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この地球という星は、結局・・欲しいものを求めるための星かも知れない。
May 31, 2006
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感覚と言うか最近多用される感性というか、農業や製造業の一次二次産業以外の商売は、わくわく感が重きを占めるようである。人生が博打でありゲームであるのを、いかに安定させるかが智慧であり、政治だった。 ところが、現在は政治家がゲームを奨励している向きもあり、ゲームは、面白いものではあるが、疲れるものである。なかにはゲームが嫌いな人もあり、それが農業時代には大半であったが、農業人口が減少するにしたがって、堅実社会も崩壊していった。 今の社会の逼迫感は、育てる社会が奪い取る社会に変貌したことによるものが大きいと思う。仕事にわくわく感を持てる人は、現社会にむいている人かも知れないが、一方にのめりこまない冷徹なブレーキを持たないと、お騒がせのホリエモンや村上ファンド、それに一連の建築偽装の面々のようになりかねない。
May 30, 2006
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物を作るのは人間のため。人間に関係のないものなど存在の仕様がない。人間は進化し、人間の道具も進化する。これが時代の進化。歴史の流れであるとすれば、今の人間を探求することが、時代の探求とも言えるし、スピードと便利さを追求してきた歴史の頂点が、「今」の連続である。 まず、自分という人間を分析して、何を欲し何を願うのかをスタート点に、生きている原点をあからさまにする事によって、一本の道筋が現れてくると思う。道が複数のままだと立ち往生ということになる。時間の流れの中を流されるのではなく、泳いでいる意識を取り戻すのが、生きている実感を取り戻す事だと思います。
May 29, 2006
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憂さ(うさ)というのは、生きていくうちに湧いてくるもので、憂さ晴らしが下手な者が、憂さを溜めてしまって犯罪に走るのもいます。人生の達人は、小さな憂さ晴らしから、大きなものまで上手に消化する人を言うのかも知れません。
May 26, 2006
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孔子の儒教が、理想の仁を説いたのに対して、現実の本来の人間の道を、老子、荘子が、道教として説き、「風とゆききし、雲よりエネルギーを取る」これを風雲児というらしいです。「人の行く裏に道あり、花の山」という相場用語は、商売にも応用できるようです。素人は高くなったときに手を出して損をします。
May 25, 2006
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よく「人生は暇つぶし」と言われます。その意味する深い部分は、人間は、忙しすぎても、暇すぎても、金持ち過ぎても、貧乏すぎても、大変。報酬の割りに忙しいと不満を喚起し、報酬が、仕事量と合致すれば満足が生じる・・という事なのかもしれません。人間は、どんな仕事であろうと慣れれば上手くなるのは必定です。報酬とのバランスで、長く続くか、あほらしくなってやめるかの違いだと思うのです。どんなことでも、長く続けるには、忍耐が必要ですが、この世の中は、いろんな「必要」を与えたり貰ったりりのキャッチボールにも思えるのです。
May 25, 2006
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先日、自民党が、千葉の7区の補欠選挙で惜敗したことで、世の中少し変わったのかというと・・自民であろうが、民主であろうが、国民をダシに権力闘争やるばかりなので、大した変革は望めそうにありません。パフォーマンス時代になって、堅実な政治家が影を潜めているようです。人間を耐震構造に例えたら、堅実な人間ほど、時代の変遷に耐えられるのではないでしょうか。
May 25, 2006
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物を売る場合、長い付き合い、その場限り、会員さん、一元さんといろいろでしょうが、基本は需要探しですので、暑い場所には冷たいものを、寒い場所には、暖かいものを、金持ちには高級品を、貧乏人には安いものをというように、マニュアル化出来ます。 漁師は、自分の釣り場を大切にするように、セールスマンは、詐欺師ではないので、顧客を大事にすることが、顧客が口コミセールスしてくれる場合もあります。詐欺的な商売には、絶対口コミはあり得ません。口コミがあるか否かで、売っているものの評価が決定すると思います。
May 23, 2006
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最近は酒はコンビニでもスーパーでも、販売権の取得が簡単になったので、本来の流通がかわって、酒屋さんは大変、米屋はもっと大変だといっていた。 時代がかわると、いろんな利権が変わる。石炭が石油に代ったように、動物だけが生き死にするのではなく、すべてのものが生き死にしていることが理解できる。 サルトルは、人間は時代とともに生きているといったそうであるが、昭和とともに生き、昭和とともに去った、美空ひばりや裕次郎をみると、時代というエスカレーターに乗った人間は、そのエスカレータが終る時、終る運命かも知れない。 サーファーが、大きな波をつかむように、時代のうねりに上手く乗っかったものが、成功者であり、その波が終るまでヒーローである。 アップルもマイクロソフトなどは、ビッグウエーブをつかんだ、時代の申し子と言える。
May 22, 2006
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ほこりは、少しほって置くと、すぐにたまるもので、ほこりのつかない樹脂や家財があればいいのにと、長いあいだ勘違いしていました。最近は、埃にたいするイメージがかわり、埃は水分が足りないよという、センサーの役割をしているように思います。いろんな家具や、廊下、柱にいたるまで、乾燥すれば水分をほしがっているように思える。プラスチックだって干からびたら変色する。埃をなでることによって、我ら人間の生活を支えてくれる<物たち>に感謝です。
May 22, 2006
