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ニュートンの万有引力の法則はご存知でしょう。引力は遠く離れたものへ、瞬時に影響が及ぶ「遠隔作用」だということは、常識として知っておられると思います。しかし、ニュートンが発表した当時、これは衝撃的なことでした。なぜなら、それまでは、エーテル論に代表されるように、「もの」が「もの」に影響を及ぼすのは、接触を通してのみである、という考えが「常識」でありましたから。筆頭がデカルトです。遠隔作用なんて言うのは、オカルトにかぶれている者の言う戯言でありもしも、そんなことを言い出す者は、科学者としての名誉も権威も失うことを意味しました。 実は、ガリレオも、実は万有引力の方程式は気づいていました。しかし、ガリレオは名誉を失うことが怖かった。科学者から脱落してしまうことが。 ニュートンも、自分の理論が遠隔作用を示唆することに不満だったのです。「ひとつの物体が、その作用や力がそれによって、また、それを通して伝えられるほかの何かに媒介されることなく、真空を通って別の物体に作用するというのはわたしにとってはとてつもなくばかげたことであり、従って私は、哲学的な問題を考察する能力に優れた人なら、そんな考えにとらわれることなど決してないだろうと確信する。」と言い切っています。 しかし人々は、当時違和感のあった、遠隔作用にも徐々に慣れ親しみ、また、それが目を見張るような宇宙の運動を説明する成功を収めてきたことから、みんな納得してしまい、今では、エーテル論なんか持ち出す人は、科学の化石人間のように、バカにされます。 ところが、150年後、マックスウェルが電磁波の新しい方程式を作ります。光は、空間を満たしている、連続する「場」の自己更新する騒擾作用であると。そして、これがアインシュタインの特殊相対性理論の基盤となったのです。 今、量子物理学では、新しい「エーテル」を研究して成果を生んでいると言える状況です。 昨日の記事の続きでありますが、つくづく考えさせられます。「わかる」とはどういうことだろうか?と。知識をどんどん増やしていくのが勉強では表面をなぞるだけで終わるということです。子どものように、「なんで?」と素朴な疑問を出し続けることです。「わかったつもり」と戦い続けなければなりません。 心に違和感を感じ続けていれば、何かにつけて、仮説と検証ができます。そして、自分の宇宙の更新ができるのです。ニュートンほどの天才でもない私たちが、ニュートンが納得していないことを、簡単に納得する方がおかしいのです。 今度やる、子ども向けの電磁波の実験は、私にとって、これまでの「わかったつもり」への反省の意味を込めた自戒でもあります。 追伸: アインシュタインがエーテル論を支持したのではありません。逆に反対者で、光も粒だと言って、ノーベル賞をもらっています。
2016.04.30
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恥ずかしながら、私が最近気づいた発見を、おすそ分けします。アインシュタインの第二法則です。有名なアインシュタインの第一法則をご存知の方は多いでしょう。核爆弾のヒントになった、あの「E=mc2乗」です。(Eはエネルギー、mは質量、Cは光速)この式は、少量の質量から、莫大なエネルギーが得られることを指しています。この法則のために、アインシュタインは、核兵器の生みの親のように嫌疑をかけられてきました。しかし、もともとは違うのです。1905年にアインシュタインが発表した論文の中には、上記の式は出てこないのです。出てくるのは次の式です。「m=E/C二乗」なあんだ、これって、第一法則を式変形したものじゃん? 同じじゃん!いや、この意味するところは、原爆よりももっと破壊力のあるものです。それは、アインシュタインの論文の表題を見れば明らかです。面倒くさい表題ですが、我慢して読んでみてください。「物質の質量の一部が、その物体に含まれる物質のエネルギーから生じることがあるだろうか?」(意訳)つまり、「質量の起源が、エネルギーじゃないか?」って問いかけているのです。そして、さらに、これは、近代科学を支えてきた根底の常識である、「質量保存法則」が破れたということを言っているわけです。私はこの方程式をしっていました。しかし、その読み方に気が付きませんでした。知っているつもり、が人間の頭をいかに思考停止にするか思い知らされた気がします。(ちなみに、エネルギーと質量は比例していません。運動している物体や相互作用する物体の場合。だから、エネルギーと質量を合わせれば保存の法則が成り立つとも言えません。)
2016.04.29
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今度、小学生に電磁波の実験シリーズをします。電磁波なんて、学習指導要領に載っていません。小学生どころか、中学でも高校では、物理には入っていますが、物理自体を履修する人がものすごく少ない。さらに、履修をしても、原子や波動まで習う人はさらに少数です。それなのに、私がやる意味はあるのでしょうか? まず、面白いのです。そして、わかりやすいのです。見えないものが、見えるように感じるわけですから。子どもたちの想像力を刺激します。 数式でマックスウェルの方程式を書けなくてもいいのです。様々な設定を想像できて、好奇心を膨らませれば、十分です。 現実、電波は現代社会で切っても切れません。こんな身近にあるものを。さらに、健康のためにも、注意をしなければならないものを、放っておく方が、怠慢というものです。 じゃ、なぜ、学校で取り上げないのでしょう?それは、妙な「科学教育観」にあると思います。「科学は知識を教える学問ではない」という。子どもが自分で理解できて、「実験」「観察」できることを積み重ねて、科学的思考力を高めるべきである、と。 その意味で、電磁波の実験や説明は難しい。と、思われているのでしょう。実際は、その逆なんですけどね。 だったら、原子論なんかは、どうやって、証明しているのでしょう。中学校で電子もイオンも習いますが、そこにたどり着く論理指導要領で見たことがありません。 そもそも、教室で実験できない科学的知識は、いっぱいあるのです。そして、小さい子には、知識だけではアタマに残りません。物語としてでなければ、理解されないのです。 知識ではなく、科学的な態度を教えたければ、科学者の悪戦苦闘を物語として、伝えてあげればいいのです。 最先端の科学は、難しいから伝えられないというのは、間違いです。わかりやすく未解決の問題を伝える方法はあります。 その方が、分かりきった結果を見せつけるためだけの「実験」よりも、何倍も有意義です。
