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長男がビジネスコンテストに行ったので、この一週間、家にいなかった。五月蝿い奴がいないと、こんなにさわやかなのかと、スッキリ。女の子一人だけの家庭ってこんなに 楽 なんですね。女の子は言えばとりあえず片付けるし、お腹がすけば自分でご飯作って食べたりもするし。気楽だ。男の子は、生活力が無いから、ほっぽっとくと死にかねないもの。だいたい、なにしろ男の子って存在自体が威張ってるものね。 でも、ここにきて私の周りには、いつも一匹の虫、たぶん、蚊かなにか、が、たかっていてぶんぶん五月蝿い。 いつもは、虫が五月蝿いといって、ぶつぶついう息子が神経質でうるさいやつだなあと、思っていたんだけど、そうか、息子がいれば、息子のところに虫が集中していたんだわ。若い男の子って、エネルギッシュで、おいしいものね。で、その息子がいないので、そのぶん、私のところにくるらしい。神経質でうるさいやつだなあと、思っていたけど゛、そうか、あいつが、虫役を引き受けてくれていたんだ。 息子のいない静かで部屋のちらからない、快適な生活もよかったけど、そろそろ飽きてきたし。もう、今日帰ってくるはず。そろそろいい加減、息子が恋しくなってきたかもしれない。早く帰ってこないかなあ。虫役やーい。 なにせ、虫役の彼のために我が家では、息子のところだけ、一人用の蚊帳がつってあるのだ。 でも、帰ってきたら、やっぱり、うるさくて邪魔でうっとおしいんだろうなあ。
2008年08月31日
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えーと、ネタバレしてます。ネタバレすると、この本は読む面白さが激減すると思われますので、以下、読む気はないからネタバレしてもいいという人と、もう読んだからという人だけ読んでください。 文庫本の後ろには、名作『白夜行』の興奮がよみがえる傑作長編と書いてあるし、本編を読めば、どうやら、ヒロインは、『白夜行』の雪穂と同じ人物らしいと、想像できる。あとがきでは、『白夜行』の第二部とも書いてもある。 しかし、この本を読んでみて、私としては、この作品は『白夜行』の 書き直し だと、思う。 『白夜行』では、かなり伏せられていた、多くの事件の詳細や二人の男女の関係性が、幻夜では、かなり詳しく書き出されている。「白夜行」で、19年がかりの話だったけれど、この『幻夜』では、五年くらいの間の話になっている。『白夜行』では、かなり挙げられていた社会的事象も、『幻夜』はサリン事件くらいだ。 たぶん作者は、前回あまりにも、トリックを駆使しすぎて、名作ではあるけれど、懲りすぎて作者の意図が伝わりきらず、よみこめないつくりにしすぎたかもしれないことを考えて、『幻夜』では、主人公雅也と、ヒロイン美冬の二人の最初の出会いから、その後の関係性、までをかなり明確に書き出しているし、二人でおこなった事件も、かなり克明に描き出している。 『白夜行』は、トリックすぎてわかりずらかったし、テレビドラマ化においては、そのテーマはあきらかに、改変され、原作では分かりづらかった部分を詳細に説明するようなものになっていた。 名作と評されながらも、けれど、作者の意図は、伝わらずに終ってしまったことが、今回の作品へと、つながっているのではないのか。 自分の正体を隠し、自分の身を守り、企業して、経済的成功をめざし、そのためには、自分の周りの男たちを使い、どんな犯罪も、殺人もいとわない冷酷で非情な美女の物語。 そういう話だけれど、作者ははたして、冷酷な魔性の美女が書きたかったのか。物語としては、見事なまでの美冬の行動にひどいと思いつつ、すごいなという面白さはある。 けれど、作者がこの物語で書き出そうとしているものは、なんだろう。 「世の中はもっと悪くなる。自分の懐をこやすことしか考えてない連中がこの国を仕切ってるんだから当然のことだ。今までは庶民が強かったからなんとかなった。だけどもうだめだ。がんばりにも限界がある。」 これは、作中の第11章、刑事の加藤が雅也のつとめていたフクタ工業の社長に会いに行ったときに社長の福田が言った言葉だ。 一人の女がこんな行動をとればそれは、犯罪であり、ひどいことだけれど、それを同じようにしていても、それが企業であれば、どこかで許されてしまう。 底辺にいる人間がどんなにがんばっても成功することも、のし上がっていくことも出来ない社会。 そして、企業ですら、社会的不正や、偽装や、犯罪ぎりぎりのことをしていかなければ、維持できないような社会。 美冬ほどの才気があれば、こんな犯罪をしなくたって、企業家として成功できそうな気もする。それでも、今の社会では、無理なのか。 雅也も美冬もフクタ工業の従業員も社長も雅也の父親もみんな社会の底辺に近いところで生きている。のし上がっていくことも人並みの普通の生活をすることすらも、もう、この国では難しいことなのだろうか。 もしも、これが、『白夜行」の第二部だとして、もし、第三部が描かれるとしたら、どうなるんだろう。一部、二部では決して、暴くことのできなかったヒロインを暴きだすのは、だれだろう。たぶん、男性には無理だろうな。『幻夜』の中でも、「女のことは、女でないとわからない」と、ヒロインの夫の父親に言わせている。だとすれば、ヒロイン美冬の正体を突き止めるには、女性の目が必要だろう。たとえば、第三部で美冬の正体を暴く人物がいるとしたら、それは『幻夜』の中で、美冬に夫を殺された曽我の妻、雅也に惚れていた美冬の義理の姉頼江あたりじゃないかと思う。けれど、やっぱり女だけでは、突き詰めきることは出来ないかもしれない。やはり男性もまた、必要だと思う。美冬にかかわれば、どんな男でも、彼女の魅力に捕らわれてしまうとしたら、決して彼女に直接会ったり、関わったりしてはならない。その上で、女性を裏で補助する男として、刑事加藤の父親で、それも、元刑事という高齢の世の中のすいも辛いも知ったような熟達した男性が必要かもしれない。こんな登場人物も用意して、第三部、美冬激闘編なんかできると、面白いかもしれないですね。 今の社会はとても厳しくて、のし上がっていくこと、経済的に成功して幸せになることはとても大変なことかもしれないけれど、人の幸せは、それだけじゃない。夫や家族を愛して日々ささやかに暮らすこと(曽我夫妻や、新海夫妻のように)も、人の世界の知を突き詰めて知り抜いていくこと(加藤の父親のように)も、人が人として情を持って生きていくこと(頼江と雅也の関係のように)も。と、そういう、世界があってもいいと、。 分厚い本でしたが、それなりに気合をいれて読破しました。東野圭吾の本はドレも分厚いので、持ち歩くのが大変。です。バックの中でおもくてーーーーー。
2008年08月28日
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『天外魔境』をやり終えて、もうひとつかってあった、『聖剣伝説4』をやりはじめてみたら、なんと、アクションゲームだった。がびーん。とろい私には、アクションゲームは、娯楽ではなくて、難行苦行なのです。少しやってみました。絵はすごーくかわいいのですよ。でも、なんか、面白くない。基本RPGの方が好きだー。だって、とろくても出来るもの。RPGばっかりやってると、あきてくるから、それでたまに、アクションもやるけどね。 で、ずーっと前にやったFF12をまた、やりはじめてみたら、面白い。RPGってもストーリーがあって、そのストーリーを追いかけてやるのが楽しくてやっていた。でも、一度やってるのに、ストーリーもしってるのに、それでも、先へ先へと進めたくなってしまう。うーん。FFって、やっぱり面白い。 大概のゲームは、やりおえると、売り払うのです。でも、FFだけは、全部売らずにとってあります。これはやっぱり、別格だよーン。 久しぶりにやってみたら、FF12が楽しい。ムービーなんか、細かいところ忘れてるし。FFシリーズは、作品によって、戦闘システムがちがっていて、FF12のガンビットシステムは、なかなかいい。ガンビットを設定しておけば、あとは、キャラクターが勝手にたたかってくれるので、かなり楽です。○ボタン連打とかしなくてすむものね。ガンビットの設定が腕の見せ所。しかも、戦闘中でも、がんがん変更できます。 初期のFFは、キャニクターごとに戦士とか、魔道士とか、職業が決まっていて、装備も制限されていたけど、そのあともジョブシステムとか、転職システムとかいろいろあって。でも、転職システムは、うっかり、判断をあやまると、とんでもないことになるので、遊びづらかった。 FF7のマテリアシステムはよかった。マテリアの装着の仕方次第でいろいろと工夫が出来て、深いものがありました。でも、当時、初めてやったゲームが、FF7だったので、よくわからなくて、攻略本みて、いろいろ、やっていて思い出があります。 そのあとの、FF8のシステムは、最低でした。魔法を100個、敵からドレインしなければならなくて、ドレインしながら、途中でねちっゃたりして。しんどかった。忍耐の必要なゲームはいやだあ。 そのつぎのFF9は、楽しかったけど、ゲームの中のカードゲームがすごく難しくて、私には出来ませんでした。でも、それをやらないと、いいアイテムを入手できないので、かわりに、息子にやってもらったのでした。息子がいなかったら、どうしていたのだろう。おばかには、むかないゲームですね。 FF10は、よかったですね。ラストかわいそうで、泣きました。先日ユーチューブで、ラストシーンをみて、また泣きました。ああ、かわいそうで。 FF11だけは、オンラインゲームなので、やってません。面倒だ。もう、オンラインゲームはいや。だってやっばり難行苦行と、忍耐の世界なんだもの。 今やってるFF12がおわったら、つぎはFF10をもう一度やろうかな。 しかし。FF12の裏ボス。さいごのやつは、ものすごく強いです。全員レベル100まで上げて、やっとこさ、倒しましたが。あれだけは、またやる気はしません。 でも、やっぱりすごく強い裏ボスは、欲しいよね。
