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この楽天ブログ、【育~iku~ 宇宙から、育む わたしを超えて、育む。 】を数日中に、消すことにしました。ブログ移転後、そのまま放置していましたが、このところの身辺整理にともない、長い間そのままにしていたこのブログも、綺麗に消すことにします。^^*過去をきれいに精算して、新しく人生の基盤を整えるために、いろいろと準備しています。自分が今までとったことのない選択を、大げさかもしれないけれど、十も二十もしている気がします。選ばざるを得ない状況に追い込まれ、けれども、どこかでそれは自分の深い部分で望んで起こしている変化なのだと、どこかで理解していて、現実には心も体も痛むことはありますが、その痛みから解放されて、自分が変わっていくためには、それらと向かい合って、乗り越える以外の選択肢はなく、それを覚悟して、つかみはじめた、そんな感じの心境です。人生の中で、こんなことが起こるとは思ってみもなかった!!というセリフを、ここ5年くらいの間に、何度も言っている気がしますが、そのセリフを言った中で、今回が一番強烈!!!でも前途は明るいです。そのために、選択したのです。もろもろのことを。希望をもう一度、ちゃんと自分で見出すために。ではまたどこかで。さようなら~~~
2009.06.08
こちらのブログはお引越しして、http://infinite107.blog107.fc2.com/こちらで日記をアップしていますが、ホームページを開設したのと同時に、セッションメニューに少し変更などがありますので、お知らせとしてこちらにもアップしておきます。スピリチュアル・セッション・ルーム【The Infinite ~インフィニット】http://the-infinite.com/新セッションメニューはHP内にあります。どうぞよろしくお願いいたします。
2008.05.13
お引越しは、おうちではありません。いろいろ考えていたのですが、こちらのブログを、近々お引越しします。^^*新しいブログはこちら。http://infinite107.blog107.fc2.com/そして、いまだHP作成ちゅうですが、そちらのアドレスもアップしておきます。http://the-infinite.com/一応、アドレスのご案内まで。
2008.03.12
エンパスについてはここにも書いています。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/diary/200802270001/自分の体を通じて、エンパスのことを理解したら、ものすごくリーディングやチャネリングが正確になっていっている。自分の使い方、つまりエンパスの使い方がわかった、ということなのだと思う。今まで人生で苦労してきたことがいろいろとあるけれども、それは言葉に説明できない、人と感覚が違うのでわかってもらえない、そういった性質のものだったので、自分自身でも会得するのに、とても苦労してきた。スピリチュアルの“ス”の字も知らないころから、自分と向き合い、自分というものを知るために、地道な努力をしてきて、それらの意味がやっと、ここにきてきちんと繋がり始めている。エンパシーの本には、日本人の五人に一人はエンパスです、と書かれているが、実際の数字はわからないけれども、エンパスの人は多いだろうと、わたしも思う。サイキック・プロテクションの伝授をしているが、そのときに、日本の社会は、共依存の社会、甘えと期待で成り立っている、という話をさせてもらっているけれども、それは、日本人にエンパスが多いからではないかと思う。口にはっきり出して伝えなくても、暗に察するこれはエンパスの才能があるからこそ、できることでは、と思う。ただし、エンパスの才能がきちんとのびていくためには、自他の区別がつくこと、そこにバンダリ(境界線)がきちんとひけて、バンダリが保てること、これは一番最初の出発点になると思う。エンパスの人にとって、サイキック・プロテクションは重要な技術だと思う。わたし自身、サイキック・プロテクションを学んだことは、エンパスの才能をのばしていく準備のひとつだったと強く感じている。日本にいるエンパスの人のサポートをすること、それがここ最近、自分の中で強くわきあがっている、わたしの一番したいことのうちのひとつ。振り返ってみると、わたしの元にくるクライアントさんは、エンパスの方が多いように思う。エネルギーで引き合うから、わたしと似たような性質を持つ方がいらっしゃるのは、当然のことなのだけど、エンパスに気づいて、意識してみると、よりはっきり見えてくる。エンパスの人は、自分というものの意味、価値、存在意義、それらを見いだすのにとても苦労すると思う。なぜなら、自分以外のもの、ひと、こと、も、自分の内側で、自分のものとして体験をするから、つまり、“自分”というものが明確でないし、ないように感じてしまうからだ。周りの影響を受け、つねにその影響下にいると感じてしまいがちだから。でも、エンパスの人の存在の意味、それがとてもよくわかるようになった。そしてどう活かしていくかも、少しずつ体得している。だからそれを伝えること。エンパスにおいては、まずフォーカスする先に意識的になること、そしてフォーカスする、しない、のスイッチが自由にできるようになること、この二つがまずは出発点であり、すべてであると思っている。今、伝えられると思うこと・わたしが今まで、どう苦労したか・わたしが感じる、エンパスというものの性質について・エンパスであるという意味・どうエンパスからくる悩み?問題?テーマ?課題?を克服したか・どうエンパスを活かしているかそのうち会を開きたいと思っています。今後のご案内。エンパスの人におすすめな、サイキック・プロテクションの伝授、3,4月と講習会を行います。その方の状況によって、少々異なりますが、基本的には、伝授日の二週間前からのご入金をもって、準備ワークが始まっていきますので、締め切りが伝授日の二週間ほど前になります。 また、3/13(木)にはプロテクション体験会を行います。●3/13(木) サイキック・プロテクションのプロテクション体験会伝授まではちょっと、と思う方。まずはどんなものか体験してみたい方。自分と自分以外のものの違いをはっきり感じることで、楽になっていきます。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/13000●前回大好評で、キャンセル待ちをたくさん頂いた、リーディング&チャネリングのワンデイ・ワークショップ、次回以降の日程とご案内をアップしました。3/26(水)、4/12(土)になります。詳細&お申し込みはこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000●それから、サイキック・プロテクション伝授の講習会もまた行います。平日、土日ともに設定しました。^^*3/29(土)、4/23(水)になります。内容やお申し込みなどの詳細は下記をご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000自分自身をエネルギー的に、いつも確立させていられることは、ライトワーク(チャネリングやヒーリングなどのセッション)をする上で、基本中の基本です。また、エンパスの人にもとても心強いサポートになります。すぐに自分の感情がわからなくなってしまう人、人の感情など、人からの影響を受けやすい人、自分のことがよくわからないと感じる人など、自分と人の感情に区別がつくようになっていって、人の感情やエネルギーをしょいこまなくてすむようになっていきます。今後、チャネリングスクールを開こうと予定していますが(5月~7月予定)、その際、サイキック・プロテクションの伝授を受けられていることを、ご参加の条件にさせていただこうと思っています。もし、チャネリングスクールご参加のご希望がある場合は、その前に伝授を受けていただくことをおすすめさせていただきます。
2008.03.10
利用するものは、“時間”ですので、あしからず。。笑わたしは時間の使い方がすごく下手です。三月の初めの土日、ビオダンサのスクールが二日間、その前後にもクラスがあったことで、正直仕事がうまく運ばなくなっていた。もちろん、こういうモードは上手く切り替えられるものではないと感じているけれども、それでもきちんとしなければならないものは、あると思っているから、とてももどかしく感じていた。周りの人たちに、とても申し訳なく感じていた。ビオダンサの時間と、仕事の時間と、プライベートの時間と、その他の時間と・・すべてを上手く切り替えられるようになったら、とはずーっと思っていた。今年に入ってから、わりとずーっとゆったりしたペースでお仕事をさせていただいていますが、自分の中では、もっともっと(自分自身を)活かしていかなければならない、という焦燥感のようなものがずっとあった。それは、わたし自身、できるようになっていることがあるのに、それを実際に行動にうつしていない、という自覚があったから。それについて、いろんな心理的なブロックがあったのだけど、ここ最近、それもとけた。最後に残っていたのは、“計画的に”ことを行う、ということ。計画をたてることは、追われることだという思い込みがあって、それは過去、わたしがものごとをつめこみすぎて、ぎゅーぎゅーで、心身ともに疲弊しながら頑張ってやってきた歴史、というのがあって、それを思い出すと、もう絶対あのような過ごし方はいやだ!!という思いから、計画的にやること、本腰をいれてやることについて、本当につよい怖れがあった。でも、新月の瞑想会で、世界樹(ユグドラシル)の瞑想、宇宙に繋がる瞑想などをして、そこですっかり、その思いや怖れがとけたようだった。そして急に、しっかり取り組むこと、計画的にやっていくこと、が自分の中でできるようになった、という感覚がおりてきた。はぁぁ~~、やっとここまで来ました。。今まで迷惑をかけてきてしまった人たちへ、ごめんなさいの気持ちと、ありがとうの気持ち。わたしはわたしにできることしかできないけれども、できることは精一杯、やっていきたいと思う。ご利用は計画的に・・・。笑なんだかやっと基本に立ち返った感じです。●3/13(木) サイキック・プロテクションのプロテクション体験会伝授まではちょっと、と思う方。まずはどんなものか体験してみたい方。自分と自分以外のものの違いをはっきり感じることで、楽になっていきます。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/13000●前回大好評で、キャンセル待ちをたくさん頂いた、リーディング&チャネリングのワンデイ・ワークショップ、次回以降の日程とご案内をアップしました。3/26(水)、4/12(土)になります。詳細&お申し込みはこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000●それから、サイキック・プロテクション伝授の講習会もまた行います。平日、土日ともに設定しました。^^*3/29(土)、4/23(水)になります。内容やお申し込みなどの詳細は下記をご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000自分自身をエネルギー的に、いつも確立させていられることは、ライトワーク(チャネリングやヒーリングなどのセッション)をする上で、基本中の基本です。また、エンパスの人にもとても心強いサポートになります。すぐに自分の感情がわからなくなってしまう人、人の感情など、人からの影響を受けやすい人、自分のことがよくわからないと感じる人など、自分と人の感情に区別がつくようになっていって、人の感情やエネルギーをしょいこまなくてすむようになっていきます。今後、チャネリングスクールを開こうと予定していますが(5月~7月予定)、その際、サイキック・プロテクションの伝授を受けられていることを、ご参加の条件にさせていただこうと思っています。もし、チャネリングスクールご参加のご希望がある場合は、その前に伝授を受けていただくことをおすすめさせていただきます。
2008.03.10
この日は瞑想会でした。瞑想会前の数日、なにかやたらと眠い感じで、夢をたくさんみて、なにかを整理していました。その日もいろんな夢を見ましたし、そのあともいろいろ夢を見ていました。瞑想会、キャンセルが入ったり、遅刻されるかたがいたり、自分自身もなにかすこしずれがある感じで、いまいち落ち着かなかったのですが、今回の新月は、大き目のシフトチェンジがあった感じですね。わたし個人としてのできごととしては、3/9の夜に、インパクトの強い、変容・覚醒するできごとがありました。2月は浄化の波が強く、3月に入ったら少し落ち着くかな?と思ったけど、この新月前後の動きは大きかったですね。 ***ビオダンサのクラスを、たくさん受けると、自分の体がすごく変化するので、それに心(精神)が追いつくのに、2,3日を要する。。スクールで二日間など、まったく仕事モードにならなくなるのと、そのあとも、すぐにはモードが戻ってこないので、少しもどかしく感じてしまうが、心(精神)が追いつくための、2,3日の整理の時間はやはりはぶくことはできない。この整理の時間もやはりよく眠り、夢をよく見る。思考にもエネルギーがあることがよくわかった。ビオダンサのスクール前後ふくめ、たくさん踊ったあと、クラスがなかったので、ぱたりと3日間体をうごかさなかったら、体と心がずれて、思考が暴走(までいかないけど)気味になっていることに気づいた。体を動かしていないから、思考のエネルギーが発散されず、あれこれといろいろ余計な思考を働かせているよう。わたしはよく、踊らないと生きてこれなかった、と言うけれども、やっぱり本当だ、と実感。踊らないと死んじゃうな~。 ***●3/13(木) サイキック・プロテクションのプロテクション体験会伝授まではちょっと、と思う方。まずはどんなものか体験してみたい方。自分と自分以外のものの違いをはっきり感じることで、楽になっていきます。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/13000●前回大好評で、キャンセル待ちをたくさん頂いた、リーディング&チャネリングのワンデイ・ワークショップ、次回以降の日程とご案内をアップしました。3/26(水)、4/12(土)になります。詳細&お申し込みはこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000●それから、サイキック・プロテクション伝授の講習会もまた行います。平日、土日ともに設定しました。^^*3/29(土)、4/23(水)になります。内容やお申し込みなどの詳細は下記をご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000自分自身をエネルギー的に、いつも確立させていられることは、ライトワーク(チャネリングやヒーリングなどのセッション)をする上で、基本中の基本です。また、エンパスの人にもとても心強いサポートになります。すぐに自分の感情がわからなくなってしまう人、人の感情など、人からの影響を受けやすい人、自分のことがよくわからないと感じる人など、自分と人の感情に区別がつくようになっていって、人の感情やエネルギーをしょいこまなくてすむようになっていきます。今後、チャネリングスクールを開こうと予定していますが(5月~7月予定)、その際、サイキック・プロテクションの伝授を受けられていることを、ご参加の条件にさせていただこうと思っています。もし、チャネリングスクールご参加のご希望がある場合は、その前に伝授を受けていただくことをおすすめさせていただきます。
2008.03.08
最近のお気に入りふたつです。パートナーから教わって、最近毎日、しょうが紅茶プラスはちみつを入れたものを飲んでいます。しょうが入りだけだと、わたしにはからいので、はちみつもプラス。しょうがはすりおろして、しぼった汁を入れて、はちみつを混ぜていただきます。しょうがはみずみずしくって、しぼった汁の色も、天然の綺麗な色。香りもよく。自然のものは、色も香りも味も、すべてにおいて豊かだなぁって思います。しょうがは体をあっためてくれるとのこと、それについての実感はよくわかりませんが、毎日飲みたくなるので、体が求めていて、欲しているものなんだな~ってことはよくわかります。そして教会のエッセンス。ウェストミンスター大聖堂のエッセンスはちらりと紹介しましたが、プラス、セントポール大聖堂のエッセンスも実は作っていて、このふたつのエッセンスを、いろいろな方へ配ってきました。そして、わたし自身もこのエッセンスのお世話になってみました。スクール二日目の3/2まで、約一週間ほど、この二つのエッセンスをいれた、ミネラルウォーターを毎日ずーっと飲んでいました。そうしたら、浮かび上がってきていた、わたしにとって大きな、最後の山場?とも言うべき、どうしたらいいんだろう??と思うようなブロックがあったのですが、これと取っ組み合いになることもなく、反発しあうこともなく、気持ちの上で、とても楽に、その上へステップアップするように、本当にブロックがあったの??と思うぐらい、すんなり超えていかれました。それには、エッセンスをとりながら、ビオダンサのワークで、たくさん体を動かしていたことも、要因として大きかったと思います。エッセンスで浮かび上がらせ、包んで、それを体で動かして、外へ解放させていく。そんないいプロセスをへられたな~と感じています。自分で作ったエッセンスですが、エッセンス様様という気分です。笑わたしは今まで、他のサポートを使わず、一人で考え、一人で向き合い、ブロックやトラウマを解消するってことを、多くやってきましたが、少しずつ人や他のサポートを得るということができるようになってきていて、今回も、他のサポートがあると、こんなに楽なのか!!ということを、なんだか強く実感しました。無理して一人でがんばらなくってもいいんだなぁ。あでも、今まで主に一人で取り組んできたことには、大きな意味があって、そこから得られているものがたくさんあるので、それを否定してはいないです。むしろ、それでよかった。 ***最近、毎日楽しいです。一ヶ月ちょっと前に、パートナーができたこともあるけれども、彼と出逢う前に、大きな変化をいくつも超えてきて、そして今、たくさんのギフトを頂いているなぁって思います。ビオダンサでは、わたしがダメだと思っていて、我慢していたこと、抑えていたこと、それらをいいんだ、って思えるようになって、我慢も、抑えることも、どんどんしなくなっていきました。今のわたしは、喜怒哀楽がものすごくはっきりしていると思う。パートナーといても、自分の笑い声も、どんな顔しているかとかも気にせず、腹をよじらせて、げらげら大笑いたくさんしたり。ある人には、「二人は兄弟ではないですよね?パートナーだなぁとは思ったんですけど」と言われて、とても嬉しかったり。パートナーとは、パートナーであると同時に、親子のようでも、兄弟のようでも、友人のようでも、師弟のようでも、どんな関係のようでもありたい、と思っていたので、そのように言われて嬉しかったのです。どんな関係性も、そのパートナーという関係の間にあったら嬉しいと思う。他の人には、顔が似ていると言われました。つくりは全然似ていないと思うのだけど。けれど、それも嬉しく思う。いろいろ似ていることがあってびっくりするのだけど、(逆に正反対の部分ももちろんあるけれども)マヤン・カレンダーというもので、自分のKINナンバーというものを調べられるのだけど、260kinある中で、いろんな組み合わせがあって、私は “赤い水晶の地球” kin77彼は “赤い倍音の地球” kin57そう、同じ赤い地球なのです。それでびっくりしたんだけど。さらにびっくりすることがあって。。すぴこんのハンドブックにマヤン・カレンダーが載っていて、彼のkinバースデーが近かったので、いつかな~と追っていって、見ていったら、なんと、今度のわたしの誕生日!!これに本当に驚いたのです。。いろいろ調べたところ、365日の暦と、260日のkinの暦は、52年で一巡するもの。だから、52年に一度の日ということになるのですね。さらに調べていくと、自分の誕生日には、決まったkinのサイクルが繰り返されていて、必ず一緒になるkinと、絶対一緒になることのないkinがあるわけです。わたしたちは同じ“赤い地球”だから、お互いの誕生日とお互いのkinバースデーが重なることが、52年に一度巡ってくるというわけ。しかし、パートナーになって、初めてやってくる自分の誕生日に、パートナーのkinバースデーが重なるという奇跡に、本当に驚きました。赤い地球同士っていうことも、珍しいと思うし、そしてこうやって、kinバースデーと(グレゴリオ暦の)誕生日が重なることも、赤い地球同士でなければ、ないことなのだけど、すごくびっくりしたし、嬉しいことなのでした。 ***最近のシンクロ具合というか、宇宙の流れとの沿い具合に、本当に驚くことが多い。自分にとって、不要な思い込みやマインドをどんどん手放していかれると、宇宙との流れの沿い具合が、どんどん高くなっていくんだな、っていうことを、実感します。本当に小さなことだったりするんだけど、なにかをしようとしていて、できないな~ってことは、必要じゃないってことだったり。理由はよくわからないんだけど、なんかしなくちゃ、って思ってすっとしていたことは、後からすごく必要になることだったり。それをパートナーに話したら、「無駄がないね!」と言っていて、なるほど~と思った。そうそう、無理して考えて、先回りして行動したりしなくても、直感やインスピレーションにしたがっていると、それで完璧☆だったりする。だからいかに、直感やインスピレーションにゆだねられるか、ってことなんだと思う。毎日、毎日、自分が過ごしていて、どんどん変わっていってるなぁ~と思うことってたくさんあるのだけど、ここ最近の気づきと、それにともなう自分のありかたっていうものが、本当に大きく変化したな~と思います。これを還元していけたらいいな。^^*ひとつ自分の中に強く浮かび上がってきているのは、わたしと同じような“エンパス”の人のサポートをするっていうこと。これ、ひとつのわたしのミッションです。 ***もうあさってですが、3/8(土)の瞑想会、まだ空きがありますので、よろしければいらしてください。新月明け直後なので、お願い事を宇宙に放つ、ということもやってみようかな、と思っています。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/14000前回大好評で、キャンセル待ちをたくさん頂いた、リーディング&チャネリングのワンデイ・ワークショップ、次回以降の日程とご案内をアップしました。3/26(水)、4/12(土)になります。詳細&お申し込みはこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000それから、サイキック・プロテクション伝授の講習会もまた行います。平日、土日ともに設定しました。^^*3/29(土)、4/23(水)になります。内容やお申し込みなどの詳細は下記をご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000自分自身をエネルギー的に、いつも確立させていられることは、ライトワーク(チャネリングやヒーリングなどのセッション)をする上で、基本中の基本です。また、エンパスの人にもとても心強いサポートになります。すぐに自分の感情がわからなくなってしまう人、人の感情など、人からの影響を受けやすい人、自分のことがよくわからないと感じる人など、自分と人の感情に区別がつくようになっていって、人の感情やエネルギーをしょいこまなくてすむようになっていきます。今後、チャネリングスクールを開こうと予定していますが(5月~7月予定)、その際、サイキック・プロテクションの伝授を受けられていることを、ご参加の条件にさせていただこうと思っています。もし、チャネリングスクールご参加のご希望がある場合は、その前に伝授を受けていただくことをおすすめさせていただきます。
2008.03.06
