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朝、出勤し仕事をする。家に帰って夕食をし、その後でちょっとテレビでも見る。そしたら、最近はじめた習い事の練習でもするかと思って始める・・・・・日常生活はこんなところだろうが、普通「仕事をしている自分」と「習い事をしている自分」は別なものになっている。これが惜しい。全く違ったものに見えることでも、両方に共通する原理のようなものは見いだせないか。仕事で覚えたテクニックを習い事に活かし、逆もまた然り。そうなるとどちらも大変能率が良くなる。結構そういったものはあるんじゃないか。
2003.02.28
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小さい頃野球少年だった僕は、野球の本はよく読んでいたのであった。その中にこんな言葉があった。この言葉もいまだに心に残っている。「1日200本素振りをしても、『ああ、昨日は200本素振りしたからいいや』と次の日に休むよりも、1日100本の素振りを2日続けることの方が大事です」ちょっと耳が痛いがありがたい言葉。何かをやろうとするときにはじめにがんばり過ぎてしまうと、次にやるときに抵抗があるときがある。本当にいつまでもやっていたいことなら別だが、やるのに少し努力を要するようなことは、はじめにちょっとだけやっておいて「もうちょっとやりたいな」と思うところでわざとやめておくという技もある。いきなりトップギアで走ろうとするとエンストしてしまうから、ゆっくりとスタートして徐々にギアチェンジしていけばよい。大事なことは、止まらずに走り続けていることだ。
2003.02.27
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どこで聞いたかはもう忘れてしまったが、今もまだ覚えているところを見ると結構印象に残っていたのだろう。「私は真理を悟った!」だのと声高に叫ぶ人は、実は真の悟りの道の途上におり、本当に目覚めたわけではないのだそうだ。本当の覚者は町の中にいて、平然としており、普通の市民と見分けがつかないのだという。
2003.02.25
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人よりも学歴が高い、金を持っている、社会的地位が高い、親が権力者だ・・・などなどいろんなところで社会的な力の差異というものがある。そうしたときに「人間は本来皆平等だから・・・」などという議論は時として現実離れした不毛なものとなる。現実を正しく見つめようとすると、確かに「それを持っていることによって様々な特権が得られる」というものが存在する。大事なのは、そのことをきちんと自覚していることだ。人より金を持っているとか様々な権力を行使できるということ自体が悪いのではない。たまたまそれが自分に与えられた特権だとはっきり分かっていればよいのである。そしてその力をどう使うのかということを考えることだ。「人間の本来的な平等論」もそこから始まるのだと思う。
2003.02.24
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人のことなら、結構役に立つアドバイスを言ってあげられるけど、自分のこととなるとこれがなかなか難しい。ちょっと離れたところから見れば楽にわかることでも、自分が迷宮に入ってしまうと抜け道が容易に見いだせない様に、自分のことでは判断に迷うときもしばしばある。例えば、自分が成長していくストーリーを書いてみる。作家になったつもりで、自分をモチーフにした主人公が、様々なことを経験しながら成長していくストーリーというのはどうだろうか。人に見せたくなければ自分のためにしまっておく自伝でよい。ちょっと離れた視点から自分のことが見えてくるかもしれない。
2003.02.22
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社会の波にもまれて丸くなる・・・それはいいのだが、それは挑戦者のスピリットを放棄することではない。いくつになっても遠慮せずに思いきり自分に挑戦すればいいのだ。歳を取って経験を重ねることはいいことだ。しかし、過ぎ去った時代を懐古まじりに振り返るのはいただけない。これまでの経験を総動員してチャレンジすればよい。経験が増えただけ、戦略も選択肢も増えるのだから。そして、気持ちはいつも前を向いていることだ。
2003.02.21
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「国家百年の大計」などという言葉もあるが、今の日本を見ると、百年どころか、二~三年先も考えられていないように見える。よく考えれば考えるほど「大丈夫か」という思いはつのる一方だが、それはさておき、自分の人生でも10年スパン位での計画を立ててみてはどうだろう。殆どの人は10年先も生きているだろう。10年後の自分の姿を思い描いてみる。10年間の計画が立てられれば、相当大きなことができるはずだ。思うに、長いスパンを視野に入れられるかどうかは、人間の心の大きさと関係している。