2008年08月27日
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出来は悪くないとは、思う。でも、前二作をみているハムナプトラファンにすれば、肩透かしを食らった気分だ。エジプトが舞台になってないものはねやっぱりハムナプトラとはいえないかなあ。 中国を舞台にすると、かなり重厚な面白いものが出来るけれど、この作品では、十分な中国についての情報調査、資料調査がされていないまま、中途半端にとりあえずの知識だけで、作ってしまっていて、底の浅い作品になってしまった。万里の長城をつくった皇帝といえば、明らかに秦の始皇帝なのに、今回その中国では重要度抜群の始皇帝がただの、悪霊の大ボスとして、物語で使っているという、安直さ。西洋よりは、中国にくわしい日本人にすれば、違和感ばりばりで、なんかかなりちがうーという感じ。 兵馬俑が動き出して、戦争を始めたら。という、アイデア自体はおもしろいんだから、ハムナプトラとは離れて、もっと舞台設定をこって徹底的に中国の話として作れば、かなりいいものができたはずなのにと、思う。 今回は、ヒロインがレイチェルワイズじゃなくて、変わってしまっていた。ハムナプトラシリーズは、レイチェルワイズだからこそのよさなのに、そのいちばん重要なヒロインがかわってしまった時点で、これはもう、ハムナプトラじゃないんだけどね。 エジプトねた自体過去に既にたくさん作られていて、新しいものじゃないところを、ハムナプトラ独特の展開ゆえに面白かったのに、残念。監督が前二作とは、ちがうのでもう、その時点で、ハムナプトラじゃなくなってるのでしょう。 それから、いままでは、この手の冒険物で特に気にしたことなかったんだけど、考古学者なのに、自分の発見した遺跡に対しての扱いがひどい。ろくな前調査もなく、いきなり、ずかずか遺跡に入り込んだ挙句、仕掛けにひっかかかって、遺跡を壊したり、遺跡の中で拳銃ばんばん撃ってたり。貴重な遺跡を破壊して平気でいる辺り、考古学者の人がみたら、怒り出すんじゃないのかな。 貴重な兵馬俑を破壊しても平気で、今回の悪役の皇帝の遺体だけをありがたがって運び出していたり。そんなことしたら壊れるし、ありえないきがする。監督は、兵馬俑の歴史的価値も、万里の長城の歴史的価値もたぶん、まったく分かってない。 今回、中国政府から、手直しを要求されたのも無理からぬことだと思う。それで、直しても、これなんだから、中国政府もずいぶん甘くなったものだ。 西洋の目から見た中国って所詮こんな程度なのかも。 今回の作品は、ハムナプトラの人気による集客をねらった別作品ですね。 それにしても、一作目からわずか9年、三作目ですでに、一作目ではやっとカップルになったばかりの主人公とヒロインの子供がすでに大学生。映画の中の時間の進み方早すぎる。ジュニアがててくる段階で、すでに、インディジョーンズの二番煎じにしかみえなくて、そもそものこの夏の新作インディジョーンズ自体が、いまいちだったのに、ここでもまた、似たような設定って、なぜに。 もうこのシリーズはつくられないでしようねえ。 それとも、シリーズ四作目ができたら、今回のことに懲りずに見に行くなんていうバカをしてしまうかもしれない。 ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝@映画生活
2008年08月25日
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今年で、ここにいくのは、三回目。例年暑い中、必死に行くのですが、今年は、すずしかっので、さぞや快適に楽しめるに違いない、と、思ったのですが、結局雨降りで、あまりゆっくり楽しめませんでした。とにかく、メインの通りが混んでて混んでて、なかなか前に進めないのです。雨は降ってるし、傘があるので、混んでいて、おちおち出店の買い物をして、ゆっくり食べる場所がない。ちょっとしんどかったので、そうそうに帰ってきてしまいました。残念。麻布十番の通りに、あった像。いままで、ぜんぜんきづかなかった。さすがに、麻布。こんな像でもこんなセンス。すばらしい。テーマはなんなのかなあ。このパエリアは、ご飯ではないのです。たぶんクスクスなのだと思います。つぶつぶです。これって、原材料は何で出来てたんだっけ。シリア料理でした。今年はマンゴーのカキ氷が多かったですね。シシケバブは、毎年人気です。ワールドバザールは、首都高の下の三角の公園にあって、世界各国の出店がでています。いろんな国の料理が食べられるのです。串焼きのお肉と、カレーが多いですね。それと、最近は、食べ物だけでなくて、雑貨のお店もできてきました。私は今回、すずでできた、天使の羽のストラップと、猫の置物を飼いました。ほかにも、皮製バックのお店なんかもあります。食べ物だけだと、つまらないので、こういう雑貨の出店も増えるといいです。車を停めたところのそばにあるマンションです。ベランダが四角くて、ちょっと雰囲気がニューヨークっぽくて素敵なのです。でも、実はここ。空き家マンションなのです。結構しゃれてるのに、もったいない。案外使い勝手が悪いのかもしれません。でも、毎回気になるマンションなのです。だれかリメイクして、また、レンタルしはじめてくれればいいのに。麻布のこのあたりは、他にも高級マンションがいっぱいです。こんなところに住んでみたいよう。
2008年08月23日
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腰痛を何とかしたくて、この本を買いまして、読みました。↑整形外科のお医者さん自身が、整形外科を否定した本、とでも言いましょうか。 私も、なんども、捻挫したり、腰痛に悩んだりしているのですが、整形外科で直してもらえたことはない。整形外科ははっきりいってきらいだ。あのタカビーぶりにはあきれる。 体の不調で整形外科に行って、痛みを訴えても、レントゲン、MRI、CTなどの機械によって、診断し、特に悪いところがなければ、それまで。「特に問題は、ありません」と言われ、こちらの痛みの訴えに対しての対処は、全く無い。「あのー、痛いから来てるんですけど、その痛いのは、どうしてくれるの」、と訴えても、せいぜい痛み止めが出るくらい。そんなもので直るかい! その場で、「接骨の先生が…」と言うと、「あのね。接骨師は、先生じゃないの。先生っていうのは、僕たち医者だけ。」なーにを寝ぼけてるんじゃい。ボケ と、毎回腹立たしい。先生って言葉は、どう使おうと、使う人間の気持ちと意識で決まるもの。整形外科の医者はなんか、勘違いしてることこの上ない。 結局、痛みは直らないまま、接骨院に通う。東洋医学は、西洋医学とは、対応が違う。整形外科は、結局、手術によって、直せる欠陥しか、対応できないものなのだ。 まあ、一応整形外科に行って、西洋医学分野での病気が潜んでいないことがとりあえずわかったら、安心して、他の医療機関に行くしかない。 整形外科医学というのは、まだまだ発展途上だなあと、思う。 整形外科は、対応としては、手術する。手術で対処できないものに関しては、痛み止めを処方するか、シップをだすか、安静にすることを命令する。でも、急性期を除けば、安静にし続けて、体を動かさないことは、よくないと、この本の著者は言う。体は、使ってなんぼのものだ。使わないでいれば、体はどんどん弱まり、筋肉はなくなり、機能は低下する一方。体は、使って、動かして、それで始めて、血の巡りもよくなり、直る方向に向かうものなのだそうだ。 