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昨日の続き。昔はよかっただの、古き良き時代だのといった安易な懐古趣味というものも問題だ。本当に現在をよくしようとして言うのならばよいのだが、単に現在の否定から過去に退行しようとすることにはほとんど意味がない。ポイントは常に現在にある。
2004.05.31
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「童心に帰る」とか「子供は天才だ」とか子供に戻ることが一見価値のあることの様に言われる。でも、それはやはり現実の世界の否定、これまで生きてきた人生の否定ではないのか。大事なことは子供に退行することではなく、今の自分を見据えながらあくまでも前に進んでいくことだ。
2004.05.30
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ダライ・ラマの言葉。「釈迦の教えは貴重なものであるが、それをそのまま信じてもたいして役には立たない。自分で考え理解しようと努めることこそが大事なのだ」と。偉大な仏教者ダライ・ラマにしてこの言葉。現代は、釈迦の時代から2500年経っており、時代はもっともっと複雑になっている。本当にものの分かっている人は「考えろ」とは言うが「信じろ」とは言わない。
2004.05.29
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もめごとや事がこじれた時に、法律や金銭で決着をつけるということはある。しかし、最終的には人対人なのだ。結局世の中のことは人間がやっていることだからである。話をしている対象が人になっているだろうか。自分は人として話をしているだろうか。
2004.05.28
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いいパフォーマンスやいい仕事は「力が抜けている」と言われる。しかし、力を抜くことを意識することでいいパフォーマンスが生まれるということでは必ずしもない。ここに微妙な相違があると思う。力を抜くことを意識することはあくまでも全体の中の一つの過程に過ぎない。大きな目標はあくまでも「いいパフォーマンス、いい仕事をしようと決意する」ことだろう。力が抜けてきたこと、単に習熟してきたことそのことにばかり喜んでいてはいけない。
2004.05.27
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信じる力というものは一件強力であるが、自分で本当に理解していないことを妄信することは、いざというときにもろいものだと思う。本当に自分で理解している信念と理解していない信念とは全く違うものだ。それは自分の中から発している情報にどれだけ素直に耳を傾けられるかということでもある。
2004.05.26
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「あの人と出会ったことで私の人生は狂ってしまった」ってそんなことはない。そんな人との出会いを選んだのも自分だからだ。役に立たない無駄な出会いというものはない。でもいつまでも続ける必要のない関係というものは確かにある。その時は自分の心の中で整理をつければよいだろう。
2004.05.25
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本当の力というものが発揮できる。もともと人間はその様に出来ているものだからである。動きもそうだし、思考もそう。ひとつに偏るあまりバランスを欠いてはいないだろうか。
2004.05.24
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以前にも似た様なことを書いた気がするが、お金がないから、時間がないから、親が反対したから、周りに理解者がいなかったから、いい出会いがなかったから、人から妨害されたから、反対者ばっかりだったから、才能があったのに活かしてくれる人がいなかったから、運が悪かったから・・・まあ、責任はどこにでもいくらでも転嫁することは出来る。しかし、なんだかんだいっても結局ここまで来る道を選んだのは自分自身でしょう。人間に100%の条件が揃っていることなど決してありえない。周りにいる(いた)人も、偶然に起こったことも、運も全部ひっくるめて自分自身だ。最終的には絶対に言い訳はできない。周りの人や世間体はともかく自分自身にだけはごまかすことは絶対にできないのだ。責任を転嫁することは容易い。でも、いつまでそれを続けるつもりですか。
2004.05.23
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思考せずに感覚に頼る傾向というものはどうだろうか。きちんと考えられ練り上げられたものというのは骨格がしっかりしている。考えることは自分のなかでアイディアを熟成させる作業だ。
2004.05.22
