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引っ越してきてから親切にしてくださった、町内会の S見の奥さんが、亡くなったと聞く。葬儀はご遺族だけの密葬にするらしいので、取るものもとりあえず妻と弔問にだけ駆けつけた。合掌。
2015.04.24
4月1日にシェフィールドから数枚のエアメールを日本に送ったが、そのうち1人の友人から今日メールが。ハガキは無事に届いていたのだな、よかったよかった。
2015.04.23
24年前の1991(H. 3)年、エディンバラ留学時代にお世話になった友・Diane が、数日前から来日している。シェフィールド滞在中も何度か連絡を取り合っていたが、新宿で再会する日が来た。京王八王子駅を9時55分発の特急で出発。まずは11時に、雨模様の信濃町で用事を済ませ、11:30に左門町で Diane と再会。予約していた四谷三丁目の天ぷら料理のお店「天春」で、約2時間、食事しながら語り合う。前回新宿で再会した3年前の2012(H. 24)のこと、その後の私の仕事のこと、退職したという Diane が今度引っ越した新しい家のこと、彼女に2人目の孫ができたということ、エディンバラの他の知人の消息、去年のスコットランド独立住民投票のこと、亡くなった大恩人・Fumie さんのこと…等々。次は、私が(来年になるかどうか)キール大学に調査に行く時にでも、英国で再会できるかどうか。(4月12日記す)
2015.04.11
新学期が始まって3日目の今日は、出勤時から雪になった。積もるわけではなかったが…。(4月12日記す)
2015.04.08
アムステルダムからのフライトの機内では、なかなか爆睡とも行かず、映画『Legally Bronde』なんぞを観る。長い旅の末に、成田空港に安着。しかし、帰りのリムジンバスがない。八王子行きはすでに行ったばかりで、次は午後の15時台までないというので、やむなく9:30の調布行きのに乗り込み、調布からは京王線で八王子に戻った。妻に車で迎えに来てもらい、今回の旅はこれで完結。休む間もなく、明日は新入生ガイダンスである。(4月12日記す)
2015.04.03
朝5時に Wake Up Call が鳴る。6時半にはホテルを出ると決めていたので、起床してから最後のパッキング等を行う。徐々に空が白み始める頃、約1週間お世話になった NOVOTEL をチェックアウトして徒歩で駅に向かう。夜が明けるのは早い。刻々と明るくなっていく。雨が降らずに助かった。駅に着く前のシェフィールドの空は、朝焼けとまでは言わないものの、横筋の雲が幾重にも広がる不思議な感じの空だった。駅では、すでに日本で購入していたチケットを自動発券機で入手。最初は、マンチェスター空港に着いてから朝食を取るつもりでいたのだが、7時8分発の列車まで20分余りあることに気づき、思い切って駅のスタンドでサンドイッチを買ってコンコースのテーブルで食べてしまうことにする。窓際の席に陣取ってムシャムシャやっていると、私が駅に着いた時点ではいなかった警官が駅前に10人前後来ている。そうか、この4月2日は、女王がシェフィールドを訪れることになっている日だった(前日はヨークに行ったはずだった)。早目の電車にしておいてよかった。もう少し遅かったら、警備でうるさい駅になっていたかもしれない。で、エレベーターを乗り継いでホームへ。マンチェスター空港直通の列車はほぼ定刻通り。こうして、「復活」ドラゴン山田のシェフィールドでの戦いは終わった。今プラハにおられる S馬氏のおっしゃる通り、「凱旋」になったのかどうか――。そうしたことをあまり意識しない自分になっていたことが、一番の収穫だったかもしれないな。(4月12日記す)
2015.04.02
戦い済んで、お昼過ぎ。13:30から聴いてみたいセッションもないではなかったが、帰国の準備をするのだと決め、小雨のぱらつく中をホテルに戻る。ところがあろうことか、まだ部屋に掃除が入ってないではないか。ともあれ余計な荷物だけ部屋に置き、ロビーで時間をつぶすことに。3人の友人に絵葉書を書くなどする。14:30ぐらいだったろうか、さすがにもう掃除も済んだろうと部屋に戻り、改めてメールチェックをすると、何と、9月にプラハで開かれる世界心理学フォーラム(World Psychological Forum)から通知で、私のプロポーザルが通ったというのだ。今回の PSA 発表といい、科研費といい、この WPF といい、去年の秋から今年にかけて申し込んだものは、文字通り「百発百中」だということになる。しかも、2年連続でプラハに行くことになるとは、我ながら驚きだ。この4月1日という日は、意味深な1日となった。「Democracy of Emotion」――構想だけは大体できているものの、e-Poster という形での発表になるので、さてどうまとめたものか。 片づけ・パッキングを進め、ホテル内のカフェレストランでピルスナー・ウルケルとフィッシュ&チップスの夕飯を食べ、この旅のブログを書き進めつつ、シェフィールド最後の夜は過ぎていく。そろそろお風呂に入ろう。
2015.04.01
ついに、自分の学会発表の朝を迎えた。2006(H. 18)年9月のアメリカ政治学会 APSA 以来である。ホテルを出て、ピース・ガーデンを突っ切る時、噴水に陽の光が当たり、一瞬だけ小さな虹がさっと出た。おぉ、虹か。かつて私にとって、シェフィールドでは虹はつきものだった。天空にかかる虹ではなかったものの、発表前に虹を見たことは事実だ。戦いの舞台は、City Hall 内の非常に狭いスペース、Upper Circle East。実際、部屋ではない。男女のトイレに挟まれた小さなスペースに、椅子とテーブルとプロジェクターをセットした、という感じだ。11:00から12:30のセッションだったが、私を含む報告者が4人、司会者1名、聴衆は4名という小さなパネルとなった。私は今朝ホテルを出る前に、3回のリハーサルをしていたし、ことさら緊張したという気もしないが、それでも他人のパソコンを操作してパワーポイントのスライドを見ながら発表すると、何となく感じが違う。また、焦ったつもりはないが、舌が回らない早口という得意のパターンに時々なった。それでも、きっちり15分で発表を終えることができた。私が答えに窮する困った質問も来ず、それなりのことは言えた。ちなみにパネル名は「Democratic Deliberation I」だったが、この名前にドンピシャの内容の報告をしたのは、私だけだったと言える。「Deliberation」に関わらず、政治思想関係の報告者が集まった、という感じであり、それはそれで悪くなかったのではないかと思う。9年前の APSA の時には、分野の違う人々の発表を無理やり1つのセッションに入れた、というのがありありだったから、はるかにましだったと言える。カール・マンハイムを、忘れられた思想家としておいてはいけない、という思いに、その場にいた複数の人がなったような気がする。私としては、嬉しさと驚きとが半々であったが、20数年も前から関わっている(イギリス期)マンハイムの思想の再検討を(政治学の中で)担うのはやっぱり自分なのかもしれない、などという気にはなった。なお折しも、朝ホテルで起きた時にメールチェックをしたら、昨秋申請した科研費が通ったという通知が来ていた。今朝は幸先の良いスタートだったわけだ。
2015.04.01
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