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銀座のトップホステスいずみ、イケメンの国際線パイロットゼウス、麻布に住むセレブでイケメンのロマンスグレーの紳士コウジュン、筋骨隆々でたくましくてイケメンで独特なファッションの個性的な爪師ハデス。でてくる登場人物たちはとても豪華で、一見、セレブなしゃれた恋愛ものに見えるのです。ところが実は、物語が進んでいくうちに、ファザコンのヒロイン、ファザコンの青年(ゼウス)、浮気性の男(コウジュン)、ブラコンの男(ハデス)という登場人物たちによるかなり危ない物語であることがだんだん分かってきます。このほかにも大人になってる息子(ハデス)からいつまでたっても子離れできない母親であるクラブ勤めの男とか。 ファザコンで年寄り好みでまだ若いのに50歳近い男(コウジュン)と結婚しちゃうヒロインいずみ。その彼女にプロポーズするのが、その義理の息子たち(ゼウス、ハデス)だったりする。 母親の身勝手とわがままのせいで、実の父と暮らすことのできなかったゼウスは、父親への憧憬からやがて異様なまでのファザーコンプレックスとなり、どうしても父離れができない。その妄執はやがて彼の人格を破壊していく。同じように母の身勝手でただ一人の兄と一緒に暮らして育つことの出来なかった弟ハデス。彼もまた兄へのブラザーコンプレックスから抜け出すことが出来ない。母の死によって初めて実の父と双子の兄弟ゼウスとハデスはやっと一緒に暮らすことが出来るようになるけれど、思春期になってから突然一緒に暮らしてもいきなり仲良く暮らせるはずもない。思春期までの貴重な時間を家庭、家族というオアシスですごすことの出来なかった彼らの喪失感は永遠に埋められない。 だから彼らの異常なまでのファザコンも、ブラコンも、かなり危なくて、そして悲しい。いずみもまた、不幸な家庭に育ち、自分を守ってくれる頼れる存在としての年上の男性への憧れと恋愛感情が同一化してしまう。いずみが手に入れたと思ったはずのオアシスもまた、実はあぶなく、いつ失われるか分からない危うさの上にある。 登場人物たち全てがあこがれ続け、得ることの出来ない家庭というオアシスは、手に入らないゆえにいっそう甘美な憧れの夢となって、スィートなスィートなその憧れのオアシスは、けれど永遠の蜃気楼のようになってたどり着けない。 物語は5巻でおわるけれど、彼らの喪失感と幻のオアシスは、永遠に続く。思春期までの時間を両親兄弟家族そろって楽しくぬくぬく暮らすって大切なことなのかなって思う。 めちゃくちゃ危ない設定がなかなか新鮮でおもしろかったです。
2008年03月27日
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先日は娘の卒業式と、謝恩会でした。が、やっぱり毎度のごとく退屈で死にそうでした。 お兄ちゃんの私立の学校のイベントはいろいろあっても大概はおもしろいので、退屈とか感じたことはないのに、どうして娘の学校の行事はつまらないのでしょう。息子の学校の場合は、校長先生のお話も毎回ためになって面白いし、保護者会の担任の先生のお話も毎回いろいろとためになるお話ばかり。退屈と感じたことはほとんどありません。 でも、娘の公立中学の校長先生のお話は大体聞かなくても分かるような表面上の体裁だけ整えた儀礼的な美辞麗句ばかり。実際には、不登校の子がいたり、いろいろ学校の中のトラブルだってあるはずなのに、そんなことは全く感じさせないようなことばかり。教育のプロとして、私たち保護者に役に立つような情報や知識を伝えようとか、そんなことはぜんぜんなくて、ただ、型どおり無事に終ればいいやという感じだけ。 とにかく、校長の話も来賓の話も中身がなくて、つまらないのですもの。 だから、公立中の行事に参加しても、毎回退屈で退屈で死にそうに辛いです。早く終らないかなーとか、そんなことしか毎回考えてないんですよね。こんなつまんない話を毎回我慢してきいてる子供たちって偉いなあと感心するくらい。 二時間ある卒業式もひたすら我慢。これで最後だし。でも、そのあと、謝恩会が同じ日なので、そのあとさらに二時間の我慢でした。なにしろ、公立中になると、親同士もあまり面識はないし、中のいい人同士での席にはならないし、しかも、うちの学校は日本語学級があるので外国人のお母さんもいて、言葉は通じにくいし、さらに、その手の人たちはこないのですよね。で、その分席があいているので、席が空いていると、隣の人との距離が空いてさらに話しにくい。私の席なんて、右も左も二人も空席。ほとんど一人ですわっていたようなもので、会の間中ほとんど会話ゼロ。しかも、私のテーブルの人たちは、全員ほとんどしゃべらないのですよ。私は、位置的に話にくいのですが、隣り合って座っている人たち同士でさえ、ほんとにぜんぜんしゃべらない。謝恩会だというのに、二時間の式の間、全員がまるで、しゃべらない。で、うちのテーブルだけじゃなくて、ほかのテーブルもにたりよったりで、みんなすごく退屈そうだったのです。お酒はさすがにでなかったけれど、最初の一杯は乾杯の意味もあってウーロン茶やジュースだとしても、普通はお互いに気をつかってお酌しあったりするものなのに、それすらないのです。片方の人が気を使って隣の人についであげても、ついでもらった方はしらんぷりで、しかたなく、ついであげたあげく、自分のコップには自分で継ぐしかなくて、最初がそんななので、そのあともお互いにぜんぜんしゃべらなくて、私の席がもう少し近ければ、気を使って私がついであげたり、少しは会話を入れたり出来たかもしれないのだけど、なにしろ私の席だけすごく離れていたのでそれもしずらくて無理でした。