金沢文庫駅付近は「赤井」と呼ばれるなぁ。もしかすると昔は鉄が採れたから井戸の水も赤みがかっていたのかも?つまり円海山だけではなく、この辺一帯の山が鉄の鉱脈の上に有るならば、金沢町(と言うか金沢文庫駅周辺)は砂鉄が採れ、そのせいで金沢と呼ばれたのかもしれない。まぁでも、先生の言う畠山重忠が秩父から製鉄の職人を連れて来たから金沢と言うのは無いな。<さらに後日追記>そう思って調べていたら、「赤井」の地名の由来は本当に井戸水が鉄分で赤いからだった。NPO法人 横濱金澤シティガイド協会の「かねさわ地名沙」に書いてあった。ちょっと記事を紹介する。「弘法大師空海が関東方面に来られた時、水不足に困り地下水を利用する知識が無かった村人に疫病がはやり苦難にあえいでいた。お大師様は、この地に井戸を掘られ、井戸水を真言密教でお加持すると、たちまち赤くなり…」。今も正法院庫裏の一隅に、石組みの四角い井戸があります。と書いてある。また『新編武蔵風土記稿』には、「赤井村は久良岐(くらき)郡の南にあり、當村(とむら)及宿、坂本の3村、 古(いにし)へ釜利谷の一郷なりしこと、 村の名義は、村内正法院境内に赤井と稱(称)する名水あるに因(よっ)て起れりと云(いい)、 地形高低ありて山間に水田を開き、山上に陸田あり、田畑相半し、 土性(どしょう)は赤土砂交、或いは野土等なり、 民家七十件、農耕の暇には薪を伐出して生産をたすく、村内に係る一條の往還あり」と書いてあるらしい。「土性(どしょう)は赤土砂交」ってつまり砂鉄が出るってことじゃん。NPO法人 横濱金澤シティガイド協会のおかげで疑問が解決してしまった。やっぱり畠山重忠は関係ないし、僕の考えていた古墳も関係ないな。金澤は大昔は砂鉄の産地だったから金沢と呼ばれるようになったんだ。疑問が解決して良かった。
May 16, 2023
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愛天堂の液晶表示器付DSPラジオモジュール [M5807LA]は性能が良い。なおかつ表面実装部品は既に実装されているので、半田付けが難しくない。唯一、液晶が半田付けされていないので、これを半田付けする必要があるが、30~40Wの先が細い半田ごてが有れば大丈夫。追加する必要があるのは、タクトスイッチ5個、100µFのコンデンサー2個及びイヤホンだけ。なお、イヤホンはさすがに直付けするのが難しければイヤホンジャックが必要。必要な部品を下に示す。値段的にもお手ごろだと思う。タバコ1~2箱分のお金で液晶付きDSPラジオが作れる。なお、液晶表示器付DSPラジオモジュール[M5807LA]には写真のピンヘッダーは付いていない。けれども通常は配線を半田付けするのでピンヘッダーは無くても大丈夫。ただ、ピンヘッダーは実験する場合は必要。僕は愛天堂のラジオは時々「ちょっと違うなぁ」と言うのが有るので、事前に実験する。今回も事前に実験してから組み立てた。その時の様子。写真だとニッポン放送(ワイドFMで93.0MHz)受信中なんだけれどもちゃんと聞こえている。でも、実は失敗している。何が失敗なのか?僕が天邪鬼だったのが悪くて愛天堂が悪いわけではない。写真を見ると分かるが、イヤホンをDSPラジオモジュールに直付けしているが、これが間違い。僕はイヤホンアンテナが嫌いなので、外付けアンテナを付けるので回路を少し改造する。愛天堂の回路はイヤホンのアース部分をアースから浮かしてANTにつないでいる。その場合、高周波的にはアースから浮かす為にイヤホンのライン側に1µHのインダクターが必要。しかもイヤホンのアース側はアース(GND)にはつながっていない。でも僕は外部アンテナをつなぐので、1µHのインダクターは使わずイヤホンのアースはANTから外してGNDにつないでいる。そしてイヤホンのアース側を外したANT部に外部アンテナをつないでいる。外部アンテナは50㎝くらいのリード線。この時に、ちょっとお茶目をして100µFのコンデンサーまで省略してしまったのである。これが僕のバカな所でROUTとLOUT経由でマイコンのスイッチ回路が不安定になった。ラジオの音は聞こえているのに液晶が表示されず、スイッチがON/OFFできない。また「不安定」なので、写真のようにうまく行く場合もある。なまじ上手くいく場合も有るのが致命的。原因を探っていたら、この100µFのコンデンサーを省略したのが原因だった。僕は耳が悪いので、たとえ100µFでも負荷を減らして大きな音で聞きたかったのが悪かった。ちなみにこの100µFを22µFにすると、かなり音は小さくなり僕にはギリギリ聞こえる位。まぁそれでも原因が分かったのでOK。100均で適当なケースを見つけて組み込んだ。上の写真でイヤホンジャックを基板付きの物にしているが、基板は無くても良いんだけれども、ケースに入れる場合は有ると便利。ケースにイヤホンジャックを付けるのは予想以上に器用さが必要で面倒。基板の穴を使ってネジ止めする方が簡単。配線が無ければ簡単なんだけれども、ケースに取り付けてからの半田付けは難しく、配線を付けてからケースに取り付けるのは配線が邪魔で難しいから。ケースに入れた完成品はこんな感じ。ケースには環奈ちゃんの写真を貼った!可愛い!液晶部分は上手く切り取らないといけないのが大変。小さなスピーカーを付けてみたけれども、音が蚊が鳴くくらいの小さな音なので使えなくて、百均の300円のスピーカーを買ってつけた。これがイヤホンと同じ3.5mmのプラグで接続するので便利。ただ、電源がUSBなので、手元に有った百均のUSB充電用アダプターで5Vを供給している。このスピーカーはアンプ内蔵でボリュームも付いているので便利。僕のマンションみたいにスピーカー使用禁止の建物で、大きい音で聞きたいならばヘッドホンで聞くと良いと思う。良いヘッドホンを付ければ結構良い音で聞こえる。電波があまり入らない僕の部屋でも関東のFMはみんな入るので相当に高性能だと思う。近所の地域の小規模(コミュニティ)FMも入る。(地域のFMは地元のお姉さんがアナウンサーで時間限定で放送中)ベランダで聞くと中華のFMを除き20局以上入る。このDSPラジオユニットはハイレベルアマチュアには物足りないかもしれないけれど、低レベルアマチュアの僕等にはとても良い(安い)おもちゃだと思う。ラジオ製作は初めてだけど自分のオリジナルFMラジオを作りたい人向きです。電源スイッチ付き電池ボックス [BATBOX-T3]は単三2個用は80円ですが、今は品切れ中。
March 2, 2024
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本当はわの会のイベントではないのだけれども、概ね活動範囲が重なっているし、わの会で行くお寺や神社の御先祖的な古墳なのでここに書きます。せっかくの天気が良い連休にどこも行かないのはもったいないので、以前、まだ未整備な時に遊びに行った逗子の長柄桜山古墳に行くことにしました。前回行った際の記事はこちら。ヤマトタケルゆかりの古墳へ行って来ました。この当時は本当に未整備で何も無かったんだけれども、平成14年に国の史跡になって10年して、やっと1号墳だけ整備され、4月20日にオープン!でも2号墳はまだ未調査。でもこれは仕方のないことで、逗子市は予算が少なく、古墳等の文化的な用途よりも生活関連の支出に力を注がざるをえない。なので、多少不満が有るのは仕方ないが、将来の楽しみにとっておこう。現地は比較的交通の便がよく、日帰りが十分に可能で子供でも行ける。付近の地図とルートを載せる。前回は5年前で、僕もまだ会社に毎日片道2時間、往復4時間かけて通勤していた時代なので、上の図の「体力自慢コース」を選んだ。これは京浜急行の逗子・葉山駅がまだ新逗子駅だった時代で、南口から1時間強歩いた。と言うか、まぁ高さが120m程度なのでたいしたことは無いけれど「登った」でも道が悪くて狭いし、防御設備が何もないので滑ったら大事故になるので、とてもではないがお奨めしない。今回は年寄りらしく、バスに乗った。始発はJR逗子駅で、1時間に約2本有るのでバスの利用をお勧めする。上の地図の「普通の人コース」である。頂上近くまでバスで行ける。葉桜バス停から普通の人コースを3叉路まで行くと、ここから急な上り坂になる。三叉路付近の写真。普通の人コースならば子供でも大丈夫。少し登ると1号墳が見える。前回来た時にはシートがかけて有って何も無かったが、今回は植栽も有り円墳部は3段になっている。ちゃんと調査したんだなぁ。下には過去の経緯を書いた説明板が有る。この後にも同じような説明板を載せるので、ちょっと繰り返しになるのだけれども、この説明板が大事なのは過去の経緯を載せているからである。古墳そのものの説明よりも発見された経緯が面白い。と言うか僕にはうれしい。そう、地元の東家洋之助さんが「埴輪を発見した」のが発端である。後から埴輪の説明は載せるが、要は昔から古墳らしいと言うことは分かっていたんだけれども、「証拠が無くて」認めてもらえなかった。それが埴輪と言う物的証拠が見つかって、行政も対応せざるを得なくなったと言うことである。僕も金沢区内にいくつか「古墳らしき場所」を見つけているのだけれども、なんせ土地の所有権や立入禁止などの規制が有って確かめることができず、またそのせいで証拠が見つからないので、認めてもらえない。行政とはそう言うものである。そして壊されて初めて認められる。例えば下の写真(等高線図)の左側の山である。写真1,写真2と書いているあたりは、自然の地形がこんなに整っているはずが無い。絶対に人工的に加工された地形だと思う。でも許可なく掘り返すわけにはいかないし、横浜市の教育委員会に話に行っても、聞いてももらえない。教育委員会も仕事が多くて対応できないと言うことなのである。ヒマそうに見えるけれど。なので、アマチュアが発見したこの古墳は元気が出るのである。1号墳の円墳部の頂上に登ってみた。ここは整備後は頂上にも登れるようになっている。写真右手の2人が見ているのが埴輪と埋葬施設の説明板である。三浦半島の古墳は円墳部頂上に埋葬施設が有る場合が多く、木棺が埋まっている場合が多い。ここの円墳部には周囲を囲むように円筒埴輪が有ったらしく、出土した埴輪の内の1つは復元されている。上の写真の奥の左手に有るのがそう。拡大した写真を載せる。埴輪の説明文も載せる。頂上の写真にはこの円筒埴輪を「特殊器台」と書いているのには訳が有る。僕はこの復元された円筒埴輪は、ちょっと違うのではないかと思っている。何故なら上の説明板の円筒埴輪の写真を見て欲しい。朝顔(ラッパ状に開いた部分)が無い。なのでこれは「特殊器台」だと思うのである。特殊器台はこの古墳の時代つまり古墳時代初期の古墳から多く出土するもので、上に土器を載せる為の台である。実は下の写真の1号墳の説明板にも、この特殊器台以外に「高杯や孔の開いた壺」も出ていると書いている。つまりこの特殊器台は単独で使われたのではなく、上に乗せる土器も出ているのである。だから、こんな風に朝顔状にはなっていなかったのではないかと思う。近畿地方、特に吉備付近で発生した埴輪は近畿の古墳でも採用されて日本中に広がるが、その元になった吉備地方の埴輪について上手く説明した写真が有るので載せる。これを見ると僕の主張が分かってもらえると思う。弥生時代には装飾器台の上に土器(装飾壺)を乗せていたものが、古墳時代に入ると器台が大きくなって特殊器台となり、最終的には特殊器台と壺が融合して埴輪に発展するのである。しかし、ここで出土した円筒埴輪は上の朝顔部分が無く、土器が同時に出土している。従って、ここの円筒埴輪は真ん中の時代の物だと分かるのである。なので、間違っているのだと思うのだけれども、埴輪を復元したのが学者ではなく行政の方であれば仕方ないと思う。