のどがイガイガ*はながズルズルかーぜーをー、ひきました。しかししっかり日常生活は行ってます。スクールも満喫。昨日、おとといと、ビオダンサのスクール二日間が終わりました。イタリアからきてくれた、イリアーナを講師に迎えての二日間。彼女のファシリテートは、普段レギュラークラスでファシリテートしてくれているデイビッドとは、まったくタイプの違うファシリテートでした。だからこそ気づくことも多く、収穫の多い二日間でした。彼女にとてもインスパイアされました。彼女のもつ雰囲気、オーラ、彼女自身の在り方、そういった目に見えないものから、たくさん学びました。そして、この二日間で一番大きな収穫は、今生での、自分自身の在り方、自分がなにをやりたいのか、どうありたいのか、どうしていきたいのか、ということが、見えたことです。そして、ビオのワークの中で、わたしは自然とそれを行っていて、そしてふっと内側から静かに花が咲くように、その思いがあらわれました。わたしはこれがしたいのだ、と。それはとても静かで、穏やかで、心静かに自分の内側とともにあったときに、そこにもともとあることに気がついたような、でもやっと探し続けて出会えたもののような、そんな一瞬でした。なんだかもう迷うことはない気がします。あとはいかに、見つけたこの思いを、この体で、ここの場所で、それをあらわしていけるか、そういった意識にシフトしていくと思います。先週からいろいろ出てきていた大きな自分のブロック、思い込み、しがらみを超えて、やっとたどりついた、という思い。わたしがビオダンサから受け取ったものは本当に大きい。わたしは20代の半ばくらいまで、自分で自分のことをやっかいだ、と思っていました。とても扱いづらいヤツだと。でももう、その思いはありません。ビオダンサでは、どんな瞬間のわたしでも、許してもらえる。受け入れてもらっているのを感じる。あのね、大袈裟かもしれないけれども。ビオダンサでのみんなと繋がっていることを感じる時間は、以前にみた、グレゴリー・コルベールの写真展にあった世界と、おんなじなんだ。あの写真の中の世界を、写真の向こう側から見ているのではなく、写真の中の世界に、すっぽり入ってしまう感じ。もちろん、その世界に入っていくために、自分が手放していくもの、おいていくもの、勇気を出すこと、一歩踏み出すこと、いろんなことが必要になる。初めてビオダンサのクラスに行ったときは、ちょっとおっかなびっくりだった。戸惑いもあった。なんでみんながそんなに楽しそうに動けるのか、わからなかった。びっくりしたけど、でもよくわからないけど、しばらく戸惑いはあったけど、クラスに行きたいという衝動はやまなかったので、行き続けた。わたしの深いところではわかっている。どこでなにが得られるか。そして自分がなにを求めていて、求めるものがどこで得られるのか。そして、思うのは。ビオダンサのワーク中にえられること、感じられること、受け取ること、それをいかに、この普段の世界にも、ずっと途切れることなく続けていかれるかってこと。写真の中の世界だけではなく。写真の中の世界にひたるのではなく。すべてに、つなげていくこと。本当にたくさんの気づきがあったのだけど、それはまた。わたしには、なにもない。その気づきから繋がっています。ここまで繋がってきました。わたしになにもないことには、大きな意味があったこと。それだからこそ、今生できることがあること。そのためにこそ、なにも持たないできたということ。はっきり、わかりました。今日の夜は、いつものデイビッドのファシリテートのビオダンサのクラス。体を動かしているほうが楽なので、もちろん行きます。この二日間で得たことが、また自分の中にまとまっていくと思うと、今日のクラスも本当に楽しみ。今後の予定です。● 3/8(土)新月新月【宇宙の叡智と繋がる瞑想会】http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/14000まだ詳細をアップしていませんが、今後の予定の日程を先にあげておきます。● リーディング&チャネリング 1dayワークショップ3/26(水) 4/12(土) 13:00-20:00予定● サイキック・プロテクション 伝授講習会3/29(土) 4/23(水) 13:00-19:00予定● チャネリングスクールサイキック・プロテクション伝授済みの方のみ5~7月 平日・土日コース二週間に1クラス×6日(予定)
2008.03.03
明日、楽しみにしていたビオダンサのスクールが二日間、始まります。たっぷりビオダンサ漬けになってきます♪コメントやメッセの返事が遅れるかもしれませんが、ご了承くださいませ。コメントのお返事まだのものがありますが、またスクール後に、お返事させていただきます。。さて、今後の予定です。● 3/8(土)新月新月【宇宙の叡智と繋がる瞑想会】http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/14000まだ詳細をアップしていませんが、今後の予定の日程を先にあげておきます。● リーディング&チャネリング 1dayワークショップ3/26(水) 4/12(土) 13:00-20:00予定● サイキック・プロテクション 伝授講習会3/29(土) 4/23(水) 13:00-19:00予定● チャネリングスクールサイキック・プロテクション伝授済みの方のみ5~7月 平日・土日コース二週間に1クラス×6日(予定)また、ウェストミンスター大聖堂のエッセンス、少しずつお分けしているのですが、いろんな方から、けっこういい感じに効いていると感想をいただいています。実は、セント・ポール大聖堂の教会のエッセンスも作ったのですが、この二つのエッセンスを一緒にとると、とてもいい感じで効いていきます。わたしもとっていますが、すごくいい感じです。^^*このウェストミンスター大聖堂のエッセンスは、とてもやさしい許し、受け入れのエネルギーで、深いところ、自分が持っていることにさえ気づかない、自己否定感や罪悪感を、やさしく包んで、浮かび上がらせ、流すサポートをしてくれるものになっています。このエッセンスがもつエネルギーが、今の流れにある多くの人に、必要だなぁと感じていたところに、さらに、能力開発のセッションである方へ開発した、慈愛のヒーリングエネルギーが、エッセンスとほぼ同じエネルギーで、このエネルギーを、多くの人に伝えられないかな、と思って、今、ガイドとチャネリングしながら、このヒーリングを多くの人に伝えられる形を、作っていっています。まずこのヒーリングエネルギーのモニターを募り、その後、伝授もはじめようと思っています。このエネルギーについて、いろいろわかってきていて、これがお伝えできる形になっていくのがとても楽しみです。^^*近いうちにご案内できると思いますので、興味のある方はお楽しみにいろんな(自分ではめた)足かせがはずれていって、これからもっともっと、進んでいくことができそうです。ブロックや、解放が起こっても、実際、現実でことを起こし、行動パターンを打破していくのは、今のこの自分で、行っていくしかないのですよね。行動パターンを超えていくのは、三次元の自分で行動していくことだけ。自分の足で、着実に進んでいかないと、って思います。ここで足を進めるのを、やめてしまわないように・・自分にも言い聞かせるために、書いておきます楽しんで超えていこう
2008.02.29
2月、とくに旧暦のお正月(新月)をもって、大きなエネルギーの切り替わりがありましたね。ここから押し出すようなエネルギーがあって、心の底にしまっておいたような、自己否定感だったり、罪悪感だったりといったものが、ぐわ~っと持ち上げられた人が多かったように思います。だから一旦、しんどい状態やつらい思いをされる方が、増えたのではないかな。でもこれはとてもいいことで、多くの人は、自分の状態がしんどくなったりすると、後退している、と思う人が多いですが、今まで抑圧していて気づかなかったから、ないように思っていただけで、それが浮上してきて認識できる状態になったので、しんどい状態になるんですね。でも、認識できるようになっているということは、扱うことができるようになっている、つまり解放する準備ができるようになっている、ということなので、それはいいことなのです。今月はさらに、21日で満月があり、このあとに強風が二日間続いて、このときもエネルギー大きく動かされましたね。わたしもこのところは、ぐっすり寝て、変な夢をたくさん見ています。いろんなものを潜在意識下で整理している感じです。浮上してきているのは、自分にとって不要な思い込み、思考のパターンです。自分で思っていること、考えていることが、どんどん現実に反映しやすくなっていっているので、自分にとって適切でない思い込み、思考パターンがあると、自分で自分を苦しめることになってしまうのですね。それは自分にとってよいことではないですから、それを手放すためのサポートの強いエネルギーが、今月から特に降りてきているのを感じます。イギリス(旅行記も途中も途中だけど・・)に行って、ウェストミンスター大聖堂のエッセンスを作って、これはとてもやさしく、あたたかくつつむ、受容と許しのエネルギーなのですが、この2月のエネルギーの流れにあっているものだと感じます。また、能力開発のセッションの中でも、女神性による慈愛のエネルギーというのを開発してお伝えしたのですが、これも今の流れにとっても必要なエネルギーだと感じています。このエネルギー、伝授できるような形に変えて、多くの人に提供して、多くの人に、早く楽になっていってほしいな、と感じています。エッセンスも、このエネルギーも、今の人や、今の流れに必要なのを感じるので、どんどん伝えていかなければ。。さて、今日からビオダンサ三昧ですよ♪今日は、ゆりこさんのスーパービジョンクラス。☆亀山祐理子のビオダンサクラス日時:2月28日(木) 19:30-21:30会場:中根住区センター (東急東横線都立大学徒歩10分)http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/ed832d81284dd1266c584cbe42e694f2/料金:\2000そして、3/1,2はビオダンサのスクール。エリアーニがイタリアから教えに来てくれます。http://www.biodanza.jp/school_j.htmlんで、わたしの友だちでもあり、ヒーラー仲間でもあるyucaちゃんに、わたしがビオダンサの良さを、とくとくと話していたのですが、笑彼女がクラスに行きたい~と、お誘いを投げかけてくれたので、これはもう行くしかあるめぇ!!(笑)と、行くことにしたのですよ。スクールの合間ですが、3/2の午前中に、やすくんがクラスを開いてくれます。http://sun.ap.teacup.com/biodanza/スクール一日目に行って、さらに声かけようと思います♪そして3/3はいつもの荻窪レギュラークラス。ビオすると、いっつも深いところから解放が起こるのだけど、これだけ受け続けたら、どうなっちゃうのだろう?!ちょっとドキドキです。。そしてこちらからもご案内です。3/8(土)の午後、瞑想会行います。新月後の瞑想会。【宇宙の叡智と繋がる瞑想会】http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/14000よかったらいらしてください。^^*
2008.02.28
自分がどうやら“エンパス”だとやっと知った。以前にも見かけていた“エンパシー”という本を、購入して読み始め、準備が整ったから、どうやらこのタイミングで買ったらしい、と理解する。エンパシーはサイキック能力とは違うらしい。はっきり違いを説明することはまだできないが、わたしはこの仕事のほとんどを、エンパシーの力で行ってきていたんだな~ということがよくわかった。小さいころからこういうことができたんですか?とよく聞かれるけれども、サイキックだったという意識がなくって、もっともっとナチュラルなもので、それは多分、エンパシーという能力だったと、本を読んでなんだかよくわかった。イギリスから帰ってきて、覚醒するできごとがあって、それはエンパスのオンになりっぱなしだった機能を、自分の意志でオフにした瞬間から始まったのだけど、オフにすることを意識的にできたので、どうやらエンパシーというものを、きちんと学ぶ準備ができた、ということだったらしい。本におもしろい表現がしてあって、エンパシーという能力は、神様がすでにインストールしてあって、つねにプラグで差し込まれていて、オン状態だと。取り扱い説明書もなく!!だからまず学ぶのは、それをオフにすること。しかし、エンパスであればあるほど、自分と自分以外のものを区別しにくいのだと思う。というか、もともと自分なんてないのだけど。それに気がついたら、怖れがまた減った。わたしは、すべてのものが通過していく、通過点にすぎない。ひとつの点。わたしの中を、いろんなものが駆け巡り、そしてまた出て行く。流転し、循環するもの。わたしは全体の一部分であり、一部分を全体であらわしているものでもある。すべてであり、すべてでない。在って、無い。無くて、在る。わたしという枠、マインドをすべて手放せたとき、なににも影響されず、たんなる一通過点としての、“わたし”というものが、明確に浮かび上がってくるのかもしれない。そもそも、“わたし”というカラーなどないのだ。わたしは全ての一つの表現であり、そこにわたしたるものは、なにもない。なにも、ない。
2008.02.27
傷ついた思い・・それを感じていることにまず気づくことって、簡単ではない。それが身近な相手で、そして大好きな相手であればあるほど。その相手との間に、傷つくようなことが起こったとは、信じたくないから。親との関係において、気持ちが抑圧されやすいのは、みんな親のことが大好きだからなんですよね。傷ついた思いを、自分でしっかり受け止めることができないとき。相手を非難したり、相手を変えようとしたり、相手を攻撃しようとしてしまう。大好きな相手なのにね。自分が傷ついたことから、無意識のうちに自分を護ろうとするがために。でも、自分が傷ついた、と思うことがあったとして、自分も悪くない。相手も悪くない。でもただ傷ついた、っていうだけ。だからそれを素直に伝えればいい。傷ついた、悲しい、寂しい、そう感じていると。。そして、相手にただそれを受け止めてもらうこと。そっか、傷ついたんだね、悲しかったんだね、って。でも、相手に受け止めてもらう前に、自分で受け止めることができなければ、相手には受け止めてもらうことができない。だって相手はわからないから。まず自分で受け止めなければ、それを相手に伝えることができない。相手は伝えてもらえなければ、ずっとわからないまま。傷つくってことに関して、みんなそれをおさえがちだけど、でも、誰も悪くない。だけど、自分は傷ついた。ただそれだけ。ヒーリングの基本って、受容なんですけど、本当に、ただそれだけ。そっか、そう感じているんだね、って、傷ついた自分にいってあげるだけ。そのためには、傷ついている自分というのをまず受け止めてあげること。癒しは受容、癒しは許し、癒しは愛、って、こういうことなんだと思う。
2008.02.27
昨日、無事終了いたしました。とてもいいワークショップになったので、大満足です!!と、いいつつ、始まる前まで、ものすごく緊張していました。前日の夜も、プログラムを練り直したり、何度も見直したり、これでいいだろうか、これもあれも話したいな、これをこうしようか、ああしようか、どっちのほうがベストかな・・と、延々考えていて。とまらなかったです。ずーっとドキドキして、緊張していました。でも、実際始まったらとてもスムーズでした。レクチャーの部分も、いろいろ考えていたものの、その場の雰囲気、みなさんが求めていること、そういったことを、ちゃんと感じながらすすめていくことができれば、必要なレクチャーも、必要なワークも、自然とすすめていくことができるということが、昨日は本当によくわかりました。大切なのは、かちかちに考えて、その通りに行っていく、ということではなく、もちろん、プログラムを考え、しっかり準備することは必須ですが、最終的にはそれを手放して、その場のエネルギーにゆだねていく、ということがいかにできるか、それが重要なんだな~ということを実感しました。と同時に。わたしは新しいこと、初めてのことを立ち上げるのがものすごく苦手です。その苦手意識の中で今回準備したので、気持ちが楽ではありませんでした。でもね。わたしいつもクライアントさんに言っているのですよねー。「チャネリングもヒーリングも、どんなワークも、 自信ついたらはじめよう、と思っていたら、いつまでたってもはじめられない。 自信はやっていくうちについていくんだよ。」これ、当たり前だけど、自分にも当てはまるなぁって思っちゃいました。やり始める前に、考えすぎないこと。これって大事だなぁって。プレッシャーを超えていこう。自分の中に、新しい種がいっぱい育っているのは感じているんです。それをきちんと、芽がでるよう環境が整えてあげられるかは、すべて自分次第なんですよね。自分の苦手意識を超えて(たたかうのでもなく、克服するのでもなく)、チャレンジしていきたいと思います。そして、参加してくださったみなさん。本当に上手にチャネリングしていて。みんなにちゃんと感じてもらえるだろうか??というのは、完全なるわたしの杞憂でございました。杞憂に終わったことを、とっても感謝しますよ!!みなさん素晴らしいそして、このチャネリングのワークショップは、チャネリングができるようにという開発のワークは、こちらからは一切行っていないんですね。もちろん、チャネリングしやすくなるベースのワークは間にふんだんに挟んであります。けれども、直接チャネリングの回路を作ったり調整したりなどのワークはしていません。だから、どれだけみなさんがチャネリングを感じてもらえるかな~?というのが気に掛かっていたのですが、みなさんかなりいいレベルまでチャネリングすることができていました。そして、こちらから開発のワークを行っていないこともあって、これだけの長丁場、さらに実践もたくさんあって、一日というワークショップの時間に詰め込んでいるので、みんな終わるころにはくたくたになるのではないか?と思っていましたが、これがまた、わたしの予想を大きく裏切り、少し時間が延長したものの、みなさんはまったく疲れを見せずに最後までワークされていました。その大きな二つの要因として。まず、みなさんがきちんとプロテクションをしたこと。サイキック・プロテクションの伝授を受けられた方は、ご自身で。伝授を受けられていない方は、こちらから。そしてもう一つは、チャネリングをするときに、必ず、自分の魂と自分のハイヤーセルフに、チューニングしてあわせていったこと。これはセンタリングになっていましたね。この二つをしっかりすることで、まったく疲れることなく、チャネリングをしていくことができる、と気づいたのは、これは大きな発見でした。補足すると、二人一組になって、チャネリングをお互いにしあったとき、チャネリングを見てもらう側の人も、この状態を作って保った、ということも関係していると思います。今回のワークショップでは、見てもらう側の態度、ということにも、少し触れました。見てもらう姿勢というのを、つくっていくことでも、チャネリングってどういうものか、知っていってもらえると思うんですよね。チャネリングがこんなに楽にできることがわかったこと、そしてそのために必要なことがどんなことがわかったこと、それが今回のワークショップで、わたしが得た一番の収穫だったかもしれません。今後、チャネリングのワークショップは、一日コースも行っていきますが、スクール形式のものも行う予定です。上記で書いたようなことがはっきりとわかったので、スクール形式においては、サイキック・プロテクションの伝授は必須にしようと思います。サイキック・プロテクションを習われた方から、ご参加いただけます。スクールは、5月以降の開催になると思いますが、もしスクールに通ってみたいというご希望のある方は、4月ぐらいまでにサイキック・プロテクションを習われることをおすすめしておきます。また、最後にクリスタルに繋がってチャネリングする、ということをしたのですが、人や、人のガイドに繋がるというのと、繋がる場所が、クリスタルや植物などは全然違うんです。それがどこかわかったことと、みなさんにそれをお伝えすることができたのも、わたしが受け取ったギフトの一つでした♪また、わたしが最近買ったクリスタルたちが、わたしがひとりで持ってなんかいないで、もっと、いろんな場所に連れていって、みんなと繋がらせてくれーー!!と訴えてきているのもよくわかり、笑今後も、クリスタルなどとのからみも増えていきそうだなぁと感じています。うふふ、わくわくですね。^^*長くなってしまいましたが、一緒に参加してくださり、場を作っていってくださった、ご参加くださったみなさんへ、お礼を言いたいと思います。一緒に会を創ってくださって、本当にどうもありがとうみなさんのサポートがあって、楽しい会にしていくことができました。愛と感謝をこめてAya*
2008.02.25
たしかバシャールの本にも書いてあったような気がします。結果じゃなくって、その間に起こったプロセスが大事だってこと。わたしも昔はがちがちでした。コンナモノが欲しい!!と思ったら、見つからなければ一日中だって、疲れていたって、しんどくなったって、めんどくさくなったって、歩き回って探して、結局見つからん。。ということをよく繰り返していました。とことんそれやって、痛い目見たから、もうやめた。わたしがスピリチュアルな道に入ったのだって、フラメンコだー、いつかお教室持つー、いつか舞台に立つー、という結果を夢見て、スペイン行くーー!!って行って、出てきた結果は、これだものね。目を丸くしたのだよ、最初は。しばらくとことん考えて、とことん悩んで、それを受け入れることを決めたのだっけ。抵抗すればするほど苦しくなるって、抵抗しまくって、限界までいって、もーいやーん、ぽいっ!!!ってしたのだよね。降参です、もおんなじだ。あるカフェに行こうと、古い雑誌をきりとって、そこへ出かけたのです。ないかな~とは思いつつ。案の定、なくなってしまっていたんだけど、その行き帰りの道、いろんなものを見て、感じて、楽しんだ。そうしたらねー、全然違うけど素敵なカフェを見つけちゃって、そんで入ったんだ。そうしたらねー、ある人から聞いていた素敵なパン屋さんが併設されていたカフェだったんだー。でもねー、今年の八月で古い民家で取り壊しのため、閉店になってしまうのだって。。閉店になる前に、ここにこられてよかった~と思ったのだよ。そしてまた、閉店になる前に、こようね、って話した。目指したカフェ(結果)は手に入らなかったけど、思っても見なかったギフトは手に入ったのだよね。ある意味、人生で起こる奇跡とか、シンクロって、そういうギフトなのだよね。なんだか目の前にあることを一生懸命取り組んでいたら、思ってもみなかったところから、全然違うときに望んでたことがやってきちゃったんじゃない??っていうこと。シンクロは予定通りじゃない。予定外のところからやってくる。予定外を受け入れる余裕とか、隙間みたいなものを作っておかないと、そのギフトがやってきたときに、気づかないでスルーしちゃったりする。チャンスの神様は、前髪しかない。だからそれがきたとき きゅっ とキャッチしなくっちゃね。と思うのです。わたしはむかしから、余裕がない人間で。だから余裕がある人がすごく好きだったなぁ。ゆるゆる
2008.02.24
急ですが2/24(日)に行われるリーディング&チャネリング・ワークショップ、一名空きができたのでご希望の方がいらっしゃったら、ご参加いただけます。詳細は下記にあります。ご希望の方はご連絡下さいませ!http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000
2008.02.22