2016.04.27
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気を付けなければならないことがあります。これは私自身に言っています。子どもの、「不思議!」「なんでー?」は正しい答えを求めていることではないことが多い、ということです。これは、実は、感嘆詞の一種であって、ちゃんとした説明を求めているのではないということです。 そういう子どもに対応するには、子どもの気持ちを受け止めることです。大概は、オウム返しに「不思議だね。」「なんでだろうね」でいいのです。 子どもの育ちにとって、大切なことは、正しい答えを知ることではないのです。不思議を感じ、考える楽しさを知ることであり、多くの人と気持ちを共有することなのです。 実は、これは、小さい子どもだけではなく、受験生にも言えることだと感じています。受験生は、自分の気持ちを表現する機会が少なくなっています。受験生の気持ちを受け止める、生きたサンドバックになりたい、と思います。
2016.04.23
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素直な子は伸びると言われます。私もそう思います。しかし、 素直という言葉には誤解があります。教師にも。保護者にも。素直というのは、人の言いなりになることとは違います。たとえ、先生に言われたことでも。 本当の素直さとは、固定観念をもたないことです。決めつけないことです。ところが、どっこい、子どもは頑固です。説明されても、予想を変えようとはしませんよ。実験結果さえ、信じません。固定観念を疑ってみる柔らかさをもった子どもは、珍しいのです。 逆説ですが、固定観念をもちやすい子は、大人の言いなりになりやすいのです。人の言いなりになる人は、固定観念に縛られます。縛られると言うよりも、それに疑いを抱きません。命令する側、管理する側から見ると、非常に扱いやすいという意味で、「素直」だということになります。 伸びる子の素直さというのは、自分に忠実な素直さです。どれが正しいか、間違っているか、というよりも、自分の心に合っているか合わないかという基準だと思います。たとえ、数学の教科書で、きれいに証明されていても、腑に落ちなければ、納得しない素直さです。 数学や科学は、アタマの戦いだ、と思うから、落ちこぼれるのだと思います。自分の身体に共感しないものは、従わないほうがいいのですそこに踏みとどまっている方が、学問をする態度としては立派です。 その意味で、人に習わないですむなら、習わないにこしたことはありません。習ったことというのは、アタマでの処理になるからです。それに対して、試行錯誤して、自分で発見したことは、心や身体に染み込みます。理解度がまるで違うのです。また、新しい問題に出会った時の、応用力にも断然差が出ます。 結局、自分の心の奥の「自分」を信頼しているかどうかです。自分が好きかどうかです。
2016.04.21
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実験教室で、私がよく出す質問です。教室には、たいがい時計がかかっていますね。それを一切見ないで。目をそらして。 時計の絵を描いてみてください。時計の縁取りはどうなっていましたか?文字盤はどうなっていましたか?時計の針はどんな形でしたか? 毎日見ていたはずです。意外と不正確にしか描けないことに驚きます。 で、さらに、もう一問。今、何時何分ですか? 教室では、いつも、ここで「おおー。」と笑い声が上がります。ついさっきまで、一生懸命時計のデザインを注目していたのに!時間は見ていなかったのです。 ふつう、時刻を見ようとしていると、デザインは記憶に残りません。ところが、デザインに注目すると、時刻が目に入らないのです。 私たちの目は、デジカメのように、全部くまなく頭の中に、画像として記録するわけではないのです。 つまり、あらかじめ、見ようと決めたものだけが「見える」のです。 ここから、いろんなことがわかります。気にさせれば、見えるようになる、ということです。理解を深めさせるということは、気になるところを増やしてやることです。 また、見させたくないときは、その近くの別の点に注目をさせるのです。 よく性格占いで、当てられてしまう、というのは、「あなたは見かけによらず、優しいですね」というとき、人間は誰でも、優しさをもっているので、心当たりがあるのですが、そこに注目をしてしまうと、他の性格に意識がいかなくなるからです。 ここに、教師や親が、子どもに使えるテクニックが隠れています。見せたいものに、注目をするように仕掛けるのです。誘導したい性格もそうです。根気強く勉強させたいなら、「あなたは根気がある」とほめたたえます。理由はささいなものでも大丈夫です。 悲しいことに、子どもに限らず人間は理由の論理は分析しません。〇〇だから××だ。と勝手に理屈にならない理屈をつけても、妙に納得してしまうものです。そして、一旦、自分はこういう人間だ、と意識すると、一貫性を貫こうとします。それに縛られてしまうのです。
2016.04.19