学者ならば怒られてしかるべきだと思う。さて1号墳の円墳部頂上から方墳部へ下ってみる。この古墳は初期の物なので円墳部が方墳部よりもだいぶ高い。僕が古墳だと思っている富岡八幡宮の裏山の時代には円墳部と方墳部はほぼ同じ高さになる。綺麗に整備されている。ただ綺麗になりすぎて、ここが祭祀の場であったと言う可能性が分かりづらくなっている。そう、円墳部に埋葬施設が有り、その周囲を円筒埴輪が囲んでいるのだから、葬送の儀式はこの方墳部に至る場所で行われていたはずなのである。そのせいで古墳は単なる円墳から「前方後円墳」に発展したと考えられている。後から行く2号墳はちょっと後の時代の古墳なので、1号墳よりも方墳部が大きい。ちゃんと方墳部も役割が有ったのである。その辺も説明板に書いて欲しかったなぁ。<後日追記>僕は前方後円墳は大和王権の発展(地方への広がり)に伴う、各地域の首領の世襲の為の「前王の葬送」と「目に見える権威の世襲」の儀式の場だと思う。それを過去にブログに書いた。前方後円墳とは何か?秦の始皇帝が行ったと言う封禅(新しい皇帝がたち、治世が始まることを天に報告する儀式)や中国の「天円地方(天は北極星を中心に円を描き、地は四神=青龍・白虎・玄武・朱雀が守る)」と言う思想が具現化したものだと思っている。しかもそれは古墳時代が終わっても無くなった訳ではなく、形を変えて残ったのだとも思う。キトラ古墳の中の壁画などが良い例である。天井には北極星を中心とした「天文図」が描かれ、四方には方位に従って四神が描かれており、天井の丸い天文図を前に倒せば、四方の四神と併せて前方後円墳になる。だから、古墳時代前期には細くて小さかった方墳部が、「目に見える権威の世襲」を示す場として高く大きくなっていったんだと思う。1号墳を見終わるとちょっと下り気味に2号墳に向かう。元気な人コースと書いた蘆花記念公園からのコースはずーと上り坂なので、バスに乗ってくる普通の人コースで来て良かったなとつくづく思う。2号墳はまだ未調査で整備はされていない。この写真だけを見ると小さいなと思うかもしれないが、1号墳がそうであったように、古墳は何段かの段が重なった構造になっている。この写真は一番上の段だけなので小さいのである。1号墳と2号墳の両者が載った説明板が有ったので載せる。規模的にはほとんど同じか、むしろ2号墳が大きい。1号墳は円墳部に対して方墳部が細く、古墳時代前期のものだと思う。説明板では4世紀後半になっている。これに対して2号墳は右上の図を見ると方墳部がかなり太い(緑色部分横幅が大きい。)なので数世代後の古墳だと思われる。ただ、まだ未調査なので結論は出せない。2号墳下の方の広場からは江の島や伊豆そして富士山が見える。富士山がうっすらとしか写っていないが、秋なんかだと奇麗に見えると思う。なんか俳句や和歌が詠めそう。ここから下って行くのだけれども、途中に面白い所が有った。これって3号墳では?まぁでも逗子市は予算が少ないから、僕が「宝くじが当たったら」寄付して調査しよう。でも今は無理だなぁ。さらに下って平地に出ると蘆花記念公園が有る。前回来た時よりもだいぶ綺麗になっている。5年もたつからなぁ。蘆花記念公園の説明板ができていましたので載せます。ここを出ると田越川に出るのだが、なんとボード初心者がたくさん練習していた。ここの辺は波も無いし、初心者でも安全だから練習場になっているのだろう。ここから京浜急行の逗子葉山駅に向かう途中に六代御前の墓が有る。入口に六代御前最後の故址の碑が有る。墓まで行ってみようかと思ったけれども、山歩きで疲れたので諦めた。六代御前とは、平高清(1173年-1199年)のことです。父は平維盛。平清盛の曾孫にあたります。六代という名は高清の童名であり、平氏繁栄の基盤をつくった平正盛から数えて六代目です。平家滅亡後の文治元年(1185年)、菖蒲谷に潜んでいたところを北条時政によって捕縛され、殺害されるところでしたが、頼朝の強い協力者で平家打倒に暗躍していた僧侶文覚(もんがく)が頼朝に六代は自分の弟子であるとして助命を嘆願、赦されて文覚に預けられて出家し妙覚と名乗りました。その後、将軍頼家に斬首に処せられ、斬首地はこの墓の田越川の対岸にあった池周辺と言われ、この墓は江戸時代に六代の家臣斎藤氏の末裔を名乗る、水戸藩士斎田三左衛門尉平典盛によって建てられた供養塚です。六代御前の墓を過ぎると京浜急行逗子葉山駅に着きます。その北口付近に、三浦為義遺弧碑が有ります。説明板にも有りますが、まだ10歳にも満たない子供達を切り殺すなんて北条氏は怖いですね。この碑は駅のすぐそばなので、行きのバスの待ち時間や帰りの電車の待ち時間の調整によく、ちょっと見に行くと良いと思います。
May 7, 2024
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愛天堂のFMラジオモジュールM5807LAを使ってみた。これはFMラジオICのRDA5807と小さなマイクロコントローラーをモジュール化して、それに周波数表示液晶まで載せた優れものである。いつか使ってみようと買っておいたのを、適当なケースがダイソーで見つかったので組み込んでみた。結論から言うと、とても良いと思う。ただ、ダイソーのケースがすごく硬くて加工が難しくて僕はちょっと失敗したんだけれども、FMラジオとしては立派なのができたと思う。まずは愛天堂のホームページ。税込みで759円は安いと思う。僕はダイソーで税込み770円の時計を「ケースとして」買ったので合計1429円。若干のスイッチとインダクター及び電解コンデンサーを加えても2000円はいかない。ダイソーの時計は1.5V(単4)X3=4.5Vの電池ケースとして使っているが、このラジオモジュールは3.0V用なので、電池ケースの2本分の所を使って3Vを得ている。まぁ最初はFMラジオ部分を実験した。左下に書いたように全体としては4.5Vなんだけれども、電池を直列につなぐ金物部分にFMラジオモジュールのVDDをつなげば3Vが得られる。この時点でFMラジオとしては完成しており、79.5MHzのNack5から93.0MHzまで15局くらいは受信できる。FM横浜はニッポン放送よりも近いせいもあってすごく電波が強い。なおかつ近所のローカルFM(ミニFM局:金沢区限定)まで聞こえる。ケースを加工してイヤホンジャックとスイッチ(ON/OFF、CH+、CH-、音量+、音量-)を付けてみる。ただここで失敗した。イヤホンジャックを横面に付けようとしたら時計の基板とぶつかって入らない。開けた穴はみっともないけれどそのままにして、裏面下部に変更した。ちょっと見苦しいけれど、なんとか取付終了。と言うことでフタをしめて元の形に戻したら、FMラジオと時計両方ともつかない。再度分解して調べたら、力まかせに閉めたのでUSB入力部分が折れていた。仕方ないのでUSB入力はあきらめて、再度フタを閉めたら時計はついたがFMラジオはダメ。また分解してあちこち調べたらGND配線がからまってはずれていた。再度フタを閉めたら、FMラジオはついたが時計の表示がおかしい。LEDが一部消えているし、コントロールが効かない。どうも基盤が壊れたようだ。そりゃそうだと思った。FMラジオの配線が時計の基板を圧迫してるし、USB入力部分が壊れるほど力まかせに押し込んだし、何回も分解復旧をするたびにあちこち「バキバキ」となっていたし。なので、FMラジオとしては完成したけれども、ダイソーの時計は単なる電池ケースと化してしまった。多分器用な人ならば時計もFMラジオも使えるようにできたんだろうけれど、僕は不器用なので、FMラジオは生き延びたけれども時計は死んじゃった。ちなみに時計の基板はこんな感じ。そう、この辺がよく工夫されていて上手いと思ったんだけれども、数字の表示は7セグメントのLEDはつかっていない。7個のLEDを点灯させて、ケースの半透明部分を透過して数字を表示しているのである。7セグメントのLEDは高いからなぁ。よく考えていると思う。時計が死んじゃって残念だったけれども、愛天堂のFMラジオモジュールM5807LAは良いFMラジオモジュールだと思う。ケースの工夫をすれば、周波数表示付きの自分用のオリジナルFMラジオが作れるなぁ。花びんに仕込んだり、本棚に組み込んだり、自由な発想でFMラジオが作れる良い商品だと思う。
June 27, 2025
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やまさんとコメントを交換していて、何となく僕もK-3839Aを作りたくなったので愛天堂に行ったついでに買ってきた。こんなラジオ。かって世界中のラジオで使われて有名だった東芝のラジオICのTA7613APのセカンドソースD3839を使ったAMラジオである。なんせセカンドソースなので、値段以外はオリジナルとさほど変わらない。よく中華は品質が劣ると言われるけれども、ちゃんと「まねした」物ならば、オリジナルがしっかりしているので大丈夫。むしろ「改良した」方が危ない場合が多い。このキットの場合、プリント基板を見ると愛天堂とは書いておらず、2002年製で別の会社の名前が入っている。えー!2002年?確かに今のガラスエポキシ製のプリント基板とは違いベークライト製だし、(ベークライトは昔のプリント基板でよく使われた樹脂で、銅箔がすぐにはがれ使いにくい)まぁでも、逆に言えば20年以上も使われていると言うことは「信頼性が有る」と言うこと。そう考えれば良いのかな?さっそく組み立てたが、最初は「どこかがショートしてびっくりした」幸いにして僕は低レベルアマチュアなので、「火を入れて鳴ると思うなアマラジオ」と言う格言をしっかりと守っているので、電源を入れる前に電源とラジオの間にテスターを入れて安全をはかっている。多くの製品は多少の余裕があるので、0.2秒くらいならばショートしても大丈夫。すぐに電源を切れば部品は(多分)壊れない。部品が壊れるのは大電流が流れて熱破壊されるからである。ただデジタル系の部品はCMOS回路が使われているので、熱破壊ではなく静電破壊で壊れる場合があり、電圧を加えるだけで壊れるので注意が必要。まぁラジオならば多少は大丈夫。すぐに全回路を見直して一つ一つ部品を調べて、半田部分をやり直した。ハンダブリッジと言って、僕のように年寄りが半田付けをすると端子同士が半田でつながりショートする場合がある。だって見えないんだもの。ルーペが必要。今回もそうだったようで、どこに原因が有ったのか不明だけれども何故か直った。電源端子間の抵抗を測ると何故か大丈夫になっていた。不思議?さっそく電源をつなぐと、無信号時には10~15mAしか流れていない。さっそくバリコンを回すとニッポン放送が受信できた。我家は僕の部屋は電波が入らないので、奥さんの部屋を借りて受信して調整する。でも何故か最初から結構調子よく受信できた。思うにIFT等は部品の出荷時にある程度調整しており、回路に間違いが無ければ受信できるようになっているのだろう。でもここで。やまさんのコメントを思い出した。カウンターをつけると、カウンターの表示が受信周波数とかなりずれると仰っていた。僕のもそうだった。ニッポン放送1242kHzのはずなのにカウンターをつけると1270kHzと表示される。この場合、カウンターはデジタルで、実際の電波の波を「数えている」ので間違いは無い。ニッポン放送はしっかりとした放送局なので、周波数は間違っていないはず。じゃぁ何が原因か?IFTが455kHzではなくずれている(ずれた状態でMaxになるように調整されている)のだ。計算すると1270-1242=28kHzなので、455+28=483kHzくらいになっているのだろう。やまさんが仰っていたのと合っている。なので、IFTを調整し直すことにした。ただ、この作業は難しいので(慣れると簡単なんだけれども)おすすめはしない。