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「千尋、どうしたんだよ?お前ぇらしくねぇぞ?」「うちの質問に答えてよ!」自分に触れようとする歳三の手を、千尋は邪険に振り払った。「何で黙っとったと、そげなこと!うちがいじめられてたこと知っとった癖に!」彼女が何に対して怒っているのか、歳三は解った。娘がいじめられているのを見て、彼女はその中に昔いじめられていた自分の姿を重ね合わせていたのだ。だから、歳三が昔したことが許せないのだ。「千尋、そいつにはすまねぇと思ってる。」「その人、トシ兄ちゃんの事許さんって言うとったよ。それだけは伝えて欲しいって言っとった。」千尋は徐々に落ち着きを取り戻すと、溜息を吐いてソファから立ち上がった。「今夜は別々に寝よう。睡眠を充分に取ってからまた話し合おう。」「ああ。」感情的になったまま話し合っても意味はない。 一旦互いに頭を冷やしてから娘達のことを話し合うことに決め、歳三はその夜リビングのソファで寝た。 寝返りを打つ度に、高校時代に自分がいじめに加担していた過去を思い出しては悪夢にうなされた。あの時は妙に粋がって世間を舐め切っていたクソガキだった。悪い仲間とつるんでは煙草を吸ったり、ポストや自販機を金属バッドで壊してはそれが格好いいと勘違いしていた。個人では善悪の判断が簡単につくのだが、集団となるとその判断が麻痺してしまう。そんな中、歳三達のクラスに一人の生徒が東京から転校してきた。家が金持ちで、それを鼻にかけた少し嫌な奴だったので、それが面白くなかった歳三達は彼を寄って集って暴言を吐いたり殴る蹴るの暴行をしたり、腕に煙草の火を押し付けて根性焼きをしたりと、今思えば酷いことばかりしてきた。 千尋と結婚し、双子の親となり、その娘達が学校でいじめに遭っていることを知ったとき、初めて歳三は今まで背を向けてきた忌まわしい過去と向き合うことを決めたのだった。(逃げてきゃ何も変わらねぇ。過去と向き合わなければ、何も解決しねぇんだ。)「おはよう、トシ兄ちゃん。」「おはよう。」翌朝、千尋が寝室から出てきた。「ごめんね、昨夜は少し興奮して変な事言っちゃった。」「いや、いいんだ。それよりも美輝子達のことを考えよう。あいつらをこれからどうするか・・」「どうするかって?」「日本語を教えるか、それとも学校以外の居場所を作らせようか・・」「そうやねぇ、習い事はあの子達がやりたいって言い出したら習わせよう。それよりもまず、相手の親御さんと一度話してみた方がいいかもしれん。」「そうだな。」歳三は千尋とともに今日行われるクラスの保護者会に出席することにした。「あら土方さん、こんにちは。そちらの方は旦那さん?」「ええ。」千尋は美輝子と同じクラスのゆみちゃんママを歳三に紹介した。「初めまして。」「千尋さんにはいつもお世話になってるわ。それよりもご主人、在日なんですって?」「ええ、それがどうかしましたか?」「どうしてお子さんを朝鮮学校には通わせないの?」「主人は日本国籍を持っておりますから。そうだよね?」ゆみちゃんママの質問に一瞬言葉が詰まった歳三に、千尋がすかさず助け船を出した。「まぁ、そうだったの。事情も知らないでごめんなさいねぇ。」ゆみちゃんママは悪びれもなくそう言って笑ったが、歳三の顔は引きつったままだった。「気にせんで・・」「あぁ・・」保護者同士の親睦を目的としたクラス会だったが、ゆみちゃんママ以外誰も歳三達に話しかけてこなかった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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「え?娘達が何ですって?」「美輝子ちゃんと薫ちゃんは、クラスメイトとほとんど話もせずに、一人で本ばかり読んでいます。たまに薫ちゃんが隣のクラスから来ますが・・」「そんな・・」それぞれの担任から聞いた話によると、娘達はクラス内で誰とも話さず、休憩時間から放課後までいつも一緒に居るという。