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昨日「致知」4月号が届きました。[特集]稲盛和夫に学ぶ人間学 という嬉しいテーマです。というのは私は稲盛さんの生き方に共鳴しているからです。私はこれまでに稲盛さんの著書を数多く読んでまいりました。稲盛さんの教え「利他」に関し、私は常に意識して行動しているつもりですが「言うは易し、行うは難し」です。今も時折、人生において迷いが生じた時に稲盛さんの著書を読み返しています。稲盛さんについては、少数ですがアンチが存在します。あくまで私が稲盛さんについて話を持ち掛けた方限定ですが。つい先日もJALに勤務する社員(若手)に訊きましたところ「(稲盛さんに対する現在の社内評価について)賛否は半々です」とのこと。まあ稲盛さんがJALの再建に携わってからもう10年以上経過しますから、余程深く関わった方以外、その記憶もうすれるのでしょうから仕方ないのかもしれません。稲盛さんが鹿児島県出身であることは有名です。もちろん郷土の英雄・西郷南洲(隆盛)先生を敬愛しておられます。私が稲盛さんに関心をもったきっかけは、その点が大です。「致知」4月号は稲盛イズムがふんだんに掲載されているでしょう。(実はまだ読んでおりません)これからこのブログでも、私の拙い感想を披露できればと考えております。その前に、出版社に許可を取ります。私はこれまで残念ながら、稲盛さんにお目に掛かった機会に恵まれたことはありません。ただ3度だけ「お見かけ」したことはあります。1度目は鹿児島市西郷南洲顕彰館にて。稲盛さんが西郷南洲顕彰会の顧問に就任された年に、顕彰館を訪問されました。その際、私も館内におりましたので、遠目に稲盛さんのお姿をお見かけしました。2度目は鹿児島市宝山ホールで催された稲盛さんの講演会会場で。確か大河ドラマ「篤姫」放映で鹿児島に観光客が押し寄せていた頃と記憶しています。3度目は城山観光ホテル内で。本ホテルに宿泊された方はご存知と思われますが、館内にお風呂(温泉?)があります。ここの露天風呂に漬かりながら眺める朝の霞がかかった桜島を眺めるひと時は、まさに至福の瞬間です。明治10年9月24日早朝、すぐ近くに位置する城山ふもとで最期を迎えた南洲先生たちに思いを馳せると、時の経過を忘れてしまいそうになります。その年も早朝から露天風呂に浸かっていました。すると一人の大柄な老人が湯に足を踏み入れました。私はその時眼鏡を外していたので、その老人の顔を見ることなく、ただぼんやりと映る桜島を眺めていました。その後、浴室を出てタオルで身体を拭いていると、先ほど露天風呂をご一緒した老人が脱衣所に戻ってきました。その時点で私は眼鏡を掛けていました。「さっきの大きなおじいさんか」と遠慮がちに顔を向けると、何と稲盛和夫さんでした。さすがに場所が場所だけに話しかけることもできず、脱衣所を後にしましたが、TVや書籍などで稲盛さんをお見かけする度に当時の」ことを思い出しております。私が北海道南洲会を設立する数年前のことですので、今から10数年前のお話です。
2021.03.07
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初めに断っておきます。私は金銭及び金銭を稼ぐことを否定しておりません。生きていく上で金銭は必要不可欠なものであります。しかしお金に左右されるような生き方をよしとする生き方は否定しております。お金のために人を騙す、裏切る。友情、信頼、信念はお金で買えるような、軽いものではありません。山崎照朝さんは金銭には恬淡としておられました。前回触れた山崎さんの著書「無心の心」の印税を全て極氏会館本部に寄付されました。現役を引退した後、何度か空手の指導をしていた時も謝礼は一切、受け取らなかったそうです。それどころか、運営費などご自身が持ち出していたそうです。何故そのような純粋な姿勢を貫くことができたのか。私が想像するに、山崎さんは空手に対しお金儲けの手段ではなく、ご自身の「宝」と捉えておられたのではないでしょうか。私たちが生きていくうえで、親子関係、友人関係を円滑に進めていくには打算の入り込む余地はありません。仕事にはある程度の打算も必要でしょう。例えば「あの顧客とどうしたら契約を結べるか」、「どんなプレゼンをすればライバル社に勝てるのか」など。しかしそれは所詮、仕事です。極論すれば人生の通過点に過ぎません。自分が心底大切にしている「宝」は自分が生きる上で誰にも侵されない聖域です。山崎さんはそのように生きてこられたので、空手でお金を稼ぐという概念さえ持ち合わせておられなかったのでしょう。西郷南洲先生にも山崎さん同様、金銭に対する多くのエピソ-ドがあります。明治維新樹立後、ご自身の意志とは反して明治政府の参議に就任しました。その給料が推定で数千万円です。他の参議、政府高官が贅沢の限りを尽くすなか、西郷先生は日本橋の長屋を借り、住み込みの下僕たちと質素な生活を続けておられました。給料のほとんどには手を付けず、困っている人に差し上げています。当時の西郷先生であれば、どのようなことも思うがままにできたでしょう。不正蓄財はもとより、恣意的な政府運営も可能だったでしょう。しかし西郷先生はそんな邪な発想を微塵も持ち合わせていませんでした。西郷先生の脳裏には自分を取り立ててくれた島津斉彬公、戊辰戦争で亡くなった多くの同志の姿が焼き付いていたのです。「彼らを裏切るような人間にはならない」。そう常に自分を戒めていたのでしょう。そんな西郷先生を疎ましく思う政府高官も多く存在していました。中にはは西郷先生を「変人」とみなす者も存在していたでしょう。西郷先生にしてみると、明治政府が発足し体制も安定せず、国民の生活もまだまだ豊かでないなか、まず上に立つ者が質素な生活をすべしと考えておられました。西郷先生からすると、贅沢を恥じることのない政府高官こそ「変人」とみなしておられたのではないでしょうか。西郷先生は「自分の持つ権力をお金に変えなかった」のです。今の政府中枢にいる政治家とは全く異なる思考です。そして悲劇は彼らは西郷先生の足元にも及ばないということです。(能力的にも人物的にも)その点が今の日本人にとって最大の悲劇なのですが。とはいえ今の世において、山崎さんのような高潔な武道家が存在することに光明を見出しております。
2021.02.23
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伝説の空手家の域に到達すると表現するに相応しい山崎照朝さん。前回記しましたが私は直接、山崎さんとお話したことはありません。西武線所沢駅のホームで、そのお姿をお見かけした程度です。しかも1度きり。ただ私の友人が現在も山崎さんと親しくしております。その友人は某新聞社に勤務しており、かつて記者時代、山崎さんの叔父にあたる方の紹介で知己を得たそうです。その叔父さんにあたる方は、北海道を代表するワイン会社の創業者です。私の友人は元々、この方の記事を書くため取材に訪問した際、「私のことなら照朝がよく知っているから連絡を取ってみたら」と提案されたことが山崎さんとの交流の始まりです。私は友人から時々、山崎さんの人となりを聞いていました。その山崎さんの生き方が私の琴線に触れました。「(山崎さんの生き方は)どこか西郷南洲先生の生き方に似ているな」とかねてより認識しておりました。そういえば私が中学生のころ、山崎さんはご自身の経験を記した「無心の心」という本を出版されました。当時の私は勉強そっちのけで、山崎さんの自叙伝を何度も繰り返し読みました。恐らく、学校の教科書を読む回数を上回っていたことでしょう。「無心の心」は山崎さんの空手選手(武道家)について、スポットをあてておりましたので、人生の奥深くまでは記されていなかったと、記憶しています。私が今回、「力石徹のモデルになった男」を読み、空手家としての山崎さんはもとより、崇高な生き方を貫いた「偉人」に該当する立ち居振る舞いに感動を覚えました。もちろん何度も何度も読み込んでいます。そして先に紹介した新聞社勤務の友人にも、「力石徹のモデルになった男」の出版を知らせました。友人はこの本の出版を知らなかったようです。早速購入し、彼が書いた過去の記事を送ってくれました。友人の記事そして「力石徹のモデルになった男」のなかで、山崎さんは「俺のことを変人と言う人は多い」と述べておられます。私は山崎さんを全く「変人」とは思いません。それどころか「私が目指す人物像」そのものであると、断言することができます。それは繰り返しますが、山崎さんの生き方が、あまりにも西郷南洲先生のそれに類似しているからです。最も類似している生き方は、金銭に対する接し方です。西郷南洲先生は権力をお金に変えませんでした。山崎さんは(自分が命を賭けた)空手をお金に変えませんでした。この解釈については次回お伝えします。
2021.02.21
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以前、スーパ-ボランティアの尾畑さんと西郷南洲先生(以下南洲先生)の共通点について記しました。今の無機質な集合体と表現しても差し支えない日本において、南洲先生のような言行一致の人は極めて少ないと私は意気消沈しております。そのようななかで、まれに南洲先生と同じ精神の持ち主に出会うと、感動を覚えてしまいます。それが直接の出会いであれ、書籍・ネットの中であれ、嬉しくなります。今回は50歳以上で空手経験者及び空手ファンであれば、誰しもその名を認知している空手家を紹介させていただきます。南洲先生には、空手の稽古に汗を流したという逸話はありません。幼少時、争いごとに巻き込まれ腕を切り付けられた結果、腕が上がらなくなった南洲先生。以来、剣の稽古が叶わず、学問に没頭たことは有名なお話です。しかし南洲先生が、朝から夜まで学問のみに生きた方かというと、そうではありません。南洲先生は相撲が大好きで、ご自身も稽古に熱中されました。何と当時の力士と互角の勝負をされたとか。江戸末期に於いて、身長180㎝は相当大柄です。体重も重かったですから、激しい取り組みであったことは想像に難くありません。更に力士や周囲の力自慢の男性と、大きな石を持ち上げ、力比べをしていたそうです。今で言うと重量挙げや筋トレといった内容でしょうか。現在も筋トレを楽しんでいる私も、筋肉を強靭化する快感を理解することができます。さてそろそろ本題に移ります。昨年出版されたある空手家について書かれた本が今回のテーマです。記憶は定かではありませんが、昨年の北海道新聞で、どなたかが論評されていたその本に目が留まりました。タイトルは「力石徹のモデルになった男」です。力石徹については今更、説明不要と思います。明日のジョ-の主人公・矢吹丈の好敵手です。その力石のモデルになった方は山崎照朝(てるとも)さんです。山崎さんは極真空手の猛者にして、第一回オープント-ナメント全日本空手道選手権大会の優勝者です。またキックボクサ-としても大活躍され、向かうところ敵なしの実績を残されていらっしゃいます。空手経験者には理解できると思いますが、空手とキックボクシングはルールが大きく異なるので、選手として双方の大会(試合)に出るなどとは、無謀な行為です。空手の試合では顔面攻撃を許可されていません。対してキックボクシングは顔面への攻撃あり、肘での攻撃もありと顔面への防御が不可欠です。山崎さんは同時期にこの二種類の大会(試合)で輝かしい成績を収めていらっしゃるので、もはや「天才」と評しても批判する人は存在しないでしょう。私は気分が乗らない時、山崎さんの現役時代の試合を観て、自分を鼓舞するようにしております。その戦い方は惚れ惚れするような芸術的組手です。柔よく剛を制す、小が大を制す。まさに武道空手です。それでいて向き合った相手が山崎さんの気迫に押されているのか、交代することしばしば。私は山崎さんと面識はありません。しかし今から30年くらいまえに、所沢駅でそのお姿をお見かけしたことはあります。その時私は「柔らかなオーラの持ち主」との印象を強く受けました。その時の山崎さんは、柔和な表情を湛えていらっしゃいましたが、隙の無いまさに近づくと鋭利な刃物で切り付けられるかのような風圧を受けるかの如くでした。当時の私は既に空手から足を洗って(?)いましたが、山崎さんのお姿を拝見することができただけでも、本能的に感動を味わいました。次回は山崎さんの生き方について記します。
2021.02.11
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昨日記した国会議員による深夜のクラブ訪問について、新展開がありました。公明党の議員は辞職。自民党の議員は離党。おまけとして2名の後輩議員が付いてきました。自民党は今回辞職した3名の選挙区に、別の候補を擁立するのでしょうか。それとも離党した3名が無所属で出馬し、その結果、当選の暁には復党させるのでしょうか。いずれにしても緊張感に欠ける行為ですね。対して公明党は厳しい制裁を科しました。もともとスキャンダルに対して厳しい対処を厭わない政党ですから、私はこの問題が発覚してから「この議員は辞職だろう」と確信していました。もう相当昔の話ですが、私の中学生時代の同級生の父親が市議会議員をしておりました。しかし、私が高校生の時に引退してしまいました。まだ年齢も若く、健康に問題が発生したわけではありません。後から聞いたのですが、私の同級生が高校進学後、少しグレてしまい素行の悪さが公明党幹部の耳に入ってしまったそうです。そのため所属する公明党から引退を迫られたという顛末です。私はその話を聞いて公明党の厳しさに驚きました。自民党もそれくらい厳しければ、少しは信頼することができるのですが・・・・・・。
2021.02.01
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海外では新型コロナウイルス用ワクチン接種が始まっております。副作用への懸念から日本国民の半数は「様子をみてから接種したい」との考えが多いようです。いずれにしても、もうしばらくは「蟄居」状態が続くと私は考えております。北海道南洲会の活動も秋までは休止を余儀なくされるでしょう。しかし、衣食住において何の不便がありません。それだけでも「有難い」と感謝しております。それどころかこのような時期ですから、読書に時間を割くことが出来ることに喜びを感じております。さて衆参本会議では与党野党間で丁々発止が繰り広げられております。野党議員の「総理の言葉は心に響かない」発言に、色を成して反論する総理。確かに総理の発言は心に響かないですね。もっとも官房長官時代に「答弁を差し控える」だの「個別の案件にはお答えしかねる」を繰り返してきた方ですから、今更驚きません。それ以上に呆れたことは与党国会議員のクラブ訪問。国民には「接待を伴う飲食店は控えてください」、「なるべく外出を控えて」とお願いしているにもかかわらず・・・・・・。問題のお二人は党の役職を辞任したそうですが、議員辞職すべき失態です。言動一致とはかけ離れた行動をとっているのは、このお二人だけではありません。こうした「雰囲気」から、権力をあまりに軽く扱っている姿勢を見て取ることができます。政治家が所有する権力とは国民、国家を守るためのものなのではないでしょうか。いつから政治が無気力、無機質そしてその使い方に恣意性を帯びるようになったのでしょうか。昨年10月、私の大学の同級生からメールが届きました。彼は現在、在京大手TV会社に勤務しています。新人の頃、首相官邸担当で毎日、夜のニュ-ス番組に登場していました。その彼から権力について熟考させられる内容を知らされました。当時の彼は宮澤喜一首相の番記者でした。あるとき宮沢首相から次のような発言を聞いたそうです。「権力はなるべく行使しない方が良い。権力行使していたことを後で気付くくらいがちょうど良いんだ」。同級生の彼は更に続けます。「(宮澤さんは)権力とどう向き合うか真剣に考えていた。権力に対して常に謙虚であった。その点は立派だった」と。私の想像ですが宮澤さんは権力の行使に対し、常に自問自答されていたのでしょう。もちろん、この10年近く権力を示威的に行使されてきた野党の責任も大です。私が好きな政治家の一人である三木武吉は、たった一人で今の総理など比較にならない権力を持った当時の首相吉田茂に立ち向かい、首相の座から引きずり下ろしました。そんな気骨ある政治家、今の日本に存在しません。言い換えれば、その程度の政治家を支持してきた国民のレベルはそれ以下ということです。私も自分に対し叱咤しております。
2021.01.31