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保護者の方からお叱りを受けることの一つに私が実験教室でよく話す、「わからないことは、わからないと言おう」ということです。さらに一歩すすめて、「わからないと言える人の方が、勇気があるというだけでなくて、頭脳としてもエライのだ。」という言葉があります。 こういう言葉を実験の合間に聞きますと、「子どもが考えようとしなくなる。」「真意を把握できない子に、誤解するようなことを言うべきではない。」とお叱りを受けます。 しかし、私はあえて注目されたいために、逆説を言っているのではありません。多くの子に指導してきて、伸びる子ほど、質問をすることは自明の真理だとすら言えると思うからです。 第一、本当にわからない子は、質問をすること自体ができません。自分がどこで、わからなくて道に迷っているか、を言える子は、すごく理解をしている証拠です。 もし、完全な真っ暗闇でしたら、人に道を聞くことすらできません。見えているから、質問できるのです。 一番恐ろしく、悲しいことは教科書を読めば、誰でも理解できると思っていることです。私から言わせれば、教科書を読んで、「わかった」と言える子は、ずいぶん杜撰な頭になっている証拠です。だって、数学にしろ、科学にしろ、長年にわたって、科学者や数学者が、疑問に思い、試行錯誤を繰り返して、ようやくたどり着いた仮説です。普通の頭脳の私たちが、試行錯誤もしないで、一足飛びに結論だけ教えられたからと言って、納得できるというのは、いかにも無理があると思いませんか? 紙数や授業時間に制限のある教科書では、試行錯誤をほとんど、飛ばしていますそして、それがわからないと、「みんながわかるのに、自分だけわからない」と見られるのが怖くて、まるで裸の王様を「裸だ」と言えない状態が続くのです。 夜空の天の川を指さして、先生が川が流れているよ、と言う言葉に納得してしまう子どものようです。 地球から見ればそのように見えますが、宇宙の別の角度から見れば、全然違った状態が見えるはずです。しかも、天の川って、つながった点の集まりではなく、それぞれが何億光年も離れた、一つひとつが、巨大な星が偶然、見る角度によって近くに見えているだけです。 しかも、もっと大事なことは、私たちが学問をするということは、知識を覚えることではないはずです。一つ二つの公式を覚えたからと言って、人類のまだわからないことに比べたら、ほんのゴミみたいなものです。 そうではなく、先人が真っ暗闇の中をいかに手探りで、歩んできたか、何を原動力として冒険をしてきたのか?ということを、つまり、無から有を作り出してきた根源的なパワーの姿に触れ、僕たちが今日生きていく指針にしていくことです。 その考えで教育を見直すと、疑問を持つということが、生きるエネルギーの根源と結びついていることがわかります。これを尊ばなくて、何を尊べばいいのでしょう。
2016.04.18
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運勢の法則をマジメにかんがえちゃっている科学寅です。私は予言します。今日の記事を読んだあなたは、好運の波に乗れるでしょう!! まず、運勢が波動だという前提を認めます。科学的とは言えない世界ですが、スピリチャルな世界もたまにはいいものです。 そして、波動がエネルギーだとすれば、エネルギーを美しく整えれば、幸運が引き寄せられると考えましょう。しかし、ここで立ちふさがるのが、熱力学の第二法則、つまり、エントロピー増大の法則です。 エントロピーとは、「無秩序の度合いを示す物理量」です。具体的に言うと、 「部屋が片付いている状態」(秩序ある状態) → エントロピーが小さい 「部屋が汚い状態」 (無秩序な状態) → エントロピーが大きいということです。エントロピー増大の法則とは、「自然(世界)は、 常に、エントロピーが『小さい→大きい』という方向に進む。 すわなち、自然は『秩序から無秩序へ』という方向に進む」ということで、具体的に言うと、「整理整頓された部屋は、そのまま自然に任せておくと、 だんだん乱雑になりますよ~。 勝手に整理されるということはありえませんよ~」ということです。 まさに、私の部屋は、この物理法則を証明しています!エントロピーが増大すると、仕事がすすまなくなります。そりゃそうです。必要な実験道具が見つからないのですから。 部屋だけではありません。会社経営も、この法則から逃れられません。必ず、不必要な雑事が拡大していきます。そうすると、必ず経営効率は悪くなります。初心を忘れずに、シンプルな経営を続けることがいかに難しいか。この話は、宇宙全体でも同様に当てはめることができて、宇宙にあるすべての物質は、時間とともに、だんだんと無秩序な状態になっていき、それがもとの秩序に戻るということはない。というのが、物理学の常識です。でも、こう考えるかもしれません。「乱雑な部屋でも、人間が片付ければ、部屋は綺麗になるじゃないか!? 人間の活動だって、自然現象の一部だろうが!!」つまり生命活動は、エントロピー増大の法則に逆らう唯一の現象だ! しかし、この主張は間違いで、実際には「部屋+人間」の全体のエントロピーとして考える必要があり、そうした場合、ちゃんとエントロピーは増大しているのです。話が長くなるので、簡単に言うと、限られた系の中では、部屋をきれいにすることができるがそれは、閉じていてはだめで、開いた系であり、ゴミ捨て場へゴミを運び出す道がある場合です。または、お風呂場で汗をかいた体を洗える場合です。 じゃ、何かを犠牲にしてでなくては、美しい秩序は作り出せないのか?そうでもないのです。ここからが、私が言いたいところです。 そもそも、「エントロピーがなぜ増大するか? つまり、なぜ秩序は無秩序になるのか?」というと、単純に「何の意思も持たない粒子が、適当に動いているのだから、 確率的に言って、無秩序になっていくだろう」ってことにすぎません。つまり、確率的に言って、「無秩序になりやすい」っていう程度であり、「絶対に無秩序になる」というわけではありません。 このことを、正面から考えた科学者がいました。イリア・プリゴジンです。(ノーベル賞を受賞)プリゴジンは、「混沌から秩序が生まれること、 つまり、エントロピー増大の法則の『逆の現象』が どこかにあるはずだ!」と考え、ついに、そういう現象を発見し、その理論を「散逸構造論」としてまとめたのです。このエントロピー増大に逆らって、局所的に小さな秩序を作る可能性のことを『ゆらぎ』と呼びます。 たしかに、確率論で考えたって、そんな小さな偶然は、すぐに巨大な全体の中に、かき消えてしまいます。