この日は、ビオダンサではなく、サマンサのダンスワーク。降参して、手放したあと、新たなものを迎え入れる、わたしにとっては儀式のようなワークになりました。最後にシェアした一言。“自分の中の光”わたしはやっと、自分の中の光を迎え入れることができた。わたしがあまり未来の自分とか、未来にフォーカスしなかったのは、未来に希望を持っていなかったからだ。光を迎え入れながら、わたしは初めてそれを感じた、と思った。迎えいれた瞬間、サマンサがわたしの目の前にやってきて、そのサマンサの神聖な動きの表現で、それがおりてきたことを、わたしははっきりと理解した。そしてわたしは踊りながら、号泣した。そのときに浮かんだ思いは、“神を信じます”。そんなような思いだったと思う。とても神聖な気持ちでいて、そしてわたしは気づいてしまった。わたしがいかに、わたしに、世界に、社会に、宇宙に絶望していたかということに。そうか、わたしは絶望していたんだ。でももう、神を、自分の中の光を信じます、信頼します、信じることができます・・そのような思いだった。ここ最近、ダンスワークしていて、毎回のように号泣しているけれども、今回の号泣は、初めての嬉し涙だった。やっぱりなにかが大きく手放せて、そしてシフトしたな~って思った。あぁ、楽になった。そんで。クラスが終わった後の、いつものナタラジでの会話でもやっぱり、わたしの心に響くことがあり。ビオダンサ仲間のKちゃんの話がぶっとんでておもしろくって、おなかかかえて大爆笑の連続だったんだよね~。でも、わたしが気づいたこと、得たことと、完全にシンクロしてたよ。換気と、ダライラマと、蝿と、悟りと、安い、って話。ぷぷぷーーっそして翌日も素敵な人と過ごして、それらの時間は、なんの変哲もない日常のあれこれだったりするんだけど、そんな時間がすごくきらきらしていて、なにはなくともただただ幸せで。。
2008.02.18
アップした写真、でかすぎて、ブログの形がくずれていますね・・・(--;すみません。。ちょっと直す時間がないので、しばらくごめんなさーい。さてさて、旅行中に浮かび上がってきていた大きなもの、昨日の夜、すーっと手放せた瞬間が訪れました。うーん、よかった。わたしはもう降参しました。自分がちっぽけな自分であること。できない自分であること。それを認めて、受け入れます。今までも、光と闇、その闇の部分を受け入れ、昇華してきたように思う。でも最後の一押しっていうのかな、いくらやっても終わらない感じ・・・それがあった。それがなんだったのかわかって、そうしたらすーっと手放せました。今まで、わたしは本当に頑張ってきたんだなって、“いい子ちゃん”でいようとしていたんだなって、やっと気づいた。本当のわたしはそんなんじゃなくって、ちっぽけで、できないこともおおくって、だらしなくって。笑でもそれでいいや、って。あるがままの自分。等身大の自分。できないことがあってもいい。でも、自分にできることだけは、精一杯する。そうしていったら、できないことがあっても、人は必ずわかってくれる。できる部分だけで、わたしは精一杯取り組む。ただそれだけでいい。今まで、できないこともできるようにって頑張っていたんだよねー。周りからみたら、それは明らかだったのかもしれないけど。笑でも、自分でやりきって、降参!!って思うところまできて、そうしたらすーっと手放せたよ。やっぱり思い切りまで、限界までやるってことは、すごく大事なことね。そこまでやらないと、人はみんな、納得しないんだと思う。降参だなーって思ったのは、最近出逢った、すごく大切な人に思ったの。この人には降参だな~って思った。わたしが知らないことを、たくさん知っているし、わたしができないこと、たくさんできる。すごいなーって思う。尊敬する。わたしは今まで、そういう人と出逢うのがすごく怖かった。自分から避けていたんだね。なぜなら、自分より知っている人、できる人とごく近くにいるっていうことは、自分の知らないこと、できないことが、浮かび上がってくるから。自分でそれを受け止めることが、受け入れることができなければ、どんなに素敵な人との関係であっても、苦しくなって自分から断ってしまうものなんです。降参、お手上げ、って思って初めて、そういう相手から、素敵なところを学んでいける。そういう人と出逢えたっていうことはもう、わたしがわたしにとって、できないからだめだと思っていた部分を、それでよし、と思えて、受け入れられたからなのです。だからもう降参、って思えたのって、わたしにとってとても大きくって、そしてとってもよかったことなのです。えっへん。(降参してえばるな?笑)実はね、その人から借りた本、『ひかりのメリーゴーラウンド』を読んでいて、すごく意外な思いが浮かび上がってきて、びっくりした。最近は、ダンスワークをしているせいか、自分の内側から、マインド(思考)を超えて出てくる、自分の気持ちっていうのが、ふわぁっと浮き上がってくる瞬間があって、あぁ、わたしって本当はこんなことを感じていたの、と思うことがよくある。本を読んでいても、文章を書いていても、人に話していても。自分のマインドをこえて、あれっ、わたしこんなこと思っていたっけ、でもそれは、心の底から出てきていて、本当はそう感じているんだってことが、どこかではわかって受け入れている。それでね、本を読んでいて、浮かび上がってきた意外なわたしの思いは・・“ヒーラーは本当にわたしのしたいことじゃない。 もうヒーラーをやめたい”そんな思いだった。意外すぎてびっくりしたー。でもね、ふんふん、どうしてそうなのかな、って冷静に受け入れた。そうしたらね、気づいたんだよね。自分がこのお仕事、いつの間にか喜びからではなく、どこからか、頑張ることにフォーカスがより多くあたっていってしまっていたことに。わたし、無理していたんだなぁ。無理、してた。きちんとした、ちゃんとした、素晴らしい、ヒーラーであろうとして。等身大のわたしから、離れていっちゃって、いたんだ。だからもうやめたい、って思った。だったらじゃあ、やめよう、っていうのは思わなかったよ。ヒーラーやめたい、っていう自分の思いがでてきたときにも、そっかそっか、やめたいほどつらいのね、ってなんとなく自然にそう思った。びっくりしつつも。降参して、等身大の自分で、自分にできることだけをやろう、って思ったら、急に無理がなくなって。お仕事が急に楽しくなったの。あぁ、降参するって、わたしの大きな転換点だったなーと思った。でもね、それと同時に。やっぱりわたしはいつか、ヒーラー(癒し手)を卒業したい。ヒーラー(癒し手)がいて、ヒーリー(癒しを受ける人)がいて。そういう、一方向だけの関係は、卒業したいんだ。もちろんね、このお仕事をしていて、ヒーラーが純粋にヒーラーたることって、絶対にない。ヒーラーは、同時にヒーリーであり、ヒーリーは、同時にヒーラーである。ヒーラーは、セッションするときに、自分も同じように許され、癒されていく。そして、ヒーリーは、ヒーラーという存在、きっかけを通して、自分の中の、ヒーラーを目覚めさせて、そして自分を癒していく。そういうプロセスが行われていくの。だけどね、セッションをしていると、ヒーリーさんは、そのことに気づきにくい。でもね、そうじゃないんだよ。それはわたしが声を大にして、伝えたいこと。そしてね、ビオダンサというダンスワークをしながらね。わたしはそういう関係性、そういう世界をこの世にもたらせたら、そういう関係の中にあれたら、わたしは幸せで、もうなにもいらないって、そう思う。わたしが求めているのは、そういう社会なの。それはね、一方向ではなくって、グループの中で、密接にからみあっていて、それぞれが、それぞれとの関係で受け取り、起こったことを、また周りのみんなが受け取っていく。環なんだけど、○じゃなくって、その○の形の中にも、双方向におこなわれているやりとりのベクトルが走っていて。わたしが一番求めていることは、ビオダンサの中にあるなーって思った。だからわたしは、ヒーラーからそのうち、そういう方向へシフトしていくことになるんだと思う。でもね、ヒーラーも素晴らしいお仕事だと思っているし、今はやめるつもりはない。必要とされていて、必要としているってことがわかるから。そう、わたしもこのお仕事を必要としている。でも、いつか、ヒーラー(癒し手)を卒業する日がきたらいいな、とそう思う。降参したわたしは、そんなことを思いました。
2008.02.17
めまいなどの不快な時差ぼけはないものの、睡眠サイクルがへんなことになってます。すごく寝たり、寝てないのにぱっちり目が覚めたり。向こうでは毎日限界まで行動していたので、笑ばったんきゅーで、時差ぼけなど感じる暇ありませんでしたが、帰ってきてからは、変化を睡眠によってなじませているのもあるんでしょうね。さて、旅日記です。イギリスへ行くのに、なんと大阪の友人が行くというロンドン・フリーツアーに、一緒に行かせてもらうことにしたので、まずは大阪へ前泊。友人Eさんのおうちに一泊させてもらいました。夜ご飯をご馳走になり、お風呂まで入れていただいて、とってもあたたかく迎えてもらい、すごく感動。。うちは父がわたしが17歳のときになくなっていることもあって、家族っていいなぁってすごく感じました。そして翌朝早く、関空へ向けて出発。JALってすごいね!!スペインにいくときは、ブリティッシュ・エア・ウェイズだったけど、これは席にゲームがついていて。。少し夢中になってしまうが、それまでの寝不足も手伝って、ぐっすり眠る。ヒースローについて、いいお天気。あたたかい。添乗員さんがホテルまで車で連れて行ってくれて、ホテルで待っていた添乗員さんから、いろんな説明を受ける。無事一息ついたのは、15時か16時ころ。少しのんびりして、荷物をかたづけたりして、一応でるつもりでお化粧などしてみる。。ところが、わたしはなんともなかったのだけど、その前後から同行者にいろいろあり、大変で。。夕方から市内に出てみようという話だったのですが、ばたばたしているうちに19時半になり。。わたしはとりあえず、ホテルの近くの地下鉄ハマースミス駅周辺まで出て、カフェでパンとコーヒーで夜ご飯。。英語はかたこと。こちらからは単語でなんとか説明できるけど、相手がなにを言っているのかは、ほとんどわからない。そんな低レベル英語ですが・・おととしにスペインへ三ヶ月留学、スペイン語はもっとへたれで、ほぼ喋れないに近いのですが、そのときの癖がまだあって・・カフェの店員さんに聞かれて、思わず出た言葉が『シー!!』・・あ、いや、『Yes..』みたいな。。店員さんに、すっごく変な顔されましたよ。(いやな顔じゃなくって、笑ってましたけどね!)明らかに東洋人、英語も対してできないのに、明らかにYesと答えるところで、シーだもの。そんなこんなで暗くて初めてのところは少し怖いので、駅の周辺をほんのちょっとだけ見て周り、ホテルへ帰る。ホテルはすごく綺麗。バスタブが大きかったので、そしてスペインと違ってお湯が切れることもないので!!バスタブに湯をはって、横になってつかる。。ん~お風呂だ。朝すっきりと起きて、ロンドン市内の観光スタート。一緒に行った友人のEさんの友人で、去年からロンドンに越してきているという、Kさんとも一緒に、地下鉄使ってゴー!まず目指すは、ウェストミンスター大聖堂(カテドラル)。こちらはウェストミンスター寺院(アビー)とは違って、有名な場所ではないと、ガイドブックにも書いてある。駅を降りてあるいていくと、建物の間に急に、大聖堂が現れる。まずは周りをぐるっとまわる。そして中へ。一歩足を踏み入れると・・急に涙がこみ上げてくる。“ごめんなさい、ごめんなさい・・”明らかに、わたしのものではない感情があふれてくる。なんだろうこの思いは。。この中はあたたかくて、やわらかくて、その思いを溶かしてくれるかのよう。つつんで、とかしてくれるから、そういう思いが浮かび上がってくるのだろう。教会の中は、来る人の思いやエネルギーによって、場のエネルギーが作られていく。スペインにいたときも、いろんな教会にはいってみたけれども、それを実感していた。ここは来る人々が、あたたかい、許し、許可、受け入れのエネルギーを持っている。だから、こんな思いが出てきたんだと思う。ごめんなさいそんな思い、深い罪悪感。それも、受け入れてもらえると思って、初めてそれが出てくる。ゆっくり中へ進んでいく。真ん中まですすみでて、祭壇の前へ。そして、ひざまづき、そこへおでこをつけるビジョンが見えたので、クリスチャンでもなんでもないけど、同じようにそのようにする。。自分の感情ではない涙があふれてくるのを感じる。サイドにある小さな礼拝堂をひとつひとつのぞきながら歩いてゆく。そこに、男性の横たわる石像が。英語をつたなく読んでいくと・・この大聖堂の司祭?司教?さん?なんていったらいいのだろう、代表者・・うーん。三代目と書いてある。そしてこの建物を建てた人だと。なんとなしに、生まれた日付を見ると、“15 April 1832”この人と、同じ誕生日!!あぁ、だからかぁ。。同じ誕生日だから、なにか通じてキャッチしたんだ。。計算すると、144年前の同じ日に、この人は生まれている。ここの中は写真が撮れないので、パンフレットと絵葉書で。その人はこの方。右側の絵葉書に写っている人がその人。左側は祭壇を裏からみた写真。パンフレットより。この人の思いをすごくキャッチしたようでした。たくさんの人を、許し、受け入れ、楽に導いていくこと・・それが思ったようにできなかった、だから“ごめんなさい”という思い・・もっともっとできたのに、やってやれなかった・・そんな思いがわたしにも伝わってきたようでした。。祭壇の真ん中には、キリストがはりつけにされた絵がかかれている、赤い十字架が上からぶらさがっていて、祭壇の目の前から、少しずつ下がっていって、真ん中辺りからその十字架を見ると、バックのブルーの絵の中にいる天使が、まるでその十字架を支えているかのように見えて、ものすごく美しい。そしてショップをのぞく。ふと目に付いたのが、十字架の絵にholy waterとかかれたからのボトル。。すぐに持って帰らなきゃ、と思う。“いろんな人に配って”そういう思いが差し込む。あぁ、これは彼だな、と思う。聞くと、教会内に聖水をくむ場所があるというので、くんでボトルへ。自分のおでことハートにもつける。水は流してくれるこのボトル、今、わたしのうちにあります。これを使って、ウェストミンスター大聖堂の聖水のエッセンスを作ります。頼まれたとおり、いろんな人に配りたいと思います。ボトルやお水(日本のミネラルウォーターを使います)などの代金として、200円だけ頂戴しますが、ご希望の方にお渡しします。こういったエッセンスを作るのも初めてということもありますが、使ってくださった方は、ぜひ感想を下さい。会ってお渡しできる方にまず。ワークショップやセッションにももって行きますので、希望の方はおっしゃってね。この聖水のエッセンスは、深いところ、自分が持っていることにさえ気づかない、自己否定や罪悪感を、やさしく包んで、浮かび上がらせ、流してくれます。生きていても安心感がない、生きることへの怖れ、自分の存在が受け入れられているのだろうか?という思い、そういったものをやさしく包んで、浮かび上がらせて、手放すサポートをくれます。許し、受け入れ、そういったエネルギーがこもっているエッセンスです。一番最初に訪れたウェストミンスター大聖堂。とってもインパクトが強かった。自然にチャネリング状態になって、いろんなことを受け取りました。そしてわたしも同じように。深くに抑圧していた、自分が自分で受け入れられていなかった部分、それがここの最初の元を訪れたことによって、浮上が始まったのでした。。
2008.02.16
イギリス、写真をアップしていったら、途中で容量をこえてしまった。。50MBって少ないよね~圧縮もしないでアップしていたから。。あと何枚かが残っています。しかし石の写真ばっかりで恐縮です(汗デジカメの電池をけちったのと、石巡り&大聖堂めぐりばかりで、大聖堂は中での写真は禁止のところが多いから、必然的に、石ばかりに・・(汗それで、最近ダンスワークにはまっています。もともと踊るのがすきなんだけど、スピのワークは、心に働きかけていくもの。ビオダンサなどのダンスワークは、体に働きかけていくもの。どっちからも、魂への道は通じてる。両方ね、働きかけていくと、いいんだよ。早いし、スムーズなの。最近現実化のスピードがまた速まったのは、時間の流れだけのことじゃなく、ダンスワークのおかげさまがとっても強い。自分がふかーくに押し込めていたものがぼんぼんでてきて、でもそれをね、心地よく受け止めて、そうだったのか~ってよしよしして、ただそれだけ。最近ビオダンサのクラス、毎回のように泣いています。泣くのは気持ちいい。ただただ泣くこと。ただただ涙を流すこと。それは自分を受け入れること。気持ちいいよ。 それで、ダンスワークのご案内です。月曜夜・荻窪、いつもビオダンサのクラスが行われている時間にまた、サマンサのピースボディ・ダンシングフリーダムセッションがあります。2/18(月)、25(月)ビオダンサのスクールは、今回海外ゲストがファシリテーター。スクール生でなくとも、ワークを体験できます。3/1(土)10時~17時 、2(日)10時~17時詳しくはこちらでhttp://www.biodanza.jp/そして、4/29(火曜・祝日)東京すぴこんに、なんとビオダンサ初登場!!貴重な機会だから、興味がある人、ちょっと覗いてみて。わたしのほうも。ビオダンサを通じて、自分の境界線を守るということがどういうことなのか、体で理解していっています。これはプロテクションと同じ考え方。プロテクションをもっといろんな人に知ってほしい。そう思って、プロテクション体験会として、プロテクションをかけさせていただくことと、プロテクション伝授の講習会でお話させてもらっている、境界線(バンダリ)とセンタリングの話、そしてわたしのハートを開くことについての話のシェアなどをさせていただこうと思っています。ご参加いただきやすいように、料金7,000円から5000円に変更しました!!プロテクションは一回5000円なのでお得ですよ☆のちにプロテクションの伝授をご希望された場合、5000円分もお引きします☆イギリスにいっても感じました。日本の人は、境界線をおかしあっていることが多いな、と。人が多いこともあるんでしょうけれども。みんな、境界線をおかしあうことを互いに許してしまっていて、じゃあどうやって対応しているかっていうと、ハートを閉じて感じなくすることで、自分を保っている。。でもビオダンサというダンスワークを通じてわたしが体感したのは、ハートを開かなければ、自分の境界線がおかされていても、感じることができなくなる、だから、より境界線をおかすことを許してしまうことになる。。大切なのは、ハートを開いて、境界線を感じるようにすること。そしてそのあと、センタリングで、境界線をおかされる、と感じるものを選ばない、境界線を護るものを選んでいく、という選択をしていくことへ繋がっていく。。ハートを閉じても、なんの解決にもならない。境界線が取れている、と思う人の中には、ハートを閉じて、違和感や不安や怖れや痛みを感じないことで、自分は護れている、と思っているひとも多いことに気づきます。自分はどうか?と思ったときに、いやだと思うもの、避けたいこと、そういったことが多ければ多いほど、ハートを閉じることで対処している可能性が高いかもしれません。ハートを開くと、本当に豊かです。相手の反応を受け取ること。そして自分の反応をきちんと表現すること。それは人として、本来の姿です。プロテクション体験会のご案内はこちら http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/13000そうそう、2/20の瞑想会もまだ空きがあります。よろしければいらしてくださいね♪http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000
2008.02.16
今回、イギリスへの旅行の行程は以下のような感じ。ロンドン市内のホテルに泊まって、そこから日々移動していろんな場所に行きました。実は、コンセントの差込口の変換するものを持っていったのですが、なんとイギリスでは合わないタイプだった・・・orzデジカメの電池が切れないよう、けちって撮ったので、あまりいろんな場所が撮れませんでした。写真はまだでーす。●ロンドン市内観光 ウェストミンスター大聖堂、ウェストミンスター寺院、セント・ポール大聖堂、 大英博物館、ロイヤル・オペラハウスでオペラ『魔笛』●一日ツアー ストーンヘンジ&バース市内観光 ストーンヘンジ、ローマン・バース、バース大聖堂 (チャリスウェルは、冬季で閉まる時間が早く、入れませんでしたー) 夜、とっても楽しかったできごとが・・(詳しくはまた別の日記で♪)●電車バス大移動の旅 エイヴベリー&グラストンベリー エイヴベリー巨石郡、聖ミカエルの塔(礼拝堂跡)のあるTor(トールまたはトーア) ●こちらも電車バスでの移動の旅 カンタベリー&ドーバー カンタベリー大聖堂、オーガスティン修道院跡、ドーバー城今回の旅に行く前、3の数字をたくさん見ていました。これはアセンデッド・マスターの数字。。誰だろうな・・と考えていたところ、浮かんだのはキリスト。スペインに行く前も3をよく見ていましたが、そのときはマリアでした。たしかにスペインはマリア信仰が強く、イギリスは普通にキリスト信仰でしたね。地理や歴史に疎いので、そういった考えが入らないから、逆にすーっとこの人のサポートだな、とわかるのかもしれませんが。。こんなにも当たり前のことを知らない自分に、ちょっと焦ったりもします。^^;;今回はたしかに、キリストにふれる旅だったと思います。キリストと、その存在にまつわる、さまざまな人々の思い・・その浄化を手伝ったような気がします。といっても、自分の中にも同じようなものがあって、そして自分の深い部分からそれを開き、解放することによって、あくまでも自分自身の内側を通し、自分のこととして、それを行った感じがします。深い、深い、人として生きることへの罪悪感、そういったものが、この旅で浮かび上がってきました。キリスト教では原罪の意識、というものがあります。人は生まれながらにして罪である、というものですね。。でも多分、キリストはそんなことは伝えちゃいないんです。キリストが伝えた教えが、人を通して、どんどん伝えられていったときに、人たちの間で増幅したものではないかな、と思います。生きていてごめんなさいでもそんなこと、ないのですよね。誰でも許されているから、この世にこうして存在して、生きているのです。あとはそれを自分で受け入れるだけ。。今回は、生きることを自分に許す旅でした。わたしは、あんまり気づいてはいませんでしたが、かなり“いい子ちゃん”だったのですね。自分が、突拍子もないことをいいだしたり、やりだす子だって、小さいころからわかっていたから、親や周囲の人を困らせないように、かなり小さいころから、長い間抑圧していたのかもしれません。自分でも、ネガティブな感情や思いやできごとなどを、かなり抑圧する癖がついていることもわかっていて、それがどの体験からきているかもわかっていて、かなり解放してきたつもりでしたが、今回の旅では、さらに深い部分からそれがあぶりだされた感じがします。それがわかったのが、なんと、エイブベリー&グラストンベリーに行った日の夜から、背中が痛くなって、発熱したことです。わたしはめったなことでは熱を出さないので驚きました。翌朝起きて、あれ~おかしいかも・・と思って、基礎体温計であらためて熱を測ったら、37.4度も熱が出ていました。あーやられた、って思いました。急激な浄化があると、熱発するんですよね。自分のネガティブだと思う部分を、かなり受け入れて解消してきたつもりでしたが、今回のパンチはかなり大きかったです。この短い時間の中で、たくさんのパワースポットに次々行ったので、当たり前といえば当たり前かもしれませんが、わたしはその“あぶりだし”を望んで、この旅を選んでいたような気がします。その“あぶりだし”は決して心地のいいものではないし、一瞬、いやなポイントを通過していきます。でも、その先には光があることがわかっていて、わたしの魂は、喜びの元に、この決して心地がいいと思われるものではないもの、を通過することを選択しているのだと気づきました。あぶりだされたものは、しばらくわたしの中にあって、それは、そとの人間関係などで、不協和音として存在していて、おわまりが悪くて、むずむずする・・そういう感じでした。でも、それもプロセスの中に含まれる、ひとつの通過点に過ぎないことがわかっているから、そういう意味では、落ち込むことや、悪あがきをすることもなく、ただたんたんとその状況を受け止めていたように思います。そして15日、ビオダンサのクラスに行ってきて、それを解消してきました。まだまだ、うかびあがったものは、自分の中にあるかもしれませんが、今回、大きくうかびあがってきたものを、ビオダンサのワークを通じて、手放していくことができたのを感じています。すこしずつ続きます。。