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物騒なタイトルですが、決して奇をてらうことを意図しているわけではありません。今月も半分が過ぎ、年明けの通勤・仕事の疲れが出てくるころです。私も仕事初めから地下鉄通勤を再開しています。(本日は車での通勤でしたが)今日は早めに帰宅し、9時には就寝の予定でした。頭も身体も本調子ではなく、パソコンに向かいこのブログを書く気にもなれませんでした。しかしメールチェックしたついでに検索した記事に目が留まってしまいました。以下引用させていただきます。藤井聡教授 菅内閣を支持する人々の理由に「唖然」 1月15日藤井聡京都大学大学院教授が15日までのツイッターへの投稿で、菅内閣を支持する人々の理由に「唖然とした」と記した。 藤井教授は「唖然としました…菅内閣を支持している人が未だ4割程度おられるのですが、彼等が選択した支持理由トップ項目がナント 『特に理由はない』と投稿」。「41.8%もの人が理由無く菅政権を支持してるのです 理由があるならいざ知らず、民主国家の国民としてこんな事でいいのでしょうか…?」と疑問符を付けた。 別の投稿で藤井教授は「ちなみに『自民党だから』は約2割。つまり野党がダメだからとか自民党だからですらなく、ホントのホントにただ理由無く菅支持だという方が4割以上いるのです。もうこれって、民主国家として末期的なのではないかと…」と懸念を示した。この藤井さんという方、国土強靭化提唱の第一人者と私は認識しています。(間違っていたらスミマセン)建設業界を熟知した私にとってすら、考えに相違がある方です。しかし上記のお考えには全くの同感です。平素私がここで主張している如く、この国の民は劣化どころか思考停止状態に陥ってしまいました。ただ何となくという理由で自国の政権を支持しているのです。(本調査の対象が明確ではないのです.いやしくも自身が住む自国のトップの言動をチェックする姿勢は、義務であり権利でもあります。それを何となく判断することに恐ろしさを感じずにはおれません。私がここ数年、気になっていることにツイッタ-のコメント欄があります。その内容を精査しているのか否かわかりませんが「いいね」が圧倒的に多いのです。自分の信念に基づき判断を下しているのでしたら問題ありません。しかしそう考えても論理に問題がある内容にも「いいね」をクリックしております。全ての制度・判断に100パーセント完全なものは存在しません。良いと思ってもどこかにマイナスの要素はないのか、常に警戒する姿勢が失敗を防ぐ姿勢が危機管理には不可欠です。このような思考停止の4割非国民が、今日の惨状を招いた元凶と決めつけて何ら非難される余地はありません。もう国家崩壊です。この4割非国民に加え、いわゆる「ネット右翼」なる自己満足層にも私は呆れています。ただ単に自分と意見が異なるだけで何でもかんでも「左翼」とレッテルを張り、時の政権の不祥事には目を瞑るという。この体制迎合といいますか、時の政権を賞賛することで自分を同化させている如くです。その政権のトップに会ったこともなく、直言する立場でもないのです。私が知っているその類の輩はあまり知識水準が高くありません。更に言わせてもらうと、むしろ社会では受け容れられない層です。まあ自分の無力を時の権力者を賞賛することで消し去ろうとしているのでしょう。無気力の層、劣等感を持った層それぞれが日本を崩壊させています。現政権の無力さが、明確にそのことを物語っています。それでも支持する人間が存在することに、私は自分が日本人であることに恥の念を抱かざるをえません。私が敬愛する大物右翼と賞賛された四元義隆先生は、決して権力と迎合せず、汚職・不正を嫌っていました。四元先生の盟友で、こちらも大物右翼の田中清玄先生も女性関係にだらしない輩を嫌っていました。本当の右翼とは謙虚・質素を旨とし、時の権力者が国家を誤った方向に導こうとするなら、徹底的に攻撃を加える国士のことを指すと私は断言することができます。四元先生の血盟団事件がその神髄を物語っております。(未遂に終わってしまいましたが)私の拙ブログをご覧いただいている方には、私が抱いている国家の危機を肌感覚でも理解してくださっているかと思います。収賄罪で在宅起訴された北海道二区選出の元農水相辞任による補選ですが、自民党は候補者を立てないようです。まあ既に結果が出ている選挙になりそうですので、仕方ないのかもしれませんが、自民党のなかから本汚職事件そして現在の内閣を批判して立候補しようとする人物が存在しないこともこの党の劣化を物語っております。私も拍子抜けしております。数日前、自民候補の対抗馬となる方と電話で話をし、戦略をじっくり練らねばと考えていたからです。とはいえ今年の秋までには必ず総選挙が施行されます。考える余裕ができました。後世の世代(健全な)に「あの世代の人間は何もできなかった」とのそしりを受けないよう、努力して参ります。もっとも、そろそろ選挙に関わることから引退しようとも考えているのですが。
2021.01.15
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昨年12月上旬以来、かつてのトレ-ニングジム仲間の神林さんとメール交換する度に独り笑いをしております。それだけ今の生活との乖離を実感することができるのです。私がいつも表現する非日常世界です。もっとも、今の若い世代の皆さんが体験している非日常とは似て非なるものでしょうね。今の若い世代層はネットで知り合ったり情報を入手することによって体験する非日常でしょう。私たちの非日常は実際に自分が所属する空間で発生したハプニングです。体感の度合いが異なるのではないでしょうか。私は当時を振り返り、時々思うのです。「日常生活(大学での授業、就職後の職場)で自身に降りかかるストレスを非日常的空間であるジムで発散できていたのではないだろうか」と。現在全国で営業しているジムの主流は、24H営業形態ではないでしょうか。札幌市内を車で走行しているとあちこちで24H営業のジムが目に飛び込んできます。ある意味「ジムのコンビニ」と表現しても差し支えないのではないでしょうか。濃い人間関係を構築したくない方にとっては最適です。私も基本的にはそのようなジムを好むのですが、学生時代には存在していませんでした。広い空間ゆえ奇人が存在したり、トラブルが生じやすくなるのか判断しかねます。ここで私が連載(?)しているジムも奇人の宝庫でした。(笑)毎日のように見かける小柄なオジサン(当時50歳代半ば?)がいました。色白で筋肉もついていない華奢な肉体でした。ジムに通う目的は不明でしたがそれは個人の自由ですのでとやかく言うことは不要です。しかしこのオジサンは休憩スペ-スで突然奇声を発したり、椅子にすわっているのにもかかわらず足を激しく上下させます。ジムに隣接する駅の改札近くで「バカヤロ-」と叫んでいる姿を、度々目撃されていました。私を始め仲間たちは、相手にしていませんでしたが「いつか問題を起こすだろうね」と懸念の言葉を口にしていました。それから数カ月後、私がしばらくジムをご無沙汰している時に「事件」が発生しました。そのオジサンが会員の若者のすぐ横で「バカヤロ-」と叫んだそうです。その若者は会員歴が浅く、そのオジサンが積み重ねてきた奇行を知らなかったようです。更に私たちともまだ親しくはなく、情報も入手できていませんでした。若者は自分に罵声を浴びせられたと思い、オジサンンに「てめえ、何だこの野郎」と怒りの言葉をぶつけ、殴りかかろうとしました。いつもは誰も自分に注意をしてこない(というより相手にされていない)ので優越感に浸っていたのでしょう。まさか若者が自分に立ち向かってくるとは夢想だにしていなかったオジサンは、脱兎のごとく走り回りました。若者も相手にしなければ良かったのですが、若さゆえに我慢することができなかったのでしょう。かくしてこの二人の「追いかけっこ」が数分にわたり続きました。その間、常連は大笑いしていたそうです。スタミナが切れたオジサンは、ついにスタッフが仕事をする事務所に「助けてくれえ」と叫びながら飛び込んだそうです。私が数週間ジムに行かないと、こうしたトラブルの発生を仲間から聞かされていました。当事者にならなければ、毎週楽しむことのできるジムでした。これからも時々、面白い事件を思い出しましたら記します。新型ウイルス感染は衰えることなく、猛威をふるっております。ご自愛ください。
2021.01.11
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本ブログを再開し、筋トレについて記し始めた頃から度々登場する神林さんと頻繁にメール交換しています。内容はここでも記している私が(神林さんも)所属していたジムの思い出の交換です。もう30年以上も前のことなので、薄れつつある記憶の確認をしています。同時に当時の事を思い出して楽しんでもいるのです。どれもこれもくだらないと思われても仕方のない内容ですが、脳の老化防止とストレス発散に役立っていると勝手に解釈しています。いま私が会員になっているジム(というより現在のジム)とは会員同志の交流の点で、大きな隔たりがあると私は感じています。もっともジムに通う目的が「身体を鍛えること」ですから、プライベ-トで交流する必要もないのかもしれません。まあ時代が異なると言ってしまえばそれまでなのですが。それにしても神林さんとのメ-ル交換を客観的に読み込むと、ただ一言「面白かったなあ」です。ただし第三者として眺めればという条件が付与します。普通のジムでは会員同士の小競り合いなど、発生することは皆無でしょう。少なくとも私が会員になっているジムでは揉め事を起こすと即退会のようです。私が東京在住時に通っていたジムでは、月に1度の頻度で何かしらトラブルが発生していました。その程度は大小ありましたがどれもつまらないものです。そういえばある時、私がベンチプレスをしていた時のこと。突如、男性会員が私の足元に吹っ飛んできました。「何事が起きたのか」と私が起き上がると目の前で殴り合いが発生していました。どちらも私が親しくしている会員同士です。双方に何かちょっとしたトラブルが起きたのでしょう。元はこの二人も仲良くしていたのです。二人ともベンチプレスで140kgを挙げていましたから、仲裁に入る側も必死です。私はもちろん、他会員そしてスタッフ5~6名が、体を張って何とか喧嘩を止めました。当事者二人には特にお咎めなしでした。今なら傷害案件で警察の介入もあり得るでしょう。のどかなというか悪い意味でも物事に寛容な時代でした。次回は神林さんとのメ-ル内容を一部ご紹介したいと思います。(筋トレとは大きく乖離した内容ばかりですので、そのうちこのテ-マを打ち切ることにします。あまりにくだらないことばかりですので当事者にしか理解できないという事情もあります)
2021.01.03
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公私ともに多忙のため、しばらくこのブログを更新していませんでした。あとわずかな時間で今年は終わります。恐らくですが戦後に誕生した日本人(日本国内で生まれ育ったという意)にとって、今年ほど脳裏に残る経験を余儀なくされた一年はこれまでになかったことでしょう。日本全体が得体の知れない新型ウイルスに恐怖を抱き、行動を制限されました。一部の健全な知識人(物事の道理を冷静に学んでいる層)は同時に気づいていると思われます。「悪夢の民主党政権」とひたすら繰り返して自身及び自身が所属する政党を優位に印象付けることに腐心していた指導者の愚かさを。私はあえて支持政党を持たないことにしています。そのことを認識してお読みください。当時の民主党政権は東日本大震災という突発的災害が発生したことによって、その対応のマズさに批判が渦巻きました。しかし今回の新型コロナウイルス禍においても当時の政権はなすすべなく、ついに時の総理は二度の「政権投げ出し」をしました。いわば国民を見捨てての「敵前逃亡」です。その後を引き継いだ御仁も今のところ、能力の欠如を毎日のように晒しております。しかし最たる問題点は日本国民がその政権を良しとして高支持率を与えてきたことです。その無知というか思考停止としか判断しえない世代は、20歳代から30歳代です。すべての若い層がこのように暗愚と思いたくありませんが、目の前にわずかな餌をぶら下げられ嬉々として喜ぶ様は国家崩壊を予測させるのに十分な要素です。私が就職した当時、世はまさにバブル狂乱に踊っておりました。私は唾棄すべき違和感を感じながらその乱舞に背を向けていました。しかし私のみならず多くの若い層は時の政権に是々非々の姿勢を貫いていた感があります。「この新型ウイルス感染を収束させることはまさに戦いです」、「この戦いに勝たなくてはいけません」などと勇ましい掛け声だけは全国で飛び交いました。私が住む北海道でも知事が「自粛」であるとか「緊急事態宣言」なるあいまいなスロ-ガンをTVで訴えかけていました。しかしその中身は空疎なもので、休業要請をした企業(店舗)にたいする保証も雀の涙程度。更に従わない企業に対する罰則もなし。現在でも特措法的条例も成立しておりません。その結果が旭川における医療崩壊です。言い換えれば北海道(他県、日本全体も)このウイルスとの戦いに負けました。一般常識では戦いに負けた将は潔く退場しなくてはいけません。それどころか戦犯として裁かれなくてはいけません。責任を感じ切腹するサムライの存在は今の日本で皆無です。情けないことに今の日本はその戦犯がいまも「静かに過ごしてください」と無責任にも国民に訴えております。多くの良識ある日本国民は外出も最小限度にし、会合も控えています。問題はその要請に従わない輩です。本来ならその輩に何らかの罰則を適用し永久に日の目を見させないことが重要と思うのですが。あたりまえの単純な法則が適用されない日本。長い者には巻かれろの体質が今も残る日本。正しく正確な情報が(時の権力から)流れてこない日本。先の大戦の際に情報操作、言論弾圧、政党の機能停止、国民の無知が当たり前のようにはびこっていました。地理的に日本と近いどこかの国とその本質は全く同じです。今もその体質は根本で生き残っているようです。当然、いかなる戦いにも勝てないわけです。私は今回の新型コロナウイルス禍で、このような日本の持つ弱点を認識しました。日本の前途は暗いですが(若い世代に期待できないので)せめて残りの人生、常に正論を吐き、王道を歩んでいきたいと考えつつ2020年を自宅で静かに終えます。意気消沈する内容で失礼致しました。来年は良い年にしたいものです。
2020.12.31
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今年も残すところあと1カ月になりました。気づけばアッという間の2020年でありました。その大きな要因はやはり新型コロナウイルス禍でしょう。今も「第三波」到来により全国各地で感染拡大しております。政府関係者は否定しておりますが Go to トラベル、イ-トなどの決行により感染拡大したことは間違いないでしょう。少なくとも感染者数が減少していた札幌市に関しては、数週間前から感染者数が急増したことでも証明されています。もちろん経済をストップさせることは出来ないのです。しかし感染収束の確証がないなかで税金を投入し、半ば強引に旅行、食事に国民を向かわせる行為は愚作としか言いようがありません。新型コロナウイルス禍のため、冠婚葬祭を取りやめざるをえないという寂しい状況もあります。病院へのお見舞いも実質的に不可能です。少なくとも私はこんな状況下で旅行に出かける気になれません。そんな心の晴れないなか、私にメ-ルが届きました。まだ消去していないので日時をあらためて確認すると19日の朝でした。内容は「桂元市長が亡くなられました」という残念なもの。先月、元札幌市助役をされていた方から「桂さんの体調は良くない」と伺っていたので気にしておりました。私は平成11年の札幌市長選挙の際、いわゆる秘書役として約4カ月間、桂市長(候補)にお仕えしました。特に選挙期間中は朝から夜まで行動を共にさせていただきました。この選挙で桂市長に接し、そのお人柄に敬意の念を抱きました。自分を大きく見せることもなく誠実さを実感させられる立ち居振る舞い。お目に掛かる前は「気難しく怖い印象」という印象を持っていました。確かに口数は少ないのですが、温厚で怒った顔を一度たりと見ませんでした。それでいて細かいことも正確に把握されており、大雑把な性格の私は毎日緊張感を持って接しておりました。この選挙での思い出は数多くありますが、今でもはっきりと覚えている桂さんとの会話があります。それは移動中の車内でのこと。桂さんと私が二人きりになりました。車内にラジオの音が流れていました。それも野球中継でした。私が桂さんに「ちょっとうるさいからラジオを消しましょうか?」とお訊きしますと「いやそのままでいいよ」とのご返答。試合は読売ジャイアンツの試合で相手チ-ムが負けているようでした。私が「市長はジャイアンツファンなのですか?」とお訊きしても明確はご返答はありません。しかしジャイアンツの選手がヒットを打つ度に嬉しそうな表情をされている桂さんの表情を、私はミラ-越しに見て取ることが出来ました。そこで私が再度「市長はやはりジャイアンツファンなのですね」と念を押すように問うと「うーん」とのご返事のみ。ここで私はハッと思いました。多くの市民の長たる立場の方が軽々しく自分の贔屓について口にしてはいけないのだと。今回のご逝去について関係者以外に公表したのは24日(火)の新聞紙上です。葬儀はご家族のみで執り行われたそうです。お別れ会も開催しないとのことです。それが桂さんの遺言です。派手さを嫌いな性格ゆえ、周囲に迷惑を掛けることを良しとされなかったのでしょう。唯一のお別れの手段は生前に顧問を務めておられた会社の顧問室に設けられた記帳のみです。私もお伺いし記帳を済ませました。人口190万人を超える自治体のトップのお別れにしては寂しい気もします。しかし私はあらためて桂さんの崇高な人間性に感動を致しました。私は短期間ではありましたが、桂さんにお仕えできたことを誇りに残りの人生を歩んでいきたいと決意をあらたにしました。合掌
