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土曜日に公開された「ゴーン・ガール」を見る。簡単に言うと、頭脳明晰でいかれた女がたくらむ罠の数々と、それに翻弄される凡庸であるが誠実な夫や警察を含む社会の人々を描く大作。結婚5周年の日に突然妻が失跡するという事態が発生する。目撃者はいなくて、争った跡や、血痕など物的な証拠がいろいろ出て来て、夫が疑われる。夫は双子の妹や凄腕の弁護士と共に、事件の解明に乗り出す。。。。ここまでは普通のサスペンスものだが途中からアッと驚くようなどんでん返しが何回も続く。原作は全米で600万部を売り上げた小説で原作者自らが脚本を担当している。ストーリーの展開がスムーズで、展開と共に謎が深まり、見る者をくぎ付けにする効果は高い。後半、失跡の真相が順を追って説明される。説明が終わった後で、現在の物語が進行する。それまでは圧倒的に面白いのだが、結末はよくわからず、無くても良かったと思う。いかに明晰でも、ミスはあるもので、彼女の場合はリスク管理が不十分だったことでシナリオがくるってしまった。また、ヴィジョンがはっきりしていなかったことも敗因の一つだ。この映画で面白いのは、メディアを使うことによって世論を操作しているところだ。それから、集会を開いて人々から同情を得て、ボランティアで活動してもらうところなど、いかにもアメリカ的な側面が垣間見られた。キャストでは、なんといっても妻エイミー(レイムンド・パイク)の狂気の演技が光っていた。普通の時の静かで気品のある佇まいと狂気に駆られる時の表情の落差がすごく大きくて、見る者はどきっとさせられる。まるで魔女を連想させるようなおぞましい表情だった。夫のニック(ベン・アフレック)は凡庸で誠実ではあるが、不倫をしているという弱さをもった男を自然体で演じている。凄腕辯護士のターナー・ボルトを演ずるタイラー・ペリーはいかにも切れるという感じだが、シャープさではなく的確な指示と決断力が印象に残った。ただし、凄腕だけに担当しただけで10万ドルというのはいかにもありそうな話だ。ストーリーの展開は、だれることもなく、テンポよく進んでいく。狂気の場面は音楽の効果と共に、かなり怖いシーンが出来上がった。この作品はゴールデングローブ賞にノミネートされたらしいが、それにふさわしい作品であることは間違いない。最近観た中でも、出色のドラマ展開であることは確かだ。それにしても、一寸先は闇というが人間の心も全く分からないものだ。公式サイト
2014年12月14日
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フィリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演作品を見る。もしかしたら混雑しているのかとお持ったら、小さな容れ物なのに、最後尾の2列が満員で後はちらほら。彼の認知度はこんなものかと思って少しがっかりした。個人的に好きな俳優で麻薬で早逝するとは思っていなかった。それが悔しい。映画はジョン・ル・カレ原作のミステリー。ドイツのハンブルクを舞台としたドイツの諜報機関とCIAのせめぎ合いを描いている。ただし、ドイツの諜報機関には表に出ない局がある。それが、ギュンター・バハマン率いるテロ対策チームだ。結局は3つの勢力の争いになる。バッハマンが長年調査していたテロ組織へ資金を提供している人物を突き止める。その人物は、慈善団体を主宰している。テロ組織へ資金を提供している証拠をつかむため、たまたまチェチェン人青年(グリゴリー・ドブリギン)の密入国を知る。この青年がイスラムのテロリストだと疑う諜報機関の上層部を説得し、この青年を泳がせて大物を釣ろうとする。この青年は亡き父の莫大な遺産を相続をしていて、お金はいらないという。バッハマンは一計を案じ、この青年のお金を件の慈善団体に寄付して、テロ組織への資金流出の証拠を得ようとするが。。。。 私の嫌いなレイチェル・マクアダムスが左巻きの弁護士アナベル・リヒターを演じているが、悪くなかった。ただし、ジーンズを穿いたヒップがでかくて、あまり見たくなかった。ホフマンの演じるギュンター・バッハマンは心の優しい男で、部下の面倒見も良く、シンパシーを感じる演技だった。彼の弱さは、優しすぎることで、結局はそれがあだになってしまう。遺作にふさわしいというか、もっと彼の映画を見たかったと思うことしきりだった。最後はギュンターの無念さが、自分のことのように心にグサッときたような気がした。普段目にすることのないスパイの世界の裏切りと厳しさを垣間見たような気がした。こういう映画を見ると、スパイ防止法も作れない日本の現状が、なんとも情けなく思ってしまう。キャストではウィリアム・デフォー演ずる銀行家トーマス・ブルーはアメリカ人ながらドイツ人的な風貌と固い雰囲気がぴったりだった。ドイツへの亡命を希望し、トラブルのもととなるイッサ・カルポフ(グレゴリー・ドブリギン)はチェチェン人とロシア人との間に生まれた青年役としてぴったりで、寡黙なところがとても良かった。ギュンターの同僚イルナ・フライ(ニーナ・ホス)はドイツ女性らしく、諜報機関の一員として意思の固い女性を演じていて見事。テロ組織を支援しているファイサル・アブドゥラ博士(ホマユン・エルシャディ)の重厚な演技も見ものだ。 こういうインテリジェンスに満ちた役をイスラエルの俳優が演るとぴったりくることが多いのは、気のせいだろうか。公式サイト
2014年12月13日
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180冒頭、恋人のギョームの生家に車で向かうトムのシーンが続く。そこに流れているのは男性ヴォーカルがアカペラで歌う「風のささやき」。ご丁寧に全曲が歌われる。歌詞を聴いたのは初めてだったが、こんなところで名曲の歌詞を知るとは思わなかった。この曲が何故流れているのかがわかるのは、後になるという仕掛け。何故か途中でシェーンベルクの清められた夜の一節が流れてくるが、そのシーンにそぐわない感じがする。巷ではこの監督を天才として認定?しているようだ。この監督の作品を見るのはこれが初めてだったが、監督が天才かどうかはわからない。ただ言えるのは、こういう見る者にストレスを与えられる映画は、そう多くないということだ。しかも何も怖い場面を写さないで、怖さを感じさせるのは、非凡としか言いようがない。農場ではふつうにみられるであろうシーンも何気なく挿入されていて、それも不気味さを増長させている。そういう意味では天才なのだろう。ただ、トムの会社の同僚が来たときには完全に飼いならされた状態だったのに、帰った途端に脱出を試みるという展開は唐突すぎる。彼にいかなる心境の変化があったのかが描かれていないのは物足りない。キャストではやはりフランシス役のピエール=イヴ・カルディナルの貢献度が大きい。完全にいっている役で、薄気味悪いことこの上ない。決してシンパシーを感じないのだが、そこがいいのだろうと思う。主役のトム役の グザヴィエ・ドランは次第に訳が分からなくなって、フランシスに籠絡されていく不条理を見事に演じていた。ギョームの母親アガット(リズ・ロワ)は普通。後半出てくるサラ(エヴリーヌ・ブロシュ)の巨大なオッパイに圧倒される。私は舞台がてっきりフランスだと思っていて、カナダのモントリオールからフランスへ来るのは大変だろうなと勝手に思っていた。舞台がケベックなことはどこかで説明されていたいのだろうか。私の注意力が足りなかったための誤解だろうか思う。しかし、亡き恋人の嘘を償わなければならなくなったトムの不条理な運命にはなんとも言えない。また、最後のオチでトムのこれからの運命が暗示されているようで、暗澹たる気持ちになってしまう。トムの不安を増幅させるような音楽は出色で、ヒッチコックの「サイコ」の殺しの場面の音楽を思い出してしまった。決して肌触りのいい映画ではないが、一見の価値はある。公式サイト
2014年12月08日
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クリストファー・ノーラン監督の最新作は宇宙モノ。宇宙モノというとアカデミー賞を受賞した「ゼロ・グラヴィティ」の衝撃は記憶に新しい。宇宙のシーンは3Dではないがスケールが大きく、それよりも想像をはるかに超えたストーリー展開で見る物を惹きつける。予告編を見た段階ではそれほどのものとは思っていなかったので、いい方に裏切られて良かった。ストーリーは異常気象で地球が住めなくなる事がわかり、ブランド教授(マイケル・ケイン)の理論に従って人間の住める惑星を探しに行くというもの。これだけだとなんの変哲もない物語りのように思うが、物語の進行につれて張られる伏線が見事で、あとであれはこのためだったんだなと納得できる物語になってる。特にこれで終わりかと思った時に、思いもよらないことが起こって、それが主人公が地上にいたときに起こったことにつながっているという筋書きは実に秀逸だ。終わり近くに種明かしされるシーンはなんとも感動的で、思わずうるうるしてしまった。この映画は監督が長年取り組んでいた脚本に実弟のジョナサンと理論物理学者キップ・ソーンのアイディアを組み合わせたもので、映画の成功の半分以上はこの脚本の功績だと思う。主人公クーパー 役のマシュー・マコノヒーは昨年の「ダラス・バイヤーズ・クラブ」の印象が強く、最初は違和感があったが、そのうち気にならなくなった。クルーをグイグイと引っ張っていく様はなかなか爽快だ。人類が住める新しい惑星を探す「ラザロス」計画の推進者ブランド教授役のマイケル・ケインはなかなか渋かった。ブランド教授の娘でクルーのメンバーアメリア役のアン・ハサウェイはまずまずの演技。クーパーの娘マーフィー(マフ)の子供時代を演じたマッケンジー・フォイがとても印象深かった。氷の惑星に探査に行ったマン博士は重要な役でハンサムな役者だなとは思ったのだが、マット・デイモンが演じているとは思わなかった。私の頭にデイモンが脇役をするはずがないという思い込みがあったからかもしれない。昨今、地球温暖化による異常気象が至る所で起きていることもあり、単なるSFとは思えないリアリティを感じた。特に、アイスランドの氷河で撮影した凍りついた惑星のシーンはリアリティ満点だった。公式サイト
2014年11月27日
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180イブ・サンローランと彼の片腕で恋人でもあるピエール・ベルジェの物語。イブ・サンローラン財団初の公認作品。財団のアーカイブから提供された衣装が惜しげもなく使われていて、ファッションに関心のある方にとって目の保養になることは間違いない。私はといえば、ファッションと無関係の男なので、関心事はイブがどのようにして成功を収めたかの一点だけだった。クリスチャン・ディオールに認められて、ディオールの死後若くして後継者として指名される。ピエール・ベルジェの支援により独立し、華々しい成功を得る。イブの底知れない才能はいかんなく描かれているが、これはあくまで従で、イブの個性的な生き方が主だ。それもここまで描いてもいいのかと思うほど赤裸々に描かれている。いくらピエール・ベルジェの協力があったとはいえ、ここまで大胆に描かれているとは思わなかった。ピエール・ベルジェとの同居やピエール・ベルジェ自身の企みなど、なかなかここまで描かせるのは普通では考えられないことだ。存命中の人たちはOKをとればいいが、イブ・サンローランの遺族からよくOKをとれたものだと思う。イブ・サンローランは同性愛、麻薬、酒でぼろぼろになりながら素晴らしい作品をつくるという破滅型の人間の典型みたいな人物だ。アルジェリアの独立戦争での徴兵により精神を病む話なども、関係者にとってはあまり表に出してほしくないエピソードだろう。一人の天才がいてもビジネスとして成功するには必ず片腕になる人物がいなければならないのは、ソニーや松下の例でもよく知られている。イブの場合は普通とはちょっとした出来事でパートナーが見つかり、それが凄腕のビジネスマンだったことが幸いしたのだろう。エンドロールで直前にイブ・サンローランのデザインが美術館の収集対象になっていると画面に出ていた。彼にとって本望だろう。個人的には、クリスチャン・ディオールに認められるまでとか、兵役での精神を病む場面とかをもう少し丁寧に描いてほしかったと思う。それから、周りの期待に応えなければならないと悩む心の葛藤も、もう少し掘り下げて描いてほしかった。ゲイバーやそこ辺の道端にたむろしているゲイのシーンが結構多く出る。私はその趣味はないが、嫌悪感をもよおすほどではなかった。フランス映画にしては重厚なつくりで、かなり見ごたえがあったが、ウイットは感じられなかった。映像としてもイブがプールで寝そべっているシーンなど、印象的な場面がいくつかあった。イヴ・サンローラン役のピエール・ニネは実物にかなり似ている。身体も胸が薄く、実物に近い。ゲイの場面も不自然さはない。ピエール・ベルジェ役の ギョーム・ガリエンヌもいい演技だった。この二人はコメディー・フランセーズに所属する実力俳優たちで、このキャスティングは上手くいったと思う。人気モデルのヴィクトワール、実物は押し出しの強い顔立ちだが、映画でのシャルロット・ルボンは清楚な感じで美しい。イブラヒム・マルーフのジャズを中心としたシンプルな音楽が効果的だった。カラスのアリアが何曲か使われている。イブ・サンローランはオペラが好きだったことから使われたようだが、最後のショーの場面で延々流すとは思わなかった。カタラーニの「ワリー」からのアリア「私は遠くに行きましょう」が特に印象に残った。公式サイト
2014年11月24日
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宮沢りえの『オリヲン座からの招待状』以来7年ぶりの主演作品にして、東京国際映画祭の主演女優賞受賞作品。公開二日目の一回目を見たが、以外にも入りは良くない。話は女性銀行員梅澤梨花(宮沢りえ)の使い込みの顛末を描いている。ふとしたきっかけから、一時的に預かったお金を使い穴埋めをするが、それからズルズル深みにはまっていく女の性が描かれている。過去も銀行員の横領事件は何軒かあったよう思う。周りにはお金が溢れかえっていて、感覚が麻痺するという相川恵子( 大島優子)の言葉通りなのだろうと思う。 だからこそ銀行員は何よりもモラルが大切なのだろう。それだけに厳しい自己規制が必要なのはいうまでもない。というか、そういう人間しか銀行員になっていけないのだろうと思う。主人公の罪は言い訳のできないものではあるが、そういうことをさせてしまった、夫梅澤正文(田辺誠一)や若いツバメ平林光太 (池松壮亮)の責任もないとはいえない。映画では認知症が悪化した老人を食い物にする姿も描かれているが、見ていて気持ちのいいものではない。また、業績を粉飾するための操作も描かれていたが、これが銀行の実態なのだろうか。この映画を見ていると、こんなことを書いてもいいのだろうかと老婆心ながら気になってしまう。時代が1990年代なので、小道具などはその当時あったものを使っていた。ただ、会話が現在の言葉になっているのは注意力が不足していたからだろうか。原作を読んでいなかったので、映画の進行具合から悲劇的な結末を予想していた。ところが全く予想しない出来事が発生して、意外な結末に驚いた。最後に落ち着くべきところに落ち着いたのだが、主人公はこの後どうなるんだろうかと心配してしまう。時々出てくるミッション系の中学のシーンは最初の頃なんだろうと思っていたが、最後に種明かしされる。しかし彼女の経験が変な方向に進んでいった理由を映画で説明して欲しかった。主演の宮沢りえは不安定な女性の心理をよく表現していたと思う。梨花の不正を見抜く隅より子役の小林聡美は重要な役ではあるが、それほど重くならず、かえってリアリティが感じられた。映画初出演の大島優子は悪くなかった。特徴のある顔なので役を選ぶ気がする。光太の祖父孝三役の石橋蓮司は怪しげな雰囲気で、すっかり騙されてしまった。おそらく見ていた方々は全員そう思っていたのではないだろうか。ところで、この舞台は1990年代だが、現在のこのシステムが生きているのだろうか。当時はITもそれほど発達していないし、現在だったら未然防止のできるシステムが可能なように思える。殆んど銀行に行くことはないが、相変わらず紙ベースの運用で、基本的には描かれていた内容と変わっていないのだろうか。公式サイト
2014年11月16日
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クリント・イーストウッド監督最新作を初日の2回目に見た。さすがにファンが多く、入りは結構良かった。デス・マカナフ演出による、フォー・シーズンズの経歴を基にしたトニー賞受賞ミュージカルの映画化。いわゆるジュークボックス・ミュージカルといわれるミュージカル。既存の曲を使ったミュージカルや映画のことだそうだ。おそらく、史実に沿った粗筋になっていると思われる。ストーリーは人気ロックグループのフォー・シーズンズが生まれる前から結成、ヒット曲によるブレイク、お決まりの内紛による解散、そして数十年ぶりの再会と続いていく。実話にしては結構起伏のあるストーリーが面白い。それに、ヒットさせるには、いかにラジオでレコードをかけてもらうかにかかっていたことを思い出させてくれた。ある意味いい時代だったように思う。予告を見ていて、「君に恋している」が出てきたので、てっきりフォー・シーズンのヒット曲かと思ってしまった。フォー・シーズンズというグループは名前を聞いたことが全くなく、個人的にはこの映画が初お目見え。「シェリー」は聴いたことがあるが、このグループの作品とは知らなかった。キャストで知っているのはマフィアの大物ジプ・デカルロ役のクリストファー・ウォーケンくらいなものだが、これがさすがの貫録だった。フランキーを引き立てたトミー・デヴィート役のヴィンセント・ピアッツァも重要な役どころにふさわしい演技だった。結局トミーの借金がもとでグループはバラバラになるのだが、音楽の世界ではこういうことがごまんとある。人間関係と金銭問題が主な原因だ。ミュージシャンはツアーが始まると、寝るとき以外(時には寝る時も)は一緒なので、いやになるきっかけはいくらでもあるわけで、そういう所で長い間一緒にやるのはなかなか難しいところなのだろうと思う。ツアーでトミーと一緒だったニック・マッシ(マイケル・ラマンダニック)脱退するときにばらしたトミーの性向が面白い。「洗面台で用を足したとか、3日間同じ下着を着ていた」というものだが、本人に言わせるとデマだそうだ。出典:http://blog.goo.ne.jp/master_of_my_domain/e/984134b34941cc609e89b59279f850adボブ・ゴーディオ(エリック・バーガン)はメンバーに加わった時は15歳だったようだが、映画では10歳以上老けて見える.1985年生まれなので、まだ28歳だが、メイクで何とかならなかったのだろうか。というか、無理に実際の年齢にはしていないようだ。なので、初体験のシーンは初々しさに欠けていたように思う。ただ、髭を生やすと別人のように俄然格好よくなる。西部劇の保安官役などぴったりだ。女優ではフランキーやゴーディオの妻はとても美しい。彼らの全盛期は私の小学生にころなので、知るよしもないのだが、当時はすごい人気だったらしい。音楽は、主演のジョン・ロイド・ヤングの歌とオリジナルのフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズの歌が混じっている。また、オリジナルにヤングがオーバーダビングしているトラックもあるようだが、予備知識がなかったので、そこまで神経が回らなかった。あとでサウンドトラックやオリジナルのサンプルを聴くと、フランキー・ヴァリよりもジョン・ロイド・ヤングの歌の方が素直で、個人的には好感が持てる。フランキー・ヴァリの歌唱はちょっと作為的な感じがする。声質もフランキー・ヴァリが少し低音で太い。オリジナルを聴くと、50年ほど経っているので当たり前だが、さすがに古の音楽という感じはする。多分このミュージカルや映画がヒットしなければ、彼らの音楽も返り見られなかったと思うが、まずはご同慶の至りだ。ところで、こういう音楽映画の時には、サウンドトラックで予習する必要があることを痛感した。それにもまして、主人公の人生を多少なりとも調べておけばもっと楽しめたと思うと、ちょっと悔しい。いつもならエンドロールが始まると、さっさと帰ってくるのだが、今回はなかなか黒バックにならないないので見ていたら、出演者が踊りを交えて歌を歌うではないですか。これが鳥肌もので、思いがけないプレゼントがとても嬉しかった。公式サイト
