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妹が、ドメスティックバイオレンスの被害に遭っている事を21日月曜日の朝、知った。その朝私は、お薬を服用して床に就いたところだった。そこに、妹から携帯に電話が掛かってきた。「もしもし」と普通に出ても、妹は無言だった。しかし、嗚咽と共に段々しゃくりあげる声が聞こえてきた。「おねえちゃん、なんか、精神安定剤、ある?」徒事ではないと察し、早く家に来るように言った。数分後、妹は姪を乗せて車で家に来た。旦那を会社に送ってきた帰りだという。既に泣きじゃくっていて、取り乱していた。姪は、そんな妹の頭を撫でて「ママ、怖い夢みたんよね。大丈夫よね」不安そうな顔をしながらも、慰めようとしていた。母の部屋に入り、姪には私の寝室でTVを観ていてもらい、妹の話を聴いた。その話の内容は、まさしくDVであり、それもかなり酷いものだったので涙が流れ、胸は鋭いものでぐさぐさと刺されているような感じがした。身体的な暴力は、“床に突き倒され、頭や背中を容赦なく滅茶苦茶に蹴られ続け気を失った。救急車で脳神経外科へ行った結果、脳が腫れていたという事だった”というのが一例である。精神的な暴力は、数え切れないほどで、それは下劣であり卑劣極まりないものである。妹は、以前にも記述したように朝、旦那と子どものお弁当を作り朝食も作る。旦那を会社まで車で送り、子どもを幼稚園バスが来る場所まで連れて行く。そして、妹も仕事へ行く。食費を削るため、妹は昼食を食べないか、野菜ジュース1パックだけという事が多い。仕事帰りに幼稚園へ子どもを迎えに行き、そのついでに夕飯の買い物をする。旦那は我侭で、食卓にお肉とお魚そして副食が2品以上上っていないと不機嫌になり、妹に当り散らす。大変な想いをしながら夕飯の支度をした後、旦那を会社に迎えに行く。そんな、遊ぶ暇も、娯楽のための買い物をする暇もない生活を送っている。何故なら、旦那の給料だけでは生活できないから、妹が日払いの派遣バイトをしなければならないからである。しかも今ではお給料の前借をしている状態である。実際、妹はこの1年、洋服も、下着すらも新しいものを買っていない。あんなにお洒落で流行に敏感だった妹が。お金の大半は、旦那の食費・酒代・煙草代に使われる。食べる量が物凄いのである。私が過食の時に食べる位、毎食時、食べている。また、お酒も凄く飲む。なのに、あの男は、仕事関係の人と浮気しているんだろうとか、疚しい事をしているんだろうとか何とも妄想のたくましさを発揮して妹をねちねちと責めている。時に、暴力を加えながら、どんなに否定しても、謝っても、止めないという。驚いたのは、それが結婚前から続いていたという事である。私達家族は、あの男の外面の良さにまんまと騙されていた。また、そんなに妹が苦しんでいた事をこんな苦しく、PTSDという病名を付けられるまで気付いたり感じ取れなかったり出来なかった事が物凄く悔しい。情けない。哀しい。妹の傷は、計り知れないほど深いものだと想う。今の旦那は、妹が再婚だという事を知っている。前回の結婚が破綻したのは、元夫のドメスティックバイオレンスが原因だったという事も勿論知っている。それを承知していながら平気で妹に酷い暴力を振るうのだから、私は絶対に、あの男をゆるさない。月曜日、午前中のうちに母にも連絡した。母は、午後のお仕事をキャンセルして帰宅し、妹の話を聴き、抱きしめていた。また、旦那も話したい事があるというので妹達の家にも行ったが、旦那が言う事といったら、噴飯ものだった。自分の愚かさを露呈するもの。自分に起こる悪いこと全てを、妹の所為にしているのである。そして謝罪を求め、妹が謝っても決して許しはしないといった状態。けれども、子どもだけは可愛いから、可愛がる。物を与えたり、我侭をきいてやったりと好き放題させるので勿論、子どもは男に懐く。まだ、物事を判断できる年ではないから。もう、これ以上綴る事が苦しくなってきた。救いは、弟が居る事である。全面的に妹の味方であり、姪を愛している。