JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.14
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カテゴリ: 海外旅行
3日目のこの日、2連泊のホテルからの観光出発時間は9:45。
よってこの朝はトランク無しでホテルのフロント前へ。



ソフィアで行われた『European Volleyball Gala 2019』
2019男子欧州バレーボール選手権は、欧州のバレーボール団体であるCEVが主催する
男子欧州バレーボール選手権。 EuroVolleyは、ベルギー、フランス、オランダ、
スロベニアの4か国で初めて開催された。
CEVとは欧州バレーボール連盟(Confédération Européenne de Volleyball)
トーナメントは、2019年9月12日から9月29日まで開催されたと。
2019年10月26日(金)、ここホテルマリネラで毎年恒例のヨーロッパバレーボールガラの
2019年版が開催されるようであった。スポーツの過去と現在のスターの一部を祝う機会で
あるだけでなく、 CEVとブルガリアバレーボール連盟(BVF)との非常に緊密で実り多い
協力関係を祝う会であるようだ。



そして集合時間前には見事に全員集合し、定刻にホテルを出発し、この日の最初の観光地である
世界遺産『ボヤナ教会』にバスは向かう。
ホテルを出て "Cherni vrah"通りを北上。左手にはこの朝の早朝散歩で歩いた歩道が。



左手に、朝に渡った『国立文化宮殿』に向かう "Bulgaria" 通りにかかる巨大な歩道橋、
そして『国立文化宮殿』が見えた。



左折して"Arsenalski"通りを西に進む。
道路脇の木々は黄葉を初めており、植裁も美しく維持管理されていた。



"Bulgaria"通りを進む。左手には路面電車の線路が。



 "Daskal Stoyan Popandreev"通りを世界遺産『ボヤナ教会』に向かって更に進む。



ヴィトシャ山(Витоша)の上には現在は使われていないというテレビ塔が。
ヴィトシャ山は、標高2000m級の山々が連なる連邦で、最高峰は、2290mあるとのこと。




ボヤナ村があった。高台で少し空気の良い住宅街、社会主義時代は迎賓館や上役員、共産党の
名士などの公邸が建てられていたのだと。20世紀の半ばごろからは、建築が進んで高級住宅街と
なり、新築マンションの建設ラッシュ、スーパーにオシャレなレストランが軒を連ねた。
民主化以来、新エリート集団が立派な邸宅を建て始めたと。
そして1979年に世界遺産に登録された『ボヤナ教会』に到着。時間は10:13。
下の写真の大きなアメリカ杉が目に付いた。
説明板によると「この巨大なアメリカ杉は1907~1908年ごろ、フェルディナンド王に
よって植栽された」と書いてあった。
ブルガリア国王フェルディナンドはバルカン戦争や第一次世界大戦に参戦する等ブルガリアの
領土拡大に意欲を示したが、第1次世界大戦でドイツをはじめとする同盟側について敗戦、
最後は鳥類学と植物学の専門家としてその生涯を終えたと、ウィキペディアより。



壁に囲まれた小さな門が1つ置かれてい。
ここが『ボヤナ教会(Боянска църква музей)』の入口門。



『世界遺産』の案内ボード。
ユネスコ世界遺産リストに1979年登録。



『ボヤナ教会』の横の墓地に埋葬されている
『​ ブルガリア女王 エレオノラ(ELEONORA)







『聖ニコラ・聖パンテレイモン ボヤナ教会』案内板。
『ボヤナ教会』はブルガリア正教会の教会堂。
2階建ての教会の東翼は、元々10世紀後半ないし11世紀初頭に建てられたものであり、
その後、第2次ブルガリア帝国の下で13世紀に中央棟が加えられた。
西翼がさらに拡張され、現存する形が完成したのは>19世紀半ばのことであった。





