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つい20~30年前まで、ちょっとした揉め事や争い事は、「水に流そう」という言葉で、〆ていたように思います。それほど、日本の水には浄化作用があって、いかなる汚れたものも洗い流すほどのパワーがあったのでしょう。ただ、残念なのは、昨今の世相、事件、事故をかんがみるに余りにもにもドロドロしたものが多く、いわゆる「水」の力できれいになるという代物ではありません。おまけに、その水さえが汚染されて久しく、元の鏡のような透明度を取り返すのは、容易なことではありません。豊かな山岳国、日本。住む人の心の汚れが、河川の輝きまで曇らすのは間違いないようです。
January 31, 2006
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社会の基本構造はあくまで<自由>思想が支配するもの。個々のセクション、たとえば・・家には、家訓。会社には、社是。学校には、建学の精神。といったようなもので、強く束ねられた絆が必要である。今の日本は、フリーではなく、ルーズな世の中ではないでしょうか。
January 31, 2006
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成長期と言いながらも、無理なことは避けて年齢にあった成長をとげなければなりません。以前(ずいぶん前)「心の時代」で、「さおりおり」の創始者 じょう(城?ラジオなので)ミサオという、92歳のおばあさんが言うには、松尾芭蕉の「山に来て、なにやらなつかし、すみれ草」という句の「なにやら」という言葉があるから、この俳句は400年も生きていると言っていました。このミサオおばあさんは、小生の祖母と同じ名前ですが、最初はお花の師範だったそうで、型にはまった教え方はまったくせず、一輪の花の、どこが一番美しいのか、それを自分で探した上で、いければ好いというものでした。自分のもっている感性で、自分なりの美しさを、生け花で表現することをおしえると、生徒がドンドンふえて、忙しくて病気になったそうです。この先生、聞かれたこと意外は、答えないをモットーにして、生徒自身が、美しさ探しを楽しむことを奨励したそうです。この考え方で、「さおりおり」を織るようになって、専門家から、あなたの織りは、縦糸が一本ぬけているから、売り物にならないと言われたので、逆に縦糸を何本もわざと抜いてつくったところ、何十年も昔のことながら、マフラーが一本9800円で売れたそうです。自分を型にはめないこと。自由に宝物さがし。この考えは、序破急守破離を早急に実行したもののようです。
January 30, 2006
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人生は時間。 樹木が年輪を重ねて老木になり、その樹木なりの樹齢をまっとうするがごとく、人生も、寿命を重ねていく。それだけでも意味がありそうに思える。もちろん、年輪をみると、北側の年輪のほうが、南側よりも狭い。日当たりの悪い時期は、樹木さえも太らないのは、動かぬ証拠であるように、人生も常に日の当たる平地とはいかない。小生は、人生のその苦しい時期のことを、ベンハーの「ガリー船の時期」と名付けている。いわゆる奴隷船に繋がれて、太鼓のリズムにあわせてオールを漕がされる時期である。しかし、歯を食いしばってオールをこいでいると、その肉体は強靭なものになり、その後、ベンハーをおとしめた宿敵メッサラとの、ギリシャ戦車競技の際に役に立つことになるのである。一見、無駄で、損のようなガリー船漕ぎの時代は、冬の時代であって、春や夏を迎えた場合、厳しい冬を過ごしたものほど、輝かしい春を作るのである。今の小生も、ガリー船漕ぎである。私なりのメッサラをやっつける為に。
January 29, 2006
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戦うものの一番の宝は、ストレスを持たない健康な体力だと思います。一番の敵はストレスです。人生とは、ストレスとの戦いかも知れません。ストレスはいろんなものを破壊します。例えば、JR西日本のようなイジメストレスの会社は、大変な破壊を起こしました。アメリカのような貧富の差のあるストレス社会は、犯罪大国、軍事大国です。ストレスを除外するには、やはりスポーツか肉体労働か座禅が良いようです。頭にのぼった血を下げるには、頭以外の行為で解決するのが良いようです。所詮、動物ですから、物ごと単純化するのが得策です。すぐに沸騰する小さなヤカンを、短慮で短気な人間に例えますが、リトルケトルでは、せいぜい自分のコーヒーくらいしか飲めませんが、大きなヤカンなら、何人分、何十人分のコーヒーがつげます。器が大きい小さいは、自分をヤカンに例えて、何人分のコーヒーがつげる大きさかを頭に描くと、だんだん器は広がるでしょう。何しろ、頭の中の器は、変幻自在ですから・・。暗示しましょう。