いまどきは親も「お子様」なんだなーとつくづく感じてしまいました。これでは、学校の先生が大変なのも無理ないですね。 息子の学校の場合は普段のお食事会や保護者会で親同士が結構顔見知りになっていたりするし、謝恩会は高い参加費を払って出席の意志のある人たちだけがくるし、みんなそれなりに、気を使って、それぞれコミュニケーションをとろうという気のある人たちがくるのであんなにシーンとなることも気まずくなることもなかったし、当然空席もなかったし、途中からの学年担任の先生方のお話もそこそこにおもしろかったので、退屈することもなかったのになあと、つくづく思ってしまいました。 あまりに会場がシーンとしているので見かねた先生が自分が卒業式にとったDVDを未編集のまま、会場で見せてくれました。それでいくらかは、救われて部分もあったのです。それに、卒業式の保護者席は後ろの方なので。生徒の様子が分かりにくいのですが、最後の歌を歌っていた時は、子供たちは結構泣いていたらしくて、そのシーンをみて、さすがの私もジーンときました。でも、それ以外は、ひたすら、退屈なだけ。 謝恩会も、欠席の人は連絡を入れてくださいというシステムだったのですが、うちの学校のようにすごく外国人のお母さんが多いのに、そんなシステムにすると、出る気がなくても、謝恩会というものをしらなかったり、連絡すること自体が分からなかったりするだろうし、せめて外国人のお母さんのところだけでも、電話を入れて確認を取るべきじゃないのかなと思いました。ま、卒業対策委員のお仕事はいろいろあって大変なので、あまり苦情はいえないですけれど。ていうか、もう苦情をいう機会なんてないけど。だから、ここにでも、書いておこう。 で、昨日は、娘の高校の入学説明会でした。大体一時間半くらい。これがやっぱり、ものすごく退屈で。くばってくれた冊子を読めば分かるようなことをいちいち口頭で説明するんですよね。もう、だいたいいまさら説明されなくてもわかるようなことばかり。そのわりに、肝心なことはあんまり教えてくれないような。こんなことでも、説明しておかないとわからなくて、電話してきてこまかくきいてくるお宅があるからなのでしょうか。娘の高校は昨日の説明会といい、入学前の学校説明会といい、やっぱり、つまらなかったので、もしかすると、この先の、いろんな行事もやはり、公立中学のように、ものすごく退屈でつまらないかもしれません。ちょっと想像するとおそろしいです。だからって、その間本読んでるわけにもいかないだろうし、音楽聴いてるわけにもいかないだろうし、だからといって、欠席すると肝心な話も少しくらいはあって困るかもしれないし。うーん。覚悟しとくしかないな。とにかく、次は入学式です。でもって、中学生ママの日記もこれで最後です。
2008年03月25日
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先日結婚記念日と合格祝いを兼ねて、家族四人で東京會舘にディナーをいただきに行きました。ここは、20年前に結婚式をしたところ。花嫁だった私は例のごとく目の前のおいしそうな料理を食べることが出来ず、お持ち帰りにしてもらったにもかかわらず、締めすぎの帯のあまりの苦しさにそのあとも胃が整わず、それらの料理を食べることはできず、悔しい思いをしたのでした。で、その悔しさを取り返すべく、10年前の結婚記念日にもここに食事に来たのです。で、その時、「毎年来たーい」という私の願いは「だめーっ」とだんな様に却下されました。「だったら、10年後の結婚20周年の日だったらいい?」ということで、その20周年の日はとうとうやってきたのでした。しかも、まるで計ったように、ちょうど子供たち二人の合格祝いも兼ねての家族四人総動員の初ディナーコースとなったのでした。めでたしめでたし。 『シェ・ロッシーニ』最近上り調子で支店を増やしている(?)西洋料理店です。たぶん。今回のディナーは、このお店です。ここは、フランス料理とはちょっと違うのかな。でも、何となくさっぱりとした感じお味でおいしいのです。10年前、20年前にはこのお店はたしか東京會舘にはなかったような。たしか、10年前はここの2Fのフランス料理店で食べたのだけど、今回はついうっかりこちらのお店のメニューに心引かれてこちらにしてしまったのでした。だって、メインディッシュがローストビーフなんだもの。お店で食べる本格的なローストビーフって一度食べてみたかったのです。これなら子供たちも喜んで食べるはず。 テーブルの上のキャンドルもかわいい♪ まずはスパークリングワインでかんぱーい。って、私以外は、ジュースとジンジャエールでしたが。でも、ジンジャエールさえ、グラス一杯1000円するんですよ。このてのお店はこういうところが怖い。でも、ま、今回は特別にちょっと、まっ、いいかーってことで。あーーーーーー。最初の前菜のお皿の写真を撮るのをわすれたーーーーーー。天使えびとフルーツトマトでした。おいしかったよ。 で、これがなんと、スッポンのスープです。精力つけて、どきどきの新学期を乗り切ろう。受験疲れも取れそうです。でも、コリコリしたものが入ってました。どうも、スッポンのみもはいってたみたいです。 メインディッシュのローストビーフです。国産牛で脂身もしっかりと。右上のマッシュポテトと間違えそうな塊が西洋わさび。あんまりツーンときません。それにしても私。安いオーストラリア牛のさっぱり感になれちっゃて、国産牛の脂っこさが苦手になってしまいました。