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最初の抗がん剤投与で、明子の6cm×4cmの大きな患部は、驚いたことにみるみる小さくなっていきました。それは、本人・医者・私、そして同じ部屋に入院しているがん患者の誰もが驚く程でした。外科部長の担当医は、使用した抗がん剤の効果と思い、明子も私も、抗がん剤プラス使用している健康食品(カテキンとレイシ)の効果がやっと出たと思いました。二度目の抗がん剤の投与を終わり、次のステップのがんの摘出手術の頃になると明子の患部は、奇跡的に、殆ど消えていました。その著名な担当医と若い助手、そして私達夫婦の4人で、摘出手術の相談をしました。『まだ、乳房の全摘出手術をしなければなりませんか?。』私は尋ねました。『いや、もう小さくなっているから、部分切除でいいですよ。』担当医が答えました。『脇のリンパ腺は切除ですか?。』明子が尋ねました。『いいや、リンパも消えているから……。 医者としては、切って中を見たいですが。』と、医者としての興味を正直にまじえて答えました。『それでは、部分切除で、脇のリンパは切らないということでお願いします。』と私は言いました。 私も明子も、とりあえずホッとした次第です。乳房の部分摘出が終わったとき、私は摘出患部を見せられました。それは、直径2.5cm×厚さ2cmくらいのピンク色の肉片でした。『先生、がんはどれですか?。』そのピンク色の肉片見ながら、私は尋ねました。『中を開かないと分からない。』医者は答えました。
2012.03.30
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明子の乳がんの患部は6×4cmという大きいもので、触れば固い板のようでした。主治医の“すぐに乳房と脇のリンパ腺の全摘”という言葉をさえぎって、一月の余裕をもらい、その人のお父さんのガンが消えたという知人の言葉を信じて、そのカテキンとレイシの健康食品を試しました。その時、私達は無謀とは、決して思ってませんでした。大変真面目に信じてました。一月経ち、主治医のとこへ行きました。明子は、“患部のまわりが少し柔らかくなったみたい。”と言いましたが、私には、明子の胸は、何の変化も無いようでした。主治医は、“これで気がすんだでしょう。そんな薬があればノーベル賞ものですよ。”そんなことを言って、いつものように診察を始めました。『手術の前に、抗がん剤を2クールして、それから摘出手術です。明日入院してください。』(2クールとは2回転ということで、抗がん剤投与のために2週間入院、その後1週間休養で1クール。 これを2回繰り返すということで、約1月半必要。)これで、手術までには、まだ1月半ある。私たちは、性懲りも無いかもしれませんが、患部の何らかの変化をまだ期待していました。それは、そのカテキンの効用が、抗がん剤の効用を大きくするとも聞いていたからです。1回目の抗がん剤の投与のあと、明子はそれほど違和感を感じないようでした。病院の食事も普通に食べました。ただ、2週間過ぎ、1週間休養で病院から帰宅した時でした。風呂場から、悲鳴が聞こえてきました。髪を洗っていて、黒髪がごっそり抜けたようでした。早速、二人で鬘を買いに行きました。
2012.03.29
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地域で高名と聞いていた明子の主治医に、乳がん摘出手術の1月延期の了解をもらい、ガンが消えたというファーマーネックスのカテキン製品とレイシ製品を試し始めました。1週間、10日経っても、明子の固い胸の患部は、何の変化もありませんでした。私達夫婦は、だんだん不安になってきました。こうしている間も、がんは進行しているのではと。でも、一月経たないと、今さらあの高名な主治医の所へは行けません。私は、インターネットで、乳がんで名医という先生を探しました。驚いたことに、自宅から都市高速にのり車で30分の所に、乳がんで全国でも高名な医者がいたのです。私は、病院関係の知人に紹介状を書いてもらい、妻の明子を連れて診察に行きました。