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夏になると、子どもの頃のことを思い出す。
実家の近所は、今思えば本当によく集まる人たちだった。誰かが家の前に折りたたみのテーブルを出すと、あとは自然と人が集まってくる。
夕方になると、茹でた枝豆やトウモロコシが並んで、大人たちはビールを飲みながらいつまでも笑っていた。何がそんなに面白いのか、子どもにはよくわからなかったけれど、みんな楽しそうだった。
今より夕方の風は少し涼しくて、どこかの家からは夕飯の支度をする匂いが流れてくる。醤油の焼ける匂いや煮物の匂いが混ざって、「もうすぐ夜だな」という空気があった。
もちろん、子どもも遊んでいるだけではない。
枝付きの枝豆を一つひとつもぐのは子どもの仕事だったし、山積みになったトウモロコシの皮をむくのも子どもの仕事。途中で枝豆の枝を振り回したり、トウモロコシのひげでふざけたりして、そのたびに「ちゃんとやりなさい」と言われる。
全部終わる頃には指先が青臭くなっていて、それも夏の匂いだった。
近所のみんなで積立をして、たまに旅行にも出かけた。高級旅館ではなく、山間の小さな宿だったけれど、それで十分楽しかった。
街ではもう初夏の陽気になっていた頃だったと思う。でも山へ行くと、日陰にはまだ雪が残っていた。
子どもたちはそれを見つけると大喜びで、冷たい雪を触ったり、小さな雪のかたまりを投げたりして遊んだ。川をのぞいたり、山の中を走り回ったり、夢中になると時間なんてあっという間だった。
宿へ戻る頃には、みんな日に焼けて泥だらけ。誰がどこの家の子なのか、もうよくわからないくらいだった。
大人たちは大人たちで、夜になるとまたビールを飲みながら笑っていた。子どもから見ると、大人というのは枝豆とビールがあれば、いつまでも楽しそうにしていられる不思議な生き物だった。
朝は朝で、窓を開けると少しひんやりした空気が入ってきた。味噌汁の湯気や炊きたてのご飯の匂い。近所では雨戸を開ける音や新聞を取りに出る足音が聞こえる。誰かがもう起きている気配が、なんとなく安心だった。
この前スーパーで、枝付きの枝豆を見かけた。子どもの頃は、早くもぎ終わって遊びに行きたいと思っていたのに、今では枝付きのほうが少し値段が高い。
あの頃は手間のかかるものだったのに、いつの間にか少し贅沢なものになっていた。
そんなことを思いながら枝豆を眺めていると、あの山の雪や夏の夕方の風、遠くで聞こえた笑い声まで、少しだけ戻ってくるような気がした。
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