「娘達はつい先月まで韓国で暮らしており、日本語が全く話せないんです。それが原因だと・・」「いいえ、それが違うようなんです。実は・・」担任は更に、美輝子と薫に執拗な嫌がらせをしている女子児童の存在を歳三たちに告げた。「それは、いじめですか?」「いいえ。本人達に聞いてみると、ただ単にからかっただけだと言っているのですが・・そうは見えなくて。」「そうですか。帰ったら娘達に聞いてみます。」「お忙しい中、わざわざ来ていただきありがとうございます。」職員室から出て行った歳三達は、娘達の様子を見に彼女達が居る教室へと向かった。丁度休み時間を迎え、教室ではそれぞれ友達とおしゃべりしたり、遊んだりしているクラスメイト達の中で、美輝子は一人机に座って本を読んでいた。歳三が美輝子に声を掛けようとしたとき、数人の女子児童達が彼女を取り囲んだ。「あんた、いつ韓国に帰るの?」「ここに居たら迷惑なんだけど!」「何で朝鮮学校に行かないの?」彼女達に罵られ、美輝子は俯いたまま何も言わない。「無視してんじゃねぇよ!」「ムカつくな!」苛立った様子で彼女達は美輝子の机を蹴ると、校庭へと出て行った。「あの餓鬼共、俺が・・」「やめときって。親が手を出したらもっと酷くなるだけよ。」「じゃぁお前はあいつがいじめられてるの黙って見てるだけでいいのかよ!?」歳三がそう千尋を怒鳴りつけると、廊下に居た児童達が何事かと彼らの方を見た。「もう行こう。」「うん・・」歳三たちの不安が的中し、娘達がクラス内で孤立していることを知った二人は、学校を出て近くの喫茶店へと向かった。「家では日本語を話すべきだったのかな・・そうしてなかったから、美輝子はあんな目に・・」「それは違うと思う。うちだって経験あるけど、自分達と違う・・たとえば片親家庭だったり、ハーフだったり、太ってたりとか色々と理由を付けたりしていじめたりするんよ。いじめをしてる子は、それがいじめだってことに気づいとらんの。ただ遊んでやってるだけって感覚だから、罪の意識も何もない。何年か経って再会したとき、うちをいじめてた子達がなれなれしく話しかけて来たとき、そいつら殺してやろうかと思ったくらい憎かった。」そう言ったときの千尋は、いじめっ子たちに対する憎しみに捉われているかのようだった。「なぁ千尋・・」「どうせ“昔のことは忘れろ”とか言うつもり?そんなに簡単に割り切れるものやないんよ。」千尋はそう言って歳三の手から煙草を一本奪うと、それを口に咥えて火をつけた。「トシ兄ちゃんは“いじめた側”の人間やからうちらの気持ちなんかわからないんよ!」「千尋、一体何言い出すんだよ?」歳三は千尋の異変に気づき、彼女の手から煙草を奪おうとすると、彼女は突然笑い出した。「ねぇトシ兄ちゃん、高校のときトシ兄ちゃんと同じクラスやった人と偶然スーパーで会ったんよ。そん時、トシ兄ちゃんがその人に根性焼きしたって聞いて驚いたわ。」「千尋・・」「トシ兄ちゃんはどんな気持ちで根性焼きしたと?答えてよ。」千尋がそう言って歳三を見た目は、尋常ではなかった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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団地に歳三達が越して来て一週間が過ぎた。 千尋は近所のママ達と顔見知りになったものの、彼女達は昔ながらの付き合いがある所為か、いつの間にかママ会をしていても話題についてゆけず千尋は取り残されてしまうことが度々あった。歳三も東京のホテルで働き始めたものの、ソウルのときとは勝手が違い、職場の人間関係に悩んでいた。「あ~、疲れた。」「うちもよ。うち以外のママさん達は中高の同窓生が多いけん、どう付き合っていったらわからんわ。」夕食の後、歳三と千尋はそれぞれ愚痴をこぼしながら晩酌をしていた。 