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ダンナさんが花を買ってきてくれました。「Originな物語の日記」
September 4, 2015
ヨガの教室でピンクの花をいただきました。「花とお城と洋館めぐり」
May 28, 2015
昨夜、美の巨人を観た後にNHKにしたところ、SONGSで坂上忍さんがデヴィッド・ボウイについて語っておられて。年末にも、クリス松村さんがデヴィッド・ボウイを取り上げられた番組があって真夜中に夫が観ていたのですけれど、私は眠ってしまっていて。「(翌朝)♪♪(はなうた)・・・これなんて曲?デヴィッド・ボウイなんだけど」「ブルー・ジーンじゃない?」「そうそう。夕べ、デヴィッド・ボウイ出てたよ」「!!!」「久々に聞いたけど、やっぱりいいよね」CDが欲しいという夫の希望で「レッツ・ダンス」を購入、録画はしてくれていなかったので再放送がないかなと思っていたところでしたので、今回のSONGSは途中からでしたけれど拝視聴。幸いなことに、SONGSは再放送がありますので、早速、予約したのでした。SONGS「デヴィッド・ボウイ ~坂上忍 極私的ボウイ論~」NHK総合 土曜夜11時~ 再放送 翌週金曜 午前1時30分(木曜深夜)「TV談義の日記」「Originな物語の日記」
March 8, 2015
佳き年になりますようにお祈り申し上げます。
January 1, 2015
どうぞ佳いお年をお迎えください。
December 31, 2014
どなたさまも温かくお過ごしになられますように。
December 18, 2014
池上彰さんの、大学での講義を視聴できる番組で母校の校歌が取り上げられたのでいつも以上に集中して拝見。6月23日放送の公害についての講義では、公害前と公害後で歌詞の変わった小学校と高校の校歌の一部が紹介されていました。小学校の方が紹介されているときから、もしかしたら母校のものも…と思いながら拝見していると予想通り、なつかしき校歌が登場。番組では、公害と認定される前と後の校歌の一番の冒頭部分と、三番の全てが紹介されていましたが公害後の歌詞が違っていたのが、少し残念。公害前登城ヶ丘の草の上・・・炎をあげるスタックが限りない未来を照らす夢はらむ高みのかなたこの空は宇宙へ続く新しい力を持って公害後登城ヶ丘の草の上・・・心にひめた問いかけは限りない未来を目指す夢はらむ高みのかなたこの空は宇宙へ続く新しい力を持って公害前と公害後では、太字の部分が変えられたと伝えられていましたけれど、三番のラストの行も「新しい力を持(も)って」⇒「新しい答えを待(ま)って」になっています。(学校HPによると「限りない未来を目指す」も、「めざす」とひらがな)谷川俊太郎さん作詞、武満徹さん作曲の、校名が一度も出てこないにもかかわらず学び舎のたつ丘から海へ、空へ、宇宙へと壮大にイメージが広がり、歴史をみつめ乗り越えようとする様が描かれた素晴らしい校歌を、いつも誇りを持って歌っていました。歌詞が改変されたことは、校誌で読んだ記憶がありましたが、変わる前の歌詞については覚えていませんでしたので、今回、番組で取り上げていただいたことに感謝しています。
June 25, 2014
佳き年になりますよう お祈り申し上げます「白雲に 羽うちつけて とぶ鶴の はるかに千代の 思ほゆるかな」*624 (二条院御製 千載和歌集より)
January 1, 2014
ダンナさんが花とケーキを持って御帰宅遊ばしました☆大変美味しゅうございました☆「Originな物語の日記」
September 28, 2013
ペルセウス座流星群を観に。2001年に流星雨を観た場所で観測会があるとのことで夫はデジカメを構え、私は持参のシートに寝転んで、参加させていただきました。着いてすぐ、東の空の地平線に近い方で大きな流星が見えたので、すぐに分かる天頂近くのカシオペア座あたりばかりではなく、なるべく広い範囲を視野に入れるようにしたところ、北の地平線近くでも大きな尾が観えて。帰宅してデジカメをチェックした夫は一つも捉えることができていなかったので少しがっかりしていましたけれど、数十個の流星を観ることができて満足。佳き機会を設けて下さった方々に感謝いたします。
August 13, 2013
D・ボウイを観にアンコール上映の映画館に駆け付けたのは公開の年の、12月になってから。受験が終わるまで映画鑑賞封印宣言、をしてしまってから、「戦場のメリー・クリスマス」なる作品が封切られたのは5月のころ。以来、勉学に勤しみながらも?受験が終わったら絶対、見に行く!と心に誓ってはいたものの、よく考えれば数カ月も上映が続く超ロングランになるという保証は、どこにもなかったのです。ところが、映画好きな、同じく受験生にも関わらずきっちり公開時に足を運んで私を悔しがらせていた友人が、「戦メリ、また演ってるよ」と悪魔の声を囁いたのが、期末テストの最終日。その日、自己採点であまりにも出来が悪かったテストの厄を落とすべく、「このまま『戦メリ』に行く!」と雄叫び、手を挙げた友人数名とともに受験直前のクリスマスシーズンに突入した町に繰り出したのでした。(ちなみに同時上映は「ローリング・ストーンズ」のライブ映像。いま考えれば勿体ないことに、こちらはスルー。)映画は、15歳の少女たちには、きっととっても難解だったのですけれど、とてつもなく美しく磨きこまれたおとなのひとたちから、ひらひらと撒かれた花を無心に見ているうちに、知らぬまにこころ深く色が入り込んでいるように。それから、クリスマスの頃になるとTVで戦メリが放送される…ということがしばらく続くのですけれど、あの公開年ギリギリに映画館で観た鮮烈な記憶こそが今になっても芽吹き続けているように思えるのです。先頃、坂本龍一さんの「スコラ」の映画音楽バージョンが始まったのを観て、「大島監督は、お元気かしら?」と心に浮かんだ翌日、訃報がもたらされました。ご冥福をお祈りいたします。
January 22, 2013
佳き年になりますよう お祈り申し上げます 「神世より ひさしかれとや 動きなき 岩根に松の 種をまきけむ」*614 (源俊頼 千載和歌集より)
January 1, 2013
庭で最盛期のすかしユリをほぼ全て摘んで台風対策、玄関は小瓶に差した花でいっぱいです。どなたさまも穏やかにお過ごしになれますように。
June 19, 2012
遮光板、ピンホール、お玉などで、源平合戦以来の金環日食を愉しみました。まずは遮光板ごしの環になる直前の太陽と月。当日の朝になってから「牛乳パックない?」といって夫が作ってくれたピンホール越しの影。いつもは朝起きるのが苦手な子供も早くからスマホを手に牛乳パック製ピンホールの環を撮っていたところ、自分の手から洩れる影も環になっていることに気づいて…「ちょっと見づらいかなあ」と夫が持ってきたのがキッチングッズ二点。このときが一番綺麗な環になっていて、再び、遮光版での観察。自分の手から洩れる影も環になっていることに気づいた子供が撮り始めた影絵。久しぶりに幼い頃に還って、親子でしばし影あそび。きつねの目にあたる部分に、黒目のように浮かぶ月影。よく見れば、子供の髪からの光も三日月に。環の状態が終わったお玉の影は鱗のよう、きつねの影絵と一緒になぞの生物が現れました☆親子で久しぶりに十二分に、はしゃいでから我が家のシンボルツリー、木香薔薇の木洩れ日も。よき時間を過ごせたことに感謝。次の機会も家族で愉しめますように。
May 23, 2012
佳き年になりますよう お祈り申し上げます「千歳ふる 尾上の小松 うつし植ゑて よろづ世までの 友とこそ見め」*628 (藤原基房 千載和歌集より)
January 1, 2012
懸案だった伏魔殿(子供部屋)のお片づけを敢行中。週明けまでに何とかしたいなと思っています。
November 10, 2011
