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1、◇桂福團冶「ねずみ穴」が落語を好きになったきっかけ。親を亡くして後、蔑みうらみ憎んだ兄弟の仲、最後にはうらみを解き許し合い一つになって抱き合うという話2008年12月31日20時本日夕方になってそろそろと、テレビの部屋から抜け出してきた。落語を4、5本観た。(「愛宕山」「立ち切れ線香」桂文枝、「辻占茶屋」林家染丸、「ちりとてちん」桂南光・桂あやめ)寝転がって観ていたので途中でうつらうつらしどうしだった。が、内容はだいたいわかっていたため真剣に意味を解そうとやっきと見入る必要がなかった。子守唄として聞くのに非常にいいものだと思っている。聞きながら気持ちよく眠れる。おじいちゃんの昔話を聞くようだ。生まれた時には既に祖父達は他界していた。今思えば皆逝くのが早めだったのだな。今ここで思う。私は落語を通じて祖父との関係をこさえているというわけだ。はじめて落語に「おやっ?!」食らいついたのは桂福團冶の「ねずみ穴」笑う場面は一つもなかった記憶。これが落語ならなんておもしろい昔話であろうか。日曜早朝NHK5時15分から45分迄の30分の番組「日本の話芸」をここ数ヶ月欠かさず観ている。最近見方が変わった。あらかじめ、番組表で次は誰の、何の演目がかかるかネットで調べておく。内容を予習しておく。12月28日は「抜け雀」三遊亭好楽。この話は何を言わんとするものなのかを理解しようとした。私は2日かけてそれをすっかり理解したような気持ちになった。2、◇目標を立てる意味がわかった。はじめに目標という形を定めれば、その形にいのちが吹き込まれていく。その月のはじめというのが新月の日。食べるためでもあるが、神様の対話のようだ。これは私に向けての神様がくれた礼拝説教と思った。27日から正月休みに入った私が一番はじめに手をつけたのは来年翌月の目標ポスター書きであった。墨汁と筆でA4用紙に目標数字と具体的な内外の映像化を書いてみた。「死」の夢を見たと昨夜書いたが、霊界に関する本を色々読んでいたのだった。「思ったとおりになる所それが天国」という内容があって大変興味深く思った。「抜け雀」とは名人画家が雀を描いた。それが朝になると本物の生きた雀となり絵から抜け出して、また絵に戻るという名人技。後に父親名人画家が来て、このままだと雀はいつか死んでしまうと、その絵に鳥籠と止まり木を描いて去る。雀は朝抜け出て、帰って来たときは籠に入り、中の止まり木に留まるという動きを見せた。再び息子がその絵を見て言った言葉がこの作品のおちとなる。「親に籠を描かせるとは親不孝だ」親に籠かきという卑しい仕事をさせた親不孝の意味。または死者を乗せた籠の野辺おくりの意もあり。「先立つ親不孝を許して下さい」という意も。ネットで探し当てたのだが。聖書の最初のページにはじめに言葉あり、次に息が吹き込まれ生きたものになっていくという話があった。名人とは堕落前の本来の神の子である人間の意味、描けば命が宿る。3、◇聖者の絵、描くことによってその人の崇高な魂が浮き出て復活するかのようだ。絵を描く画家は僧侶のようであり、祈りはその方の魂を引き上げ栄誉の光に包まれたのではあるまいか。言葉も絵も同じかもしれない。詩人も画家も通じるものがある。はじめに目標を立てるとは、「こうしたい」という目標という形を定めれば、その形に息が吹き込まれていく。気づいたら手に入っているというもの。「抜け雀」を観た日の夜、観た番組は「ペテロ岐部」という宣教師と殉教した人々の話。岩手県水沢市の場面が出てきた。夫の親戚筋の住む地域である。他人事ではないとおもった。その近くには夫の実家の人々が暮らしており、カクレキリシタンの地域は車で何度も通ったことがある。番組ではペテロ岐部を描くフランスに住む日本人画家が登場。1時間でペテロ岐部の姿を描ききる。~モリオという画家、霊能者のようである。子孫をモデルに、また長崎の神学校の生徒をモデルにペテロ岐部を紙に描く。ああ、真っ白い「紙」とは「神」に通ずる。また「髪」もしかり。翌日朝、ペテロ岐部についての文を書いていた。メールの新規作成から下書き文を作っていたが、PC作動停止、文章が消えて無くなってしまった。私は「おまえなんかに書かれたくない。だまっていろ!」私は信仰を全うできなかった踏絵をした人々の子孫かもしれないと思った。または密告して利益を得たような。またはそのように誤解を受けて恨みをかったもの。書く資格がないと思った。4、◇最後の日に罪人であることを自覚させられた。罪の自覚これが私の原点。やりなおし作業をすべく罪なる後孫なるものの仕事。くたびれた衣服が新品のように出来上がる。許される道はある。書く合間に掃除、綺麗にしながらピカピカの新品に甦らせよう。