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妊娠と夫の転職を機に、夫と一緒に住んだアフリカの国を去ってから、はや10ヶ月が経ちました。その間、自分の実家に5ヶ月、夫の実家に5ヶ月、「居候」をさせてもらいました。気がつけば、一年近く、自分の家でないところに住んだことになります。これは、10年以上の間、一人暮らしを満喫し、結婚してからも自分のペースで自分の好きなように暮らすことを大事にしていた私にとっては、かなり新しい経験です。今、お世話になっている夫の実家には、義母、義弟、義妹が同居している上に、別途居を構えている義姉や姪たちもほぼ毎日のように訪ねてくるので、みんなが集まると、ちょっとした人数になります。私がこれまで慣れ親しんだ核家族の環境とは、かなり違う雰囲気です。自分と娘だけの部屋をあてがってもらってはいますが、いわゆるプライバシーは、あってないようなもの。この家では、みな、自分の部屋の扉を開け放していて、誰もが勝手に出入りするからです。身の回りで起きたことも、みんなに話すのが当たり前という雰囲気。夫から電話があったときなど、みなに口々に「どうだった?何て言っていた?」と聞かれるし、夫からのメールに書いてあったこともある程度「報告」しないと、「なぜ教えてくれなかったの?」などと言われてしまいます。はじめの頃は、そんな環境に戸惑いと不快感をおぼえていました。一人でゆっくりしたいときや、仕事にいそしんでいるときに、他の人たちがドヤドヤと部屋に入ってきて、娘を囲んでにぎやかに話し始めたりすると、イライラしたり、ため息をつきたくなったり。夫の電話やメールの内容を、なぜいちいち「報告」しなくちゃならないのかしら、と不満に感じたり。でも、慣れるにつれて、「大家族」のありがたさも身にしみるようになってきました。私がちょっと眼を離している間に娘が泣き出したりすると、近くにいる誰かが自然に様子を見に行ってくれます。出産後、二ヶ月経って在宅の仕事を再開した後、気がつくと、義母や義妹が娘の相手をしてくれる時間が増えています。用事があって出かけたいときも、忙しい中、みなが予定をやりくりして、娘の面倒を見る時間を作ってくれます。私が、「みんな忙しくて大変そうだから、出かけるのを止めにするわ」などと言うと、「何を言っているの、大丈夫よ。何とかするから行ってらっしゃい」と、気持ちよく送り出してくれるのです。「あなたの都合なんだから、あなたが何とかするべき」「忙しいのに、こんなことまで背負い込まされて迷惑」といった言葉は一切聞きません。各自ができる範囲で助け合うという形が、ごく自然に、しかも気持ちよく行われているのです。ここでは、「私のもの」「あなたのもの」「私の責任」「あなたの責任」というよりも、「みんなのもの」「みんなの責任」という感覚なんだなあ、と、つくづく感じます。娘の面倒を見るのは、母親の私の責任(だけ)ではなくて、みんなで助け合うもの。そんなみんなのサポートにどんなに助けられたかしれません。気がつくと、私も、仕事が忙しくても、できる手助けをしたり、誰かが訪ねてきたときには相手をしたりするようになっていました。予定が狂って焦ることもありますが、その後、自分が思わぬサポートに助けられたり、仕事が思ったよりも早く済んだりして、結果的に帳尻が合うことが多いことにも気がつき始めました。自分の周りで起きていることや、夫との会話をみんなに話すことも、少々うっとうしくはありますが、慣れてしまえば、「みんなで分かち合えばもっと楽しい」に近い感覚になってきました。そして、最近、しみじみと考えるのです。自分のペースで生活することや、周りに干渉されないことや、プライバシーを守ることは、いつの頃からか、私にとってとても大事なものになってたけれど、果たして、何のためだったのだろう?と。もちろん、今でも、自分のペースで好きなように暮らすことの快適さは大好きです。今の環境でずっと暮らしたいか?と聞かれれば、「はい」と即答できないことも事実(笑)。でも、今まで、「これだけは絶対に守りたい」「これだけは絶対にイヤだ」と思っていたことが、フタを開けてみたら、思っていたのとはちょっと違った、と気がつくことができたのは、貴重な経験でした。そんな経験をプレゼントしてくれた娘、夫、そして夫の家族に感謝しています。
2008.02.18