2008.02.15
イギリスより日本へ無事戻りました。イギリスは毎日とってもお天気が良くって、暖かく過ごせました。多分東京より暖かかったんじゃないかな行きたい場所にも地下鉄、鉄道、バスを乗り継ぎ、行くことができました。わたしにはかなり大冒険の旅(笑)いろんな素晴らしいスピリチュアルパワースポットにも行くことができたのもさることながら、道中、一緒に同行した友人とたくさん話をし、たくさんの気づきと、あらたなチャレンジと、必要なハードルをいくつもの越えられ、また越えるきっかけをもらい、本当にただの旅行というものではない、たくさんの生の経験、触れ合いをさせてもらいました。わたしはなにより、いつも今の自分を超えて、より善きほうへと変わっていきたい。そのためのチャレンジをいつもしていて、それを喜びのもとに選択していることに気づきました。それはどんなものの中にも愛を見いだし、感じて、受け入れていくこと。。なによりもわたしが愛されたがっていて、そのためにすべての人、もの、存在に愛を見いだしたいのです。。そういうことなんだな~と思いました。旅行記はまたのちほどゆっくりと。。
2008.02.12
さて、今日移動して、明日日本をたち、12日に帰ってくる予定です。2/6-12と、イギリスへ旅行に行ってきます。直前までばたばたしていたので、準備も???状態ですが、なんとかなりそうな気がしています。今までのわたしなら、もう落ち着かなくて仕方なかったところですが、ずいぶんと気持ちが楽になりました。^^*いろんなシンクロに導かれて、イギリスへ行くことに。旧暦の新年を、イギリスの地で迎えることは、とても意味がありそう。そのようなわけで、お問合せ・ご連絡に関しまして、戻ってきて、2/13以降に順次お返事させていただくようになります。どうぞよろしくお願いいたします。m(__)mとりあえず、大阪へしゅっぱーつ。
2008.02.05
毎日起こっていること、感じていることを書き留める暇がないほど、特濃な日々を過ごしております。幸せで充実してるー。2/5~12まで、イギリスへ旅行へ行きますが、トランクなんにもつめてないよー。明日一日でどうにかしなきゃな~。2月は変化の月ですね。2/7新月をもって、旧暦の新年になります。ここで大きく切り替わる人が多いでしょう。意図したわけではないのですが、わたしはイギリスで旧暦の新年を迎えることになります。これはとっても意味のあることになりそう。いつもいつも、変化・変容を過ごしている気がするのだけど、12月末から1月にかけての変化・変容は、昨年一年間かけて起こった、変化・変容の総まとめ・総仕上げだった気がします。1月の変化は大きく、周りの環境が目に見えて変わっていることで、それがよくわかります。それにはやっぱり、ビオダンサとの出逢いが大きかったかもしれません。ビオダンサ、最近では毎回号泣してます。必ず、泣く。それだけ深いところに届くようになってきたのだと思う。わたしは泣きながら、あぁ、こんな風に感じていたんだ。。と思って、ただそれを受け止めて、ぼろぼろと泣く。それはとっても自然なことなのだと知る。ビオダンサをしていると、本当に人間くさくなっていく。でも、それって無理がなくて自然。感情豊かで、でも、それに振り回されていない。感情に振り回されると感じるとしたら、それはどこかで、感情を我慢し、抑圧しているからに過ぎない。欠陥があるからじゃない。あなたは、あなたらしくなりたがっている、そういうサインだけ。ビオダンサでは、相手の深いところを信じていく。相手がどんなことを行っても、本当のところの美しさや愛を見つめるから、どんどんみんな癒されていく。そして、自分もそのように見つめてもらうから、癒されていく。スプーン曲げで一躍有名になった、清田さんと出逢う機会があり、それで何人かで清田さんのおうちにお邪魔して、鍋を頂いた~それで、スプーン切りを目の前で、見せてもらった。柔らかくなってから、手を離して、なにもしていないのに、どんどんスプーンが切れていくさまを見ていて、ぽとりと落ちる瞬間まで、ずーっと近くで見ていた。最後、切れた瞬間、わたしは涙が出そうになった。だってね、ビオダンサで、相手と深く繋がって、その間に起こる空気と、清田さんとスプーンの間に起こっている空気が、まったく一緒だったんだもの。愛を感じたんだ。それでね、あぁ、清田さんはスプーンと会話している、って感じた。その話をしたら、かの美輪明宏さまは、清田さんに、「あなたはスプーンとお話しているのね」と言ったと、清田さんが言っていた。わーわたしも美輪さんと同じこと気づいたんだ~!!と感動。しかもねー、わたしが清田さんに、「このやり方を人に教えることはできますか?」って聞いたら、「それはできねーな。セックスのやり方を教えろっていうようなもんだよ。 セックスのやり方なんて、人に教えられんねーな。」と言っていて、どひゃ~!!まさにその通り!!清田さんのものいいは痛快で、ストレートで、気持ちがよい。^^*それでわたしもチャレンジ。なんだかねぇ、愛しくなってくるんだよね、スプーンが。そうしたら、本当にうっすらとだけど、線が入った。いつか交流、きちんとできたら、わたしもできるなぁその帰りに、その会に誘ってくれたビオダンサ繋がりの女性とずーっと喋っていて、ここでレムリアの話がでた。前日に、おにょさんのスーパーバイズのセッションを受けて、わたしが行っているワークのほとんどが、レムリアの叡智であることを知り、やっぱりレムリア大好き~と思っていたところで、レムリアの話を改めて聞き。。なるほど、と。そして彼女と意見が一致したのは、ビオダンサは、レムリアのコミュニティの表現である、と。あの人間関係の成り立ち、まさにレムリアだー、と感じていたんだけど、やっぱり!!おととしから去年、レムリアン・サークルをずーっと行っていて、その中でチャネリングしていた、レムリアの時代と同じ空気感なのだよね。それですごく感じた。やっぱりわたしは、この世にレムリアの叡智を伝えていきたいんだって。レムリアの世界をこの世に、体現させていくこと。実感しました。そして今日のセッション。深く感じ入ったことがありました。セッションでは、つらいことをびしっと伝えないといけない場面がある。その人が、置かれている状況を、しっかり認識して、受け入れること。そのために、こちらから、はっきり伝えないといけないときがある。それは決して、こちらとしたって、気持ちがいいことではないし、楽なことではない。でも、ここでしっかり向き合える覚悟と勇気があるということが、セラピストに、一番求められているものだと思う。それさえできれば、本当はどんな技術もいらない。自分にとってネガティブだと思うことを受け入れていくのって、一度すごくしんどい思いをする。わたしもそうだったからよくわかる。でも、あのとき、覚悟して受け入れたから、今があることも、よく知っている。だから、促す。今、起こっている状況が、どんなにつらいものだとしても、自分が引き起こしていることだと、認識し、受け入れること。ここを受け入れること。それで全ては変わっていく。そこを受け入れるんだよ、とわたしは促し、伝えていく。ただ言葉だけではなく、受け入れたら状況が変化していくのかも、と、その人が納得し、受け入れることを、心が感じ取れるようになるところまで、案内をしていく。今、起こっていることが、どんなにいやだと感じることであっても、それはすべて、自分で引き起こしていること。それを受け入れるということは、すごくつらいことのように思うけれども、ものすごく大切な瞬間で、それは、自分で自分の状況をどうにかすることができる、自分にはその力がある、と信じることで、始まる。自分の人生の、舵取りを、しっかり握る瞬間。自分の人生の、選択権を、しっかり取り戻す瞬間。わたしは、相手を、深く信じる。その人に、その人自身で、対処していける力があるのだということを。その人が、どんな状況であっても、相手を深く信じるということ。信じる、ということは、どんなことよりもものすごいパワーを与えてくれるし、それこそが愛なのだと思う。受け入れるということは、自分に対する愛だ。最近、愛について、深く学んでいると思う。もっともっと、愛を体現できるようになっていったらいい。そして、それを伝播させていくことができたら、いい。 ―+*゚。*。゚*+―+*゚。*。゚*+―+*゚。*。゚*+―+*゚。*+―2/24(日)に開催する、リーディング&チャネリングWS、あっという間に定員になりまして、お申し込みを一旦終了させていただきました。ありがとうございます。m(__)mhttp://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000もしキャンセルなどでましたら、ご案内させていただきますね。2/20(水)の瞑想会【Listen to my heart ~自分の体と心の声を聴く~】こちらはまだまだ空きがあります。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000今まではセンタリングの瞑想を主にしていましが、今回は、“宇宙と繋がる”瞑想をしようかと思っています。お楽しみに。最近、愛を学んでいる、ということと、すごく関係しているのですが、それは、ハートを開くということで、それはつまり、自分を護るということとも繋がっていきます。わたしの大好きな技術、プロテクションをご希望の方へ、どんどんと伝授していっていますが、よりいろんな方に、プロテクションについて知ってほしいと思い、【プロテクション体験会】を今後、定期的に開いていくことにしました。自分を護るということは、どういうことなのか、わたしの体験を交えながら、バンダリ(境界線)、センタリングなどについてもお話させていただいて、最後にプロテクションを掛けさせていただきます。現在開催の予定はこちらです。2/29(金)夜、3/13(木)午前http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/13000また、地方への出張もうけたまわっています。その場合、こちらの交通費も含め、お一人8,000円で10名から、もしくは、一回の体験会を80,000円(10名まで、10名以上はご相談ください)で行います。サイキック・プロテクションの伝授も、地方でのご希望があれば、出張可能です。その場合、お二人からで伝授可能です。ご希望の方は、お問合せください。 どんどん、愛を伝えていきたいです。それは、綺麗なものだけではないかもしれない。でも、一緒に愛を探す旅を、いろんな人としたいと思う。ご同行を希望される方、一緒に進んでいきましょ。^^*
2008.02.03
最近、自分の中で感じていて、そして人に伝えていきたいことの中に、ビオダンサのでの体験、経験を通じて自分の中に怒っている変化、“ハート(こころ)を開く”というものがあります。ハートチャクラが開いた状態、ただそれだけとは、まったく違う状態。自分自身を受け入れる、とか、自分をこころから信頼すること、宇宙をこころから信頼すること、そして明け渡すこと・・そういった感覚です。ある意味、これが悟りの状態かとも思うわけです。三次元の生活における。別に、悟りを目指しているわけではないし、悟りなんて、何段階もあるだろうから、こだわってはいませんが、いかに、この三次元、肉体をもって、楽に、楽しく、心地よく生きるか、といったこと、それを求めています。そして、えたものを、人に伝えたいという欲求も。自分が経験して、楽になったこと、そして早く通れるよ、この道、って知ったら、それを、人に伝えずにはいられないのです。今日、セッションでクライアントさんと話していて、わたしがセッションでしていることについて、わたしはこう説明しました。クライアントさんは、みんな、今自分がいる場所と、求める場所・行きたい場所は、わかっていらっしゃる。でも、その途中の道がわからなかったりする。でも、わたしはその途中の道を、何度か行ったことがあるから、道案内できる。だから、わたしは案内するだけ。そこを進んでいくのは、クライアントさんの力なんです、と。求める場所があるから、その求める気持ちが、クライアントさん自身を運んでいく。だから癒しを起こすのは、クライアントさんなんです。わたしはあくまでも、道案内をしているだけ、と。“ハート(こころ)を開く”ということ。これがまだ、自分の中で上手な表現になっていません。。もうちょっと時間が必要なのかも。でも、とっても愛にあふれた状態を、すこしずつ体現しつつある自分に気がついていて、これは、ヒーリングやエネルギーワークといった、わたしのライトワークのお仕事でも、ふんだんに活きていっているなぁということを、こころから感じています。どんな闇にも、光を、愛を、見いだすことができれば、怖いものも、そしてできないことも、なにもないのだろうと思う。光を、愛を、見つめてあげれば、それは、自然に輝きだす。それを、闇の中にあるそれを、見つめる勇気を持つだけ。闇は、怖れるものでものない。倒すものでもない。克服するものでもない。ただ、見つめるだけ。受け入れて、とかしていく、ただそれだけ。本当にごくシンプルだな、と思います。セッションでは、いろんな手法を使っているけれども、やっていることは、たった一つ。その人の闇によりそい、受け入れ、そして、その奥にある、光と愛を、導き出してあげる、たったそれだけ。わたしは、人が輝いていくのを見るのが、とっても好きだなぁって思う。そのために、自分が得た経験を、しっかり人に伝えていきたいと思う。これって、愛だよね、愛うふ
2008.01.30
1/19,20の二日間で行われた、ビオダンサのスクールのレポート、今日書き上げました。ふぅ~長文なのだけど、いい文章がかけた気がするので、ここにアップしてしまおう。ビオダンサでの気づきは、本当に大きい。あるがままの自分を、そのまま、どんどん受け入れられるようになっていっている。自分には、欠点がたっぷりあるのも知っている。気が利かないし、自分のことしか考えられてないし、いけてないところも、いっぱいある。けれどそれは。自分が自分のこころから望むことを、抑圧してしまうから、それがゆがんで、変な形で出てしまうだけなんだ。もとはみんな、美しい。だから、もう、抑圧するのはやめることにする。抑圧するから、へんになってしまう。そういう体験を繰り返していって気がついたのは。どんな人も、みんな自分に一生懸命ってこと。そして、誰かの行動で、自分がいやだな~と思うことがあったとしても、その人も、本当に望んでいることを、我慢してしまっているから、ゆがんだ形で出てしまっているだけなんだ。本当は、違うんだよね。本当に望んでいることは、素直に、自由に表現することなんだよね。それがわかったら、どんな人もいとおしい。わたしは、ヒーリングやエネルギーワークというお仕事をしているけれども、そんなことが、体でどんどんわかっていくようになっていって、どんな人の闇にも、ブロックにも、寄り添える気がしている。だって、それは、本当のところを求める、気持ちのあらわれにすぎないのだから。 ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★Biodanza School#2_Vivencia 2008/1/19,20ヴィヴェンシアを感じること。それは、まさに、“今、ここに在る”という体験そのものだった。深く深く、その体験を感じる二日間になった。二日間をおえ、自分の中に残ったのは、“今、ここに、在る”という感覚。それは、センタリングだったり、自分のことをまるごと認めることだったり、こころ(ハート)を開くということだったり、した。そして結果的に、わたしに残ったものは、“なにも”なかった。Nothing.それは、“自分を明け渡す”ということ。なにかになろうとする自分すら、手放した状態。それは、“今、ここに、在る”ためには、今以外の瞬間すべてを、手放し、捨てている状態なのだということ。そして、明け渡してみてわかったことは。これが、“今、ここに、在る”という感覚なんだ!ということ。今まで頭で感じていたその感覚とは、まったく違ったものだった。ヴィヴェンシアのワークを通じて体験して、やっと初めて、わかった。この感覚が。プロトヴィヴェンシアを感じるワーク、これが深かった。深いところから、自分が“今、ここに、在る”ことを許していないことが、次々浮かび上がってきて、そして解放されていった。一人で、プロトヴィヴェンシアを感じて踊ったときに。わたしは、小さいころからの自分を、あのワークの中でもう一度生き直した。よくわからないうちに、この世に生まれていて、それで何も考えずに、無邪気に自分らしくのびのび過ごしてたら、周りから、否定されたり、壊されたり、侵害されたり、そこから引きずりおろされたり・・・。もうなんなの!!なんでこんなとこにいるわけ?!・・・なぜかはわからないが、なぜか、わたしはここにいる。音楽がとまり、終わって。・・でもたしかに、わたしはここにいる。ぺた、ぺた、ぺた。自分の体を、自分で触って確かめる。ぺた、ぺた、ぺた。腕、顔、肩、腰、おなか、足・・。やっぱり、ある。なぜここにいるのかもわからない上に、いやなおもいも(そりゃーいいおもいも一応)、したりしてきたけど、でも、なぜか、わたしは、ここに、いる。理由はどうでもよくなった。だってわたしはもうすでに、ここに、いる、のだから。しょうがないなぁ。そうして、わたしはわたしの存在を受け入れた。そうしたら、ヴィヴェンシアの“今、ここに、在る”感覚が、体に降りてきた。Sちゃんと、二人で踊ったとき。二人とも、自然と目をつぶっていって、でもかなり近くで踊っていた。でも、決してぶつからない。急にふっと、一本の樹が見えた。たった一本。あぁ、ひとつなんだ、そう思ったときに、幹をよくみたら、二色の色の違う幹がねじりあって、そして一本になっていた。Rizing the sun~♪という音楽にあわせて、それがすーっと伸びていっているのをみて、まるで、樹から、枝が、葉が、広がる様子が、日の光が広がっていく形と、重なって見えた。自分を明け渡しても、自分を失わない。ただ、“今、ここに、在る”ことができれば、どんなものとも調和し、そして侵害することなく、それぞれが個として確立しあいながらも、調和するんだ、そういうことを、この踊りの中で感じた。プロトヴィヴェンシアの体験で気づいたことは他にもあって、以前から、子どものように無邪気になること、子どもの無邪気さを表現することが、よくわからなかった。この二日間で気がついたのは、みんなが仲良くしているなかに、自分は入っていってしまっては、いけない、わたしが入ると輪を乱す、という思い込み、怖れだった。いつもわたしは一人で踊っていて、そして、誰かが来てくれるのを待っていた。けどもう、それは、やめた。みんなが無邪気に仲良くしているなかに、入りたい!!と思ったら、その気持ちのまま、入っていった。そしたらみんな、受け入れてくれた。仲間に入れた、それを知った瞬間だった。みんな、受け入れてくれてる。Welcome.まだ難しいと気づいたのは、自分に注目してもらうこと。見て見て!ってみんなに言うこと。わたしはよく、体験をシェアしてください、ってときに、発言する。感じたことを話すのは大好き。けれど、いつも、みんなの目が見れなくって、声が震えていることに、やっと意識が向いた!そう、わたしいつも声、震えていた。。それは、注目されるのが怖いから。注目されたら、いじめられるんじゃないかって、昔の体験から思ってる。でも、声が震えることに気づいてしまってからは、なんと、声が震えなくなった。ここも少しずつ変化していっているのだと思う。わたしは、心の底から、人を求めていたことに気づいてしまった。人を怖れていつつも、心の底から求めていた。わたしは、わたしで在りたかった。でも、わたしが、わたしで在るためには、今まで近づくことを怖れていた相手、人の、そばにいかなければならなかった。なぜなら、人が、わたしを見てくれなければ、わたしに触れてくれなければ、わたしがここにいるんだって、見えてこなかったから。みんながいて、わたしに触れてくれなければ、わたしはわたしという存在が浮かび上がってこなかったんだ。そのことに気がついた。今まで、人が、わたしを求めてくれることを、嬉しく思っていた。求めてくれて、ありがとう、と。。でも違ったんだ。わたしが、みんなを求めていたんだ。そっちの気持ちのほうが強かった。みんながわたしを求めていたんじゃない、わたしのほうこそ、みんなを強く求めていたんだ。そして、わたしが強く求めた、その気持ちに対して、わたしを求めにきてくれる、仲間に、感謝の気持ちがあふれてとまらなくなって、わたしは号泣した。みんな、わたしを求めてくれてありがとう。わたしと出逢ってくれてありがとう。みんながいることで、わたしはわたしで在ることができる。“今、ここに、在る”ということ。それは、わたし一人では、できないんだ。“今、ここに、在る”体験、ヴィヴェンシアを感じるためには、みんなの存在が不可欠だったんだ。わたしは、自分の人を怖れる気持ちよりも、自分の人を求める気持ちの強さと、美しさとに気づいてしまったら、求める気持ちにはもう、抗えないでいる。それがわたしの、ヴィヴェンシアという体験。わたしがどんなに失敗しても、わたしがわたしらしくいられなかったとしても、そして、それによって誰かを侵害したことが、万が一あったとしても、それでもみんな、わたしを受け入れてくれている。失敗も、できないことも、欠点もふくめて、全部わたしを丸ごと受け入れてくれている。わたしは、愛されているんだ、それを感じた。そしてわたしも、人の失敗を、できないことも、欠点も、不器用さも、受け入れつつあって、それも含めて、丸ごと愛しているんだって、そう感じ始めるようになった。どんな人も美しい。わたしが怖い、と思っていたことは、幻想だった。どんな人も、その人なりに戸惑いながら、でも、その人らしく、ただ在ること、“今、ここに、在る”ことにチャレンジをしている。みんなが、わたしを受け入れてくれたから、わたしは、どんな自分も受け入れていけそうだ。そして、みんながどんなであっても、受け入れていけそうだ。これはとても素敵なことだ。最高に、素敵なことかも、しれない。
2008.01.30