やるならば、失敗した時はラジオが聞こえなくなるのを覚悟して自己責任でやること。まずはカウンターの表示が1270kHzよりも少し低い1265kHz位にする。(調整は一番電波が強い放送局の電波を利用して行うので、 僕の場合はニッポン放送の1242kHzで調整している。)多少低くなっても音が小さくなるだけで聞こえるはず。聞こえなければ1267kHz位にする。逆に音が小さくならなければ1260kHz位にする。この塩梅は放送局の電波の強さ次第なので、場所によって違う。音が少し小さくなった状態で白いIFTをほんの少し右へ回す(IFTが455kHzより高い場合)すると音が多少大きくなるので、次に黄色いIFTも同様にすると音はさらに大きくなる。つまり、カウンターの表示が実際の受信周波数に近づくのである。これを繰り返してやると、最終的にはカウンターの表示と受信周波数が一致する。この時にはIFTは455kHzに同調しているはずである。なお、音の大きさが大きくなると書いたけれども、十分に電波が強い場所では、むしろ同調が少し外れた方が音が大きい場合がある。でもこの時には音は歪んでいると思う。歪んだせいで音量が増えてしまったのである。この場合は、音が明瞭になる部分を探す。綺麗に同調すると音楽や人の声が無い場合は無音になる位にきれいになる。この場合が真の同調点である。ただ、電波が弱い場所では音質よりも音量を選択せざるを得ないかもしれない。そうしてうまくいくとこんな感じになる。あとはこのカウンターをどこに付けるかだけなんだけれども、悩みどころ。今はケース上側に接着剤で付けようかなと思っている。せっかくうまく動くようになったので、色々と実験してみた。まずは局部発振回路の出力波形を見てみることにした。ここでオシロのプローブの扱いの大切さがわかった。プローブをそのままで局部発振回路の出力(つまりカウンターの入力)を見ようとすると、こんなに局部発振回路の出力周波数が低い方にずれる。ニッポン放送は周波数が高い方なので、発振回路の同調回路のバリコンの容量は小さく、オシロの入力容量さえも響くのである。10kHzもずれてしまう。そこでプローブをX10にすると端子間容量がかなりキャンセルされるので、局部発振回路の出力周波数はほとんど変わらなくなる。測定器もちゃんと考えて使わないといけないんだなと思った。この時の局部発振回路の出力はこんな感じ。字(特に左下の数値など)が見づらい場合は画像を右クリックして出るメニューから「新しいタブで画像を開く」を選択すると、別タブで大きな画像を見られる。いやー綺麗な正弦波だと思う。ディスクリートで作る6石スーパーだとこんなに安定した出力は出ない。特に低い周波数と高い周波数の出力電圧の差が大きく、2倍以上違うなんてざらである。ラジオ用ICってさすがだなと思う。ちなみに受信電波も何らかの方法で見られないかなと思ったけれども、原理的に微小過ぎてオシロの感度では見られない。さて次はIFT(中間周波数変圧器)部分ではどうなっているかを見ることにした。実は僕も学校で習った「原理」的な知識は有っても実際には見たことが無い。原理的には、局部発振回路の出力周波数(変調無し)-受信周波数(変調有り)=455kHzの変調された波形が見られるはずなんだけれども、大丈夫かな?半分くらい大丈夫だった。おぉー!初めて見た!横軸の目盛は500µs/divなので、ちょうど音声周波数程度。2目盛で1000Hzくらいかな?それを中間周波数(455kHz)が埋めている。つまり変調されている。これが検波されて低周波つまり音声や音楽だけが低周波増幅回路に入り、さらに増幅されてスピーカーから出るんだな。なんか学生時代に戻ったみたいで面白い。ところで、カウンターに切替スイッチが付いていないのに気がついたかもしれないけれども、今回のようにAMしか使わない場合は切替スイッチは必要ない。元のカウンターK-M3610Aの説明を見ると下のようになっている。つまり、LCD Display Rangeは「H]だし、IF Offset for different applicationも1-1つまり「H」-「H」なので、スイッチはOPENになるのだから必要ないのである。いや、ケースに接着剤で付けるならば、スイッチは厚みが有って邪魔なので付けない方が良い?<後日追記>「カウンターを付けてみた」と言うタイトルなのに、実際にどこに付けてみたかを書かないと不完全なので、追記。回路図上は下図の通り。写真を右クリックして出るメニューから、「新しいタブで画像を開く」を選ぶと別のタブで大きな写真を見られます。別の候補点としては回路図左側のT1赤と書かれたIFT部分でも良いのだけれども、カウンターの入力容量がバリコンに加わるので周波数が微妙にずれるので、こちらにした。なお愛天堂の3610タイプのカウンターのように低い電圧で動作するタイプの物は良いが、秋月の五角形のカウンターのように1Vの入力電圧以上じゃないと動かない物は使えない。僕は上の方の「ニッポン放送受信中」の写真のように、ICの足に半田付けしたが、慣れない場合は基板裏側の該当部分に半田付けした方が安全だと思います。
July 10, 2024
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忌野清志郎さんが亡くなりましたね。彼の全盛期のライブには行った事がありませんが、逆に彼がまだ若い頃の曲はよく聞いてました。有名な「僕の好きな先生」なんか良く歌ったものです。ザ・ベストテンに「い・け・な・いルージュマジック」で出た時にはびっくりしたものです。いや、日本にも見せるロックミュージシャンがいるもんだなぁって感心すると同時に、ちょっと行き過ぎた歌詞で歌うたびに大丈夫かよ??って心配したものです。あの頃はもう学生運動も終わって「政治的な歌」は流行らなくなっていましたからね。それでも頑張る彼ら団塊の世代のパワーは恐ろしいと思ったものでした。彼らの世代に比べれば、僕らの世代は可愛い猫みたいなもんです。さらに今の若い世代なんか、「こんなんで韓国や中国に勝てるのかよ?」って思います。日本はだんだんパワーが落ちてますからね。彼ら団塊の世代がいなくなったら日本は世界の中で貧乏国に落ちてしまうかもしれない。そう言う意味で、忌野清志郎さんが亡くなったのは一つの曲がり角かもしれません。彼らのパワーを引き継ぎたいなぁ。
May 3, 2009
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BIG買いましたか?6億円ですからね。しかもジャンボやLOTO6よりも当たる率が高い。キャリーオーバーが貯まって6億円が出やすくなってます。BIGはサッカー14試合の勝敗(+勝ち方)で1等が決まりますが、1等は約480万分の1でLOTO6の610万分の1より当たりやすい。これまでのTOTOは自分で考える面倒臭さがあったが、BIGはコンピューターが自動で選んでくれる。売り上げの50%が当たり金として支払われるが、そのうちの80%が1等。逆に言うと紙くずになる率は宝くじより圧倒的に多い。ギャンブルですね。当たらないかなぁ?
May 19, 2007
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長かった花粉の季節が終わったので、久々にチャリンコで遊びに出ました。で、ついでに四つ葉のクローバーなんか探したりして。いや、別に少女趣味ではないのですが、縁起担ぎなもんで。財布の中とか机の上に置くんですよ。ゲームの経験から人生は運だけではダメ、努力だけでもダメ、両方あわせて効率よく頑張るのが一番だと思ってますから。これ鉄則ですよ。
May 13, 2007
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韓国LG電子製液晶モニターが壊れた。電源を入れた時に右下の電源ボタンが通常青に点灯していたのが青の点滅をするようになり、その状態では画面が映るまで10分かかっていた。そのうちに電源ボタンは点滅さえもしなくなった。画面も映らなくなり、買い換えするしかないかなと思ってWEBを検索したら、同じような症状の人が沢山おり、どうも電源部分の電解コンデンサが不良になっているようである。同じように悩んでいる人が多いせいもあって、修理した人も多く、すぐに先達のブログが見つかったので参考にして、自分で修理することにした。早速、愛天堂に行き以下の部品を買った。1000μF(50V)2個、680μF(50V)2個、220μF(50V)1個1個10円、5個で50円、往復の電車賃(定期券との差額)260円を含めて310円。安い物である。早速、分解してみた。2枚の写真を合成したので縦に伸びてしまい見にくいが、左は構成部品を作業し易いように外した所で、右はバラした所である。一番大変だったのがこの作業。とにかく硬い。ネジを外したら簡単に取れるかと思っていたら裏表の樹脂の枠が外れない。20個のツメで固く固定してあった。ドライバーを斜めに差し込んで浮かせてツメを外していくのだが2カ所ツメを壊した。ノートパソコンの分解には慣れているので、それなりに器用なつもりだが、これは器用さに加えて力が必要だった。なので女性には修理はお奨めしない。で、中の電源部分を見ると先達のブログの通り、電解コンデンサが膨らんでいた。もう見事と言うしかない。これを取り替えてみたら、L227WTG液晶パネルは見事に復活した。買い換えると最低でも1~2万円はかかるのは310円で修理できたのはうれしい。誰かの参考になればと思いブログにしてみた。特に、自分の恥をさらすようだけど言うと、基板から外した後で電解コンデンサの種類と配置及び向きの記録を忘れていたのに気がついた。写真の右の縦2個が1000μF、中央の縦に2個が680μF、左下が220μFである。また、電解コンデンサにはプラスマイナスの極性があるが、1000μFは左側、680μFは右側、220μFは下側に白い筋(マイナス側)がくるので参考に。<後日追記>今日は2023年4月10日、つまり約9.4年後なんだけど、液晶の色が少しおかしい(色温度やコントラスト調整によりさほど目立たない範囲だが)だけで、無事に使えている。でもある意味後悔している。壊れないので新しいのが買えない!我家は大蔵大臣(奥様)の許しが無いと高い買い物はできないので、この手の物は「壊れないと買えない」。修理が成功したのはうれしいけれど、新しいのが買えないのも辛いなぁ。
December 28, 2014
