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学問上の師匠が今月古稀を迎えられ、定年となられた。ゼミ主催の最終講義を、妻と拝聴。また、その後のパーティーでは、口火を切って私が祝辞。緊張した。4年間の非常勤時代の教え子たちにも再会できた。
2015.09.26
17時前に、夕食に出かける。意を決して、旧市街地を北西につっきって、去年 s馬夫妻と入った(はず)のホスポダに行ってマス料理を食べようと試みた。が、店について念のため「クレジットカードは使えるか?」と尋ねたら、キャッシュだけだと言われて、すごすご引き下がる。やむを得ない、同じコルコフナでも、去年妻と一緒に行った店舗に足を向ける。去年と同様に地下に通される。ここ数日、チェコ伝統料理を当然のように食べ続けてきたが、たいがい飽きつつある。ピルスナーのタンクビールは日本では味わえないから注文するものの、メインディッシュは悩む。結局はポークであった。食事を終え、再度旧市街広場方向に歩き出す。途中、これまた去年の寒い雨の朝を妻と朝食に来たパン屋を発見。名前は AU GOURMAND というようだ。まばゆい西日を浴びつつ、いつも前しか通らないティーン教会の脇をすり抜け、裏手を通ってみる。こうして、ほとんど天気に恵まれたプラハの5泊の旅は、終焉を迎えつつある・・・。ホテルに戻って明朝5時にモーニングコールを依頼した後、部屋でパソコンを開くと、さっきメールを送ったシェフィールド大学の Sarah さんから長文の返信が。なんと、彼女も9月上旬にプラハに訪れていたとは!
2015.09.19
日本からプラハに到着して5日。実質的に4日目の今日は、プラハ最後の1日である。昨夜は就寝が深夜だったのに、5時には目を覚まして起きてしまう。ヴァーツラフ・ハヴェル関係グッズか、アルフォンス・ムハ関係グッズか――まだ解決していないお土産問題を抱えて、最後の1日が始まった。朝食後、明日のフライトのチェックインをネットで済ませる。発行されたボーディング・パスは、ホテルのフロントにメールで送り、印刷しておいてもらった。ホテルを出る時に、鍵を預けると同時にそれを受け取った。さぁ、最後の出撃。日本の妻からのメールも勘案し、まずは切手シートが買えないかと思って、再び中央図郵便局へ。だが、24時間空いている中央郵便局も、切手売り場に限っては月~金の午後のみだという。窓口にはシャッターが降りていた。もっとも、展示してある記念切手シートの見本には、正直大したものはなかった。そこから旧市街地へ取って返し、去年妻と立ち寄ったカレル大学の書店に入るも、「切手は置いてない。タバコ屋に行って買え」とけんもほろろ。さぁ困った、と思いながら、てくてく歩いて、これも去年妻と入ったホスポダ、ウ・トシー・ルージへ。修道院で作ったビールを飲ませる店だ。去年と違って今回は1階の席だった。No. 4 とかいうビールと、ウサギの足の料理。どうも今回の旅では、マス料理にはお目にかかれないなぁ。最後の望みを、Vaclav Havel Library にかけ、さらに歩き出す。裏道の、何とも小ぢんまりとしたところにある図書館だが、窓もドアも閉まっている。どうしようか迷った挙句、「えぇい、何もしないで後悔してたまるか」と、思い切って呼び鈴を鳴らすと、館員さんが出てきて応対してくれる(チェコ語とドイツ語しか話せないとのこと)。実に小さい図書館で、Exhibision はわずか1室であった。タッチパネルでハヴェルの生涯を写真付きで見れるようになっているが、全部チェコ語。だが、部屋の1つの壁には、ハヴェルの語録がチェコ語と英語で記されていた。こんな一節があり、思わず写真に収めてしまった。全体主義に関する、1987(S. 62)年の言葉らしい。1989年の2年前ではないか。"