姪を心から愛しているのが分かるのは、生まれたばかりのその命を胸に抱いたときから自分もこの子を護らねばならないと考えたからだそうである。哀しい事に、姪が妹のお腹の中にいた頃も、元旦那から暴力を振るわれていたから・・・。どうして、妹だけにこんな哀しみが繰り返されるのだろう。去年、大親友だったKちゃんを喪ってから、妹は少しずつ弱ってきてしまっている。妹は、言った。「今までは子どものために生きなければと 想っていたけれど、 もう、子どもは誰かが育ててくれた方が良いんじゃないか、 私は死んだほうが良いんじゃないか、 死んでしまいたい」そう、妹は泣き腫らした目蓋からまた新たな涙を落としながら。暴力を受けると、自尊心を傷つけられ、人の尊厳をいとも容易く奪ってしまう。そして、自分は暴力を受けるに値する人間なのではないかと貶めてしまう。私は、自分の非力さが、無力さが、これほど悔しい事はない。
2008.07.24
想いを、言葉にするのに難渋している。こころの中が余りにも混沌としていて自分が今、どういう気持ちなのか分からなくなる時がある。そして、言葉を発するのがしんどい。疲れている。何もしていないのに。眠って、過食と嘔吐をして、お酒を飲んでいるだけなのに。だが最近、私の生活に新たな行動が加わった。夜の過食と嘔吐が終わった後少し眠り、目覚めたらおもむろに料理を始めるのである。此処の所、何故か茄子が食べたくて仕方がなくて、毎日煮込み料理を作っている。最初は、キャベツと茄子とセロリと人参だけのポトフを作った。次の日、それが余ったものにトマト風味を付けてミネストローネにした。それらは、空腹を感じたときに少しだけ食し、吐かないでいることが出来た。しかし大量に作ったのでその晩には、これまた大量のパスタに絡め過食の材料となってしまったが。それ以来、私はポトフやミネストローネ、味噌風味のスープなど、不味くはないと想えるもの、母に試食してもらっても、「中々美味しいの作るね」と言ってもらえるものを作る事ができるまでになった。けれども、どうしてもスープ料理に欠かせないウィンナー等お肉類を使えないでいる。勿論、味付けの際にコンソメキューブを使用しているので全く肉系のものが入っていない訳ではないが、正に“肉”と感じられるものが目に入ってくると、食べられなくなるか、過食と嘔吐前提となってしまう。摂食障害は、本当に複雑だと感じる。こうしてお料理をするのも、時間潰しである事は否めない。今の時期は丁度PMSの症状が出ているので熟睡できず、全然食欲が無くても無理矢理過食と嘔吐をする事がある。今の時間帯・・・夜中はお酒を飲むことでどうにか時間を遅らせられるが、口寂しくなるので野菜スティックで誤魔化す。ノンカロリーのシロップを使って酢味噌を作るようにもなった。こう考えると、本当に様々な変化が見られる。特に、毎日ブログを更新できなくなってからは、少し楽になってきた感じもある。録り貯めた映画を観たり、ドラマを観たり。音楽を聴いたり、読書をしたり。でも依然として祖父の事は常にこころの大部分を占めていて、それはぎゅうっと胸を締め付ける痛みをも伴う。今、祖父の為にできる事を考えたい。生きている事が、苦しい。母は先日、とうとうダウンして1日お仕事を休んだ。起き上がる力も無かったそうである。私は、無力で何も出来なかった。ただ、いつものように過食と嘔吐をしてお薬を服用し、また眠りに逃げただけである。母をどれだけ想っても慮っても何も出来ないのが悔しい。家族、親族の誰もが疲れている。でも一番辛いのは、祖父なのである。唯一自由に動く左手を拘束されてどんなに歯痒く辛く、もどかしい想いをしている事か・・・。今月末、カンファレンスがあるのでその際、伝えるべき事をメモしておこうと考える。祖父が少しでも、快適に過ごせる事をこころの底から願って止まない。
2008.07.21
