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今夜8日のゲストは、西城秀樹さんですね☆***お若いながら、非常に老成された中村さんに伝えられるメッセージとは。江「美輪さんもおっしゃっているんだけれども、もちろんこの現世の中で、太一くんも『自分は今になって気づいた』って言うけれども、以前に言ったことがあるんですが『肉の歳』と『魂の歳』というのがあるんですよ。これはとても違うんですね。『肉の歳』というのは、この現世に生まれてからの実年齢、肉体的年齢。『魂の歳』というのは、要するに精神性の年齢なの」美「精神年齢」江「これもスピリチュアルなことでね、非常に不思議だと思うんですよ。例えば中村さん、まだ弱冠20代に入ってすぐ…」中「22歳」美「22?まあ、なんて大人なの」江「でしょう?」国「大人ですよ、話すことが」中「とんでもないです」江「そういういろんな経験をしたから、ではないと思うんです。元の…これこそ目に見えないことで、これは夢物語と思ってください、それこそ魂というのは、太一くんは『今ごろ気づいた』って言うけれどもそれでも気づかないから、何回でも生まれてくるものなんですね。それこそ、あの手この手と自分の立場を変えたりして…」中「聞いたことある…」江「はい、そういう今までの経験が、かつての経験が多い人は若くても凄く落ち着いていて、物事の考え方も深く知ることができ…美輪さん自身が、例えば年齢を重ねて今ある、それはそうかもしれないけれどそれだけではない。だから、四つ五つのときからも、いろいろと自分で判断でき自分で本を読んだだけでも理解でき…」中「アポロンをイケメンとは言えませんよ…☆」江「だから中村さんにおいてもそうで、最初に言ったように『この世に無駄に生まれてくる人は一人もいない』みんなちゃんと意味を持って生まれてきて誰もが祝福されている存在であるということ。一番大切なのは『自分の役どころをきちんと受け入れて、そこから立ち向かって生きること』なんですね。それを『嫌だ、嫌だ』と逃げたら、棒に振っちゃうんですよね、もったいないことになっちゃう。真正面から、卑下せず、自分の個性でまず自分が自分のことを受け入れてあげなかったら…」中「そうですよね」江「でしょう?そこでね、ちょっと話はそれますけれどもお母さんにくっ付いていたいがために、生まれてきているのね。これは不思議なんだけど小さいときからお母さんをお母さんと思う現世の気持ちもあるけれども一人間として、ずーっと分析して見てしまうでしょう?『この人が一人の人間として、こういう考え方をするんだ。だから今までの人生がこうなる』幼いときから、すごくお母さんのことを人間観察していて。もちろん、育ててもらっているから現世側の方では感謝。精神の方の側では、いつも友達のように、寄り添ってなぐさめてあげる存在」中「うん…今、びっくりしました。あの、大人の中で育っているせいかなと思っていたんですけど『同じ人間なんだから』という風に思って母ともその周りの人とも接しては…」江「肉体の上では産んでもらったし、子供という立場でいるんだけれど精神の方では悪い意味じゃなくて、対等であったり、逆に『助けるべきところは助けなくちゃ』」美「普通のやんちゃな男の子のように『ママ、ママ』といってずーっといつ何時でも親子の関係で成長していって、成人を向かえた…そういう関係ではないということ。つまり、親子で、小さい男の子とお母さんという立場であっても心の中では母親に対して『疲れて帰ってきた』『いろいろ仕事もしている』そうすると親友の女同士のように『ねえ、あなた大変よね、愚痴を言ってもいいわよ』『泣いてもいいわよ、胸を貸してあげるから泣きなさい』という風な感じの。そういう気持ちでお母さんを見たりとか『この人も大変ね』と思ったりとかいたわりとか、そういう目で見たりもしていたでしょう?ということをおっしゃっているの」中「あの…助け合うことも同じ人間同士なんだから当然だろうという考えがあるのでそう接していたように思います」江「中村さん、ごめんなさいね。本当はこうやって表に出ているけれど『小さいときから、それは自分自身がそういう個性だから』とかと関係なくお母さんを分析したり、支えたりはするけれども本当に人をなかなか好きになれないというか、不信がある。だからちょっと『窓からこんにちは』くらいには人と関わることはあるけれども『人と関わることが好きだから』とスピリチュアルチェックでおっしゃったでしょう?あのときから『違います、違います』っていうのが聞こえていて『自分で自分のことを嫌いだ』って…あなたがね」中「はい…」江「『まず、自分を好きになりなさい』ってね、美輪さんがよく言う『原罪意識の強い方』なんですね。何か『罪である自分』から考えてゆく」中「…ありますね」美「いろいろ持っているの、原罪意識をね、自分の中に」江「そこで大切なのは、だからどうしてこうやって表に出たかというと人との世界になるべく、人の心をよく理解してゆくということ。そうして氷が溶けるように、心を溶かしてゆくということ。好きな人を追いかけているときは楽しいとおっしゃっていたけれどもそれって、心の、空想の中で追いかけているのが楽しいんです。現実に関わるのは怖いというか…」中「そうですね、言わされていたのかな…もちろん自分の好きなところ『そんな人との関わりが嫌な自分でも、人を好きだと思うことから逃げられない自分が好きだ』そういう意味だったのかなって。人との係わり合いを0にしてしまうことができない。そういう正直さがどこかにあって、そういうところを見たんだと思います」美「それで、歌ができるんですよね。そういう葛藤がなかったら、歌なんか作れません。また、歌えません…そう」江「それだけ強い思いがあるから、伝わる、人にね」中「なるほど…」江「歌という音楽を通して、そこに人生哲学を得て、より理解して、無知を知に変えてゆく。そうすれば、何も怖いものはない。恐れをなくしたとき、堂々と恋愛じゃなくて愛せるようになる。恋愛と愛は違いますから。どうしても恋愛は、やはり自分を守ろうとする。自分を愛する方向。愛というのは、相手を愛すること。そのときに恐れは何もないですから」中「…恐れ入りました…」国「今日は本当にヒントになって、また新たな気持ちで向き合うことができたわけですよね」江「それができたら中村さんね、自分の全領域に人を入れることができるようになりますよ。あと、自分の物。あのね、アーティストだからある意味でセンシティブなんだけど『これは人に触れさせないもの』というのがある。なんてことないものでも心許す人じゃないと持たせない。すごく仲良しの相手でも『ここから先は駄目。入れません』という…お家でも何でも中に入れる人は特定になっているし、最後の領域はね。それがちょっと不自由になっている感じなの、見てみると。だから、どんどん恐れなくていい、本当の自由を得られるようにこれから学ぶ、歩む中で…」中「そうですね。いろんな人たちに触れ合って。一番近くに来てくれる人は、そのときは愛する人であって欲しいです…」江「そうです、なりますよ…メッセージがあってね『これからが大変ですよ、正念場です』今こうやってご活躍されているけれども『まだまだ本当の理解ではない』本当の理解ということを深めゆく、求めてゆくと共に、ご自身がアーティストとして本当に思いを深めていかなければならない。力を発揮しなければならない。ただですらここ最近、自由を失っていることへの…自由というのは作品でも、自分の活動でも、自由を失いつつあることへの恐れが中村さんの中に芽生えてきているというようなことがメッセージにありましてね…今まではもっと自分の心のまにまに、いろいろチャレンジしたりするんだけれどもどうしてもここまで活躍すると、社会の中の型に入れられてしまうところがある。そこからもがいて『どうやってまた自分自身を発揮するか』という自分との勝負なのかな…」中「そうです」江「何かそういう風なことがあって『でもそれは必ず、脱却する日が来るんだ』と。『そのことだけをちゃんと心に留めて、歩んでいってください』というメッセージがあるんですよ」中「…望むところです」江「だから今日はね、映画で言う予告編をご覧になりに来たみたいなものです☆」中「なるほど☆まだ放送してなかったんですね☆」国「また放送したら、ぜひ来てください、気になるので」中「もちろんです、放送しましたと☆現れます」国「さあ、中村さん、今日はいかがでしたか?」中「何だろう…あの…これからも『人生、望むところだ』というところですね」国「覚悟じゃないですけれども、やってやるぞみたいな気持ちになりましたか?」中「肝が据わりました」国「自分を好きになってなかったんだという発見も、もしかしたら」中「そうですね。それは言い当てられたな、一本取られたなというところでしたけれども」国「僕もチェックを聴いているときは、『人が好きだ』ということを話していたのでそういうイメージだったんですけれど」中「好きなんですよ。好きなんですけど…」国「どこかでシャットアウトしている部分もあったりして…」中「…かもしれないですね」国「いやでも、しっかりしてるよ、びっくりするもん☆僕、今日の話、最後だから言いますけど、六割ぐらいしかわからなかった☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 自分の役どころを受け入れて、立ち向かうことを忘れずに。これからは自分との勝負。罪の意識を捨てれば、もっと自分を好きになります。【オーラの言葉】☆ 人をいじめるのは、自分がコンプレックスの塊だから。自分に自信のある人は、人に優しい。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 5, 2008
4、5歳の頃にはご自分の性癖を自覚し、受け入れていたという美輪さんは中学生で神話の中に同じような記述を見出されます。美「自分がそういう性癖があるということ、それを『自分だけがおかしいのかしら?』とか『周りはそういう人はいないんだろうか』とか、いろいろ調べたり、比べたり…例えば私が自分がそういう風だということがわかったのは小さい頃からで開き直っていたし、隠すこともないと思っていたんだけど…中学のときにね、図書室の係りをやっていたんですよ。そうしたらギリシア神話の本があってね、アポロンという太陽のハンサムなイケメンの神様とヒュアキントスというヒアシンスの精になった神様と人間のハーフの絶世の美少年が愛し合って、ゼヒュロスという風の神が焼きもちを焼いて、アポロンの円盤を投げつけてその少年が死ぬんですよ。アポロンが泣いて『私の胸の中でいつまでも生きていておくれ』と言うとそれに答えるようにその少年の血の中から咲いたのがヒヤシンスの花っていうの。そういうものがあって『え?じゃあ古代からずーっと当たり前であったんだ』ということがわかったの」国「中学生の頃にそれを読んでいるんですものね。すごい中学生…」美「私、全部それを調べたの。『日本ではないのかしら?』日本の神話の中にもそれが出てくるの。それで私は『あ、別に卑下したり苦しんだり泣いたり騒いだりコンプレックスになったりする必要はない』ガーンと胸を張っちゃったの」国「すごいですね☆自分で見つけて『あ、何だそういうことだったのか』って言える美輪さん、凄いですよ」美「そうですかね…」国「中学生の頃の僕の神様といったら、マラドーナ(アルゼンチンの英雄的サッカー選手)しかいなかったですから☆やっぱり違いますもん、見てる神様が」中「そうですね☆」江「私ね、いつも違和感を覚えるのが、中村さんも自分でカミングアウトなさったけれども『性同一性障害』っていう…どうして障害という言葉を使わなければいけないのかというのがそれは全ての障害に対して思うんです。言葉が適切ではないかもしれませんけれども、弱者とか、何かそういう立場にすれば『助けてあげよう』という心が芽生えているというのが嫌なんですね。障害者という風に認定されれば、非難することではなく手を差し伸べるべきだということが。私はいつも申し上げるのは、この世に無駄な人は一人もいなくて、これは個性なんです。色々な個性の人たちがみんなで生きていて、それを助け合うのが当たり前のことで。だから障害という言葉で何か下の立場を作って、そうすれば手を差し伸べる。これは傲慢さが生むことだと思うんですよ。様ざまな個性の人たちがいて、そういう個性の人たちをみんなで補い合う短きを助け合うということの精神に行かなくてはいけない。私は手を差し伸べてはいけないと言っているんじゃないんですよ。そうではなくてみんなで認め合うことが大事で…」中「そうです」江「私がひとつ中村さんに伺いたいのは、今『そうです』とおっしゃられたのでわかったんですけれど『障害という言葉がつくのはどうかな?』とご自身でそれをこう…どうしてもそういう紹介をされてしまいますでしょう?」中「そうなんですよね…」美「お嫌じゃありませんか?」中「嫌ですね…嫌だという…もちろん嫌だという半面、一応事実であるということはこう…ぼやっとはさせたくはないんですけれど…」江「現世における認識のためにね」美「だから私はね、『病気』という言い方をするのはおかしいよ、ということを言いたいですよね。病気じゃないんですもの。例え病気にしても病気が何か犯罪でもあるかのような認識を持っているじゃないですか」中「…言われ方をすることがありますね」美「『病気がうつるんじゃないか』とか、『おかしいんじゃないか』とか『変態じゃないか』とかね。病気の人に失礼じゃありません?」中「皆さん、変態ですものね☆」国「すっきりした、何か☆『隠さなくていいんだ、僕、変態ってことを』って今思いました☆」江「『この世の中、じゃあ多数決ですか』ってことなんです」美「『あいつは変態だ』とか、『あいつおかしい』とかね、色々言っている人が実は中へ内面へ一歩入ってみると、ド変態なんですよ☆そういうのが多いの」国「変態に敏感なわけですからね☆『あの人変態だ』って自分と比べているわけですものね」江「その通りです。自分の中にあるものが気になるものです」美「あのね、正当化するために、人を非難することによって『自分はまともだと思いたい』という卑劣なところから。自分は全くまともだという人は、人のことをそういう言い方はしませんよ。自信があるから」国「言っている人はドがつくほどの変態なんですね☆」美「そうそう。ドが四つも五つもつくの☆」国「すごく思うんですけれど、小学生のときにこの重いテーマで悩む子っているわけじゃないですか、今も」美「だから私はそれを言い続け、闘い続けてきたの。それで自殺したり、殺されたりした人がどれだけいるか…もうみんな可哀想で、哀れでね…だから私は、オカマっていう言葉を、その差別、侮蔑語を何故取り締まらないのかと言うのね。そのオカマという言葉で小学生が引きずり回されて苛められてね、自殺した人がどれだけいるか。そういった人たちのことを考えたら、受け狙いで自分たちのことを卑下して言う馬鹿がいるんですよ、TVに出ている連中でも。そういうのは私は許さない」国「美輪さんが小学生の頃は、やはり苛められるようなことはあったりしたんですか?」美「そういう風に『オカマ』『おとこおんな』とか、いろんなことを言われましたよ」国「どうやって乗り越えていったんですか?」美「そういうことを言う連中というのは、だいたいレベルの低い、動物的な、頭も悪いただ腕力だけの馬鹿な連中が多かったの。多才で頭が良かったり、常識的で人格的に立派な人たちというのは逆に『可愛い、可愛い』『綺麗だ、綺麗だ』って褒めてくれていたの。だから私は、そういうのを逆に馬鹿にしていたから、相手にしなかったの」国「中村さんの小学生時代はどういう感じでしたか?」中「そうですね…そっくりとまでは言えないんですけど、やはり似ているなと思ったのは『自分に必要なもの』だけを見て過ごしていたので…もちろん、いろいろ言われて…まあ変態扱いもよくされましたけれど、そういう部分にばかり目を向けていたらそれこそ私は人生を途中で諦めていたかもしれないんですけど、とにかく『好きな歌がある』ということ、そこだけを考えていたので…まさにその、勉学に励むだとか、自分のために自分を躾けるというか…」国「僕は多分、最低な人間だと思うんですけど、小学校の頃にそういう子は多分いなかったと思うんですね、同級生で。でも、もしいたら、やっぱりちょっと変な目で見ちゃうと思うんですよ。『お前、なよなよするなよ、男だろ』って多分、言っちゃうタイプなんですよね。でもそれは…何だろう…やはり受け入れるとか、受け入れないとか教えてもらっていることじゃないから、自分の中で子供たちは判断しちゃうじゃないですか」美「でもね、そういうことを言って苛める子は、だいたい劣等感の塊りなの。自分に自信のある子たちは、人を苛めたり、おとしめたり、馬鹿にしたりしませんよ。優しい、みんな。コンプレックスの塊りみたいな子が、何か苛める材料を探すの」国「ということは、僕はそうだったわけですよね…その当時」美「そう?」江「ただね、みんな何も考えていないんですよね。TVを観ているお子さんたちの中でもね中村さんと同じような思いでいる子がいたとしてもね、考えて欲しいのはまた人にも伝えて欲しいのは、例えば『男のくせに』『女のくせに』男の定義は何?女の定義は何?おおよそ非難する人は、言えないはずなんですよ。『…男だからだよ』と言っておしまいなの」中「確かに、だんだん年を経てきて、大人になってくると昔は通じなかった気持ちとかが少しずつ通じてきたりするんですね。やはりそれは私も『自分をどう表現するか』『自分はどういう風に人に気持ちを伝えてゆくか』ということがだんだん確かになってきたということもあるんですけど…周りの人たち、身近な人たちですけれど、少しずつ自立してゆくことによって『自分は、自分という一人の人間だ。そして彼は彼という人間、彼女は彼女という人間』『あの人はあの人、そして私は私』という風に、こう…一人一人の人間性が確立されていってからは、何か『君はそういう個性だよね』という風に受け入れてもらえる…」美「さっき江原さんがおしゃっていた、それぞれが個性だという…それをおっしゃっていたんでしょう?」江「はい」中「私は一概に、例えば昔のクラスメイトであったり、私を非難してきた人たちに…憎しみの目は向けられないんですよ。きっと私以上に脆かった人もたくさんいるだろうしきっとわからなかったということもあると思うんですよ。どうしていいかわからなかった。でも時間を経て、そういう風に…だんだん世界が丸くなってゆくのであれば私はすごくいいことだと思うし…」国「なんていい子なんでしょうね☆…なかなか言えないですよ」江「私なんかこんなに若輩ですけれど、思うのは『生きるということは、無知を知に変えること』なんだと思うんです」中「無知を知に、変えてゆく…」江「一個一個を知ってゆく。あの…人を傷つける痛みがわからないからできること」中「怖いもの知らずということですよね」江「ええ。傷つく痛みを知ったら、人を傷つけなくなる」中「人の痛みを知るという…はい」江「だからそれができる人は、知らないんです、まだ。残念ながら」中「そうですよね…」国「僕、何か最近のような気がするんですよね」美「何が?」国「それに気づいたのが」中「素晴らしいじゃないですか」国「ありがとうございます☆遅かったなあと思うんですよ、ちょっと反省する…」美「60になっても70になっても、気がつかない人はいますよ。その若さで気がついたら、優秀ですよ」国「そういうことですね、そうか、『もっと若いうちから気づいておけばよかった』じゃなくて、今気づいたことが凄いことであって…」美「そうなんですよ、一生気づかないで死ぬ人もいるの」国「その人は可哀想ですね」美「うん…」中村さんが楽曲を提供された戸田恵子さんのお話「彼女独特な世界観というのがやっぱりあって、あたるワールドというものを持っていてそれがドキッとするワードだったり、一文だったり、センテンスだったりするんですけどやはり今まですごく傷ついて生きてきたところもたくさんあるでしょうから何か人の痛みみたいなことに凄く敏感な詩であったり…」続きます。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ 観賞 半神への希求」***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 4, 2008
昨年、紅白に出場された22歳の美しい歌い手さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 小さい頃、好きだった曲→Winkさんの「淋しい熱帯魚」☆ 自分の好きなところ、嫌いなところ→表裏一体のところはありますが好きなところは人懐っこいところ、人が好きなところです。嫌いなところは、臆病なところ。☆ 最も腹が立つとき→同じ人間なのに、人が人を裏切れるところ。☆ 不思議な体験→小さな頃は街を歩いていて、街灯をよく消してしまいました☆☆ とても愉しい気持ちになるのは→楽しい…好きな人を追いかけています。国「どうです、この雰囲気?」中「すごいですよ、ゴールド☆」国「パワーありますか、このセットには☆」中「びっくりしました☆わからないですけれど…」国「スタジオに入ったときも驚いていましたものね…美輪さんとは、はじめましてですか?」中「はじめまして、よろしくお願いいたします。私は『ヨイトマケの歌』がすごく好きで…あの…働きに出ているお母さんの歌じゃないですか。私の母も女手一つで私を育ててくれたので、あの歌を聴くと感動してしまうんです」美「親孝行でいらっしゃるのね」国「江原さんとはどうですか?」中「はじめまして」江「よろしくお願いいたします」中「笑顔が素敵な方ですよね☆とっても…」国「さっきのチェックの中でもありましたけれども『子供の頃歩いていたら、街灯が消えた』なんていう不思議な体験をしていますよね」中「あれは何でしょうね…道を歩いていて、街灯が点いていますから夕方過ぎなんですけど自分の足、歩みのタイミングに合わせてパンっと消えたことが何回かありまして…」国「これは電気体ですね☆これはよく出てくる…こういうお仕事をしている方は本当に多いんですよね☆」中「すごい☆」国「でも心配することないですから☆」中「そうですか、良かったです」美「私、降ろさせていただきます☆」「佐藤弘道さんの回・念と愛情」中「すごく、詳しいですね」国「いや、これ以上はわからないのでお二人から。どうなんでしょうか?」美「その通りですよ」江「国分さんがおっしゃる通りだと思いますね。『内に秘めたる思いの強い人』が、割とそういう思いが飛び易い」美「エネルギーね。中村さんは歌い手でいらっしゃるでしょう?歌い手にはそれが必要なんですよ。ステージに立つでしょう?例えば美しい思いとか、想念とか、それをエネルギーとして全部お客さんに伝えるわけだから」国「子供の頃からやはり本当に歌が好きだったんですか?」中「そうですね。歌も…好きから始まったものですね」国「さっきのスピリチュアルチェックの中でも、Winkさんの歌が好きだと…振りも真似したりしたんですか?」中「しましたよ☆♪Heart on wave~」国「♪Heart on wave~必ずやりますものね☆ということは子供の頃から結構音楽が流れているお家だったんですか?」中「そうですね、TVから情報を得ることが多かったですね」国「TVからですか?」美「楽器は?」中「楽器は学校に行ってからです。小学校くらいから…」美「それはお家で買って下さったの?前からあったの?」中「あの…家に楽器はなかったんですよ。ピアノをまず最初に始めたんですけれど学校にあるピアノで先生に教わりながら独学で。レッスンとかを受けたことないんです」美「バイエルから始めたんですか?」中「そういうものも一切やらずに、一生懸命こう…まず楽譜を読むのを覚えるところからやりました。どこがド…ここがドだから♪ドレミ…って全部数えて、全部書いて見様見真似で。ちょうど弾ける友達が近くにいて、その子の指を見て、あと耳で覚えるじゃないですか。『同じ音じゃなかったら、間違っているのかな』という風に覚えて…『あ、違う音が入ってる。これが正解だ』」国「和音もそれで弾けるようになったんですか?『あ、この音が入ってる。音が違う』というのがわかっていたんですか?」中「何か感覚で、ですけれど…」国「すごい…いまだにわからないです、僕☆」美「最近は不協和音も一緒に弾いちゃうからね」中「…そうですよ!国分さん、キーボードニストじゃないですか☆」国「忘れていましたか?☆端くれですけど、僕も独学なんですよ。だから本当に、先生に一から言われたら、絶対に怒られるような指の使い方を多分してると思います。お母さんが音楽を好きだというのは、やはり大きいですか?」中「大きいですね…鼻歌で歌っているものを聴いて…」美「どういう歌?」中「私はあの…研ナオコさんの『泣かせて』という歌を…」美「ああ、いい歌ですものね」中「はい。母に教えてもらってから歌謡曲の魅力に引き込まれていったんですけど…『泣かせて』なんていう題名で曲を書いちゃうなんて…『粋だな』と思って。歌を見てみたら、私は歌詞をよく読んでから歌うようにしてるんですけど♪悲しいことは どんな化粧をしても 悲しいのです…っていう小椋桂さんの歌詞なんですけれど、それがすごくいじらしくて『こんな風な女性像があったんだな』って、何年か前は…」中村さんは性同一性障害であることを公表し、同じテーマのドラマに出演、昨年の紅白歌合戦には紅組から出場を果たされます。国「どうなんでしょうか、自分の性に違和感を感じたのもそのくらいですか?」中「そうですね…ちょうど声変わりをした頃だったと思います」美「14、5歳?」中「そうですね」美「ずいぶん遅かったのね」中「そうですね。元々異変に気づいてはいて、ただその…あまり認めたくなかった…あまりしゃべらないようにしたりとか…それまですごく歌が好きだったんですけど…」美「でも男の子として、男の子の形で学校へいらしたり育てられたりはされていたんでしょう?」中「制服がありましたから、制服を着て…」国「なるほど。小学生の頃も、やはり何か『ちょっと違うのかな?』ということは自分の中で思っていたりしたんですか?認めないだけであって…」中「そうですね…『何かいけないことをしているんじゃないだろうか?』とやはりその時は、思っていたみたいで…『人を愛するのに自分じゃ何か足りないんじゃないかな』って思っていた時期がありました」国「自分に何か足りない?」美「例えば、好きになる、小さい頃に『○○ちゃん、好き』とかいろいろ言うじゃありませんか。その対象が男の子同姓だったり異性だったりするわけでしょう?思春期前というのは、女の子でも男の子でも同姓に、同級生が好きになったりいろいろ…それを卒業してから異性愛に移るわけじゃありませんか。そういうことはどうだったんですか?」中「…きっと私は、学生の頃からもう、男性のことを異性だと思って接していたところがあったとは思うんですよ」美「好きな方はいらしたの?」中「…たくさん、恋をしているので…」美「浮気者なのね☆」中「そうですね☆」国「一番最初に告白したのは、小学生ですか?」中「小学校…5年生、6年生の頃だと思います」国「早いですね」美「いや、遅いわよ」中「あ、お早かったんですか?」美「私は四つか五つだったの」国「告白したんですか?」美「告白も何も、もうめちゃくちゃ可愛がられていたから」国「中学校の頃に思いを伝えることとかを、僕らの世代はやっていたような気がするんですけど小学生でもう…」中「やっぱり気持ちは止められないんですよね」美「それは上手くいったんですか?失恋だったの?」中「失恋でした、やっぱり…」美「そう。残念でしたね。初恋は破れるものなんです」中「そうですよね。最初にあんまりいい思いをしてしまうと、後が怖いじゃないですか。だから最初は失恋で良かったなと思いましたけど、それから『はじめは失恋だったから次は…』『じゃあまたその次は…』ってやっていて今、みたいな感じですね」美「ただね、ちょっとそれは異性愛の人にも同性愛の人にも言いたいんだけど自分が同性愛だから、好きな人に告白して『やっぱり自分はおかしいんだ』と自分で自分を差別してみたりだとか、おとしめてみたりとか『同性愛だからだ』という風に考える人が多いんですよ。それは大間違いでね、例え異性愛の人でも、失恋はするんですよ。向こうがタイプじゃないだけの話」中「そうですね」美「そうでしょう?だから異性だから、同姓だからって、そこで妙に捻じ曲げて引っ掛けて考えない方がよろしいんじゃないですか、ということなの」国「でも小学生の頃は、やはりそこで悩んだりとかもしたんじゃないですか?」中「なかなか…やはり今と違いましたね。自分でどういう…例えば同級生と会話するツール、言葉なんですけれど、どういう言葉で接したらいいのかそういうものもすごく悩んでいました」美「男の言葉と女の言葉ということでね。でも最近は、女の子も男の言葉でしゃべっていますよ」中「そうですよね、そういえば、確かに…」国「そのことって、誰かに相談したりしたんですか?」中「なかなか…できませんでしたね」国「お母さんには、どうですか?」中「母にも…母はその頃、すごく頑張って働いて、私を育ててくれていたのでなかなかそういう…今となっては『何を遠慮していたんだろう?』とは思うんですけど何かそういう苦労をかけて…」美「心配させたくなかった…」中「そうですね。『母も何か背負ってしまうんじゃないか』と思っていたところがあったので…」美「優しいんですね」中「ありがとうございます…これは優しいんでしょうか…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 3, 2008
今夜1日のゲストは中村中(あたる)さん。昨年、山本耕史さんと「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の舞台で共演された方。愉しみです☆***山本さんにとっては、「親父」と慕う存在がとても大きな意味を持っているようです。山「僕は子供の頃に、夏は蚊帳を吊って入って寝るじゃないですか。親子四人で寝るんですけど、咳払い一つできなかった子ですから」美「え?」山「『まだ起きとるんかー!』ってこんな感じ。そんなお父さんです。何か悪いことをすると、バットで殴られたりとか。その父さんが嫌いになって『みちのく』が売れて、何年もたって父さんが亡くなる病院に入る小一年前に初めて褒めてくれたんですよ、僕を。『譲二のう、わしは本当にええ息子を持った』『父さん、何言いよんかね、気持ち悪いわ』『そんなこと言わんで、わしの言うこと聞いてくれや。そりゃ下関にもお金持ちはたくさんいる。だけどな『たけちゃん、どうやったら譲二さんみたいなええ子に育つんか?』ってわしに相談が来るんと。そのときに俺は、勝ったと思った。それが嬉しい』って…」【美輪明宏さん・新刊☆】 美「素敵なお父様で、いい思い出で」国「そうですね。ずっと見てるわけですものね」江「それは今でも、自慢の息子さんですから」山「久しぶりに親父と話ができたようで…」国「独立のきっかけというのはなんだったんですか?」山「あの…30年勤め上げたときに、親父(北島三郎さん)の住んでいらっしゃる八王子の家に行ったんですよ。それで親父に初めて言ったんですよ。『30年、親父のそばでお世話になりました。親父の笠の中で『山本譲二』という事務所を立ち上げるのは、親父、間違ってますか?』って聞いたら『いいことだ!』って、親父は言ってくれました。『その発表は俺の口から言いたいから、俺に任せて欲しい』と。それで二年経って、32年が過ぎて、45周年を親父が迎えたときに、45周年の舞台の上で『山本を来年独立させます。今まで以上の支援をどうか皆さん、山本に。応援してやって下さい』それを親父の後ろで、自分は聞いていたんですね」美「襲名披露みたいなものを…」山「はい、そういう感じですかね…」国「北島さんのところを離れるというのは、どんな思いで?」山「親父はね『独立して、頑張らないお前だったら、独立はさせない。でもお前だったらできると思ったからさせるんだよ』と『だから頑張るんだ、頑張るしかないんだ。寂しいお前は見たくない』そうやって送り出してくれました。『常に前向きで明るく』それと同時に、本当に歌える喜びというんですか。それと『歌ってあげているんじゃない、僕たちは歌わさせてもらえているんだ』そういう気持ちが本当に強くなりました」美「それとね、ちょっと余計な差し出がましいことを申し上げるようですけれどね、あの…独立なさったでしょう?昔は親方日の丸でしたよね。今度は独立なさったら、一国一城の主ですから、そうすると家之子郎党、家来から家族からそういったところの責任が生じますよね。そうしたら今までみたいな賭け事や何かで無駄遣いをなさることは、許されませんよね☆つまり、ご自分のためにもなりますし、何のためにここへお出ましになったかといいますとつまりそれが結論で、引導を渡されるために出ていらしたわけですよね」国「最後に大きなメッセージが☆」美「申し訳ない☆」山「おっしゃる通りだと思います。もう本当にね、たくさんの方が観ていらっしゃるところでね、約束しますよ」国「約束しますか☆」山「競艇、止めますよ」国「これは大きな約束で、全国放送ですから☆競艇に山本譲二さんを見つけたときは『あー、いたー!』と言ってください☆」山「いや、もう…こういう時ですから。でも本当にもう『少し控えなきゃな』という気持ちにはなったんですよ」美「それがなければ、今までにどれぐらい財産が残ってるか、わからない」江「本当にそうみたいですね☆それはそれはね、お父さんもみんなそうおっしゃっる…もう…大変な財だと」美「そうでしょう、お父様そうおっしゃっている。私もそう思います☆」山「私もそうちょっと思ってます☆はい…いや、本当に止めます」国「大きなメッセージがあったので、これからは気をつけてください☆」山「…競艇場では歌いますよ!お仕事が来れば…」国「でも博打の方はもう…」山「これは本当に、この場での約束ですから」【スピリチュアルメッセージ】☆ 奥さまもお子さんも「与えられた命」みんなが幸せで、笑顔でいることの大切さを生きていることはそれだけで凄いということを理解している方です。【オーラの言葉】☆ 怒り憎しみ、悲しみ呪い…マイナス感情は抑えてうれしい時、楽しい時、幸せな時に感情を利用する。感情をコントロールできるのが、一番洗練された人間。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 27, 2008
ご家族とは、やはり深い縁で結ばれているようです。江「失礼ながら申し上げてすみません、この奥さんとお子さんがいなかったら今の山本さんはないんじゃないかなと。さすがにお子さんが、ちょっと心配な風に生まれたときってやはり金銭的なこととかを考えましたものね。『先々、この子を背負って生きていかなくてはいけない』そのとき初めて『明日は明日の風が吹く』じゃなかった。それまでは『何とかなる!』自分以外のことはなかなか『何とかなる』って言えない。『自分が働いて、この子の生涯、楽にできるだけのものを残していかなくてはいけない』…」国「不思議な体験の中でも、ちょっと面白いような体験を。ちょうど競艇場にいたんですか?」山「競艇場じゃなくて友人の部屋で、電話投票です」国「お父さんの声だったんですか?」山「親父の声です。『3と4と5から、買わんか』って、それだけです」国「声だけですか。『あれ?』と不思議に思いながらも買ったんですか?」山「『親父の声やな。3-4-5』って…当たりました」美「一度切りでした?」山「一度切りです。その三時間位して、姉から電話があって『父さんが…』それで、行きました。俺と姉さんとお医者さま何人かと『延命器具をどうされますか?』という会話でしたね。俺は、はっきり言いました。『もう、取って下さい』意識はないんですけど、ものすごく痛がるんですよ、しかめっ面したり。まったく意識はないと思うんですよ、目は開けないし、ただ呼吸しているだけですから。あの…やはりどこか痛いんでしょうね…」国「お父さんとはじゃあ、最後の言葉を交わしたということは…」山「あります。まだ目を開けていて、しゃべれるときに、入院しているところへ行きました。父さんが手を出すので、手を握ったんですよ。小さな声で『嘘つくな』『約束守れ』『ちゃんとした男になれ』それだけでしたね。それが最後の言葉です」美「素敵な方ねえ」山「はい。高校時代は大嫌いだったんですけど、『みちのく』が売れてから本当にすごく好きになりました、何故か…」美「それが本当の人の道だということがもう山本さんの方でわかっていらしたからでしょう?」山「どうなんでしょうかね…まあ『みちのく』が売れると結構ゆとりもできてきたりして古里へ帰ると、父さんも競艇が好きなんです。『おい、ちょっと行こうや』ものすごく喜ぶんですよ。『ゴルフ行こう』すごく喜んだり。少し自分にも余裕ができたので『飲みに行こうか』『カラオケに行こうか』誘えるようになったんですけど甲子園に行った頃は大嫌いで、母さんをいじめている姿も見ているし…」江「でもお父さんはね、『ものすごく親孝行な息子』って言うんですよ。『一緒に競艇に行こう、というだけじゃなくて、もういい、充分だ、と言うのにどんどん送ってくるわ、いろいろしてくれるわ…というんで、そういう自慢の息子です』って言われるんです。親に対しても、お父さんよりもお母さんに対してなのかもしれないけれど『楽にしてやる、と言ってくれた約束を、ちゃんと守ってる』と言うんですよ。だからそういった意味でも『約束を守る男である』ということでお父さん自身は認めているし…これは本当に、夢物語として聞いていただいていいんですけれどね、お父さん自身微に入り細に渡り、体のこととかをすごく助けてくれてるんですよ。実はね、腰とか関節を山本さんはやられるんですよ。それを、どういう訳か仕事に支障のないように治るんですよ」山「3日前から腰を痛めているんですよ。でも仕事はできるんですよね」江「あのね、お父さんは自分の反省点として、全く体の気を使わなかった人なんです。それは非常に反省がお父さんの中にあってね『それを息子に繰り返させてはいけない』というんで『座る椅子に注意しろ』その座る椅子って何かというと、長いマージャン☆これね、時間があったらエンドレスなんですって。『あの姿勢で、あれだけ長い間座っていたら、そりゃ悪くなる』と☆ましてや独立もして、ということだから…ごめんなさいね何か…」美「いいのよ☆」江「いいですか?…その…ほどほどに。めちゃくちゃ使ったりだとかそういった意味でも独立ということはいい事であって…でもね、偉いのは、確かに度が過ぎれば奥さんは嫌な顔はするんですよ叱ったりもするんだけど、ほとんど野放しなんですよね。『自分で稼いだんだから、好きにしなさい』最後の責任とか落とし前はちゃんとつけられる人だと思っているから。ただ時々、困ったときだけ『どうしよう、こんなに使っちゃった…』って言ってくる時があって…」山「何でそんなのわかるんですか?いや、あの…」江「だからそういったときに『それさえなければいいのに』って奥さんはね思うらしいですよ。要するに、自分の甲斐性のうちでけじめをつけておいてくれたらいいんだけど、最後に『どうしよう…』という時だけ…☆」山「はあ…なんでこれ…そういうことが何でわかるんですか?☆おかしいじゃないですか☆」江「でも毎日、お家が『オーラの泉』じゃないですか☆」国「そうですね☆奥さんが相当、メッセージを送ってるんじゃないですか、山本さんに」山「あのね、競艇はだいたいその日に、キャッシュでやる方なんですよ。だけど、どうしても地方とかが多いもので、地方でもやりたくなるときがあるんですよね。それが積もり重なっちゃって、ある方に借金するんですよね。僕の悪い性格というか『ちょこちょこはあれだから、まとめて返すからな!』って借金が増えてしまうとうちの女房がそれを知っちゃうんですよ。それを全部、返してくれるんですよ」江「でも、それは全国に拠点をお持ちのようですね☆全国に、至る町に拠点をお持ちのようですから…」山「あの…競艇場は24箇所ありますから☆」美「かなわないわね、まったく☆」江「そういうことを含めて、お父様が全部話してくれるんです。全部何でも見てるってことですよね☆」山「すごく嬉しいですね」美「ありがたいですね」山「亡くなって一回、家に来てるんですよ。それは僕は見えないんですよ、残念ながら」美「奥さまと娘さん?どういう状態で?」山「『お父さんが来たよ』『嘘だろう?』って。これは本当に不思議なんですけど『お父さんが出てきて、本当に素晴らしい金の服を着ている。それに上下(かみしも)に白い服を着た方たちがいて、頭を下げたまま絶対に顔を見せない。それで私に『譲二がわしの眼鏡を持っとるから、悦子、探して欲しい』って。お父さんの眼鏡、持ってない?』『俺、持ってないよ』『あれ、絶対あるはず』半日かけて、あいつが探しました」江「どれ位前のことですか?」山「9年位前ですか…」江「実はそこに意味があって、ただ眼鏡のことを当てさせてるんじゃないんですよ。そこにメッセージがある。お子さんの目のこと。お子さんの視力が強くない、それを『大丈夫だよ。ちゃんと自分が目になるよ』要するに『自分が目の代わりになって守ってあげるよ』ということを伝えたかった」山「あの…今日、このTVを観ていて、うちの長女、びっくりしてると思います。視力がやっぱり強くないです」江「でも『大丈夫だ』ということが言いたい。この子からしたらお祖父ちゃん『目が弱いからって、気後れする必要はない』」山「そうですか…」国「長女さんは小さい頃から、あまり目が良くなかったんですか?」江「いや…そういうことではなく、一日検診、三日検診、一週間検診、十日検診…一年検診…って病院にいく間がどんどん長くなってゆくわけですよ。目の障害、脳の障害、まったく何一つひっかからなくて『それだけで、本当に親孝行な娘だな』って思い続けてきてある日突然、勉強し始めたんですよ。それで成績がものすごく上がったんですよ。その時から目がどんどん、視力が衰えて…」国「10年くらい前に…」江「もうそれをわかっていて。いろんな生活環境はあると思うんだけれどもやはりどちらかと言うと弱いんだと思う、普通よりもちょっと度が進み易い。そうすると気にするでしょう?心配になってしまうし。そういうことまでも、先に伝える。生まれて以降のはずなんですよ。だってそんなときに、何でわざわざ眼鏡のことなんか…不必要でしょう?」国「そこにはメッセージがちゃんとあるわけなんですね」江「そういうことなんです。ありがたい、その思いが」美「そうね」山「1時間や2時間じゃないんですよ、あいつ半日かけて…『絶対ある』って言い続けて、それで持ってきたんですけど。今はもう、肌身離さす、セカンドバッグに入れて、何か読むときはそれをかけてますけど…」江「お父さんを実感でき、何年もかかってそのメッセージも今日紐解き…」美「ようございましたね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 26, 2008
先ごろ独立し、事務所をかまえられた演歌歌手さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→頼まれるとNOと言えない。☆ 怖いもの→蛇、ゴキブリ、北島の親父☆☆ 元気の源→ギャンブルです!…すみません!☆ 不思議な体験→父が亡くなる前に、不謹慎ですけど競艇をやっていて「3-4-5を買え、譲二」って声が聞こえて、それが来ました。☆ 人生の転機→30歳で「みちのくひとり旅」に出会えたこと。☆ 将来の目標→何かもう一回、バーン!と何か勝負してみたいなという感じがしてますけど…わかりません!すみません!国「さあ☆番組が始まって、もう2回謝りましたね☆こういう方、珍しいですね」山「何かあんまり、答えが良くなかったかな…」国「そんなことないですよ。どうですか、このスピリチュアルというものに興味は?」山「あります。うちの長女と嫁さんがよく見るんで…」国「あ、この『オーラの泉』を?」山「いえ、そうじゃなく僕にはよく見えないものが、よく見える。女房が運転してて、子供が横に乗っていて、僕が後ろに座っているんですけど、二人で『見ちゃだめ!』とか、そういう会話…『なんだよ、それ?』って聞いたら『今、あそこに立ってたから、見ちゃだめだって言ってるの』僕には全然、見えないです」美「不便ですねえ。浮気はできませんね☆」山「あ、見つかっております☆」国「最初は伊達春樹という名前でデビューしたんですか?」山「そうです」国「奥さんとは一緒だったんですか?」山「一緒だったんですよ。一応、同棲ですよね」国「売れていない時代に奥さんと一緒にいたというのは、お金の面とか結構厳しかったんじゃないですか?」山「はっきり言って、ヒモです☆毎日、僕は二千円もらって赤坂のパチンコ屋に行ってました」国「二千円もらって、パチンコに行っていたんですか?それを倍にすると?」山「倍どころじゃない、五倍ぐらいにしようと☆」国「出会いは何処ですか?」山「出会いはね、出版会社がありましてね、そこで電話番とかをしていたらバーっと入って来たんですよ。本当にね、光っていました、うちの女房☆」美「オーラだらけ☆」山「何かもう、眩しいぐらい☆阿弥陀如来が入って来たような感じ☆」国「奥さんは何をなされていたんですか?」山「女優とモデルをやっていました。顔を見て、ものすごく可愛かったんですよ。それでもう『わしが付き合うような人とは違うわな』っていう…」国「でもどうやって声をかけたんですか?」山「あの…僕のディレクターが、僕が弾き語りをやっている店に連れてきてくれたんですよ。『どこで生まれたんか?』と聞いたら『あ、栃木ですよ』って。『え?』そういう感じの人じゃないと思ってたんですよ。もっとツンとしてると思って」美「もっと都会的なね」山「『僕が思っていたイメージと全然違うな。なんて素敵なんだろう。惚れたな』みたいな☆本当に、僕が勝手に転がり込んでいったんですよ、彼女のマンションに、はだかで。普通、逆でしょう?『何にもいらないからお前、はだかで俺のところに来い』っていうのが。僕、はだかで飛び込んでいっちゃったんです☆そこから生活が始まるんですけど…」美「それはそれで、女の人は嬉しいものなんですよ」山「あの…『売れる!』って言い切りましたね。『時間かかるけど、譲二は売れるから大丈夫』ってそういう風に言ってくれたんですよ。その言葉がね、何かそれだけが頼りでしたね」国「奥さんの存在がなかったら、どうなっていたんですかね、山本さんは」山「違う人と一緒になっていたらねえ」国「歌手を辞めようと思った可能性もありますものね」山「うちの女房は、売れない頃に『うちのお父さんとお母さんに会って』とか『結婚して』とか、一切言わなかったです。例えば、僕が売れていない頃に『うちの両親に会ってくれるか』と言われたら行っています。それでお父さんとお母さんの前で『必ず幸せにしますから』幸せにしてあげるって、給料も四万円だから何にもできないじゃないですか。歌い手になる道はもう諦めていたかもしれませんね。本当に時給の良いところ、良いところへ行って…」国「ちゃんとした収入を…」美「責任感の強い方だからね」山「それがなかったのは、本当にありがたかったし僕は僕の大好きな歌の道を歩くことができたんですよね。そう思っていますけれど…」江「もっと素晴らしいのは、そういった時代から今に至るまで全く奥さんは変わらないでしょう?姿勢が。あの…普通はご主人がそうなったら奥さんも変わるというとか、あるでしょう」山「ないです。だから、僕のことが好きというよりも、女房の方が好きという奴の方が。うちの新しい事務所の中、六人しかいないんですけど、みんな女房のファンだと思うんです。俺が行ったら、冷たいもん☆『来たんですか?』みたいな☆」江「それでね、これはちょっと不思議なことなんですけど今日お家に帰られて奥さまに訊いていただきたいんですが…あの…生きているのが不思議な人なんですよ。お小さい時にも命を落としそうなときがあったんじゃないかと思うんです。もうひとつにね、お子さんを授かって産むときにもそうなの。お子さんもお子さんで、生まれて、生きているのが不思議な人。だからこのお母さん、お子さん、二人共に、命をもらっている人なんですよね。不思議な力を持っているというのは、この人たちってある種人間であって人間でないところが。その証拠に、何にもこの世のとらわれがないんですよ。例えば『あの人、みんなからこう言われているよ』というのを一切、気にしないし自分の目で見て、いいかどうかだけだし。または『あの人、素晴らしいよ』と言われても『私はそうは思わない』とか。絶対に表面でものを見ませんでしょう?」山「そうですね…」奥さまはお嬢様を妊娠中、かなり早い段階で破水なさったようです。山「うちの長女は本当に、726グラムで生まれたんですよ。それで…『脳の障害と目の障害は絶対ありますから、それは譲二さん、覚悟しておいて下さい』そうやって言われて…『えっちゃん(奥さま・悦子さん)、この子はいらん』って自分は言ったんです。『こういう弱い子はいらん。わしは玉のような子が欲しかったから、この子はいらん』言ったんですけど、その時に看護婦さんが入っていらっしゃって女房のお腹にベルトみたいなのを付けたんですよ。それと同時に『ドンドンドン…』って音が聞こえてきたんですよ。『看護婦さん、これ何の音ですか?』『子供さん、小さいけれども頑張っていますよ。心臓の音なんですよ』それを聞いたときに『えっちゃん、俺、何てこと、馬鹿なことを言ってたんだろう…』お医者さまに『多分、あいつ頑張ると思いますから、この子はやっぱり、何とか産まして下さい』点滴が始まるわけですよね、破水して羊水がもうないわけですから。羊水の代わりになるやつを下から入れて、点滴をして。『先生、今までのお母さん方で破水されて、頑張ったのは何日ですか?』『八日間頑張った方がいらっしゃいます、それが最高です』十五日、頑張ってくれたんですよ。もう刺すところがないんですよ…あの…極小未熟児の血管を見つけて刺す先生方が来てくれてもういろんなところを探すんですけど、もうないんです、血管が痛んでて。それであいつ『ここ(こめかみ)に入れてくれ』って言ったんですよ。それを聞いたときに『えっちゃん、もうええ。もう止めよう。頑張ったよ』『そうかなあ…』もう、動けないです、全然。健康な体だったのに、十五日も寝ているとやはりもう動けない。それで抜いた瞬間に、陣痛です。無菌室に戻して、それでもあいつが痛がっているから『先生、もういいでしょう、頑張ったじゃないですか、あいつは』『何言ってるんですか、譲二さん、今日からの一日は、あの子にとったら365日ですよ。お父さんがそんなに弱い気持ちでどうするんですか!』それを言いにまた会いに行ったんです。あいつはもう『譲二、わかってる。もう少し頑張れって言うんでしょ。今度会うときは、産んでからにしよう』それで生まれてきた子が、726グラムでした」江「だから与えられた命というのが奥さんの中にもあるし、奥さんがお子さんを見るときにも『与えられた命』という思いがあるから。奥さんがいつも言うと思うんですけど『とにかく、みんなが幸せでいよう。笑顔でいよう』」山「そういうのが大好きです」江「だから人に対して、みんなから好かれることのひとつにね、人に『駄目ね』ということは一切言わない人なんですよ。要するに生きていることって、それだけですごいことを、一番知っているわけですよ。『今日一日、生き延びて偉かったね』という思いがある方なんですよね。だから本当に、出逢ったときに『阿弥陀如来』さんに見えたのは、本当にそういう方ですよ。寛大、常に優しい。だから浮気なさっても、別に怒ったりじゃなくて『おいたが過ぎますよ』という程度だと思うんですよ」美「この方はね、人間として、この地球上には65億の人間がいるでしょう?一番洗練された、垢抜けた人間に近づくために、みんな進化して努力しているわけじゃないですか。一番洗練された進化した人間はどういう人間かというと自分の感情をコントロールできる人間なんですよ。みんな感情をコントロールできなくて、喜怒哀楽、泣いたりわめいたり気がつかないうちに人間はいつも感情で動いているわけです。ところがそれを『あ、こういう場合は…』怒ったとき、憎むとき、呪いたくなるとき、落ち込んだとき、『こういう感情はいらない。じゃあこの感情は抜きましょう』『感情を利用するときには』嬉しいとき、愉しいとき、幸せなとき、ロマンティックなとき『こういうときに感情は使いましょう』その感情の使い分けができるようになるまで、人間は大変な技術とか知性とか分析とか何度も生まれ変わらないとそれができないんですよ。だけどこの奥さまというのは不思議な方でね、感情で押し流されてコントロールできないってことがない方なの。できませんよ、なかなか。珍しい、不思議な方。お嬢様もそうなのね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 25, 2008