Standardized life creates standardized citizen with no wills of their own.It begets undifferentiated peple with undifferentiated stories.It is a mass-producer of banality."ショップには、ほとんどチェコ語の本しか置いていなかったが、写真集と思しきものがあった。棚に置いてあった重いものと、レセプションに置いてあった薄いカラーのものと、値段が同じだったので、カラーの方を買った。これを、お土産に替える。最後に、ずうずうしく写真を撮ってもらってしまった。なお、ハヴェル関係の書籍が積んである壁の棚には、日本語の『プラハ獄中記』も置いてあったなぁ。すばらしい青空だが、旧市街地を歩いて戻るのは消耗につながると思い、Narodoni Trida 駅から地下鉄を使ってしまう。Namesti Republiky 駅で降りたら、ホームで乗車券インスペクションがあった。最初、私に声をかけられているのに気づかず、危うく無視してしまうところだった。危ない危ない(苦笑)。ホテルに戻ったのは13時過ぎ。そこから、荷造りに着手したドラゴン山田であった。(15:20)
2015.09.19
モーニングコールが鳴る5時半より先に起きている。とうとう、World Psychological Forum の当日を迎える。8月末に軽井沢で買ったブルガリのブルーのネクタイを初着用。古いワイシャツもカッコよく見えるから不思議だ。今回のプラハ旅で初の地下鉄使用で、ホテルより約30分で会場のホテル Dorint Hotel Don Giovanniに到着。受付に行ったら「パスポートかそれ以外の ID を出せ」と言われ、ホテルに置いてきた私はハタと困った。が、クレジットカードで何とか受け付けてもらった。まだ閑散とした会場を下見し、自分の発表に部屋になると思しき Policial Psychology とドアに貼ってある部屋に入ると、初老の紳士に話しかけられる。ルーマニア出身のアメリカの研究者らしい。ガンジーの本を書いたと言っていた。彼に、自分の発表中の写真撮影をお願いする。9時から全体会で、4人もの登壇者がスピーチ。また、13時には私の「発表を聞きに来てね」という2分間の Fast Presentation の出番となる。午前の部が終了した時に、2011(H. 23)年に4か月間三鷹の ICU にいたというインドネシアの心理学者に声をかけられる(日本で「3・11」に遭遇したらしい)。ランチタイムには、オーストリアの研究者と、オランダに住んでいるというロシア人の研究者と同じテーブルになる。来年横浜で心理学関係の国際大会があるそうで、そんな話になる。午後は全体会の続きで、私も名前は知るジャック・ルプニク氏をはじめ2名の登壇者がスピーチする。Political Psychology のポスタープレゼンテーションは、16:15から。トップバッターが私であった。開始前に、翌日発表というイスタンブール出身の研究者と話をする(来年 IPSA に行きたい、と話した)。他の人の発表を見る機会もなくいきなりだが、特に心配したり緊張したりもなかった。人数も少なかったし、かなりカジュアルな形で5分間の発表を終える。午前中にスピーチしていたスロヴァキアの研究者から、「あなたの立場は、参加デモクラシーか、熟議デモクラシーか、それともそれらを拒否する立場か」という、なかなか面白い質問が来た。また、黄色い Tシャツを着た、学生・院生と思しき会場スタッフが多くいたので、写真撮影は彼ら・彼女らに頼めばよかったと後から思った。初めての e-poster なるものを用いた国際会議での発表は、こうして終わった。今からすれば、ポスターの準備段階から、スライドの作り方も含めて、大いに無知だったことを知る。