JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.15
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カテゴリ: 海外旅行
E871号線を100km先のリラへ向けて南西に進む。



前方に煙突が6本。交通量も多くなってきた。



片側3車線の高速1号線をひたすら走る。



田園風景が続く。



ペルニク( Перник)の東 にある発電所の巨大なクーリングタワーから白煙が。
このツアーでは、風力発電、太陽光発電施設はほとんど目にする事がなかったのであった。



リラ村の手前にあるコチェリノヴォ(Kocherinovo)まで4Km。



東に向かって107号線を進む。所々に放牧中の牛馬、羊の姿が。







Kocherinovo村の屋根の上にあるのは、コウノトリの巣であると。
コウノトリは東アジアだけに住む鳥とばかり思っていたが。
ネットで調べてみると、このコウノトリは日本で見るコウノトリとは、異なり
実はシュバシコウ(朱い嘴のコウノトリ)と呼ばれる種類らしい。
そしてこちらは絶滅危惧種とはほど遠く安泰であるとのこと。
日本のコウノトリの嘴は確か黒であったと思うが。
そしてこのコウノトリの姿を見ることが出来るのは春であると。
日本のツバメの如く毎年、同じ巣に戻ってくるのであろうか?
そしてツル類は鳴くが、コウノトリの鳴き声はテレビでも聞いたことが ないのであるが・・。



この地のコウノトリの姿をネットから転載させて頂きました。
なるほど、日本のコウノトリと異なり嘴が赤い!!。


https://tokuhain.arukikata.co.jp/pleven/2014/06/post_56.html 】より


Ivan Rilski通り沿いのモニュメントには銃が。
「1877-1878」の文字があらうことから、「露土戦争(ろとせんそう、1877年 - 1878年)」の
記念碑なのであろう。
「「露土戦争」はロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の間で起こった戦争のひとつ。

それを支援するかたちでロシアが介入して起こった戦争。
ロシア帝国の勝利で終わった」と ウィキペディアより。



リラ村へ向かう途中の並木道は美しく黄葉を始めていた。
バスの後部座席から、ズームてバスのフロントガラス越しに撮影。



リラ村を通過すると107号線の車窓左手上に巨岩の山が。



車窓から山の上には十字架・Sanctuary Krasta (The Cross)が。



巨岩が更に続く。



道路左手には渓流・Rilska川が現れた。



山々は黄葉が始まっていた。



所々にレストランが現れる。



道路脇にはミツバチの巣箱がズラッと並んでいた。



昼食のためにリラ村にあったHOTEL GORSKI KUT内の レストランに立ち寄る。



入口。
サマーテラスを備えたこのレストラン。



スープは『タラトール(Таратор / Tarator)』。
ここブルガリアをはじめとする東ヨーロッパの各地で食されているスープ。
特にブルガリア名物として知られる。
冷製ヨーグルトスープ。前菜。トルコや東部地中海沿岸地方ではソースとして、魚料理などと
共に供される。
ヨーグルト、クルミ、ニンニク、キュウリ、ディルやパセリなどのハーブ、ビネガーまたは
レモン果汁、塩、オリーブオイルやひまわりオイル、水などが主な材料。



鱒のグリルとジャガイモ。



美味しくてアッという間に見事に!!たいらげる。



バニツァ(Баница(ブルガリア語)、Banitsa、banica、banitza)は、

ブルガリアで伝統的に食べられているキッシュやパイによく似た料理。



高度が上がるにつれて黄葉はピークに。



道路脇にはハチミツを売る店が所々に。



山の黄葉を楽しみながら進む。



『リラ修道院』の駐車場前にソフィアから2時間半で到着。
時間は14:31過ぎ。



リラ修道院はリラ山脈の北西、及び海抜1147mの高さにあるリラ川の深い低地にある、ブ
ルガリアの首都ソフィアから117キロメートルに位置する。
非常にひっそりと佇んでいた。強固な外壁は、まるで要塞のごとし。
リラの修道院の表入口。
リラの僧院にはいわゆる「ドレスコード」があり、タンクトップ、袖なしのワイシャツ、短パン、
ミニスカート等では修道院内部には入場できないようであった。
この修道院の歴史は10世紀にまでさかのぼると言う。



