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軽井沢疲れが今頃出たのか? ずっと体調がすぐれない1日だった。
2015.08.30
吉祥寺第一ホテルで開かれた、「松下圭一先生をおくる会」に出席。私は Ph. D. 論文およびそれに基づいた拙著で松下理論を検討したため、そのプロセスで松下先生にお世話になったが、何十年も松下先生と共に自治体改革に携わってこられた方々の濃密な関係にははるかに及ばない。改めて合掌。
2015.08.29
最終日になって、ようやく太陽が顔を出した軽井沢。ホテルの中庭を散策したり、チェックアウトの後に車だけ置かせてもらって、森林の中をうろうろ。室生犀星の別荘や、軽井沢テニスコート、そして銀座。最後の最後に「残暑」に戻った気がする。あれ、避暑に来たんだよなぁ?最後に、翌朝のパンを買い、信州そばをすすり、チーズケーキをせしめて、車で八王子まで帰ってくる。こんなに近いのだから、来年も来なければ(?)。
2015.08.27
軽井沢2日目も雨。前日よりちょっと気温が上がったらしいが、それでもせいぜい16℃程度。寒いので、星野温泉トンボの湯に行く。その後、軽井沢アウトレットをうろうろし、せっかくだから LANVIN でシャツと、ブルガリでネクタイを衝動買いしてしまう。雨の軽井沢記念だ。夕飯は、ホテル内のフレンチレストラン。ちょっと飲みすぎたか。
2015.08.26
1985(S. 60)年8月17日、帰国間近。すでにブライトンのホストファミリーを辞して、ロンドン大学の寮に滞在していた。そして単身、ウィンザー城に行ってきた。城にこだわっていたあの頃は、本当にダンバインの世界にはまっていたのだなぁ。
2015.08.25
41年ぶりの軽井沢――いや、41年前は、軽井沢駅から電車に乗っただけであり、軽井沢自体を訪れたとは言えない。ともあれ、八王子から車で軽井沢へ。5月末から計画していたものだが、それにしても天気が悪い。雨模様である上に、気温が13℃しかないとは。昼頃には到着し、宿泊の宿に車を停めて、ドイツのレストランで軽くランチを食べた。その後、軽井沢銀座をうろうろしたが、寒すぎる。夕飯は、ホテル内の和食レストランで串焼きであった。
2015.08.25
1人、ロイヤル・アルバート・ホールに行ったら、見知らぬ人からチケットをただでもらい、ドヴォルザークの「新世界より」を聴いた・・・そうか、そんなこともあったっけな。帰国間近の、1985(S. 60)年8月24日(土)。
2015.08.24
曇天の中、妻と、中野サンプラザでの杏里コンサート Smooth & Groove に行く。結婚満8年を前にしてのイベントである。杏里は20数年聴いているが、ライブは初めてである。去年の暮れの八王子オリンパスホールでのさだまさしコンサートといい、シェフィールド留学時代にカセットテープで聴きまくっていたアーティストのライブに行く機会に恵まれている。それにしても、知っている歌が「悲しみがとまらない」とアンコールでの「Cat's Eye」「オリビアを聴きながら」だけだったということは、実は私は(少なくとも2000年代の)杏里をちゃんと知らないことになる。ちょうど昨日8月19日、杏里の10年ぶりのアルバムが発売されたばかりだそうな。
2015.08.20
詳しくは書くまい。1985(S. 60)年8月17日(土)、アムステルダムで1人取り残された。誰が悪いのでもない、自業自得ではあったのだが。本当はこの日に大陸からイギリスに戻るはずだったのだが、12時間も取り残され、自分の「18年間の生き方」を一切合財「自己否定」してしまった、あの日であった。
2015.08.17
雨天だったが、約1年ぶりに、シェフィールド時代の友・Yさんと再会。場所は、JR恵比寿駅から徒歩圏内のスプリングバレーブルワリー。去年の9月27日に代々木で実現したシェフィールド20周年会以来である。
2015.08.17
1985(S. 60)年8月16日(金)、前日に着いたアムステルダムを大してみることなく、曇天の中を単身ハーグへ。あの頃、国際法がいかなるものかを全く知ることなく、国際司法裁判所の建物だけ見てきたな。あとは、マドローダムだったか。
2015.08.16
パリからアムステルダムまで鉄道で移動する途中、ちょっとだけブリュッセルに立ち寄った、1985(S. 60)年8月15日(木)。この日は戦後40年の「8・15」だったのだな。当時そんな意識があったかどうか・・・。しかし考えてみれば、その後ベルギーに行く機会がないまま30年が過ぎたな。この日、ブリュッセルからアムステルダムに向かう鉄道から、きれいな西日の空を見ていたのを覚えている。
2015.08.15
戦後70年。これほど内外から日本の平和主義が試される「8・15」になろうとは。そもそも、「平和」という言葉が何を意味するのか、「戦後民主主義」ということで何を指すのか、これほど分からなくなるとは。
2015.08.15
無知蒙昧でも旅はしたのだな。1985(S. 60)年8月14日(水)、単身パリから鉄道でヴェルサイユへ。
2015.08.14
船でフランスに渡ったのだったな。あれも悲惨だったな。列車を降りる駅を間違えて、船を待たせてしまって大恥をかいた。しかも、日本で日航機墜落事故が起こっていたなど、知る由もない私であった。
2015.08.12
シェフィールドでの最初の1年余りでボロボロになった自分を癒しに、一時帰国したのが、1995(H. 7)年8月12日(土)。いわき市の実家に着いた夜、大きく体調を崩した。この晩、『ビルマの竪琴』の映画をテレビで観たことになっている。戦後50年の夏だったからな。しかしこの日が、1985(S. 60)年に発生した日航機墜落事故から20年の日だったことを、当時の私は知っていたかどうか?
