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2015年01月04日
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日本文化を世界に紹介して半世紀。ブルックリンの少年時代、一人の日本兵もいなかったキスカ島、配給制下のケンブリッジ、終生の友・三島由紀夫の自殺…。齢八十五に至るまでの思い出すことのすべて。(「BOOK」データベースより)

■ドナルド・キーン『ドナルド・キーン自伝』(中公文庫)
キーン・ドナルド:ドナルド・キーン自伝.jpg

◎「The Tale of Genji」との出会い



キーンは日本の作家との親交も深く、三島由紀夫、安部公房、谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、石川淳、司馬遼太郎、丸谷才一、篠田一士、瀬戸内寂聴などとの対談も数多くあります。『KADOKAWA道の手帖・ドナルド・キーン』(河出書房新社)のなかに、「キーンの寸鉄人物評」というコラムがあります。キーンのユニークなコメントを、いくつか紹介させていただきます。

安部公房(補:安倍と誤植されています):日本が生んだ最高の作家の一人です。作品が素晴らしいだけではなく、一人の人間としても立派でした。素直に自分の意見をいう男性的な魅力がありました。また、自分の見解に間違いがあると認めたときは、素直にそれを認める誠実な一面がありました。

三島由紀夫:真の友と言える人でした。一度として喧嘩や不和はありませんでした。共に過ごす時は最高に楽しい会話に満ちていました。彼の自決を大変残念に思います。私は作家と緊張関係に陥ることはほとんどありませんが、三島さんはいろいろな人との摩擦や問題を抱えていました。

キーンはコロンビア大学時代(1940年)に、アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』に出会い、心を奪われました。訳者アーサー・ウェイリーと著者・紫式部についても「キーンの寸鉄」を紹介します。

アーサー・ウェイリー:私の偶像でした。彼の手による英訳の『源氏物語』を読んだのが、私の人生の始まりです。何とか〈第二のアーサー・ウェイリー〉になりたいと青年の私は思っていました。ただ、残念なことに、彼は中国語が嫌いでした。

紫式部:会ったことありませんが、よく知っている人です(笑)。彼女に日記がなくても、大傑作の『源氏物語』を読むと、どんな作家で、どんな人間であったかがわかります。必ずしも優しい人ではなかったかも知れません。しかし、優れた才能に恵まれた、明晰な人だったでしょう。『源氏物語』には数多くの人物が登場し、その一人一人が個性に溢れています。他の文学、ロシア文学などでは、それも普通ですが、日本の文学には大変珍しいことです。

『ドナルド・キーン自伝』(中公文庫)には、少年時代から84歳になるまでの、日本や日本人、日本文学とのかかわりについてくわしく書かれています。『源氏物語』との出会いについて引いておきます。キーンはその時期のことを「私の中で戦争に対する憎しみと、ナチに対する憎しみが衝突していた最悪の時期」(本文P50)と書いています。

――ある日、The Tale of Genji(『源氏物語』)という題の本が山積みされているのを見た。こういう作品があるということを私はまったく知らなくて、好奇心から一冊を手にとって読みはじめた。挿絵から、この作品が日本に関するものであるに違いないと思った。(本文P50より)

 偶然に手にした『源氏物語』に、キーンは心を奪われてしまいます。それまでキーンが日本にたいして抱いていた印象はつぎのとおりです、

――私はそれまで、日本が脅威的な軍事国家だとばかり思っていた。広重に魅せられたことはあっても、日本は私にとって美の国ではなくて中国の侵略者だった。(本文P51より)

 そんな時期にキーンは、友人から日本語を勉強しようと誘われます。それまでキーンは、日本語を勉強しようとは思っていません。『源氏物語』との出会いと同様に、日本語を学びはじめたのも偶発的なものだったのです。

その後キーンは海軍の日本語学校で、本格的に日本語を学びます。そして戦場通訳あるいは、日本人の遺留品の解読などの任にあたります。戦地についてふれている文章を、紹介させていただきます。

――かなりの数の日本兵がレイテ島で投降した。彼らは、ハワイで知っている捕虜たちよりも暗い感じがした。たぶん、生きて捕虜になった自分をまだ許していなかったからだと思う。あるいはその中にミンドロ島で捕虜となり、レイテ島での収容所体験を忘れ難い文章で書いた大岡昇平がいたかもしれない。(本文P83より)

 大岡昇平についての「キーンの寸鉄」もおもしろいので、紹介させていただきます。

大岡昇平:初めは大嫌いでした(笑)。それは文学の問題ではなくて、私への言葉づかいが丁寧すぎて、馬鹿にされていると思ったからです。

それ以降のキーンについて、簡単にまとめておきます。1945年に沖縄へきています。日本人捕虜の通訳のためです。戦後はハーヴァード大学で日本語を学びます。そしてつぎのケンブリッジ大学で、源氏物語の翻訳者・アーサー・ウィリーと出会います。1953年京都大学大学院に留学します。