January 27, 2006
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先見性は、日本人はややもすると、目的のためには命を軽視する傾向があることを知っているからに違いありません。あらゆる<命>と<宇宙の力>が根源であって、日常の営みもそのベースの上に成り立つことを忘れてはいけないのでしょう。商売をすると、白色申告か青色申告で、確定申告をするのに、経費台帳をつけねばいけません。個人事業は、社長から総務、経理、小使いまで何でもやらねばいけません。きっと、セクション別に分担作業していたサラリーマンが楽だったとおもうことが、一度はあると思います。「一生、成長期」で小事のハードルを次々乗り越え、黄金人生をつかみましょう。
January 26, 2006
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信用取引と先物取引は、同じ事で、投資ではなく投機(スペキュレーション)です。投資とは、企業に資本投下して、その見返りの配当などを期待するものですが、投機は目先の値動き(トレンド)を利用して、一定の担保(証拠金)を収めれば市場参加できますが、証拠金の半額相当額が、損失計算になったとたんに、翌営業日正午までに損計算分を埋めなければいけません。これを追加証拠金(追証オイショウ)といいます。今回のライブドアの大暴落、連続ストップ安で、大量の損失を出した人が相当存在するはずです。逆に東京地検が査察に入る前に空売りをかけた人がいたら、大儲けです。そんな人がいたとしたらインサイダーでしょうが、売建ちも買建ちも両方出来るから、売りから始めたら下がれば儲け、上がれば損。ということです。買いしか知らない素人が手を出すと、手痛い大やけどをするという教訓でしょう。主婦が相場に手を出している様子がテレビで報道されたら、暴落の兆しのセオリー通りでした。
January 26, 2006
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資本主義とは、本当にまともなイデオロギーなのかと疑問にも思える。仕事の成果を数字に置換することによって、際限なく効率化できたように思えるのであるが、果たしてそうであろうか?時価総額やらコストというものは、合理化・数値化したかに見えたが、人間である経験則や、精神的苦痛まで数値化するのは至難の業であることを、忘れているのではなかろうか?機械や道具と、生身の人間様を同率に扱って失敗した独裁者や経営者は有史以来、数多であることを、学ぶべきではなかろうか。
January 24, 2006
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物事をなす場合、土台に愛情がなければ、その上に何を積み上げても不安定である。今の日本は、土台を喪失してゆり動く高層ビルディングのような状態である。ビッグバン、グローバル化の連呼のもと、しっかりした土台が液状化現象。その結果いろんな事故事件が多発する。 金銭が土台の世界は、横揺れに弱い。なぜなら、金銭資本は道具に過ぎず、道具は人間が作ったものである。慈悲やら愛といった形の存在しない価値観に優先しないからである。
January 23, 2006
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中庸を基本から失った時点で、バランスを失った世界が出現するという寸法である。早く中心を出さないと、あっちこっち(遠近)と彷徨うことになる。
January 23, 2006
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地獄の苦しみとは、地獄から抜け出そうとするから、苦しいのであって、安住しようと思えば、住めば都である。あの閻魔大王も地獄の入り口の宮殿に住まっている住民の一人である。苦しさとは、摩擦であって、向上心の表れであり、芥川龍之介の蜘蛛の糸に見られるように、人を蹴落としてまで光明の世界に向かって脱出を図ろうとするものである。今の環境が、地獄か極楽かを決めるのは、閻魔様ではなくて、実は自分の心の動きであるが、この自分の心の向きを決めているのは、何だ。ひまわりが太陽に向かうように。
January 23, 2006