本来なら、前回綴った祖父に会った日の続きを書くべきだがもう、書けない。余りにも、こころがひりひりと痛むから。この痛みを、言葉として表現するのは今の私には難しくそして気力が無い。ただ、要約はできている。祖父の点滴が終わり、元の病院に戻ることになった。私達もそれぞれの車で病院に向かった。祖父は、寝台車で。午後1時頃だったので早速昼食が出た。看護師は食事の介助を祖母に任せた。ああ、昼食が運ばれるまでベッドに寝かされていた祖父がオムツを外そうとしたりベッドの柵を外そうとしたりするので祖母が「あんた、そんなことやっちゃ駄目だって言ってるでしょう」と祖父の左手をぺチンと2度ほど叩いた。それが痛かったのか、祖父は不明瞭ながらも「何するんぞ!叩いたら痛いやろう!もう!」と怒りをあらわにした。怒りの感情を伴うと、祖父は言葉が出てくると分かった。昼食。それはお粥、そしてとろみをつけられたゼラチン食のおかずだった。祖父が、誤嚥しないように。ご飯が大好きである祖父は大体機嫌よく食べるが、段々不機嫌になってきた。その中にお魚の煮物のゼラチン食があったからである。祖父は、認知症になってから魚類を食べなくなったのだが、香りを確かめない限り、それが何の食材なのか分からない食事なので、祖父が顔を顰め始めるのを見て漸く、その不機嫌さが増していく理由が分かったのである。お魚のおかず以外殆ど食べ、祖父の「もう、いい。」という言葉で、食事は終わった。私達は朝から集まり、その時間まで飲み物くらいしか口にしていなかったため、私以外の誰もが空腹で少し短気になっていたのを感じた。親族が去る時には、祖父に拘束用の手袋をしなければならない。そうしないと、オムツを外してしまうからである。オムツを外してしまうと、衛生面に問題があるのでそういう措置が取られている。しかし、祖父は唯一動く左手の自由までも奪われてしまうのだと想うと、胸に何か刺さるような感じを覚えた。いくら仕方がないとしても。そして手袋を嵌められた祖父は、口で外そうとする。祖父に、前歯は無い。歯茎で外そうとするから、その手袋は血の跡でいっぱいだった。祖父の口から出た血液だと想うと、益々胸が締め付けられて息が苦しくなった。そこから、記憶が薄れている。母から、その後の事を訊いた話によると、私達は皆で「じいちゃん、何も無くて良かったね」と話し合いながらお蕎麦屋さんで蕎麦を食べた。そして、コーヒーでも飲もうとカフェにも行った。薄っすらと憶えている様な気がする。けれども、病院で見た祖父の姿手袋を必死で外そうとする祖父の姿だけが今の私の心に浮かんでは沈むばかりである。昨日、かなり久し振りに主治医の電話診察を受けた。その際、祖父のリハビリに関して私の想像力が活かせるという言葉を伺い、少し、頑張ろうと想えた。祖父が倒れる前、よく唄っていた歌や船乗りだった頃の事を活かせるもの等リハビリの方法。様々に考えが浮かぶ。時に私は全てが苦しくなって死んでしまいたいと、そういえば私は死にたかったのだと考えるが、今は、祖父の事を想い一瞬一瞬を大切にしていきたいと想っている。だが、苦しい。こころのどこかが、いつもいつも、ひりひりと痛む。痛い。そして、哀しく辛い。大好きな祖父が、苦しんでいるという事が自分の病気よりも、辛くて仕方がない。
2008.07.16
12日土曜日、朝。寝入り端にかかってきた電話で目が覚めた。それは、「じいちゃんの意識が無くなった」という妹からのものだった。あまりのショックに頭の中が真っ白になった。兎に角祖父は、以前入院していた病院に救急車で運ばれる事が分かっていたから妹の運転する車で共に、そこへ向かう事になった。今まで、動かなかった身体。緊急事態だからかきびきびと動き、支度を終えた。支度を終えた頃、母から電話が掛かってきて、「じいちゃん、意識は戻ったけん、大丈夫よ」と伝えられた。一応、安心したもののそれは元の状態に戻ったのか、それとも前よりも酷い状態になってしまったのかは聞けなかった。なので相変わらず緊迫した気持ちは続いていた。病院へ向かっている途中、無邪気で居る姪にこころが慰められるようだった。救急搬入口近くのベンチで、妹、姪と共に救急車に乗ってくる祖父と祖母、そして別々の車でこちらに向かっている母と叔父・叔母の到着を待っていた。姪っ子は一時もじっとしていなくて土曜日で休診日の院内、その静けさの中を走り回ったりチョコレートを食べたり、おしゃべりをしたりしていた。その相手になりながらも、私の胸の中には激しい後悔の念が渦巻いていた。