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2006.06.11
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 河出書房新社。1959.3.20。

 駒田信二と言えば「 水滸伝 」の翻訳者。
 「 論語 」は読んだことがあったが、墨子の本も書いているとは知らなかった。
 「新・墨子物語」となっているが、物語仕立てではない。墨子というのがどういう人物だったのか、資料が少なすぎるから。
 第1章「非戦論」は、魯迅の「非攻」の紹介に筆を費やしている。
 ほかに、物語になるところがないのだ。
 以下、「墨子の伝とその書」「愛と利の倫理(兼愛・交利)」「天と神の信仰(天志・明鬼)」「宿命論の否定(非命)」「実利主義(節用・節葬・非楽)」「賢人政治の主張(尚賢・尚同)」と「墨子」に即してその内容を紹介し、「議とその実践」「論理学的思惟」と続けている。

 墨子の立場というのがよく分かる。
 「牧師の主張はあくまでも庶民の側にたっての発言であった。これに対して儒家の説くところは明らかに為政者の側に立っている。」(p126)
 のであるが、「墨子はそれを当の庶民階級に向かって発言したのではなかった。つまり、庶民階級をゆすぶり起こすことによって社会的矛盾を解こうとしたのではなく、もっぱら王公大人に呼びかけたのである。」(p128)

 墨子の時代には、今日では「詭弁」と称されるような論理学が流行していたらしく、「論理学的思惟」でその一端が紹介されている。
 「牛と数うれば則ち牛馬は二なり。牛馬を数うれば則ち牛馬は一なり。指《ゆび》を数うるに、五と指《さ》せば五は一なるが若し。」(p198)
 という具合で、「牛馬」というのは一つの概念であり、「牛馬」を指して「牛」あるいは「馬」よ言うことはできない、というように、概念を突き詰めて考えようとしている。
 「狗は犬なり。而して狗を殺すは犬を殺しに非ざるなりとは、可なり。」「狗は犬なり。而して狗を殺してこれを犬を殺すと謂うは、可なり。」(p209)の解説によると、「狗とは犬の子である」ということだ。
 「犬」と「狗」は同義かと思っていた。

 上に引いたように、書き下し文が多い。現代語訳だけにしてくれたほうが読みやすいのに、と思っていたら、「あとがき」によると、故意にそうしているのである。
 「どうやら少し堅苦しくなったもようである。その原因の一つは、原文を読み下してそのまま用いたところが多かったことにあるかも知れない。しかし私にはそれが是非とも必要に思われたのである。」
 「このシリーズの発刊が予告されたころ、私は未知の数氏から手紙をもらった。それらは皆、できるだけ多く原文(読み下し文)を挿入するようにという注文であった。」

 書き下し文と「原文」が同一視されていた時代の産物なのである。


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Last updated  2006.06.11 09:51:23
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