この本を読んで、そうそう、と、いままでの、不可解な疑問点がスッキリした感じだ。 冬に腰を痛めて以来、接骨に、通いながら、なかなか完治しないいらいらから、さすがに、腰痛について、もっと、知識と情報を仕入れないと、と、思って、本を買ってみた。腰痛に関しては、ネットでは、いまいち、いい情報が、手に入らない。 痛みがあると、体はその部分の血の流れを悪くするような対応をするものらしい。しかし、それでは、痛い部分にたまった、悪いものや、痛み物質、疲労物質がその場所にとどまり続けて、いつまでも痛いし、直りも悪くなる。それで、整形外科の場合は、痛み止めを処方して、痛みを感じなくすることで、血行の改善を図るらしい。痛みを感じると脳はその部分の血の流れを止めるような指令をだすらしい。しかし、痛み止めが効くのは、せいぜい数時間だし、痛い部分は、そんなに簡単には直らない。痛みがなくなるまで、ずっと、痛み止めを飲み続ければ、逆に胃や内臓を悪くして、患者はその二次災害に苦しめられることになる。私は、整形外科の、痛み止めによる治療という方法は、どう考えても、いいとは、思えない。それも、かなりきつい痛み止めが処方されたりするのだ。他にも、神経ブロックなどの方法もあるが、これはこれで、いろいろと問題があるらしい。 それで、接骨院や、そのほかの民間療法なんかでは、痛い場所の血行をよくするための方法がとられる。電気をかけたり、あたためたり、マッサージをしたり、シップをする。これでも、もちろん、すぐには直らないし、直るまでには、かなりの時間が必要なのではあるけれど、すくなくとも、胃を壊すことはないし、少しづつではあれ改善もされていく。筋肉の緊張によるための痛みもとれていく。 この本の著者も整形外科医ではあるけれど、患者に対しては、体を使うことを止めないようにしている。安静が一番よくないという。たとえ、負傷していても、患者が望むなら、それなりの対処をしつつ、体を動かす方法で対応しているそうだ。 うーん。体は、動かした方がいいし、動かさないと、逆にどんどん悪くなっていったり、いつまでも直らなかったりするものなのか。 というわけで、私もこの本に載っていた、腰痛のための体をほぐす体操を最近やり始めた。ベッドや布団の上で、寝る前や朝起きた時に、できるので、暑くてウォーキングの面倒な今の時期には、いい。怠け者の私にも、寝た体勢で出来るのはいい。腰痛のせいで、痺れやはりを感じていた、右足が格段に楽になった。膝の痛みも感じなくなってきた。治療による改善も、いいけど、運動によって体全体をほぐして、血行を良くするのは、かなりいい。タダだし。両方平行してやっていくと、相乗効果も増しますからね。 暑いので、最近は、運動もしずらいけれど、やっぱり体は動かさないと駄目なんですね。 体は死ぬまで、動かし続けて、使い続けるものなんだそうです。 主婦は家事をやるから、なんだかんだいっても、動いちゃうけど、家にいると動かない男性は、気をつけたほうがいいです。最近は、自分でやる整体なんていうのも、流行っているらしく、そういう本が売れているらしいです。そういう本も買って、自分で整体なんかやると、さらにいいかも。 かなり、参考になった一冊でした。
2008年08月21日
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ニュースなんて見なくても、日常生活には、たいした影響は無い。というわけで、日々、本すらロクに読まずにゲームばかりしているのだけれど、時々、ネットのブログや、ニュースをみて、これはいけない、ちゃんとニュースみなくちゃっと、思う。 テレビなどで流されるニュースは、大概、殺人事件や、強盗など、日々常時起きているようなことで、毎日の時間をつぶしてまで見なくても、たいしたことはないけれど、そして、それ以外の経済ニュースなんかは、対して良く分からないし。 それでも、ニュースみなくちゃーと、思わせられるのは、情報ニュースなんだと、思う。 で、今回「ガ島通信」を見ていたら、こんな事件が起きていることを始めて知った。ほんと、ニュースに疎いですね。 毎日新聞の英字新聞。現在は、ウェブ化されているものの中の、外国人記者が主に担当して、日本の現在を外国にお知らせするというのが本来の目的だったはずの、「WAIWAI」で、かなり、以前から、ほぼセクハラともいえる、低俗でひどいエロネタの記事が掲載され続けていたということ。毎日新聞で何が起きているか それがどういうものかというと。 ↓ ここの記事に翻訳したものがそのまま載せてあるのですが。 いやもうナンといいますか。大学出たはずの教養の高いはずの人が、どうしてこんな記事書いてご飯食べてるのかなーと。2ちゃんでも、スレッド立っているし、毎日新聞は、お詫びの記事を乗せてもいるんだけれど、それがまた、さらに、批判の素になるという。 で、ネットで炎上して、問題視されていて、新聞社内では、それがまたさらに、怖いという。 それにしても、不思議なのは、これほどひどいものがいままで、問題にならなかったこと。さらにさかのぼっていくと、19年くらい前から、こんなえげつない記事が、連載され続けていたこと。これらを読んだ人たちが、どうして、いままで、問題にしなかったのかということ。 英字新聞というと、私なんかからすると、すごく教養の高い人、ハイレベルな人たちが読む特別な新聞という、イメージが、あった。そういう人たちが、こんなもの読むのか?しかもこの「WAIWAI」は、人気コンテンツだったということ。なぜでしょう。 そう思う時、毎日新聞が日本の三大メジャー紙のひとつでありながら、近年、どんどんその力を失い、販売部数を落としている理由が分かろうというもの。 英字新聞を読んでいる人たちが、毎日ではないにしろ、ある日ふっと目を留めたこの下品なコンテンツに気づいた時、そして、その部分を数日間チェックした挙句、その下品さに、この新聞の購読をやめてしまう人たちもいるだろうということ。新聞社に、クレームをつけたりしないまま、ただ、黙って、読むのをやめる。世の中は、けちをつける人間より、黙ってひく人間の方がはるかに多いものだ。 毎日新聞は、この事件が、ネットで、問題視されていること、2ちゃんのスレッドで、叩かれること自体を恐れているけれど、そうやって、クレームをつける人たちより、はるかに多くの無言で批判する人たちの方が、多いのだ。 この事件に対して、男性以上に女性たちが怒っているともいわれると書かれているブログもあります。けれど、男性だって、男性として、自分の母親にこんなことされて気持ちいい分けないこと、絶対御免こうむることだということくらい、当然である。当然、このての低俗記事を知った段階で、普通の良識ある人たちは、購読をやめる。こんな記事を喜んで読むような人たちだけが、購読層として、残る。そうなれば、新聞のトップ面で、どんなにりっぱで、すばらしい記事を書いたところで、そんな記事には、説得力も価値も無くなっていくし、そんな記事の内容がわかる人たちは、すでに、その記事を読まない。良識のある人間が読まない新聞なんて、すでに、新聞としての意味はないだろう。 新聞の端にあるちょっとしたコンテンツが新聞の価値自体を下落させ、貶めていく。 ネットがなくたって、口コミは存在する。少しづづ、毎日新聞の下品さが、伝えられていけば、購読も落ちる。それがまさに、毎日新聞の本体の現在の購読量、販売量の下落そのものの姿なのだと、思う。 今、ネットの情報量は、新聞そのほかのマスコミなどの、情報量を上回り、巨大化し、ネットの存在は、新聞社や、そのほかのマスコミ世界で、自分たちの存在を脅かすかもしれない怖い存在として、意識され始めてきているけれども、それ以上にもっともっと、こわいものは、あるだろう。 たとえ、ネットがなくても、質の落ちた商品は、自然に売れなくなっていくものだ。ただ、それだけのことなのに、ネットで騒がれることが、原因なんだと、そういう、認識のずれに、きずいてもいいのではないのだろうか。 ネットがあっても、新聞は未だにとっているし、本も読む。いつ消えてしまうか分からない、ネットの情報とは別に、リアルな世界の、紙という、現実にあるものも、やはり、この先も、必要なものだと、私は思う。だから、恐れるべきなのは、インターネットが普及する前と変わらない。それだけのこと。どんな時代になろうと、基本はかわらない。と、思うのです。
2008年08月18日