2020.11.29
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私の生活も少しですが落ち着きを取り戻しました。7月初めに母が入院しました。入院の過程で認知症の症状も発見され担当医から「もう自宅に戻ることは無理でしょう」と言われていました。周囲の方々のご尽力で先月末に何とか老人用施設に入所することができました。いまお世話になっている施設で母は楽しく過ごしているようです。それにしても自分の母が衰え、施設にお世話になることなど年初には夢想だにしておりませんでした。言い換えれば私も❝それなりの❞年齢に到達してしまったということなのでしょう。最近その現実を認識し恐れを感じております。もちろん❝老い❝に対する恐れです。自分自身はまだ高校生のつもりでおります。しかし日々何となくではありますが衰え(老い)を実感しています。筋トレも若いころは限界に達した回数から「あと一回」が可能でした。いまは限界の回数に達する前に「もういいか」と心の奥底からささやかれる弱気の勧誘に負けております。前回東京在住時に通っていたジム仲間とのメ-ル交換について記しました。彼が当時の思い出について教えてくれたことがあります。彼が吉井さん(私のブログで度々登場するジム仲間)と前日に行ったキャバクラについて話していた時のことです。その会話を聞いていた60歳を超えた常連の会員さんが二人に向かってこう言ったそうです。「いいねえ君たち。僕も君たちの年齢(当時20歳代)に戻れるなら1千万円を出しても惜しくないよ」と。私もその心情を今現在、理解することができます。何も今更キャバクラで遊びたいのではありませんが、もう少し若さや体力にまかせてガムシャラに生きたいと思うのです。もっとも若い当時はそれなりにガムシャラに生きていたのかもしれません。当時のジム仲間で年上の方はそろそろ還暦に達する方もおります。そういえばその仲間の一人で当時、医大生だった方がいます。先日ふと「彼はいま医者になっていて開業してもおかしくないのでは」と思い浮かびキ-ワ-ドをパソコンに入力しました。やはり都内某所で開業していました。しかも医院長として立派な病院を運営していました。嬉しくなりましたね。新型コロナウイルス禍が終息後には上京し、かつての仲間を集め同窓会を開催したいものです。ITの発達のおかげで、遠く離れた地からでもかつての友人の消息を知ることができる恩恵に感謝すると同時に私はこう思うのです。人はお互い直接触れ合った土台があるからこそネットでの交流も充実するのではないか。今はSNSでの交流が主流になっています。しかし一歩踏み込んだ触れ合いまで到達しないのではないでしょうか。互いに笑いあい、助け合い、時には議論を戦わせ濃い関係を構築することができるのではないでしょうか。新型コロナウイルス禍のなか、今年はその機会を逸した若い世代の皆さんにはお気の毒との感情を持っております。
2020.11.23
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すっかり書き込みもご無沙汰を致しております。公私ともに多忙続きでして時間に追われていました。これから少しずつ書き記して参ります。私が住む札幌市(北海道)は新型コロナウイルス禍の「第三波」到来と嫌な雰囲気に覆われています。かくいう私も先月末から自粛生活を過ごしています。もともと外出より自宅で過ごす方が好きなタイプですのでそれなりに楽しんでいます。実は1カ月くらい前から、かつてのトレ-ニング仲間とメ-ル交換を楽しんでいます。このブログにも登場した神林さんです。お互い当時の出来事を伝えているのですが、次々と記憶が蘇ってきます。そのうちここで紹介させていただきます。(内容はくだらないのですが)
2020.11.16
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札幌は日々寒くなっております。先の4連休に半袖シャツで外出したからなのか、これまでの疲労蓄積が一気に表面化したからなのか体調不良に陥っています。会社の同僚からは「もう年なのでは?」と言われる始末。以前なら「そんなことはない」と反論していましたが、最近は素直に認めております。やはり無理は禁物です。先週、ベンチプレス120kgに成功して闘争心に火が付きました。更に追い込んだトレ-ニングの副作用もあるのかもしれません。これからはほどほどにします。さて私が東京在住中に通っていたジムの話を進めます。今も私の脳裏から離れない方がいます。中山さんという当時50歳代半ばの男性です。いつも夕方にはジムにいました。果たしてどのような仕事をしているのか私のみならず他の会員誰も知りません。体格はがっちりしており、サングラスをかけていましたので一見するとヤクザです。噂ではかつてサラ金(消費者金融)を経営しており、ジムの若い会員(しかもボクシングや空手をしている強そうな会員)を取り立てに同席させたことがあるとか。弱そうな会員は駅周辺でチラシを配らせたとの話もありました。(もちろんアルバイト代は払ってくれたそうです)ですから私も中山さんに「何の仕事をしているのですか?」と聞いたことはありません。ジムには外国人の会員も少なからずおり、彼らのなかには私に「ミスタ-中山は毎日、昼頃からここにいるがどんな仕事をしているのか?」と訊いてくることもありました。私は面倒なので「彼はジャパニ-ズマフィアだ」と答えていました。しかし中山さんは実のところインテリで英語を話すことができました。更に早稲田大学卒業で司法試験の勉強をしていたそうです。私の先輩とわかってから、より濃いお付き合いをさせていただくことになりました。ベンチプレスでも140kgは挙げていましたから一緒にトレ-ニングすることもありました。この中山さん、キャバレ-通いも趣味でした。週に一度は必ずジムの若い会員と新宿に出かけていました。前回登場した吉井さんとは特に親しく、親子ほどの年齢差にもかかわらず、つれだってキャバレ-通いをしていました。私も一度だけ行ったことがあります。一般にいう大衆キャバレ-ですね。ある時期のこと、中山さんと吉井さんが仲たがいしてしまいました。原因は恐らくつまらないことなのでしょうが口を利かない時期が数週間ほど続きました。その間に吉井さんが行きつけであるキャバレ-から割引券を入手したそうです。吉井さんは常連にその割引券を配っていたそうです。しかし中山さんには渡さず、しかも「俺は中山さんには割引券を渡さない。敵に塩を送るようなことはしない」と言い放ったそうです。(そんな大げさなことではないのですが)その吉井さんの発言が中山さんの耳に入ることとなりました。私はその場にいなかったのですがある時、ロッカ-ル-ムで中山さんが吉井さんの胸ぐらをつかんで叫んだそうです。中山さんは吉井さんの発言に反応したのでしょう「おい吉井、キャバレ-の割引券を手に入れたそうだな。俺にもよこせ。以前、俺はお前に割引券をあげただろう。何が敵に塩を送らないだ」と。周囲には当然ながら会員がいて、笑いながらその小競り合いを見ていました。今なら二人とも退会処分になっているでしょう。どことなく中学生の喧嘩の様ですね。そういえば会員同士、キャバレ-のホステスさんを取った取らないで揉めていたこともありました。会社では絶対にありえないことです。やはりここのジムで起こる出来事は非日常的な行為なのです。
2020.09.27
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本日は西郷南洲先生の命日です。フィットネスジムに関する記載は次回に致します。新型コロナウイルス禍がなければ私は今頃、鹿児島に滞在しているでしょう。今年は私の自室に掲げている南洲先生の肖像画にお花と甘い菓子をお供えしました。南洲先生の墓参は私にとってライフワ-クです。というより南洲先生はじめ南洲墓地に眠る薩摩武士への「誓い」を申す行事であります。私のこのブログで何度かその道中記を紹介しておりますが、平成15年に初めて鹿児島を訪れ、南洲先生ゆかりの地を限られた時間内で歩き回ったことを今も鮮明に覚えております。以来、多くの方と知り合い、今日に至っております。先ほど、桐野利秋さん、松永高美さんの子孫の方にメ-ルを差し上げました。今年は土・日曜日でも南洲墓地を訪問される方が少ないそうです。今の日本を南洲先生そして先生と共に戦い亡くなった薩摩武士はどのように感じておられるか。想像に難くありません。嘆き悲しみ更に怒りに満ちているでしょうね。「自分たちはこんな偽り、ごまかし、自堕落な国にするために戦ったのではない」と。南洲墓地に眠る方々が死なずに明治政府を運営していたらと思うと無念でありません。世界に輝く道義国家としての日本が残っていることでしょう。今日はこの辺で。
2020.09.24
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先日のこと。旅行が趣味という知人に訊きました。「旅行の魅力とは何ですか?」と。するとその知人は「普段と異なる環境に身をおくこと」と答えてくれました。更に「宿泊先の食事やお風呂にはそれほどそれほど興味がありません。宿泊先の雰囲気を楽しみます」と付け加えてくれました。私が「それは非日常的なるものを楽しむことですか?」と続けて訊きましたら「まさにその通りです」と仰っていました。私たちは日常生活に飽きそして時には疲れ、非日常的な空間を求めるのでしょう。前回私が記した、ともすると「眉をひそめるような出来事」も非日常的なるものなのです。だからそれが面白いという訳ではないのですが・・・・・・。まあ記憶に残ってしまうのです。前回「ロッカ-ル-ムは憩いの場」と表現しました。時には喜劇を演じる場でもあります。前回に続き、あるロッカ-ル-ムでの出来事が私の脳裏に浮かび上がってきました。今回も私がその場にいることはなく後日、友人から聞いた話です。登場人物は以下の通りです。(今回も仮名です)金村さん→古参会員。60歳近い年齢にもかかわらず贅肉がなく、均整の取れた肉体の持ち 主。小学生のお孫さんも会員でした。神林さん→私より5歳年上のボデイビルダ-。イケメン。公務員。吉井さん→私と同じ年。格闘技に詳しく有名格闘家とも親しい。某有名ミッション系大学 の卒業生であるが何故かキャバクラが大好き。(在学中から)この出来事の時 は25歳くらい。ある日の夕方、神林さんと吉井さんがトレ-ニング前に着替えをしていました。そこへトレ-ニングを終えた金村さんがロッカ-ル-ムに入ってきました。吉井さんと金村さんは別料金を支払い、ロッカ-を月決めで借りていました。上下二段のロッカ-でしたが、偶然にも吉井さんのロッカ-が上段、下段が金村さんのロッカ-でした。このロッカ-、金属製で年季が入っているせいか奥に「隙間」ができていました。上段のロッカ-使用者の用紙が下段のロッカ-にずり落ちてしまうこともあったようです。話を元に戻します。神林さん、吉井さんの姿を見るなり金村さんがこう言ったそうです。「君たちさあ、僕のロッカ-に紙が落ちてくるのは別にいいんだけどね、こういう写真はまずいよ」吉井さんが「何がですか?」と尋ねると恐ろしい答えが返ってきました。「この写真だよ。昨日僕のロッカ-に落ちてきていたよ。僕はいいけど孫も使っているから注意してよね。僕の持ち物だと思われたら娘夫婦から何を言われるかわからないから」吉井さんが手渡された写真を見るとそれは少し前にストリップ劇場へ行った時に写したポラロイド写真でした。しかもいわゆるノ-カット写真でした。もちろん吉井さんは、ただひたすら平謝りを繰り返すのみでした。私が吉井さんに聞いた話では神林さんと一緒に歌舞伎町のストリップ劇場に行き、撮影した10枚くらいの写真のうち1枚が誤って金村さんのロッカ-に落ちてしまったようです。金村さんは更に「この写真が孫から娘夫婦の手に渡っていたら、僕は間違いなく出入り禁止になっていたよ。それだけではなく僕の妻からも愛想を尽かされていたよ」と仰っていたそうです。金村さんは真面目な性格でしたので、さぞ驚いたでしょうね。本当に笑うに笑えないパプニングですね。今では考えられませんが、平成の初めらしい出来事です。(このフィットネスジムだけかもしれませんが)今の時代、ストリップ劇場に足を踏み入れる若者は存在しないかもしれません。今回も低俗な内容だったかもしれません。反省。
2020.09.21
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昨日からスタ-トした4連休、いかがお過ごしでしょうか?シルバ-ウィ-クとも呼ばれているようですが札幌市も観光客らしき一団を見かけます。昨日札幌駅近くにあるホテルの前を通りましたら、チェックインを待つ20名位の観光客を見ました。経済をまわす効果はあるのでしょうが心配はやはり新型コロナウイルス感染です。今月末から来月にかけて用心しなくてはと少し警戒しています。さて前回から続いて私が青春時代を過ごしたフィットネスジムでの思い出を記します。いま主流の24時間フィットネスジムは会員同士の交流はほとんどありません。親しくしている会員でも挨拶する程度でしょう。私の思い出のジムは人間関係が濃かったです。いえむしろ濃すぎました。時代も昭和でしたし。ここの着替え室は広かったです。ロッカ-が上下合わせて100以上はありました。このロッカ-ル-ムも憩いの場となっていた面もあります。着替えをしながらよもやま話を楽しむ会員もいました。以下のお話は私が直接見聞きした内容ではなく、友人に聞いた出来事です。あまりにヘビ-なのでサラッと流すようにお読みください。登場人物のお二人は仮名とさせていただきます。1.青田さん(このジムの長老格。当時の年齢は60歳くらいです)2.新谷さん(当時スキ-のインストラキタ-をされておりました。実家が不動産業でしたので自由な時間はたっぷりありました。いつもジムにいました。途中からボデイビルに目覚めましたが色が白いため「ホワイトビルダ-」と呼ばれていました。当時30歳くらい)ある時このお二人がロッカ-ル-ムで着替えをしていたそうです。すると青田さんが新谷さんに「おいお前、はいているブリ-フの前が小便で黄色くなっているぞ。汚いなあ。ちゃんと洗濯しろよ」と言い放ったそうです。新谷さんが穿いていたいたブリ-フは白色だったそうです。いつの時点で黄色くなったのかはわかりませんが青田さんに見つかったのは不幸でした。もし私がその場にいても見て見ぬふりをしたでしょう。注意を受けた(?)新谷さんは特に反論しなかったそうです。(どちらかというと争いを避けるタイプでした)新谷さんではなく他の会員であれば口論になっていたでしょう。現在私が会員になっているジムのロッカ-ル-ムは個室です。時々着替えながらこの激しくも濃い場面を想像し、思い出し笑いをしています。
2020.09.20