すみませ~ん・・・いえあの、みんなにあやまっているわけでなくってですね。。上の人(ガイド)にです。。わたしの一番の悪い癖。それは、重要そうなことから、“後回し”にしてしまうこと。重要であればあるほど、丁寧に、完璧にやろうとしすぎて、そうすると気持ちが重くなって、後回しになってしまう・・という。。やらなきゃいけないな~と思いつつ、やっていないことって、いっぱいあってですね。。いいかげん、尻たたきどころか、会話してると、厳しめに言われてしまいます。。わたし、あんまり上の人と、そういう会話したことがないので、厳しめに言われることも、叱られることも、あんまりいやな感じもしないんです。。なんか、叱られてちょっと嬉しいみたいな。。(マゾ??)それはさておき、そんなわけで、なんとか少しずつ手をつけていっています。それで、その一つ。2/24(日)に、【リーディング&チャネリング 1dayワークショップ】を開催します。カードリーディングのワークショップを定期的に行っていましたが、みんな、チャネリングに興味があるとおっしゃいます。わたし自身、チャネリングは誰にも教わらず、日々、不要なものを手放していく中で上達していったものなので、どうやったら教えられるかわからない・・と思っていたのですが、最近のセッションで、チャネリングの方法をお教えするということをしたら、なんだか見えてきました。それで、さっそく開催することにしました。詳細はこちらです。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/12000定員は少人数でじっくりやりたいので、6名までです。現在、2名様までお申し込みをいただいていますので、あと4名になります。チャネリングするにあたって、いろいろな考え方、取り組み方を、今まで自分で学んで得てきました。それらをお教えしようと思うと、けっこうなボリュームです。内容を書いているうちに、ずいぶんとてんこもりになってしまいましたが、ガイドに、“力の出し惜しみをするな、できることを全部やれ”といわれたので、思い切って、どんどんもりこんでいきました。その分と、少人数制にしたことで、料金が少し高くなってしまいましたが、でも、上の人に、自分の価値を、自分で低くするな・・と。。できることを全部やる、ということは、そういうことなんですよね。。なるべく多くの人に、という思いもあるので、そのあたり、葛藤がありますが、他の部分で折り合いをつけていきたいな、と思っています。さてさて、てらちゃんと共同開催の、【自分の体と心の声を聴く】瞑想会、第四弾は、一番満月に近い時間、2/20(水)の夜に行います。今までの瞑想は、センターを感じる、不要なものを手放す、といった、シンプルなものでしたが、今回は、後半、“宇宙と繋がる”という瞑想をしたいと思います。満月パワーも満ちていて、たくさんエネルギーを受け取っていかれると思います。宇宙と一体化する瞑想を行うことで、自分のエネルギーを増幅させたり、取り戻すことができるようになっています。詳細はこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000よろしければ、いらしてくださいね♪こちらから、みなさんのガイドに、みなさんが瞑想にきちんと入れるよう、サポートを依頼するガイダンスを行っています。また、瞑想するための場づくりも、しっかり行っていますので、普段よりも、瞑想に入りやすく、また瞑想に入る感覚というのを、得ていただけると思います。他にもいろいろと、企画をねっているものがあります。。お楽しみに。。(あぁ、尻たたきがぁぁ~~~。。。がんばります)そんな日々ですが、とってもハッピーなこともありました。というか、尻たたきも、楽しんでいるんですけどね!!ビオダンサで、“自分自身であるということ”、自分を生きる、表現する、ということ、センタリングすること、ハートを開くということ、自分を明け渡すということ・・それらの感覚が、体でわかってから、わたしはとても自由になっていっています。本当に、あるがままのわたしを認めつつあって、焦らなくなったし、今までだめだとおもっていたことが、全然問題なくなっていって、ある友人と、普通に会話をしていたとき、その友人は、「執着がないんだね」と表現してくれて、そうか、これが執着を手放した状態なのか~、と感じました。宇宙を信頼することそれは自分を信頼することそれが、深い部分で、よりできるようになっていっているのを感じます。わたしは、わたしの深いところまでひっくるめて、自分のいいもわるいも全部、受け入れ、認めつつあるから、だから、このような嬉しいことがおこってきたんだな、と気づきました。思い返せば、これは、20代のころから求めていたことだったかもしれません。そのときから、ずっと願っていたことが、今やっと、やってきた、そんな感じがしています。ここまできた自分を褒めたいです。ここまでの道のりは、けっして簡単ではなかったな~。。だけど、その分、歓び、幸せ、嬉しさも、ひとしおです。ありがとう
2008.01.30
先日、かわいらしいお客様がいらしてくださいました。オリジナル・ヒーリングをお申し込みくださったのですが、なんと、高校生!!今までのセッションを受けてくださった方の中で、最年少でした。^^*(この話を書かせていただくことは、クライアントさんから許可を頂きました♪)オリジナル・ヒーリングのセッションは、4万円からで、安いものではありません。。それでも彼女はお申し込みくださいました。実際、セッション代は事前振込みなので、事前にいただいてはいたのですが、思わず、いらしてから最初に、「すみませんが、お金のことについて聞いてもいいですか?」と、おもわずお伺いしたことがあります。それは、このお金はどこから捻出したものか、ということでした。なんとなくそうかな~とは思っていましたが、彼女からのかわいらしい答えは、「お年玉」ということでした。実は彼女からお申し込みいただいたときから、考えていたことでしたが、それは、お金を違う形で、エネルギー交換をするということ。早い話が、セッション代の一部を、わたしが受け取るのではなく、彼女が違う形で、わたし以外のところへ、なにかの労働をすることで、エネルギー交換のバランスをとるのはどうか、という提案でした。彼女にさっそくその提案をし、セッション後にもう一度、二人で話したところ、彼女は快諾してくれました。わたしから、セッション代の一部、1万円をお返しして、彼女はこれから一ヶ月間毎日、ゴミ拾いをする、ということ。そういったお約束をして、エネルギー交換のバランスをとることにしたんです。彼女に、この話をブログで書いてもいいでしょうかと、確認のメールを送ったところ、その何日か前には、東京では雪がふるほどの寒さだったのに、彼女は、あれから毎朝、朝日が綺麗に見える土手に行って、そこに流れ着いた大量のゴミをひろっています、との報告をくれました。今では朝日を見ることが楽しみで、間に合わなそうになってしまった日は、かけてまで行くようになっているとのこと。^^*素敵な、朝日の写真つきで、メールをくれました。彼女の、その体験から得られる、素敵な光を、たくさん吸収している、ぴかぴかな姿を、メールを通して感じて、わたしのほうこそ、素敵な提案を受けてくださった彼女に、心から感謝しました。彼女の、素直で、クリアな、清純な感性に、わたしのほうが、刺激を受けたくらいです。もともと、この提案をさせてもらったのは、エネルギーの交換は、なにも、クライアントさんとわたしの間だけでなくとも、他に還元することでも、成り立つと考えいて、それを、なにかの形で行いたいな~と思っていたからでした。わたしが受け取らなくても、すべてはひとつ、宇宙はひとつだから、受けてくださった方が、わたしではなく、他の部分へ、還元することで、エネルギー交換の環はできるんですよね。そういった機会をあたえてくださって、感謝しています。結果的に、彼女とのやりとりは、実際のエネルギー交換のあらたな試み以外の部分でも、たくさんものを頂きました。^^*ありがとうございます。
2008.01.27
最近、自分の特質、性質を受け入れ、それを理解してから、人と比べたりして、嫉妬したり、焦ったり、落ち込むことがなくなってきました。相手がどんなことをしてても、それはわたしにとっては違うこと、望んでいないこと、とわかれば、変に思うこともなくなってくるんですね。。にしても、うーん、と、苦労しているのは、“ゼロから一を産み出す”という自分の性質かもしれません。全部、一人でやりたい。。今まで人を頼ろうと思って、誰かに助けを求めたり、協力をあおいだこともありますが、・・振り返ってみて、俯瞰して、眺めて、考えてみたら、わたし、どうもサポートを望んでない・・(-_-)とやっと気づき、自分の深い部分や、魂がそう思っているのが今はもうわかるので、仕方ない、一人で取り組むか~と思ってやっています。おととしの10月の半ばで、派遣OLのお仕事をやめていらい、他のお仕事をすることなく、ヒーラーとしてずっと活動してきていますが、まわりからみたら、順風満帆にみえることも、本人の内側では、けっしてそうでないことはたくさんあります。経済、お金にたいする自分の思い込みや不安、怖れ、自分の力量に対する不安、自分を信じるということ、宇宙を信じるということ、それらのチャレンジを、ずーっとずーっとしてきました。それは、わたしが、自分でやろう、と決めたから、起こってきたことなのですが、順風満帆だということではなく、ただ、それらの不要な思い込みや不安や怖れと向かい合い、克服していく、ということを決めて、ただ行ってきた、その結果が、他のお仕事をすることなく、ヒーラーとしてだけの活動を行うことができた、ということになったと思うんですよね。そして、ヒーラーとしての活動をするために、最初から指針があったわけでもなく、メニュー作りや料金をどうするか?など、そういった現実的な、企画とか運営っていうことになるんでしょうか、それらをやっぱりほぼ一人で、そして真剣に考えてやってきました。わたしにとって、そういった現実的な、企画、運営の部分は、正直いってそんなに得意な分野では決してありません。でもまわりから見たら、わたしの内側のプロセスは見えず、結果だけ見えるから、できるよね~ってことになるのでしょうね。ゼロから一を産み出したい、という魂の希望があるわたしは、バックの強いサポートがあるわけでもなく、ただひとりで、やってみて、ああじゃない、こうじゃないって気づいて、それでまた作り直して、という、一人でのトライ・アンド・エラーの繰り返しをしてきました。“カルマの意味”についての日記でも書きましたが、カルマによる、方向性の指針もなく、自由にやること、一人でやること、そういったテーマを持っているわたしは、いきなり自由にっていわれてもわからない~そしたら、とりあえずやってみなきゃわからないか・・と、とりあえずやってみる、そんな状態なんですね。^^;;そして今、いろんなことが、アイデアとして、自分の内側にわいてきているのですが、それがどうもなかなか、表に形としてあらわしていくところで、うんうん言っている感じです。。これをどうやったら形にできるのか???自分の中のアイデアと、最終形はみえているのだけど、その間の道が???っていう感じです。。でも、今までもやってきたように、とにかく、やってみて、トライ・アンド・エラーですすんでいくしかないんだよな、と、そう思っています。自分の中に、動きたいエネルギーのかたまりがあるのはわかっているのですが、それを上手くわりあてられないために、消化不良というか、違う方向で、エネルギーを消化しようとしているので、あ~、これを解消するには、本来の部分でエネルギーをきちんと使ってあげないと・・と思っています。。うううーーーこれが産みの苦しみ、ってやつですか??^^;;
2008.01.27
サイキック・プロテクションという技術を教わって以来、ずーっと、自分を護るということ、プロテクションの重要性や必要性を感じています。この技術を、わたしは去年の8月に習いましたが、それからずーっと、この技術による自分自身の成長、変化を感じ続けています。プロテクションといっても、跳ね返すものではない、という風に、いつも説明しているのですが、これは、自分で自分のことを護る、ということを、オーラとエネルギーを使うことによって、こころが学んでいける、その学びをサポートしてくれるものなんですね。だから、プロテクションといっても、鋼鉄の壁のように、笑なんでも跳ね返してしまうようなものではないし、完璧なものではないのです。完璧でないというのは、どういうことかというと、自分が望んでいないものであっても、入ることを許すものははいってきてしまうんですね。でも、プロテクションの技術を知っているときと、知っていないときの、大きな差は、自分が入ることを許すものは、はいってきてしまうものの、“自分が望んでいないものが、自分以外のものがはいってきている”とわかるようになる、ということなんです。完璧でないのが、わたしは好きなところなんですが、なぜかっていうと、自分が自分で、学んでいける機会がきちんとある、ということだからです。自分の望んでいないもの、自分以外のものが入ってきている、とわかるようになったら、それを入ってくることを許すのか許さないのか、自分で選べるようになります。なぜ、自分で自分のことが護れないのかというと、自分が望んでいないもの、自分以外のものが入ってきていると、わからないから、なんです。わかったら、意外と早く、選択がしなおせます。そうして、自分のことを護る、という選択が、どんどんしていけるんですね。自分以外のもの、自分が望んでいないものに対して、きちんとNoがいえること。それが自分を護れるということ。^^*そして、この技術の素晴らしいところは、跳ね返すものではない、と書きましたが、外から来ているものに対して、“愛”のエネルギーを与えていくので、外から来ている、自分以外のものも、満足して帰っていく、というところなんです。自分も心地よくなっていくし、周りや相手も、どんどん心地よくなっていく、どちら側であったとしても、いい状態になっていける、ということなんです。自分を護る、ということに対して、いろいろ最近思うことがたくさんあります。境界線(バンダリ)のこと、ハートを開くということ。。最近、ビオダンサというダンスワークに通っていますが、これは、自分を護るということを、教えてくれるワークだなぁということ。プロテクションの技術をおにょさんから教わったときに、おにょさんがスーパーバイズをされている、プレイセラピー(遊戯療法)についての話を聞きました。プレイセラピーは、遊びを通じて、言葉を使わず、セラピストは自分のバンダリを護ることを通じて、相手(子ども)のバンダリを護ってあげる、ということをしていきます、と説明してくれました。ビオダンサも、踊りで、言葉を使いません。体を使いながら、バンダリを護るということを学んで行く、プレイセラピーと同じ質のものだな、と感じました。自分が自分であるために、今ここにいる、ということのためにも、自分が自分を護れるということ、プロテクションできる、ということは、ものすごく大切だと、毎日すごしながら、感じています。サイキック・プロテクションは、自分がそのように惚れた(笑)技術だったので、おにょさんから、イニシエーターの伝授も受けたので、これをご自身で使っていけるように、お伝えすることが可能です。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000まずは、プロテクションってどういう状態か、体験してみたい、という方は、1回5,000円でお掛けしていますので、ご連絡ください。1回で、状況にもよりますがだいたい1週間持ちます。いろんな人が、自分自身を取り戻して行くサポートをすること、それは、わたしの魂の誓願です。★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★毎月行っている、瞑想会、次回の日程が確定しました♪2/20(水)の夜に行います。詳しくはこちらをごらんください。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000
2008.01.25
19,20,21日と、ビオダンサ漬けで、ものすごい変容と解放がありました。。肉体はすごく疲れていて、睡眠を欲しているし、寝ているけどまだ寝たりない。。肉体の回復にはもうすこしゆるやかに時間がかかりそう。でもそのけだるさも、心地よいです。だって、気持ちはすごく軽いから。もーなあーんにもないーって感じが近いかも。あれだね、すっごい解放したもんだから、ぽけ~っとしてます。肉体の疲れは、そのこころの変化を、受け止めるための、大切な疲れで、これを無理に早く回復させようとすると、それはまた違ったものになってしまう。こころの変化は一瞬でも、体は三次元のものだから、ゆっくり変化していく。今はそのタイムラグを埋めている、大事な時間。こういった時間を、大事な時間なんだと、大切できるようになったことはとっても大きい。だからね、今はあんまり頭が働いていないです。笑いろいろ動きたいこととか、ビオダンサで感じたことをまとめたりしたいとか、あるんだけど、この調整の時間を、今は大事に過ごします。でもひとつだけ。。この三日間のビオダンサのクラスで気がついた、本当に、わたしにとって、大きくって、大切なこと。。それは。。わたしは、人を怖れていたけれども、一番、人を欲していたんだ、ってこと。わたしは、わたしひとりでは、わたしって何者かってわからない。。みんなが、わたしと出逢って、わたしと触れ合ってくれることで、“わたし”っていう存在の輪郭が浮かび上がってくる。みんながいなくては、“わたし”という存在もないものになってしまう。みんなが、わたしを求めて、欲してくれているから、出逢ったんじゃなくって、わたしのほうこそ、みんなを、心から求めて、欲していたんだ、って。だから、みんなと出逢ったんだって。。どんな人との出逢いも、いやだな~って思った人でも、いやな経験をした人との間でも、それは、わたしが、その人を、心から求めて、欲していたんだって。。そう気づいた。わたしは、みんながいないと、“わたし”で在れない。みんながいるから、“わたし”で居られる。これってすごいことだよね。みんながいなくっちゃ、わたしは幸せでないんだ。みんながいるから、わたしは幸せでいられる。ビオダンサだけじゃなくって、わたしと出逢ってくれた、すべての人に心から感謝します。わたしと出逢ってくれてありがとう。みんながいてくれるから、わたしはわたしでいられます。みんながいてくれるから、わたしは満たされて、幸せです。ありがとうありがとうありがとう
2008.01.23
今日は、ずーっと楽しみにしていた、ビオダンサのスクールがありました。スクール二期生になりました今日のテーマは、ビオダンサでも重要な、“ヴィヴェンシア”について。スペイン語でvivenciavivir (to live) + experiencia (experience) / in this instant here生きる 体験 のこと。今まさに、こここにある、という体験そのもの。わたしねぇ、最近気づいてしまったんだ。自分が心を開いていなかったことに。わたしって、自分を護ることで精一杯で、人のことを受け止める余裕がなかったんだ。自分にとって必要なものも、そうでないものも、すべてから影響を受けてしまいがちだったから、だから、受け入れるのが怖かったんだ。影響されやすい自分を護るためには、“相手から受け取らない”無意識のうちに、そういう選択をしていたことに気がついちゃった。影響されやすくって、それで、自分が今ここにいたときに、それを揺さぶられたり、否定されたり、そこから引きずりおろされたり、そんな経験をしているうちに、相手からのエネルギーを怖がるようになっていた。自分が自分であることを、許してもらえない。。だから、無意識のうちに、相手からかえってくるものを、避けて避けて、通ってきてしまったんだね。人は、一つのことにたいして、同じようにしか対処できない。相手からかえってくるものを怖がったとき、それが自分にとって必要なもの、いいものであっても、すべてをシャットアウトしてしまうことになる。そこでは選べない。あぁ、わたし、相手のこと見てなかった。相手から、受け取っていなかった。いろんな人が、今まで、わたしに投げかけてくれていたのに。わたしはそれをずっと、拒否してしまっていた。今までいろんな人と仲良くしてきて、そして恋人になった人もいた。でも、わたしは、その人たちが、わたしに向かってプレゼントしてくれていたものを、どれだけきちんと受け取ってこれたんだろう??ごめんなさい。。そして、ありがとう。わたし、やっと、心を開けるようになった気がする。自分が、心を開いていなかったと気づいたら、心を開くことができたよ。開いても怖くなかった。あー、開くってこんな風なんだ、って、今日踊りながらわかった。ヴィヴェンシア今ここにあるということ。人と踊っていても、つねに自分のセンターを感じながら、相手のエネルギーだけを感じるのではなくって、自分のセンターが望むように、自分のセンターがずれたときに、すぐ今、ここ、に在るようにして、そうしたら、自分はただ自分でいられた。それ自体が、心を開くっていうこと。自分を明け渡すっていうのは、今、ここに、在る、ということを感じるということだけなんだと思う。今、ここに、在る、ということだけを感じているとき、それは、それ以外のすべてのものを、手放しているんだ。それが、自分を明け渡しているということ。そしてそれは、心を開く、ということ。このところ、すごい至福感が自分のなかに、充満しているのだけど、今日さらに、それが、静かに、そして確実に、穏やかに、深く、広がった。スクールは、明日の二日目へと続く。明日はどんなヴィヴェンシアを感じられるかな。みんな出逢ってくれてありがとう。
2008.01.19
お友だちと話していて、わたしの誕生数33について、そういう数字をもつタイプの人は、“自分がわからない”ということを教えてもらい、おおきくうなづいたわたし。そう、わたしって自分のことがよくわからない。それってカルマのことともつながるな~とぼんやり考えていて思った。カルマって悪いものではなくて、貸し借りみたいなもの。カルマがないっていうことは、貸し借りがゼロの状態っていうのかな。まっさらに近い状態なのだと思ってます。福岡に在住のジュネシーンさんという、潜在意識リーディングをされる、有名な方にみていただいたときに、(今は一年待ちとか?? マイミクさんにいらっしゃいます)わたしの魂の質について、みてもらったことがあります。そのときに、「透明」と言われたんですよね。で、わたしは実はそのころにはなんとなく、カルマがないんじゃないかな~と思っていて、「カルマがないと感じているんですけれど、 それと関係していますか?」と聞いたら、「カルマがあったら、魂がこう透明であることは無理です」といわれて納得したのを覚えています。セッションをしていても、まわりの方たちをみていてもそうですが、過去生のブロックや、過去生でのカルマを持っているという方には、よく出会います。過去生の夢を続けて見させられたり、過去生のパターンを繰り返していることに気づいたり・・そういった話も聞きます。わたしは実は、スピリチュアルな力がはじめて顕現したときまで、まったくといっていいほど過去生を思い出したことはなく、なんでこんなことができるんだろう??と不思議でもありました。過去生からの記憶があって~とか、小さいころからこういうことをやっていて~とか、そういったことがまったくなく、自分の力がでてきたので、不思議だったんですね。それで、カルマをもっていると大変・・というイメージがつきがちですが、そのカルマというものから学びや気づきを受けると、そのカルマからのギフトというものがやってきて、それがプラスに転じていくさまを見るにつけ・・カルマがあると、得られるものも大きい、そう感じるようになりました。また、どこに自分の特性があるのか、カルマによって、それを明らかにもしてもらえるんですよね。カルマにフォーカスしていくと、そこでブロックされているもの、ブロックされているものというのは、本来の自分の特質でもあるので、解放されたときに、その特質、いい部分が前面にでてくるので、それがそのままその人の素晴らしい力になっていきます。わたしの場合、そういったものがないので、自分の特質というものが、すごくわかりにくい。。なんでもできる分、どうしていいかわからない、というような。おそらく、自分で創りあげていっていい、ということなんでしょうけれど、そのためには、自分をよくよく知っていないとできないんです。自分がなにを望んでいるのか?なにをしたら喜びで、嬉しいのか?それは、いちから、これだと思うものを体験、経験していくなかで、あれはちがう、これはそうだ、という風に、じっくり向かい合って探していくしかないんですね。少なくとも、わたしの今までの人生を振り返ってみたところ、まさにそのように進んできています。それに関しても、以前受けたセッションで伝えていただいたことと、すごく繋がってくるところがあります。わたしは、ゼロから一を産み出す力がある、といわれました。ゼロから産み出したくても、産み出す力のない人がいる。でもあなたはあるんだよ。といわれたこと。また、エリザベス・ニコルソンさんという、有名なチャネラーさんに魂の使命のリーディングをしてもらったときに、あなたはとてもおもしろい波動を持っている。スピリットにも生死というか、そういった切り替わりがあると、初めてみた(きいた)のだけれども、あなたはちょうどその境目にいて、生まれたばかりの新しいスピリット。だけれども、今までの古いスピリットの波動も持っていて、新しいスピリットの波動とふたつもっている。この新しいスピリットのテーマは、“マスターになること”。「マスターになるとはどういうことですか?」と質問したところ、「自分で自分のマスターになること」とこたえてくださいました。だから、うしろについている人(目に見えないガイドの存在です)も少なくって、アドバイスとかもあまりしてくれない、と。実際にそのとおり。そして、使命としては、“フリー(自由)”ということでした。新しいスピリットとして、たくさんのことを、自由に体験、経験していくこと。ということでした。カルマがないということは、ゼロから一を創りあげていくこと。これといった目標もなく(といったら変かもしれないけれど)その目標自体を自分で創りながら、自分がなにものか、なにをなしていくのか、といったことを構築していくこと、それがつまり、自分で自分のマスターになること、ということなのかなぁと。はづきさんという方がされている、誕生数秘学で33という数字をもっていると、生き方は極めてハードルが高いと書かれていました・・。http://www.jba-net.com/number/33.htmlカルマがあるっていうことは、方向性があるっていうこと。目指すものとか、目標とすることとか、課題とすること。でも、カルマがないっていうことは、その方向性すら、自分で導き出していくこと、なんだなぁと、今日考えていて、ふと気づいたのでした。こりゃ~たしかにハードルが高い生き方ですよ。。でもね、すごく納得なのです。わたしは小さいころから、なにかをさせられるのが好きではなかったし、机の上にしがみついて勉強するのって、大嫌いだったんです。笑それなら実際やって体験したほうが、早いじゃん、というタイプだったので、ものの説明書も読まず、とにかく使って覚えていくたちでした。習うよりなれろ、ですね。理論や理屈をまず知って、それからとりくむ、のって苦手だったわけです。理論や理屈をこえて、体験したかったんでしょうねぇ。カルマについてのあらたな見方を少しみつけて、おもしろいな~とおもったわたしでした。