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どうも「生きるか死ぬか」ということが最近の自分のテーマとなっているようだ。しかし、自分は人生に悲観して死を選ぼうかなどということは全く考えていない。むしろ、「いかによりよく生きるか」ということを考えている。となるとどうしても「死」ということを考えざるを得ないのだ。さて、人間が死ぬ、その死に方は自殺をしない限り自分で選ぶことはできない。いつ、どこで、どの様に・・・それは全く分からないのだ。この瞬間に大地震が起きる、核ミサイルが落ちてくる、凶悪犯人が家に包丁を持って飛び込んでくる、等々全く可能性がないとはいえないし、病気で死ぬにしてもどんな病気にいつかかるかということも全く分からない。とするとどう考えるか。とっさの事態に「ああ俺、こんなところでこんな死に方をしたくないのに」と思いながら死んでいくのは口惜しいものではないか。むしろハッキリ絶対に避けられないこととして見つめ「いつでも来い」という心構えではなかろうか。昔の武士は「死」を常に見据え続けた。切腹が最高の死に方とされ、それが大きな名誉だったのである。そのまま丸ごと見習い応用すべき価値観ではないとは思うが、その中に含まれたエッセンスには意義深いものがあると思う。
2004.05.21
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自分に与えられた時間がハッキリと有限のものであることが感じられる様になった。学生時代と違って時間を無駄にするのが勿体ない。自分に与えられた時間を無駄にせず生かし切りたいと思う。その意味で本当に「死」と一体の「生」を感じることが出来るのは30を過ぎてからなのだろう。人間の厚みも増した気がする。仏教の世界感にもあるように全ての存在はほんの一瞬、刹那のうちに消え去ってしまう。しかし、それ故にあらゆる存在がいとおしく思えるのだ。
2004.05.19
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沢山の石ころの中に少しだけ大きな輝きを放つ玉が混ざっている。どれが石でどれが玉かは自分の感性、直観、理性、論理・・・あらゆるものを駆使して見分けることだ。
2004.05.18
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若気の至りといおうか、昔やった過ちは取り返しようもない。すみませんと、心の中で謝るしかない。その人にはもう返せないこともあるが、これから出会う人が少しでも明るく、楽しく、微笑みが浮かぶ様に生きていこう。
2004.05.17
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根拠もないことを信じ込もうとすることは「これは絶対正しいんだ」と自分に嘘をつくことである。別にその反対の考えが出てきてもいいのにそれを打ち消してまったく取り入れようとしないという姿勢は、人間の認識の幅を狭めてしまう。自分の頭で考えて結論を出すことだ。
2004.05.16
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いったん、「あの人はああいう人だ」とか「これはこういうものだ」と決めつけてしまうとそれ以外のものの見方をしにくくなってしまう。つねに柔軟に対応できるものの見方をしたいものだ。
2004.05.15
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常に人間は変わっていく存在である。子供のときは、その変化を実感として感じられたものだが、大人になるとなかなかそれが感じられにくくなる。でも、やはり人間はその時々において変化している。昨日の自分を少しでも超え続ける。これも少しずつでよいが必ず進歩し続ける。伸びる人というのは、人間が変わりうるものであることをよく分かっている人だ。
2004.05.13
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武術や気功で「気を練る」という言葉がある。身体に意識が行き届いた、無駄のない合理性のある思考や動きを追求する過程で次第に「気が練れてくる」ものだと思う。それは、心身を統合する過程でもある。
2004.05.12
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A:「もしあなたが今死んだら、1000人の人間が間違いなく幸せになれる」ということを、あなたの心の深いところで本心から納得できたとしたら、あなたは何の躊躇もなく命を投げ出す覚悟はありますか。B:どうして、そんなことを聞くのでしょう。そんなのは嫌ですよ。それは、多くの人に幸せになって欲しいとは私だって思いますよ。でも、私の命は大事ですからね。そんなことを言われたって、では死にましょうとはとても言えませんよ。A:あなたの命は大事だ。それは、よく分かります。でも、あなたがその命で生きながらえたとして、それで何をしようと思っているのですか。B:何をするかなんて、それこそ私の勝手でしょうが、でもいいでしょう。生きていればいろんな経験が出来るじゃないですか。人と楽しく語り合うこともできれば、遊ぶことも出来るし。