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旅行から帰ってきて、五日目。今日は涼しいし、やっと、旅の疲れがとれてきたかなと、いう感じです。三日目に行ったのは、五色沼とあぶくま洞でした。五色沼は、いつも行くたんびに、雨に降られたりして、よく見られなくて、今回はそのリベンジです。前回もボートに乗った途端に、大降りの雨が降り出して、そうそうに切り上げざるを得なかったのです。今回は、幸い、雨もなく、いいお天気で、ゆっくりたっぷり、30分間の手漕ぎボートでの、優雅な時間を満喫することが出来ました。こういうボートに乗ると、なんとなく、映画の「昼下がりの情事」をおもいだしちやうんですよね。ああ、優雅だわ。でも、できれば、このあたりを散策もしたかったのですが、あまりの暑さと最終日ゆえの疲れでパス。 出発前に宿の廊下からとった写真。こんなところなのでした。 普通、渓流まで、降りていかないと見られない景色を、宿の廊下から楽々と、見られるのはなかなか素敵です。のんびり~。 五色沼到着~。混んでたけど、ボートは、並ばずに普通に乗れました。よかった。遠くに見える山並み。沼の水辺を渡ってくる風。いいですねえ。 しかも、結構みんな、ボートに乗ってます。ボートに乗ってみると、以外にこの沼が広いことが分かります。あ、こっちのさきにもまだまだ、沼が続いてる。 五色沼は、たぶん、このあたりの土地の土のせいだと、思うのですが、色が少し違うのです。水のブルーに少し白が混ざって、セルリアンブルーのような、ちっょと変わった色。でも、この日の水はすごく澄んでいて、透明で、沼のそこが見えるのでした。 そして、なぜか、鯉も飼っているみたい。この鯉は自然の鯉ではないので、意図的に入れてあるものだと思います。鯉を入れることで、水質チェックでもしているのかな。 その後は、帰り道で、途中にあった、ロッジのようなレストランで、ステーキを。たべたのは、だんなだけです。わたしは、暑いのと、連日の食べまくりに少々胃がお疲れ気味なので、ご当地産トマトのスパゲティをいただきました。おいしかったです。ただね。作ってくださったのが40代前後の女の人。地方に行くとたまにあるのですが、もともとは、東京にいて、脱サラかなんかで、家族で地方に来て、ペンションや、レストラン、喫茶店をしているというお店。他にも、以前泊まった旅館でも。40代前後くらいの、つまり私と同じ世代の女性の作った料理というのは、なんとなーく、自分の作った料理と同じ味がするんですよね。もちろん、商売だし、料理の腕は、私よりはぜんぜん上なのだけど、その底辺にある、同世代ゆえの共通性を、料理の味に感じるんですよね。そうすると、わたしとしては、なんか、ありがたくないというか、わざわざお金だして、自分が作ったような料理を食べるのって、釈然としないというか。もちろん普段、お友達の家にあそびに行って、お友達が作ってくれた料理をいただく時は、うれしいし、ありがたいのですが。それとは違って、お金を払って、自分と同じ味を食べるのって、納得いかないというか、もったいないというか、つまらないというか。私より、一世代か、二世代上のおばあさんの作った料理なんかを、たとえば、民宿なんかで食べる時は、すごくうれしいのです。ぜったい私には作れない料理や、知らない料理。ようするに、「お袋の味」という奴ですねきっと。でも、旅先で自分世代の料理は、面白くない。だから、プロの料理人が作ったものか、男性の作ったものが食べたい。そして、たぶん、この40代前後の女性の料理は、一世代下の若い人たちにとっては、もしかすると、彼らにとっての「お袋の味」なのかもしれません。五色沼に行く途中の道には、シーズン真っ盛りの桃が売ってました。山形、福島方面に旅行に来ると、桃が食べ盛りなのがうれしいです。とうぜん、今回のお土産は、桃 でした。 そのあとは、磐越道を通って、あぶくま洞へ。洞内撮影禁止だっので、リンク↑しときます。かなり遠くから見える、この白い壁。なんだろうと、思っていたら、あぶくま洞だったのです。そして、洞内は、一年中15度です。この炎天下の日々にはいると、とにかく、涼しい。「寒いかな」と、思ったのですが、連日の猛暑であったまりきっている体には、ぜーんぜんこたえませんでした。しっかり、冷えて、気持ちよかったです。もう、夏がこう暑いとなると、こういう涼しいところしか、観光したくないです。中で、かなり、歩いて、階段も登り降りして、いい運動になりました。でもでも、外に出たとたんに、もわーっと、暑い!!!せっかく、涼んだのにー。この後は、磐越から、常磐道という、普段とは、違うルートで帰宅しました。常磐方面て、いつもおもうけど、なんとなーく、殺伐としているのですよね。それは、未だにかわらず。ま、日本の田舎って本来こんななのでしょう。ただいまー。なのでした。来年は、「開田高原」に行きたいです。(予定)
2008年08月17日
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二日目は、会津武家屋敷と、大内宿にいきました。武家屋敷は、お宿からすぐのところ。会津藩の家老のお屋敷と、陣屋、それから、博物館などがあります。 ここで、大河ドラマ「新撰組!」の撮影が行われたそうです。娘が一緒だったら、騒いだでしょうねー。容保様と広沢富次郎会見の場。 解説とサイン色紙がここは、結構見ごたえありました。全部見るのは、大変なので、後半の博物館はパス。でも、当時の家老のお屋敷まるまる観たのは、初めてです。家来の部屋とか、主人の部屋、奥方や、子供部屋、女中部屋などもあるんですよねー。嫡男は、一部屋で、次男、三男以降は、全員一緒に一部屋。この扱いの違いが~。そういう時代だったんですねー。井伊直弼も最初は、子供部屋でこんな部屋住み扱いだったんですねえ。きっと。主人の部屋は、北側。奥様の部屋は西側。女中部屋が南なのが、以外。でした。 ここの博物館で、容保様が題字を書いた松平家の「家訓」の写しが売っていました。娘のお土産にナイス こんなにベリーグッドなものはないですぅ。お土産やさんえらーい。ただ、よっぽど気をつけてみていないと、発見できないのが、苦しいところですね。 大内宿に行く途中の沼です。標高も高く、涼しく、風も気持ちよく、波も穏やか。まわりに、ペンションや、お店を作って、カヌーや、ヨットや、ジェットスキーなど、いろいろな夏の水遊びの場所としては、いいところです。きっと。観光化しないのかなあ。でも、ここまでのスカイラインが整備されたばかりなので、これからなのでしょう。いいところです。そのあとは、大内宿へ行きました。なにやら、文化的な価値の高い建造物群として、指定を受けているらしいです。 大内沼からみた景色。まわりは、畑と田んぼのなかに、ぽつんと、ここだけ、村落。これが大内宿です。そして、有名観光地なのです。ここ以外は、何にもないのですね。 ずーっと、かやぶき屋根の昔ながらの家屋が続きます。でも、実際には、このあたり、会津のほとんどの民家は、現在トタン屋根になっています。トタンの方が火事の心配がないから。それを大内宿は、あえて、トタンをはがして、もう一度かやぶきに戻したのだそうです。かやぶき屋根を作るのにも、それなりの技術と、ハウツーがあるわけで、もう、失われつつある技術だと、思うのですが。でも、かやぶき屋根のおうちって、夏に中にはいると、すごーく涼しいのですよお。まさに、クールビズ。東京もかやぶきなら、涼しいのにねー。でも、材料のかやを確保するのは、逆に今の時代には、むずかしいでしょうね。 このおうちは、ちょっと他の家と、デザインが違っていた。 ここは、一番はしっこのお店。食堂になっていました。もとは、村長さんの家だったのかも。大内宿は、ようするに、建物を見にくる所なんだけど、そのおうちのほとんどがお土産やさんになっていて、見事に観光化してました。そういう意味では「町おこし」に成功しているとも言えるのでしょうか。それから、お蕎麦屋さんもたくさんありました。そのうちの一軒で、手打ちそばをいただきました。おいしかったー で、ここの場合は、「ねぎ一本そば」といって、はしの変わりに一本のねぎを使って、おそばを食べるという、ちょっと変わったおそばが名物。ねぎは、そばを食べながら、薬味としてかじりながら、食べちゃうのです。裏の畑からとってきたばかりの新鮮なねぎなのでしょうか。それならおいしいよねー。私は、食べなかったけど、だんなが食べてましたー。写真が…ない。撮る前にたべちっゃたので。 でも、とにかく暑い。しかも、帰りには、ずーっと、これから駐車場に入るためのながーい車列がずーっとずーっと、続いていました。なんにもない田舎なのに、ここだけが、都会のよう。あの人たちは、あのあと、見学できたのかなー。この数年、避暑もかねての夏の旅行なのに、観光地がどこもすごく暑くて、観光するのがしんどいです。めんどくさくもなってきます。以前は、東京を脱出すれば、地方は、ほどほどに涼しかったのに、最近は暑くて暑くて、観光もしんどいです。東京だけのことなら、ヒートアイランドなんだと、思うけど、何処にいっても、こんなに暑いと、地球温暖化をひしひしと、感じざるを得ません。もう、夏は、標高の高い高原に行くしかないです。そこで、散歩するか、昼寝するか。そんな旅行しかできなくなりそう。 いろいろお土産を買ったけど、今回の一押しは、これ!ずんだじゃがりこ。枝豆いりのじゃがりこ。東北地方限定なのだー。が、楽天でも、買える。娘がばりばりと、みーんな食べてしまった。