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いま日本は「筋トレブ-ム」の真っただ中にあるのでしょうか。全国各地でフィットネスジムの看板を目にします。私が現在会員になっているジムも全国に支店があります。しかもどの地域のジムを利用することができるのです。(相互利用)私の知人で札幌市の支店に入会し長期出張で東京に滞在している間、東京都内の支店に通う人がおります。昭和の時代では考えられなかった事業形態です。しかも毎月の会費が安いのです。今のジムの会費は月・¥8,000以下です。私が昭和に時代に通っていたジムの月会費は¥12,000でした。しかも入会金が¥50,000で2年ごとに更新料として¥20,000を徴収されていました。いまそんな形態を続けていたらその運営会社は間違いなく廃業に追い込まれるでしょう。営業形態も大きく異なります。現在、24時間営業のジムはそれこそ「常識」でしょう。私は深夜2時にトレ-ニングする人なんて存在するのかと疑問に思っていました。しかし実際に存在するそうです。(もちろんその時間帯、スタッフさんは不在にしています)今年退職したスタッフさんに訊いた話ですが「深夜にいらっしゃるお客さんは居酒屋の店員さんやタクシ-の運転手さんも多いです」とのこと。私は一度、深夜にジムへ出掛けその客層をこの目で見たいと思っておりますが、夜の弱い体質ですのでその願いは叶っておりません。ジムで会話をすることもなくサッとトレ-ニングをして帰るという会員が殆どですので、会員同士の交流はあまりありません。今の時代、その方が時流に適しているのでしょう。面積も狭く笑い声を発すると全体に響いてしまうという事情もあるのかもしれません。(新型コロナウイルス禍においてはマスクうぃしているので余計に会話を交わすことが少なくなっています)対して私が東京在住時に通っていたジムは広かったです。ウエイト(筋トレ)コ-ナー以外に100mのランニングスペ-スがありましたし数十人が参加可能なエアロビスペ-スもありました。スタッフさんは全て正社員でした。皆さん体育大学を卒業されていましたから現在のアルバイト中心のスタッフさんとは求められる用件も異なっていました。会員との交流も仕事に含まれていますし、筋トレの補助も積極的にされていました。ジム主催の忘年会が開催されていましたので会員とスタッフさんも仲が良かったです。そのような雰囲気に包まれたジムですから会員同士も自然と親しくなります。私が親しくしていた対象はウエイトコ-ナ-で汗を流す会員が殆どで、あとは空手の選手、キックボクサ-、ボクサ-と格闘技関係者でした。いきおい全て男性会員でして女性との交流は皆無でした。私は大学3年生から時間に余裕が持てるようになりましたので、トレ-ニング後に夕食を共にすることは常でした。夏には海へ行ったり、先ごろ閉館した豊島園、西武園にも月に数回は通っていました。ボデイビルダ-の仲間は鍛えた身体を披露したかったのかもしれません(笑)ある夏の日、仲の良い会員10名位で西武園に行った時のこと。あるボデイビルダ-が「可愛い女性と出会いがあればいいですねぇ」と電車の中ではしゃいでいました。私は「そうですね」と返答したものの内心では「間違いなくそれはないだろう」と確信していました。いまでこそ筋肉隆々の男性はある程度の市民権(女性から)を得ているようですが、当時は「気持ち悪い」という印象を持たれるのが関の山でした。案の定、プ-ルで声を掛けてくるのは小学校低学年の男の子たちでした。私たちの体を見て「この人たち凄い筋肉だぞ。プロレスラ-みたいだ」と群がってきます。私たちもつい彼らとプロレスごっこをしてしまいます。結果、子供の母親たちから「うちの子供と遊んでいただいて有難うございます」とお礼をいただくだけに終わりました。まあそんなものです。こんな交流は日常茶飯事でしたが、それゆえお互いが共に強くなろうという姿勢で筋トレに励んでしました。私も無理の効かない年齢になってしまい、現状維持すらままなりませんが当時を懐かしみつつ身体を鍛えていきます。それにしても毎週、ジムの仲間と食事をしていたとは今では思いもよりません。現在のジムでは年に一度、誰かの送別会を開催するのがやっとです。それだけお互いの付き合いが薄くなっているのでしょうね。(次回はその濃すぎる付き合いの一部をご紹介します)
2020.09.13
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今年も台風などの自然災害が続発しています。温暖化などの影響なのでしょう被害の度合いが年々大きくなっております。政府は「国土強靭化」などと勇ましいスロ-ガンのもと公共工事を規模、金額ともに増やしてきましたがあまり効果が内容ですね。まさに「掛け声倒れ」でしょうか。時期総理も早々と決したようです。国会議員の皆さんは国家の行く末に関わる重要事項には声を挙げず腰も重かったですが「勝ち馬に乗ること」は素早いですね。(笑)ふた昔前でしたらこのようなあさましく卑しい姿勢は非難されました今の日本では一部を除き、スル-されています。こんな話題ばかりでは心が暗くなります。ここからは少し心が明るくなるような思い出を記してまいります。(明るくなるのは私だけかもしれませんが)それは私が20歳ころから通っていたアスレチックジムでの体験談です。時代は昭和の終わりで狭い空間で繰り広げられる喜劇(?)です。今の若い世代の方にとっては「くだらない」と一蹴されそうな話ばかりです。「つまらない」と思われたら他のサイトやブログに移ってください。まあオヤジの回想録ですので「今の50歳代のオヤジの若いころは幼稚だったのだなあ」と思ってください。事実、私が現在会員になっているジムのスタッフ(20歳くらい)に当時の出来事を話しても「そんなことあったのですか。今では考えられないですねえ」と言われています。今でこそ筋トレブ-ムなのか老いも若きもジムに通っています。しかし昭和の時代にジムで筋トレを続ける人はごく限られていました。ボデイビルダ-、格闘技の選手、ラグビ-・アメフト・アイスホッケ-の格闘系スポ-ツ選手くらいでした。私が入会したアスレチックジム(東京都内。今も営業しています)にもプロ野球選手、プロレスラ-、空手の強豪選手が会員として汗を流していました。高校生時代に空手をたしなみ、筋トレも並行していた私ですが彼らに比べれば素人同然でした。まず私は小食でしたので体重を増やすことが苦手でした。私の周囲の会員は一日5食、その間にプロテイン、卵などを呆れるくらい摂取していました。入会当初はアスレチックジムの片隅にあるサンドバッグに突きと蹴りを入れ、その後マシンをちょこちょこっと挙げる程度でした。何せ知人が一人も存在しない空間でのトレ-ニングです。知識もありません。しかし孤独なひと時をそれなりに楽しんでいました。そのうち私のサンドバッグトレ-ニングを見ていた会員から声が掛かるようになりました。声を掛けてくれる方は空手の選手、キックボクサ-でした。私の突き蹴りが評価の対象だったのでしょう。彼らから道場、ジムの勧誘を受けたり筋トレを教えてもらったりと硬派な時間を楽しんでいました。そういえば後に全日本空手道選手権大会で優勝するMさんからも「うちの道場に来て」と言っていただきました。私もその気でいました。しかし大学のサ-クル活動に追われ、その願いも叶いませんでした。私の上京理由の一つがMさんが所属していた流派への入会と大会での優勝獲得でしたので今も「あの時空手に専念していたら自分の人生はどうなっていたなあ」と考えることがあります。(次回に続きます)
2020.09.12
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札幌市は残暑厳しい毎日が続いております。ふた昔の札幌市は9月に突入すると秋風が吹き肌寒い思いをしたものです。温暖化の影響なのでしょうか。もっとも本州と比べると気温、湿度共に低いのですが。日本そして他国が積極的に温暖化対策に取り組む意思が少ない以上この高気温はこれからも続いていくのでしょうね。さて、もはや勝負が決した感のある自民党総裁選ですが候補の皆さんからは「国家感」があまり聞かれないことはやはり残念です。今の日本人は経済的に満たされても精神的には未熟な民族ですので「国家感」を前面に出し主張しても国民(自民党員)には響かないのかもしれません。それは仕方ないのかもしれませんがこの度の総裁選そして本命候補に対して私の周辺は厳しい見方をしています。みなさん自民党支持のはずが「この国は今後悪い方向に進む」と怒りのメ-ルが届いています。現時点で記すことは控えますが安倍総理退陣前からの裏話も教えていただきました。(それについては意外というか驚きを感じました)私も日本の将来を悲観しています。というよりほぼ諦めています。特に若い世代に。何も暴動を起こせと申しませんが香港の若い世代の意識の高さをわずかでも心で感じで欲しいです。同時にロ-トルに突入しようとしている私も能力の範囲で警鐘を鳴らしていきたいです。ご覧いただいている皆様のご意見、ご批判をコメントととして残していただけましたら幸いです。では良い日曜日をお過ごしください。
2020.09.06
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昨日安倍総理が退陣を表明しました。感想は「特になし」です。一人の人間に対しての思いは「ゆっくり養生することが大切」なのですが政治家特に国家の重要な地位にある人物としては「死ぬまで執務にあたっていただきたい」というのが素直な気持ちです。結果的に前回の「政権投げ出し」と全く同じ構造です。後任について退陣表明直後からあれこれ喧伝されています。しかし期待はしておりません。なぜなら今の自民党に国家観を語ることのできる国会議員は皆無だからです。これからの日本をどのような国家にするかを語ることのできる政治家が不在であることに一抹の寂しさを感じた昨日の退陣劇でした。
2020.08.29
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アメリカ大統領選挙選は与野党とも候補が出そろい本格化してきました。新型コロナウイルス禍により既存の選挙戦に比べ多くの点で制限があるでしょうが徐々に熱を帯びてくるでしょう。さて今回は前回に関連した内容を記します。私の知人(と申しましても年上の83歳の男性です)から聞いたお話を紹介させていただきます。5年位前私はその方と鹿児島を訪問しました。西郷隆盛先生のお墓詣りが第一の目的でした。行程に余裕のある旅行でしたので私は「知覧特攻平和会館へ行きませんか」とお誘いしました。私は既に2回も訪れていましたので指宿に住む知人に会うついでにという感覚でした。しかしその方は「そこには行きません」と申し訳なさそうに断りました。私はその時は「先の大戦時の苦労を思い出したくないからかな」と気にも留めませんでした。指宿の砂蒸し風呂を楽しんだ後、鹿児島市へ戻る車中で明治維新などの話をしているなかでその方がふと「私は戦争で色々と苦労をしましたから知覧特攻平和会館へ行きたくなかったのです」と沈んだ声で言いました。続けておもむろに「実は私、横路さん(元衆議院議員、北海道知事)のお父さんの教え子でした。横路さんのお父さんは軍国教師でした。しかし敗戦後、教師を辞めてしまったのです」と話してくれました。横路さんのお父上は自分が間違ったことを教え子に伝えてきたことに耐えることが出来なかったのでしょう。ご自身でケジメを付けたということなのでしょうね。この鹿児島旅行の後、この知人から私にメ-ルが届きました。旅行の感想とお礼でした。同時に衝撃的なお話も添えられていました。それはこの方のお父さまのことです。「私の父は軍人でした。日本は必ず勝つと信じていました。敗戦後、日本のあまりの変わりように耐えられず自ら命を絶ちました。私たちの生活も一変し多くの苦労を強いられました。私の父は不器用な男だったのですね」私はしばらく返信することができませんでした。どのような内容を返信して良いのか全く思いつかなかったからです。当時、戦争に加担した多くの日本人が何事もなかったの如く生きていたのでしょう。(内心懺悔の念を持って生きていた者も存在していたかもしれませんが)このお父さまは戦争の犠牲者でもあるのです。恐らく純粋で優秀な方だったのでしょうね。ちなみにこの知人は北海道で一番の難関高校を卒業し北海道大学に入学、卒業しています。今の日本も戦前、戦中とその内包する体質に大きな相違を見出すことができないと私は考えています。無策の知事がテレビで新型コロナウイルス感染者数を公表し注意喚起することを褒めたたえる淀んだ空気はどこか共通しているのではないでしょうか。猛省すべきは愚かな国民であるのかもしれません。
2020.08.23
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毎年この時期になると風物詩と表現しても過言ではないのが先の大戦にまつわる逸話です。戦争の記憶が薄れつつある頃に生を受けた私にとっても毎年新たな発見をするかの如く複雑な心境で受け止めております。多くは新聞、テレビで報道される内容を一方的に受け止めるしかないのですが深く考えさせられる内容ばかり。私の両親からは戦時中の食糧難を幼いころに度々聞かされていました。私が食べ物の好き嫌いがないことと、食べ残しをしないことはその話に衝撃を受けたからかもしれません。防空壕での生活についても聞いた記憶があります。いま日本では新型コロナウイルス禍により外出も控えている状況です。特に若い世代はその自粛状態に耐え切れずなかには「夜の街」に繰り出しているようですが戦時においては文字通り命に関わりますので我慢の毎日だったことでしょう。先月私の知人が94歳で亡くなりました。親子以上の年の差がありましたが大変親しくさせていただいておりました。一緒に食事をさせていただく度にお互い冗談を言い合うというそれは楽しい酒席でした。ただ一度だけ戦争経験について話をしてくださったことがあります。シベリア抑留の辛い経験です。私は一度更に詳細をゆっくりと話を伺いと考えていましたがご自身にとって決して楽しくはない経験ゆえに躊躇っていました。昨年お電話でお話させていただき「春になったら食事をしましょう」と申し上げていましたが新型コロナウイルス禍により実現しないままになってしまいました。本当に残念で寂しいです。今回の新型コロナウイルス禍を先の大戦となぞらえてお話される方も少なからずいらっしゃいます。私もそう多くなはいのですが文献をひもとくと「まさにその通り」と感じ入ってしまうこと度々。・軍の上層部の傲慢かつ自己中心。(前線で日本兵が飢えに苦しむなか夜な夜な宴会に興じていたとか)・大本営の誇張・デマ。(大手マスコミも便乗していた)・根拠を示さない雰囲気。(神風が吹くとか)・既に破綻した政策を変更することができない。今の内閣・政府も似た運営をしていますね。感染が拡大しているにもかかわらず go to トラベル を中止することなく強行しています。総理大臣そしてスポ-クスマンたる官房長官の説明不足。(その姿勢を追及しないマスコミの腐敗)国民の大部分も声をあげることなく追従。日本は戦後このような社会主義から未だ脱却していません。香港以下です。(香港で民主主義を守るため命がけで戦っている方に対し比較すること自体失礼かもしれませんね)とはいえこの国に生まれてしまったことは運命ですので簡単に変えることは困難です。であるならばやはり私は「戦争を起こさないこと」、「万が一巻き込まれても必ず勝利すること」を念頭に置き日々生活することが重要であると考えます。私はそのためにも「少数派に陥ることになろうとも勇気を持って主張すべきはする」ことと「(賢く健全な)先人の教を決して忘れないこと」を実践していこうと自身に言い聞かせております。自分との戦いです。徳川家康は良いことを言い残しました。人生は重きものを背負って坂道を上るごとし。それでは先の大戦で亡くなった方に対し敬意をもってご冥福をお祈りしましょう。(A級戦犯は除く)
2020.08.15
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このところ新型コロナウイルス感染者数が増えております。関東圏のみならず中部、関西、九州でも感染者数増加が衰える。一時は落ち着いた感のある北海道も感染者数が増えてきました。しかも Go to トラベルキャンペ-ンは開始されこれからの感染者数増が不安視されます。今週末から夏季休暇に入る方が多いでしょう。かくいう私も同様です。今年は出かけることを控えお墓参りのみを行事とする予定です。先月の4連休も「蟄居」していましたが連休初日の朝、自宅のチャイムが鳴りました。宅急便のお兄さんがそれほど大きくない箱を2つ届けてくれました。ただでさえ暑いなかの配達、本当に申し訳ない気持ちになります。荷物の送り状に目を向けると一つは埼玉県在住で大学サ-クルの先輩から、もう一つは鹿児島在住の方からでした。お二人とも私が大変お世話になっている方です。先輩には昨年12月の上京時にお目に掛かりました。鹿児島の方は一昨年の9月以来ご無沙汰しております。先輩は現在、某代議士の公設秘書をされています。ですから私が会う場所は議員会館またはその周辺です。先輩とは自衛隊の観閲式(朝霞)、富士の演習、皇居の一般参賀参加など濃いお付き合いをさせていただきました。選挙のお手伝いで冬の岩手県に赴いた時のことを30年以上経過した今もなぜか鮮明に覚えています。とにかく寒かったのですが生まれて初めて口にした盛岡冷麺とわんこそばの味も忘れてはいません。贈っていただいた明太子を白米のお供にしながら先輩との思い出を蘇らせました。外出を控えて自宅で過ごす時間が多い今だからこそ学生時代のことを思い出すのも悪くないと考えています。時々自分の人生を振り返ることが今後の行く末どのように生きるかという自問のヒントになることもあります。もちろん思い出(人との交流)こそ私の貴重な財産になっていることは常に実感してます。それゆえ善い人と良い思い出を構築していきたいです。