2015.08.12
日航機墜落事故から今日で30年。初めてのヨーロッパを経験していた当時の私は、この日、どこにいたのだろうか。
2015.08.12
長崎への原爆投下より70年。個人的なことだが、2002(H. 14)年のこの日、シェフィールドの viva に合格して Ph. D. を取得して、13年となる。
2015.08.09
昨日(8月7日)に至るまで、東京は8日連続の猛暑日で、これは記録更新なのだそうな。今でも思い出すのは、21年前の1994(H. 6)年の猛暑だ。もっともこの年は、私はシェフィールド留学1年目であり、日本の暑さについては話で聞いたに過ぎなかったが。今日は久々に朝から曇り空。猛暑が続いた日々は、洗濯ものが午前中だけで完全に乾いたが、今日はさすがにそうもいかん。が、それでも午後からはやはり夏日が広がっている。猛暑日でないとは言っても、30℃を超す真夏日には変わりない。冷房をずっとつけっ放しの部屋に長時間いると、肌だけでなく内臓も冷えてしまう。さすがにタンクトップに素足という昨日までのスタイルではまずいと思い、普通のTシャツに着替え靴下を履いたぞ。
2015.08.08
UNHCR 支援の sponsored work イベントを、シェフィールドで行なったのが、1995(H. 7)年8月6日(日)。「ヒロシマ」50年の日であったか。
2015.08.06
広島への原爆投下より70年。
2015.08.06
さだまさしをモデルにしたドラマ『ちゃんぽん食べたか』を録画で観てきたが、ついに最終回を観終える。
2015.08.06
ドイツ出身の同僚と、職場の近くのイタリアンレストランでランチ。
2015.08.06
何でブライトンで、日本の一眼レフを中古で買うかね、18歳当時の私の思想と行動?? トラベラーズチェックで支払ったシーンが記憶にある、1985(S. 60)年8月5日(日)。
2015.08.05
1995(H. 7)年8月5日(土)は、快晴であった。友人の友人・K井氏が前日からシェフィールドに滞在し、この日は Chatsworth へご一緒した。Chatsworth に初めて行ったのはさらに遡ること1年前、1994(H. 6)年7月7日、ロンドンから初めてシェフィールドに到着したその日に、S見氏の車で連れて行ってもらったのだが、ハウスの中には入らなかった(庭園を「ウィーンみたいな雰囲気」と思ったのだったな)。K井氏と共に、初めてハウスに入った。その時に買ったフクロウのぬいぐるみは、今でも実家にあり、母親のお気に入りである。
2015.08.05
数日前、メールにて、青山学院大学で行われる国際会議「中・東欧のジェンダーと、日本との交流」の通知があった。衝動的に申し込みをしたのだが、その日がやってきた。猛暑だが、八王子より表参道に向かう。青山学院ではオープンキャンパスがたけなわだったが、会場の総研ビルという正門すぐそばの建物に入ってしまったので、どんなオープンキャンパスかはよく分からなかった。羽場久美子先生の総合司会のもと、私が出席したのは前半のみ。ハンガリーやグルジアからの研究者の報告を興味深く聞いた。特に、現在のハンガリー政府が NGO に攻撃を加えているという話はいささか驚きだ。ハンガリーの市民運動と言えば、1989年の体制変革の時のチャンピオンだったはずなのに。もっとも、前半終了後に報告者の1人と個人的に話してそのことを言うと、「ハンガリー政府は NGO の力を知っているからこそ攻撃しているのだ」と、言われてみれば至極わかりやすい答えが返ってきた。現実を知らなきゃならんなぁ。
2015.08.04
いちいち思い出していても仕方ないのだが・・・、ブライトンからケンブリッジに行く途中のロンドン地下鉄・モニュメント駅で、階段でこけて指を脱臼した、あの悲惨な日が、30年前の1985(S. 60)年8月3日(土)であったとは。思えば、大学に入学して故郷から離れた自分の「人生のリズム」が、徐々に崩れ始めたのがこの頃だったな。
2015.08.03
そをか、シェフィールドからウェールズ・カナーヴォンへ行ったのは、わずか1泊2日でのエスケープだったのだな。1995(H. 7)年8月1日(火)。初めて北ウェールズを訪れた1991(H. 3)年9月から、約4年後のことであった。
2015.08.01
今日から8月。7月下旬より約8日間里帰りしていた妻が、八王子に戻ってきた。夕方18時半頃、どどんという音が聞こえ、「あ、これは今夜花火大会だな」ということになり(要するに、雨が降らないから決行する、との予鈴だったのだろう)、本格的に始まった19時ぐらいに2人で見に行く。遠い冨士森公園から上がっているはずだが、住まいの近くを流れる浅川のたもとからもそれなりに見れた。それにしても、いろんな花火をよく作るよなぁ。こんなにまじまじと花火大会を見るのは、いったいいつ以来だろうか? エディンバラ城の花火は記憶にあるのだが。
2015.08.01
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