2008.01.16
人と人が、きちんと顔を合わせて会うっていうことは、いろんなことがとっても早い☆やっぱり三次元において、きちんと顔を見て話すっていうのは、大事なんだな~と感じました。今日は久々に会うお友だちと、たくさんおしゃべりしました。会うことって、やっぱりパワーがいる。けれど、だからこそ動くものもたくさんあるのだな~と実感。たとえばそれは、三次元レベルだけでなく動くものもあるのだと。そして、なにより情報交換っていうのが、会うと早いんだな~って。人の噂より早いものはない、なんてなにかで言うけれども、ネットでの情報も早く出回るけど、だけど、本当に大事なことって、人伝えで伝わっていく気がする。としたら、やっぱり、今年のテーマにも上げた、人と会っていく、というのって、とっても大切なんだな~と、再確認。 ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★最近あることに気づいた。わたしは、自分にとっても真摯だし、一生懸命。自分の闇やブロックを見つめて、解消していくことで、わたし自身がどんどんクリアになるし、結果的にはできるようになるワークも増えるし、わたし自身がただいるということだけで、周りに癒しを与えられるようになっていく、と感じているので、なによりもまず、自分をクリアにすること、というのを大事にしています。だけど、わたしはいかんせん、真面目すぎる☆というのが、玉にキズ生真面目ってやつですね。で、真面目すぎて、自分だけにとことんになりすぎると、周りが見えなくなっていくんでしょうね、他の人や、周りに対しての感謝がうすくなっていくんだな~ということに気づきました。自分のことを、なんだかそっけないところがある、と感じていることがあったんですが、それは謙虚でなくなるとか、感謝のこころがすくなくなるとか、そういったことだったんだな~と気づいてからは、あまり自分だけにこだわることはやめよう~と、思うようになり、今年のテーマにもあげた、“自分を超える”ということにまさしくぴったり、と思いながら、自分に対するこだわりをゆるめていっています。それでね、お恥ずかしながらここ最近は、毎晩、寝る前に、お布団の中で、いろんな人を思い浮かべて、ひとりひとりにありがとうを伝えて、最後は多くの人にむけて、ありがとうを伝えて、それから眠るようにしています。今までとことん、自分って言うものにこだわってきたからこそ、手放せるのかもしれないな~って思います。去年まで、充分したもの。だから、納得して、こころよく自分を手放して、自分を超えていこう~って、リラックスして、ぷわ~っと手を広げてる、っていう感じです。なかなかいいかも。
2008.01.15
あがったり、下がったり・・波はただそこにあるから、ゆられていれば、また上がり、また下がる、そしてまた上がる波の中でもがかないことそのままゆだねていればいい少し沈下してました。瞑想したり、たくさん眠ったりしてなじませてました。今日はいろんな夢を見て、起きたらすっきりしたな~という気分がやってきて、あぁ、終わったかな?と。実は、瞑想してみようと思っても、そこにフォーカスできなくって、もっと深い部分で動いていたみたいなので、なにが起こっているのか、よくわかっていなかったんだけど。。多分、龍遣い(龍族?)の過去生のときにあった、古ーい封印をがばばっと取った、そのあとのからだから、きっとそのときのなにかがいろいろ浮上してたんだと思うのだけど。アナンダカナンダセンターがうずいていたあとから、ちょうど真裏あたりにあたる、背中がずーっとしんどくって。それはMHK(円ヒーリング研究会)にいって、京都帰りの円のゆかちゃんにあって、どうもなんか反応したらしいんだけど。。わたしがあの過去生を見たのは、鎌倉の鶴岡八幡宮。あれは、てっきり鎌倉時代のことだと思ったけど、どうやら違う??ガイドによると、京都での過去生らしい。。鶴岡八幡宮と京都はつながりがあるよ、というので調べてみたら・・本当にでてきたーー!!鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼義が石清水八幡宮(あるいは壺井八幡宮)を勧請した鶴岡若宮にあり、源頼朝が幕府を開く際、鶴岡若宮を現在地に移し改めて石清水八幡宮を勧請したことを創始とする。それでわたしの中でなにかの反応が進んだってことみたい。。なんだか、急に食欲がわいたり、人間の欲求っていうのかなぁ、マインド的な部分でのものが、いっぱい浮上してきていた気がするなぁ。こういうときは、どうこうせず、ただ流すことに専念していればいいのだろうな。今年の具体的なやることも、ぼちぼち浮かび上がってきてます。。そして“循環”っていうテーマも。自分のことばかり考えてないで、人にどんどんわかちあっていかないと。一人で抱え込まず、みんなと手をつないでやっていかないと。。一対一の関係ではなくって、環の関係、それを構築していくこと。。それは人と人だけでなくって、人と自然とか、人と緑とか、人と環境とかも。。
2008.01.12
といっても写真はないのですが。。今日は、パスポートの申請に行って来ました。急ですが、来月たぶん、イギリスに行ってきます。スペインから帰ってきて、パスポートが切れてしまっていたので、あわてて申請に行きました。今日一日で必要な書類を集められて、無事申請できてよかったー。それで、パスポートセンターが入っている建物が、すっごく素敵だったんです。人工物ですが、ものすごく素敵な空間になっていて、ベンチなどがあったので、少しくつろいできました。わたしの好きな空間というのは、まず広いこと、水があること、自然の光が入ること、曲線があること、などの要素があるのですが、このほとんどがそこにはありました。人工のものであっても、バランスが整っているものは、すごく心地がいいです。エネルギー的な流れもとってもよくつくられていました。作った方は、そんなこと気にしていなかったかもしれませんが、ここの建築やデザインをされた方は、結果的には、そういうことがわかっているんだろうな~と思いました。またゆっくりしにいこう、と思わせてくれる場所でした。んー、幸せ。
2008.01.10
去年から、夢見がおもしろくなってきたのですが、今年もそれなりに夢を見ています。おもしろいのが、その日学んだことや知ったことを、夢で練習して、できた~♪っていうものをよく見るというもの。この間、『バシャール・スドウゲンキ』を読んでいて、その中に、バシャールの発声について、須藤元気さんが聞くという話がでてきました。バシャールの声の響き方は、特徴的らしいのですが、その音の響かせ方について、具体的に方法がのっていたんですね。(といってもおそらくだいぶ抽象的なんでしょうけど。笑)その日の夜見た夢は、夢の中でその発声方法をしていて、「できた~♪」こんな感じね~!というものでした。そういうワンシーンしか覚えていないんですけどね。この間は、1/7のビオダンサのクラスに、スプーン曲げで一躍有名になった、清田さんがいらっしゃったんですが、おわったあとのレストランで、そのときの意識の使い方について、とっても興味があったので、どういうふうにしているか、お伺いしました。それで、説明を聞いたのですが、その日の夜、また夢をみました。笑スプーンを曲げるほうではなくって、切るほうの練習してました。スプーンに線、亀裂が綺麗に入っていて、「もう少しでできる♪」っていう夢でした。夢で練習するんですよね~。夢でできるっていうことは(意識で行っている、意識の使い方がわかるってこと)、おそらく現実でもできるってことだから、マインド(顕在意識)が邪魔しない、夢で練習しているんでしょうね、きっと。夢っておもしろいです。あと、真剣に、このことについての答えを教えて!!といって眠ると、その答えとなる夢をちゃんと見させてくれます。試してみてください。もし答えとなる夢を見なかった場合、その質問は対して重要ではないか、あんまり真剣に悩んでいないか、ってことだと思います。夢も、現実も、シンクロも、瞑想(で受け取るビジョンなど)も、そのできごと(象徴)から、どう読み解くか?というのがポイントです。リーディングやチャネリングもそうですね。そのうち、象徴の読み解き方、についてもお伝えしていきたいと考えてます。これ、すっごいポイントなんですよ。顕在意識と潜在意識をむすぶっていうのかな。両方を生きるんです。ある意味、三次元と、高次元の世界を、三次元に居ながらにして、両方バランスよく生きる、ってことだと思います。これ、これからの時代に、必須となってくるものだと感じてます。わかってることは伝えていかなきゃ~と思ってます。去年の末から感じてますが、今年に入ってからも、めちゃめちゃ時間の流れが速くなってる。。必要のない概念、自分を縛っている考え、エゴ、マインド、そういったものが、もう今の場のエネルギーにあわないから、どんどん浮上しているんですよね。。向き合わざるをえなくなっているから、一見しんどい状態になっているかのようだけれども、実際はどんどん軽くなっていっているからこそ、浮上、現実化というか、目に見える形になってきてる、ってことだと思います。認識できれば、それを変えていかれるんですよね。今までは、認識できなかっただけで、なかったものがでてきてるわけじゃないのです。認識できる状態になっているということは、わたしたちが、そこからあらためて、自分の意志で選択しなおす、とうことができるということです。
2008.01.10
今日は午後、円のヒーリング研究会、MHKへ参加後、そのまま夜、てらちゃんとコラボ、四回目の瞑想会へ。今日は新月だったのですが、会の最中に新月を迎えるという、なんとも絶妙なタイミング。瞑想、体を動かす時間、瞑想、という内容になっているのですが、二回目の瞑想を始める、2,3分前にちょうど新月の時間になり、古いものを手放す瞑想・体の時間と、準備が整ったところで、2008年の新しい自分へ出会い、融合していくという瞑想となりました。今日は新月ということもあってか、やはりエネルギーが強い日でしたが、本当に新月過ぎてからの瞑想は、その前の瞑想と質が違っていたのを、しっかり感じることができて、これがまたおもしろかったです。新しい自分というのが、人それぞれで、シェアを聞いていて、とてもおもしろかったです。印象的だったのが、超具体的に人物像がでてきた人と、すごく抽象的なイメージだった人とに、おおまかにわかれていたこと。わたしは後者でした。具体的なイメージに落としていくと、やっぱり次元というか、波動が下がっていく感じになり、うーん、具体化はいつでもできるからいいのだな、と思って、もう一度、抽象的なイメージの自分まで引き上げて、そこでわたし自身を感じていました。来月は、2/20(水)夜に行う予定です。今度は新月ではなく、満月にからんだ瞑想会。満月は21(木)12:31に迎えますが、満ちに向かっていて、夜空に月が浮かんでいる20日に行う予定です。しっかり日が決まったら、またご案内しますね!そして、その後、残った何人かで食事をしていたのですが、そこでいろいろと盛り上がり、笑てらちゃんから誘われていた、フルハウスのイベント、(1/14(月・祝))ダンサーででる~~!!って宣言しちゃいました。その名も、“コズミックダンサー”!!そんな命名までしちゃいました。笑このところ、ヒーリングでのイベント出展はしておらず、自分のセッションを、どのようにイベントで提供していったらよいのか、形が見えていなかったのですが、思い切って、ダンスででちゃうことにしました。踊りをずっとやっていて、去年ビオダンサに出逢って、自由に体を動かすことの楽しさを知って、でも、やっぱり舞台への憧れ、つまり人に見せる踊りですね、それへの希望も自分が持っていることに気づいていて。やっぱり人に見せる踊りをしたいな~と思っていたのですが・・今年は新しいことにチャレンジすることに決めたので、思い切ってダンサーデビュー?!しちゃうことにしました♪宇宙語や最近できるようになった倍音などの、音のバイブレーションを使ったりしながら、宇宙やその場、音楽、自分と共鳴しながら体を動かす、コズミックダンサー(!!)として踊ってみようかな~と思ってます!!実はそのうち、ダンスワークもしたいと思ってます。今日は盛り上がった勢いで、“コズミックダンスワーク”をやる!!なんて、宣言してました。あっ、今日は新月だ。笑お願い届いちゃったかな~。笑この日はビオダンサのクラスがあるのですが、こちらのイベントで踊ることにしました。てらちゃんにもダンサー出演(笑)をこころよく了解をいただきました♪スペースがどの広さかわからないのですが、興味がある方いらっしゃったら、遊びに来てくださいませ。^^*それと今日のメモ。封印を解いたアナンダカナンダセンターのあたりが今日もうずいていました。。ちょうどその位置に、ヒマラヤ水晶のペンダントトップがくるから、あーそのせいか、と思いながら。。ガイドに対処法を聞くと、“肉体の波動のレベルを上げる”というようにおりてきたので、肉体全体の波動を持ち上げるようにすると、ぐわっとさらにうずきが強くなったので、おおお~反応している、と思いながら。。んー、なんだかこんな風に自分ワークするの、すっごく楽しい。。起こっていることは、しごく個人的なことなんだけど、こうしてフォーカスしてみて、いろいろ自分をいじってみるのって、実験君(笑)みたいですごく楽しくて、自分の様子チェックにはまってます。。
2008.01.08
昨日の夜、瞑想をしていました。なにか繋がるべきところというか、なにか知るべきものがあるような気がして、瞑想状態で、ガイドとコンタクトをとったり、なにか必要なビジョンを受け取ろうとしました。そこで受け取っていたのが、どうやら龍遣いだったときの過去生の記憶でした。以前、鎌倉八幡宮に行ったときに、龍遣いだったときの過去生などのビジョンや情報が、一気に降りてきて、“天と地をつなぐものよ”というメッセージを受け取っていましたが、このときは、エメラルドグリーンの綺麗な衣装をきて、赤い横笛を吹いて、龍をまとっていた日本の青年で、どうやらそのときの過去生の、小さいころからを見ていた気がします。天と地をつなぐというメッセージの符号は、昨年、たかこさんの倍音の演奏会で、龍笛を吹かれた矢加部さんと帰り道に話していたときに、龍笛は“天と地をつなぐ”ものだというお話をお伺いし、びっくりしたということがありました。この青年の小さいころから、龍と戯れていた姿などを見ていました。その龍は今もわたしの傍にいてくれているのですが、レムリアからずっと一緒にいる、大きな白い龍のようです。そして青年のあるときに、ハートの少し上のあたり、アナンダカナンダセンターに、ずどんっと、太くて大きなくさびに似た形をしたような、なにかを刺されたのか、打ち込まれたのかしたビジョンが見えて、それはさびついていて、かなり古ーいものだったようなのですが、思い切って、それを取ってしまいました。どうやらすごく古い封印だった気がします。その後、様々な悪意?を感じるような存在が浮かび上がってきて、でも怖れずに対話していき、ただただ向き合っていきました。少し怖くもあったのですが、でも怖れない!!と思って向かい合っていき、途中で、ガイドの存在たちに、これでいいか?と何度か確認したのですが、みんな一様に大丈夫、というので、そのように向かい合っていきました。その打ち込まれたものをとったあと、アナンダカナンダセンターがずいぶん反応していたので、ヒーリングしていたのだけれども、あとは時間をかけていけばなじむ、という感じがしてきたので、封印がとけきったのかは、よくわからなかったけれども、なんとなく一段落着いた感じがしたので、ガイドにも確認を取り、一応おしまいにしました。最後にその封印を解いた部分にフォーカスすると、“わらわを起こしたのは、誰じゃ・・”と眠そうな声で言われ、でもまったくネガティブなエネルギーは感じず、その存在が、自分の内側で目覚め、自分と少しずつなじんでいくようになるのを、そのとき感じました。封印も、取るのはちょっと早いかな~??と思いつつ、でも見えたものは取っちゃえー!!と思い切ってやっちゃったので、あーなんか起こしちゃったみたいだ、^^;と思いながらも、まぁ問題ないかな、と。なんかあっても、どうにかするからいいのだ、と、覚悟して取ったから、あとはなるようになるだけなのですが。封印を解いた後、出てきた存在がちょっとだけ怖かったのだけど、ひるまずに向き合っていったんですよね。でもどうやらそれは、お試しの関門?のようなものだったらしく。これからこれがどう変化していくかはわかりませんが、ちょっとおもしろい体験だったので、記録しておきました。今日は、踊り始め。年明け初の、ビオダンサクラスに行ってきました。^^*テーマはNew Beginningってことで、いいスタートが切っていかれたな~と思いました。やっぱり自由に体を動かすって、本当楽しいですし、わたしにはなくてはならないものです。ハッピー明日の夜、新月を迎えますが、新月のその最中に、瞑想会を行っています。まだお席大丈夫ですので、ご希望のかたいらっしゃったら、ご連絡下さい。^^*いい瞑想の時間を一緒に共有しましょうhttp://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000
2008.01.07
やっと、内側にあった、その自分自身のパワーを、外に向けて、発信していくことができるようになってきた。。あぁ、長かった。。わたしがずーーーーーっと求めてきたのは、これだったんだな。。わたしは片付け・整理が苦手だった。荷物も置きっぱなし、不要なものがあっても、捨てる気になれなかった。ところが突然、これもあれもいらない、そう感じるようになった。今まで気にならなかった荷物が、邪魔に感じるようになった。それは、自分の内側が整理されたからだ。今まで、どうして整理できなかったかというと、自分に不要なものを執着で手放せなかったから。母に対して、自分が思い切りやっていこうと決めていったら、今まで不要に感じなかった、でも不要だったものが、ぱぱぱーっと目に入るようになって、思い切って捨てたりし始めている。今日も無印良品へ行ってきて、収納ケースだのなんだのを買って、押入れの中を整理し始めた。ちなみに、お休みの日はけっこう、内にこもることが本当に多くって、家から一歩も出ないとか、けっこう当たり前だった。それも、自分のパワーを外に出すことを許していなかったから。でももう、キーが見つかって、はまったと感じたら、家にいっぱなしなんて、いてもたってもいられなくなっちゃった。いい傾向。これでやっと、本当に外に向かっていける。去年は、自分を取り戻す、自分自身に還るってことをした年だったけど、今年は、自分であることは当然、当たり前の状態になって、そして、自分という枠すら超えるということに、チャレンジしていきたい。自分にこだわらないこと。外に向かわせることができてきたおかげで、今年の仕事の、具体的なものも見えてきた。やりたいこともどんどん見えてきた。今までどうしても腰が上がらなかったものが、よしって、本腰入れて行けそうだ。そんな今日はお仕事初め。エネルギーワークって本当におもしろい。最近は、どんなエネルギーを使っているかなんて、全然意識していなくて、ヒーリングを開始すると、自然とビジョンが浮かんできて、それらをリーディングしながら、でてくる気になるビジョン、(意味が深いものは、象徴がはっきりしているし、何度もでてくるし、ひっかかる)それにフォーカスしていくと、それがどんな意味を持っているかがわかり、それがわかると、そこへ必要なエネルギーが流れて、物事が自然と展開していく。つまり、解放や癒しや封印の解除が起こる。そうしてエネルギーワークがごく自然に行われていく。その中には、突拍子もないものもあったりして、その見えたものを話すときに、わたしは未だに躊躇してしまったりするのだけど、その見えたものにはこだわらずに、起こった結果、反応、を大切にして欲しいと思っていて、それもあわせて伝えています。わたしが決してすごい技術をもっているのでも、なにかのとんでもないパワーを持っているのでもなく、ごくごく自然に起こる反応であって(クライアントさんが求めているから)、それは技術によるものでも、パワーによるものでもなく、求めたことがただ起こるというだけだから。つまり、わたしの力は、求めるクライアントさんによって、様々に顕現しているだけ、ということ。自分にこだわっていなければ、パワーに、行うワークの種類、行うエネルギーの種類にこだわっていなければ、クライアントさんにあわせて、どんなものでも、出てくるということ。去年までは、わたしはすごくパワーにこだわっていた。なにができるかがすごく重要だととらえてしまっていたのね。それは違うってわかっていたけど、そこから解放されていなかった。でも、そこから解放されたら、逆に、どんなことでもできるなーって、自然に思うことができて、セッションでも、一般的には難しいと思われるようなことも、とっても自然に行っていたりする。わたしが意識して、気をつけて行っているのは、ヒーリングしながらビジョンが見えたときに、ん?と思ったり、なにかひっかかったり、ちょっとした印象をひくもの、なにか、ほんのちょっとした違うものを感じたときに、それを無視するのではなく、しっかりそこに向かってフォーカスするということ。それは本当に些細なことで、さらっと流すことも簡単にできてしまうようなもの。でもそれを、ん?と思ったその感覚をしっかりひろって、そこにフォーカスしていく。そうすると、そこから大切なものがみえてくるのです。ほんのちょっとのひっかかり、それを本当に大切にくみ上げていきます。そこに、解決のヒントはすべてつまっているから。性格上、ちょっと気になることも、まぁいいか、ってできないのですが、エネルギーワークを行っていくうえで、その感覚は、本当に大切なんだな~と最近よく思います。本当に、成長したなーって思います。おごりとかではなくって、しっかり、その方が求めることを、キャッチして、そのサポートができる自信がついてきました。自信がないーーってずーっと思ってたのに、これは大きな進歩だな~。わたしはずーっと自信がなかったんだ。でももう大丈夫かな。自信って、自分を知っているってことだと思うんですよね。やっと自分ってものを、きちんと知り始めたのかな。楽しいですね。それにとっても安心だし、どっしりしています。あーまた太くなった気がする。(身(実)ではありません・笑)やったー
2008.01.06