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4月22日に人生初の木星の縞の撮影に成功した後、研究を重ねてきたが、やっぱりコリメート法には限界が有ると思い至った。まず、コリメート法の弱点には以下が有ると思う。1.撮影用の治具が、VIXENの高級品でも厳密なカメラの固定が出来ず、 また、カメラを付けた瞬間、重さを支えきれず下がる。 思うに、作ればもっと頑丈でしっかりとした治具も作れると思うのだが、 メーカーにすれば 「もっと綺麗な写真を撮りたいのなら、もっとお金をかけて立派な物を買って欲しい」 と言う営業戦略が有るのだろうと思う。 なので、鏡筒への固定はちゃちな構造で、重さによりずれやすく固定しづらいもので、 カメラを支える土台も細くて、重さでしなって、光軸がずれてしまう。 さらにカメラのレンズと接眼レンズを密着するのは難しく、 カメラの光軸と望遠鏡の光軸がどうしてもずれてしまい、 また両者の接続点に外部から光が入りやすくなってしまう。2.接眼レンズの大きさに対しカメラのレンズが大きくてケラレが発生しやすく、 カメラの撮像素子のごく一部しか使えてない。 まぁ、これは高級な接眼レンズを使えれば、望遠鏡のレンズが大きくなる事により、 かなり改善されるので、コリメート法の弱点と言うより僕の経済力の弱点なんだけど、 接眼レンズの大きさとカメラのレンズ&撮像素子の関係を考えると、 安物の接眼レンズを使うと「デジタル一眼もスマホもかわらないジャン」状態になる。 そう、出力がしょぼいと受け取る側がいくら立派でも無駄なんである。そんな欠点があるのだが、少しづつの改善を考えて、まずはアイピース(接眼レンズ)を改善した。試しに僕の手持ちのアイピースを見てみよう。当初持っていたのが、24.5mmのH12.5とK20である。これに限界を感じて買ったのが31.7mmのH12.5で、これにより木星の撮影に成功した。最近、奥さんに内緒で買ったのが31.7mmのNPL25とNPL8である。それぞれの最初の数字、24.5と31.7はアイピースのサイズで、24.5は昔からあり最近は劣勢のカールツァイスサイズで、要は1インチ径。31.7はちょっと前まで流行していた(今でも主流)アメリカンサイズで、1.25インチ。最近は2インチが出て来ているようだけど僕には高値の花。で、やっぱりサイズは大きい方が良いです。見える範囲が大きくて星を見つけやすいです。後の数字は焦点距離で、間のアルファベットはアイピースの種類です。Hはハイゲンスでもっとも古く基本的な方式。見かけの視界が狭く(だから星を見つけにくい)、アイレリーフ(アイピースから目までの距離)が短く(だから目をくっつけなくては見えない)、Kはケルナーと言い、Hよりも見かけの視界が広く、アイレリーフが若干長い。でも短焦点の物は作りにくいようで、ヤフオクでは20mmしか見つかりませんでした。NPLはビクセンの物でプローセルと言う方式の改良型。僕には高いのですが、アイピースの中では最もコスパが良く、現在の(普通の人の)主流。眼視の場合には僕の手持ちの中では一番良く見えます。でも、やっぱり拡大撮影法もやってみたい。5月14日の実験で、上の写真の31.7mmアイピースアダプター、レンズを外したバローレンズ、Tリングで直焦法が出来るのが分かったので、後はバローレンズとTリングの間に接眼レンズを内蔵可能な筒を入れるだけである。ヤフオクを探すと安いのが有った。また、amazonを探すと「長さを調整可能なアダプター」が有ったので買った。右がヤフオクで買った長さ固定の安い物で、左がamazonの長さ調整可能な物。上の写真は最小の状態だが、延ばすとこんな感じ。4cm位は伸びるのかな?レンズよりも後方が伸びるので倍率が上がる。なお、中に入れ込んだアイピースはこんな感じ。この段階で、ものすごく後悔した。清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったNPLタイプは、何と入らないのである。良く読むとビクセンの解説書にも書いてある。いつもの事だけど、説明書を良く読まないバカな僕のいつものパターンである。でも、眼視の場合にはすごくよく見えるので良いと自分を慰めている。準備が整ったので木星を撮してみた。まずは直焦法。倍率が20倍程度なので小さい。次が拡大撮影法。筒は最小に縮めている。ちゃんと写っている。コリメート法の時は数十枚も撮って、やっと良いのが一枚だったのに、簡単に撮れた。筒を延ばすと(さらに拡大すると)どうなるかやってみた。おぉー!大きくなっている。2倍くらい?でも少し暗い、今回は、前に初めて成功した時に比べて天気の状態が悪かったので、コリメート法と大差ないジャンと言われそうだけど、天気の条件が良くなって、僕のスキルが上がればもっと良いのが撮れそうな気がする。いやなんせ、前は数十枚とったうちの一枚だったのに、今回は何回撮っても全部大丈夫だったから。最上の一枚なら、もっと行けそうな気がするもの。再チャレンジの予定。
May 31, 2017
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今まで、邪馬台国はどこにあったか(その15.6妄想編)等で、神話で言う「国譲り」は島根県の出雲ではなく、奈良県の出雲(そんな地名は無く、出雲の一族が住んでいたと言う意味だが)で行われた事だと、書いてきたが、あくまでもそう言う前提で考えると、纏向遺跡は邪馬台国の遺跡ではなく「出雲の遺跡」で、魏志倭人伝の記述や神話や発掘結果と整合がとれると思っている。しかし、邪馬台国はどこにあったかとは「別の話」であることは事実なので、今回から「何故「古事記」と「日本書紀」があるのか」と言うシリーズを作ることにした。だって掘り下げていくと面白いんだもん。「邪馬台国はどこにあったか(その15.7ほとんど妄想編)古事記と日本書紀があるわけ(4月9日)」において、日本書紀が藤原氏により藤原氏に都合の良いものに変えられていると言うならば、古事記のもとになった「帝皇日継(帝紀)」や「先代旧辞(旧辞)」だって、もしかすると誰かの都合の良い歴史を記してあったかもしれないし、そうではなくても古事記を作る際に変えられたかもしれないと書いた。なおかつ、乙巳の変と言うのも、蘇我入鹿を殺すのが目的ではあるが、それだけではなく、蝦夷の家に有ったそれらの古い歴史書を燃やすのも目的だったかも?と僕は疑っていると書いた。自分達に都合の良い歴史書を作る際に古い歴史書は邪魔だからである。また、僕は天武天皇良い人派なので、彼は歴史書を作る際に、自分が理想とする人の輪による穏やかに平和な世の中を作るテキスト(古事記)を作ろうとしたが、その内容が自分達に都合が悪い持統天皇と藤原不比等により邪魔をされ、持統天皇と藤原不比等は古事記を廃そうとしたが、守旧派に抵抗され廃せず、仕方なく「古事記ってマンガじゃん!」と言い触らして、委員会形式で一見公平に見える編集方式で中国の史書を真似て記録中心の「日本書紀」を作った。それでも守旧派から抗議がでたので「一書に曰く」形式で別の言伝えを載せざるを得なかったと書いた。参考までに「古事記の序で分かる天武天皇の古事記をつくる時の気持ち」が分かるように、「邪馬台国はどこにあったか(その15.7ほとんど妄想編)古事記と日本書紀があるわけ(4月9日)」の該当部分を再掲する。古事記の序に面白い記述が有る。 「安の河に議りて天の下を平(ことむ)け、小濱(をばま)に論(あげつ)らひて國土を清めたまひき]えー?意味不明だって?これは古事記を作った理由を書いてある所で、 「安の河に議りて」=高天原の安の河(多分吉野川)のあたりで話し合い、 「天の下を平け」=世の中を平和にする為には、 「小濱に論らひて」=稲佐の小濱の出身者である大国主の命を説得に相談して、 「国土を清めたまひき」=争いのない世界にした。と言うことである。 (現に神武天皇はその後事代主の娘を嫁にもらい、2つの一族をまとめている。)ここに出雲系の事代主と反出雲系の神武天皇(崇神天皇)が話し合って天下泰平に合意した、それを後世に伝える為に古事記を作るよと言う意味である。最近蘇我氏の業績の見直しが進んでおり、大化の改新で行われた制度改革は、実は蘇我氏の時代から始まっており、天智天皇以降はそれを引き継いだだけと言われ始めているらしい。天武天皇は蘇我氏に近かったのではないだろうか?少なくとも彼は改革の進め方を臣民に理解してもらうにはテキストが必要で、古事記はそのテキストを目指しており、天皇家と日本は(事実は別として)平和な状態で発展してきたと古事記に書きたかったのでは?なので、古事記の書き方は(持統天皇には「マンガ」と言われるけど)平和的である。自分達出雲を象徴する因幡の白兎は、ワニに象徴された敵の吉備氏にやられても悲壮感は無く、大国主命は兄神達に何度殺されても(母親は悲しむが)残虐感は少ない。素戔嗚との逸話だって、ムカデ達の部屋や山で火に囲まれても、スセリヒメに助けられる等、日本書紀の記載に比べて優しい。(編集方針の違いはあるが逆にその為に神話形式にした)本来なら憎むべき天智天皇の娘である持統天皇を大事にした仁徳のある天皇である。日本書紀に限らず、世の中の歴史書は時の権力者が自分に都合よく作るのは当たり前で、それが他の書物により「実はこうだったのか?」と分かるのが歴史の面白いところである。それにより点数が減って受験に失敗する学生さんには申し訳ないけど。銅鐸文化圏と銅矛銅剣文化圏なんて必死で覚えていたのに、今では誰も信じない、そんな問題が堂々と試験問題として出ていたんだもんね。大化の改新だって、かっての教科書は乙巳の変とごちゃまぜだったし、仁徳天皇陵は「大仙陵古墳」と言うようになっちゃった。先生は間違った試験問題を作って生徒をバカにした責任を取れよなって思ってしまう。この先どんな「歴史事実の認識の変化」が出てくるのか楽しみで仕方ない。で、表題なんだけど、「古事記と日本書紀の違い」について書いた本は山のようにあるけど、何で両書が並立してあるのか、しかも同じ天武天皇が始めたのか説明した本は見たことが無い。これは学者先生が誰からお給料をもらっているか考えればある程度仕方ないと思う。世の中真実を言うと「それを言っちゃったらおしまいだよ」的な事実は多いから。でも、僕ら「低レベルアマチュア」は大丈夫。どうせ誰も見てないし、偉い先生なら「それは違う」と言って話題にするより、完全に無視して話題にしなければ、書いた人間も諦めてしまうのを知っているから。なので、僕ら「低レベルアマチュア」は好きなように書く。但し、少しは頑張って根拠を探し、いつの日にか日の目を浴びる希望を持つ。だって、「長柄桜山古墳」は散歩をしていたアマチュアの人が発見したんだもの。僕だってと思っちゃう。で、本題であるが、下に表を作ってみた。例によって150%位に拡大すると読めます。Windows10なら右上の歯車アイコンで。元に戻すのを忘れずに。こうしてみると、「違い」は簡単に分かるけど、「何故両方あるか」は難しい。それを解決する為に、気がついたことをまず一つ書こうと思ったのが、「国譲りは大和の地で行われた」ことの証明である。いや、証明は無理に近いので「妄想の説明」なのだが、僕は心優しい天武天皇が自分達の祖先が九州から大和に来た時には、決して野蛮人のように戦争だけで出雲の人達を征服したのではないよ。世の中、平和な世界を築くには話し合いで双方納得し、他人の土地を無理やり奪うのではなく、他国を自分の国の配下に置く時には、その土地の元の首領を認め国造としてその地の支配権を認め律令制の下に置くんだよとみんなに説こうとして作ろうとしたのが古事記で、「序」は後からつけた可能性はあるが、古事記の精神として伝わっていたものを後世の人が追記したものだと信じている。だって律令制の基本だもん。日本書紀はそれを、良いんだよ!大和の地だってお前が出雲の一族から奪った土地だろう?雄略天皇だって他を皆殺しにしてるじゃん!と言って、「事実は事実として書く、これからは祭祀じゃなくて実力主義で行くんだよ」と主張する藤原氏が日本を争いの社会に変えようとした書だと思う。藤原氏は中臣鎌足すなわち百済の「余豊璋」を祖先とする一族で、戦争に生きた人なので、従来の豪族たちによる協力体制による平和な大和王権が、他を廃して、血で血を争う王権に変わっていく、武力中心の世界になるきっかけだと思う。だから「国譲りの真実」を明らかにすれば、古事記と日本書紀の両方が存在する理由が分かると思う。「余豊璋」については、関裕二先生の「豊璋」を御覧願います。韓国では生首の塩漬けをやっていたんですね。肉食種族の残忍性がすごいです。日本人には無理です。国譲りは島根県の「稲佐の浜」で行われたことになっているが、実は古事記にも日本書紀にも「稲佐」とは書いてない。古事記では、「此二神降到出雲國伊那佐之小濱而」と書いてあり、日本書紀では、「二神、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地」って書いてある。