「身体が動かないと言って会いに行かないなんて 私は何て馬鹿なんだ。 もう、母さん達から聞いていたリハビリの様子や 笑うじいちゃんを見られなくなるかも知れない。 こうやって現実になるまで分からないなんて 本当にど阿呆で大馬鹿者だ」自分を責め苛む言葉だけが浮かんでは沈み、心細くて堪らなかった。そして、救急搬入口に看護師さん達が向かい、ドアが開いた。まず、祖母と入院先の男性看護師さんが入ってきた。祖母に様子を聞くと、「大丈夫よ。殆ど何ともない。 でもね、一応検査だけはしておいたほうがいいからね」と落ち着いていた。でも、祖父の意識が無くなったと祖母の所に連絡が入ったのは朝食を食べていた時だったらしく、夕方祖母を家に送り、少し休ませてもらった部屋の様子を見て、その焦りや慌てた様子が窺えた。急須の蓋が別々の部屋にあったり、ペンがキッチンに置かれていたりした。話を戻す。祖父は、酸素マスクを付けてストレッチャーに寝かされたまま入ってきた。目は開いていたが、動かないので不安はいよいよ増していった。救急隊員の方や看護師さん、その日の担当医の方で色々と処置の仕方を決め、CT撮影と血液検査・尿検査の後に祖父と対面する事ができた。久し振りに会った祖父は、痩せていた。歩かなくなったので足が細くなっていて、仰向けに寝ていたそのお腹を触ると、肋骨がはっきりと感じられた。ぎゅっと胸がきつく締め付けられる想いがした。祖父に、「○○(私の名前)よ。分かる?」と笑顔で訊ねると、祖父もまた笑顔になり、「おお。おお。」と応えてくれた。祖母・母・妹・姪・叔母・叔父と順番に話しかけた後、私を含める数人が祖父の傍に残った。祖父は、朝食を食べていなかったので電解質と糖分の点滴を受けていた。もう一度、同じ質問を祖父にすると、少し不明瞭ながらも、「分かる」と発言した。また、私の左手を握り、指を1本ずつ確かめるように触っていき、指輪のある指に辿り着くとそれを取ろうと頑張っていた。殆ど眠っていなくて浮腫んでいた私の指。なので中々指輪が抜けず、祖父は動く左指でくるくる回したり力任せにねじ上げようとしたりしたから痛かったけれど、指輪を外せたときには誇らしげに「ほら」と私に見せて返してくれた。また、姪っ子の頭を笑顔でくしゃくしゃ撫でたり、話す祖母の方を向いてその存在を確認したりと退院時よりもより活発になっている祖父がそこには居た。そして、検査結果を聞いた。結果、CTの写真を見ても新たな出血は無い。寧ろ、退院直前は出血部分がまだ残っていたけれど、今はその白く濁った部分は無くなっている。意識が無くなった時の所見では、虚血性脳血管障害ではないかという事だが、それは、この診察では分からない事。血液検査の結果も、退院直前の頃より断然良くなっており、悪いところは無い。点滴が終わったら、このまま今までの病院に戻ってリハビリをしても大丈夫との事だった。確かに、以前より痩せてしまったものの意識はいつもはっきりしているし、喋ろうとする想いが強く感じられる。動く左手で、身体を支え起き上がろうとさえする。これはまだ、リハビリが充分ではないため身体を支えきれず倒れてしまうのであるが。この1日は長かったので分割して綴りたい。今まで祖父に会いに行かなかった事を猛省した。たとえ、病気で身体が動かなくても調子の良い日に幾らお金がかかってもタクシーで行けた筈なのだから。苦い想い、でも、祖父に会えてその溢れる生命力を感じられた嬉しさを忘れないでいたい。
2008.07.13
前髪を切った。約3ヶ月振りに。 切っていたら楽しくて、 ざっくざっく切り落としていたら、 切り過ぎた。 月日が経つのを早く感じる。 現実感が、酷く乏しい。 昼間の、過食と嘔吐。 ミネラルウォーターを沢山飲んだり、 ミルクティーと共に一服したりする事で、 この2日間、やらないで済んでいる。 暑さの所為か、何も食べたくない。 PCを立ち上げる気力も無い。 何だかとても、疲れている。 無気力、無力感。 何故だろう・・・。
2008.07.11