100枚綴のノートを2冊使って10年日記にトライしてみることに。毎年購入している一日一頁の日記帳、昨年は薔薇模様だったのが、今年はマーガレットと思われる花模様になっているのも手に取りつつ、書店でダイアリーコーナーを眺めていたところ、真っ黒な表紙の10年日記が目に留まりました。「ボケない100歳2309人がやっていること」という本で、今年100歳を迎えられる日野原重明先生が10年日記を購入されたというところが印象に残っていたためでしょうか。それでも、もう少し違ったデザインのものはないかしらと思いつつ、帰宅、ネットを逍遥してみましたが、気に入ったものは見つからず。そこで子供の頃、「暮らしの手帳」で紹介されていた10年日記のつけ方、100枚綴のノート2冊を使う方法を試してみようと検索したところ、楽天さんのお店でいくつか、扱っているところが見つかりました。10年続けて使うなら、やはりしっかりしたものがいいかなとコクヨのキャンパスノートを選択。B罫35行100枚のノートは、一冊200頁、2冊で400頁ありますので1日1頁、365~6日分、1日3行ずつ書けば10年以上記入できることになります。行の幅が狭い方が好みなので、今回はB罫(6mm)にしましたけれど、いま調べましたらA罫(7mm)はちょうど30行ですので、こちらでも3行ずつ10年分書けますね。(送料対策で他にも何か、と探してみましたら常用しているA6サイズのノート、一番使いやすいのに置いているお店があまりないC罫(5mm)のものと、さらに通常サイズのセミB5サイズのB罫ノートのセットも、まとめて購入。)10月はじまりで10年日記、続けてみようと思います。
October 7, 2011
台風が近づいています。皆さまもどうぞ、お気をつけくださいね。
September 21, 2011
ひといきに花開いた桜に誘われて夫と夜の散歩へ。近隣の広場のベンチに座り、コンビニで手に入れた黒烏龍茶と美輪さまがお気に入りというカレー風味のスナックを頂きつつ街灯りで朧に照らされる花を見上げました。帰路でもそこかしこに浮かぶ白い花。小さな公園の街路灯やガソリンスタンドの七色のライトに染められた桜を見つけて、ささやかなお花見から戻りました。皆さまに変わらぬ花が届きますように。
April 8, 2011
「拉致された疑いのあるあなたの同級生について、なにか知っていることがあれば教えてもらえませんか?」他県の警察署から、こんな電話をいただいたことがあります。大学で同じ学部だった同級生が韓国で行方不明になってから20年近く。ちょうどその前年に大韓航空でヨーロッパ旅行に行った際、私はソウルの市内観光が半日付いたチケットを利用していました。大韓航空機撃墜事件の衝撃が、まだ覚めやらない頃でしたけれども、チケットが安価でサービスも良く、機内や空港で日本語が通じやすいなどの理由でバブル時代でもバックパックで旅行する多くの学生に選ばれていました。また、旅行の全ての手配をしてくれた一緒に行った友人のうちの一人が韓国籍で、もっと安価だったアエロフロートはパスポートの都合で避けたかったこと、また、空港で親戚の方に会いたいという事情も聞いていて。旅慣れない私は何もかもお任せ、ソウルに渡ったあとは、もう一人の友人にくっついて観光に向かったのでした。美味しい焼肉料理をいただき博物館を観たあと、気持ちが大きくなった私はふらっと向かい側のお店に行こうと道路を渡りかけて、友人にぐいっと腕をつかまれました。「絶対に一人で歩かないで。」現在の韓流ブームからは考えられないほど、当時はまだ日本人の女性が単独で歩くということは少なかった頃。旅慣れた友人は様々な事情を知っていたのだと思います。アンカレッジ経由で23時間かけて無事にヨーロッパに到着、鉄道を使って十数カ国を廻るうち、壁崩壊直後のベルリンにも行き、まだコンクリートが高くそびえる傍で、韓国籍の友人が東に向かって静かに泣いていたこと、20年たった今でもよく覚えています。一ヶ月あまりの旅行が終わり、パリから日本へ帰るときには、空港でレセプションがあって。ちょうど、初めて大韓航空機がソ連上空(当時はまだロシアではありませんでした)を通過する第一便に乗り合わせることになり、レセプションはそのお祝い。ソ連上空では、機長さんから日本語でも解説があり、あちこちから拍手が起きるほど。13時間という短い空の旅であっという間に日本に到着したのでした。東西冷戦の終息を告げる感慨深い旅の、翌年の同級生の失踪。時々、言葉を交わすくらいの、特別に親しい友人ではありませんでしたが、とても印象に残りました。「私だったかもしれない。」という思いが強かったからです。数年前、その同級生は「拉致の疑いが否定できない失踪者」のリストに載り、新聞にも写真付きで掲載されました。もし、私が失踪していたら、家族や友人はどう動いてくれただろう、国は何をしてくれただろう、何かできないか、という思いが強くなり、私は何人かの友人に連絡をとりました。「私のところにも警察の人が来たけれど、特に親しくなかったから。」「親しい友人って、いなかったんじゃないかな。」「あなたもそんなに親しくなかったのにどうして?」そんな言葉が返ってきました。寂しい思いがしました。新聞にのっていた調査会の方にお聞きして、親御さんに手紙を書いたところ数日後、丁寧なお返事をいただきました。誰からも忘れられてしまうことが一番辛いとのことでした。「とにかく、覚えていて欲しい。」警察から電話を受けたのはお手紙をいただいてから一年後。目立った進展はなかったようで、警察の方も、情報を少しでも集めたいとわずかな繋がりしかない人たちにもコンタクトをとっていたのでしょう。先ごろ、政府の方でも動きがありましたけれども、同級生を含め、数百人にも上る方々の動静を把握する機会には発展しなかったよう。夕食会に十数冊のリストを抱えて交渉に行って下さった調査会の方が深く肩を落とし涙ぐまれた様子に、心いたみました。祈ることを毎日、続けています。一日も早く、皆さんが元気で戻ってこられますように。「欧州鉄道の旅1~韓国半日ツアー&アンカレッジ経由~」「欧州鉄道の旅8~ベルリン&壁越え~」「欧州鉄道の旅20~就航記念レセプション&帰国~」
July 25, 2010
昨日の凄まじい雨、ちょうど子供を迎えにゆく時間に当たってしまい、軽自動車の運転は、かなり怖い思いをしました。豪雨の時はルートを変えて、なるべく水のかからない道路を走ります。いつも通る大きな交差点は、車のわだちが集まっていて凹みが激しく高速で走る対向車のはねる水がフロントガラス全体にかかって前が全く見えないという経験をしたことがあって。比較的、低速で走れる道を、わだちを踏まないように、なるべく水をはねないようにゆっくりと進んでゆきましたけれども、子供を乗せたときが、一番、雨足が強くなっていて、走行車線をみると脇から流れ込む土砂を含んだ水が濁流のよう。バスで帰らせていたら、停留所のところで足をとられていたかもしれません。自宅付近の交差点でも、前をゆく車が非常にゆっくり進んでいるので慎重に続いてみると、側溝からの水が深みのある流れになっていて浅瀬を渡るように、雨がエンジンに届かないようにと祈りながら、何とか到着しました。家に入ってTVをつけてみると、避難勧告される地域があるほどの豪雨に。近隣の小学校にも避難所が開設された旨、夜になってメールで連絡がありましたが、幸い、無事に朝を迎えることができました。被害に遭われた皆さま、お見舞い申し上げます。ご無事でいらっしゃいますように。
July 16, 2010
夜7時からのヨガの準備をしようと立ち上がりふと勝手口の方をみると、ガラスのドアが全面、オレンジを含んだ輝くピンクになっていました。玄関も、階段の踊り場も、外からの明かりに染められていて。もう生徒さんがやってくる時間でしたけれども、急いでベランダにでてみると、漂う空気まで描きこんだように雲で覆われた空から、天上の彩がこぼれていたのでした。 間もなくチャイムが鳴り、生徒さんをお迎えしたときにはすでに外は暗褐色の方が濃くなっていて。ほんのひととき、世界を覆ったいろに感応したものは。
June 2, 2010
4月の寒気で、高山祭りでは雪もちらついたそうですね。確か2005年の愛・地球博の年も、春になっても寒い日が続いていて、開幕当日は3月末でしたけれども雪がちらつき、早めに足を運んだ方からどのパビリオンも難なく周れたというお話を聞いたこと、上海万博が近づくこの頃、ふと思い出しました。皆さま、どうぞ暖かくお過ごしくださいね。
April 15, 2010