それは10世紀のブルガリアでのこと。世を捨て山に入り、ひたすら修行に明け暮れ、
神の声を聴くに至ったひとりの僧がいた。僧の名はイヴァン・リルスキー。やがて彼を慕う
僧や信者たちが集まり僧院が建てられ、壮大な修道院に発展した。
それが、ブルガリアが誇る世界遺産、リラ修道院の創設にまつわる物語。
首都ソフィアから南へ約120km。リラ山脈の山懐に抱かれたリラ修道院は、統治者の庇護を
受け14世紀にはブルガリアの宗教・文化の中心になっていた。
しかし1396年からブルガリアは、約500年にわたりオスマン・トルコの支配下に。
キリスト教信仰と自国の言語の使用も制限された。それでも屈することなく、リラ修道院は
信仰とブルガリアの文化を守り抜き、オスマン・トルコも黙認せざるを得まかった。
リラ修道院がブルガリア正教の支柱的存在、ブルガリア人の心の拠り所といわれる所以。
残念なことに1833年の大火で建物の大半を失ったが、建築家、芸術家たちが結集し、
19世紀後半には見事に再建。城壁のような外陣(修道士の居室)に囲まれて建つ聖母教会は、
タマネギ型のドームと白黒で装飾されたアームの列柱廊を持ち、壁、柱、梁、天井を埋め尽くす
極彩色のフレスコ画は、ブルガリア宗教画の至宝といえるのだと。
入口の門の中央に描かれているイヴァン・リルスキーのフレスコ画をズームで。
入口は意外と小さな作りとなっていたがが、そこは既に美しいブルガリア正教会の世界観が
描かれていたのであった。



アーチ状の入口は色鮮やかで、美しい青い色が目を惹いたのです。



太陽の如き象形の中に顔が描かれていた。



ユネスコ世界遺産(1983年、文化遺産)に登録されている。



リラ修道院の案内板。



入口門の内部そして天井の美しいフレスコ画。



門の天井にも美しいフレスコ画が。



囚われの身の姿も。



現代アートの如きデザイン。



アーチ型の門と歴史を感じる石畳を通り抜けると、圧倒的な『リラの修道院』の魅力が
眼前に現れたのであった。
正面のドームが『聖母誕生教会』。
1833年の大火後、民族復興様式で再建され、もっとも中心的な建物。
白黒の縞模様のアーチ内はアーケードとなっていて、壁と天井一面に色彩豊かなフレスコ画が
見事に描かれていた。36の聖書の場面やこの地方の生活の様子が極彩色のまま保たれているのが
素晴らしいの一言。



4階建ての住居のある外陣には、300もの部屋、4つの聖堂、
大修道院長室などが入っているのですが、残念なことに立ち入り禁止!
イヴァン・リルスキーと言う僧が隠遁の地として選んだのが始まりで、
現在の形になったのは14世紀。
近くの山の上にはイヴァン・リルスキーを祀る祠があり、初期の隠遁生活をしていた洞窟もあると。
ブルガリアは500年もの間オスマン帝国の支配下にあり、世の中全てイスラムでなければならない
時代に、ここだけは秘かに許されたのだと。
リラの修道院の『僧坊』。居住区は300室、今も修道士が生活をしているとのこと。



の中ごろに大火があり、ほぼすべてが焼失したと。そ
の中で焼け残ったのが「フレリョの塔」。
要塞のようなフレリョの塔は修道士とフレリョ領主とその家族の防衛のために建てられたようで、
壁に開く縦長の細い銃眼や、物資を釣り上げるための穴等が見て取れる。
この塔は14世紀に建てられた当時のそのままの姿だと言われているのだ。 



黄葉の山々を背景に。



右手が『フレリョの塔』。
要塞のようなフレリョの塔は修道士とフレリョ領主とその家族の防衛のために建てられ、
壁に開く縦長の細い銃眼や、物資を吊り上げるための穴等が見て取れた。



僧院内で唯一1833年の火災を免れたのが、この『フレリョの塔』。
14世紀に建てられた当時のままの姿がここに残されているのだと。
石造りの塔の外壁には壁画が施されているのであったが、ほとんど色褪せもせず美しさを保つ。
1階には土産物屋が入り、宗教関係の土産物が並んでいた。



『聖母誕生教会』の西側横に聳える、リラ修道院内で最も古い建造物の鐘塔。
14世紀の大地震後に再建された現存する唯一の建物。
塔の前面にある鐘楼は1844年に後から取り付けられたもので、中には大小様々な鐘が
取り付けられていた。高さが24mある外壁はほとんど褐色せず、正面に描かれたフレスコ画も
色鮮やかで見応え十分であった。



14世紀にセルビアの貴族フレリョ=ドロゴボラの寄進により建造。
堅牢な姿を伝える鐘塔では、今も修道士が時を知らせており、山中に響く鐘の音を聴くと、
往時の光景が蘇ってくるとのことであったが残念がら・・・・。



聖堂の横にある墓標は、修道士 ネオフィト・リルスキの墓。
修道院内に学校を作るなど、相当な貢献をした人だと。



縞模様の壁が印象的。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.31 17:14:19
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