ソウルに居た頃、千尋はママ友とは良い関係を築いていたし、近所に住む者同士で色々と情報交換を盛んにし合っていたから、派閥などという面倒くさいものは一切なかったので気楽だった。だがここでは、団地に住む主婦達と、一戸建ての家に住む主婦達との間で幾つかグループが別れており、複雑になっていた。「まぁ昔ながらの関係に新参者が入るとなると、相当苦労するって話だよ。それよりも俺は美輝子達のことが心配だ。うまくやっていけるかどうか・・」歳三はそう言って煙草の箱とライターを持つと、ベランダへと向かった。「あ、またあそこのご主人、煙草吸ってるわよ。」 向かいの棟に住んでいる西田家の主婦・のぞみはそう言いながらベランダで煙草を吸っている歳三を双眼鏡で見た。「あそこの主人は、確か在日だったな?」のぞみの父・隆俊は忌々しそうにそう娘に尋ねたが、彼女は首を傾げただけだった。「さぁ、解らないわ。でもそれがわたし達に何か関係あるの?」「あいつらが越してくることなど、以前は考えられんかった。早く出て行ってくれると助かるんだが。」「お父さん・・」父親が侮蔑をあらわにした表情を浮かべているのを見て、のぞみは身震いした。「おはようございます。」「おはようございます。」翌朝、のぞみがゴミを出しに行くと、歳三が集積場でゴミを出すところだった。出勤途中なのか、彼はスーツを着ていた。「これからお仕事ですか?」「ええ。こちらにはもう慣れましたか?」「いいえ、あんまり・・」「のぞみ、何をしている!そいつとは口を利くな!」歳三がそう言って苦笑しているとき、彼の背後から鋭い声が聞こえた。振り向くと、そこには憤怒の形相をした隆俊が立っていた。「お前は在日だそうだな?国籍は何処だ?」「国籍は日本ですが、それがどうかしましたか?」突然見ず知らずの老人に居丈高に詰問され、歳三は不快感をあらわにしながら彼を見た。「嘘を吐け、本当のことを言え!」「お父さん、やめてよみっともない!ごめんなさいね、父が失礼なことを・・」のぞみは慌てて歳三に謝ったが、彼は気にしていないといった様子で首を横に振った。「それでは、もう時間ですので・・」「お気をつけて・・」「のぞみ、あいつとは口を利くなと言っただろうが!」背後で老人の怒声を聞きながら、歳三は内心腸が煮えくり返っていた。突然見ず知らずの老人に怒鳴られ、罵倒された。一体自分が何をしたというのか。やり場のない怒りを抱えながら歳三が出勤すると、上司が自分の席へと向かってくるのが見え、彼は上司に向かって頭を下げた。「おはようございます、課長。」「土方君、この書類三時までに仕上げておいてね。」「解りました。」ソウルではフロント業務を担当していたが、ここでは主にデスクワーク中心で、一日中パソコンを見つめている所為か、歳三は最近目の疲れを感じるようになってきた。あの老人への怒りを、仕事に打ち込むことによって歳三は忘れようとした。 そんな中、娘達の担任から学校に呼び出された歳三と千尋は、そこで驚愕の事実を知った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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歳三たちは日本で暮らすことになり、彼らはそれまで清子と韓屋で暮らしていたが、日本での新居は所謂団地と呼ばれるところだった。引越しの準備で慌しく、一段落した後に歳三と千尋は近所へと挨拶回りに行った。「初めまして、本日こちらに引っ越してきた土方です。これから何かとご迷惑お掛けしますが、宜しくお願いします。」「ええ、こちらこそ宜しくね。」階下の住人達の元へと挨拶回りすると、大抵の住民達は歳三達を歓迎してくれた。だがー「ここが最後やね。」「ああ。」千尋と歳三は『西田』と表札がかかったドアをノックした。「はぁ~い。」間延びした声が奥から聞こえたかと思うと、ドアが開いて玄関先に一人の主婦が現れた。「初めまして、今日こちらに引っ越してきた土方ですけれど・・」「ああ、土方さん?どうも宜しくね。」主婦はそう言うと、歳三たちの鼻先でドアを閉めた。