◎キーンの恋愛小説見つかる

「朝日新聞DIGITAL」(2014年6月26日)に、びっくりするニュースが掲載されていました。ドナルド・キーンが若いころに書いた「恋愛小説」が発見されたのです。以下その記事を引用します。

――日本文学者のドナルド・キーンさん(92)が、57年前に恋愛小説を執筆していたことを、「ドナルド・キーン著作集 第10巻 自叙伝・決定版」(新潮社)で明かしている。当時は作品の出来に納得がゆかずお蔵入りに。その後本人も忘れていたという。/執筆は1957年、英文で80枚ほどの短編で……(後略)

 つづいて『ドナルド・キーン著作集』(第10巻「ドナルド・キン自叙伝・決定版」から、キーン自身の新たな追加文章を引用させてもらいます。

――その快適な環境(補:1957年夏休み、富豪の別荘地)の中で、私は小説を書くことに専念した。そして、かなりのスピードで一作品を書き上げた。題は付けていない。あるアメリカ人女性が、失恋し、旅先のフランスで景色のいいところから身を投げようと、南仏へ就く。そこには、同じ目的でやってきた一人の男――日本人がいた。二人は出逢い、ともに自殺を思いとどまり、彼女も日本へ……といった筋の純文学だった。(『ドナルド・キーン著作集』(第10巻「ドナルド・キン自叙伝・決定版」P212より)

知人の編集者に小説を見せると、「いい」との評価がされました。しかしキーンは発表しませんでした。これは東日本大震災を機に、日本国籍を取得して、日本に移住準備中の2011年夏に発見されました。養子となった誠己さん(64)が、ニューヨーク市の自宅を整理していて見つけたものです。この小説は著作集第15巻に収録する予定とのことで、いまから楽しみにしています。

◎日本人捕虜との再会

 キーンが恋愛小説を書いたのは、1957年に開催された国際ペンクラブ東京大会の直前です。キーンは大会の代表として来日しています、このときいっしょに来日したなかには、ジョン・スタインベッグ、ラルフ・エリソンなどがいました。

キーンの自伝には「一番無名の代表の一人だったにもかかわらず、私が日本の新聞記者に人気があったのは日本語が話せたからである。」と書かれています。そしてキーンが尋問をした、捕虜とも会場で出会うのです。。

――私は記者の一人を知っていて、それは高橋潭、昔の捕虜だった。高橋は、グアムで同盟通信の記者をしていて餓死寸前のところを捕虜となった。私はハワイで彼を尋問し、その後、何度か日本でも会っていた。(本文P197より)

『ドナルド・キーン自伝』には、たくさんの日本文学者が登場します。安部公房と大江健三郎の確執や、三島由紀夫の自殺など、未知のエピソードがたくさんありました。キーンは「あとがき」のなかで、書ききれなかった人たちにたいする謝罪をしています。このあたりの細やかな心配りは、日本人ドナルド・キーンらしい一面です。

『ドナルド・キーン自伝』ではふれられていない、キーンの文章ともよく遭遇します。最近ではつぎの一文を、キーンが書いていたことに驚きました。一読のときには気にもとめていなかったのでしょう。

――『近代能楽集』にはいろいろのテーマが展開するが、すべての曲に一貫しているのは三島氏の古典文学に対する尊敬と挑戦である。これによって彼は能を現代化することに成功したに止らず、新しく、すばらしい二十世紀の文学を拵えた。(三島由紀夫『近代能楽集』新潮文庫、ドナルド・キーン「解説」より)

坪内祐三『ストリート・ワイズ』(講談社文庫)を読んでいたら、キーンのことがでてきました。キーンが書く日本語の文章について、たいへん興味深い内容です。とにかくキーンの日本文は、日本人の作家レベルに近いようです。『ドナルド・キーン自伝』のなかで、おもしろいエピソードが紹介されています。

――日本での生活に一つ不満があるとしたら、それは私の本を読んだことのある人も含めて多くの日本人が、私が日本語を読めるはずがないと思っていることである。(中略)東大の某教授などは、私が書いた『日本文学の歴史』を話題にして、「あなたが文学史で取り上げた作品は、翻訳で読んだのでしょうね」と言ったものである。(本文P346より)

 日本人ドナルド・キーンは、日本人以上に古典から文学史まで精通しています。『ドナルド・キーン自伝』は、日本のことすら知らなかった外国人が、ひょんなきっかけから日本や日本人、日本文学の世界へ入りこむ長いドラマです。私の知るなかでは、超1級の自伝であると結ばせていただきます。
(山本藤光:2015.01.02)





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最終更新日  2018年02月05日 09時20分10秒
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