しかし、事実は違ったのです。それは、相互作用のある複雑系の場合です。その小さな偶然の秩序は、無視できるような小さな影響しか持たないのですが、それでも、自分の周りの粒子たちに、少しだけ影響を及ぼします。そして、その小さな影響は、その隣りの粒子に影響を与え、さらに、そのまた隣りの粒子に影響を与え……と、次々と連鎖的に影響が伝わっていくことがあるのです。これにより、その秩序を中心とした、ちょっとした小さな渦巻きを生むことがあるのです。つまり、小さな秩序が、全体の構造に影響を与えたということです。もっとも、その渦巻きは、すぐに消えてしまうような本当に小さなものです。問題はここからです。たまに、条件が合えば、その影響された全体(渦巻きとか)が、 中心にある秩序を強化するように働く、ということがあるのです。これを「ポジティブ・フィードバック(好循環)による自己組織化」と呼びます。そして、この強化された秩序は、さらに全体を動かし、その全体が、さらに秩序を強化するように働く……という相乗効果(好循環)が発生し、何もないところに、突如、信じられないような秩序が生み出されることもあるのです。宇宙はこのように生まれたと科学者は考えています。この、「部分が全体に影響し、全体が部分に影響する」という相互作用は、今までの科学の概念になかったものですが現実の私たちの社会、たとえば株式の上がり下がりなどをうまく説明します。「ゆらぎ」によって生まれた小さな秩序でも、全体に大きな影響を与え、とてつもなく強力な秩序を生み出すことがあるのです。そう!だから、消えてしまいそうな、個人個人のその小さな想い、小さな祈りでも、 世界を変えることもできるのです!だから、災害復興でも、個人の小さな活動、それが決して無駄ではない可能性があるのです。僕たちも「自分にも出来る小さなこと」からはじめてみようじゃありませんか。ポイントは相互作用です。個人の運勢の問題とすれば、自分が励まされるような環境を作ることです。
2016.04.16
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電磁波は放射能と同じで目に見えないので不安に思うばかりで、手がかりがないと思う方も多いと思います。放射線の時もそうでしたが不安に怯えるより先に、まず一度測定してみることをお薦めします。でも、高額な測定器を買う予算がないし、どこをどう測ればいいのかの予備知識もないし、と腰が重いと思っていませんか? でも、光の実験なら、小学生の子どもでも気軽ですよね。そもそも、多くの人は、「電波は光とまったく別のもの」と思っています。しかし、光の正体は、電磁波と同じものなんです。 そう考えるとちょっと気楽になりませんか?これまで、電磁波のことなど、中学生でもとても無理だ、と考えられてきました。まして、小学生になんか!でも、光の研究ができるなら、電磁波の研究もできるはずなのです。 でも、そのためには、自分で電磁波を発信して、しかもその電磁波をキャッチして、その存在を確認して、いろんな仮説を考えながら、じっくり研究することが大切です。もちろん、高価で複雑な実験装置ならありますが、それでは、その装置の理解だけで壁に当たってしまいます。 でも、頭を柔らかくして身の回りを眺めてみましょう。うってつけの実験道具があるではありませんか?そう、携帯電話です。また、ラジオです。さらに、おもちゃのラジコンもそうです。これで、どういう時届いて、どういう時、電波が届かないのかを「仮説を立てて」実験を積み重ねればいいのです。 実際、おもちゃみたいなものでも、だいたいの傾向だけわかればいいということで測ってみますと、パソコンの全面も結構電磁波でていることがわかります。機種によってちがうかもしれませんから、自分で比較してみるのが一番です。だいたいどのくらい離れれば、ゼロになるかわかります。また、方向を変えるとかなりかわりますから、いろいろ試されてみてください。電源をオフにしていても、回路がつながっていれば、電磁波は発生していることにびっくり。ですから機器などは、電源をコンセントから抜いたほうがよいのですね。ホットカーペットも結構でてます。ということは、この上で眠るのはどうなんでしょう。携帯電話は、真ん中あたりが、良く反応します。スマホのほうが、携帯電話より、少し反応は弱いです。 友人の話によると、Mac Bookは、キーボードの真ん中あたりが反応するようです。ちなみに、Macのパソコンは、Windowsパソコンより、疲れないというのも、そのせいかもしれません。デスクトップパソコンは、本体の前より、横のほうが、反応します。本体の後ろは、もっと凄いです。ACアダプターにセンサーを近づけると、強烈に反応します。また、電子レンジは、強力な実験道具ですが、それだけに、コンセントが入っているだけで凄いです。恐ろしい。液晶テレビは、センサーを近づけると反応します。車の運転席のダッシュボードの上が、強烈に反応したので、ゾッとしました。は興味のある方は、私と実験教室を開催しませんか? 今、街に巨大な送電線が建ち並び、地下にも高圧ケーブルが埋まっています。学術的にはまだ、認められていませんが電磁波の多い町では、ガンの発生率は全国平均の20倍、白血病に至っては全国平均の100倍というところも報告されています。 もう一度、電磁波とは何かを振り返っておくと、ラジオ波、おなじみの遠赤外線や、日焼けや皮膚ガンの原因となる紫外線も、じつは電磁波の仲間です。そして、原子爆弾が発するガンマ線、レントゲンのX線もそうです。これら電磁波は、送電線をはじめ、ほとんどすべての電化製品から発せられているのです。 生体に悪影響を与えるといわれるのは、送電線や一般の電化製品から放射されるELFと呼ばれる極低周波(0~100ヘルツ)の交流電流から携帯電話、電子レンジ等から放射されるマイクロ波(UHF)と呼ばれる極超短波((300MHz~3GHz)です。 コンクリートをも通り抜ける電磁波ですが、 発生源からの距離に比例して危険度が小さくなります。 波の発生する場所(TV、電子レンジ、携帯電話、パソコン)から何メートル離れたら電磁波の影響が無くなるのか、その距離を確認するだけでも、お役に立つと思います。 専門家になる必要はないのですから、だいたいの目安がわかればいいのではないでしょうか。 材料費は、 ほとんどプリント代だけの、「一人あたり」、100円コース光の実験道具がおみやげの、300円コース電磁波でおいしいものまで食べちゃう500円コースがあります。あと、ケースバイケースですが、交通費等もよろしくお願いします。お気軽にお問合せください。打ち合わせまでは、完全無料です。 携帯080-6009-1995 相澤
