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突然、両替した1000・500ルピ-札が使えなくなるとの通達。また、クリントンにトランプが勝利したとのニュ-ス。●が、プシュカルを発つ日に発表された。画像拡大可1000ルピー札(約1520円)と500ルピー札(約760円)は一切使えなくなるとのこと。インドでは1000ルピーが最高額紙幣、500ルピーが二番目の高額紙幣。紙幣が無くなることで町中、どこの銀行を見ても黒山の人だかり。 ●今度の対応の目的は、ブラックマネー撲滅のために高額紙幣を廃止したとか。世界の関心がアメリカ大統領選に注がれる中での発表でした。同行のメンバ-も空港でも使えずそのまま記念にお持ち帰りの人も。●今回の「らくだ祭りの旅」は町営の施設ハットに連泊して「らくだ市」を追いかけるスケジュ-ルなので見上げるような大きな「らくだ」達とのスキンシップさながら優しさに触れることが出来、家族同様に「らくだ」達を扱う「らくだ家族」が深く印象に残った旅になった。
2017/01/21
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いよいよ「らくだ市」の旅も最後。プシュカルを離れる時が!画像拡大可家族のように寝起きを共にするらくだ一族に乾杯と言ったところだ。まだ後半の「らくだ祭り」は続くのだが、幸多かれと祈りつつプシュカルを後にした。道すがら窓越しに通り過ぎる町を眺めながらジャイプ-ルに向う。多くの「らくだ」たちのなかで泊りがけでこの道を通ってやってきた「らくだ」も?でも、バスは3時間ほどで移動できる・・・●インド西部のラージャスタン州には、以前行った「青の町」「黄金の町」これから行く「ピンクの町」いまだ訪れていない「白の町」の4っがあって町はそれぞれの”色”で統一されている。ジャイプ-ルにあるピンクの町は”ピンクシティ”の別名を持つ町で旧市街の街並みと、それをとり囲む城壁はピンク色?に染められていておよそ城壁は10kmにも及ぶそうだ。●風の宮殿(ハワ-・マハル)は姿を見られることを禁じられている宮中女性のために建てられ女性たちは、風通しのよい小部屋からお祭の行列や町の様子を眺めたそうだ。正面から見ためより、建物自体の奥行は以外に狭い。”ピンクシティ”と言うより茶色に近い色合いだが確かに色が統一されている。風の宮殿を一目見るのが目的だったので路地の中には入っていないがかなり賑やかなようすが!ホテルまでの道中、城塞や工場?や住宅や寺院などをバスから撮影偶然ですがどのカットにも月が映りこんでいる。●ジャイプ-ルの日没です。明日はデリ-から関空へ。
2017/01/16
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いずれの国の女性も買い物が好きなようで、さまざまなお店が立ち並ぶ。画像拡大可カラフルなサリ-やスト-ル、若い女性用のブラウスやバック小物のアクセサリ-などなどが、ところ狭しと並んでる。大きな荷物を抱えたり、お馴染の頭に荷物を載せて移動する女性も。当然、町の人達のショッピングの場所でもあるのだろう野菜などもあちこちで売られていた。流石にスナック系の食べ物は少なかったように思う。小さな、しかも古くからの町なので細い路地で仕切られ迷路のようだ。狭い路地に入り込むと生活の一部が垣間見え「らくだ市」ではお目にかかれなかったインドでは神聖な動物の牛があちこちの路地でかっ歩するのを見かけた。女性のカラフルなサリ-や男性の白いサリ-など、ほこりで汚れやすく大変では、と質問もよくありましたがご覧のように非常に乾燥している気候なので洗濯物も吊るしておけば直ぐ乾くので、心配ご無用と言ったところでしょうか?
2017/01/12
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大変遅くなりました。今年もよろしくお願いいたします。ヒンズー教の「聖地プシュカル」はラジャスタン州にあり画像拡大可 通常は1万人足らずの小さな町プシュカルだが、この「らくだ祭り」の間は人口が3万人にも膨れ上がるのだとか。●「らくだ市」は最初の5日間、そして宗教的な行事がそれに続くそうです。「らくだ市」が開催されている場所から程近いところにプシュカル湖があり辺りを散策しながら聖地に向かと、だんだんに家族連れなどの集団が多くなってきた。タクシ-(オ-トリクシャ-)に鈴なりの集団もいる。宗教的な行事を行っている日には、プシュカル湖で沐浴する人々の姿が多く見られるそうだ。またプシュカル湖の周りにはヒンズー教の寺院やホテルなどが多く、湖をぐるりと取り囲みもちろん観光客相手のお店も沢山軒を連ねている。但しプシュカル湖は建物の隙間から垣間見る程度で残念ながら全容は見えない。●「聖なる地プシュカル湖」を是非一望して見てみたかったのだが!寺院には当然入場券が必要で、観光客は断られるケ-スもあるとか。また寺院の中は裸足が原則です。●インドに浸水してしまったような欧米の婦人も見かける。聖地だからこそだろうか道路清掃をする若者たちも。
2017/01/07
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まだインド「らくだ祭り」シリ-ズが最終回になる前に今年のご挨拶をすることになってしまいました。らくだに𠮟られそうですがヒンズー教の聖地「プシュカル」の残りは改めて来年と言う事で!お許しください。今年は、2月の飛行機トラブルに遭遇した「砂漠フェスティバル」と今回の「らくだ市」の二回ものインド訪問になりました。●日本全土では幾多の自然災害に遭遇し、今も戦っている方が大勢いらっしゃいます。決して豊かとは言えないインドの地に生活する人々に触れていると災害にあわれた多くの方々の応援歌に少しでもなれば・・・インドの強く生きる人々の純粋にきらきらした目が勇気付けてくれるそんな気がします。頑張ってくださいと。●来年もまた宜しくお願いします。
2016/12/28
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筋書きのないワンショットを拾ってみた。画像拡大可熱気球は何機か揚がっていたのに残念ながら揚がる瞬間は逃してしまった。●欧米の女性カメラマンが撮った写真を見るために、覗き込んでいるほほ笑ましい「らくだ」飼いの姿も。おなじみ、頭に荷物を載せたサリ-姿の女性たち。きしくも壁面にも同じようなサリ-姿の女性が描かれている。頭に荷物を載せるのはポピュラ-のようだ。民謡?を奏でるミュ-ジシャン達もいろんな場所で見かけた。当然演奏して対価は貰っているのだが!●夫婦だろうか、疲れ果てて水飲み場で今日の反省?をしている。ど派手な衣装のヘビ使いの一団もいた。身振り手振りで真剣な子は何を訴えているのだろう。「らくだ市」会場のすぐ横で畑だろう!野菜の手入れをする人達がいた。「らくだ市」が開催されてもまだ、突貫工事で建設進行中のイベント会場もある。●それぞれがそれぞれに「らくだ祭り」を楽しんでいるようだ。
2016/12/25
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朝、「らくだ祭り」会場周辺を散策してみると画像拡大可インドではお馴染の屋台などが連なっている。●寒さよけと埃よけを兼ねたマフラ-の女学生や出勤途中の男達。見ているだけで飽きない光景が展開する。寒さに対する反応が面白いのは、上の防寒は完全だが下の方の防寒に対しては靴下を履くとかの対策は全く無い。なんとも不思議だ。下の方は寒さに強いのだろうか?やはり菜食主義のヒンズー教徒のメッカだけあって野菜を売る台車が多く溢れそうになるほどの野菜を積んで売っている。泊ったコテ-ジ(ハット)も茹で野菜や野菜スープなど菜食ばかり!こんな台車も見つけた。子供用のプラスチック製の車の玩具だろうか?「らくだ祭り」にやってくる子供達用のお土産だろう。無造作に商売品を放置してあるが?盗難の心配がないのか気がかりだ。相も変らず朝からのんびりした光景だと言われそうだが一対一のコミュニケーションの大切さがここにはまだあるような気がする。
2016/12/23
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こんな場面もあった。画像拡大可●当然「らくだ市」なので「らくだ」たちは高く売られるために来ているのだが家族同然に過ごしてきたからだろう、売られていく「らくだ」が抵抗しとても淋しそうな表情をしたのが見ていて辛かった。何万頭もいる「らくだ」の中には、まだ乳飲み子の「らくだ」もいる。すでに乳離れした子供「らくだ」もたくさん連れて来ているが一人前?になっても困らないための経験をさせているのだろうか?力持ちの「らくだ」は専用の駱駝車があり、かなりな荷物を運べる台車がついている。遠方から家財道具と一緒に家族をを運んで来たのだろう。●飼い主が直接らくだの背に荷物を縛り付けている。これから何処かへ運ぶのだろう?。これも偶然だが珍しいおしっこのシ-ンを捉えることが出来た。砂漠の中では人も同様に隠れて用を足すのだが!観光用に使われる「らくだ」も沢山見かける。ことにヨ-ロッパ人には人気があるようだ。派手に飾り付けた衣装はこのためか!