でもとにかく、ローストビーフ。これは、品数限定なので予約した方が良いらしいです。 でもって最後がさくらのデザートです。桜のエクレアと、バニラアイスサクラジャムつき。でもって、桜の小枝つき。ピンク色のさくらのあんがおいしかったです。息子いわく、「合格お菓子の締めだな。」うんうん。そんなかんじー。しかも、子供たちのお皿の桜はチャンと咲いていたのです。10年前は子供たちがまだ小さくて、コース料理は無理で、アラカルトでいただいたので、10年後にはコースで食べたいと思っていたのです。でも、いざ10年たつと他のいろんな機会でコース料理をいただく機会があって、10年前ほどハングリーな気持ちでなくなっていました。そして、いざとなると、いろんな食材のでてくるコース料理を子供たちは食べるかな、残しちゃうかなと思いましたが、実際につれていってみたら、きちんと品よく、おいしく楽しく、ディナーを楽しんでくれました。子供たちもこれから大人になって、社会のいろんなところに出て行った時、その場に気後れしないよう、困らないよう、そして、これから、彼女を作ってデートするかもしれない息子にもこの手のところは少しだけ慣れていた方がいいし、ちょっとしたルールやマナーを知っておいたほうが良いです。というわけで、そんな社会体験の意味もあって、初めていった家族でのディナー。二人ともおいしく楽しく食べてくれました。こんなところに家族全員で行くことなんてそんなにないからね。次はいつのことやら。おいしかったでーす。ごちそうさまでした。
2008年03月20日
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先日の問題集の写真にはたくさんの反響をいただきました。あの写真を見て息子いわく、「吐き気がする。」だそうです。そりゃそうだよね。これから勉強始めるよっていう時に「これからこれだけやるんだよ」なんてあれをみせられたら、誰でも、やる気をなくすかもしれません。当然やり終えた本人も。最初は一冊か二冊渡されて、あるいは、自分で買ってとにかくまずはこれをやり終えることからという感じで始めるものですからね。 我が家も最初はまず青チャートを買ってきて、とにかくまずはこれをやることからということで始めました。経済志望だったので、さすがに3Cはやらなくてもよかったのですが、1A、2Bだけでも、かなりの厚さなので、この問題集だけでも、クラーッとくるかもしれません。学校の他の勉強もあったわけですから、この二冊を終らせるだけでも、かなりの期間かかったと思います。 ちなみに今は1A2Bで四冊構成。持ち運びも楽になりました。うらやましい。 三年生は忙しくなるので、高2が終るまでに数学は2Bまでは終らせてくださいと当時の担任の先生のお言葉。でも、実際には、終ってなかったですね。でも、うちは理系志望じゃなかったので、それでも、すんでしまいました。 チャート式を何ヶ月もかけて終らせた息子が次は何をやるのというので、二人でいろいろとネットを調べて、お勧めの問題集を探しました。 受験勉強をする上で今はネットがあるのですごく助かったなと思います。今は塾が増えて、塾にいけば受験テクニックが教えてもらえるというような考え方が普及していますが、ネットの中にも、いろんな塾の先生や予備校の講師などの人のサイトやブログが数多くあって、いろいろと参考になることがたくさん書いてあったり、お勧めの問題集や参考書がレビューされていたり、それらによる情報収集がばかにならならないというか、すごく助かるというか。 勉強時間は限られているので、というのも、どんなに早くから始めても人間は飽きる生き物なので、ある一定時間以上は勉強なんてできるものではない。と、私は考えて、なるべく時間を無駄にしないためには、なるべくいい問題集を買い揃えることじゃないかなと思いました。昔はそんなことしらなかったから、普通に本屋さんに行って適当によさそうな問題集を買ってやっていたんだけれど、本屋さんには、ものすごい量の問題集が売っていていて、学校や塾の先生のようなプロならいざしらず、これから勉強をしようという高校生がそれを見抜くのはむずかしいです。 受験は分かっていても、たいがいの高校生は何をどうすればいいのかわからずに途方にくれている場合が多いんじゃないかなと思います。東大などの超難関大をめざす大人な一部の高校生を除けば。 うちの子もまだまだおこさまなので、受験や学歴が自分の人生にどう影響するのかとか、世の中の仕組みとかよくわかってないですからね。 受験関係のブログやサイトなどでみたお勧めの問題集などをチェックして、ネットで注文。ほんとに今は便利です。本てものすごい量が売られているけれど、ほしいと思っている本を本屋さんで探し当てるのっていがいと大変です。 それに、ネットで注文した問題集を本屋で見つけたことがあるんだけれど、山盛りの問題集の中からその一冊を見つけ出して、いい本かどうかを判断して買うかどうかを決めるのはかなりむずかしいことだと思いました。まして、時間のおしい受験生にとってそれを一冊ずつやっていくのは能率悪いとも思いました。 ほかにも、受験生本人のブログやそのお母さんのブログ、既に大学生の人の受験アドバイスのブログなどもいろいろと参考になりました。 まだこれからいろいろと問題集を買い込んで受験勉強をこなしていかなければならない息子に私が言ったのは、「長い階段を上る時は、頂上じゃなくて足元を見て上るんだよ」ということでした。上を見ながら上るといつまでもつかない気がして嫌になっちゃうから。