2020.08.02
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東京都内を中心に相変わらず新型コロナウイルス感染者数増加が減少しません。マスコミでは既に「変容したコロナウイルスが蔓延し始めた」などの情報が流布されております。何やらイタチゴッコの感があります。やはり「自分の身は自分で守る」しかないのかもしれません。先日横浜市在住の友人からメ-ルが届きました。「私は毎日満員電車に揺られて新宿まで通勤していますが元気です」とのこと。元気なことは嬉しいのですが首都圏では満員電車を強いられている方も多いことに驚いております。更に生活スタイルを改革しなくては終息など夢のまた夢ですね。多くの国民が疑問を抱いている「GO TOキャンペ-ン」なる愚作もまたしかりです。なぜこの時期なのか。しかも実施日を前倒ししてまで。狂気の沙汰でしかありません。昨年まで「悪夢の民主党政権」なるスロ-ガンに異を唱える風潮は皆無に近かったですが今や「日本国崩壊の自民党政権」を実感しております。そんな絶望状態に置かれたなかの先週「致知」さんの取材を受けました。「致知」さんは東京都に本社を置く「硬派」の月刊誌です。私が昨年鹿児島市の「西郷南洲顕彰会」の機関誌に寄稿した小冊子を「致知」さんの関係者にお送りしたことで今回の取材に至りました。「3密」を避けるため人の少ない札幌駅隣接の喫茶店でしかも一番奥での取材となりました。もちろんお互いマスクを着用しての受け答えです。双方が新型コロナウイルスを持っていなければマスクなど不要なのですが今やこのスタイルは常識なのかもしれません。取材の内容は西郷南洲先生についてなのですが話すことが多岐に亘りまとまりのない話になってしまったのではないかと反省しております。今年は北海道南洲会の勉強会を一度も開催しておりません。南洲先生に関する勉強も滞りがちです。行動制限を余儀なくされているこのような時期ですから読書に割く時間を多くしたいと考えております。沖永良部島の蟄居を強いられ読書に没頭された南洲先生を見習います。それでは皆様ご自愛ください。
2020.07.19
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北海道、札幌市での新型コロナウイルス感染者数は昨日ゼロでした。全国に一躍名を知らしめた(悪い意味で)「昼カラ」での感染余波も否定できないので油断禁物です。相場の世界で用いられる「逆張り」(他と逆の行動を行う)を心掛け生活していきたいと心新たにしております。さてしばらく感染者数ゼロが続いていた鹿児島県。昨夜テレビのニュ-スで「鹿児島県の感染者数が19名」と報じていました。いわゆるクラスタ-も発生しているとか。これまで落ち着いていた鹿児島ゆえ「今年は鹿児島訪問できるかなあ」などと呑気に考えていました。高気温、高湿度の現在でも感染の力は衰えないのですね。今年も断念でしょうか・・・・・・。「あじもり」さんの黒豚、「中川屋」さんのぢゃんぼ餅、「むじゃき」さんのしろくまかき氷が頭に浮かびます。もちろん南洲墓地へのお参りもしたいです。いまは我慢の時です。
2020.07.04
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北海道南洲会機関誌への寄稿文、やっと完成しました。字数制限がありますので相当削除しました。ここでは多少加筆しご紹介することとします。私が西郷南洲先生に魅了されて後、はや四半世紀を経ようとしている。日々雑事に追われつつ常に南洲先生を意識し生きてきたつもりではある。しかし折に触れて自身を冷静に振り返ると当然ながら南洲先生の足元にも及ばぬことに失望を感じている。何かの文献で「人間の人格形成はほぼ5歳までの生活スタイルで決定する」と記してあった。更に遺伝も人格形成において重要なファクタ-を占めるのである。5歳までの人生はひたすら親をはじめとする第三者から躾や価値観を一方的に与えられるのであるからそこにおいて自身の意志で行動することはほぼ不可能といって良いであろう。反面そのような先天的‟限界“に直面しつつも南洲翁に恥じない生き方を貫いていきたいと思っている。 ここ何年か日本で生きることに爽快感を感じることを喪失した私である。国を司る為政者のみならず彼らを選択する国民双方の劣化を強烈に意識せざるを得ない。この度の新型コロナウイルス禍でそのマイナス意識は確固たるものになってしまった。もはや国を愛するなどという純粋な一念を捨て去った私にとり唯一の支えは南洲精神を真に理解し実践している人間との交流のみである。これは排他的思想から発した厭世的概念ではなくこれ以上絶望感を味わいたくないだけなのである。そんな私が「この人は現存する日本人のなかで南洲先生に一番近い精神構造の持ち主なのではないだろうか」と感動した市井に生きる老人の存在を知った。一時期〝時の人″として脚光を浴びたので市井に生きるという表現は適当ではないのかもしれないが。 その人物とは尾畑春夫さんである。一昨年であったか山口県で行方不明になった2歳の男子を無事救助してから「スーパ-ボランティア」として一躍脚光を浴びた大分県に住む笑顔が素敵な82歳の男性である。私はもちろん尾畑さんにお目に掛かったことはないが南洲先生との共通項を見出し、より尊敬の念を強固にした。以下お二人の生き様を簡単に記していきたい。 南洲先生は生涯著書の類を遺していない。南洲先生の死後伝えられてきたその思想は接した人から語られてきたものである。その厄介な所は時代の経過とともに様々な憶測・願望が入り混じってしまう。(英雄回顧更には英雄待望論) もちろんその伝承は間違いではないが果たして南洲先生の心情を的確に把握しているかは心もとない。それは接した人物の度量が南洲先生と同レベルではないからである。それゆえ私は南洲先生の心の奥底を理解しようとする際、先生が遺された手紙そして漢詩に求めることにしている。 さて尾畑さんの生き方は簡単明瞭にして私のような凡人が真似のできない純粋なものである。ご本人は「スーパ-ボランティア」としてマスコミに連日取り上げられノイロ-ゼになったそうである。恐らくご自身が静かにそして大切にしている生き方をかき乱されたからであろう。貯金は無く、月5万5千円の年金で生活されている尾畑さん。どれほど質素な生活をされているか想像に難くない。自らの生きる活力、喜びをお金儲けではなく「困っている人のために捧げる」に昇華されているのである。そこには誰にも領域(聖域)を汚されたくないという気持ちがあるのであろう。ノイロ-ゼになるほど気持ちが乱れて当然である。西郷南洲先生も同様の思いをされている。維新回天の大業を果たし引退を決めて鹿児島の山奥に引きこもったものの中央政府からの要請により半ば強引に上京せざるを得なかった南洲先生。明治6年の政変に敗れ鹿児島に戻った時に詠んだ詩に尾畑さんと同じ心境を理解することができる。以下の詩は声栄華を求めずの生き方を的確に吐露されている。 「辛苦はさまざま、悪しからぬ辛苦と、この俺。頑固なこの俺、悪しからぬ辛苦を避け、善からぬ辛苦に対してきた。それが、いつのまにか天下の西郷隆盛。こんな名声、ろくなことにならぬ。よかった、さっさと帰って」。 尾畑さんのもう一つの楽しみは自然のなかに身を置くことである。そうすることで心身共に元気が湧くそうである。南洲先生も 「山の中での自分ひとりの楽しみ、これ以上のものがあろうか。山の中は自然人の声も聞こえず。この上なく全く何もなくさっぱりしており、清風名月を独占するというもうけ物がある」と自身の喜びを詠んでいる。(この他にも自然そして温泉を楽しむ多くの詩を遺されている) もうひとつ、尾畑さんの生き方は自分の欲を一切封印し困難にある人のところに体一つで駆け付け一切の見返りを求めずただ一心不乱にお手伝いをすることに無上の喜びを見出すことである。 南洲先生には吉二郎さんという若くして亡くなった(戊辰の役で戦死)弟がいた。南洲先生同様、加治屋町郷中の二才頭を務めた逸材である。三男の従道などとは比較にならないほど優秀な人材であった。この吉二郎さんは留守がちな兄のため貧しい西郷家を支えたのである。その才能をして薩摩藩のため大いなる活躍も可能であったがただただ兄隆盛の出世を実現するためそれを封印し滅私奉公したのである。南洲先生も吉二郎さんに感謝の念を持ち「吉二郎は私の師匠である」とまで語り吉二郎さん戦死の際は髷を切り落としその死を悔やんだ。私は尾畑さんに吉二郎さんと同じ自己犠牲も感じ取った。南洲先生、尾畑さん共に「利他」、「無償の愛」を大切にされる方なのである。まだまだ欲の消えない私は猛省したい。同時に表面的な華やかさを求めそこに安住する多くの日本人がはびこるなかで尾畑さんのような南洲先生の精神を持たれた方が存在することに清涼剤を見出した如くである。北海道南洲会もただ既出の資料や本を読むだけではなく真の南洲精神を語り、自らの行動の原動力とする支柱になりたいものである。「南洲先生を真に理解したい」という強い気持ちが大切でありその念を持ち合わせなくては時間の浪費にしかなりえない。北海道南洲会においてお互いを尊重し切磋琢磨することで南洲先生の如く「生きている時は背中(背後)から手を合わされ死後ますます尊敬される」人間になりたいものである。新型コロナウイルス禍の状況下、尾畑春夫さんの生きざまをひも解き、設立当時の気持ちを思い出だしている。 以上です。今の政治家、マスコミ関係者(もちろん私自身も)に尾畑さんの爪の垢を煎じて飲ませたいです。
2020.06.27
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前回は大学生時代の思い出を記しました。記しながら一つ私の脳裏に蘇った言葉を紹介させていただきます。早稲田大学雄弁会は他の大学の弁論部と全く異なる体質を内包していました。私が入会した時期は昭和の終わりころです。入学式を終えて「浪人生活に耐えたからこれからの4年間は充実した生活を楽しもう」と心躍るなか本部キャンパスを歩いていました。多くの新入生そしてきれいな女性で溢れかえる光景はまさに楽園。ちなみに後で知ったのですが私が見たきれいな女性は他大学(女子大学)の学生です。サ-クル勧誘用といっては失礼にあたりますがまあ「人寄せパンダ」的存在です。その証拠に新学期が始まってからのキャンパスにはきれいな女性をほとんど見つけることはできませんでした。(失礼)私は高校生時代にたしなんだ空手を極めたく某流派の道場に入門することを決めていました。(後に全日本チャンピオンになった方からも入会を勧められていましたので)頭のなかは既に空手チャンピオンに輝く自分の姿です。その輝く姿ときれいな女性が交錯するなかなにやら騒々しい塊が私の視界に飛び込んできました。向かい合って議論をしているようです。それも数組。よく見ると先輩らしき学生が新入生とおぼしき学生に強い口調で何やらわめいています。華やかなこの空間で異質ともいえる空気がその一角から発せられています。私は「彼らは何者なのだろう」と近づくと早稲田大学雄弁会と決して達筆ではない字で書かれた長方形の紙が机に貼られていました。早稲田大学雄弁会について私は入学前に読んだある本で知っていました。西武グル-プを作った堤康次郎氏が学生時代に所属していたサ-クルです。私が上京するにあたりお世話になった親戚が西武鉄道に勤務していましたので西武グル-プには関心をもっていました。そのため興味本位で雄弁会の話を聞こうと上記で記した机に向かい椅子に座ってしまったのが運のつきです。4年間どっぷり浸かってしまいました。自分の決断とはいえ結局、空手の稽古は中途半端に終わりました。上記で紹介した空手のチャンピオン氏に「雄弁会に入会しました」と報告すると笑われてしまいました。私は当時も今も口下手で人前で話をすることを最も苦手としております。それにしても新人合宿は厳しかったです。埼玉県の本庄市の大学セミナ-施設に3泊4日という日程で缶詰にされ「処女弁論」を披露するのです。しかもGW中です。五月病になんて罹る暇はありません。確かその合宿中の入浴もなかったかと記憶しています。汚いですね。新入生は壇上で10分~15分の弁論を先輩方に披露します。その後居並ぶそのお歴々から2時間以上の質問が矢継ぎ早に浴びせられます。その間、怒号と変わらない野次が方々から飛び交います。時には興奮した先輩から紙つぶて更にはスリッパまで飛んできます。私は確か3日目の弁論でした。初日の一人目の弁論を目の当たりにした私は「これは異常な所に来てしまった。今夜ここから去ろう」と決めたくらいです。顧問のo教授が様子を見に来られ挨拶をされたのですがその内容が「決して暴力沙汰だけは起こさないように」でした。実は私、この合宿に参加する前に部室(会室)で先輩に殴りかかってしまったので少し反省しました。この先輩とはその後仲良くなりましたが。o教授の挨拶のなかで私が今も大切に実践している教えがあります。「野次は弁論の華。しかしその野次が起こらないような聞き手に感動を与える弁論をしなさい」です。そうですね。心から聞き手に感動を与える弁論(演説)は野次すら起こりませんね。その素晴らしい演説は内容・話し方に起因しますがそれ以上に話す人間の資質が重要と私は確信しています。いくら流ちょうに立派な挨拶を展開してもその話し手の人格が著しく下劣であれば聞き手に感動を与えることはできないと思います。昨年か一昨年、札幌で演説中の安倍総理に野次を飛ばした札幌市民が北海道警察の警官に排除されるという事件がありました。(排除された方は北海道警察を訴えております。現在も係争中です)もし私がこの立場にいればまず野次を喜んで受け入れ次に野次が起こらない演説を提供します。現在の日本の政治家(特に国会議員)は「ノーコメント」を繰り返すばかりでその存在価値すら疑う者が殆どです。その点、ニュ-ジ-ランドのアーダ-ン首相の発信力を見ると特に感じてしまいます。
2020.06.14
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前回の続きを記します。当時の記憶は比較的鮮明に覚えておりますのでほぼ間違いないかと思います。以下警察官と私たちの会話形式にします。A=私と後輩数名 B=若い警官 C=Bの上司 ( )は現在の私の感想ですA:(警官の問いに)飲み会の後国会議事堂を見たくて来ただけです。(来ること自体怪しい)B:君たちはいま大声で「天皇陛下万歳」と叫んだだろう?A:はい、叫びました。B:こんな夜遅くにどうしてここで天皇陛下の名前を叫んだの?A:私たち(といっても数名ですが)は日本人だからです。これから執り行われる皇室行事に敬意を表したかったからです。(答えになっていない)B:君たちは学生さん?A:はい、そうです。全員大学の同じサ-クル仲間です。赤坂で酒を飲んでいました。B:どこの大学?A:どうして大学名をあなたに言わなくてはいけないのですか?(それが警官のしごとだからだろう。挑発してどうするの)B:君たちの行為はある意味要注意に値するからね。(当然)A:日本人が天皇陛下を尊重しその意思を公言することは法律違反ですか?(ある意味論理のすり替えだろう。雄弁会の悪い癖だね)B:いや、そんなことはないけど。A:そうでしたら僕たちは夜も遅いのでこれで失礼致します。お仕事お疲れ様です。(おいおい、夜遅くにこの場所に来たのは君たちだろう)B:ちょっと待って。このまま君たちを黙って返すことはできないんだよね。もっと詳細を訊かなくては。(当然です)A:あなた方警察組織は皇室を否定するのですか?B:そんなことはない。5分くらい押し問答が続きました。警官のパトカ-に照らされた顔には「変な奴らに出くわしたな」と明らかに困惑の表情が。雰囲気も段々険悪になってきます。そこに彼らの上司と思しき男性警官が登場しました。この場の雰囲気を和らげようとしたのか柔和な笑みを浮かべていました。C:君たち元気だねえ。いまやりとりを聞いていたけどこんな夜中にこの人数でしかもこの時期でしょう。叫ばれたら普通の学生と思わないよねえ。(その通り)A:確かにそうです。C:君たちをどうこうしようという意図はないんだよ。一応、大学名を教えて欲しいんだけど。私たちはこれ以上討論(?)を継続しても迷惑になると考え名刺を差し出しました。当時(現在は知りません)私たちは学生ながら名刺を作っていました。その名刺を受け取った上司警官はD:えつ、君たち早稲田の雄弁会なの?A:はい、そうです。雄弁会をご存知ですか?D:こういう仕事をしていると知っていて当然だよ。そして部下に「彼らは問題ないよ。海部総理の後輩だから。政治思想的にも問題ないサ-クルだから」と語りました。更にC:君たち海部総理に会ったことある?A:はい一度だけ会ったことがあります。海部さんは私たちに‟僕でも総理になれたんだから君たちもなれるよ”と激励してくれました。(海部先輩もいい加減だなあ)この話に上司警官は笑っていました。そして部下を全員集め「彼らは海部総理の後輩だから問題ない。このまま帰宅してもらうことにする」と仰ってくださいました。A:有難うございます。C:君たち赤坂見附駅に行くよね?そこの首相官邸の横を下っていくと駅が見えるから。気を付けてね。A:そうですか有難うございます。C:それと海部総理はこの時間既に就寝されているから騒がないようにね。A:規則正しい方なのですね。以上がことの顛末でした。私たちはCさんに教えられた道を下り赤坂見附駅に向かいました。首相官邸の横を通るときまたしても誰かが「海部先輩有難うございます。おやすみなさいと叫ぼうか」と言いましたのでさすがに強く却下しました。この時私以上に警官に対し立ち向かった後輩は現在、大手新聞社に勤務し活躍しています。数年前には自著を出版しました。私はその数年後、海部総理時の秘書官をされていた金石清禅さん(金石さんも早稲田雄弁会)の選挙を手伝うというご縁に恵まれました。また海部さんの同期のS先輩にも可愛がっていただきました。S先輩、金石先輩共に鬼籍に入られましたが今も時々お二人の事を思い出しております。NY州では警官が職務質問をする際に首を絞める行為を禁止する方向に向かっているようです。日本と犯罪の質が異なるお国柄も考慮すると軽々に物申すことはできませんが今回のようなデモに至る悲劇を繰り返さないよう願っております。