2016/12/20
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この「らくだ祭り」は「らくだ市」が年々拡大したものらしい。画像拡大可「らくだ市」としては世界最大最古の歴史があるそうだ。それにつれ「らくだ市」だけでなく馬や牛、羊、ヤギなども売買されるようになったとか。●この馬は大きなマスクをしているのではない、実は餌袋だ。「馬の市」も結構な広い場所を確保している。スタジアムでは裸馬の競走やロデオなどが開かれていた。上の「白馬」は商談中のようだ。目立ったのは日本では見かけない眩いほどの「白馬」が沢山いたことです。フェスティバルに因んだ「らくだ用」の同じようなショップが軒を連ねていて派手なおしゃれグッツがひと際目立つ。当然「らくだ市」で売買する人や観光で来ている国内外の人用に飲食店も軒を並べているが、日本人の衛生面に手厳しい人からするとちょっと手を出さない方が良いものも見かける。チャイ(紅茶)だけは大丈夫だが・・・日毎に「らくだ祭り」に詣でる人たちが増えてくる。乗り合いバスではなく乗り合いトラックでやって来た女性たちや歩いてここまで来たのだろうか?家族連れ。マイカーで来た親子などそれぞれ。●若いインドの元気な女性たちにも出会う。
2016/12/16
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「らくだ市」の一日は薄暗いもやとともに明ける。画像拡大可砂漠の朝はかなり寒い。10℃以下になるので半袖ではつらい。●何処からともなく「らくだの餌」を積んだ、大きな幌で囲われた車が到着。それぞれに大きなシ-トのようなものを持って飼い主たちが餌を求めて集まってくる。「らくだ」が餌を食べだすと、ようやく彼らの朝食の準備が始まるようだ。あちこちに火をおこし青白い煙が立ち込めている。「らくだ」はそれ程水分を摂らなくて良い動物らしいが一応、大きな水のみ場が数箇所設けられている。当然、「らくだ市」の間に人々が利用する水道も「らくだ」の水のみ場と兼用である。商談でもしているのだろうか?ちらほらと、らしき風景が見かけられる。全体の「らくだ市」らしきものがあるのだろうか?見渡す限り広大な広場なので何処で市が開かれているのか見分けがつかない。夕闇が迫るころ突然「らくだ」の大群が移動を始める。ガイドによると近隣の飼い主達は毎日らくだを移動させて連れ帰るらしい。そのすざましい迫力と砂煙には圧倒される。●夕陽に照らされてシルエットで浮かび上がる「らくだ」は影絵の世界なんとも幻想的で美しい。
2016/12/14
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広大な敷地で開催されている「らくだ祭り」だが「らくだ市」の隣には大きなスタジアムもあり、冊子のイベントガイドによれば盛りたくさんのイベントがあるようだ。●イベントが開催されているスタジアムを覗いてみることに。画像拡大可スタジアム一杯に、色とりどりの民族衣装を纏った女子高生だろうか?100人以上の女性たちによるマスゲ-ムが盛大に行われていた。地元の人たちも結構いるが、やはりヨ-ロッパからの観光客がかなり目立つ。カラフルな民族衣装が立ち上る砂埃にも負けじと輝いて映える。やはり原色は砂漠の地には冴えわたって美しい。●足元は裸足かぞうりのようだが靴だと踊りにくいのだろう!怖そうな体格の良い婦警さんにカメラをを向けたがポ-ズをとってくれた。夜、大音響の音楽につられスタジアムに再び顔を出すとインドの歌やコメディアン風の芝居をやっていたが全く理解できず。●今回は何度かポ-ズをとり写真を撮ってくれとの注文が多かったがプレスとでも間違えたのだろうか?「らくだ祭り」会場には観覧車が常設されていて夜もライトアップされた物も。
2016/12/12
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男達は砂漠のなかでの正装、タ-バンとサリ-が良く似合う。民族衣装はどの国でも廃れて行く傾向にあるのだが砂漠で働く男達を見ていると、この民族衣装は実に機能的で優れもののようだ。砂塵にまみれても汚れが目立たず髪の毛も防御する!画像拡大可●民族衣装の機能性に対しては云々されるが、実用性を実感したのは今回が初。男達のサリ-は殆んどが白で、あまり他の色は見かけない。タ-バンは結構、白以外の色も見かけるがそこにルールはあるのだろうか?少々褐色の肌にすらりと伸びた長く細い足が余計魅力的だ。「らくだ」だけに目を奪われがちだが男達の「らくだ」を通しての立ち振る舞いはなかなか絵になる光景が多い。一様に調教用のムチ(棒)を持っていて見事に大きな「らくだ」もいのままに。砂漠の中なので喫煙者が非常に多いのだが余り気にはならない。仕事が一段落しての一服がなんとも美味そうだ。むしろ、もうもうと立ち込める砂埃の方が気にかかる。
2016/12/10
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横座りして餌を食べる「らくだ」は、なかなか色っぽい。●「らくだ」のお洒落?はストレ-トヘア-にカールヘヤ-と、いろいろ!さらに、焼印で若い人に流行のタトゥ-を入れた「らくだ」までいる。画像拡大可不思議にもインドでは女性は当然のこと、男性から「らくだ」までもがそれぞれにお洒落を楽しみ、個性を演出している。飼い主は、「らくだ」のお洒落を手助けしているが「らくだ」もまんざらでもなさそう!鼻に花をつけてご機嫌な「らくだ」や久し振りの散髪で少し涼しくなり気持良さそうにしている「らくだ」もいる。自慢の髭を飼い主に手入れしてもらっている「らくだ」の目と耳に注目、実にご満悦。●「らくだ」にもいろんなお洒落や手入れがあるようだ。究極のお洒落はフェスティバルで競う「らくだコンテスト」だが飼い主がこのコンテストに懸ける意気込みはすごい。「らくだ」の衣装?にこんなに大金をつぎ込んでも良いのだろうかとさえ思う。
2016/12/08