えーっと思うだろうが本当である。島根県の「稲佐」が出雲大社の傍に有るので、後世の人が「自動的に」そう思ってしまった?あるいは「ここで行われたことにした方が都合が良い人達」がそう広めてしまった。もしかすると、もっとすごくて「稲佐」と言う地名までその人達が作ったかもしれない。まだ「出雲風土記」が手に入らないので確認ができていないが、出雲風土記には大国主命は出てこないらしいから、大国主って大和にいたんでは?奈良県宇陀市榛原石田付近は昔は「伊那佐」と呼ばれたらしいよ。ここは神武東征に出てくる「弟猾と兄猾」の支配地のだし、弟猾を事代主、兄猾を建御名方命と考えれば、この神武東征のエピソードは国譲りのエピソードそのもので、古事記の「伊那佐」とも日本書紀の「五十田」とも整合がとれる。それを説明する為に「神武東征の地図」を作ってみた。例によって150%位に拡大して見て下さい。(Windows10なら右上の歯車アイコン)見終わったら元に戻すこと。これは神武東征の地図なんだけど、古事記や日本書紀を読んで不思議に思ったので作った。「何で大国主に国を譲ってもらった後に東征しなくてはいけないの?もらったんでしょう?」そう、ちゃんともらったんだったら東征する必要は無いじゃん。しかも、「目的地が大和ならば九州から大和を目指すのに出雲に寄り道する必要は無いじゃん!」この2つの説明がまったくつかないのである。文系の人は「本に書いてある」ので納得するかもしれないけど、僕ら理系の人間は自分で確かめないと気が済まないし、理論的でないことは納得できないから。で、気がつくのはもしかして出雲の人達はその時点で既に大和にいて、国譲りは実は大和で行われたんだけど、何らかの事情で島根県で行われたことにしたかった?そうすれば上の地図で言えば、九州から出てきた神武天皇(崇神天皇かも?)は生駒で敗れ、熊野に周って何らかの手段で地元で味方を得て、高見山で八十梟命を破り、弟猾を味方にして兄猾を滅ぼして大和を手に入れ、生駒のナガスネヒコに再戦を挑んで勝った。この一連の征服劇が神話に国譲りと神武東征として残っているのではないかと思う。実は神武天皇は高見山で八十梟命を破った後に「吉野に遊びに行っている。」これは弟猾を味方に引き入れる為だったのだし、弟猾とは事代主なんではないかと思う。そうすれば「国譲り」と「神武東征」は一つのことを角度を変えて書いたとすれば、上の「国を譲ってもらったのに何で東征するの?」や「何で出雲に寄り道するの?」は解決し、事実と神話は結び付く。なおかつ、大和の地に三輪山と言う「出雲の神様であるオオナムチを祀った山」がある説明も、スムーズに解決する。上の地図にも書いたが、奈良県宇陀市榛原石田付近はかって伊那佐(今でも伊那佐地区と言う)と呼ばれたし、近くには神武天皇を案内した八咫烏の神社もある。ここが伊那佐では?もちろん人によっては「稲佐」を万葉仮名で「伊那佐」と書いたと主張するかもしれないが、それならば、そのすぐ前の「出雲」だって万葉仮名で書けばよいのでは?多分、当時良く知られた地名はそのまま漢字で書いてあると思う。何より日本書紀に書かれた「五十田」は「石田」に似てるし、日本書紀には「浜」とは書いて無く、「汀」と書いてある。これは吉野川の傍と言うことでは?何故「古事記」と「日本書紀」があるのか(その2)で書こうと思っているけど、国譲りに出てくる神や人と同じ神と人が神武東征にも出てくる。(少し名前は変わっている)大国主命のエピソードは景行天皇+日本武尊のエピソードに似ている。稗田阿礼は暗唱する際に同じ話を繰り返したのだろうか?混同してしまった?あるいは太安万侶が1つのエピソードを書き分けた?出雲一族が既に大和に居たと言う推論には別な根拠と言うか想像もある。古事記では素戔嗚命は肥の河を上って行き八岐大蛇を退治することになっているが、和歌山と奈良のさかいに有る紀の川の中流に須佐神社が有り、その上流は奈良県に入って吉野川になる。彼が出雲の祖であれば大和こそ出雲の国では?じゃぁ島根の出雲の国は何?と言うと、神話に書かれていることを「少し書き換える」と答えが出ると思う。古事記によれば、「天つ神の御子の天つ日繼知らしめさむ、富足る天の御巣の如、 底つ石根に宮柱太しり、高天の原に氷木高しりて治めたまはば、 (宇豆柱が発見されたそのままに書いてあるなぁ。氷木は千木だな) 僕は百足らず八十 手に隱りて侍む」と大国主は願い、「出雲の國の多藝志の小濱に、天の御舍を造りて」とあるように約束は果たされ、大和の地を明け渡して大きな神殿を(出雲に)作ってもらった大国主命はそこに祀られた。事代主はヤマト王権に取り入り、自分の娘を神武天皇に嫁がせたので大和に残り、他の人々は大国主命の亡骸と共に父祖の地の出雲(島根)に帰ったのだと思う。つまり、「出雲の国」と言うフレーズは地名ではなく、「出雲の人々の住む国」と言う意味で使われており、大和の出雲の国も島根の出雲の国も、その時点では(大国主がいると言う意味で)出雲なのである。出雲は九州を追われ韓国で鉄の鉱山を手に入れた初代素戔嗚命が帰ってきて作った国で、2代目か3代目の素戔嗚尊はここを出て瀬戸内海を支配しようとしたが吉備に抵抗されて、紀伊に入って紀ノ川を遡上して大和の地に出雲の国を築いたものと思う。なので、後の出雲を主体とする大和王権は九州の一族のうち神武天皇系と王権をつくり、素戔嗚命に敵対していた九州の別の一族を征服する為に何度も九州征伐をしたのである。これが後の景行天皇の九州行幸や継体天皇の磐井の乱の真相で、磐井の乱で磐井が「同じ釜の飯を食った仲なのに」と嘆き、油断して滅ぼされる原因である。この理論なら、素戔嗚尊の子孫=竹内宿祢=葛城 襲津彦と言う理論もあり得るかもしれない。少しづつ書いていくが、「低レベルアマチュア」の妄想って結構正しいのでは?
April 21, 2020
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何故「古事記」と「日本書紀」があるのか(その2)(6月20日)で、その根拠と続きは明日と書きながら2週間もたってしまった。新型コロナ後の仕事の再開がジジイの体力的にはきつく、続きを書く気力が失せてしまった。でも、ようやく慣れてきたので再開することにした。根拠とは古事記や日本書紀の中の色々なエピソードである。まずはよく卑弥呼の墓だと言われる箸墓の主とも言われる倭迹迹日百襲姫命のエピソード。卑弥呼は生涯独身だったそうだが、倭迹迹日百襲姫命は三輪山の大物主命の妻と言われている。え?大物主命って出雲の神様では?出雲じゃなくて何で奈良にいるの?そうなんである。これが大事なところ。もちろん彼女が神聖婚とは言え独身じゃないので卑弥呼ではないと言う、そう言う話もあるけれど、今日は邪馬台国の話ではなく古事記と日本書紀の話なので、そのことは置いておくけど、出雲の大物主命の妻だと言う部分は大事なので最初に書く。彼女の墓、箸墓の由来を見ると、崇神天皇があまりに災害が続くので八百万の神々を神浅茅原に集めて占うと、大物主神が倭迹迹日百襲姫命に神憑り、大物主神を敬い祀るように告げたという。そこで大和の三輪山に大物主神をまつり、大田田根子に祀らせると祟りはおさまったのだが、その際のエピソードとして、大物主神は彼女の元には夜しかやってこなくて、彼女はぜひ姿を見たいと願ったところ、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため、大物主神は恥じて三輪山にこもってしまった。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死に大市に葬られた。この墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝えられている。何も考えずに読むと意味のない神話だけど、何故「古事記」と「日本書紀」があるのか(その2)で書いたように、「大国主」とは出雲の大王のことで、この時代には出雲一族は大和の地におり、古事記に書かれているように事代主命が大和の地に居たのなら話は神話ではなくなる。つまり、国譲りに際し、政治の実権支配は天津神の子孫が行うが、幽世は大国主命の担当になったと言うことを「現実的に理解」すると、古代の国の支配は「政治経済を支配する王」と「神を祀る宗教的斎王」の2人が行うもので、(鎌倉時代以降は前者を幕府が行い後者を天皇家が行うと言う現実的にそうなっている)前者を崇神天皇、後者を事代主が行う約束が成立して初期大和王権が纏まっていたならば、大物主神は国譲りに際して亡くなった(前)大国主の後をついだ事代主で、事代主命=(新)大国主命=大物主神だったのだと思う。ほら「大国主」が名前では無く出雲の大王を指す「称号」だったと言うのは大事でしょう?そう簡単に言えば倭迹迹日百襲姫命のエピソードは事代主命の「夜這い」だったのである。その後の箸墓のエピソードも神話ではなく現実的な話になってくる。亡くなった倭迹迹日百襲姫命の墓である箸墓を作るのに際して、崇神天皇側の人達が働き(昼間は人が墓を作り)、それだけではなく、事代主命側の人達も協力した(夜は神が作った)のだと思う。大王の古墳の場合には生前に墓を作り始めるのだが、彼女は突然亡くなったので、殯の期間中に何とか間に合わせようとしたのである。この話そのものは大した話ではないのだが、大事なのは、初期大和王権は出雲の王国と九州から来た人たちの連立政権だったと言うことである。この状況は応神天皇まで続いたのだと思う。この考えにより、神功皇后と仲哀天皇と竹内宿禰の話まで整理できる。連立政権の中の勢力争いから、出雲系勢力は力を増し、九州系の崇神天皇の実権は、景行天皇の時代に出雲系の景行天皇に移る。それゆえ景行天皇は九州系の勢力の支持基盤を奪う為に「九州行幸」を行う。日本武尊が実在したかどうかは怪しいが、その神話の元になった人物の話はその続きで、その子の仲哀天皇も九州勢力を攻めようとした。(考古学の先生方が、史学では神武東征から九州から大和に攻め上ったと考えているが、 現実の遺跡や遺物は逆に大和から九州に攻め下っていると主張するのはこれが原因だと思う)この時、劣勢だった九州勢力は丹波の息長宿禰王と手を結ぶ。息長宿禰王の娘は神功皇后だが、彼女が仲哀天皇の熊襲征伐を邪魔して新羅へ行くのは、九州勢力と丹波勢力の密約のせいである。(九州勢力を邪馬台国の末裔とは思ってはいない。九州はたくさんの国が有り、 むしろ邪馬台国の敵対勢力だった可能性がある。)神功皇后の祖先は新羅のアメノヒホコだから、征伐に行ったと言うよりは高句麗に攻められていた新羅を助けに行ったのだと思う。その際に彼女と竹内宿禰は仲哀天皇を暗殺したのだと思う。当時の様子は変だから。新羅から帰還後、神功皇后は自分の子である応神天皇を守って、最後の出雲系皇族の忍熊皇子と麛坂皇子を打ち破って凱旋するのである。多分、こんな感じだと思う。今まで、何で九州から「東征」してきた大和王権の子孫の景行天皇が九州を攻め、仲哀天皇と神功皇后の不思議な関係と竹内宿禰の存在。そして応神天皇の5世孫である継体天皇が、近江(丹波の勢力圏)にいて、継体天皇陵に「熊本のピンク石でできた石棺」が有るのかが疑問だったが、これで理解が可能になると思う。え?これが何故「古事記」と「日本書紀」があるのかと言うことに関係があるのかって?何故「古事記」と「日本書紀」があるのか(その1)でも書いたように、天武天皇は実は出雲系で、それ故に壬申の乱では尾張の勢力(出雲系)の助けを得て勝ち、(壬申の乱では河俣神社の事代主命に戦勝を祈って勝っている。)何とか出雲の歴史を残そうとしたからである。それ故に古事記には出雲の話が多く。日本書紀には少ない。天智天皇(及びその娘の持統天皇)は反出雲だったのではなかろうか?