そういう仕事ならいっぱいある。そんなわけで午前9時、私はPCを閉じ、しばらく書くのをやめた。この日29日(月)は久々の晴れ日であったので、私はおおいに家事に張り切った。昨日より再び書き始めたが、下書きの方法を改めた。ワードでA4用紙に裏表2ページ分、文体はMSPゴシック10、5の文字の大きさに設定して、書く文字数もあらかじめ定め、型を作ることにした。これが私の下書きノートである。前日の日曜日一日書いて、原稿用紙54枚分の文字数を書いたのだった。ノートに文字数をメモし、それが原稿用紙何枚分かを書き込んでみる。私は作家遊びをしているのである。今後、1篇分を投稿する場合、A4用紙2枚分なので、プリントして、そこに赤を入れたり、思いつきのプラスをかきこんだり、ネタ帳を本のように作っていく。下書きとして、書いているうちに何かが舞い込んでくる。書いているうちに、自分が本当にしなければならないことが、きっと見えてくる。29日の家事は没頭した。洗濯2回、外出用クリーニングの時は、画家が一時間で絵を書く、そのような気合いで望んだ。全ドア窓開け放ち掃除機、外は風もいいあんばいに吹いていた。布団干し、和室の電燈傘の掃除。アイロンがけには多くの時間を要した。30枚位の衣服にアイロンをあてた。(続き)
2008年12月31日
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1、◇仕事の上司はその年回りの運気を物語っている。(去年偏官の年回りは偏官を月柱に持つ人であり、今年印綬の年は印綬を月柱にもつ人。何て面白いんだろう!)2008/12/30(21時)お父様、ここへやってくるのが夜になってしまいました。「下書き~本文」と「編集作業」ってまるで性質が違いますね。ただ書くのは「傷官」作業ですが、編集は「印性」の作用のようで、かかる時間も長く、もったいない気がします。編集はざっくりで、とにかく書くのをどんどこ、ひたすら道を「歩く」ようにし続けることですね。途中本屋によったりカフェでコーヒーを注文したり、楽しき旅。神様、四柱推命を私に授けてくださったこと感謝します。付き合い続けて16年が過ぎました。物事長続きしそうにない自分としては大変な気の合いようです。ちょっとずつ理解が進んでいく。たとえば、夫と本当の意味で向い合って顔を見るようになったのは私の「食神」年回りだった。夫は月柱「食神」の人だったのだ。結婚と四柱推命は大きな関係があった。夫の美点を生年月日で知った。私は結婚の難しいタイプの人。私の運命の難点をカバーする役割の人いる。夫は、その「カバーする星の人」と知的に理解しただけで、夫という人物の見方がガラリと変わった。仕事で関わりを持つ人、組んでいかないといけない人というのは、その年回りが物語っていると最近知った。夫なる存在は固定で私の全体に関わる人であるが、外での出会いというのはその年回りの人がくる。今年「印綬・長生(傷官)」の年回り。3つの星を見ただけで麗しい。また栄誉も所々にちりばめられていた。後半その星どおりの人と仕事を組んで成果をもたらした。会社での直属上司であるが、私の生活全般の上司は夫なので、そこは礼儀作法をもってキッチリ区別。人はこのように全体のパートナーと、プラスその年ごとの仕事で出会う人との関係をもって形成されるようだ。(21時半)◇落語のネタ作り(私の一年をストーリー化したい。30分で語れるくらいの。今年はどのような年だったかを自身の中でまとめ、神様に報告したい。辛かったことも笑えるオチをつけたい)まるで、その人にとっての年回りの物語は「本」のようである。年の終わり頃になると色々分析できわかってくる。そのストーリーは30分の落語のようでもあり、最後【さげ】で締めなければならない。また、その解説が、自身の中に読み砕かれ、しみじみとした笑い(ほほえみ)で、感謝でもって年月を奉納してゆかなければならない。そう考えた時なんと楽しいのだろう。私の演目はあと何本か。落語30分には演目というお話の題目がある。私の一年にもタイトルをつけることができるだろう。青写真はどうか。そこに四柱推命で知った暦の知識が大活躍をする。(統計学は、農作物を良く育てるところから出発したのだろうか。テレビで「お天気お母さん」という天気を読む農家の方が出ていた。その方は手帳にびっしり記録をつけ続け統計をとっており、先を読んでいる)(21:50)(小休止)総計というと、タクシーの運転手さんも記録をとって仕事に生かしている人が以前テレビにでていた。統計は仕事に生かせるのだ。私も仕事の状況をこまめに記録している。同じことは繰り返される。周期がある。そういうことをして実績を安定させたいという狙い。毎月最低限の数字が出せるように。農家の人もそうしたいのである。食べて生きて行くために。