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「らくだ市」は夕暮れとともに砂漠特有の寒い夜を迎えるのだが何故かとても心温まる情景が待っていた。画像拡大可何万頭もいる「らくだ」の中で、自分の「らくだ」と区別する印は工夫しているようだが砂漠のど真ん中、灯りが殆んど無くなる夜に備え「らくだ」の脚に逃げ出さないための簡単な足輪を結んでいる。寒い砂漠の夜を一緒に過ごすために!日没と「らくだ」の長い脚と砂埃が織りなす逆行の世界はなんとも幻想的。日本には「月の沙漠」と言うロマンチックな童謡があるが「夕陽の砂漠」は勇壮でさえある。仕事を終えた後の砂漠で飲みかわす男達の「チャイ(紅茶)」は格別か!●ここプシュカルはヒンズ-教の聖地。アルコ-ルはご法度で何処へ行ってもアルコ-ルは無い。
2016/12/04
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男達の「らくだ市」での朝は早くて忙しい。家族同然の「らくだ」に餌をやりながら、今日の商談の話で弾んでいるのだろうか?焚き火で暖を取りながら、やはり同じ光景があちこちで。画像拡大可「らくだ市」は男達の情報交換の大切な場所なのだろう!数人が車座になり話し込んでいる場面を随所に見ることが出来る。●でも「らくだ」のバイヤーらしき人を見分けるのは結構難しそうだ。手持ちのお金を数えているのだろうか?それとも「らくだ」が売れたお金だろうか!現地ガイドの話だと「老いたらくだ」なら1万円弱で買えるとか。従順で働き者なので日本の気候に会えば考えてみる?タ-バンにサリ-姿なので年齢は判断しにくいが、見た目より若い若者もいるのだろう。長老達から「らくだ市」での手ほどきも授かっているのかも。
2016/12/02
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以前訪問した「カッチ」や「ジャイサルメ-ル」砂漠の祭典では働く女性ばかりが目立ち 男性の存在がなかなか見えてこなかったのだが、今回の「らくだ市」ではようやく大黒柱としての男性の存在が大きく輝いて見えた。画像拡大可●そんな「らくだ市」の会場で存在感のある女性の姿を追ってみた。乳飲み子も一緒に家族同様、長旅をして「らくだ市」に来て生活をともにしている。核家族化などは探しても何処にも見当たらない。この女性は身重なのだろうか?既に一人の子持ちで子供の面倒を見ながら大家族が使うテント内の整理にをしていた。朝霧とも砂埃とも区別の付かないもやが一面覆っている中で女性たちがほうきらしき物で辺りの塵を掃いている。その埃が舞い上がり、逆行で捉えると美しくさえ見えるから不思議だ。部屋に帰ると口の中や鼻の中が砂に犯されていた。駱駝の足元で盛んに丸い物を女性たちが集めているのは駱駝の糞。只でさえも砂漠地帯のため燃料になる木が少なく牛の糞同様に駱駝の糞は貴重な砂漠での燃料だ。オシャレをした若い女性が運ぶ姿が違和感無く見えるのはこの場所だからだろう。一段落してのいっぷくは流石に上手そうだ。老いも若きも女性たちが日中ゆったりした時間を過ごしている。この時間帯は女性の時間なのだろう!
2016/11/30
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砂漠の朝は冷え込み、薄着ではいられないほど結講寒い。皆テントから起き出し朝食の用意を始めているが、サリ-の上からしっかりマフラ-や毛布を被り焚き火をして暖をとっている。とても寒そうだ。画像拡大可思い思いの場所に陣取りをしているのだろうか?使い込んだテントなどは駱駝車で家族や「らくだ市」の間の家財道具などと一緒に何日もかけて遠路運んで来ているようだ。●あちこちに白煙が上がっていて、まるで昔経験した懐かしいキャンプ場のよう。中央丸く見えるのが燃料になるらくだの糞。鶏を連れて来ている人も。これ程の人々が一度に集まると暖を取る薪も足りなくなるので駱駝車に積んで来て大切に使っているのだろうか?牛の糞は大切な燃料になる現場も見たが、ここではらくだの糞も貴重な燃料のようだ。ところどころで、丸いらくだの糞を集めている女性も目撃した。夕暮れが迫るとまた白煙が上がり始め駱駝車の回りも夜の帳の準備に追われている。今日の商いはあったのだろうか?チョッと気にかかる。
2016/11/27
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らくだは飼い主にとって家族同然。大きな体でひざまずき餌を食べる光景はなんとも可愛らしく、主従関係ではなくまるで家族関係。お互い砂漠の中で生きる術を分かち合う家族のようだ!画像拡大可当然、この「らくだ市」は大家族にとっても一年一度の大イベント。大家族も大挙してこの地を訪れ「らくだ」と共に過ごすのだから。側から見ているとこの砂漠の夜の寒さも忘れ生活を楽しんでいるようにさえ見える。歯の具合を見ている姿や餌の食べ具合を見つめている姿などいかにも「らくだ」言葉で会話しているようにさえ見え、我が子を見る眼にも似ている。寝起きを共にして生きる姿は正に家族同然だ。※何とかタイムラインに画像が出る方法が見つかりました。
2016/11/24
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(画像拡大可)デリ-には夜到着。一泊後、国内線でジャイプ-ルへ。ジャイプ-ルからはバスで3時間ほどのプシュカルへ向う。いよいよ目的地。州政府特設のハットに、これから4連泊し待望の「らくだ祭り」だ。●車のクラクションや騒音でまだ薄暗いなか目が覚める。今日はまだ開催日前日に当たるのだが「らくだ祭り」に向け着々と進む会場を見ながら駱駝車に乗り込み「らくだ市」会場へ。辺り何処を見回しても「らくだ」「らくだ」「らくだ」の群れ。何処にこんなに沢山のらくだが潜んでいるのか不思議な気持にさえなる「らくだ」の数。インドの記事によると凡そ5万頭の「らくだ」が各地から集結するとか!この集結した「らくだ」も近郊の「らくだ」は毎朝この場所に来てまた夕方には帰る。そのため朝夕はもうもうと砂煙を上げて移動する「らくだの群れ」は勇壮だ。それ以外の集団は駱駝車で家財と「らくだ」を運びテント生活。その他にトラックで輸送するケ-スも見かけた。首を伸ばせば人間の倍以上の高さがある「らくだ」なので恐ろしい気もするが駱駝車に載せてもらうと意外とおとなしく従順なのには驚く。砂漠の中で生息するには、大きな体格の割りに粗食で水も余り必要としない家族のように珍重される働きものだそうだ。