July 4, 2020
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ヒマなのでEXCELの勉強を兼ねてLOTO6の解析をしてみた。お小遣いが無いのでEXCELと言っても無料版なので色々と制約があるが一応完成したので、グラフ化してある。元になるデータは第1回から第1618回であるが、手打ちでは気が遠くなるので、コピペを最大限利用した。手打ちだと多分1週間を超えると思うのだけど、コピペなので基本的なデータ入力だけならば1時間程度で入力できる。データの大元はみずほ銀行の宝くじのホームページにある。過去の当選番号が50回ごとにデータとして載っているので、上の写真のようにコピーしてEXCELに張り付ける。これを手打ちで入力したら、どんなに気の長い人でも途中でイヤになると思うし、第一途中で必ず間違えると思う。これを張り付けたのが下の写真。横にA~Jの記号が見えるが、これは「セット球」と言う物のデータである。LOTO6は電動攪拌式遠心力型抽せん機(愛称:夢ロトくん)によって1~43の数字のついた高密度ポリスチレン製(第一世代は低倍発泡スチロール製)の球を抽選するのだけれども、どんなに丈夫で精密な球でも、製造時のばらつきや抽選時の傷つきから、出現率にばらつきが発生してしまうので、A~Jの10組の球をランダムに使っている。(でも以外に周期があるみたい)これをセット球と言い、第1回~第137回まで使用されたセット球を第1世代、第138回~第648回まで使用されたセット球を第2世代、第649回~第1366回まで使用されたセット球を第3世代、第1367回から現在のセット球を第4世代と呼んでいます。それをWEBから探してきてコピペしたのですが、元のホームページが数字が横に並んでいて、コピペすると横に一列になるので、上の写真のように、一度横に並べてEXCELで縦横変換したのです。(横着だけど、手入力すると大変なので)元にしたホームページはこんな感じでした。(なお、使うセット球は各回の抽選前に発表するようです。)ちゃんと記録している方がおられて、感謝感謝です。まずは全セット球の全数字の出現数のグラフを作成しました。EXCELがデータ範囲を指定すると自動的にグラフ化してくれるので、入力したデータを範囲指定してCOUNTIF関数で各数字の個数を数えた表を別に作れば、あっと言う間にグラフはできます。結構ばらつきがあって、上記に書いたセット球を使っても最大値と最小値では17%近く差が出ます。まずは各セット球毎の各数字ごとの差はどれだけあるのか?調べてみました。但し、4つの世代の違うセット球を混ぜて比較しても意味が無いので、第4世代の1~43の各数字の出現数のグラフです。結構ばらついています。特にセット球C,G,Hは最大値(赤枠)と最小値(青枠)が0~9,10と思い切り暴れています。まぁ第4世代は新しいから総数が少ないので、出現数にばらつきが有るのかもしれません。次にセット球の各世代間の格差を調べてみました。一番長く使われていた第3世代を見ると、一番出現数が多い「37」と一番出現数が少ない「21」では4倍以上の差があります。とてもじゃないけど、「1」~「43」まで43個有るので各数字の出現数は1/43の確率とは言えませんね。1等を当てるのは難しいけど、5等ならばデータを解析すれば当たる確率を上げられそうです。と言うことは、5等~4等狙いで資金力が有れば儲けることができるかもしれない。そんな気がしました。なお各写真は、右クリックして出てくるメニューから「新しいタブで画像を開く」を選択して、大きな画像を別のタブで見られます。くじを買ったお金を必要経費として認めてもらえれば、利益率?は上がるのですが、過去に競馬の馬券を経費として認めてもらおうとした裁判では敗訴しているので無理かな。政治家の投票に使う経費は認められるのに、くじの投票は認められないのは変な気がする。不心得な政治家の政治(支援者との宴会)費用も経費なのになぁ。不公平。
September 18, 2021
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会社を退職してしばらくジャンクパソコンの修理を中断していたが、ヤフオクで安い富士通 ARROWS Tab Q665/Mを見つけたので3台も買って修理してみた。とにかく安かった。1台あたり税抜きで1000円ちょっと。しかもメモリー4GB付きでお店の情報では3台とも128GBSSD付きだった。でも実際は1台はSSDが抜かれていた。お店にSSDが無いと文句を言ったら返金するから送り返してくれと言われたけど、元々の落札価格が安く、(お店の人は悪気が有るのではなく知識がないようなので)諦めた。SSDが無かった1台はパスワードがかかっておりBIOSに入れない状態だったので、お店の人はSSDの有無を確認できなかったのだろう。ならば有ると書かなければ良いとも思うのだが、値段的に無理を言っても仕方ない。なのでヤフオクで別に1300円で買った128GBのSSDを取り付けた。これを付けても1台1500円以下だもの。SSDの無かった1台を分解してみるとこんな感じ。タブレットに近い構造なのでスペースに無駄が無く、裏ブタはネジが1本も無くはめ込み式。驚いたことにSSDはmSATAではなくM2タイプ。つまり比較的新しい。(値段からするとNVMeではなくSATAタイプだと思うが)えー!それならCPUも結構新しいのではと思って調べるとインテル® Core™ M-5Y10c だった。結構新しい。COREMタイプのCPUはBroadwell 世代のCPUで、製造プロセスは14μm。2コア4スレッドで、ベースクロックが0.8GHzと低いが、ターボブーストにより2.0GHzまで上がるのでそこそこ速い。同世代のCOREiタイプのCPUよりもクロックが低いので若干性能は劣るが、消費電力が圧倒的に少ない。使い方によってはファンレス(ブーンとうなるファンを必要としない)可能なので、タブレットに使える。かってタブレットに使われて評判の悪かったAtomと比べるとベンチマークの数値が2倍近い。2世代前のCOREi3とほぼ同性能で消費電力は1/3~4しかない。なので通常の場合はジャンクでも(メモリー、SSD付きで)1台1万円はすると思う。なんかお得な感じだった。では何で安かったのか?一つはキーボードが使えなかったからだろう。この機種は本体をスリムキーボードと切り離してタブレットとして使える。その為頻繁に切り離すだろうと言う設計者の思い込みから接続部はピン接触方式になっている。ある意味正しい。通常の差し込み式だと差し込む際に接点が削れていくのですぐに使い物にならなくなり、ピン接触方式ならば接点は頻繁に接続を外しても損傷しないので、理論的には正しい。でも実際のユーザーがそれほどタブレットとして使わなかったのだろう。WindowsはOSとしてタブレットには向いていない。なのでノートパソコンとして使う。するとピン接触方式は腐食して接触が悪くなり、キーボードは使えなくなる。するとユーザーは「キーボードが故障した」と勘違いしてキーボードを分解して壊す。その結果治らず、「もう新しいのを買おう」と考えて古いのを廃棄する。それが僕の買った物だろう。最初の写真を見ると分かるようにキーボードは何か所か外れている。恐らく接点が悪くなって動作しないのをキーボードを分解して解決しようとしたのだろう。僕はそうだろうなと推理して、接点を磨いてみたら簡単に治った。接点復活剤を使えば簡単なのだけど、近所にホームセンターが無く接点復活剤を買えないので、コロナに合わせて買ったアルコールと百均で買ったブラシで清掃すると治った。但し前ユーザーが破壊したキーボードのパンタグラフとキートップは入手料金が高いので、3台のうちの1台を外して残り2台に移植した。犠牲にした1台は前ユーザーが導電ゴム部分まで破壊していたので仕方なかったし、前ユーザーはキートップを外す際に力まかせに外してパンタグラフの取り付け金属部も壊し、この1台だけは物理的に復活が難しかったのでキーボードは諦めてタブレット専用にした。テスト中なので右上のタブレット専用マシンは本当は右下のキーボードとの組み合わせが正しい。で、値段が安かったもう一つの原因はBIOSパスワードがかかっていたこと。そもそもキーボードが使えないので(知識の無い人は)BIOSへの入り方も分からないと思う。通常のノートパソコンの場合DELキーやF2きーを使うが、この機種の場合のように多くのタブレットでは音量キーを押しながら電源を入れる場合が多い。するとこの機種はBIOSパスワードがかかっていたのでこういう画面が表示される。写真に書いたようにおまじないの数字記号を入力すると3回目に下の4文字X6組が表示される。それを特殊なプログラムにかけるとパスワードが分かる。やり方は過去のブログ参照。BIOSパスワードの解除の備忘録 | 日本を征服だ! - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)PanasonicやToshibaは相当に解決が難しいけれども、この機種は大丈夫である。なお、この方法によるパスワードの解決は、「プログラムを解析していないしパスワードそのものはデータでありプログラムではない」ので、法律には抵触しない。何故ならパスワードは「入力した人に固有のデータ」なので所有者はユーザーであり、あくまでも法律はプログラム部分の話であり、メーカー等には個人データには権利は無いから。たった5000円弱で3台のマシンをいじくれて面白かった。
August 26, 2022
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中国の古い書に「山海経(せんがいきょう)」と言うのが有る。Wikiによると「せんがいきょう」だが中国の発音は難しいので、人によっては「さんかいきょう」とも聞こえるかもしれない。だって現代の日本国内の発音だって耳の悪い僕にはよく分からない。東北の人には大学(だいがく)の「が」と学校(がっこう)の「が」は別の音に聞こえるそうだが、僕にはまったく区別がつかない。だから読み方に関してははっきりとは確信が持てない。奈良時代までの日本では母音は8つ有ったらしいのだけど今は5つしかない。「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」が違うと言われても分からないのである。平安時代の人は明確に別の音だと区別していたらしいのだけど、今じゃ同じ音だもの。(僕は両親が長崎県人なので英語の授業では「s」と「th」の区別が分からなくて苦労した。 「R」と「L]の違いなんて今でも分からない。 先生は舌を上顎に付けるとか説明してくれるのだけど、元々耳の方が対応できてないので、 テクニックだけ説明されても無理なんである。理屈じゃないものだもの)まぁそれはそれとして「山海経」はWikiによれば、中国大陸で書かれた地理書。戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて、徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており最古の地理書(地誌)とされる。そうなのだけど、これが何故「邪馬台国はどこにあったか」に関係あるかと言うと、倭国について書かれた最古の記述が有るからである。中に、 「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」と書かれており、基本的には蓋國について書かれた物だが、倭の名前が出てくる最古の書である。