『ボヤナ教会』正面。
これだけみると大した教会ではなさそうなのだが、中がすごかった。



『アンドレ・グラバール(André Grabar)』について書かれた石碑。
この大理石の碑にはブルガリア語、フランス語、英語で書かれていた。
「アンドレ・グラバー 1896年~1990年
著名な考古学者、コレージュ・ド・フランスでのビザンチン考古学の教授
ハーバード大学と、フランスのアカデミーデ碑文ら芸術のアメリカアカデミーの純文学と
科学とのメンバーを20世紀のビザンチン美術研究の創設者であるブルガリア科学アカデミー、
およびボヤナ教会とブルガリアのビザンチン美術に関する最初の出版物の著者。」
ユネスコ世界遺産リストに1979年登録された際に貢献した人物なのであろうか?



内部見学は1回につき最高8人で10分間までであると。
『ボヤnナ教会』の周囲の公園内での飲食は禁止と。



再び正面から。この部分は19世紀の建物。



側面を見るとレンガの色、形、石など3つに分かれているのがなんとなく解ったのです。



写真右側は1048年に創建された聖ニコラウス聖堂、真ん中の一番大きな教会は1259年創建の
パンティレイモン聖堂、そして左が1845年創建の第三聖堂と、ボヤナ教会は、
3つの聖堂からなるブルガリア正教会なのです。



『ボヤナ教会 Boyana Church

英語でも併記。1979年10月26日ユネスコ世界遺産リストに登録



繰り返すが『ボヤナ教会』は、10世紀後半から11世紀初頭に建設された東側教会(写真右)、
13世紀初頭の第二次ブルガリア帝国時、セバストクラトール・カロヤン
(Sebastocrator Kaloyan)の命により中央に建設された教会(写真左)、
19世紀初頭、西側に追加建設された第3の教会による3つの建物で構成されているのだ。







『ボヤナ教会』の正面に向かって左側の壁を教会裏側から。
やはり左側に行くほど歴史を感じさせる壁が確認できた。



教会横の墓地。これがブルガリア女王 エレオノラ(ELEONORA)の墓なのであろう。



そして順番が来て我々グループが『ボヤナ教会』内部へ。
ボヤナの教会が世界的に有名になったのは、ブルガリア中世美術の高水準を物語る1259年の
壁画のため。240枚ある絵の一枚一枚は個性が溢れていると。
資金提供者の伯爵夫妻とコンスタンティン・アセン・ティフ王(在位1257~1277年)と
王妃のイリナの肖像は、歴史人物の肖像画でブルガリア最古のもの。
拝廊では、教会の守護聖者の一人、聖ニコラの生涯場面が18枚描かれており、その中には
画家を取り囲む当時の時代の現実が描かれていた。聖者像には、ブルガリアの国民的聖者、
10世紀にリラ修道院を築いた聖イワン・リルスキーの最古の絵も。
また、壁に描かれた聖エフレム・シリンの目は、信者を追うかのような錯覚を起こしてしまう
ところがあるのだと。
教会内部は現在撮影禁止であったため、ガイドブックの写真を掲載させていただきます。
一番最初に建てられた聖ニコラウス聖堂の一番奥には、十字架状の支えが作りつけられてある
祭壇スペースが。その上の部分には聖母マリアとキリスト、さらにその上には、弟子を従え、
白く光り輝くキリストの姿も。これは聖書にあるキリストの変容を描いたものであると。
写真右側に描かれているのはボヤナ教会の聖人「聖ニコライ」で横には、聖ニコライの生涯の
18の場面も見られると。



「法律学者とキリスト」(1259年)。キリストと法律学者との論争(?)の様子だろうか。
13世紀に増築された中央棟の南側壁面上部にあった。







最も古い壁画層は12世紀のもので。
世界遺産に登録されているものは13世紀に描かれたフレスコ画ですが、11世紀のフレスコ画の
上に描かれたものなので、もちろん11世紀のものもかすかに残っていた。
聖ニコライの右横、少し壁が奥に入っているところの上では、壁がはがれ、光輪に包まれた
ほかのフレスコ画とは少し違った描写の絵が見えている。
ほとんどは薄くなり、見ることはできないが、この写真のフレスコ画は綺麗に残されていた
のであった。