足元をみて、一歩一歩登っていくといつかしらないうちにいつのまにか、頂上についてるものだから。いやこれは、動くことのきらいな私が現実の長い石段を登るときに実感したことなんですけどね。 まだ、高二くらいの頃はまだまだ何をどうやって進めていくのかほんとに暗中模索。だったなあと思う。 とにかく、一つ問題集を終ったら、次を買って。の、繰り返しで、そのうちに使ったノートが塔のように積み上げられていきました。 イチローも、宮崎藍ちゃんも、福原愛ちゃんも親御さんの子育てへのかかわり方すごいですよね。半端じゃない。イチローのお父さんは、寮制の高校野球部にイチローが入った時、毎日練習を見に行ってイチローが頑張っているのに、座ってみるなんてとんでもないといって毎日立って見ていたそうです。さすがに私はそこまで出来ないのですごいなあと思うんだけど。 今は時代の変化がすごい早くて激しい。でも、実は子育てにおいてはすごく久しぶりに親と子供の人生がとても似かよっていて、親が子供に指導しやすい時代に来てるのじゃないかと思います。江戸時代までは確実に仕事は世襲製で、親が子供に仕事の仕方を指導したものです。猟師も農家も商家も侍も自分の仕事を子育てしながら子供に教えていったはずで、そして今は、大概の子供はサラリーマンになるわけで、そこにいたるまでの人生も小学校、中学校、高校、大学、受験というように、ほぼ親と同じ人生を送るわけですから、時代が変化している割に親子の人生は同じ。なにしろ、親子でウルトラマンや、仮面ライダーを楽しんだりできるくらい、親子の人生は同じラインになってきている。子供の人生に親が口出しできなくて、子供に判断を委ねるしかなかったのは、農家や、自営業の親の子供が、時代の変化の中で親とは違うサラリーマン、会社員という仕事につくしかなくて、そして、そこには受験というものがあって、そして、学歴がどんな意味をもつのかしらず、自分たちとはまったく違う人生を歩むわが子に戸惑っていた当時の親たちゆえなのではないかとも思えます。 また、学歴信仰が強くなりすぎて、勉強のことを知らない母親が勉強さえさせればいいんだと思い込んで、勉強しか出来ない子供を育てていたことへの警鐘がそのまま残ってしまっているとも思えます。 けれど、今は明治から昭和までの時代の大きな変化を超えて、久しぶりに親子の人生がほぼ同じ。親が子供に人生のアドバイスをしやすくなった時代なんじゃないかなと思います。技術革新は激しいけれど、ある意味社会が一定のルールに落ち着いてきたのかもしれません。 自分が経験したのと同じ学校システム。その表も裏も知り抜いた親に翻弄される現代の教育システム。モンスターペアレンツなんて騒がれてるけど、モンスターティーチャーは、昔からもっとうじゃうじゃいたし、昔の学校に比べて今の公立の教師の質は相当悪いと感じる昨今です。 だから、親は過保護なんていう言葉を恐れずに、子育てにもっともっとかかわってもいいのではないかなと思います。自分が潜り抜けた受験や就職。恋愛や結婚や子育て。子供だった頃の不安や失敗。そんなあれこれを子供とおしゃべりしながら。 大切なのは、子供の希望や気持ちや考えをきちんと読み取ってあげること。親のために子供がいるわけじゃないこと。親はあくまで、子供の人生を手助けしてるだけだということ。 それにしても、今は確かにだいぶ受験テクニックが進歩しました。昔の受験生はたしか、英語の辞書を最初のページから全部覚えて、覚えたら、そのページは食べちゃうなんて話を聞いたことがありますが、それが、受験にでてくる単語には出現に頻度差があるのじゃないかと言われて、でてきたのが一昔前の『でる単』。受験の問題によくでる単語から順番に書いてある単語暗記本。それから時代も流れて今では、受験単語の暗記といえば、『速読英単語』(速単)か、『システム英単語』になったし、それなりに、受験生が使う有名どころの問題集もお決まりが出来てきて、かなり効率化されて楽になったかもなあと思います。これが一種の受験テクニックでもあるのかなと思います。 受験テクニックってよくいわれるけれど、実際のところどういうものなのか、結局私にはよくわかりませんでした。何かものすごい秘術でもあるような気がしてくるけれど、それをやればだれでも、志望校に受かるというものとは思えない。あくまで、効率アップや、本人のもつ学力や能力にほんの少しのフラスアルファになるくらいのものだと思うのですが。 それから今の受験で一番うっとおしいのがあの英語のリスニング。あれをやったからってしゃべれるようになるとは思えないし、得点幅も少ないし、その割りに対策にすごく時間がかかる。中学からいろいろと学校で配られた英語リスニングCDも息子はほとんど聞きもしなかったような気がします。現在ほぼ完全にゴミ。捨てるべし。結局CD業者のためにあるような気さえします。結局速単のCDと土壇場の最後の半年ラジオの英語講座とで、なんとか、センターで半分得点しただけでした。受験が終ってきれいさっぱり忘れていくような…。また、大学でやるのでしょうか。 ところで塾ですが、今はものすごい数の塾や予備校があって、今はこういうところに行かないと受験は出来ないものなのかと最初私はわけ分からなくて悩みました。とりあえず、数学だけでも、と、息子をいかせて見ましたが、塾の数学って二時間かけて数問の問題を解く程度。自分で解ければ意味ないし、難しすぎればわからないのでこれも意味ないし。息子は、効率が悪すぎるといって、結局数学の講座はとるのをやめて、ほぼ自習で終らせてしまいました。英語も同じ。