2008年08月15日
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今年の夏の旅行はどこにしようかと迷いましたが、新撰組ファンの娘の希望で、京都守護職を務めて、新撰組を雇ってくれた会津藩主松平容保公に会いに行きたいということで、会津にしました。ところが、宿を決めた後で、娘の合宿の日程と我が家の旅行の日程がぴったり重なることが分かり、娘はしかたなく、合宿優先で、今回の旅行は断念せざるを得ませんでした。学校のばかーーーーーーー。すでに、大学生の長男はもう、親に連れ回される旅行は拒否。留守番組です。ということで、この年ですでに、子供なしのフルムーン旅行なのでした。こどものいない旅行はさびしいよーと、思ったのですが、実際にいってみると、ものすごく楽で、旅をのんびりと、存分に楽しめることに気がついてしまいました。なにしろ、子供たちと一緒だと、移動のたんびに、子供たちを起こしたり、せかしたり、催促したり、いなくなってしまって、捜したり。それが、小さい子供ならいざ知らず、中学生、高校生になっても、手がかかる。観光の途中でいなくなって、探したり、朝起きて、朝食なのに、寝ていて起きなくて、起こして着替えを催促したり、荷物の準備も四人分となると、ものすごい量なるし。とにかく、大きくなっているにもかかわらず、手がかかり、気疲れし。子供と一緒の旅行って随分気をつかっていたのだなーと、きずきました。ようするに、私のしつけがなってないってことですよね。反省しました。でも、いまさらもう、たぶん、遅いだろうなあ。そして、今回、初めて夫婦二人で、旅してみると、全ての移動や行動の決定が、すごくスムースで、とても楽なのです。そのおかげで、それほどいろいろあちこち見たわけでもないのに、今回とても、旅行を堪能できて、楽しめた。というのが、今回の総評なのです。かえって、赤ちゃんづれの方が、楽です。赤ちゃんは所詮荷物だし。子供が大きくなると、かえって、こちらの思うように動いてくれないので、大変なんですよう。というわけで、たっぷりとたのしんだ、会津の旅なのでした。 まずは、猪苗代湖の遊覧船に乗りました。猪苗代湖は以前にも来たけれと、船に乗ることは考えなかった。今回は特にこれといったものもなかったので、船でも乗ってみようと。 水平線の見える湖ってやはり珍しい。さすがにやっぱり、猪苗代湖はでかい。湖面を渡ってくる風がきもちいかった♪ 猪苗代湖遊覧のあとは、そのまますぐ近くの天鏡閣を見に行きました。ぜんぜん知らなかったのだけれど、地図に載っていたので、ここってナンなのだろうと、思って。有栖川宮の別荘だったお屋敷なのだそうです。でも、管理が悪くて古くなっていて、カーテンはボロボロだし、今回は修復中でした。シャンデリアを付け替えたり、家具を置いたりして、いろいろ手をかけているようでした。東京にある岩崎邸や、庭園美術館などにくらべると、すごくお粗末ですが、邸内は、意外と広いので、もっと、メンテナンスして、きれいにして、もっと広告をかけると、それなりになかなかの観光名所になるだろうと思います。なにしろ、もう、野口英世記念館はあまりに俗化されていて、見る気がしない。福島県の観光課頑張れ。 内部は、テーブルや椅子などそれらしいものを配置してましたしね。 あ、階段の下にドアが。こんなところに、ハリーポッターの部屋がありますよ。いえいえ、じつはこれ。お風呂場に入るおつきの人専用のドアなのです。 そのあとは、一路会津若松市へ。やはりなんといっても、鶴ヶ城を見ませんと。このお城は、戊辰戦争で落ちてしまって、近年再建されたもの。中は、博物館になっています。 今回は、今話題の松平容保公特集でした。 最上階の天守閣からは、会津若松市内が一望できます。このあたりは、盆地だけど、あんまり高い山がないようです。それにしても、こんなところから、わざわざ京都までお仕事しにいったのだから、大変だなあと、思いました。いったい、京都まで、何日かかったのでしょう。 城を降りると、「南走り」も見られるようになっていました。長い回廊に沿って、武器の所蔵庫があったらしく、ここで、武器をとって、城攻めに応戦したらしいです。既に建物が無くなっいたところの、残った礎石から、かつての建物を再現したのだそうです。石しかないのに、何がどんな風に建っていたかわかるなんて、すごい。 今回泊まったのは、東山温泉「庄助の宿 瀧の湯」でした。最近は仲居さんとか、っていろいろと嫌がられるので、特別なお部屋係は置かないというのが、最近の旅行業界の新しいシステムになりつつあるようで、ここもお部屋係はなし。こころづけをわたすというような、うっとおしさもなくて、快適。また、館内にちょっと日本酒が飲めるように置いてあって、ちょっといっぱいがおいしかった♪全館「フォール ビュー」でした。そして、料理はすごく量が多くて、もう、お腹いっぱいで、頑張って食べたのですが、全部は食べきれませんでした。でも、福島、山形方面に来ると、宿の料理にかならず牛肉が出てくるので、うれしいです。今回は、ステーキと、すき焼きでした。同じ宿に二泊すると、どこでも必ず、二泊目には、すき焼きなのですよお。お風呂で日本酒飲んで、湯上りにサービスのピール飲んで、食事中にグラスワイン飲んで、酔っ払った私は、あっというまに、寝てしまいました~。ああ、滝の音が、子守唄。
2008年08月14日
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今年の旅行は今日から二泊三日で会津若松です。それでは、行ってまいります。
2008年08月10日
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友あり。遠方より来る。また、たのしからずや。 夕べの北京五輪開会式。みましたでしょうか。すごかったです。面白かったです。今回はぜったい見逃さないで、ぜったい見たいと思っていたので、きっちり、一時間見ることが出来て、よかったです。 中国四千年の歴史をひしひしと、感じましたね。俺たちの国は、これほどの歴史があるのだぞ。あとからでてきて、ごちゃごちゃ五月蝿いこと、えらそうにいうんじゃないよと、言わんばかりの、中国の歴史のすごさ。私、ひしひと感じました。考えてみると、世界で一番歴史の長い国なんですよね。四千年前からあって、しかも、未だに現役の大国なのは、ほんとにこの国ぐらいですからねえ。日本なんて、せいぜい、二千年ちょっとくらいだし。ヨーロッパや、アメリカは、こういうのみせられて、中国への認識、少しは、変わったのでしょうか。アジアをなめるんじゃないぞー。 今の中国に対して、世界各国がいろいろと、クレームつけて、もめたりしてるけど、その世界にむけて、わが友よ、よくわが国にきたねと。そう言っちゃってる太っ腹さは、すごいですねえ。(でも、毒入り餃子はやめて欲しいが。) 巨大な足跡が、五輪のメインスタジアムまで、歩いてくるような、花火のショーなど、大自然を受け入れるアジアの感性そのもの。日本で言うと、ディダラボッチでしょうか。大自然を巨人として表現してみせるあたりも、すばらしかったです。自然と対決する西洋とは対照的に、自然と共生しているアジアの感性が、世界に伝わっていると、いいなあと、思います。 それにしても、あれだけのもの。さぞやお金がかかってるでしょうねえ。準備も企画も、大変だろうことは、想像仕切れないです。今風の洗練された、ハイテクと、中国のお家芸のような、大集団の一糸乱れぬ踊り。あれほど大勢の人間を使ってのショーなんて、ものすごーい贅沢ですね。テレビ越しとはいえ、これだけのもの、ただで、見せていただけちゃって、わたくし、感動ものでした。 でも、きのうは、五時おきだっので、そのあとは、眠くて眠くて、寝ちゃいましたが。 ああ、たのしかった。ありがとー♪
2008年08月09日