それでも何とかなったのだから、自分に70点ぐらいはあげてもよいのではないか、と思いつつ会場を去った。一度ホテルに戻り、20時からのスメタナ・ホールでのクラシック・コンサート(ヴィヴァルディの「四季」)に間に合うよう食事に出る。迷った末に、去年妻と朝食をとった市民会館1階のカフェで夕食を食べることにする。しかし、スターターの後メインディッシュが出てくるのに優に20分はかかった。デザートまで待っていたらコンサートに遅刻すると思い、お勘定をお願いしたら、請求書とほぼ同時にデザートが出てきた。とても、夕食を「味わった」気がしなかった。コンサートは若干遅れて始まったが、疲れと、ビールおよびワインが聴いたのか、せっかくの初スメタナホールだったというのに、演奏を聴きながら最後は気が遠くなっていた。900コルナも支払ったのになぁ。まぁ、松下奈緒のブルーレイで見たスメタナ・ホールに来たぞということでよしとするしかない(映像より実際は狭かった)。長い1日は終わった。就寝は深夜となってしまった。
2015.09.18
2日目のプラハ(厳密には到着より3日だが)。さすがに寝坊し、起きたら8時だった。カーテンを開けたら、またも晴天。夏日に違いない。目がよく開かないうちに朝食に行き、ごくごく軽く食べる。初日であった昨日、たいがい動き回りすぎたので、今日は自重しなければ。午前中比較的ゆっくり過ごし、10時半ごろに出かける。ホテルを出た瞬間に、空気が暖かいのを感じる。テクテク歩いて、去年妻と訪れながら開店前だったため入れなかったカフェ、グランド・カフェ・オリエントに行く。店はキュビズム様式の建物の2階にあり、松下奈緒のブルーレイにあったように、テラスの手すりには花咲く植木鉢が並んでいる。私もまた、太陽ギラギラのテラス席に陣取る。最初はカフェ・ロイヤルという、ブランデーだかが入ったコーヒーを飲み、次に軽いランチとしてプラハハムを注文。濃い青空のプラハの屋外で、なかなか贅沢な時間を過ごした気がする。支払いを済ませた時、ウェイターさんに写真を撮ってもらう。キュビズムを去り、今度は新市街地方向へ。独身時代にプラハに来た時ウロウロしたはずの目抜き通りナ・プシーコピュ通りをてくてく、ムハ博物館のある通りを抜けて、中央郵便局へ。カフェで友人に書いた絵葉書を投函する。その足でヴァーツラフ広場に出て、2件の書店に入るが、大したものなし。ヤルタホテル前を通過し、国立博物館のすぐそばにまで行くが、まだ改装工事中であることを知った。変わらずギラギラ夏日の中を取って返し、ムハ博物館のショップへ。去年も妻と来たのだが、あれ、こんなに狭かったっけ。去年も大して買うものがないと思っていたが、今年はさらにそう思った。ともあれ、来年のカレンダーや、私が好きな月桂樹の絵のミニポスターなどを購入。そのままホテルに戻る。14時よりも前だったので、部屋の掃除が終わっていなかったらどうしようとか思ったが、そんな心配は無用だった。メールチェックなどをし、明日の WPF 発表に向けての準備も少し行う。何せ、発表に使う電子ポスターは随分前に提出していたが、わずか5分とはいえ何の原稿もなしに説明を行うのもちょっとなめ過ぎかと思い、思いつくままに原稿を作る。しかし考えてみれば、パソコンは持参していてもプリンタがないから、印刷できないんだよな。17時過ぎ、いったんパソコンを閉じて、夕食のため再び外出。すぐ近くのスーパー BILLA の脇にある、コルコフナ CELNICE へ。去年は妻と、別の2つの店舗のコルコフナに世話になったが、ここの店舗は横目で見ていただけだった。今回初使用。しかし、早目に行ったと思ったのにかなり混んでいて、テラス席はだめで屋内の座席に通された。タンクビールのピルスナー・ウルケルと、ピルゼン製グヤーシュを注文。タンクビールはやはりうまい! 昨日ランチを食べたカレル橋のたもとの店では瓶のピルスナー・ウルケルだったが、同じ銘柄でもまるで味わいが違う! また、本来はハンガリー料理であるはずのグヤーシュだがチェコでも定番だと言うので、初めて食べてみたが、なかなかおいしかった。