He that knows little often repeats it.~馬鹿の一つ覚え~私に相応しい言葉だと感じた。外出する日が来る度、私の身体はまるで血液が全て鉛に変わったかのように重く、苦しく、動かなくなる。そして、母に告げる。「身体が動かない」「しんどい」「起き上がれない。動けない」「じいちゃんにこんなにも会いたいのに、動けない」本当、馬鹿の一つ覚えのように。そんな私を、私は鋭利な刃物で切り裂きたくなる。何故、想いを遂げられないのか。意志に反して身体は動かないのか。“病気だから”それは分かっていても、腑に落ちない。無理の出来ない状態になっている事を評価できると主治医が仰っても、祖父に会えない哀しみは募る一方である。いつも、考える。無理矢理、過食と嘔吐をする事シャワーを浴び支度をして、近所のスーパーへ食べ物を買いに行く事は出来るのに、午前中、外出するとなると忽ち身体が動かなくなるのは何故だろうと。答えはなんとなく分かっている。“乱れた生活習慣”“栄養失調”“バイポーラによるうつ状態”であろう。「死んでしまいたい」「生きている事に疲れた」と考えない日は、無い。とはいえども、自殺は赦されない。母よりも先に死んでしまうという事は、こうして生きて迷惑をかけ続けている事よりももっと罪深いものであるから。真綿で首を絞めるような状態が、今日も明日も明後日もずっとずっと続いていくのだろう。私が、消える日まで。祖父に会いたい気持ちはこんなにも強いのに、身体が動かないのはどうしてなのかと発狂しそうなほどに己を憎み、呪う。そして、過食と嘔吐や飲酒、喫煙、イレギュラーな服薬などどうしようもない自分が浮き上がる。この自分を壊したい、傷つけたい気持ちが強くもう1ヶ月以上、主治医の電話診察も受けていない。益々私は破滅への道を歩んでいるような気もする。何をしていても・・・眠っている時でさえ“死”は私に纏わりついている。拭い去れないそれに、親しみさえ感じる。「もう疲れた」ただ、それだけである。向日葵が、咲いている。その姿は余りにも明るくてとても輝かしく、直視できない。もう夏だという事を、その花が知らしめている。夏が好きになれない理由が分かった。14歳の夏、私はダイエットを切っ掛けに拒食症の症状が現れたのである。そして、秋が終わる頃には過食・嘔吐を覚えていた。あの夏、ミネラルウォーターと菓子パン1つだけで過ごした日々があった。過食や嘔吐をするよりも、身体は楽だった気がする。今更、過去をどうこう言っても何にもならない。そろそろ、身辺整理をしたい。
2008.07.09
いつの間にか、文月。それも5日を迎えている。今年ほど、月日が流れるのを物凄く速いと感じた事は無かったかも知れない。5月30日に祖父が脳卒中で倒れた。その後は、目紛るしく時間が過ぎ去っていった。祖父に会いに行けていた毎日。ところが突然、身体が動かなくなり会いに行けなくなった日々。こんなにも強く、強く祖父に会いたいと想っているのに何故か身体が動かない。主治医はそれを、「会いに行かねばならないと“義務感”のように感じていて それが更に身体を動かなくさせている」という事を仰っていた。祖父に会いたいという想いが、“~~せねばならない”という、強迫観念に近い想いとなっていて今のこの衰弱した心身状態ではその行動が無理だから、身体が動かないということなのだろう。何れにせよ、悔しくて哀しくて情けなくて仕方がない。祖父は、少しずつ快復の兆しを見せている。中々言葉を喋る事はできないものの、先日は、左半身の力だけでベッドの上で起き上がった。もう夕刻で夕飯も済み、眠るだけだったが母が帰ると言った途端に、必死に起き上がろうとしていたそうである。母は、「じいちゃんも、帰りたいんかも知れんね」と言い、私もそう想った。そして、リハビリの際には自ら立ち上がろうとしていると聞いた。その、生命力の強さを感じ胸が温かくなった。そしてもっと応援したいと想っている。また、右半身の自由は失ったものの、左半身は力強く動くため、いつの間にか衣服のボタンを外したり、オムツのテープを外したりしてしまうそうである。だから、1日中祖父は左手に手袋をはめられている。祖父は、想っている事を言葉に出来ない。