そこは、市立総合病院で、その全国一の乳がんの医者が居るからでしょうか、独立した立派な乳がん科がありました。明子の順番になり、私達は診察室に入って行きました。部屋にいるなり、その高名な医者は、言いました。『あんた達は何しにきたんだ。そんな健康食品なんか効くわけがない。今のあなた達の主治医は、立派な医者だ。そんなことしていたら、命の保証は無いよ。すぐ、主治医の所に戻りなさい。』それは、部屋の外まで聞こえるような大声で、恫喝といっていいものでした。名声があるだけに、怖いものがないようでした。少なからず奢りを感じました。私と明子は、驚いてビビって、あわててその病院を出ました。
2012.03.28
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その時の医者の宣告は、乳がん患部の右乳房全摘、そして転移している右脇リンパ腺の摘出という厳しいものでした。即入院、即手術です。私は、その前の年の夏、友人とファーマネックスという健康食品の講演会に行き、ある奥さんの“お父さんのガンが消えた”という話を聞いていました。その奥さんは、以前から少し知っていた人でしたので、もう一度聞いてみようと思いました。ひょっとしたらと思い、彼女にすぐに電話しました。『お父さんのガンが消えたというのは本当なんですか?。』私は、何度も聞き返しました。『良いことばかりでなく、悪いことがあったら、それも聞かせてください。』私は、必死で、希望と不安の両方の気持に一度に答えを見出そうと、しつこく尋ねました。その聡明そうで美人の奥さんは、『悪いことは何もないですよ。これは、自然の食品でつくられたものですから。』それは、私を納得させるに足る自信に満ちたものでした。“どうせ、乳房の全摘なら、試してみよう。”と、私は決心しました。その内容は、お茶からカテキンのみを抽出した製品で、6時間がんの活動を抑え、6時間毎に服用し続ければ、がんが消えるというものでした。それに、レイシの胞子だけで出来た製品を一緒に服用してくださいというものでした。また、日本にもあるが、アメリカの製品の方が規制がないだけに効くということでした。私は、(地域で最も大きな総合病院の外科部長で名医と聞いている)主治医のところに行きました。患者さんが多く、3時間程待たされました。年輩で威厳のある明子の主治医に、“手術の一月延期すること、そして健康食品を試すこと。”を相談しました。(それと、その延期した一月の間に、がんが大きくなり命にかかわるようなことにはならないかも、念の為尋ねました。それは無いということでした。)当然ながら、“そんなばかばかしい話”と、相手は鼻であしらう感じでした。大病院の外科部長で、高名で、プライドの高い老医に、3回面接し、やっと、了解をもらい、手術の1月延期が決まりました。どうして、そんなにしてまでと言われるかもしれません。私は、明子の身体を切り刻むことをしたくなかったのです。それと、話を聞いた奥さんの人柄を信用していました。“あの人が言うことだから、大丈夫だ。”と。
2012.03.26
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ここは、妻の思わぬ急死についてお話します。私が58歳、妻が55歳で長女に初孫の女の子が生まれました。妻の明子は忙しそうでした。いつも楽しそうに初孫を胸に抱いて、泣かないようにあやしていました。産後の親の家での休養も終え、娘と孫が自分の家に帰った時でした。明子が『お乳のところが、孫の守で、しこりができて固くなった。』と、言いだしました。そのしこりは、一月たち二月経っても治るどころか、少しずつ広がる感じでした。私は、何でもないと言う明子の言葉を抑えて、医者に行くことを薦めました。医者の診察は、患部6cm × 4cm 乳がん第3期 という思いがけないものでした。初孫誕生から3ヶ月、喜びの絶頂から奈落の果てにおとされた気持でした。6ヶ月前、視触診でしたが、乳がんのドックを受けたばかりです。本当に信じられませんでした。
2012.03.24