意味は、「蓋國は大いなる燕の南にあり、倭国の北に位置する。倭国は燕に属する」と言うことである。ここには大事なことが2つ有る。一つは、蓋國は大いなる燕の南にあり、倭国の北に位置する。これにより、紀元前4~3世紀の倭国の位置が分かる。蓋國については書かれた本が少なく、よくわかっていないが今の韓国付近らしい。燕は時代により(同じ名前だが)違う国であり位置も違う為にちょっと複雑だが、Wikiによると、「燕」は現在の中国河北省北部(現北京及びその周辺)に位置した青銅器時代の都市国家の名であったが、(多分日本では弥生時代)これが東周期に領域国家に発展したことによって河北省北部全体を指すようになった。以後、歴史的にこの地域に建てられた国名、地方名、行政区名が燕を称し、農耕定住地域の華北と牧畜の卓越する満州・内モンゴルの両社会を媒介する地域であった。河北省そのものの雅称でもある。と書いている。続けてWikiには各時代の「燕」についても書かれている。燕 (春秋) 周により封建された都市国家から春秋時代から戦国時代にかけて領域国家として発展し、七雄の一つに数えられた(紀元前1100年ごろ - 紀元前222年)陳勝・呉広の乱期の燕秦末期に韓広が擁立されて名乗った(紀元前209年 - 紀元前207年)臧荼・ 楚漢戦争の燕上記の燕の武将であった臧荼が秦末の動乱で西楚の覇王となった項羽に封建された(紀元前206年 - 紀元前202年)盧綰の燕前漢初期に劉邦と同郷の盟友の盧綰が上記の臧荼に替えて諸侯王として封建された(紀元前202年 - 紀元前195年)公孫氏 (遼東)の燕三国時代に公孫淵が魏からの自立を企てて名乗った(236年 - 238年)時代的には紀元前4~3世紀頃であれば春秋期の燕だとは思うが、魏志倭人伝の時期、すなわち公孫氏の時代にも燕が有ったのならば、もしかすると地域としては同じ地域なので春秋時代の燕の王族の子孫とか、春秋時代の燕と公孫氏のたてた燕の両方の燕には何らかの関係があったのかもしれない。まぁそう言う訳でそれを現代の地図に落としてみた。蓋國は燕の南にあり倭国の北にある。え?地図では南ではなく東では?そう言われるかもしれないが、これは僕の作画能力不足のせいなのでごめんなさい。燕は上の地図よりもずーっと右側にまで伸びており、もっと大きい。Wikiには「満州・内モンゴルの両社会を媒介する地域」と書かれており、もっと現代のモンゴル側まで広がっていたのだろうと思う。それが何を意味するか?この付近は(地図には落とせなかったが)紀元前2世紀末前漢の「玄菟郡」の有った所である。僕は「因幡の素菟」はこの辺りから日本に渡って来た渡来人(兎:ウサギではなく菟)と、倭国の「和珥(わに)氏」の祖先の争いが神話として後世に伝わったものだと思っている。(動物のウサギに例えたのは古事記の作者の遊び心だと思う。 玄菟郡の「玄菟」と古事記の因幡の素菟の「素菟」に「人」の字を付け加えてみれば分かる。 玄人菟(玄人:くろうと)ウサギと素人菟(素人:しろうと)ウサギだもの。)燕が滅びた後に残された人達が玄菟郡におり、最初(倭国が燕の属国だった頃)は仲の良かった玄菟郡の人達と倭国の和邇氏の祖先が、居場所の無くなった燕の人達が倭国へ渡ろうとした際に戦ったのではないか?それで、向こうの島から渡って来たウサギがワニに襲われて丸裸になるのである。そう思っている。<後日追記>僕には証明する能力(と言うか説得力のある資料が無いので)何とも言えないが、場所と時代的には密かに生き延びた秦の人達の可能性さえもある。この場合魏志韓伝に書かれた新羅の前身の「戦乱を逃れた秦の子孫」だった可能性も有る。参考の為に魏志韓伝の該当部分を下に載せる。辰韓伝の出だし部分である。 「辰韓在馬韓之東 其耆老傳世自言 古之亡人避秦役來適韓國馬韓割其東界地與之」 意訳: 辰韓は馬韓の東にある。 その地域の古老は、代々伝えて次のように自ら言う。 いにしえの逃亡者で、秦の労役を避けて韓国にたどり着き、 馬韓がその東の外れの土地を割いて与えたのだと言う。 「有城柵 其言語不與馬韓同 名國為邦弓為弧賊為寇行酒為行觴相呼皆為徒 有似秦人非但燕齊之名物也 名楽浪人為阿殘 東方人名我為阿 謂楽浪人本其残余人 今有名之為秦韓者」 意訳: 其の国には城柵がある。その言語は馬韓と同じではない。(つまり他所から来たと言うこと) 国(コク)を邦(ハウ)となし、弓(キュウ)を弧(コ)となし、 賊(ソク)を寇(コウ)となし、行酒(カウシウ)を行觴(カウシャウ)となし、 お互いを呼ぶのは、みな、徒(ト)とする。秦人に似た言葉遣いであり、 単に燕や斉の言葉が伝わったというものではなくその人達が逃れて来たのかも知れない。 楽浪人を阿残と呼ぶ。東方の人は自分のことを阿(ア)という。 楽浪の人達は、元は自分達と同じ一族で、 彼らは自分達とは違い楽浪に残った人だというのである。 今この国を秦韓とする者もいる。(つまりこれを書いた陳寿は秦人の末裔だと思っている。)もしかすると彼らが日本に渡って来て秦氏の祖先になった第一号で、後世、日本書紀等に書かれた弓月の君(応神天皇14年)等の秦氏が渡って来たのは、この第一陣(素菟:白兎)が日本に居るのを頼って来たと考えられるのかもしれない。北部九州の「宇佐八幡宮」には色々と言い伝えが残り、記紀では神武天皇が東征の折にここに立ち寄り、地元の菟狭津彦命(ウサツヒコノミコト)と(菟狭津媛命ウサツヒメノミコト)のもてなしを受け、その傍らに(宇佐氏に殺された)和爾氏の祖先の「首塚」があるのもウサとワニに関係あるし、やっぱり素菟(しろうさぎ)と和邇(わに)は戦ったのではないだろうか?で、両方とも朝廷の家来になったので生々しいのは書けないから、2つの氏族は昔は戦ってたけど大国主命が和睦に導いたんだよねと言う話を、おとぎ話にオブラードに包んで記録に残したんだと思う。後日追記終わり。当時の倭國は「海洋国家」だったのだと思う。東洋のバイキングである。歴史学の先生は考え方の応用がきかないので、国家の成立は農耕に伴うとしか考えないが、要は.集団とリーダーが発生すれば、その規模が大きくなっていけば国家は成立する。最初は同じ舟に乗る男たちの間に上下関係が発生し、その舟が船団を組むようになれば船団の長が必然的に発生するのである。やがて船団同士が争えば、最終的に王が出てくるのは当然の成り行きである。北欧でバイキングが国家を形成できるのならば東洋で同じことが起こってもおかしくない。(イギリス王室の御先祖様であるウィリアム1世(ノルマンディー公ギョーム2世)は、 セーヌ沿岸一帯を荒らしまくっていたヴァイキングの王で西ノルウェー北部メール地方出身 つまりバイキングである。日本とイギリスって何故か似ているなぁ?)その場合重要なのは「海洋国家」なので海を中心に国家が発展すると言うことである。海の南側の集団と北側の集団が争って、戦って一つになるか話し合いで一つになるか、いずれにしても海を挟んで国ができる。貿易の収益は大きいから話し合いによって国が成立するかもしれない。それが古代(初期の)倭国だったのではないだろうか?農耕と言う固定概念に縛られていると、現代の国境をどうしてもイメージするが、海洋国家ならばむしろ対馬海峡を挟んだ日本と韓国にまたがる国が自然だと思う。だって相当に後の世になるけれども、「倭寇」がいるじゃん。日本海沿岸から中国の沿岸までを荒らしまわった「倭寇」は、日本人も韓国人も中国人も居たらしいから、海洋民族に陸の国家は関係ない。板子一枚、波の上に成立する人間関係に陸上の国境なんて関係ないのである。だとすると上の地図は正しいのではないだろうか?確かに「山海経」だけだと、信頼のおけない怪しい本だと偉い先生方が言うかもしれない。でも同じことを魏志倭人伝でも後漢書でも、書いている。魏志倭人伝にはこう書いている。從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國難しいので意訳すると、郡(帯方郡)より倭に至るには海岸に沿って水行(舟で進んで)して韓国を経由して、南へ進んだり東へ進んだりして倭国の北岸である狗邪韓国に着く。つまり現代の釜山・金海市にあたる狗邪韓国は海洋国家倭国の北岸だったのである。よく「其北岸」を韓国の北岸と主張する人がいるが、どう解釈しても「北」ではない。ただ、政治的理由で朝鮮半島に倭国の一部が有ったことを認められない人達が主張し、それに忖度しているだけである。僕らアマチュアには忖度する理由は無いのでどうでも良い。それが間違っているのを承知の上で、ウソをつかなければいけない学者先生が気の毒である。後漢書にも次のように書かれている。建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬建武中元二年(AD.57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。←光武帝(こうぶてい:劉秀:中国後漢の皇帝)この光武が大夫に与えた印綬が有名な志賀島で発見された「漢委奴國王」と刻印された印綬。ここで僕がかねてから不思議に思っており、気になっていたのが、「倭國之極南界也」である。どういう意味であろうか?これには色々な説があるのだが、どれもウソくさい。ほとんどがこじつけである。人によっては「奴国が倭国の中の南の端っこ」なので大夫は倭国の極南界から来たと読むが、邪馬台国近畿説の皆様も邪馬台国北部九州説の皆様も、奴国つまり今の福岡県が倭国の南端と言うのはおかしい!と考えて滅茶滅茶な理論を出す。例えば北部九州説の古田大先生は、大夫が「倭国の南端まで極めた(つまり鹿児島まで征服した)」ので、倭国の実質的な王になって一帯の主となったので、それを認めて一帯(倭国)の王と認め、「漢の倭(連合国)の主体国である奴国の王」であることを証明する印綬、「漢委奴國王」を与えたと主張している。(「委」は倭の略字)ある意味正しいと思う。でも何となく漢文的におかしいような気もする。文意通りならば、漢文では「倭國之極南界也」ではなく「極倭國之南界也」と書くのでは?<後日追記>僕が古田武彦大先生の説を「ある意味正しい」と思ってしまうのは、僕が邪馬台国=宮崎県小林市説だからである。奴国の王が倭国の南の端の宮崎まで(小林市は鹿児島県との県境=南端)征服し、それをもって倭国統一を果たしたので、漢の皇帝にそれを認められて印綬を貰ったのならば、自説が認められたも同然だからである。ただ漢文的には上で書いたように「倭國之極南界也」ではなく「極倭國之南界也」と書く、そう思うので自分の中で葛藤するのである。なお、付け加えるならば、小林市は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨された高千穂峰のふもとで、神武天皇のお生まれになった幼少期をすごされた佐野神社が有る所で、ここから宮崎市に降りて行った所に素戔嗚命や天照大御神が生まれた禊(みそぎ)池が有り、ここに居た皇孫のお孫様が山幸彦で、鹿児島付近にいた海幸彦に勝ち家来にしたのならば、魏志倭人伝が古事記や日本書紀にそのままつながるなと思っているからである。(Wikiによると宮崎県日南市:宮崎と鹿児島の県境:の鵜戸神宮は、 創祀の年代は不詳であるが、古代以来の海洋信仰の聖地で、 社伝によれば本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所。)豊玉姫は瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子である火遠理命(ホオリ=山幸彦)と結婚して、神武天皇の父である鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズのミコト)を生む。