2003.02.20
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先日、仕事の休みの日、僕は渋谷のスターバックスに入り、コーヒーを飲みながら読書をしていた。隣のテーブルに座った女子大生と思われる2人組の会話が、聞こえてきた。A:「だからさー。『俺は情報系に行くから、他の勉強なんていいんだ』とかいっちゃってさ、やる気がないのよ。あんた大学に何しに来たのって思っちゃう。勉強しに来たんじゃないのって。そしてその『情報系』の方も、なんでそれなのかといったら特にたいした理由もなく、『何となくお金が稼げるから』くらいのことでしかないのよ。本当にやる気があるわけじゃないのよね・・・」どうやらAさんの彼氏のことを話しているらしい。Bさんは聞き役だった。A:「やっぱり、つきあっていく中でお互いに学べるというか何か尊敬できるとか、そういう関係でないと駄目よね」B:「それは、自分も耳が痛いなあ・・・」A:「そんなことないよ。Bちゃんはさ・・・」そんな感じの会話であった。見るところはちゃんと見ているね。がんばれ、彼氏。その後どうなったのだろうか・・・
2003.02.18
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は、はじめは遠いところにあるように見えながら、あっというまに近付いてきて、すれ違って通り過ぎてしまう。自分と相手が逆の方向に動いているので、見た目よりもずっと接近する速度は大きいのである。この世には序列というものがある。学歴、社会的地位、収入その文化における地位等々・・・もうありとあらゆる所に存在する。この序列というものについては、その是非についてこれまで様々な議論がなされてきた。徹底的にこのことを考えるのも悪くはないのだろうが、とりあえずここでは、「必要悪」とでもいうべき「既に存在するからそれについてああだこうだいっても仕方がない」ぐらいの必然的な存在と位置づけて先に進もう。序列についての一考察。ある価値基準に関する序列について、「(私または彼は)現在こうなっている」という視点も大事だが、「現在このくらいの速度で上がっている(または落ちている)」という視点はもっと重要だと思う。自分が現在目指しているもので、今どんな所にいようとも「上にあがってやる」という気持ちをもっていれば、全く問題はない。現在どれほと上にいる様に見える人でも、またどれほど能力差があるように見えても、たいして向上していないか、むしろ下降しているならば結構簡単に追い付くことができるからである。いま「あいつはたいしたことない」と思っていてもなめてかからないことだ。着実に上達を続けていれば何年か後にはとんでもない存在になっているかもしれないからである。この世には静止しているものは何もない。全て動いている。上昇しているか下降しているかどちらかなのだ。上昇を目指している人間には独特の雰囲気がある。それはとてもすばらしいものだ。
2003.02.17
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ことができれば、解決する。何が真の問題なのかは意外に自分でも気が付かないことが多い。具体的な現象面よりも、もっと奥深いところに核心がある場合もままあることだ。というよりも、自分で気が付かない様に隠しているという、正にそのことが「問題」なのであり、それが現象として現れているのが現実の「問題」である。この世界で起こっていることは、全て心の中の出来事に対応しているのだ。
2003.02.16
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どんなに考えても解答のでない問題がある。だいたい自分にとって重要な問題ほど解くのに時間がかかるものだ。答えを出すのに何年もかかる場合もあるだろう。「どうしたらいいんだろう」と思いながら、でもその問いは頭から離れずに何年間も過ぎたりする。でも、もともとその問題とは、解くのにそれだけの時間を要するものだったのだ。短時間では絶対に答えの出ないものだったのである。むしろ、すぐに納得のいく結論を求めようとする自分の心に何かしらの問題が潜んでいるかもしれない。最大の問題は「自分はどうして生まれてきたのか」とか「この世界で何をすべきなのか」といった類いの問題である。ひとたびこのことを考えると、そう簡単には答えが出せないことが分かるだろう。この問題の探求は、本気でやろうとしたら、死ぬまで続くのである。
2003.02.15
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聖書に載っているとても有名なこの言葉は、けだし名言だと思う。敵は、味方ではない(当たり前か)。でも、街を歩いていてすれ違うだけのような「どうでもいい人」とも明らかに異なる存在である。何か自分が抱いている大事な価値観に対して相容れないから敵対もするのだ。でもそういった敵という存在に対して大事なのは「愛する」というよりむしろ「理解する」ことなのではないか。言葉を変えれば「受け入れる」ということかもしれない。