我が家の住人(=子供)の部屋に潜入、待てども待てども一向にキレイにならないので、思い切って終業式の翌日にお掃除、久しぶりにすっきりとしています。床や机に溢れるモノたちは、衣類、紙類、画材、本などと大まかに分類、整理し、いらないと判断したものは(本人ではないので☆)、事業仕分けのごとく、然したる思い入れなく分別袋に。「人生を複雑にしない100の方法(イレイン・セント・ジェームズ著)」には捨てられない物の処分方法として、2、3年先の日付を書いたラベルを貼った箱に物を詰め、1年に1度、日付をチェックし、その日が来たら中身を見ずに捨てる…といったものがあります。分別収集の進んだ現在、箱ごとモノを捨てることは、あまり現実的ではありませんけれども、今回は、もう着ないであろうと思われる子供の衣類を中味の見えない紙袋にまとめました。フルシーズンが過ぎても「あの服、どこにある?」などと聞いてこなければ、改めて分別袋に詰め直し、回収してもらう予定。部屋の隅には、受験時のテキストなども残っていて。さすがにこちらは、親の方にも思い入れがあって子供と戦友のように天王山を乗り切ったことを思い出しながら回収日に出せるようにまとめました。本来ならば、こういったことは幼いときから躾けなければならなかったなと反省しつつ、私も中学、高校生の頃は、学校に部活動に趣味にと、活動範囲が広がるごとにモノを増やし、溢れさせ、母親に叱られながらも混沌の中に埋没し、ある日、学校から戻ってみれば、すっかりキレイになった部屋に驚く…といったことを何度か繰り返していた記憶が蘇りました。長じて結婚し、出産のために実家に戻ったとき、子供を世話する空間として、元の自分の部屋を整理、隅々まで入念に掃除しながら、少しずつ親となる自覚と両親への感謝の気持ちが湧いてきたことも。子供も、受験生だったとき、年末になって突然、自分の部屋をすっかりキレイに整頓、大掃除をしたことがあるので、そのスイッチが入るのを今か今かと待っていたのですけれど、今回は根負け。福を招くためにも、自分で今の状態をキープするようにと根気よく働きかけ、伝え続けることにしましょう。
March 23, 2010
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。「あをによし 奈良の都も この年も にほふがごとく 今盛りなり」(元歌「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」 平城遷都1300年にちなんで 小野老 万葉集より)***一昨年に続いて、今回も夫が友人宅にすき焼きパーティに行ったのを幸い、録りためた映画を3本観ながら、大晦日の夜を過ごしていました。宮崎あおいさん「初雪の恋」麻生久美子さん「夕凪の街 桜の国」上野樹里さん「奈緒子」 11時半になってからは、シャーリー・マクレーンの本を開きつつジルベスターコンサートのTV中継を聴きながら年越しです。今回の進行役の一人は山本耕史さん(なので録画しながら鑑賞☆)、ジュピターに合わせた大友皇子、もとい大友直人さん指揮のカウントダウン、先回観ていたときと同じく驚愕するほどタイミングぴったりで気持ちが晴れやかになりました☆大友直人さんといえば、私が高校生のときに所属していた合唱部から県が主催する第九コンサートに参加したとき、指揮をしていただいたといういま思えば貴重な経験があります。アルトパート、それも身長よりも高いのではないかと思われる最上段のステップの、一番端っこで今にも踏み外しそうな位置にいた友人と私は、練習が終わった際、大胆にも「何とかしていただけないでしょうか?」と直談判?をした記憶も。気さくに高校生の声に耳を傾けられたコンダクターは、すぐに善処してくださったので「また来年も是非、いらしてください」と御礼かたがた申し上げに行くと「あ、もう来られないんですよ」何も知らない高校生は、その言葉を何気なく聞いていたのですけれども、その後、音楽雑誌で表紙を飾るような方だということを知り、大いに納得……したことを、中継を観ながら思い出したのでした。さて、元日の夜は「正月時代劇 居眠り磐音 陽炎の辻」、大晦日のスタジオパーク、年越しのジルベルスターに続いて山本耕史さんを観られるのが幸せ、今年も佳き年になりそうです☆ 【佐々木道場の跡継ぎ 局長さん張りの磐音さまです☆】
January 1, 2010
歌舞伎のペアチケットや鑑賞券を懸賞で頂くことができた今年。ささやかながら私にとっては文字通りのビンテージイヤーになりました☆歌舞伎のチケットは、地元の共済保険、映画や展覧会の鑑賞券は、地元発行のフリーペーパーのプレゼント企画。数撃てば当たる方式で応募しているわけではなく、今年の応募総数はハガキ・ネット含めて10数回ほど。その中でも、展覧会・映画・演劇などの鑑賞券を中心に本当に欲しいもの、もし当たらなくとも、お金を払って行く予定のものに、ご縁があったよう。すっかり応募したことを忘れていた海老蔵さん主演の歌舞伎は、自分で3等チケットを取ったところで1等のペアチケットが届き、勿体無くも嫌がる夫をなだめすかして一緒に鑑賞。案の定、すっかり気に入ってしまい、しばらく歌舞伎の台詞が日常会話に出るなど、夫婦の話題がまた一つ増えたのでした。(もちろん、3等チケットの方でも後日、愉しみました☆)映画の鑑賞券は、期限が二週間しかなかったため、頂いた翌日に公開された「おと・な・り」を観るのに使わせていただきました。地元美術館のペア鑑賞券の当選は二回。ちょうど観たかった企画展のものでしたので、一回目は夫と、二回目は友人と愉しむことができました。企画、当選させてくださった方々に感謝です☆
December 27, 2009
小学生の頃、3歳だった弟がライターで遊んでいて危うく自宅が火事になりそうになったことがあります。使い捨てのライターが普及し始めた頃だったでしょうか、それまで煙草を吸う父の洋服のポケットに大事に入っていたはずの、どちらかと言えば高級品だったライターが、家の中の、誰でも手に届く場所などに複数、置かれるような危険な状況になっていたのだと思います。私たち姉弟は、父がライターを点けているのを見て、こっそりと試し、すぐに真似ができるように。何かを燃やすというのではなく火花が散ったり、火が点灯するのを面白がっていたのですけれども、両親に見つかって叱られてしまいました。そこで止めていれば良かったのですが、父がうっかり手の届く場所にライターを置いてしまったのでしょう、冬のある日、窓際に置かれたソファの後ろ側に隠れ弟はライターで遊び始めたらしいのですが、同じ部屋にいた私は何をしているかは気がつかないままでした。突然、まさしく火がついたように泣き出した弟の方を見ると、ソファの後ろからチラチラと炎が出ています。「火事!」と叫んで、お風呂掃除をしようとしていた母に知らせ台所に汲んであったタライの水や、幸いにも残り湯が張られていたお風呂場から母と2人で水を運び、ことなきを得たのでした。まさにバスタブの栓を抜こうとしていた母は弟の泣き声がしたので、「またケンカしてるな。叱りにいこうかな」と思って手を休めたとのこと。「110番!110番!」と叫びつつ、お風呂場の水道の蛇口からバケツに水を汲もうとして、あまりにも水が溜まるのが遅いため「もう家が無くなる」と覚悟したとき、目の前になみなみと張られた水に気づいたのだそうです。「110番じゃないよ、119番だよ」と言いつつ、、台所にタライの水が張ってあるのを思い出して火にかけた小学生の私は、自分では落ち着いていたつもりだったのですが、後から見れば畳も板間も水浸し、かけたはずの水は、かなりこぼれていたのでしょう。さらに、燃えていたのはソファの底部に張ってある布だったため、慌てて水をかけてもなかなか火が消えず、バスタブの水が無ければ、それも部屋がお風呂場のすぐそばに無ければ、本当に危ないところでした。本来なら、すぐに消防署に連絡しなければならなかったと思います。長じて私も子供を持ち、煙草やライターを子供の手の届く場所に置くことに、改めて非常な危険を感じるようになりました。現在でも、安全装置のないライターによる悲劇が繰り返されているよう。ライターは危険な火器。家に持ち込む大人の責任は、もちろん重大。さらに、安全装置の付いているもののみが販売・頒布されるようになれば、少なくともロックをかけた分だけは、悲劇が減少するかもしれません。寒くなって空気が乾燥し始めたこの頃、子供の巻き込まれる悲劇を頻々と聴くようになりました。関係者の方々は、どうぞご検討をお願いいたします。
December 24, 2009