そのもどかしさから、その動く左手で衣服のボタンを外すなど何か表現しているのだと私は想う。けれども、オムツまで外してしまったら、病院側が困るので手袋をはめるという処置に至ったのであろう。祖父の唯一の自由が奪われているような気がして、哀しくて仕方がない。今度の火曜日こそ、祖父に会いに行けると想っている。早い時間に家を出なければならない訳ではないから。毎日、祖父を想っている。毎時、想っている。何かしているときにもふと、祖父の顔が浮かぶ。祖父の笑顔や声、様々な表情・・・。胸がぎゅっとなる。そして私は何故かどんどん堕ちている。無理矢理やっている過食と嘔吐。お薬を服用しないと得られない僅かな睡眠。起きている間はずっと、自分を責め苛む。梅雨が明けてしまってなにやら夏がやってきて私はまた去年と似た苦しみを味わう。その繰り返し。祖父母と母が生きている限り、私は生きていこうと想っている。でも、それ以降は分からない。祖父母と母がいないこの世の中なんて、私にとっては何の意味も無いものだから。自分の寿命は決まっている。そう想えば、少しはこころが楽になる。生きている限り、迷惑をかけ続けてしまうけれどそれをなるべく小さいものにするよう努力しながら生きよう。それにしても、梅雨が明けたというのに激しい雨が降り、雷が鳴っている。植え込みにいる桃の木は、その雨水を飲み益々上へ上へと伸びていくのだろう。
2008.07.05
雨が降ると、その姿が美しく見える花、紫陽花。土がアルカリ性か酸性かの違いでその色を変える。私の家の前で見るのは、ピンクの強い赤紫色。歩く道々では、ブルーのものが多い。でも、紫陽花を這う蝸牛は殆ど見かけなくなった気がする。日々、きっと楽しい事や嬉しい事はすぐ傍にちりばめられているのだろうと想うが、それに気付けない。否、気付く事を拒んでいるのかも知れない。周りに迷惑ばかりをかけていて、大切な存在である祖父の傍にも行けない私が、笑ってはいけないと考える。こうした想いを言葉にするのも正直いうと苦しくて、まるで傷口の上に更に傷を重ねているような気さえする。何をするのも、苦く、辛い。食べたくない。食べ物など見たくないと想うのに、無理矢理過食と嘔吐をしている自分が居る。お酒を飲むのも気分が悪いのに、惰性で飲んでいる。“何かしないではいられない”といった気持ちだけで動いている。その気持ちが無ければ、私はきっと24時間お蒲団の中から抜け出す事はないだろう。主治医の診察を受けていない事も相俟って、私はどんどんと堕ちていっている。分かっていても、もう主治医と何を話していいのか分からない。こころの中は余りにも混沌としすぎていて、そのカオスは私を混乱に導く。自分の出生の理由を否定し、生きている価値を貶める。“生きているだけ無駄。周囲の迷惑”その想いが頂点に達したら、私は消えることが出来るのだろうかとお薬袋から溢れそうなほどのメジャートランキライザーを見つめる時間が多くなった。生きている意味など無い。私が辛うじて生きていられるのは、祖父母や母が生きているからという理由があるから。それだけである。自分のために生きるなんて、そんな烏滸がましい事など考えられない。昨日の火曜日は、祖父の入院している病院で祖母と母を交えた担当者会議が午前中に行なわれたため、早い時間から身体が動かなかった私は、また、祖父の所へ行く事が出来なかった。悔しいとか、情けないとかそういった気持ちを通り越して自分のこの不甲斐なさに無力感を覚える。こんなにも、祖父に会いたいのに、祖父の笑顔を見たいのに、祖父と触れ合いたいのに、それが出来ない、身体が動かないと固まる自分を感じるとただただ虚しさと無力感だけが蔓延る。現在、目に映るものすべてが色褪せている。自分が生きている意味なんて、無い。もう、疲れてしまった。先日、ドラマ『斉藤さん』のDVDを購入した。今はこれだけが癒しかもしれない。今日から1話ずつ観ようと想っている。以前のように、こころから楽しむ事は難しいだろう。だけど、少しでもゆったりとした時間を過ごせたらと考える。
2008.07.02
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