ただ、日本史は、学校では理系のため授業をとれなかったし、学校の場合は進度が遅すぎて能率の悪いので、塾の講座に行きました。塾の場合は、一年間できっちりとスケジュールがきめられていて、いやおうなしにすすんでいくので、日本史の勉強のペースメーカーとして、記述の回答法の指導もあって特に役にたちました。あとは、苦手な国語。自力の勉強ではどうにもものになりそうになくていかせたけれど、それでも、やくにたったのかたたなかったのか、不明です。最後の土壇場は通っている高校の先生に頼んでの添削指導。これが一番よかったと、本人曰く。もちろん全教科です。先生方ありがとうございました。ここにかいても伝わらないけど…。 塾のパンフレットを見てると、「T大数学」とか、「K大の英語」とか、「ハイレベルなんとか演習」とか、いろいろ魅力的に書いてあって、この授業を受けさせれば学力がついて合格するに違いないという気になってくるけれど、実際のところは結局今も昔も自分でする勉強が一番なんだと思います。 塾は利用するものとよく言うけどほんとにそうなのかも。でも、うまく利用するってかなり難しいです。でも、とってる講座を欠席すると途端に本人あてに塾から電話がかかってくるあたり、管理はしっかりしてました。 勉強の仕方や併願に悩んだ時なんかに相談できる先生がいる塾があると良いなと思いました。そういうところもあるらしいのだけれど、結局面倒で入りませんでした。その手の塾でも、結局は数学か英語の授業をとらないとならなかったのと、家から通うのに不便な立地、高いという理由で。 あれば便利だけど、でもどうよというわけで、塾ってどんなんか、今でもよくわかりません。 とりあえず、一人目クリア。でも、大学に入ってこれで将来安泰ってわけでもないし、このあともいろいろいろあるんだから、私もまだまだのんびりできない。っていうか、孫の受験を心配してちょくちょく電話してきたうちのばば様たち。子供の子供まで心配は続くらしいです。 最後に、たくさんの情報を提供してくれた受験関連のブログやサイトの方々。たくさんの情報をありがとうございました。
2008年03月18日
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まるでエロ雑誌のような少女マンガが増えている昨今。 久々に昔のような相手の指先にたまたまに触れるだけで、顔を見るだけで、声を聞くだけでどきどきする、そういう恋の序盤戦を細やかに描いた少女マンガを久しぶりに読むことが出来てすごーくうれしかった。 もっとも、彼氏の方はイケメンで料理が上手で恋のテクラックもうまい。自分の欠点を指摘されたら、さっさと認めて素直に直し始める。あまりにも出来すぎだけど、少女マンガだから、いいや。はらはらさせられつつ、いつまでもそれを引っ張り続けて読者をいらいらさせずに、さっと次へと話を進める展開の速さも、小気味いい。面白い。 たった二巻で終っちゃってるけど、お話にでてくるほかのキャラクターが脇役で終らせるとは思えない濃いキャラクターばっかりなので、当然シリーズ化するんじゃないかと、当然読者は期待して待っています。津田センセーよろしくお願いします。
2008年03月17日
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こんな冒険物語の主人公になるくらいだから、ヒロインのライラはなかなか気の強い物怖じしない女の子だと思います。物語の中でいろんな目にあってるのに、泣くこともないし、だれかに助けてということもない。そして、彼女のライバル役のコールター夫人を演じているのが、ニコール・キッドマン。さすがの存在感でヒロインはこの二人両方なのかと思えるくらい。ファンタジーものは意外とその特性ゆえかあまり有名じゃない俳優が演じていることが多いんだけれど、この映画ではなかなか有名どころの俳優さんが使われていて、特にニコール・キッドマンのコールター夫人はいいです。個性が強くて存在感があるけれど、でも、この物語独特の世界観を壊してないし。そして、ヒロイン、ライラもまた、こどもでありながら、ニコール・キッドマンと競演していてもぜんぜん負けていない存在感があるキャラの濃い女優さんです。 そして、二人の気の強い女性二人を中心にして、脇を固める男性陣やよろい熊はみんな強くてそして、やさしいです。 最近のファンタジーブームで、ファンタジー映画が多く作られるようなったのはうれしいんだけれど、『ロード・オブ・ザ・リング』や、『ハリーポッター』シリーズを除くと期待を裏切られる作品が多い中で、久しぶりにいい出来のファンタジー映画を見ることが出来ました。 これは、シリーズものの、一作目なので、これ以降二作目、三作目で話に深みが出てきて、わくわく感がもう少し味わえるようになるといいです。小さな少女のライラが大きくて強そうな鎧熊を仲間にして、従えるところがかっこよくて気持ち良いです。そんでもってこの鎧熊。かわいい。 正しい道を知ることの出来る黄金の羅針盤。物語の中では、世界に一つしかないけれど、もしこんなコンパスを持つことが出来たら、人生を迷うことなく生きていけるかもしれないし。一人にひとつづつ世界中のみんながもてたら、楽で人生も生きやすくなって、世界も平和になるかもしれないし、いいのになあとか、思います。 でも、この羅針盤はよく見ると結構使い方がむずかしい。物語の中では、ライラは使い方を覚えてからは、それほど迷うことなく使いこなしているけれど、いざやってみると意外とむずかしくて、もしこの羅針盤を手に入れても私にはあんまり使いこなせそうにないです。『ライラの羅針盤』の公式サイトに行くと、「アレシオメーター」を使うことが出来ます。アルシオメーターというのは、映画の中にでてくるライらのもっている黄金の羅針盤の英語名のようです。また、ライラのすむ世界では人の魂は動物の姿になってその人と一緒に行動してくれる生涯決して放れることのない親友のような存在なのですが、そのダイモンがわかる、ダイモン占いもあって、20の質問に答えると自分のダイモンが分かります。ちなみに、私はトラでした。どちらもパソコンならではの映画がらみのちょっと面白い占いです。 ライラの冒険 黄金の羅針盤@映画生活