「うち、何か悪いことしたんやろか?」「気にすんなって。」歳三は千尋をそう励ますと、部屋へと戻った。「来週にはこれを提出しなくちゃならねぇのか・・ああ、頭が痛くなるぜ。」「本当やねぇ。」双子の娘達の小学校入学関連の書類に目を通し、歳三たちは溜息を吐きながらそれらに記入した。「ランドセルはいつ届くって?」「明後日届くってメールが入っとったよ。それよりも二人とも、これから大丈夫やろうか?」「まぁ、それは入学してからでねぇとわからねぇよ。これからお互い色々と忙しくなるな。」「うん・・」 数日後、千尋が注文したランドセルが届き、真新しいランドセルを背負って嬉しそうにはしゃぐ美輝子と薫の写真を、歳三は納めた。『入学式に遅れるぞ。』『うん、わかった!』入学式の朝、真新しいランドセルと可愛いワンピースを着た娘達の手をひきながら、歳三と千尋は小学校の門をくぐった。「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。どうぞ実りある六年間を過ごしてくださいね。」入学式が終わり、美輝子と薫はそれぞれの教室に移動した。『クラスが違うなんて、残念だね。』『大丈夫、遊びに行くから。』美輝子はそう言って妹を励ますと、教室へと入っていった。自分の席を見つけて彼女は腰を下ろして教室中を見渡すと、幼稚園の頃から知り合いらしき数人の児童達が楽しく談笑していた。それもその筈、美輝子以外この教室に居る児童達は家が隣近所で家族ぐるみの付き合いをしているところが多かったのだから。誰も自分に話しかけてこないので、美輝子は先ほど配られた教科書を開いた。もちろんそれは全て日本語で書かれており、今までハングルの教材を使っていた美輝子にとって何が書いてあるのかさっぱりだった。これからどうしようかー美輝子は溜息を吐きながら、国語の教科書を閉じた。薫もまた、不安を抱えながら溜息を吐き、窓の外を眺めていた。 娘達が寝静まるのを待って、歳三達は彼らの持ち物にそれぞれ名前を書いた。「あの子達、大丈夫やろうか?入学式が終わってから様子が変だし・・」「いじめってのは表面化しねぇし、今はネットがあるから陰湿極まりねぇ。千尋、ママ会はいつだ?」「明後日の四時に学校だって。服はどうしようかな?」「そういう細かいところに女は拘るからなぁ。面倒くせぇったらねぇな。」「まぁそういうところを大事にしないと、これからここでやっていけんわ。じゃぁおやすみ。」「ああ、おやすみ。」千尋は夫より一足先に寝室で休んだ。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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「おはよう、歳三さん。」「おはよう。」土方家の朝が、いつものように始まった。「ねぇ、美輝子達は?」「ああ、あいつらならまだ寝てる。」千尋は歳三の言葉を聞くと、表へと飛び出して子ども部屋へと向かった。『美輝子、薫、起きなさい!』『ママ、まだ眠いよぉ~』布団を引き剥がされ、美輝子は眠い目を擦りながら千尋を見た。『いつまでも寝てるんじゃないの!さっさと着替えてご飯食べなさい!』『何よ、ケチ~!』美輝子と薫は文句を言いながら、着替えを済ませて朝食を食べた。 来年の春に小学校入学を控えている二人は、ソウル市内でもハイレベルの幼稚園に通っており、そこでは英語の授業が行われていた。『ねぇママ、パパは今日何時に帰ってくるの?』『今日は早く帰れると思うから、お前達ちゃんと待ってるんだぞ。』『はぁ~い。』千尋が作った朝食を美味そうに頬張る娘達の姿を、歳三は嬉しそうに見ていた。『ねぇパパ、明日の発表会には来てくれる?』『もちろん行くさ。』父娘の会話を聞きながら、歳三は子煩悩なパパになったなと千尋は思った。 娘達が生まれてから、中学時代にヤンキーとしてとがっていた頃の面影は全くなかった。両親の離婚による精神的ショックにより、非行に走り、何度も警察沙汰を起こしたという話を、千尋は恵津子から聞いた。