2016/11/18
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11月5日から12日までのインド旅。プシュカル「らくだ祭り」から帰りました。今回はフライトによる未体験の遭遇も無く時間の多少のズレ以外は無事。●兎に角、想像以上の「らくだ市」のスケールにはただただ驚くばかり!インド北西部に位置する砂漠の中に、何処からこんな沢山のらくだが集まってくるのかどうやってここまで連れて来るのだろうか?謎だらけの「らくだ市」。らくだの数に圧倒されるに留まらず、「らくだ市」と同時に開催されている「馬の市」やそこに押しかけているカメラマンの数、見物客、「らくだ祭り」の数々のイベントやショップ・・・ここが砂漠かと見間違うほどの賑やかさ。●この「らくだ市」を兼ねたフェスティバルは伝統があるものなのですが残念ながら毎年開催時期は変動するそうでインド人も一度は行ってみたいところだそうです。これから順次ご紹介しようと思っています。 (画像拡大可)
2016/11/14
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☆久し振りにブログです。 またまたインドへ。11月5日から11月12日の予定で、プシュカルの「らくだ祭り」に出かけます。前回の「砂漠フェスティバル」では、帰路に飛行機のエンジントラブルに巻き込まれデリ-で出国手続き後、3時間待たされ再びホテル待機する「未体験との遭遇」でした。今回のプシュカルはヒンズー教のメッカ。当然何処でも禁酒とか。らくだ市は朝早くから夜遅くまで開かれていて、らくだ飼いはらくだが売れるまでここに寝起きして留まるそうです。またどんな出会いがあるのか?●帰ってからまたご報告します。
2016/10/30
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写真拡大可姨捨の棚田は何度か撮影やスケッチで訪れているのだが今回50数年ぶりに一昨年再会された小学校時代の同級会に出席の折運よく棚田に水が入いり田植えの真っ最中に出くわす。水が入った棚田を見るのは初めての経験でちょっと興奮。姨捨の棚田は「田毎の月」と古くから言われているが「田毎(たごと)の月」は、棚田に映る月が美しく見られる場所として知られている。また「田毎の月」は長楽寺の持田である四十八枚田に映る月を言うそうだ。JRの「日本三大車窓」にもなっている篠ノ井線・姨捨駅からは棚田や善光寺平を一望。眼下には千曲川がゆったり流れ春夏秋冬、姨捨からの眺望は飽きることが無い。ここで芭蕉が歌った「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」の句もある。本来「田毎の月」は月明かりの撮影にチャレンジしたいのだが今回は時間が合わず田植えの時期に恵まれたことを良しとしたい。●深沢七郎の「楢山節考」は 姥捨の伝説から題材を得て信州が舞台になっているがこの姥捨山の姨捨伝説とは直接関係無いそうである。
2016/06/10
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写真拡大可終章として、今回のインドで出会った住まいのあれこれについての紹介です。タ-ル砂漠の真っ只中。ジャイサルメ-ルは昼間「暑く」夜「寒い」砂漠地特有の気候。そのため、豊富な砂岩を使っての石造りの家が支流だ。石造りの家は家全体が灼熱の太陽にも熱くならず、ひんやりしているのだろう!それぞれの建物が結構近代建築に見えてしまうのは言い過ぎだろうか?砂漠地帯のため多分「木」は貴重品。で、室内でも木部は少ない。日本の企画住宅のように同じような建物は無くほとんどが個性的?で自分達で改造している姿も見られた。これらの住宅はジャイサルメ-ル近郊で見かけたほんの一部の住居です。●住まいにはそれぞれの家族の暮らしや未来が沢山詰まっている。たまたま出会った住まいの人々は、これからどんな世界が開けて行くのだろうか?チャンスがあるならば、またここに来て見届けたいものだ。
2016/05/25
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写真拡大可空軍基地と併用のジョドプ-ル、離陸直前に物凄い爆音の戦闘機に遭遇。まるでトムクル-ズ主演の「トップガン」さながらのシ-ンだ。少し待たされてからの離陸となったが、前にも触れた双発のユニ-クなジェット機で。●1時間ほどでデリ-に到着。デリ-では市内散策。さすがデリ-は都会で街並みも綺麗。官庁街や大使館なども立ち並び今までとは別世界。市内は当然、牛様も闊歩していないし、バスは日差しが強くてもカーテンを締めるのはご法度だ。インド門で出会った家族のスナップ。これは第一次世界大戦の慰霊者を祀ったインド門。広大な敷地には公園が広がり、今では市民の格好の憩いの場と言った感じだ。気温が上昇し熱いので若者が噴水によじ登り水と戯れて気持良さそう。●最後に世界遺産、クトゥブミナル「勝利の搭」とその建物群を訪れる。なんと地上72.5m。イスラム教徒の勝利を記念して建築したものだそうだ。この搭は1200年頃の建造で赤砂岩と大理石で造られ、外壁にはコ-ランをデザインした彫刻は見事。その他の建物への彫刻も素晴らしい。お祈りする信者に混じり恋人達のデ-トスポットや若者達の待ち合わせの場所にと今は気楽に使われているようだ。日没時の細工された柱の彫刻が一段と映えている。ジャイサルメ-ル「砂漠の祭典」の旅が終りを告げるように。●この後、飛行機トラブルでフライト出きず一日遅れの帰国になるとは誰が予想しただろうか?