我が家のジャーマンポインター、セナが旅立ったのは昨年の節分の日。毎日、仏壇の前で声明させていただく際、彼女のことも思い浮かべているのですけれども一年たったその日は、夫が静かにハウスの前でお線香をあげていました。弔っていただいたお寺からも、昨年二月に旅立ったペットさんたちの合同法要の知らせが届きます。平日でしたので、当日に行くことはできなかったのを気にしていましたら夢に現われましたので、やはり二月中に足を運ぶことにしました。白い菊を墓前に供えて手を合わせ、一年前の様子を思い出して。苦しみの中でも一生懸命生きようとしていた姿には心打たれたものでした。「我が家で一番、性格の良いのはセナくんだったわね」「そうだね。最期まで我慢強かったな」一年が過ぎ去るまで、そのままにしておこうと決めたハウスやグッズが並んだあたりは、やはり寂しいままですが一歩前に進むときを迎えたのかもしれません。「セナの旅立ち」
February 28, 2009
先日「マンマ・ミーア!」の舞台を観た帰りにおみやげに買ったのがフーシェのチョコレート。デパートの地階の小さなコーナーで、私はこちらのミルフィーユも好きなのですがチョコレートもリーズナブルでカカオが効いて美味しいのです。チョコを買って、別のショップで自分チョコを選んでいる友人を待ちながら緑茶の試飲をさせていただいたお店で、お抹茶も購入。こちらは自分用に。帰ってバレンタインを待たずに渡すと夫は「お客さんにももらったんだ」と明治の板チョコと栄養ドリンクを☆せっせとキッチンに篭もっていた子供は試作品を、それぞれ持ち寄った甘味を連ねて。楽しく珈琲でいただきました。その翌日、街中に友人と出かけていた子供からメールがあり「昨日のデパートってどこ?」どうやらデパートの紙袋がバレンタイン仕様だったのを覚えていたよう。「今はどこにいるの?そこなら○○が近いから。この時期はデパートならどこでもバレンタインコーナーがあるわよ」にこにこと帰ってきた子供は製作工程や試食で参考にさせていただいた後、結局は紅ほっぺのケーキとシュークリームをおみやげにしてくれましたので前日のお抹茶を点てました。数日後、実家に行くことになり、近所のマーケットで母の好きなカステラと父にはチョコレートを買ったついでに、夫にも同じモロゾフのチョコを購入。いつもはメリーのものを買うことが多いのですが、バレンタインコーナーに全て移っていたよう。この箱も早速渡しましたら、夫は14日まで取っておくとしまい込んでいましたので今日は一緒にお味見をさせてもらいましょう☆皆さまも素敵な一日をお過ごしくださいね。
February 14, 2009
お正月休みの最後の日、夫と密蔵院へ。全盛の頃には数千人もの学僧を抱えていたという由緒ある文化財も豊富なお寺で、その存在は知っていたのですが訪れるのは初めてでした。 梵鐘の響きが聴こえてきましたので、心地よく耳を預け、近づいてみるとどなたでも撞くことができるとのこと。「ついてみよう」と夫が言ってくれたので一緒に。幼い頃、お寺の中にある保育園に通っていたので、朝夕、お坊さんがお勤めされるのを観て聴いていた記憶はあるのですが実際に撞いたのは初めてだったかもしれません。懐かしい音が心身に行き渡りました。 本堂の前へ。鈴生りの音を聴き、手を合わせます。 こちらを訪れようと思ったのは、薬師如来さまがいらっしゃるから。今月、入院する身内のことを思っていると、本堂の前の大きな木の下に銀杏がたくさん落ちていました。高山の国分寺もそうだったのですが、薬師如来さまをご本尊に戴く場所には銀杏が植えられていることがあるよう。人々に与え救う御姿が豊かな実りをもたらす木に重なるからでしょうか。 子供連れのご家族の撞く梵鐘の音を聴きながら帰路へ。善き力を道しるべとして活かすことができるように祈りました。
January 11, 2009
「拉致された疑いのあるあなたの同級生について、なにか知っていることがあれば教えてもらえませんか?」他県の警察署から、こんな電話をいただいたことがあります。大学で同じ学部だった同級生が韓国で行方不明になってから何年たったでしょう。ちょうどその前年に大韓航空でヨーロッパ旅行に行った際、私はソウルの市内観光が半日付いたチケットを利用していました。そのとき「絶対に一人で歩かないで。」と一緒にいた友人につよく言われたのです。韓国語のわかる友人は周囲の方が話している会話や情報を知っていて日本人の女性が単独で歩くと危ないということがわかっていたのだと思います。そして、翌年の同級生の失踪。特別に親しい友人ではありませんでしたが、とても印象に残りました。「私だったかもしれない。」という思いが強かったからです。数年前、その同級生は「拉致の疑いが否定できない失踪者」のリストに載り、新聞にも写真付きで掲載されました。もし、私が失踪していたら、家族や友人はどう動いてくれただろう、国は何をしてくれただろう、何かできないか、という思いが強くなり、私は何人かの友人に連絡をとりました。「私のところにも警察の人が来たけれど、特に親しくなかったから。」「親しい友人って、いなかったんじゃないかな。」「あなたもそんなに親しくなかったのにどうして?」そんな言葉が返ってきました。寂しい思いがしました。新聞にのっていた支援会にお聞きして、親御さんに手紙を書いたところ数日後、丁寧なお返事をいただきました。誰からも忘れられてしまうことが一番辛いとのことでした。「とにかく、覚えていて欲しい。」警察から電話を受けたのはお手紙をいただいてから一年後。目立った進展はなかったようで、警察の方も、情報を少しでも集めたいとわずかな繋がりしかない人たちにもコンタクトをとっていたのでしょう。心にとめ、祈ることを続けています。
November 8, 2008
昨夜は自宅でのヨガレッスン、終わった時は雨足が強くなっていたので生徒さんを車まで傘で送ったところ、すでに側溝の水勢が早くなっていました。ヨガレッスンと重なっていたため、「幸せの1ページ」の試写会を申込み段階から見送っていたのを残念に思っていたのですが家にいて幸いだったかもしれません。雷も鳴り始めましたが、夫は帰宅してくれていたので心強く。それでも、灯りを消した夜半、目をつむっていても届く眩しい稲妻に目がさえていました。地震に紛う揺れをともなった落雷が何度も続いた後、プールをひっくり返したような物凄い雨。しばらくするとおさまりましたが、今年の雷雨の特徴は、いったん去っても、何度も何度も戻ってくるところ。やはり昨夜も、繰り返し光と水が荒れ狂っていました。TVをつけると、記録的な雨量とのことで8年前の豪雨のことも言及されています。8年前の豪雨の始りは確か夕方、ちょうど子供の歯の治療からの帰宅途中で、前の車のテールランプも、センターラインも見えなくなる河のような道路、運転を断念し、次々に路肩に停車が増えていく中を家にたどり着いたこと、被害地域の真ん中にある社屋から、夫が帰ってくるのを待ったこと、次の日、雨は止んだものの、まだ付近一帯に避難命令の出ている社屋の様子を見に行った夫から「水に浸かった道路を進んでいたら、小学校に避難している人たちがたくさんいたよ」と連絡があったことなど、当時の様子を思い出します。輪中と呼ばれる近隣の土地では古来より水害が多発していたようで、お仏壇もこの地方のものは台が高いのだそう。我が家にあるものも、床からお位牌までかなり距離があります。幸い、家は高台にあるため、雨の直接の被害はいまのところありませんが、今年は、涼しくなっても玄関の木香薔薇の剪定がなかなかできないほどあしなが蜂さんがずーっとたむろしていますので、今しばらく、気をつけた方がよいようです。皆さまのお住まいではいかがでしたか?どうぞご無事でいらっしゃいますように。
August 29, 2008
様ざまなドラマが詰め込まれた五輪の集い、4年に1度の祭典を、今回もまた泣き笑いで過ごしました。印象に残ったのは、開会式直後の試合に5回も臨み続けた柔道の谷選手、四年前と同じ結果を手にしても、先回とは違う表情で表彰台に登った女子レスリングの4選手、競技終了直後のコメントが、懐大きくなった水泳の北島選手と、個人戦以上の力を発揮した男子400Mメドレーリレーの各選手。ドイツとのものすごい接戦をあと一歩のところで制することができなかった男子の団体卓球、(次回以降は、女子卓球と同じ扱いで放送していただくよう、切に願います☆)何の気なしにTVをつけたら、目を離すことができなくなった女子ソフトボールの3位決定戦、(もちろん次の日の決勝戦も、ヨガレッスンを終えてからしっかり拝見しました☆)個人の能力がクローズアップされるトラック競技で、チームプレーという日本の持ち味を最大限に生かし、歴史的な一歩を踏んだ男子400Mリレー。そして、オリンピックの華とも言うべきシンクロナイズドスイミング。追うもの追われるものの攻防以上に、スタイル、スタンダードを己を滅却して生み出そうとする激しい思いが見えるようでした。創生、現状維持、破壊を繰り返し、また必ずやってくる再生。冬季オリンピックの華・フィギュアスケートが数多の苦難と自国および各国の指導者の力と長い期間を経て現状を築いたごとく、新生選手・チームの方々がさらに美しい華を咲かせられますように。選手の皆さま、よき17日間をありがとうございました。