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この世には、無駄な者はないはずである。神が創ったものに無駄なものがあるべくもない。何らかの意味があり、如何なるグロテスクなものでも神の造作である。 ましてや、人間のなすことに無駄などありようがない。神さえ無駄がないのに人間に無駄をつくる余裕など有様がない。人間、失敗や挫折は、ショッチュウあるものである。1万円を損して悔やむ者。1000万円損して嘆く者。様々である。得はこころを温かくし、損はこころを淋しくする。
May 21, 2006
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猿は実のなる木しか登らない。動物はそれほど真剣に生きている。
May 21, 2006
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子供の成績の良し悪しは、IQによるものも多いが、それよりもなによりも、子供にとって、その勉強に必要性があると考えるか否かで、やる気が違ってくると思う。勉強の多くは未来将来のために役立つもので、ガラガラ遊びをやっている子供に、それ因数分解だ二次方程式だといっても、興味の湧くものではない。であるから、積み木のようにこつこつ順をおって、育てるしかない。 同様に、大人になっても、興味のないことには熱意は湧かない。興味のあることに、ドンドン鍬を入れて、深い井戸を掘っていけば水も湧いてこようものである。興味のある教科から成績が上がるようにすべては、興味あるものを追求することによって、それが強みに変化すると思う。
May 20, 2006
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その運命をつかさどるのは、先祖のような気がする。子孫が面白い事をしていると、子孫の応援にあの世からパワーを送ってくれるのではないかという気がする。大したことがなければ、ご先祖もまた一眠りして、次期子孫到来に期待するということではなかろうか。ご先祖を楽しませるべく、人生を謳歌せねばいけない。昔は「ご先祖様に申し訳ない」という言葉をよく使っていたものである。
May 19, 2006
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「蛋白質が足りないよ」というコマーシャルが流れたのが昭和の30年代。今、平成の時代。蛋白質が充分満ち足りたら、人間が、淡白になったようです。
May 18, 2006
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何の意味があってやったことか合理性がないものであるが、合理的な世界には不合理な事件がおこるという矛盾が見えてくる。 例えて云うと、昔は、いくら好き合っているカップルでも、プロポーズされても即断ではなく、ワンクッション置いたものであった。であるがこそ、その結婚に厚みが出て、長続きするというための儀式があった。学校の入学式でも、長い儀式で、その入学に厚みを付け加えることにより、より一層の精進を喚起した。ところが、敗戦後の合理主義で、儀式がすべて無駄なものとして扱われたので、現在のようなうすっぺらで、カネだけの拝金主義の世界に転落する。いろんな、不合理な事件の生みの親は、実は合理主義から生み落とされているというパラドックス。儀式やおまじないといった因習が、実は、安定した社会を形成していた一面もあるということに、気がつかなければ、藪の中に迷い込むことになる。簡単な結びつきは、簡単に離れ、しっかりしたものは、しっかりとする所以である。
May 17, 2006
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運命とは、神の分け前かも知れない。ひとつのものを細かく分配するのだが、人口が増えるに従って、幸福の度合いが細かく細かくなってしまって、粉末状態の幸福しか味合えないまでになったのかも知れない。大勢の人があつまる場所は、祭りに近い。つまり神のいる場所、神社でも催しがマツリゴトであった。都会の喧騒は、現在の祭りで、年がら年中まつりである。祭りにするにはいろんなモテナシがなければならない。釣り師が撒き餌をするように、餌をまかねばならない、スーパーで客寄せ卵をするように、そして、毎日足を運んでくれるうちに、よその店に行かないように、排他的な宗教のような引きつけが、どんな商売にも必須条件かも知れない。
May 14, 2006
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この世は、人気商売。人気が出れば商売になる。野球でも人気者になるために活躍する。営業マンも人気者になるには、成績を上げねばならない。他人以上の成果をあげれば、人気もうなぎのぼりである。政治の世界でも、小泉人気は、奇抜な人事で飾って得票したから大勝して人気者総理になった。逆に 人気とは、人が喜ぶことを与うる事。だから人が喜ぶことを巻き散らかせる人。これを喜捨という。人を喜ばすには相当タフでなければいけない。滅私奉公の身を捨ててこそ救われるの精神でなければならない。どんどん、捨てるように売っていくことこそ、商売うなぎのぼりと云える。
May 14, 2006
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何となく晴れない気持ちの日々です。五月病なんて・・若かった頃も今も無縁だと信んじていませんが・・まぁ、まもなく五月晴れになると信じています。五月が丑(憂し、愛し)月、正月に見えたりします。
May 12, 2006
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偉くなればなるほど馬鹿になる。多くの国会議員の先生がたは、コピーやファックスのやり方も分からないのが多いとのこと。おしゃべり以外に興味なくなり、あとは全部秘書にまかせる。 よって、贈収賄の問題は、あとをたたない。最近の永田議員のメール問題にしても、メールの真贋を見抜けない事。情報提供者西沢孝の人間を見抜けなかった事。 東大、大蔵官僚から国会議員のエリート街道まっしぐらの人間がこのテイタラク。おそらく、エリートの称号をつかんだ時点で、よほどの人間以外は、堕落の道にはまって行くのでしょう。
May 8, 2006
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香港から帰国して胃が重いです。胃袋を休息させるのに、晩御飯と朝飯を抜くと、18時間は休息を与えることが出来るとのこと。今まで胃袋を休ませることなど考えたことも無かった。呼吸は一分たりとも休めないが、馬鹿も休み休み云わねば喧嘩になるし、すべてのものには、間や休息は欠かせないものです。
May 7, 2006
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