2016.04.15
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若き女性数学者ソフィーと天才ガウスの文通ですが、その中で、さまざまな研究成果が書簡の中で発表されていきます。最高に幸せな時だったでしょう。しかし、天才の気持ちは移ろいやすく、その後、ガウスは、興味の対象が、ソフィーのやっている分野とは違う方面に移ってしまうのです。その結果、手紙の返事を全然書かなくなってしまいます。突然、ガウスからの手紙が打ち切られたソフィーは、茫然自失とし、なんとショックのあまり数学をやめてしまうのです。何も、そこまでしなくても。数学者になるため、どんな絶望的な状況でも乗り越えてきたじゃありませんか!と私が叫んでも、私には女心はわかりません。きっと、数学を捨ててしまうほどなのだから、彼女の中で、ガウスがどれだけ大きな存在になっていたか、想像ができるというものです。ところで。失意に沈んで数学をやめてしまったソフィーが、その後どうなったかと言えば、心機一転して、物理学者の道へと進んでいます。す、すごい!さらに驚くべきことに、ソフィーは、ここでも大きな功績を挙げているのです。何という才能でしょう。しかし、そんな功績を挙げたソフィーに対して、科学界が、名誉を持って報いたかといえば、そうでもありませんでした。当時の物理学の世界も、女性への差別と偏見が満ち溢れた場所だったから。ソフィーのように「科学の発展に大きな貢献をした女性」を粗雑に扱ってきたことは、後世の人から、科学史における「汚点」「恥」とまで言われています。とはいうものの…、彼女のことを認めていた人が、当時、誰もいなかったわけではありません。ソフィーの目覚しい業績に対して、それに見合う名誉が送られていないと気づき、彼女に名誉博士号を送るようゲッティンゲン大学に働きかけた人物がいました。その人物とは、あのガウスだったのです。何で今頃、出てくるんだよ!しかし、ソフィーは、その名誉を受けとる前に、乳ガンで、この世を去ってしまいます。あと少しだけ、長く生きられたら。ガウスからの贈り物を、ソフィーは、どれだけ喜んだことか。 ところで、数学法則にしろ、物理法則にしろ、法則にどうして学者は固執するのでしょう。 どんな疑問も、最初は、特殊な具体的な問題だったわけです。しかし、それをどんな時にも当てはまる一般化にまで高めると、人間の視野や想像の限界を飛び越えた、無限の彼方まで、予想ができてしまうのです。そう、数学は無限を扱えるのです。無限を封筒に折り畳み、ポケットに持ち歩くことさえできるのです。 たとえば、ソフィーが取り組んだ整数論は、物理学の周波数の問題につながります。この宇宙は、完全な連続的な世界ではなく、量子という飛び飛びのエネルギーの塊が活躍する世界だったのです。ある意味、整数の飛び回る世界で、そこから、調和のとれたメロディーやハーモニーが生まれています。美の秘密も整数にあります。私たちの運勢も、この干渉作用から来ているのかもしれません。と考えると、ゆめゆめ、1・2・3を疎かにできませんね。
2016.04.14
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昨日に続き、ソフィーの物語です。 ところで、ソフィーが主に研究した、整数、特に素数の性質ですが恥ずかしながら私は、学生時代、整数なんて、「知っている」と思っていました。この「知っている」つもり、こそが、人間の頭脳の大きな障害なんですね。科学知識なども、「あ、それ、知っている」と思った瞬間、人間の頭の働きはストップしてしまいます。 つくづく、人間の存在の不思議さと、宇宙の謎に挑む好奇心の不思議さに思いをはせてしまいます。 ところで、ソフィーはガウスに手紙を書きます。ガウスは、数学王とも呼ばれ、ガウスといえば神さまのような存在でした。それはソフィーにとっても同様であり、実際、ソフィーは、「私のようなものが手紙を差し上げて、 あなたのような天才を煩わせてしまい、 なんと我ながら無分別なのでしょうか。 誠に遺憾に感じております」という、とても恐縮した内容の手紙をガウスに送っています。それどころか、偉大なガウスに対して、ソフィーは、「自分が女だと相手にされないのではないか」と恐れ、またしても、ルブランという名前で男のふりをして、手紙を送っちゃうのです。ガウスの方はと言えば、ルブランから送られてきた「フェルマーの最終定理の新しい研究成果」に深い感銘を受け、「彼」の深い洞察力と知性を賞賛し、「素晴らしい友人を得たことを嬉しく思います」と気さくな手紙を返信しています。こうして、ガウスとルブランは友人となり、文通は始まります。しかし、ルブランの正体は、ある事件がきっかけで、またしてもあっさりとバレテしまうことになるのです。ナポレオンが率いるフランス軍が、 ドイツに戦争をしかけたのです。フランス軍が、ガウスのいるドイツに攻め込むという話を聞いたとき、ソフィーの脳裏に浮かんだのは、あのアルキメデスの物語でした。フランス軍が進軍 → 戦争で町は大混乱 → ガウス様は数学に夢中 → 軍が来ても逃げない → 銃で撃たれる 「いやぁ、私のガウス様が死んじゃう!」ガウスの身を案じたソフィーは、フランス軍の指揮官に手紙を送り、ガウスの身の安全を保障してくれるように頼みます。そして、実際、その指揮官は、手紙のとおり、ガウスの安全について、特別な計らいをしてくれます。が、おせっかいなことに、「命拾いしましたね。ソフィー・ジェルマン嬢のおかげですよ」とガウスに告げてしまうのです。これがきっかけで、ルブランの正体がバレテしまい、ソフィーは、ガウスに謝罪の手紙を送っています。しかし、ガウスは、数学の文通相手が女性であったことに驚きはしたのですが、それでも、変わらぬ友情を誓う手紙を送っています。こうして、正体を明かしてからも、ソフィーは、ガウスと文通を行うことになります。憧れの数学王から認められたソフィーは、数学者として女性として、おそらく、幸せの絶頂にあったのかもしれません。 おっと、昼飯です。ソフィーのその後の話はまた明日。驚くべき展開があります。余談ですが、私は生徒に勉強へのモチベーションアップを働きかけるのには疑問をもっています。頑張るってのは、どこか不自然が入り込みます。自分の自然な生き方を素直にしていると、成果が上がる道。それを見つけるように努めればいいのではないか、と。