August 26, 2008
五年前、実家に薩摩藩士が治水工事を行なった地の250年大祭に出席して欲しいとの連絡が入りました。江戸時代、宝暦治水の工事が完成するまでに、幕府の妨害や様ざまな責任を取って落命された方がたくさんいらっしゃるのですが、幕府方から禁じられていたにもかかわらず、地元の方々が手厚く葬り、墓碑にも名を残して下さったのだそう。その中に、県下で一軒しかない実家の名字も含まれているとのことでお声がかかったのでした。確かに、父方は大分(豊後)出身ながら、もともとの家系の流れは鹿児島(薩摩)。それでも、かの地からはるか離れた地に居をかまえ、以来あまり交流もなかった故郷から、思いがけないご縁をいただいたものです。縁もゆかりもない土地の治水工事を請負わされたとき、薩摩藩では唯々諾々と引き受けるか、いっそ幕府と一戦交えるか、大激論が起き、「戦って落命するも武士、他国の民百姓の困苦を救うも武士の誉れ」との家老・平田靱負(ひらた ゆきえ)の言葉で、藩主は幕府の命を受けることに。(今年、放送中の大河ドラマの冒頭で、薩摩藩が莫大な借金を抱えていたという描写はこういったことが幾度も繰り返されたことにも起因しているのでしょう。)長い時を経て、系譜も絶えてしまっている可能性もあるかもしれないのですがこの話を聞いて以来、公けのために身を捧げて尽くした方々がいらっしゃったということが、より身近に感じられるようになりました。また、ヨガで教えていただいた「スピリチュアリティ=自分の生まれ、出自」という教えがより鮮明に繋がるように思えました。自分が何ものであるか、何を守らねばならないかを意識できたからこそ、理不尽と思えることにも、全霊を傾けることができたのではないかと。「ヨガ講座14」63年前、全土をあげて臨んだ際も、自分が何ものであるか、世界の中で日本人であるということはどういうことかを真摯に見つめるものでもあったのではないでしょうか。 ☆本日は、夫の亡き両親のために読経をしていただきます。いまここにいられることに深い感謝を。皆さまも、どうぞ心身お健やかに。 ***その他のヨガのポーズをお試しになりたい方はヨガで心と体の不調を解消へ。ヨガ講座を読んでいただける方は、こちらへ。************************************************8月17日、午前6時16分より、満月が始まりますね。メールマガジン第79号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
August 15, 2008
今年も流星の季節がやってきましたね☆満月が近づいているので、昨年よりは観測しにくいかもしれませんけれどももしお時間があれば、東の空、Wの形をしたカシオペア座のすぐ下あたりに目を当てていらっしゃると、流星をご覧になれる可能性があります。毎年、8月12日の前後一週間ほどに活動が活発になるというペルセウス流星群。最初に観たのは、楽天さんで日記を書き始めた直後、上高地に泊まったとき。キャビンにある小さなTVに見入り、先回のオリンピックで谷選手が金メダルを獲ったのを喜んだあと夫と外に出て、梓川のたもとで無数の星の中から、こぼれるように跡を引く光を追ったのでした。それからは、お盆の頃になると特に空を見上げるように。平地でも観測できることがわかり、昨年は国立天文台のHPを見つけてアンケートで観測状況を報告したりしました。もっとも活動が活発になる極大は、8月12日頃。アンケートで報告する観測日も始めは、15日までの設定だったのですが、昨年は16日を過ぎてもよく流星を観ることができたようで、途中で日にちが訂正されていたように思います。アンケートによる観測報告は今年もできる模様。実は今年は、オリンピックの方に気をとられてすっかり忘れていたのですが☆「ペルセウス流星群、もう観た?」と終業後の夫が電話をかけてくれて、思い出すことができたのでした。今夜あたりから、またゆっくり空を見上げてみようと思います。星に願いをかけたい方は、ぜひ。 「ペルセウス座流星群 2007の日記」「国立天文台 HP」
August 13, 2008
「4年に1度、うるう年にそれまでの4年間を振り返り、これからの歩みを見直す」この方法をある方から教わってから4年、次のうるう年を愉しみにしていました。4年前の2004年は、ヨーガを始めて1年足らずの頃。石けんやクリーム作りを始め、このブログを開設したのもその年でした。地域のボランティアの壁につきあたり、乗り越えていたのも、子供が小学校の最終学年を迎えた年でもあります。長年、愛してやまない「源氏物語」を最終帖まで語り終え、ブログという場を借りてアップすることができたのも、2004年。自分の中にどんなタネが秘められているか、たな卸しをし始め、自分の好きなことも、また何度も何度も出合う辛い経験も、すべてが自分の財産であるということを、インプットした年でも。さて、4年後のいま、2008年。ヨーガを始めて丸5年となり、順調に行けば今年はヨーガセラピストになる予定。いまは仙台でのヨーガ療法学会でのプレゼンテーションの準備に取り組んでいるところ。また、学校などでヨーガをさせていただく機会も増え、市からの講師登録要請も。ゆっくりと前に進んでいるようです。石けん&クリーム作りは、ぼちぼちと続けていたところ、今年になってヨーガ関係の方で使ってくださる方が急に増えています。「自分の好きなこと、原点に還りたいな」と思っていた矢先のことでした。地域のボランティアは、大きな山を登り切り、手放しでも大丈夫なところまで来ました。それは直接の関わり合いが少なくなるということでもあるのですけれども、また新たな学びのステップに入ったという意味に捉え、自分の愉しみにも立ち返りたいと思っています。小学生だった子供は、高校受験を終え、ただいま粛々と結果を待っているところ。進学塾には行かず、自宅学習に徹した子供と、戦友のように乗り越えてきた受験勉強の日々を親である私も、静かに振り返り、味わいつつあります。田辺聖子さんの現代語訳から入り、円地、谷崎、与謝野、橋本、そして瀬戸内源氏にとどめをさして、原典を読めるようになった源氏物語は、今年で成立1000年を迎えるそう。先日の劇団四季会報には「オペラ座の怪人」のファントムと光源氏との共通項に触れている記事があって面白く思っていたところ、源氏物語の背景となっている歴史物語を改めて読む機会にも恵まれています。またゆっくりと、この世界に誇る日本の文学について語る機会があるかもしれません。「自分の中にどんなタネが秘められているか、たな卸しをし始め、自分の好きなことも、また何度も何度も出合う辛い経験も、すべてが自分の財産であるということ」をインプットし、味わい、アプトプットができるようになってきたこの頃。創造、維持、破壊。キャッチ、アンド、リリース。吸気、止息、呼気…次の4年は、静かなる美しい心を養いたいと思います。
March 20, 2008
夜、夫が玄関から入ると同時に、カサコソとコンビ二袋の音。しっかりと聞き耳を立てて、にこにこと待ち構え、母子はお菓子の箱を受け取りました。子供の方は、リボンのかかったカラフルなパッケージで、中味はマドレーヌとトリュフチョコ。マドレーヌに夫は強い思いがあるようで、子供の頃、オーブントースターのレシピで完璧にこのお菓子を作ったそう。「お祖母ちゃんからほめられた」と、何度も何度も繰り返しつつ妻と子には1度も作ってくれたのことのない☆我が家にとっては「まぼろしのお菓子」です☆私の方は、淡いグリーンのパッケージに入ったチョコレート。このカンパニーのチョコレートを、バレンタインのときに渡した際、「お返しは何がいい?」と聞かれ、「チョコレート☆」と応えたのを覚えていてくれたようです。受験がようやく終わった直後で、母子ともどもすっかり気がゆるみホワイトデーだということは忘れていたのですけれども、夫のおかげで心なごむ夜になりました。皆さまはどのようなホワイトデーを過ごされましたか?