2014年11月13日
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ディズニーのアニメの実写版とすっかり勘違いして見た映画。初日の2回目を見たが、さすがに初日で結構入りはよかった。ところが、見ているうちにこれはディズニーのストーリーとは違うと思い始めた。途中からジャンコクトーが1946年に映画化していたことを思い出した。映画は見たことがなかったが、スチール写真を見た覚えがあるのだ。白黒の写真で黒が支配的な暗い写真だったと思うが、今見るとそれほどでもない。記憶とはあてにならないものだ。今回の映画は、原作に忠実かどうかは分からないが、強盗が登場していることからみて、原作とは違っている気がする。この強盗や強盗と戦う野獣の手下の巨人族?は今回の映画の脚色された部分だ。彼らのおかげで後半は大活劇になって映画的にはとても面白いものになった。この映画では、ベルたちのストーリーと王子が何故野獣になったかを同時並行で進行させていく方法を取っている。この王子の物語は原作にはないものだ。なので、何故王子の物語が映されているのかわからない状態で観客は映画を見ていくことになる。最後の方になってその理由がやっとわかるという、なかなか凝った作りになっている。野獣が元に戻るまでのストーリーも良く考えられている。映画は二人の子供に母親が美女と野獣の物語を読み聞かせる場面から始まり、最後に本を閉じて、子供たちを寝かしつけた母親が外に出ると、意外な人物が家に帰ってくるという結びになっていて感動してしまった。主人公ベル役のレア・セドゥは以前「アデル、ブルーは熱い色」で衝撃的な演技をしていた人と同一人物とは思えなかった。大体「アデル・・・」のときには顔がシャープでシニカルな表情が印象的だったのに、今回は随分と柔らかな表情で同じ人とは思えなかった。野獣(王子)役のヴァンサン・カッセルは個人的にはあまり印象を持っていない。今回は仮面をつけて頑張ったようだが、それほど魅力的ではなかった。大体王子が髭もじゃの男では幻滅してしまう。そのほかの男優では男兄弟で最もまともなペルデュカス役のエドゥアルド・ノリエガがかっこよかった。森の精イボンヌ・カッターフェルトはとても美しかった。音楽はディズニーのようなキャッチーなメロディーは出てこないが、なかなかいい音楽が付いていた。音源を確認したかったが、残念ながらサウンド・トラックは出ていないようだ。こうしてみるとこの映画、原作のおどろおどろしい面も十分に出ていて、とても楽しめる映画になっていたと思う。勘違いして見に行ってよかったと思っている。公式サイト
2014年11月01日
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予告に惹かれて観た作品。昔はニコール・キッドマンが好きではなかった。理由は分からないが、去年みた「ペーパーボーイ」の体当たりの演技を見て考えが変わった。この映画ではグレースケリーを演じている。グレース・ケリーの映画は寡聞にして観たことがない。ヒッチコックの映画「マーニー」の出演依頼を断ったことも知らなかった。舞台はフランスがモナコに進出したフランス企業に対し、課税してその税金をフランスに支払うよう迫る。色よい返事を得られないフランスは、モナコに対して経済封鎖を行う。映画はそんな緊迫した状況での、彼女の大胆な行動を描いている。フランスを翻意させるために開催した赤十字の舞踏会もその一つだった。ここでの数分に渡る演説はワンカットで取られていて何とも凄かった。こういう挨拶を聞けばドゴールならずとも、説得されてしまうのかもしれない。それにしても彼女がこれほどの演技をするとは思わなかった。映画ではスタンディングオベーションに終わるが、私もその場にいたら立ってしまう気がする。演説の内容はそれほどのものとは思えないが、クールビューティと言われた彼女が語ることで数倍の重みをもつものになったと思う。これはアカデミー主演女優賞の有力候補になりえる演技ではないだろうか。映画では彼女が車を飛ばしていて、人を避けようとして危うく道路から落ちてしまいそうになるシーンが出てくる。その後のグレース・ケリーの事故死を表しているようなシーンだった。他のキャストでは、相談役のタッカー神父を演じるフランク・ランジェラがいい。グレーズの秘書マッジ役のパーカー・ポッジは疑われるような顔で、私も騙されるところだった。真犯人が裏切るような顔立ちでないところもいい。ヒッチコック役のロジャー・アシュトン=グリフィスはちょっと顔が似ていない。ところでこの映画ではオナシスとカラスが出ていた。どうしてと思ったのだが、調べてみたら彼はモナコのカジノの株を買い占めていて、利益を独占していたそうだ。オナシスはレーニエ公の傍にいた人物で、彼のおかげでモナコが財政危機に瀕していたとは、なんとも皮肉なことだ。フランスによる封鎖も現在進行中のどこぞの国の振る舞いに似ているが、西側の国で、このようなことが平気で行われていたということは今では考えられないことになってしまった。公式サイト
2014年10月19日
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180予告でルーシーが夥しい通行人や車を両手でスワイプするみたいに止めてしまうシーンが印象的だったので見た作品。最初は脳科学者ノーマンの講義と事件に巻き込まれるルーシーを交互に描いている。それによると、人間は脳を10%しか使っていないそうだ。実はこれ以上以上使っている生物がいる。それはイルカで、何と20%を使っているらしい。仲間同士の交信に使っているソナーなのだそうだ。一見無関係なことが、実は関係していることが次第に分かる展開はなかなか見事だ。この映画は、人間が脳を100%使えるようになったらどうなるかを描いている。最終的には自然以外の全てをコントロールできるというのが答えだ。物語は、偶然事件に巻き込まれた主人公ルーシーが薬の影響で細胞が増殖し、脳を100%使えるようになったことで、起こる事件が中心だ。見所はカーチェイスと、彼女の体に現れる変化を表すCG。結末は想像力が足りなかったようだ。何しろ彼女が得た知識をUSBメモリーらしきものにダウンロードするというのだから笑える。画竜点睛を欠くとはこのことかもしれない。主人公のルーシーを演ずるスカーレット・ヨハンソンはアクションを含め目覚ましい演技だ。これほど見事なアクションは、アンジェリーナ・ジョリーやミラ・ジョヴォヴィッチなどのレベルではないだろうか。他のキャストは彼女の演技の前には霞んで見えるが、その中で脳科学者ノーマン役のモーガン・フリーマンはさすがの貫禄だった。それにしても、モーガンは最近こういう学者とか研究者の役が多い。役が彼を呼んでいるのかもしれない。パリ市警のピエール・デル・リオを演じるアムール・ワケド はラテン系で犯人役の方が合いそうな悪人面をしているためか結構印象的だった。舞台が台北で悪事を企む集団が韓国人というのは違和感があった。まさか韓国人が悪役にぴったりと思っているわけではないが、キャスティングの理由を知りたいものだ。もしかしたら映画のスポンサーの関係だろうか。この映画で描かれている時間は多分3日たらずだ。そのせいでもないだろうが、スピード感があり、小気味良い。上映時間も1時間30分ほどで、引き締まったストーリー展開は短さを全く感じさせなかった。ところで、正露丸がカメオ出演しているらしい。何でもちゃんと許可を取っているとか。未だご覧になっていない方は注意して見ては如何でしょうか。私はそのことを知るまで全然知りませんでした。公式サイト
2014年10月13日
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本年度アカデミー賞外国語映画賞受賞作品を見る。先週金曜日までの上映で、たまたま会社が休みだったので見ることが出来た作品。初老の作家になったジェップ・ガンバルデッラの物語。彼は40年前に「人間装置」がベストセラーになったが、それ以後は筆を折った状態が続いている。夜ごと繰り広げられるセレブのパーティー。それに嫌気がさした主人公が初恋の相手の死を知らされ、ローマの街をさまよう。怪しげな人物(動物?)が出て来たり猥雑なシーンがてんこ盛りで、独特な世界を展開している。シーンが脈絡なく突然切り替わる事があり、筋を追うのが難しい。野外の結婚式?で何組もの男女がダンスを踊っているシーンで、ふとフェリーニの映画に似ているような気がした。私はフェリーニの映画はそれほど見ていないが、レビューを見ると「甘い生活」」を思い起こさせるらしいので、私の感性もさほどずれているわけではないようだ。主人公ジェップ役のトニ・セルビッロはクラシック・ファンにはおなじみのセルジュ・チェリビダッケそっくり。これほど似ている人も珍しい。メガネをかけるとアルフレート・ブレンデルだ。初恋の相手の子供であるラモーナ役のサブリナ・フェリッリが大層魅力的だ。ジェップの身の回りの面倒を見ている家政婦の女性とジェップのやり取りがコミカルだ。この映画の売りはローマの遺跡の数々だが、単なる観光映画に陥ることがなくストーリーの中に上手く溶け込んでいる。こういう風景を見ると、かの地に住んでいる人たちをうらやましく思える。まあ、住んでいる人たちには煩わしさの方が先に立つとは思うが。。。それから、終わりに近い所でフラミンゴの群れがジェップの自宅のテラスで休んでいる風景が映し出される。意表をつく映像だが、フェリーニの「アマルコルド」の孔雀のパクリだと酷評されていた。個人的には、「アマルコルド」は見たことがないので、モノクロの、なかなか印象的なシーンだと思う。徹頭徹尾オロ・ソレンティーノ監督の映像美に支配された映画で、見る人の知識や感性によって受け取り方が大きく変わってきそうだ。少なくとも闇の深さをこれほど表現できる監督はそうはいるとは思えない。はまると癖になりそうな映像だ。公式サイト
2014年10月12日
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ラヂオもりおか音楽映画祭で公開されているパガニーニの生涯を描いた作品。通常の音楽映画のように演出で隙間風が吹いているような空虚さは皆無で、通常の映画として見てもかなり面白い部類だ。パガニーニの生涯を描いているといっても、ロンドン・デビューとシャーロットとの恋が中心だ。ストーリーはほぼ史実に忠実に描かれているらしい。音楽会のチケットが法外な値段だったり、女たらしの演奏会に行くな、みたいな女性解放運動があったりと、当時のロンドンの状況が分かりとても興味深い。当時の風景が丹念に描かれていて、音楽映画であることを忘れてしまいそうだったこの映画は主役のデイビッド・ギャレットに尽きる。実物よりハンサムなのは仕方ないが、前髪をだらっと垂らしているところは、パガニーニの雰囲気とは違いかなり不気味な雰囲気を醸し出している演奏シーンがふんだんに出てくるが、勿論すべて彼の演奏だと思う。圧巻は、居酒屋で弦が切れてしまって、残っているG線で演奏してしまう部分。演奏会で、失神する女性が出たりと、現代のスーパースターと同じような存在として描かれている。個人的には、もう少し悪魔的な面が強調されていればと思った。ギャレットは映画と同じく、素顔でもワイルドな感じがする。女性ならずともこんな男なら夢中になるのもわかるような気がする。彼は14歳でドイツ・グラモフォンと契約した早熟のアーティストらしい。個人的には聴いたことがないが、音が太く豊かだ。この音で速弾きをやられたら、誰でもが惹きつけられる。それだけの魅力を持ったサウンドだ。他のキャストも充実している。特にシャーロット・ワトソン(アンドレア・デック)の清楚な美しさが際立っている。イギリス人かと思ったらアメリカ人だった。パガニーニのマネージャー、ウルアーニ(ジャレッド・ハリス)の胡散臭さもいい。彼はあの名優リチャードハリスの息子だそうだ。ジョン・ワトソン(クリスチャン・マッケイ)の軽いウイットに富んだ演技もいい。映画では彼の曲や編曲が聴かれるが、最も惹かれたのはオリジナルではない「愛しい人よ」(原題Io Ti Penso Amore)。「ヴァイオリン協奏曲第4番」の第2楽章のモチーフを使ってデイヴィッド・ギャレットらが新たに作った曲だそうだ。映画ではシャーロットとのソプラノとのデュエットとして演奏される。とても清らかで、パガニーニの悪魔的な印象とはかけ離れている。映画ではNicole Scherzingerの吹き替えだが、その清らかな歌が美しい。ただし、息継ぎがあからさますぎて感興を損なう。この曲は聴いたことがないが、なにやらカンツォーネみたいな感じがする。原曲はギャレットの音楽よりもかなり素朴で、あっさりしている。幾分粘り気のあるギャレットの編曲の方が映画にはあっている。この編曲は、今後スタンダードとして残りそうな気配がする。公式サイト「愛しい人よ」PV
2014年09月29日
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周防正行監督の最新作を見る。画面が暗いのが気になったが、フィルムでの撮影だったのだろうか。京都の花街を舞台にした映画なので、それでもいいのかもしれない。映画は鹿児島に住んでいた時に親をなくし、青森の父母に育てられた娘が、舞妓に憧れ、京都のお茶屋で成長する姿を描いている。新鮮なのは舞妓の世界を描いたところだけなのだが、ありきたりの物語を面白く語らせるところは流石にうまい。この映画の新機軸は言語学という学問が絡んでいることで、これで物語が俄然面白くなっている。京都弁の波形は滑らかで、青森や鹿児島弁が波形が汚いというには眉唾だが、京都弁の柔らかさから、滑らかな発音が連想されるのは分かるが、波形がサイン波なのはご愛嬌だ。昔、京都で買い物をした時に女性に「おおきに」と言われた時のなんとも柔らかな響きに、はっとしたことを思い出した。主人公は青森弁と鹿児島弁のバイリンガルで、そにために京都弁の習得に苦しむ姿が描かれている。発音の仕方が違うんではないだろうか。何しろ津軽弁はフランス語に似ているらしいので。。。。圧巻は青森弁で主人公の祖父が話すところ。全くわからなかった。学生時代は青森出身の学生もいたが、個人的には秋田弁の方がわからなかった。映画ほど難解?ではなかったので青森の学生は津軽弁ではなかったのかもしれない。この映画はコミカルなミュージカル仕立てになっている。日本人で軽妙な味を出せる監督の中では周防監督と三谷監督が双璧ではないかと思う。歌が上手い人はいないが、富司純子が歌うとは思わなかったが、様になっている。監督は歌の上手い人をキャスティングするつもりはなく、この俳優がこんな歌を歌うんだという驚きを味わってもらいたいという狙いだったそうだが、狙いは見事に当たったと思う。富司純子扮するお茶屋万寿楽の女将・千春の若い頃、恋人のもとにムーンライト号(YS11)で通ったことを語るシーンでは、書き割りを使ってチープに描いていたが、当時の雰囲気が出ていて大成功だったと思う。エンディングは出演者が総出演で踊る場面(振り付けパパイヤ鈴木)で、宝塚の影響が感じられた。キャストでは、富司純子はさすがの貫録。主人公春子を演じる上白石萌音は素朴さは出ているし、歌もそこそこだが、舞妓になった後もイマイチ洗練されないのは演出だろうか。言語学者京野役の長谷川博己はなかなかお得な役だが、方言も歌も堂に行っていた。脇を固める方達が充実している。常連の渡辺えりや竹中直人は相変わらずだが、高嶋政宏のいかれっぷりがすごい。役にこだわるという噂が実感される演技だった。明るくコミカルな音楽(周防義和)も映画にぴったりだった。ということで、日本では稀なエンターテインメントに溢れた映画で、20年寝かせた?だけのことはあったと思う。ところで花街は「はなまち」と読んでいたが、「かがい」という呼び方もあるとは知らなかった。公式サイト
2014年09月22日
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予告をみて面白そうだったのでみに行った映画。インド映画はこれが2回目。インド映画というと歌と踊りがお決まりだが、この映画では控えめな扱い。簡単に言うと、姪の結婚式でニューヨークに出かけたインドの中流家庭の主婦が、英語を学びながら成長して行く物語。全体にほのぼのしている。舞台がニューヨークに移っても、ほのぼの感は続いているが、これがなんともいい雰囲気だ。全員が善人という設定も珍しいが、嫌味はない。キャストでは何と言っても主役のシャシ役の シュリデヴィがものすごい美人で、それだけでも見に来た甲斐があったというものだ。彼女はボリウッド映画の伝説的な女優だそうだが、50歳は思えない若々しさがある。この映画は引退から15年経ってからの復帰作だそうだ。コーヒーショップのシーンなど言葉のわからない辛さがよく表現されている。このシーンを見ていて、初めて外国に行った時にうまく言葉が出ない時の辛さを思い出してしまった。サリーを着たシュリデヴィは美しいがチョリ(ブラウス)とペチコートの間が見えてしまう。そのため見たくない物が見えてしまうのにはちょっと困ってしまった。同じ英会話学校のクラスメートであるローラン役のメーディ・ネブーが実直なフランス人料理人を好演している。この味はフランス人でなければ出せないように思う。クラスメートにはユニークな人物が多く賑やかだ。特にこのクラスを担当するゲイの教師コリー・ヒッブスがいい。この方、今考えたら、カナディアン・ブラスのチューバ奏者、チャールズ・デイレンバックによく似ていているように思う。関係ないけれど。。。姪ラーダ役のプリヤ・アーナンドは爽やかな印象を振りまいていて魅力的だ。アメリカ行きの機内でシャシの隣の座席になったアミターブ・バッチャンはなかなかユニークな演技だった。彼はインド映画の大スターでインド映画史100周年国民投票!で男優部門受賞者だそうだ。因みに女優部門の受賞者はシュリデヴィだった。71歳という年齢を感じさせない立ち振る舞いは、見ていて気持ちがいい。映画ではインドの伝統的なお菓子ラドゥをシャシが作る場面が何度も出てくる。揚菓子のようだが、私にはカレー味のおにぎりを握っているように見えた。公式サイト
2014年09月18日