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私と明子と老人ホームにいる母の他に、我が家には、娘が南太平洋の西サモアから連れてきた40kgもある雑種の大型犬ウリがいました。茶色の毛をしていましたが、生まれた時は黒色だったということで、ウリはサモア語で黒を意味しています。サモアでは、庭に鶏・犬・子豚が離し飼いにされていて、半分野生に育っています。『ウリが小さい頃、子豚を食い殺したそうよ』と娘が言っていました。でも、ウリは優しい犬でした。娘の助言もあって家の中で飼っていましたが、人懐っこくお客が来ると一緒にお客の横にすわりに来ました。賑やかなところがすきなようでした。私達夫婦が出かけるときも、家の中のどこにいても玄関まで出てきて、当然なように車に乗ろうとしました。車も好きでした。後部座席がウリの指定席でした。サモアから来て間もない夏でした。近所の子供たちが遊んでいた花火の音に驚いて、家の中から庭に飛び出し、1m20cmぐらいもある駐車場の扉をも飛び越えて、勢いよく道に出て行きました。それは、私が追っかけられるような速さではありませんでした。ビラなども作り必死に探しました。でも、外国から来たばかりで道も知らないだろうし、もう帰ってこないだろうと思っていました。ところがいなくなって5日目の朝、門の中の木の陰にうずくまり帰っていました。私は、探索疲れで、4~5日会社を休んだことを思い出します。「小学校の運動場にいますよ。」とか「さっき、家の前を通っていましたよ。」とかの親切な電話を受けると、いつも私は歳がいもなく走って目的地に向かいました。でも、目的地に着いた時には、いつもウリはそこにはもういませんでした。しばらくは私の身体は、芯まで疲れておかしくなっていました。痛い所ばかりでした。7~8年前、ウリの世話は近所に住んでいる長女夫婦に頼み、私達夫婦は10日間くらいカナダに旅行に行きました。カナダの紅葉は美しく、妻の明子も楽しそうでした。帰ってきて、いつも世話になる近所にお土産を持っていくと、『居ない間、ウリが家の周りをいつももうろうろして帰りを待っているみたいでしたよ。犬のあんな姿、初めてみましたよ。』と言われ、ウリの気持が愛おしく感じたことでした。
2012.03.23
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3年前、それまで37年連れ添った(色白で美しく、気が強いわりに従順、女友達が多く旅行好き、料理上手な)妻は、乳がんで9月に、母(一人息子の私を生きがいにしていた)96歳も後を追うように3ヶ月後の12月に、(家族の一員である40kgの大型犬の)愛犬も次の月の1月にと、私の周りのものが全て一度に無くなりました。 妻との最後の会話は『お父さん、もう私何も思い残すことは無いよ。』との妻の言葉に私は『下の娘がまだ結婚してないよ。』と言うと、『大学もやったし、30過ぎまで育てたし、もう親の役目は十分果たしたよ。』と妻は答えました。妻の明子は、妹弟があり長女で、母を中学3年でがんで亡くしています。彼女は15歳で母親と別れていますので、そのことを思っているのだと思いました。それ以前にも、明子から『お父さん、私は早死にするから、洗濯でも何でも覚えておかないと知らんよ。』と言われ、『お前が早く死んだら俺が困るじゃん。』と真顔で答えたのを思い出します。私は、60歳まで会社勤めで、会社人間、全く何も家のことはしたことがありませんでした。家事がこんなに大変とは、今初めて知ることです。私は、明子によく言ってました。『俺が会社に出て行ったら、何もすることなかろう。家の掃除くらい、毎日せいよ。』と。 明子は、私と大声でどなりあうようなことは、殆どありませんでした。そんな時は、ぶすっとして、応えなくなるのが常でした。明子は55歳で乳がんがみつかり、回復して日常の生活を楽しんでいましたが、医者の誤診による抗がん剤の過剰投与により、肝機能障害を起こして食事ができなくなり、2ヶ月後、それまで52kgあった体重が38kgまで減少し抵抗力を失くしてしまいました。
2012.03.23
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