調子に乗って満腹になるまで飲み食いしては、内臓が疲れるだけなので、この程度で終えて18時前にホテルに戻った。だめもとでフロントで聞いてみた――パソコンは持参しているのだがプリンタがないので、作成中のドキュメントを印刷させてくれないか、と。そしたら即座に、フロント宛にメールで送ればプリントアウトしてくれる、との返事が。やっぱ聞いてみるものだなぁ。日本は安保法案の採決の日のはずだが、ホテルの部屋で久々にテレビをつけたら、Sky TV ではシリアからの難民問題でクロアチアが映っていた。
2015.09.17
昨夜は寝る前の薬を大目に飲んで寝たのだが、明け方3時40分ぐらいにトイレに起きて以来眠れなくなった。1時間ほどベッドでコロコロしていたが、思い切って起きてしまう。プラハの日の出は、だいたい6時30頃という。ホテルを5時40分頃に出て、闇のプラハ旧市街をカレル橋方向にてくてく歩く。徐々に空が青みを帯びてくる。カレル橋には、人っ子一人いないどころか、観光客らしい人たちだけでなくプロのカメラマンと思しき人々もポツリポツリいる。みな、カレル橋からの夜明けが見たくて来ているのだろう。しかし、よく写真などで見た、朝もやのかかった幻想的なカレル橋というシーンにはならなかった。それでも、初めて味わうカレル橋の朝であった。また、20年前(1995年9月)のプラハ訪問以来、幾度となく行っている、カレル橋とプラハ城がバッチリ見えるカフェレストランの敷地に行くと、気がつけば私のそばでプロカメラマンらしい人が風景を撮り始めた。思い切って、私の写真を撮ってくれるよう頼んだら、二つ返事で撮ってくれた。感謝感謝。明るくなる空を、ホテルへと引き換えし、7時過ぎにそのまま朝食会場へ(約1時間あまりの朝の散歩だったわけだ)。いったん部屋に戻るが、ムハの「スラブ叙事詩」を今日見てきてしまうと決めたので、8時半頃に再び出かける。マサリク駅近く、共和国広場の地下鉄の駅で、トラムの1日乗車券を買い、目的地に1本で行けるはずのお目当ての24番トラムに乗り込んだ。が、ガイドブックに「しばしば路線が変更されているから注意」と書いてあった通り、この24番も何か変な方向に行く。早めに気づいたので途中で下車。そこから、目指すヴェレトゥルジュニー宮殿までは、歩いていけない距離ではなかったので、またもてくてくする。開館は10時。20分ほど前に到着したので、ギラギラ太陽の下、入り口付近でウロウロする。高校生と思しき団体がうじゃうじゃ待っていた。しかし、いざ開館して「スラブ叙事詩」を見始めたら、客はいたって少ない。実に静かに鑑賞できた。問題は、複製とか絵葉書とか、いっさいの商品化がなされていないのかどうか、買うべきものが全くなかったことだ。これは想定外だった。さて、当初の作戦では、この宮殿から12番トラムに乗り、プラハ城の手前で丘を降り、ペトシーン公園のふもとの Ujezd で下車し、そこからケーブルカー(20年前には上から降りてくるのに使用)に乗ってマナー・ストラナ地区に一気に昇り、そこからプラハ城にまで歩いて行ってからカレル橋に戻ってくる、という寸法のはずだった。しかし、12番トラムが問題なく Ujezd に着いたまではよかったものの、今度はケーブルカーが、今月上旬から来年まで運休だという張り紙が・・・! ケーブルカーの途中駅にあるレストランでランチを食べようかと思っていたので、歩いて登ってやろうとテクテクしたが、そのレストランについたはいいがそこはケーブルカーの中腹で、食事後にさらに同じだけの距離を登らなければならない。すでに太陽は夏日であり、秋冬もののジャケットを着ている私としては、それを脱いで歩いてもすでに汗ばんでいる。こりゃあかん、と「勇気ある撤退」を決断。