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河瀬直美監督の新作。この監督、イデオロギー色が強く、あまりいい印象がない。といっても映画をみたことがないくせに文句を言うのも問題だ。幸い、レビューで、やっとまともになったみたいな感想があったので、怖いもの見たさ?で見に行った。すっかり寝坊してしまって、目が覚めたのが9時ちょっと前。やばいと思って、朝食も摂らずに車に乗った。時間的には余裕があったので、数分前に会場に着いた。入りは良くないが、逆に入りが良かったら薄気味悪い。監督の生まれ故郷の奄美大島を舞台にした高校生の男女の成長を描いている。界人は両親が離婚して、小さいころに母親と東京から移住している。そこで出会った杏子と、付き合っている。杏子の母親は病気で先が長くない。そういう状況で、界人は海で背中に入れ墨をした男の水死体を見つける。。。。どちらも普通の家庭ではなく、杏子の母親もユタ神様という祭祀をつとめている。お決まりの、界人の家庭での母親との確執や杏子の母親の死が描かれているが、日常の一コマと言ってもいいように、淡々と進行していく。界人の父親が刺青の彫師であることや、界人の母親の愛人が刺青をした男たちであることなど、見るものに痛みを感じさせる刺激的な設定だ。おまけに冒頭と中間部でヤギを屠るシーンが克明に描かれていて、見る者を嫌な気分にさせる。このシーンがなければならない必然性が感じられず、いったいこの監督は何のためにこのシーンを入れているのか、個人的には悪趣味としか思えない。キャストでは杏子を演じた吉永淳が浅黒く切れ長な目がとても印象だった。村上虹郎はこれが映画デビュー。等身大の高校生をてらいなく演じていた。脇を固める人たちは極めて充実している。いかにも奄美の老人と言った風情の時田富士夫、死期の近い病人としか思えない松田美由紀、家族を暖かく見守る杉本哲太などが特に印象的だった。なお、村上虹郎の父親役で実の父親である村上淳が出演している。奄美の美しい自然が見られるんだろうと思っていたのだが、嵐の場面が多く、きれいな海も描かれていなくて、さすが河瀬直美監督だなと逆の意味で感心してしまった。始まってからしばらくして、アップが多いことに気が付いた。それも画面いっぱいに顔だけとか上半身だけが写っていることが多いのだ。それに気がついたら、何か昔の映画を見ているような気分になったしまった。機材の関係か監督の趣味か分からないが、こうアップが多いとそれでなくても息苦しい映画がますますきつくなってしまう。それに絵として奥行きに乏しく、深みが無くなってしまう。音楽はハシケンという方だが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノという室内楽。山を上空から俯瞰するシーンで多用されるヴァイオリン・ソロが痛切だ。公式サイト
2014年09月07日
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公開2週目だったが結構入場者は多かった。子供連れが多かったが、子どもが理解するのはなかなか難しく、この映画は大人向けだと思う。原作はジョーン・ロビンソンの同名の児童文学。監督は『借りぐらしのアリエッティ』の米林宏昌。夏の日に病気の療養のため訪れた鄙びた港町での杏奈(高月彩良)と瀟洒な洋館の住人である金髪の少女マーニー(有村架純)との出会いと別れを描いている。日常では何も起こらず、静かな湖面に小さな波が立つとその波がじわじわと大きな波になるように、大きな出来事となる様子がよく描かれている。この波は、杏奈の心の中で起きたことだったのかもしれない。ミステリー風のところがあり、最後に謎が解ける場面はなかなか感動的だ。丁寧な作画と落ち着いた雰囲気が安らぎを感じさせる。どの役にも穴はなく役にしっかりとはまっていた。静謐と言ってもいいような雰囲気なのだが、ジブリ映画でよく出てくるような、おばさんやトンボメガネの少女が登場して、その場面では生き生きしてくるのが分かる。音楽は村松嵩継。全体が静かで清々しい雰囲気に包まれている。日本人作品としてはスケールが大きく、良くできている。アルハンブラの思い出がハミングで使われていて、なかなか印象的だった。映画の最後の方で出てきたときは、ぐっと来てしまった。この曲でそんなことになるとは思っても見なかった。いい曲が多く、物欲がむくむくと湧いてくるのを感じる。取りあえず、レンタルを探そうかと思うが、なかったらサントラを買うことになるかもしれない。公式サイト
2014年07月27日
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公開した週は観に行くことができず諦めていたのだが、2週目も上映していたので観に行った。本年度の主演女優賞受賞作品で監督がウッディ・アレンとは知らなかった。昔は全く関心がなかったのだが、最近何故か結構観ている監督だ。深刻にならないで、気楽に観られるのがいい。ジャスミン(ケイト・ブランシェット)はソーシャライト(社交界の名士)だった。ところがアコギな商売がばれて夫が犯罪人となり、全財産を没収されてしまう。挙句の果てに夫は刑務所で自殺してしまう。文無しになって頼れるのはバツイチで二人の子持ちの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)だけ。そういうとほほな状況でも、くさらず適当に生きて行くうちに、また幸運が訪れるという物語。性格は悪くないが、あまりシンパシーは感じられないジャスミンをケイト・ブランシェットがクールに演じている。良い演技には違いないが、受賞にふさわしい演技かどうかあまりよくわからなかった。男優賞もそうだが、どういうところを評価しているのかよくわからない。ラストでスッピン?でベンチに座っていたのが評価されたとは思わないが。。。つい最近までは感動させられる演技に、多くの票が集まっていたと思っていたのは、気のせいだったのだろうか。分裂症気味に昔のことを思い出してブツブツ独り言を言う場面はうまかったが、こういう軽く洒落た演技が評価されるような時代になったのかもしれない。今年45歳になり、容貌の衰えは隠せないが、時折はっとさせられるほど美しい瞬間があり、まだまだ捨てたものではないと思う。この映画では個性的な男優が多数出演していて映画を盛り上げている。一番印象的だったのはジンジャーの恋人チリ(ボビー・カナヴェイル)の荒々しさとジャスミンの恋人で国務省の官僚ドワイト(ピーター・サースガード)のイギリス人を思わせるような身のこなしのコントラストが面白い。相変わらずテンポがよく、爽やかな印象を残してくれた映画だった。結局、人生の幸せは地位やお金ではなく、真っ正直に生きることだとさりげなく伝えているように思った。この映画では古いスタンダードの「ブルームーン」がストーリーに関係していて何度も流れる。エンドロールでのア・カペラでの女性歌手の歌はなかなか印象的だった。ところで、映画を見始めたときから主演女優の名前が思い出せず、やっと思い出せたのが当日の夕方になってしまった。このブログを書き始めたときも忘れたままだった。このあとどうなるんだろうか?公式サイト
2014年07月18日
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ジョニー・デップ主演のAI(人工知能)扱った近未来のドラマ。イギリス・中国・アメリカ合衆国の合作で、中国はDMGエンターテインメントという会社で、『LOOPER/ルーパー』や『アイアンマン3』にも出資しているらしいが、特に中国的な要素は取り入れられていないと思う。中国の会社を入れているのは、中国では外国映画の上演本数が規制されているための処置の様だ。 簡単に言うと、意識を持ったコンピューターが人間を支配しようともくろむのを、人間が阻止するというストーリー。ウイル・キャスター(ジョニー・デップ)は妻エヴリン(レベッカ・ホール)は人工知能PINN(ピン)を開発している。ところが、ウィルは反テクノロジーを唱える過激派テロ組織RIFTの凶弾に倒れてしまう。ウイルは一命を取り留めたものの、弾丸には放射性物質が含まれ数週間後に亡くなる。そこからウイルの遺志を受け継いだエヴリンの必死の努力で、ウイルの意識がPINNにアプロードされる。ウイルの意識と再開したエヴリンは幸せを感じるのだが、それは恐ろしい物語の始まりだった。。。この映画の鍵は人間の意識を数式化できたということだ。実際できるかどうかわからないが、将来実現しそうな感じはする。現実にはアメリカの国防高等研究計画局という組織が、ミューズというプログラムの開発に着手したそうだ。ミューズは、世界のオープンソースのコードを収集・整理・タグ付けして、コードの巨大なデータベースをを構築するというものだ。このデータベースを使ってミューズに命令をすることで、それを実行するコードを見つけてくれるという。そうすると、プログラムが自動生成されるので、どんどん新しいプログラムが増殖されるというものだ。意識が数値化されるかどうかはわからないが、この映画の出来事がすぐそこに迫っていることを感じる。現実に研究者の間では今世紀中にはAIが人の知能を越える「シンギュラリティ(技術的特異点)」がやってくると考えているらしい。 途中ホラー映画みたいになってしまったり、辻褄の合わないところがあったが、許容範囲内。キャストではテロの頭目ブリーを演じたケイト・マーラがアイラインが濃くいかにも怪しい人物のように扱われていて目立っていた。映像はブルー系の色調でとても美しい。公式サイト
2014年07月02日
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第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、仮想の国ズブロッカ共和国のホテルでの遺産相続にまつわる騒動をコミカルに描いた傑作。ホテルの年寄りの女性客とねんごろになることが得意なため、殺されたマダム・Dの遺産を相続することになったコンシェルジュのグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)とロビーボーイのゼロ・ムスタファ(トニー・レヴォローリ)の冒険?を描いている。時代が1932年と1968年、それらの時代をゼロが語る現代と3つの時代が描かれている。時代に応じてスクリーンサイズを変えるところも監督のこだわりの一つだが、私は気づかなかった。何やらサイレント・ムービーの雰囲気があると思って見ていたら、動きがちょこまかしていることに気がついた。普通だとその時代の風景や小道具、化粧や髪型を合わせることまでは考えるが、動きまで考えている映画は始めてだ。これが、絶妙な効果を出している。結構どぎつい場面があるが、昔の映画のように黒を基調としたコントラスト比の高い映像が昔のフィルム・ノワールやミステリー度合いが高く楽しめる。シリアスなシーンが多く色彩も暗いのだが、全体的にはユーモアが感じられ気分が沈むことがないのはいい。それに対して、ホテルの内部の目もくらむような赤が印象的だ。全体には観客が感情移入するのではなく少し離れたところから見ているような感覚は、絵本でも読んでいるような感覚に近い。キャストでは 主役のレイフ・ファインズはもちろんいいが、脇役が良い味だしている。特にゼロのトニー・レヴォローリがグスタヴの理不尽亜要求に疑問を感じながら従う様子がそこはかとないユーモアが感じられる。グスタヴを追う殺し屋J・G・ジョプリング(ウィレム・デフォー)も怖そうだが、ちょっと間抜けな感じがする。ゼロの恋人 アガサ役を演じるシアーシャ・ローナンは美人だが右頬の大きなあざもあり、謎めいた雰囲気がある。マン・レイの「アングルのヴァイオリン」を思い出してしまった。映画の中で「MENDLS」というお菓子屋さんのマコーディザン・オウ・ショコラというマカロンにクリームをかけたようなお菓子が出てくる。この箱が映画館のロビーに重ねられていて雰囲気作りに一役買っていた。思わず中を覗こうとしたが、開けられないのであきらめてしまった。ツィンバロンなどの民族楽器を使った音楽は映画にぴったりで、この音楽がなければ印象がだいぶ違っていたと思う。公式サイト
2014年06月15日
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カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品「アデル、ブルーは熱い色」を見る。フランスの高校に通うアデルと美大生のエマの出会いと別れを描いたもの。原作はジュリー・マロの「Le bleu est une couleur chaude / Blue is the warmest color」というコミック。簡単に言うとそうなるが、映像はかなり刺激的だ。まあ、レズの話なのだが、彼女たちのセックスシーンが何度も出てくる。最初は6分以上だった。その後も結構長い時間がかけられている。ストーリー的にはどうということはないのだが、そのシーンが強烈過ぎる。アデルの高校生当時から、先生になってエマの美術展のシーンで終わる。2時間くらいかと思っていたのだが3時間の映画で、少し長ったらしい感じがする。もう少し短くした方が緊張が持続した気がする。キャストでは髪を青く染めたエマ(レア・セドゥ)がかなり特異なキャラクターで強烈に印象が残る。何となく、現在のナンシー・ウイルソンに似ている。『イングロリアス・バスターズ』や『ミッドナイト・イン・パリ』にも出ていたらしいが全く印象に残っていない。こういう強烈なキャラクターの役をやると、ずっとその印象が付きまとうので、今後その殻を破るのはなかなか大変だと思う。素だと全くの別人で普通の美人だ。メイクや髪型、役作りがうまくいったのだと思う。主役のアデル(アデル・エグザルコルプス)はギリシャとフランスのハーフで、今年21歳になる。童顔で若いので高校生役はぴったりだ。演技もうまい。彼女らの体当たりというか、ここまでやるかという演技には敬服する。というか、ここまでやらせた監督のアブデラ・ケシシュの手腕がすぐれているのだろう。ただ、何回も出てくると見たくなくなることも確かだ。フランスの高校の様子が描かれているが、校内での喫煙、家や飲み屋での飲酒などが描かれていて随分と自由なんだと思う。それに、深夜女子高校生がゲイやレズがたむろするバーに行くなんて、随分と規制が緩いことに驚いた。喧嘩のシーンがなかなか面白い。フランス人は喧嘩をしていると声はそれほど大きくならないのだが、だんだん早口になってくるのはお国柄だろうか。デモのシーンが何回か出てくる。いろいろな人種がいて、フランスは多民族国家だったことを思いださせてくれる。こういうのを見ていると日本はなんて平和なんだと思うし、デモをしなくてもいい良い国なことを改めて認識させてくれる。ということで、あまりよく分からない映画だった。アデルとエマが公園で散歩するシーンにモーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章が流れていた。映画のシーンに実にふさわしい選択だった。ところで、アベックが結構いたが、この映画の選択はよかったのだろうか。あとで気まずいことにならなければよいが。。。公式サイト原作コミック
2014年06月01日
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原作は同名の自伝。マンデラと親交のあったアナント・シン氏(58)が製作を担当。マンデラはシン氏に映画化を託したという。残念ながらマンデラは映画の完成を見ることはできなかった。この映画はマンデラの希望により彼の赤裸々な人生が描かれていてマンデラの人となりがよく分かった。彼は聖人ではなく、それどころかとんでもない女好きだった。ただ、他の闘志たちと違うのは恨みでは政治はうまくいかないことを知っていたことだ。物語は彼が弁護士として活躍している時代から始まる。子供がいて、弁護士としての敏腕ぶりも描かれている。元々は社会的な活動には全く関心がなかったが、友人お熱心な勧めでアフリカ民族会議ANCに入党。先頭に立って活動する。プライベートでは女性関係が派手で、それが元で最初の妻エブリンとは分かれてしまう。その後、以前から付き合っていたソーシャルワーカーのウイニーと2度目の結婚をする。ウイニーとの出会いのシーンが出てくるが、その手口はプレイボーイの行為そのものだ。映画では反政府活動として公共の建物の爆破が何回か描かれている。なぜテロ活動をするのかという質問に答えて、マンデラはそれしか手段がないからだと言っている。最近中国のウイグル自治区や「ボコ・ハラム」によるナイジェリアでの女子生徒誘拐などが起こっている。映画で発せられた言葉は、今回の事件にも当てはまると思う。その後国家反逆罪で終身刑になりロベン島に27年間収監される。この刑務所での様子はあまり詳しく描かれていなく、物足りない。マンデラがいない間に妻のウイニーは拘禁されることもあり、次第にマンデラ救出の主力となる。後半はウイニーの支援活動がエスカレートし、考え方の違いもあって彼らの間には決定的な亀裂が生じたことが描かれている。成長した娘の母親に劣らない闘志ぶりも描かれている。マンデラ救出までの出来事も丁寧に描かれている。ただ、決定的な役割を果たしたのがなんであったかは、この映画ではよくわからなかった。民衆の運動のエスカレートや全世界の圧力だったのだろうがイマイチはっきり描かれていない。ここら辺は映画「ネルソン・マンデラ釈放の真実」で詳しく描かれているらしい。ちなみに陰の仕掛け人はフランス人だったようだ。 キャストではウイニーを演じたナオミ・ハリスが光っている。すごい美人で、演技もうまい。顔がよく似ているせいか、マイケル・ジャクソンの顔を思い出してしまった。彼女の演技により、後半はウイニーの映画になってしまった。エンドロールで実物の花嫁姿が映し出されるが、映画に劣らない美人だった。主役のイドリス・エルバも勿論良いのだが、背が高すぎて押し出しが良く、実物と違い過ぎてリアリティが乏しかったように思う。映像は美しい。特に母親が生活している土地の風景に懐かしさを覚える。また、暴動の場面で画面を荒らしたり、ボケ気味にしてスローモーションを使ってかなりリアルな感じになっている。音楽は少ないがここぞというところでの使い方が効果的だ。また、エンドロールでのU2のボノの曲もなかなか感動的だった。ということで悪くない映画だが、もう少し突っ込んだ表現が欲しかった。監督が何を表現したいのかも分からない。良い映画だけに惜しい。公式サイト
2014年05月25日
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あまり見る気がなかったのだが、テレビで紹介されていて面白そうだったので観に行った。3Dが上映されていたので盛岡フォーラムで鑑賞。BBC EARTH初の3Dしかも4Kだそうだが、その効果が2Dと比べてどれほどのものかはわからない。ただし4Kなので、それだけでも奥行きが感じられるはずだ。映像は美しく、特に水中の撮影は見事なものだった。驚異的な映像が多く、どのようにして撮影したのか詳しいメイキングをみたいものだ。特に地底で溶岩がどろどろに溶けているシーンは迫力満点で恐ろしいほどだ。それから、塩と硫黄が吹き出ている地球が生まれた当時を彷彿させるシーン(ダナキル低地)は、禍々しいという感じがした。大波が来る様子を描いたところも凄い迫力で、しかもレンズにあまり水滴が付かない。どうやって撮ったか知りたくなる。3Dは「ウォーキング with ダイナソー」で組んだキャメロン・ペイス・グループが担当している。植物が動物のように成長するシーンが度々出てくるが、それをみていると、植物も生き物であることを教えてくれるようだ。貴重な映像も盛りだくさんだ。ワニがヌー属のオグロヌーを襲うシーンは滅多に見られないシーンだろう。何しろワニは2年間何も食べていないらしいので、撮影にもそれだけの日数がかかっているということだから。ナミブ砂漠に住むカメレオンの獲物の捕獲や、シャベルカナヘビの踊りなどユーモラスなシーンを入れることも忘れない。シャベルカナヘビは砂漠に熱でやけどをしないように足と手を片方ずつ交互にあげるているのだそうだ。ただ、いつも地面についている尻尾は大丈夫なのかと心配になってしまう。 撮影シーンをみているだけで、環境の厳しさが想像できる。撮影期間は573日でポスト・プロダクションはその数倍はかかっていると思うと、この映画の予算はどれほどのものであろうか。残念だったのは滝川クリステルのナレーション。何か押しつぶされたような太い音で、何時もの軽やかさが感じられなかった。コマーシャルでは問題なかったのだが。。。公式サイトメイキング