2016.04.13
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私の生徒に数学が好きな女子高生がいます。その子に、数学にのめり込むのは、異常ではないんだ、と勇気づけてやりたいと思い、ある先人の話をしたいと思います。 女性の先人と言えば、好評だった朝ドラの広岡浅子さんみたいな人です。お国は、フランスはパリ。時代は18世紀です。フランス革命の波に洗われていたころです。名前はソフィー・ジェルマン。ソフィーは、フランスの裕福な商人の娘で父親は、すでに経済的に成功をおさめており、物静かで美しいソフィーは、黙っていても、優雅で快適な人生を送ることが約束されていました。 これも広岡浅子みたいですね。しかし聡明なソフィーは、もしかしたら、そんな先の見えた、ぬるま湯のような人生に疑問を持っていたのかもしれません。なにか心の底から熱くなれる、一生涯を費やしても悔いの残らない、そんな『何か』をずっと探していたのかもしれません。ある日、一冊の本に出会います。それは、父親の書斎で、暇つぶしに拾い読みをしていたときに、たまたま手にした本でした。『数学史』です。そこに書かれている高度な数学の内容について、ソフィーはもちろん理解できなかったけれど、ただ一つだけ、ある数学者の物語にとても心を惹かれるのです。それはアルキメデスの物語でした。アルキメデスは、砂地に数学の問題を書き、それを解くことに熱中していたばかりに、そこに、突然、ローマ軍が攻め込んできたのに町の人間は、みな逃げ出してしまったけれど、アルキメデスだけは、その場を離れず、とうとう、ローマ兵に殺されてしまった、あの有名な話です。普通の人は、何ておバカな話と思うのでしょうが、彼女は、その物語に感動しちゃいます。「数学って、自分の生死すら忘れちゃうくらい、 魅力的な学問なのかな? アルキメデスが、そこまで夢中になった数学って…… もしかしたら、人生の全てを賭けるに ふさわしい『何か』なのかも!」こうして、彼女の人生の目標が決まったのです。彼女は、数学者を目指すことになるのです。しかし、当時は、数学どころか「女性に学問は不要」とされていた差別と偏見の時代であり、特に彼女の母国フランスは、その傾向が強かったのです。もちろん、ソフィーの両親も、彼女が学問に目覚めたことを決して喜びはしないで娘の将来のために、心配して、ソフィーが勉強しないように監視し、夜は、部屋から明かりと暖房を取り上げちゃいます。しかし、彼女は、それで諦めることはありませんでした。寝室にロウソクをこっそり持ち込み、暗い部屋で、がたがた震えながら、両親に隠れて、一生懸命、数学を勉強し続けたのです。そんなソフィーが10代の終わりに近づく頃、パリに数学を学べる学校、パリの高等理工科学校エコール・ポリテクニクが新しく作られます。ソフィーは、どうしてもそこに入って、数学の勉強がしたかった。しかし、「女の頭で数学は理解できない」とさえ言われる偏見の強かった時代、その学校に入学できるのは男性だけだったのです。しかし、それでも、ソフィーは諦めなかった。なんと、ソフィーは、以前在籍していたルブランという名の男性の名前を騙って、学校に潜り込むのです。ソフィーは、どうにかして、数学の教材や問題集を手に入れ、レポートも、ルブランの名できちんと提出していました。だが、そんな潜り込み生活は長くは続きませんでした。もっとも、ソフィーがただの平凡な学生であれば、何事もなく、日々を過ごすことができたかもしれません。彼女の非凡さゆえに、彼女のレポートが、当時、講座を担当していたジョゼフ=ルイ・ラグランジュの目にとまってしまうのです。ルブランは、呼び出されることになります。19世紀最高の数学者と呼ばれたラグランジュは、当初、独創的だが才気ある数学者の卵に、賞賛の声をかけようと呼び出したのですが、入ったきた学生が女の子だと気づいて、唖然とする。「ご、ごめんなさい!わたし、わたし、女の子なんです! でも、どうしても、数学が勉強したくて、その…」女人禁制の場所に、少女が単身もぐりこむというまるでマンガのような展開に、半ば呆然としつつも、ラグランジュは、ソフィーの数学への熱い志に打たれ、彼女を追い出すどころか、彼女の指導者となることを約束するのです。こうして、ソフィーは、ラグランジュの指導のもと、メキメキと数学の実力を身につけ、数年をかけて、ついに、あのフェルマーの最終定理の第2の扉を開ける成果を出します。第1の扉を開けたオイラーから、半世紀の間、まったく進展がなかったのですから、ソフィーの成果はとても大きなものでした。ソフィーは、この成果をガウスに手紙で送っている。ガウスは、数学王とも呼ばれ、「数学史上もっとも優れた数学者」と評価されるほど、偉大な数学者であり、当時、彼以外の数学者にとって、ガウスといえば神さまのような存在でした。 今日は時間切れでここまでガウスとのドラマが続きます。
2016.04.12