March 15, 2008
中学生の子供の卒業式に。小学校のときは、もう少し暖かくなってからでしたのでコートなしのスーツだけで行ったように記憶していますが今回は、春とはまだ名ばかりの三月初旬。しっかりと冬コートを着込んで参ります。会場は体育館。受付をすませ、小学校時代からご一緒させている方々と席に。君が代を歌い、ひとりひとりに卒業証書が手渡されるところを見守り、先生や来賓の方々の祝辞をお聞きして、送辞、答辞へと進みます。答辞を読んだのは、小学校時代、子供も遊んだことがある女の子。「G線上のアリア」が流れ、中学時代の出来事がひとつひとつ淡々と述べられる中にも、そこかしこに溢れる感情が垣間見えて。式に臨んた多くの方々が共感し、涙しました。合唱曲の一曲目は「はばたこう明日へ」。「青い空のかなたへすすめ」「無限の夢を抱きながら」二曲目は「旅立ちの日に」。「勇気をつばさにこめて 希望の風にのり」「この広い大空に 夢をたくして」こちらは小学校でも歌いました。名曲ですね。入学式以来、ほとんど聴いたことがなかった校歌も。創立60年あまりとのことで、おそらく終戦直後に作られたのでしょう、マーチのような曲調でした。式が終り、拍手で卒業生を見送ります。校庭で、いつまで話しても話し足りないようにしている子供たち。聞いてみると、これから近くのファミリーレストランなどで「打ち上げ」と称する集まりが開かれるとか。親である私のときは、中学生同士で飲食店に繰り出すことなど(表向きには☆)言語道断でしたから、そういった発想そのものがなく、まだほとんどの生徒は公立の受験が控えていたこともあり、名残惜しく思いながらもみな家路についたように思うのですけれども。「あなたも行くの?」と聞いてみると「行くわけがないよ」とのこと。当時の母と同じく、まだ本命の公立受験を控えている身の我が子なのでした☆ご卒業された皆さま、親御さん方、おめでとうございます。あっと言う間の三年間でしたね☆「卒業式1」
March 7, 2008
日本メンタルヘルス協会の卒業式に。かなり以前に講座は終了、卒業レポートも提出していたのですが卒業パーティになかなか出席できずにいたところ、このほどようやく足を運ぶことができ、修了証をいただきました。出席する前に、テキストやノートを改めてみてみると今、学んでいるヨーガ・カウンセリングとリンクする部分が非常に多く多層的に実践しつつあるのをありがたく思います。久しぶりに拝顔した衛藤先生、林先生のパワーは相変わらずでお二人とお話できただけでも出席した甲斐がありましたが会場で同席させていただいた方々とのお話も実り多いものでした。両隣に座っていたのは医療関係と、精肉関係のお仕事をされている方々。昨今の食問題について盛り上がった後で、ヨーガの話に及びました。ちょうど取り組んでいるヨーガの方のレポートの引用にもマハーバーラタの「肉屋の詩」という智慧の話があるので味わい深く。修了証をいただいた後は、衛藤先生が引き当てられた番号を持つ方三人にレポートを読んでいただきました。心理学を学ばれた動機はさまざまあるものの、周囲と自分とのよりよい関係を求めて、という事情は共通。スピリチュアリティの根幹であるご家族との葛藤が癒されてゆく過程を開示していただき、我が事として聴く側も涙しました。よきご縁をいただき、ありがとうございました。これからも学びを深めて参ります。 「マハーバーラタ・肉屋の詩」
February 29, 2008
もともとは、夫の行き付けの床屋さんが猟をするために飼われていたセナ君。あまりにも優しく甘えん坊のためか、獲物が打ち落とされた後も他のワンコたちと共に走らず、飼い主さんにぴったりとくっついていたこと、飼い主さんの奥さまが、何故かセナ君だけにアレルギーが出てしまったことでご縁あって我が家にもらわれてきたワンコでした。床屋さんにもらわれる前にも、生後一年間ほど他所で飼われていたそうですが三人目の飼い主である夫に好くなついていました。エサと散歩のお世話をする私と並んでいても常に、第一はこの人、という瞳を夫に向けていたセナ君。終の棲家、安住の地を与えてくれたのは誰なのか、よく知っていたのだと思います。霊園から帰る道すがらも、車の後部座席にいる子供の横に「どこにいくの?お家に帰るの?」と好奇心いっぱいで尻尾を振る姿が見えるように。家に着き、居間でしんみりしていると一匹の小さな、蝿のような虫が現れて、夫の周りにくるくるとまとわりつきました。「きっとセナ君なんじゃない?」子供と私がからかうと「セナ君は蝿じゃない!」とナーバスになっている夫。「安芸之介の夢」のように、蝶などの虫になって戻ってくることもあるとしたら、またそれはそれで温かい気持ちになれるように思いましたけれどもそのときはそのままになりました。それから数日後、ボランティアで小学校で読み聞かせをするために松谷みよ子さんの「日本の昔ばなし」の中から選んでおいた「天の庭」というお話を読んでいると、先回読んだときには気づかなかったことが心に残り、夫に伝えます。「今ね、読み聞かせの本を読んでいるんだけど亡くなった妻を取り戻した夫が、天の庭の王からもらった袋を開けたら『一匹の蝿が飛んで出た』という文章があったの。その蝿が妻だったんだけど、この間の虫も、やっぱりセナ君だったんじゃない?」「実はね、次の日に車の中にもあの蝿がいたんだよ。少し飛んで、後はじっとしていたんだけど、追っても窓から出て行かないんだ。叩いたりしなくてよかったよ」「ベッドの近くにも、じっと動かない蚊がいるよ」と受験勉強しながら話を聞いていた子供。「それは、寒いからじっとしてる蚊☆」夫婦ですばやく突っ込みます☆(霊園に行った日に試験のあった学校には、無事受かりました。)文学に関する様子といえば、もうひとつ。「枕草子」に翁丸という涙を流す犬の話が出てくるのですけれども、介護の最中、セナ君は何度も何度もぽろぽろと泣いていました。目がほとんど見えなくなっていたのと、寒かったこともあると思いますが本当に大粒の涙を流し続け、ふらふらになりながらも、精一杯歩き、食べ、最後まで生き抜こうとしていたセナ君でした。介護日記は3日で終わってしまいましたが、老いとは、病とは、生死とは、家族とは何かについて考えさせてくれ、また温かい感情を残してくれた彼女に、心から感謝しています。
February 17, 2008
午後二時半。電話が鳴ります。「セナ君、今、息を引き取りました」とるものもとりあえず駆けつけ…たいところでしたが、頭は妙に冷静でまずは近くのスーパーに。鬼のお面がセットになった豆をひとつ買って段ポール箱をもらい、入院費をATMで調達します。「ちょっと小さいなあ」お医者さまの第一声。お店で一番大きな箱をもらってきたのですが16キロにまで痩せてしまったセナ君にも小さくて。ごめんね…と言いながら、ようやくおさめ、夫がビーフ缶と共に買ってきていたワンコ用毛布をそっとかけて、家に連れて帰りました。ずっと外で飼っていた子ですが、箱は玄関に入れます。受験勉強している子供を呼ぶと「うん…」元気なくやってきて、長い間、箱の前から動きませんでした。最後を看取れなかった夫に連絡して、朝からの様子を伝えると、「ありがとう…それから、近所の動物霊園に電話して」とのこと。事務的なやり取りがあり、夫が休みを取れる2日後に連れてゆくことになりました。その夜、車の音がして夫が帰って来た気配が玄関に。しばらく一人でお別れをしてもらってから、あまりに小さな箱におさめられたセナ君を一緒に撫でました。それから2日、出かけるときも帰ってきたときも、玄関にある茶色の毛布のかかった箱に挨拶をし、心の中で話しかけ、家族が揃えばこれまでの思い出を話し続けました。当日は、子供の一校目の私立受験。駅に送ってから、夫と共にホームセンターで大きな箱を購入、セナ君をゆったりと移し替えました。霊園には、ダンボールと、バスタオルと、お花しか持ち込めないとのことでちょうど庭にさいている椿を榊のような葉っぱを付けてどっさりと摘みます。紅桃色の花に可愛らしく飾られてゆくセナ君。お線香を焚いて手を合わせました。子供が受験から帰り、いよいよ霊園へ。受付を済ませ、セナ君を入れた箱を祭壇のある部屋へ運びます。きちんとお坊さんにお経をあげていただき、最後のお別れ。まだ柔らかい体にそっと触りながら湧いてきた思いは「今度は人間に生まれておいで」位牌をいただき、ずらりと並んだ中に一緒に並べて納めます。同じ日に亡くなったたくさんのペットさんたちの名前を見ながらそれぞれの飼い主さんたちとの哀しみを思いました。帰り際には、初七日、十七日、…四十九日の日程表(中陰表)をいただきました。法要は、旅立つ方への供養でもありますけれども、見送る側の気持ちを整える意味合いも大きいのだということを改めて感じながら哀しい中にもどこか温かい気持ちで、それぞれの忌日にハウスの前でお線香を焚き手を合わせています。