困難を避けるために。還暦祝いとは60種類の年を回りましたということ。種類は60演目のストーリー。同じ年は60年後に再度来る。けど内容は全く同じはずがない。だからその年は一期一会だ。人との出会いも。苦い思いも人も、時が立てば別な人と別な思いと入れ替わっている。私はその物語の中に神様を潜ませたい。神様はお笑いも好きなのだ。「笑って許す。許すから笑えるネタを見せてくれ」(24時)◇「死」の夢を見た。(古いものが終わり、新しく生きるの意味と解した)2008/12/31 私の60年後はおそらく霊界に移動している。体はすでにない。(予定)寿命は神様がお決めになることなので、私は頼まない。拝まない、長生きさせてくれとは。使命があるのなら御心であればこのイノチ引き受けます。だから、いいカードがきても、そうでなくても楽しもうと思う。その回ってきたカードの意味を。神様が一番の御年寄りだ。(失礼)上手に立ちまわる智慧を一番心得ている方。今年の素晴らしい年が過ぎていく。自分としてはまあまあだが、神様としてはご不満のことと思う。私にできること。働いてその日を食べるのが精一杯。できることしかやろうとしない。「随分ラクしてるんだな」そう思われているだろう。「それでいいのかい」いつでも問われている。ターシャ「椅子に座って太っちょになるのはまっぴら」私も死ぬまで働くのがいいと最近思う。体を動かしていたい。神様、まずは生活スタイルを朝型にする。善い文章は朝型と決まっている。詩人の坂村真民氏が早朝によいものが書けると言われていた。早朝から神的本から読む。三浦綾子さんのように文章を書く時は祈ってから書く。朝の時間は毎日限られて、ぐずぐずした生活をおくっていると寝過ごす時間帯。真剣に生きようとする者でなければその時間、神の前に起きてはいない。無駄な時間をカットする。不満や愚痴や悪口は言うのも、聞くのも、話合うのも毒だ。逃げ出させてください。最近、「死」の夢を二回見ました。突然逝くこともありえる。恐怖だったり、その言葉事態を忌み嫌ったり。縁起でもないと思ったり。けれども、「終わる時が必ずくるのだからね。その一部が今日なのだからね。流れをいつ作るのか。いつから取りかかるつもりなのか」おいたてられた。それで神様、私は何かを書きたいと思ったのです。その「死」の夢をあなたは優しく見させて下さいました。「霊界にいくということはね、懐にはいるということだからね」私は地上生活の終了を知った瞬間、安らかなる感動に浸って目が覚めた。恐いのとは大違い。安らかな感動、それはそれまできた道に作品に自信ありますっていう人の心境ではないか。正しく生きたい強くそう思った。(1時)
2008年12月30日
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11、◇「食べることやめました」(マキノ出版/著:森美智代)図書館で借りていっきに読みました。すぐに感想文を著者の方に書くべきでした。読み終えたばかりのアツアツの感動のうちに。クリスマスの日が彼女の誕生日と本で知ったのでしたが、(メールでもすればよかった)と、過ぎたあとに思い出したのでした。「妊婦は経済運があるという話はよくあちらこちらでも聞く」とありました。彼女のお母様も、馬券を当てたりなさったのだそうです。「お腹の赤ちゃんは自分の出産費用くらいは自分で稼ぐ」とありましたので、職場の妊婦さんに教えてあげました。いい話と思いました。森さんのおばさんが、彼女のことを「美智」という名で呼ぶことを知り。私の母方の曾祖母が「みち」という名で、その「みち」おばあさんのことを意識させられました。森さんに唐突にメールを書き出しました。が、出したあと、ちょっと後悔。本を読んでから書けばよかったのです。『2008年10月19日(壬戌月/壬辰日)8:52・・森さんの記事をここ数日ネットで読んでいて、同級生と知った時、この方と友達になりたーい!こころが叫びました。社交的でない一人の時間を好む自分ですが、一人でいるのが特別好きというわけではなく、話したいことを受け留めてくれそうな人がまわりに乏しい・・ただ、それだけのことです。私が話したいことは、日々どういう断食法をしているかとか、断食する中ひらめいてメモしたくなる言葉や霊能力。甲田先生の本から影響を受けたこと。また食は運命を変え、食の節制が悪運を小さく薄めること。断食や少食に関する本を読んだ感想などいろいろです。以前、チラリとネットで森さんの映像を目にした時、私も必要にせまられたなら、牛のような腸になって危機的状況時を克服するだろうと思いました。12、◇(森さん、甲田先生が逝かれてしまったので、私の中では新しく私を引っ張って行ってくれる存在という思いがしたのです)ドラマ「ホームレス中学生」公園の草を食べるシーンを見てからのこと・・ヨモギの柔らかい穂先部分を一握りほど毎日摘み、よく洗って食べるという習慣が、ヨモギのシーズン終わるまでしばらく続きました。