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前々日だったかに書きましたが、もし閉じられた系の中で、引き寄せの法則で言う「波動」をよくするには、人からエネルギーを奪うことはできませんから、今持っているエネルギーを整理整頓して、つまり美しくまとめなおしてやることしかないわけです。 そして自分の波動を美しくするには、気持ちと環境は相互作用をしますから部屋を美しくすれば効果が高いのではないでしょうか。美しい部屋は、必ず美しい自分を作ります。 よく芸能人が言う言葉ですが、トイレ掃除をすると、運が良くなる、と。これも当然すぎることでしょう。また別の角度から、トイレ掃除をすると、「自分を好きになる」という話も聞きます。自分を好きになると、実は、他人からも好かれます。愛されます。そうすれば、物事がうまく回りだし、結果運が良くなるのです。 家庭教師で最初にお邪魔したとき、ほとんどの子は、自分を他の子と比べると、価値のない人間だと思っています。本当は、自分を好きになるのに、理由や根拠なんて要りません。 話が脱線しちゃいますが、論理だけで構成している数学理論でさえ、ゲーデルの不完全性定理という大発見で証明不能な命題を含むということは、証明されています。つまり「正しいとも、間違っているとも言えない不明な領域」が数学理論の中にあるということなのだから、ただでさえ、気持ちのもちようの問題である、自分は価値ある人間かどうかなんて、誰に理論づけられる必要もなく、自分で勝手に決めてしまえばいいのです。 その後押しとして、美しい環境を作りましょう。そうすると、見違えるようにお子さんの成績もアップしていくことでしょう。
2016.04.11
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数学の世界は現実にあるわけではありません。ま、「現実」とは何なのかという問題ではるのですが、数学は、直線にしろ、点にしろ、数式にしろ全部人間のイメージの世界のものです。数学をやるということは、イメージを操作する、ということです。あ、数学だけではないですよね。科学だって、英語だって、結局はイメージ操作です。イメージの中の戦いなのですから、実は、他人からは見えないのです。この子はわかっているのか、を判断するために、テストをしますが、テストに満点を取ったとしても、その子が適切なイメージをもっているのかどうか他人には見えないのです。他人がどうであれ、自分にイメージとして見えれば、「わかる」のであって、他人からバカにされようが、見えなければ、「わからない」のです。そこで、多くの子は、道を誤ります。テストの点数を上げるためのテクニックを身につけようと。点数が取れれば、「わかった」と思い込んでしまいます。これでは伸びないわけです。満点落ちこぼれの実態です。公式丸暗記は、ほとんど弊害ばかりです。どんなに単純なことでも、本人がわからないことは、わからないと認識をしてそれにこだわること。それこそが学問をする態度です。つまり、オタクになることですね。
2016.04.10
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受験生を相手にしていると、ぜひ、この子に幸せが訪れてほしいと願います。と思いめぐらすと、ついつい俗に言う「引き寄せの法則」を思い浮かべてしまいますでも、これって、当たり前ですが、科学的な根拠は、ありません。量子物理学とこじつけるのは、勝手ですが、それにしても、「科学的な論理は示されていません。」それを承知の上で、私のもっている科学常識に乗せてあえて考えてみたいと思います。人類の叡智のひとつである科学は、これまでいろんな法則を見出してきました。その根幹となるものが、エネルギー保存の法則を代表とする各種の保存則です。保存則とは、一定の系において外から力が加えられないとき、その系の量の総和は変化しない、という法則です。言い換えれば、「万物は外部からエネルギーを加えなければ、永遠にその状態を保持する」ということでもあります。そして、もし、精神状態も波動エネルギーとして観測され、この世のすべてが一種の波動現象であるとするならば、引き寄せの法則で「悪いことを考えれば悪いことが起こり、良いことを考えれば良いことが起きる」と言うのは、決して、「悪い波動をもっている人、すなわちエネルギー量の少ない人に魔法のように高エネルギーを与える」というのとは、違うのではないか、と思います。高エネルギー体質の人には、良いことが起こり、低エネルギー体質の人には、悪いことが起こるというのは、保存則の当たり前のことを言っているに過ぎないわけです。もし外部から、エネルギーを補充することができれば、話は別ですが、それについては、特に書かれていませんね。せいぜい、「運の良い人とつきあえ」くらいでしょう。だとすれば、保存則の性格から言って、自分の限られたエネルギーを良い波動に整えること、これこそが引き寄せの法則のポイントなのでがないでしょうか?もし、波動エネルギーを良い現象を出現させるために使ったら、エネルギーは減少します。それじゃ先細りです。どんどん銚子に乗って、波動をより良いものに、増幅させていく必要があります。つまり、何が言いたいかというと、すべての出来事のエネルギーを無駄にせず、良いエネルギーに変換していくのです。別名、お調子者になることです自分で自分をどんどん乗らせていくことです
2016.04.09
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先日、テレビで「失敗先生」というのをやっていました。一度は成功したものの、(テレビに出演するだけで、ある意味、成功です。)結局人生で失敗したということを赤裸々に公開するという、とても面白い切り口です。あれを観ていると、大学の時、経営学の先生から教えられた、「毒になる成功」の話を思い出します。人は、短期間にドンと売り上げが上がることを「成功事例」としてとり上げるけれど、会社経営から見れば、それって「リスク」なわけですなぜ?1つは、コストの問題。たとえば、1日で一億円売り上げがあがるってことは、1日に半年分のお客さんが集中するってわけで、その集中したお客さんへの対応、商品のデリバリーで大勢の人員が必要になります。でも、その波が収まると、今度は、人員が必要でなくなります。もう一つは、不確実なんです。安定した仕事ができないので、予測ができなくなります。だから、地道な改善にエネルギーが注げない。また、高額で売れるのも、ワナです。当たり前のことですが、価値と価格はバランスが取れていなければなりません。よく、「価値」以上の「価格」で売ることがプロのように言われたりしますが、全く馬鹿げています。そんなのリピートされるはずがありません。いずれにも、数学ができていないのです。瞬間的な数字ばかりを追って、継続の概念が欠落しているのです。連続的な数字の流れを読む練習こそ、数学の得意とするところです。