February 16, 2008
我が家のジャーマン・ポインター、セナ(♀ 14歳)が先日、息を引き取りました。11月の日記で、寒さ対策のための犬小屋カスタムのことをお伝えしていましたが今年に入って、さらに元気がなくなり、散歩の途中で歩けなくなった次の日、ついにハウスから自分で出てこられなくなっていたのです。食事も全く摂らないので、以前、子宮蓄膿症の手術をしていただいた病院に夫が連れてゆくと、回復の見込みはあまりないと、栄養剤の点滴のみで帰ってきました。元気のないセナ君の頭を撫でながら、ふと思いついて、ビーフ缶を開けてみると目先が変わったのか、食欲が出てゆっくりながら平らげます。お腹がゆるい子なので、いつもはドライフードなのですが、手術をした後もしばらくは缶詰をあげていたのを思い出したのがよかったようです。早速、夫とホームセンターに走り、ビーフ入りの缶を四種類、買い求めました。さらに、いつもメモ書き程度に付けている日記の半分を「セナ君の介護日記」にして食事や体調などを書き留めることにしました。病院から帰ってきた翌日、翌々日は気候も穏やかだったので、抱き上げて庭に連れ出すと、倒れそうになりながらぽつぽつと歩き、自分でトイレも済ませることができました。缶詰と脱水症状緩和のための蜂蜜入り白湯で柔らかくしたドライフーズを合わせたものを、いつもと同じくらいの量も食べていました。3日目は、少し寒い日になりました。食もあまり進みません。缶詰は7歳以上の高齢のワンコのための柔らかいものだったため、味が好みではないのかもしれないと思い、夫に電話します。「若いワンコが食べるビーフの形がちゃんと残っている缶を買ってきて」「何缶くらい?」「10缶」「気に入らないかもしれないから、6缶にしておくね」夫の帰りを待ちながら、スプーンでフードを口に運びます。ゆっくりながら、なんとか缶詰ひとつ分を食べたセナ君。庭に立たせてみると、フンフンと先の尖った草を探しながら、夫のバイクの周りを一歩、一歩、一周して見せてくれたところで倒れこみ、哀しそうに鳴き始めました。暖かくしたハウスに入れても、鳴き続けるセナ君。声がどんどん大きく苦しそうになり、痙攣が始まってしまったため土曜の時間外に無理にお願いして、病院を開けていただきました。もっと早く連れて行かなかったことを叱られてしまいましたがいつもと同じくらい食が進んでいたことをお伝えすると先回の様子を知るお医者さまの方がびっくりされていました。急遽行った血液検査も、非常に悪いという数値は見られず、体温も37度で、3日前に病院に連れて行ったときよりも上がっています。それでも、注射で痙攣はおさめていただいたものの、いつまた発作が起きるか予断を許さないとのことで、その夜はそのまま入院することに。「若いワンちゃんだと、起きたときにすっかり元気になっていることもあるのですがセナ君は高齢なので、このまま、ごめんなさい、ということになるまかもしれません…そのときは、朝一番にご連絡します。」翌日は日曜日で、もちろん休診日。朝10時半過ぎに開けていただくことになっていましたがもしかしたら電話がかかってくるのではないかと、起きてからずっとどきどきしつつ11時前に病院に着くと、まだ息があるとのこと。ゲージに入ったセナ君は、本当に虫の息で、撫でてみると、体温が低く低くなっていました(32度くらい)。連れて帰りたいと伝えましたが、発作が起きたときの対応ができないとのことで入院させたまま様子を見ることに。それが生きているセナ君との最後になりました。
February 15, 2008
札幌・じゅん先生よりメッセージをいただきました。 ☆☆☆ 心の妹の 静岡のしんさんは寝たきりの病人です!どうか誕生日メッセージを送っていただけませんか? http://plaza.rakuten.co.jp/sinyamato/diary/200711090000/#comment ☆☆☆「2008年01月05日の日記」「しんさんは八年前まではバリバリの美容師でしたが、筋肉収縮症で今は手首と顔しか動かすことができません。偶然僕の楽天ブログを訪れてくれました。これも何かの縁です。縁を大事にすることを大事にしてる僕は、何とかしんさんの役に立てないかと、いつも思います。世の中には大変な方がたくさんいらっしゃいます。せめて身近な人を知ってしまった以上、縁あるものとして、今できることをしてあげることだと自分に言い聞かせています。どうか縁ある皆様の温かい気持ちをしんさんに、コメントしてあげてください。そして お友達に教えてくださいませんか?よろしくお願いします。」***先ほど、私もコメントさせていただきました。当たり前にできると思われることは、実は当たり前ではないということ、ここにこうしていられることそのものが、奇跡であるということをつくづくと感じさせていただく機会下さったこと、感謝します。お心に響かれましたら、どうぞ。
January 6, 2008
お節とお雑煮の後は、初釜を。抹茶は五十鈴と霧の音。菓子は栗鹿の子、梅香、雪見、亀に。お抹茶をたてて、和菓子を頂くのみのシンプルなものですがお正月気分が一気に高まり、気持ちが新たになる時間、お薦めです☆いつもの年は、大晦日から元日にかけての夜、近隣の神社に初詣に参ります。今年は、小雪がちらつくほど寒かったのと、大掃除で張り切り過ぎて疲れていたので夜は見合わせ、2日のお昼に訪れました。昨年までお世話になったお札や熊手をお返しし、本殿、天神さん、お稲荷さん、御嶽さんなど各所にお参りし、新しい熊手を購って帰ります。熊手を抱えて過ぎようとすると、ふと夫が「おみくじを引いてみよう」十数年前、お正月に引いた結果が良くなかったそうでおみくじはあまり好きではないはずなのですが、呼び止められたように戻り、一枚ずつ引きました。結果は、夫が大吉。私は末吉。大吉でも、よくよく読むと慢心を諌める内容のものも多いのですが(大吉をよく引くため、よく知っております☆)夫が引いたものは目上の人に引き立てられ、立身出世するといった、福満載の言葉が並び、厄年の夫はご満悦☆末吉の私の方は、何故か、月にちなんだ言葉書きが多く、0からのスタートなるも、次第に月満ちてゆくといった希望に溢れた内容。「子に仕合せあり 大切に育つべし」という締めくくりも嬉しく。夫婦双方、大切に持ち帰ったのでした。皆さまはどのようなお正月をお過ごしでしょうか。
January 3, 2008