でも、誤解しないでくださいよ。私は、ただこの人生が楽しむためだけのものだとは思っていません。私は、自分をもっと成長させていきたいと思っているのです。いろんな経験をしながら自分を豊かにする。生きるってそういうことでしょう。それを味わう権利というものは当然私にもあるはずでしょう。A:なるほど。あなたは1000人の人間の幸福と、自分の命をはかりにかけて、命の方を選択した訳ですね。では、もう一つ聞かせてください。1000人ではなく、10000人だったらどうでしょう。あなたは、1000人が幸福になる道を捨てて、自分を生きながらえさせ、自分を豊かに成長させる道を選んだ。では将来豊かに成長したあなたが、10000人のために命を捨てる日は果たして来るのでしょうか。10000人がダメだったら、10万人でも100万人でも、あなたの納得できる数字でいいですよ。自分を豊かにした結果、これまで犠牲にしてきた人たちの数以上に、あなたの命で人を幸せにできるとしたら、あなたはそれを選択するのでしょうか。それとも、そういった思考はそれこそ死ぬまであなたの中から出てこないのですか。B:もうたくさんだ、こんな議論は! 俺の人生だろう。俺がやりたいことをやりたい。生きたい様に生きたい。それのどこがいけないんだよ! なぜ、1000人とか10000人とかそんな抽象的な数の論理で議論をしかけてくるんだよ。俺が生きているって何よりも俺にとっては大事なことなんだよ。多くのために命を捨てるなんて言葉としてはきれいだけど、なんか嘘くさいよ。A:もちろん、私はむやみに命を捨てろなんて言っていません。「あなたの心の深いところで本心から納得できたとしたら、どうしますか」という条件つきですよ・・・
2004.05.11
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人間は単なる生物としては存在することはできない。人間が生きていられるのはそこに生きる意味が見いだされているからだ。
2004.05.10
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人との出会いは一期一会と言われている。二度とは会えないかもしれないかこころを込めて接する。でも、人と会っている時でなくても、同じことだろう。この一瞬も自分自身と出会っている。そしてそれは二度と戻ってこないのだ。つまらない思いで時間を無駄にしていないだろうか。
2004.05.09
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自分の信念にこだわるということはとても大事なことだが、それに拘泥しすぎて周りの意見、価値観を認めようとしないのはもったいない。こだわりとは、現時点のものを維持するものではなく、それ自体が生成発展していくものである。
2004.05.08
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なんでもかんでも楽にやる、リラックスすればよいというものでもないだろう。その前に本気で生きようとしているのか、自分に問うてみた方がよい。世の中の動きはどうだろうか。
2004.05.07
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ほんの偶然の様に起こったことでも、それに至る過程を考えてみれば、起こりうべくして起こったことが分かる。それを考えると人生に偶然はないのである。後は、それをどれだけ受け入れるかということになろう。
2004.05.06
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知識は知っている人に聞けば早いし、人の受け売りもできるだろうが、自分の生き方は自分で考えるしかない。そもそも「生きていること」こそが借り物では絶対にあり得ないからである。
2004.05.05
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答えの決まっている問題は人から教えてもらえれば早いが、それでは自分のためにならない。ましてや、人生の様々な問題は答えさえも決まっていないものが殆どだ。答えも自分で考えていくこと、それが生きるということだ。
2004.05.04
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変化を恐れている自分、現状で満足している自分、外に開いていけない自分、規制の価値観で満足している自分、世間の価値観を鵜呑みにしている自分、権威の言葉を信じてしまう怠惰な自分に怒りを向ける。冷静に怒ってみる。こんなんじゃないだろうと。
2004.05.03
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それがそのまま人間の成長の過程となる。どれだけの人を理解してあげることができるだろう。愛情よりも大事なものは、しっかりと理解してあげること。愛情はその後からついてくる感情だろう。
2004.05.02
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