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☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆メッセージを送ってくださる方々へ。いつも、本当にありがとうございます。楽天ブログのブロガーさん以外の方からも温かいメッセージを頂き、大変感謝しています。お返事が出来なくて、申し訳ないです。でも、とても励みになっています。弱っていたので、励ましのお言葉にとても元気付けられました。そして。うさぎさんからのメッセージでいつも胸が温かくなります。皆様、本当にありがとうございます。更新は不定期となってしまいましたが、それでも読んで頂けて嬉しいです。私は不甲斐ない、情けない人間ですが、ゆったりとやっていきたいと考えています。重ねて、感謝の意を述べさせて頂きます。メッセージを送ってくださり、ありがとうございました。☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆あんなに喧しかった蝉の啼く声は鳴りを潜めて日が暮れると秋の虫たちが一斉に優しい音を奏でている。夏は、あっという間に過ぎた。もう、秋の足音が忍び寄ってきている。こんなにブログを更新しなかったのは初めてである。気にはなっていたが、精神状態は最悪でこうして言葉を紡ぎだす事なんて到底出来ない、深い闇を彷徨っていた。携帯電話は、専ら目覚ましアラームと時間確認という時計代わりでしかなかった。そのような状態に陥ったのは、やはり妹の夫が執拗に妹を苛め続けている事・・・つまりモラルハラスメントが蔓延っている状態を知り何も出来ない自分に腹が立った事も一因である。その上、PMSで情緒不安定だったのに、お薬の変更があり、またこのお薬たちが身体に合わなかった事にも苦しんだ。常々自傷したいと考えていて、カッターで切ったり、アイスピックで刺したりしていた。お薬の変更により、余りにも酷い精神状態に陥ったので前の処方箋のお薬が残っていたからそれに戻したら、幾分落ち着いた。だから今こうしてやっと文章を綴る事が出来ている。こころの中には、たくさんの想いが溢れている。渦巻いている。でも今の私には、それを言葉として表現するのが困難である。祖父の事、祖母の事、妹の事、姪の事、そして母の事。大切な人達が苦しんでいるのをただ見ている事しか出来ないという事実が、無力感へと導いていく。特に、妹に関してはもう、その結婚生活は末期というか破綻寸前のところまで来ている。あの男は、妹の事をまるで自分のモノか従順なペットのように見ていて、思い通りにいかなければ暴れたり、言葉の暴力で妹を追い詰める。妹を家の中で疎外させて、目の前でわざとらしく子どもを可愛がる。そんな歪んだ愛情を受けている姪っ子が可哀想だとかそういうレベルではなくて心配でならない。あの男は、妹への当てつけの為だけに姪っ子を可愛がっている節もあるのだから。まだ5歳の姪っ子だが、これからどんどん自我が芽生えていった時果たしてこの状況に何を感じるだろうか。不安は膨張していく。何よりも、モラルハラスメントは、相手のこころを殺してしまう。妹は、子どもが幼稚園に通えなくなるからという経済面の理由で離婚できないでいる。愛情も無いのに、続ける結婚生活。母と同じ道を歩んでいる妹。そしてその母を救えなかった私は、同じく妹を救うことも出来ない。やはり私は周囲に迷惑をかけるだけなのだから死んでしまった方が良いのだろうと改めて強く感じた。毎日、自傷する事ばかり考えている。私が自傷したいと想うとき・・・それは何らかの物事に関して“怒り”を覚えている時である。今は主に、妹の夫に対して。そして、周囲に迷惑をかけるばかりで何も出来ない自分の存在に対して。人間は、産まれてしまった限り、死ぬ運命にある。また、産まれる時も死ぬ時もひとりである。子どもの頃から、大人の汚い部分を沢山見続けてきて、こういう人間にはなりたくないと考えていた。でも、私は汚い大人になりつつある。こころが歪んでいっているのを感じる。これ以上醜くならない内に、消えてしまいたい。この世界から居なくなってしまいたい。それが、今の私の願いである。