2014年05月05日
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昨日本年度のアカデミー作品賞を受賞した「それでも夜は明ける」を見に行った。通路を通ってエレベーターに乗ろうとしたら、警備員らしき人がこれは降りるとき専用だという。いつからそうなったのか分からないままに、エスカレーターに乗った。4階へ上っていく途中で4階に人がいっぱいいることに気が付いた。何かイベントがあるのかと思いながら4階に着くと、そこでも警備員が5階に行くには4階で待てという指示をしている。どうしたんだろうと思いながら、最後尾に行こうとしたら、知人が並んでいる。行列の理由を聞いたが知人も知らないようだった。行列の最後尾に辿りついてそこの人にも聞いたが誰も知らない。しょうがないのでしばらく待っていた。見ると警備員がまとまった人数を順番にエスカレーターに誘導しているようだ。しばらくしたら、5階が混んでいるため4階で規制しているという説明があり、やっと事情が理解できた。10分ほどしてエスカレーターに乗った。5階に着いてみると、まあ混んではいるのだが、エントランスにはまだ少しスペースがある。結局そこからチケットカウンターに辿り着くまでに10分ほどかかかってしまった。本編はすでに始まっていたが仕方がない。ところが、駐車券を落としたことに気が付き、そこら辺を見回したが暗くてよくわからない。結局カウンターまで下を見ながら行ったが見当たらず、カウンターのおにいちゃんに聞いたら当然のことながら駐車券は渡したという。仕方がないので、割引券をもらって、駐車券がなかった時どうするかを考えながら、下を見ながらもういちど入口に向かった。入口を入ったら、斜め前方に駐車券が落ちているのを発見した。やれやれ。。。更に余計な時間が経ってしまったことや、今しがたの事で映画に集中できないまま時間が経ってしまった。本当はその時間までが重要なところだったのだが見逃してしまった。。。。この映画はワシントンで自由人として暮らしていた男の物語。1841年に拉致され、南部のルイジアナ州で働かされる。その間数度持ち主が変わり、最後にカナダから来た男の助力により再び自由となるまでが描かれている。原作はソロモン・ノーサップの『Twelve Years a Slave』。実話がもとなので、それほど突飛なことが起きる筈もないが、ソロモンには教養があり、それが奴隷に対して批判的なカナダから来たバス(ブラッド・ピット)と出会うことで生還できたのは実に幸運だった。ストーリーの中では、理不尽なことで奴隷が虐められるシーンが数多く出てくる。これが僅か170年前に起きていたなんて驚きだが、奴隷ではないが似たようなことが現在も日本の近所で起こっている。アメリカでは昔の事よりも現代のことを描けという批判があるようだが、こういうことがあったということは繰り返し知らせなければならないし、そういう意味での意義は感じられる。アメリカは自らの恥部を自由に表現できる自由はある。どこかの国とは大違いだ。 キャストでは主人公ソロモンを演じたキウェテル・イジョフォーが納得の演技。最も印象に残ったのは、強欲な人種差別主義者エドウィン・エップスを演じたマイケル・ファスベンダー 。こういう奴ばかりだったら、奴隷は全く浮かばれないと思わせるほど、憎々しげな演技だ。同じ奴隷を使う人間でも、少しは良心的なフォード(ベネディクト・カンバーバッチ)や、最後に出てきて、おいしい所をかっさらってしまうブラピは美味しい役どころだ。女優陣では、女奴隷のパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)が目立っていた。綿摘みで男どもの二倍以上を摘んだり、歌や踊りが上手い女性だったが、経営者の夫人の嫉妬により虐待されたりする。このことを「おもちゃで遊んでいると」と経営者のエップスが言っていることが彼らの考え方をよく表している。わた摘みのシーンではコール&レスポンスでブルースが歌われるシーンが何回か出てくるのが印象的で、ブルースが黒人の労働から生まれたことを思い出した。帰る時また知人と会ったので、途中まで一緒に帰った。知人は重い映画だったと言っていたが、私はそれほどとは思わなかった。深刻な物語なのに映像が明るいことに途中で気づいて、それが救いになっていたのだろう。また、ハッピーエンドだったので観客も救われたと思う。ところでエンドロールになる前に、ソロモンの体験が字幕に表示されていて、「拉致」という言葉が出て来てドキッとした。そういえば、奴隷制度そのものが拉致だったのだということを思い出させた。拉致は時代や所が違えど、いまだになくすことが出来ない古くて新しい問題なのだ。
2014年04月30日
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首から下がポリオのため麻痺している男が、セックスに悩みカウンセリングを受けるお話し。1999年に49歳で亡くなった詩人のマーク・オブライエンによる記事「On Seeing a Sex Surrogate」が基となっている。映画を見る前タイトルは気に留めていなかったのだが、見ている間に音楽でも使われる言葉なことを思い出した。この映画では多分「授業」みたいな意味だと思う。半身不随にもかかわらず明るく前向きに生きるマーク・オブライエン役のジョン・ホークスの演技が素晴らしい。セックス・サロゲート(代理人)のシェリルを演じているヘレン・ハントは大胆な演技を要求されてさぞ大変だったと思うが、いやらし感じはなく、とても好感のもてる人物像を演じていた。撮影当時50歳近い年なので、身体はだいぶゆるんでいるが、見苦しいほどではなかった。何よりも気品のある美しさと明るいまなざしが、マークでなくても引き込まれる気がする。マークの悩みを聞く神父役のウィリアム・H・メイシーの落ち着いた演技も味わい深い。マークの世話を焼くヘルパーのヴェラ役のムーン・ブラッドグッドは、殆どが善人の中でちょっと変わった女性を演じていて、印象に残る演技だった。マークにまつわるほかの女性たち(アマンダ、スーザン)もなかなか印象深かった。障がい者の性という難しいテーマの映画だが、主人公の明るさに救われた。エンディングはなかなか感動的で、少しうるうる来てしまった。映画を見ていると、セックス・サロゲートという仕事は、セラピストの能力のほかに、介護の精神、奉仕の精神なければ勤まらない大変な職業だと感じた。それだけ、誇りを持っていることも感じられる。さすがにアメリカならではの職業ではないだろうか。日本ではセックスセラピストと称している人はいるようだ。代表的なのは「スローセックス」を提唱しているアダム徳永という方らしい。ただ、日本ではあまり表に出てくることはない。表に出てとは言わないが、こういう悩みを持っている人は障がい者に限らずいるので、知られるようになることは必要だと思う。
2014年04月13日
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ウルフ・オブ・ウオール・ストリートを観る。天才的な株のブローカーの自伝を元にした映画で、レオナルド・ディカプリオがアカデミー主演男優賞ノミネート作品。受賞者であるマシュー・マコノヒーも投資会社LFロスチャイルドの社長役で最初のほうで少し出ていた。原作はジョーダン・ベルフォート(1967~)の回想録『ウォール街狂乱日記 - 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』、監督はマーティン・スコセッシ。ジョーダン・ベルフォートはブラックマンデー後LFロスチャイルド社を辞めて、株式仲介会社のストラットン・オークモントを設立。ペニー株(1ドル以下の安い株)を言葉巧みに売りつけて法外な手数料を頂くというアコギな商売でのし上がる。映画では彼の成功と放蕩そして破滅を描いている。ペニー株は安いのですぐ上がる気がするがゼロになる可能性の方が高いらしい。安い株の企業は企業努力をしているわけではなく、セールストークだけ。ペニー株のブローカーは素晴らしいセールストークを用意して、簡単な儲けを夢見る投資者を集める。マーケットメーカー(売買双方の取引を常に行い、金融商品市場の売買の流れを作ることができるディーラー取引をする者)の数が少なく、出来高も少ないことでマーケットメーカーは簡単に株価を操作できる。そうすると株価は急騰し、インサイダーが株を売り逃げるという仕掛けだ。そうすると一般の客は損をするだけだ。このからくりを使ってジョーダンは巨万の富を得るが、悪事は続くわけがなく、最後はお決まりの結末が待っている。ストーリーは破天荒なもので、これが事実なのだから驚く。映画ではその手口が使われるシーンが何回か出てくる。いいか悪いかは別にして、その巧みなセールストークは見事なものだ。天才的なブローカー(詐欺師とも言う)とはこういう人間のことを言うのだろう。キャストは充実している。ジョーダン役のディカプリオは唯一無二のキャスティングだろう。こういうエキセントリックな役は彼以外には考えられない。前作も前々作も性格に欠陥がある人物を演じていて、彼はまともな役はできなくなったのかと思ってしまう。彼の片腕ドニー・アゾフ(ジョナ・ヒル)のユーモアのある演技も良かった。ジョーダンの2度目の妻ナオミ役のオーストラリア出身のマーゴット・ロビーはスタイル抜群の大変な美人で今後活躍が期待される。この映画のジョーダンの敵役である重要な FBI捜査官パトリック・デナム を演じているカイル・チャンドラーはクールな佇まいが安月給のFBI捜査官にしてはかっこよすぎ。かなりどぎついセックスシーンだけでなくドラッグや乱行パーティーなどのシーンが普通に出てくるのでR18+は仕方がないところだが、それほど際物的には感じられない。たくさんのヌードが普通に出てくるが、ヘアーが修正されているので、かえって不自然な感じがするほどだ。最初にジョーダンがペンを売るためにどうするかという質問がセミナーのシーンでも出てくる。参加者はペンがいかに美しいか機能的かなどについて話すが、参加者の答えは的を得ていない。答えはジョーダンと観客だけが知っているというオチがなかなか洒落ている。この映画マーケティング的にも結構面白く教材に使えそうだ。この答えを知りたければ是非映画を見て欲しい。買い手の心理を的確についた答えだと思う。このような電話を使った株にセールスは現代はメールに変わったそうだが、今もって詐欺の被害者は絶えないようだ。手口は株の買いを勧めるメールを大量に送信して自分は空売りを行うというもの。手段は変わっても人間に欲がある限り被害はなくならないということだと思う。ところでディカプリオはまたしてもアカデミー賞を逃してしまった。こういう役で彼ぐらい上手く演じることができる俳優は限られているし、そのうまさは無類だ。ところが、こういう役ってなかなか感情移入しにくいので損な役回りだ。上手くやればやるほど観客は引いてしまう、そんな巡り合わせの悪さを感じてしまう。おそらくアカデミー賞の審査員たちは、そういうところがマイナスに作用したのだろう。ディカプリオが真っ当な役をやるとも思えないし、今後もなかなか厳しいのではないだろうか。公式サイト
2014年04月06日
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ベン・スティラーが監督と主演をした映画「LIFE!」を見る。原作はジェームズ・サーバーの短編小説『虹をつかむ男』(1939)原題は『The Secret Life of Walter Mitty』で、ストーリーそのままの題名でで味気ない。それに比べると邦題『LIFE!』は結構インパクトがある。この映画はお金をかけたプロモーションを行い、予告もわくわく感があって、成功したプロモーションだと思う。もともと映像で見せるわけでもなくストーリーもそれほどすぐれているわけでは、このような大規模なプロモーションを展開しなかったらヒットしていなかったと思う。私もベン・スティラーだから後でDVDで見ればいいと思ったと思う。こうしてみると映画のマーケティングもいろいろなやり方があり興味深い。日本だと東宝のマーケティングが有名だ。要するに収益性の高い映画に集中的に資金を投下する方法だ。この映画の場合、人を惹きつけるようなストーリーがあるわけでもなく、普通の上映だとB級映画で終わっていたと思う。そういう面から言うと東宝では、重点的なプロモーションは行わないケースだ。どういうことがきっかけでこのような大規模なプロモーションになったのか知りたいところだ。私が観たのはこの前に日曜日で公開から3週目に入ったのだが結構入っていた。主人公は空想癖があり、それが予告なく出てくる。何か「脳内ニューヨーク」を思い起こすような変な設定だ。ところが途中から空想癖があまり気にならなくなり映画に没入できた。LIFEといえば、かつて一斉を風靡したアメリカの週刊誌。LIFE社のネガ管理係のウォルター・ミティはLIFEの最終号のネガを探すために北極やはてはヒマラヤにまで行ってしまう。この映画の肝は携帯電話だ。原作がどういう設定かわからないが、携帯電話がキーとなっていて、この設定でなければ映画にならなかったほど重要だ。この映画は、一方では携帯電話がないと途端に何十年も昔の状態になってしまう脆弱性を描いているとも言える。キャストではキャラの立っている役はなく殆どの登場人物が善人なのも珍しい。しいていうと、首切りにやってきた役員のテッド(アダム・スコット)が似合わない顎髭で異彩を放っている。ウォルターがふとしたきっかけで知り合うLIFE社の契約社員シェリル・メルホフ(クリステン・ウィグ)は美人ではないが気になる女性を好演している。この映画のキーとなるネガを撮った写真家ショーン・オコンネルはショーン・ペンが演じていた。映画を見終わってもショーン・ペンとはわからなかった。俳優には何をやってもその人だということがわかる俳優と、誰かがわからないような俳優のふた通りがある。どちらが優れているという問題ではないが、ペンほど自分を消して役になり切っている俳優も珍しいと思う。まさに異能の俳優だ。個人的にはくせがありあまり好きな俳優ではないが今回の役では味わい深い演技だった。本人が真剣にやるほどおかしみが出てくるような映画で、結末もホロリとさせられた。多分主人公の一生懸命頑張るけなげなさに打たれたのだと思う。なお、LIFEは2007年の4月20日を最後に休刊となった。同紙の保有する1000万点に及ぶ写真約1000万点はグーグルのLIFE photo archiveとして公開されている。公式サイト
2014年03月31日
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3連休の最初の二日間はスイミングと墓参りで映画を見にいけなかったので今日2本をハシゴした。今日は最初に見たローン・サバイバーについて一言。ネイビー・シールズによるアフガニスタンでのアルカーイダ掃討作戦中に起きた「レッド・ウィング作戦」の悲劇を基にした物語。原作は作戦の唯一の生き残りのマーカス・ラトレルの『アフガン、たった一人の生還』。レッド・ウィング作戦は、2005年6月タリバンの指導者で米海兵隊員の殺害を指揮したアフマド・シャーの捕捉と殺害だった。その中で、シャーの存在を確認することが最初の任務だった。この任務に就いたのはマーカス・ラトレル(マーク・ウォールバーグ)、マイケル・マーフィ(テイラー・キッチュ)、ダニー・ディーツ(エミール・ハーシュ)、マシュー・“アクス”・アクセルソン(ベン・フォスター)の4人。それほど難しい任務ではなく、シャーは耳たぶがないこともあり、あっさり確認できる。しかし思わぬことに遭遇し、判断を誤ったためにタリバンに気ずかれ、通信が途絶えるという不運も重なってしまう。彼らがアクシデントに遭遇した時考えたオプションは3つ。リーダーがそこで決断したオプションとは。。。。これ以上は書けないが、選りに選ってという選択肢が選ばれる。この中に報道でばれて問題になる可能性があるという選択肢が含まれているの今の世の中ならではだ。この選択肢を選んでいたら彼らの運命も変わっていたに違いない。この時の出来事はそっくりそのまま未来の自衛隊の姿がダブって見える。こういう不幸を産まないためにも、集団的自衛権の問題に決着をつけて欲しい。よく言われることだが、この時の選択が違っていたら、別にアクシデントが起きなければ、など歴史でお決まりのIFが出てくる。それに、続けて不運に見舞われてしまうところは歴史の非情さを感ぜずはいられない。ラトレルが救出されるところからは別なエピソード扱いだ。現地の住民がラトレルを助けるが、自分たちがタリバンにやられるを承知でなぜ助けるんだろうとずっと思っていた。最後に理由が明かされるが、まったく予想外の理由で世界は広いことを感ぜずにはいられない。映画は殆どがタリバンとネイビーシールズの4人の戦闘シーン。血なまぐさい連続だがレビューに書かれているほどリアルではない、というかこれが限界かもしれない。岩のゴロゴロした山で、タリバンが予想外の身軽さを見せ、それも誤算の一つだった。ここら辺ベトナム戦争でも苦杯を舐めたアメリカが、同じ失敗を繰り返しているのが、なんとも情けない。そのなかでも200人対4人で生存者がいたこと自体が奇跡だ。一種の群像ドラマのためキャストでいい悪いは正直言って判断がつかない。ただ、ラトレルを助けた村の子供のかわいらしさが印象的だった。公式サイト
2014年03月23日