母という象徴から教わることはとっても多くって、感謝・感謝、です。気づきをたくさんプレゼントしてくれる。さて、去年のことをずっと振り返っていたんだけど、成長、助走の年だった。自分を取り戻し、自分に還り、自由になるための、いいことも、悪いことも、様々なできごとをひきよせた年。手放すべきものとつきあわされて、どんどん不要なものを手放した年だったから、つらくもあったけれども、どんどん軽くもなっていった。前半は、神秘体験といったものも多く、とてもわくわくし、楽しかったのだけれども、それに対する高揚の気持ちから、ゆさぶりや反動でのうつになることも多かった。2、3月からは、タロットカードでいう塔(タワー)の時期に入り、それが抜けてからは、存在に対する大元の怖れ、生存の恐怖といったもの、宇宙、すべてというものから、自分が切り離されているのではないか、拒否されているのではないか、という、存在の根本にたいする怖れと向かい合う時期に入った。それは、死と再生のプロセスでもあった。その後、自分の中でネガティブと思われる気持ちととことんつきあうこと、その底までいきつくことで、その闇の中にある光と自由を手にすることができた。今年は、より自由になっていくための年。自由を求めているくせに、すぐにちっちゃくまとまろうとしちゃうから、おびえずに、大胆にいくこと。去年の前半は、神秘体験から、気持ちの上がり下がりも多かったけど、今のわたしにはないものもあった。それは、知らないがゆえの、大胆さというか、無邪気さというか。その真っ直ぐな天真爛漫な思いは、なにかを動かす。今のわたしにはそれが足りなくなっている気がする。それらを邪魔するものと、去年、たくさん向かい合って手放してきたのだから、それはもういい気がする。そして、より自由になっていくために重要なのが、“リレーションシップ”“コミュニケーション”コミュニケーションにおいては、母との関係を整理して、きちんとエネルギー的に自立すること。そこに鍵がある。今まで外に出て行くのが怖かったし、今もまだその怖れが残っているんだけど、ここをクリアしないことには、ってところまできていて、それは母との関係を整理することで、できあがっていく気がしている。お仕事は、積み上げていく年にする。去年、様々なできごと通して得たものを活かして、それを人に還元していくこと。上に書いた、コミュニケーションもここに関わってくるから重要。去年よりも多くの人に出会っていって、変化・変容の場を提供すること。自由になることができる、ということを、わたしの姿勢・行動・お仕事を通じて、伝えていくこと。あとは、本当の意味で、大人になりたい。大人の女性になりたいと思う。子どもっぽくて、無邪気で純粋な部分はあっていいのだけど、自分のことばかりでなく、いい意味で人のことをきちんと思い遣れるような、大人の女性になりたい。まだまだ自分のことしか考えてないことが、いっぱいある。自分というものは失わずして、当たり前に自分であって、その上で、人のサポートができること。人や、世界や、宇宙に奉仕できるようになっていくこと。そういった意味での、自分のエゴは捨てていくこと。去年は、自分は何者か、という存在基盤と向き合ってきて、それを得てきたと思う。だから、もう、自分は何者か、というものを超えて、いろんなものを、この体で、体現・顕現していきたいと思う。自分がどうこあるっていうことを超えて、(それが当たり前の状態であって、次のステップへ)宇宙への一体感をただ目指していきたい。そしてわたしがミッションとして心に抱いていること。。それを実現させていくこと。それは、矛盾しているようだけど、自分のエゴを究極まで手放していって、宇宙と一体化していったときに、得られると思っている。具体的な目標いくつか。・いいパートナーシップをもつ・セッションルームを持つ・去年より多くの人に出会い、変化・変容の場を提供する・海外旅行をする・ダンスを続ける・したことのないことにチャレンジする・芸術に触れる時間を多くとる・仕事、新しいワーク・プログラムをしていく・仕事において、コラボの幅を広げるそんな感じかな~。^^*
2008.01.05
3日の帰り際に、なんとか母に、わたしの思っていることを言えた。わたしは、わたしの望む人と、望む関係を持っていきたいし、わたしの望むようにやっていく。結果的に、それがママを傷つけるような形になることもあるかもしれないけれども、これはわたしの人生だから、わたしの思うようにやっていく。わたしの人生は、わたしの責任だから、わたしの責任でもって、わたしがやっていく。そう宣言したのでした。これを言わなきゃ今年は始まらない、と思っていたのですが、それに対する母からの返答は、あやの意見はあやの意見、ママの意見はママの意見だから、これからもそれは言う、ということでした。宣言することはできたのだけど、その母の返答に、違和感を感じていました。いつものことなのだけど、わたしがなにかを言っても、母は全然聞いてくれない。受け止めてくれていないのがわかる。今回もそう。でも、理解してもらうことは手放しているので、これでいいのかな、と思っていたのですが、なんだかひっかかっている。考えてみると、母の言葉は、あなたの意見はあなたの意見であり、と表面上は言っているけれども、エネルギー的には、わたしを従わせたいというものを感じたからなのでした。全然納得してない。わたしはいろいろなできごとなどを伝えるとき、母が当然、反対意見だということを、わかっているわけです。だから、伝えることすら躊躇するわけですが、何も言わずに無視してやることもできます。でも、わたしの中で、それは無視にならないんですよね。それはわたしの中では、秘密になっちゃうんです。秘密じゃだめ。だから伝える。で、伝えるときには、母は納得しないだろう、反対意見だろう、ということは重々承知の上なわけです。母はそれに気づいているのか、いないのか?考えに考えて伝えていることであっても、伝えるときは、極力さらっと伝えるようにしているので、母は気づいていないのかもしれないし、気づいていても、わかっていないだけなのかもしれない。でも取り合えず、次に話すときは、それを伝えようと決めました。母が、反対意見だということはわかっていて、あえて言うのだと。わたしがすること、していることが、母の気持ちからしたら、Noであることは、最初からわかっている。意見なんか、聞かずとも、Noだとわかっている。それでもあえて言っているということ。それをどういう気持ちで言っているのか、それも伝えなければ、と思った。母に対して、Noと言い切れない自分。そこになにかのひっかかりを感じて、探っていっていたら。。ある本を読みながら、ふっと急に気づいたのは、今までわたしが付き合ってきた男性たちの、ある共通性。それは、みんな自由を求めていながら、それを強く抑圧している人たちで、わたしはその自由になりたい、という思いに惹かれて、近づいていくのだな、と気づいた。なぜならわたしも求めているから。わたしは、いままでお付き合いした男性の中にある、自由を求めるエネルギーに惹かれて、(自分の中にも同じようにあるから)でもなぜか、自由になりにいこうとするのではなく、その男性との関係性に、自らしばられにいったのだと気づいた。その関係性は、自由とは離れていってしまっていて、苦しくなったときに、わたしはいつも、その関係性にNoと言って、去っていっているのだな、と。自らしばられることを許し、求めている状態ではないと気づき、自由をもとめてNo!!!と言って、飛び出てきていた。そんな恋愛パターンに気がついた。そしてそれは、母の象徴からの影響による。母は、父にしばられにいっていた。父は厳しい人だったし、母はそれに従うことで、自分の自由を手放して、そのかわり苦痛を得て、でもそうしなければならないと思って、自らしばられにいっていた。わたしは父がなくなってから、父の役割をするようにもなった。それは母のために!!!しばられる対象のいなくなった母のために。。母は父がいなくなったことで、今度は、わたしという存在にしばられにきている。自分の自由を、相手に明け渡し、自分をしばることで、そして相手をしばる。自分が、自分の自由を手放して、犠牲になることで、相手も犠牲をはらわなければならないとばかりに。母は、大きな寂しさを抱えているのだということが、今ではよくよくわかる。わたしがNoと言って去ったら、母は、しがみつくものがなくなるから、いやがおうでも、その寂しさと向かい合わざるを得なくなるのでは?それがあることに気づき、向き合っていくことで、本当の癒しや、心の安定といったものは手に入っていくけれども、母の世代、そしていまこの年で、母にそのつらさと向きあうってことを、させるのは酷ではないか??と思っていた。だからNoと言い切れない自分がいて、母から離れることを、自分が許していなかったのだと気づいた。でも、わたし自身は、そのつらさと向き合うことで、自由や幸せを獲得してきた!!その機会を母に与えないということは、わたし自身が、母に自由を許していなかったということ!!母は、わたしという存在の鏡であるとして、自分に自由を許さないということは、母にも自由を許さない、というのと同じこと。母にNoと言ったら、母が苦しむと思っていたけれど、それが大きな間違いだった。相手をしばり、自分をしばるつらい状態から、母に、自由になる選択を与えることができる。母がまたべつの対象に、しばられられにいくか(苦しみをえらぶか)は、それは母の選択だ。それこそ、母の自由である。母にNoということで、母は自らの呪縛から手をひく選択ができるかもしれないし、できないかもしれない。少なくともわたしは、呪縛から解き放たれて、自由になれる。そうしたときに、わたしは初めて、男性と健全な関係を持てるかもしれない。母にとっての父の役割を卒業すると同時に。そして男性でなく、すべての人たちと、健全なコミュニケーションができるかもしれない、そう思った。これでまた、自由になるための、大きなキーを手にしたかな。そうしたら次は、それをちゃんと使わないと。もっているだけでは、だめなのだ。
2008.01.05
実家より帰ってきました~喪中なので、挨拶は失礼させていただくとして、実家に帰っている間は、携帯リードオンリーだったので、みなさんのところにも挨拶にいけずじまいで、失礼いたしました。今年もみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。あなたにとって、お互いにとって、そして周りの人たちにとって、そして世界にとって、宇宙にとって、さらに素晴らしき一年になりますよう、お祈りしていますすべての存在にとって、よきことがたくさん起こりますように!!さて、年越しの瞬間は、うちで友だちとある話題について盛り上がって喋っているときに、気づいたら過ぎちゃってました・・笑しかもなんてくだらない話題なの・・って話でした。そんな年越しで初笑いしちゃったよ。^^;;翌日から実家に帰りました。母との関係について、年末も考えたばかりだったので、家に帰る前に、自分にしっかりプロテクションし、母にプロテクションしようとしたら、やめろーっていう存在がついていたので、癒して帰ってもらって、プロテクションして、実家に居る間、実家にはヒーリング・サンクチュアリを張っていました。そのお陰かもしれませんが、母のどんな言動から、自分が影響を受けて人格を形成したのか、自分の思い癖がどこからくるのかが、本当によく冷静に見えたと思います。それに対して、まだどう反応を返していいのかわからない自分がいますが、それが見えたということが、大きかったみたい。いかに、わたしは母に境界線を侵されてきていたか、そしてそれを許していたかが、帰省してよくわかりました。と、同時に、母もいつも自分を責めているのだろうなぁということと、母自身も、境界線を侵されてきていて、それを許していたのだろうな、ということもきれいに見えてきました。実は去年、付き合っていたパートナーを紹介したのですが、いろいろあったので、母はものすごく納得していませんでした。でも、別れたことをまだ話していなかったので、別れたことを伝えたうえで、わたしはこれから、自分の責任で、自分の望むことをやっていく、自分のために、自分の望むことを、望むようにやっていく、結果的に、それがママを傷つけることになることもあるかもしれないけれども、ママを悲しませないと思うのではなくって、わたしはわたしの人生だから、わたしが思うように、感じるようにやっていく。わたしの人生は、わたしの責任だから、わたしの責任でもって、わたしがやっていく、そうきちんと伝えることができました。今回の帰省では、それを必ず口にして伝えなければならない、と、決めていたので、伝えることができてよかったです。これを言わなければ、今年は綺麗に始まっていかない、とまで思っていたので、母からの返事はどうあれ、伝えることができてよかったです。母は、それに対して、あやはあやの意見、でもママはママの意見として、伝えるから、ということでした。イメージに向かって、テレパシーでNoと伝えたものの、その後、現実では、実在の人物に、しっかりNoと言うことっていうのが、でてきていたので、あぁ、やっぱりここを越えないと・・と思っていました。少しずつチャレンジしていかなければ・・と思っていたなかで、まず年の最初に、わたしにとって大きな存在である母に、しっかり自分の気持ちを伝え、母に宣言することは、わたしにとってとても重要だったのでした。そんなこんなで、楽しい~っていう帰省ではなかったのですが、今後、大きな意味を持っていくことになるはずと思っています。そんなで、友だちからお誘いがあったので、食事に行ってきました。いや~すごく感覚の合う人って、今までの出会いの中でも何人かいるけれども、感じているものや、もっている性質がすごく似ているので、そういう人と食事をしたり、おしゃべりをしたりするのはとても楽だし、楽しいな~と思いながら、時間を過ごしていました。そして食事をした後、時間があったので、またダーツへ連れて行きました。笑このところ、友人を次々とダーツへ連れて行っています。笑わたしはお酒が強くないのですが、(いつも飲んでも、1、2杯)食事したときに1杯、ダーツで2杯の合計3杯も珍しく飲み・・ゲームに夢中になっていたら、終電の10分前!!あわてて小走りで駅に向かったら、酔いがまわって、笑いい気分で、帰り道、ひとり歌を歌いながら(近所迷惑・笑)、ご帰宅いたしました。今年はどんな一年にしようかな~。。去年を振り返りながら、考えているところです。
2008.01.05
“狂気”のそこから手にいれたものという日記は、みっつ上げてあるので、読まれる方は、順番に読んでみてください。狂気っていうのは、パウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』を読んでもらうと、なかなかおもしろく理解してもらえると思うのだけど、今回の体験はかなりおもしろかった。いや、渦中はかなり苦しかったのですけど。。最近、ある日記でコメントのやりとりをしていたときに、気がついたことがあって。自分をいじめるように(自傷行為とかではなくって、自分に心地いいものを与えず、自分にとって心地がよくないと思う時間の過ごし方をすること)過ごしていた時期のこと、あれは、わたしが自分がここに居るんだ、っていう実感が欲しくって、実はしていたんだな~と気づいたということがありました。自分をいじめるって、自分を愛していないからなのかもしれないけれども、そうして刺激を与えることって、感覚を使うこと。ある意味麻痺させてることでもあるんだけど・・・感覚を使うってことには変わりないし、感覚がつかわれていれば、ここに居るという実感は得られる。むかしからわたしは、何をするにしても、やりすぎたり、行き過ぎたり、自分の体の疲れを無視して集中しすぎたり、ってことはよくあった。(これはインディゴ体質にはよくあることだとも思う)で、なぜ感覚をそれだけ酷使するのか?人として生まれたということは、肉体をもつっていうこと。肉体を持つっていうことは、肉体に由来する、感覚をつかうっていうことだ。感覚をつかっているときこそ、人は生きている実感を得られる。それが、どうしようにもなく、つらいと感じる方法であったとしても。何も感じないと言うことは、生きている実感を得られないから、そっちのほうことこそ、怖いことはないのだ。狂気っていうのは、「ベロニカは死ぬことにした」の本の中では、二つの側面から眺められる。ヴィレットという精神病院の外にいる、いわゆる“普通”の人たちが、ヴィレットの中にいる人たちに見る、“狂気”。ヴィレットの中にいる、自分は狂っていると思う人たちが、ヴィレットの中に居る自分たちに見る“狂気”と、その病院の外に居る人たちの中に見る“狂気”と。(※ 念のため書いておきますが、本の中の言葉を使って話しているのであって、 差別的な見方をしているわけではありません)狂気というのは、人とは違うのに、人と同じようになろうとすることで生まれるもので、そしてそうなれなかった人が、病院へやってくる。でも、本当は、人はみな違うのだから、人とみんな同じようになろうとすることこそ、本当は狂気であるのだと。そして自分を取り戻していくのですが、この、狂気の究極までいくことで、その反対へ向かうエネルギーを得ていくんですね。わたしが過ごしている過程とまったく同じことが、本に書かれていて、本当は『アルケミスト』を買おうと思っていたのに、その本屋にはなかったこと、そしてこの本を買ったことは、完全にシンクロの中にあったな~、と思いました。わたしが最大に(笑)沈下したのは、朝に、身支度をしていたときでした。ただふっと、“死にたいな・・”という風に思った。その思いはただたんたんとして、じゃあどうやって実行に移そうとかそんなのはなく、そう思っても、実際にする勇気なんてないくせになんて思うこともなく、行動とはまったく関係のないところで、自分の心象として、“死”というものが浮かび上がってきたんですね。なんだかこの感覚は久しぶりだな、と思いました。わたしには人生でつらかったな~と思う時期が、二度ほどあるのですが、その二度の感覚ととても似ていました。一度は、小学生から中学生にかけて。いじめを受け、その後自分の感情にふたをしていったとき。二度目は、二十代の前半、大学を卒業して、心理系のあるサポートについていたとき、自分の感情の波が、自分でまったくつかめなく、ストレスばかりをためていたとき。これらのときと、明らかに感じは違いました。それは、否定も肯定もすることなく、ただ“死にたい”と感じた、ということかもしれません。そういう風に感じている自分を否定もしなかったし、だからじゃあどう元気になろうとかも考えなかった。ただ空虚な感じを感じたというのかな。実際、悲しくもなかったんです。けっこうつらい状態になっていたので、何かをどうこうする気力もなかったんだけど。冷静に眺めて、受け止めているもう一人の自分がいたってことですね、多分。そこまできたときに、こりゃーもう、自分でどうにかするしかないな、と思った。頼ってみようと思ってセッションをお願いしたけど、わたしは抵抗していたし(笑)、もう自分でやりたいのねー、わかったよーー!!と。自分でやろうと思う覚悟がついたのは、多分、“死にたい”という思いを感じたからだと思います。わたしはよくもわるくも、インパクトのあるできごとを引き寄せることが、本当にむかしっから多くて、そんな自分を、小さいころから怖がっていました。自分もそれに振り回されていたし、周りを振り回して傷つけるとも思っていました。だから、自分のエネルギーというものが、とても怖かった。スピリチュアルなことを知り始めてからも、そうでした。初めての経験が、至高体験といわれるもので、それからスピリチュアルなことを意識するようになり、その後もたびたび、インパクトのある、劇的な変化を乗り越えていく、ということがあった。二年もの間に、かなりいろんな体験を過ごしたと思う。これはかなり多いほうだと思うのだけど、それはわたしが、自分にそれだけの刺激を与えることで、自分という存在の目覚めを促したのだと思う。それだけインパクトのあることがなければ、目覚めないっていう、なんとも頑固な人間だな、とも思うけど。笑ある意味、修行とかも、そういうものなのだと思う。究極まで自分の感覚をつかうことで、その反対へいくための、強烈なベクトルを生み出そうとする。だから苦行とか、荒行とかいって、肉体的にきびしいものだったりするものが、あったんじゃないかな。究極まで行って、感じたことは。狂気のそこまでおりきることで、その狂気のもたらす意味と、もたらす恩恵がわかったということ。今まで何度も、そういう経験をしてきたけれども、全部手放して、ジャッジもせず、もがきもせず、ただそれを感じきる、ということをしてきたことで、完全に沈みきって、底まで行くことができた。多分、もがいたりすると、中途半端に浮いてしまうから、究極の底までは辿り着けないのだと思う。わたしは沈みきる、底までいく、という体験を欲していて、それをひきつけたのだと思う。そして、そこまで行ったときに、何を得たかと言うと。それは多分、言葉にしたら陳腐なのかもしれないけど、ただただ、“愛”っていうものだった。そこには美しさしかなかった。究極まで辿り着くことで、すべてのものに宿る、愛や美しさや歓びや幸せを、感じて、そして掴んで浮かび上がってくることができた。狂気の中に、愛を見る。狂気の中に、美しさを見る。狂気っていうのは、闇とか、陰とか、そういうものに例えられると思う。闇と光陰と陽死と生月と太陽・・今までいろんな本で読んだり、聞いたりしていたけど、一見ネガティブだと思われることの中に、これだけのものが詰まっていたんだ、と、気づいて、それを体感できたこと、それが本当に大きかった。闇は光の一部。深い深い闇まで辿り着くことで、影は深くなり、闇は暗さを増す。暗さを増せば増すほど、光は見つけやすくなり、大きく輝く。闇に降りるという体験をする、ルシフェルの話。三次元と言う肉体を持つ世界に下りてくる、人間という存在のこと。アセンションに向かっていくときに、一度世界は最悪の状態になると言われる話。陰きわまれば、陽となす。チャレンジングなことかもしれないけれども、みんな、わかってそれをしているのかもしれないと、自分が浮上してきて思った。死は、生の一部。生きていなきゃ、死ぬことができない。本では、死を強く実感することで、生きる力を得ることがある、と書かれている。そのとおり。そこまで辿り着くことができれば、どんなものの中にも、愛や美しさや歓びや幸せを見いだすことができる。わたしはね、このお仕事をしていて一番重要だと思うのは、その人のそばにただ寄り添えること。寄り添うっていうのは、言葉で言うほど簡単じゃない。相手がどんなにつらい状況にあっても、ひどい状況にあっても、その中に愛を見いだして、それを受け止めることができるっていうことだ。自分が狂気のそこまでいってきて、闇を体験してきて思うのは、人のそういった闇に、寄り添うことができるっていうこと。そして、そこで一緒に光を探すお手伝いができるっていうこと。今までのわたしは、どこか、逃げ腰だったと思う。だって、自分が自由になることが怖かったから。自分が自由になることが怖かったなら、人が自由になることのお手伝いを、どこまでできるだろう?自分に自由を許しているところまで。笑人の闇に、どう寄り添ったらいいか、きっと今まではわからなかった。でも、そこに深くまで、切り込んでいって、一緒にいることのできる勇気を、今回の体験で受け取った。素晴らしいギフトだった。はっきりいって、スピリチュアルなことを学んできた中で、この変化が一番大きかったと思う。そして、この道に入ってから、ずっと求めていたものは、これだったと思う。今まで人が怖いことがあった。でももう、怖くない。この先また、違う怖れがでてくることはあるんだろうけど。笑人の闇に寄り添うことのできる勇気をもらったことで、結果的には、サポートできることが増えた。その人が自由になるために、サポートすることであれば、怖れずに、向かっていくことができるから。向かうことができれば、解決の鍵は必ず見つけられる。どんなワークもできるんだね。今までの意識とは、まったく違う意識で、クライアントさんと向き合ってます。今までより、もっともっと本気。切り込んでいきます。でもそれは、痛い切り込み方じゃないのね。深く、闇まで一緒に降りて、そこに一緒にいる、ということ。こういう自分は、とても気持ちいいです。難点は、わたしは意外と気が小さいということ。笑せっかく得られた、この自由な感じをきちんと活かしていくためには、わたしはちっちゃくまとまらないでいること!!!笑気持ちはでっかく、自由に。来年は(も)過ごそうと思います。^^* ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★今年はもう仕事納めとさせていただきました。来年は、セッション開始は、1/7より、メールなどのご連絡のお返事は、1/5以降にさせていただきます。また来年も、どうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。^^*来年の新月に、いつもの瞑想会を行います。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/10000会の最中に新月を迎えます。まだお席はたくさんありますので、よかったら来てくださいね!