2008.08.27
「疲れた」なんて生易しい言葉では言い尽くせないほど心身ともに消耗し続けている。生きている事なんて、どうでもいいと感じるほど、もう、全てが苦しくて堪らない。原因は分かっている。このこころと身体を蝕んでいるのは、病的な“恐怖”である。この“恐怖”は小さな頃からこの身体に、こころに根付いている。初めて恐怖を感じた対象は、母だった。妹が生まれてから母は益々余裕がなくなり、躾と称する打擲が始まった。3歳の小さな子どもから見る大人は、通常、物凄く大きく感じるだろう。母の場合、結婚生活の様々なストレスやこころの傷によって摂食障害となり過食で太っていたのでより大きく感じられた。打たれる前の、あの大きな腕が振り上げられ、大きな掌が私を打ちのめすまでの恐怖は、未だに実感を伴って想い出される。父親は、妹と弟だけを可愛がっていたので私が打たれていようと蹴られていようと無関心だった。だが、妹や弟が母に怒られている時は、父は「そんなに怒るな。叩いたら可哀想だろうが」と、止めに入っていた。あの頃は、そういった矛盾に気付けなかったが、今想えば哀しい事なんだろうなと感じる。現在、様々な事に恐怖を感じている。“自分の死”以外の事全般に。祖父の病状、祖母が独りで過ごしている事、妹の生活、姪っ子の事・・・それはあの男の暴力がこの2人に及ぶのではないかというもの・・・。そして母があの日死にたいと言った事等、枚挙にいとまがない。私は、いつ死んだって構わないと考えているので命の危機を感じても恐怖は感じない。たとえ過食して嘔吐の際に血を吐こうとも、低血糖発作で意識が朦朧としようともどうでもいいやと想う。適当に自分で処置して済ませる。だが、私の大事な愛する家族に何かあったらと考える時、忽ち私は言葉では言い尽くせないほどの恐怖に覆われる。主治医は仰った。「恐怖は、癌末期患者の疼痛に似ている。 その疼痛は相当酷いもので、 モルヒネ系の鎮痛剤で痛みを抑えるケアが必要。 そうしないと、痛みだけで心身ともに疲弊して げっそりして生きる意志さえ失ってしまうから。 あなたが常に抱いている恐怖にも、ケアが必要。 恐怖も、癌の疼痛と同じく 精神と身体を消耗させていく。 恐怖とは、脳の支配下にあるものだから、 薬物療法がこの場合は適切。 だから、先ず睡眠を確保して、恐怖を緩和するのに 効果のあるお薬に変更したい」私は、今のままの処方でも、恐怖を抱き続けていても、別にどうでもいいと想っていたけれど、「恐怖はお薬によってコントロールできるものである」「その病的なまでの恐怖をどうにかしないと、建設的な話は出来ない」という主治医の言葉により、私はお薬の変更を承諾した。しかし、そのお薬は眠り難くなるという副作用があるので、先ずは眠剤から整理する事になった。現在、量こそ少ないものの、私には沢山の種類のお薬が処方されている。それを整理して簡潔なものにするため、幾つかのお薬をやめて眠剤は3種類だけになった。そして、久し振りに睡眠薬を服用する事となった。今までは、メジャートランキライザーや眠気が強く出る抗うつ薬を使用していた。その睡眠薬はBZP系で中間型である。今まで処方されていたベゲタミンは削られ、その中に含まれているウィンタミンだけを処方に残された。この処方箋での生活は、来週から始まる。主治医は私の手元にお薬のストックがあるのを見抜いているので、もし眠れなかったり、異常があったりしたら新しい処方のお薬はストップして元のお薬を服用したらいいとの事だった。