13世紀に描かれたものは入り口横に展示されていた。
時代も絵の技術も違うのだろうが、表情、首の傾け方などがなんとなく似ていたのであった。



13世紀に、当時ソフィアの地方の領主だったカロヤン伯爵(セヴァストクラトル)と
夫人デシスラヴァの資金で、後には霊廟に使うために2階建ての部分が増築された。
二人が残した碑文によると、2回目の壁画が施されたのは1259年。
修復工事で名前が明らかになった二人の画家、ヴァシリエとディミタルが旧部分の壁画の上、
そして新築の2階建てに壁画を描いた。
資金提供者の伯爵夫妻とコンスタンティン・アセン・ティフ王(在位1257~1277年)と
王妃のイリナの肖像は、歴史人物の肖像画でブルガリア最古のものとされている。
特に、カロヤン伯爵夫人のデシスラヴァは、美しく魅力的に描かれているので、
この画家はデシスラヴァが好きだったのではないか・・・という説もあるのだと。

「カロヤン伯爵夫婦の絵画」
現地の専用ガイドによると伯爵の手にはこの教会がのっていると説明されていたが、
確かにいわれてみればそのように見えた。



こちらは現地のポスターから。



イタリアのサンタ・マリア・デッリ・グラッツェ教会に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチ作で
有名な「最後の晩餐」(1259)。この有名な場面も、東棟の北側壁面(左側)上部に描かれていた。
処刑される前夜、イエスと12使途たちと共に取った夕食の姿が描かれていつのだ。
12使徒の表情が豊かでついついずっと眺めてしまいたくなる作品。
これは、ルネッサンス期以前に描かれたものであるにもかかわらず、ルネッサンスの手法に
酷似している貴重なものとされていると。



拝廊では、教会の守護聖者の一人、聖ニコラ(オランダではシンタクラース)の生涯の場面が
18枚描かれており、その中には画家を取り囲む当時の時代の現実が描かれていると。





東棟の頭上に目を移すと、ドームには『全能のキリスト』(1259)、左手に福音書を持った
キリストの姿が。右手は祝福の動作を表していると。
キリストが今にも降りてきそうなそんな臨場感あるフレスコ画。



長い年月を感じさせない見事に残っているフレスコ画に感動しっぱなしの10分間であった。
そしてツアー仲間全員が見学後に
世界遺産『ボヤナ教会』を後にし出口(入口)に向かった
のであった。
そして再びチケット売り場前を通過。



観光記念メダル作成器であろう。



出口には絵画の土産物売り場が。



特に『ボヤナ教会』とは無関係の絵がズラッの並んでいた。



我々のバスの前で我が旅友がいつもの満面の笑顔で。



駐車場に出るところに陶製の写真入りの塔が立っている。キリル文字で書いてあり、
私には内容が判らなかったが、1912年の死亡者を弔うもののようで、
バルカン戦争の時この村から出征した兵士の犠牲者を弔ったものと。



そして車窓から『ボヤナ教会』も見納め。



そして次の観光地のリラに向かって”Aleksandar S. Pushkin“通りをバスは走る。



道路中央で、信号待ちの車に何か?を売っている?オジサン。
オジサンの右手にはブルガリア国旗が。ぶら下げているボードには『areon』の文字が。
『areon』は 芳香剤のようであるが、車内用を販売いやPR中?



『Temple Sveti Prorok Iliya(スヴェティ プロロック イリヤ寺、
Храм „Свети Пророк Илия“)



建物の壁には見事な景色、路面電車の姿も描かれていた。



ここが路面電車の終点、そして折り返し地点であるようだ。



ウラダヤ川沿いに走るブルガリア6(E871)号線を走る。
E871はユーロ圏内「European route 」での共通名称。



ガソリンスタンド近くにあった巨大な石像は?




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.12.06 23:49:14
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