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娘とおしゃべりした。彼女が幼稚園の時のこと。小さな子供だった時のこと。 「幼稚園の時一緒だったSちゃっんてね。ちょっとこわれてて、話をすると、ちょっと危ない子だったんだよ。だから、あんまり友達もいなかった。」「えー。だって、Sちゃんのお母さんて、すごいいい人で、しっかりしてたのに。それと、Aちゃんのお母さんと仲良かったけど、Aちゃんはどうだったの?」「Aちゃんも少し変な子で、やっぱりあんまり友達いなくて、ひとりだった。」「じゃあ、変な子どうしで、一緒にいたの?」「うーん。あの二人同士も、それほど仲よかったわけじゃないし。」 うーん。びっくり。大人の視点でみていると、ぜんぜんわからなかった。びっくり。 「でも、Rちゃんは、すごくいい子だったんだよ。私と遊んでる時に、他のお友達から遊ぼうっていわれた時、『今は、Mちゃんと遊んでるから、駄目なの。ごめんね。誘ってくれてありがとう。』って言ってくれたんだよ。」 どひゃー。ポニョと同じくらいの5,6歳だったはず。子供でも、そこまでの言葉って出るものなのですか。Rちゃんのお母さんは、絶対役員を引き受けなくて、そういうちょっとわがままなイメージだったのに。未だに気の利かない口下手な私には、ただもうオドロキです。しっかりしてる子は既に、子供の時からしっかりしてるものなのですね。お母さんのしつけがいいのか。お父さんの遺伝子なのか。どうなのだろう。 お母さんと子供って、ぜんぜん性格違うものなのですねえ。いまだからこそ、分かる真実。子育ての最中には、わからないものでした。 「じゃあ、Yちゃんは?」「Yちゃんは、なんか子供なのに、妙に大人びてクールでさめてるような子だった。」「うーん。Yちゃんのお母さんは、一人っ子のYちゃんにずこく過保護なおかあさんだっのに。体が弱いってすごくいつも気にしてたよ。幼稚園よく休んでたの?」「え?ううん。ちゃんときてたよ。それほど、休んだこともないし。」 うーん。小さい子って、そもそも大人に比べて、よく熱をだすし、病気になるし。でも、それを知らないと、うちの子は弱い子なんだーっと。思っちゃうのかも。うちの娘だって、よく熱をだして、どれほど、医者にかよったかしれません。でも、そんなものだと、思ってました。だいいち、私が遊びの計画たてると、その日に限って待ってましたとばかりに、熱を出したくれたし…。 「私、Yちゃんがいつも着てる服がすごくうらやましかったんだよ。」「えっ、どんなやつ?」「シックで大人っぽいの。紺とか、よく着てた。お母さんは私にいつも、赤とかピンクとか、やたら、かわいらしい服ばっかり着せようとしてたけど、わたしは、シックな服が着たかったんだよ。紺色の服とかがすごく着たかったの。でも、お母さんがうるさいから、もう仕方ないと思って我慢してきてたの。」 えー。だって、娘は、二歳の時からいきなり、自我が出てきて、私のいう通りにはぜったい服を着ない、ものすごく頑固な子供だったのに。それでも、お金がかかるので、娘の服は親戚からのもらいものや、ババサマたちの買ってもらったものばっかりだったので、私が私の好みで娘の服を買ったことなんて、ほとんどなかった。その限られた服の中から、娘が自分で着る服を着て、幼稚園に行ってただけ。でも、その服のほとんどは、赤やピンクのかわいいもの、フリルのついたものだった。 でも、幼稚園くらいの女の子に赤やピンクや、フリルや花柄を着せるのってごくごく普通のことだけど。それに、そのころ、子供にも、大人の女性やお母さんが着るような大人っぽいシックな服を着せて、親子でペアルックとか、流行っていたっけ。でも、わたしは、そういう大人の都合と好みと趣味を子供に強制して、親子で都会的なしゃれたファッションていう発想がきらいだったのです。 それに、学生時代の制服がずーっと紺だったわけで、地味な私の顔に紺は、ますます地味が増強されるようで、嫌でいやでしょうがなくて、学校を卒業して、紺を着なくてすむようになった時、すごいうれしかったのを思い出しました。そのあとは、自分の好きなピンクばかり着てます。人間が地味だから、きれいな色を着ないとゴミタメみたいになっちゃうの。 だから、娘にも、紺のようなシックな色を着せるなんて、およそ考えたこともありませんでした。でも、当時五歳だった娘がそんなことを考えていたなんて、ちっょと オドロキ! でした。五歳の子供といえども、結構、いろいろ考えていて、大人のように、シックな好みをもっていたりするもなのですねえ。ふつうの五歳なんて、子供で、なんにもわかってなくて、毎日ぽあーんとすごしているものと、思っていたりするのですが、やはり、子供といえども、人間なのですね。ポニョだって、だから、あんなにいろいろ自分の意志で行動してるのは、ほんとに普通のことなのですよね。 そういうわけで、紺の好きな娘は、今、紺と白で出来たセーラー服を毎日うれしそうに来て、意気揚々と学校に通っています。
2008年08月07日
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やっと長男が夏休みにはいったー! というところです。長男の大学は、二学期制らしく、夏学期と冬学期という別け方をしてるみたいです。だから、今回は、7月の末まで目いっぱい学校があって、七月の最後の二週間くらいが期末試験のようでした。そして、最後のレポート提出が八月一日だったので、それを終えてやっと、夏休みです。そして、しかも、八月と九月、まるまる二ヶ月も夏休みなのです。でも、こんな中途ハンパな時期に夏休みに入るのでは、もういいバイトは、なさそう。それに、彼なりに夏休みにやりたいことがいろいろあるらしい。そういいながら、ここ数日ゲームばかりしてるけど。 世の中大学生になったら、バイトが常識。我が家の経済だって、厳しいのだから、バイトでもして欲しい。でも、私の中に微妙に迷いがあるのです。 だから、ここから先いろんなことの言い訳のオンパレードになります。 なにしろ、受験期間は毎日10時間ずーっと勉強していて、去年の夏休みだって、冬休みだって、ずーっと、勉強。高二から、塾に通い始めて、塾自体はそれほど行ったわけじゃないけど、最後のほぼ一年は、勉強だけの毎日でした。勉強することとともに、彼の頭の中でやらなくちゃという思いが、夜も昼もずーっとぐるぐるとまわっていたのだろうなと、思います。最初の頃は、そもそもモチベーションを上げること自体に苦しそうでした。そして、時おり、その「やらなくちゃ」という気持ちと混濁して、体力的、精神的な疲れが、蓄積して、はたで見ていて、これは、ちょっとやばいなと、思って、まる一日勉強しないでぼーっとしててもいいんだよと、休ませたこともありました。 今年の夏休みのはじまりに、「宿題のない初めての夏休みだ♪」と、言う、うれしそうな言葉。中高の六年間、そして、その前の受験のための一年間は、ずっと、頭のどこかに勉強のことが、重く、蓄積していたのかもしれません。もちろん、はたでみているぶんには、それほど大変な量の宿題だったようには、見えないのです。だって、夏休みの毎日夜寝る前の数分間で、宿題を毎日少しづつ、ぴったり夏休みの最後の日に終るように消化していたのだし、塾に通わせていたわけでもないし、朝から晩までやっていたわけでもないし。 それでも、彼にとっては、重かったのかなーと、。 そして、最後の試験発表の後は、入学式まで、わずかに、二週間くらい。 そのあとは、自宅から遠い通学で毎日四時間近くをとられ、土日には、部活や大会出場などいろいろあって、意外と忙しい日々の連続でした。 さいわい、中高とちがって、土日はまるまる休みだったのだけれど、「土曜になるとほっとする」と、彼がもらしたことがありました。やはり、彼なりにしんどいのでしょうね。きっと、来年になると、もっと慣れてくるし、授業も減ってきて、楽になるとは、思うのですが。 そして、なんやら、学生ビジネスコンテストの予選に通ったので、八月の最後の一週間、泊りがけで、参加するのだそうです。一週間とまりがけ。彼に出来るのかしら。都内だから、のぞきにいけるのかな。 九月には、部の合宿があるし、念願だったホームページも作りたい。一年半くらいがまんしていた、息子なりのいろいろなやりたいことがあるらしい。 親としては、せめて、免許くらい取りに行かせたほうがいいのかなと、思うのですが、二ヶ月では、取れないかもしれないし、そのあとは、学校が遠いから、通うのは大変かも。それでも、本人にその気があれば、何とかなるけど、親がもうこれ以上指図したくないなあ。私もかつて親に五月蝿く言われて免許取ったけど、結局嫌で、しょうにあわなくて、今現在ぜんぜん運転してません。運転下手なくせに、車大好きな夫に、「自分の愛車をぶつけられるといやだから、乗らないで」と言われてるのも、手伝って。息子に免許とらせても、やっぱり、同じように、俺の車には乗るなというだろうな。だからって、息子用に車を用意するほどの経済的な余裕もないし。いや、書類上の資格さえとれれば、乗らなくたっていいんだけど。 そう、息子も疲れているけれど、私自身も息子のことを心配して、あれこれ指図することに、疲れてきているのだなあと、ちょっと、気づいちゃいました。なんだか、ぼーっとしていて、危なげで、なにしろ、長男のジンロクですからね。横で見ていると、不安で不安で。私立校の厳しさもあって、ずーっと、気の落ち着かない日々でした。でも、あとからよくよく考えてみれば、最終的には、なんとか、こなしているのですよね。