ベルリンに韓国の芸術家によって南北の壁というモニュメントが作られたとの報道を読みました。1990年、まだ壁崩壊の余韻が冷めやらぬ時期に西ベルリンを韓国人の友人と訪ねたときのことを思い出して。オランダから向う途中、東ドイツに入った途端に各駅で兵士が監視をしていたこと。マクドナルドで聞いた悲喜劇、駅に溢れていた人々。壁を潜り抜け、東側の壁片を拾い集めるそばで、泣いていた友人。18年後のいま、プラスチックで作られたアートのようにあらゆる壁が崩れ去る可能性が生まれることを祈って。「欧州鉄道の旅・ベルリン~壁越え」「ヘドウィグ観賞」「ショート・バス観賞」「祈り・失踪した同級生に」
November 9, 2007
内藤ルネさんが儚くなられたとの報を知りました。胸に訴えかけるような、大きな瞳のイラストやお人形を目にしていつかその源泉である方のことをもっと知りたいと思っていたところの訃報でした。同じく絵も文章も能くした、竹久夢二の家もコースに入れた矢先のこと。いつの時代も必要とされる情緒、美風、品位のありどころ、時代を越えて蘇える、弛まぬ強さ優しさ美しさ、そんなものに出会いたいと願っております。 ご縁がありましたら、かの地でお会いいたしましょう。
October 27, 2007
夜7時頃から、たくさんの方が愉しめそう。月の色も様ざまに変化するようで、観測の記録など押し迫った夏休みの宿題にもぴったりかも☆国立天文台HPでは、ペルセウス座流星群の時と同じように、皆既月食の様子をアンケートでレポートできます。アウトプット前提のインプットの方が深い学びができるので今回も報告できたらいいなと思っています。「私は、暦を知っていただけです」堺さんの「西遊記」の夏目お師匠さんのセリフは、皆既日食の方に対してでした。夜空のスペクタクルを堪能できる今夏になりましたね。 「国立天文台HP」
August 26, 2007
夜中にふと目覚めて、流星を見ようと家の外へ。ちょうど玄関の真正面が、探しやすいWの形をしたカシオペア座。すぐそばにあるというペルセウス座も、形は定かにわからねどだいたいの見当をつけたあたりを向き、しばらくたたずんでいましたら、大きく尾を引く流れ星を見ることができました。夏休みの宿題などでまだ起きていた子どもも呼んだところ、まだ見ぬうちに雲がかかり、その日の観測は終了。それから2日間は、実家に行ったり、お墓参りやお坊さんを迎える準備などお盆の行事に追われ、落ち着いた頃、国立天文台のHPを発見。「13日の午前1時半あたりからの観測で、30分足らずの間に、小さなものを含めて10個あまり」などとHPアンケートで、親子の観測の様子を報告したり県別の観測結果などを見ていたところ、遅まきながら夫も「見たかった」と申します。すでに15日。流星出現の極大期は過ぎていたものの、確かまだ見えるはず。そこで少し足を伸ばし、人家の明かりが届かないあたりで車の中から観測していたところ、12時半過ぎから大きく尾を引く流星を、3つキャッチできたのでした。以前観た、本当に降るように注いでいたしし座流星群のことも思い出して。観測所のある小高い丘の上に横たわり、見ず知らずの人たちと一緒に歓声を上げ、暗幕に火矢が灯されるような、大きな船で無数の火の玉の中をかいくぐるような夜空の光景に慣れてゆく不思議な時間。まさに、宇宙船地球号に同乗している感覚。あのときならば、何分も残るような大きく煙るような流星痕とともに、線路と夜汽車が現われたとしても、誰もがそれほど驚かなかったかもしれません。もしかしたら、石コ賢さんもお山の上で流星群を見て、物語のヒントを得たのかしら。目に見えない時も、星は輝き、無数の流星が降り注いでいることを改めて思い起こさせてくれた真夏の時間。今回の極大期は新月でお月様の光がないこともあって、流星が特によく見えたとか。新月の時期に自分の願いを具体的に書き出すことを続けているのですけれども「流れ星が見えたときにお願いごとをすると叶う」とよく言われているのも新月の時期によく見える流星群と関係があるのかも☆星に願いを。ペルセウス座流星群は今月24日頃までが活動期だそう。また28日には、皆既月食も見られるようですよ。☆ペルセウス座流星群のことを知ったのは、このアルバムから☆ 「国立天文台HP」
August 17, 2007
パソコンが復帰しました。オーラの泉等、徐々にアップさせていただきます。よろしかったら今しばらくお待ちくださいね。
June 10, 2007
受験生の夏は「パノラマ島奇談」を息抜きに読む程度で、修行僧のように、ひたすら勉学に邁進?していたとき、中学英語のラジオ番組のブレイクで聴いてしまったのが「China Girl」。永遠の仮面の男に出くわしてから続いていたアニメ関係の狂騒も「幻魔大戦」の映画鑑賞を最後にピリオドを打ち、精進すると決めていましたのに思わぬ角度からカウンターパンチをいただいたものです。ポップなディヴィッド・ボウイは、ファンの方々の間では賛否両論分かれるようですけれどもそのころの私にとっては、彼の声と姿は、十二分に妙なる毒で。ここを入り口として、一通りボウイの作品に触れる機会を与えてくれた功績は大きいのではないかなと思います。その年の5月に公開されていた、坂本龍一さんもご出演の「戦場のメリー・クリスマス」も、観たくてたまらなかったにも関わらず、心頭滅却に努めておりましたがボウイの歌を聴いてしまってからは、さらに煩悩の塊りに☆良き?友はいるもので「『戦メリ』のリバイバルしてるわよ」と。彼女はしっかり、封切り時に観賞していて、煩悩の子羊を羨ましがらせていたのですが年の暮れも受験日も迫った12月にもなって、まだこんなことを言うのです☆ところが、中学校最後の実力テストが、これまでにない不出来さで。その憂さを晴らすには、これしかないと、悪友、良友数名を誘って、ようよう観賞に臨んだのでした。さっさと観に行けばよいのにね…映画館に着いたときは、ちょうど二本立ての一方、ローリングストーンズのライブ映画が上映されていましたが、皆、こちらの方には興味がなく、終わるのを待って入場。企画された方は、ボウイとミック・ジャガーとの交流の深さも鑑みて二本立てになさったのではないかなと、今になって推測するのですけれども「ダンシング・イン・ザ・ストリート」をお二人がコラボレーションされるまでそういったことには思い至らず。(無事に高校に入ってから、音楽好きな先輩にこのことを話すと、「なんて勿体ない!私はローリングストーンズの方が観たかったのに、テスト期間で映画館に行くのを我慢したのよ!」 とっても叱られました☆)大画面のボウイは、アーティストオーラが輝き渡っていて。坂本龍一さん、北野武さんの役者としての一面も新鮮でした。「戦場のメリー・クリスマス」は、その後長きに渡ってクリスマスの頃になるとTV放映されるようになりましたね。そういえば、さきほど登場した「幻魔大戦」。こちらは小説の方を、父が買い込んでくれて読み進めていたのですが「オーラ」という言葉を知ったのはこの作品がきっかけだったように思います。印象深かったのが、相思相愛のカップルのオーラの形がハート型だということ。映画でルナ姫役をされた小山茉美さんが「オーラが見えるようになった」と角川春樹さんとご一緒のキャンペーンでおっしゃっていたり。フロイという、完全にスペースに広がった存在を、美しい輪が明るく広がる御方、美輪明宏さんが演じておられたというのも意義深いこと。光のボトル、♪人の形をした光♪、オーラソーマが生まれたのもこの年。オーラにご縁の深い、スピリチュアリティに繋がる端緒の多い年回りだったのでしょうか。************************************************4月17日、午後8時36分より新月が始まりますね。メールマガジン第53号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
April 16, 2007
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