2016/05/20
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写真拡大可ジョドプ-ルまで後少し。最後の大きな街「バレッサ」にて散策をする。チョッと脇に入るとミシンでワイシャツなどを縫製する粋な兄弟にも出会う。またここでは、いろいろな物を作ってしかもお店も併設しているところが何箇所か見られた。このおじいさんは、店の番も兼ねてお孫さんと遊んでいる。店はテキスタイルのお店のようで商品が見えにくいがオリジナルな商品が目立つ。●スカ-フやマフラ-の陳列が細い棒から吊るしただけの簡単さ。とてもユニ-クだ!商品の陳列がユニ-クなので、商品がちょっと見えにくいがここでは女性の腕輪や小物のアクセサリ-など、なかなかオシャレな物を売っている。下のサリ-の女性たちもオシャレ小物を買い込んで?バスの方に引き上げていく。万国共通でお買い物は女性たちの至福の時間なのだろうそこには笑顔が絶えない。買い込んだ荷物はバスに積み込むのだろうか?荷物を運ぶのも大変だ!買い物の付き合いに疲れたのだろうか?粋なタ-バンを巻いた初老の男性がカメラに収まってくれた。
2016/05/14
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写真拡大可パキスタンへと繋がるこの国道114号線。「ポーカラン」は国道沿いの中では一番大きな街だそうだ。大型の発着バスも多く、人々で賑わっていた。ず~っと女性のサリ-姿には魅了され続けたがどっこい男性のサリ-姿や色々なタ-バンにも興味津々。タ-バンを巻くのはシ-ク教徒だけで色々な巻き方があるそうだ。たびたびバスの屋根に乗りこむ場面にも出会ったがバスの屋根にはそれなりの仕切りがあり一応安全?にはなっているようだ。実際走っている場面には出くわしていませんが、インドは暑いので風を切って走るのは涼しいでしょうが、ヒヤヒヤも手伝ってもっと冷えるのでは・・・安全第一に願いたいものです。
2016/05/10
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写真拡大可ゴ-ルド・タウン「ジャイサルメ-ル」を後に、また、ブル-シティ-「ジョドプ-ル」に向かう。●「タール砂漠」を横断してジョドプ-ルを目指す、バスで285キロの道のりだ。この道路はパキスタンに通じる道。国境警備の軍隊が交代する時期とかで戦車や軍隊を乗せたもろもろの縦列が延々と続いているなかを走る。隣接するパキスタンや中国の国境警備は今も緊張感がある。途中「バサンピ-ル村」に寄る。道路脇のバス停だろうかバスを待つ家族が!風呂敷のような物で包んだ大きな荷物をいくつか運んで来ている。このおじいさんの孫だろう!二人とも利発そうだ。●村の入り口100mくらいから子供達が我々を見つけて一斉に駆けてくる。訪れる人も少ないのだろうか?まだ始業時間の前らしい。カメラが珍しいのか少しでも前にと我先に立ちたがる。ここの村は裕福な村なのだろう。子供達も清潔そうだ。ただ小学校には机は無かったようだが・・・。村の奥まったところに可なり大きな新築間もない家を見つけ主人に話を聞くとトラックのドライバ-をしていて建てたそうだ。でも相当に豪華な家だ。この村でも男性たちがのんびりと談笑している姿が目だった。この筒型に詰まれた煉瓦が気になり聞くと樹目を保護するための柵のようなものらしい。大きな街を除くと砂漠の中では小さな村があちこちに点在している。
2016/05/02
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写真拡大可いよいよ今日はゴールド・シティ-「ジャイサルメ-ル」を旅立つ日。流石に少し寂しさも残るが、早朝から最後のホテル周辺を散策に出掛ける。このお婆さんと5人の家族は寒いからだろうか!温かい飲み物で体を温めている。街も朝を迎えて、動物も人も動き出し始めた。勤めに行く人だろう?アルミの弁当らしきものをそれぞれ持って出掛けて行く。インドでは牛は神聖な動物なので、あらゆるところで目にするがこの辺りでは、餌をあさる猪豚を沢山見かけた。ホテルから300mほどのメイン道路の脇には、自分達の手造りの家だろうか小さな家が連なっている。生活のほどはうかがい知れないがどの家にもパラボラアンテナは取り付けられている。TVは見れるのだろう!フェステイバルの初日に訪問した家に、うず高く積まれた壷があったがこうして生活の中で使われているのだろう?サリ-姿では働きづらいのではとご意見をいただいたが、こうして逞しく働く女性を見るにつけサリ-は生活にとっても風土のことを考えても一番合っているのでしょう。最後に我々が3日間お世話になったホテルのことだが、ジャイサルメ-ルの城塞に泊って旧きよき時代に触れることは出来なかったものの、ホテルの石造りも繊細な透かし彫りで造られていてマハラジャの気分を味わい過ごすことが出来た。
2016/04/29
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写真拡大可夕方5時過ぎ、昨日パレ-ドが行われたスタジアムへ再び。●これからダンス大会が開催されるそうだ。どんな大会になるのか興味津々だったが、相変わらずたくさんの観客が詰め掛けている。その割には一向にらしきイベントが始まる様子はない。夜にかけて開催されるためだろうか?寒さ対策の厚着が目立つ。舞台では背景に大きなスクリ-ンが設置され、インド版?カラオケが・・・。子供から大人まで入れ替わり歌っている。●背景にはゴ-ルドシティ-の由来の如く、ゴ-ルドに輝きを増した「ジャイサルメ-ルの城塞」がそびえかすかに薄い月が出ている。インドのイベントは常に満月との関係が深いとか!この砂漠フェスティバルは2月の満月から3日間、毎年行われているそうだ。カラオケ?に飽きた男の子が一人リズムに合わせて見事に踊りだし観衆の注目の的となって大喝采を浴びていた。赤い鶏冠のような帽子をかぶった衛兵は任務のためか真剣そのもの。●結局いくら待ってもダンス大会は始まりそうに無く途中で引き上げる事に。ある程度スケジュ-ルはあるのだろうが!残念。
2016/04/25
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写真拡大可イベントがまだ続くフェスティバル会場を後にして昼食タイム。●炎天下の撮影を避けるため、ホテルで暫らく休憩した後にホテル近くの「マルカポ-ル村」へ徒歩で出かける。この村は比較的裕福なのか、建物も新しく結構豪華な感じがする。それに家族連れを良く見た。フェスティバル期間中は皆、休日なのだろうか?ほかの街のバスタ-ミナルなどでは家族連れを良く見かけたが住宅街での家族連れは珍しいし、当然父親と一緒も稀だ。いろいろな場所で建築中の建物を見るが、建築ラッシュだろうか?現場監督が建築現場を作業員とともにのんびりと働いている。手作業が殆んどで重機らしきものは一台も見ない。●村からの帰り際、スク-タ-にまたがった粋な老人に会う。サリ-姿だが薄いオレンジ色のベストをおしゃれに決め込んでいた。
2016/04/22
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写真拡大可昨日のフェスティバルに続き2日目のイベント会場へ。この会場は正面に仮設スタンドが設けられているだけで殆んど日陰もない巨大きなグランドだ。●それぞれが趣向を凝らし、駱駝のあらゆるところに精一杯のオシャレをして昔ながらの正装で、粋なタ-バンを巻いた男性達が5人登場してきた。審査員達がチェックシ-トになにやら書き込んでいる。これは「インド風美男コンテスト」だろうか。砂漠ならではの催しといえば、男性が一斉にスタ-トラインに立ちサリ-を着て⇒ターバンを巻き⇒ラクダに鞍を付けるけ⇒ラクダに乗り⇒ゴールを競う。なんともシンプルですが、インドならではの仮装競争の光景でした。今は世界的な競技にもなっている綱引き大会ですがインドの女性対外国人女性の対抗戦とか男性版など炎天下で行われていましたがサリ-姿で綱引きをする様はインド女性強しの印象が強かった。やはり仮設テントも殆んど慰め程度、炎天下の元でのフェスティバルです。このイベントにも早朝から可なりの欧米人が参加している。インドの人達も何処から出てくるのだろうか!何重もの人垣で埋められた。
2016/04/18