2016.04.06
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もともと、数学とアートは共通点をもっていますが、そのどちらも、その時代の空気を敏感に反映しています。現代数学の特徴は、(現代科学もそうですが)現代絵画、現代音楽と通じていると思います。三角形や女性がバラバラになったりします。2+2が4だったり、4でなかったりします。いずれも、自分なりの論理を使ってそれらを公理として、独特な結論を導き出します。もちろん、それらの結論が、実際に有効な観測結果を出すかどうかは、別問題ですが、もし、本当に今まで以上に良い結果を生み出せば、そも理論は、今までの理論以上に素晴らしいと認められます。しかし、だからこそ、決して思いあがってはいけないのです。将来にわたって、最も優秀な理論だなどと考えたら、アウトです。かこ「客観的な事実」について話しているわけではないのです。「変換のもとでの不変量」について議論しているのです。つまり、観測されているものは、「影」であり、光の当て方によって、変わるものであり、また、座標軸の変化によって、いくらでも歪んでくるものであることを科学者や数学者はわきまえています。これらが現代の潮流だとすれば、二つのことをポイントとして注意すべきです。一つは、過去にも増して、より柔軟で、変化に対応する精神、覚悟が必要だということです。二つ目は、その反作用ですが、自由だからこそ、他の考えへの遠慮、謙虚さが、絶対に必要だということです。もちろん、自分の考えを大切にする、主体性を確立していなければ議論にも加われません。2+2が4にならないからといって、相手を攻撃しなくてもいいのです。相手の前提条件について、その隠れたものも明るみに出して議論できるように、明快な思考力、論理力を養うべきです。これこそが、現代人がもつ最も「現実的」な武器です。
2016.04.05
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トランプさんの暴言は、識者は皆批判していますが現実的に、アメリカ国民は選んでしまっています。これを単に、「アメリカ国民はバカだから」とか「衆愚政治だ。」と批判するには、何か違和感を感じます。トランプさんの言動は、これまでの教科書的な一般常識からは暴言でも、アメリカ国民の深層心理を代弁してくれているから、スッキリするのでしょう。これを私は、理数系の講師として、どうしてこういう言動・結論になってしまうのか、数学的・科学的に納得したくなります。これは私の仮説ですが、トランプさんの論理は、前提条件が間違っているか、欠落しているからなのです。どう間違っているのか?それは、人間の五感による常識と、科学の法則がズレているのと同じだと思うのです。たとえば 天動説と地動説みたいなものです。人間の五感からすれば、天が回っていると感じるのが自然です。地が回っているというのは、学校で教えられて、無理やり脳みそを納得させて、存在しているのです。それをトランプさんは、「やっぱり地面は動いていないことを前提に物事を考えようよ」と言い出しているのです。それに多くの人が、「そうだ、そうだ」と共感するのです。人類の叡智の科学や数学は、歴史上、人間の直観くらい、当てにならないものはない、と何度も教えてくれています。証明されていない、「暗黙の前提」こそ、危険です。それに基づいた、ユークリッド幾何学は、すでに論破されています。何が、「良い」ことで、何が「悪い」ことなのか、脳みその怠慢を許さないで、徹底的に掘り下げる必要があるのです。前提条件をちょっと変えれば、すぐに導きだされるのが、「ヒットラーの論理」ですから。
2016.04.04
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突然ですが、この数の並びの次の数は何でしょう?「1、1、2、3、……」これは、ただの小学1年生のイタズラ書きのようにも見えます。たしかに、いろんな解釈があります。誰かの思いつき、たとえば、「1,1,2,3,2,1,2,3,3,1,2,3,4,1,2,3、……」のように解釈しても間違いではありません。しかし、数学では、そこに面白い法則が隠れているのではないか?と疑いをかけます。その思いをもって見ると、見えてくるのです。これは、有名なフィボナッチ数列です。前の二つを足したものが、次の数字になるのです。ですから、次の数字は、4ではなく、5です。そして、この数列は、自然界のいたるところに潜んでいて、黄金比の秘密でもあります。ちなみにこの数列の一般項を出すには、高校数学 数3の実力が必要です。次の数列はどうでしょう?「1、0、-1、0、1、0、-1…」これをただの、1とー1の間を振動している数直線上の運動と見ることもできます。しかし、つまりません。もし、これを、半径1の単位円の上を90°ごとに回転している点のX軸に投影された影としてみれば、どうでしょう?豊かなイメージの発展があるではありませんか?数学では、現象を隠れた本体の影として見ます。そして、その本体のメカニズムつまり構造を解き明かします。もし、それを見いだせれば、次の予想ができ、社会の幸せにつながります。近代科学の法則も同じです。ただ、現象を暗記しているだけでは、科学になりません。現象の背後に隠れて、支配をしている法則を見出そうと努力するのです。別の言葉を使うと、次元を上げて解釈するのです。今日の社会的な事件も、数列の一つの項でしかありません。つまり、影です。安部総理の言動も、トランプさんの暴言も、イスラム国のテロも みんな影です。そこに法則を見出し、一般項を導き出し、次に役立てましょう。
2016.04.01
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