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ドンドン新しいものに挑みましょう。死ぬまで成長期。成功とは、失敗の山の中に埋もれた宝物を、見つける事かも知れません。よって、失敗をおそれたり、失敗に立ち止まったりすることこそが失敗ということでしょう。それに気づくだけでも半分成功者。損と失敗は似ているが、同一ではない。損害のない失敗こそ、成功の素です。激流は、どんな堰をも乗り越える。
January 19, 2006
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昔は、物事のケジメをしっかりしていたものです。誕生祝い、入学祝卒業祝い、就職祝い、退職祝い、葬式、等。始まりとお終いには、必ず仰々しい式を行っていました。それが、簡素化されたものだから、なんとなく、ラベルのない裸ビンの飲み物のようです。人間であれ、動物であれ、家であれ、会社であれ、車であれ、出会いと別れはつきものですが、常に感謝の念をもって、出迎え、また別れを惜しむという式たりさえ行えば、きっと豊かな心を得ることでしょう。また、非常に良いものが出来たとか、非常に儲かったとか言う場合には、常識なことより、非常識なこと、つまり失敗に近いことをやった場合に遭遇するようです。何とかと何とかは紙一重といいますが、常識のなかには、すでに新しいものはなく、非常識のなかに、非常に新鮮なものが詰まっているようです。
January 18, 2006
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日本人は、物好きな新しい好きが一般です。欧米に較べて伝統を大事にする方が稀のようです。車を新しくするのも、車を買うという行為によって、新しさを買っているのでしょう。新鮮さ。これは大切なことです。ゴミに近い存在は汚染です。掃除と手入れをすれば、いくら古くてもゴミにはならず、むしろ愛着が生じます。愛着のある宝物か、新鮮なものか。これ以外は汚染につながりますので、即排除でしょう。
January 17, 2006
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団塊の世代は、定年間近か。都会に住んで、田舎でも畑仕事で、2地域を往来するという二地域居住をやる人もあると言う。それも元気なうちだけ出来るでしょう。せいぜい60代までかもしれない。都会に住んで、たまに田舎に出るか・・田舎に住んで、たまに都会に出るか・・どちらかに定住するか、選択に迷よっている世代のようです。
January 16, 2006
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相場も博打、保険も将来のリスクに金をかける意味あいから言うと博打に似ています。外すか外れる、人生、結婚、就職もすべて、博打といえば博打です。明日はなにしろ、まだ闇の中。夜明けがきて、はじめて光の世界ですから予想は難しいです。終わって初めて分かる世界です。まだまだ人生結論をだすのは早いです。多くをがんばりましょう。
January 15, 2006
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すべてのものは、川が上流から流れてくるくるように、未来から流れてきて、過去になってしまう。未来を見る目、つまり先見性が必要である。それには、前向きな姿勢でもって、日々の生活に向かわねば、挫折してしまう。前向きの姿勢というのは、心の充溢した状態であるから、目標はお経をあげるように、心に刻んでいくのが良いと思います。
January 14, 2006
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お互いが後ろ向きでは、キャッチボールもできない。自動車の運転でも後ろ向きでは、すぐに事故ってしまう。ところが、人生後ろ向きに生活している場合がよくある。過去に向かっても何もすくい上げるものはない。あるとしたら反省くらいである。
January 13, 2006
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年を拾うことにより、怖い物が少なくなるのは、一番怖いはずの死というものが近づくために、他の事は、どうでもよくなることかも知れません。子供を持って、親の苦労を知る今日この頃。積極は力。春遠からじです。
January 12, 2006