洗って水気を絞ります。口の中でモグモグ咀嚼し、ドロドロにして流し込みます。咀嚼を助けるのに何かいいものはないかなと色々試してみました。腸が丈夫な私は、手をかけず青汁成分を取りたかったのです。 コレはイケル!究極的に到達した方法を誰かに話したい。そう思うわけです。「それ、すごくいいね」と共鳴してくれる人が欲しい・・森さんをネットで知って、「この人だー!」探し求めていた、私が出会いたかったお友達だー!そう思いました。森さんに色々話したいし、伝えたい。ただこうして書く相手を得た、書きたい相手を見つけたということじたいに喜んでいます。お姉さんに話したがりの妹のような気持ちです。 容器に麹の味噌+生姜スライス漬け込む⇒汁が出る⇒(漬かった生姜は玄米ご飯のおかずにもなるし、キャベツを刻んだものと一緒に食べたり)⇒味噌+汁⇒そこに粉のクッキングビール酵母を入れて混ぜる⇒バターのような風味がでて美味です。食べにくいヨモギが簡単にドロドロになるのです。この方法で、来春からの野草は断然食べやすくなります。青汁だけの森さんにはイメージだけの話かもしれませんが。 森さんはどういうサプリ食べてるんだろう?そのうちちょっとずつわかってくることと思います。夫は最大の食の理解者です。夫は夜だけの一日一食。加えて私は、日の出前の曙時間から日没時間まで約14時間程断水も。これはイスラームのラマダーン(断食月)の方法。これは試して50日になります。断食関連記事から興味を持ちました。この生活方式は今やすっかり慣れてあたりまえです。』(終わり)13、◇(仙人のような生活の方に、下界の者からのメールは彼女をけがしはしなかったかと、無作法な自分を恥じました)ですが、お婆さんを思いおこさせて下さってありがとうございます。「太鼓をたたいておがんでた」らしい、うちのお婆さんは、何か太鼓を使う宗教を信仰していたのでしょうか。神道系でしょうか。家系図を作成した時に生年月日を記録したはず。ネットで調べれば、おおよそどんな人なのかわかるのではないか・・最近、そんなことを考えます。トルストイやロマンロランの時代の人をも四柱推命をおこせたもので。私は、森さんの情報をネットで得るのに夢中になった時がありまして、本を読む前にメールを書き送ったのです。「へんな人」きっと警戒されたことでしょう。その時はイスラームの断食を続けていました。11月7日の暦の変わり目の日、体が水を欲し、朝の電車の中で水を飲み、日中水なしの断食を終了することになったのでした。日中は水だけの生活に戻ってから、自分本位のメール文を恥かしくおもいました。また出なおしてきますという気分。青汁だけの生活の方に、自分が食している固形物の話を書いているあたりが、自分をおかしいと自覚したものです。彼女と同じ生活基準に立てない者が、「友達」というにはちょっと・・とても恥かしい。ですが、食の究極的な節制が、高い霊能力を磨く結果になられたことを思いますれば、神様はあの方を特別に愛されておられるということでしょう。次、何かを書くときは、やはり手書きで、葉書を使って書くのはどうでしょうか。水を被って、祈って、霊的に研ぎ澄まされたとき、書く機会があればと思います。「今後、読んだら、すぐに感想を書く」これを実践したいと、肝に銘じる思いをもちました。次の別の本に手を出してしまうと、混ざってしまうのです。森さんには続きの本も出していただけたらと思いました。もっと、知りたい。情報を発信し続けていただきたく思います。14、◇断食を終えての感想・・飲食は「喜ばせたい」という神様の愛だとおもったのです。そういえば、同じ四国の人で森さんという名前の友達がいます。名前の感じも似ていて。年齢も同年代で。それで、ますますご縁を感じたものです。ところで、「不食」の本を読んだとき、「田んぼを水抜きして、わざとからっからにさせる。乾ききった田んぼに、ジャーっと、水を吸わせる。稲の質をよくするため」そんな話があったのです。それで、日中、飲食と水を断つ2ヶ月ばかりの戦いが一つの旅となったのです。日中、また2リットルの水を摂るようになってから、容貌が若返ったような、甲田療法のがりがりの色気ない顔つきが、可愛げがでてきたかなという感想を、そういえば持ったように思います。私がイスラームの断食を年に一度取り入れるようになったのは、「皆で一緒に断食」が何とも楽しいお祭りに思えたのです。実際は、断食仲間の友達と触れ合っているわけではないのですが。魂は触れ合っているのでしょう。同じ時代、同じ地球に生存している。彼らは神を信仰しており、私が呼びかける神様と、どうして違うものだろうかと。山々から流れる水は、それぞれなるも、やがては同じ大きな海に流れ、混ざり合う。