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写真拡大可フェスティバル2日目の朝、会場に行く前にホテル近くの「アマルサガル村」を訪れる。「サガル」とは「海」の意味」があり、「アマル」は「死なない人」だとか。●昨日の霧の朝とはガラリと変り快晴の良い天気だ。そのためだろうか、何処に行っても洗濯日和で主婦は洗濯で忙しそう。サリ-の生地は薄いので光に透けるといっそう映えて見える。小学校の上級生だろうか?頭をシャンプ-した後、豪快に水をかぶっていた。シャワ-施設がホテルくらいしか?無いインドでは、天気の良い日に炎天下で沐浴するのは最高に気分がいいことだろう。共同施設の井戸だろうか、老婆がお孫さんを連れて水を汲みに来ていた。最近では、この辺りも水道が完備されているようで水瓶を頭に載せて運ぶ姿はあまり見かけない。この寺院は以前に紹介した人造湖の反対側の位置になるそうだ。この寺院も精緻な造りで、宗派は分かりませんが寺院の水に映り込む姿はとても映えています。●下の集団の女性たちは発掘でもしているのでしょうか?監督一人男性であとは全て女性でした。
2016/04/14
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■写真拡大可「ジャイサルメ-ル」は豪壮な砦の一つで、宮殿や大邸宅など統治者の美的センスが高い街。豪商たちは多くの優れた石職人達を抱え仔細な彫刻や透かし彫りのスクリ-ンなどの砂岩造りの優雅な建造物を今に残している。城塞には今も人々が暮らしていてマハラジャの暮らしを体験できる宿泊施設もあるとか。●ここ、ロドルワ地方は元々ジャイサルメ-ルの古都だそうだ。この寺院も繊細な石職人達の技を随所に見ることが出来る。この寺院はジャイナ教の寺院で、靴を脱いで入ります。驚くことに拝殿の教祖像の撮影も許されていて、信者の撮影ももちろん自由です。日本の今の神社仏閣ではとても考えられない自由な「仏教発祥の地」。インドの宗教は主に8つあり、その中でもヒンズ-教徒が大半を占める。インド生まれの宗教はヒンズ-教・仏教・シ-ク教・ジャイナ教の4つですが外国からの宗教はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教・拝火教だとか。遺跡の寺院には目印の旗が立っていませんが、祈祷可能な寺院は旗が目印です。宮殿や寺院建築の素晴らしさに較べ庶民の家屋が貧弱に見えるのは生活振りの差にも現われているようです。●日没近くなり、人気のない道路で荷物を頭に載せてひたすら歩く女性がいましたがどうやら道を間違えてバスを降りて?しまったとか!その後が心配になりましたが・・・。
2016/04/10
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●写真拡大可ジャイサルメ-ルの城塞が一望できるレストランで昼食。霧もすっかり晴れて、照りつける太陽が厳しい本来のインドになって来た。●砂漠のオアシス「城塞都市ジャイサルメール」は古くよりアジアと中東を結ぶ重要な中継地点として栄えた貿易の街。この街にはいろいろな道具屋や宿屋があり、多くの旅人や商人で賑わったとか。もちろん、現在も旅人のオアシスとして多くの人たちが集まる都市ではある。ここから出土する砂岩は黄色かかっているため、太陽の光が当たると金色がかって見える。そこが別名「ゴ-ルドシティ-」と呼ばれる所以でもある。ロドルワへ向う途中、10人ほどの集団が砂漠のど真ん中に立っていた。ガイドさんによると、ここがどうもバス停になっているようだ。でも何時くるか分からない?バスを待っているのはギラギラ太陽の下、凄い忍耐力だ!通りがかりに寄った部落は子供たちは非常に人懐こくよって来るのだが母親たちにはカメラを向けるとあからさまに拒まれる。イスラム教徒系の人々はその傾向にあるらしいが初めての経験だった。●道路の周辺には大きなサボテンやラクダや山羊の餌になるジャグリの木が生えている。また電力用の風車も結構見かけ、この部落には農業用のトラクタ-もあった。国境までは80km。この道路はパキスタンまで続いている道。独立後のインドとパキスタンは何時も戦争の危機を孕んでいる両国ともに核保有国同士、ヒンズ-教とイスラム教の睨み合いは今も・・・。
2016/04/05
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●写真拡大可ようやくパレ-ドが順次スタジアムに戻ってくる。左右両方の入り口があるのでどちらから入場してくるかは分からないのだそうだ。それにこんな広いスタジアムなのにトイレが殆んど囲いのないものしかないから意外。民族衣装の男性達や飾りたてた駱駝に乗った音楽隊。色取り取りの鮮やかなサリーを身に纏い壷を頭に載せ花や果物を運ぶ女性達。往年のマハラジャの世界。王子と王女だろうか何んとも髭がユ-モラスだ。パレ-ドはどんどん続くが、先ほどまでの肌寒さはウソのようギラギラ太陽が照りつけてパレ-ドの参列者もスタジアムの観客も暑さをしのぐのが大変になる。しかし日陰になるところが無いので逃げ場も無い。日頃空調のしっかり効いた生活に慣れきっている我々はなす術もない。そのためだろうか水道代わりの大きな給水車がでんと構え皆に水を提供していた。ステージでは美男・美女コンクール?が行われている。砂漠フェスティバルはインドの人達には一年一度の大切なイベントなのだろう。パレ-ドが一段落すると観客も席を立つ人たちも多くなった。パレ-ドに参加したサリ-姿の女性達も、それぞれに役目を終えて帰っていった。我々も昼食のためスタジアムを後にする。
2016/03/31
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●写真拡大可何処から人が出てくるのだろうかと不思議になるほどたくさんの人が駆けつけてくる。大きな駐車場らしきものも無いし、まして公共交通機関も見当たらない。皆、歩いてやってくるのだろうか?肌寒い霧の中を!入り口にはユ-モラスな駱駝の「歓迎」のイラストが描かれていた。ことさら着飾った女性のサリー姿をカメラが追いかけてしまう。不思議なことに、着ているサリーが一つとして同じような柄が無いことだ。肌寒いせいだろうか、厚着をしている人も目立つ。当然スタジアムに集まってくる人達を警備したり誘導するの人も重要だが、その軍隊や警察のなかで、女性の人をかなり多く見かけた。このだだ広いスタジアムを警備・誘導するのも大変な仕事だと思う。集まってきた人たちは思い思いの席に陣取り、パレ-ドの戻って来るのをひたすら待ち続けていた。年に一度のお祭りなので、老いも若きも楽しみにしているほどが良くわかる。スタジアムは砂漠の土そのものなので歩くと砂埃が凄い。ようやく霧も晴れて青空が顔を出、し少し温かくなってきた。
2016/03/27
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●写真拡大可朝、インドの霧に「びっくらポン」したら、この時期インドでは霧は珍しい事ではないらしい。霧でフライト出来ない飛行機もあるとか!蒸し物だろうか?立ち上る湯気が羨ましくなるほど肌寒い。●「砂漠フェスティバル」のパレ-ドには最後尾の出発にようやく間に合う。スタジアムに戻るまでにはだいぶ時間がかかるらしいので付近の散策をすることに。母親のお使いだろうか八百屋さんで順番待ちしている男の子を見つけた。手にはたたんだルビー札をしっかり持っている。こんな早い時間からお手伝い?している少年に好感を持つ。後を追いかけると直ぐそばの壷屋?さんに入っていった。これは如何見ても母親の姿。それにしても、このうず高く詰れた壷はどう使われるのだろう・・・家族揃って朝から届いた壷を運び込んでいた。フェスティバルのためだけではないだろうが、色々な朝市が出ている。この店主は、日本に知人がいるらしく写真を是非送ってくれと頼まれて住所までくれた。生憎ペンを持ち合わせていなかったので事務所?に行くと、体形もそっくりの父上が。
2016/03/23
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●写真拡大可●盲目の女性が援助を仰ぐために座っている。いつもこの場所が定位置のようだ。夕方近くなったので店じまいし、直ぐ上にある家に戻っていった。暫らくすると付き人らしき人が上で手招きしているので、入り口のような仕切りから入れて貰う。そこは、土壁が無造作にぬられただけの8畳ほどあるだろうか?粗末な一部屋の住まいだった。主人らしき人?が食器だろうか、洗って夕飯の支度をしようとしている。眼光鋭く、まるで仙人の様な雰囲気を漂わせている人だ。家の中も見せてくれたが家具などは殆んど無い。大半は表で生活しているのだろう。夕飯を作っている様子だが鍋で何か煮ているいるのだろうか?●この後二人揃って出てきてくれてカメラの前に立ってくれた。やはり夫婦だろう。二人のシ-ンは今も脳裏を揺さぶって離れない。●老夫婦が厳しい環境のなかで助け合って生きて行くさまが強烈だった。