今夜23日のゲストは山本譲二さんですね☆***19歳のときに失ったお母様に対する柳原さんの思いとは。国「逆に自分がお母さんに、言い忘れたこと、言い残したことというのは?」柳「それがね…忘れてしまうんですよ…その時はすごく感じることがあったけれども…もう、声も覚えていないし…どこかで聞いたんですけれど『声、顔、思い出』の順番に忘れてゆくって…すごく、あの…好きだったし…『こうじゃなかったか』とかいろいろ亡くなってすぐは思ったんです。『こういうことを言えば良かった』とか『もっとああすればよかった』とかいろいろ考えたんですけど、最近だと、出てこないんです…」美「いいことね」国「あ、これはいいことなんですか」美「両方が充実するとそうなるの。柳原さんが今のお仕事が乗りに乗ってきたじゃないですか。小さい頃からの夢が実って、作るネタや何かも受けている。何処へ行っても『可愛い』とかいろいろ言われる。そういう風にやって、充実してきた。お母さんはお母さんの方で、自分はやるだけのことをやった。愛情を注ぐ相手が、誰もいなくてこの世を去る人だっているのよ。そうでしょう?でも、あなたも甘えてくれたし、ものすごく可愛いかったし愛情面ではフル稼働したわけだから、何も思い残すことがないの」柳「母を思い出して、泣くことが…最近なくなったんですね…寂しいことじゃないんですね…」美「寂しいことじゃないのよ。向こうが充実してなくて、思いを残していてね違う次元の世界に行っていて『ああ悲しい』とかいろんなマイナスの想念を持っているとそれがこっちへ伝わってくるんですよ。そうすると、こっちも何か原因もないのに鬱々としてくるのよ。だけど向こうが『ああ、これで良かった。私はもう満足。愛情にも恵まれてやることをやって』しかも現在のあなたを見ていると夢が実現したし『娘が幸せだと思ったら、私も幸せ。それで充分、何にも望まない。私はもう結構、嬉しいし、こんな幸せなことはない』そうすると、マイナスの波動があなたに行かないの。充実してるから。あなたの充実していることが、お母さんの充実になるんですよ」国「ここまで涙を流していたのに、涙が出なくなっていったわけじゃないですか。何でなんだろうってずっと考えていたんですか?お母さんのこと、このまま忘れちゃうんじゃないかとか…」柳「…うん…」美「それはないのよ」江「それともう一つね、思い出しますよ、この先。また蘇えってくるの、たくさん。自分の人生の節目節目にね。『あ、そういう…あのときこうだった』というのが全部蘇えってくるから。自分とお母さんの年齢で『お母さん、このときこうだった』という時にふわっとその世界が蘇えってくる。そして全て『なるほど!だからお母さん、ああいうこと言ったんだ』『あ、だからああいう行動を取ったんだ』全部その都度、蘇えってくるということ。だって今の状況、お母さんが一番喜んでいるに決まっているじゃないですか。美輪さんがおっしゃったように、あなたがずっと泣いていてお母さんが喜ぶわけないでしょう」美「あの…『去る者日々に疎し』って、どんなに愛して、命がけで愛している人でも時間が経つと忘れてくるのよ。忘れてゆくことが罪ではないの。それに罪悪感を持つ必要は、さらさらないの。私も、もう何十ぺんもそういう目にあってきましたけれどもはじめは罪悪感を持っていたんだけれど、罪悪感を持つ必要はない。そういうことがわかってきたから。そうしてね、いい事だけ思い出してあげればいいの。愉しい思い出、いい事だけ思い出すようにして、マイナスのことは全部忘れるようにするの。そうすると、愉しい材料としていつでもね、孤独のときに引っ張り出して、思い出していい音楽をかけてね。思い出の上手な使い方ってあるんですよ」柳「上手な使い方…」江「ここからはちょっと番外編ね☆それはあなたの中で、もし思い当たることがあったらちゃんと取っておいて下さい。お母さんは『最期の姿だけ、誤解を解いておきたい』ということなの。あなた自身にトラウマというか、心の中でずっと引っかかっちゃっていて、それで『思い出すのも封印しておこうかな』というような問題になっちゃって『お母さんが最期に言ったことだとか、そういったことは、すべてが本当じゃない』と。『最期は自分自身で、すべての自分の我がままを出して、膿み出しして帰って行ったんだ』と。『だからあなたは、その全てをお母さんだと思わないで。それが全部、お母さんの本心だったんじゃないかとかこれがお母さんの本当の姿じゃないかとか、そう思わないで欲しい、違うお母さんは、あなたのお母さんのままよ』それを分かってもらえれば、あなたの中で全てが良い思い出として蘇えるのに最期のお母さんとの関わりが、今までのお母さんをすべて叩きのめしちゃったみたいな気分に…『その心の堰き止めているものというのを、今日、ここで解いておきたい。あなたの思っている通りのお母さん、それ以上じゃない、それ以下でもない』あとは、この先お父さんとね、どれだけいい時間をたくさん作ってゆけるか」柳「…うん…」美「あなたも聡明でいらっしゃるから、よくお分かりでしょうけれどねあなたは家事をやらせてもちゃんとできる人だし、よく気がつくし。そしてね、妄想癖があるのは諸刃の剣で、ネタを作ったりとか一人でいるときにいろいろ妄想して愉しむとか仕事の面に全部プラスに働く場合もあるけれども、それが被害妄想になると今度はどんどんマイナス思考で自分を痛めることになる。だからその妄想の使い方を上手にね、プラスの方だけにお使いになればいいわけ。自分で意識して、マイナスの方に使わないようにすればいいわけですよ。人は十人十色、人はいろいろ、水仙の…って思っていればいいわけだしこれで人間としてどんどん進化して、大人になってゆくとね、いい言葉があったでしょう、『案ずるより産むが易し』みたいなね、そういう格言をいっぱい知っていてそういう風になって、大人になってゆくと、人生の達人になってゆきますよ。でも本当にあなたはいい財産、不思議なのはね…話がちょっと変わるけれどもみんなスリムで痩せて顔が小さくてね、ファッションモデルで洋服が似合うにはそれがいいですよ、みんな女の人は、女の人の目を意識して『痩せて、格好いい』って言うじゃないですか。だけど男はね、昔『トランジスターグラマー(小柄で肉感的な女性)』といった方が好きなの。何故マリリン・モンローがあんなに世界中の男が憧れるかというと二の腕がむちむちして、ウェストは細いんだけど下腹はぽこんと出ていて太ももは太くて、膝から下はきゅっとしまっているわけでしょう。だからあなたは、最大の武器を持っていらっしゃるのよ☆それと微笑みとね☆」国「じゃあ、もてるんじゃない?いま」柳「やばいですね☆」江「あのね、ご自身では絶対に熱烈なる恋愛とか、結婚とか、そういったことはどこかで否定しちゃってるんだけど…あるらしいの、それが☆それで、その時は注意らしい☆のめり込むらしいから、それは注意☆まったくわからないはずなの、そういう自分が。何故かというと、これまでなかったから…ごめんなさい☆」美「免疫がないからね」柳「そうですね☆すべて全部、放っぽらかしていくようなものではないですね。仕事があって、何があって、例えば彼がいるなら、彼がいる。生活の一部の恋愛しかしたことがない…」江「こんな言い方申し訳ないけれど、いつも『心の部屋の中から見てる世界』だけだから。だから、窓を開けてお仕事をしたり、窓を開けてお友達と付き合ったり窓を開けて恋愛をしてみたり、出て行っていないから。窓を開けてのコミュニケーション。まあ先のことなんだけれども『案ずるより産むが易し』そのときに思い出す…」柳「なるほど…のめり込んだらやばいんですかね☆」美「そのときに江原さんの言葉を思い出せばいいんですよ。それでブレーキを引けばいいでしょう?」柳原さんの言葉「母のことをTVで話すのは嫌だったんですけど、話してみて、聞いてもらって背中を押してもらって…気持ちが楽になりました」【スピリチュアルメッセージ】☆ たくさん愛情をもらったのに、返せなかったと悔やんでもお母さんは嬉しくない。活躍する柳原さんの姿を見て 一番喜んでいるのはお母さんのはずですから。【オーラの言葉】☆ どんなに愛した人でも時が経てば忘れてしまうもの。亡くなった人を忘れることは罪ではありません。良いことだけ思い出すのが思い出の上手な使い方。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 20, 2008
巧みな芸で愉しませてくれる柳原さんですが、普段はとても落ち着いた方のようです。国「リラックスするところが家と言っていましたけれども、それだけ人間観察をすると『自分を休めたいな』と思うと家になるわけですか?」柳「家になりますね。外を出歩いていると何かしらヒュンヒュンと会話が入ってきたりして、すごく疲れるんですよ」美「情報がね、多過ぎる」柳「そうなんです。だから休みの時はガッと集中して家で休むようにしてます」国「一回、家に帰ったら、外とかには出ないんですって?」柳「出ない…もう休みとなったら、コンビニにすら行けない、もう家から出られない。休むとなったら、全く完全に…」国「『洋服を買いに行こう』とかにもならずに…」柳「ならないですね…」美「もともと、生まれた時からそうだからね。そういう方なのよ、本当は」国「家では何をしているんですか?」柳「本を読んだり、犬と遊んだり、父と遊んだり…」国「父と遊んだり?会話したりということですか?」柳「あの…すごく仲がよくて、あの…『キヨシ(清)』って呼んでます」美「面白い☆」国「お父さんのことを?子供の頃からですか?」柳「そうですね、小さいときから『キヨシ』。最初は『キヨシって呼ぶのはどうかと思う』みたいなことを言われたんですけど『あなたはツヨシでもヒロシでもない、あなたキヨシでしょう?合ってるじゃない、いいじゃない』」国「そんなことを言われたら『まあそうだなあ』と言うしかないよね、お父さんは」柳「今でも結構、よく休みの日は二人でごはんを食べに行ったりとか居酒屋で飲んだりとか」国「躾けとかはどうだったんですか?」柳「母はやはり『勉強しなさい』だとか、ある程度言う人だっだんですけど父は何にも言わないですね。ここぞという時『ここは叱らなきゃいけない』という時だけ父が前に出るような感じの家庭でした」美「昔風なお父さんの役割とお母さんの役割の分担が昔風に上手くバランスの取れたご家庭だったのね。お幸せだったわね」柳「父が出てきたら『あ、さすがに自分も、もうやばいぞ、気をつけよう』って思うような関係はできていました。基本的にすごく過保護だったんです。30後半の子供だったので、すごく過保護で、母も最初、もうお人形のように育てていて小さい時に赤ちゃんモデルをやらせたりだとか…」美「可愛かったでしょうね」柳「このままです☆4400gで生まれたので☆」国「大きい!」美「マシュマロマンの赤ちゃんみたい、可愛い」国「一人っ子?」柳「一人っ子で、もうベタベタ育てられて、母親は中学に上がる位まで靴下をはかせてくれていたんですよ。お洋服も全部着せて、こうしてこうして…髪も結わえてリボンを付けて『はい靴下』って感じの母でした。すごく明るい母…」国「『やって』と言ったわけじゃなくて、お母さんがやってくれたというか…」柳「母は二年前、私が19の時に病気で亡くなったんですよ」美「お辛かったでしょう」柳「そうですね…やはりすごく、自分の中でうんと強くなったなって思いますね。何にしても母任せだったり、それこそ学校を休むでも、バイトを休むでも母親が電話して頭を下げてくれる人だったので、自分で何かしなきゃと思うようになったんですね」美「じゃあ、その切替は大変でしたか?」柳「大変…でした」美「だからね、やはり何から何まで可愛がってね『可愛い、可愛い』って可愛がるそれも結構、だけどそうすると、その子が一人になったとき、大変な思いをするのね。だから過保護、保護過剰というのは、自分は母親としては満足、父親としては満足だけれども子供のためには毒になる場合があるの。それで結局、自分が死んだりしたときに『この子は一人で生きてるだろうか?』生きてゆけない子が今、いっぱい出てきてるの」国「お母さんはTVに出ている可奈子ちゃんを知らないで亡くなった…」柳「知らないですね…」美「じゃあ、どうやって切り替えてゆきましたか?参考になる人もいるかもしれない…」柳「うーん…何だろう…その分すごく、19年間が濃かったんですね、本当に。親が生きているといったら、40、50…それくらいまではだいたい皆さん生きているけれども、その分の愛情を19年間で貰ったって、はっきり思えるんです。それで、亡くなったことが母の最後の躾けというか『きちんと一人で生きてゆきなさい』って言ってくれたんだろうなって…すごく精神的に考えて…自分で変わろうと思って、変わりました」美「もともと意志が強いのね、あなたは。頑固だし、その意志の強さがいい意味に働いたのね」柳「そうかもしれないですね…」国「そう思えるまで、時間がかかりましたか?」柳「かかりました。今、こういう風にカメラの前でしゃべっていることが不思議なんです」美「何故?」柳「うーん…話すことが、まずできなかった。乗り越えられないというか…」江「あと、悔いもね、あの…たくさんあるから。お母さんはたくさんして下さったけれどもやはり自分がね、返すということができずに終わったじゃないですか。だからそういったことへ悔いもあるし、いっぱい愛情をいただいたんだけれども自分の方からのこととかが、まだまだ足りなかったのに…という悔いとか。あとお父さんもお母さんも含めて、全部が自分の世界の全てだったでしょう?要するにお友達でもあり、親でもあり。本当に家族、お家が大好きなんです。そうは言っても、結構、衝突もしていたみたいで、お母さんともね。それも仲がいいからの衝突なのね。要するにみんなが内弁慶みたいなもので外では出さないんだけれども、あんなに憎まれ口を利けたりとか。お母さんにしてみたら、すごく充実してるんだけれども、ある部分を見ちゃうと『いい時間をどうしてもっと過ごせなかったんだろうか』『何で対立しちゃったんだろう』その気持ちを、お母さんは充分汲んでいて、お母さん自身の悔いはあまりないんじゃないですか」国「亡くなったのは、突然だったんですか?」柳「体はずっと悪かったんです。小学校の時からずっと入退院を繰り返していて…でも、わたし的な心の準備ができるほどの期間はなかったです」江「お母さん自身にも、割と精神的な不安定さというのがすごくありましたでしょう?やはり体と共に、精神的な不安定さがあったから、すごく複雑なねコミュニケーションの中でのやり取りというのかな、複雑なやり取り、気持ちの上でね。やはり娘という立場、いや、でもここは大人になって逆に守ってあげなくちゃいけないっていう葛藤。でもね、みんな生きていれば、夫婦とか家族になっていればやはり全てが思うようにはいかないじゃないですか。それをどういう風に受け入れて、良い方に少しでも向いてゆけるかそれが大事だということも柳原さんに、お母さんはある意味で人生をもって教えてきたんじゃないですか」柳「それは大人になってから話そうと思っていたのかな…?」江「そう」柳「うん…わかります」江「それはわかるでしょう?だから、そこが断たれちゃったようなところがあるわけ。だからこれから、本当の心を語れる時だったんだけど…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 19, 2008
様ざまな人物を巧みに再現する芸風で、人気急上昇中の若手女性芸人さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→マイペース☆ 小さい頃なりたかった職業→小さい頃から、もうこの職業になりたくて。お笑い芸人になりたいと思ってました。☆ リラックスできる場所→もっぱら自宅です。☆ 好きな男性のタイプ→(しばらく考えて)…あんまり太っていない人☆☆ 座右の銘→「案ずるより産むが易し」国「まさかねえ☆可奈子ちゃんがここに座るとは思わない…」柳「ねえ、そうですよねえ☆」美「びっくりしちゃった☆だって江原さんはここにいるはずなのに何であんなところにいるんだろうって☆」柳「親子関係みたいな感じ☆」国「しかも仮装して☆」美「『女装したのかしら?』と思ってたのよ☆」国「この番組自体は、観たことありますか?」柳「あります」国「どういう印象を持ってますか?」柳「本音で言ってもいいですか?信じてるところも半分ありますけど、半分は『いやいやいや…☆』というところがちょっとありますね。これに出るということになって友達に『出る』と言ったら、私は絶対に『終盤で泣くタイプ』だと言われました☆」国「その友達は、めちゃめちゃ観てますね、この番組を。泣くタイブだと…」柳「わかんないですけどね☆」国「子供の頃から陽気な子供だったんですか?」柳「子供の頃は、すごく神経質な子供でして…明日の授業に使う忘れ物があるんじゃないかってずっとランドセルを確認するような子で。それで寝れないんですよ。林間学校に行くとなっても、三ヶ月くらい前から『ああ、もうどうしよう。ホームシックになったらどうしよう』『海で泳げなくなったらどうしよう』とか、そんなことばかり考えている子でした。そういう風に本当にいろんなことを気にする性格だったので、母が常々『案ずるより産むが易しだよ』って、いつも言ってくれてたんですよ。やはりそういう躾けみたいなものがあって、徐々に変わっていったところがありますね」美「暗示にかかったのね、いい暗示にね」国「じゃあ何かあったら、その言葉を思い出す感じですか?」柳「今もそうですね。心配し過ぎると『案ずるより産むが易しだ』って思い直したりとかしてます」国「学校では子供の頃、物まねとかをして目立っていたタイプなんですか?」柳「目立ちたがり屋でした、小学校の時からとにかく。先生の物まねをやったりとか」国「じゃあ子供の頃から、芸人という夢を持っていたんですか?」柳「もう、ずっとなりたいと思っていて、ちょうど小学校五年生くらいの時に『ボキャブラ天国(爆笑問題、ネプチューンなどが出演したお笑い番組)』のブームのあの世代の芸人さんたちがワッと出てきた時で、もう『なんて素晴らしい職業なんだろう!』と思って。『絶対になりたい!』小学校五年生の時からずっと思っていたんです」国「へえ。あれ、僕も出ていたんですよ。審査員席の方で」柳「え、本当ですか?!全く記憶にないですねー☆」国「…記憶にないわけですからね…」美「審査員ってそんなもんよ☆」国「…そうですね、はい…☆親は反対しなかったんですか、お笑い芸人になりたいということに対して」柳「うーん…やはり母親は常々『薬剤師になれ』って私に言っていたんですよ。小学校の時ずっとオール5だったんですよ。『いい大学に行くのは間違いないだろう』とみんな親戚も言っていたし『薬剤師だったら手に職もあるし、食いっぱぐれないからあなた、なりなさい』ってずっと言われていたんです」国「ネタ作りはどうしているんですか?代表的なもので言いましょうか、ショップ店員とかは?」美「あれ、可愛いのよね☆」柳「ショップ店員は実際に、そういうショップに見に行って、お客さんとして『これはどういう風に合わせたらいいんですか?』実際に聞いて『そうだなあ、結構、こういうカジュアル目なジャケットとぉ…』☆」国「腹立ちますね、この言い方☆」「いらっしゃいませー☆どうぞ、ご覧下さい、いらっしゃいませー…そのジャケット、気になっちゃう感じですか?いまみんな、可愛いって言ってくれてるぅー…」国「総武線のギャグはどうやって見つけたんですか?」柳「あれは、実際にああいう友達がいたんですね。『船橋のララポート、鬼熱いかんね』って☆『普通の会話でこんなことを言うのは面白い』と思って話しながら、すぐ携帯にメモして」美「船橋っていうのがおかしいわね☆」柳「船橋が聖地なんですよ。鬼熱いっていう…」国「今も連絡を取っているんですか、その子とは?」柳「そのネタをTVでやるようになって、連絡が来なくなりました」国「『私だ』ってバレたんだろうね☆」柳「最近は、見ず知らずの、電車で隣り合わせた人だったりとか喫茶店で隣に座ってた人の会話を盗み聞きして、作るようにしています」「超降りてく、超降りてく、超降りてく、ラッキー…今どこまで話したっけ?あたし的に西船(橋)から出たくないんだ、普通に…は?今、ららぽー鬼あついかんね…船橋のららぽーと。まじ、ららぽーと・イケアで一日遊べる…」国「僕、個人的には、業界に入ってからそういう人を見つけたんだと思うんですけど大物スタイリストさんの物まねをするんですよ」美「私は、それは拝見したことない…」国「じゃあ…」柳「『今ね、あの私、三宿の方でワインいただいてたの、それこそプレスのみよちゃんなんかともね、あの、お話してたんだけれど…』こういうしゃべり方…あの…黒い、ボブヘアで、色つきの眼鏡をかけて…」美「おっきいの☆」柳「そう☆『いつもプレス(出版社)の子と三宿でワインを飲んでいる』という設定なんです☆」国「これは面白いですね☆」美「本当に、キザで鼻持ちならなくてね☆でも、着眼点がいいわよ。だから一番鼻持ちならない連中をからかい倒すというのは、反骨精神で、またいいわよ☆ファッション業界、衣料業界ってね、ブランド物の名前を散りばめてね『虎の威を借る狐』で、洗練されてるぶっちゃうの。もう本当に…それが野暮だって気がつかないの。自分が何様だと思っている…もっとやって☆」柳「この間聴いておかしかったのが、そういう職種の人がレセプションパーティとかプレスのパーティとかの招待状を送ってくるじゃないですか。それにね『私のところに、全部印刷だった。ひと言もね、手書きを添えていなかった』って怒るっていう人がいて。それもすぐにネタにさせてもらいました☆」国「それはネタになるよね。そんなことで普通は怒らないものね☆」柳「『あなた、どう思う?ひと言も手書きを添えていなかったのよ。「先生がお薦めしてくれたバッグがとても売れました」そのひと言でいい、それがマナーなのよ』☆」国「これはすごいですね☆」「スタイリストの北条マキですぅ、あ、(名刺)頂戴しまーす…今日、インタビューしてくれるライターちゃん?(上から下まで眺めて)68点、高い方よ…やだ、どうしよう、お名刺切らしちゃってる、どうしよう…持ってないよね?どうしよう…忘れないよね、この顔ねぇ…この顔にピンときたら…って誰が犯罪者よ☆」続きます☆***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 18, 2008
16日のゲストは、柳原可奈子さんですね☆***強い意志と周囲の助けによって、無事に出産された間下さん。国「初めて赤ちゃんを見たときは、どう思いましたか?」間「嬉しかったんですけど、ほっとした気持ちの方が大きかったですかね…やはり病気を持っている体で、人の命を今、娘といえども人の命なのでそれを預かっているという重さをすごく感じられたし何とか無事に産みたいという思いが強かったので、やっと外に出て自分の目で、泣いている娘を見られたときは、ほっとしたし『生まれてきてくれて、ありがとう』と伝えました」国「『ありがとう』と…」間「この子も多分、お腹の中で頑張ったと思うし、とにかく『ありがとう』娘にも、神様とか、周りとか、主人とか、皆さんに対して多分『ありがとう』という気持ちだったと思うんですよ」美「今度の出産は、十月十日ですか?」間「9ヶ月、36週で。やはり私の体が、あまり思わしくなくなってきてしまったので先生も考えて『じゃあ、出しましょう』ということで、帝王切開で1ヵ月早めに。全身麻酔だったので、生まれる瞬間を見ることはできなかったんですけど」国「じゃあ、だんなさんが一番最初に見たわけですか?」間「そうですね。手術室から出てきたのを、主人と家族が私より先に見たという形です」美「女の人の一生は大変ですよね。だってそうでしょう。男の人には、そんな思いはわからないでしょうよ」間「主人ね、多分、私より辛い部分があったと思うんですよ。やはり、主人って何もできないじゃないですか。何をしてあげていいかわからないし何もできない。歯がゆさというものが、すごく辛かったと思います。あと、この病気を知っていただきたくて、分かったときに皆さんにメディアを通じて発表したんですけれどもそのときにたくさんのメールをいただいたんですね。同じ病気で闘っている人とか、普通に子育てをしている人とか本当にいろんな方ですけれども、そういう方の力も、やはり手助けしてくれたし一緒に闘ってくれたんだと思います」江「また逆に、普通に生まれること自体の幸いと奇跡、という方を忘れちゃいけませんね、逆の目もね。『普通に生まれて、当たり前だと思っちゃいけない』ということ。だから育児に疲れている人もね、その子がどれだけの奇跡の積み重ねでこうやって存在しているのかということを理解したら子供に対する不平不満、育児の問題もありますものね」美「本当にわたくし、この歳になってそう思うんだけれどもね生きているというだけでも、大変な確率で、すごいことなのよ。よく身の上相談でね、例えば『50、60になって、何にもなくてただ、飯を食らって生きてきて偉くもならなかったし、財産もできなかったし、一体、俺の人生なんだろうと思う』とかね『私、主婦でずーっときて、子供を育てて、抜け殻みたい』『子供たちもみんな片付いてしまって、夫婦二人で。一体、私たちって何だったの?』そういう相談がいっぱい来るんですよ。だけどね『あなた、世の中は危険だらけで、病気だらけ、この歳までそうやってねとにかく生き抜いてそこまで来るのは、もう大変な技術ですよ。至難の業で生きてきたんだから、ご立派なものですよ』私はそう言うの」江「それでね、私は思うんですけど、病気をどこかで『悪』に捉える方が世の中多いと思うんですよね。だから『どうして、こんな病気に自分だけなったんだ』となっちゃいますでしょう?『病気は悪』と捉える方は、もしご自身が健康だったら病気の方に対して『悪』と思うんですよね。偏見になっているはず。これって表裏一体でね、美輪さんがおっしゃったように生きていること自体が奇跡で、病気になることもある。そこはどういう風に肥やしにしてゆくかであって、それを理解すると別の病気である方に対しても『悪』じゃなくて『ああ、そうやって今、一生懸命闘って、生きているんだ。懸命に命を積み重ねているんだ』という目に変わると思うんですよね」美「『明日は我が身』ということは『いつ自分がそういう風な目に』そしてね何故病気というものを『悪』だと忌み嫌うのかというと、『うつるんじゃないか』『変な因縁を背負っているんじゃないか。それがこっちに来るんじゃないか』とかそういうことで軽蔑したり嫌がったりするんですよ。『だけど、もしあなたがそういう目にあったら、どうなさいます?』そういう風には考えないんですよ。だから、ただ感情的に病気を捉えるんじゃなくてもっと冷静にね、あるべきこととして『じゃあ、どう処置すればいいか』冷静に分析してゆけば、人を忌み嫌ったり軽蔑したり嫌がったりする必要はさらさら何にもないの」江「実はね、全ての答え、大きなテーマをひと言で言うともう美輪さんがさっきおっしゃっているんですよ。『女の一生って大変ね』というひと言。それが、間下さんの人生のテーマ、全てなんですね。それこそ『子供を生む機械』発言とか、近年でもあったけれども、そういう古い感覚、偏見…」美「封建時代の…」江「…そういうようなことと闘いたい部分が魂の中にあって…」間「あります。すごく、頭にきます」江「あとは何の悪気のない人でも、すぐに『赤ちゃんはまだ?』とか『子供は?』とかすぐ聞くでしょう?男の人も、もう少しデリカシーを持って欲しいというかね。例えば国分くんも優しい人だから、結婚したらきっと『子供欲しい』と言うと思うんだけれどそれをあんまり言うことが、そうじゃないとかえって傷つけて…さっきの奇跡と同じ。『得て当たり前』『結婚した、子供できる、当たり前』『産まれる、当たり前』と思ってると万が一。何でもスムーズにいくとは限らない、みんなテーマが。だからそこで傷つけてしまうことが。悪気がなくても、傷つけてしまうことってすごくあるわけですよね。でも、そういう痛みをいろいろ知ってゆくということは、大切なことで。話は戻りますが、そういう偏見、差別をなくすことに対する役目をやはり持っていると思うんですよ。だから『そんじょそこらのことでは、負けやしない』というか子供とか女性、出産ということになったら『私は出なきゃいけない、闘わなくてはいけない』という風な強さがものすごく現れると思うんですよ。さっきのおもちゃを鳴らす音と、5歳の子が出てきて頭を撫でた夢、これはよくよく見たら、同一人物です。この子自体は、間下さんの現世に生きて出すことができなかったお子さんであることは確かです。ただ、生きて産まれることができなかっただけで、生きたんですよ、お腹の中で。だからそういう意味で、ちゃんと誕生はしているんですけどね。ただ、その子があなたのお腹の中に入って、それで悲しいんだけれど産まれることができないことを前提に来ているのね。何故かと言うと、病気を伝えるためなんです。その時は病気はわからなかったかもしれない次の子を妊娠して気がついたかもしれないけれど、その死産がなかったら詳しく調べようとか、先生もより深く、慎重にゆかなければという風な方へいかなかった。だから、ご自身の役割は果たしているんですよ。今、言っているメッセージとしてはね『ご自身のお子さんが産まれて、安堵感に浸っているかもしれないけれどもご自身の体のことは、絶対に目を離しちゃいけない』」間「じゃあ、ちゃんと薬を飲んで…」江「検査も。『全部、ちゃんと継続してゆかないといけない』と。要するに『子供のためにも、日一日を生き延び、そして世の中に子供のこととか不育症(妊娠しても胎児が育たす、流産や早産になってしまう病気)のことも含めてちゃんと伝えてゆかなくてはいけない』だから、自分のことを管理するのも役割。…なんていいながら、実は私も耳が痛いですけどね☆」間「本当に、親の役割だということは、心がけています」美「『産んでしまったから、私のことはどうでもいいや』ではなくてだってこれからが大変なんですもの。これまでも大変だった。でもね、育ててゆく、一人の人間にしてゆくまでというのは、責任があるんですよ。『自分なんかどうでもいい』じゃなくて、どうでもよかったら、子供はどうします?これからが必要なんですよ、親は」間「本当に、美輪さんがおっしゃった通り、産んだだけが仕事じゃなくてこれからが大変なわけで、これで亡くなってしまったら本当に大変なことになってしまうので。まさかこんなに若くして、こんな病気になると思っていなかったんですけど病気と上手く付き合いながら、上手に生きていって子育てできたらいいなと思っているですけれども…」江「辛かったでしょうけれども、役目があったんですね」美「こんな言い方は失礼かもしれないけれど、悪運が強いでしょう?☆『もうだめだ』と思うと、スポッとどこかから」江「そう、そうなんですよ」間「今の子も亡くなっていてもおかしくなくて、先生との出会いが大きかったんだと思うんですね。普通だったら私みたいな病気は『不育症』といってお腹の中で子供を育てられない女性のことを不育症と言うんですけれどもそれって、2、3回、流産、死産を繰り返さないと医学的に『不育症です』という話にはならないんですね。でも、私は1回目じゃないですか。普通はそういう検査ってしないんですよ。たまたま出逢った先生が、たまたま、そうやって声をかけてくれて検査してくれたから…」江「たまたまじゃないんですけどね☆」間「あ、そうなんですか☆だから本当に先生には、感謝感謝で…。その先生も、たまたまその先生のお父さんが、私が生まれたときにたまたまいた先生だったんです。お母さんが私を産んだときに立ち会って手伝っていた助手の先生の息子さんが、その病気を見つけてくれたんです」江「だから、たまたまじゃない☆」美「すべてね、赤ちゃんのこともそうだけれど、仕事のことだとか今までの人生で思い出していただくと、奇跡的な運の強さがいっぱい重なって今までいらした方なの。だから、そういうちゃんとした原因がわかるお医者さんにすぐお当たりになって、ラッキーだったんだけど、そうじゃなくて原因がわからなくて何度も死産を重ねる人もいるでしょうしね…」間「メールをいただいた中で、やはり3回も4回も繰り返してやっとわかったという方もいますし、やはりこの病気のことを知っていただいて『そうかもしれない』と思ったら、ぜひ検査に行っていただきたいしまた男性の方も、女性の方もですけれども『産めない女性、駄目な女性』みたいに思わずに『そういう病気なんだ、上手く育てることができない病気なんだ』ということをわかっていただければ、心の傷とかそういうものも与えなくて済むんじゃないかなって思います」美「いい番組ですねえ☆ね、いい番組をやってるんですよ、あなた☆」国「はい…☆」間下さんの担当医・千葉大学医学部付属病院 鶴岡信栄医師のお話「流産というのは、決して珍しいことではありません。10回妊娠して、1回や2回は当然、起こることなんですけれども、ただ『抗リン脂質抗体症候群』に関しては、未治療だと8割くらいの方が流産するところを10-15%くらいにできる治療法がしっかり確立されているので検査をしっかりしてもらえれば、妊娠、出産を成功に導くことはできると思います」【スピリチュアルメッセージ】☆ 亡くなった赤ちゃんは あなたが気づかなかった病と命の奇跡を教えてくれました。今度はあなたが世にそれを伝え 多くの命を救うこと。それがあなたの役目です。【オーラの言葉】☆ 世の中は危険だらけで病気だらけ。生きているだけですごい事。人は生き抜くことに価値がある。読んでいただいてありがとうございました。
February 13, 2008
2006年8月に再び妊娠されるも、原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」であることが判明。血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす病気で母体も胎児も危険にさらされることに。間下さんの担当医・千葉大学医学部付属病院 鶴岡信栄医師のお話「普通は心筋梗塞とかいうと、高齢の方に起こる病気だと思われ勝ちですがこの病気を持っている方だと若い方でも起こす可能性があります。妊婦さんに関して言えば、胎盤の血管が詰まることで流産や死産に繋がったりとか赤ちゃんが小さく生まれたりとか、そういうようなリスクが高まります。間下さんも、実際にそのような危険性が高いということをお伝えして『一緒に治療しましょう』という風にお話しました」***国「初めて聞く名前なんですけれど『抗リン脂質抗体症候群』という病気ですけれども自覚症状はどういうような…」間「自覚症状は、ありません」国「ないんですか?これは妊娠何ヶ月目で…」間「妊娠2ヶ月くらいでわかりました。たまたま、私は本当にラッキーだったんですけれども最初、妊婦検診で血液検査をしたら『ちょっと血小板の数が少ないから気になるのでもう少し詳しい検査をさせてもらえないか?』って、たまたま初めて行ったときに初めて会ったお医者さまが言って下さって。もう2回目ですから『何でもしてください』ということで、検査していただいたら、この『抗リン脂質抗体症候群』という病気が見つかりました」美「それは例えば、そもそもそういう体質に生まれついている人と後天的にね、食事や何かが偏ったり…」間「いま、難病に指定されているんですけど、難病に指定されているということは原因がまだわからなくて。何が原因でそうなるのかということはわからないですし…」美「何かはあるんでしょうけどね」間「はい。遺伝性があるかとか、そういうことも今、調べている最中で。『多分、前回の子もそれが原因で亡くなったんじゃないか』と思ったので強い言い方になっちゃいますけど『また子供を殺しちゃうかもしれない、私…』とすごく思いました。やはり私のせいで『私がこんな体じゃなければ元気に生まれてこられる子なのに、私の体のせいでまた殺しちゃうかもしれない』と思いました」国「その中で産もうと思った…」間「そうですね。もうすでに、わかったときにはお腹の中にいたので、その子をね殺してしまうとかということはできないので『とりあえず前に進むしかないやれることをやってゆくしかない』と思ったので、とりあえず一番良いとされている治療を主人と調べたり、先生に相談したり、ネットで調べたりして一番いい方法を見つけるように努力しました」国「どんな治療が始まったんですか?」間「本当に確立されていないので『これが効く』ということは一つもなかったんですけれどもとりあえず血液をサラサラにする注射を毎日打つという…」国「毎日ですか?」間「はい。計5カ月くらい、毎日打ったんですけれども」国「それはもう、病院に行って…」間「病院に行って、毎日打ってもらう。やはり周りは、うちの父とか先生とかも『体の方もしんどいし、毎日打つのは大変なんじゃないか』と。それに『この注射が絶対に効くという確証もないし、それは考えた方がいいんじゃないか』と言われたんですけれども、もう…本当に後悔したくなかったですね。『あのとき注射しなかったから、死んじゃったんじゃないか』とかそういう後悔は後からしたくなかったので、注射を選びました」国「『怖いものは注射』というようなことをチェックで言っていましたけれどもこのときくらいからなんですか?」間「いえ、ずーっと昔から。本当にTVに注射が映るだけで、気持ちが悪くなるし注射を打つ度に病院で倒れているような…本当に苦手を通り越した病的な駄目…だったんです」国「なるほど。そこでもやはり、注射をやらないとと…」間「何でしょうね、やはり母になるって強いんですかね…『この子の命を救えるのであれば、そんなの乗り越えてやる』自分でも不思議なくらい強くなっていまして…迷いはなかったですね」美「でも元々、強くていらっしゃるのよね」間「自分は全然、そう思わないんですけれど…」国「先ほどチェックのときに『自分の性格は気が弱い』と言った瞬間にお二人は目を合わせて笑っていましたから☆」江「よく見てますねー☆あの…別の言い方をすれば、常に自分の身の保険のために最悪のことをいつも考えているから。そういった意味で悪い場合を考えるというよりも『最悪の場合はここ』というのを知っておくと安心なんですよ。それも強さ、ある意味ではね。『最悪を知っておいて、だから頑張ろう』みたいなね。それでいて、割りと『頑張ろう』の切替が早くて素直だから言葉が悪いかもしれないけれど、いい意味での『単純さ』を持っているんです。だから本当にポジティブでね」間「それは悪いことじゃなかったんですね」美「だからね、『石橋の上を叩きまくる方』なの☆」江「前世も、子役をなさっているときもそうだけれどいろんな苦難、困難があったのが見えるんですね。だけどその都度、切替上手なんです。親御さんや周りの大人たちの『こう考えるんだよ』『こういう風に頑張れば?』というのを素直に受けて。だから、長々引きずらなかったでしょう?」間「長々、ずるずる引きずるの、嫌いですね☆」江「ね?あの…本当だったら、ごめんなさい、亡くなってておかしくないんです」美「そう」江「ごめんなさい、お子さんのみならず」美「母体もね」間「そうですか…本当に…」江「いただいた命…」間「自分の死のことは、全く考えたことがなかったですね。本当に『自分が死んでも、子供の命は助けたい』と思っていたので自分の死は思ったことがなかったですけれど…」国「そのときのだんなさんの存在も、やはり大きかったんじゃないですか?」間「そうですね、主人じゃなければ、多分、乗り越えることができなかったと思うし…やはり、足に血栓って溜まりやすいんですよ。それを聞いたら、主人が毎日、毎日ですよマッサージしてくれて。主人も仕事があるので、結構疲れていたりはしたと思うんですけども毎日、少ないときで30分、多いときで2時間くらい…」美「なかなかできないことですよね、素晴らしい」間「できないですね。最後はちょっと、意地になってましたけれど☆」国「すごいですね。毎日ですものね」間「毎日…」美「愛情が深いのね」間下さんのご主人の日記より「夜遅くに帰宅の途に。帰るコールをすると やはり体調が優れないのんちゃん(間下さん)。昨晩はほとんど眠っていなかった。身体の数ヶ所を指圧+マッサージ。だいぶ体調が戻ってきた。まだ熱はあるものの、今日は眠れるかもしれない」「毎晩 寝る前に、ぴよちゃん(赤ちゃん)が生きているか 確認する。毎朝 起きた時に、のんちゃんが生きているか 確認する。そんな日も、あと何日だろう」2007年3月、無事に出産されたとき「何だろう。自分でも分からない。もう声にならない声で泣いていた。看護婦さんが言った。『女の子ですよ~』そのとき、赤ちゃんが泣き出した。それを見て、ボクは笑顔で泣いていた」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 12, 2008
難病を乗り越えて出産、育児に臨まれている方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→意外と心配性で、気が小さいです。☆ 毎日欠かさずすること→今は子育てで毎日はできていないんですけど主人と夜、小さな幸せを報告する会みたいなものをやってます。☆ 海外で心惹かれる国→行ったことはないんですが、昔からエジプトが気になります。あと、国じゃないんですけれども、日本の江戸時代がすごく興味があるなと思います。☆ 怖いもの→今は大分、大丈夫になったんですけど、注射が大嫌いです。☆ 不思議な体験→つい最近、娘を寝かした後に誰もいない部屋で娘のおもちゃがひとりでに鳴ったことがありました。☆ 印象に残っている夢→死産をした後、5歳くらいの小さな男の子が私の頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言ってくれた夢がすごく印象的です。国「さあ☆、初めましてになるんですか?」間「初めましてです、よろしくお願いします。ずっと出たいと思っていたんですけれどもやっとここに来ることができてよかったなって。でもすごく緊張しています」国「出たいと思ったのは、いろいろとメッセージを聞きたいなという…」間「そうですね。やはり、子供を死産した、亡くした後に『子供がどうなったか』とか『また舞い戻ってきてくれるのか』とか、そういうことを江原さんとかにお聞きしたくて。でも、それは『そのとき聞いちゃいけないんだな』と思いつつ…でもやっと子供が生まれて、一段落ついたので、ここに来ることができた…必然かな?…なんて思ってます☆」国「さすがですね☆やっぱりよく観てますね」1978年に東京で生まれた間下さんは、天才子役として活躍、その後アメリカに留学して写真を学び、写真家としても活動中。26歳で11歳年上の男性と結婚、妊娠されるも安定期に入った頃に死産されたそう。国「とても話し辛いと思うんですけれども、死産というのはどういう状況だったんですか?」間「ずっと順調に来ていたんですけれど、5ヶ月に入りますと安定期ということで安心していて、少し胎動も感じていたんですが、ある日、感じられなくなってしまって『これはおかしい』とお医者さんに行ったら『もうエコーでは、亡くなっています』と言われて…。『え?何で?』というのと、とにかく赤ちゃんに『ごめんなさい』という。『何か自分が悪いことをしちゃったんじゃないか』ということが。すごく罪悪感そういうものが胸の中でいっぱいになって…もう涙が止まらなかったです…」国「6ヵ月と…」間「そうです、6ヵ月になるところでした」国「お腹の中でもとても大きく…」間「実際に産んでみたら、280グラムだったんですけれども…」国「産んだというのは?」間「お腹の中に置いておくわけにはいかないので、陣痛の促進剤を打ちまして妊婦さんと一緒のように、ちゃんと陣痛を越えて産んだんですね…でもやっぱり『自分の子供をこの世に出してあげたい』という気持ちが大きかったので『早く産んであげなきゃ』という気持ちで、陣痛は乗り越えられたんですけれども…見てみたらもう…綺麗な赤ちゃんで…目がきらきらしてて…もう涙が出るというより笑顔、嬉しくなっちゃって、主人と一緒に笑ってみていましたね…」国「なるほど…でもやはり、辛い思いをずっとしてきたと思うんですけれどもそれをどうやって乗り越えてきたんですか?」間「産んだ後、やはりずっと落ち込んだし、家の中に閉じこもったり『どうして私だけこんな目に遭うの?』『みんな産んでるじゃん、どうして私だけ死んじゃったの?』っていう思いから全然関係ない人を恨んでしまったり…そういう、本当に嫌な人間になっていたところに…」江「まして胎動を感じてからというのはきついですよね。存在していたことが実感できた後だものね…」美「それはそうなっても仕方がないですよね、それはありますもの」間「…でもあるときに、インターネットを見てましたら、ある文章があったんですね。『毎日、お空の赤ちゃんはあなたのことを見ています。泣いているのが赤ちゃんも悲しくて、何とかママを喜ばせようと幸せを運んできています。でも赤ちゃんは体が小さいから、ちっちゃな幸せしか運べません。その幸せに、あなたは気づいてあげていますか?』っていう文章を見たときにハッとしたんですね。『あ、私、こうやって泣いたりしてるのは、自分のエゴだったんだ。別に息子のためでも何でもなく、自分のために泣いていたんだ』やはり息子が悲しんでいるのは、母親として嫌なので、何とか笑わせたいというところから『元気にならなくちゃ』っていう風になれたんですね。そのブログのことを、帰ってきた主人に『こういうことがあってね、元気になろうと思ったの』と言ったら『じゃあ、ちっちゃな幸せってなかなか気づくことができないから寝る前に二人で、幸せ報告会をしようよ』と主人から提案がありまして。まあ本当に『今日は空が綺麗だった』とか『ケーキが美味しかった』とか『朝の占いが良かった』とか、くだらないことなんですけどそういうことを一つずつ、拾い集めてゆく中で、なんとかこう…立ち直ることができたんだと思います」国「スピリチュアルチェックの中でもありましたけれども『小さな幸せ報告会』というのを、だんなさんと一緒に…」間「そうですね、主人のアイディアだったんですけれども」美「幸せをね、確かめるというのは、本当に大事なことですよ。自分が本当は幸せなのにね、不平不満の方ばかり、今の人たちは見ているんですよ。それで幸せというのを見ようともしないの。『どうしてこっちばかり見てるの?こっちも見なさい』と言うんだけど、全部不平不満の方ばかり、うなだれて、首を下に垂れてぶつくさ…攻撃的で『何をそんなに怒る必要があるの?』というくらい、現代の人ってみんな何かイライラ怒っているでしょう?でもね、世の中にはプラスとマイナスがあるんだから、マイナスの方ばかり見ないでプラスの方も見ればいいの。数え上げれば不幸の数以上に幸せの数もたくさんあるんですよ。だから、それに気づかないのを『気づきましょう』という運動をなさっているのは、素晴らしいことだと思いますよ」国「『5才の子に頭を撫でられる夢を見た』と言っていましたけれどもやはりそのときぐらい…」間「ちょうど、その頃ですね。寝ているときに、道を歩いていたら電柱がありましてそこに七三分けの5歳くらいの丸顔の男の子がいて、寄っていったら、ちっちゃいのに何故か私の頭に手を伸ばしてひと言『大丈夫だよ』って言ってくれた…その後すごく心があったかくなったので『あ、もしかしたら息子だったのかもしれない』…って私は信じてます」国「これは…?」江「後ほど☆」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 11, 2008