2008年03月15日
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受験が終って、待ちに待った、問題集のかたづけ。受験に使った問題集やノートを全部集めて、積み上げて、受験の最後の仕上げに写真をとりました。この写真には写っていませんが、もう一枚、息子も入った写真も撮りました。中学受験が終った時も、やっぱりこんな風に勉強に使ったものを全部集めて写真を撮ったのです。今回は本当に彼が受験勉強に使ったものだけあつめました。問題集、参考書、教科書、赤本、青本、ノート、プリント、塾のテキスト、などです。この後、残しておくものと捨ててしまうものをわけて、かたづけました。家の中もかなりすーっきりしましたが、やはり捨てたくないものもあり、また、三年後の娘の受験のためを考えて、半分くらいは残して、納戸にしまいました。毎日いろいろと忙しくてなかなか取り掛かれなかったのですが、今日は天気もよくて、体調もよくて、整理できてほんとにほんとにすっきりー。 上の写真だとわかりにくいのでちょっとアップにしてみました。 これは特にいいやつだったーという息子のお勧め問題集をセレクトしてみました。 文系に行くなら必ず買うべき『文系数学のプラチカ』。それから、理系コースのために、日本史の授業を取れなかったため持っていなくて、学校の文系の友達が持っているからどうしてもほしいといわれて、ネットではどうしてもみつけられず、はるばる神保町の本屋さんまで買いにいった教科書『詳説日本史B』。これは、同じ表紙デザインの問題集や参考書はいくらでも本屋さんにあるのに、この教科書だけはなかなか売っていなくて入手が大変だった一冊。他にもいろいろいろいろ、学校で渡された問題集なんかもたくさんありました。とにかくやっと片付いて、このあと、入学の書類づくりや、振込みや、通学用の私服を買いにいったりとか、入学式に着るスーツの準備とか、いろいろといろんな用事がまだまだ山積みなのです。
2008年03月13日
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国立大学の前期後期という受験システムはきついです。いままでヒトゴトと思って聞いていた時はなにもわからなかったのですが、いざ自分たちがそれにかかわってみると、そのきついこときついこと。物理的にも、精神的にも。 なにしろ、1月19日のセンター受験を出発点とする受験RUN。私大受験もあって、これはもうどう考えても、国立二次前期試験の2月25,26日までで、精も根もつきはてる…という感じです。息子は「前期試験のあとも後期試験のための勉強をがんばる」と言っていたのですが、私は、どうにも「後期試験はもういいや」と思っていました。もうそこまでしか、精神力も体力も続かないだろうと最初から思っていたからです。それは、実際には受験はしないあくまでフォローの立場にいるはずの私にとってもきついだろうということと、後期試験は難しいので、合格の可能性も激減するだろうなということ。幸か、不幸かとりあえず、足きりにはならなかったので、後期の勉強をしないわけにもいかないというループのど真ん中です。 日程的にも、過酷です。二次前期の発表が3月の10日。二次後期の試験が12、13日。落ちたことがわかってからでは勉強がまにあわない。で、前期試験のあと、受かってるか落ちてるかわからない状況での後期に向けての勉強をしないとならない。すごく過酷で「もしかしてうかってるかも」と思うとモチベーションはあがらないし、でも、実際にはほとんどはボーダーライン上なんだから、やっぱり、勉強しとかないとならない。でも、科目数が少ないから飽きるんです。結局ほとんどの受験生が気合のはいらないまま、中途半端の勉強をしつつ、生殺しのような二週間を送る。他の私大でも、発表まではせいぜい一週間くらいなんだけど、国立大学はほとんどが記述問題で、それをていねいにていねいに採点するのでかるく二週間はかかるのでしょうか。 T大は、独立行政法人化によって、前期後期に分けて試験しなければならないという国立大学の呪縛からさっそく脱却するべく、今年から後期の人数枠を激減させたし、それに続く国立大学も来年以降どんどん人数枠を前期にシフトしてるみたいだし、後期をやめるところも増えてるみたいだし。国立もどんどん変わっていくようですが。だって後期はほんとにしんどいぞー。意味ないし。 とにかくその地獄のような長い長い二週間を終えて昨日やっと、発表日でした。合格でした。でも、でも、つかれましたよお~~~。一緒にいった私はもう年のせいと連日の緊張した毎日と、風邪と寒さによる過労でよれよれでした。 もうこんなに体調悪いのに、さらに今週また「受験のための弁当を作るのはいやだあ」と思っていたので、もう後期試験は受けずにすんだと分かって私はとーっても、うれしいです。受験勉強から開放された息子は、疲れもなく、今朝も早くから起きて、いままで我慢していたパソコンの戦争シミュレーションゲームや将棋をして遊んでいました。それから、学生証に貼るための写真を撮りに行きました。 これで我が家の受験はおしまいです。三年後の娘の大学受験ははたしてどうなることやら。女の子なので、ほんとにどこでも、いいんです。ひっかかりさえすれば。だから、気楽。もう、ダブル受験じゃないし。みなさまほんとにほんとにありがとうございました。