火曜日の電話診察は、私が抱いている“恐怖”に関する様々な事とこのお薬の事で費やされたが、私は唯一正直な気持ち、素直な想いを伝えられる主治医とお話が出来て少しだけ、こころは楽になった。だが、この生き延びている1日1日がストレスであり、生傷に塩を擦り込まれているような感じを覚える。数秒後、何が起こるか分からない恐怖を抱くという事。それは、子どもの頃から異常な恐怖に晒されてきたのだから仕方のないことなのであろう。だから、私は解離したり、摂食障害の症状である過食と嘔吐をしたり、自傷をしたりする事でどうにか乗り越えているのであろう。病的なまでの恐怖・・・それは脳が分泌する物質によるもの。だから、薬物療法でどうにかなる。そう想っても、だから何なのだろうと考えてしまう。憔悴しきって死を見つめながら消えてしまたら良いのにという想いがこころに溢れ続けている。痩せてしまったので、太るのがより一層怖くなった。何もかもが、悪い方向へと進んでいるのが分かる。未来なんて、私には無いのに、一体何を望んで生きているのだろう。
2008.08.15
ブログ更新が、不定期になってしまった。以前は、どんなに苦しくても辛くても毎日書き綴らなければ何か気持ち悪い感じがして無理をしてでも更新していたのに、今はもう、その感覚さえ、無い。立秋を迎えて、暦の上ではこの暑さも残暑となった。少しずつ秋へと近付いていくのだろうが、照りつける太陽は容赦なく、眩し過ぎる。だけど、その季節の強さを感じる感覚は何処かへいってしまっている。正直なところ、生きているだけで精一杯である。生と死の境目を、ゆらゆらと漂っている状態である。そんな私に、母はきつい言葉を放った。先日、努力してダイエットをした人達が特集されたTV番組を、母と一緒に夕飯を食べながら観ている時、私が食べている姿を見て言った。「この人たちはこんなに頑張ってるのに。 あんたは病気を治すつもりが無いんやろ」「毎日食べて、吐いて。吐くのも辛いんやろ? なんでやめようとしないの?」「病気を治していかなきゃ。治さな何にも出来んよ」これは、まだまだ生ぬるい言葉で、もっときつい事も言われた。私も一応、「病気は“治すもの”ではなくて 共に生きて治るように考えていくものだ」という旨の言葉を伝えたけれど、ビールでかなり酔っていた母には、戯言のように聞こえたのだろう。だから、治す気がないのだという言葉が出たのだと想う。例えば、PTSDという病気。私は摂食障害になる前から患っているが先日、妹も患っている事が分かった。症状は、解離やパニック発作、フラッシュバックに苛まれるものが主である。その症状に対して、果たして「治せ」と言えるだろうか。解離したり、フラッシュバックしたりするのは辛いだろう、だったら治せと、果たして言えるだろうか。母は決して、そのような事を妹に言わない。当たり前である。治そうと想っても、解離やフラッシュバックを自分で止めようと想っても出来ないのであるから。摂食障害も、同じ事が言えるのではないだろうか。私の場合は過食と嘔吐、そして拒食という症状として出ていて、それは目に見えて醜い行為と捉えられる事が多いし、金銭面でも周囲に多大な負担をかける。また、自分自身の身体もぼろぼろになっている。そういった、負の部分が強調されるから、また、食欲はコントロールできるという先入観もあるから、「どうにかしろ」ときつく言えるのだろう。母自身も、過食と嘔吐をしていた時期があったのに、もう忘れてしまったようである。摂食障害も、PTSDと同じく病気なのだから、解離やフラッシュバックを治せと言われて治せないように、また、他の例としては風邪を引いて熱が上がったり咳が出たりするのを今すぐ治せと言われても出来ないように、無理なものは無理であり、治癒を急かされるほど、「私は生きていては駄目なのだ」という想いが物凄いスピードで膨らみ始めるのである。毎日感じている、不安。祖父の事、妹の事、姪っ子の事、そして母の事。