ご自分が20年後どうなっているかということが、今、一番気になること。宮「今、ドラマで人の20年後が見えて、自分だけが見えていることに対して『何と言ってあげたら、どうしてあげたらいいだろう?』ということで毎回悩む…みたいな話にしているんですけど、そんなことを書きながら僕は自分の20年後、20年後に限らず自分の未来というのはどうなっているのかがやっぱり気になるからこういうドラマを書いたのかな?とどこかで思っているんですね。自分の未来も気になるから…」江「だからね、そうじゃなくて言葉を変えれば『人の未来が決まっているのかどうか』ということが気になるんですよ。それも『型』でしょう?『だとすると、もがいても無駄なのか?』そこが気になっているわけで。いつも美輪さんとお伝えしていますけれども、『宿命』と『運命』は違うんです。『宿命』は素材、『運命』は料理なんです。だから人の人生は大方の素材は決まっているんだけど、料理は決まってないんですよ。だから生まれてくる意味があるし、そうでなかったら努力する意味がなくなってしまうんですよ」宮「あー…それ、ちょっとドラマで使ってもいいですか?☆」江「どうぞ☆」宮「『あなたの素材は決まっているわよ』と。『でもこれをどう料理するか』…」江「『このままで、ただ流れにまかせていったら、そうなっちゃうよ。料理すれば?何故しないの?』」宮「その料理の方法とか、どうするかというのを…」美「それは自分自身の自由な選び方だから」宮「すごく『俺はこうだ』って自分で思っているんでしょうね。『型』を…」美「だから『型』というのは宿命なんですよ。青写真」宮「素材の方ですね」美「そう。お家を建てるときの青写真。自分の心がけ次第で『もうちょっと、ここをこうした方が住みやすい』設計変更ができるわけですよ。その設計変更の可能な部分が『運命』。だから自由なんですよ」宮「素材は決まっていても、料理次第で…」国「そのキーワード、すごく気に入っていますね☆」宮「僕は『型』を気にしないで、『型』を破っていけばいいのか『型』は『型』で残した方がいいのか…」美「それも考えない方がいいんです。それを考えると『型』になるわけ。流れのまにまに『自分が成長するんだったらすればいいし、そこで留まっていてもいいし道草をしてもいいし、どこへ扉を蹴破って飛び出してもそれもいいじゃないか』『ねばならならぬ、ということは、どこにもない』という風に、そういう生き方を今度は会得して、体現して、愉しむために生まれていらっしゃったわけだから」江「これからの一番の先生は、多分お子さんだと思うんです。一番『型』がないということもあるじゃないですか」宮「そうですよね、自由ですよね…もうすごく自由でいいですね、これから」美「そう」宮「締め切りも『型』ですもんね☆」国「宮藤さんはお子さんがいるんですものね。お父さんにはちゃんとなれているんですか?」宮「そうですね…まだ二歳半、もうすぐ三歳で『可愛いな、可愛いな』というか『面白いな』が一番なんですけれど、何か二度目の転機じゃないですけれど『随分変わるな、自分が』というのは思いますね」国「そんなに変わりますか?」宮「にやにやしてますね。日々変わってゆくから『面白いな』と思いながら…」美「どう表現したらいいのか…緑色の植物に光が差してきたような雰囲気になってきていません?」宮「あの…緑色と言われて、すぐ思ったんですけど、大体僕は町を歩いていて『下を向いて怖い顔をしているか、にやにやしてるかどっちかだ』とよく人に言われたんですね。『どっちの時も話しかけ辛い』って言われるんですけど☆最近は『散歩に連れてって』と言われて、ちょっと嬉しかったりします」美「そういう風に新しい世界がふわあっと広がってきてるんじゃないかなと思ったの」宮「子供が生まれたというのは関係なく、もっと前からなんですけど、いい話教訓とかはあまりにも自分の中で関係なかったものなので、新鮮だったんですよね。自分で書いていて、自分がやってきたことのないスタイル、ちょっと気持ちがあったかくなるようなせりふとかを書いた時に、すごく恥ずかしいんですけど何か『服を脱いだな』みたいな『人の家で靴下を脱いだ』みたいなリラックスした感じですかね。若い時、20代の頃は何か作品を書くということに対して『こういう風に書いたら、人にこう思われるんじゃないか』とかそちらの方が先に立っていて、集中できていなかった部分があると思うんですけどちょっといい話を書いたりして台本を送った時にそれを読んだ人から『いい話ですね』なんて言われたら『ちょっとうれしいな』みたいな。『ちょっと今、足崩していいですよ』と言われたみたいな感じが、ちょっとありますね」国「それはいつ頃からですか?」宮「やはりドラマをやりだしてからですね」美「それとね『自分がエキセントリックでないといけない』とかね、自縄自縛で自分の殻とかタイプとかスタイルを、自分で縛って作りあげていて『そうじゃない自分というのは気恥ずかしいし、ちょっと許せない、格好悪い』そういうものとせめぎ合っていらしたのがね、箍(たが)がフッと外れた瞬間に『あ、こういうエリアも自分の一部であるんだから、認めればいいじゃないか』とフッと楽におなりになったのね」宮「そうかもしれないですね」国「今はどんどん脱げていっている感じですか?」宮「いや…もうこれ以上脱いだらね☆長瀬君になっちゃいますからね☆『そろそろ服、着てください』みたいなことを言われても☆」美「自分はこれだけの、例えば『100坪なら100坪の土地だ』と思っていたのが測量してみたら『こっちの10坪もある』『こっちも5坪ある』どんどん広がっていって『これも自分、あれも自分。自分の可能性ってもっと大きかったんだ』それを発見してゆくと、面白いですよね」宮「そういうのを実感したくてやっていたりとか…」美「いえ、人間ってやっぱりね、生きてくるとだんだん自分自身も世の中も見えてくるんですよ。相手の気持ちもわかる、自分の立場もわかるいろんなことが見えてくる。年を追うごとに見えてくるんですよね。そうすると『自分はこうでなきゃいけない、こういうタイプじゃないといけない』と思い込んでいたのが実は『これも自分、あれも自分』自縄自縛が取れてくるんですよ。そうするとどれもこれが全部、自分の一部なんだから、どんどんと広がってゆくんですよね」宮「そうかそうか…そういう時期なんですかね、今…」美「人間はどんどん成長して、太ってゆくんですよね」宮「へえー」美「太ってゆくんですよね☆」江「…(横を向かれ)☆」国「すごいパスを今…☆」現在放送中の「未来講師めぐる」には、江原さんと美輪さんに関するセリフも。「宿命と運命」のキーワードも使われる模様です☆【スピリチュアルメッセージ】☆ 未来が気になるのは、運命という「型」を気にするから。宿命は素材、運命は料理。あなたという素材は決まっていますから、あとは料理次第。運命は変えられるのです。【オーラの言葉】☆ 「自分はかくあらねばならぬ」という思い込みは、自縄自縛の落とし穴。人間は年を追うごとに、世の中も自分のことも見えてくる。自分の可能性の大きさを発見できる。読んでいただいてありがとうございました。次回のゲストは、難病を乗り越えて、先ごろご出産された間下このみさんです。 ***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 6, 2008
今夜9日のゲストは間下このみさんですね☆***TOKIOの長瀬智也さんとはお仕事をよくご一緒されるそうで「真夜中の弥次さん喜多さん」の撮影中にはこんなエピソードも。長瀬さんの言葉「地方で泊まりのロケだったんですけど、ちょっと驚かせようと思ってあの…洋服を全部脱ぎまして☆宮藤さんの部屋に先に入ってカーテンを閉めた状態で窓枠に裸でへばりついていたんですね。疲れ果てた宮藤さんが普通に部屋に入ってきて、荷物を置いて、普通に寝たんですよ。寝た後に僕がカーテンをバッと開けて『お疲れでしたー!』と言ったら宮藤さんが普通に『お疲れ様でした』って裸の僕に言ってきたんですね。意外につまらないリアクションするなあと思って☆」***国「これ長瀬君が体を張って☆」宮「本当に申し訳なかったです☆」国「どんな状況だ?という話でもあるんですけど、長瀬くんの」宮「そうなんですよ。その日は結構シリアスな状況だったんですよ。『明日の撮影、できるかな?』雨が降っているわで。夜中の一時を越していてみんなスタッフも疲れていて、僕も疲れてそのまま、バタンと倒れたんですよ。そうしたらガラッと開いて全裸で『お疲れ様でした!』と言われて『お疲れ様でした』…その後に『あ、そういえば僕、今日は長瀬君にTシャツ上げようと思ってたんだよな』と急に思い出して、鞄から『長瀬君、Tシャツ』と言って…しばらくたって『あれ?!』すごくびっくりしたんですけど。その後『長瀬君、ごめんね』ってすごく謝りましたね」美「でも長瀬君の出ていた落語の…転換の仕方とかね、ポーンと飛んでみたりとかあれは宮藤さんの中で計算し尽くしてやっている部分とものすごい勘でふと閃いてやっているのと、両方が交錯しているような感じがするんですけれどね」宮「そうですね。自分は結構、調子が良い時とかは、その二つが。勘も冴えているし、計算もよくできる。冴えているときは、どちらも上手くゆきますね。ただ、どんよりした気持ちの時とか、場所によっては全く集中できなかったりもするので」国「それは部屋だったり…」宮「後は状況ですかね…僕はあまり集中して同じ場所で仕事ができないんですよ」国「家で書くとかそういうわけではないんですか?」宮「違いますね。喫茶店、マンガ喫茶とか、入れ替わりが激しいところで書いていることが多いですね。自分の部屋で『ものすごく仕事がはかどるな』と思ったことはないですね。何ででしょうね?」国「これは何かあるんですか?書けない理由とか…」江「あります」宮「来たぞ…☆」江「今からもう話しちゃいます?」国「ちょっとじゃあ、後に取っておきましょうか☆」宮「待ってください…☆」「タイガー&ドラゴン」の長瀬さんの役どころは、落語家に転身したヤクザ。「ゼブラーマン」では相川翔さんが、コスプレ好きの教師からスーパーヒーローに変身。いつも意表をつくアイディアで演じる方々に刺激を与えておられます。相川さんの言葉「もう倒れましたよね、おかしくて。あんなに脚本で笑えるのも久しぶりでね…なにか凄まじい才能だなと思いましたね」現在放送中の「未来講師めぐる」の深田恭子さんの役は満腹になると人の未来が見えてしまう塾の講師。深田さんの言葉「一話で、カステラを丸ごと一本食べるんですけどみんな本当はやってみたいことなんじゃないかなって。絶対やっちゃいけないことだけど、できたこととかが貴重な経験だなと思いました☆」***国「発想はどういうところから生まれて来るんですか?」宮「どういうところですかね…ゼロの状態から第一歩を踏み出す時は完全に勘に頼っていますね。『タイガー&ドラゴン』落語のやつも『長瀬君が高座に上がって、しかも話が全然面白くない』っていうのが面白いなと思って…」美「いえ、その発想自体が計算なの。逆転の発想だから。『まさかこの人がこういうことはしないだろう』というものの積み重ねだから。意外性の、どんでん返しなの。それは計算ですよ。子供のようなところがおありになるから、子供のいろんな妄想とか空想とかを持っていながら、今の計算がピュッと結びついてしまうんですよね」宮「ちょっとわかる気がしますね…」江「全然、違うことを言ってもいいですか?トイレにフッと入っていっちゃうところが見えるんですよね。ちょっと奇妙でさほどもよおしていないのに入られたり、意味のわからない行動を取られる。宮藤さんの魂のテーマは、全て『型』なんですよ。『型があるかないか』これが全部のポイントなんです。オーラの部分でもすごく繊細さが現れていて、あんなに愉しいことをなさったりする方なのにブルーなんです。だから常に冷静で、自分のことをいつも『自分はこういうやつで、ああで…』ってすごく観る…ものすごく繊細で神経質。人と会うにも何処の空間にいるにも全然落ち着かない。落ち着かないとトイレとか自分だけの空間に入ってため息をつく。人と接しているのは愉しいけれども、ものすごく疲れる。その連続の中で、時々頭の中がハレーションを起こすみたいなね。時々『あ゛ー』って変な声を上げているのが聞こえるんですね☆生活の中で」宮「びっくりしました、今☆よくやってます」江「密室の中で『あ゛ー』とか、捨てゼリフとか、自分で何か吐き出したいことをそこで吐き出して『王様の耳はロバの耳』みたいなものでね☆それで出て行って、違う自分を演じてみたり…まず自分で自分のことを脚本家として『自分の今日の動き』を決めているというか…」宮「はいはい…」江「現場の雰囲気でも、撮影の中でも『今、こんな状況になっちゃったから明日の俺はこういう風な自分ということでやっていこう』という脚本を自分で書くんですね。だから日替わり弁当のように、今日の宮藤さん、明日の宮藤さん、違うと思うんです。その現場の状況に合わせて」国「どうですか?まるきり言われている通りの行動を取りますか?」宮「ええ…割とそうですね」江「不思議なもので、自分で型に入れていたりするんですね。でも、型が大嫌いなんです。さっき言ったように、ドラマでも絶対型にはめるのが嫌なんです。だから時代劇なのに、バイクが出るとか、絶対にあり得ないこととかに込めてゆきたいわけですよ」美「意外性…」江「意外性。さっきからお話をうかがっているときに、実はずーっと私ちょっと抜けさせていただいて…☆」宮「いたじゃないですか☆」美「いえ、いなかったの☆」江「あの…幼い時分から見ていて『自分って何か型と違うな』『型にはまっていないな』お父さんが厳しかったとおっしゃるけれども、お父さんの中の厳しさは全て『型』なんですよね。『こういった時にはこう返事をするものだ』『こういった時に何故お前はこれを言えないんだ』これをずーっと言われ続けていて。けれど決して、本当に厳しいお父さんじゃないんですよ。『型』に対してすごく厳しい人で、それがちゃんと理解できていないものだからお父さんという存在があるだけで、常に責められている気がするんですよ。言われていなくても、ただその存在だけで。その切替のきっかけのひとつは、大学に行かれた時でしょうね。『自分自身はこれをやりたい』と決めた時に、『型』からのひとつの脱却。だって空気から言ったら、悪いけれど芸術方面に行くというのはお父さんにはちょっと言いにくいところがあった。要するに、お父さんは『型』をすごく大事にする人だから『そんな学部に行って、就職どうするんだ?』みたいなね」宮「まあ、そうですね。まさにその通り」江「大学に行ったという時点で、まず1回目の脱却。辞めた、第2回目の脱却。もうどんどん、脱いでいったわけですよね、『型』というものを」宮「そうですね…今、『服を脱いだ』とおっしゃいましたけど、そういう感じでしたね。せいせいしたというか『大学辞める、どうしよう』とはならなかったんですね。『何とかなるんじゃないかな』と思いながら、多分それは悶々としたところから抜けたからかなって思うんですけど」江「奥さまの言葉が何故光ったかというとね、『型がない』からなんですよ。『じゃあ、辞めたらいいんじゃない?』常に型のない人なんですよ、奥さんて。じゃあその大元、どうしてそういう人生になるのかということへ行くんですけど一番象徴的に見えてくるのが欧州でね、フランスとかそっちの方じゃないかと思うんですが貴族なのか立派なお家で、ちょっと田舎なんですね。田舎の領主みたいな、ある程度立派なお家なんですよ。けれども、とにかくご自身がそのときも『型』が駄目だったんです。そのときに長男で家を継がなくてはいけない、一家、一族を背負っていかなくてはいけない。乗馬や剣や、あれもこれもとやるのが大嫌い」国「それは親がやらせているんですか?」美「しきたりだから。だって貴族は全部、狐狩りから何からそれも貴族の資格の一つに入っているわけなの」江「『自分はこの家に生まれてはいけなかったんだ』という悔やみまで感じて。『自分は駄目』と最初から投げているんだけど、許してもらえない。要するに『そういうわけにはいかないだろう。お前の根性を立て直してやる』立て直すも何も『駄目なものは駄目』と言っているのに…そういうわけで、結局全ての魂のテーマが『型』」国「どうですか?」宮「何か『型』ということを言われて、すごく今『ああ、そうなのか』と思いましたね。納得いく部分は確かにありますね」江「『こうでなければならない』という…」美「『ねばならならぬ』が大嫌い」宮「そうですね。『何でだろう?』と思っちゃうんですよね。『何でそれをやっちゃいけないんだろうな』とか、『これ何でですか?』とか『あ、そうか、そういうことか』とわかったりしても、何かどこかで納得いかなかったり…めんどくさい人ですね☆」江「いえ、そうは思わない。むしろわかりやすいと言えばわかりやすい人で『型』というテーマを知れば。そのテーマがあったから、その戦いがあったから表現すること、作るという仕事の上で華が咲いていると思うし。だから無駄になっていないと思うんですよ」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 5, 2008
エンターティメントの世界で大活躍される方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→短気です、せっかち。☆ 毎日欠かさずすること→家族、特に奥さんに「ありがとうございます」って心の中で言います。☆ 好きな言葉→低姿勢☆☆ 人生の転機→大学を中退した時。☆ 充実感を感じる時→ドラマとかのシナリオを書いて「これで、OKだな」と思って頭に戻って1番から数字を、1、2、3、4...とシーンナンバーを振ってゆく時に一番「あー終わったー!」って思いますね。宮「すみません、僕、あまりにも緊張したものですから、カメラじゃなくて照明を見ていたので、もう…何も見えない…☆」国「いろんなゲストの方がみえましたけれども、相当、挙動不審でしたよ☆」宮「すみません…今朝まですごく楽しみだったんですよ、番組に出るのが。来る途中ですね『駄目だ…』と思って…すごく帰りたいですね」国「宮藤さんから見てどうですか、このオーラの泉という番組は?」宮「僕自身、ほとんど霊感とかもないですし、見てもらったこともないですしものすごくまっさらな状態なので…よろしくお願いします☆」美「面白い☆」国「まさに低姿勢☆美輪さんとも初めましてですか?」宮「あの…一方的に。昔、ジャンジャン(渋谷ジャンジャン 1969-2000 公演通りにあった小劇場)っていう劇場で…」美「ずっと出ていました」宮「歌っていらっしゃったのを僕は観させていただきました」美「どうもありがとうございます」宮「年下の男の子と付き合っている歌(人生は過ぎ行く 作曲:J.Hoimes 訳詩:美輪明宏 編曲:池多孝春)があるじゃないですか。あれがすごく好きで…」美「そうですか」宮「年下の男の子と付き合っている美輪さんが☆ストーリーで最後、飛び降りるんですよね」美「そうそう。男に捨てられてね」宮「♪飛び降りるわよ!…暗転…みたいな☆」美「よく覚えていらっしゃる☆何かのインタビューでね『会いたい女性は美輪明宏』っていう風におっしゃったっていうのね」国「それは覚えていますか?」宮「はい、言いましたね。もしかしたら、この番組をやられてからかもしれないですね」国「お話がしてみたいとか?」宮「お話してみたいですけど、怖いことは言われたくない、みたいな☆」大学在学中に「劇団 大人計画」に参加、大学は中退し、その後はエンターティメントの世界で生きることに。国「それで人生の転機が、大学を中退した時ということなんですか」宮「そうですね。大学から『復学届』と『休学届』と『退学届』を三枚もらってきてずーっと見てたんですよ。『どうしようかな…』その時に、今のうちの奥さんが『辞めちゃいなよ』って言ったんですよ」国「奥さんはどんな方なんですか?」宮「もともと知り合ったのは『大人計画』の芝居に、僕が最初は演出助手という立場で関わった時に、劇中で踊るダンスとかの振り付けをしてくれた方なんですよ。僕の映画とかドラマも最近、よくやってもらってます」国「大学を辞めるきっかけになったのは奥さんが…」宮「何かこう、踏ん切りがつかない時に言ってくれたので『そうか…』と思って退学をしたんですね。後々聞いたら、うちの奥さんは同じ大学をちゃんと卒業してたんですけどね☆それで、親に一応、報告するのに電話じゃ軽いかなと思って『もう、僕は仕送りをいただかなくても結構です』みたいな手紙を書いて…まあ、テンションが上がっていたんでしょうね『大学、辞める俺、ちょっと格好いいぞ☆』みたいなのもあって『もっと格好良くしてやれ』『仕送りはいりません!』って書いたんですよ。その時、何も言わなかったんですね、親も。結構、父親は厳しかったんですよ。教師で、家ではすごく厳しかったです、僕には。でも、厳しいというのも『節分の日に豆まきを何故しない?』とか☆部屋でマージャンなんかをやっていたら、遠くの方からバラバラ!バラバラ!って音が聞こえてくるんですね。父親が豆をまいているんです☆まきながら近づいてくるわけです☆バラバラ!バラバラ!…」国「そういう音がどんどん大きくなってくると…☆」宮「それで、マージャンをしてた卓の上にバラバラ!『なんで豆まきしない!』☆俺も何でそれを怒られたのかな?みたいな…」国「宮藤さんの性格が曲がっていて、そこを直しなさい、とかではないんですね。『豆まきをしろ!』と」宮「大晦日にはみんなで集まって、一年の10大ニュースを読むという行事があるんですね。『お母さん、脚立から落ちる』とか☆そのくらいなんですけど、それが意外とトップニュースだったりしたんですけど☆それに参加しないとなると、ものすごく怒られる。『何で参加しない、10大ニュースだぞ!』」美「それは『しきたりとか、秩序というものは守らなければいけない』ということを教えていらしたのね。宮藤さんも『それは当然だ』と納得なさったから反抗もなさらないし、素直に受け入れたんじゃないですか?」「木更津キャッツアイ」、「ピンポン」、「ガンジス河でバタフライ」など数々の脚本を手がけられるほか「クワイエットルームにようこそ」をはじめ俳優としても活躍、2002年にはミュージシャンとしてメジャーデビューも。国「最初は劇団でお芝居をやってたんですか、役者としてそれとも脚本家だったんですか?」宮「もともと言うと、TVの構成作家になりたくて、ラジオとかが好きだったのでそういう仕事をしたくて出てきたんですけど、大学に入ってコースを選ぶ時に『脚本』というコースがあったので。まあ、短いものですけど、書いて、提出してはやってたんですね。その中で選抜された人だけが受けられるゼミがあって、その試験に落ちたんですよ。『何で落ちたんですか?』と先生に聞いたら『君は、僕がいくら言っても僕の言うことを聞かないから』と言われて…『そんな…別に言うこと聞くのにな…』それで、辞めたんです、もともとは」国「言うことを本当に聞いていなかったんですか?」宮「あのね、びっくりさせることしか考えてなかったんだと思うんですよね、読んだ人を。だから『びっくりするだろうな』なんて思って。いま思うと相当つたないものを書いていたと思うんですけど。脚本家になりたいとかということよりは書いたものを人が読んでくれて面白いと言われることが、すごく嬉しかった。だからラジオに葉書とかを書いていたんですね。夜中のラジオを聴いて、読まれたら夜中の3時位に『母ちゃん、読まれたよ!』と言って☆『う?うん…』」国「お母さんは寝てますからね☆その感動はないですものね、お母さんには」宮「『読まれたよ!』『う?うん…』☆そんなことをやっていたら、知り合いの放送作家の方が紹介してくれてバラエティの作家として仕事を始めるようになって、何だかんだしているうちにドラマも書くことになり…みたいな感じなんですよね」美「でも脚本というのは、文学とかそういうものに縁の遠い生活をしている人がいきなり脚本を書けるもんじゃないじゃありませんか?それはどうなさって、ずっと培っていらしたの?」宮「いや…でも…東京に来てからですね。映画とか、観たことなかったです」美「本は?」宮「本は『世界文学全集』みたいなものが、バーっと部屋にあったんです。『読め』と言われたんですけど、めったに読まなかったですね」国「あっただけであって、子供の頃にすごく読んだとかでもないんですか?」宮「そんなに読まなかったですね。TVばかり観てました、TVはすごく好きでしたよね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 4, 2008
高校を中退したときに勘当されたお父様にも現在は感謝のお気持ちをもっていらっしゃるようです。江「あの…この家系はみんな、愛し方は下手だったみたいですね☆その辺が無骨だったから親も表現が素直じゃなければ、子も表現が素直じゃない子になりという。ただ表現力が乏しかったらしいんです☆」義「そうですね。親父の本音というのは、生まれてこの方、1回、2回しか聞いたことがないような気がしますよね。じゃあ、自分も本音で向き合えたことがあったかといったら、それも違いますよね。だから倒れてからですよ、初めて泣いて…泣いたときに『こんなに憎み合っていたこの人を愛していた』と初めて思ったんです」江「でも、ずっとお父さんは観ているんですよ☆だから愛されている…」義「嫌だなあ、親父にずっと観られているなんて☆」江「でしょう、だからものすごく表現が下手☆愛されているのも照れくさいんですよね。弱みを見せたくない人でしたからね、お父さんって」義「全くそうでした、本当にそう」美「似てるのね☆」江「でもお父さんのおかげで、同じような質を持っていながら全く違う人生を歩めるんですよ」義「そうですね。あの時勘当されなかったら、本当に今はない…ですね。もしかしたら、36歳まで家でごろごろしてるかも…わからないくらい。だから感謝してますよね、今は」江「だって、こんな頑固な人はいないし、こんなに突っ走る人はいないし誰の言葉も耳を貸さないタイプですよ、本来☆」義「…そうでしたね…」江「先生のことを私はとても尊敬しているし、お仕事をさせていただいて大ファンでもあるんだけれども、おこがましい言い方をすればみんなで先生をサポートしないと、ものすごく傷付くんですよ。こんなに傷付きやすい人はいない。だから多分、ご自身がそうだから私に以前聞かれたのはそうだからだと思います」義「傷付くんです☆やっぱり傷つくんですよ。彼らは頼ってくれて『先生だけが頼りだ』って言ってくれて、だから自分も『ちゃんと向き合わきゃ』と思うけれど、彼らの持っている重たい荷物はまた重くて心を共有するとズタズタになるんですよね。本当に、おかしなくらい全く眠れなくなる時もあります」国「政治の世界にも今はいるわけじゃないですか。そこでも傷つくということも多くなってくるんじゃないですか?」義「まあ、ここは傷つきに来たんじゃなくて、成し遂げに今その場所をお借りしているというか、その場所にお世話になっている。やはりシステムを変えなくてはいけない。システムの転換期に、例えば教育だったりその法律を作ること、そういう場所を作ることは、国会にしかできないですよね。だけど、そこの話し合いに問題を持ちながらも、全く加わらずに『僕は教育に人生を賭けている』ということは、僕には言えない、言えなかったんですよね。だから、僕は大きな決断をしたんですけれども」江「前にもちらっと申し上げさせていただいたんですが、焦り過ぎないように。今は、現実をいっぱいリサーチしている時らしいんです。その情報収集が済んだ時に、本当の意味での戦略で挑む時ですから」義「それは肝に銘じていて、江原さんから『一年間、大人しくしていなさい』と言われて本当に大人しくしているんですよ☆『とにかく勉強しなさい』と言われたので今度は教育だけじゃなくて、あらゆる分野を勉強…『こんなに勉強しているのもまた、今が人生初かな』ぐらいの量大学受験のときくらい勉強していますね」美「それと『こんなに悪い奴がいるのか、世の中に』というようなものとかとんでもないようなことに、いっぱい遭いますよ、これから。その時に、ピュアだから、傷つきます。でもその時、ヤンキー時代を思い出せばいいんです。あまりピュアになって、抵抗力がなくなると、それにやられますから。手強いですからね、それは。今までの地獄とは、違う地獄もう一段階も二段階も上の地獄だから。それを心して下さい」江「ただ先生ってね、孫悟空みたいなところがあるんですよ。今、美輪さんがおっしゃったみたいな注意すべき時に、必ず腰が痛くなるんですよ。孫悟空みたいに『駄目!』という時、腰に来るんです」美「孫悟空の輪☆観音さまが『めっ!』と言う時に、頭がキュッとなるでしょう?」義「それは本当に、100%そうです。『いかん』というときに、やはり腰が痛くなるかだるくなるか、それもいたたまれないくらいだるくなったりするんですよね」江「それは事故の後遺症とかではなくて、メッセージなんです」美「『注意しなさい』という時に」江「身体におけるメッセージ」義「誰がくれるんですか、そのメッセージを」江「それはね…ここからは夢物語と思って聞いてもかまいませんけれど実は私たちにすごくご縁が深い…あの…観音さまなんですよ。すごくお家は、お祖父さん、お祖母さんはその信仰がありましたよ。だから、ここっていうときには、いつも助っ人が入るでしょう?その助っ人を仕向けているのもそこなんですね」義「家の仏壇には観音さまがいます。あと、よく善光寺さんには連れて行かれました、長野の。今でも、時々行きます」美「観音さま繋がりだったのね☆」江「先生はよく守られていますよ、タイヤのパンクも」義「あ、パンクしましたね、この間ね。たまたまパンクしたのを発見したのがインターを降りてすぐで、その横にタイヤ屋さんがあってすぐ付け替えてもらって、サッと行ったという…」江「でも、そういう力を得られるのは、自分以外のことで生きる人だけですよ。自分のことだけで生きる人は、あまり援助を得られません。やはり人のことをやろうとすると『じゃあ力を貸そう』という人が増えてくる。そういうことなんですよ」美「だから、神仏のいろいろなご加護を受けたい人は受けられる資格になりなさいということなの。ピュアな心を持てば、受けられる。グチャグチャな人は、助ける方も嫌になるから助けてくれないわけ」義「すごく勇気付けられたというか…パンクはちょっとびっくりしました。そうなんですよ、あの時つくづく思ったのは、高速にいた時に100kmでバーストしていたら、死んでいるんですよね。インターを降りてすぐにそれが発見されて、何とかなった…」美「ありがたいわね。だって一人じゃないんですもの。ご家族のほかに、いっぱい後ろに援護射撃をする人が。千万人の味方と同じよ☆敵は幾万ありとても、こっちに味方があるということよね」国「これからも周りの人たちというか、上にいる人たちも助けてくれると思いますので…」義「肝に銘じて、またこれからも頑張ってゆきたいですね」国「今日は本当にありがとうございました」義「ありがとうございました」【スピリチュアルチェック】☆ 今の世の中に必要なのは、義家さんのように「うざい」方。しばらくは焦らず、情報収集の時。その後に戦略で挑む時が来ます。【オーラの言葉】☆ 天国しか知らない坊ちゃんに、地獄にいる人を救うことはできない。不良を更生させるのは、同じ道を歩いたことのある人の言葉。読んでいただいてありがとうございました。次回のゲストは、脚本家の宮藤官九郎さんです。 ***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 31, 2008
子供達を守るために教育の現場から政治の世界に踏み込んだとき激しい批判や中傷も受けたそう。美「大変でしょう?政界、官界というのは、魑魅魍魎の世界ですから」義「そうですね。一番びっくりしたのは、初めて本会議場、これは社会科の教師だったからいろいろ教えていたんですけれど、そこへ行ったときに、言葉は悪いんですが『わっ、学級崩壊してる』って思ったんですよ。その時は安倍総理が所信表明をして…辞任発表の前ですね。無茶苦茶なんですよ。野次は風物詩だとしても、携帯が鳴ったり、立ち上がる人もいたり。所信表明というのは、これは選挙によって、投票によって選んだんだから例えば生徒会長が『僕らの方針は○○です』と言っているときに、選らんだ生徒たちが『うるさい、お前黙ってろ』みたいな世界ですよね。あれはね、すごいショックを受けました。一国の総理が所信表明している、その表明自体は、どう思っていようと礼節を持って聞くべきなんじゃないかなというのはすごく感じましたけれどね」美「本当に、烏合の衆、みっともない。あれはね、先進国のやることじゃありませんよ、そうでしょう?みんな冷静じゃなくてはいけない、常に知的でないと」義「こんなに政治家が尊敬されない国もないんじゃないかなって」国「確かにそうですね」義「自分も経験してみて、選挙って大変でした。命がけでしたよ。びっくりすることが起こるんです。街頭にいて、唾を顔にかけられる…」国「え?」義「これは本当に。『税金ドロボー!』みたいなことを言われたり。パッと唾をかけられた時に、カーッとなる以上にびっくりしたんですよね。『何が起こったのか』と思ったんですよ。そういう意味では、自分がされたらどう思うんでしょうかね。今までは、生徒と先生という関係あっての出会いだったから何が起こっても不思議じゃなかったけれど、他人にそういう形でパッとやられたことはびっくりしましたね」国「でも、命がけで選挙をやったというのは、何かを成し遂げるためだそうですがそれは何を?」義「例えば今『ゆとり教育がどうだったか』という議論の先で指導要領の改訂作業が大詰めを迎えているんですね。何よりも子供たちの現状。霞ヶ関、永田町って、子供の声が全く聞こえないんですよ。聞こえてくるのは、文部科学省から来る数字だけ。そこに子供の実態はなくて、実際に目の前にいる子供たちの声を届けてゆくこと。それしか今、自分にできることはないし、それをしっかりとしなければっていう思いでした」美「彼らには情報が入って来ないのよ。井の中の蛙だから。永田町、霞ヶ関、あれは別な、異次元にいるの。江戸時代のままストップしてる。現代に生きていないんだから。みんなベルトコンベアで、小学校、中学校、大学いいところにスーッと来てる。この方の今までの人生は、波乱万丈で不良をやったりいろいろとした。地獄を見なければ天国はわからないんですよ。だから今ね天国しか知らない二代目、三代目の坊ちゃんばかりが代議士になっているでしょう。地獄を知らないんですよ。だから地獄にいる人を救うことができないでしょう?だからこういう方が、代議士になられて当たり前なの。こういう方ばかりが代議士になれば、本当に世の中、良くなりますよ」国「そうですね」江「先生の最も原点となっている優しさって、お祖父さん、お祖母さんからの愛ですね。これは無条件の愛でした。愛がずーっと、先生がどんな風になってもずーっと腑の中にあつい熱を持って、その愛情がふつふつと生きていて。あの…その愛を思い出して欲しいみたいですよ、もっと」国「愛情を思い出して欲しいと」江「わかっていらっしゃるんですよ、わかっているけれどももう一度改めて振り返って欲しい。ずーっと愛していた、あの愛情というのは先生が言った今の言葉で『うざい愛』だったと思いますよ」美「でもね、支えになっていたの」義「今、ふと思い出したことがあって、自分が高校をクビになってしまったときにお祖父さんとお祖母さんが二階の自分の部屋に上がってきたんですね。『弘介、じいちゃんとばあちゃん、お前が大学行くまで生きてるから』『こいつらボケているんじゃないか』って本気で思ったんです☆昨日、退学になってね『高校を退学になった俺が何で大学、行くことなんてあるわけないだろう』これは家の人に聞いたことですけれど『合格したら、お祖父さんとお祖母さん二人で仏壇の前でずっと泣いてた』っていうんですよね…」美「やっぱり、人間は愛なのよ、愛…。義家先生はラッキーでいらした。私はいろんな子たちを見てきたけれど、お祖父さんお祖母さんどころか誰にも今まで愛されたことの歴史がない子だっているのよ。これは大変よ。愛してあげると戸惑っちゃうのよ。向こうはどうしていいんだか、わからないの愛されたことがないから。だから、そういう子を救うのが大変」江「さっき先生が『うざい』という言葉があったけれども、今ね大事なのは『うざい人』なんですよ。『うざい』って、今、嫌な言葉だと思うでしょう?違います、うざい人が大事なんです。愛情がなければ、関心を持たないですから。だからどんなに『お前、うざい』と言っても、例えば国分さんでも『いや、そうは言ってもさ…』っていつもじーっとそばで寄り添っててくれたら実はそこに愛情を感じるはずなんですよ」国「なるほど…」江「だから、今、逆の言葉が多いんですよ。『うざい、うざい』うざいは絶対に欲しいはずなのに」義「本当に、愛し育ててくれた、一番心の土台は、お祖父さん、お祖母さんからもらったことやはりすごく大きかった。そういう意味で、罪も感じているんですよね。よく『祖父ちゃん祖母ちゃんが甘やかしたから、こんな子供になった』とかねずいぶん辛い目にもあったんですよ、自分なんかが馬鹿だったおかげで。やはり出てゆくときに、本当に『ごめんなさい』って気持ちでしたよね。だから『大学に入るまで生きてる』って、それを唯一、できてよかったなって思うんですね」国「お祖父さんとお祖母さんには『ごめんなさい』って言葉は言えたんですか?」義「ちゃんと言えなかったですね…」江「そんな必要はありません。信じていたから。今も、別に議員という先生になられたからとか、そういうのは一切関係ない。そうじゃなくて、自分自身の道を貫いてゆくということを信じていたから。信じているから、その途中経過だと思っているから、何とも。もちろん、辛いときもありましたけれども、別に謝るとかは必要ない。だって先を信じているから、今は別に謝る必要もない」美「あのね、お子さんをお持ちになって、子供に対しての親の愛がお分かりでしょう?」義「本当に、わかりましたね」美「そうすると、お祖父さん、お祖母さんがあなたのことをどう思っていたかおわかりになったでしょう?」義「はい、それはわかります」美「『子を持って知る親の恩』っていうの」義「子供が生まれたときも、実は自分自身、教師としてはすごく壁に当たっていたときでよく親とかともトラブルになったり。そこに子供が生まれたときに、またその子を見て『なるほど!』って思ったりというね…本当に、急速にいろんなものが彼の存在のおかげで取り戻せているんですよ。まず、彼を育てている妻を見て、母を急速に取り戻してるんですよね。それから、自分が厳しく、本当は可愛いのに叱っている自分を見て『父って何だったのか』というものを急速に取り戻している。いろんなもの、過去に欠けていたパーツが、彼と過ごしたこの四年間でずいぶんと満たされている…」江「すごい先生ですよね☆」義「先生ですね、はい」美「だから自分の子供だけじゃなくて、他人のお子さんでも教えることによって自分も教わるの。学べるんですよ」国「僕は、末期がんで11、2歳で亡くなる女の子の本当にあったお話をやったんですけれども(スペシャルドラマ「いのちのえんぴつ」今春放送予定)彼女が右手が動かなくなりながら、左手で残した詩があるんですけれども。『12色』って詩を書いているんですよ。『12色…ここには12色の色がある。目立たない色もあるけれど、みんな頑張っている。ひとつひとつ』っていう詩があったんですけれども、これにはやっぱり…僕はそのとき、先生役だったんですけれども、先生として教えられているんじゃなくて本当に国分太一として僕は、いろんなことを彼女のその詩で教えられたなって思ったんですよね」江「でも12色、みんなが集まると、みんな目立つ色になるんですけどね☆バラバラになると、みんな目立たない色になっちゃう。みんな集まると、引き立てあうんですよね」美「そこでもう一つ教えなくてはいけないのは、どの色もみんな、必要な、いい色なのよ。茶色も黒も、白も赤もピンクも、みんな必要な色なの」続きます。これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 30, 2008
今夜のゲストは宮藤官九郎さんですね☆***教師として母校に帰り、体験を生かした教育の体験を描いた著書はベストセラーへ。ヤンキー先生としてマスコミにも登場、ラジオ番組を始められると全国の子供たちから深刻な悩みが寄せられ、子供たちの抱える問題の大きさをから教育改革への思いがさらに強まることに。国「実際、人を教える立場になったときというのはやはり思うようにいかなかったりとかしましたか?」義「大体、教育って、子供と向き合うことって、9割9分は思うようにいかないものですよね。ただ、そこから逃げないことが教育なんじゃないかなって思うんですよ。そうすると、とてつもない、ほんのちょっとの感動が手に入る。その感動に一回出会ったら、実はやめられない仕事ですよね」国「それはもう、一年目からそういう感動は味わえたんですか?」義「そうですね、うまくいかないことばかり…でしたからね。やはり真剣に向き合おうとすればするほど、独りよがりだったり…」江「そんなに大変なのに、先生が何故続けられるか。そこに自分がいるからですよ。その一人一人が自分なんですよ。自分の持っている一部分であり、だから放っておけない。一体なんですよ」国「あんなに熱い先生いないですよね」義「自分が学校にいて、自分みたいな奴がいたら嫌ですね~☆本当に暑苦しくて嫌ですね☆」国「そうですか☆でもその分、生徒は向き合おうとするんじゃないですかね」義「あの…震えてる子に大人っていつも光を当てようとするじゃないですか。やはりスポットライトを浴びられる人間になるように育てているじゃないですか。でも、震えをとめることができるのは、熱しかないんですよね。光をどんなに当ててつまり希望を示して『このまま我慢すれば、将来こんな風になれるかもしれない』なんて光をどんなに与えても、彼らは落ち着かない。そういうときに、そっと熱を与えてあげるのが、教育界の中にいる自分自身の役割…だとしたら、すごく幸せだなって思いながら向き合っています」国「高校生って僕もそうでしたけれども、自分で言うのも何ですけれどもやはり一番難しい時期じゃないですか、男にしてみても。本音は話したくないし。でも、先生によっては、聞いてくれようとする先生も中にはいたりとかしてそういう人が救いだったりしたんですよね」義「まあ、そう言う奴もいるし『うざかった』って奴も。しみじみと言う人もいますけどね。『うざい』っていうのは褒め言葉ですよね。だって『大人は何もしてくれない』ってあいつらは言っているわけですから『俺はしようとしているから、お前らうざいんだろう?つまり、君の求めている教師像がここにいたね』☆なんて、開き直ったりしてましたけどね☆」国「ありましたか、そういう風に『うざいなー、先生』」義「『近寄るな』とか『うざい』。今でも、しょっちゅうですよ」国「そういう場合はどうするんですか?」義「『ありがとう』」国「『ありがとう』ですか?」義「『褒めてくれて、ありがとう』☆」美「それとね、やはり義家先生の場合は『蛇の道はへび』だから。説教したり、話し合っているうちに、昔の自分がそこにいるから手に取るようにその気持ちがわかるから、実際に通って来た道だから、言葉を選べるの。言って欲しい言葉が…そう」江「今の時代に最も必要なのって、それなんですよね。『自分のことだから放っておけない』というのがありますでしょう?今はみんな『他人事』だから放っておくんです。だから相手を自分という風にとらえるということがだんだんできなくなってしまっていると思います」美「さっき想像力とおっしゃったけれども『思いやりを持ちましょう』事件が起きると、校長先生はみんなそう言っている。『じゃあ、その思いやりはどうやって持ったらいいんですか?』答えられない。思いやりは想像力ですよ。じゃあ、想像力を養うにはどうしたらいいんですか?詩や俳句や和歌や、短い言葉で多くのことを想像してそれをいかに短い言葉で表現するか。その練習が足りないだけ」国「義家さんも、最近気になることが『想像力がないんじゃないか』という話が出ましたけれども」義「はい。今も大学で教えていますけれども、やはり『想像力、大丈夫かな?』と思うことって、実は個々と話すとよくあるんですよ。問題はその想像力が育っていないのに想像だにしないような情報シャワーが押し寄せてくる時代になってしまった。自分自身の確固たる心ができていないのに、とんでもない誇大妄想が情報として降りかかってきてしまって、そうするとそのとんでもない誇大妄想が日常に変わってしまうんですね。だから、何が痛くて、何が幸せで嬉しくて…ということさえ、わからなくなってしまう。考えてみれば、昔、暴走族がケンカのときに、あの…バットに釘を刺して…ってよく描写されますよね。事実、そういう奴がいたんですよ。でも、それで人を殴った奴は見たことない。要するに『こんなので殴ったら、相手が死んでしまう』とわかっているから威嚇のために存在しているだけで。でも今は、本当に殴っちゃう。非常に危険な時代だからこそ、よりリアルな、痛みの教育とでもいうんですか、しっかりと痛みを伝えてあげる教育というのも、今していかなければいけないだろうなって」江「転ばさない、これもいけない。今は何でもお膳立てしちゃうんですよ。例えば『のどが渇いてお水が欲しい』って言う前に、お水を出してしまうんですよ。何故かというと、それが楽だから。親はそれが楽なんですよ。子供が片付けするのに、言葉ばかり言うでしょう。『まだ、片付けていない』って。あれは横着です。一緒に片付ければいいんです。それを横着して『もうしょうがない』と子供がいないときに片付けてしまう。結局、これは大変そうに見えて、横着なんです。子供を育てていない、全然、育んでいない。何でもそうやってお膳立てしていたら、子供は全く想像力を持つための材料を持つことができなくなってしまう」国「義家さんは、いじめの原因というのはどういうところにあると思いますか?」義「いじめのケースによっていろいろなことがあるんですけれど、やはり一つには『自分かわいさ』ですね。こんなことを言う子がいるんですよ。『いじめられないためには、いじめる側に回らなきゃいけない』ってね。そういう意識の中でいじめが広がるし、地下侵攻してゆくわけですよね。だからまず、一人一人が認められること。しっかりと『自分はいていいんだ』これは自分が子供の頃に認めて欲しかったから、余計に思うのかもしれないですね」江「いつも美輪さんがおっしゃることをもっときちんと理解した方がいいと思うんですが『いじめは犯罪』だということ。いじめという言葉で誤魔化されて何か軽いような感じになってしまいますが『いじめは犯罪』」美「それと『恥と誇り』を教えることよね。『いじめる人間は『自分は劣等感を持っています』『頭が悪いんです』『心が悪いんです』『最下等の人間です』ということを触れ回っているようなものだよ。誇りがあって、立派な人間がこんなことをするか。みんなは暴力を怖がっているだけで、あんたを怖がっているわけじゃないんだよ』という風に、恥と誇りを詳らかにしてゆくと『え?じゃあ、恐れられているのは尊敬されているのかと思っていたら実は馬鹿にされて嫌われていたんだ』ということがわかるのよ。そうすると徐々に止めるのよ。私、今までいっぱい不良の子を更生させてきたでしょう?自分もまた不良だった時分もあったからね、悪い仲間の中にもいたことがあるしだからそれがよくわかるの」国「実際、どうなんですか、今やっぱり、いじめというのは増えていってるんですか?」義「そうですね、より陰湿になっているんですよね。ネットの世界にそれが行ってしまったり、より陰湿に、分かり辛くなっている。だからその対応の一方で、まさに今言った本質論、精神論をしっかり叩き込むことが大事で。よく『卑怯を教えること』って今、教育界でも語られるんですけど、卑怯と言っても子供たちに対して説得力がなくなっちゃったんですね。というのは『ある程度、卑怯じゃないと大人の世界では成功しないでしょう』でも今、美輪さんがおっしゃった『恥』、これはね異常に反応するんですよ。『お前、恥ずかしくないの?』と言うとプライドが高い彼らですから『本当に恥ずかしい奴だな』なんて言うと本気になって反抗してくるんですよね。それはもう完全に響いている証拠なんです、本気で反抗してきますから。よく『恥の文化が日本だ』と言うけれども、それは今でも生きているような気がするんですよね。だから一生懸命、着飾るんでしょうけれどね、恥という意識があるから。そこはチャンス、突破口のひとつのような気がしますね」美「だから不良の子を更生させるのに、上から物を言ったり自分がいい人で物を言ったら駄目なの。もっとワルじゃなきゃ駄目。『そんなことで何が面白いんだい?あたしなんかこうやったんだ、それに比べればお前なんか遊びみたいなもんだ』って言ってやるのね。そうするとびっくりするの。『え?上手がいたのか』そうやってパーンとやっておいて、それから撫でてあげる。まあいろいろね…」国「こうやってお話をしていると、義家さんから出てくる言葉だったりキーワードが美輪さんや江原さんから出てくる言葉と一緒なんですよね」義「その言葉や思いが、何もなかった自分を救ってくれたんですよ。だから肌で感じているんですよね。それに救ってもらったんですよ。だからその救いを誰かに伝えたい。自分を救ってくれたのは、優しくて何でも『いいよ、いいよ』って言ってくれる人間ではなかったし本当に真剣な熱そのものだったような気がするんですよね。この身をもって感謝しているからこそ、伝えたいという思いは強いですよね」続きます。「オーラの泉の日記」
January 29, 2008