今回のビジネスコンテストもしらないうちに予選通過してるのだし。息子は息子なりにちゃんと成長してるのだ。 だから、もう、息子のことは、心配したり、指図したり、口出ししたりは、やめにしたい。それでも、心配で、コンテストの書類チェックしてしまいましたが。なにしろ息子は、出場の当日まで、封筒を開けることすらしそうにないのだもの。「期日までに出さないといけない書類があるんだから、チャンとチェックしなさいよ」と、ああ、また、口出ししてしまった。 「バイトしなさいよー。」と、口で言いつつ、内心逡巡の日々。 今年の夏くらい、親子でのんびりしたいかな。 それでも、のんびりしきれないのは、いまどきの大学生って、意外と忙しいから。三年には、就職活動があるし、四年には、卒論がある。しかも、いまどきは、結構大学院にもいく人が多そう。のんびりと時間のあるのなんて、一二年のうちだけ。だとすると、バイトする暇のあるのも、一二年のうちだけ。その貴重な一年の夏をのんびりしちっゃていいのかな。 それでも、まだ、戸惑うのは、男の子は本当に就職したら、歯医者にいく暇も取れないほどのハードワークになるかもしれないから。だとしたら、高校をでて、就職になるまでの、この時間くらいのんびりしとかないと、就職のあと、擦り切れちゃったりしないのかなと、考えてみたりしている。からだ。 でもでも、就職活動で面接もあるし、面接の練習がてら、バイトの面接とかしといたほうがいいかも。とかね。 そして、バイトするとしたら、塾とか、家庭教師? かつて、学生バイト教師に懐疑心タップリでいたり、学生のバイトの先生なんて当てにならないとか、塾先生って、いい加減じゃ困ると、思っていたのに、その塾の仕事に、いい加減な気持ちの息子を行かせていいものなのかなとか。で、たまたま仕事になれて、その待遇のよさに、逆に就職して安い給料ではたらくのことに、ばかばかしくなったりしないとのかなとか。 学生時代のバイトのせいで、ちゃんと働かなくなったりしないのかなとか。いや、これは、考えすぎかも。でも、かれは、人に勉強教えてる時すごく楽しそうなんだけどな。はじめたら、案外楽しいかもしれないのに。でも、それがはまって、プロになられるのは、いや。 いざやりだせば、息子なりに、真剣にやりだすかもしれません。ほんとにほんとに心配のしすぎ。バイトもせずに、すでに、今日。そして、明日から、将棋の大会にいくっていうし、そのあとは、わたしたちが旅行にいっちゃうし、そのあとはもう、お盆だし。八月は半分終ってる。 うわあーーーーーーー。 あんた心配しすぎだよーと、言われるか、てぬるいよ、やさしすぎと、いわれるか。どっちかですねえ。きっと。 というわけで、いろいろ毎日考えている言い訳を書いてみた。のでした。 いい大学をでて、結局就職しない人も多い今のご時勢。とりあえず大学入ったから、なんて、安心してられない今のご時勢。でも、まあ、そんなことを山のように考えてみても、きりがないし。その時は、その時だなあ。ああ、親ってばかみたい。
2008年08月06日
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眠り姫は王子様のキスで目をさます。 なんとも、エロティックなお話です。 事故をきっかけにこん睡状態となって眠り続ける恋人を看護する二人の男。介護のお話かなと、思ったのです。一人は、せっせと話しかけるけれど、もう一人はどうしてもそんな気になれない。話しかけることは、大切なんだよというお話?と、思ってみ初めたのですが、どうも、そういうはなしでは。なかったような。 眠り姫や、白雪姫が王子様のキスで目覚めたように、女性は、男性からの性的なシゲキによって、女として目覚める。男性は、生まれた時から男だけれど、女性は、男性からあたえられる性的な行為によって、初めて女としての生を受ける。 物語のはじめに主人公マルクと、ベニグノが、バレエを見ている。二人の女性バレリーナは、病んだ女性の役。それぞれに踊る二人のうちの一人に、男性ダンサーが、舞台の上のたくさんの椅子を彼女の動きに合わせて、彼女にぶつからないように、どけていく。そのシーンをみながら、涙するマルク。すごく感受性の高い人なのかなと、思ったのだけれど。実は、彼は、この舞台を見ながら、以前ずっと、麻薬にはまってどうにもならなくなった恋人を救うために努力していた日々があったことを思い出していたから。舞台は、病気の恋人のためにつくす男性の姿を象徴的にあらわしています。 ベニグノは、病院で日々アリシアの看護をしているのだけれど、それは、恋人だからではなくて、看護師としての仕事だから。けれど、アリシアが昏睡状態になるまえから、ベニグノは、アリシアを知っていて、恋焦がれていた。彼女の看護人となったのは、偶然のラッキー。けれど、恋する人を毎日世話することのできる幸福。 その一方、同じように昏睡状態になった恋人リディアの看護にいまひとつぴんとこないマルク。彼は、冷たいのか。けれど、たぶん彼は、それほどリディアを好きだったわけではないのでは。その一方で、その事件をきっかけに、病院に通いつめる中で、同じ病院内のベニグノと知り合い、そして、アリシアに出会う。 けれど実は、リディアと出会う前にマルクは、麻薬にはまった恋人を麻薬から救いだすために、ベニグノと同じように献身的な日々を送っていたのだ。映画の中で、蛇に驚いて全裸で逃げ出すかつての恋人のシーンが出てくる。蛇は、男性をあらわしているし、逃げ出した時裸体だったということは、恋人は、マルクと関係する直前で、男性としての彼を拒絶したことを意味しているのだろう。彼の献身的な行動にもかかわらず、結局恋人は、他の男と結婚してしまう。 そして、リディアの事件。かれは、献身的につくしてさられた恋人とのことに傷ついていて、もういちど、また、恋人に尽くすことにとまどいがあったkかもしれません。だから、その後あらわれたリディアの元恋人にあっさりと、リディアを託して、自分は、旅立ってしまうのですから。 そしてそれでもなおひかれるアリシア、との出会い。彼は、眠ったままのアリシアにひかれていく。 そんなある日、ベニグノは、寝たままのアリシアにセックスしてしまう。隠しても、結局ばれてしまい、彼は、投獄されてしまう。そして、絶望のはてに、自殺してしまう。 ところが、妊娠と出産をきっかけにして、アリシアは覚醒してしまうのだ。 目覚めた彼女と、マルクは、バレエの劇場で出会う。 めざめた彼女は、初めて会うはずのマルクをずっと目で追い、見つめ続ける。それは、まるで、彼に惚れているというよりは、生まれたばかりのヒナが最初に見た動くものを親だと思い込むインプリンティング(すりこみ)の状況に、似ている。 こん睡状態のアリシアに日々世話をし、肌に触れ、話しかけ、セックスし、妊娠させ、出産させたのは、ベニグノだったのに。彼女の女としての生を目覚めさせ、誕生させた王子様は、ベニグノだったのだけれど、彼はもうこの世にいない。そして、彼女が眠り続けていた時、ベニグノとともに、彼女のそばで話したり、接したりしていたのは、マルクだった。(もちろん、一緒にリディアもこん睡状態でそこにいたんですけどね。)アリシアは、マルクの声や、彼の出す、人としてのエネルギーを感じていた。彼女の中でベニグノと、マルクの存在が混濁していたのかもしれない。覚醒した時、目の前にいない王子様のかわりに、マルクを自分の王子様だと、思ったのかもしれない。女としての彼女を誕生させた親としての、男としてのマルクの存在。 ベニグノは、自殺する前にマルクに会い、自分の部屋をマルクに譲っているのだ。その部屋は、日々、ベニグノが窓越しにアリシアのいるバレエスタジオを見つめ続け、アリシアを恋し続けた部屋。 ベニグノは、アリシアを自分の代わりに、マルクに託したのだと思う。 眠り姫が目覚めた時に王子様が入れ替わっているなんて。 かくも女性は女として、男によって、誕生させられる。そんな、エロティックなお話だったのだと、思います。そう、思えば、映画の中で、アリシアの美しい寝顔や、着替えのシーンの美しさや、何度も映し出される裸体のわけも分かろうというもの。 病人に話しかけることがいいことだとか、寝てる女を襲うなんて強 姦じゃないかとか、そういう道徳的な部分は、それなりに処理されているわけですけどね。 死体置き場の死体に行為をしたことで、本当は死んではいなかった女性が生き返ったという事件と、長く昏睡状態だった女性が目覚めたというニュースから、監督はこの話の着想を得たのだそうです。 こん睡状態の女性に性的行為をする。でも、それが、夫婦や恋人だったら、あたらしい衝撃はないわけですし。そして、寝ている女性を全く知らない状況での行為は明らかに欲望だけ。だとすると、昏睡状態になる前の彼女を知っていて、そして、彼女をものすごく恋い慕うけれど、恋人ではない男性でなければならないと思うのです。それが、ベニグノ。それでも、四年間ただ、ずっと彼女の世話だけに生きがいを感じていたはずのベニグノが行為におよんだきっかけとして、彼がみた映画のせい、と映画では描かれています。直接的な原因はそうかもしれないけれど、マルクの出現がベニグノに無意識な危機感を与えたのかもしれないと、思います。実際最終的には、アリシアは、マルクと結ばれそうな展開になったのですから。 そして、リディアは、女ではあるけれど、その身のうちには、男性性をもっていて、だから、マルクの夢の中で、リディアにキスされたマルクの方が、目覚めてしまう。蛇をこわがるリディアは、たぶん、心のどこかで男性を拒絶していて、だから、マルクは去ってしまうし、恋人の看護にもかかわらず、女として目覚めることは出来なくて、目覚めることなく、死んでしまったのかもしれません。 男性は性の快感を局所的に感じるものだそうですが、女性は、体全体で感じるもので、それが、こん睡状態から、覚醒へのきっかけとなるのかもしれないし、それは、女としての人生の目覚めを、暗に意味しているような、スクリーンの一枚向こう側にある監督の意図だと、わたしは、思ったのです。 トーク・トゥ・ハー@映画生活