2016/03/20
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●写真拡大可夕方、明日(2月20日)から三日間始まる「砂漠フェスティバル」のパレ-ドのスタ-ト地点人造湖「ガディサ-ル湖」に下見も兼ねて行く。まだ最後の準備に追われ看板を掲げる人達もいる。砂漠のど真ん中に造られた人造湖だが、今は水道が完備されているので憩いの場になっていた。しかし可なり大きな人造湖だ。初老の仲の良さそうな夫婦に何組も出会う。アンティ-クの店を出している兄弟が昔の日本の番組「11PM」が来て取材した事を自慢し偽物は無いから買っていけとせがまれたが、かなり高価そうなので上手く逃げ切る。この人造湖の周りにはいろんな人が住みついている。燃料にするために牛の糞を乾燥させたり、小枝なども集められていた。一見、レトロな自販機のようにも見えるが飲み物を売っている店に出会う。重みのせいだろうか支える板がゆがんでいた。塀を上手く利用したユニ-クなスカ-フの展示台やまるで物干しのような絨毯の展示は面白い。帰り際、道路を悠々と歩くジャイナ教の僧侶達に出会う。ジャイナ教の戒律は、不殺生、真理、盗むな、執着するな、貞節の5つだそうで、中でも最も厳しく戒めるのが「殺生」であらゆる生命を大切にしなければならないとか。ジャイナ教の信者は0.4%だが富裕層を占める割合は非常に高い。●それは職業にもあらわれて、商業(特に金融関係)関連につく人が多いそうだ。
2016/03/16
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●写真拡大可「タ-ル砂漠」はインドの地下核実験が初めて行われたところ今でも核実験の中心地になっているそうです。撮影場所から程なく走った「砂漠リゾ-ト」にて少し遅めの昼食をとる。レストランは日本のドライブインのようになっていて、おみやげ物もずらり揃っています。やはりここも欧米人が多く殆んど日本人は見かけません。赤ん坊は母親のおっぱいでお腹が一杯になったのだろうか?母親の膝の上で気持良さそうに寝息を立てていた。デリ-は今乾季で、インドの人々にとっては可なり寒いのか!厚着が目立ちます。オートバイも多いのですがこの街では特に自家用車が目立ちます。昔、日本でもはやったトラック屋郎のように好んでトラックに飾り付けをするそんな自慢げなドライバ-にもあいました。このバス停では昇降客も多く、大きなに荷物を持った人も目立ちます。買出しに来たのでしょうか?二階建てのバスに次々と乗り込みバスは満席のようだ。真一文字のユニ-クな眉毛の若者や撮影していると突然カメラを向けた青年も。やはりカメラを提げた日本人が珍しいらしく写真をとってくれとの要求もいよいよ今回の目的地「ジャイサルメ-ル」へは1時間ほど。車窓からは「戦争博物館」が見え、旧くなった実物の戦車なども外に展示されていた。現在も緊張状態が続く、「現役の軍隊の宿舎」なども連っている。
2016/03/11
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●写真拡大可「タ-ル砂漠」をひたすらジャイサルメ-ル目指してバスは走る。途中、道路沿いの大きな街に立ち寄る。バスタ-ミナルもあるようで人の賑わいがある。サリー姿は女性だけの特権ではなく男性も結構楽しんでいるようだ。談笑したり、インドの楽器?プーンギ(蛇使いの笛)を奏でる人もむろんバス停らしく大型のバスも多く、おなじみのサリ-やアクセサリ-を売るお店、果物を売る店など。屋台のお兄さんにから揚げのようなものをサ-ビスされたが以後症状が出なかったので順応性があるのかもしれない。民族衣装を着ている人も多く見られるが若い人はさすがにジ-ンズを着こなす。これは時代の波か!でも普段着で民族衣装を実際に着ている姿はいいものだが・・・この街では結構大型のバイクを沢山見かけた。
2016/03/09
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●写真拡大可「メヘランガ-ル城塞」はジョドプ-ルの直立する台地に聳え立ち7つの門や無数の砦と高い石造りの塀でガ-ドされている。街はそれで発展してきたのだそうだ。あちこちにいまだ中世の面影を残し、16世紀には貿易の拠点だったことも伺える。地上125メートルからの眼下に広がる眺望は凄い。ジョドプ-ルの建物は青で塗られている家が目立つが、通称「ブル-シティ(青い街)」と言われる。元は僧侶階級が自分の住まいを青で塗ったのが始まりとか・・・でも砂漠の真っ只中、酷い時は50度も越えるため青は熱伝導を和らげる効果もあり青く塗られる家が増えたのだそうだが、白蟻や蚊の駆除になるとも!お弁当と水筒だろうか母親に手を引かれ学校に急ぐ子供に出会う。覆面は埃よけのためか、でも賢そうな顔をしている。インドでは義務教育化が進んでいないため子供たちは学校に行くのも自由?で文盲率も高いとかでも、インド人は論理的な思考を得意としIT産業などへの進出は目覚しい。あちこちに石の採掘場が見られるがそれ程機械化は進んでいないようだ。この石材はともすると50度にもなる気温に対して遮熱効果があり寒暖の激しい「タ-ル砂漠」では建物の素材として大変重要でもある。道すがらここで働く人達のたまり場なども見かけられる。ジョドプ-ルを後に285キロの道のり。「タール砂漠」を横断してジャイサルメ-ルを目指す。所要時間は5時間ほど長い道のりだ。途中、砂漠のオアシシスでティ-タイム。
2016/03/06
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●写真拡大可バザ-ルの開かれていた近くにはジョドプ-ルの駅があった。昨年のサンタクロズ駅でもびっくりしたが、ここジョドプ-ルでも全く同じような風景が見られる。http://plaza.rakuten.co.jp/gan68033/diary/201502230000/日本の隔離された駅構内や線路脇とは全く違い何処からでも自由に出入りできそうだ。切符を買うところは確認してないが、駅員らしき人も確認できない。我々ツ-リストでさえ自由にホ-ムに入れるのだから・・・線路脇を往来替わりに行き来する人の安全はもちろん自己責任なのだろう!日本の新幹線や山手線などが、おおよそ3分間隔で運行されている事実を知ったらきっとインドの人々は想像もつかない現実に驚愕するだろう!構内ではポイント切り替えも機関士自らが行う考えられない光景も見られた。電車で長旅するのは特別なのだろうか?大きな荷物を持った女性たちが降りてくる姿も見かける駅前にはおなじみのタクシ-(オ-トリクシャ-)も何台か停車して客を待っていた。日本の駅からは想像できないホッとする光景ばかりだ。
2016/03/03
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●写真拡大可深夜デリ-に着き空港近くのホテルに泊る。朝、デリ-空港からからジョドプールへ。空港は軍と併用しているため警備は非常に厳しい。当然手荷物チェックも厳しく、銃を携帯した兵士が物々しく警備している。時には爆音を轟かせ戦闘機がスクランブル?練習飛行?もしばしば見られる。デリ-からジョドプール間の飛行機がとてもユニ-クなので写真に収めたいのだが・・・!残念ながらカメラを向けるだけで大変な騒ぎになるらしい。ラジャスタン州はマハラジャ(偉大な国王)たちのふるさと。多くの城塞が砂漠に建っている。ここジョドプールはラジャスタンの2番目に大きな都市とか!歴史を見届けてきた「メヘランガ-ル城塞」の下には今も生活が営まれバザ-ルなどが活発だ。この広場は、小さな店舗を構え足場の踏み場もないほどぎっしり商品を積み上げるお店や露店のように地べたに商品を広げ通り過ぎる人に声をかける人サリ-はじめアクセサリ-や野菜、生活用品に至るまであらゆる物がひしめき合って売られている。雑然と?並べ売られているところが買いやすくしているのだろうか!