不良少年から教師に、現在は参議院議員として活躍される義家弘介(よしいえ ひろゆき)さんがゲスト。【 スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→短気…ですがデリケート☆ 好きな景色→好きな景色というか、安心する景色なんですけどお盆とか正月に必ず交通渋滞が映し出される。「今の世の中、駄目だ」と言うけれど父ちゃんは休みの日にこんなに頑張っているじゃないか。何だかんだ言って、故郷、田舎に帰っている。あの景色を見ると、殺伐とした中でほっとする景色としていつも眺めています…けど自分は当事者になりたくないです☆☆ 人生の転機→何度もあるんですけど、最も大きな転機は大学四年生の頃にオートバイの交通事故で意識不明の重体になったんですね。その日から今の人生が始まったって、そんな風に感じています。☆ 最近気になること→これはね…想像力がどこへ行っちゃったんだ。例えば、いじめ問題も「こんなことをしたら、こんな結果になる」これは、本来わかることですよね。「殴ったら、痛い」「殴られたら、痛い」こういう当たり前の想像力が消えてしまったのかなと、すごく気になります。国「義家さんは本当にいろんなところでしゃべってきていると思いますしラジオもやっていますし…だた、今日はちょっとお二人を前にするとしゃべり辛い部分もあったりとかするんじゃないですか☆」義「普段はどちらかというと、素直でいようというよりも意地を張ってるんですね。『絶対に負けないぞ、揺るがないぞ』思い切り踏ん張っているような感じですね。今日は本当に久しぶりにピュアな心になりながら、ちょっとどきどきしています☆」国「美輪さんとは初めましてですか?」義「お会いしたのは初めてなんですけど、本当に達観しているというか超越しているというか。『超越者』というイメージを人となりの中から感じて。エッセイなんかも見るわけですけれども、今の日本が失っているものを毅然として真っ直ぐ指摘されるんですね。あの…刀で居合い切りみたいな感じでズバッと切りに来るわけですよね。あれは時々、自分も切られてます☆」美「申し訳ございません☆」国「江原さんとはどうですか?」義「いえ、何度か…」江「お仕事を一緒にさせていただいております」義「実はね、非常に尊敬しているんですよ。やはり教育って熱だと思うんですが自分の熱が火炎放射器のような熱だとしたら、江原さんのはあったかい熱。それは自分にないものだし、すごく尊敬するんですよね。これは自分自身もそうなんですが誰かの悩みに本気で共鳴しようとすると、傷を共有してしまってぼろぼろになるんですよね。『そういう時、傷つきませんか?』と聞いたら、本当に今の柔和な笑顔で『傷つきます』。そう言われた時に『あ、この人ってすごいな』って本当に心から思いましたね」生後まもなく両親が離婚、祖父母に育てられた義家さんは、お父様との関係がうまくゆかず中学時代に不良となり、高校を中退。実家から勘当されたそう。義家さんを受け入れてくれたのが、北海道の北星学園余市高校。全国から学校を中退した生徒を受け入れる高校で、人生を変えた担任の安達先生との出会いも義家さんの半生を著した「不良少年の夢」で描かれています。 入学のときの最初の安達先生の言葉「たくさん笑って、共に育って。あなたたちは全員、私の誇りです。私の、大切な宝物です」無事に高校を卒業し、弁護士を目指して大学に進学するも四年生のときにオートバイ事故で内臓破裂の重症で入院。激痛と失神を繰り返す中で聞いたのが、北海道から駆けつけてくれた安達先生の言葉。「死なないで。あなたは、私の夢だから」この瞬間、心に教育への情熱が芽生えたのだそうです。国「人生の転機というのが、大学四年生の頃、バイクの事故に遭ったこと。どんな事故だったんですか?」義「自損事故で、相手はいないんですけれど。今も横浜に住んでいてその場所を見に行くんですけれど『何でこんなところで事故が起きるんだ?』というような緩やかな道、カーブなんですよね。そこで転倒して、民家の石塀にお腹からドーンってぶつかってしまったんですね。退院してから警察の現場検証に行っても全く覚えていないんですよね。それでもう…激痛で気を失って激痛で目を覚ますわけですよ…」国「その事故を起こす前の自分の心とか気持ちは、揺れている感じだったんですか?」義「揺れているというか、あの頃の自分が口癖のように『絶対、天下獲ってやる』って言っていたんですよ。『こんな時代のど真ん中で、今度は噛み付いて生きてやる』『俺が絶対に、噛み付いて勝ってやる』という思いだったんですけれどもあの事故をきっかけに全く変わりましたね、考え方が」国「それは入院しているときに、先生が来て、お話を聞いたというのもきっかけにはなっているんですか?」義「もちろんそう。あの…公然と口で『夢だ』なんて言われることって人間って実はないじゃないですか。それが、意識が消えそうな中で聞いたからこそ余計に衝撃を受けたんですね。自分自身、母親って知らないじゃないですか。だからそのときにね、彼女が本当の母に感じたんですよね。すごくあったかく感じて生まれて初めて、心の底から『生きたい』って思ったんですよ。『いつどうなってもいい』と思っていたのが、本当に心の底から『生きたい』って、思えた瞬間でしたよね」国「司法試験を受けようと思っていたのに、教師になろうと思ったのも入院中…」義「そうですね。『自分がどんなに望んでも、自分はこの人の子どもではない。だったら、この人が歩いてきた『教育』という名の道の続きを歩いてゆこう』と思ったんですね。そして『このクソったれの世の中だから、いっぱい傷ついたり涙したりする奴らがいる。だったら、その連中に寄り添いながら生きてゆこう』『時代に噛み付きながら生きてゆくのではなくて、そいつらに寄り添いながら生きてゆこう』って、そういう風に自然に思ったんですね」国「義家さんは学生の頃は、そういう学生だったんですか?」義「いや、そんな奴じゃないですよ、全然。結局、自己主張、自分のことを主張するだけの愚かな存在でしたから。何か失敗すると、いつも人のせい。『あいつが悪い』『親が悪い』それがこう…すごく変わった瞬間…『生きてる』なんておこがましく思っていたけれど『生かされている』って初めて、心から思えたんですよね。『あ、生かされているんだな』」国「この事故も、やはりきっかけなわけですかね」江「それ自体がカリキュラムということがあるわけですよ。あの…生まれ変わりをさせられたんですね。それまでの人生に終止符、だからそこからの人生が、まるで変わっているはずなんですよ」義「全く違うんですよね」江「ただね、元は輝く宝石の原石ではあってね。『それまでの人生、何でも人のせい』とおっしゃるけれど、嘘。そういう風に表面では言っていただけで自分で自分のことをいつも許せなかった。自分が嫌いだった。いつも自分を責めていた。『俺なんか、俺なんか…』例えば、どんなに点数が良くても何でも『認めたくない、自分、最低』というところで、その心を、実は殺されたんですよ、事故で。あの事故で、その心の方をいったん死なせた」義「いや…本当に…そうでした。自分をずっと責め続けていましたよね。やはりある程度の年齢になると、生まれてすぐ離婚するということは『俺が生まれる前から離婚は決まっていた、話し合っていたんじゃないか。だったら望まれないで生まれてきた存在じゃないか』『だったらそんな人間、いつ死んでもいいし…』って。自分を責め続けることで自分の存在の足元を確かめていたというものが、確実にあったと思いますね」美「やはり、自分の弱さとか、悲しみとか、そういうものを見るのが怖かったのね」江「ある意味で、こんなに無駄のない人生の方って珍しいなと思うんです」美「そうね」江「全部、課題通りに生きてこられた、魂においてはすごく優等生」国「事故なんてない方がいいですけれども、義家さんにとっては本当にいい事故だったわけですよね」江「そういうことって、いっぱいありますよ、人生というのはね」義「不思議なのは、後遺症が全くないんですよ。あれだけ内臓が駄目になったのに実はお酒も飲めるんですよ、ごはんも食べられる。胃はかなり取ったけれどまた大きくなっていますからね」江「それでこんなハードな生活を送れる」義「そうなんですよ。それもまた、不思議でしかたがなかった」美「だから、区切りがついたの。小学校を卒業したんです。そこから中学校に入った」江「こんなに優等生なのは、天から可愛がられている人ですよね。天から愛されているというのは、ある意味では波乱万丈ですよ」国「なるほど」続きます。「オーラの泉の日記」
January 28, 2008
昨夜の義家弘介さんのお話、素晴らしかったですね☆松山ケンイチさん主演の映画も観たいと思いました。 ***サッカー界のスター、中村俊輔さん「オーラの泉・中村俊輔さん」ご自宅購入へのアドバイスも。江「下世話なこと聞いてもいいですか?家を買おうとしてます?」中「あの・・・ダメですか?」江「いいの。いいんだけど・・・言っていいですか?あの・・・いいですよ。だけどお金のことをすごく気にするから。意外と地味な方でこれだけのスター、選手なんだからもっとボンといってもいいんだけれど、それで『散財しちゃった』とかビクビクして『身の程に合わない』とか。それをまたバネに頑張ればいいのであって」国「もう買ったということですよね。ちょっと聞きたいんですけど買ったことにビクビクしたんですか。『大丈夫かな?こんなに買って・・・』」中「こんなに買ってというか・・・何だろうな・・・」美「『こんなに贅沢して、あとでぶり返しが、マイナスの分が来るんじゃないか』『分に過ぎたんじゃないだろうか』とか、とにかくグジグジ残っていたのね☆」中「グジグジ、そうです、残っていました☆」***太一くんの所属する事務所の後輩でもある堂本光一さん。「オーラの泉・堂本光一さん」堂本さんはご自身でオーディオ機器を扱うのがとてもお好きなようです。江「結構電機もので、配線とかがパーッと見えるのでそれだけは本当に気をつけられた方が・・・」美「家宅侵入してますからね☆」光「もう配線とか、大好き!なんですよ☆配線が好きというよりも電気屋さんに頼まなくても自分でやっちゃうんですよね。確かに江原さんのおっしゃるように、もう・・・いろんなのがありますね☆」***2003年に代理出産で二人のお子さんを授かった向井亜紀さん。お子さんとの関係が「親子ではない」という裁判での判決が出る直前のご出演でした。「オーラの泉・向井亜紀さん」向井さんは江原さんとご縁があり、子宮がんのために、宿していた命を失ってしまった頃にもお会いになっているそう。向「赤ちゃんの命を自分が病気になったせいで摘み取ったということが本当に辛かったので、どうにか違う方法で赤ちゃんを自分の家族に引き入れる、家族を増やすという夢があったんですけどそのときにいろんな相談をしたんですよね。それこそ賛否両論のある代理出産という方法を取る、または養子を迎えるという方法もある。いろんなお話をして、いろんな可能性がある…」代理出産を選択されたものの、辛いことも多かったようです。向「もう代理出産の方はあきらめよう、二度チャレンジしたんですけどやはり結果が出なかったので、でもチャレンジしたことに意味があるからもうあきらめようと思っていたときに、江原さんとポンっと連絡がついてお会いして」江「本当にそういったときに縁があるんですよね、必然だなあって」美「お役目なのね」向「『亜紀さん、あきらめないで。不妊治療は本当に辛いから、続けることも辛いあきらめることも辛い、どちらも辛い。だけど、あきらめないで。ここにいるから。二人の間に降りてこようとしている魂がいるから、あきらめないで』『辛いとわかっているけど、やってみて』と言われて。だから今、うちは四人家族。例えば、反対意見というのがもちろんあって、それこそ私が全部受け止めたいんですけどそういうものが子供にも降りかかってゆくというのが、本当に恐いですね」江「『子供さんが大丈夫だろうか?』という気持ちはすごくよくわかるけれども親御さんが一生懸命愛情をかければ、それが一番大丈夫なんじゃないですか?」向「そうですね。自分なりに勉強しようと思っていろんな人に話を聞きに行ったら、偉い弁護士の先生に『あなた達のお子さんは、必ず差別を受けますよ。だから代理出産は駄目なんです。子の福祉にかなっていないんです』と言われて、本当に落ち込みましたけれども『人を生まれ方や家族構成で差別するのは良くないと思いませんか?』と言ったら『あなたは本当に、理想論を言ってもしょうがないんですよ』」江「それが良いと言っているわけではないんですが、人間というのは逆風が吹くと絆が強くなるんです。だから得るものはあるんですよ。世間でも問題のあるお家って、すごく結束が固いですよ。だからちゃんと家族というものの学びをこれからも深めていかなくてはいけないしだから子供をちゃんと育てていかなくてはいけないんじゃないですか」向「不安です、という前に…」江「そうそう」向井さんのお子さんは、この学びを選んでやってきたのだそう。また、双子を授かったのも、以前子宮ガンのときに亡くされたお子さまがいるから。江「一人が二人になったんだから、負けちゃだめなんですよ。自分の産んであげられなかった子がこうやって帰ってきたでしょう?あなたが『もう一回帰って来て』と言ったでしょう?だから失った子が帰ってきたでしょう?こんなに幸せなことはないでしょう?申し訳ないと思うくらい…」向「もう一度会いたかった。でも、会っていた、私…」江「世の中でも苦しんでいる女性がいっぱいいるでしょう?そういう人たちに、いろんな意味での導きだったり、励ましだったり、そうしなくちゃ駄目ですよ。役割なんだから」向「はい…」国「勉強になりましたね。僕は今、自分のために生きていることに必死で人のことを見れてなかったのかなとすごく思いましたね。あと、早く親に…」美「…孝行してね」国「あと、自分も早く親になりたいです…」いつもよりも言葉少なだった太一くん、ついに泣いてしまわれたのでした☆***VTRをご覧になるのはお三方に加え、勝俣州和さん、相田翔子さん、眞鍋かをりさんです。国「自分のを観て、また感動しているんですけれども☆どうですか、相当、強いお母さんであり、すごい話だなと思ったんですけれども」美「今の江原さんを見ていると、本当に大仏様みたいね☆それとね、母というものは、世間全部、100万の敵が来ても、我が子を守ってみせる。『世の中、全部的にまわしても、私はこの子の味方』それが母親なのよ」国「僕も素直に、早く自分の子供を持ちたいと思いましたし…」江「大切なのは、絆だと思うんですよ。例えば代理出産とかいう難しい問題ではなくてもご養子をとられているという方もいらっしゃるわけでそうすると育ての親という風になるわけですよね。それで悩む人もいっぱいいるんですよね、親御さんで。『大切なのは絆、紙じゃない、血じゃない、絆なんだ』眞「親になることってすごく興味があるじゃないですか。でも、あまりにも未知の世界過ぎて、現実的に考えられなかったりしません?何だか人が変わったようになっちゃうから…」勝「子供が育ててくれますよね」江「そうそう。最初から、オギャーと生まれて誰でもお父さん、お母さんになるわけじゃないですから。本当に、今、勝俣さんがおっしゃった通り」勝「結婚して二人でいるときは、嫁のことが大好きだと思えたんだけれども子供が生まれたら、もっと好きになるからね。江原さんのおっしゃっていたように絆が。『この二人のためだったら、命を張ってでも』って、男も思いだすという…。結婚と子供は、やはり全然、違いますね、またレベルが…」お話は尽きないようでした☆読んでいただいてありがとうございました。26日ご出演の義家弘介さんのお話は、明日からアップする予定です。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 27, 2008
今夜26日は「ヤンキー母校に帰る」の義家弘介さんがゲストですね☆ ***映画から舞台まで活躍の場を広げる中井貴一さん。「オーラの泉・中井貴一さん」戦後を代表する二枚目俳優だったお父さまの佐田啓二さんは、中井さんを俳優としても惚れ惚れと、親でありながら、尊敬の眼(まなこ)でみておられるそう。美「映画界のニーズというのがあって、戦後は企画もなにもなかった。お父さまができなかったことをすべてやっていて、よかったねって。」江「お父さまが親子だなっておっしゃるのは、中井さんは物を書こうとするでしょう?脚本をもらっても書き加えたくなってくる。『自分だったら編』を作ったり、自分で脚本を作りたいという願望も。」中「完全に見られていましたね、僕の人生を☆」十数年前にも中井さんにお会いしたことがあるという江原さんによるとそのとき見えなかった「シェイクスピア時代の役者さん」も後ろにいらっしゃるそう。江「あの…舞台というものに興味は湧いていますか?」中「ものすごく好きです」江「今まで、どちらかと言うとTV、映画、そちらが中心ですよね。この方はね、新たに、今まであまり役目がなかったので、控えていらっしゃったのが出てこられたんだと思うんですよ。この方の言っていることを合わせるとこれから中井さん、舞台を相当なさるかもしれませんね」美「いえ、ずっとなさりたかったのよ。でもそのオファーも来ないしこれといった演出家だとか、舞台とか、そんなに触手が動くものもおありにならなかったでしょう?でも最近、とみにそういうものが不思議に湧いてきたのがおありになるでしょう?」中「そうですね」2005年のご出演の後、舞台への出演や「鳳凰、わが愛」映画のプロディースなど俳優以外のお仕事も増えているようです。***WBC世界フライ級チャンピオンの防衛戦を制した内藤大助さん。ボクシングを始められたきっかけは、学校でいじめを受けていたことだったそうです。「オーラの泉・内藤大助さん」国「具体的にはどんないじめを受けていたんですか?」内「学校、クラスにはそれぞれ、リーダー的存在、グループってあると思うんですけれどもその中の一人に嫌われて、その彼が先頭を切ってからかい始め・・・僕からしたら、すごく辛かったですね」美「具体的にはどういういじめなんですか?」内「シカト、無視ですね。あとヒソヒソ・・・。例えば給食のおかわりに行くと『貧乏くせえな』とか。本当にボロい家に住んでいたときがありまして・・・『ボンビー』ってあだ名を付けられたりとかね。『お前、ボンビーボンビー・・・』休み時間になると、階段の踊り場に連れて行かれて、ボンボン蹴られて・・・本当にいじめられていましたからね・・・」国「いじめられていることはお母さんも知っていたんですか?」内「知らなかったですね。僕も相談できないですし。相談したって、まともに聞いてくれないと思うし☆・・・言い難い人だし・・・怖いから」ご両親は内藤さんが幼い頃に離婚、お母様は女手ひとつで民宿を切り盛りしお子さん二人を育てられたそう。国「『自分は強くならなきゃいけない』とか『見返してやるぞ』みたいな気持ちになったんですか?」内「ありましたね。もともと家が北海道なんですけど、内地に来たときにボクシングジムが近くにあるのを知って『あ、もしかしたらボクシングを始めたら、いじめられなくなるんじゃないか』卒業しても、田舎に帰って昔の同級生に会ったら『おーいちょっと来い!』絶対にやられてましたから、想像がついたので、それがすごく嫌だったんです、怖かったんです。それで、ボクシングジムがあるって知ったときに『ぜひやってみたい!強くなりたい!』という感じでしたね」江「いじめにあったということ自体、お母さんが知らなかったということはないですね。薄々、気がついていましたね。なぜかと言うと、ヨロヨロと帰って来たりするし帰ってきてもシュンとして。背中を見つめて『何かあったな・・・』ということとかはもちろんわかっていますよ。言わなかったというのは『言ったらまた叱られる』ということではなくて言うことによって、内藤さんご自身が自覚するのも嫌だったんですよね。『本当に自分はいじめにあっているんだ』ということを、また自分で理解してしまうのが嫌。だから、お家に帰るにもわざと遠回りして帰ってみたり。一生懸命、気持ちを入れ替えてお家に帰っていたりする様子が見えるんですよ、当時のね」内「すごいね・・・☆」江「何もない道草というかね・・・」美「『すごいね・・・』だって☆」苦労の末に世界チャンピオンになった内藤さんは日本中が注目した亀田選手との初防衛戦を迎えられます。国「僕も同じ年で、18歳の同じ事務所の後輩に『ゴキブリ』って言われたらまず切れますもん、俺☆。絶対にキレてると思うんですよね。それで試合の中でも、ちょっとこう・・・汚くなったりとかいうのがありましたけれども後半になってゆくにつれて。自分を抑えるのは結構大変じゃなかったですか?」内「そうですね・・・あの・・・本当に・・・途中で『あ、もう駄目だ、もう駄目だ』と切れたときがあって、ラウンドが終わってインターバルでセコンド(選手の介抱や作戦指示に当たる介添え人)のところに帰ったときに『もう・・・我慢できねえ』セコンドがやっぱり冷静で『いいか。お前、冷静になれ。お前がやり返したら、向こうと同じになっちゃうんだよ』その言葉が響きましたよ。『同じことをすれば、同じになっちゃうよ。同じ目で見られるよ』それで目が覚めましてね。『お前はチャンピオンのボクシングをするんだ』ってセコンドが言ってくれて」美「素晴らしい。それでやっぱり、チャンピオンらしくおやりになって、正解でしたね」内「セコンドのおかげです。例えばセコンドが『反則されているんだから、お前もやり返してこい!』と言っていたら本当にやり返していたと思うし、じゃあ試合になっていなかったですしね、僕も非難を浴びていたと思いますしね。本当、いいアドバイスをしてくれたと思います」内藤さんは世界チャンピオンのタイトルを獲る試合の前に足に怪我をされていたそうですが、驚異的に回復なさったそう。これは生まれるはずだったご兄弟の守りが影響しているようです。江「そのことを忘れないでいてあげて。奥さんとかの励ましもあるんだけれどもそれだけじゃなくて、亡くなったご兄弟が陰ながら、一生懸命応援していて『自分の分も、頑張って生きてくれ』というのもある。そのご兄弟がどうして、足を助けてくれるかというと、お母さんがいつも『頼むよ』という願いがあるから」内「お礼は何て言えばいいんですか?」江「そのことを理解して、『その分、頑張る』って誓うのが一番の・・・」内「そうします」江「そうすれば、いつも美輪さんが言われるように『ようやく日の目が当たった』『自分が一生懸命やったことを理解してくれた』と喜んでくれる」美「声に出してもよろしいですからね、一人でいらっしゃるときでも奥さんと一緒にいらっしゃるときでもね、生きてる人に話すようにして『いつもどうもありがとうね。心配かけてすみません。おかげさまでね、どうもありがとう』とおっしゃっていれば、それでよろしいの。特別に何かなさる必要はないの」2007年7月、3度目の挑戦で世界チャンピオンになったときに会場で応援されていたお母様のお話「世界を獲った、獲ったっていうけど、大助の努力が第一番、だけど後援会の応援してくれる人たち、みんな自分のことのように手に汗を握ってハラハラ冷や冷やしながら応援してるわけよね。みんなの力で、やっぱり世界を獲れてると思うんだわ」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 26, 2008
人生の転機を迎えられたゲストの方々に伝えられたメッセージ。***お笑いの芸人さんから、ベストセラー作家になった島田洋七さん。「オーラの泉・島田洋七さん」島「熱が出て『ばあちゃん、38度5分もある』と言ったら『大丈夫や。お前だったら40度は出せる!』そのときはボーっとしてよくわからなくて『まだ上があるのかな…』☆」国「すごいおばあちゃんですね☆普通は心配しますものね」島「心配しますよ!☆『ごはんは?』と言ったら『そんな暇はないから、寝ろ』とか☆『食う暇ないから、寝ろ』とか、もう最高や☆だから、ご飯に触れないんですよ。『ご飯ある?』『ない』と言ったら、辛いんですよね。学校から帰ってきて、ごはんがないときは『風呂に入って寝ろ』とか『そんな暇はないから、早く寝なさい』とかね。すり替えて言うだけの話でね…」美「頭のいい方だったのね」島「回転は良かったと思います」いつも明るいお祖母さまが、たった一度だけ泣いたのは、運動会のお弁当のこと。当時は家族総出で子供の応援にやってくる賑やかな運動会。お母さまもお祖母さまもお仕事が忙しく、ひとりぽつんと教室でお弁当を開こうとしていたアキヒロくんのところに、担任の先生がやってきます。島「『お腹が痛いからお弁当を取り替えて』と言ってくれて。『いいですよ。どうして?』『お弁当は梅干としょうがしか入っていないでしょう?』『どうして知ってるんですか?』『学校中の噂や。お腹が痛いときは梅干としょうがが体にいいから替えてくれ』と言われて。取り替えたお弁当を開けたら、すごいおかずが入っているんですよ。海老天とか、ソーセージの開いたのとか☆もう初めて食べて、美味くて。3年生になったら女の先生で、もう来ないかなと思ったら、また教室の戸をガラガラと開けて『先生ね、お腹が痛いからお弁当を替えてくれる?』それを6年生のときに、初めてばあちゃんに話して。ばあちゃんが『小学校は楽しかったかい?』と聞いたので『ただ年に一回、不思議なことがある。運動会になると必ず、担任の先生がお腹が痛くなる』そう言ったときには、ばあちゃんがぽろぽろ涙をこぼして泣いてましたね。そのときに初めて『人に優しくするときは、人に気づかれないようにしてあげなさい。気を使うからね』『俺のためと言えば、ばあちゃんも気を使うから。優しい先生やなあ』言葉だけは覚えている、小学生だから意味はわからなくて」美「粋ですよね、先生方は…」島「いま考えると、びっくりしましたね」美「それがやはり教育ですよね。『人はかくあるべきだ』ということを身をもってさりげなく教えているわけでしょう?愛情をもってね。それがやはり尊敬されることですよね」不遇な時代を乗り越えられたのも、奥さまの支えが大きいようです。島「元々、大阪の4畳半から出発してますから。何か言う度に『お父さん、何をやってもいいから、4畳半より狭くはしないで』と」国「でも、一度贅沢をしてしまったら、なかなか下に下がるということができなくなると僕は思ってしまうんですけれども」江「そういう奥さんじゃないんです。そこをお祖母ちゃんが見抜いていらっしゃる。『この人なら大丈夫』ということだけを見抜いて『東に行け』お祖母ちゃん自身はそこで『自分はもう必要ない、大丈夫だ』という気持ちが強かったみたいですよ」美「バトンタッチね」島「駆け落ちするときに、初めて会った嫁さんにばあちゃんが『よろしくお願いします』って、頭下げたときが一番辛かったですね。千円札を米粒で貼り付けてね『何かのときに使いなさい』玄関のところで『アキヒロをよろしくお願いします』そのときは『ばあちゃんにいらんこと言わしたな…』って」江「このお嫁さんといられて、助けられているのもお祖母ちゃんのおかげですよね。『とにもかくにも、お嫁さんを大事に』でもそれはなさっていらっしゃるから今さら言うべきことではないかもしれませんが、一応お伝えしておきます。それから、佐賀に行かれたことを心から喜んでいますよ」ひとつ気にかかるのが、すでに亡くなっておられるお母さまのお心が晴れていないこと。江「それでね…そんなことないと思うんですけどね…お母さんにわだかまりがありますか?」島「全然ないですね。ただ、まだ1回も、ちゃんと墓の前で、拝んでいないんですよ」美「何故?」島「認めなくてはいけないというかね…」江「亡くなったことをね」島「嫁さんはちゃんと行きよるけれど、俺は5、6メートル手前で『母ちゃん、ごめん』とかね。家にも仏壇はあるんですけど座って拝んだことはなくて、立ったまま『かあちゃん、行ってくる』」江「それがね、お母さんの方は自分を受け入れてもらっていないと思っているんですよ。『私は許されていない』というような思いがあって」美「原罪意識があるのね。あなたを汽車の中にポーンと入れてそれが物凄いショックになってあなたの中に残っていて、お母さまの中にも残っていて。あなたがお母さまを恋しくて、恋しくて、いつも泣いて恋しがっていたのと同じようにお母さまも全く同じだったのね。身を切られるように、働いていても、寝ていても何をしていても、島田さんのことが頭から離れたことが一度もないのね。それをお母さまの方からは言えないわけですよ」江「今日、番組にいらしたのは、お母さんと島田さんとの関係をもう一歩修復して自立させる。お互いを、親離れ、子離れさせるというお祖母ちゃんの思いがあって。美輪さんがおっしゃったように、島田さんと同じようにお母さんもずっと一緒にいたかったんだなって」現在の島田さんのお話「でもよかったです。ちゃんとお墓に行ったり、かあちゃんのことをもっとね。ばあちゃんに育てられて『ばあちゃん、ばあちゃん』じゃなくてかあちゃんのこともしっかりね、と言われたから、兄貴と相談して『じゃあ、来年の法事、十三回忌を前倒して』11月にやったんですよ。何か嬉しかったね、すごく…。来年の本当の十三回忌になったときは、ちゃんとお寺でね拝もうかなと思っているんですけどね」***元内閣総理大臣を父に持つ小泉孝太郎さん。「オーラの泉・小泉孝太郎さん」国「お祖母ちゃんとかお祖父ちゃんに育てられたことになるんですか」小「お祖母ちゃんと父親の姉ですね」美「お祖父さんは?」小「僕のお祖父ちゃん(小泉純也氏 衆議院議員 防衛庁長官などを歴任)はもう生まれる何十年か前に亡くなってるので…」美「でも、その思いはすごいわよね。ずーっと。一番、強い」江「今もなお。ちょっと過干渉かな?と思うくらい…ですよね」美「語弊があったらごめんなさい。お祖父さんはね、あなたを本当は役者さんよりも政治家にしたかったのよ。政治家にしたくてしたくて・・・」江「まだわからないですよ、若いんだから将来は」国「今もその方向へ、お祖父ちゃんは進めようとしているんですか」美「とにかく、自分の思いが達せられなかったから、何としてでも自分の思い『こうやりたかった、ああやりたかった』エネルギーの塊りが、すごい勢いで残っているのよ☆」小「それは何故父親に行かなかったんですかね?何故僕なんですか」美「お父さんにももちろん同じエネルギーが行ったのよ。行ったから総理にまでなっちゃったんじゃないですか。あれはお父さんの力だけじゃないですよ。お祖父さんのエネルギーが物凄かったのよね」江「TVをご覧になっている方は、孝太郎さんは芸能活動をなさっていて『この道だ』と思い込んでいらっしゃるように見えるんですね。『お父さんの跡は継がないんだな、じゃあ別のご兄弟を』と思ったりするんだろうけれど迂回、迂回、迂回中☆」美「遠回り。急がば回れなのよね」小「そういう風に、江原さん、美輪さんには僕が見えてるってことですか」江「はい」美「いえ、だってお祖父さんがそう思っていらっしゃるから」小「これは僕が30,40,50歳になっても、ずっと思い続けてるってことなんですかね?」江「はい」国「じゃあ、なりたいですか?」小「いや全然!政治の匂いがするところとは、かけ離れて生きてゆきたいです」国「どうしましょう?でも今、このままいってしまったらその方向へ行ってしまうわけですよね」江「いいじゃないですか、自然に任せれば☆何も今から決める必要はない」小「自分では絶対に無いと思っていますしね」美「これからそうすると、何をしたらいいかということですよ。役者としての本格的なものが必要なの。それをやっておくと、後で政治家になろうと政財官界のどこに行こうと、役に立つんですよ。人生というのはいろんなことがあるし進化していって精神的にもいろんなことが見えてくると芸能人として人々を癒しなぐさめ励ましていてもそれではまだるっこしいと。じゃあ実利的に、実際的に人を助けるにはどうしたらいいか。そうしたら事務処理、国民の事務処理をするには官僚を動かす政治家しかない。そうすると人々のためになるでしょう?この人を救わなくてはいけない、じゃあこういう風な救い方がある人助けには変わりないわけだから。そういうのはお好きでしょう?」小「はい、美輪さんがおっしゃる意味は、すごく自分でわかります」現在の孝太郎さんのお話「あの放送を父親も観ていて。僕は実際にお祖父ちゃんと会ったことはないんですよ、僕が生まれる前に死んじゃったので。ただ、美輪さん、江原さんがひと言で僕のお祖父ちゃんの性格を『過干渉』って言われたんですね。『ずいぶん過干渉なお祖父さんですね』それは僕の親父、すごく驚いていましたね。『ひと言で言うなら、本当に過干渉だ』と言っていましたね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 25, 2008
19年後に届いた手紙のもたらす出会いについて。「この手紙を見つけた人へ 僕に返事を書いてくださいね」1984年に家族でフロリダに遊びに来ていたロジャー・クレイという少年がビンに入れて海に流した手紙が、19年後に拾われ、無事に母親のもとに届けられたそう。フロリダの自宅裏の運河で手紙を拾った男性はロジャー君と同じくオハイオ州の出身、手紙に書かれていた住所から電話番号を検索して連絡を取ると、母親はちょうどフロリダに来ていて、しかもその日は交通事故で亡くなっていたロジャー君の命日。さらに手紙を届けた男性のお孫さんも交通事故で亡くなっていたため、残された双方の家族はこの出逢いに深い縁を感じているようです。***お三方の他に、研ナオコさん、梅沢富美男さん、酒井美紀さんがご一緒です。酒「素敵な話ですよね。でもこういうことってあるな、と思います、何だか普通に。きっとあるんだろうなって感じがしますね」国「命日に届いたというのも必然じゃないかと…」酒「何かメッセージがあるのかなとか、やっぱり、偶然ではなく必然っていう感じはしますよね」国「よくこの番組で、命日に自分をアピールすることもあるっていうようなお話がありましたけれども、まさにロジャー君は『僕がいるよ』っていうことを…」江「それとやはり、あの世って全部繋がっていますから。拾って下さったこの方の孫娘さんも亡くなっているわけでしょう?やはり同時にメッセージを伝えているんだと思うんですよ。要するに『希望』。『まだ生きているよ』という希望」研「じゃあ、ロジャー君の思いっていうのは、19年かかったけど、本当にお母さんのところに届いたんだなと思って。何かその思いがね…」江「でも、日常の中でも、命日にそういうことが起きるという人、結構いますよ。例えば、ここまで大きな話じゃなくても、命日を忘れていて、道を歩いていたら亡くなった方とお友達だった方にばったり会って『何年ぶり☆そういえば…あ、今日、命日だった』とか」国「何かナオコさんもそういうような命日の不思議な体験というのは…」研「私よりすごいのは主人。あの…夢に出てくるの、命日の前日」国「その方がってことですか、亡くなった方が」研「何人か。それで起きて『あ、そうだ。命日だ。夢に出てきたんだよ』」美「何で命日なのかしらね。私、『エディット・ピアフ物語』を演ったじゃない?舞台をやっていて、七転八倒したのよ。打ち上げもとても行けない、病院を予約して『えらいことだ、どうしよう』と言っていたら、表で役者さんが『あ、今日はピアフの命日だったんですよね』。しまった、『ピアフの命日がこの日にあるから、みんなで黙祷しましょうね。それから芝居をやりましょう』言っていたのを、忘れていたのよ。しまったと思って、楽屋に行って、お詫びして、お祈りしたら、スーッと取れちゃったのよ」梅「僕も去年、大阪の劇場で連日やっていて、お袋の命日を全然忘れていたんですが、朝、突然ものすごい雨が降って。お袋の死んだときもすごい大雨だったらしいんですけど。雨がザーッと降って『劇場にどうやって行ったらいいんだろう。あ、今日、お袋の命日だ』って」国「知らせているというか『忘れないで』ということですよね」梅「だから『ごめんなさい』って手を合わせましたけれども。本当に、そういうことは駄目な男ですからね☆」国「今の話を聞いていると、そんな感じが伝わります☆」研「結構、駄目なことが多いですね☆」梅「多いです☆ここに来るまで、駄目なことが多かったです。手なんか合わせたことがなかった、一度も合わせたことがなくて『何をやっているんだろう、こいつら』っていつも思っていましたもん。だっていいことがなかったから、ひとつも。これを話していると長くなるんでね…☆それでここへ来て、いろんな話を聞いたときに、少しずつ、考え直しをしましたね…」研「よかった…」美「とにかくお母さんが、一番心配して、心残っていたのが、そのことだったのよ」亡き人の結ぶ縁や思いの強さは、どの国も変わらないようです。「オーラの泉・研ナオコさん」「オーラの泉・酒井美紀さん」「オーラの泉・梅沢富美男さん」***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 23, 2008
藤原紀香さんとご結婚されたことには、さまざまな要素が重なり合っているようです。江「それとあともう一つ。これぐらいの人じゃないと、奥さんになれない、というか陣内さん、結婚できない。さっき言ったように、わがまま。ごめんなさいね☆頑固、本当に亭主関白なの。だからこれぐらいの羨望の的というかそういう奥さんでなかったら、押さえられない。『自分にとっての宝物を得た』って思わないと、ものすごく女性に対してひどいことをする☆もうね、自分が一切好意がなくなったときにはね、ゴミ同然☆」陣「そんな☆ゴミ同然じゃないですよ!」江「だってプレイボーイですよ、もてましたよー☆」陣「いや、あの…気持ちがなくなったら、もう、すぐ、確かに…ゴミ同然じゃないですよ!」江「ごめんなさいね、言い過ぎましたね。透明人間です☆」美「何の取り付く島もなくなるの、この方には。まったくスーッと冷たくなる」江「透明人間に、無関心になっちゃう。だから『冷たーい』とか言われてね、みんな泣く。ね?」陣「うーん、本当ですね」国「じゃあ紀香さんというのは、本当にベストな奥さんという…」江「だから家宝みたいな、宝物みたいな人を持たないと、大事にしない」陣「いや…気持ちがなくなった時の…自分の中でも思いますね。『こんなに冷たくなるんか』っていうのはわかりますね。『これを言ったら傷つく』『これが一番効く』とわかった上で、言ってしまうんですよね。『100か0か』みたいな感じにしてしまう」美「だから知能犯なのよ。どちらかというと、別れ上手ということなの。蛇の生殺しみたいね、じわじわと別れてゆくというのではないのよ。この人はとどめの一刺しでガッとやっちゃうの☆」国「あの…出てくるキーワードを聞くだけだと、友達になれないですね☆」陣「最低の男ですね☆」江「相手も諦めざるを得ないじゃないですか。逆に言うと、奥さまほどね惚れ込んで、のめり込んで付き合った人っていないんじゃないですか?」陣「あ、それはそうですね。あの…彼女の言うことなら聞けるというか。やはりどこかで、尊敬はしてると思うんですよね。でもプライドも僕、すごく高いんですよ。何か変なところで『こんなプライド、なかったらいいのにな』と思うんですけど」美「いえ、小さい頃からそうじゃありませんか。ねえ☆」江「いやもう、前世から」美「そうそう☆」江「もうさっき、美輪さんも言っていておかしかったんだけどスピリチュアルチェックでポイントが出ていて、観覧車。前世では本当に観覧車から落ちて亡くなっているんですよ」国「印象に残っている夢で出てきましたね」陣「観覧車から落ちて亡くなったんですか?えー!何してたんですか、僕、そんなところで…」江「もう青年期になってからですけどね。あのね、イギリス、英国で、古い時代ですけど観覧車と言っても移動の遊園地みたいな、テント張ってサーカスやったりするのと同じような、向こうは楽しむときってあるじゃないですか。そういうところに行っていて。もともとはお父様が実業家をなさっていたお家の息子、ぼんぼんだったんです。さっき美輪さんがおっしゃったように、とにかく文学少年、綺麗なものとか芸術とかが好きで、現実的に働くという意識がまったくなかった人」陣「はあ…で、観覧車から落ちたんですか?」国「事故ですか?」江「デート中に。だから、きっと当時、相当、昔だと思うけれども大事件、大事故だったと思いますよ」国「ガラスとかがあるような観覧車じゃないんですか?」美「ゴンドラみたいになっている…」江「だから多分、他の方も亡くなっていらっしゃいます」国「単独事故じゃないんですね。彼女の前で調子に乗ってワーッと…」江「違う、そんな陽気な人じゃないです。陣内さんも、これはお仕事であってそうでなければむしろ寡黙で、あの…割りと常に英国紳士がお茶でも飲んでいるかのような雰囲気の人ですね」国「今もですか?」美「そっちの方が好きなんですものね」陣「そうですね。家でもしゃべらなかったですね、子供のときは。外に出たらしゃべるんですよ。本当に外で、外で…みたいな」江「芸人っていうイメージじゃないでしょうと言ったのは、その欧州でもそうだしお家にいても几帳面なはず。ホテルでもそうだし、どこに泊まっていても。よく、部屋に入ったら『どうでも!』ってなれるわけでしょう?それが窮屈ではなく、きちんと椅子に座ることでもそうだし帰って小休止、お茶を飲もうでもそうだし、すべてにこだわりや美を求める」陣「そんなことを意識しなかったですけどね。誰が見てなくても、服は着てますね。パジャマでも綺麗なものでないと嫌とか…」江「だってきちんとたたんだりするじゃないですか」陣「次の日の用意をしていないと嫌だったり…」美「神経質なのね」江「かばんの中もきちんとしているし、綺麗に整頓されているし、無駄なガサガサが嫌だし」美「ちょっとでも無駄なものは、どんどん捨てるしね」陣「捨てますね、そうですね。いらなくなったらすぐに、無駄なものは」国「今日は何故来られているんですか?」江「特別に問題はないんですけれども、もしアドバイスをさせていただくならば『優しさを常に持続してゆくこと』」陣「優しさ。どういうのが優しさなんですかね?わからなくなるときがあるんです。『優しさって何だろう?』」江「ご夫婦に関しては、このまま頑張って活躍なさってればいいだけじゃないですか。イギリスよりも前の前世のことを見れば『あ、この夫婦、こういう風になるんだな』というのがわかるんです。国はちょっと違うんですけどトゥーランドットそのものなんですよね。要するに、普通に手の届くこととか人、物に至るまで嫌なんですよ。常にチャレンジャー。でないと大事にしない、常に尊敬というものであれば、大丈夫なんですよ。だけど当たり前のことですが、人というのはみんな強いばかりじゃない。弱い面もあったりとか、波もある。だからどんなときにもお互いに助け合うということさえ忘れないでゆけば、いいんじゃないでしょうか」トゥーランドット…プッチーニのオペラ。求婚する男性に3つの謎を出し答えられないと首をはねるという美女・トゥーランドットと彼女を愛に目覚めさせる勇敢な若者・カラフの物語。美「トゥーランドットではないけれど、陣内さんが彼女にとって素敵だと思ったのは今までの男の人は周りの圧力があったりとか、仕事上でいろんなことがあったりとか結局そっちの方を取って弱かったのよ。でも、吉本を敵に回したって、何をしたって、あなたは欲しいものは欲しいっていう風にね自分の思い、恋心、そっちの方を貫いてゆく…そういう人は初めてだったのよ」江「強い男の人なんです、強い男性。私は今日、初めてお目にかかって今まで思っていたイメージとまったく違う。だってオーラの色も赤(情熱)がすごく強いし、ブルー(冷静さ)もすごく強い。ということは、すごく冷静沈着。だからこの方は、枠組みは関係ないんだけれど『芸人さんじゃないな…』」美「世間やマスメディアの評価は、全く真逆なのよ」陣「そのね、世間の皆さんは格差でね、彼女の方が…実際、家に帰ればそうではないんですけれども。やはり2008年は仕事を。僕の中でも、男としてというか、お仕事をもっとこう…また変なプライドがあって…」美「江原さんがおっしゃるように、前世から、生まれもっての資質なんですよ」陣「そう。それでね、何をやっても満足できないというか。正直『奥さんをもらって、すごいな』と言われて嬉しい、もちろん幸せなんですけれどもかと言って…」美「それはそうよね。それは愛情問題のお話で、愛情問題ばかりで生きているわけじゃないですからね」江「前世は早死にしているんです。だから今、欲しいとしたら、時間だけでしょうね。長生きして、なるべく自分がやりたいことをやれるまでは、生きていたい。だいたいやり尽くしたら死んでもいい、というようなね」陣「そうですね。今だ本当に、満足度というのが、日々ないというか…」江「けれど貪欲でしょう?『これもやりたい』…」陣「『もっとこうしたい』『もっとああしたい』という」美「それと、それは仕事だけじゃないでしょう?奥さんを最高に愛情をフル回転して愛しているんだけど、一人でも平気なの。一人が大好きなの」江「そういう意味では、うまい組み合わせなんですよ。お仕事で忙しいでしょう?」陣「そうなんですよ。大阪にも住んでいますし、週のうちに3、4日は一緒なんですけど3日は1人の時間があるし、すごくいいバランスはそうなんですけど」国「そのバランスがなくなっちゃったら、どうなるんですか?」美「朝から晩までべったりということは、絶対にこの人にとって地獄なのよ、誰といても。どんなに愛し合っていても」陣「そう、本当にそうなんですよね。ずーっと一緒にいたら、難しいでしょうね」美「だから前の女の人は、ずーっと一緒にいたから、すぐにね、飽きちゃったのね☆」陣「何でなんですかね?☆」江「『あなたのためにすべてを捧げます』みたいになったら、サッと終わりますからね☆それまでは『好きだよ』とかちょっかいを出すのに『もう私、あなたがすべて』と言った途端に、バンってドアを閉めますから☆」美「本当にヘビーになるのよ、うざったくなるの」江「完全に手に入るのは嫌なんです。人でも物でも全部そう。簡単にポンッと入るものは、仕事でもそう。チャレンジしがいのあるものでないと」国「それは直した方がいいことなんですか?」美「直らないわよ」江「直らない。この番組の良さというのは、自分の要素をそうだなと思ったら受け入れてゆくことなんですよ。そうすれば、自分の上手い調理法ができるじゃないですか。今まで受け入れられていないから、あれだけ胃が痛んだんですよ。すごく神経質」陣「それは本当にあります。今もありましたね」江「全てではないんだけど、ちゃんと自分自身を受け入れられないと『消化できない』ということが起こるんですよ。迷信みたいだけど、消化不良それは食べ物じゃなくて、そこにあるメッセージは『自分の質をよく理解しなさい』ということ」陣「なるほど…あの、子供の方はどうですかね?」江「いや、欲しければ。だってまだ『欲しい』と『ちょっといらない』がグラグラしてるんだもん☆」陣「いいタイミングがあるのかなとか思ったんですけどね☆本当に江原さんの言う通りなんですよね」江「何を言ってるんですか。お二人とも、計画に継ぐ計画の人たちでしょう?欲しいと思ったときですよ」陣「何か奥さんがね、一つ引っかかっているのは、海外でスピリチュアルな方との取材の時に『あなたは本当に素晴らしい人生だ。ただ一つ、子供に苦労する』と言われたらしいんですよね。それがすごく引っかかっているんですよね。『そんなの大丈夫だよ』と言ってるんですけど、やっぱりねその一言が奥さんも気になっているみたいで…」美「何言ってんだい☆子供で苦労しない親なんて、いやしませんよ」江「そんなの霊視で見なくたって当たり前で、この二人の子供だもん苦労するに決まってるじゃないですか☆」美「子供で苦労しない親はいないんです」江「最初から注目されちゃうんですよ」国「そうですね…紀香さん似だったらいいですね…☆」江「こういう評価もあるしね☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 英国紳士の気質を受け継ぎ、プライド高く強い方。人には弱い面もあることを忘れず、どんな時も夫婦で助け合って下さい。読んでいただいてありがとうございました。「オーラな出来事」など、新春SPの続きはまた。次回の放送は1月26日(土)、夜7時57分から。ゲストは義家弘介さんです。
January 16, 2008