来た道をそのまま下まで降り、歩いてモルダウ川を渡り、早朝に写真を撮ってもらったカレル橋のたもとのカフェレストラン・ラーフカでランチすると決める。もう12時だったので、カレル橋が見えるいい席はすべて埋まっているだろうと思いきや、一番バッチリ見えるテーブルが、まるで私を待っていたかのように空いていた! だが、メニューを見ると、かつて(20年前? 10数年前?)の時とはずいぶん趣が変わったような気がする。ともあれ、去年来た時も食べなかったチェコ伝統料理のプレートを注文し、さらにチェコワインを初挑戦(それほどおいしいというわけでもなかったが)。しまいには、店員さんにまたも写真を撮ってもらってしまう。このままでは1日乗車券の元が取れない。再びトラムでプラハ城へ行こうと、最寄りの18番トラムに乗ることに。カフェを出て、去年 S馬氏夫妻と食事した(はずの)ホスポダの近くの乗り場まで歩く。ギラギラ夏日で、周囲はみな半袖である。しかも、朝から、この石畳の街を歩き通しなので、ちょっと疲れてきてもいた。トラムを Hradcanska で下車し、さらにテクテク歩いて、去年と同じ入り口からプラハ城の敷地に入る。観光客うじゃうじゃ。私は汗ばんでいる。城まで来たはいいが、わざわざお金を払って中に入って見学する元気はなかったので、ショップにだけ立ち寄る。あるわあるわ、プラハやムハ関係の、カレンダーや絵ハガキやグッズたち。変えるだけ買ったが、大きすぎるカレンダーのみ「入る袋がないのよ」と言われ、苦労して持って行くことに。何だ、やってることは20年前と変わらないじゃないか、と思いつつ、それらを持ってさらにテクテク歩いて下界に降りる。完全な夏日の下、反対側のカレル橋から逆方向にモルダウ川を渡り、「今日何回目だ」という旧市街地をひたすら突っ切って、宿に戻ったのは15時過ぎだった。デジカメで撮った写真をパソコンに取り込んだり、妻にメールしたりしながら一服。食欲はそんなにないものの、夕飯は、市役所の地下のレストラン・プルゼニュスカー・レスタウラツェで、コゼルを飲みながらダックを食べる。1人では多すぎる分量だった。19時半くらいまではまだ明るいプラハの街であった。
2015.09.16
2年連続、通算6回目のプラハ行き。夜明け前の八王子を、妻の車で送ってもらって、京王八王子駅前より成田空港行きリムジンバス乗車。途中、寝る。航空会社の窓口が開く前に、海外旅行保険に入る。すでにチェックインは前日インターネットで済ませていたので、荷物だけ放り込んで、タリーズコーヒーで一服。アムステルダム行き KLM 862 便は、出発時刻を10分早め、10:20に出発。機内では、持参した Political Philosophy の教科書を読むか、ワインを飲むか、寝るか、であった。10数時間がそんなに長いとは感じなかった。飛行機を乗り換えるアムステルダム・スキポール空港で、若干のアクシデント。ゲートB 目指してテクテク歩いていたはずなのに、いつの間にか「乗り換え」ではなく「出口」方向に来てしまい、引き返し不能地点へ。3月末にシェフィールドに行った時にもスキポールを使ったから、間違うはずないと思っていたのに・・・。もっとも、似たような旅行客が数人いたので、私だけのミスではなかった。係員と一緒に本来行くべき方向に行って、「なぁんだ、ここだったのか」ということになったわけだが、再びの荷物チェックを終えてからゲートB までやはり記憶にないルートを通らされたので、改装工事の連続でいろんなものの場所が変わっているのだろう。プラハ行き KLM 1357 便は、小型機というべきか中型機か。それにしても、アムステルダムは雨模様。ゲートから飛行機搭乗までほんの少し地上を歩いたが、寒いし風が冷たい。「プラハもこうなのか」と覚悟を決める。17:45にプラハ・ヴァーツラフ・ハヴェル空港着。お金をユーロからチェコ・コルナに両替し、市街地まで行くミニバスのチケットを購入。18:30初のミニバスは、乗客が私しかいなかった。