2016/03/01
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インド「ジャイサルメ-ルの旅」24日最終日のこと。●デリ-空港、現地時間01時25分(日本時間04時55分)出発予定のANA828便がエンジントラブルのために空港ロビ-で3時間待たされた挙句に欠航が決定。既に出国しているため、再入国の手続きや荷物の最引取りなどを経てANA指定のホテルまで全員(300名位)がバスに分乗して20分程のホテルへ。そこでも全員がチェックインするのに3時間近くまた待たされる。いくら四星ホテルとはいえ300人を一時にチェックインさせるには大パニック!我々のパ-ティ-は遅かったため、チェックアウトした人達の後に入る始末部屋を片づけてからの入室になるため、まるまる一昼夜寝ずじまい。仮眠したのはなんと10時半過ぎ・・・。なんとも凄い「未体験との遭遇」になってしまいました。●24日の18時過ぎ再び空港へ帰りの便はそれぞれに分かれてのフライトになりましたが我々はシンガポ-ル経由、成田⇒中部国際空港便にて無事帰路に。そんな訳で写真を整理して順次アップしようと思っています。終わりよければ全て良しと言いますがなんとも貴重な体験になりました。(写真拡大可能)
2016/02/27
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すっかりブログから遠ざかってしまいました~。今年もインド北西部のジャイサルメ-ルに撮影の旅に出かけることになりました。2月17日から8日間の予定です。今回は「マハラジャたちの故郷」だそうです。どんな出会いがあるのか・・・帰ったらしっかりご報告します。
2016/02/10
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暫らくのご無沙汰でした。まだまだ暑さが堪えますが残暑お見舞い申し上げます。昔からの親しい仕事仲間が新たな試みやライブを行うのでその様子の伺いも兼ねて先週の週末、久し振りに上京しました。●まずは吃驚、プランナーが7月中旬から四谷三丁目にスナック&バーを開店した事です。既に「二枚貝」として「うさうさ 右脳左脳占い」などの本も何冊か出版していて共同執筆した女性とのお店「二枚貝」を、全くの素人からの出発です。明晩ライブを行う、フリーになったクリエーティブディレクターとお店で待ち合わせ興味津々重い扉を開けると、落ち着いた雰囲気でカウンターがデンと構えボックス席もあるゆったりとくつろげる素敵な空間でした。何時もと違い、カウンター越しでの会話も新鮮?な働き振りです。久し振りの仲間達との語らいで、お酒も進み昔ながらの朝までコ-スに・・・。 ●彼は夜の8時から高田馬場でライブがあるのですが、昔から超人なので案の定、心配無用。そんなそぶりも見せずに、エネルギッシュな歌を届けてくれました。バラードからロック、ラテンなどとレパートーリーも広くバンドのメンバーは高校時代からの付き合いで、30数年来の息の合った仲間だそうです。彼の歌はカラオケではよく聞くのですがステージでボーカルとしての歌は格別。さすがに聴かせる歌に酔いました。絵しか描けない小生には楽器が弾けるバンドは憧れです・・・。8時から休憩を挟んで3時間ほどのライブでしたが、あっという間の楽しい大人の時間バンドにはファンもいて、当然彼らの知人たちとの時間の共有もご機嫌でした。
2015/08/25
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快適さや便利さを追い求め、飽食の時代に生きる我々が遠い向こうに忘れてきてしまった「忘れ物」を改めて探しに行った旅になりました。言葉が通じなくても面と向き合えば通じるコミュニケーション。絶えず何かに追い立てられている今の時代を考えるとおおらかで貧しさをものともせず、絶えず前向きに生きようとするそんな真剣な眼差しに出会うと何故かこちらも嬉しくなってきます。満ち足りた生活が慢性化している場所に生きている自分が「忘れ物」が何かを考えるいい機会になりました。この地方は2001年のインド西部地方大地震で全壊の村など大被害にあったところですが15年経った今もその傷跡は所どころ見受けられます。でも前向きに生きる姿は、それをあまり感じさせませんでした。そんなところにも、したたかに生きる強さを感じます。東北大震災もまだ4年。風化させずに被災地の一日も早い復興を願いたいものです。つい先日もインドのお隣ネパ-ルでも大きな震災が起き心痛む思いです。●早い復興を影ながら祈りつつ・・・。画像拡大可
2015/05/24
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画像拡大可いよいよ最後の小民族の村「ダネリ村」。2001年1月26日に起きたインド西部ブッジ地方を襲った大地震のため村は全壊したのですが、支援により今は復興した村だそうです。復興支援のプレ-トが村の入り口に掲げられていました。仕方がないのでしょうが復興住宅のため、どの家も同じ様な造りです。それにしても、全壊から良くここまで立ち直ったものです。ここも刺繍や織物の村で、その確かな技術が有ったからでしょうか!●女性達が着ている民族衣装はかなり煌びやかです。多分震災後に誕生した子供達でしょう。すくすくと明るく育ち、笑顔からは震災のかけらさえ見えません。今のモディ首相もグジャラ-ト州の出身で復興には尽力したそうです。
2015/05/19
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画像拡大可ブジョデ村では、男性が職人気質を丸出しに機織りに精出している姿を見て、頼もしさを感じ嬉しくなる。余りにゆったりとした時間を過ごす人(初老の人)に接していたせいだろうか?インドの女性のたくましくばかりが目に付いていたから・・・。ここは各戸に水道が整備されている。むろん洗濯機などは無いが豪快な手洗いによる洗濯風景があちこちに見られた。快晴にも恵まれ、ただロープを張っただけのところに干す洗濯物は太陽の光を存分に受け、カラッとした洗濯物の匂いが伝わってきそうだ。昼食の用意だろうか?おばあさんがなにやら仕度をしている。やっぱりカレ-が多いのだろうか!ホテルでも何種類かのカレ-にありついたが家庭のカレ-はどんな味なのか気になるところだ。●それにしても民族衣装の派手なこと!でもそれがさまになっている。
2015/05/15
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