2003.02.14
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大波が自分に向かってくる時には、海に向かってどんなに思いっきり突っ込んでいってもはじきかえされてしまう。しかし、波が引いていく時には、ちょっと身をあずけるだけでいともたやすく沖に出ていくことができる。この世のあらゆる現象には押す、引くのタイミングというものがある。人生の順境と逆境、経済、政治、恋愛などなど・・・そのタイミングをみはからうのは高度に洗練された人間の技だ。この瞬間にどう行動するのか、あらゆる場面で答えがある。絶妙の一点を予測できる人間はすばらしい。まず、その土台となるのは波紋ひとつない湖の水面のような澄み切った心なのではないか。
2003.02.13
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「私は天才ではありません。ただ、人よりも長く一つのことにつきあってきただけです」誰が見ても天才としかいいようのないアインシュタインにしてこの言葉。思うに、途中であきらめてしまう人ってずいぶん多いんじゃないだろうか。全ての人が天才になれるわけではないだろうが、でもその道のすごい人には、かなりの人が実はなれるんじゃないかという気がする。
2003.02.11
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本にそう書いてあるから、権威のあるあの先生がそういっているから、自分はこういう家に育ったから、親が権威的だったから、友達がそういったから、何となく周りの雰囲気というものがあるから・・・・・・数え上げたら切りがないが、結局それらは、すべて判断の材料、そういう考え方もあるという「ヒント」にすぎない。最終的に自分の行動に責任を取れるのは自分だけ、最終的な結論は自分で出すことだ。
2003.02.10
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「どうにもあの人を見ると腹が立ってくる」とか「何かあの人のやることって許せない」と思う人はいないでしょうか。よくその人のことを考えてみましょう。その人の持っている様々な性格、性質というのは、実は自分がどこかで切り捨ててきた、あるいは切り捨てざるを得なかった自分なのかもしれないですね。本当はそっちに進みたかったけど、泣く泣く別れてきた自分自身・・・でも、今のあなたはもうあのときの子供ではありません。どっちかをもう一度選び直すこともできるのです。
2003.02.08
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というものらしい。最近『海馬』(朝日出版社 池谷裕二・糸井重里)という本を読んだが、経験をもとにした記憶を活用する能力というのは、ベキ乗で増えていくそうだ。つまり1、2、の次は2の2乗=4、2の3乗=8、2の4乗=16という具合に増えていくそうなんである。2の10乗ならば1024、2の20乗ならば、なんと100万を超えてしまう。はじめは小さなものでも、知らず知らずのうちにどんどん増えていくから、現在の能力差などはあまり気にする必要がないのだそうだ。「ひとつのことを極めるのには10年要る」とよく言われるが、裏を返せば、「10年やりつづけることができれば、ものになる」とも言える。才能がもともとあるなしに関わらず、10年やり続ければ誰でもすごい人になれるようだ。ある程度やったところで「どうせ自分には才能がないから」と言ってやめてしまう人は結構多いのではないか。あと何年か続けていればもっと大きな花を咲かせていたかもしれないのだ。
2003.02.06
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というのが、心のあり方の一つとして大事なことではないか。常に人と一緒にいないといけないということはない。人といても楽しめるし、自分一人の時間も楽しめるというのがいい。一人でいるときも、多くの人とつながっているんだということが感じられれば、とても安心していられるものだ。
2003.02.05
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が、日本の映画の賞の多くに名を連ねているということをインターネットの芸能ニュースで読んだ。先日貴乃花も引退したが、宮沢りえにもいろんなことがあった。「これまでの経験がなかったら、今の自分はありえなかった」とりえ本人も言っていた。一時期はとても精神的におちこんだときもあったようだが、そういうものを経ることで単なるアイドルから本当に魅力的な女優にかわるのだと思う。女優として花開くのはこれからじゃないか。
2003.02.02
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