不安が膨張し続け、それが張り裂けると、恐怖になる事を、知った。恐怖を毎日感じていると、生きているだけで疲れる。精神的にも、身体的にも、何かが物凄い勢いで消耗していき、私は日々、衰弱していく。火曜日の電話診察で、主治医はこの私が抱いている恐怖を見抜き、また、その恐怖が私を死へと向かわせている事も分かって頂けた。毎日、私は自分に問うている。「今日は生きていてもいいのか。 それとも今日こそ死んだほうがいいのか。」その上に様々な、不安を超越した“恐怖”がこころの中で限りなく膨らんでいく。最後に笑ったのは、いつだったのかさえ想い出せない。解離を起こす頻度も高くなった。常に、自分が何者なのか分からなくて、ゆらゆらと揺れていて、こうして言葉を綴っている自分が一体何なのかさえ、漠然としている。主治医は仰った。「あなたは解離したり、リストカットしたりする事で どうにか現実と折り合いをつけているのかもしれない。 その方法が無ければ、もしかしたら もっと重篤な精神病になっているかもしれない。」尤もだと感じた。疲れてしまった。どうしようもないほどに。心細いとき、苦しいとき、辛いとき。どんな場合も、独りで解決しなければならない。少し身体の力を抜いて寄りかかったり、頼ったり出来る人は、身近には居ない。どこにも居ない、現実の世界。3歳の頃から、母からの躾と称した打擲が酷くなり、そこで私は解離する術を覚えた。それが病気ならば、治せといわれても、自分ひとりの力ではどうしたら良いのか分からない。兎に角、疲れてしまった。また、もう少し余力が溜まった時、ブログを更新できたらと考える。
2008.08.08
いつのまにやら葉月も2日目を迎えていた。7月の後半は、身体の調子を崩して1日を生きるだけで精一杯だった。毎日、胸が痛む。今、この瞬間に妹が暴力を振るわれてはいないか、祖父が苦しんでいるのではないか、祖母は独り、家で心細いのではないか・・・。自分の病気もしんどいけれど、家族が苦しく辛く痛い想いをしている事の方がもっともっと哀しくて考え、想えば想うほど言葉に言い尽くせない辛さが襲ってきて胸が痛む。“自分には何も出来ない”それを目の当たりにして、目の前が真っ暗になる。主治医の電話診察を受けている時だけは、ほんの少し、こころが落ち着く。しかし、やはりその話の中でも明日、何が起こるか分からないという覚悟で生きねばならないという結論に至り、私は自分の事が何も分からなくなった。気を抜けば、すぐに解離する。気付けば時間が経っていて、その間何をしていたか、何を考えていたか思い出せない。後、酷い下痢が続いている。昨日辺りは、少し落ち着いていたけれど、一時期は大人用オムツを穿かないと眠れなかった。お薬を服用すると、突然意識を失うように眠るのでその間は何も感じなくなってしまうから。10日ほど、起きている間は10分おき位でトイレへ行っていた。尾篭な話になるが、便は、色が少しついただけの水だった。所謂、水便である。その間に、私は痩せた。久し振りに会った弟から、指摘された。そのままじゃ本当にヤバイと言われた。自覚などない。寧ろ、もっと痩せねばと想っていた所だったから。弟に言わせれば、脚は棒のようらしい。涼しい時間帯に、散歩した方がいいとアドバイスされた。自分の事なんて、どうでもいい。それよりも、妹の生活の方が心配であるし、あの男の暴力が、いつ姪っ子に向かうか分からないと考えると居ても立っても居られない。母も、精神的に参っている。今まで、母との関係を良いものに築いていきたいとか、映画を観に行くことが出来たとか少しずつ病気が治る方向へ進みたいと想っていた。けれども、そんなゆったりとした時間なんて今後一切訪れない。憂慮は絶え間なく続き、安心できる時間は殆どない。眠る前も、「眠っている間に何かあったらどうしよう・・・」という不安でたとえお薬を服用していても2時間おきに目が覚める。DVは、犯罪。