「日本の歴史を変えてしまった☆」とお仲間に言われるほど藤原紀香さんとのご結婚は大きな話題になりました。国「ドラマで出逢って、共演する間にちょっとずつ好きになっていったんですか?」陣「いや、それはなかったです。本当に、そんなことを…まず結婚なんてもちろん考えていないし、恋愛になるなんて思っていないし、あの…僕は本当に普通のお仕事として、淡々とやったんです。『何か彼女がしゃべりかけてくれるなあ』『すごく気を使ってくれているなあ』というところから。勝手なイメージで女優といえばツンケンしているのかなあと思ったらそうじゃなかったので『ああ、ええ人やなあ』っていうくらいですね」国「その感謝を込めて、クランクアップのときに手紙を書いたんですか?」陣「そうなんですよ。だから好きとかは関係なしに『本当にありがとうございました。ドラマで楽しかったです』と。多分、二度と会えないであろうと思ったんです。『これで会えないのは寂しいな』と思いつつも『良かったら連絡ください』というのを書いて、渡したんですよ」国「結局、電話はあったんですか?」陣「一週間後ですね、メールが来たんです。『お疲れさまでした』というような話になって『今、ドラマ終わりました。本当に楽しかったです。またお仕事ご一緒できたらいいですね』っていうようなメールが来たんです」国「『お食事しましょう』とか、そういうことではなくて…」陣「…じゃない。僕もすぐに返信をして。でも返す言葉がないので『お仕事一緒にしたいですね』くらいの返信を返したんです」国「それが続いて好きになっていったんですか?」陣「彼女の方からメールが入ってくるようになって、というか。『何故、僕にメールくれるんだ?』夜になったら電話がかかってきたりとか。『でも、まだ騙されたらあかん』と☆」美「でも、嬉しかったんでしょ?」陣「もちろん、嬉しいんですけど『これは騙されたら、あかん』」国「女の子の言うセリフですよね☆」陣「そうですね。『こんなんで舞い上がったらいかん』結構、冷静に普通で話をして『もし仕事が一緒になったらいいですね』とか、もちろん敬語で、お互いに。それで切ったら、また次の日に電話がかかってくるとか。毎日のように連絡を取り合ってゆく中で『これは、ひょっとして…』みたいな。僕もやっぱり好きになってゆくし…」国「甘酸っぱいですね、話が☆」陣「恥ずかしいですけどね☆僕のことに対して、すごく心配をしてくれたんですね。風邪を引いているとなったらパソコンで『風邪薬、これが一番いいですよ』とか『ここの病院のこの先生がすごくいいから行ってください』とか。『何でこんなに親身になって考えてくれるんだ?』と」国「素晴らしいですねえ。そのときは、まだお付き合いしていないんですよね?」陣「してないですね」美「でも、お親しくなられてから『いつから自分のことを好きになったんだ?』ということをお聞きになった?」陣「まず、僕が電話で告白したんですね。『だまされたらあかん』と思いながらも、もう…フタがバッと開いてしまったんで『好きだ』と。『好きだから、付き合って欲しい』と。『いや、そんなんじゃない』と、まずは振られたんですよ。『そんな風には思ってない』と」国「振られたんですか?」陣「振られたんです。『友達としか思えないです。ごめんなさい』と。『本当にいい友達として』『あなたといるとすごく落ち着く。ただ、恋愛関係にはなれない』って言われたんです」国「『間違えた!』って思いますよね☆フタ開けて…」陣「思いますよ☆『やってもうた~☆』でも彼女も、今まで恋愛をしてきてやっぱりいろいろ傷ついたこともあったと思うんですよね」美「いろいろ書き立てられましたものね」陣「そうですよね。『藤原紀香』という名前が一人歩きしていろいろな恋愛を世間から潰されたこともあったみたいなので『そういう風な思いをしたくない』『私と付き合って、あなたに迷惑かけたくない』みたいなことにもなったんです。『あなたが冷静に考えて、それでも私のことを思うなら、もう一度、連絡して欲しい』と言われたんです。『わかった』ってなったんですけど何にも考えずに僕、次の日に連絡したんです☆」国「あれだけ『考えてくれ』って言われたのに☆」陣「意味がわからなかったんですよね、その意味が☆『何を言うてはんのかな?』って僕、普通に電話したんですね☆」国「言っていることは、よく考えると深いですよね」陣「彼女はすごく考えたと思うんです、恋愛することに対して。僕はあんまり考えなかったです。藤原紀香っていうことはすごいと思っていましたけれどでも僕の中では何ら『普通の女性や』と思っていたので、周りは騒ぐであろうけれども僕の中では、全然、普通の女性として見ていたので『そんなことを言われても、僕は大丈夫です』と。『やっぱりあなたのことが好きなので、あなたがどう思おうが、僕は好きなんで連絡します』という話をしたら、多分、それが結構…あの…よかったと思うんです。もちろん彼女にも、もともと思いがあったらしいんですよ。ただ『そんなわけがない』『私がこんな人を好きになるわけがない』と抑えていたらしいんです☆でも、何故か電話をしてしまう。何故か電話を待ってしまう。『そんなわけがない、そんなわけがない…』☆友達に僕の名前を出したときに『何でなん?』『何でそんな人と連絡とってるの?』って周りに言われる。『やっぱり私はダメなんだ…』と抑えていたんですが『やっぱりそれで正直になれた』ということで、そこからですね」美「でも彼女も偉いわね。この恋に忠実にね、周りが引いたって何したって…というのはね」国「一回、紀香さんが『抑えた』というのがリアルですね。『そんなわけない』…かなりリアルですね☆」陣「リアル…でしょうね、僕もそう思いましたもん☆『そんなわけない』付き合ってからも思いましたからね」国「でも、次の日に『付き合って下さい』と言ったときに、紀香さんから『はい』というような言葉は…」陣「『付き合って下さい』という言葉は、そこからは言ってないんですよ。そこから何となく、ご飯に行ったりとか、映画に行ったりとかしているうちに、もう…『結婚、どうしよう』という話をしていたので」国「え?どっちがですか?」陣「これもね、どっちがということもないんですよね。どっちからともなくです、本当に」国「『付き合って下さい』という言葉もなく『結婚、どうしようか』の話になったんですか?」陣「もうなっていましたね」国「すごい…どっちが言っているわけでもなくですか」陣「どっちが言っているわけでもなく結婚…まず親に『ご両親に、いつ挨拶に行こうか』とか、そういう話をしていましたね」美「スーッと自然の流れで付き合いだしちゃったのね」陣「そうですね」国「『お付き合いして下さい』というのは、ちゃんと言わなかったとしてもプロポーズはちゃんとしたんですか?」陣「プロポーズはしました。伊勢神宮に、彼女は行ったことがなかったんですよね。僕は子供のときに、ずっと母親に伊勢神宮に毎年、連れていかされてたんですよ。もう嫌だったんです、寒いし、冬だったんですけれども。ただ何かね、子供ながらに『すごい場所やなあ』と思ったんですよ、伊勢神宮というのは。すごく緑がたくさんあって子供ながらに『ここ寒いし、嫌やけど、何か神様が本当にいそう』というイメージがあったので『プロポーズするなら伊勢神宮かな』と。彼女も神社とかがすごく好きな方だったので『じゃあ、伊勢神宮に行こう』ということで」江「二人で伊勢神宮に行ったら、目だったでしょうね☆」陣「そうですね。ちょうど、その…騒がれている時期だったので、周りの方は『あ、来てる』という感じになってましたけど。そこで、まあ、神さまの前でというかプロポーズをしましたね」国「どんなことを言ったんですか?」陣「『一緒に幸せになりましょう』と。まあ、俺が幸せにしてあげる、なんていうのはね…言えなかったんで…『一緒に幸せになってゆきましょう』『ずっと共に恋愛をしてください』という話を」国「紀香さんはそのときやっぱり『そんなわけない…』という気持ちがやっぱりあったんですか☆」陣「そのときは覚悟を決めていたと思いますよ☆伊勢神宮のときは」美「いえ、覚悟を決めるというよりは、好きだったんだけど、抑えていたわけだから。ずっと好きだったのよ、それがフタが外れただけの話だから」江「お気の毒だけど『藤原紀香さん』という名前が1人歩きしてしまうから。お目にかかったことはないですけれども、拝見していると『あ、この人はもともと、ごく普通のお嬢さんの心を持っている人』でねその感覚が消えていないんだけれども、演じている自分もあるわけでしょう?使命、役柄として『自分はどう振舞うべきか』というのと、素になっていい時とその狭間が大変だったろうなと思うんです。やはり陣内さんに出会えて自分の素の部分が素直に出せるようになったということですよね。ご自身でも考えたと思いますけれど、もしこのままで、素直な表現をしなかったらよくあり勝ちだと思うんだけど、生涯、女優として生きなくてはならなくなる。そうやって演じてゆく人生ってありますよね。あの…自分という個人は失くして生きる人生、まあ大女優さんには多いけれども。だからそういう道がいいのか、それとも個人としての、女性としての生き方とか幸せも取っていいのかというところでの、上手な軌道修正をしたと思うんですよ。だからといって、仕事を捨てるわけではないんですからね。上手、バランス力のある方です」国「結婚してから変わりましたか?」陣「僕はね、本当に変わっていないんですよ。周りがやはり変わったというか。藤原紀香という人を奥さんにもらったわけですから、周りはもう『どんな感じなの?』『家でどうなん?』『何変わった?』と聞かれるんですけど僕の中ではまったく変わらずに…まあ『格差、格差』『格差婚』と言われても僕は何とも思わないですよね。さきほど言ってもらったように亭主関白なところがすごくあるので『男として、俺が何とかしないと』ということがあるので仕事に対して『もっと上に行きたい』みたいなものはありますね」美「亭主関白とね、外面(そとづら)がいいのね☆育ったお家でも、内面(うちづら)があまりよろしくないのね。内弁慶」陣「本当に、その通りですね」江「格差とか、全然気にならないっておっしゃるけれども、気にするわけがないですよ。だって何を言われたって、それは自慢に繋がるんです、自分の中で。『そう、そういう嫁をもらったんだもん、俺は』何を言われたって『だったら勝ち取ってごらん』プライドがあるんですよ」美「『だったら、お前やってみぃ』というのがおありになるのよ」江「『お前、口説いてみぃ』って」国「そういうことなんですか?ちょっと鼻につくなあ☆」陣「あー、そういうことなんですかね」美「そう」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 15, 2008
昨年、美しい女優さんとご結婚された日本一幸せな方☆がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ 自分の性格をひと言で→わがままと短気☆ 毎日かかさずすること→数珠を毎日付けていますね。☆ ストレス解消法→最近、神社に行くことが落ち着いて、安心しますね。☆ 好きな女性のしぐさ→一生懸命ゲームなどをしてのめり込んで、その世界に入ってしまうくらいの、集中するような子が好きですね。☆ 印象に残っている夢→よく見るのは、ビルの屋上や観覧車から落ちる夢☆ 人生の転機→吉本に入って一人で活動したときと、結婚。国「今年、実は最初のお客様なんです☆今、最も幸せな芸人さんに来ていただきましたけれども。おめでとうございます。スピリチュアルチェックを聞いていて、ちょっとオーラの泉を意識し過ぎじゃないかな?みたいな☆」陣「神社とかでしょう?でもね、僕も言いながらそう思われるかなと思ったんですけれども実際、本当にそうなんですよ。僕は昔から、ちょっと気になっていたんですけれども奥さんがすごいんですよ。神社とかも、結婚してからですね」国「じゃあ、奥さんが教えてくれて」陣「まあそうですね。『神社に行った方がいいよ』というのは」国「数珠を毎日持っているんですか?」陣「これも奥さんの影響で。例えば、気持ちや体力が弱っているときに合う数珠を調べてくれて、毎朝渡してくれるんですよね。何個かあるんですけど『今日は、これとこれを付けていって』とか」国「陣内さんが『今日、疲れてるな』と思うと『これを付けて行って』」陣「はい、そうなんですよ。それがもう癖づいているのでなかったらやっぱり気持ち悪いですね」この日、陣内さんが腕にはめていらしたのは、3つのパワーストーン。・タイガー・アイ…発言にインパクトを付ける ・水晶…空気を浄化・ラピスラズリ…心を落ち着かせる 多いときは6つ付けることもあるそう。 国「6つというのはどうなんですか?」江「ちょっと行き過ぎだと思うんですけどね☆」陣「収録のときは外したりするんですけど、今日はお二人に会わなければならないので『守らなければ』」美「魔除け☆?」江「タイガーアイだから、強さですからね。水晶で浄化させてラピスは冷静さですから、冷静沈着に語るようにと」陣「こういうのは、付けているとやっぱりいいんですか?」江「お友達です。だから、そこに依存するというよりも、お花とか生き物と一緒でお互い共存、共栄でね、助け合うということ」陣「なるほど。依存とかじゃないんですけれど、何かもう付けるのが当たり前みたいな感じになっているので」国「それじゃあ、紀香さんは前からやっているんですかね?」陣「そういうところは…初めてのプレゼントが数珠であったりとか。『あなたにはこれが必要だから、付けておいて』って最初に言われたのが数珠やったんですよ」国「ちょっと…考えますね☆『どういうことだったんだろう?』」陣「まあそれは、僕のためにいろいろ調べてくれたんやなあと思って…」江「でも、それはよほど愛情があるからですよね☆もともと陣内さんは自分がいいと思わないと、人に強要されるのが大嫌いな人ですよ☆」陣「あーそうですね」美「だってすごい亭主関白なの☆」江「頑固☆さっきの『短気でわがまま』その通りです☆」国「全然、見えないですね☆」美「世間では逆で、逆玉で、あちらの方が主導権を握っていてどちらかというとこちらの方が下手に出て…と思っているじゃない?逆も逆、大逆よ☆とんでもない話☆」国「だまされてた、俺☆」江「自分で本当にいいな、と思うとか、言ってくださる人が本当に愛しているからというのじゃないと、絶対に聞かない。自分が先に褒めたものは『いいぞ、いいぞ』って言うんです。先じゃないのは嫌ですから。だから、よっぽど奥さんを愛しているんですよ」国「これ、まだオープニングですよ☆」陣「すごいですね☆」音響や映像を相手に1人で演じるという画期的な芸は数々の賞に輝いているそう。国「陣内さんはピン芸人の印象ですけれども、もともとはコンビなんですね」陣「もう全く、人気もなかったですし、もちろん受けなかったですし…リミテッドっていうコンビなんですけど、コンビ名も意味もわからず付けたんです。『なんでこんなに受けへんのや』と思って、意味を調べたら『限界』とかそういう意味だったんですよ☆『こんな名前はあかんで、ほんまに限界や』という話になって…」国「劇場というか、ファンの間ではすごい都市伝説みたいなものが…」陣「当時ね、すごくお笑いブームやったんですよ。中高生が集まって皆さん、キャーキャー言われているんですけど、僕らリミテッドを一目見たら『不幸になる』☆これ、関西では結構な広まりがあって…」美「都市伝説☆」陣「都市伝説です☆『リミテッドを見たら不幸になる』」国「やりづらいですね☆」陣「僕らが舞台に立つと、お客さんがもう全く、下を向くんですよ☆耳をふさいだりするんです」美「面白い☆」陣「それが1年間ぐらい続きまして。『飼い犬が5年目で亡くなった。お前らを見たからや。何とかしろ、裁判するぞ』」美「言いがかりが?」陣「言いがかりですね」国「1年間、その状況でやっていたんですか?それは受けないですよね」陣「まず、見てないですから。だからすごい状態でしたね」国「それが原因で解散する…」陣「まあそれが一つの原因でもありますけど、でも、数あるお笑い芸人の中でこれから先のことを考えると『無理だなあ』という…相方の方と話をして、辞めようとなりましたね」国「辞めて、何をしたんですか?」陣「もちろん、本当にお笑いを辞めるつもりで解散したので、何もしてなかったんですよ。『解散しました』1人になったんですけど、仕事も収入もないですし2年間、何にもない状態だったので。本当に、今で言うニートですよね」国「吉本を辞めているんですか?」陣「吉本といっても、やはり仕事がなかったら吉本じゃないですから。仕事があって、お金をもらって、ようやく吉本興業なので。全く2年間、何の仕事もないので」国「バイトもしていなかったんですか?」陣「バイトもちょっとはしていましたけれど、先輩にお金を借りたりとか借金をしてパチンコに行ったりとか。パチンコで勝ったお金を返してまたパチンコで借金してとか。その当時の彼女にちょっとご飯を食べさせてもらったりとか」国「最悪ですね☆」陣「そんなに莫大なことはしてないですよ☆『電車賃を230円貸して』と言って、電車に乗らずに帰って貯めたりとか☆それが普通でしたけどね、その当時は」美「若いうちの学生さんとか、芸人さんとかはそういうものよ」国「その2年間は、仕事を待っていたんですか?」陣「いや…何でしょうね…でもね、何とかなると思っていたんですよ」国「その『何とかなる』というのは『芸人として何とかなる』ということですか?」陣「そうですね。仕事も何にもないのに『まあ、頑張ったら何とかなるやろ』という何か変な自信があったんです」国「でも、頑張ってないですものね」陣「何にも頑張ってないですね」美「でも、本はよくお読みになったでしょう?」陣「好きですね」美「だから普通の芸人さんが日常的なところを思いついてネタにするようなところじゃなくて文学的な、そういったところからの感性で、それからネタ作りするみたいなところがおありになるでしょう?」陣「あー、そう言っていただけると嬉しいですね。確かにそういう、普通の方とは違いますね。『街を歩いて、何かネタを作ろう』というのは、全く無いですね。何かグッと考え込んでネタを作ろうとするので…」江「文学もそう、あとは映画。そういったものからいろいろとヒントを…」陣「ヒントを得てというのはありますね。演劇を観に行ってヒントを得て…とか」美「そういう文化面でね。我々も美術、文学、音楽…いろいろ多角的に網を張ってそこから何かいろんなものをチョイスして、セレクトして、アレンジして出すという方法をアーティストは取るじゃない。そういう方法に近い方法を取っていらっしゃるわね」陣「そうですね。何かを観て、何か一つのものを読みながらとか、観ながらネタを作ったりしますね」江「語弊があったらちょっと申し訳ないんですけれども、あの…一般的ないわゆる『芸人さん』という意識をお持ちですか?」陣「いや…そうですね…やはり自分のタイプがあるじゃないですか。『芸人さん』というプライドも、僕はもちろんありますけれどもやはりいわゆる『芸人』という生き方を、僕はできない…」江「クリエイターでありね…例えば芸人的な部分としたら『芸人』という言葉を使うよりも、どちらかと言うと西洋的な『コメディアン』コメディとか、そういったものを作ってゆくという意識の方がお強いんじゃないかなと…」陣「あー、『芸人やから』と言われるのは、好きじゃないですね、僕は」美「でしょ☆」陣「『芸人やからこれせないかん』とか『芸人やから』と言われるのは好きじゃないですね」美「だからね、アーティストというのは、芸術家って意味でしょう?アーティストまでは、ちょっと格好つけたくないけれども、じゃあ『アルティザン(職人、工芸人)』という言葉があるの。そちらの方で位置づけしていらっしゃると思うのね」続きます。
January 14, 2008
心臓発作から回復した後、不思議なことが起きた女性について。2004年の9月、英国のコベントリーに住むジョイス・アーチさんは、肺炎から心臓発作を起こして心肺停止に。心臓マッサージや電気ショックで心臓は再び動き始めたものの、生命維持装置で生存している状態が3日続いた後、突然、意識を取り戻したそう。医師によると、この状態から意識を取り戻す確率は10%以下で奇跡的なこと。その上、28年前に原因不明で失明した状態から、目が見えるように。ジョイスさんは危篤状態のときに体験したことを鮮明に覚えているそう。「私は夢の中で宙に浮き、景色を眺めていました。泉や石、緑の木々、そして赤い星をずーっと遠くに見ていました。そこへ二人の男性(ジョイスさんと夫・エリックさんのそれぞれのお父さん)が現れたのです。二人が私に『戻りなさい』と言ったんです。すると、スーッと落ちてゆく感覚があって、次の瞬間、ハッと目が覚めました。きっと私は一度あの世へ行って、戻ってきたのです」ジョイスさんは、5人の子どもと14人の孫、3人のひ孫の成長ぶりを見ることもできるようになり、一昨年、ご主人との結婚も50周年を迎えられたそう。「世界中に、私ほど幸せな人間はいないのではないでしょうか。自分のやりたいことを、自分でできる感動。見るものすべてが美しい。これ以上、望むことは何もありません」***国「これは素晴らしいですね。意識が回復されるだけでもすごいことだと思うんですけれども、目まで見えるようになってしまったと。どう思いますか?」高「彼女自身が使命を帯びているのか、それともこういった彼女のストーリーを他の人が見ることによって、何かメッセージを受け取るのか。いずれにしても、生かされたわけですよね」上「『私ほど幸せな人間はいない。見るものすべてが美しい』っておっしゃっていましたけれども、私だって目が見えて、見えるものすべてが美しいかどうかは、もうずっと見てるからわからないけれども、改めてこういう風に言葉を聞くと、ハッとしましたね。『見るものすべてが美しい』という感覚は、なかったなと…。当たり前に思い過ぎていて」国「当たり前に思い過ぎていますよね。ジョイスさんはどうして目が見えるように?」江「私もね、こういう事例を扱って、よく思うんです。生きていることって、ものすごく奇跡なんですよね。私たちって、よく『奇跡、奇跡』ってこういう世界のことを言うけれども、生きていることが一番の奇跡だと思うんです。『よく、今日生きてるな』だから常に感謝なんですけれどね。やはり高嶋さんのおっしゃるように、私もそこは同意見というか、ある意味でのデモンストレーション的な役割を与えられているだろうと。ある種の臨死体験、そこでヒーリング的なことが行われていたんだろうと。戻ってきて、高嶋さんのおっしゃるようにデモンストレーションをするというか、『目に見えることだけがすべてではない』それとやはり『感謝』を教えていますよね」美「いつも言っていますように『見える、聞こえる、話せる、歩ける…みんな感謝だ』私ね、耳が聞こえなくなったことがあるの。聞こえるようになったときの喜び。目が見えなくなったこともあるの。見えるようになったときの『ああ、見えないってこういうことなのか』だからね、感謝する心さえ持てば、それを探せば、いくらでもあるのよ。幸せになるというのは。それを当たり前だと思って、見ようとしないで、不幸ばかりみんな探して歩いている。いい教訓よ」上「私ね、以前に出させていただいてから、毎日、楽し過ぎるくらい楽しくなっちゃって、何にも悩みがなくなっちゃいまして…」国「いいことじゃないですか☆」上「だけど、あまりに楽しいことが続き過ぎて、あの…楽しいこともつまらなくなってくるじゃないですか。今日、ここに出させていただいて、改めて感謝の気持ちということを、やはり忘れていたんですね。『こういう風に過ごせる。私は幸せ』っていう。いつも江原さんや美輪さんがおっしゃる『起きなくていいことは起こらない』『見なくていいものは見ない』そういう風に思って生きてきたので、今日、ここに来てこのお話を聞けたことは、自分を思い返すタイミングだったなと思って。感謝の気持ちとか…」国「やはり本当に、幸せぼけって怖いですね」美「不幸なの」 国「今日はこのVTRを観て『これじゃいけないんだ』ということを感じただけでも、感謝ですよね。この場に感謝したいです」上「そうですね」高「生かされているということですよね」読んでいただいてありがとうございました。次回は1月12日(土)放送の新春スペシャル、ゲストは陣内智則さん、他に島田洋七さん、中村俊輔さん、向井亜紀さん、内藤大助さんへのメッセージを振り返る模様。オーラな出来事は「亡き息子から届いた手紙」など。愉しみですね。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 9, 2008
地雷の被害に遭ったタイの僧侶が行う荒行について。タイ北部・カンペンペット県のパーントーンシリモンコン寺で62歳の住職・ソンポン僧が奇跡的な業をみせているそう。27年前に国境警備隊にいた住職は、カンボジア国境で地雷を踏み左の目と小指、膝下を失い、出家を決意。人々を救うための厳しい修業の末、火のついた蝋燭を握りしめ、炎を口の中に入れるなどの荒行をしたり、ヤシ油を熱し、108種類の生薬を入れ、煮えたぎる油の上に腰をおろして万病に効く「奇跡の薬」を作っているとのこと。薬を作るときに嗚咽が始まるのは「ポー・オンダム」という16世紀の王様の霊が入るためで、住職はこの霊から5歳のときにこの万能薬の作り方を授けられたそう。体を浸した後は、142度にもなる鍋の油を素手でかき混ぜるという荒業。これまで100回以上薬を作るも、一度も火傷をしたことはなく、糖尿病や神経痛などに悩む人々は住職に薬を塗ってもらうとあらゆる病気が治ると信じ、飲めば内臓の病気が治ると買って帰る人も。「この奇跡はすべて、ポー・オンダムの力によるものです」と語る住職。地元の医師は「科学的治療が最優先だと考えますが、もし不思議な力で治るという事実があるなら、それは信じる人たちの心の持ちよう次第ではないかと思います」***お三方の他に、高嶋政宏さんと上原さくらさんがご一緒です。国「これ142度、我慢できないですよね、普通。我慢してるわけじゃないですよ、何かしらの現象が起きているわけですよね」高「まさに沸騰していたじゃないですか。あそこにはトリックもなにもないわけですよね」国「その後は手でかき混ぜていたっていう…」高「天ぷら屋さんが指先で油の温度をみるっていうのとは違いますものね」江「昔よく日本でも、びっくり人間登場!っていう番組がよくありましたよね☆でも、真面目な話、修験道とかでも近いものがありますね。熱したお湯の中に入るとか、火渡りもそうですね。ただ、油だけを見れば、それはそれで効きそうですよね、薬草がいっぱい入っているわけですから。だから、それとこれとは分けた方がいいかもしれませんね、びっくりなところと、薬草と。この件と同じかはどうかは別にして、D.D.ヒューム(1833-1886 スコットランド出身の物理霊媒師)というイギリスの霊媒がいて、焼けた炭を素手で持ったり、頭の上に載せたりしたんですね。どうしてそれができるかというと『エクトプラズム(人体から発せられる霊的物質)をグローブにして包んで持ってるから熱くないんだ』ということを言ったという話があるんです。嗚咽するのも霊が入ったというよりも、私は『エクトプラズムが入っているんだろうな』と思うのと、あと、霊的なものを感じたときに嗚咽になる人はいっぱいいますよ。このお坊さんに言えることは、ものすごく念の強い方、やはりそれだけの修練をしていらっしゃるなということだけは、本当に感じますね」国「今日はスタジオに、その住職さんの作った油を…」上「はい!」国「どうしました?☆まだ何にも言っていないですけれども」上「塗りたい、ここ(鼻)に。ちょっと鼻が高くなったらいいなと…」国「そういうことではないと思うんですよ☆」上「じゃあ食べても太らないように、お腹の脂肪に塗りこんで…☆」国「そういう使い方はどうなんでしょうかねえ…(油の小瓶のフタを開け)…効きそうな匂いはします…やっぱりいろんな…」高「すごい…甘いような…」上「何かハーブの香り…(味見して)…あの、ユーカリみたいにスースーした感じの味がするだけですよ」美「(喉を痛めておられたようで、かすれたお声で)何の味もしない…」国「でも美輪さんの声が出るようになったら、これはすごいですよね☆」美「変声期が治るかしら☆」☆「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉もありますけれども、心の制御によって、肉体を制する顕著な例なのかもしれませんね☆続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
January 8, 2008
2008年のメッセージと共に、今年始めに放送された2007年のメッセージを再録いたします。2007年のメッセージ美「服飾業界、美容業界、食品業界、建築業界、あらゆるところが、全部スクラムを組んで手を携えればね、狭い日本ですもの、いくらでも、どうにでもなるのよ。良くも悪くもなるの。終戦後の企業のデスク以上の人たちが、弱肉強食で、後から来るものは突き落とせで、とにかく、欲、欲、欲でやってきたから、文化がないのよ。文化がないから『いくら利潤を上げるか』それだけで生きている。でもその人たちが文化を提供しているのよ。文化を知らないままで、ろくなものが提供される訳がないじゃない。それで日本がガタガタになっちゃったのよ。その人たちが心を入れ替えて、自分たちがいいもの美しいもの、文化レベルの高いものを見て体験して勉強してね、改めて『人はパンのみに生くるにあらず(人はパンだけ、物質だけで生きるのではない)』ということがわかってから手を携えて、いいもの、文化レベルの高いものを提供すれば、日本はあっという間に良くなりますよ」江「いまはすごく大事な節目に世の中は来ていると思うんです、地球全体が。いま本当に、節目、狭間に来てしまっていて、本当にいま気がつかないと駄目だと思うんですよ」美「いまだったら、まだ折り返し地点だからね、なんとかなると思ってるの。これ以上、あらゆる文化、あらゆる企業が暴利、暴利、暴利を貪ることをやっていったら、結局その人たちも、我が子に殺されるか、我が子を殺すか、えらいことになりますよ。それは予言が当たっていますものね」江「今年(番組は2006年に収録)は自殺のことでもいろいろあったでしょう?いじめのこと、虐待のこと、いろいろあったけれども、私は二年半前に『こどもが危ない』、その後に『いのちが危ない』という本を出していて、予言書のようになりました。でもそれは嬉しくもなんともない。そんなことのためにやっているんじゃないですから」 美「それはただのおどろおどろしい、スピリチュアルな予言ではなくて、足し算引き算、簡単な計算なの」江「『人は何故生まれて、何故生きて、死んでどうなるのか』『生きるということは何なのか』『生きることの幸せは何なのか』ということをこの番組を通して、今後も皆さんに理解していただけたらいいなと思います」国「そうですね。こういう時間をもってお話するのは、僕にとっても勉強になるので、また時間を・・・」江「もういくらでもね、しゃべりますよ☆」国「あの・・・正直に言っていいですか?僕、ほとんどしゃべれなかったです・・・☆」江「ごめんなさい☆」国「今日の放送全てが視聴者の方へのメッセージにもなっていると思うんですけれども、江原さんと美輪さんから最後に一言お願いします」美「いつもご贔屓をいただいて、高い視聴率をいただいて、本当にありがとうございます。多くの方のお役に立っているようで、いろいろとお手紙をいただいたりしておりますけれども、この番組は、江原さんともよくお話するんですけれども、ただ妖怪変化のような、あやかしのような、当たったとか、当たらないとか、占いとか霊感とか、そういうものでとらえられるのは、非常に不本意でございます。そうではなくて、生きるためのいろいろな生活の智恵としてお役に立つような、そういう真面目な番組をやっているつもりでございますので、そういう風にお受け取りいただければ幸甚でございます。よろしくお願いします」江「よくこの番組を通して、観ている方から『助けてください』というお手紙をいろいろなところにお寄せになられるようなんですけれども、助けるといっても、生きる力というヒントをこの番組が与えているわけであって、皆さん方の肩代わりをするわけではない、人生の肩代わりはできないわけです。でも、この番組を通して、どうやって対処をし、どうやって人生を生き抜くべきかというヒントを、毎回たくさん、豊富にお送りしていると思うんですね。ですから自分自身のことでなければ自分のことではない、自分とは関係ない、と思うことは、想像力の欠如。本当に助けられるのは、自力なんです。皆さんが自分自身で、自分の力で輝けるように、そういう言霊を今年もお送りしたいと思います。また今年一年は、『地、揺るがされるな』そういうメッセージのある年です。ですから、私たちの足元、土台、国もすべて、そういったことをしっかりと、揺るがないように、みんなでしっかりと大人の感性で生き抜きましょう」中(中島啓江さん)「生きる糧。私はいつも本当にそう思っています」美「ただ私たちは、その方法をね。『こういう方法もありますよ、ああいう方法もありますよ』生活の智恵を、あの世とかこの世とかそういう次元を超えたところでお伝えしているだけで、『そのどれを取って、取捨選択して、決めるのはあなた自身ですよ』。『天は自らを助くものを助く』、私たちが助けるのではない、『あなたを助けるのはあなた自身しかいない』『自分を育てる親は自分。育てられる子供も自分』『教える先生も教えられる生徒も自分自身』ですよ、他の誰でもない。私たちはいろいろな方法をずっと見せるだけで、お取り上げになるのは、あなた自身ですよ、ということなの」***2008年のメッセージ国「今年始めに江原さんから『地、揺るがされるな』というメッセージがありましたけれども2008年のメッセージというのは?」江「今年は『地、揺るがされる年』『足元を揺るがされる年』というようなことで申し上げておきましたけれども、本当に常識を覆されるような出来事、実際に自然界の方では、本当に地揺るがされた部分もあって、とても辛いことでしたけれどもでもそれをこれからポジティブに切り替えてゆくことが大事だと思うんですが、2008年は実は『すべての膿を出し切り、水に流す年』というメッセージなんですね。ということは、今までの延長線で、すべての膿は出し切るだろうと。そこで今度は水の流れる年、だから清き水なんです。ということは、やはりこれから皆さん全体が生き方、清らかに生きるべきだということを自分自身の中にも清き水を流してゆこうという心構えが必要です、という年です」国「何か、すごくいい方向に向かってゆくのかなという感じが…日本全体が…」江「でも、膿を出し切るわけですから」国「出し切らなくてはいけないですね」江「出し切らなくてはいけない。だから皆、清き水を求めるようにならなくてはいけない。だから、ちょっとこう『ああ、嫌だ…』っていう部分は続くかもしれませんがだからこそ、光と闇ですから。『闇を知って、光を知る』『膿を見るからこそ、清き水の方へ皆、求めてゆく』」国「なるほど…美輪さんからも、もしよろしければ…」美「あのね、今年からぼつぼつ始まってきたのね、それが。性欲、物欲、食欲、名誉欲、この四本立てで来た、みんな欲だけで、馬鹿になっちゃった、日本中が。だから『ここまで馬鹿になっちゃった、どうしようもない』と自分で思いだしてまとも回帰で『これはまともにならなきゃ』と思う。だからCDも『千の風になって』みたいな、まともな歌が大ヒット。スターになったのは誰かといえば、結局ハニカミ王子、ハンカチ王子、まともな人でしょう?今までみたいに、どうでもいいような、行儀の悪いものとか、だらしのないもの、騒がしい音楽、もうそういう時代はいらないって言われているの。だからそれが、来年、膿が出し切って、それからそういうものが、じわーっと浸透するのよ。そうでしょう?」江「はい」国「来年から、すごく膿が出て、キレイな感じになっていって欲しいですよね。来年はもちろん、視聴者の皆さんにとっても最高の年になって欲しいと僕は思います」2008年のメッセージ☆ 2008年はすべての膿を出しきり 水に流す年。社会や家庭、人間関係などの周囲の「よどんだ水」を浄化して清らかに生きることを心がけてください。読んでいただいてありがとうございました。次回は1月12日(土)放送の新春スペシャル、ゲストは陣内智則さん、他に島田洋七さん、中村俊輔さん、向井亜紀さん、内藤大助さんへのメッセージを振り返る模様。オーラな出来事は「亡き息子に届いた手紙」など。愉しみですね。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 29, 2007
ゲストの中には政治家や作家になった方もいらっしゃいます。今年、国会議員になられた弁護士の丸山和也さん丸「正直に言っていいですか?私、美輪さんが好きだったんですよ。」いきなりの告白・・・ではなく、「ヨイトマケの唄」が本当にお好きだということ。☆ ヨイトマケの唄(作詞・作曲 美輪明宏) 工事現場の日雇い(ヨイトマケ)で働く母への思いを力強く歌い上げた曲丸「♪父ちゃんのためならエーンヤコーラ♪ 私もう、何回も何回も、カセットテープで聞きましてですね…」美「ありがとうございます。」丸「これはね、歌じゃないと思ったんですよ。生きてる姿そのものが、唄になって出てるというだけでね、本当に生き方そのものと思ってそれがジーンときましたね。『こんな唄を歌える人がいるんだな』と思って。私が総理大臣ならね、美輪さんは迷わず、文部科学大臣に指名しますよ、間違いなく。日本の国はずっとレベルが高くなりますよ。でも、そういうポジションが一番嫌いな人なんですよ。・・・じゃないかと私は思ってるんです」美「そうですよ。昔よくその話があったんですけどね。『ちょっと選挙に出て、あなたはご婦人方やなんかに人気があるから』って言われて。『私が落ちぶれたらなりましょう』って言ったんですよ」丸「似てますね。僕はそういう話があったわけじゃないんですけど、ちょっと冗談交じりに『この世で何にもすることがなくなったら、政治家にでもなろうかな。』と思ったりして。失礼なんですけどそう思ったことがありますよ」国「似てますね」現在の丸山さんの言葉「美輪さん、江原さん、こんにちは。前回、もっともやることがなくなった時にしかやらないと言っていた政治の世界に入ってしまいました。今の私の心境は『ひとり冬の荒野をひたむきに歩む』と。こんな感じですね。でも、そこには何と言うか、ふつふつと魂が燃えるようなところがありますから結構愉しんでおります。一度『何であんた政治家になったのよ!』というお言葉をいただいて、番組で大いに魂のトークを、もう一度やりたいと思っています。よろしく」格闘技を引退、作家、タレントとして活躍される須藤元気さん魂の歴史は、特徴的で、常に自身との葛藤。いくつかの前世のひとつが、鎌倉期の修行僧で山に篭もって、修行をしていたときに、岩屋の中で瞑想、衰弱死された人。江「親戚を捨て、女房、子どもを置き去りにして、山に入っている。大事な跡取りがいなくなって、悲惨な辛い暮らしにしたため、常に罪悪感を。いまも人と関わると自分が悪いという気持ちを持ってしまうんです」須藤さんが苦手なのは「里の行」。これは、厳しい修行(山の行)で得られたことを俗世間の暮らしの中で生かし、深めること。須「言っちゃっていいのかな。自分が直接コンタクトを取っているんですけれども、『今世でのテーマ、役割は何ですか』と聞いたら、『家族を大切に』って、言われたんですよ」美「今、言われたとおりね」須「家族っていうのも、広い意味での家族だなっていうことを感じて。だから本当に人との関わり合いっていうのを大切にしろってことなんだなって。僕は結構、内向的でして、あまり人付き合いが得意じゃないんですけれども、家族を大切にっていうテーマを今、江原さんが言われたことが繋がったんで」江「だからね、キーワードはとにかく一つ。『里の行』を忘れないことだけなんですよ」須「そろそろ東京を離れて、山に住もうと思ってたんですけどもうしばらく東京にいて…」江「だから大きな転換期」美「もう山は散々篭もったんだから」須「富士山、好きなんですよね」江「『里の行』。須藤さんはすごい子沢山の家族になるといい。だってね、自分との葛藤はできないですよ、子沢山は。子供は熱も出す、いろんな個性もある、勝ち負けじゃないでしょう?強い子もいれば、弱い子もいる。そういった中で情け、情愛といった部分、それがいけないとわかりつつも、といった強い情愛は、『里の行』をされると強いんです」現在の須藤さんの言葉「お二方に『里の行』とアドバイスをいただきまして、それから僕自身、格闘技を引退して結婚して、家庭を持って、『里の行』に励んでおります。ただ、『山の行』もすごく好きでして、まだ『山の行』の方がバランス的には多いかもしれませんが、うまく両立してバランスをとりながらこれから世の中を良くしてゆく、ポジティブな世界を創り上げるメッセンジャーの一人として活躍してゆきたいと思いますので、これからもご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」美輪さんのような金色のカツラで活躍されるボクサーの小口雅之選手ゲストとしてはまだお越しになっていませんが梅沢富美男さんの回のオープニングトークで話題になりました。***ニワさんをはじめ☆美輪さんを真似た方々が、あらゆる分野で増えているようです。国「ちょっと前のお話になるんですけれども、カツラボクサーで有名な…」美「小口(雅之)さん☆」国「美輪さんを真似た黄色いカツラをかぶって」美「新聞でずいぶん見ました、スポーツ紙で☆今年の春、私のコンサートの楽屋にみえたのよ。『いろんなカツラをお被りになったら?張りぼてのちょんまげのカツラだとか私のヘアスタイルを真似してでもいいし、いろいろおやりになって最後に効果があって髪の毛が生えてきたら、逆に禿のカツラを被ったら面白いじゃない?☆』冗談で話してたの。それを実際におやりになったらしいのよ☆」国「すごく近い存在だったわけですね。ただ、今日のゲストはその方ではありません☆***最近の試合ではサンバ隊を先導に、ご自身は「レゲエ・スピリチュアル・美輪さん風かつら」で登場、結果は5ラウンドTKO勝ちと、美輪さんにちなんだカツラで二試合連続でKO勝利されたそうです。小口さんの言葉「僕は『レゲエ・スピリチュアル・美輪さん風』で見事、TKOすることができました。美輪さん、ありがとうございました☆」番組に出演当時は独身、現在はご結婚、お子さんもいらっしゃる格闘家の前田日明さん美「前田さんの前世が、中国の武将、韓国の武将、日本の武将と、ほとんど戦い尽くめなの。」江「そう。すべて政治思想、戦い。」美「だから『戦いの歴史は終わりなさい』ということなの。そのカルマは終わり!これからは愛情というもの、優しさというもの、いつくしみというもの。慈悲の『慈』は、『慈父、悲母』と言って、『可愛い子には旅をさせよ。』ぽーんと心を鬼にして突き放して戦わせる。『悲』というのは母親で『自分が苦労しても、この子には絶対苦労させない。』自分が血を流しても、子をおぶって崖を登ってゆくようなね。とにかくこれからは、『悲』の方の修行が始まりますよ、ということなんですよ。」江「中国のときも『子は宝』って本当に子供を可愛がったんですよ、孤独でも。だから育てる、育む、そういった気持ちはあるはずなんです。」国「子供というのはどうですか、ご自分の中で…」前「僕は、子供大好きですよ。すごく好きです」国「自分の子供という部分ではどうですか?」前「自分の子供というと、ちょっとイメージしにくいところがあるんですけど…でも生まれてきたらすごく可愛いだろうなと思いますけれどね」現在の前田さんの言葉「やはりいろいろと自分の生活の状況も変わりましたね。まず結婚したというのと、子供ができたということですね…女房のお腹に白い龍がいる夢を見て、それが続くんですよね。『何か変な夢を見るなあ』と思って。しばらくして『妊娠した』と言われて息子に関係するものだと思うんですよね…すごく良く知っている人、何回も一緒に、いろんな時代を生きてきた、今回は親子になったのでジーンとしましたね…自分の子供の寝顔を見ていて『あ、寝ているな』と思って、パッと目を覚ましてニコッとされた瞬間に、もう…」穏やかに微笑む前田さんでした。***引き続きVTRをご覧になるのは、お三方と眞鍋さん、勝俣さん、相田さんです。国「顔が全然、違う☆…前田さんの顔を見ていてもそうだったですけれども…」江「お父さんの顔になりましたね☆」美「楽屋にみえたの。楽屋にみえて『江原さんのおっしゃった通りになりました。美輪さんに言われた通りになりました』『何が?』と言ったら『実は、結婚しました。子供も生まれました。まだ発表していませんけれども。だから、これから闘いじゃなくて、愛の人生が始まる』って、そうおっしゃっていた」国「前田さんは『前世でも会っていたんじゃないか、ということは何度も会った』という話をしていましてけれども…」江「勘のいい方ですからね、そういう面も、もともと能力を持っている人でもあるから…それはそうだと思いますよ」国「そして気になるのは、丸山弁護士!ですね☆『もう、やることがなくなったら、僕は政治家になったもいいかな、と考えている』と言っていましたけれども、もう政治家になってますね。これはまた、面白い行動というか…」江「でも内心、待っていましたよね」国「あのときから、実はもう心の中では政治家になろうという」美「待ってたの、話があるのを」眞「じゃあ、それを観た人が『来てくれないかな』という…」美「いえ、もうすでにあったの」江「自分で踏ん切りをつけるかどうかの、迷いがあったと思います」美「それといろいろね、整理しなきゃいけないこと、ゴタゴタ、いろんな駆け引き。それをジーっと見ていらしたの」国「僕は、丸山さんのときに放送はされなかったんですけれど腸にポリープがあったという話をされたじゃないですか。本当にあったらしいんですよ」眞「何でそう思ったんですか?」江「それもやっぱり、メッセージでね、注意しなさいということで。そうすると、時々そういうものが見えたりするときがあるんですよ、お腹の中も。それをただお伝えしただけで。私はね、医師ではありませんから『ちゃんと病院に行って検査してください』と」勝「なるほど、メッセージね」江「本当にこの番組って、節目節目の方がいらっしゃいますよ」明日は2008年のメッセージをアップします。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 28, 2007
ゲストの方々には、転機を迎えられた方がたくさんいらっしゃいます。VTRをご覧になるのはお三方に加え、勝俣州和さん、相田翔子さんそして眞鍋かをりさんです。今年10月に結婚された青木さやかさん国「江原さんとははじめましてですか?」青「あの・・・三、四年前に・・・。」江「あのとき言ったことを覚えてますか?」青「本みたいなものを書いた方がいいのでは?と言われていたんですけれども、結局、こう…手をつけていなくて。忙しいというのを言い訳にしているとは思います。」恋愛や結婚について話す青木さんが、本当に求めているのはお母さまの愛。江「お母さんのことを本当に愛しているのに、本音が言えない。心、腹が割れない。小さいときからのお母さんに対する思いは『私は否定されている』『怒られている』『どうすれば怒られないんだろうか』。」青「その通りです。」江「でもね、この人生の中で、自分自身へのご褒美のように愛される人も出てきますから」美「よかったわね、ハッピーエンドで。」青「よかったです。」江「でも、お母さんを理解してから。」美「青木さんが欲しかったのは、100の言葉よりも、ひとつの愛の眼差しだったのよね。黙って、にっこり笑って、優しい顔でじっと覗きこんでてね、『いいよ』っていう風にやってくれる。それを望んでたのよ。それがなかったのよね。」江「肌身のぬくもりでね。いままでの恋愛も求めているのはそれだけだから、未来がなかったんですよ。お母さんの代用でしょう?そういったところから抜け出ないと、本当の愛にはなかなか行かないんです。本当に欲しいのはお母さん、母の愛なんですから。その代用をやっているようでは恋愛になっていない。まだまだ、恋愛をするお年頃になってないということですよ。」国「もう33なのに?」青「うるさいよ!・・・そうだね・・・。」現在の青木さんの言葉「美輪さん、江原さん、そして国分さん、青木さやかです、ごぶさたしています。あの…私、本を書きました。そして、結婚をしました。いま大変に…幸せですね。ありがたいなと思います。あの…自分の母親をちゃんと受け入れたら、いい人が現れると言われましたけれども…あの…実際、100%できているとはいまも思えませんが…でも、徐々にそうなりつつは…ありますね。実際、どう言われるかは別としてですよ」今年8月に、入籍された小池栄子さん小池さんの前世であり、守護をしてくださる方は表向きは芸者さんで、裏で政治犯をかくまってスパイのように命がけの毎日を過ごしていた方。美「桂小五郎と幾松とか。明治維新の志士たちがいたでしょう?京都で新撰組といろいろあったりしたときに、祇園の芸妓さんがスパイの真似をして、『いま手入れがありますよ』とか、薩長の連絡係もやったりしたのよ。自分の惚れた男をかくまってね」☆ 幾松・・・(1843-1886) 京都の芸者で、幕府に追われる桂小五郎を助け、後に妻となる。小「素敵・・・。」江「その、素敵って思っちゃうのがね、やっぱり。みんなが素敵と思うとは思えませんよ」小「やはり私が素敵といったことに対して、親は『馬鹿言ってんじゃないよ』って、ものすごく心配されるんですよ。恋愛で駄目になるんじゃないかって」江「恋愛だけは注意してください。いま言ったような前世もそうだけれど、のめり込む。のめり込むときは理性が働きません。献身は悪いことじゃないんだけれど、滅私、自分を無くしてまですることじゃない。あなたはあなたの人生があるし。とにかく、人のために命を落としても平気、というところがある人なんです。自分でその危険性を感じるでしょう、怖いというか、危ないなって。惚れ込むと異性としてばかりじゃなくて、心意気に惚れ込んでしまう。そうすると、この人のために命を落とそうっていうモードまで行ってしまう人だから…」小「でも、誰かと共に、夫婦になって歩んでゆくっていう人生は、今後あるんですか?」江「晩婚が幸せ」小「晩婚?おいくつぐらいのお話でしょうか…」江「例えば、子供さんが欲しければ、まあギリギリのところとか…」美「40ぐらい…」江「もちろん、その前でもいいんだけれど、あんまり、のめり込んでいかない方が…前世と違うような形をとられるのはいいけれど…まあ、難しいでしょうね☆」現在の小池さんの言葉「晩婚がいいと言われたんですけれども、26で結婚してしまいました。どうも、すみませんでした☆彼に電話して『晩婚だって言われちゃったよー、今日、オーラで』と言ったら『まあ、お二人のアドバイスは大事だけど、大切なのは二人が築いてきた歴史だろ』と言われて…『やっぱりこの人と結婚しよう』ある意味、江原さんと美輪さんの言葉を受けて背中を押していただいたみたいな感謝の気持ちもあります」恋愛の話題が絶えない眞鍋かをりさん眞鍋さんは結婚願望はないものの、周囲の結婚が続いているため、少し気になさっているようです。江「30歳過ぎてからの方がお幸せですよ☆」眞鍋さんには30歳の頃、ツィードの背広を着こなした素敵な男性が現われるようです。美「よほど洒落た人ということよね。ツィードの背広を着ているということは、本当のインテリゲンチャか、いい仕立てのものを知っている人よね。そのあたりの雑巾ファッションの人じゃなく☆芸能界の人じゃないと思うの。出版界か学究職、学者さんとかね」江「おそらく、きちんとした結婚をなさいますよ」今年11月、スケートリンクで結婚式を行った岡崎朋美さん美「結婚を夢見てて、すごくロマンティックなブーケとかウェディングドレスとかに対する結婚願望がおありなのよね。」岡「ただ、こういった感じなので、どういう方がいいのか・・・。」江原さんのお勧めのお相手は、「一緒に選手を育てられる人」。岡崎さんの将来には、「寝食を共にして、選手を育てる姿」が見えるそう美「その男の人は、大きい人でね。がっちりしてて背が高い人なんだけど、大人しい人よ、一見。でも中は強い。無口でね。」江「無口。だから岡崎さんもそこが恐い。『何か言う時は、ちゃんとしよう』っていう風に。」お二人には、岡崎さんの将来のお相手が見えたようです。ご主人になった方は、大学時代に野球部で活躍された方だそう。リンクに映った美しい岡崎さんの姿が、さらに輝いて見えました。***国「改めて…いい番組ですね」勝「幸せな番組ですねー」国「だって、1人1人が変わっていってる感じがするじゃないですか」相「みんなの背中を押しているような」国「本当ですよね。眞鍋さん、どうですか?あれから、ツィードのスーツを着た方が気になっていますか?」眞「ツィードを着ていらっしゃる方は、やはり皆、年配の方ばかりでなかなか若い人には出会っていないですけれど…」美「いま、いらっしゃるんでしょう?☆(少し喉を弱めていらっしゃるのか変声期のような☆お声でおっしゃいます)」眞「…はい…ツイードは着ていないですけど☆」国「今後、学者になる可能性もありますしね☆」眞「可能性…そうですかね…でもVTRを見て、小池さんも青木さんも本当にお幸せそうだったので、今、『いいな、幸せそう』って思えるのがすごく嬉しくて」美「余裕よ☆」眞「余裕ですか?前はやはり、結婚してゆく人たちを見るのが憎たらしくて仕方がなかったんですけど☆」江「出会いは宿命、結婚というのは運命なんですよ。運命は自分で作るもの。だから私はよく『素材と料理』と。素材(宿命)があって、それをどう料理(運命)するかは、自分にかかっている。さっきの小池さんじゃないけれども『結婚してしまいました』別にそれが悪いわけじゃない。でも、そういう難点というか、癖ね。『思い癖があるから注意しなさい』そこを注意するかしないかによって、その先の人生が変わるわけですよ。だから宿命と運命、出逢う人はみんな宿命なんです。宿命の中で、どういう風なものを育ててゆくか。結婚というのは、申し訳ないけれど、若い皆さんの夢を食べちゃうかもしれないけれどまあ…試練の方が多いですからね」勝「修業です。結婚は、修業です!…その修業を愉しむことです☆」国「なるほど」江「だから指輪の交換はね、ツルハシの交換。その日から、労働が待っているんですよ」相「先にそれを知っていれば、何か楽ですよね。そういう思いでいけば…」江「その中で得るのは、絆なんです。だから、惚れたはれたというのは、最初の何年か。そこから後は、もう毎日が『今日こそ、別れてやる』☆と思うんですよ。でも別れないのは、絆がそこで生まれてくるから。『これも乗り越えた。あれも乗り越えた』っていうね…」美「実体験よ☆」眞「小池栄子ちゃんは、あの時点では『晩婚の方がいい』っておっしゃったじゃないですか。でも、結果的には早く結婚したっていうのは…」美「別れるかもしれないしね…」眞「…」勝「…声変わりの人は、ズバッと来ますね!☆今日は重いですね、美輪さんの言うひと言が☆」江「どっちでもいいんですよ。変な言い方だけれども、離婚って世の中にありますよね。離婚=全て絶対悪いっていうことじゃなくてね。もちろん、できれば、例えばお子さんとかもいれば絆を深めていくことが大事だと思うんだけども、だからといって我慢をずっとし続けてゆくのもおかしい。そうじゃなくて、ひとつひとつが学び。それを元にして、どうバネにして今度は乗り越えるか。私たちは誰もが、失敗をしたことのない人なんか一人もいないはずなんです。失敗は、その後の成功の元、教訓に絶対になっていますでしょう?だから美輪さんのおっしゃったことは、ただ結婚、離婚するとかっていう予言ではなくてそういうことも一つの勉強、そうやって人間性が、より高くなり深まってゆくということですよね。…今日はいつもと違って、私が通訳☆いつもと逆☆」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。「オダギリ ジョーさん」「山本耕史さん」