2007.12.28
Noといえない自分に、No!!! だ!!さて、どのように母にNoと言おう??母に、直接、面と向かって言うのは、厳しい。。それならここで、テレパシーで言おう。イメージの中で、母の象徴があらわすものに向かって。・・・母にNoといった。一切関与は受けないと。何をしようと、わたしの責任だ。勝手に責任を引き受けないで、もらいたい。☆浮上解ける、自分で自分を縛っていた呪縛が。狂気のそこまで行って、手に入れたもの。それは、狂気のもたらすものの、美しさ。狂気にいたることのできる、まともさ。きたない言葉も、きれい闇も愛しい死も生の一部生きてなきゃ死も体験できない苦しみも美しい全部、知っていたんだな、わたしは。沈んでも、なにもしなかったのは。沈みきるまで、待っていたんだ。沈んでいるからといって、シンクロが減ることはなかった。ずれている感じはなかった。ワークがきちんとできているということは、自分が向けるべき焦点、フォーカスが合っているということだ。むしろシンクロは多かったし、示唆しているものごとはたくさん目の前に現れてくれていた。死にたい、という思いまで辿り着くこと。死の感覚まで、おりきることで、生の感覚を呼び起こした。わたしが何者であるかは、わたしが決めることですが、わたしに何者を見いだすかは、あなたの自由ですあなたはわたしの中に、あなたの見たいものをみることができますそれは愛でも、狂気でも2005年の秋から冬にかけて、スペインに行って、至高体験を過ごしてから、その意味を求めて、スピリチュアルな道に入っていった。その中で、たびたび、わたしにとって、インパクトのある体験やできごとを、これでもかっていうぐらい、過ごしてきた。たった二年の間に、どのくらいのことが起こっただろう??それが、いい気分になるものであっても、わるい気分になるものであっても。強烈な体験、インパクトのある体験は、わたしが求めていたものだ。わたしが目覚めるために。目覚めに、それだけインパクトのあるものを必要としていた。強烈なものがなければ、目覚められなかったのだね。次のセッションに向かうまでの間に、ふっと、最近ずっと持ち歩いているオーロベルディという石が浮かんで、その石が小さく欠けるイメージがわいた。そのかけらは、次のセッションに来る人のところに行く必要があるようだった。プラス、今回のわたしのサポートもしてくれていたんだろうな。そこで石をあけてみる。黒い袋の中に、ぷちぷちに包まれて入っている。そのぷちぷちを開けると・・・石が欠けている!!!かけらはどこにもないのに!!その前にしまったときは、かけてなんかなかった。。かけらはどこにいったの??石に意識を向けてみると、石はかけたからといって、悲しんでいる様子などなく、むしろ喜んでいる。きっと、その人のところへ、もう行ったんだろうな。どのような形でかはわからないけれど。そして迎えたセッション。終わってみて思う。わたしがカフェで解放が起こらなければ、行うことのできなかったセッションになった。そうか・・・。すごい仕組まれようだな~~~。。狂気のそこまでいったとき、死にたいという思いまでたどりついたとき、わたしはずっと、わたしと宇宙を信頼していたのだと思う。そういう意識はなかったけど。信頼していたから、ワークもできたし(これは自己信頼がなければできない)、シンクロもずっとあった。そして、そういうところまでたどりつく自分を信頼していたのだろうな、自分の意識のどこか一部で。狂気は静かで美しく、綺麗だった。狂気は、わたしからみて、美しく、輝いていて、愛に満ちているものであっても、誰かから見たら、違うかもしれない。でも、わたしは狂気の中にたしかにある愛をつかんでかえってきた。わたしは、スピリチュアルなことをはじめてからずっと、これを求めていた。多分ずーっとパワーを求めていたし、ある程度それは望めば与えられてきた、自分を信頼する、というチャレンジを重ねていって。でももう、得るパワーなんて、なにもなくなったとき、パワーばかり求めていたわたしは、行き詰まり、終わりを迎えたんだな。わがしが本当に求めていたのは、パワーではなかった、ということに、やっと気がついた。でも、こういう道を通して、知ろうとした。愛をつかむことができれば、どんな体験であってもいいのだろう。わたしはすごく自由になったし、愛と歓びと幸せにあふれて、心から満たされて充実している。(完)
2007.12.28
母親の強い行動に負けてしまっていて、言葉の出てこない子ども。自分の意志やペースを伝えられていない子ども。あぁ、あれってわたしの姿。このお仕事をしていることは、母は知っているし、わかってくれているけれども、母に遠慮しながら、自分の行動を決めている自分。父はわたしが高校二年生でなくなったので、反抗期をすごす暇がなかったわたし。そして父がいなくなったことにより、過保護になった母。Noということができない自分がいるのも気づいてた。それは母からきている。母にNoということのできない自分。それはここが出発点。今まで、Noと言わずに、いろんな人や、状況から、離れる、そういう選択を繰り返してきた。この夏から秋にかけて、ある人との関係性を通じて、自分がNoということを許す、チャレンジをしたはずだったのに。。まだ残っているんだな。。人や状況から離れることは簡単だ。だけれども、そうすればするほど、自分の行動範囲は狭くなる。それは自由ではないし、解決方法として最善とは思えなかった。Noということ。Noと言ったら、相手を傷つけるから、とずっとそう思っていた。けれど、あるできごとを横で見ていて気がついた。Noと言われずに、それも伝えられることもなく、いきなりシャッターをぴしゃーんと閉めて、去られることほどつらいことはないのだ、と。Noと言って、傷つけることもあるかもしれないが、Noといわないことで、相手を傷つけることもあるのだと知った。それならNoと言おう、と。夏から秋にかけて、ある人との関係性を通じて、Noということを自分に許した、そういうチャレンジをしたと思うのだけれども、もしかしたらもっと早くから、いやなことはいやだと気づいて、それを伝えるってことが必要だったんじゃないだろうか、と思う。わたしはNoということを自分に許した、と思ったけれども、それは相手にはNoではなく、Noサインもいきなりなく、いきなりシャッターを閉められて、去られたことと同じだったのでは、と思う。わたしはたびかさなる喧嘩を続けながら、Noサインを出していたと思っていたけれど、もしかしたら違ったかもしれない。。相手を深く傷つけたことに、今更ながら気づいて、でも、それを心で感謝にかえる。。教えてくれて、ありがとう、と。Noということができない、一番の象徴は、母だ。ここまできた。(続く)
2007.12.28
回復したプロセスについて記す。(長いです)沈んでいる中で、わたしはずっと、アルケミストで有名な、パウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』を読んでいた。“狂気”について、ほか。本の抜粋。“「~略~ 狂気とはね、自分の考えを伝える力がないことよ。 まるで外国にいて、周りで起こっていることは全て見えるし、理解もできるのに、 みんなが話している言葉がわからないから、 知りたいことを説明することもできず、助けを乞うこともできないようなものよ」 「わたしたちはみんなそう感じているわ」 「だからわたしたちはみんな、なんらかのかたちで、狂っているのよ」”“「いいや、きみは人と違うのに、同じようになりたいんだ。 それは、わたしから見えれば、とても深刻な病気だけどね」”訳者あとがきより“~略~ “普通の人”の、普通さにあわせようとする時の 微妙なズレや矛盾の積み重なりが、狂気へ繋がる ~略~” ★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★12月に入って少しして、少しずつ沈んでいった。ここ最近は、沈みながら、それに気づくことができて、完全に沈みきってしまう前に、それを避けることができていたのだけど、今回はそれに気づかなかった。沈みきってしまうと、なかなか回復できない。ピークでつらかったのは、冬至前後。あまりにもつらくて、おにょさんにヘルプを求めて、セッションをお願いした。“セッションを申し込んでくださったということは、 喜びに満ちて、今のお仕事を続けられたいってことですよね?”といわれて、あぁ、わたしは仕事がつらいっていうほど、追い込まれているのかと、その言葉をきいて、なんとなく思った。でも不思議なことに、お仕事はしっかりできるのだ。以前なら落ちていたときには、自分を信頼する力が足りなくなっていたから、ビジョンが見えにくくなったりなどしたのだけど、ワーク自体は上手くできるし、セッションしている間は楽しかったり、そしてしっかり見える。おにょさんのセッションを受ける日の朝、夢を見た。わたしの母親が、おにょさんのセッションまで車で連れて行ってくれる夢だ。電話セッションのはずなのに、母は車でおにょさんのお家まで向かっていってしまい、これじゃぁ電話を掛けるところもない・・と戸惑っていると、おにょさんがあたたかく部屋に迎えてセッションする、という夢。母がキー。おにょさんのセッションでは、わたしはまだ抵抗しまくっていて、セッションの内容の録音を聞き返すと、わたしはなんて自分のことがわかってないんだろう、と思った。話している言葉と、自分が感じていることの間にあるものの、乖離。なぜ今の状況を脱せないか?おにょさんからは、力を抜くだけでいいんですよ、って言ってもらう。もう小さくなったお洋服を頑張って着ていて、苦しい~って脱がずに、一生懸命着ているって言われて、わたしはそれを聞いて「それってすごく間抜けですね!!」って言ったら、おにょさんは、「間抜けじゃないんですよ、かわいいんです」と言ってくれたので、思わず笑ってしまった。なぜかな~と、するとおにょさんはやっぱりインナーチャイルドでしょうね、と。セッション後もまだすっきりせず、もぐった時間をすごす。寝不足になってみたり、無駄な時間を過ごしてみたりして、自分で自分をぞんざいにあつかって。そんなある朝、起きて支度をしているときに、“あぁ、死にたいな”とふと思った。なにも大袈裟にでもなく、ただ淡々として、そう思った。それをジャッジもしない自分でいて、こんなにひどい状況は久しぶりだ、とこの感覚って、20代前半のころに感じていた、久しぶりの感覚だなぁと思った。ただ、あのころと違うのは、今のわたしは、周りから見たら、とても豊かである、ということだ。あまりにつらくなったので、あまり今までしなかった、人を頼るってことをしているのに、これはもう、自分でやりたいんだな、自分でやらないと納得できないんだな、と、覚悟する。わかったよ、自分。。そして、お仕事とお仕事の合間の空いた時間に、いつものカフェに寄って、ノートに気持ちを書き綴っていく。書いていく中で、ときどきチャネリングのようなものがあり、自分の本当の気持ちが見えていく。自由になりたいのに、なっちゃいけないのでは、という葛藤を抱えていることはわかっている。その葛藤をほどくキーはどこにあるのか?書きながらだんだん見えていく。パワーを追い求めている自分、でも本当はパワーなんか求めていない自分。自由になるってことは、パワーを得ることだと思っていた。パワーを求めすぎている自分が、パワーを持ったら、恐ろしいことになるのではないか、という恐怖。自由になったら、自分がなんでもできるってわかっている。望めばできないことなど、ないのだと。でも、パワーを求めすぎている自分がそういう状態になったら、パワーを自分のエゴで使うのでは??という怖れと葛藤。こんなわたしが自由になってはいけない、という思い込み。けれど、書いているうちに勘違いにきづく。自由になることは、パワーを得ることとイコールではない。自由になるとは、すべてから自由になることであって、パワーからも自由になることだ。パワーがあってもなくても、どちらでもいい状態。使うために存在するのではない、パワー。パワーがない自分を許せない、認められないから、自由になろうとしないわたし。人と比べ、自信がなく、パワーを求めてしまうのは、インナーチャイルドの部分と気づいている。夢を思い出す。母がキー。母に象徴されるものの影響は、それだけ大きいということ。ポイントは、母自身ではないということ。母に象徴されるものを、わたしが母という存在を通じて見いだしているだけだ。そのときカフェで隣に、親子がやってくる。小学生の男の子と、全て真っ黒なものを持って、着ている母親。眼鏡のふちまで太い黒で、時計も真っ黒だった!!母親は、子どもになにも喋らせず、有無を言わせず、子どものペースを無視して、自分がよいと思うことを子どもに押し付けている。。わたしの母の象徴とのてらしあわせ。(続く)
2007.12.28
しばらく沈下していました。。いろいろありましたが、ついに、必要な関門を抜けて、わたしが心から望んでいたポジションに立つことができました。ここまで導いてくださった、すべてのことに感謝します。すごくしんどい状態になって、みなさんにサポートいただいたり、ある方へヘルプを求めたりと、過ごす中で、本当にいろんなことがありました。スピリチュアルなことを学び出してから、ずっとずっと根底にあったものを、今のわたしは、やっと得ることができました。今、本当に、心が震えるほどの愛と歓びと幸せに満ち溢れていて、とても充実して、満たされています。自分が抵抗していることはわかっていたけれども、年内に、超えることができて、本当によかったです。見守ってくれていたすべての方々に、お礼を伝えます。感謝しています、ありがとう。そんなあらたな気持ちになった状態で、お友だちに誘われて、初めてお花を活けてみました。(友だちが、フラワーアレンジメントの先生なんです楽しかった~これ、はまっちゃいそうです。今、わたしのうちの玄関にどーんと飾ってあります。かなり大きいんだよ~最近、よく小さなブーケを買って飾っていますが、こうして自分の手で創りあげることができて、そしてそのお花を飾ることができるのって、かなり楽しいですちょっと手伝ってはもらったけど、初のいけばな、わたしのセンス、どうかしら??^^*なかなかいけてるわ~(←自画自賛)
2007.12.28
今日、ある人と話していて、シンクロが・・・。半分覚書みたいなものです。。昨日、コップが割れたときに、わたしのわたしだと思っていた器が一つ、壊れた、と、そう感じた。最近、自分の性質について考えていて、それを受け入れること・・それと向き合ってきていた。自分の特質・・それはマスターっていうものと関連してて。33とか、333とかの数字をたくさん見ていた。それを見ていたときに、アセンデッドマスターがあなたの傍にいます、というメッセージだけでなく、わたしのマスターの性質っていうものも、表していることに気づいていて。。そうしたらわたしの魂の絵を描いてくれた紀子さんが、絵に十字が表れている人は、マスターの領域を持っている、もしくは過ごしてきた人、ではないか、と書いていて。。紀子さんが書いてくれたわたしの絵には、ばっちり十字が描いてある。。そして今日、ある人から電話がかかってきて、話していたら、マスター性について話していたときに、わたしに、Mが二つ浮かぶという。その人は最初、マグダラのマリア、というけれど、わたしは両方のマリアを感じていた。。そのMは、二人のマリアを表していない?というと、そう感じるという。わたしの魂の中に、二人のマリアのエッセンスがあるように感じると言われ・・わたしがスペインで導かれて、この能力を認め、それを解放したのは、マリア様からの導きだった。マリア様からわたしは始まっている。そして、何の気なしに、会話の中で、“ダブル・マリア”というと、その人は驚いて、Wも浮かんでいたんだ、という。。いろんな人にチャネリングで、わたしの性質について、女神性を言ってもらうことが多かったのだけど、なんだか、一般的にみんながさす女神とは少しニュアンスが違う感じがしていた。それがマリア様なのなら、しっくりくる。。マリア様も女神なのだろうけど、わたしは一般的な女神様とはちょっと違う感じがする。さらに思い出したのだけど、11日に、レムリアンのたかこさんの、クリスタルボウル、倍音楽器の演奏会に行ってきた。そのとき、参加されていたボイスヒーラーの方が、フランスのルルドに行って来たときのマリアのメダイを下さったんだ。ここでもマリア様のシンクロ。。そして、昨日の日記への返信で、破壊と創造について、マリア様に関連して、新たに気づいたことがあった。わたしは自分の破壊の素質を怖れている。多分、まだ怖れている。自分のあまりの力に、自分がその力をもてあまし、周りを振り回して傷つけた、という思いがあるからだ。。それらの体験も、わたしも、そしてその周りにいた人にとっても、きっと必要なことだったんだろうとは思うけれど。。破壊と創造はセット。破壊の力を持っているということは、同じだけの創造の力ももっているということでは??と気づいたときに、その創造の力をサポートしてくれているのは、まさにマリア様なのでは??と。破壊した後、あたたかく包んで、癒し、そして育んで、創っていく力・・それがマリア様では??うーん、違うかもしれないけど、一応今の探求のところってことで。としたら、破壊も怖くなくなる。破壊を抑えたら、創造の力も抑えてしまうことになる。だから、怖れず、両方うけいれていくこと。。なんだよな。破壊と創造。闇と光。これってセットで、リンクしているよね。。ルシフェルのエッセンスについて。ルシフェルの質をもっていることも、ある人に、言われた。それもけっこう強くもっていることを。ルシフェルのワークというか、闇と光のバランスをとり、統合し、融合させていく、ということをしているのだけど、わたしがそれをできるということは、わたし自身がおそらく、闇と光のバランスをよく保っているからなのだと思う。そうしたときに。。ルシフェルは闇、もし、創造がマリア様となるのなら。。ルシフェルとマリア。という対応も??ルシフェルとは普通はミカエルが対応になるんだろうけど。。破壊と創造闇と光スサノオとアマテラスルシフェルとマリアアマテラスのエッセンスも自分の中に強く感じる。これは天岩戸開き、初めてのパワースポット巡りで得た、体験から繋がっている。。マスターをもっと感じること、それは自分の外とも、そして自分のうちとも。。そうすることで、いろんなことが広がるみたい。
2007.12.19
今夜もサマンサのダンスワークに行ってきました。http://samanthasw.blog101.fc2.com/全六回のうち、半分の三回に参加することができました。http://samanthasw.blog101.fc2.com/blog-entry-3.html11月26日、火。血。筋肉。目。第3チャクラ。視覚。情熱。意志。夢。即時性。方向。自分の求めることを表現すること。境界を設定するということ。 12月3日、風。呼吸器官。心臓。第4そして第5チャクラ。触感。明るさ。笑い。かすかさ。うれしいつながり。無条件の愛。解放。 12月17日、全エレメント。全身体組織。第7そして第8チャクラ。第6感 - 精神の直感的な知性そして愛と光の真実。自分が身体の中に経験を持っている精神であるということを知ること。身体への超越。ワンネス。ユニオン。自由。深い恵み。 以上が参加したワーク。11/26は、火の属性だったのだけど、わたしはめちゃめちゃ火の属性を強くもっている。それでもって、これでぶっとんで、でかい体験したんだったなぁ。これはすごかった。とてもよかった。http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/diary/200711260000/ある意味、この日の浮上してきたテーマがここ最近へと繋がっていたと思う。このときは受け入れた、と感じたのだけど、きっとそれは、受け入れるための最初の一歩だったんだと思う。今日は、風邪が治りかけっていうこともあって、なるべく穏やかに、いつも、体の声でなく、スピリットの求めるまま踊りくるって、笑そんですぐにぶっとんでしまうから、できるだけ、体の声にも沿いながら、心地よく、気持ちよく、自分に強くある火の属性にフォーカスするのではなく、流れるように自然に、受け止めるようにして、踊っていこう、と思って、そのように踊っていきました。このところ、自分の本質ってなにか?わたしってなにものか?わたしの歓びってなにか?そんなことを考えすぎていて、ぐるぐるになって、すこしわからなくなっていた。怖れを越えて繋がっていくことと、自分の望むものがわかって、望むものを選んでいけること。このふたつのことは、本来矛盾はしない。けれど、わたしの中で、少し混乱してしまっていた。人と繋がっていこうとするときにでてくる怖れは幻想だって気づいた。だから近づくのは怖くなくなっていった。けれども、自分が近づくのを望んでいないときもある。それもわたしの怖れだと勘違いして、超えていこうとしていた・・それが違ったのだと気づきました。怖れは巧妙に、今の自分を超えることを阻んでしまうから、そうならないようにと、あまりに真っ直ぐすぎたわたしは、自分が望んでいないことまで、それは怖れだ、と勘違いしてしまっていたんだ。うう~む。。ダンスワークの合間に、メッセージを受け取ったり、ビジョンを受け取る時間があって、わたしはそこで、自分がなにものか?といったときに、すぐに降りてきたのは、“花”だった。暗い洞窟が見えて、岩だらけなのだけど、そこには一輪の花が綺麗に咲いていて、素朴なのだけど、一輪、凛としてそこにあって。そしてその花は、自ら光を放っているかのようだった。“闇の中の花、光”そういった言葉が続いておりてきた。そうか~わたしは、闇の中の花、光なんだな。。それで、その花が綺麗に開いていって、その中が見えてくる。。観音様の姿でもあるようだし、光そのものでもありそうで、さらにじっくり見てみる。この姿がわたしだってわかっているので、わたしってなに??!って、一生懸命見ようとした。ところが。。見ようとすればするほど、見えない。光のようなものが曖昧とあるような、ないような感じで、そこにはなにもないようにも見える。見ようとしても、見えない。。見ようとすればするほど、そこにはなにもなくなっていく。。そのビジョンを友だちとシェアしていたときに。。そうか、わたしは“わたしは誰だ??”って、探しすぎていたんだ、と気づいた。探しても探しても、本当は、わたしって個別の存在はないから、見ようとすればするほど、なくなっちゃうんだ、と。肉体はね、個別のもので、孤立しているように見えるよね。三次元での肉体を見ていると、どこからも独立していて、分離していて、たった一個の存在のように思う。踊りながら、なんで自分はこんなに狭い肉体にいるんだろう?もっともっと自由だったはずなのに、なんでしばられているんだろう??そう思った。だけど、肉体がしばっているんじゃない。肉体というからだの中に降りているから、だからしばられているんじゃない。肉体はフェイクなんだ。肉体があるから、自分は自由じゃないと感じる。でもそうじゃない。意識がそうさせる。そう、わたしはもっと、唯一のもので、大いなるひとつで、なにも欠けていない、完全性の中にあって、満たされていて、完璧で。。だから、わたしは“わたしはなにものか??”と、一生懸命それを見ようとしたところで、そんなものないのだから、見えなくて当たり前だったのだ。見ようとすればするほど、それはなくなっていく、だってそんな分離した姿なんて、本来のものじゃないから。わたしはわたしの歓びのもとに、いきてゆくこと。それにこだわりすぎていたんだな。そうしたらまた、自由になった。そうだ、わたしは無限の可能性だったんだ。可能性そのものだったんだ。ここから紡いでいこう。違ったと感じたら、また手放して、次に向かえばいい。最初から、する前から、歓びかどうか、なんて、わからない。まずはやってみなきゃ。それこそが破壊と創造のサイクルで。創造とは、無限の可能性からやってくる。そういえば、ガイドと喋っていたとき、ぐるぐると考えてわからなくなっているわたしにむかって、ガイドは、“君らしくない”と。そういわれたんだった。昔は(って何年も前は)よくぐるぐるしていたけど、そうだよなぁ、ここ最近、こういう考え方や悩み方はしていなかったよなぁと思いながら、わたしのガイドはあまりわたしにそう強く言うことはないので、それはそれでまたおもしろいな、と思いながら、強く言われるのを心地よく思いながら、受け取っていた。そう、わたしらしくなかった。はじめる前から、なにかにおびえて、失敗したらどうしよう、そんな気持ちで、慎重に石橋をたたいて渡るなんて。笑(必要なときもあるけど。笑)あぁそうだ、こういう気持ちになったのは、あるひとつのきっかけも関係してたな。。どんなときにも、わたしらしくあれること。決してすべてのものにとって、いいとは言えないとおもうけど、わたしがわたしらしくなければ、それはわたしにとってよくないことだから、よくないのだ。笑インディゴ気質のわたしは、わたしが本気を出すと、周りを振り回したり、いやな思いをさせるんじゃないかと、過去の経験などもあって、躊躇するときもあるんだけど、でも、インディゴだし、破壊してなんぼなのかもしれない。笑わたしはわたしであって、源に繋がった、無限の可能性のひとつのあらわれ。じゃぁ、わたしがなにものなのかなんて、わたしが決めて、創っていけばいいのじゃない。ああすっきりしたうふん、体動かすってたのしサマンサにもまた会いたいな★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★*:.,.:。.*・゜☆:.,.:*:.,.★そして・・・この日記を書いた直後に、お水が少し入っていたコップを落として、オチどころが悪く、本当にきれいに、粉々に割れた。こんなに綺麗に細かくなるなんて・・というぐらい綺麗で、わたしはしばらくそれを眺めてしまった。いやな感じはせず、むしろ気持ちよく。どうやら破壊して、突破したな。笑
2007.12.17
プロテクションの伝授を、次々と行わせていただいています。わたしは教えるのが大好きなので、講義をしながら、こんな素敵な技術や、考え方や、姿勢がお伝えできることを、心から楽しんでお話していっています。お教えしていきながら、自分の頭にも毎回講義を聞かせていることになるので、笑わたし自身も、さらにセンタリングとバンダリでできあがるプロテクションについて、どんどん学びを頂いている日々です。わたし自身、プロテクションは8月に伝授を受けたのですが、未だに効果があると感じています。なぜなら、プロテクションは、エネルギーによって、自分の境界の内側を満たしていく技術なのですが、それによって得られるのは、自分が守られる、ということだけではなく、守られた状態をエネルギー的に作り上げることで、自分を守る、ということはどういうことか?自分を守ることを許すには?という、自分自身の内側から変わっていくきっかけを作ってくれる、素晴らしいツールなのです。エネルギーで守ってくれるからもう安心という技術ではなくって、守られた状態をエネルギー的に作り出すことによって、自分の心と体が、自分を守るということを、覚えていくようになるんですね。エネルギーはあくまでもサポートです。だから、プロテクションしていけばいくほど、変化をしていくことができるんですね。より自分のセンタリングとバンダリに即して。今までにわたしが感じた効果はいろいろありますが、・人との距離のとり方が変わってきた より近づいても大丈夫だし、 離れたいときには離れられる 近づきすぎたときに、自分を上手く守れなかったので、 今までは妙に距離をとっていたり、 逆に仲良くなりすぎると、近づきすぎちゃったりしていたけれど、 そういったことが減ってきた・集中力が増した、必要以上に周りを気にしなくなった 霊媒体質というか、感受性が高くて感じやすいばかりに、 自分にとって必要ではないものに影響されやすかったのが、 それが解消されて楽になった 電車の中で怒っている人や不快な人がいても、気にならなくなった かなり敏感だったわたしには、この変化が一番大きいですなどがあります。ご自身でもプロテクションが使えることができるようになるように、プロテクションの伝授も行っていますが、http://plaza.rakuten.co.jp/iiikuuu/9000まずは体験してみたい、という方へ、プロテクションをお掛けするワークも行っています。その場合、1回5,000円でお受けしています。遠隔になりますが、ご希望の方は、お名前、生年月日、住所(町名まで)をお知らせの上、メッセージにてご連絡下さい。自分の安全を自分で守ることができれば、どんなことが起こっても怖くないんだよな~と実感中。どこでバンダリを引くか?自分の愛や喜びに即して、いつでもセンタリングできるか?日々、生活の中で実践、学び中です。どんどん豊かになっていけますね・・幸せです。^^*
2007.12.14
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