だから、私は周囲が反対しようとも警察の生活安全課には相談しておこうと想っている。周りの環境が落ち着いていた頃、漸く私は、“甘えるという事の意味”について考えられるようになり、甘えと依存の違いに気付き、甘えるという事こそ、人間関係を築く上でそれは糊のような役割を果たすものだと感じた。だが、私はもう、誰にも甘えられない。甘えられる人は居なくなった。病気が治っていく過程で、必要なのは甘える意味を知る事だと考えていた。私にとって、甘えられる対象は母だけだった。けれども、その母はもう、疲れきっている。祖父が入院した先の病院は、余り良くない所だった事がまた、母のこころを押し潰しているのだろう。カンファレンスに参加して、色々と質問をしたり、最低限の要望を伝えたりしたら、看護師長みたいな人が母のいる前で祖母に、「自分の子どもと相性が合わないのはつらいですよねえ」と言ったのである。確かに祖母は、病院側に全て任せたい気持ちであるが、拘束用具である、手袋を実費で購入を迫られたり、リハビリの時間以外はその手袋で祖父はずっと拘束されていたり、オムツは一昔前のタイプで蒸れやすく皮膚がかぶれやすい祖父にとって苦痛である事を「ちょっと違うのではないか」と母が物申したのが、病院側にとっていけすかないらしい。とある日の夜、母は、私に言った。「私が死ねば、保険金が入るから兄弟で分けて。 そしたら、あの子がお金が無いことで働いて旦那から文句を言われなくなるし あんただって未来があるんだから生きていける」その言葉を聴いた途端、私のこころは音を立てて壊れた。でも、表面では如何に母親とは素晴らしいか、母が共に生きてくれるお陰で私は生きていけるとか、妹も弟も私もみんな、母が大好きで母がいきなり死んでしまうなんて、幾らお金が遺されても、哀しくて苦しくて生きていけなくなるなど必死でその考えは違うと訴えた。立場が、逆になっていて倒錯的な感覚は否めなかったが、母は自分が死ぬという考えを“それは違う”と思い直してくれたようで、安心した。私は、必死だった。しかし、私はもう、生きていく気力がない。私の主治医は、妹も診察してPTSDという事で治療を始めている。母は、私のお薬を取りに行くため、診察室で先生とお話している。主治医は、母も妹も私もみている。その上で、3人とも本当に危うい状態だと仰っていた。もし1人が欠ければ、みんなこの世から消えてしまうかもしれないと。過食と嘔吐。この症状は、惰性で続いている。食べたから、吐くという、それだけの理由で。お酒を飲んでも、酔えない。大好きな安室奈美恵ちゃんの音楽を聴いてもすぐに気分が堕ちてしまう。もっともっと大好きな観月ありさちゃんの映像を観ても、集中できなくて数分で消す。何だか、毎日ジェンガをやっているような気分である。不器用な私は、2~3個ブロックを抜いただけで崩れそうな状態に追い込む。ジェンガは、私のこころ。1日の終わりを迎える前に、崩れ落ちている。そして1日の始まりに、組み立ててまた、1つずつ稚拙な手つきで抜き取っていく。崩さないように、けれども、崩れてしまえと願いながら。心許ない。こんな不安を感じるのは物凄く久し振りかも知れない。母こそ生きていてくれたら、私も生きていけると想っていた。でも、「違う」とこのブログを綴れない日々に痛感した。目の前が真っ暗なのに、歩かねばならない心細さは恐怖にも繋がる。幸せな未来など想い描かない方が良いと仰った主治医の真意がやっと分かった気がする。明日1日、私の大事な家族が無事でいられるかどうか、私は果たして生きていられるのかどうか分からないのだから。絶望なんて、生易しい言葉では言い表せない日々が、また数時間後昇る太陽によって始まると考えるだけでこころは押し潰されていく。
2008.08.02
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