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今年のアカデミー賞の長編アニメーション部門で受賞した「アナと雪の女王」を見る。いつも主張しているように字幕版だった。この手のアニメーションは3Dが多いものだがこの映画は吹き替え版も2Dらしい。字幕版なのに結構入りがいい。これを見ていたら不意に子どもたちは理解できるのかな?と思ってしまった。昔はそんなこと全く思わなかったので思いがけないことだった。最近大人でも字幕を避ける傾向があり子どもにとってはもっと辛いことになっている筈なのでこんなことを思ってしまったようだ。アレンデール王国に生まれたエルサは物を凍らせたり雪を降らせたりする超能力があり、その魔力は日増しに強くなる。ある日誤って妹のエルサを傷つけてしまい、それ以来エルサはその能力を隠すために城に閉じこもり、家族にも会わなくなってしまう。国王が乗った船が沈んでしまったため、エルサは女王として戴冠式に臨んだエルサとアナだが。。。。 ストーリーはハッピーエンドで終わるオーソドックスなもので取り立てて目新しさはない。良くも悪くもアメリカ人が好きそうなアニメだと思う。キャラクターでは主人公のアナの奔放な行動がかわいらしい。アナとの対比を狙っているのだと思うがエルサは少し暗い性格で、あまり面白いキャラクターではない。二人の若い男たちはなかなか魅力的なキャラクターだ。最近のディズニーの傾向は人間よりも動物たちが生き生きしていることだ。この映画でも目立っていたのは人間ではなく雪だるまやトナカイなどのキャラクター。雪だるまのオラフの陽気さ、氷売りのクリストの相棒スヴェン、この映画のヴィランズ(悪役)ハンスのうまのシトロン、医師のような姿のトロールたちなど人間たちよりもはるかに魅力的だ。もう一人のヴィランスである貿易商のウェーゼルトン公爵は悪役にしても愛嬌があり憎めない。全体的にはつまらなくはないが、これがアカデミー賞受賞作品かと言われると???だった。劇場で見るほどの映画ではないような気がした。国内では一部3Dでの上映もあるらしいが、どうしてこうなってしまったのだろうか。3Dで見たら印象もだいぶ違ったかもしれない。映像自体は非常に美しく、2Dで十分な気がする。雪のシーンが美しく、時に枝にぶら下がった無数の氷が宝石のよう見えるシーンはとても幻想的で美しかった。アカデミー歌曲賞を受賞した音楽はなかなか良かった。機会があったらサントラを聞いてみたい。この映画の前に『ミッキーのミニー救出大作戦』というショートフィルムが上映された。昔のフィルム?に手を加え、現在と過去(昔のフィルムの時代)を行き来する仕掛けにしている。いつもの古い映画そのままでなく着想が気が利いていて楽しめた。エンドロールを見ていてミッキーの声がディズニー自身だったことを思い出した。ディズニーの「メリーポピンズ」制作時のストーリー『ウォルト・ディズニーの約束』が金曜日公開されるのでそれも楽しみだ。公式サイト
2014年03月19日
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昨日みようと思った本命の映画。本当はあらかじめチケットを買っておいて安心して観ようと思ったのだが、朝早いのに異常に混んでいる。どうやらドラえもんの映画目当てのようだった。結局いつになるかわからないので途中で諦めてしまった。「さすがはドラえもんです」といって引き下がるしかなかった。「鑑定士・・・」が終わって速攻で移動したが、それほど悪くない席が確保できてやれやれ。。。映画はエイズを発症し余命30日と宣告された人間が、死に物狂いで勉強しFDAで許可されていない薬が有効であることを確かめて自分だけでなくそれが必要な人間のために奮闘する姿を描いている。表面的には乱暴者のカウボーイが薬を密売するような映画に見えるが医療の根本に関わる問題が提起されていて、見終わった後苦い思いが感じられる。主人公はメキシコだけでなくエイズに効果のある薬があると聞くと、どこにでも出かける。インターフェロンの話も出てくる。この薬は日本の医者しか処方できないことを初めて知った。作っていた林原生物化学研究所の名前も出てくる。この会社たしか数年前倒産したはずだが、その後どうなっているのだろうか。。。結局、FDAなどの機関は症状を緩和ないし完治することよりも、副作用が出ないことに目が向いていることがわかる。生きるか死ぬかの状態の患者が副作用を気にするはずがないのに、なんとも馬鹿げた発想だと思ってしまう。自己責任で使用するという誓約をして処方することはできないものなのだろうか。もちろん、完治したとしても副作用が出て訴えられることを考えているのだろうと思うが、患者優先の仕組みを作ることはできないのだろうか。そこがなんとも歯がゆく感じられる。主人公は裁判でも戦うが理解はされても裁判に勝つことができない。結局、裁判官も健康人の論理で動いているからだ。結構前から手術でインフォームドコンセントが行われているが、薬でもそうい選択ができないものだろうか。安全でない薬だからこそ、それが必要に思うのだが。。。キャストでは、主役ロン・ウッドルーフを演じた、マシュー・マコノヒーはもちろんいいのだが、個人的にはこの俳優はどうも気色が悪く全面的に良いとは言えない。21キロも減量したという話だが、映画の進行に合わせて徐々に減量していったのだろうか。最後のほうの裁判の場面ではかなり痩せているが、それでもがりがりという感じはしなかった。しかし、アメリカ人はこういう無頼派というか乱暴者というかそういう人物が好きなようだ。以前やはり主演男優賞を受賞した「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイスの荒々しい演技を思い出してしまった。アカデミー賞の助演男優賞を受賞したトランスジェンダーのレイヨン役のジャレット・レトは個人的にはこの映画でもっとも光っていたと思う。髭剃り跡が青々としているのに結構美しいというのも驚きだった。死ぬ間際のがりがりに痩せた状態は、やはり減量の成果だったのだろうか。しかし、実物の写真を見ると同じ人物とはとても思えなかった。また実物といえば、この話が実話だというのも驚きだ。ロン・ウッドルーフの不屈の闘志に敬意を表したい。カウボーイ魂だろうか。こちらのサイトに事実の記述がかなり書かれていて参考になる。公式サイト
2014年03月10日
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3月はいい作品が目白押しで、どれを見るかは悩むところだ。先週は公開日を間違えたダラス・バイヤーズ・クラブがアカデミー賞で前評判の呼び声が高かった主演男優男優賞だけでなく、助演男優賞まで受賞するとは思っていなかった。前週の予定では水曜日に次週がどうなるかわかるというのが映画館の話だった。そのあとこの映画がアカデミー賞受賞をしたので今週も大丈夫だと判断して昨日まで予定をチェックしていなかった。思惑通り今週も上映することになったので今日見に出かけた。いつも興味ある映画でスケジュールにあっているものを探すのだが、これも注目していた「鑑定士と顔のない依頼人」が丁度いい時間だったので「ダラス・・・」の前に見た。今日はそのレビュー。「英国王のスピーチ」での名演が記憶に新しいジェフリー・ラッシュが天才的な鑑定士ヴァージルを演じている。舞台はどこかわからないが、その重厚な映像から勝手にイギリス映画だと思い込んでしまっていた。このブログを書くために公式サイトを見たら『ニュー・シネマ・パラダイス』のトルナトーレが監督とは思わなかった。おまけに音楽はモリコーネだ。今までの私のイメージするイタリア映画と全く違っている。これは喜ぶべきか悲しむべきか。多分イタリア語ではなく英語、それもキングズ・イングリッシュであることも大きく影響している。イタリア語だとここまで重厚になるはずがない。映画はこの鑑定士ヴァージルが正体不明の鑑定依頼人クレア(シルヴィア・ホークス)と恋仲になるというお話。この鑑定依頼人は両親の残したヴィラに住んでいるが、他人と顔を合わせることが出来ない病気「広場恐怖症」の持ち主。これは一種のパニック障害で、「もし何か(不安発作が)起きたら…」と恐れ、また、そこに人だかりのできることを恐れる恐怖症で広場に限らず、旅行や家の外に出ること・群集・不安発作時に避難できない場所などが、恐怖の対象になるようだ。 wikiこの鑑定人は世界を相手にする凄腕鑑定士という表の顔と、美術品の真の価値を公表しないで画家崩れの友人ビリード(ナルド・サザーランド)と組んで安く落札して自分のコレクションを増やすという裏の顔を持っている。鑑定を通じてクレアをヴァージルは親しくなり、ついに結婚に至る。結婚したことで、鑑定人をやめる決意をしたヴァージルが最後のオークションを終わって自宅に戻ると思いがけないことが待っていたというのが粗筋。最後の結末はどうしてそうなるのか全く理解不能でストレスがたまってしまう。ミステリー映画だということは、いろいろ調べて初めて知ったが、ミステリーであることはそれほど強調されていない。なるほど、記憶力抜群で、見たことは忘れない小人の中年女とか、たとえ古くても修理してしまう凄腕修理屋のロバート(ジム・スタージェス)とか、オートマタという気食の悪いロボットとか、ヴァージルがいつも手袋をしているとか、それっぽい小道具はそろっている。最近は、すべてが終わった後で種明かしされることが多いが、この映画では種明かしは全くないし、結末も謎に包まれたままだ。ヒントはプラハの「Nigh & Day」というレストランらしいが、それ以上は分からない。まあ、このように謎のままで終わるのもいいかもしれないが精神衛生上あまり良くない。キャストでは主演のジェフリー・ラッシュはこの鑑定士そのもののような演技。クレアを演じているシルヴィア・ホークスは長身で色白のスレンダーな美人で、役柄にぴったり。全裸も披露しているが、中性的でいやらしさは皆無。一癖も二癖もある人物がそろっているキャストの中で、唯一まともな役のヴァージルの使用人フレッド(フィリップ・ジャクソン)が出てくると救われる。そう思うのは監督の術中にはまっているのかもしれない。名画が沢山出てくるがセーラー服の少女が見つめている絵は実在しているのだろうか。とても気になった。また、美術の裏の人間臭い世界を垣間見られ、なかなか興味深い映画だった。公式サイト
2014年03月09日
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ビッグコミック・スピリッツ連載中の劇画の実写映画化。ほんとうは、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」を見に行ったのだが、映画館で題名を言ったらスタッフは「??」という感じだった。慌ててチェックして、確認が終わりほっとして「月曜日から」だということを冷徹に言われてしまった。それを受けてパニックに陥ったのはこちらのほうだった。最近動きがとみに悪くなった頭と目を必死に動かして、近い時間で上映している映画を探した。5分後に「土竜の唄」が上映されることが目に止まり、この映画を見ることにした。あとで考えたら「アート・フォーラム」で上映している映画も聞けばよかったと思ったが、後の祭り。まあ、この映画も興味があったのでそれほどがっかりしたわけではない。原作はいつも読んでいる「ビッグ・コミック・スピリッツ」の連載ものだが、注目したのはそれほど前のことではない。きっかけは忘れてしまったが、他の漫画とは全く異なる世界を描いて、それも日本だけでなく中国までが舞台となったスケールの大きさと登場人物の外見の半端でない特異さ、女性たちの色っぽさが読むものを夢中にさせてくれる。まさに読み出したらやめられなくなってしまって今に至っている。この映画は主人公が警察学校を出るところからは始まっているので、私の知らない時のストーリーで後のユニークにさに比べるとかなりまともだ。それでも、普通に比べれば外観のおかしな奴が、何人かいる。それもおかしいのではなく気色が悪い。漫画だとコミカルに見えるが外観そのままを実写化すると気色悪さだけが残ってしまう。ここら辺スタッフわからないはずはないのだが、あえてそのままにしたのだろうか。主演の生田斗真は原作ほどくだけてはいないが、かなりイメージが近い。純奈役の仲里依紗は物足りない。原作では長身で豊満な警察官なので、個人的には別な女優が良かった。といってすぐ浮かぶわけではない。イメージは違うとはいえ、演技としては悪くない。パピヨンは堤真一だが、原作のスマートさにはかけるが、それほど悪くはない。警察の幹部も一癖も二癖もある連中がキャスティングされているが、それよりも厚生省の麻薬捜査官が傑作だった。武器になのは全身がタトゥのヒットマン黒川健太(上地雄輔)の凄みが浮いているほどだった。ただ、この男蜂乃巣会の人間なのにパピヨンを救うのが良くわからない。蜂乃巣会の鉄砲玉猫沢(岡村隆史)は典型的な道化役だが、ちょっとやりすぎて白々しさが感じられた。このブログを書いていて、ないないの岡村とは別の人物だろうと思っていたので、びっくりした。テレビで見ているのと同じ人物とは思えなかったのは意外だった。もしかしたら結構俳優の才能があるのかもしれない。もっとまじめな役も見てみたい気がする。最後はめでたしで終わるのだが今一物足りない。エンディングでは続編を匂わせる感じがしたので是非続編を期待したい。できれば中国編をお願いしたい。ただ、これだと轟迦蓮のキャスティングはかなり難しそうだ。公式サイト
2014年03月02日
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今日は会社は休みではなかったが、国民の祝日に休まないのは気持ちが悪いので、会社の強制的に休暇を取らせる制度を利用して休みをとった。 休みと言えば、やることは決まっているが、今日も映画に行った。今日は予告編で面白そうだった「ラッシュ/プライドと友情」(原題RUSH)を見に行った。ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)とジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)の1976年のF1レースの行方を描いた映画。F1ファンにはおなじみの名前が出てくる。私はそれほどF1には詳しくないが、彼らの名前ぐらいは知っている。なにか昔々知っていた名前を、久しぶりに聞いたような感覚になった。この映画はレースのシーンが中心なのは当然だがF1レーサーの身分の不安定さや、ドライブ・テクニックだけ優れていればいいということではなく、スポンサーから金を引っ張ってくること、いわばビジネスマンとしての腕も必要なことだということが描かれている。このシーンを見ていて、昨年小林可夢偉がスポンサーを見つけられずレースに参加できなかったことを思い出した。この映画では、彼らのF3時代のエピソードから1976年の日本グランプリまで史実に忠実に描かれている。彼らの性格もかなり忠実に描かれているようだ。ハントの奔放な行動やプレイボーイぶりやレース前に嘔吐するという繊細さが同居する複雑な性格。車の座席に座っているだけで、車の不調、それもどのパーツがおかしいことまでわかるというニキのすごさ。そして、ニキのつつましい私生活と、20%以上の死の危険性を回避しようとする冷静な判断。これらが忠実に描かれている。5000人の女性と付き合ったというハントの奔放さも余すことなく描かれているが、彼が生きていたらこのように描くことが出来たかは分からない。それにしても、ニキが怪我から復活するシーンは何とも凄まじい描写だった。特に手術の後、高温のガスにさらされてやられた肺に器具を入れて膿を出すシーンは見ている方までが痛くなるような気がしたほどだ。事故発生から6週間後の第12戦イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位でフィニッシュした感動的なシーンも忘れられない。3ポイント差で迎えた富士スピードウェイでの日本グランプリ。豪雨の中でのニキ・ラウダの思いがけない行動と、ジェームズ・ハントの奇跡のチャンピオン獲得。事実は小説よりも奇なりを地で行くようなドラマがあったことをまざまざと教えられた。映像は最近の映画のような鮮明さがなく、かえって当時のリアリティがでていた。特にレース会場のたくさんの観衆のシーンは実際の映像と見紛おうばかりだった。それに、スピード感や振動まで感じられるカメラワークは、本当にF1カーに乗っているような感覚さえ覚えた。見ていると、スピードの怖さまで感じられる程だった。これを見ると、最近のF1のライブは映像がきれいすぎて、かえってリアリティが感じられない。キャストでは、二人の主役は圧倒的な存在感があったが、個人的にはニキにシンパシーを感じた。特に、ヒッチハイクで乗った車をニキが運転するシーンは爽快。車の持ち主が「何故スピードを出さないんだ」という質問を受けたのに対して、「出す必要がないから」と答えていたのが印象的だった。その他のキャストではニキ夫人マルレーヌ役のアレクサンドラ・マリア・ララの清楚な美しさが目立っていた。ということで、これは単なるF1の映画ではなく、その背後にあるいろいろな人間ドラマを知ることが出来て、とても興味深い内容だった。しかし、なんとも凄まじい映画で、映画を見る醍醐味をこれほど感じさせる映画も少ない。最近映画の魅力を感じさせる映画に立て続けに出会ったが、個人的には、とても嬉しいことだ。公式サイト
2014年02月11日
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アカデミー賞10部門ノミネートの「アメリカン・ハッスル」、公開2日目に見に行った。題名通り詐欺師の物語で、実際にアメリカで起こった収賄事件「アブスキャム事件(英語版)」を基にした映画。クリーニングのチェーン店を経営しているアーヴィング・ローゼンフェルド(クリスチャン・ベール)を中心としていろいろな人物が絡み合う物語。評判がいいためか結構入りは良かった。最近洋画の観客動員数があまり良くないことを聞く。原因はなんなのか分からないが、邦画の方が原作を知っていることが多かったり、字幕を読む必要がないことなどがあるのかもしれない。洋画の場合字幕より吹き替えが好まれるというようなことを聞くと、日本人の好みが変わってきたように思う。何回も言ってきたことなのだが、私の場合はやはりその俳優の言葉を聞きたいので字幕を見ることが多い。最初から脱線してしまったが、この映画、評判がいいだけのことはあると思う。何がいいかと言ったら、実力のある俳優たちのぶつかり合いが何ともすごい迫力で圧倒されたからだ。この映画の特徴は、喧嘩のシーンが多いことだ。夫婦喧嘩、妻と愛人の喧嘩、上司と部下の喧嘩などが出てくる。この映画は実力派俳優が多数出ているので、喧嘩のシーンも半端ない。まさに「火花を散らした演技」と言えるようなシーンが続く。この喧嘩のシーンの中では何と言ってもアーヴィングの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス )と愛人シドニ(エイミー・アダムス)の喧嘩が飛びぬけている。このシーンでは、ジェニファー・ローレンスの迫力が勝っていた。映画全編にわたってもジェニファー・ローレンスの演技が光っていた。ストーリー的には困った役柄なのだが、存在感がすごい。昨年アカデミー女優賞を受賞したが、その時よりもいいような気がした。エイミー・アダムスもがんばっていたが、胸が見えすぎる衣装がかえって逆効果だったように思う。男としては嬉しいのだが、どうしてあのような衣装になったのか理解に苦しむ。かえって逆効果だったように思うのだが。。。主役のクリスチャン・ベールは従来のイメージからは全く違った役作り。かなり太っていて、腹も出ている役だった。最近の俳優は、役に合わせて太ったり痩せたりしてることが多いが、本当に大変だと思う。その先例を作ったロバート・デ・ニーロもマフィアのボス役で出ていたが(大迫力!)、後輩たちはさぞかし迷惑なことだろう。FBIの捜査官リッチー・ディマソ役のブラッドレイ・クーパーは熱演。映画を見ていた時、どこかで見たことのある顔だなと思っていたが思い出せなかった。ブログを書いていて、「世界にひとつのプレイブック」でジェニファー・ローレンスの恋人役で出ていたことを思い出した。その他、市長役のジェレミー・レナーはアクの強い顔立ちで損をしている。ただし、実生活の妻と子供のアヴァも共演していて、彼らにとっては忘れられない映画となったことだと思う。この映画ではFBIのおとり捜査が描かれている。現在は捜査の手法としては普通になったが、1978年当時も普通に行われていたのだろうか。この映画の主人公アーヴィング・ローゼンフェルドは天才詐欺師、メル・ワインバーグを下敷きにしていて、彼の写真を見ると、クリス・チャンベールがかなり似せていることが分かる。映画を見ていて、捕まえる事のない人間を罪に陥れてしまっているようで、後味はあまり良くない。ただし、最後のどんでん返しはなかなか痛快だ。その後に種明かしされているが、アーヴィングがマフィアにつかまって車の中で首絞められている時に必死で考えたというトリックがいい。この映画を見ていると詐欺師というのはすごく頭がよくできなければできない商売だということが良くわかった。世の中は広い。ラッドレイ・クーパーこの映画では、FBIクリスチャン・ベール - アーヴィング・ローゼンフェルドブラッドレイ・クーパー - リッチー・ディマソエイミー・アダムス - シドニ・プロッサージェレミー・レナー - カーマイン・ポリートジェニファー・ローレンス - ロザリン・ローゼンフェルドロバート・デ・ニーロ - ヴィクター・テレージョ