December 27, 2007
和泉家が本来の姿に立ち戻り、王道を歩むための方法とは。美「カットして下さってかまわないんだけど、私はいろんなことを知っているから…元彌さんがしっかりすれば、問題ないの。あの人が、日本狂言界のためを思うんだったらキワモノみたいなね、プロレスでとんでもないことをやったりとかねああいうことを一切やめて、それで日本狂言界に詫び状を出して、頭を下げて廻るの。そして、1人じゃ稽古はできない。やはり自分の息子を自分で稽古してやってもまた野村さんだとか、いろんなところや何かみたいにねやはりいろんな人たちがいっぱいいらっしゃるんだから、そういったところへ頭を下げて『稽古をお願いします』と言って、それで正統派に戻るんですよ。それは何でもないの。そうするとね、1人だけじゃなくて、お子さんまでを駆り出して『相手役がいない』そういう苦しい事情が逃れられるのよ。そうしたら、あちこちのところからね全部お相手もしてくださるし、仕事も増えるし、信用も増えるの。だから全部、それは元彌さんがやるべきなのよ。そうでしょう?」江「羽野さんの守護霊さんという方もいらして、この人はまた、立派な方なんですよ。家自体は、刀鍛冶とかね、そういったところのおかみさんだった方がいらっしゃって。この人はお弟子から何から、一杯抱えて面倒をみた方でね。だから、今まで劇団ということもあるけれども、いろんな人と関わったり、面倒をみるのは羽野さんは全然、苦にならない人ですよね。むしろ、好き」羽「好きですね」江「だからおかみさんタイプなの。あなたみたいな方の方が、本当は今後のね未来を考えると、そういう世界の、和泉さんにおいてもですよ本当はそういういろんなことを作ってゆける人なんですけどね。だからあなたがこの家に来たのは、むしろご先祖さまからしてみたら迎え入れられた人なの。なのに現世の方が気づいていないの、全然」羽「そうですか…」江「ごめんなさい、気づいていないとまで言っちゃった☆口が過ぎました…」羽「あの…実際、嫁いでいろいろ、本当になにも言わないで、ただただ見て何年間か過ごしていましたけど、あんまり、お嫁さんの出る幕はないですし…」江「それをまた、学びましたよね」羽「そうですね、だと思います。なので、彼は本当に大変能楽協会からも除名されちゃったりも…本当に今、とても孤独で1人で頑張ってるんですけど、でも元聖、息子がいるので『二人で一から頑張られたらどうですか』という風に…応援してはいるんですけど…」美「いま、お勉強なさって、新しく絆を作って、それで正解だということですよ。後は、うんと働いて、収入面をきちんと確固たるものになされば…」羽「わかりました」江「今日もこうやって連れて来られたこと自体が、お父さんなんですもん」美「どっちの?」江「和泉家の」美「元彌さんのお父さん?」江「そう。だからね…」羽「本当に私はもう…」美「お父さん(和泉元秀 1937-1995 元彌さんの父 和泉流 十九代宗家)にしたって天才と言われた人なんだから。お祖父さん(九世 三宅籐九郎1901-1990 元彌さんの祖父人間国宝)という名人がいたのよ。お祖父さんには私もお目にかかっていろいろ教えを受けて存じ上げているけれども…そっちの方を、何故大事にしないの?というの。芸術至上主義で、そちらをやっていればお祖父さんもお父さんもお喜びですよ。お宅の家は安泰よ」(元彌さんはお若いうちに先代、先々代を亡くされています。同じく伝統芸能の歌舞伎界でも、団十郎さん、松緑さんをはじめ、若くして先代を亡くされた方々が、身を低くして周囲に教えを乞われ、立派に襲名、ご活躍される例がたくさんあるようです。)江「はっきり言うけれども、何故このお父さんが連れてきたかというとお父さんは羽野さんの方の味方だから」羽「そうですか?ありがとうございます…」江「そうなの。だから羽野さんも、今まで思いこんでいた誤解を解いた方がいいですよ。『自分の方が悪い嫁になってきちゃったから』『自分が変えてあげられない』とかね。変えてあげられないじゃなくて…」羽「…何と言うんですかね…いろいろなマスコミバッシングの始まりが結婚のときから始まっているんですね、やっぱり…『結婚します』という会見から始まっているので『申し訳ない』というのがすごくあって…」江「妄想ですよ、それは。確かにバッシングが原因しているのはバッシングされればされるほど、意固地になってどんどん悪い方へ追い詰められていっちゃってるのね。全部、裏目、裏目にいっちゃっていて、そんなところを気にせず王道で行けばよかったんですよ」羽「本当に、息子と元彌さんはそれだけをやらせてあげたいです」江「だからご主人さまに、これをしっかりわかってもらいたいのは…羽野さんじゃないんですよ。ご主人にとって、今が要だということ。今、気がつかないと、すべてを失いますからね」美「そう。完全に」江「全てを失いますよ。今、羽野さんもそう思っていらっしゃる。はっきり言いますけれど、今、頑張ろうと思っていらっしゃるけれどもそれはいつまでもじゃないですよ。時間、タイムリミットがありますよ。それで変わらないようだったら、羽野さんもバッサリ切りますよ、きっと。それは、もちろん望んですることじゃないです、失意ですよ。『ここまで頑張ったのに…』という」羽「そうですね…と思います…」江「何しろ、子供を守りたいから。そのためにここまで頑張ってきたのだから。今、軌道修正すればいい。奥さんじゃないけどね☆旦那さんが…」羽「ありがとうございます」美「ご本人に会って、私が面と向かって、言ってあげたいくらい☆言ってあげたい、お父さんの代わりに」国「僕も、言っているところを見てみたいです☆」番組収録後、楽屋で待っていた可愛らしいお子さんの姿もありました。「皆さん、これに出られた方は、結構すっきりして帰られるって聞いたんですけど荷が重いって…☆困っちゃった…頑張るしかないです…子供も、みんな…で主人はもっと頑張ってもらって、みんなで幸せになりましょう、という感じですね」☆☆☆羽野さんは、タモリさんをはじめ周囲の方からとても可愛がられていらしたので、ご結婚されるときも幸せになられるといいなと思っていました。元彌さんは、狂言師ということを知る前に情報番組に出ていらしたのを観て「なんと素直で素敵な人だろう」と思い、ファンだったのですが、あるときを境にご出演されなくなったのは、お父さまの具合が悪くなられ、芸に立ち戻られた時期だったようです。陰ながら応援し、狂言初体験も彼の舞台で、一連のことを残念に思っていましたので今回の番組はとても嬉しく拝見していました。「狂言はこんなに楽しくて面白い世界なんだよ」というメッセージで関心を広められた功績はとても大きい方なので、さらに至芸を極められ、ご家族さま共々、幸せに発展してゆかれることを願っています。☆☆☆読んでいただいてありがとうございました。スペシャルの続きは、これまでゲストにいらした方々が転機を迎えられた様子を振り返ります。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 26, 2007
二人のお子さんが相次いで狂言の舞台に立つようになる中、あえて夫婦別居を選びタレント活動を開始した理由とは。羽「それは本当に、今年、最近決めたというか。本当は、あまり目立たないようにこっそり復帰できないかなって…」国「それは難しいと思うんですけれども☆」羽「そうですよね☆」国「7年間ブランクがあって、久しぶりにコントをやって、どうでしたか?」羽「楽しかったですね」国「またやりたい気になってくるんですか?」羽「許されるなら。だけど元彌さんからは怒られたというか『よく考えろ』と言われましたよ。あの…『うさぎのキグルミを着ているお母さんがいますか?』と言われて『いないなー』と。でも、仕事だし、コントだし、シュチュエーションがあるから。日頃からずっとうさぎでいたらおかしいでしょ?『お家でうさぎを着ているわけじゃないから、いいんじゃないの?』と言ったら『あのね、狂言師の奥さんが、うさぎの格好をしていて例えば皇室の秋の園遊会に呼ばれますか、行けますか?』と言われて『申し訳ありません。私はその時はご遠慮しますので、元彌さんだけで行ってください』」美「じゃあ、おっしゃればよかったのに。『じゃあ、元彌さん、あなたは変なプロレスをしたり、変な格好をして妙な格好をしてチョロチョロ出てこない方がいいんじゃないですか?』とおっしゃればよかったのよ」国「それは言えますね」美「よく人のことが言えると思いますよ」羽「お友達も言ってくださるんです。なので、私の気持ちとしては『いいじゃない、一緒にうさぎを着ましょうよ☆』って、思ってるんですけど」国「芸能界に戻ろうと思った理由は、ちゃんとあると僕は思うんですけれども」羽「本当に、例えば実家に帰って、どこかでアルバイトをしようかなとか…」美「収入的にね」羽「そうですね。そんなことをしてもしょうがないというか…。私、実はお仕事をさせていただきながら、あんまり、多分苦労をしていないというかすごく嫌な目に遭ったことはあまりないですし、本当に恵まれていて、そんなにこう…辛い目に遭っていなかったのに、今、自分のだんなさん、元彌さんであるとかお家が結構、叩かれているような状況じゃないですか。それでいて、お家で黙って見ているしかないんですね。とっても何か…辛いというか何もできないですし。『でも、そうじゃないのにな…』と思うことがあっても何もしてあげられないし…ということもあったりして。実はこれから、3才の息子が初舞台をしないといけないんですけれどそのときにあの…子供がやはりみんなに愛されて舞台に立って欲しいというのが一番の願いで…そう思ったら、そんなに嫌な世界じゃないのにそこに飛び込ませるのが、とても辛い…」国「辛い?」羽「辛いじゃないですか。だって、一生懸命、舞台に立つときは子供だからといって大目に見てもらえるわけではないから本当に大人と同じように一生懸命お稽古をして、大人と同じように舞台をやるわけですよ。そんな気持ちでやっているのに、ブラウン管を通しては…ちょっと…」国「報道があったり…」羽「そうですね。嫌な風に伝えられちゃったりすると、やはり気持ち的に寂しいですし…そう思ったら、私のお仕事をしていたときの周りの人たちは決してそんな人ではないので、私もお仕事に戻らせていただけるのであれば私と同じように、息子もみんなに愛されて欲しいという気持ちがあって…戻ってきても…いいかなというか…」番組収録前の羽野さんの言葉「いま、私、子どもたち、そして私の周りの家族が、みんなハッピーになる方法というのがどういうことがあるのかなって…私が今、どういうことができるのかなっていうヒントをいただけたらなっていうことなんですけれども…」国「江原さん、今日はどんなメッセージが?」江「私は、今日は困るんですよね☆羽野さんご自身、聞きたいことってあります?今日、お出になったのは、今おっしゃった様な内容を伝えたくて出てらっしゃるでしょう?」羽「そうですね、それは…」江「ただね、言えることは、羽野さんは今、お母さんになったの。母は強し。とにかく、今は子供のことだけ考えていると思う。子供をどう守り抜くか。そのことだけに懸命だと思う。先ほどちょっとおっしゃられていたけれどもお仕事の再開も、子供のためにも、将来のためにも、やはり経済が必要ということもあってご主人の方のお宅の今の経済的な事情とか、そういったことで『自分自身がただのんびりしているわけにはいかない』というところでものすごく頑張っていらっしゃると思う。スピリチュアルチェックで中国のことをおっしゃたでしょう?確かにね、前世に中国にいらっしゃったことがあるんですよ。狛犬みたいなものを送り出した夢を見たとあったでしょう?それはね、比喩というか抽象的な見方であって、実はね、前世で子供を手放している。羽野さんにとって、子供を手放すとか、子供が離れるということはもっとも耐えられないことなの。どこの親でも本当に愛していればそうなのかもしれないけれど『自分の命を差し出しても子供を守りたい』という、すごく熱い愛情を子供さんに対して持っていらっしゃる。だから変な言い方だけれど『うさぎのキグルミだって怖くもなんともない、子供のためならば』『家を出るのだって、子供のためならば、別にかまいはしない』『それによって、うまくまわってゆくならば』『子供が少しでも、すくすくと笑顔で、今日も一日過ごせるならば』ということができるのであって、その子供の象徴として夢に狛犬という形で出てくる。前世では、見送って、晴れ晴れとした気持ち、本当ならば、育て上げてそうしたい」羽「そう。心配で心配でしょうがないんです。もうコロコロ転びながら遊びながらのようなんだけれども、心配で心配でしょうがなくて見送っているっていう初夢だったんです」羽野さんの前世は中国で側室だった方。江「要するに、お世継ぎを作るためにいて…ということで自分が最後まで看ることができないんですよ。だから親子でありながら、親子でない、結局連れていかれているということがあって。だから、何があっても今回は、子供を離したくない。子供のためだったらどんなトラブルがあったって、あなたは耐えていこうという気があると思う。子供が育て上がって、自立できたら『私の役目は終る』という信念でしょう?」羽「はい、そうですね」江「これは番組であって、番組でなくなっちゃうんだけども本当に真剣なカウンセリングになっちゃうんだけれども…」美「結構ですよ」江「いいですか?…そういう羽野さんの気持ちが、どうしてわからないかね?私は申し訳ないけれど、羽野さんが気の毒でならない。だから、本当に難しい世界だと思う。こんな素人の私がとやかく言えることじゃないけれども、ただひと言いえるのはもうちょっと上手なやり方があると思う」羽「私が?はい…」江「本当に使命やら、難しさというのはあると思うんだけど、もう少し…方針とか、考え方とか。今はね『今をとにかく、乗り切らなくてはいけない』ということをスローガンに、一家が動いているから、それは仕方がないのかもしれないけれどもあの…軌道修正は絶対に忘れてはいけないですね」羽「そうですね…はい…」美「でもね、あなたもわかっているでしょう?相手があることでしょう?」羽「本当にそうだと思います」美「あなた1人がそのつもりになっていても、相手がいるからね…」江「だから羽野さんは『絶対に信念でやっていこう』って決心してるのに…」美「それはやっぱりね、通じる人、通じない人もいるのしね。相手の方がね、まったくもう、普通の話が通じない方だから」羽「私が伝えるのが下手なんでしょうか?」美「いえ」江「違う…違う…だってね、羽野さんでなかったら、とっくに終わってると思いますよ。だから伝え方が悪いかというと、それは悪くない。良いか悪いか、ひと言で言えるとしたら、何と言うのかな…頑張り過ぎかな…」美「そうね…」羽「そうですか?」江「私はね、羽野さんの気持ちを今後ね、裏切られることが辛い。そういうことになったらね…それだけ頑張って、今後もいくのに理解をちゃんとしてくれないと…何か『ここまで頑張ったのに…私、何だったんだろう?』みたいなね…」美「あなたは誠意もありますよ。子供を守ろうという母性愛もある。とても立派ですよ。だってご主人のことも愛しているし、立てたい。…あのね、愛情と根性、この二つじゃどうにもならないことって世の中いっぱいあるんですよ」羽「はい…私は今、本当にどうしていいかわからなくて…」美「でも、わからないというより、ちゃんと正解の道を歩んでいらっしゃるじゃないですか」江「うん、歩んでます」羽「そうですか…」美「そうよ」江「ご自身と、お子さん自体のことを考えたら、正解の道なんですよ、今」美「だって、これでご主人が時々会いに来たりなさる、時々、昼間でも夜でもお会いになったりして、それが、健康な普通の家庭なんですよ。そうでしょう?それを選んだんだんだから、それでいいじゃありませんか、正解ですよ。だから後は、経済的な自立、それをどうするか、それだけですよね」江「はい、ですからお子さんのことを考えたら、やはりこうやって仕事も再開して。それは『備えを常に』何があっても、お子さん自体には迷惑はかからないでしょう?経済基盤をちゃんと整えて、生活がちゃんと落ち着いていれば。むしろ、こうやってお出になることによって、お子さんの問題点もなくなる。お子さんも好奇の目にさらされてかわいそうじゃないですか。だからこうやってお出になって、羽野さん自身のお気持ちを述べることでやはり子供を守っていかなくてはいけないし。だからそういう意味では、選択してきたことは間違いはないと思いますよ」羽「そうですか」美「そうですよ」江「それでいてね、お嬢ちゃん。子供ながらにとっても我慢してる」羽「はいっ、そう思います」江「すごく、ちょっと良くない位、いい子。良くない位というのは、子供だから、もう少しわがままを言ってもいい…」美「このお嬢さんはね、この家を守ろうと思っていらっしゃるのね」羽「そうかもしれない…そうですね。弟の面倒もみてくれますし今は別々に住んでいますので、たまに元彌さんが来ると、鍵を閉めちゃう。『またお仕事だから、出て行かなくてはいけないので』と言うと…」江「健気な…」羽「そうですね…」続きます。***「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 25, 2007
劇団☆新感線の看板女優から、古典芸能のご家庭へ入り、二児の母となった方がゲスト。最近になってお子さんを連れ、だんなさまである和泉元彌さんと別居、お仕事に復帰されました。【スピリチュアル・チェック】☆ 小さい頃、なりたかった職業→すごく小さい頃、赤ちゃんのとき、高いTVを見上げながら「なんだろう、この素敵な人は?」と思ったのは、山本リンダさん。その後、「ロボコン」に出てくるロビンちゃんに憧れました。なので、やはりTVに出てくる人に憧れていたんだと思います。☆ 自分の性格をひと言で→気が長い。☆ 海外で何故か心惹かれる国→中国がとても気になっているんですけど、何故か行けないというか。この間、自ら行かなかったんですけど、何か、たどり着けません。☆ 印象に残っている夢→ある年、20歳から25歳くらいまでの間に見た初夢なんですけれど二匹の丸々と太った子犬のような、多分神社の狛犬だと思うんですけどもうコロッコロした狛犬を旅立たせる夢を見ました。☆ 不思議な体験→いま私が住んでいるお家に、どうも小さいおじさんがいるみたいです☆☆ 今後の人生の目標→みんなハッピーに過ごしたい…周りの人が…。国「この番組はご覧になったことはありますか?」羽「もう私は大ファンで、始まった当初から観てました」国「ご自分は今日、ここに座られましたけど、ということはもう、大体わかっていますね☆その時期がもしかしたら来た、呼ばれたのかもしれないですね」羽「まさか自分が座ることになるとは、夢にも思っていませんでした」お二人とは初対面とのこと。羽「江原さんは、私、時々、浅草にお散歩に行くと、子供たちも大好きできび団子をいただくお店があるんですけど、そこに江原さんのお写真が飾ってあって☆食べ物の趣味が合うのかなって☆共通点が」国「また江原さんときび団子というのが合いますね☆」江「美味しいですね、あちらのきび団子は☆お抹茶も…」羽「美味しいですね☆」国「かなりローカルな話ですね☆」江「浅草へどうぞ☆」羽「逢いたかったんです、お二人に…」国「よかったですね」羽「私、実は、あの…和泉さんのお家を本当に…申し訳ないんですけれど、あの…子供と一緒に荷物をまとめて出ちゃった…その時が本当に、一番大変ですごくお会いしたかったんですね」国「ただもう、お二人にはいろんなことが見えていると思うので、隠し事なしでねいろいろと話しましょうね」羽「はい、お願いします」不思議な体験は、小さなおじさんがお部屋にいること。羽「長女がいま5歳なんですけれども、よくお友達が遊びに来てまして『采明(あやめ)ちゃんちの2階に小さいおじさんがいるよ』って、ふと言ったんですね。このくらい(親指と人差し指を広げた長さ)なんですって。その何日か前に、下の長男(元聖もときよ君)3才なんですけど、眠らせているときに『おじさん、おじさん』と誰もいない方向に向かって言うんですよ。『何を言っているんだろう、この子は。早く寝なさい』という感じで眠らせたことがあったので、もしかしたら小さいおじさんが2階にいるのかなっていう…」国「同じ場所で目撃しているんですか、子供たちが?」羽「はい」国「僕、オーラの泉で一番興味のある話なんですけど『小さなおじさん』が☆」羽「時々、出てきますよね☆」国「釈由美子ちゃんが排水口に流したおじさんと…」羽「そう!そうしたらね、小さいおじさんの目撃者の男の子はその子のお家にもいたらしくて、お手洗いに流れていったんですって」美「じゃあ、同じじゃない☆」国「流れてゆくタイプなんですね、小さいおじさんは☆的場浩司さんのときも、自分の髪の毛に糸を結ばれたりして…」美「いたずらするんですか。でも子供たちも怖がっていないですし、なので私は逆にちょっと嬉しいというか…」国「これは同じ、妖精みたいな感じの…」江「よく覚えていらっしゃいますね☆」国「興味がありますから。何か悪いことをしようとしてるわけじゃないんですよね」江「あのね、自然霊(この世に肉体を持ったことのない霊魂)妖精的なものというのは無邪気な人とか、優しい人のそばにしか来ないんです」国「だから子供の前に出やすかったりとか、見えたりとか…」江「子供が見る率が高いんですよ。大人になっても見る人というのは子供のような無邪気さを持っている人。私はね、そういったものを霊視したりしてね、感じる人が白雪姫とかそういう物語を作られるのかなって…」羽「ティンカーベルも小さいですし…」美「ガリバーの旅行記とかね」国「僕もそういう人になりたいんですよ☆だから、小さなおじさんを見るのを目標にします☆」美「あなた大丈夫よ。鏡を見ればいいんだもの☆」国「僕が小さなおじさんってことですか?年齢的にも30をいくつか越えてきたので…☆」「オーラの泉・釈由美子さん」「オーラの泉・的場浩司さん」1998年、舞台「ロミオとジュリエット」で狂言師・和泉元彌さんと共演、これがお二人の出会いに。国「第一印象というのは、どんな感じだったんですか?」羽「一番最初に『この方が相手役です』というのでお会いしたときに結婚式の新郎さんみたいな、白いスーツの三つ揃えだったんですよ」国「私服なわけですか?」羽「私服です☆『なに、この人、何処から来たんだろう?』という感じで。私はその時に、オーバーオールにサンダル履きで、リュックサックを背負って☆あまりの差に『申し訳ないな』と。所詮、劇団員ですから☆でも『ロミオとジュリエット』のジュリエットをやらせていただいたんですけど自分がジュリエットの役をやるようになるまでにとても時間があってのジュリエットじゃないですか。本当に台詞がひと言から始まって…というのが続いて、ジュリエットをやれる私と演劇の初舞台で、ロミオの元彌さんだったんですね。大人になると、だんだん初めてのことって無くなってゆくじゃないですか」美「経験をいっぱいしているからね」羽「『フグを食べたら美味しかったわ』とか、いろいろなことで初めてが無くなってゆく中で『この人の初舞台』をとても大事にしてあげたくなっちゃったんですよ」国「優しいですね」羽「そうですか?でも、とても厳しかったですよ。とても厳しいことを言ったと思います。私は6才年上なんですけど、なので『初舞台のときを大切にしてあげたい』という気持ちがあって、面倒をみてあげちゃったというか、そんな感じで…心が通っちゃいましたね」国「公演が終わってから、お付き合いが始まったんですか?」羽「そうですね。それで狂言の舞台を観に行かせていただいたりして『ああ、立派なご宗家様だったんだわ』という感じだったりして。あまりにギャップ、差というものを感じながら、面白がりながら、お付き合いして…」国「結婚願望みたいなものは強かったんですか?」羽「強かったと思います。でも、彼と結婚するのは大変でした。結婚までの道のりが。すごく何度もくじけそうになって『本当に、もう駄目』ということが何度もありましたけれども、でも一緒に頑張ってそこにたどり着いたので『やはりこの方と一緒になるんだったのかな』という風に思うんですけれど…」美「…微妙ね☆」2002年にご結婚、さまざまなしきたりなど、いままでにない経験が待っていたようです。国「やはり大変なことなんですか、伝統芸能の世界に嫁ぐというのは?」羽「『大変なことですよ』という風に、言われていますし、大変なんでしょうけどいまひとつ、実は実感がなくて…本当に申し訳ないなと、もう私はいつも和泉さんちのご先祖さまに『本当にすみません、私ですみません…』って思いながらおつとめしているんですけど…」国「羽野さんも、もともとは普通の女性だったわけじゃないですか、それが…」美「今でも普通よ、異常じゃないわよ☆」国「狂言の世界に入るというのは、全然いままでの生活と…」羽「はい。嫁ぐ時に、お仕事をしながらといいますか『二足のわらじは無理ですよ』『趣味ができると思ったら大間違いですよ』『何もかも白紙の状態でいらしてください』という…」国「羽野さんから見て、お子さんたちが厳しい世界に入ってゆくわけじゃないですか。これはもうしょうがないかな、という感じで見ているんですか?それとも…」羽「しょうがないというよりも、あの…不思議で、私が元彌さんと出逢ってお付き合いしているうちに『この方って、半分私のものであって、半分私のものじゃないな』という感じがあって。この人がやっていることの使命、日本の伝統芸能を継承してゆかなければいけない1人であるということでどちらかと言うと半分、日本のものというか、流儀のものだとかそんな感じがあるんですね。男の子が生まれたときも、日本の伝統芸能、無形の遺産ですからそれを受け継ぐ人として、やはり嫌いにならないで良いもの、素敵なものだから、後々、代々、ずっと繋いでいって欲しいなということを本人がもっと大人になったときに、自分もそうやって子供に繋げていこうって思ってもらえるように、育てていかなきゃっていう風に思う…」国「すごいですね…普通の子供が生まれたのとは、やはり違いますものね。男の子が生まれたら、半分は日本のものって思っちゃうわけですか…」羽「でも、見本といいますか、元彌さんがそうやって来てるそういう方がだんなさまなので、そんな様に繋がっていかないと。ずーっと六百何年間、そうやって芸が受け継がれてきているのに『私の子どもだけ、ごめんなさい、やらせないわ』というのは、そんなことはとても。『今、やめなさい』というのは、とても責任が重過ぎるというか、言えないですから『素敵なことをやっているんだ』と思ってもらってやってくれるといいなと思っていますけれども」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 24, 2007
胃がんになった女性の身に起きた不思議な出来事について。2007年7月、ニュージーランドで、夫と三人のお子さんと暮らすエブリン・ハリスという女性が末期の胃がんと判明したそう。家族と少しでも長く一緒にいたいと自宅療養をする妻との思い出を作るために夫であるハワードさんは、まだ挙げていなかった結婚式を計画されましたが愉しみにしていた挙式の前日、エブリンさんは危篤状態となって入院することに。妻を心から愛するハワードさんは病院で許可を受け、意識不明のエブリンさんを囲んで結婚式を挙行したところ、牧師さんが誓いの言葉を述べた途端、エブリンさんは「私は何処へも行かないわ」と言って奇跡的に回復、翌日にはウェディングドレスを着て教会の庭で式に臨んだそうです。***お三方の他に、森公美子さんと宇梶剛士さんがご一緒です。国「すごい力が生まれたというか…宇梶さん、どう思われましたか?」宇「いいですね。いろいろ、例えば戦争とか不幸なことも考えるんだけれどもこの人はたった一人、家族五人で、たった一つの、たった一人の幸せを見ただけで僕はもらえるものがいっぱいあるんだなということを…」国「僕も同じですね。いまのVTRを観てすごく思ったのは本当によく忘れてしまうことなんだけれども、一日一日を本当に感謝して生きるということが自分にとっても今、大事なのかなと思いましたし、感謝しなきゃいけないな、今、当たり前のように生きていることをもう一度考え直さなきゃいけないのかなっていうのが僕自身が教えられたことかなと思いますね」森「私も、主人がね、交通事故に遭って、意識レベルが0だったところが病院に行って主人の名前を言ったら、呼吸を始めたんですよ。そのときのことを彼が『呼ばれたと思った』と、いま言うんですけどやっぱり人って、どこかに行っちゃうことってあるんだなって。あっちの世界というのは、まだ死んでないからわからないんですけどどこかに行って、ハッと自分に帰ろうと思って『今までの自分だ』と思った瞬間に同じことを始めるんじゃないかと思うんですよ。息をしたり、起きようと思ったり…」美「それとね、やっぱり拝見していてね、愛の波動なのよ。ご主人がこよなく愛しているでしょう?奥さんもご主人のことをものすごく愛しているじゃない。子供たちに対する責任とか、愛『私が死んだら、この子たちはどうなるだろう』という気持ちもある。そういうものが一緒になるとね、ものすごいエネルギーを生み出すのよ」森「実はね、私の主人が交通事故に遭ったときに、美輪さんからそっとね、番組に出たときに椅子のところで『愛よ…愛よ…』ってすごく言われたんですね。そのときにね『早く良くなって、良くなって』しか考えていなくて。『愛よ』と言われて、心の底から『本当に愛しているから、元気になって、愛しているから』と毎日、毎日そう言っていたんですよ。脳外科の先生も『多分、彼の回復としては車椅子、しかもヘッドギアを付けないとこれから命を預かったとしても、そういうことになります』と言われて。『そうなのかな…』と思いながら、それを繰り返してやっていたんですよ。今、歩けるようになったんです、杖を使ってね。そこまで回復するとは、事故当時を知っている方たちは誰も思わなくて。あのときに美輪さんに会って『愛ですよ』って言われなかったら今の回復はなかったかもしれないって…」江「今の現代人って、特に日本人って、感謝がないじゃないんだけど恵まれているということ自体への感謝がないでしょう?あと、それがために信念が弱いですね。すぐに『もういいや』とか、投げますでしょう?彼女達って、すごくナチュラルなシンプルな生き方をしているじゃないですか。お子さんたちもみんな純粋。そういうピュアな思いというのかな。『そうだ、日本の国の人たちは忘れているぞ』と思うんですね」国「まさに僕、いま江原さんに言われた『ザ・日本人』でした。諦めるのも早いですし、感謝も忘れちゃうこともありますし。でも、本当に今の僕に届いたメッセージは、本当に一日、一日を感謝して生きようって…」江「だって、当たり前のことって、一つも当たり前じゃないんですよ。今日、家族でご飯を食べているとか、当たり前だと思っていることって全然、当たり前じゃないんですよ」エブリンさんは、奇跡の回復をされて3ヵ月後に亡くなったとのこと。夫のハワードさんは「彼女の存在を近くに感じています。天国にいると思います。今でも話しかけています」家族が一緒にいるということは、当たり前のように見えて、本当にかけがえのないこと。「オーラの泉・森公美子さん」読んでいただいてありがとうございました。本日12月22日(土)、夜7時から年末スペシャルが放映されました。ゲストには羽野晶紀さんで、現在の心境について語られた他、これまで放送された丸山弁護士、小池栄子さん、青木さやかさんをはじめとした方々がどんなメッセージを受けておられたのかを振り返った回。オーラな出来事は「臨死体験」などについて。この1年を振り返り、内省するのに相応しい番組になりましたね。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 22, 2007
さまざまな経験を積んでこられた秋吉さんへのメッセージとは。江「守護霊さんとおっしゃる方がいて、その方は秋吉さんの現世における血筋に当たる方じゃないかと思うんですよ。要するにご先祖様のこと。何かの職人をなさっていた男の人がいらっしゃって、不可解なことを言うようですけれども『定住地を定めなさい』とおっしゃるんですよ。いろんな意味で、秋吉さんは常に変化を求めてしまう人なんです。『だからそろそろ、定住地を持ちなさい』それは現実の上というよりも、心の上での定住地という方が強いかもしれません」秋「心ならいいんですか?場所的には難しいですよね」江「物質というものではなく、一番は心でしょうね」秋「場所が難しくてしょうがない…」美「どういう意味で?」秋「ぴったり来るのは何処だという…ピッてなかなか、ならないんですよ」江「あのね、それはひとつだけ申し上げますと、場所は作るんですよ。秋吉さんの場合は、魂の上で、一度も定住した場所を持ったことがないんですよ。そうではなく『自分自身が耕す』というのかな、いわゆる『エナジーを耕す』そういうことも大事なんですよ」秋「大変ですね…」美「大変じゃありません。古代人の意識を持ってずーと社会で生きてきたわけでしょう、流浪の民で。それを全部清算して、今世で『もうわかったでしょう?今度は普通の人の人生を学びなさい』ということなの」秋「素晴らしいですね、普通…」江「家族感も。いままでの魂の流れをずっと見ていても、家族感がないの。だって、家を出されているでしょう?今生においても、常にどこかでクールな見方があると思うんです。だけどここから先は、自分自身を中心として例えば自分の家族とか、それも心の定住地なんです。『家族です』という意識を強めることは、心の定住でしょう?『家族だ。私たちは』というね」美「あなたにそれができるということは、犬が証明しているじゃありませんかということなの。犬も家族なんですよ。そうでしょう?犬に対して、あなたは母親の役、父親の役、兄弟の役をやっていらしたんじゃないですか。それが人間に変わるだけなんだもの」秋「人間だとできないんですよね…」美「人間不信があるから」秋「お言葉ですが、不信だけじゃなくて、人間の場合は何か『自分はかばってあげなくてもいい』という意識があるのかな・・・」江「動物はね、愛情を100%向けたら、100%返って来るんですよ。人間はそうはいかないの。だからそれを人間不信と言う」秋「だったら、勝手にやって欲しいなと。自分で責任を持って…」美「いえ、そういう人間ばかりはいないの。『自分がいないと、この人はどうなるだろう』という人間もいるんですよ」江「いつもべったりじゃなくて『繋がっている』という意識。それが定住ですよね」美「それとね『もうそんなに自分をいじめないで、もっと自分をおおらかに愛してあげて慈しんであげたらどうですか?』という時期に来てる」秋「そのやり方がわからないんですよ」美「それを探していらしたんでしょう?入り口がわからないのよね」秋「そう。自分の愛し方を知らないですね」江「周りの人とか、世の中の人はご自身をすごく愛しているように見えるかもしれないですけれど、全然、違いますよね」秋「どうしてみんな、あそこまで自分を愛せるのかと思っちゃって。自分を愛している人にすごく興味がありますね」美「一番肝心なのは、まず人を愛するのだったら『自分を愛せない者が人を愛せますか?』ということ」秋「何故愛せないかというと、エゴイストとかナルシストになりたくないという自分に対する危険性を感じてしまうんです」美「だからそれが、エゴイストなの。自分が傷つきたくないんですもの」秋「傷つくのはそんなに嫌じゃないんですけれど…」江「要は『もっと信頼し合う、もっと自分と寄り添い合うということをしていいんですよ、するべきなんですよ』ということ。ナルシストということではなくて、全然」国「どうですか、入り口は?」秋「愛してますか?」国「自分をですか?」秋「うん…」国「僕、全然愛してると思いますよ」秋「どういう風に愛してる?」国「『すげえなあ、頑張ってるなあ』と思いますし…」秋「ああ、そういうことか☆そういうことなんですよ、よくわからないのは。あ、そうか…」国「合ってますかね、僕は?」美「そういうことがわからないというのは?」秋「『すごいな、頑張ってるな』とか、あんまり思わないんですよ。そういう意味なんですよ。自分を褒めてあげたいとか、あんまり思わないんですよ」国「褒めてあげましょう☆」秋「それがわからないと言っていた内容なんですよ。何かあまり『よしよし』と思わないというか、『全然、足りてない』といつも思ってるんですね。『よく頑張ってるな』って思うんだ…そういう感じがします」国「全然、思います、僕は☆何かヒントになりましたか?」秋「なりました☆」国「…役に立ちましたね、僕もね☆久しぶりですね、ここで役に立ったのは」秋「それがわからなかったんですよ、自分の愛し方という意味が」【スピリチュアルメッセージ】☆ 束縛を嫌い、抑圧と闘いながら常に変化を求めてしまう方。そろそろ「心の定住地」を定めてください。「家族」もその一つです。【オーラの言葉】☆ 「自分を愛する」とはナルシストではなく大らかな愛で自分を包み、自分を慈しむこと。自分を愛せない者は人を愛せない。読んでいただいてありがとうございました。明日は「オーラな出来事」をアップする予定です。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 12, 2007
女優として活躍される前になりたかったのは、弁護士さんとのこと。秋「小さい時に子供たちと遊ぶのがあまり好きじゃなくて、大人の中にいるのが好きで。大人って色々な噂話で『これはこうしたもんかのう、ああしたもんかのう』『こうじゃないか、ああじゃないか』と言ってるじゃないですか。『こうすればいいじゃない?これはこれでこういうことでしょう?』と言ってあげるのが好きだったんです」国「あ、大人に対してアドバイスをしていたってことですか?子供たちといるよりは、大人と話している方が好きだったんですか」秋「子供って叫ぶじゃないですか。キーとかキャーとか。あれが疲れちゃって、疲れちゃって。『何か嫌だな、子供って』と思って…」国「まさに僕は、そっち側でしたからね☆キーとかキャーとか…」秋「だから、順当に大人になってゆくんですよ。多分、もしかしたら子供だったから、大人といるのが心地よかったかもね」国「それは秋吉さんがですか?」秋「ええ」美「いいえ、そうじゃない。前世で辛酸を舐めてたの。ものすごい大人の世界の裏表、駆け引き。はっきり言えば『遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来ると言う』お互いに嘘をついたり、駆け引きしたり、それがずーっと続いているから。だから今世で生まれてきた時から、前世の延長で引っ張ってきているから子供の世界にいないんですよ。まったく世故に長けた(世情に通じた)大人のままの延長で子供時代を過ごしているから」秋「前世を引っ張って…」美「体が小さいだけの大人だったわけ」江「自分も他人においても、妙な馴れ合いを見るのが嫌い。変に甘えあっているとかね。『自分は自分でしょう?』そういうところも、実は前世からのことがある」美「前世で大人の世界のいろんなことを見てきて経験が豊富だから、結論を出すのが早いのよ。経験のない人は『どうしようかな、ああしようかな』となるじゃないですか。『ああいう場合はこうだから、こうしましょ』経験豊富だから、結論をパッパと出せるのね」秋「じゃあ、弁護士になればよかったですね」美「いえ、弁護士になるというのも、逆なんですよ。かばってくれる人がいなかったから。弁護してくれる人がいなかったんですもの」秋「私の前世、大変じゃないですか」江「大変ですね。再生(生まれ変わり)の回数も多いしね」江「いまの苦労の本題になっているのは、二回ありましてね。一つはこの国、日本。その前にはインドとかそういうところですよね。この時代ですらいろいろあるけれども、あの…要するに売られちゃっているんですよね。お金というか…」美「人身売買」江「スピリチュアルチェックでも、夢でも見られた寺院みたいな…とかってありましたでしょう?まさに前世のことですよね。本当は悲惨な状況でしょう?死にそうになっているというのは大変な状況なのに、喜んでいるでしょう?解放されたからなんですよ」美「逃げてきた…」江「晴れて自由の身になったということでね。儀式のような、米の粒を付けられて喜んでいるのは、もうじきのお見送りとか、解放の儀式みたいなもので『ああ、自分は解き放たれた。苦労をしなくてもいいんだ』というような思い」国「男の子ですか、女の子ですか?」江「女の子ですね。本当にそういった意味では、束縛されるとかご自身の中でも駄目だと思うんですよ。そういう、過去生の思い出と言うのかな…」秋「駄目ですね」江「だから、言葉ひとつでも『そう言いなさい』『ああ言いなさい』とか自由に話させてくれないことすら、嫌だと思います。『何故』『自分が素直に思ったことを何故言ってはいけないの?』とか」秋「その通りです」国「それは、夢ではないということですか?」江「そうなんです」美「記憶」江「気の毒だなと思うのは、今生はもうその心配がないのに、制圧されそうになると余計にわざと自分で、過激にいようとするの。そういう力と戦いたいの」秋「事実以上にね。そうそう、あります」江「今回、それのリベンジ(復讐)かのように生まれてこられた。今回は束縛されるのが絶対に嫌だし、それが叶う時代じゃないですか。どちらかというと、最初のデビューの頃からそうだけれども秋吉さんはどこか人権運動的なところがあったような気がする。要するに『自分の言いたいことはいいたい、言わせてもらう』『女だからとか、何とかと言われるのも嫌』『自分は自分』そういうことが、かなり強くなかったですか?」秋「全体主義が駄目ですね。全体主義というのは『全員を生かすために個を殺す』全員で、協力してゆくというのはいいと思うんですよ。協力するために、言いたいことを言って、中を取ってゆく。そうやって折り合ってゆくのはいいんだけれども『みんながこうだからこうするべきで、違う要素を言うのは和を乱す』とか…」国「でも、女優のお仕事って結構、そういう決められた部分があったりするじゃないですか、お芝居をする上では。そこでの抵抗というのはなかったんですか」秋「抵抗はあったから、悪評もありました」国「女優さんになろうとしたきっかけは何ですか?」秋「子供の頃から何か表現するのは好きだったんですけども、基本的には大学を落ちてもう1年勉強するのも嫌だし、格好悪いなと思っている中で、スカウトされて。『1年間勉強するより、そっちの方が楽そう』と思ってホイホイやったらとっても大変だったんです。『よし、これから自由だ』と思ったら高校よりも、もっと自由じゃなかったんです」国「拘束じゃないですけれども、決められたことが多いとか…」秋「フレームの外に出ちゃいけないということは、すごい拘束だと思いました。フレームの中にいながら、最大限に何かを伝えるというのは、すごい拘束じゃないかなと」国「でも何故、こんなに続けられるんですか」秋「手ごたえと、それから拘束を外したら、自分はなにもしないでこの人生を終わっちゃうだろうなっていう、拘束がなければ形も残らないっていうことを元から気がついていて。これだけの拘束とかプレッシャーがあるから何か形にできるんだろうなっていう…ちょっとマゾヒスティックなところもって」国「すごく深いというか…」秋「江原さん、何かすごく…『気の毒な方ですね…』みたいな感じの目で…☆」江「いや、前世のね、その・・・いろんな出来事がね…」美「見えていらしたのね」江「そういったものが凄く大きく影響しているけれどもでも、今生はそうじゃないわけですから。いま興味深く見ていたのは、すごく不思議な方でね例えば今日ここにいますよね、別の場所の情景を見ていることって、結構多いですか?」秋「はい」江「オーラを見ていたんですけれども、もともと持っていらっしゃるオーラというのは割と赤(情熱)も強いし、少し紫(情愛)の色がかかっているんですけれどもそれだけじゃなくて。俗に『千里眼』と言うんだけれども。千里眼というのは、ここにいて別のところの景色を見るある種の透視とか霊視とかの仲間ではあるんですけれどもいま見ていて、秋吉さん自身のオーラの変化がパッとあって『あ、別のところを見る人だ』と思ったんですよ」秋「何か・・・大ロマンを生きられるというすごく楽しいところがあります」江「トリップできるということで?」秋「何と言うのかな・・・300年前のモンゴルの風とか、そこを通り過ぎる馬とかそういうのがフッと来たりするときがあって『あ、この感じはわかる』とか思いながら生きていたりとか…」江「例えば歴史の深い場所に行くと、そのときの状況がフワッと。美輪さんがよくそれを…」美「遠隔透視というやつね。例えばあなたのお家、見る必要もないし意識もしていないのよ。だけどフッと見させられる時があるのよ」国「それは誰かにですか?」美「自分の中でそこにフッと行って、その状況とか、何を考えて今何をやっているかとか、わかる瞬間があるのよ」国「それは何かメッセージがあるから、そこへ連れてゆかれるとか見てしまうということなんですか?」美「いろんな要因があるの。上の方からの指令、役目で『こういうことがあるから、お前、行ってやりなさい。アドバイスしなさい』ということもあるし、いろんなケースがあるのよ」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 11, 2007
独特の言葉遣いと「深い河(ディープ・リバー)」へのご出演など美しく存在感のある女優さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格→喜怒哀楽が激し過ぎる、おしゃべり。☆ 小さい頃なりたかった職業→弁護士☆ 好きな男性のタイプ→逢ったらすぐわかる。☆ ここち良い気分になるのは→モコモコした暖かい群れの中でじゃれあっている。☆ 印象に残っている夢→最近見た中では、タイとか中国とか、日本の田舎にあるような小さなお寺の入り口の階段の一番下で、楽しそうに死にそうになっていた。それを小さい子供が米の粒を体につけてくれて、すごく幸せな気持ちになった。お二人とは初対面とのこと。秋「国分さんとは会いました」国「どうですか、スピリチュアルな世界というのには興味はありますか?」秋「なにか、一緒に生きている感じがします。不幸なことがあったら『これも意味があるのかな』とか。幸せなことがあったら『おお、来た来た』とか」国「それはいつ頃から、そういう風な考えになっていったんですか。小さい頃からですか?」秋「小さい頃からですね。ある種の『気』みたいな感じで。その感じが強い時には『あ、もうすぐ地震のすごく大きいものが来る』とか…」空港で二週間後の墜落事故を予知したり、交通渋滞を避けたりといったことがあるそう。国「今のお話を伺っているだけでも、江原さんとか美輪さんに近いのかなという風に思ったんですけどね」美「いえ、ちょっと違うんだけど、前世であんまり苦労し過ぎちゃったのね。かわいそうになるぐらい、ひどい人生を送ってきたから、その結果身を守る一つの方法として、それを会得したみたいなところがおありになるから」江「そうですね。人生でいろいろな苦労経験が多いと、自然と自己防衛的な『危険を回避しよう』というところが特に強くなる」秋「大当たりです。前世で苦労したような気がします。『秋吉さんて、すごく苦労がないですね』とか『すごく霊感がお強そうですね』と言われるんですけど私の場合、自分が霊感とは思えないんですよ。直感とか、危険回避性みたいな気がしてたんですよ」美「いま江原さんがおっしゃった、防御、防衛本能ね」秋「何か霊感とは思えなかったんですよ。いつも言っていたのは直感とか、防御本能じゃないかって。小さい動物が耳が異常に発達しているとか、鼻が発達しているようにもっと動物的なものなんじゃないかという気がしていたんですよ。自分に霊感があるとは全然思っていなかったんです」江「それも霊感の一つですけれどね。特に古代の人たちというのは、みんな持っているんですよね」秋「それもよく言ってたんですよ。『私は原始人なんでわかる』よく『新人類』とか、神秘的な人だと思われているんだけど全然、神秘的ではなくて、原始人みたいなんですよ」江「自然界の中にいた方が楽でしょう?動物といた方がすごく心や癒されたり…」秋「はい。動物のにおいが好きです。ケミカルなにおいとかが嫌いで動物のにおいだったら糞のにおいでも嫌じゃないんですよ。何か懐かしい、あったかみがある…」国「今なにか、飼っていたりするんですか?」秋「ずっと飼っていますね。犬とは思えないです」国「何に見えるんですか?」秋「ひたむきな、愛情深い男の子☆」美「事実、そうですものね。だって犬ってそうじゃない、人間と同じですもの」江「もう六代目くらいですか?」秋「そうですね」秋吉さんの周りには、過去に飼った犬たちがみんな集まっているようです。江「だから、ものすごく愛されている。もちろん、愛したからなんでしょうけれども。スピリチュアルチェックで『モコモコした暖かい群れ』とありましたよね、秋吉さんがおやすみになっている時は、周りにみんないると思う。だから時々、すごく気持ちの良い、何だかあったかい気持ちになれる眠り特に疲れているときがそうなんだけれども、その時に来ているはずなんです」美「モコモコちゃんたちが☆だからさっきから話が出たように、秋吉さん自身のねスピリチュアルとか、生き方というのか、その大元はね、古代人の生き方なのよ。古代人が現代にそのまま生活していらっしゃるのよね。古代というのは、時間も違うし、生活形態から何から、全部違うじゃありませんか。そのまま、古代に生きていれば普通の人なのね、秋吉さんは。それがどういうわけだか現代に生きているから。よく映画であるじゃない、タイムスリップして古代に生きてみたり古代の人が出てきたりとか。だからそういうことを周りの人が意識していると何でもないのよね。自分自身でも『あ、そうだったのか』と意識なさると腑に落ちることがいっぱい出てくるでしょう?」秋「いっぱいあります」江「この世ではね、例えば『天然』だとか、悪いように使われるけれどある意味で当てはまっている、ナチュラルなんですよ」秋「あの…好物が粟とかヒエとか玄米とか、骨を握って食べたりとか。蟹なんかでも、身を出してもらうと嫌なんですよ。その作業、プロセスがすごく充実するんです。最初からお料理されていると、何だか寂しいんですよね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 10, 2007