2008年08月05日
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愛することを知った時、人は始めて大人になるのかもしれない。 ディズニーや、手塚治虫によって、始められたアニメーションは、その後、テレビアニメという制限や、CGのに登場によって、そのあり方をさまざまに問われながら、変化してきたけれど、その形がある程度整ってき始めているのかもしれない。 今夏の『崖の上のポニョ』で、宮崎駿は、今までの制限された中でのアニメ製作という枠をとりはずして、手書きにこだわり、枚数制限を無視して思いっきり、書きたいだけ書いた手書きフルアニメーションを作った。これは。たぶん、アニメーターの究極の夢だろうと、思う。それまでは、テレビアニメなどの経済的、時間的制約によって、絵の枚数や、動きに制限を入れざるを得なかった。それを今回抜きにして、手書きにこだわりきったアニメーションを作った。 その一方で、今年の夏の二大アニメーション作品のもうひとつ、『スカイクロラ』は、大人向けのシリアスで、シビアで、そして、今までの迷いをもう一つの制限をふりきって、徹底時にリアルさを追求したCGアニメーションを作った。 アニメの世界にCG(コンピューターグラフィック)が現れた時、それが、手書きアニメとどう融合していくのか。たくさんの迷いと、逡巡があった。多くのアニメーターたちが、手書きアニメの中にCGを組み込ませようとして、その調和のむずかしさに戸惑った。手書きの動きと、CGの動きの不調和。どんなにリアルにつくっても、というより、リアルに作ろうとすればするほど、不気味さだけがましていく、CGによる人物描写。 いっそ、CGを徹底的に排除してつくってみたのが、『ポニョ』であり、そして、徹底的にリアルなCGアニメーションを作りあげながら、なお、アニメでありつづけようとする、『スカイクロラ』。(現在リアルすぎて分かりにくいけれど、リアルなCGは、実写版にも実際には、組み込まれているので。) 背景や、飛行機などを、限りなくリアルに作り上げつつ、その一方で、人物をぎりぎりまでラフな線だけで描き出すことで、バランスをとろうとする描き方をしていて、ものすごくむずかしいバランスを、ぎりぎりのところで、つりあわせつつ、手書きアニメとは違う、あたらしいアニメーションの世界を作り出そうとしているのが、押井守なのだろう。 日本の歌謡曲が、Jポップと、演歌にきれいに分裂していったように、ジャパニメーションもまた、子供も大人もたのしめる手書きの人肌のあるあたたかなアニメーションと、大人向けのシリアスなCGアニメーションの二つの道に分かれ始めているその分岐点にあるように思った。 スートリー自体は、過剰なほどの前宣伝によって、ほとんどネタバレされていて、映画をみても、その謎は、最後まで解き明かされることは無い。けれど、今の時代、「スカイクロラ」をみたいと思い、見に行くような人たちであれば、だいたいストーリーの裏側にある謎は、ほぼ想像がつく。そして、そのタネアカシは既に今までのいろんなアニメや漫画や小説でされてきていて、いまさら、その謎を作品の中でといてみても、白々しいだけなのかもしれない。だから、今作では、そんなベタな結末は、なしだったのだろうか。監督の描きたかったものは、もっと違うところにあるのだろう。 物語の舞台は、地球に似ているけれど地球ではないどこか別の世界。この設定自体がすでに、もう、いままでに何度も使われてきたものなのだし。 日本ににた国。ヨーロッパににた国。 第二次世界大戦はなかったけれど、戦争はある世界。 けれど、大人にならない子供のままの人間なんて、もちろんいるわけはなくて、大人ではないはずの「キルドレ」たちは、コーヒーを飲み、ビールを飲み、タバコを吸い、セックスをする。 コーヒーもタバコもビールも大人のものだけれど、それらでは、大人の証明にはならないらしい。 彼らが誰かを好きになった時始めて、大人になりたいと本当に思う。そう思った時はじめて、いつまでも大人になることを許されないキルドレの世界に息苦しさを感じ始め、そこから抜け出したいと思ったのだ。そう、思った時、父であり、師である「ティーチャー」を、殺し、乗り越えていかなければならなくなる。 子供は大人になろうとする時、自分の中の親や師の存在と精神的に戦い、打ち負かし、乗り越えていかなければならない。 ところで、「ショーとしての戦争」は、今の私たちの世界にある「ショーとしてのスボーツ」と、似ている。キルドレたちは、「ショーとしての戦争」のために、その存在、人間性、人生までをも、世界にささげて奉仕しているわけだけれど、今の世界の「野球」や、「サッカー」も、また、それに似ている。 プロ野球選手やプロサッカー選手を目指して、子供たちは、勉強や私生活までを犠牲にして、スポーツに打ち込む。場合によっては、家族までをも巻き込み、家族の生活まで犠牲にして、一人の子供をスポーツ選手に育て上げるという状況。 プロ選手になれるのは、ごく一部。一握りの子供たちだけだ。しかし、その一握りの人材の育成のために、数多くの選手候補生として、多くの子供たちは、その少年時代をスポーツにささげなければならない。その結果として、プロにならなかった多くの子供たちは、体を壊したり、勉強も学歴もないまま、自分たちの人生の途中で、スポーツの外の世界に放り出されてしまうのだ。 そんな子供たちの犠牲の上に、大人たちの見る娯楽としての、「ショーとしてのスポーツ」があるのだ。 そんな子供たちは、プロ野球選手や、プロサッカー選手をかっこいい存在として、みせられ、あこがれさせられて、勉強がだめなら、スポーツでという幻影や、洗脳で、気がつけば、スポーツも勉強もどちらも中途半端で、身につかないまま、ある日突然、大人の世界に投げ出されてしまうのだ。本来体を動かすことを楽しむための遊びであり、自分自身がやることで楽しむはずのスポーツが観賞用の大人のための娯楽となった時、そのための選手たちは、その人生を命がけで、提供しなければならない。 映画の中の「ショーとしての戦争」を、所詮異世界の話なんだからと、笑ってみてはいられない。 大人の娯楽のために使いつぶされる子供たちは、私たちの世界にもいるじゃないか。 ほぼ面白かったと思います。戦闘機の飛ぶシーンがすごいということなので、飛行機大好きの夫を誘って行きました。でも、戦闘のシーンは、すごかったけど、思ったより少なくて、しかも、展開がすごく早いので、何がどうなったのか、誰の飛行機がおちたのかとか、ぜんぜん分からなかったりして。せっかくのかっこいいCGシーンなので、もっと、じっくり見たかったかも。劇場で見たほうがぜったいいいんだけど、DVDになったら、借りてきて、もう一度見直してみてもいいかも。 草薙水素の声が菊池凛子さんなんだけど、重要な役どころの割りに、声が浮いてて下手だなあと、さすがに思ってしまった。最近のアニメが、声優を使わずに俳優を使うので話題づくりにすぎないと、不評なんだけど、私は、もう、数の限られた声優の毎回いろんな人物が同じ声っていうのに、うんざりしてたので、俳優起用は、悪くないと思ってたのですけれど、今回の菊池さんの声は、もう少し演技欲しかったですね役どころとしては、わりとさめた人物なので、わざとたんたんとしゃべっていたのかも知れないのだけど、だからこそ、そのあたりの微妙な心理の変化をうまく演技して欲しかったです。 スカイ・クロラ The Sky Crawlers@映画生活 アニメーション映画
2008年08月04日
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