2014年02月09日
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なかなか見られなかった「ゼロ・グラヴィティ」をやっと見た。もう2ヶ月以上上映しているはずだが、今だに混雑していた。アカデミー賞10部門!のノミネートも影響しているのかもしれない。99%以上が宇宙空間での出来事を描いているが、そのリアリティーが半端でない。無重力なのだが、あまりにもリアルで、見ているうちにすこし気分が悪くなってきてしまった。登場人物は全部で5人で、そのうち2人は死んだ状態での出演。もう一人も早々とお亡くなりになる。最後は主人公だけが帰還するというサバイバルもので、主人公が女性で有ることも珍しい。この映画、NASAの協力が得られなかったらしいが、現実と乖離していたからだろうか。現実に、宇宙遊泳中に事故にあって、命綱が失われたら、生還する可能性は殆どないと思うが、映画では奇想天外なアイディアで見事に生還してしまうところが見所か。主演女優賞にノミネートされている、ライアン・ストーン役のサンドラ・ブロックは熱演だ。それに、からだの大きさも余すことなく?描かれていて、大きな女だと感じる。同じミッションに従事し、彼女をサポートするマット・コワルスキー役のジョージ・クルーニーの明るさとユーモア、それに思いやりの心が感動的だった。映画の最大の立役者はVFXだ。圧倒的な宇宙空間、地球の美しさや不気味さ、宇宙船の中のリアルさなど、賞賛しても、し切れるものではない。観客全員が宇宙空間を擬似体験していると言ってもいいほどだ。ストーリーも手に汗握る展開で、思わず感情移入していた。こんなことは久しぶりだった。また、圧倒的な地球と宇宙のスケールの中で宇宙船や人間のちっぽけなことがまざまざと感じられた。この映画はノンフィクションだが、近い将来同じようなことが起こる可能性はかなりの確率で、ある。この映画での発端と同じ事件は、現実にも少し前に起こっていた。宇宙での戦争になったら、今回の比ではない。数多くの宇宙衛星が破壊され、その破片が二次災害を巻き起こす。衛星が破壊されると、衛星を使った地球上のシステムは動かなくなる。ちょっと考えただけでも、とんでもないことだ。現在、10センチメートル以上のごみは21000個、1~10センチの小さな宇宙ゴミはおよそ50万個、1センチ以下だと数千万個以上存在する。ほとんどの宇宙ゴミは地表から2000キロメートル以下(地球低軌道)の高度を漂っており,秒速約7~8キロメートルというスピードで地球を周回しているため、衛星や宇宙飛行士に衝突すると大きな被害が発生することになる。映画でもリアルに描写されていて、大変危険な状態であることが分かる。映画でも登場する国際宇宙ステーションISSは、1998年以来,「宇宙ゴミ」の衝突を回避する操作を行っており,宇宙飛行士が緊急避難することもあったという。 出展:外務省 宇宙ゴミを減らせ!~国際的な宇宙空間の利用とルール作り現在、スペースデブリ低減ガイドラインなるものが制定されているが、打ち上げでできるだけゴミを少なくすることは考えられているが、今あるごみをどうするという話はないようだ。出展:宇宙ゴミの除去による地球軌道の環境改善を急ぐ観る前は上映時間が1時間30分と短いことが気になっていたのだが、この時間で十分だった。ということで、今まで体験したことのないことを体験できて、とても嬉しかった。同時に、単なるエンターテインメントではなく、現実に起きている宇宙ゴミについても考えさせられた。そういう意味では、この問題をもう少しアピールしてくれたらと思った。それは別にしても、最近見た映画の中で最もインパクトがあり、映画のもつ底力をまざまざと感じた。少なくとも未体験ゾーンを体験できることは確かで、是非ご覧になって頂きたい。公式サイト
2014年02月02日
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今日は、見ようみようと思いながら、きっかけが掴めなかった「ゼログラビティ」。アカデミー賞にノミネートされたということで背中を押されて、盛岡アートフォーラムに行った。北上でも上映しているが、吹き替えしかないので、盛岡に行くしかなかった。上映が2時過ぎからなので、その前に見られる映画を探したら、うまい具合に「かぐや姫」の時間があっていたので、今日は豪華2本立てと行こうと思った。少し早めに出て、牛田智大のチケットを購入し、アートフォーラムへ。12時10分ほど前に着いたが、長い行列が並んでいる。まさか「かぐや姫」じゃないなと思って,壁に貼ってあったスケジュールを見たら、その時間は「かぐや姫」しかない。予定時刻に近づいたが、予告編を考えるとまだ余裕だ。ところが列の前の方で、スタッフが残っている席が何とかと言っている。少し列が進んでから、今度は補助席を出すがいいですかと聞いている。お客さんが、いいですと言ったようで、スタッフがおもむろに満席になったことを告げた。私の3人ぐらい手前だった。しょうがないと思ったが、さて「ゼログラビティ」までどうするか少し考えた。スケジュールを見ると、うまい具合にフォーラムで30分後に「永遠のゼロ」の上映があることを知り、スタッフに来週も「ゼログラビティ」が上映されていることを確認して、フォーラムに向かった。後で考えたら字幕が上映されるか確認しなかったのは失策だった。フォーラムに向かいチケットを購入。時間があったので食事を済ませて映画を見た。実は、公開2日目の朝一の時間に見に来たのだが、この時も数人前に満席になったのだった。運がないのか、準備が悪いのか、異常に人気があるのかわからないが、まさか2回続けてこんなことになるとは思わなかった。特に今回かぐや姫が満席になるなんて思っても見なかった。やれやれ。。。。以上前置きがとんでもなく長くなったが、肝心の映画の話を少々。内容については方々で語られていると思うので、キャストについてだけにする。主人公、宮部久蔵役の岡田准一が素晴らしかった。以前からも素晴らしい演技をしていた映画は何本もあるが、Vシックスのメンバーという色眼鏡で見ていたことは確かだ。それに、上背がちょっと不足していて見栄えが悪いことも理由の一つだった。この前、偶然テレビで岡田准一とヴァイオリニストの五嶋龍の対談を見た。岡田が大河のセットで、五嶋に鎧の付け方や鎧をつけた時の制約、それに伴う刀の使い方などをレクチャーしていた。また、武士の座り方についても話していた。それは、骨盤に上半身が乗ると、黙っていても姿勢がよくなるということだった。番組では岡田准一が海外の武術をしていて、3つの武術のインストラクターの資格を持っていることを伝えていた。それに、五嶋が丹田を上に移動させると音が軽くなり、下に移動させると重心の低い音になるという話は、とても興味深かった。日本の武術を体得している演奏家にしかできない話だと思う。そういう情報を知ったためか、この映画での岡田の振る舞いがきりっと一本筋が通っていて美しいと思えたのは、勘違いだろうか。 印象的だったのは、腕の立つ宮部に模擬演習を挑み、我を忘れて撃ってしまった景浦(新井浩文)がふてぶてしさとともに印象的だった。ところで、最初この俳優の顔が日ハムの中田の顔を少し広げたようだと思ったのは、私だけだっただろうか。。。。現代の景浦役の田中泯の凄みのある演技が異彩を放っていた。また、宮部久蔵の部下井崎(現代)役の橋爪功の演技も良かった。私の興味は、最後の特攻シーンがどのように描かれるかだったが、宮部が銃弾をかいくぐりながら、真っ逆さまに突っ込んで行くところで終わっていた。出来れば、突っ込んだ姿も見たかった。ネットで話題のVFX使い回しは、言われなければ見逃したかもしれない。ただ、明らかにそれとわかるような使い方はしないでほしい。少なくとも素人が分かるようではプロフェッショナルとは言えない。原作を読んだのはだいぶ前で、筋がうろ覚えなので、原作との違いはきり言えない。ただ、じっくりと描いて欲しい部分がラフに描かれていたような気がする。音楽は佐藤直樹。監督の山崎貴とは「always三丁目の夕日」以来全ての作品の音楽を担当している。あまり目立たないが、ここぞというところで印象的な音楽が流れていた。公式サイト
2014年01月19日
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以前「武士の家計簿」という堺雅人主演の映画があったが、似たような雰囲気の江戸時代の裏方の武士の姿を描いた映画。 今度は、料理番の物語。主役は、武士ではなく、包丁侍に嫁いだ春(上戸彩)春は江戸で料理屋を営んでいた家族を火事で亡くし、8歳から加賀藩の側室お貞の方(夏川結衣)に仕える。一度嫁に行くが、気の強い性格のため離縁されてしまう。春は加賀藩の料理方である舟木伝内(西田敏行)に味覚と料理の腕を見初められ、息子安信(高良健吾)の嫁として嫁ぐ。安信は兄の思いがけない急死により、あとをつなぐことになった。それまでは、剣に生きてきたこともあり、料理に全く興味がなく、仕事にも身が入らない。そのため、失敗することも度々。それを春が立派な包丁侍にするという物語。加賀の料理を作る様子がかなり細かく表現されていて、大変興味深かった。特に、加賀騒動の後に諸国の大名を饗応料理でもてなす場面は圧巻。最初に「鯉包丁」という儀式と思われるシーンが出て来た。実物にはお目にかかることのできない儀式で、包丁を右手に、金箸を左手にもって、鯛?を捌いていた。料理もすごい。8の膳まであり、そのほかに「引菜膳」という雉の羽盛りが含まれているお膳、お菓子なども出てくる。この「雉の羽盛り」、野趣あふれるレシピだが、ゲテ物風で食欲はわいてこない。こんなものをすべて食べるには、時間もかかるし、なにより全部食べつくすのも大変だ。映画の中で重要な小道具として出てくる「柚子ゆべし」。岩手県でも胡桃入りで柚子の入っていないゆべしを作っているが、この映画での作り方は独特。果実をくりぬいた柚子に味噌や餅を入れ、ヘタの方をフタにして和紙に巻き、冬の間、乾燥させたものだそうで、丸柚餅子というもの。キャストでは、主人公、春の上戸彩がいい。持ち前の明るさだけでなく、夫を思う心がいろいろな場面で感じられ、彼女の内面的な部分での成長が感じられた。それから、嫁ぎ先の両親役の西田敏行、余貴美子の演技はさすが。高良健吾は少し硬かった。友人の今井定之新役の榎本祐は、個人的には「ゲゲゲの女房」を思い出してしまう。高良健吾とは「横道世之介」で横道の先輩役として出ていたと思う。今回はまじめな役なのだが、そこかしこにすっとぼけた雰囲気が漂い、父同様得難いキャラクターの持ち主だと思う。今井の妻佐代役の成海璃子は少し太ったような感じで、実年齢よりも老けて見えた。映画で、冬至かぼちゃが出ていてうまそうだったので、昨日冬至だったこともあり、冬至かぼちゃをリクエストした。ところどころ皮が硬いところがあり、いまいちだった。風呂もゆずを入れてもらって、すっかり冬至当時の気分を味わうことが出来た。妻に感謝!公式サイト
2013年12月23日
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「アーティスト」「オーケストラ」の製作陣が作った映画で、予告編からして期待させる内容だった。 上映が一週間だと思ってあきらめていたのだが、2週間に延びたことを知り、見ることが出来た。結論からいくと、大変面白かった。基本的にはロマンチック・コメディで、筋は予想できるのだが、それでも期待を裏切られることはなかった。その原因は、フランス映画らしい洒落てウイットに富んだ粗筋だからだ。古い映画のような感じのソフトフォーカスでカラフルな色彩もいい。シリアスな映画もいいが、こういう映画を見る時の楽しさは、また格別であることを思い出させてくれた。舞台は1950年代のフランス。田舎から出てきた雑貨屋の娘が、不動産事務所の秘書として雇われ、雇い主に才能を見染められて、特訓の末、タイプの早打ちコンテストで世界一になるという物語。主人公のローズ(デボラ・フランソワ)がNHKの9時のニュースの井上キャスターにそっくりで、びっくりした。例のことわざではないが、本当に似ている人っているということを見せつけられた気分だ。まあ井上キャスターの方が彫が深く美人ではあるが。。。当時は秘書はあこがれの職業で、その中でも最もステイタスを得られるのは「タイプライターの早打ち大会」で勝つことだったそうだ。最初の大会で敗れた後の特訓シーンが面白い。爪にタイプライターと同じ色を付けたり、ピアノの練習をしたり、ランニングで体力をつけたりと、涙ぐましい努力が続く。色を付けるところは面白いアイディアで、実際にやりそうな方法であることが味噌だ。後半はこの大会の模様で引っ張っていくが、大会で優勝して、マスコミに引っ張りだこになるところは、かなり嘘くさい。結局、この早打ち大会は、メーカーの宣伝になってしまっているように描かれている。実際のところどうだったんだろうか。ローズの指があまりにも速いため、アーム式のタイプライターではメカが追い付かず、後にゴルフボール状の「タイプボール」になるところが映されていた。 キャストでは主人公のデボラ・フランソワがキュートな魅力を振りまいていた。それから、タイプを特訓するルイ・エシャール(ロマン・デュリス)の少し斜に構えて気取った演技が、この役柄にぴったりだった。これがまともな人間像だったら、面白くなくなるところだが、この設定がストーリーに膨らみを持たせていた。ルイ・エシャールの友人の妻でエシャールの昔の恋人マリーは「アーティスト」でペピー役を演じていたベレニス・ベジョ。たいそう魅力的だったが、あの時の女優とはわからなかった。音楽は出だしから絶好調。甘くノスタルジック、時にはコミカルな音楽で映画にぴったり。決して新しくはなく、むしろ映画で描かれている時代のスタイルだが、古臭い感じは全くなかった。当時のジャズやスタンダードなども使われていて、かなり効果的だった。オリジナルでは、冒頭の「Forgotten Dream」や「Girl On Calender」が、ワクワク感を感じさせる音楽で、とてもいい。それでアルバムがほしくなり、いろいろ探したが、CDは手に入れるのは難しいとあきらめかけていた。その後、Import_CDをチェックした時に思い出して検索したら、ヒットしたので、すぐ注文した。また、来ていないが凄く楽しみにしている。公式サイト
2013年12月09日
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スティーブ・ジョブズのガレージでの創業から、アップルへの復帰までを描く映画。 最後に実物と俳優が一緒に並んだ画像が出るが、俳優たちがかなり実物に似ていて、そっくりと思われる俳優もいる。ジョブズもかなり似ている。勿論晩年のやせた状態ではないが、体つきも背が高くかなり似ている。歩き方なんてそっくりで、動作もかなり似ているようだ。勿論ヒッピーまがいの服装もしっかり描かれている。ジョブズの自宅の内装もかなり似ている気がする。伝記に載っていた自宅の特徴ある床がそっくり再現されている。もしかしたら自宅をそのまま使った可能性もあるが、アングルから見てそれはないと思われる。物語は伝記に沿ったものだが、細かい部分の描写がなく、全体を一通り眺めたような大味な感じの映画だ。NEXTやPIXASの設立にも触れられていない。アップルlが出た時のセンセーショナルな光景も感じられない。私のような昔からコンピュータをいじっていた人間にとっては、ウォズニアックたちとガレージでしこしことボードを作っているシーンが懐かしくもあるのだが、細かい部分が描かれないので物足りない。有名なアタリ社のブロック崩しの改良をウォズニアックと一緒にわずか4日で仕上げた時の凄さも、さらっとしか描かれていない。報酬が500ドルなのに70ドルと偽ってウォズニアックには35ドルしかやらないところはしっかり描かれていた。全体的にはカリスマ経営者としての側面は描かれていたが、ジョブズの熱意や偏執狂的なところ、禅とのかかわり、不幸な生い立ちなどがほとんど触れられていない所は不満が残った。キャストでは主役のアシュトン・カーチャーがいい。会議やプレゼンでの巧みな話術はジョブズ本人を彷彿させる。最初の投資家マイク・マークラを演じているダーモット・マローニーは、自由になりがちな展開を渋い演技で引き締めていた。ジョブズたちとの最初の出会いと投資を即決するシーンはなかなか劇的に描かれている。それから、スティーブ・ウォズニアック役のジョシュ・ギャッドも良かった。彼も実物にかなり似ていたが、実際のウォズニアックはこういう人間なんだろうなと感じられるような演技は説得力があった。この映画ではジョブズの人となりはかなりよく描かれているが、iPOD以後のの栄光が書かれていないのは、「これ以後は皆さんもよく知っているから、ここでやめますよ」という意味なのかもしれない。公式サイトまた、こちらでアップルが生み出したすべての製品を見ることが出来る。この写真を見ていると、APPLElから40年近く経ったことを感じるが、それだけPCが目まぐるしく進歩してきたことの証だと思う。因みにCDの量産開始が1982年で、現在まで殆んど中身が変わっていないことを考えれば、PCの進歩は驚異的だ。
2013年12月02日
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原題「The Counselor」。 面白そうだと思い見に行ったが、スイミングの疲れもあり時々寝てしまったので、ストーリーがよく分からないまま終わってしまった。カウンセラーと呼ばれる弁護士(マイケル・ファスベンダー)がちょっと色気を出したために悪の道にはまり、抜け出せないであがいていく姿を描く、実に恐ろしい物語。最初カウンセラーをキャンサー(癌)と聞き間違えて、何でだろうと思っていたが、公式サイトで見て初めてわかった。それにしても、この人物、名前を呼ばれないのが何故かわからない。舞台はメキシコの都市シウダー・フアレス。ここはアメリカとの国境の町であり、近年、工業化が著しく、世界中で最も発展が早い国の1つとして知られているが、同時に急速に治安が悪化しており「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」とも恐れられていた。wiki惨たらしい場面が何カ所かあり、それも後味の悪さにつながった。そのうちの一つの殺人方法は手軽で誰でもできるし、しかも、足が出る危険性が少ないので、まねをする人が出なければいいなと思ってしまった。キャストの中では、マルキナ役のキャメロン・ディアスの黒幕が恐ろしい。下履きを脱いで、フェラーリのフロントガラスに開脚でまたがり、オーガズムに達するシーンもある。おまけにこの光景を恋人のライナー(ハビエル・バルデム)が運転席で見物しているのだから、かなり倒錯したシーンで、評価が分かれると思う。ローラ役のペネロペ・クルスは相変わらずエロいが、出番が多くなく、最後が何とも悲惨だ。最近の彼女はこういうエロい役ばかりで、こういう役割しか期待されなくなったのだろうか。そうだとしたら、女優としての余命は短いと思う。ハビエル・バルデムは結構悪辣な役だが、彼も最後は無残な殺され方をする。因みに彼らは実生活では夫婦だという。ウエストリー(ブラッドピット)は麻薬の売人で、ことが発覚した後は逃げるだけという役。最後は無残な殺されかたで、いっぺんに印象が薄くなってしまった。この殺され方はどういう仕組みなのかわからないが、ボリートという中東で使われているもので自動で絞めていくみたいだ。この殺し方も嵌められると逃れられない機構みたいで、生きながらじわじわと殺されるという恐ろしい殺し方だ。飲んだくれて寝ていたカウンセラーが酒場の店主とする会話も恐ろしい。ここでは人間の命が軽く、夜に足音が聞こえるとその足音を出す人間は殺されるのだ。人が死んでも何とも思わない。ゲーム感覚で人殺しが行われているのだ。実に恐ろしい、都市だ。平和な日本では感じられない、得体のしれない緊張感が味わえる映画。公式サイト相関図