スコットランドで起きた犬に関する不思議な出来事について。スコットランド郊外のオーバートンという町に、これまでに50匹以上の犬が飛び降り、命を落としたオーバートンブリッジという橋があるそう。橋の高さは13メートル。(高いところが苦手なことの多い犬が進んで飛び降りるような場所には見えません)今年に入ってからも5件、同様のことが起きているようです。橋のたもとにあるオーバートンハウスというキリスト教の施設の管理者・ロバート・ヒル牧師のお話「死んだ犬は、決まって橋の右側の、同じ欄干の付近から飛び降りしかも何故か鼻の長い大型犬ばかりに限られているのです」動物学者・ディヴッド・セクストンさんのお話「犬に限らず、動物全般についても言えることですが、自殺をするという精神的能力があるとは思えません。私の知る限りでは、自殺をするのは人間だけです」犬が飛び降りたことに対する仮説・ 犬にしか聞こえない高い周波数の音が発生しているのではないか。→自然の音以外に変な音や電磁波は確認できない。・橋から飛び降りたのは狩猟犬が多いため、獲物の匂いを嗅ぎ取ったのではないか。→橋には野生のミンクがいるので、獲物を追いかけた可能性はあるが橋の同じ欄干から飛び降りた理由はわからない。1994年、生まれたばかりの自分の子供が悪魔であると思い込んだ男が同じ橋の上から子供を投げ落としたという悲しい事件も。それ以来、地元では亡くなった子供が犬を誘うのではないかという噂もあるそうです。また、地元では「ケルト神話では、オーバートンはシンプレイス(層の薄い場所)。つまり、地上から霊界に最も近い場所」という言い伝えも。スコットランドに三箇所あるシンプレイスのうちの一つがオーバートンなのだそう。(あと二つはアイオナとホーリーアイランド。三箇所とも、グラスコーやエディンバラといった比較的大きな街とほぼ同一線上に並んでいます)***お三方の他に、上原さくらさんと高島政宏さんがご一緒です。国「かなり不思議な現象が起こっていますけれども、犬が自殺するとは僕自身はそう思えないんですけれども。いろいろ仮説はありましたけれども…」高「子供が亡くなっているという話があったじゃないですか。あれは何かをちょっと感じましたね」上「私は犬を何匹も飼っていますけれども、犬って自分がここから降りたら怪我をするということにすごく敏感でそういう場所には、まずはじめから乗らないし、絶対に降りないんですよ、下を、高さを見て、降りられないと思ったら。意地悪をして、ソファからお尻をわざと押しても『ここからは降りられない』という風にしますので」国「そうですよね。今年だけでも、5匹、飛び降りているというような話があるらしいんですけれども、これはどんな現象が起きているんですか?」江「そうですね…まず最初に申し上げておきたいのは『犬の自殺はない』というんですが、それは違うんです、ありますよ。ただ、人間の自殺とは違うんです。人間は例えば、非常に自分自身で悩みを抱えてなくなるということがありますよね。でも動物の場合は、飼い主の身代わりになって死ぬということがある。車が来たときに飛び出して飼い主を守ったとかいう話はよくあるんですが動物というのは愛情関係、絆があればあるほど『この人(飼い主)がいないと、自分は生きてゆけない』という本能があるんですね。飼い主の命の危機を感じると、自分の方が先に逝こうとするんです。映像だけですけれど、観ていると、確かにこの世にはね霊的な世界と非常に接点になるポイントというのがあるんですよ。あの橋の映像を観たときに、そのポイントであることは確かだろうなと。だから、霊視も交えた推理からすると、霊的世界との接点というものを動物が感じて飼い主の危険をすぐ察知して、自らが逝ったということと高島さんがおっしゃいましたけど、お子さんが殺されたっていうところも。変な言い方なんですけれど、そういう不心得における犯罪もじゃあ、どうしてあの場所だったのか。実はそこに繋がってくるんですよね。だから今は動物だけということになっているけれどもそうでないこともあり得るわけであって。だからあのポイント自体は、ちょっと普通でないポイントではあるな…とは思います」国「日本にもそういう場所はあるんですか?」江「至るところにあります」上「至るところに?我が家の中にあったらどうしよう?☆怖い…」高「僕、インコ科のアオメキバタンという鳥を飼っているんですけどその鳥が毎回、全然誰もいないある同じ方向に畏れたような鳴き方をするんですよ。それがちょうど部屋の角なんですよね。これは何が?」江「やはり動物というのは、あの…かなり鋭いですからね、そういうのが見えたりします。犬とかでも、突然、違う方向を見て吠えたりしますでしょう?」上「犬が二匹、同じ方を向いて吠えているときがあって『え、何があるの?』って話しかけたりするときがありますけれど」美「出先で、何かを背負って帰って来たときね。こっちに向って吠えないで、飼い主の後ろに向って吠える」上「ありますね」国「感じているわけですか?」美「見えてる」江「そういったときには、そういう空間とか人物、美輪さんがおっしゃるようについてきたりとかいうときに、そういう風に反応することが」高「じゃあ、もしかするとその上原さんの場所や、うちの実家の方ですけれどもそこが霊道(れいどう この世とあの世を結ぶ霊の通り道)である可能性も…」江「…あるということですね。ただこれも、いたずらに恐れたりしないでいつもこの番組でも言っているように、お家の中というのはただ暮らすというのではなくて植木ひとつでもエネルギーを高めておくことが大事だし自分のエネルギーのバリアを張ることが大事。掃除が大事というのも、あれはバリアを張っている。だから年末、大掃除をばかにしちゃだめですよ。」上「私はお掃除が苦手なので、江原さんの薦める柏手『パン、パンって音を立てて澄んだ音になるまで叩きなさい』あれは簡単なので、お掃除が面倒なときは部屋中パンパンしながら歩いて清めて☆」高「それはいいですね☆」江「エネルギーの悪いところというのは、音が鈍くなる」上「叩いているとだんだん、澄んでくる」国「それはちょっと家でやった方がいいですね☆」犬が飛び降りることに関しては謎のままですが、周囲を清めておくことは心身にとって大切なようです。「オーラの泉・上原さくらさん」「オーラの泉・寿美花代さん」***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 2, 2007
アグネスさんは尊敬するマザー・テレサと同じ生き方をなさってきたようです。江「アグネスさん自身の前世は、もともとがカトリックでシスターをやっていた人なんです。そこでも子どもを見たりとか、いろいろしていたんですよ。けれども、スピリチュアルチェックのときに、化学の勉強をすると金縛りにあったというお話があったでしょう。それの理由はふたつあって一つ目はお姉さんへのコンプレックス。もう一つには、前世で、なるべく自分で出来る限りの医療を施すわけです。当時は自然医療、化学というほどのものもないわけでしょう?薬草でも何でも使って、それでちょっと、お子さんを具合悪くさせてしまったことが。そういうことも繋がってどこか『失敗したらどうしよう』『正しいことをやっているつもりが、間違っていたらどうしよう』とかものすごく怖くなるでしょう?」ア「ああ、なるほどね」江「そこから来ていて、それはね、気にすることはないというか元の動機は愛情だから。動機を一番大事にすればいいんです」ア「結果じゃなくてね」江「結果じゃなくて」ア「やはり性格が真面目って自分もさっき認めたんですけど結果を出したいというところがあるね。それはいけないね」美「そしてね、真面目なのは結構だけれど、何も四角四面にキリキリに思い込む必要はないということなの。どうせ助けるのだったら、泣きながら助けたら迷惑にこにこしながら助けた方が、助けられた方もあり難いのよ。そうでしょう?」ア「そうです。絶対にそうですね」美「それこそ、『ひなげしの花』でも歌いながらやれば☆」尊敬するマザー・テレサが来日されたときは、講演会に足を運ばれたそうです。国「マザー・テレサの印象的な言葉とかはありますか?」ア「学生がね『日本は豊かだし平和だし、私たちにはできることはない』と言ったらマザーが『そんなことはない。まず自分の屋根の下から始めましょう。お父さん、お母さんの悩みを聞いていますか?愛していると言っていますか?兄弟と仲は良いですか?それができたら、学校や社会に広まってゆく』それは結構、ドキッとしました☆」美「自分の頭のハエも追えないで、人の頭のハエを追うなんてそれはお止しなさいってことね」江「世界平和という人に限って、家の中は地獄だったりしますから。同じ地続きにあるってことなんですよ。平和を思うんだったら、まず、自分の家を平和にしなさいということ」国「それはこの番組でもずっと言い続けていることですよね」江「マザーはね、この日本は貧しい国だと言っているんですよ。それは、食べ物じゃないって。『食べ物のない人にはパンを与えればいい。でも、心の貧しさはもっと深刻。日本は、心の貧しい国だ』と言ってるんですよ」美「これはね、あらゆる政財官界、企業とかね、そういうものが手を組まないと駄目ですよ。個人個人でやっているのも立派だけれども、それではとても、多勢に無勢。とにかく政財官界が謝ってばかりでしょう?」江「美輪さんの言う正負の法則じゃないんだけれどさっきアグネスさんがおっしゃったようにそれこそ食べ物を捨てるような国もあれば、食べ物のない国があるというけれどもそこにもまたコントラストがあって。マザーとかもよく言うけれども、食べ物のない国では食べ物を持ってゆくと自分のところですら足りないのに、周りのために分けて持ってゆくって。そこに愛があって、食べ物はないけれど、分かち合う愛がある。『苦しみ痛みを知っているから、みんなで分けよう』『だけど日本は、食べ物はいっぱいあるけれども、その愛がない』」美「物質が豊かになったと引き換えに何を失っていったかと言ったら、心、ハート。それを江原さんは心配しているの」江「食べるということより、先へいってしまっているわけですものね。私もマザーは一番というくらい、尊敬している方だけれども最大のポイントは、実践だと思います。行動を取っている人はいい。その人の中にある純粋な思いが、実践になるでしょう?実践する人は私はすべて聖人だと思う。すべて実践でしかないですよね」ア「マザーは、実は本名がアグネスなんですよ☆本当に知ったときはもう☆『私と同じ名前だ!』と思って、ひっくり返ったんですよ☆」アグネスさんは今年、北京の人民大会堂でチャリティコンサートを催し客席にいらしたお母様に感謝の言葉と歌を捧げられたそうです。コンサートでの言葉ア「今夜、私が子ども達と歌う一曲目は、私の母に捧げる歌です。私の父は56歳で亡くなりました。だから母はずっと1人で6人の子どもを育てました。大変だったんです。お母さん、ありがとう」曲名は「この世でお母さんが一番やさしい」。マザー・テレサの教え『まずは、自分の家族を愛しなさい』の通りにされたのでした。収録後の言葉ア「今日は一番、聞きたかったことをいろいろ聞けた。お父さんが『誇りだ』と言ってくれたのが…これで安心して同じ道をずっと歩いてゆける」【スピリチュアルメッセージ】 ☆ 理想を高く持つのは良いけれど、実現できないからといって自分を責めないで下さい。今のアグネスさんの生き方は、お父様の誇りです。【オーラの言葉】☆ 今の日本は心の貧しい国。政財官界の人間は謝ってばかりいないで心の豊かさを取り戻すために力を合わせなければ。読んでいただいてありがとうございました。明日は「オーラな出来事」をアップいたします。次回のゲストは秋吉久美子さんです。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
December 1, 2007
留学後、日本の芸能界に復帰。難民キャンプでレポートをされたことが転機に。国「人生の転機が、1985年にエチオピアに行ったときと…」ア「はい。ちょうどその年、『24時間テレビ』の総合司会として選ばれて。85年のときはちょうどエチオピアが『干ばつと内戦で、何百万人も死んでいた』という話で。そこで『同じ世界でこんな悲惨な状況があっていいのか』と。最初、着いたときは、ただもうショックですよ。本当に骨と皮しかないみたいな方がいっぱいさまよっていて、子ども達もみんな太ももなんか私の3本か4本の指くらいしかなかったの。だから最初は『病気がうつるから、絶対に触っちゃいけない』と言われたんですよ。でも、キャンプに着いて、私は現地の言葉で作った替え歌を歌ったんですね私は言葉ができないから。そうしたら、今にも倒れそうな子がみんな立ち上がって踊り出したんですよ。もう、その時の可愛らしさね…言葉で表すことはできないんですけど『ああもう、ここで病気がうつったら、それはしょうがない!もうここで死んだら、それは本望だな』と思って、子供たちを抱き上げたり、頬ずりしたり『ああ、この子と死んでもかまわない』と思った瞬間その瞬間に人生が変わったかなと思った、私。もう、幸せが、いーっぱいになっちゃったの。もう、何もいらないぐらい、幸せ一杯になっちゃったんですよ。そこで、私、日本の女性に逢って。徳永さんという看護師さんなんですけど彼女はほとんど一人でそのキャンプを作った人なんですよ、まだ若い方なんですけど。それで、子どもが死んでゆきますよね。ある日、自分達が直接担当した子が亡くなって埋められたんですよ。私が行って、もう6人目か7人目、そうしたらとうとうご飯が食べられなくなっちゃって、私…もう、辛すぎて…初めてだから、そういう体験が。それで、徳永さんに怒られた言葉が『あなたがご飯を食べないと、私たちの面倒になるのよ。もう手一杯だから、何をしに来たんだ』私は理屈を並べたんですよ。『食べて、余って、捨てちゃう国がある。食べられないで、飢えて死んでゆく国がある。これは地球の病気だから治りません』と言ったら『ストップ!』と言われて。『理屈は誰もが言えるんですよ。あなた、本当に少しでも子ども達に申し訳ない気持ちがあったら、与えられている役目を果たしなさいよ。これをしっかりと、自分の目で見て、日本に帰って助けを求めるんでしょう?それをちゃんと果たしなさいよ』と言われて。あれで、ガーンときましたね、私…だから『そうか…』と思って。要するに『具体的に行動しなさいよ』ということが言いたかったんですよね」美「だから『情緒的に、泣いたりわめいたり同情したりということはいらない』というのね。『それよりもまず、どうやって助けるか』それがまず、第一の目的だったのよ」ア「そうそう。『もう、涙はいらない。理屈をつけて、こうだ、ああだ、というのも聞きたくない。あなたは本当に何かがしたいんだったら、体を運びなさい』」江「それはアグネスさんも尊敬するマザー・テレサも同じことを言うでしょう?『自分はどうしたらいいのか?』と言ったら『来ればいい。そうすれば自然に手が動くんだ』っておっしゃいましたでしょう?同じですよ」ア「現場で働いている方は、みんな同じ思いなんですよね」1998年に日本ユニセフ協会大使に就任。「いつも自分が結論を出すときにはお父さんが応援してくれそうな方を選んできたんですね。だけど、本当にそれで良かったのかなと」というアグネスさんは今の娘の姿を見ることなく亡くなったお父様のことが気にかかっているようです。国「メッセージの方は今日はどんなものが?」江「お父さんは片時も心を離れていない。ただ、お父さんの御姿は、お若いときの姿」ア「50いくつのときしか、思い出せないですね」江「若いから当然なんだけど、凄くハンサムな人。アグネスさんの今の活動は、お父さんの願いでもある。お父さんは自分の家族のために生きたでしょう?それは自分自身の身近にいて助けなくてはいけない人だったから、というだけなんですよ。自分や自分の家族に余裕があったら、今度はそれ以外の人に対してやったはずなんです、お父さんは。今、いろんな国に行かれて活動されている、それはお父さんの延長線お父さんからリレーでバトンが渡ったみたいな感じがあるから、こう言っているの『誇りだ』って。それまで小さいときから、自信がないとか、お姉さんとは違うとかそういう風に思っていたけれど、アグネスさんは誇りなんだっていうことをお父さんが一番、言っているんです。だから、どんなに見かけがいいとか、学位を持っているとかいうよりも、その今の心と活動の実践がお父さんの誇り。お母さんから言われながらもお父さんはどんなときにもグッと耐えてその中でもやっていたでしょう?すべてはその場で賛美されたりすることじゃなくて、自分でやることをとにかくコツコツやって、後になればわかる。お父さんは自己弁護みたいなことは一切言わない。そういった意味では、今のアグネスさんの今までの流れを見ていても『誇りだ』と。ただ、ひと言。アグネスさんも色々な理想を持っていると思うんだけどなかなかすぐにはそれは叶わないことで『自分をあまり責めるのはいけない』アグネスさんは色々とご病気もなさいましたでしょう?(昨年は唾液腺腫瘍を摘出、今年は乳がんの手術をされたそう)その理由をお父さんは言っていて『自分を責めるからだ』って。『自分自身のあり方や行いが足りないとか、世の中の痛みを見ると自分の痛みとして捉えなくてはいけない』という思いが強くなり過ぎてストレスになって、自分自身も痛めてしまうというのかな」ア「やっぱり自分の力が足りないから、もう少し自分がいろんな意味で力を持てばもっといろんなことができたはずだっていう…まあそれはありますね、時々…」江「でもね、お父さんの言葉をそのまま言いますよ。『お父さんの人生の中でこれだけしたというのは6人の子達の人生の目鼻立ちをつけた、そこで終わった。だけど、数とかじゃない。実際は6人だけ。でも、その6人がいろいろと広がってゆく』だからアグネスさん自身が『こうやって活動をすることは大事だから、今、という時を見て今やるべきことを、ただやればいい。あんまり責めたりしちゃいけない』」ア「はい」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 30, 2007
70年代のスーパーアイドルであり、現在はユニセフ協会の親善大使をされている方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→真面目だと思います。☆ 不思議な体験→高校、中学のとき、テストの前に化学の勉強をするときは必ず金縛りになりました。☆ 尊敬する人→マザー・テレサ☆ 人生の転機→85年にエチオピアに行ったとき。☆ 幸運を感じたことは?→乳がんを早期に自分で発見したこと。国「ようこそお越しいただきました☆」ア「すごく愉しみです、よろしくお願いします」国「スピリチュアルな世界というのには、興味は?」ア「自分より大きい存在、神様とかはいると思います。私、クリスチャンだし、だからやっぱり信じますね。『歩くべき道がある』とか、そういうのを信じます」国「アグネスさんはスーパーアイドルだったわけですよね?」ア「いま言われると、すごく恥ずかしい☆」返還前の香港に生まれ、12歳のときに難民の子ども達を助けるボランティア活動を開始、チャリティコンサートで歌ったことがきっかけで歌手に。1972年に来日し「草原の輝き」で新人賞を受賞、トップアイドルに。国「デビューのきっかけというのは、ボランティアなんですか?」ア「そのときは香港はあまり豊かじゃないところだったんですけどだから難民の子とか、目の見えない子とか、親のいない子とかと接して。食べ物がないんですよ。特に難民の子はほとんど生ゴミの毎日だったから。それでやはり食べ物を集めてあげたくて、学校で昼ごはんのときにグループを組んで歌って。それが噂になって、14歳で声をかけられて『歌を歌ってみませんか?』って言われたんです」国「日本に来たのはその何年後ですか?」ア「17歳、3年後ですね」国「すぐに自分で『日本に行こう』って思えましたか?」ア「実は、思いました☆ちょうど70年に大坂の万博がありましたよね。香港でもすごく報道されて、すごく憧れていた、だから行きたかったんですね。親を一生懸命、説得して、許してくれたのは17歳のときで」国「日本で一番辛いなと思ったことは、どんなことですか?」ア「やはり香港で歌っていた自分と、日本で歌う自分と、ギャップがあるわけですね。香港ではギターを弾いて歌っていた子ですから、絶対笑わない子だったし☆『世の中に苦しみがいっぱいあるから、何を笑うか』って。ジョーン・バエズ(1941~ アメリカのフォーク歌手)に憧れていたから『ああいう人になりたい』とか思ったの」美「だってジョーン・バエズはね、反戦歌、戦争反対だとか、差別撤廃だとかそれを歌にして歌っている人、メッセージソングだから」ア「そうそう。それで、真剣に歌っていると、怒られる。『アイドルは笑わなきゃいけないんだ』『笑った方が可愛い』『お前は笑わないと可愛くないよ』とか言われてだから笑え、笑えってずっと言われて…」国「『ひなげしの花』がデモテープで上がってきたときは『これ、私が本当に歌うの?』って感じだったんですか?」ア「びっくりしました。あの・・・とてもメロディが変わっていますよね。♪丘の上 ひなげしの花♪いきなり、こう…跳ね上がりますから。もう、本当に最初はびっくりして、自分風にギターでアレンジしてやったんですね。『そんなの駄目だ』と言われて…」アイドルとして登り詰めるも、眠れないほどの忙しい毎日が続き、学校にも行けない状態に。心配したお父様の勧めもあり、1976年に引退、カナダのトロント大学へ留学されます。国「お父さんは何故そんなに強く留学を勧めたんですか?」ア「黙って私の仕事を日本に見に来て、やはり『忙しすぎる』と言っていましたね。『眠れないし、満足に食べられない。ちゃんと学校にもいけない。周りが何でもやってくれていたから、もう自分の価値がわからない。駄目な人間になる』と。『お金や名声というのは流れもので、奪われるものだ』と。火事や泥棒や戦争にあったりすると、全部0になるんですけど『一度頭の中に入った知識は、奪うことができないよ』その言葉は、本当に私、納得しました。『わかった。じゃあ、卒業するまでは、ちゃんと勉強します』って、カナダに行ったんです」国「どんなお父さんだったんですか?」ア「お父さんは私から見れば、本当に良いお父さんだった。香港にいるときは、微妙な立場じゃないですか。中国が内戦で割れて、たくさんの難民が香港に流れ込んで…」美「ものすごかったですものね、あの頃の難民といったら…」ア「すごかったです。父はもともと香港生まれで、イギリスの植民地だから英語も喋れただから仕事を探せるだけ職には就けるわけなんです。だから香港に流れてきた親戚の面倒もみんな見て、仕送りもして、いつも私たち家族は後回しにされて母親はすごく怒ってたんです。『うちも6人もいるのに、そんなに人の面倒を見てる場合じゃないよ。うちの子、靴も買えないんだから。学費も払えないから、毎週、毎週、忘れた、忘れたって。そういう思いをさせて、人の面倒をみるのか』って。お父さんはいつもうつむいて、黙って聞いているの。でも、月末になるとまたみんなにお金を配っちゃうの。小さいときは『こんなにお腹がへってるのに』とか思うんだけど、大人になってみたらそのお父さんが愛おしくて…『ああ、すごいなあ』と思う」美「優しい方だったのね」ア「すごく目立つ姉が二人いて、すごく可愛い子と頭のいい子がいてその下が私だったのね。だから母親はいつも親戚に私のことを指して『ごめんね。この子を妊娠したときは、家計が一番苦しくて、あまり食べ物がなかったからお姉ちゃんみたいに産めなかった』と謝るんですよ☆謝られる度に、なんだか自分の性格がどんどん暗くなってゆく感じがしたんですよ。だけど、父は違うの。『この子が一番可愛いんだ』いつもかばってくれたんですよ。だから皆が父はえこひいきって言う。私はすごくパパっ子だったんですね」国「カナダに留学しているときに、お父さんは亡くなったんですか?」ア「そうです。働き始めたら、ほとんどお父さんとしゃべる時間もなければ一緒に過ごす時間もない。父は私が『絶対に芸能界に向いていない』と思ったのに本当に反対されたのに、歌を歌ったんですね。だから『もうちょっと話をしておけばよかった』とか『お父さん、一番大好き』と一度は言ってあげたかったんですよ」江「でも、言っているようなものじゃないですか。それに、お父さん自身がおっしゃるけれども、アグネスさんはお父さんと性格も一番似ているんですよ。だから心がいつも通い合っているようなもので『この子が何を考えているか、全部わかる』って。ただね、絶対に、もう二度と後悔して欲しくないのは『お父さんの最期を看取れなかった』ということだけは捨てなさいって。そういう風に後悔しないこと。だから『自分がもっとお父さんに恩返ししてからでないといけなかった』ということをあなたは言うけれども、そんなことは関係ないし、姉妹の中でも考え方が一番似ている。だから『可愛い』というのは、それを全部汲んだ上で言っている」国「お父さんに最期、会えなかったということを自分の中では後悔というか…」ア「父が亡くなって、母が言ったのは…姉妹も言っていたけれど…私がカナダに行かなければ、父は死んでいなかったって…言ったんですね。それは生活環境が変わったり…しかも母が私に逢いにカナダに行っている間に父は胆石の手術を受けてそれが失敗して亡くなったんですよね。だから母もすごく責任を感じたし、やっぱり私がカナダに行かなければもっと生きられたのかなって…」江「『全然、関係ない』」美「それは関係ないですよ」江「お父さんはね『家族みんな、身内を全部含めて、それぞれの生活、生き方目鼻立ちをつけたから、悔いなく死ぬことができた』って。だからやはり、アグネスさんが芸能界に残ったままだったら、悔いが残った。『学校も、将来の道をつけたし、これで一通り、みんなの道をつけたから、逆によかった』それより前は、働きっぱなしの人生ですよ。とにもかくにも家族のためだけに生きた人ですよ。お金だって、道楽とか贅沢とかってないでしょう?」ア「そうですね…」江「みんなと一緒ににこにことご飯を食べるくらいじゃないですか」ア「そう、ご飯を食べたら、また仕事に行くんですよ。2つも3つも仕事をやっていたしそのぐらい、やはり家族のために努力してきたんですよ…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 29, 2007
お母様である美空ひばりさんは、生前と変わらず歌い手でいらっしゃるようです。江「いま現在も、加藤さんのことを思って、そこに気持ちがずっとあるというのはそのままなんだけれども、今日はここにいらっしゃっていて今もなお、歌っていらっしゃるんですよ」加「あちらで?歌っているんですか」江「『ありがたいことに、あちらのファンが多いのよ』☆」加「やっぱり辞めていないんですね・・・☆」江「やはり長い期間、時代を支えたわけでしょう?だから確かにご本人がおっしゃられるように、あちらには山ほどファンがいるでしょうね。だからそういった意味では『私の歌は終わらない』っておっしゃるんです。同じく、歌っていらっしゃるんですよ」美「歌い手はね、歌いたいの。雀百まで踊り忘れずって言うけれども六代目菊五郎さんの辞世の句も『まだ足りぬ。踊り踊りてあの世まで』って言っているわけでしょう?歌い手というのは、歌いたいものなんですよ」江「『やはりそれが、自分自身の命なんだ』要するに魂自体が歌い手さんで、そこを取ることはできないし『今も多くの人に導きと喜びをずっと続けているんだ』ということを」加「あの・・・うちの祖母ちゃんとか親父とか叔父さんとかってみんな仲良くやっているんですか?」江「それがねえ・・・仲良くないんですよ☆」美「はっきり言うわね☆」江「ごめんなさい☆なぜかと言うと、お母さん自身がここに来ていて、何が言いたいことがあるかというと美輪さんにも関係のあることなんですが、まず一つは、向こうの世界ではご自身の歌もあるんだけど、シャンソンとかも歌っていらっしゃるんです。ケンカという仲の悪さではなくて『歌いたい歌が歌えなくなるから』そこにお祖母さんが絡むと『これを歌わなきゃ駄目』って言われるから☆」加「あ、そうですよね☆正しいです、それはきっと☆」江「『私は単独行動で、歌いたい歌を歌わせてもらっている』っていうんだけれどもお祖父さんとは一緒。芸術的な感性の、一番の理解者。何をやったらいいか、何を歌ったらいいかとか、こういうことをやらないとかすごく気が合ったんです」加「『美空ひばりを作ってくれたのは、祖母ちゃんだ』と言ってましたけれども『歌を仕込んでくれたのは祖父さんだ』って」江「加藤さんご自身のことだけで言えば、これからも、過去もそうだけれども『本当は制限とか制約は何もしていない』『あなたがやりたいことを何でもやればいい。ママは全部受け入れて常にどんなときでも愛しているし、それは今も昔も未来も変わらない』『そのことだけしっかりと覚えていてね』」加「そうですか。ずっとそう言ってくれていたんですけど・・・」江「むしろ・・・その・・・☆『お祖母ちゃんが言ってきたことだけは切り捨ててね』☆っていうことを・・・」加「ありがとうございます☆」江「すごくそれは、お母さん自身が心配していて。『こうじゃなきゃいけない、ああじゃなきゃいけない』とお祖母ちゃんは言ってきたけれども『ママは全然、そんなことは思っていない』だから『ママの考えと一緒にしちゃ駄目』ということを言っていて」加「わかりました」国「ひばりさんは今、『これも言って』『これも言って』とメッセージを上で言っているんですか?」美「そう。ずーっと長いおしゃべりをしていらしたのよ☆」江「・・・しているんだけれども、お祖母ちゃんの方が、割り込んでいろいろお話を☆」加「もう・・・☆最悪☆わかる、わかる☆」江「『私は、一切贅沢とかしなかった』とか横でね、いろんなことを言うんだけれどもそこで『ママ、黙ってて!』☆」加「まだやってるんですか、それ☆」江「ちょっと気の毒だなと思うのは、多勢に無勢で、ひばりさんの方にご兄弟とかお祖父さんとかが固まっていて、お祖母ちゃんだけ一人、孤立していて☆それでね、変なことを言うの。ひばりさんがお祖母ちゃんに『庭にあんなものを埋めるからいけないのよ』と言ったりしてる。お祖母ちゃんが家の庭に何か埋めたんですか?」加「いや・・・祖母ちゃんはですね、銀行も信じなかった人ですから、瓶にお金を貯めて。いつの時代の人なんだろうって感じなんですけど☆これを台所の下に埋めてあって、当時、ニュースになったんですけど結局、しょっちゅう開けて入れていたのを運転手さんに見られていたみたいで気がついたら全部持っていかれてたという☆『銀行に預けなさい!』と皆言ってたと思うんですよ」美「大スキャンダルになったの」江「でもそれを、いまだに引きずっているということですよね」加「それで具合がとにかくまた悪くなってしまって」江「だからひばりさんが『そんなもの、また庭に埋めるからいけないのよ』って。いまだにお祖母さんはそのことをちょっと根にもっている☆」美「面白いわね☆」江「ひばりさん自身は、母の愛情という思いが今でも」美「それとね、加藤さんが目指して、自分を置きたい生活空間、住む世界、それが『ここではない』というのが、ずーっとおありになったでしょう?」加「あ、それはもう、ずっとありました。だから、何とか自分の世界を作らなきゃという風に、小さいときから・・・」美「それがずーっとおありになったのよね」江「ある意味ですごくお気の毒なのは、ものすごくご自身の魂自体はアーティスティックな人なんですよね。だから常に、芸術、芸術の方に思いを馳せるんだけれども、別の芸術が生まれ育った環境の中からずっとあるでしょう?そうすると、別に模索というのがすごくし難くなるし、本当ならそういう環境的なものがなければ、すんなり素直に、自分の芸術の方へ向いてゆけたはず。だって、もともとが美術でも、お好きなはずなんですよ」加「大好きです」江「本当なら、美術、デザインの方向に行っても、特に建築とかにいってもおかしくなかった。だから建物を自分で建てたくなっちゃったり、設計したくなったり。すごくその衝動にかられるんじゃないかと思うんです」美「代官山のお宅も、加藤さんご自身は気に入らなかったんじゃない?☆」加「あの・・・そうですね☆僕は建て直す前の家が大好きでやはり皆でワイワイ楽しくやっていたあの家を『壊さないでくれ』って頼んだんです。土地は一緒ですけど、今は建て直した家なんですね。『ごめんね、ここはママ、思い出がいっぱいあり過ぎて辛い』僕には理解できなかったんです。『思い出があるから、壊さなくていいんじゃないか』と思っていたので」美「江原さんがさっきおっしゃったお母様の『あなた、好きなことをやっていいのよ』ということは、その入り口を見つけたわけだから。文学、美術、建築、音楽、演劇・・・いろんな自分の描いたハイブローなレベルのものを具体的に手に入れたいというものがずーっとおありになったんだから、それをこれから手に入れればいいじゃありませんか」加「はい。ぜひ」江「美輪さんがおっしゃったように、そのセンスを生かして、磨いて、もっともっと自分自身の芸術活動、クリエイティブに、発想を広げていかれたら。これからです」美「初めて、自分が一番住み心地のよい、空間、居住空間世界がそれでやっと手に入るんですよ」加「わかりました。ありがとうございます」国「今日からまた出発ということで。どうもありがとうございました」【スピリチュアルメッセージ】美空ひばりさんは今も歌い続けています。多くの人に喜びと導きを与え続けています。読んでいただいてありがとうございました。次は今回の二時間スペシャルのもうお一方のゲスト、アグネス・チャンさんのお話をアップする予定です。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 28, 2007
1981年にお祖母様の喜美枝さんが、2年後にはお父様のかとう哲也さんが他界。叔父様である香山武彦さんも続けてお亡くなりになった矢先の1987年今度はお母様の美空ひばりさんがコンサート直後に足の痛みのために入院。両側大腿骨骨頭壊死と肝硬変で、再帰は絶望とされていたひばりさんは一年後に奇跡的に復活コンサートを敢行。各地で歌い続けるも、1989年に再入院昭和から平成へ年号の変わったこの年に、ご逝去されました。国「お母さんの最期のときは一緒にいられたんですか?」加「そうですね。あのときは病院にずっと詰めていたんですけど『今日はもう大丈夫ですよ』夜中の2時か3時か、もう朝に近かったと思うんですけど『じゃあ、一度着替えに家に戻るわ』ということで家の人を何人か残して帰ろうと思って車に乗ったんです。雨がダーっと降ってきていまして、1回は車に乗ったんですけど、走り出すときに『ちょっと待った』何故か『ちょっと待った』って言ってるんですよね。戻りたくなってしまって『もう少し待ってて』と言ってナースステーションのところで一息ついていたんですけど。そうしたら向こうの方でビービーと心電図計が危ないという音が聞こえてきて。『あ!』っと思ったら、それと同時くらいにお袋の主治医がバーっと何人も走っていって。最後は電気ショックを、3回くらいですかね、電気ショック。ダーン!ダーン!って身体が本当に痛々しく上がるんですよ。もう・・・とうとう最後は自分で『止めてください。もう、止めてください』って言っているんですよ。本当は、後の1回で生き返るかもしれないのに・・・でも、もう、見ていられなかったっていうのが本当のところだったんです・・・」国「最後、何か会話をしたとか、そういう別れではなかったんですね」加「そうですね、死に目はそういうのはなかったんです。ただ、お袋自身が、ビニールのテントみたいなところに入るときに『最後、何か話しておいて下さい』とお医者さんに言われて、何をしゃべっていいかわからないので『大丈夫だよ』って多分、ひと言くらいしか言えなかったと思うんですけど。本人もこっちを向いて、息も胸を大きくつく感じだったんですけど『ありがとう』って言って、最後。何でしょう、もう弱くなっちゃったお袋を見ているのも嫌だったし僕は普通にしていようと思って、だからずーっと憎まれ口をきいていましたから、死ぬまで。だから最後、ひと言しゃべれたといっても、それぐらいなんですよね。あの…どうしても『もう駄目ではないか』ということは医者に毎日のように電話がかかってきて、そういう風なお話は別室でされていたんですけど、覚悟はできていたんですけど『この人が逝くわけがない』とどこかで思っていましたしだから多分、最後まで憎まれ口をきき続けたんじゃないかなと。『もう少し優しくしてあげればいいのに』と周りも思っていたと思うんですよね。ただ、あの状態になったお袋に優しくすると本当にいなくなってしまうような気がしていたので。『もうちょっと何かいろいろしゃべっておきたかったな』と今思うと…そう思いますけれど…」国「あの・・・お別れが来たときというのは、加藤さん自身はどんな気持ちになりましたか?」加「意外とですね・・・一瞬、ワッと悲しくなったんですよ。『ご臨終です』のひと言がやっぱり耳に響くんですよね。お医者さんが時計を見て、一瞬、グワーっとわけがわからなくなるくらい悲しくなったんですけど、何故かそこで『これじゃ駄目だ』と思っているんですよね。自分でもよくわかないんですけど、いつもよりきっちりしていたと思います」美「だって、あの・・・一人なんだもの、残されたのが。あとは皆さん、いなくなってしまった。だから自分がしっかりして、お葬式の手配からいろんなことから何から、全部やらなくてはいけないというのがおありになったからね。『泣いている暇はない』という風な気持ちがどこかにおありになったんだと思いますよ」江「持って生まれた感性、感度が高いのと、やはりたったひとり残した身内ですからだから呼び戻されているんですよ。自分の中で『ちょっと待った』というねそういうものなんですよ。それは多くの人が、経験した方があるんじゃないですかね。例えば霊なんかを見たことがなくても、そういう『虫の知らせ』というんですか。だからそういう思いがやはり『最後』、亡くなるときにご自身がわかるんですよ。やはり一人残した息子であるわけだから『来て!』という思いが『来て』とは聞こえないで『ちょっと待った』と自分で思うわけなんですよね。変換されるわけですよ。ダイレクトに聞こえればいいんだけれども。私なんかの場合は、持って生まれたものがあるので母が臨終のときは隣の部屋で休ませてもらってたんですけど名前を呼ばれました、母の声で。それで起きて、自分でもなんだか気がつかないうちに病室に入っていったときに息が止まったんですよね。だから『ああ、呼んだんだな』というようなことでまったく同じだと思います」美「そのときの想念よね。江原さんのお母様も、ひばりちゃんもね。『この子を残して。どうやって生きてゆけるだろうか』死んでも死に切れないですよね、それは・・・」江「ご自身も可愛くない返事しかできなかったとおっしゃるけれども、やはり『それが男の子としての成長なんだ』という風に思っていたらしいですよ。仕事のこととかでもしょっちゅうぶつかり合って『何でそこまでやるんだ』とか、いろんなことを。最後はほとんどケンカしたりとか、顔を合わせればそればかり。だけどこうおっしゃるんです。『ごめんね。ママは歌手なの』今になればすごく良くわかると思うんだけれども、そのときに『母』というだけの存在にはなれなかった、ということとかいろんなことが複雑にあったと思うんですよ。だけど若いご時分は、ほとんど自分自身の命とか、無謀だったと思うんですよ。どこかで自分の運命と戦っているというか『本当に自分は強運なのか、そうじゃないのか』『自分は生きる意味があるのか、ないのか』何か試しているような。『死んじゃうなら、死んじゃうだけなんだ』その自問自答の答えとして、そうやって救われて生き残る大変な出来事があっても助かっている。その度に『自分って何なんだ・・・』という自問自答の日々があったことを理解しつつあたたかく見守ってたのがお母さん、ママですね。実際には伯母に当たるわけじゃないですか。だけれども、これはご本人がおっしゃるから言うんですが前世では本当の親子さんだったらしいですね。だから普通の親子以上に愛情を持つというか、肉親以上の愛情だったと思いますよ。顔を合わせれば口やかましく言う、だけれども、言葉をかけるよりもわかって理解して受け止めて、共に痛みを。仕事でお互いに離れていることが多くても、感じ取り合っていた。そうやって絆を深めていたという親子関係・・・という感じのことをおっしゃっていますね」美「それとね、ひばりちゃんの気持ちがよく分かるのはさっき江原さんのおっしゃった『私は歌い手だから』この歌い手の、自分の全精力を燃やし続けるその神経とか『歌が命』ということはね、これは一般の人たちには口で説明のしようがないのね。歌が好きで、好きで、命をかけて・・・。今、涙が出てきたんだけど、ひばりちゃんが『佐渡情話』なんかを歌っているときのね、あれだけ涙を流していて一分の狂いもなくスーッと。発声から呼吸から、音程から情念からそういうものがミックスして、一分の狂いもなくできるという方は、いませんよ。本当に、人間業じゃない。あの上手さというのは、やはり神技に近い。本当に惜しい人を亡くしたと思うけれども。私はね、あなたのお母様と最後に逢ったのが、山城新伍さんのパーティ赤坂のプリンスホテルであったの。そのときにフッと見たらごめんなさい、失礼だけれど、くらげのように透き通っていたの。『これはどうしたこと?』影が薄いというのは、こういうことを言うのかなと思ったの。腕を入れたらスーッと通り抜ける、くらげのような、それを感じちゃったのよ。それはまさか言えないから、あの時は不思議だった。それがお会いした最後だったんですよ」加「その後、ほとんどそういう場には出られなくなってしまいましたから」江「もうその時が、旅立つ準備だったんですね」続きます***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 27, 2007
昭和の歌姫・美空ひばりさんのご子息がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 小さい頃どんな子どもでしたか?→少し暗くて、あまり本当のことを話さない子供だったと思います。☆ よく見る夢→小さい頃、毎日「家族がひとりずつ消えていってしまう夢」と「悪いピエロが出てきて、いたずらをする夢」を見ていました。☆ 不思議な体験→九死に一生を得たという経験が何回もあります。☆ 奇跡を感じたことはありますか→やはりうちのお袋が東京ドームで復活コンサートができたときです。☆ 一つだけ願いが叶うとしたら?→お袋に生き返って欲しいです。国「この番組はご覧になったことはありますか?」加「大ファンで、毎週観ています。もう僕、美輪さんのことが昔から大ファンでビデオも何本も持っていますし、CDは車の中でいつでも聴けるようにしていますし」美「恐れいります、ありがとうございます」国「江原さんは・・・」江「はじめまして☆」加「はじめまして。怖い人だなあ・・・と☆」国「怖い人というのは、何でも見えてしまうところが☆」加「そうですね☆」美「可愛い人ですよ☆」国「加藤さんはスピリチュアルな世界というのには興味はありますか?」加「小さいときは本当にそういうことを感じることはなかったんですけどある年を境に、ちょっといろいろ不思議な体験をしたりして、それからですね。やはりこういう世界ってあるんだなって」国「具体的にいうと、どういうことですか?」加「お袋が死んでから、車が趣味で、毎日のように飛ばしにゆくんですけれどもあまり走り屋とか人が集まらないところで、例えば山の中で、その時は四輪駆動に乗っていたんですけれども、何度も横転して。本当に映画で観るような・・・コーナーで滑り出して、正面から衝突して後ろに1回ひっくり返ってこのまま4回転して。僕が下で、友達も乗っていたんですけど、誰も怪我をしなかったんですよ。もう、パンって一瞬、明るくなるんですよ。何度かの衝撃の後に、気がついたらエンジンがまだ鳴っていて、ラジオが薄くかかっていてガタ、ガタ、ガタ・・・ってタイヤが回っている。しばらく自分がどこにいるのかわからなかったという・・・」美「映画みたいですね」加「ええ。現実に、生きていられたというのが不思議で・・・」江「あの・・・そういうのってよく『救われる』とか『助けられる』とかって言うじゃないですか。あのね、すべてがそうだとは限らないんですよ。加藤さんの場合は、助かることも見越した上で、わざとそうされている。何故かと言うと『九死に一生が何回も』とおっしゃるけども、加藤さんはそこまでしてもらっているのに、しょうこりもなくまた危険な運伝をするんです。要するに『怖いぞ、ということを身に覚えさせて』という。ひとつの試練をわざと与えて『これでもう、そういうことをしないようになるだろう』それなのに『ああ、助かった!』ってまた☆」加「懲りないんですね☆」国「加藤さん、もう気づきましょうよ☆」江「『救ってもらって・・・』そうではなくて『あえて、わざと怖い思いをさせて、安全にさせよう』という導きで起こすこと。番組をご覧になっている方も、悪い出来事と思うようなことがあると、すぐ『守られていない』という風に思うでしょう?『わざと、転ばされる』ということがあるんですよ、人生の中で。それが愛情だったりするときもあるんですよ」国「なるほど。その先は気をつけますものね」江「そう。ちょっとしたミスがあって『最近、私はツイてない』とか言うけれども『ツイていないんじゃなくて『されている』ということであり、感謝しなくちゃいけないことなのに』ということが、いっぱいある。私がカウンセリングをやっているときに、多かったんですよ、『私はろくでもない守護霊じゃないかと思う』とかね☆ひどいことを言っていて。でもそれは、教育的指導だったりするときがあるんですよ。だから『命を粗末にしちゃいけませんよ』とか、そういう風なことをちゃんと。そういうことが起きること、試練が『守られている』ということなんですよね」国「今日はもう、気づきましたね。もう止めましょうね☆」加「もうしません☆二度としません」1971年に美空ひばりさんの弟・かとう哲也さんのご長男として誕生。生後すぐにご両親が離婚。伯母のひばりさんは加藤さんを引き取り実の母親以上の愛情を注いで育てられたそうです。国「実際に一緒にいる時間はあったんですか?」加「あの・・・ほとんどなくてですね、だいたい年のうちにべったりいられても3日ぐらいだったと思います」美「じゃあ、お寂しかったでしょう?」加「そうですね。ただ友達があまりいなかったので他の友達と自分を比べることがなかったので、多少は。『みんなこういうものなんだ』って思ってましたので」国「その3日、どういう風に過ごしていたんですか?」加「一番嬉しかったのは、多分、高価なものだったと思うんですけど8ミリの映写機を買ってくれて、一緒に家にいるときは二人でいちごなんかを食べながら、一緒に観てもらったり。たまに気が向いたときには、遊園地に連れていってくれたり。『ママが帰って来る』と言うと、二週間くらい前から嬉しくて眠れなくなるんですね」国「『何して遊ぼう』とか、自分の中でソワソワしてきて・・・」加「友達の家に遊びに行くと、まずお母さんが家にいて、休みの日はお父さんも家にいてお昼になるとご飯を作ってくれて、焼きそばだとか、カレーライスとか。これを食べさせてもらうんですけど『家ってこうなのか』とういうのが、大体そのときに。人のお父さんなんですけど、キャッチボールをやるときに、友達と僕を並べてもらって交互にやってもらって。『なんか、いいな』とはちょっと、その時に思いましたけれども」美「でもね、あなたも孤独でいらしたけれども、お母様も孤独だったからね・・・」加「もう『あんな孤独な人はいなかったんじゃないか』とは、思います」美「本当に・・・」お祖母さまの喜美枝さんは、ひばりさんのプロデューサーであり加藤さんの教育係でもあったそう。国「先ほど、友達があまりいなかったというお話が出ましたけれども作らなかったんですか?」加「遠い学校に通っていたから、どうしても友達が近くにいなくて。たまさか『家にボールが入っちゃった』ってあるじゃないですか。近所の同年代の子ども達が遊んでいて『ボール取らして』というところで『じゃあ、庭で遊ぼうよ』って庭でキャッチボールなんかをしてるんですけどうちの祖母ちゃんがなかなか強烈なキャラの人で☆『どこの子?』たまたまそういう時に限って、祖母ちゃんがいるんですよ☆『どこの子か分からない子と、遊んじゃ駄目です』って言われて。すごく名残惜しいんですけど、結局『じゃあ、バイバイ・・・』って名前も知り合わないうちに解散ってことが、ありました」国「ちょっと切ないですね。近所にお友達がいないというのは・・・」美「でもね、それはお祖母さんだけじゃなくて、あの時代、つまり明治、大正、昭和初期を潜り抜けた人達はね、それが口癖だったんです。『どこの誰だかわからない子と・・・』『どこの子?』って必ず、訊いたものなんですよ。『そういう子達と遊んじゃいけません』親が選んだんですよ。今は子供が選びますよね。昔は親が『誰と付き合ってもいいけれども、誰とは付き合っちゃいけない』それが常識だったんですよ」江「当時は誘拐とかね、そういういろんなこと起きるでしょう?だから過敏になっていたことは確かですね」美「いろんな物騒なことがよく起きたんですよ」加「実際、当時は脅迫状が何通か届いたことがあって。僕が幼稚園に上がるか上がらないかだったんですけど、家にいっぱい刑事さんがいて『爆弾・・・』とか何とかって、言っていた気がするんですけど・・・」国「『仕掛けた』とかそういう・・・」加「ええ。そういう感じだったと思います。みんながすごく緊張しているのを不安な気持ちで見ていたりとか・・・やっぱりいろいろなことがあった家ですから。小さいときに、そういう怖い人が玄関の鉄の門のところをバットで引っ叩いているのをたまたま皆がいなくて、僕がひとりでその近くにいたりして・・・結構、怖い思いはしたりしたんですけど・・・」美「本当に芸能人の家というのは『有名税』って言うけれども『正負の法則』よ。有名になればなるほど、それだけのツケがものすごいんですよ」国「ご自分が養子だと知ったのはいつ頃だったんですか?」加「家の中に、大人が読む雑誌があるじゃないですか。子どもながらに興味があって開いて見たりするんですよ。ママが載っているとなるとやはり字は読めないんですけどひらがなだけ読んでいこうとするんですよね。そうすると『どうやらおかしな雰囲気のことが書いてあるな』っていう風に思い始めて・・・『そういえば、パパとママって姉弟だよね』家族、結婚ってこういうもので・・・というのがなんとなくわかるような年になって何度か大人に困った質問をしたことがあるんですけど。うちの親父とお袋は戸籍上、姉弟なので、実際はうちのお袋は伯母じゃないですか。そういうことを訊いたら、周りの人は困ってしまうんですよね。親とか祖母ちゃんには訊けないので、周りの人に訊いたりするんですけど『そんなことを勝手に言っちゃ駄目』というルールがあったみたいで・・・ある日、小学校一年生か、二年生かだったと思うんですけど『和也、ちょっといらっしゃい』と言われて。座ったら、お袋は下を向いて黙って座っていて祖母さんが『実はあんたの生みの親は別にいるのよ』ってそこで初めて聞かされて。ただ、そんなにそういうことでびっくりはしなかったんですよね。『あ、今日がこの日だったんだ。今日、これを聞かされる日だったんだ・・・』『あんた、どうしたい?』僕は何か決めなくてはいけなかった感じだったと思うんですよ、よくわからないんですけど『あんた、どうしたい?』って急に訊かれたので。『どうしたい?』と言われても、もう物心ついたときから『パパ、ママ』でしたから、他にお母ちゃんがいるって言われてもちょっと実感がわかなくて『僕は、この家の子だから』『どうしてもうちのお袋が生んだんじゃないんだったら親父の腹から出てきたことにしてくれればいいじゃん』ということで。そんなことを言って、部屋に戻って。あとはよく覚えていないんですけど・・・」続きます。「オーラの泉の日記」