それぞれの宗教は小島のように、別々に見えるが、その海底は、同じ地につながっているではないかと。ああ、神様はあなたを(森さんを)どんなに可愛く思っていることでしょう。青汁だけでも喜んでいる子を。青汁だけで生きている方は、神様の愛を呼吸して生きていられる。多くの健康に関する本を出している専門家の方が、あなたを賞賛しています。あなたの霊性と品性に脱帽しておられます。この年、ともかく、私はあなたと出会えたのです。ヨモギを頑張って食べていた私でしたが、本を読んで、もっとラクラク上手に摂る方法もあるのよ。とあなたが、やさしくおしえてくれたかのようです。今後もご指導よろしくおねがいします。
2008年12月28日
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9、◇落語「抜け雀」の【さげ】の解読さて、私、書くという戦いをしています。思いっきり書くということをしてみます。さっき、書きながら思ったのです。母親と話が合わない。父親とも。兄とも。夫とだけは妙に合う。夫もまた、親と話しが合わない。まるで言葉が通じ合わない外国人のよう。互いに理解の及ばない領域に存在しているような。こういうことって、あるんだと思うのです。母もまた親運の薄い人だったのです。それを言うなら父もそうだと思います。神様、と、こう呼びかけながら、書いてみますが、そうこうしているうちに、親たちと、会話ができる状態になっていくこともあるのではないかなあと、漠然と楽観的に考えています。実の親と通じ合えなくて、どおして嫁ぎ先の親と通じ合えるでしょうか。「あなたはよそに嫁いだ人なのだからそっちのお母さんと仲良くして」母親がそう言うたびに思っていました。・・ああ、本当の親は神様でした。それなのに、誰もが、本当の親であられるあなたとの関係が切れている。・・今ね、指を揃えて両目を指圧してみました。そうしたら、キラキラ☆星が金の光のように。目の前から見える窓ガラスの凍った部分が、照明に反射して金色の光をおこしているの。神様、私の心のつっかえは、まさしく親との関係にあったのです。それは、根本であるあなたという親との関係です。そこが誰しもの抱える問題点なのです。日曜早朝の落語は「抜け雀」でした。ネットで予習して、テレビでは最後の10分、つまり三分の一だけ見ました。そこが、肝心要の不可解な部分で謎でした。【さげ】の解説を考えた時に、落語的にほじくれば難しくとも、聖書的に考えれば、スラスラ解けるように思うのです。放蕩息子の話しに通じ、また、神の権能は、はじめに言葉ありで、言葉から形と息が吹き込まれ、絵もまた言葉の如くいのちを宿すのです。10、◇ 古典の星「印綬」の年回り神様、落語をこんな風に、聖書的に、神的に捉えていったら、大変おもしろく深みが増すかのように思われます。今、思いつきましたが、なんでもそういう目で見たらよいのですよね。映画にしてもしかり。小説にしてもしかり。つまり、この30分の落語は、まるで教会の礼拝説教に引き上げることができるのではないかしら。綾子さんの随筆の中で、落語家で牧師さんの話が書かれてありましたし。先日、女性の方の「講談」を見ました。演目は「忠臣蔵」に関するもので。そのしゃべりが、なんと!北朝鮮のアナウンサーのしゃべりに、とっても似てる気がしました。講談は落語と違って、上から目線のしゃべりをするそうです。検索で調べて、ちょこちょこ知識を増やしていきます。兄弟国ですから。面白いですね。今、私は古典の星が3つ来てますから、古典がとーってもよく理解できるのです。落語言葉には着物の専門用語、小物用語も多く、理解が易しいのです。以前、やはり古典の星の巡り合わせの年に着物を習い、着物の仕事をしていました。私が今、着物を着れば、また、以前とは違う味を出すことでしょう。また、そういう衣装を着けなくてはならない必然の時もくるのかもしれません。「篤姫」衣装の力とは凄いですね。歴史の人物を呼び寄せます。洋服を着ると普通の人、宮崎あおいさん。古典の星とは「印綬」のこと。この年回り、そういう人物とも出会います。今の上司は「印綬」の人。神的出会いを感じるのです。また、その人の亡き母上が私と同じ名前だそうです。その母上の思いが来て来てしかたがない思いになるのです。彼女にとって、息子は「いのち」だったろうと。彼女は息子にぴったり寄り添っているのではないかと思われるほど。母親のおもいで縁談がまとまったことを喜んでいる私です。(17時)
2008年12月28日