2013年11月20日
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メジャーリーグ初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)の若き日を描いた実話。彼は1945年8月ニグロ・リーグの名門カンサスシティ・モナクスからドジャーズの3Aモントリオール・ロイヤルズに入団し、翌年ドジャースに昇格しその年創設された新人賞を獲得している。ジャッキー・ロビンソンの名前は知っているが、どのような活躍をしていたかはまるで知らないかった。最初の黒人選手であることから、いろいろな迫害があったことは想像できる。チームのほかの選手からの差別や一緒に試合をすることへの抗議、他チームの対戦拒否といったところから、試合会場である南部での市民の脅しや圧力、そしてチーム全体がホテルに泊まることを拒否されたりと次第にエスカレートしていく。普通なら挫折してしまうところだが、GMの教えや、監督のサポート、そして次第にチームメイトも支援してくれるようになる。そしてジャッキーの活躍とともに周囲の見る目を変えていく過程が何とも感動的だ。映画の中心テーマであるが実際はもっとひどいことも起きていたと思う。ドジャースのGMブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)との対話が味わい深い。差別に対して「こらえろ」とジャッキーに言うだけでなく、差別するものに対してはたとえチームの有力プレーヤーでもトレードに出してしまう(トレード先がフィリーズであることが笑えるが)ようなことも行っている。最初に黒人選手を入れようとした時、スタッフには黒人客を増やすためだと説明しているが、それだけだったのかと映画を見ている途中ずっと考えていた。後半、ジャッキー・ロビンソンがリッキーになぜ俺をドジャースに入れたという質問をするシーンがある。リッキーが大学時代野球をしている友人が差別されているのを見て、何もできなかったことをずっと悔やんでいたことがわかり、疑問が氷解した。試合で、ジャッキーに話しかけたピー・ウィー・リースが彼の肩を抱くシーンが出てくる。このシーンもピー・ウィー・リースの心情を思うとなかなか感動的なシーンだった。実際このシーンをかたどった彫像がブルックリンのキースパンパークにあるリッキーはキリスト教のメソジスト派で宗教家か哲学者みたいなことを時々話す。それが面白い。いわく、『同情は憎しみから変わったものだ』、『フィラデルフィアの語源はギリシャ語で「兄弟愛」を表す』などなど。キャストでは主人公のチャドウイック・ボーズマンの、数々の困難に立ち向かっていくストイックさと精悍な表情が印象的だ。もう一人の主役、ハリソン・フォードの重厚な演技がこの映画では大きな役割を果たしていた。まるで慈悲深く人を導いてくれる父親みたいな感じだった。夏に、子どもがスター・ウォーズの第1作を見ていて、私も思わず最後まで見てしまった。その時のハリソン・フォードの若々しさが印象に残っていたので、この映画を見ると随分と年を取ってしまったと思う。1942年生まれの71歳なので、それも無理がないのかもしれないが、味わい深さと活力に満ちた演技はとても魅力的だ。ジャッキーを支える妻レイチェル役のニコール・ベハーリーはなかなかキュートでチャーミング、それでいて夫以上に正義感が強いところが面白い。彼女はジュリアード出身でジャズ・シンガーとしても活躍している。ジャッキーを認めサポートする監督役のクリストファー・メローニも重厚であるが清潔感あふれる姿が印象に残った。フィリーズの監督ベン・チャップマン(アラン・デュディク)がロビンソンの打席で罵詈雑言を吐くシーンは、本当に腹が立つほど上手かった。後に和解して、写真を撮るシーンもあった。(実際の写真はこちら)ちなみに、フィリーズは黒人選手が入団したのはナショナル・リーグで最も遅く、ロビンソンのデビューから10年だった。時間の問題とはいえこういう先駆者がいなければ黒人選手や有色人種が活躍することもなかったわけで、そういう意味で偉大な選手でありそれをサポートしたリッキーも立派だ。この映画、静けさが印象的でそのたたずまいはクリント・イーストウッドの映画に似ている。また、南部の様子や、球場も当時の様子が再現されていて嬉しかった。当時のポピュラー音楽がふんだんに使われている。スイングではアーティー・ショーやナット・コール、ビリー・ホリデーの歌が使われていて、当時の雰囲気にぴったりだった。というか、彼女の「恋人よ我に帰れ」が響き始めると、一挙に昔の南部に逆戻りしてしまったような錯覚を覚え、あらためて歌の効果の凄さを感じてしまった。この映画を見ていてアメリカ人って本当に野球が好きなんだなと思ったし、こんなにワクワクして映画を見たのも久しぶりだった。見ている途中ロビンソンの伝記を読みたくなってしょうがなかったが、それだけ魅力的な人物だったのだと思う。公式サイト
2013年11月03日
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この前見たソダーバーグ監督作品の一つ前の作品は男のヌードを売り物にしている劇場の物語。 かなり、普通ではない世界で、男としてはあまり気持ちの良いものではないが、女性は興味をそそるのかもしれない。まあ、あちらの女性の方はこういうものが大好きなようなので、全米で大ヒットしたというのもうなずける。主演のマイク(チャニング・テイタム)が10台の終わりにストリッパーをしていた経験から着想した映画である。実際、この主人公の煉瓦積みや営業時折ストリッパーという筋立ては実際の彼の境遇と全く同じである。好き嫌いは別にしてもショー自体はかなり楽しめる。彼らが肉体美だけでないことがわかるが、これは大変な仕事だ。特にチャニング・テイタムのパフォーマンスはさすがに実際仕事としていたことはあると思わせるプロフェッショナルな出来。それに出し物も考えなければならない。また、ストリップの出張サービスのシーンも出てくる。これもチャニング・テイタムの実体験だろうか。さすがに、これは日本では考えられない。この映画で輝いていたのは、アダム(アレックス・ペティファー)の姉ブルック役のコディー・ホーン。弟思い出はあるが、かなり気の強い女をリアルに演じていた。ただ、胸が薄かったのが少し残念だった。劇場の経営者であり、ストリップ軍団のリーダーであるダラス(マシュー・マコノフィー)がかなりワイルドで印象が強い。公式サイトによると、チャニング・テイタムは弁護士を志していたが、オグマンディーノの「地上最強の商人」を読んで専攻を法律から映画に変えたというのもなかなか興味深い。経済に変わるというなら頷けるが、映画とはどういう考えだったのだろう。しかし、経済と映画の学部がある大学って日本では想像できない。ものすごくいろいろな学部があるのだろう。調べたら、「グレンヴィル・ステート・カレッジ」という所だったが、ここを中退している。ここは2年制の大学(専門学校)で学生が2万人にいるらしい。アダムアレックス・ペティファー)はマチョだがまだ10代の初々しさを感じさせる好演。この映画全米ではヒットしたが日本ではどうだったんだろうか。暗いところではっきりわからなかったが、女性が多かったような気がする。公式サイト
2013年10月30日
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コンビニで宣伝していて、公開まじかなことは知っていたが、見るかどうかは分からなかった。 新聞の批評はかなり評価が高かったので土曜日に見に行った。美男美女のラブストーリーかと思ったのだが、確かにラブストーリーなんだが、ありきたりなストーリーではなく、とても感動した。入りは結構よかった。暗くなってから入ったので、どのような客層だったかはわからない。多分若い女性客が多いと思う。粗筋を説明することがネタバレになってしまうので、あまり説明できない。中学校で一緒だった男女の男の方が途中で転向し、それっきり交渉がなくなる。大学を卒業後、広告代理店とクライアントという関係で偶然出会った時から物語が動き始める。映画は中学時代に巻き戻される。。。パブリシティではハッピーエンドと書かれているが、決してハッピーエンドではないあくまでもハッピーエンドの予感がする程度だ。真緒の真の姿が徐々にわかってくるにしたがって、その浩介を思う気持ちが何とも切なくなった。多分どうにもならないことに対してそれを承知で突き進んでいく真緒の姿に感動したのだろうと思う。動物とはいえなんともけなげな姿だ。前半も泣けるシーンがあったが、後半じわじわときて、最後は泣けてしょうがなかった。殆んどが善良な人間ばかりだが、そのなかで中学の意地悪な女子が大人になっても変わらないキャラで異彩を放っていた。中学時代の真緒を演じた葵わかなも結末を知った今考えると、髪型を含め一貫したイメージだったと思う。中学時代の浩介(北村匠海)もその精悍な顔つきが良かった。真緒の母親役は、あらおめずらしや、の木内みどり。最近メディアでお目にかかることがなかっただけにちょっと老けたとはいえ、懐かしかった。善人の多い中で、浩介の職場の先輩田中進(大倉孝次)の勘違い男と後輩のシリアスな峯岸ゆり(谷村美月)がコミカルな味を出していて、映画に変化をつけていた。映画オリジナルの役である木下はその怪しげなところが夏木マリにぴったりのはまり役だった。この役は彼女しかできない役だと思う。ハイキーでソフト・フォーカスな映像が夢の出来事みたいな雰囲気を醸し出していて、この映画にふさわしい。公式サイト
2013年10月23日
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「スラムドッグ$ミリオネア」「127時間」などの独創的な作品で有名なダニー・ボイル監督の最新作「トランス」を見る。 話はオークション中にゴヤの「魔女たちの飛翔」が盗まれてしまう所から始まる。競売人のサイモンはそういう時に備えて、緊急時のマニュアルが作成されていた。その中には最も大事な名画を避難させる巧妙な方法も含まれていた。何故かその方法が強盗たちに知られていて、サイモンは強盗たちにそのかばんを奪われるかに見えた。ところがサイモンがスタンガンを首謀者のフランク(ヴァンサン・カッセル)に突きつけたため、怒ったフランクに殴り倒されてしまう。フランクは奪ったカバンから画を取り出したところ、そこに画のない額縁しかなかった。フランクは画のありかをサイモンから聞き出そうとするが、サイモンはフランクに殴られたため、その時の記憶が消失してしまっていた。フランクは催眠療法師を雇い、サイモンの記憶を取り戻そうとするが。。。。■2転3転、本当はなんなのか???結局何が本当なのかわからずに映画が終わってしまう。何回も見ないとそのからくりはわからないのかもしれない。DVDが見たらそこらへを確認したくなる。最後に真相が明らかになるかにみえたが、最後にそれがフランクの夢だったというどんでん返しがあり、結局何が何だかわからないまま終わってしまった。この映画は2001年のイギリスの同名のテレビ映画が部分的に基になっていて、その時の脚本家がジョン・ホッジだった。この映画の第1の成功は複雑に糸が絡んだ脚本を作ったジョン・ホッジとジョー・アヒナのものだ。ストーリー展開の見事さは、なかなかお目にかかれない。そして、この難解なストーリーを手際よくまとめたボイル監督の手腕も見逃せない。キャストでは、この犯罪の首謀者フランクを演するヴァンサン・カッセルが狡猾なのに逆にはめられてしまうところをうまく演じている。かなり個性的な顔立ちで、本当の悪役になりきれないフランクに適役だ。この映画一番の悪役の催眠療法士エリザベスを演するロザリオ・ドーソンは、男を操るのも凄腕だ。フルヌードも披露してかなり頑張っている。ゾーイ・サルダナかと思ったが勘違いだった。またサイモン(ジェームズ・マカボイ)もスパイダーマンのトビー・マグワイアと勘違いしていた。ところで、最近イギリス映画が元気だ。理由はわからないが、俳優たちもハリウッド映画への進出が著しい。個人的には、ハリウッド映画とは一味違う含蓄に富んだ映画が多いと感じている。公式サイト
2013年10月22日
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スティーブン・ソダーバーグ監督の最後の劇場作品といわれている。 薬の副作用で殺人を犯してしまう女と主治医の精神科医の物語。最初は、そのストーリーで進んでいくが、最後にどんでん返しがあり、あっと驚いてしまう。この映画は当初『The Bitter Pill』と言う名前で公開される予定であったが、『Side Effects』に変更されている。この「side effects」とは、副作用という意味で、この映画では薬の副作用ということである。■あらすじ映画は刑務所での面会から始まる。インサイダー取引をしたために、収監されている夫マーティン(チャニング・テイタム)と面会をする女エミリー(ルーニ・マーラ)。夫マーティンは4年前にインサイダー取引の罪で収監され、彼女は幸福の絶頂から絶望のどん底に突き落とされる。その数奇な人生はマーティンの出所により好転するかと思われたが、夫の不在中にうつ病を再発させていたエミリーは自殺未遂を繰り返してしまう。担当医になった精神科医ジョナサン・バンクス(ジュード・ロー)は彼女に新薬を処方するが、今度は薬の副作用で夢遊病を発症してしまう。。。■素晴らしいストーリー展開途中までは、薬の影響で殺人を犯したので、無罪になるという展開だった。観客は無罪になるかどうかに気持ちが向かっているため、他のことが目にはいらなくなる。重要な伏線がいくつも張られているが、注意深く見ている人でないとわからない。あとで、解説を見てなるほどと思う人たちが私を含め大半だろう。薬を投与したために立場が悪くなり、シ-バート医師からの偽の証拠写真を送られるために妻にも去られてしまう。真実を知ろうとするジョナサンバンクスは周囲の冷たい扱いにあいながらも独力で事実を積み重ね、真実を突き止める。その過程の描き方が素晴らしい。次々と不利なことが起こり、何者かに貶められているように感じる(事実、後で見るとその通りだった)。最後、服装も乱れ、もはやこれまでかと思ったときに逆転劇が始まり、観客の胸のつかえが一挙にとれる展開になっていて、一種の爽快感を感じる。最後に種明かしされるのだが、これはなかったら全体の印象はだいぶ違ったものになったと思う。■芸達者が揃っているジュード・ローの演技が素晴らしいキャサリン・ゼタジョーンズは結構年を食っていたと思っていたのだが、意外と若い感じだった。肌の艶がよく、皺もあまり目立たない。眉毛が細くて端の方がかなり吊り上っていて、黒縁の大きなメガネと共に結構印象的な風貌だが役柄にあっていると思う。チャニング・テイタムは前半だけの出番で、あまり印象に残る役ではない。この映画の準主役であるエミリー役のルーニ・マーラはばっちりと化粧をした時よりも、薄化粧の方がいいという顔立ち。夢遊病者の振る舞いがそれらしく、殺人場面での無機的な表情もリアルだ。■トリックの着眼点こうしてみると、トリックの着眼点がすぐれていると思う。薬品会社の株価を操作する方法としてここで繰り広げられている方法はいろいろな条件があるにしても、再利用可能な方法のように思う。こんな方法を映画にしたら、模倣犯が出てくる可能性が高いと思う。しかし、最近問題になったが新薬の治験で浮かび上がったのは、不正の入り込む余地が高いことだ。おまけにこんな犯罪ができる可能性があるとしたら、ますます透明性が求められる。多分、実際にこんなことをやられたら、犯罪を立証することはほとんど不可能に近いと思う。それだけスコット・Z・バーンズの脚本がすぐれているといえるのかもしれない。カウンセリングの中でエミリーが話す「毒の霧」英語でなんと言っているのかわからないが、精神状態を知る上で、かなり適切な表現だと思った。気になったのは、邦題の「サイド・エフェクト」。原題そのまんまだが、発音からいくと「サイド・イフェクト」なので最初から違和感があった。こういう例は結構あるのだが、原題をそのまま安直にカタカナに直した邦題が最近は殆んどだ。昔のような味わいのある邦題がなくなってさびしい気がする。というか、その方面に頭が回らないのか、必要性を感じないのか、日本での公開では、もう少し丁寧な作り方を望みたい。ところで、この前の作品「マジック・マイク」(2012)は当地ではこの後の上映となるので、ちょっと変則的な形になってしまった。この映画は以前から興味があったので、今回の出来をみて、逆になったとはいえ、ますます楽しみになってきた。公式サイト
2013年10月07日