約30分で、1年前も使ったバス乗降場に到着。そこからホテルまでは石畳の道路なので、スーツケースを転がすのにはいたく苦労した。それでも、まだ空は明るいし、アムスほど寒いというわけでもなかった。初めて宿泊する K+K ホテルセントラルにチェックイン。ビジネスホテルの類であり、去年泊まったホテル・グランド・ボヘミアとは比較にならないものの、明るく開放感はある気がする(特にエレベーター)。部屋は605号室で、ドアキーは変わったタイプだ(比較的厚めのプレートの真ん中に緑色の丸があり、その丸をドアのノブの下にある丸い緑の突起にかざす、というもの)。到着してからの荷ほどきが一番大変なわけだが、それを淡々と済ませた後、去年もお世話になったすぐそばのスーパー BILLA に、飲料水のペットボトルその他を買いに出かける。言葉は通じないのに、まるでここの住民のような行動パターンを見せるドラゴン山田であった。
2015.09.15
後期授業最初の日。妻からのケータイメールで、阿蘇山が噴火したと知る。
2015.09.14
忘れるところだったが・・・、明け方、地震で目が覚める。横揺れで、結構長かった。朝のニュースによれば、東京湾を震源とする地震で、調布で震度5弱。かなり広範囲の地震だったらしい。栃木、茨城、宮城などの記録的豪雨(多くの河川の決壊)に引き続き、今度は早朝の首都圏を地震が見舞う。大災害にはならなかったが。
2015.09.12
八戸に赴任したのはもう20年近く前だが、それ以来お世話になっている友の1人・A重氏が、八王子へ。姪御さんが私の勤める大学のある学部に入学されたとは聞いていたが、会いに来たのだろう。午後に他の用事があった私と妻は、それが済んでから大学に行き、一瞬だけA重氏と再会を果たした。いつ以来の再会だ? 優に10年は越えているか?
2015.09.12
来週15日(火)から、チェコのプラハに向かう。その準備にかからなければならないというのに、渡航日に近づけば近づくほど、次々といろんなことが突発的・集中的に起こってくる。ただではプラハに行かせないつもりだな、これは。
2015.09.11
栃木、茨城に続き、今日は宮城県も大雨特別警報。仙台の友人・タケちゃんに安否を尋ねると、出張で留守だとのこと。「3・11」の震災の時も彼のところは大丈夫だったが・・・。
2015.09.11
ガイダンスを終え、留学から帰国した学生 K君が私の部屋へ。カフェオレを入れたはいいが、私の紙コップの底が抜けて、彼の目の前で、着ていたお気に入りのワイシャツとクリーニングしたばかりのスラックスにビシャビシャかかる。ワイシャツはまるで迷彩塗装のようではないか!悲惨な状態で、家まで車を走らせる。雨模様だった空に太陽が差し、秋川街道には虹が見えた。心理的にはちょっと救いだった。妻の手を煩わせて、漂白剤にワイシャツを漬け込んだあと、歯ブラシでこすった上で洗濯機へ。かろうじて、目立つシミにはならなかったようだ。明日にはスラックスを再びクリーニングに出さねば(大ボケだ)。
2015.09.10
新年度開始のガイダンスのこの日、朝起きたら、栃木県と茨城県とで大雨特別警報というではないか。鹿沼、小山、常総といった場所の映像は、ほとんど「3・11」の津波を思わせた。
2015.09.10
15時に歯医者の予約を入れていたのだが、職場の会議が長引き、歯医者に着いたのは15:25。「予約が詰まっていてもうダメ」と言われ、次の予約は10月に入ってから。あぁ悲惨。
2015.09.09
学問上の師匠が、明日9月9日に古希を迎えられる。その前日である今日を持って、定年である。妻と連名での祝電が届く日である。恩師との出遭いは29年前、1986(昭和61)年、大学2年の春であった。
2015.09.08
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