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5、◇寝袋作成と湯たんぽの暮らし9時から12時の間、夫は会社からの電話を受け出勤しました。その間、私はPCに向う時、すっぽり体を包める寝袋のようなものを補強するための縫い物をしていました。ターシャのような気分で。彼女が50代半ば以降暮らしたバーモンド州は冬の長い暮らしでした。マーク・トウェインが言うには一年のうち2ヶ月が夏で10ヶ月は冬、それがバーモンド州の生活だといいます。神様、今、雪が降ってます。ですが、ターシャの暮らしを考えたら、楽しい気分にさえなってくるのです。私は今、作りなおした寝袋にお腹まですっぽり包んで書いています。背中には大正湯たんぽが入っていますのでぬくぬくです。玄米を炊いて、シャケ茶づけで食べました。夫にせがんだら干し芋を出してくれました。私が食べ過ぎるのを防ぐために、夫は保管しておいてくれ、時々出してくれます。いい方です。神様、この休日はあなたと多くお話をしたいと思っています。いいでしょ。神様。最初は自分のことばかり話すので、あなたはロッキング・チェアで(空想のイメージ)本でも読んでいて下さい。かってに私がしゃべりますから。文字を使って。時々、一緒にお茶を飲みましょ。ターシャは16時半に庭先のポーチでお茶を飲むのが日課だったとか。人付き合いが苦手で、一人暮らしの孤独な時間の中から作品を残した方です。ターシャ、孤独な時間を持たずして、作品を作ることができない。私も同じく、人付き合いが苦手です。一人の時間さえ与えられれば、楽しく過ごせる方法をたくさん知っています。退屈でもなければ寂しくもない。けれども同居者がどうしても必要でした。神様、あなたが、あなたの代わりに私に与えた方が夫です。私は自分では探し得なかった方を、あなたに発掘していただき、毎日お礼を言っています。(12時~13時迄 しばしウタタネ)6、◇少食のソローターシャ「もし雪が降らなかったらどうなると思う?庭の植物が皆凍ってしまうのよ。雪が降り積もるお蔭で、庭のいきものが守られるの」表面、辛いと思われることが、実際は大切なものを守ろうとしている。「ウォールデン森の生活」思想家ソロー自給自足の実践、ターシャは大きく影響を受けたそうだ。いつかソローを読んでみたいと思っていた。きっとまもなく彼とも知り合えることだろう。『自信をもって、自分の夢に向かって進みなさい。あなたの思う通りの人生を生きなさい。(ソロー)』ターシャは思い描いた夢に向って進んだら、思った通りの生活が実現したと言う。ソローについて検索していたら、眠くなってしまい・・食後だったから。まあ、善いでしょう。ここはヒヤシンスの喫茶店、私がオーナーですから、居眠りのできる私の居場所なのです。キッチンへ行ってコーヒーを注文。リンゴを一個食べた。夫の電話をキャッチできるよう机の上に用意。終わったら連絡してとメール入れた。お風呂の用意を前もってしておきたいため。夫は日曜日に酵素&入浴剤のお風呂に入りアカスリをする。背中をアカスリしてあげる。そのあと、すぐご飯が食べられるようにしておく。部屋を整えておく。ターシャは再婚を考えなかったのかな。私は夫と出会えなかったら、全くの一人ぼっちだったに違いない。ターシャのような能力はない。ターシャ、化粧っ気がテレビの映像からは、全くない。痩せていて、皮膚もどちらかというとカサカサっぽく、表情もつくろいの笑顔サービスがあるわけでなく。自然体だ。ソローのように思索家ということだ。ソローが少食の人のようだから、ターシャもそれに習ってるに違いない。三浦綾子さんの随筆から、綾子さん夫婦も朝食抜きの一日ニ食をしていたよう。健康の本も仕事の合間によく読まれていたようだ。7、◇作り笑顔し続ければ⇒夕方には本物化している。神様、とにかく、このお正月休みは書くことを中心に作家生活に没頭したいのです。合間に家事。気分転換に掃除・洗濯。書いてさえいれば善いアイディアがきっと沸いてくるでしょう。善い発想も生まれるでしょう。常に歩き続けていることが肝心なの。神様、雪が降って寒いので、さっき雨戸を閉めカーテンで締めっきりにしてしまったの。そしたら、眠くなった。昼は寒くても、窓から日を入れないといけないようです。でないと昼担当の神様が訪ねてこれないじゃないですか。神様といいますか、天使とかそういう善なる方のこと。神様、以前、ある方が言ってました。話すことがなくても、とりあえず、テーブルにいて。何でもいいから、話しをしようと。会議というわけではないけれど、会話している中で善い思いつきがおこるだろうし、仕事に役立つことが生まれると。私は今は人、ではなく、神様と交流したいばかり。神様は決して、私を傷つけないし、否定しない。気も使わない。すべてを受け入れてくれる。私が気分を害することがない。「更年期障害」と辞書を引いたら46歳頃起こると書いてあったのです。私は人の顔の表情が恐いと感じる。にこやかに笑っていてくれたら助かりますが、不機嫌さが出ていたら、毒素を咄嗟に感じてしまうのです。