November 26, 2007
ボクシングなど、スポーツの世界には過去にも素晴らしい選手がいらしたようです。美「昔ね、白井義男(1923-2003 日本人初のフライ級世界王者)さんてね素晴らしいチャンピオンの方がいらしてねカーン博士って方が全部ついていらしたんだけど、本当に紳士的でまさに武士道や武道というのと同じレベルのボクシングだったのね。ボクシングが、やっぱり格調がありましたよ。まさにスポーツとしてね、紳士のスポーツでしたよ」国「面白いですよね。最初は、僕ら観ている側もそうですしマスコミの皆さんもそうですけれども『亀田、亀田』っていう感じで皆わぁーっとのっていたのに、いま気づけば『亀田が悪い』に皆のっかっているじゃないですか」美「私がね『正負の法則』という本も出しているし、いろんな本で昔から言っているのは必ずマスメディアというのは胴上げするのよ。胴上げして、三回までは上げるんですよ。四回目になったら、手をパッと離すの。そして、下に真落とし、地面に叩きつけて踏みつけて泥を付けるんですよ。そのために胴上げするのよ。だから『泥をつけて、踏みにじって陵辱するために、今もてはやされてるんだな』という風に、有頂天になっている最中に気を引き締めて二番手、三番手で、ギュっとブレーキを引いていればよかったの。だからね、持ち上げられたら、注意しないと駄目」国「気をつけないといけないことですね」内「すごく思っていますよ。今ね、すごく『いい人、いい人』みたいな感じになってますけど、これからが大変だ、怖いなと。ちょっとでも何か、悪いことでもしたら、一気にガーっと来ますからね。『内藤、テングだ。何だあいつはー!』なんて。ちょっと怖いですよね。みんないい人に思っているから・・・」番組収録前に、内藤選手はご自分で気がかりなことをお話されていました。内「現役中にこんなことを聞くのはあれかもしれないですけどボクシングを引退した後、どうしたらいいかとかアドバイス、できることを聞いてみたいなというのがあります」国「さあ、今日はどんなメッセージを、江原さん」江「実は、霊視していて一番興味深く思っているのは今、こうやって誉れとしていらっしゃるけれどもこの二年、本当に地獄だったなというのをね・・・奥さんの苦労、もちろんご自身の苦労、子供を育てる苦労、生活の苦労。奥さんもそうだけれども、ご自身で一番驚いているのは何か地獄からいきなりこのスタジオのステージみたいな華やかなところに引きずり出されちゃったみたいな驚きがあるんじゃないかと思うんです。これは他人ではなかなか理解できないんじゃないかと思う。『良かったね』とは言うけれども、私は垣間見ているだけだけれども・・・いやーにっちもさっちも行きませんでしたね」内「・・・本当にそうですね・・・」江「いま、こういうような状況になられたけれども、今の美輪さんのお話もそうだけれども一番恐れているのは奥さんですね。『今の方が怖い』この苦しかった二年の方が、前を向くしかない、コツコツやるしかない・・・なんだけれども。特にね、奥さんは内藤選手のことをとっても心配している。最初にも申し上げたけれども、奥さんの力が絶大で、夫婦がお互い手を繋ぎ合って、迷子にならなければ大丈夫。奥さんはあっけらかんとした方だけれども、堅実な方でね、現実主義。そこで美輪さんの言葉を私自身もよく思い出すんですけれども過去にそういう辛い経験をしている方は、それを忘れないくらいに自分の魂に刻んでいれば絶対に増長、傲慢になることはないです。それは自信を持って。自分がどんな風に世の中に振り回されているんだろうかとか怖くなるかもしれないけれども、大丈夫です。だから、立派な奥さんだなあとさっきから霊視で見ているんですよ。だって『これからの方が怖い』なんて。今まで、この二年、本当に大変だったんです。さすがの奥さんも泣きましたよ」お二人は前世でも深いつながりがあったようです。江「美輪さんからも面白い言葉が出てくるし、ご本人からも出てくるし、最初から『どうしよう・・・先に言った方がいいのかな?こじつけるみたいに思われて嫌だな』と思いながらね☆」美「何だったんです?☆」江「キーワードは二つ。一つは美輪さんが武士道という言葉をお使いになった。もう一つは『よくアニメを観ていましたね』と言ったときに、内藤選手が何も考えずに『忍者ハットリくん』と言いました。忍者だったんですね、前世でね。忍者というと、漫画みたいで可笑しい感じがするんですがあれは武術と修験道が交じっているようなものなんです。要するに信仰なんですよ。武士とも言える、武術家とも言える、行者とも言える、そういう人が忍者、本当にいたんですよ。奥さんも一緒だった、いわゆる九ノ一(女性の忍者)というやつですね☆スピリチュアルチェックのときに『殺される夢を見る』とおっしゃいましたでしょう?いつもね、どこかで自分が『やられる』という思いがあるんですよ。いじめられたことも、内藤選手は何も悪くないんですが、一番の問題は『常に身を隠そうとすること』なんですよ。今でも、チャンピオンになられても何かどこかで身を隠したいでしょう?あと、壁際とか、端っこが好きでしょう?☆」内「好きです☆何でわかるんですかね・・・」江「それで、人から死角になるところが、一番落ち着く?」内「そうです。狭いところだったり・・・」江「何故かというと、壁のそばにいると安全だからなんです。でも、奥さんは強いですよ☆前世はお互いに忍者で、奥さんは九ノ一でしょう?だから、いざというときには奥さんが『行け!』って感じなんです。申し訳ないけど、奥さんの方が雄々しいかな☆」内「・・・おおしい?」美「男っぽい」内「まったくそうですよ!ごめんね☆度胸もすごくいいの☆僕なんかの比じゃないですよ。僕はチキン(臆病)ですけど☆行動は女の子っぽいですけど、度胸は男っぽい」江「特に追い詰められて、ギリギリ駄目ってなると『しょうがない』ってなっちゃうんです。最後の腹くくりが強いの」美「開き直り☆」内「そうそう。すごくわかる・・・」江「今までも、才能もあったけれども、内藤選手はいらぬ心配をいっぱいするんですよね。これがイメージトレーニングが良くなかったかなと。奥さんと出会われてからの方が、よりポジティブシンキングになったと思うんですよ。そういった意味では、出会うべくして出会い、夫婦一体。リングに上がるのは内藤選手だけれども、常にひとつ。それは前世というところからの繋がり、そういう役目を持っていたわけでね」国「内藤さんが今、一番聞いてみたいことはありますか?」内「あの・・・一番心配しているのは、今後についてですよね。今後、家族もいますし、自分ひとりじゃないですから、例えばですけどボクシングを引退した後とか、やはり心配ですね。自分に向いた職業とか、そういうのを何か・・・」江「いや、そのままボクシングの世界でいらしたらいいんですよ。ご心配が多すぎて☆選手以外だってボクシングの世界でいろいろ仕事はあるしご自身のことをコツコツと続ければいいことなんですよね」内「そうですか・・・はい・・・」美「マイナス思考はおよしなさいってことをおっしゃているんですよ」内「心がけているんですけどね・・・『プラス思考、プラス思考!』とは。でも、やっぱり心配性でね・・・」内藤さんは世界チャンピオンのタイトルを獲る試合の前に足に怪我をされていたそうですが、驚異的に回復なさったそう。これは生まれるはずだったご兄弟の守りが影響しているようです。江「そのことを忘れないでいてあげて。奥さんとかの励ましもあるんだけれどもそれだけじゃなくて、亡くなったご兄弟が陰ながら、一生懸命応援していて『自分の分も、頑張って生きてくれ』というのもある。そのご兄弟がどうして、足を助けてくれるかというと、お母さんがいつも『頼むよ』という願いがあるから」国「弟さんになるんですか?」内「僕のね、兄になるんじゃないかな・・・」美「流産なさったのね」内「母親から聞いています、それは。『本当は三人兄弟だった』って・・・そうですか・・・」美「ありがたいですね」内「お礼は何て言えばいいんですか?」江「そのことを理解して、『その分、頑張る』って誓うのが一番の・・・」内「そうします」江「そうすれば、いつも美輪さんが言われるように『ようやく日の目が当たった』『自分が一生懸命やったことを理解してくれた』と喜んでくれる」美「声に出してもよろしいですからね、一人でいらっしゃるときでも奥さんと一緒にいらっしゃるときでもね、生きてる人に話すようにして『いつもどうもありがとうね。心配かけてすみません。おかげさまでね、どうもありがとう』とおっしゃっていれば、それでよろしいの。特別に何かなさる必要はないの」内「本当にひどかった、筋肉断裂、肉離れ。試合の、二か月くらい前かなあ・・・言えなかったですよ、それは」美「誰にもおっしゃれなかったの?」内「全く。松葉杖ですもん」江「でも、回復が早かったでしょう?」内「早かった、早かった!お医者さんに聞いてもらえばわかるんですけど出来るような状態じゃなかったです。すごーい!☆」美「これが『すごーい!』人よ☆」内「感謝しなきゃだめですね。周りのおかげですわ・・・」美「そうやって感謝しておあげになると『ああ、そうか。じゃあ、またやりましょう』ということで、また、守って下さるの」国「さあ内藤さん、今日はいかがでしたか?」内「本当にびっくりしたというのと、めちゃめちゃ感動しました」国「本当にコツコツするというのは、大事なんだなと。僕もずっと応援してますし、これからも。もっともっと先、防衛も続けてもらいたいなと。また、どうでしょうか、オーラの泉に・・・」内「出たいですよ、今度はかみさんと出たいな、なんて思って☆」国「奥さんと二人で☆結構ずうずうしいですね☆」内「すみません☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 過去の辛い経験を魂に刻んでいれば、人は傲慢になりません。地獄を見た二人だから、今後も心配は要りません。夫婦が手をつなぎ、迷子にならなければ大丈夫です。【オーラの泉】 ☆ マスメディアは必ず胴上げする。上げた後は落として踏みつける。有頂天になったときこそ、気を引き締める。持ち上げられたら、注意しなくてはだめ。読んでいただいてありがとうございました。次回の放送は11月24日、夜7時からの二時間スペシャル。ゲストは美空ひばりさんのご子息、加藤和也さんと、アグネス・チャンさんです。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 14, 2007
内藤さんは太一くんと同い年、ご覧になってきたものにも共通点があるようです。江「中学生のときでも、漫画とかアニメがお好きだったんですね☆アニメばっかり観ている☆」内「また・・・すごいですね☆学生のときはアニメが大好きで」国「何を観ていたんですか?」内「『忍者ハットリくん』も観たしなあ・・・」国「僕、世代は一緒ですものね☆同い年なんですよ。観てるアニメとかも多分一緒だと思うんですよね。そういうのが見えているわけですか?」江「そう☆」内「怖いな・・・ちょっと・・・☆」22歳でプロボクサーに。19戦無敗でランキングを上げ、2002年、2005年に世界チャンピオンに挑戦するも敗退。内「あの・・・二回目のチャレンジのときに『負けたら引退』とは決めていましたね」美「判定負けだったわけでしょう?」内「はい、そうです。負傷判定で」国「自分で思っていた引退を選ばずに、現役続行を選んだわけじゃないですか。そこには何があったんですか?」内「負けたときに友達と『ああ、引退だ。引退旅行いこうか』自分の試合前に必ず行くキャンプ地があるんですね、フィリピンのセブ島なんですけどそこに行ってジムを訪問したんですね、スパーリングをやってくれたフィリピン人ボクサーとかに会いに。そのときに『おい、内藤、試合どうだった?』『負けたよ』『あ、そうか。じゃあ、次、試合いつやるんだ?』って言うんですよ。そのサバサバした姿がすごく印象的で、何かね・・・すごくそれを言われて嬉しかったのと言い方は悪いですけれど『またこいつらと一緒にボクシングやりてえ』と思ったんですね。日本に帰って、じっくり考えて『やる。もう一回だけやる』と思って引退しなかったです」国「『辞めるな』とかじゃなくて『次、いつやるんだ?』という言葉が・・・」美「日本人って情緒的に、マイナス思考じゃありませんか。何かあると後ろ向きに考えて『ああ、大変だ。これからどうやって食べていくの?』余計なことをごちゃごちゃ、情念を引きずるのよ。そういうのをスパッと切って『あ、そう。じゃあ、またやればいいじゃない』サバサバしてるわけでしょう?カラッと乾いているのね」江「殊に内藤さんに限っては『駄目』から始まる方だから、何事も。何でもやるときに『駄目だけど、やってみようかな』でもね、駄目から始まる人なんだけど、もともと内藤さんはものすごく粘り強い。だからいじめられたときもそうだけれども、それのおかげもあるかもしれないもともとの魂は、耐えることには自信がありますでしょう?」内「そうそう・・・どっちかというと僕、自分で才能ないと思っていますし、あの・・・じゃあ才能がなかったらどうやって追いつくか。やるしかない、人一倍やるしかない。どっちかというとコツコツ派ですね。自分ではそう思っています」江「お母さんもそういう風に教えてきましたしね。そんなことはないんだけれども『お前はパッと華やかじゃないんだから、努力しないと駄目なんだ』ということをずっと叩き込まれて・・・」内「そういう親なんですよ。『まだまだだよ。駄目だ、これで満足するな。もっとやりなさい』という親です」江「『人の倍やらなきゃ、お前は駄目なんだ』とかね。ねばり強さというのはそういうところからもあって。それで、意外と頑固ですよね☆赤いオーラを持っているんだけど、ちょっと黒い、頑固のくすみがあるんですよ☆『駄目だ・・・』となっちゃうと、まあ手に負えないところがあるだろうなと」その日のスタジオには、可愛らしい奥さまもお見えになっています。国「奥さんにも『二度目の世界戦を失敗したら引退する』と言っていたんですか?」内「『辞めるよ、俺』とは言っていました」国「三度目に挑戦するときに『やっぱりもう一回、やりたいんだけど・・・』ということを話したとき、奥さんのリアクションってどうだったんですか?」内「『あ、本当』」国「そんな感じですか」江「奥さんって、あっけらかんとしてる人なんです。だからどっちを言っても『ふーん』やるも辞めるも『あ、そう』」内「まったくそうです」江「だって奥さんの力が絶大なんですもん☆」美「でも、それは救いよね。一緒にがっかりしたり『どうしようか・・・』なんて言われたら、真っ暗けよ☆『あ、そう』と言われたら、楽ですよ」内「めちゃくちゃサバサバしてますね」江「ある意味ではよくわかっているというかね『あんまりそこで関わってもしょうがないから、放っておこう』というところもあるんですよね。だから内藤さんが一人でクヨクヨ悩んでいるときでも横でいびきをかいて寝られる人です☆それが腹が立つんでしょ☆」内「そうそう☆試合の前日に☆ごめんね、かみさん☆あの・・・僕は二歳の子どもがいるんですけど、かみさんが『ちょっと寝かしてくるね。また起きてくるね』と言ってくれたんですね。『待ってるよー』と言って・・・そうしたら、そのまま寝ちゃって☆辛かったですね、その日はね。『話、聞いてくれないのかなーもう・・・』」美「面白い☆」国「江原さんの言ったようなことが、本当にあるんですね☆」江「だから、いいんですよ☆」内「そういう性格」江「ええ」国「チャンピオンになるまでは、お金の方もそんなにボクサーって儲かるお仕事ではないですよね」内「極端に言えば、世界チャンピオンにならない限りボクシングだけでは食べてゆけないので・・・」国「それが何年も続いていたわけですよね」内「そうですよね、もうギリギリの生活というんですかね・・・僕、日本チャンピオンになって、ファイトマネーが一時的に入ります。それはもちろん、全部使わないですよね。それをちゃんと取っておいて、あとはアルバイト。二人一緒にアルバイトをして。やはりボクシングの方が大事ですから、アルバイトも長い時間やらないわけでだから収入も少ないわけですよ。その収入だけでやっていけないからファイトマネーを切り崩してやっていたという感じですね。正直、あの・・・そのお金すら無くなります。そのとき、うちの母親に『本当に申し訳ないけど、今月、協力してくれないか?お金を貸してください』それに対して本当に、すごく協力してくれましたね・・・うちの母親。だから今は感謝してますね、すごく感謝してます」美「立ち入ったことを伺ってちょっとはしたないんですけれど、奥さまとお働きになってアルバイトはおいくらぐらいになるんでしょう?」内「王座を獲ったときなんかは、試合の1ヵ月前まで僕、アルバイトをしていたんですけど夫婦合わせて月収12万円、実際は10万前後しか稼いでいなかったですね」美「そこからお家賃を払ったりなんかなさる、光熱費を出したり・・・」内「そうですね。今は世界を獲って、やっと食べていけますけれども・・・」美「大変でしたね・・・」内「本当に、周りの協力なしには、自分はなかったんですよ。本当にそれは、感謝してます、すごく感謝してます」国「試合後のインタビューで、チャンピオンがそういうことを言っているのがすごく僕は印象に残っているんですよね。本当に周りの人に感謝しているなというのが・・・」内「本当に、本当にそうですね。『こんな俺のために・・・』ってずっといつも思っていますね。いじめられていたというのが、すごく印象に残っていて『こんな、俺みたいな奴になんでみんな協力してくれるんだ?』ってね、いつも思います。ありがたい・・・」美「それにしてもね『自分のために、栄誉のために、どうしても相手をのしてやる』とかねそういう自分の情念でやっているのではなくて、周りの人のためにというのがね・・・」内「本当に、こんな言い方はいけないかもしれないですけど、本当に『応援してくれるみんなのために、俺、やってやる!』みたいな・・・ありましたね」美「そこが素晴らしい」内「今だに思っています。『何で、不思議でしょうがない。何で応援してるのかな?高いお金を払って来てるのかな?』って・・・」美「だからその『真心』に対して、『真心』で返したわけだからこれは素敵な、美しい話ですよね」奥さまのお話「『彼がやりたいならやっていいよ』そういう気持ちでした・・・辛い姿をずっと見てきたので・・・勝ち負けはそんなに関係ないというか・・・」2007年7月、3度目の挑戦で世界チャンピオンになったときに会場で応援されていたお母様のお話「『あんた凄かったね、偉かったね』って期待してたかもしれないけれど。いつも言うのよね『俺、お袋に褒めてもらったことない』特別、褒めるほどのことでもないの、自分自身のことだものね。あれだって33歳、親に褒めてもらおうとか、それほど期待してないですよ。世界を獲った、獲ったっていうけど、大助の努力が第一番、だけど後援会の応援してくれる人たち、みんな自分のことのように手に汗を握ってハラハラ冷や冷やしながら応援してるわけよね。みんなの力で、やっぱり世界を獲れてると思うんだわ」苦労の末に世界チャンピオンになった内藤さんは日本中が注目した亀田選手との初防衛戦を迎えられます。美「あのときね、いろいろお出になっていて、凄く愚かなコメンテーターがしたり顔をして内藤さんに失礼なことを言っているのね。『でもあなただって、亀田さんと一緒にやったことで、メジャーじゃなかったのがメジャーになったんだから、それで得したわけじゃないですか』馬鹿者っていうのよ!だってね、向こうが逆ですよ。こちらは世界チャンピオンでしょう?世界チャンピオンにチャレンジするということで、向こうが暖簾を借りて勝負してそれで知名度を上げて利用しようとしてるわけだから。逆に向こうの方がプラスになっているわけですよ。よくそんな卑しい発想で物が言えると思ったのね。そのときも、ちっともお怒りにならないで『はい、そうです』とおっしゃっていたでしょう?じれったいくらい、人が良い方だなと思ったの」国「僕も同じ年で、18歳の同じ事務所の後輩に『ゴキブリ』って言われたらまず切れますもん、俺☆。絶対にキレてると思うんですよね。そこをまず、まあ、まあ試合でやろうと。ちゃんと試合でやろうと。それで試合の中でも、ちょっとこう・・・汚くなったりとかいうのがありましたけれども後半になってゆくにつれて。自分を抑えるのは結構大変じゃなかったですか?」内「そうですね・・・あの・・・本当に・・・途中で『あ、もう駄目だ、もう駄目だ』と切れたときがあって、ラウンドが終わってインターバルでセコンド(選手の介抱や作戦指示に当たる介添え人)のところに帰ったときに『もう・・・我慢できねえ』セコンドがやっぱり冷静で『いいか。お前、冷静になれ。お前がやり返したら、向こうと同じになっちゃうんだよ』その言葉が響きましたよ。『同じことをすれば、同じになっちゃうよ。同じ目で見られるよ』それで目が覚めましてね。『お前はチャンピオンのボクシングをするんだ』ってセコンドが言ってくれて」美「素晴らしい。それでやっぱり、チャンピオンらしくおやりになって、正解でしたね」内「セコンドのおかげです。例えばセコンドが『反則されているんだから、お前もやり返してこい!』と言っていたら本当にやり返していたと思うし、じゃあ試合になっていなかったですしね、僕も非難を浴びていたと思いますしね。本当、いいアドバイスをしてくれたと思います」 続きます。「片岡鶴太郎さん・32歳の転機」***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 13, 2007
WBC世界フライ級チャンピオンの防衛戦を制した方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→心配性☆ 毎日欠かさずすること→新聞の折込広告をチェックすることです。☆ 怖いもの→母親とゴキブリです☆☆ よく見る夢→たまに自分が殺される夢を見ますね。☆ 元気の源→奥さんや子ども、家族といるときです。☆ 人生の転機→高校を卒業して、就職が決まっていたんですが入社式直前で内定取り消しになった、そこですね。国「さあ☆まさか内藤選手がここに来るとは☆思わなかったですけれども。ちょっと緊張されていませんか?」内「たっぷり緊張してます☆」国「試合をやるのと同じくらい・・・」内「全然、比べ物にならないと思います。リングに上がる方が・・・もう駄目☆」国「ちょっと今なら勝てそうな気がするんですけどね☆今日の対戦相手はこの二人ですから☆ノックアウトされそうな部分があるかもしれませんけれども」内「すでに・・・見透かされていそうで怖いんですよね☆太一さんも僕、TVでしか知らないしさ☆三人共そうですよ、僕からしたら。ついこの間まで、一般ピープルですからね☆」国「今はもうチャンピオンは一番この中で有名になった・・・」内「コロッと変わっちゃいましたからね、戸惑ってますよ☆」美「でも前から、知る人ぞ知るでね。とにかくボクシングのお好きな人にはね、有名でいらしたわけだから」内「ボクシングのファンの方たちはそうでしたけれども・・・」美「だって凄い経歴ですもの」国「ボクシングをやる人ってガキ大将とか、そういうような人がプロボクサーになるというイメージがあるんですけれども、内藤選手の場合はちょっと違いますね」内「そうですね、僕もそういうイメージを持っていましたけれども」国「中学校の頃、いじめられたことがきっかけにはなるんですか?」内「まったくそれですね」国「具体的にはどんないじめを受けていたんですか?」内「学校、クラスにはそれぞれ、リーダー的存在、グループってあると思うんですけれどもその中の一人に嫌われて、その彼が先頭を切ってからかい始め・・・僕からしたら、すごく辛かったですね」美「具体的にはどういういじめなんですか?」内「シカト、無視ですね。あとヒソヒソ・・・。例えば給食のおかわりに行くと『貧乏くせえな』とか。本当にボロい家に住んでいたときがありまして・・・『ボンビー』ってあだ名を付けられたりとかね。『お前、ボンビーボンビー・・・』休み時間になると、階段の踊り場に連れて行かれて、ボンボン蹴られて・・・本当にいじめられていましたからね・・・」国「何年間?」内「クラス替えがきっかけというのもあったんですけど中学校の二年間は辛かったですね・・・あの・・・ストレスで胃潰瘍ができて中学生にして胃カメラ、三回呑んでますから。毎日、胃薬を飲んでましたし・・・」国「いじめられていることはお母さんも知っていたんですか?」内「知らなかったですね。僕も相談できないですし。相談したって、まともに聞いてくれないと思うし☆・・・言い難い人だし・・・怖いから」ご両親は内藤さんが幼い頃に離婚、お母様は女手ひとつで民宿を切り盛りしお子さん二人を育てられたそう。国「『自分は強くならなきゃいけない』とか『見返してやるぞ』みたいな気持ちになったんですか?」内「ありましたね。もともと家が北海道なんですけど、内地に来たときにボクシングジムが近くにあるのを知って『あ、もしかしたらボクシングを始めたら、いじめられなくなるんじゃないか』卒業しても、田舎に帰って昔の同級生に会ったら『おーいちょっと来い!』絶対にやられてましたから、想像がついたので、それがすごく嫌だったんです、怖かったんです。それで、ボクシングジムがあるって知ったときに『ぜひやってみたい!強くなりたい!』という感じでしたね」美「でもそれは正解でしたね。それを自分でね。私も身の上相談で、よく言うんですよ。いじめられる男女のね。『女の子でも、合気道くらいやりなさい。そうすると、相手を攻撃じゃなくて身を守ることができるから。合気道とか、日本の古武道とかをやってごらんなさい。そうすると自分自身、自信がつくから』」内「まったくそうですね。やってわかりました、それは」美「それはですから、大正解でいらっしゃいましたね。それが世界チャンピオンに繋がったんですものね」内「ありがとうございます。世界チャンピオンとか、全然、考えていませんでしたから。やり始めた頃はね」国「北海道に戻ったときに、自分を守るためにボクシングを始めたんですものね」人生の転機は、入社直前にクビになったこと。高校生のとき、ホテルの厨房でアルバイトをされていて、就職もそちらに。内「『やりたいこともないし、このままここで入社しちゃおうかな』入社試験もちゃんと受けて、一応、受かりまして。入社式直前までそのままアルバイトを続けていたんですが先輩とちょっと揉めちゃって、我がままを言っちゃったんですね。『その先輩と、もう一緒にやりたくないよ』上司に相談して『厨房やだ。他のところに変えて』勝手なことを言いまして。その権限というのは総支配人にあるらしくて、上司が『就職の決まっている子が他に移してくれと言っているんですが、よろしいですか?』『なんだそいつは?いらないわ、いらない、いらない』入社式直前にクビになって・・・」国「ちょっと若気の至りが出てしまって・・・☆」このことをお聞きになったお母様は、すぐに東京にいる内藤さんのお兄様に電話で相談されたのだそう。内「『大助はどうしようもない。北海道にいたらどうしようもないからそっちで預かってくれないか?』兄は『あ、いいよ』チケットから何から、手配をしててすでに☆クビになって一週間後には、追い出されましたね」美「世間知らずでいらしたのよね☆」内「まったくそうです。世間知らずでしたね。もう、本当にどうしようもなかったです、自分が」国「そこで先輩に反抗したからこそ、上京があり、ボクシングと出会うわけですよね。やっぱり道って引かれてゆくものですね。お母さんも『内地へ行け』と言わなければ厳しいお母さんでなければ・・・」内「そうです。いろんなことが積み重なって、今の自分があるんですけれども・・・」国「『怖いのはお母さんとゴキブリ』☆と言っておられましたけれどもお母さんがやっぱり怖い?」内「めっちゃ怖いですよ☆田舎に帰ったら毎回、今も何かにつけて必ず説教をしますからね。『しなくていいだろう』と言うのに、やっぱり説教したいんでしょうね。『お前は、まだまだだ。そういうところが駄目、直しなさい』怖い人ですよ」国「プロになったときは、褒めてくれたりとか『よかったね』とか、そういうのはないんですか?」内「もう一切ないですね☆僕、生まれてこのかた、褒められた記憶がないです。褒めない人です」国「世界チャンピオンになってもですか?」内「そうです、そういう人ですね」美「だからね、ずーっと女手ひとつでやってこられるんですね。子供も育てられるしね」江「いじめにあったということ自体、お母さんが知らなかったということはないですね。薄々、気がついていましたね。なぜかと言うと、ヨロヨロと帰って来たりするし帰ってきてもシュンとして。背中を見つめて『何かあったな・・・』ということとかはもちろんわかっていますよ。言わなかったというのは『言ったらまた叱られる』ということではなくて言うことによって、内藤さんご自身が自覚するのも嫌だったんですよね。『本当に自分はいじめにあっているんだ』ということを、また自分で理解してしまうのが嫌。だから、お家に帰るにもわざと遠回りして帰ってみたり。一生懸命、気持ちを入れ替えてお家に帰っていたりする様子が見えるんですよ、当時のね」内「すごいね・・・☆」江「何もない道草というかね・・・」美「『すごいね・・・』だって☆」江「そこはやはり親で、わかっています。でも強く育てなくてはいけないしお母さんご自身も、いっぱい一杯だった時だし。もう本当に、働いて働いてという感じで。だから親子共々が、生き抜くことに精一杯だった時代だと思うんです」お母様のお話「『うちのお袋はおっかないんだよ』と言っているみたいなんだけど、今のお母さんたちが優しすぎるんだと。自分の子供に『ちゃん』付けで・・・よくいるでしょう?私たちのときはそんなに生活の余裕もなかったし、子どもに手をかけてということがなかったから、厳しいという風に言ったのかもしれないけれども。(いじめについては)卒業するまで1回も私に言ったことがないです。『グラウンドの裏に連れて行かれて、ボコボコにされたんだ』って言っていたのがついこの前。『どうせうちのお母さんは「そんな負けて帰って来るな。行って泣かせて帰って来い」とか「やっつけて来い」とか言うだろう』と。『それがわかっているし、自分は体が小さいから体力的に負ける。だから言わなかった』ということをちらっと言ったことがあるんで、私もそう言っていたかもしれません」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
November 12, 2007
オーストラリアのある家で起きた、不思議な現象について。タナウスさん夫妻の息子・マイケル君の部屋の壁から突然、オイルのようなものが染み出し始め、十字架やM(マイケル君の頭文字)の形になることも。これは昨年9月にマイケル君が交通事故で亡くなって40日たってからのことでそのオイルを塗った子供が歩けるようになるなどの報道がなされると奇蹟を求めて1年で15万人もの人たちが訪れるように。科学的に分析してみても、どのオイルとも成分が一致せず染み出したものがなんの液体であるかわからないまま。「皆さんがこの奇蹟を信じて家に来てくれるだけで、私たちはとても心が癒されるのです」「マイケルは人のためになる仕事に就くのが夢でした。でも今は、それ以上のことをしていると思います」***お三方の他に、森公美子さん、宇梶剛士さんがご一緒です。国「ものすごく不思議な現象だと僕は思ってしまうんですけれども森さんはどう見えましたか?」森「世界各地にそういう奇蹟の場所というのはあるんですけれど確かに十字架の形でしたよね、Mでしたよね」国「そうでしたね。宇梶さんは今のはどう見えましたか?」宇「確かにそうなんですけど、僕はひたすら驚いている☆お父さんお母さんが、ああいうことがあったことで癒されているというか多分悲しみが少しは和らいでいると思うと、良かったなと思う」国「これはやっぱりマイケル君と関係する出来事とか、オイルなんですか?」江「ええっとね・・・私は今回、コメントするのは水を差すようでどうかなと思ったんですけれども、今回に限っては亡くなったマイケル君の意思はほとんど関わっていないだろうと、思います。もちろんマイケル君に聞けばそういうことにしたいと言うかもしれないけれども。あの・・・亡くなってすぐにそこまでの現象を起こすのはなかなか難しい無理と思ってもいい。以前に、森さんがお友達が亡くなって出てくるときに『なかなか大変。集中力もいって・・・』と言っていましたよね☆」森「『条件が5つある。それをクリアしないと出られないから』」江「あの話はね、ものすごくリアリティがあって、森さんの話は真実だと思いました。それぐらい、楽なものじゃないんですよ」森「簡単に出てくるものじゃないんですよね」江「ただ、あのお家に関してはある種の超常的現象であることは確かだと思うんです。私なりの分析からすると、あれは信仰という念の力ですね。全然話題が違うんですが、聖痕(せいこん キリスト受難の傷痕が信者の体に現れること)って知ってますか?十字架に磔にされたときの釘の痕とか。それもどこまでのものが本当かどうかというのはいろいろあるんだけれどもただひとつ言えるのは信仰心で出る人がいるんですよ。要は思い込みの域をグーンと超えたところで『自分はイエスを愛している。同じ痛みを伴いたい』という人がなったり。人の念というのはいろんなことを動かしたりする」 美「ご覧にならなかった方のために、あのときのことを説明してくださる?友達のお化けが出てきてね『出てくるためには、5つの条件がある』とおっしゃったわけでしょう?」森「『まずは1.本人(霊)の集中力、2.磁場、3.受け手、4.静電気の起きる状況5.蛍光灯ではなく、太陽光ではない、小さな光のもの・・・のときに映像にしやすい。私はこの場所にはいない。あなたの右脳を使って、あなたが勝手に映像化しているだけだ』とその友達は言ったんです。本当なんです☆『触っていい?』『いいよ。あんたの思い込みだから☆』『あ、本当だ、ちゃんとしてる!』朝になったから『あんた、朝になったから、ほら溶けたりなんかしないの?』『あんた、ドラキュラでねえもの☆』と言ったんですよ☆」国「宇梶さんはそういう不思議なことってありましたか?」宇「不思議かどうか、偶然かもしれないんですけど、親戚のお祖母ちゃんが亡くなるときにひとりずつ『お祖母ちゃん』『大丈夫だよ』とか言うんですけれどもたまたま僕の順番で息を引き取った。そうしたら室内だったんだけど急につがいの蝶が飛んできて、ずーっと体に止まったりいろいろして・・・」美「ちょうちょ?」国「これは何を・・・」江「よくあることです。そういう昆虫とかは、要するに霊媒的な生き物だと言われていて。お墓参りに行くと、妙に自分の周りに蝶が来るとか、ありますでしょう?その蝶なりに、魂をのせて、メッセージを伝えようとしているんですね。だから『どうしてこんなときに?』というところで、妙にまとわりつくようにいたりとかね」美「てふてふがね☆ある外国に行ったら、去年ホテルが大改造していて『コテージを作って・・・』というから『多分、来年にはできないでしょうね』と言って帰ったのよ。そうしたら今年、本当に出来ている予定だったのが出来ていなかったの。何故かと言ったら、日本人の兵隊さんのお骨がいっぱい出てきたんですって。それで私、ご供養でお経をあげ始めたの。お経をあげ終わってフッと見たらたくさんのちょちょが飛び交っているの。だからてふてふってね、ありますよ。それで私『ご苦労さまでした、ありがとうございました』そう言ったのよ。そうしたら、それに答えるようにして、ちょうちょが広がっていったのよ」マイケル君の信仰深いご両親は、今も週に一度、事故の起こった場所に花を手向けて冥福を祈っておられるそうです。
October 24, 2007
女優としてご活躍されながらも、どこか寂しげな風情の小雪さんにはやはり悩みがあるようです。国「女優を辞めたいと思うことなんか多いんですか?」美「言ってもいい?この方はね、何をしていても欲求不満なの」小「私はこの仕事を始めたときから、女優業に対して充足感がないんですよ」美「‘I 'm never satisfied...’ってやつね。決して満足しない。ずーっと欲求不満のまま」小「何か賞をいただいたりですとか、周りの方々、TVで言うと視聴率ですとかそういったことにも全く興味がなくて。これは何年か時を経て自分が何十年かこの仕事をしていったら、答えが出るものなのか。そういったことはあまり人に言っちゃいけないと思っていて、でもやっぱり・・・あの・・・何年経ってもそういった思いが消えないので・・・」江「あの・・・私から見ると小雪さんは霊媒なので☆霊媒が自己満足したら大変じゃないですか。それはもう、道具として使えません。私は職業の内容が全然違うけれども、似たようなものでしてね、私は霊媒じゃないですか。『何故、そんなにTVに出るの?』違和感はいつもですよ。でもそこで、自分が出てしまうと小雪さんみたいに悩むんです。『やっぱり嫌だ』とか。そうすると美輪さんから『何言ってるの。役目でしょ』ってね☆だから、自分が出ると嫌になる。役目に徹して、霊媒に徹すれば道具と化すと思って。じゃあ私がいろんな方にアドバイスとかをして、そこに自分の自己満足があったらとてもじゃないけれども・・・」美「色がついてしまう。あのね、女優も霊媒も俳優も、白紙じゃなくてはいけないんですよ。白紙だから、いろんな色に染まるわけですよ。絵の具の通りの色が出るわけじゃないですか。ところが画用紙そのものに色が付いていて、例えば黄色い画用紙にピンクをのせても汚い色になるじゃありませんか。そういうことなの」江「だから一生、充足感なんて得られないと思いますよ。はっきり宣告しておきます☆」小「・・・どうしよう☆」美「だから江原さんも小雪さんも、真っ白な画用紙、それが個性なんですよ。自分なんですよ。全くの水、水に色がついていちゃいけないんですよ。そうするといい女優、いい俳優、いい芝居にならない」国「役作りとかはあまり苦労しないタイプですか?」小「ものによりますけれど、例えば私は、すごく感情的に怒ったりすることがあまりないんですよ。怒っている人を見ると、すごく冷静になってゆくタイプなんですよね」江「でも、オーラは結構赤いものがあるから、本当は怒っているんですよ☆表現しないだけ」小「そう、怒っているけど、この人に怒るという態度で・・・」美「それは育ちなの。『そういうことははしたない』ということがずーっとどこかにあるから」小「そうかもしれないですね。母はどちらかというと、とても感情を解放するタイプなんですけど父は常に自分で自問自答して、子供は叱るときでもどうしても叩かなくてはいけないときでも、拳骨が近くまできて、止まって押さえる、こういう感じですね。男の子は別でしたけれども、お父さんは感情のコントロールがとても上手ですね」美「お父さんの育て方が身に染みているんですよね、小さい頃から」小雪さんの前世は、霊媒だったようです。江「今の時代とは違いますけれども、霊能力をお使いになっていて。今で言うヒーリング、だから看護の仕事に行こうとしたのも、そういうことがあるのかなと思うんですけれども、人を癒す、病気を治したりという時代があった。そういう能力を買われて、お城にほぼ軟禁状態でずっと居させられて特定の人だけのために、働かされるのがとっても嫌だというのがあって。ご自身はもっと貧しい人から何から『本当に弱っている人を少しでも癒して差し上げたい』という思いがすごく強かったにも関わらず、その能力を買われて幽閉されてしまったのがヨーロッパなんだけれども、不思議だなと思うのはフランスなんですよ。だからパリコレに行かれたのも不思議なものだなと、返り咲きじゃないけれども」国「いま、軟禁状態というお話をしたときに『あ、・・・』というようなことを言われていましたけれども、それは何となくわかるんですか?」小「姉がそういう体質で、姉からよく言われていたんですね。『もとの生まれはヨーロッパで、お城の中にいて閉じ込められていたからこういうものが怖いはず』とか、小さい頃から姉に言われ続けていて『お姉ちゃんて、何言ってるんだろう?』と思いながら、ずっときましたし。ただ、姉がそういう力を持っているということは、日常的な人だったので。今でもときどき私が『この人と連絡とっていないな』と言うと『明後日に電話が来るよ』ということを言うようなお姉ちゃんなのでこういうような世界ですとか、江原さんがおっしゃったこととかも『あ、やっぱりな・・・』と思えるようなところがありますね」美「じゃあ、お姉さんと同じことをこちらに言われたのね、お兄さんに☆」小雪さんの後ろには、聖母マリアさまの姿が見えるそう。江「マリア信仰をすごくしていて、幽閉された後どうなったかというと修道の道に入りました。それしか逃げ道がなかったから。聖母マリアから『あなたは自分の今の立場や状況を、自分が作ったわけではなく、導かれてきた。導かれたこの状態こそが、実は人を癒す道でありあなたに与えられた役目であるという自覚を持ちなさい。今は寄り道している、という感覚を捨てなさい。寄り道じゃないんだ』と・・・」美「それとね、今の華やかな仕事というのはね、やっと念願が叶ったんですよ。前世でお城の中で貴婦人たちもたくさん着飾って、自分は閉じこもって中に入れてもらえない。そこの城には居ない人になっているわけだから。息もしちゃいけないくらいにしていなくてはいけないわけね。それで『私もああいう風になりたい、なりたい・・・』だから今世でやっと解き放たれて、前世の宿願が果たせたわけなの。果たせたんだけれども、なんとも悲しいことに、前世の生活習慣が残ってしまったの。『人に見られたくない』『命令されると、嫌なところへでなくてはいけない』『引きずり出されなくてはいけない、それが嫌』ということがいろいろあったわけでしょう」江「『支配されている』と思うと、嫌になってしまう」小「絶対に嫌ですね。自発的に、能動的に何かやるタイプじゃないんですけれどもでも何か強制されている感覚に陥るのは、とても嫌ですね」江「それも名残なんですね」小「記憶ですね」美「だから、ちゃんと順序良くしてくれる監督さんだったらいいけれど『役者だろ!それぐらいやってみろ!』助監督なんかにもいるんだけどカーッとなったり、権威を振りかざす、そういうのが小雪さんは一番嫌いなのよね」小「はい。人道的じゃない人は嫌いですね。そういうときはキレちゃいますね☆」江「切れるでしょう?赤いオーラは嘘つかない☆」小「キレますけど、冷静にキレます☆『ちょっとカメラ止めて』って」国「それが一番怖いですよね☆」小「『ちょっと監督、下に降りてきてください』って言っちゃいますね。『説明してください、私、物じゃないので』って、時々ありますね。後は苛めてる方とか、理不尽な理由で後輩なり、下の人を苛めていらっしゃる方を見ると・・・あ、じゃあ私、怒りやすいんだ☆」江「怒っている自覚がないだけで」守護してくださる方は、武家の奥方。江「とにかくかんざしの好きな人だったんですよ。髪の毛を止めるものがお好きでしょう?」小「大好きです。和小物を集めるのが好きなんですけれども、かんざしを一時期京都に行ったときとか。アンティークなものを外国に行ったときとか、集めています」江「その方の共感、共鳴なんですよね」小「年々、歳を重ねるごとにまた、かんざしだけじゃなく着物の方とかにも興味が出てきました」小雪さんのように自分に不満を抱いてしまう全ての人に応えるメッセージとは。江「今日とても重要なのは、さきほど美輪さんもおっしゃっていたけれども本当に今回、この時期にここにいらっしゃったというのは自分自身でひとつ理解していただきたいということ。これで充足感ということは追い求めなくなるでしょうしそれよりも自分が与えられた役目を発揮してゆく、そちらの方に役目を負おうとそちらの使命感に生きると輝いていくんですよ」美「あなたが演じられるいろんな人がいるけれど『あ、私もああいう女性になりたい』と思うような役を演じたりするわけでしょう?それで『元気をもらった』とか皆さんに言われるわけですよ。そうすると、それが看護婦になるわけ。世のため人のためになってるんですもの。だから不特定多数の大勢の人たちを、一度期にお役に立つことができるじゃないですか。そうでしょう?ちゃんとした役目として意識すれば、充実感になるんですよ。そうすると、初めて達成感が得られる」小「役目として意識する・・・」美「それとね、一番のテーマは何故‘I 'm never satisfied...’で満足しないのかというと感謝しないから。この日本全国、世界全体で芸能人になりたいとか、脚光を浴びたいとかそういう人ってどれだけいると思います?何百万人もいるんですよ。美しい容姿容貌をもらった、これだけでもあり難いじゃないですか。ひとつひとつが感謝することだらけだと思ったら、とても充実してるの」国「そうですね。僕は美輪さんに何度もそのお話を聞いていると思うんですけれどもやっぱりまた感謝するのを忘れていたなと、今思いましたしどこか余裕が無くなってしまうとそういうことを後回しにしてしまう癖があったりとか。またちょっと自分も感謝しなきゃなと思いました」美「これはね、諸刃の剣で、どんなに満足する状態で全てが揃っても何か不平不満を探そうとするのよ。『不平不満があるから、これを解決するために、克服するために、もっと上を目指す』エネルギーにはなるのよ。だけどそればかりだと永久に不平不満で、がさついてくるしイライラするし怒りっぽくなるしね。それを自分で意識して、そのバランスをね。不平不満が溜まってきたら『おかしい。これはちょっと変だな』と立ち止まって、後ろを振り返って、周りを見て、一番最悪のときを思い出して、それと比べてみるの。『それに比べて、今はなんてあり難いんだろう』フッと正気に戻るの。いまだに同じ立場、惨めな立場で立ち止まっている人もいるわけよ。『ああ、気の毒だな。それに比べてなんて私はあり難いんだろう』という風になるじゃありませんか」国「・・・ありがとう、美輪さん☆」国「お二人の話を聞いていかがでしたか?」小「今日はとてもいい経験をさせていただいたので肝に銘じてまたこれから頑張りたいです」国「役目を意識することが大事ということも出ていましたから・・・」小「役目を、はい、意識します」国「映画がもうすぐ始まるということで・・・」小「はい。11月3日から『続・ALWAYS 三丁目の夕日』という映画が公開されます。ぜひ劇場に足をお運びください」国「お願いします。あの・・・もし3があるのであればいい役者がいるということも伝えてもらえると・・・☆何でも、子役でもやりますから☆」小「よろしくお願いします☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 女優という仕事に導かれたのは寄り道ではなく人を癒す道だから。自分の役目を自覚すれば、充足感を追い求めなくなります。【オーラの言葉】☆ 不平不満が始まったら、立ち止まって振り返り自分が最悪だった時を思い出してみる。「最悪の時」と比べてみれば「今」のありがたさに気づくはず。読んでいただいてありがとうございました。次回の放送は11月10日、ゲストはボクサーの内藤大助さん。明日は「オーラな出来事」をアップする予定です。
October 23, 2007
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