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予告が面白そうだったので見に行った作品。 結果はそれほどでもなかった。ザック・エフロンの魅力がまき散らされたものと思ったら、全く違っていて、凄惨な幕切れが何ともいいようがなかったためだ。ペーパーボーイとは映画では新聞屋と訳されていた。今までは「新聞配達少年」と思っていたので、意外だった。原作はピーター・デクスター(1943-)の同名のベストラー小説(1995)だが、原作に沿っていない部分もある。■あらすじ舞台は1960年代末のフロリダ。ある死刑囚ヒラリーが起こした保安官殺しが冤罪だと考えた記者ウォードは取材を始める。彼が所属しているのは父が経営する新聞社だ。大学を辞めた弟のジャックが舞い戻り、兄の手伝いを始める。そこに娼婦のシャーロットがからみ、事件の真相に迫っていく。彼らは、いろいろな証言からヒラリーは無罪だとして、新聞に記事を書く。記事が功を奏してか、ヒラリーは釈放される。ところが、事実はそうではなかった。。。■ニコール・キッドマンがすごい娼婦のシャーロット役のニコール・キッドマンが光っている。アップで写るとさすがに肌に年を感じるが、スタイルも維持されていて妖しい魅力がある。この役は囚人と文通するという変わった趣味の持ち主であり、それが仇となって殺されてしまう。刑務所から解放されたヒラリーとのセックスシーンもものすごく、月並みな言い方だが体当たりと言う言葉が文字通り当てはまる。また、刑務所での面会でヒラリーの求めに応じていろいろきわどいことをする場面は何ともエロティック。ジャックの兄ウォードを演じているマシュー・マコノヒーは一癖もふた癖もある面構えで、ちょっとキモい。そう思ったら、ウォードはゲイだったので、私の勘もまんざらでもないと自己満足に浸った。ヒラリー役のジョン・キューザックは少しおとなしそうな感じだが、いざとなったら恐ろしいことをするので、かえって効果的だった。普通人相の悪い人間が悪いことをするのは驚かないが、平凡な人間がそんなことをすると驚くものだ。一服の清涼剤だったのはこの家の料理人アニタ(メイシー・グレイ)。子供のころからジャックの面倒も見ている。語り手も兼ねていて、これも悪くない。この方、シンガー・ソングライターで、来日したこともあるらしい。http://www.universal-music.co.jp/macy-gray■凄惨な場面が満載この映画はキッドマンのエロティックな演技ばかりではない。凄惨な場面も続々出てきた。ウォードたちがヒラリーの兄の所へ話を聞きに行った場面。彼の自宅は沼地にあり、そこに鰐が吊るされている。ウォードたちが靴をなくしてしまったので、鰐革の靴がほしいというと、鰐の腹を裂いて内臓がボロッと出てくる。ウォードが後ろ手にされてゲイにぼこぼこにされ、血だらけになっているるシーン。ウォードがヒラリーに頸動脈を掻き切られて殺されるシーン。などなど、冷徹に描かれているので恐ろしさが増してくる。この映画の分類はサスペンスとなっているようだが、サスペンスらしさはあまり感じられない。どちらかというとエログロ満載映画と言うべきか。久しぶりにざわざわした。この感覚も悪くない。■音楽がいい音楽はマリオ・グリゴロフが担当している。エンドロールで流れる「End Theme」が甘く切なく、この凄惨な映画の傷を癒してくれるかのような名曲。ところでこのファイル「webm」という形式なんだそうだ。いつもの調子でVLC Playerで再生しようとしてもリストに出てこな。Any Video Converterでも同じです。ファイル名の拡張子をみたら「webm」という見慣れない拡張子。ネットから変換ソフトを拾ってなんとかMP4に変換。それをAny Video Converterで返還して、iPodで聴けるようにした。いや~時間がかかてしまって、やれやれだった。公式サイトこちらで、キャストスタッフの話を聞くことができる。
2013年09月27日
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評判がいいので見に行った映画。 テレンス・マリックという監督の作品。一昨年のカンヌ映画祭で「ツリー・オブ・ライフ」でパルムドールを受賞した監督である。映画では誰が監督かは全く関心がないので、監督の名前は雑誌のレビューで初めて知った。この監督は1943生まれで、この作品が6作目という寡作の監督。■あらすじ物語はアメリカ人とロシア人?の男女がフランスで知り合い、恋に落ちた後から始まる。女(オルガ・キュリレンコ)には10歳の子供がいて男(ベン・アフレック)になつく。彼らは男の生まれ故郷のオクラホマに移住する。娘はそこの生活に飽きて、母子はビザが切れる前にフランスに戻り、娘は別れた父親のところに行ってしまう。男は、昔の女友達(レイチェル・マクアダムス)とよりを戻すが、分かれてしまう。精神的に疲れた女を男が救おうとアメリカに呼び戻し、結婚する。しかし長くは続かず、分かれてしまう。■変わった映画 あまりセリフがなく、ドキュメンタリー風の画面に終始する。 登場人物の名前さえ分からない。殆んどが女と男が出ているシーンばかり。前半は女の娘が出ているシーンは多いが、フランスに戻ってからの出番はスカイプの画面くらい。途中から出てくるのは教会の牧師(ハビエル・バルディム)と男の女友達、そして、女の顔見知りの男だけです。顔見知りの男は単なる行きずりの不倫相手。最初から最後までドラマティックな展開はなく、淡々と進む。多分この映画ではストーリーを追うのではなく、男と女の濃厚なラブストーリーのシーンを堪能するべき映画なのだろう。■美しい映像セリフが少ないため、おのずと映像に目を向けてしまうが、その映像が大変すばらしい。世界遺産モン・サン=ミシェルの美しい佇まい、特に冬の干潮の時の白と灰色の世界で戯れる二人の世界が実に印象的。それから川や森の風景、アメリカの大地の夕暮れの美しさなどほれぼれするような映像だ。■キュリレンコがいい オルガ・キュリレンコは007『慰めの報酬』で知ったが、少しきつい感じがしてあまりいいと思っていなかった。 この映画では、普通の大人と少女のようなあどけないしぐさとの落差が大きく、たいそう魅力的。勿論、細身で均整のとれた体だからということもある。ベン・アフレックはあまりセリフがなく、女を愛してることだけは分かるが、寡黙なだけに何を考えているのかよく分からない。女の懺悔を聴く牧師役のハビエル・バルデムも寡黙で、この映画にすっぽりとはまっている。レイチェル・アダムスは私の嫌いな女優で、この映画でもあまり印象が良くなかった。嫌いな理由ははっきりと言えないが、敢えて言えば「演技がうっとうしい」ということだろうか。■音楽がいい音楽は「パルシファル」の第1幕への前奏曲やチャイコフスキーの「憧れを知る者のみが」、ラフマニノフの「死の島」などクラシックが多く使われている。この映画の静けさにとてもマッチしていて、監督のセンスのよさが感じられる。勿論ハナン・タウンシェンドによるオリジナルも静かでクールで映画にとてもマッチしている。ということで、一風変わった映画だが、とても満足。DVDが出たら見直してみたい。公式サイト=======================================================================ということで、「である調」で書いてみたが、いまいちうまくいかない。修業が足りないということであろう。(これもおかしい)
2013年09月23日
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スタートレック(2009)の続編。新聞評で絶対3Dでみるべきだと書かれてあったので、字幕版優先の私ですが3Dの字幕版はなかったのしぶしぶ吹き替え版を見に行きました。字幕と吹き替えではまるで雰囲気が変わってしまうのでいやなのですが、字幕版はBDが出るまでお預けです。映像は確かに素晴らしいですが、絶対3Dでなければと言うほどのものではないと思います。最近3Dは吹き替え、2Dは字幕でと言う上映がほとんどですが、それが凄く不満です。コスト的に合わないのか、そもそも作っていないのかわかりませんが、字幕版も3Dで上映してほしと思います。かいつまんで言うと、カークたちUSSエンタープライズの連中と、冷凍から復活した艦隊士官のジョン・ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)との戦い。基本は戦闘ですが、ハリソンの背景が複雑で、彼の運命に泣けてきます。後半の意外などんでん返しと、感動的な結末はアクション映画には似つかわしくない展開です。主なキャストは前作と同じような顔ぶれで、続編としては筋を通しています。前作でも気になっていた、主人公ジェームズ・T・カーク役のクリス・パインの少しワイルドな感じが、今回も気になりました。スポック役のザッカリー・クイントは特異な風貌と相まって、今回も大活躍です。一番目立っていたのはアンチ・ヒーロー、超人ベネディクト・カンバーバッチ役のジョン・ハリソン。最近は「シャーロック」ですっかり有名になりましたが、個人的にも好きな俳優の一人です。今回は、役柄か結構不気味な感じです。何しろ目が怖い。最初は「シャーロック」と同じ俳優とは思えませんでした。私の好きなウフーラ役のゾーイ・サルダナは相変わらず美しいですが、まさかスポックと恋仲とは知りませんでした。ヒカル・スールー役のジョン・チョーは役柄そのものの堅実な演技で結構印象深かったと思います。モンゴメリー・”スコッティー”・スコットを演じるサイモン・ペッグも前作に引き続くキャスティング。前作でどのような活躍をしたか覚えていませんが、今回は大活躍でした。少しコミカルなところが持ち味でしょうか。ところで、スコッティーの相棒の宇宙人はなんという名前なんでしょうか。なかなか愛嬌のある顔ですレナード・”ボーンズ”・マッコイ役のカール・アーバンも同じキャスティングですが、彼も黙々と働く医師を演じて印象深いです。今回新登場のマーカス提督の娘キャロルを演じるアイリス・イヴはスレンダーなブロンド美人で、演技もシャープです。ところで、ジョン・ハリソン、どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、あのピーター・グレアムの「ハリソンの夢」のモデルである時計職人の名前ではないですか。多分普通の名前でしょうし、その世界の住人しか知らないことではありますが、面白い偶然ではあります。公式サイト
2013年09月09日
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スーパーマン誕生から地球で認められるまでを描く、『ウォッチメン』のザック・スナイダー監督、『バットマンシリーズ』のクリストファー・ノーラン製作の巨編。 これも3Dがいいという批評から3Dで鑑賞しましたが、これこそは3Dでなければならないと思われる必然性を感じました。戦闘シーンが続くのですが、とにかくすごいド迫力で、全く飽きませんでした。キャストの中では、なんといってもアンチヒーローのゾッド将軍(マイケル・シャノン)が光っています。その憎々しげな表情は悪役にぴったりですが、水道橋博士にそっくりで、個人的にはいまいち緊張感を覚えません。それから、ゾッド将軍の片腕ファオラ(アンチュ・トラウェ)もかなり不気味です。個人的にあまり好きではないラッセル・クロウ扮するクラーク・ケントの実の父ジョー=エルはなかなかお得な役で、コスチュームのせいか少しスマートになったような気がします。主役のクラーク・ケント/カル=エルは ヘンリー・カヴィルが演じています。悪くはないですが、あまりスマートな感じはしません。というのもすごい肉体で、大胸筋が異常に発達しているのが目を惹きます。プロレスラーかボディービルの選手かと思うほどで、スマートなイメージのスーパーマンからは少しずれています。それにおつむが少しさびしいのも気になります。ヒロインのロイス・レーンはエイミー・アダムス。コミックでは鋭い感じなので、イメージは少し違っていますが、違和感はありません。脇役では、デイリー・プラネットの編集長ペリー・ホワイト(ローレンス・フィッシュバーン)がユーモアがあり、なかなかいい味出しています。とにかくヒーローものと言うと、ヒーローの活躍する場面から描くのが多いですが、バットマンといい、スーパーマンといい、ネタ切れという事情はありますが、ヒーローの生い立ちが描かれるのはとても興味深いです。勿論、原作にはない話で、脚本家が苦心して書いていることが分かり、本当に大変だと思います。しかし、凄い想像力で、今回は完全に脱帽です。特に幼少時代の悲しいエピソードは泣けてきます。脚本はデヴィッド・S・ゴイヤー。バットマン・シリーズを手掛けている人で、今回の映画もバットマンと少なからぬ関係があるようです。宇宙人の戦いなので、スピードが速いのは仕方ないですが、速すぎて目がちかちかしてきました。もう少し動きをゆっくりにしてくれれば目に優しくなるんですが。。。。音楽はハンス・ジマーで、ザック・スナイダー監督はジョン・ウイリアムズの「スーパーマンのテーマ」は使いたかったそうですが、制作側の意向で以前の作品とはっきりと区別するために使われなかったとか。その決断は功を奏しています。あのテーマが現れると、いきなりコミックの世界に入ってしまい、今回のシリアスなドラマ性が薄まってしまうと思うからです。興行成績にもよりますが、最後にデイリー・プラネット社に入社するシーンで終わっていますので、続編がかなりの確率でありそうです。公式サイト ところで、2020年のオリンピックが東京に決まりました。本当におめでとうございます。プレゼンを見ていたのですが、最初に登壇した高円宮久子様のスピーチがとても気品に満ちていたと思います。それから、多少高揚しすぎの嫌いはありましたが、安倍首相のきっぱりとしたメッセージも印象深かったです。これも、石原前都知事始め、東京都やJOCが前回の失敗の上にたって、的確な行動をとったからだと思います。本当にご苦労様でした、そしてこれからさらに頑張ってください。所で、前回のオリンピックが決まった時の首相は岸信介だったそうです。そして今回は孫の安倍首相、単なる偶然でしょうか。
2013年09月08日
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ホワイト・ハウスがテロリストにより乗っ取られ、あわや空爆かというサスペンス・アクション。 公開2日目ということからか、かなりの入りですした。簡単に言うと、大統領に個人的な恨みを持つ政府の高官が、同じように恨みを持つ人間が組織するテロ集団を使って大統領をとらえ大それたことをするというお話です。その二人とはアフガニスタン撤退により息子を失ったシークレットサービスの長官マーティン・ウォーカー(ジェームズ・ウッズ)、そしてアフガンで従事していて長い間捕まっていたテロ組織の親玉のエミール・ステンツ(ジェイソン・クラーク)です。ただ、そこにはいろいろ複雑な事情が絡んでいて、この企てには巨大な組織が裏で糸を引いていたということが分かる仕掛けになっています。それから本当の狙いも浮かび上がってきます。主人公のジョン・ケイル(チャニング・テイタム)は議会警察官で大統領のシークレットサービスの面接試験で落ちてしまします。政治フリークでソイヤー大統領のファンである娘をがっかりさせないために、ホワイトハウスの見学ツアーに参加します。ところが偶然にもテロ組織と政府の警察や軍隊との戦いに巻き込まれるという設定です。政府関係者や警察、軍隊、テロリスト、ホワイトハウスへのツアー客など多数の人間がかかわった群像劇で、完全に理解するのは大変です。戦闘の場面がかなりの部分を占めていますが、テロ組織とシークレット・サービスとの銃撃戦から警察や軍隊の出動、そしてあわや核攻撃かとエスカレートしていきます。それが息つく暇もなく続き大変興奮させられます。本当かどうかは分かりませんが、歴代大統領が作った抜け道とかのエピソードのお楽しみもあります。キャストでは主人公ジョン・ケイル役のチャニング・テイタムがいいです。それから、合衆国大統領ジェームズ・ソイヤー役のジェイミー・フォックスの大統領としての威厳と大統領とは思えないフットワークの良さとが実にうまく表現されていました。テロ組織の親玉エミール・ステンツ(ジェイソン・クラーク)も結構目立っていました。見たことのある顔と思ったら、「ゼロ・ダーク・サーティ」や「華麗なるギャツビー」に出演していて、それが印象に残っていたようです。一度見たら忘れられない特徴的な顔の俳優です。悪役顔かと思ったら、CIAのビンラディンの追跡チームリーダーだったりします。光ったのはホワイトハウスのツアー・コンダクター。名前はわかりませんが、緊迫した場面が続く中に軽妙なしぐさと会話で緊張を和らげてくれたと思います。前半のテロ組織がホワイトハウス内部に侵入するときの手口と警備の無能さがやや荒っぽい筋立てになっているのは安直です。映画室の作業員や清掃員に扮した怪しい奴らが簡単に入れるのは、現実には考えにくく、もう少しありそうな方法を考えてほしかったと思います。それから、大統領が何人も変わったのに、ソイヤー大統領の指紋認証が生きていたという所も説明がなく物足りません。それに、3回目でジョンが護衛しているイーライという下院議員に大統領の権限が継承されるというむちゃくちゃなストーリーも、プロットのつじつまを合わせるようでちょっと無理があります。映像でも、大統領の継承のために宣誓する場面があわただしく描かれていて、今だったら製作者たちの気恥ずかしさを表しているように感じます。この映画を見ていて本当に核のボタンは大丈夫なのかと心配になってきました。ということで、細かい部分で納得がいかないところがありますが、スケールの大きい戦闘場面がすべてを帳消しにしてくれます。ただ、最後にジョンとステンツが武器ではなく、殴り合いで決着をつけるところが、いかにも臭くて笑ってしまいます。公式サイト
2013年08月17日
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2004年末のスマトラ島沖地震によるタイ南部6県のブーケット島などのリゾートを擁するダマン海に面する地域を襲った津波により離れ離れになるスペイン人家族の実話をもとにした映画。 映画が始まってしばらくするといきなり津波の場面になります。海辺の近くのホテルのプールで遊ぶスペイン人の5人の家族はあという真に津波に襲われます。長男と母親は他の3人と少し離れたところにいました。津波に襲われた後でお互いを見つけた二人は壮絶な戦いの後、木に登ってやっと津波から避難します。しかし、母親はその途中で足に大けがを負ってしまいます。しばらくして、現地の住民が助けに来てくれ、親子は九死に一生を得ます。母親のけがは悪化し、現地の人たちが母親を病院に運搬します。病院は混乱の極みです。母親は治療も満足に受けられない状況で次第に病状が悪化していきます。もう少しで手遅れになるところで、なんとか手術をして、死地を脱出します。途中病院の手違いにより長男と離ればなれになることもありました。一方、残りの3人は、救出され、子供たちは安全な山に非難します。父親は津波が襲った現場で母親と長男を探しますが、見つかりません。そのあと、収容されていると思われる病院をしらみつぶしに当たりますが、なかなか再開することができませんでした。探す病院があと二つになった時、幸運が重なり彼らは再会を果たします。。。。実話をもとにした映画だそうですが、津波に襲われた時の様子が実にリアルに描かれています。東日本大震災の時の津波での死因として溺死が圧倒的に多いのですが、そのほかに物に衝突したり、刺されたりして死ぬことも多いということを知りました。宮古の重茂半島では平均時速115kmだったと言います。これから考えるとタイの津波でも数十キロは出ていたと考えられます。人間が数十キロで走って、物にぶつかってしまうのと同じことです。これで大怪我をしたり死んだりしないわけがありません。この家族が全員生還できたのは、津波で死ななかったこと、救出してくれる人がいたことなど、いくつもの幸運が重なったことが原因でした。こういう自然脅威に対する人間の無力さもまざまざと感じます。この映画ではアカデミー主演女優賞にノミネートされたナオミ・ワッツなどの大人よりも、子供たちの演技に心を打たれました。長男ルーカス(トム・ホランド)の頑張り、末っ子サイモン(オークリー・ペンダーガスト)のけなげな振る舞いなどまさに迫真の演技だったと思います。こういう演技をされたら、大人のどんな演技も色褪せてしまいます。ところで、予想に反して沢山のお客さんがはいていました。まだ震災から2年ちょっとしかたっていないのにもかかわらず、こんなに入っていると少しびっくりしました。盛岡での上映だったので、これが実際に被害にあわれた人だったら、まだまだ正視できない映画だろうなと思います。最後に、怪我をした妻が、専用の飛行機で搬送されるのを見て、保険会社のサービスでこんなのもあるんだと、びっくりしてしまいました。公式サイト
2013年08月07日
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