2008年03月11日
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アポカリプトというのは、訳すと、「新しいはじまり」になるのだそうです。物語にでてくるマヤ帝国は何千年と続いた歴史が西洋の侵略によって崩壊する直前です。つまり、まさに時代の変わり目。時代の変わり目というのは、あとから歴史として習う分には当然のようにわかりますが、渦中にいる人間にはわかりにくいもの。その変わり目をかんじとる感性があるかということでしょうか。マヤが崩壊したのは西洋からの侵略だけではなく、既にマヤの内部が爛熟し、腐り始めていて、崩壊の兆しは内側にもありました。マヤ帝国による奴隷狩の脅威から逃れるために村をすてて移住していく集団に、主人公ジャガー・パウだけが、時代の変化を感じ取っていました。 梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』のなかでも、時代の変わり目にいきている人間にはその時代の変化はわかりにくいと書いてありました。今の時代もまた、時代の変わり目なのか? それを感じ取るポイントはどこにあるのか。中にいる人間たちの感性の鈍化。道徳観の急激な低下。慢心。文化の爛熟と腐食。その中で新しいものを感じ取り自分自身をその変化に沿わせることが出来る極わずかの人間たちがいる。強く、たくましく、柔軟で、感性がものすごくするどい。 さて、この映画が語りたいのは、時代の変化を感じ取れということなのかな。
2008年03月10日
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中米のとある村に住む狩人たち。物語はそんなところから始まります。やがて彼らはマヤ帝国の兵士たちに捕まり、捕虜としてマヤ帝国の首都までつれていかれ、いけにえとして殺される。その寸前に、危うく助かった主人公ジャガー・パウは、追っての兵士たちを次々とやっつけて、無事に妻と子供を助け出すのです。 こんな中米を舞台にした物語はめずらしいのです。世界中にある殺戮と征服の物語は、征服されたアメリカ大陸の中にもあったのですね。そして、もしかするとラストででてくるだろうなと思ったヨーロッパ人もやっぱり出てきました。 物語のテーマは、ようするに、「井の中のかわず大海をしらず」といいますか、つまり、『恐れを知れ』でありまして、日本的に言うなら、「謙虚であれ」ともいえましょうか。 物語はまず、狩人仲間の間での仲間への侮辱やからかい。小さな集団の中にも人間関係の上下、強い弱いがあるわけで、それはさらに、娘婿に『種無し』とののしる姑なんかにもあります。こんなジャングルの中に少人数で原始的にひっそりと暮らす人々の中にすら存在する人間同士の上下。勢力図。 けれど、突然やってきたマヤ帝国の戦士たちによって村びとたちは全員捕虜として拉致されてしまいます。連れて行かれたマヤ帝国の首都で、売り飛ばされていく女たちの中で唯一「使い物にならない」ということで売り物にならず、売られることなくその場で開放されてしまう姑のばばさま。村社会の中では優位に立ち、娘婿をののしっていたはずの老婆は、マヤ帝国という都市では、何の価値もない人間という評価をされてしまうのです。 このあと、マヤ帝国から逃げ出した主人公ジャガー・パウを追って、ジャングルをおいかけてくるマヤの戦士たちは次々と死んでいきます。(←このあたりがおもしろかった。)そして、ラスト近く。二人だけ残った戦士は海岸で、アメリカ大陸にやってきたヨーロッパ人たちに初めて出会うのです。 こののちの歴史を知っている観客は、彼らヨーロッパ人がこの物語中で一番怖い存在であることを知っていますが、物語中で残虐の限りをつくしてきたマヤの戦士たちは、そんなことは知りません。けれど、『恐れを知る』ジャガー・パウだけは、なにかかかわってはいけないことを感じ取って、そっとジャングルに戻っていきます。 物語中で人の輪が段々広がっていきます。はじめは同じ村の中の人の中での関係。それがやがてマヤ帝国という巨大な国家集団に出会った時、村の中では強い男として優位であったはずのジャガー・パウもまた、弱いものとなり、捕虜にされ、殺されかけ、追いかけられる。自分より強い存在に出会う。父は彼に『恐れるな。』といいます。しかし、物語の中では、『恐れをしれ。』といろんな人たちが彼に言う。自分は強いと思っていても、自分がいる集団のその外側にはもっと強い存在がいる。そして、中米のジャングルの中で、最も強い存在だったはずのマヤ帝国もまた、アメリカ大陸の外側からやってきたヨーロッパ人という強い存在によって、この後、殺戮され、滅ぼされてしまうのです。強いはずのマヤの戦士たちは、ジャガーパウを追ってマヤの都市をでていく。ジャガー・パウの住むジャングルの中では、逆にジャガー・パウによって、順々に殺されてしまう。マヤという帝国をでれば、やはり自分たちより強い存在がいる。 伝染病の少女によって予言のような言葉をきくマヤの戦士たち。少女は言う。「恐れを知れ。