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生まれて間もない頃、娘を見ていると、つくづく、「新しい世界にやってきたばかりなんだなあ」と感じたものでした。ちょっとしたことにも心もとなそうだったり、不安そうに泣き出したりするとき。抱いたり手を握ったりしてあげないと寝付けないとき。抱き上げると、落ちてしまうと感じるかのように手足をバタバタさせるとき。そんなとき、私の心臓の音が聞こえるように添い寝してあげたり、おくるみにしっかり包んで抱いてあげたりすると、娘は安心するようでした。寝ているとき、妊娠中によく聴いていた音楽を流してあげると、心なしか息づかいがやわらいで、かすかに微笑むように見えました。お腹の中にいた頃のことを思い出すと安心できたのでしょう。この世の中を見てみたくて、いろんな経験がしたくて外に出てきた娘。でも、いざ出てきてみると、勝手が分からないことばかりで、今まで知らなくて済んだストレスもあって、彼女なりに大変なんだろうな。そう思うと、それまでのように心地よいお腹の中で守ってあげられないことに、少し切ない気持ちになるのでした。それから二ヶ月以上経って、娘は新しい世の中にどんどん適応しています。生まれたばかりの頃のはかなげな雰囲気に代わって、元気いっぱいの「現実」そのものの雰囲気をかもし出しています。好奇心もいっぱいで、ベッドに寝かせておくと退屈してご機嫌ななめになることが多い。反対に、周りが見えるように抱いたりベビーカーに乗せたりして、家の中や庭のいろいろなものを見せてあげると、眼を大きく開いて、興味津々といった表情であたりを見回します。青い空や、暖かい日差しや、さわやかな風や、庭の植物や、義母が大事にしている家の中のものやらを、みんな楽しませてあげたいな……。そんな気持ちにさせられます。そんな娘の成長ぶりには眼を見張るものがありますが、それでも、いまだに「この世界」と「違う世界」のはざまを行き来しているように見えることがあって、驚かされます。何か私たちに見えないものを見ているかのように、ふいに声を出しながら楽しそうに微笑むとき。反対に、悪い夢でも見ているのか、何の前ぶれもなく、突然泣き出すとき。考えすぎかもしれませんが、何か、私たちが忘れてしまった大事なものと交流しているように感じられたりします。昔から、童話の世界では、子どもたちだけが見たり話したりできる者たちが登場しますが、ひょっとして、娘もそういう者たちの存在を感じているのかもしれません。娘がもう少し大きくなった時も、まだその「大事なもの」を覚えていてくれたら。そして、私にも思い出させてくれたら。そんな期待をしてしまう今日この頃です。
2008.02.13
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娘が生まれてからしばらくの間、気がつくと、夜中の授乳の合間が大切な息抜きの時間になっていました。夜中の3時や4時に起きて、授乳した後、すやすやと眠り始めた娘をそっと寝かせて、哺乳瓶を煮沸するために台所に下ります。そして、眠い目をこすりながらお湯が沸くのを待っている間、庭に出てみると、とても気持ちがいいことに気がついたのです。ひんやりした夜気と、みんなが寝静まっている時間のひっそりとした静寂が心地よく、晴れわたった空に星がきらきら輝いていたり、月が見えたりするのを見上げていると、何とはなしに気持ちまでゆったりと静かになっていくのでした。早朝の時間もそうでした。明るくなり始めた空に静かな月がかかっていて、鳥たちがさえずり始め、すがすがしい空気が流れていく。新しい一日の始まりならではのさわやかな時間。眠気に代わって、身体の細胞が少しずつ目覚めていくような、そんな感じです。みんなが寝ている間、自分だけがちょっと特別な時間を独り占めしているような気にさえなったものです。それまでは寝るのが大好きで、そんな時間に起きたことなどほとんどなかった私にとっては、新しい発見でした。娘の世話にてんてこまいで、バタバタとあわただしく過ぎていく一日の中で、わずかでも、ひとりきりで自然と触れ合うことのできる心静かな時間は、とても貴重なものでした。そんな時間を持てるのも、夜中に授乳する母親の特権かもしれない、と思ったりもしました。生まれて約二ヶ月経った今、娘は夜、かなりまとまった時間寝るようになり、夜中に哺乳瓶を煮沸することもめっきり少なくなりました。身体はとても楽になって助かっている一方で、あの特別な時間がちょっぴり恋しい気もする今日この頃です。いろいろなことが移り変わっていく中で、その時にしか味わったり楽しんだりできないものがある。当たり前のことですが、そう感じます。娘と接する時間にしても同じこと。どんどん成長して変わっていく彼女の様子に驚嘆の思いを感じつつ、今しかないこの時間をしっかりいつくしみたい、そう思います。
2008.02.03
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