2020.06.13
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アメリカミネソタ州において警官による一般黒人男性殺害に端を発したデモ行為は略奪、暴動に至ってしまいました。黒人への差別はなかなか解消しないのですね。わが国でも渋谷にて警官が外国人に暴力をはたらいたとかで話題になっております。在日外国人への偏見は決して許されませんが警官は未然に犯罪を防ぐことも職務の一環でしょうから詳細を把握せずに批判することはできません。上記2つの記事を読んでいましたら学生時代のある出来事がふと頭に浮かびました。記憶を辿ると確か私が大学4年生の時のことです。就職も決まりサ-クルの仲間たちと赤坂で宴会を楽しんでいました。仲間といっても後輩の数の方が多かったです。宴会が終了し店外に出てもなかなか解散になりません。終了時間も遅かったこともあり(確か22時くらい)二次会には行かず三々五々帰宅となるはずだったのですが後輩が「国会議事堂に行きませんか?夜の国会議事堂も雰囲気ありますよ」と言いました。私は「何でこんな遅くに国会議事堂に行かなくてはいけないんだ」と内心舌打ちしましたが圧倒的賛成に圧されしぶしぶ従うことに。到着後、周囲の明るさに通常とは異なる感じがしました。ライトが各方面から照らされものものしい雰囲気に違和感を感じました。。私はすぐに気づきました。数日後、皇室関係の行事が都内で催されることに。私は後輩たちに「国会の住人はろくでもない連中ばかりだが皇室は未来永劫続いて欲しいものだ。俺たちが皇室の行事前にここにいるのも神の配剤だな」などと意味不明の言葉を発していたように記憶しています。私たちは国会議事堂の前で特に何かすることもなく10分位そこで雑談をしながらくつろいでいました。当然長居は無用とばかりに誰彼ともなく「じゃあ帰ろうか」ということになりました。しかし私の後輩はやんちゃ者というか物事に動じない性格の者が多くいきなり締めとばかりに万歳三唱をしました。(私も遠慮がちに万歳しましたが)「早稲田大学雄弁会万歳!」と3回叫んだと記憶しています。以前も記しましたが私、大学在籍時雄弁会に所属していました。一応4年間在籍していましたが今振り返っても自分に向かないサ-クルでした。もし「今度日本人としてこの世に生まれ変わったら早稲田の雄弁会に入会するか?」と問われたら間違いなく「入会しません」と答えます。話を戻します。万歳発声後、達成感を感じた一行は赤坂見附駅に向かうと思いきや一部の(私も含まれますが)皇室崇拝者が「天皇陛下万歳!」とこちらも3回叫びました。すると次の瞬間、どこに隠れていたのかとさえ思ってしまうパトカ-が数台、猛スピ-ドで私たちに向かってきました。しかも大きなサイレンを鳴らしながら。四方からパトカ-のライトに照らされた私たちはまぶしさに戸惑いつつまずはこの状況を分析しようと必死になりました。停車したパトカ-から5~6名の警官が降り険しい顔つきで近づいてきました。みな「何だ何だ」と口走りながらも顔は笑っていました。神経太すぎるのです。この連中は。警官たちは私たちに「君たちここで何をしているのだ」と若干怒りを含んだ声で職務質問してきました。(以下次回に続きます。記憶を整理します)
2020.06.10
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昨日は約5カ月ぶりに札幌市内の旅行会社へ行きました。営業担当社員が今月下旬、本州へ出張するので散歩ついでに書類を受け取りました。旅行会社は2カ月休業(電話での対応は継続)していたそうです。現在は週休3日での営業です。やはり新型コロナウイルス禍の影響なのでしょう通常では混雑しているオフィスも客は私一人でした。その出張も今後の感染者数増加で中止になることも予想されます。さて今朝のマスコミ各社の報道から。それほど大きく扱っていませんが香港の国家安全法通過に関連して「 米国、英国、オーストラリア、カナダは中国を批判する共同の声明を行う」ようです。本表明の効果は未知数ですが何とわが国は「不参加」とのこと。いかにわが国が中国に多くの天で押さえつけられているか明確になりました。私は民主主義を全面的に評価していません。最近はその弊害ばかり目につきむしろ制限選挙に移行すべきと考えています。(例えば3回続けて投票に行かなかった有権者は永久に投票権をはく奪するなど)しかし平成以降の政治家、官僚の劣化が激しく時に有権者が批判の声を挙げなければならない場面も時には必要です。その観点から「言論の自由」は絶対に必要です。今回、日本が米国らとの共同声明参加に踏み切らなかった理由は「習近平国家主席の国賓訪日実現に向け、中国を過度に刺激するのを回避するため」のようです。(アメリカには水面下で言い訳の連絡を献上しているかもしれませんが)今回の新型コロナウイルス禍対策はいうまでもなく、今回の対中姿勢をみるにつけ我が国の政府はいつからこんな腰抜けになってしまったのかともう呆れるばかりです。かつての自民党であれば党内から(特に若手が)批判の狼煙を挙げていたのですが今は音無です。私はここ数年、多くの方に「自分が日本人でいることが恥ずかしく感じることがあまりに多い」と話しております。もっともその主張に同意も反論もありませんが。せっかくの日曜日、腰抜け国家の指導者に立腹するのも精神上よくありませんので私が敬愛する西郷南洲(隆盛)先生の遺訓を披露して終えます。「正道を踏み、国を以て斃るの精神無くんば、外国との交際は全かるべからず。彼の強大に委縮し、円滑を主として曲げて彼の意に従順する時は、軽侮7招き、好親却って破れ、終に彼の制を受けるに至らん」‟外交とは国家が正しい方法で毅然と取り組まなくては相手国のみならず諸外国から軽蔑されひいては植民地にされてしまう”ということです。明治8年、かつての政敵であった庄内藩士に対し語った「西郷南洲翁遺訓」より抜粋しました。明治政府を下野してなお郷里の鹿児島で国家の行く末を憂いた西郷先生の先見性に驚嘆するのみです。西郷先生の偉かったことは外国(イギリス)の度重なる援助に対しても「自分の国の事は自分で行います」と頑として撥ね退けたことです。そこには日本人そして薩摩藩士としての誇りを喪失したくないとするサムライ精神が存在していました。
2020.06.07
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昨日、日刊ゲンダイDIGITALに掲載されていた記事が本日のタイトルです。最近文藝春秋から発行された著書のタイトルでもあります。本記事は著者の石井妙子氏と元政治記者の近藤大介氏との120分もの超ロングラン対談形式です。詳細は「百聞は一見に如かず」の格言通り著書をお読みいただければ私のブログより多くのご理解を得られるでしょう。(私は読まないかもしれませんが)本対談から伝わるお二人の御主張は危機感であり人間社会の儚さとでも言える何とも言えない寂しさです。以下簡潔にご紹介しましょう。主テ-マは現東京都知事の小池百合子氏の人生がいかに嘘と虚飾で塗り固められてきたものかというものです。実は前回の東京都知事選時、私のもとに幾つかの小池氏に関する醜聞が寄せられました。主として彼女の男性関係に関する内容です。私は以前からこの醜聞を噂レベルですが耳にしていましたのですが「やはり事実だったのか」という感想を持ちました。この度対談でその件、微かに匂わせている程度ですが。この新著では小池氏の800くらいのエピソ-ドが詰め込まれており100人以上の関係者へ取材を行っているそうです。そのなかには小池氏がカイロ大学時代、ひとつ屋根の下で共同生活を送った日本人女性も含まれています。その女性の証言として「小池氏が1976年にカイロ大学を首席で卒業したと自身の著書で書いていることは嘘です。実際は進級試験に通らず卒業していない」とのこと。この女性は現在もカイロに在住しており小池氏に関する「嘘」を日本の新聞社に送ったそうですが無しのつぶてだったそうです。それで文藝春秋社編集部に石井氏あ宛ての手紙を送ったのです。その際「これでダメなら、真実を受け止めてくれる人が世の中にいないと判断し、これまで持ち続けてきた小池氏に関する資料や日記などを全て燃やしてしまおう」と思ったそうです。幸い(?)石井氏の熱意でこの度日の目を見たわけですが大手マスコミは権力者に「忖度」をするばかりでジャ-ナリズム精神など持ち合わせていないのかもしれませんね。小池氏の性格(性質)についても「並外れた上昇志向が伝わってくる。人を値踏みして近づいてくるのが分かる」と小池氏と働いたことのある関係者の証言を紹介しています。小池氏がこれまで時の権力者に近づき、その権力者の力が低下すると見るや次の権力者に近づく「性癖」についても納得されます。・テレビ東京(の幹部)・細川護熙氏・小沢一郎氏・小泉純一郎氏の方々が利用され捨てられたようです。にしてもこれだけの大物をいとも簡単に捨て去ることのできる精神は凄いです。男性であればとても怖くて(その後の報復が)できません。とはいえ今夏の東京都知事選挙で小池氏が当選することは既定路線のようです。石井氏の新著がどの程度選挙結果に与えるか現時点ではわかりません。ただ石井氏の主張は日本人(健全な)は常に忘れてはならないと私は認識しました。「彼女(小池氏)がここまで上り詰めてしまったことが不思議でならないのです。言葉を変えて言うと、そのこと自体が、日本社会の‟危うさ”を表していると思います」まさに同感です。私たちの周囲にもいますよね。上司にゴマを擦ることで精神の充足を得たりポストを得ようとする人が。そういう人とどのように付き合えばよいか?簡単です。「相手にしないこと」です。古くから伝わる諺にもありますね。「朱に交われば赤くなる」。自分の信念に従って王道を歩んでいれば良いのです。それにしても今の内閣の面々を見渡してもこの国の危うさを感じるというのは日本は末期なのでしょうね。あまりこんなことばかり考えると暗い土曜日になりそうですので散歩にでも出かけてきます。良き土曜日をお過ごしください。
2020.06.06
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先日北海道南洲会の会長より手紙が届きました。北海道南洲会とは西郷南洲(隆盛)先生を顕彰する会です。全国に10団体くらい存在するうちの北海道で活動する集団です。手紙の内容は「新型コロナウイルス禍で勉強会開催もままならず、せめて機関誌でも作成しよう」というものです。会員が各々の「西郷観」を自由に文章化して一冊の機関紙として発行しようという試みです。期限は今月末まで。私は昨年から勉強会で使用するためにまとめた構想をこの際、文章化します。完成しましたらこのブログにてお知らせしたいと考えております。内容は「西郷先生に最も近い人が今も存在する」です。恐らく日本在住者であればそのお名前くらいは耳にされたことがあるのではないかというお方です。その方は市井にひっそりとしかし清らかな輝きを放たれている男性です。我が国の政治家(ついでに現在賞賛されている知事たち)が及びもしない心根を持った方と私は確信しています。今の内閣は論じることも恥ずかしい対象ですが同時にパフォ-マンスだけの知事にもいささか食傷気味のなかで文字通り清涼剤に映るお方です。自己を決して飾ることのなかった英雄・西郷南洲(隆盛)先生のような人物です。
2020.06.04
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前々回、中村稔先生の近況をご紹介させていただきました。 数名の「元教え子さん」からコメントをいただきました。あらためて中村先生の人気を実感した次第です。 その後私がこれまで書き記してきた中村先生に関する内容を読み直しました。今から10数年前に私は「中村先生を囲む会」を開催したいですね」と心境を吐露しています。しかし未だ実現せず。何とかここ数年で(新型コロナウイルス禍終息していませんができれば年内に)実行したいですね。 先月こんなことがありました。私は通勤時、携帯電話を「ドライブモ-ド」にしています。 会社到着後携帯電話に目を向けると 着信履歴が10数件表示されていました。「早朝から何事だろう」と訝しく思いつつチェックしていったところ発信者は全て私の同級生です。そのなかの一人に返信しましたら「お前生きていたのか」と驚くような声が届きました。 私が「朝から何寝ぼけたこと 言ってるの!」と返したところ「今朝の新聞お悔み欄にお前の名前が掲載されていた。年齢も同じだった」とのこと。帰宅後あらためてお悔み欄新聞を眺めると 亡くなった方は同姓同名しかも同じ年齢。住所だけ異なっていましたがその住所も以前私が住んでいた先と同じ区でした。 他の同級生にも「俺は生きているよ。ご心配なく」と連絡しました。みな「ついに死んだかと思ったよ」と言っていました。 「ついに」の意味が理解できないのですが・・・・・・・(笑)とはいえ私と同年齢の方が亡くなっています。私もいつ亡くなっても不思議ではない年齢に到達していたのです。数年前からそういう意識を持っていましたがこのようなことが起こると尚更「日々後悔のない人生を送らねば」という認識を持ちます。 中村先生を囲む会も実現して後悔の芽(既に発芽してしまいましたので)を一つ摘み取りたいものです。 東京在住の方、どなたか幹事さんを引き受けていただけましたら幸甚です。
2020.05.31
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私の同級生が経営する「古艪帆来(コロポックル)」はススキノを代表する北海道料理店です。今年の1月までは週末の予約はほぼ不可能。常に満席でした。それが2月中旬から新型コロナウイルス禍の影響を受けて来客数は激減とのことです。実はこの同級生は中村稔先生の教え子でもあります。お互い高校生時代から代々木ゼミナ-ル札幌校に通っていました。お互い不遇の時代を共有していますので今も親しい関係が継続しているのかもしれません。ススキノの一等地にお店を構えているのでその家賃もかなりの高額です。従業員の給与も発生します。どの飲食店も厳しい状況に置かれていることが同級生の話を聞いて我がことのように身に沁みます。最近コロポックルではテイクアウトを始めました。二種類ありますのでご紹介させていただきます。「再群来(サムライ)エスカ」(¥880+消費税)この命名の意は「コロナウイルスが一刻も早く収束し、また再びたくさんのお客様が戻って来ていただけることをスタッフ一同が願い名付けました」とのことです。もう一つは「お寿司10巻セット」です。こちらは3種類設定し金額は¥1,280+消費税です。ウニ、イクラも加えてのこのお値段、お得です。店内でのご利用も可とのことです。札幌市内在住の方は是非お試しください。
2020.05.30