けれど、それを今とっても敏感に感じるのは、かつて私が人にそういう顔をしていたのだと気づいたのです。そんな時期がありました。心が癌化していた時が。乱気していた時が。それを思うと、私は、最低限、社会で働く時だけは誰よりも「笑顔の人」と言われる人になろうと今、とっても決心してるんです。「あの人バカみたい」陰で言われていたらシメタものです。けれど、作り笑顔は夕方には本物化しているのです。8 ◇「笑顔」という化粧笑顔の続きですが、ねえ、神様、神様も絶対笑顔の女の子が好きだと思います。神様の歴史は、人間に無視されてきた歴史です。みんな知らん振り・・神様、泣かないで。それって辛いですよね。無視されるのって。社会の中で人と関わる中で、無視って、一番キツイですもの。神様、けれど、私ね、今まで恋愛というものをしなかったことを誇りに思っています。ただ一人の夫と出会えた時、「やった」と思った。私は神様のお蔭で、夫と出会う前はとーってもブサイクだったのです。それで、誰も、関心を持つ人は皆無だったのです。私達は、始めに出会った時は、互いに田舎者で、けれど、出会ったあとから、どんどん洗練した顔つきに変化していったのです。私たちは顔つきに変化が生じやすい、20代の始めと、半ばの頃を生きるもの達でした。私はツンツンしていました。笑顔というものを研究しはじめたのは今年からです。私は結婚してから、「恋愛」ではなくて、「夫婦愛」という精神的な<好き>を体験しました。そもそも恋愛をしたことはないので、傷つくこともありませんでした。けれど、顔が可愛く洋服のセンスもよく社交的であったなら、出会いの場に出かけるような流行を追うコだったら、何遍、どれほど、恋愛に傷ついたのだろうと考えます。寂しさを埋め合わすための自己中心的な愛を求めてさまよったかもしれないのだと。けれど、そういうのは合わないと、すぐにわかりましたから。神様、はい、(これがわたしの計画でなかったとでもお思いか?)と、おっしゃりたいのですよね。これが偶然とお思いかと。神様の計画にあった必然的な歩みをあなたが用意しておいてくださったこと、感謝致します。こんなみすぼらしい、あわれなこどもを、あなたは拾ってくださった。そして、この一年、「笑顔」という本格的な化粧を私に施した。(15時半)
2008年12月28日
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1、◇9日間のバカンス・平床木枕・新月 天のお父様おはようございます。あなたから9日間の休みを頂きました。もう二日ばかり働いてみようかと週のはじめ頃には迷ってもいたのでした。もうちょいおこづかいを稼ごうかなと。けれども、(その必要はない)ビシリとあなたに言い渡された気が致しました。仕事にならない様子が目に見えてあきらかに理解できたからです。はじめの計画通りで仕事おさめをしてきました。神様、初日の昨日一日は飛行機の中(架空)で過ごしました。もしや?新月あたりに来ているのでは?・・この週は若潮、中潮、大潮の流れと知っていましたので、ネットで確認致しましたら、2008年12月27日(土)は「朔」の日でありました。どうりで、西式の平床と木枕はわずかな時間で疲労を回復させ、ビヨーンと体を起こすのです。さあ動けと。もう寝る必要はないぞと。神様、それで、しばらくPC上で書けないでいました。(どうせ私の駄文、時間の無駄)私は自身をけなしていました。ですが、読み手にとっては時間の無駄となりますが、書き手にとっては次の行動を興すための思索の時間ではないですか。踏み台となりましょう。「神様、」と呼びかけをするなら、会話となりましょう。そう言われてみれば・・なるほど!その気がおきてきたではないですか。そうですね、神様。心もまた寝ていましたが、心がビヨーンと起き上がってまいりました。もう柔らかい布団では寝たくありません。時々は気分転換に、普通の布団・枕で寝ることもあるのでしょうが、結局、硬いものに戻ってくるようであります。「これやってみよう!」そう思ったとき、ちょうど善いものが、私のもとに出現したのです。「天国は思ったことがすぐ実現するところ」だというではありませんか。2、◇書けば、神様が私の干渉ができる口を挟むことが出来るとにかく書けとあなたは言われるのです。そうか!書けば、閃きがおこるから、神様が私の生活に口を出しやすいというわけです。神様が干渉できる場ということになりましょう。この白い紙の場が。そうなんです。神様、私、実は書きたいことがいっぱいあって。・・と、いいますか、話したいことがいっぱいあるのです。けれど、おしゃべりするには会話がもどかしく、内容がぎっしりですから。そうそう、それで生きている人間に話そうとしたら、相手方も時間が奪われるでしょうから。そんな時間がどこの誰にあるでしょうか。