強いはずのおまえたちもまたいずれ、外側からやってくるもっと強い存在によって、ほろぼされるのだぞ」と。(←すみません。意訳してます。映画の中で見てる分にはちんぷんかんぷんでわけわかんないんですよ。この女の子のセリフって。だから神秘的でおもしろいんだけどね。) いごこちのいい狭い世界でいい気になってぬくぬく暮らしてちゃいけないんですねえ。若者はやっぱり外の世界を見に出かけていくべきですよねえ。 でも、面白かったです。ものすごく残虐なシーンもいっぱい。あって。残虐すぎるという批判もありますが。でも、この残虐なシーンによって、物語の後半から物語のメッセージがより明確に浮き上がっているとも言えるわけですし、マヤ人の行う残虐さが、そののちのヨーロッパ人がマヤ人に対して行うであろう残酷な殺戮と征服のシーンを映画としてはうつしださないけれど、観客に想像させるにはよりよい効果となっていくわけですから。 中米を舞台にした中米の民族同士の征服戦争なんて話も珍しいですし。マヤの戦士とジャガー・パウの追いつ追われつの逃走戦が一番の見所でした。 それにしても、ジャガー・パウの奥さんの、妊娠中、しかも臨月なのに、高いところから二度も落ちたり、冷たい水につかりっぱなしの挙句、水中出産という、殺戮シーンとは別のハードなシーンも、すごかったです。つらすぎる。 『恐れをしる』ジャガー・パウだけは、西洋人から逃げるようにそっと、妻子とともに、ジャングルの奥地へと旅立っていきましたが、果たして逃げ切れたのかなと、思いもしました。こののち、西洋人による壮絶な殺戮がアメリカ大陸全土であるわけですからねえ。『アポカリプト』追記 アポカリプト@映画生活
2008年03月06日
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おなか痛いです。どうやら風邪みたい。日曜あたりからどうもおなかが痛くて、卒業式と謝恩会の疲れでぼろぼろで、その前からなんだか毎朝頭が痛くて、体調は最悪。日曜からは胃もむかむかして、あんまり食べたいと思わない。 そしたら、昨日は娘もお腹が痛くて気持ちも悪いといって早退してきました。私の風邪がうつったんだ。やっぱり風邪なんだわ。 今は、薬屋さんにも漢方の市販薬がうってて、簡単な漢方のお薬が気楽に変えて便利。です。市販の普通の薬だとなーんか違うなと思っていたような、普通に売ってない様な薬が漢方処方のお薬で売られていて便利ですね。 お腹の痛い風邪用の風邪薬。買ってきました。私が飲んで、娘にも飲ませて。今日は球技大会だったので、無理して学校に行こうとする娘を説得して休ませました。 先週は怒涛のような忙しさでしたから、そして、受験も一段落して気が緩んだのかな。月曜火曜は国立前期試験だったから、遅刻させないようにおこさなきゃという心理的なプレッシャーがしんどくて、夜ぐっすり眠れなかったでしょう。早めに起きてお弁当作って、忘れ物もないように見てないと。って、そのはずなのに、むすこが上着着てないのをきずかなかったのですが。子供が自立して生きていけるように、ほっておけるほどの余裕を日本という社会は許してくれないからねえ。 人生の途中でのやり直しがしにくい国ですものね。 同じ日に私大の発表もあって、どきどきでした。もう体調悪くて学校まで見に行く気力もなし。でも、最近はほとんどネットでみられるから便利ですね。 それから木曜に都立の発表。見に行くだけでくたくたでしたもの。まあ、無理していかなくても、子供からの電話を家で待っていることもできたのですが、矢張りこれだけは自分の目で見たかったのです。 でもってね。土曜が高校の卒業式と、謝恩会。同じ日にどこでも、両方やるみたいですけど、ほーんとハードですね。高校の卒業式ってもう練習もしないから、全体の進行が公立の中高みたいにぴしーっとしてないんですね。卒業生がいつの間にか、だらだらと入ってきて着席してて、卒業証書授与なんてあっという間に終っちゃって。で、そのあとにいろんな賞の授与も取りまとめて一緒にやっちゃうんですね。成績優秀者とか、6ヵ年皆勤とか、精勤とか。こっちはほんとに一人づつ手渡しなんです。成績優秀者より、皆勤のほうが評価が高いみたい。そのあとも、「仰げば尊し」とかの歌もなくて、校歌もなんだか、生徒たちが歌ってるんだけど、よく聞こえなくて、だらだら歌って、何の感動もなく、すかーっと終ってしまったのでした。 こういうだらだら私は好きですけどね。公立の中学のたかが卒業式のために授業もやらないで二日も三日も練習した結果のきちんとした式なんて馬鹿みたいだと思ってますから。私が中学生のころにも、やらされました。ほんとにあれはうんざり。でも、中学の方が感動で泣くかもしれません。 そのあとの謝恩会が三時間もあって、家に着いたら、くたくた。夕飯を作る元気もなし。次の日もよれよれ。なんていってたら、いつの間にか風邪ひいてるわけですね。いつひいたのかもよくわからない。 今週は特にたいした行事もなく、来週は国立前期発表です。落ちてればその後にすぐ後期試験だけど、もう緊張と集中力の糸がぷちんと切れて、息子も勉強のモチベーションが続かない。ようです。もうこういう生殺しみたいなのはカンベンしてと愚痴っています。さまありなん。私も同じであります。この後は、入学手続きや、入学説明会やら、とにかく、合格の後にもいろんな仕事が山のようにあるんですねえ。 でもいまだに、お腹の風邪は治りません。今朝もお腹痛いよう。早くなおりますように。
2008年03月05日
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