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新型コロナウイルス禍において私は「楽天市場」での買い物が増えました。 未だガラケ-携帯電話で時代に遅れている私ですがこのところ「楽天市場」を有効活用しています。 とはいえ注文商品を配達してくださる方の存在無くしてこの商取引は成り立ちません。このようなご時世ゆえに余計、感謝の念に堪えません。もう一つ。本ブログを復活させてから以前私が記した内容を時折読み返しております。 その度に「(精神的に)善かれ悪しかれあまり変化はないなあ」と都度実感しています。 先日も無造作に検索していると懐かしい方の名前が目に留まりました。 伝説の予備校英語講師の中村稔先生です。 代々木ゼミナ-ルで学んだ方のなかで中村先生の授業を受けた受験生は少なくないのではないでしょうか。 札幌校の生徒は恐らく皆さんお世話になっているかと思います。 私が中村先生に最後にお目に掛かったのは今から5年くらい前でしょうか。 私の上京時に新宿で一献傾けました。 昨年末に私の論文(西郷隆盛先生に関する)を郵送させていただきましたが電話で話すこともなく先生のことを時折思い出す程度でした。 一時は猛威を振るった東京での新型コロナウイルスも落ち着いてきました。 今朝、私はふと「中村先生はお元気なのだろうか」と懐かしさと少し不安が入り混じった気持ちになりました。 そして先ほど先生に電話を差し上げました。 中村先生はお元気でした。先生の声を聴き安堵の念に包まれました。 お互いの近況報告のやり取り後、中村先生は「札幌に行き君と痛飲したい」と仰ってくださいました。 更に畳みかけるように「来月辺りは札幌も(コロナウイルス)落ち着いているかな?」とあの懐かしいだみ声が続きました。 さすがに私は「先生、来月のご来札はまだ危険です」と返答しました。 何とか7月くらいまでに落ち着いてくれたら嬉しいのですが・・・・・。 私が「先生の授業をもう一度受けたいです」と言いましたら先生は「最近なかなかお声が掛からなくて」と笑いながら返してくれました。私が学んだ代々木ゼミナ-ル札幌校の校舎はいまも当時のままです。しかし予備校として使用されておらずコ-ルセンタ-運営会社、会議室運営会社に貸す形式で残されています。 私はかねてより「人数さえ揃えば懐かしの校舎で中村先生にあの辞書を駆使した熱い授業を展開していただきたい」と考えております。 電話を終える間際、中村先生は I'm looking forward to seeing you. と仰ってくださいました。さすが英語の先生です。 このブログをご覧になった方で中村先生と痛飲したい方がいらっしゃったら是非お知らせください。 実は私、筋トレを復活させてからお酒を全く口にしていません。恐らく酒豪でいらっしゃる中村先生と対等に飲む能力(?)が著しく低下しているでしょう。 お酒の強い方、大歓迎です。
2020.05.25
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そろそろ緊急事態宣言(自粛要請)解除の気配すら漂う札幌(北海道)です。本日は午前中に外出し用事を済ませ早めに帰宅しました。移動は全て車です。本当は車の運転、好きではないのですが不特定多数との接触を避けるためやむをえません。ホ-ムセンタ-そして某大手家具量販店の前を通りました驚きました。駐車場に停めている車の数があまりに多いのです。駐車場はほぼ満車状態です。北海道はまだ緊急事態宣言(自粛要請)の最中になるのですが。晴天に恵まれたので外出したくなったのかもしれません。まあ「外出禁止」が超法規的に発令されたわけではありませんので規制することは不可能ですが。政府、各自治体の知事はパチンコ、スポ-ツジムに対し「営業自粛」を声高らかに宣言しました。しかしホ-ムセンタ-、大手家具量販店には全く触れていません。特に北海道知事は現状を把握しているのかわかりませんが少なくとも私は耳にしたことも目にしたこともありません。この非常時に家具店に行く必要があるのでしょうか?もちろんパチンコは「不要不急」の場です。(私はパチンコをしませんのでその存在すら否定しています)とはいえパチンコ業者に休業要請をつきつけるなら合わせて休業補償もすべきと考えます。(実際、憲法にも明記されているそうです)話は前後しますが北海道知事は北海道民(特に人口の多い札幌市民)に家具店にも行かないように発言しても良かったのではないかと私は考えます。でもできないでしょうね。この某大手家具量販店のオ-ナ-は北海道知事の後援会長ですから。私はこのオ-ナ-の経営能力を高く評価させていただいております。自粛要請を受けなかったので休業にしなかったのは当然です。しかし今月の週末に買い物客で混雑しているという状況を各方面から指摘されていました。北海道民の代表たる知事はこの状況に苦言を呈しても良かったのではないかと私はいつも思っていました。(自粛ポリスなどという暇人が行う行為などしませんが)前置きがながくなりました。帰宅後パソコンを開くと以下の記事が目に飛び込んできました。毎日新聞と社会調査研究センターは23日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は27%で、今月6日に行った前回調査の40%から急落した。不支持率は64%(前回45%)に跳ね上がった。社会調査研究センターとの共同調査は3回目で、最初の4月8日に44%あった支持率が1カ月半で17ポイント落ち込んだ。調査方法が異なるため単純に比較できないが、毎日新聞が従来行っていた電話世論調査では森友・加計問題で政権批判が高まった2017年7月に26%まで下落したことがある。私の感想は「それでもまだ27%の支持率があるのか」というものです。恐らくこの27%は思考停止者か似非保守でしょう。多いのです。安倍総理の支持者に。本人は保守とか国士を自任する人たちが。しかし口を開けば中国・韓国の悪口ばかりです。決してアメリカの批判をしません。最近はロシアの批判さえしなくなりました。日本はアメリカの支配下にあるので批判しにくいのでしょうがロシアは北方領土を奪った盗人です。そのロシアと友好関係を構築しようとした方が安倍総理です。そして安倍総理の在任中、中国との人的・経済交流は加速しました。私のような国家主義者からすると耐えられないですね。私は先の大戦で亡くなった多くの同胞を思うと目の前のお金のため魂を売るような政策を支持することができません。今回の新型コロナウイルス禍も中国からもたらされたことは明白です。トランプ大統領の如く非難することができない日本の指導層の度胸のなさに失望するのみです。一日も早く真に日本を愛する人物が総理大臣に就任することを半ば諦めの心境のなか期待しています。
2020.05.23
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昨日(5月17日)付の北海道新聞朝刊6面に掲載されている‟「風」論説委員室から(西山由佳子氏)‟を大変興味深く熟読した。タイトルは「非常時だから批判を」。冒頭、与謝野晶子がスペイン風邪対策に戸惑る当時の政府を酷評した一文を紹介する形式で始まった。その政府批判とは「盗人を見てから縄をなう」という内容。盗人捕獲用の縄が盗人を見つけた段階でまだ作られていないという意でしょう。災害が発生してから「これからどうしようか」と考えるような準備不足において後手後手となった日本の新型コロナウイルス禍対策も同様に酷評される失態なのでしょう。西山氏の主張は更に続きます。「ちまたでは‟今は政府の批判を控えよ“との意見もあるが、そうだろうか。国民に対し緊急事態宣言が発令され政府や知事に強力な権限が与えられた。その権限が適切に行使されているかを監視しなければならない。対策の財源も首相のポケットマネ-ではなく、私たちの税金である。非常時だからこそ納得できないことがあれば注文をつけるべきだ」。私はこの主張に賛成です。ただし短絡的な思考からヒステリ-気味に批判するのではなく冷静な思考で前向きな批判をすることが求められます。そもそも日本国民はこの何年か多くの不祥事に対し、さしたる批判をしてこなかったのではないでしょうか。それは自分自身の生命に直接関りがないからと短絡的に考えてきたからでしょう。少し失礼な表現を使うなら目の前に人参をぶら下げられて牙を抜かれたということでしょうか。(もともと牙など持っていないのかもしれませんが)今回はまさに自分そして家族の生命に関わる災害が降りかかっています。そろそろ私たち国民は目を覚ました方が良いのでないでしょうか。さて与謝野晶子で思い出したことがあります。鹿児島市にある南洲墓地敷地内に与謝野晶子の詩を刻んだ石碑が建立されています。建立時期は今から6年前と記憶しております。浄光明寺入り口前にあります。機会がございましたらご覧ください。南洲墓地に眠る西郷南洲先生は今回の新型コロナウイルス禍に対する日本政府の対応に対し厳しい評価をされるでしょうね。南洲先生は西郷南洲翁遺訓のなかで「日頃から突発的災害・事故に対する備えをしっかりと考察しなくてはいけない」と仰っておられます。曰く「事にあたり思慮の乏しきを憂うることなかれ。およそ思慮は平生黙座の際に於てすべし~」と。まさに「治において乱を忘れず」ですね。何も禍が起こらない時にこそ心静かにしてこれから起こるかもしれない事象を想像しどのように解決するか策を練ることが大切なのです。同じことは会社の経営にもあてはまります。不要な借り入れを減らし内部留保金を増やしておくと今回のような経済パニックにも落ち付いて対応することが可能となります。当然「自粛要請」を繰り返すだけの政策は無策なのです。今回の新型コロナウイルス感染対策で各国から絶賛された国が台湾です。台湾では昨年12月末に中国武漢からの入国者検疫をスタ-トさせております。年が明けて1月2日には専門家会議スタ-ト1月21日には指揮センタ-設置(当日初の感染者の確認)感染者対策として海外から戻った人は14日間隔離とし違反者には最高360万円の罰金を課するとしたようです。その他IT大臣の活躍も絶賛されたことは日本のマスコミも報道していましたのでご存知の方も多いでしょう。台湾は進取の精神を持った人が多いことも成功の要因かもしれません。私は今から約30年前に初めて台湾を訪れました。新卒で入社した会社の配属先が海外事業部という部署で頻繁に台湾出張がありました。数カ月滞在の長期出張では取引先でもある台湾企業の社員と楽しく仕事をさせていただきました。彼等の英語力は完ぺきでしたし日本語も勉強していました。勤務終了後に日本語学校に通っている人もいました。そして仕事の合間やお昼休みとなると私に日本語の文法などを質問してきます。その時私は「日本人は近い将来台湾人に負けるだろうな」と確信しました。その確信が今回の新型コロナウイルス禍において現実のものとなってしまったことは残念であると同時に「自分も多くの平和ボケから脱さねば」と思い知らされた次第です。
2020.05.18
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昨日は終日在宅勤務でした。ひと仕事を終えて書類整理をしているとインタ-ホンが鳴りました。宅急便到着のお知らせです。こんなご時世に休むことなく働いている宅急便配達の担当社員に感謝しつつ小包を受領しました。「ワレ物注意」と明記された送り状に目を向けるとご依頼主の欄には私が学生時代からお世話になっている方の氏名が。ゆっくりと袋を開封すると懐かしい包装用紙は目に飛び込んできました。村上開新堂さんの包装紙です。村上開新堂さんは「知る人ぞ知る」クッキ-の名店です。手作りならではの上品な味はただただ「素晴らしい」の一言です。更にこのクッキ-は紹介制でのみ購入可能なのです。つまり「お店に行っても購入できない」ということです。値段も相当に高価と聞いております。以前にも送っていただいたこともありますが今もこの味を舌が覚えています。いまの暗く自粛生活を強いられている最中の心温まる贈り物に「光芒」を全身に浴びたようです。この「光芒」とは雲の間から差し込む太陽の光を表します。まさに先月から雲に覆われ沈んだ気分で毎日の生活をおくっているなかに一筋の光が私に降り注いだ感があります。文字通り「お金では買えない」幸せを感じつつこれから一つ一つゆっくり(そして少しずつ)味わいながらいただく予定です。
2020.05.16
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前回鹿児島に関する内容でしたので今回も続くこととします。私が敬愛する西郷南洲先生はあらためて説明するまでもなく鹿児島の(日本の)英雄です。鹿児島の至るところで南洲先生の座右の銘「敬天愛人」の額を目にします。この「敬天愛人」は南洲先生の造語ではありません。有力な説は陽明学者の中村正直が考え出した理念だそうです。天を敬い人を愛す。人生において頂点に到達した者のみが理解できる理念であると私は実感しております。私など当然ながら未だその意味すら理解しておりません。敬天の天とは何か?私が考える天とは「神」であり「自分の行いを映す鏡」のような対象です。人間が生きていくうえで常に恐れなくてはいけない対象です。その恐れとは人それぞれでしょうが法律であり道徳であり自分との約束のような規律でしょうか。まだまだ考察を要します。南洲先生の域の遥か遠くに生きている私はむしろ「雪に耐えて梅花麗し」を座右の銘にしております。この漢詩は南洲先生の造語です。外国留学に向かう甥に贈ったはなむけの言葉です。意味は難解ではなく「多くの想像を絶する困難を乗り越えて人は立派に成長することができる」という意味です。「若いうちの苦労は買ってでもせよ」に近いかもしれません。南洲先生自身、決して裕福ではない家庭に育ち人生の働き盛りにおいて5年以上もの島流し生活を余儀なくされました。私も生きていくなかで辛い出来事に遭遇した時には「雪に耐えて梅花麗し」を心のなかで叫んでおります。この名言の碑が鹿児島市内に建立されております。今から10数年前、中央駅近くの共研公園内で見つけた時の喜びを今も忘れず訪鹿の度に訪れております。明治維新前、この共研公園の持ち主は松永高美という人物でした。松永は西南戦争に薩軍として参加し亡くなった南洲先生を兄とも慕っていました。南洲先生も年下の松永さんに心を許しており互いに親友といっても過言ではない関係でした。南洲先生が生家を売却し引っ越し先として選んだ地が共研公園の敷地内でした。借家での生活になるのですがこの家の大家さんも当然、松永です。この借家にあの坂本龍馬が泊ったという逸話も存在します。龍馬が寝ていると天井から雨水が顔に落ちてきたとか。貧乏暮らしに慣れている西郷イト夫人が「せめてお客様のお部屋くらいは修理して欲しい」と南洲先生に懇願したとか。この件について数年前、南洲先生の曾孫及松永さんの玄孫と議論する機会がありました。結論として「この雨漏りの話は創作だろう」と意見が一致しました。その根拠は以下の二点です。1.松永が心から尊敬する南洲先生に対し雨漏りのする家を貸すわけがない。2.南洲先生が友と認める龍馬を雨漏りのする家に泊めるわけがない。せめて龍馬の部屋だけは修理をするだろう。「当事者」子孫のお二人とこのような逸話について議論をすることができたこと有意義な思い出です。
2020.05.14
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鹿児島県は現時点で新型コロナウイルス感染者数が10名と北海道に比べ少ないです。その要因はなぜなのかわかりません。鹿児島市には地下鉄がないため通勤通学の手段は電車またはバスです。(自家用車利用以外で)それなりに接触数も多いような記憶がありますが感染者数が少ないことは良いことです。先月鹿児島在住の知人からの連絡では天文館(鹿児島市の繁華街)は閑散としているそうです。皆さん警戒されているようでした。鹿児島といえばシンボルの一つであります桜島が噴火したと先日マスコミなどを通して知りました。桜島の噴煙発生はほぼ毎日のようですが、今月9日に高さが火口から4200メートルに達する噴煙が見られたようです。その影響で鹿児島空港を発着する6便が欠航したそうです。そういえば数年前の訪鹿時、城山観光ホテルの駐車場に到着し車から降りた直後に火山灰の洗礼を受けました。北海道では雪による飛行機の欠航は発生しますが噴煙による欠航は想像できません。鹿児島市では桜島噴火後に降り注ぐ灰を収集する業者さんが存在するそうです。札幌市(北海道)は道路に降り積もった雪を処理する業者さんが存在します。観光客にとって雪は思い出の一つになるのでしょうが生活者にとってはうんざりさせられる対象です。桜島については訪鹿の旅にその悠然とそびえる姿に心を奪われます。下の写真は数年前の南洲先生の墓参時に南洲墓地にて撮影した桜島です。私にとって南洲墓地から眺める桜島は最高の芸術です。昨年は熟考の末、訪鹿しませんでした。今年は桜島を背に西郷南洲先生の墓参が叶うかどうか。全ては新型コロナウイルス終息次第です。
2020.05.12