みな時間をやりくりして仕事に家事にそれぞれのしたいことに大忙しです。それに、私の飛び跳ねた霊的思いつきを誰が解することでありましょうか。常々「私には友達が一人もいない」という声を、自身の中で誰かが発しています。ですが・・それを思うとき、それならイエス様がどんなに孤独だったかと思われます。誰がその方の友達になりえたのでありましょうか。もっと言うなら、神様が対等に語り合える友達がいたでしょうか。ずっと歴史はあなたにひどい扱いをしてきました。あなたの本当の力を発揮することができないできた長い時間でした。ですが、時代はあなたを理解する人たちが、どんどこ沸きおこってきています。神様、どうぞ、口出しして下さいませ。私の、駄目な私の生活に干渉して下さいませ。しゅうと・しゅうとめのようでもよろしゅうございます。お父様、近頃、私は古典的なんです。「印綬」の星がいっぱい巡ってきてる年回りなので。「しゅうと・しゅうとめ」と書いたあと、ホロリときたのです。本当の「おとうさん・おかあさん」の味を私は知らない・・そう思ったからです。3、◇「金のカケラ」神様、すでに私には素敵な友達ができました。「神様、」と呼びさえすれば、「ん?」と、こたえてくださるあなたさまです。ああ、私はすっかり孤独から解放されました。どうぞ、神様、あなたが草花や野の鳥を友とされるように、この小さき貧しい娘をも友の一人に加えて下さいませ。私も自然の草花や野の鳥たちを友とします。あなたとの共通の友が、実はあちらこちらに存在するではありませんか。神様、あなたが、こんなボロボロの汚い娘に祝福を与えなければならない立場が、どんなにお可愛そうな立場かと思われます。本当は、価値ある素晴らしいものを、この汚い娘にではなく、もっと準備された由緒ある実績ある血筋の娘の用意されたものだったのでしょう。みすぼらしい娘に与えて、この娘は何を返してくれると期待できるでしょうか。神様、あなただって、お迷いになったはずです。(いや、迷わなかったよ これはわたしの計画どうりさ)えっ?そう言って頂けるのなら、そんな気もしてくるではありませんか。神様、このあいだ、自分のことを客観視してみたんです。確かに育ちの悪さ、行儀の悪さ、貧乏じみてる自分を自覚するのでありますが、この娘には時々「おやっ?!」っと思わせる、キラッとした一面を見ることがあるんです。自身の中に「金のカケラ」を何度か発見しているのです。(そうさ、それは私の一部だよ。パン生地の中にいくらか混ぜておいたのさ)神様、ああ、なんておちゃめな。素晴らしいいたずらを。(偶然、きみができあがったわけじゃない)神様、(何倍にもしてかえしてもらうつもりだよ)・・というセリフが、朝ドラ「だんだん」の芸能スカウトマン石橋さんのセリフと重なりました。そうですね。神様は、私にえらい投資をされたのですものね。4、◇霊界に逝かれた人・・魂は存命し続けているそうだ、神様、私の会話の話、三浦綾子さんも友達になってもらえないかな。(綾子さんも読んでくれないかな)そう、また書こうかなって、思えたのは、最近、彼女の信仰生活エッセイ・手紙形式・日記とも言えるような本を随分読んで、こういう書き方もいいんじゃないかなあと、自分的には思ったのですよ。神様を生活の真ん中にしたエッセイ、感受性、捉え方など。綾子さんの小説より、私は好きかも。随筆の方が。綾子さんにけっこう影響されましたから、どうぞ、私のエッセイにも関心を持ってね。だって、霊界はすぐに通じ合えるのでしょう。きっと、書くという仕事を通してたくさん伝道なさったあなたなら、明るいところにおられるはず。それはご主人様のお顔の輝きを見れば、きっと、そうだと思います。夫婦は一つだから。絵本作家の「ターシャ・テューダー」のテレビを見ました。なんと2008年6月18日に死去されたのだそうです。もっとずっと以前から霊界に住んでいる方かと思っていたのです。92歳で自宅で逝かれたそうですが、病院でないところがとてもいいと思いました。「イスに座って太っちょになるなんてまっぴら」自給自足の体を動かして広大な庭を管理されたその方は・・神様の愛を草花からいっぱい吸っていたと思う。飯島愛さんが亡くなったニュース・・私はその方の神的部分を知っていたので悪い思いを持っていませんでした。五行図を描いて見た時、また大運の流れを見た時、神様が与えた最もよい時の締めくくりなのだと理解しました。また、その五行図の特徴は、40代で逝った夫の父と似通っていました。私は夫の父の死期を思いましたとき、精神的に鬱傾向がそうとうあったことを初めて意識させられたのです。 (休憩:2008・12・28壬寅/7~9迄 壬辰の時間帯)
2008年12月28日
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