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、鸕鶿草葺不合尊を生む際にワニであること見られて恥じて龍宮へ帰った。豊玉姫が和爾氏の御先祖様の御姫様ならば海幸彦と山幸彦の神話も夢のような話ではなく、宮崎に居た山を生活基盤とする人達と鹿児島に居た海を生活基盤にする人達の、2つの国が争い、やがて勝利した山幸彦が負けて家来になった海幸彦を家臣にして、大きな国になったことが伝わるうちに神話になったのだと思う。皇室では今でも重要な祭祀で隼人が舞を舞うらしい。(隼人舞:かっては大嘗祭等で舞われた。)後日追記終わりなので僕は「倭國之極南界也」は素直にそのまま読めば良いと思う。上の地図で言えば倭国の北岸は狗邪韓国で、南側は奴国が極南界と考えれば素直に読める。上の地図通りであり、倭国は対馬海峡を挟んだ両岸の国だったと言う事である。もう一つは魏志韓伝である。魏志韓伝は魏志倭人伝同様に三国志の中の「魏書」東夷伝韓条の通称である。その中で、馬韓の項の出だしにこう書いている。韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接韓は帯方(郡)の南に在り、東西は海で限りとなし南は倭と「接する」。つまり韓国は南側は倭国と(陸上で)接していたと言うことである。これも政治的な理由から認めたくない人達は色々と屁理屈をこねるが文章上明らかである。つまり、魏志倭人伝の記述と合わせると「狗邪韓国」は倭国で、倭国の北岸であり韓国と接していたのである。政治的なと言うのは、かって教科書に書かれていた「任那日本府」の存在である。韓国からの猛抗議を受けて、今の教科書には載せられないらしく、その他の本でも「任那日本府」は禁句で、今は伽耶とか加羅と呼ぶ。いやこの呼び方そのものは正しいのだが、ちょっとヒステリー気味。(Wikiにはこう書いている。 任那日本府(みまなにほんふ)は、古代朝鮮半島にあったとするヤマト王権の出先機関 ないし外交使節、またその学説。 『日本書紀』を中心に、複数の古文書にそれらの存在を示唆するような記述がある。 1991年(平成3年)、日本の「前方後円墳」と類似した様式の墓が朝鮮半島南部で発掘され、 倭系集団の存在が浮上した。 2010年(平成22年)に日韓歴史共同研究委員会は、 任那日本府(原表記「在安羅諸倭臣等」)に関しては、 史料を無視してでも、その存在を極小化したい韓国側と、 史料に基づいて大和王権への臣従関係が認められるとする日本側と対立し 共通見解の確定には至らなかった。)恐らくはこの狗邪韓国こそが任那日本府や伽耶の前身だったのだろうなと思う。日本とか韓国だとか言うからいけないのである。日本でも韓国でもなく、日本であり韓国でもある古代倭国と思えば良いのだと思う。倭国の北側の海岸に居た人達が後年百済をつくり、倭国の南側に居た人達がヤマト王権をつくった。なのでヤマト王権は何回も百済を助け、百済の王は七支刀をヤマト王権に贈り、(七支刀は奈良県天理市の石上神宮に伝来した古代の鉄剣)白村江では無理を承知で百済の救援に向かったのである。話は戻って、山海経から分かる大事なことの2つ目は、山海経の頃から既に倭国が有り、その存在が中国(燕)にも認められていたと言う事である。そしてその当時から倭国は海を越えて交易を行っていたと言うことである。歴史学者の先生の説明は、記憶中心で想像や応用を考えないので、後漢書に記載されたAD.57年の朝貢があたかも最初の交流で、それ以前には倭国は海外との交流があったことを話さないので、講義を聞く我々素人は紀元前つまり弥生時代の倭国の貿易事情を考えられないが、山海経に書いて有るように倭が燕の属国であったならば既にその頃から朝貢しているはず。歴史の先生に想像力があるならば、その説明をするべきだと思う。それが後の魏志倭人伝や後漢書につながるのだから。歴史は「流れ」だと思う。何故後漢書や魏志倭人伝に朝貢の記録が残っているか。それは中国の歴史に関係あるから。何の脈絡も無くいきなり朝貢が始まったのではない。後漢書の朝貢の記事は、漢の前の燕からそれを滅ぼした秦、そして春秋を経て前漢になり、その間中国の戦乱を見守って朝貢を中断していた倭国が後漢になったので朝貢を再開した。つまりいきなり帥升が始めたわけではなく、相当に古くから倭国は中国と付き合いがあり、後漢が滅んで三国時代になって魏が主となったのを見極めて卑弥呼が朝貢したのだと思う。つまり倭国の王達はちゃんと中国の情勢を読んでいたと言うことである。絶対に蛮人ではない、ちゃんと中国の情勢さえも見ていると言う事を認めたからこそ、それぞれの時期の中国の知識人と政治家は見極めて史書に記したのだと思う。だから魏志韓伝とは扱いが異なり、ちゃんと国として扱われているのだと思う。なので山海経はもっと研究されるべきなのかなと思う。
March 18, 2023
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BIOSパスワードの解除で難しいのはLet’sNOTEと東芝なんだけれども、TOSHIBAのノートパソコンで面白い事実が分かった。Password=と出た段階で、ちょっといくつかのキーを入力すると下の画面になる。一番上はSerial番号が表示される。これは何回やっても変わらないので、恐らくこの機体特有のIDだと思う。写真は危ないので消している。2番目はやるたびに変わるので、時計などが関係した時点のチャレンジコードだろう。こちらは真似をされても影響ないのでそのままにしている。恐らくその二つから何らかの演算をして出たコードが、その下のResponceコードなんだと思う。富士通などのパソコンで3回「エラー吐き出し用コード」を入力して出てくるコードと、2番目のチャレンジコードが同じ意味を持つ物で、ドッグバードさんが作ってくれたパイソン等で解析するプログラムを使って得られるコードがレスポンスコードと同じ機能を持つ物なのだろう。つまり東芝のノートパソコンの場合も富士通の場合と同じようなプログラムが有れば、BIOSパスワードは解除可能だと言うことである。ちなみに上の写真はチャレンジコードがQRコード付きの複雑な最近の物なんだけれども、以前のチャレンジコードは、富士通のノートパソコンが吐き出すエラーコードによく似た5文字X5組のコードだったし、レスポンスコードも5文字X5組のコードを入力するみたい。つまり以前の物は知れ渡ってしまったので改善したみたい。YOUTUBEやGOOGLEで探しても、古いタイプは成功者が多いのだが、新しいタイプはたった1人外人さんの成功者がいるだけで、彼はどうも有料でしか解除していないので教えてくれそうにない。ogatamaさんはYOUTUBEには無いと言っているけれど1人だけいる。また、ogatamaさんは5万円かかると言うが、僕にはお金が無い。ogatamaさんはROMから読みだす必要が有ると言うが、外人さんは別に分解はしていない。つまりROMを読みだす必要は無い。何か無料でできる良い方法はないだろうか?誰か解除プログラムを知らないだろうか?
April 13, 2024
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ダイソーに行くとブルートゥースピーカーを1000円(税込み1100円)で売っていた。ブルートゥースは使わないので最初は見過ごしていたが、ふと考えると「FMラジオに改造できるのではないか?」と気づいたので買ってきた。こんなの。昔のラジカセ風で可愛い。しかもブルートゥース5.0なのでステレオのはず---と思ったらモノだった。本来はステレオ可能のはずなんだけれども配線がそうなっていない。現にパソコンのブルートゥースにつなぐとパソコンではステレオ表示される。分解してみるとすぐに理由が分かる。基板表面はこんな感じ。えーなんで?左右のアンプIC2個の入力(+INで4番ピン)が並列につながっている。入力マイナス側は両方ともコンデンサー経由でGNDにつながっている。なので上の写真は改造途中なので基板の配線パターンを削って切り離している。アンプICはTC8002で該当部分を載せるとこんな感じ。回路図部分は見づらいので、画像を右クリックして出るメニューから、「新しいタブで画像を開く」を選択すると、別タブで大きく表示できます。つまり標準的な回路なので、入力さえ切り離してやれば別々に動作できる。FMラジオに改造するのに使うFMラジオユニットは愛天堂のM5807MAである。このDSPのFMラジオユニットは安くて感度が良く、しかも周波数表示できる優れもの。色々な物に仕込めるので、子供の夏休みの宿題にはもってこいである。但し、半田付けが必要なので半田付けはお父さんの仕事。そしてスイッチや電源への配線をピンソケットとピンヘッダーにしておけば、スイッチ等への接続は子供でもできるので、おもちゃなどにFMラジオを組み込める。ちなみにその際の回路接続はこんな感じ。ごく簡単なものだけれども、子供と一緒にやればお父さん株が爆上りだと思う。基板の裏面はこうなっている。各スピーカーやUSB-C端子及びSDカードスロットやリチウム電池への配線が有る。この基板はリチウム電池への充電回路がのっており、動作はリチウム電池が電源である。例えばアンプICの6番ピン(VDD)がつながっているのでC9やC14の右側で測ると、満充電状態ならば4.02V(規格上は3.7V)も有る。僕はここからFMラジオユニットの電源(3~3.3V)に、低ドロップ三端子レギュレーター経由でつないだ。安く作りたかったので、この3.3V用にしたけれど、普通は3.0V用を使った方がいいです。昔の三端子レギュレーターは入力電圧は出力電圧よりも3V以上高くないとダメだった。今の低ドロップタイプは1V未満でも十分OKなので使いやすい。3.7Vから3.0Vを作れるなんて奇跡である。そんな感じで何とか完成した。正面から見るとこんな感じ。写真の中の、84.7MHzはFM横浜の間違いですね。周波数表示部がちょっと斜めかなぁ。僕はぶきっちょだから仕方ない。愛天堂のM5807MAは76.0~108.0MHzで使える。その辺の中華FMラジオは87.0~108.0MHzなので、この方が良い。特に横浜の住民はFM横浜が聞けないと寂しい。我家はマンションなのでスピーカーを鳴らすと奥さんに怒られるのでイヤホン端子をつけた。でもヘッドホンを使う方が音が良い。上から見るとこんな感じ。ボタンが何か分からないのでマジックで書いた。上手く書けない。うーん、「f+」と書いたのに「チ」に見えるなぁ。孫に笑われる。本体用ボタンはOFFでもC9やC14の頭から電源をとっているので、ラジオ用の電源ボタンだけでON/OFFできる。裏側はこんな感じ。これが苦闘した。なんせスイッチや液晶そしてイヤホンの配線が多くてかさばって、フタが閉まらない。ねじどめしても真ん中が膨らんでいるような気がする。で、なんとかできたんだけれども、本体スピーカーが鳴ったり鳴らなかったりする。実はラジオをつける前のブルートゥースの時でもそうだったような気がする。僕はブルートゥースは使わずラジオだけで、イヤホンはラジオ直結なのでそれでも良いが、このスピーカー大丈夫なのかなぁ?もう一台買ったので、今度SoCのピン配列を調べてステレオ化してみようと思っている。
May 26, 2026
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