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本日の札幌市は雨模様です。太陽の光は照らされない朝は気分まで暗くなります。昨夜は取れたてのアスパラを堪能しました私が最も美味しいと感じる食べ方は「オーブンレンジで焼く」です。何も味付けせずいただくこの調理方法(?)こそ甘みを下で味わうことのできるベストレシピです。素材が良い野菜には調味料が要らないということをあらためて実感させられました。昨日の農家さん訪問後、イオン某店に立ち寄りました。この店舗のなかにあるドラッグストア-でうがい薬を購入するためです。現在札幌市内のドラッグストアで欠品が続いている商品はうがい薬とハンドソ-プです。私は喉が弱いのでうがい薬を手放すことができないのです。しかし自宅周辺にあるドラッグストアには一つも置かれていません。昨日も「恐らく欠品だろうな」とさして期待していませんでした。ところがマイナスの期待を裏切り、数個ですが置かれていました。有難かったです。そしてマスクも売られていました。お一人様一袋という条件付きの販売でした。価格は確か税込み・500円(10枚入)とネットで購入するより安価です。そろそろ生産が追いついたのでしょうか。いずれにしても良い傾向です。政府支給のマスクは届いていませんが今となっては不要です。布マスクは札幌市内の少なくないお店で販売されていますし。政府に知恵がないのかやる気がないのか判断しかねますが民間企業の方が頼りになります。マスク供給に限らずこれからますますこれまでのツケが表面化してくるのではないでしょうか。
2020.05.10
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本日も札幌は晴天です。休日(先々週から休み続きですが)ではありますが10時前には自宅を出ました。以前からお世話になっている石狩市の農家さんから電話があり「頼まれていたアスパラを用意できる」とのこと。自宅用と東京へのお届け用に毎年お願いしております。採れたてのアスパラは大変美味です。特に北海道のアスパラは絶品のようです。それは寒暖差により甘みが増すからだそうです。確かに毎年口にして感じることは「甘い」ということです。北海道はこのところ気温の低い日が続いておりました。アスパラは気温の上昇とその生育が比例しますので数日前からの高気温はまさに天の恵みでした。我が家では早速今夜いただきます。作り手を知っているからより有難く味わうことができるのです。暗い雰囲気に覆われたいまの世の中において最高の贅沢となりそうです。
2020.05.09
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本日は休暇のためのんびりとしていました。札幌駅周辺はス-ツ姿の男性も多く見受けられました。昨日から業務開始の会社も多いのでしょうか。自宅にいて特に体を動かさなくともお昼近くになると若干、空腹感を感じます。とはいえ「当面のあいだ休業します」のお知らせが貼られたお店が多く食べに出かけるのも困難です。そこで本日はお弁当を購入することにしました。どうせ食べるなら食べたいものを。体が欲するものを選んだ方が良いです。先月末、私は高校時代の同級生に会いました。彼はススキノで大きな居酒屋を経営しています。その居酒屋のフランチャイズ店が中央区円山にあります。店名はコロポックル円山店です。同級生から「円山店でランチ向けお弁当販売を始めた」と聞いていたことを思い出しました。私はお店のHPを検索しました。すると「エスカロップ」が販売されているではありませんか。「エスカロップ」は道東根室市のソウルフ-ドです。電話で注文をし車で受け取りに行きました。プラスチックの容器に収められており蓋で押されているのであまりきれいな状態で撮影することができませんでした。しかし味は抜群でした。本家本元の根室で食べるエスカロップより美味しかったです。出来立てはもっと良い味なのかと思うと少し残念な気がしました。(笑)皆様も是非お召し上がりください。コロポックル円山店の住所:札幌市中央区大通西23-1-1電話番号:011-611-4646先月から休業していた本店(ススキノ店)は今月11日から営業を再開します。こちらは収容人数・350人以上です。広い空間ですので「密」を避けられると思います。いまススキノに限らず札幌市内で飲食業を営んでいる方々は資金繰りなど塗炭の苦しみを味わっておられることでしょう。皆さんで知恵を出し合いこの苦難を乗り切ってください。北海道は財政状況が悪いこともあるのでしょうが「これ以上金銭面での支援はしない」ようです。財政破綻寸前とまで言われている北海道ですがここまで悪化させた原因及び張本人をこの際、徹底的に調べ上げることは今後北海道民の生命を守るうえで不可欠と私は考えます。そういえば、そろそろ北海道議会新築工事が終了するころでしょうか?莫大な予算を投じて立て替える意義が果たして存在したのか北海道民は自分のこととして考察しなくてはいけません。ここ何年か日本の政治は「重要事項及びスキャンダルを解決せず何となく流されてきた」感があります。日本人は「忘れやすい」性があります。その悪癖が戦後から今日まで日本を「後進国」に貶めた原因の一つであるかと私は考えます。いまは奮闘されている医療従事者の皆様に感謝しつつ今回の「災難」を決して忘れないように生きていきたいものです。
2020.05.08
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本日が大型連休の最終日です。明日から仕事に出かける方も多いでしょう。特に電車・バス通勤をされている方はお気をつけお出かけください。今年の大型連休は日本国民の全てにとって暗く一刻も早く忘れたい「思い出」と共に時が過ぎ去っていったのではないでしょうか?特に旅行を趣味とされる方にとってはお気の毒な大型連休でした。かくいう私も自宅に籠ることが多くいきおい読書・テレビ鑑賞に費やす時間が殆どです。本ブログを再開してから昔記したブログを読み直しております。膨大な数ゆえに少しずつしか読み返すことはできないのですが先ほど2014年3月3日付けの「鹿児島に眠る指南役」に当時記した内容に思いをはせておりました。この「鹿児島に眠る指南役」は四元義隆さんのことです。今の世において四元義隆さんの名を知っている若い人は殆ど存在しないでしょう。四元さんは歴代総理大臣の指南役にして非利権右翼の大物でした。時の政府の腐敗、無能に対し有名な「血盟団事件」を決行します。貧困に喘ぐ日本国民を救わなくてはという純粋な救国の念やみがたくの心境でした。鹿児島市出身で私が尊敬する西郷隆盛(南洲)先生とは親戚関係にあります。西郷先生の精神を最も継承し実践された数少ないお方です。当時の私のブログで四元さんが懸念されていたことが紹介されています。「緊張感の欠如」、「やむおえない、やむおえないという風潮に世の中が悪い方に流れていったこと(第二次世界大戦に参戦したこと)」です。ここ何年かの日本に全くあてはまるのではないでしょうか?更に今は「深く考察せず表面しか見ることをしない」、「世の中の過ちをすぐに流してしまう」という軽薄さが昭和の時代に比べ増しているように思えてなりません。外出自粛要請が出され時間に余裕のある今こそ先の大戦前夜を調べることが有意義なのではないでしょうか?私は数年前、鹿児島市を訪問した際に市内にある四元さんの墓参をしました。方向音痴の私のために西郷隆盛先生の身内が案内してくれました。四元先生の名声と反比例するかの如く小さく質素なお墓に手を合わせてきました。今の日本は戦前と変わらない構造のままであることを残念に思いながら四元先生の墓参を思い浮かべました。皆さんもご関心あればネットで四元先生についてお調べください。学ぶべきこと大です。
2020.05.06
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今月4日、GOLD'S GYMを含む世界に約700店舗のジムを運営するアメリカのGGIホールディングスが経営破綻した。先ほどこのニュ-スをネットで見つけ驚きました。ゴ-ルドジムは筋トレに励む者にとって最高峰的存在のジムと位置付けられています。(現在の若い方にとってはわかりませんが)私が若いころトップボデイビルダ-や格闘技系選手が集う名門ジムでした。私は10代から筋トレを開始し途中、何度かのブランクを経て今も続けています。昨年末、知人の弁護士との忘年会で私が「ジムで筋トレをしている」と話しましたら「筋トレのどこがおもしろいのでしょうか?私はその面白さがわからないのです」との酷評(?)をいただきました。筋トレの良さ?面白さ?―私にもわかりません(笑)筋トレを続けてもあまり良いことはないかもしれません。必ず怪我をします。疲労回復を重んじるあまり酒を止めます。睡眠時間の確保は必須です。いきおい友人との夜の交流が激減します。でもなぜか筋トレ生活を止めることはできません。筋トレ後に襲ってくる筋肉痛の心地よさ、今まで挙がらなかった重量をクリアできた時の爽快感などを味わう喜びにその意義を見出しているのかもしれません。(自己満足?)その他にはジムで多くの人と知り合うことができるということですね。私はなぜか昔からジムで多くの友人を得ています。そしてその関係は今も継続中です。これは不思議です。東京在住時に通っていたジムの友人とは定期的にメ-ル交換しています。数年前には友人が経営する会社の社員旅行に参加させていただいたり。このジムは非日常的空間でした。私が仲良くしていた会員はみな強烈な個性の持ち主でした。学生のサ-クル的雰囲気があり本当に楽しい時間を過ごしました。いつかこのジムでの思い出を記すことができればと考えています。いま通っているジムにも食事に行ってくれる仲間がいます。なかには20代の女性もおり精神的若さを維持できそうです。話を元に戻します。名門ゴ-ルドジム(米)が破綻する衝撃の原因は新型コロナウイルスの流行でしょう。それほどまでにこのウイルスの影響は大きいのでしょう。もっともこれを対岸の火事と聞き流すことはできません。私が通うジムも2月下旬から退会する方が増えております。現在は休業中ですが今後、退会する方が増えるかもしれません。そこで働く社員、バイトの学生さんの顔を浮かべると沈痛な思いになります。日本の経済破綻の足音がひたひたと聞こえてくるようです。
2020.05.05
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大変ご無沙汰をしておりました。北洲です。楽天さんのブログを開始したのが今から10数年前です。その後プライベ-トで多忙続きでストップしておりました。昨年「また復活しようか」と思い立ちました。しかし開始時に使用していたアドレスは既に使用されておらず管理画面に到着することさえ不可能に。この度の連休中に楽天サポ-トさんの尽力でこれまで利用していたこのブログを復活させることができました。当然ながらブログ開始時より歳をとりました。(馬齢を重ねてきた?)いま世間は(とういうより世界的に)新型コロナウイルス禍の真っただ中に覆われております。私たち日本国民が全て不安、遠慮、制限を享受しつつ生きております。私自身は「いつ死んでも良い」年齢に達しましたので生活するうえで大きな変化はありません。しかし周囲の方にご迷惑を掛けることは避けなくてはいけません。通常であれば決して身に着けないマスクをし、除菌スプレ-を携行する毎日です。数年前に復活した筋トレもジムの休業で先月中旬からストップしています。筋トレ再開後、老骨にムチ打ち随分と無理を重ねてきました。(ぎっくり腰は数回経験)今も腕の怪我が完治していません。いまは酷使したこの老骨癒す時間と考えております。とはいえ体が重く感じられますのでジョギングを始めようかとも考えています。このブログも継続していきたいです。相変わらず成長しておらず精神的には高校生レベルです。時には(いつも?)過激な内容になるかもしれませんが私の「少し早い遺言」と認識いただけましたら幸いです。もうしばらく不自由な生活が続くでしょうが何か楽しみを持ってお過ごしください。今回の新型コロナウイルス禍に関して日本国民には責任ありません。ただ政府(政治家)の失政や不祥事が改善されないのであればそれは日本国民が選択したということだけを忘れてはいけません。そしてその災いは間違いなく私たち国民に返ってきます。残念ですが今の日本において「自分の身は自分で守るしかない」ことは明らかです。本日はこのあたりで終了します。
2020.05.04
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テストで書き込みします。
2020.05.04
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先週金曜日の夜、帰札しました。今年の行程は9月23日~26日でした。今年も多くの方にお世話になりました。昨年会えなかった方と偶然再会。しかも西郷南洲先生の銅像前で。地元のFM放送に出演する機会をいただいたことは良い思い出です。南洲墓地では桐野利秋さんの子孫とお話することが出来ました。私がその方に「自分は桐野利秋さんの生まれ変わりと思っています」と言いましたら笑っておられました。決して天気に恵まれた旅行ではありませんでしたが自由時間を満喫することが出来ました。西郷南洲先生が愛した温泉地(高城温泉)まで足を延ばし短い休息。しかし肝心の西郷南洲先生へのご報告は懺悔、お詫びばかり。来年は胸を張って一年のご報告をさせていただきたいものです。
2014.09.29
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私がこれまでの人生において「あまり好きではなかった又は興味が無かった人物」に関する本を読む動機については以前、記しました。今回ご紹介させていただく本の主人公は乃木希典大将です。もっとも、私は乃木大将を「敵」と認識したことはありません。あえて私が好まぬ点といえば西南戦争時、敬愛する西郷隆盛(南洲)先生と「対峙」した新政府軍側に属していたということくらいです。彼の殉死(明治天皇崩御の直後に夫人と共に自刃)の美談はあまりにも有名で私も高校生の時からその衝撃を脳裏に強く残しております。実は私、今年の5月上京時「乃木神社」へ行っております。特に参拝の強い目的はありませんでしたが・・・・・・。宿泊先したホテルが「乃木神社」と目と鼻の先にありましたので東京を離れる日の午後、参拝した次第です。そのようなこともあり乃木という人物像を知りたいと思っていました。本書は著者である福田和也氏の人間性(良い意味で)を前面に出した上で乃木大将について記した良書であるというのが私の感想です。乃木大将はもともと軍人志望ではなく学者の道を歩みたかったそうです。そんな深層心理が影響したのか日露戦争における多大なる犠牲は「乃木は軍人として無能」との汚名を彼に与えております。戦中後は抗議の手紙が乃木のもとに多数届いたとか。児玉源太郎、東郷平八郎といった英雄に比べ軍人としての資質・能力は少なかったのもしれません。この点を把握して本著を読むと乃木の人物像がくっきりと浮かび上がります。しかし本著の読後、乃木は私が好きな人物であることが判明しました。その理由は私と乃木の共通点の多さです。まず人間の好き嫌いが激しい点。首相になった桂太郎(攻略機微に富み、権力の機微に通じて立身を重ねた)を唾棄すべき人物とみなし徹底的に嫌ったそうです。同じ長州出身の関係ではありますが桂が素封家の家で供応を受けていたことに憤慨。後輩の桂が乃木に笑みを浮かべて挨拶にきても全くの無視。(但し福田氏は桂を評価している。日露戦争時の総理で国難を乗り切った。議会政治を成熟させた。が主な理由)乃木大将、一時は放蕩生活を送っていたがドイツ留学後に質素、謙譲を旨とする生き方に“転向”しました。・生活をとことん質素にした。・家での食事は「稗飯」だった。 ・軍務についている時には兵隊と同じものを食べた。(特別な食事を出されると食べずに返した)・自動車には乗らなかった・負傷兵に会うとどんなところでも馬を下りて「ご苦労だったなあ」とねぎらった。・身のまわりのことは全て自分でした。(以下省略)これだけでも西郷先生との共通点が恐ろしいほどあります。日露戦争の勝利が確定した時、ロシア軍旅順司令官ステッセルが降服にきたが乃木大将は帯剣を許し武装解除を求めなかった。アメリカのニュ-ス会社がその会見の様子を撮影したいと申し入れてきた。しかし乃木大将は断った。無用の恥辱をステッセルに与えたくないから。ここでピンとくる方も多いと思います。乃木大将のこの姿勢は西郷南洲先生と同じであります。庄内藩に対し寛大な措置を施したのと同じです。勝利に驕らず敗者を労わる。“日本人の気高さ”が文明世界全体に知れ渡ったとか。一度会うとまた会いたくなる人物。二度とその顔を思い出したくない人物。世の中には二つのタイプの人間が存在します。乃木大将は前者の方であります。今回、乃木大将の人物像を知ってより詳しい彼の著書をひもといてみたくなりました。そして次回上京時、敬意をもって乃木神社を再訪したい動機が私の心のなかで強くなりました。更に、このような素晴らしい作品を書かれた福田氏にも感謝申し上げます。
2014.09.04
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