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どんな形であろうと、人間社会の基本は人間関係だと思います。国際関係といっても中身は人間関係。宗教も政治も基本は人間関係。人間といっても所詮動物。動物とは動く物。動く物はじっとしていては動物にはならない。あくまで基本は動かなければいけないし、良く動く人は、良い人間と評価されるということでしょう。空を飛ぶ法王と評価された、去年亡くなったポーランド人のパウロ2世は、よほどの馬力の持ち主だったことでしょう。積極的に生きていくには、知力体力判断力がないと、無理をきたしますが、人間関係を上手くもっていくには、相手の意見を聞く耳を持つことのようです。目や耳、口はなんのためにあるのか。すべては人間関係のためといっても良いでしょう。生きている限りどこへ行こうと、どこへ引越ししようと人間社会であるから、人間の強さ、弱さ、ずるさ、汚さをはっきりさせたうえで、周りの人間と積極的に接触することが大切だと思います。いつも同じ人間関係では、マンネリをきたすことがありますが、これは独楽でいえば、回転が鈍くなった状態だろうと思います。精神的な若さを失わず、この世を味わい尽くすと言うくらいの食欲の旺盛さがあれば、死ぬまで成長期だと思います。まだまだ成長しましょう。
January 11, 2006
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相場用語で、提灯筋という言葉があります。相場の世界はいわゆる闇夜なので、闇夜の道は、よほどの玄人でないと、溝にはまったり、転んだりして、怪我をしてしまう。それで、素人が安全に歩くには提灯が、現在では懐中電灯が必要です。相場の世界のみならず、世間は闇夜です。それを勉強や努力によって、闇夜でもみえる、夜目というのができます。ベテランの熟練者は、「目をつぶってでも出来る」というのは、その夜目をもっているからでしょう。また新しい世界に飛び込むには、新しい夜目を作るまで、当面懐中電灯に頼らねばいけません。通りなれた夜道ならなんのそのでしたが、新しい夜道は穴ぼこの位置が分かりません。その闇夜の道の先に、訪ねる明かりのついた家が目標としたら、どんな明かりの家にたどり着きたいのか明白にしていないと、ただ暗闇を歩き続けるということで終わってしまいます。 決心が必要です。決心とは、神との約束、神への祈りだと思います。おそらく、神は決心した人には弱く、道を開いてくれるでしょう。もともと、迷っている人には、迷路しか与えないでしょう。太陽神も今という「瞬間」しか、照らしてはくれません。明日はまだ闇の中、昨日も闇の中です。それで、坊主は瞑想して、夜目を鍛える訓練を暗示するのでしょう。ただいまは、サーチライトで、昼間のように安全な道に変えることができます。サーチライトを持たない人間は、人生につまずくばかりですので、夜目を養うか、サーチライトか、どっちかを手にせねば、この世は、お先真っ暗という結果になると思います。さて、あなたにとって、私にとって、サーチライトとは何か。これも問題です。サーチライトを手に成功した人の話や自伝を読むと答えがあるのでしょう。
January 10, 2006
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めったに侵略のなかった日本は八百万の神が存在しますが、戦争の絶えないヨーロッパは一神教でなければ国がまとまりません。キリスト教とイスラエル教に分かれるが、唯一両方が共存している国が、スペイン。情熱の国スペインのいわれです。食事にしても、日本人は栄養のことしか言わないが、西洋人は、食事を誰とするかが問題で、楽しく愉快に食事をするのが一番の栄養です。仕事にしても、環境にしても、人間が主人公ということを起点に選択すれば、ストレスは減るという物でしょう。山を愛する人は、やはり山に行けば会えるし、海を愛する人はやはり、海辺を歩いていることでしょう。コーヒーを愛する人は、やはり喫茶店によく行くでしょう。野球を愛する人は、球場に足を通わすでしょう。人生とは、自分の居場所の確保でしょうが、なかなか皆なが願うことは競争率が高いので、「人の行く裏に道アリ、花の山(相場用語)」が案外、人生の抜け道かも知れません。
January 5, 2006
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「金の斧」の童話のように、目先のひかりもので、決定すると結果はよくないということ。仕事は鉄のように硬いものが、金のような派手な仕事に優先するということでしょう。
January 1, 2006
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