歳三が父親っ子だったということを知り、それ故に父親の所業を未だに許せないのだろう、歳三と隼人との関係は改善する様子は全く見られなかった。「ねぇ歳三さん、隼人さんとのことやけど・・」「あいつとは何も話すことはねぇ。それよりも千尋、後で話があるんだが・・」「話?」千尋がそう言って歳三を見ると、彼は深刻そうな表情を浮かべた。 娘達を幼稚園に送った後、千尋は幼稚園の近くのカフェへと向かい、そこで歳三から日本に戻ることを知らされた。「日本に戻るって・・どういうこと?」「社長から東京のホテルで働いてみないかって言われてな・・お前と話し合ってから決めようと思ってたんだが・・」「わたしは別にいいけど・・子ども達はどうするの?今の友達とも別れたくないだろうし・・それ以前にあの子達、日本語が話せないし。」「そこなんだよなぁ、問題は。」 韓国で生まれ育った美輝子と薫は、当然日本語は全く話せず、家庭内では韓国語を使っている。その所為で日本の学校に馴染めるかどうか、千尋と歳三は不安を抱いていた。「あいつらには後で話しておく。」「うん・・」 その夜、歳三が日本へと引っ越すことを告げると、案の定二人は反対した。『いや、韓国を離れたくない!』『ウギョンと一緒の学校に行く~!』『お父さんの仕事の都合なんだから、我慢なさい。』千尋がどれだけ二人を宥めても、彼らは結局泣き疲れて眠ってしまった。「こんな様子じゃあ、どうなるんだか・・」「ホントやね・・」千尋はそう言って溜息を吐いた。 それからは引越しの準備で色々と忙しく、歳三達は休む暇もなかった。『そうなの、日本に戻ることになったのね?』『ええ。余り乗り気じゃないけど、夫の仕事の都合ですもの、仕方がないわ。』同じ幼稚園のママ友達とお茶をしながら、千尋は彼女達に日本行きを告げた。『あなたが居なくなると寂しいわ。』『わたしも皆さんと会えなくなると寂しいわ。』『日本に行ってもわたし達のこと、忘れないでね。』『ええ。』 歳三達が日本へと戻る日が、刻々と近づいていった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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その女性とは、歳三は面識があった。大学時代、一時期付き合っていたソンヒだった。『ソンヒ、久しぶりだな。一体どうしてここへ?』『父が経営している会社の創立記念パーティーに出席する為に来たのよ。あなたは?』『あぁ、俺はここで働いてんだ。双子の娘達を養わなきゃいけないからな。』『そうなの・・あなた、結婚しているのね。』ソンヒは歳三の左手薬指に嵌められた結婚指輪を見つめながら溜息を吐いた。『また会いましょう、ヨンイル。』『お、おう・・』ソンヒは颯爽とフロントから去っていった。この時、まだ歳三は嵐の中に居ることに気づかずにいた。「ただいま。」「お帰り。どうしたん、浮かない顔して?」「いや・・それよりも薫と美輝子は?」「今寝てるよ。」「そうか。」 歳三が子ども部屋に入ると、娘達は天使のような寝顔を浮かべながら寝ている姿を微笑みながら見ていた。千尋と夫婦となり、娘達が生まれ、歳三はこの幸せな生活があれば金なんて要らないと思った。「お前達の為に、頑張るからな。」そう言って歳三は娘達の頬にキスをすると、子ども部屋から出て行った。 それから8ヶ月が過ぎ、美輝子と薫は1歳の誕生日を迎えた。韓国では満一歳の祝い、トルチャンチを盛大に祝う習慣があり、二人のトルチャンチ会場は歳三の勤務先であるロイヤル・ホテルの格式高い宴会場で開かれた。『今日はおめでとう、チェさん。娘さん達は可愛いわねぇ。』『ありがとうございます、社長。』『この子達を見ていると、別れた孫達を思い出すわ。』スヨンの顔が、少し曇ったのを歳三は見逃さなかった。『お孫さんとは、お会いになっておられないのですか?』『ええ。広い家にはわたしと家政婦さん以外、誰も居ないのよ。だから正直言うと、あなたが羨ましいわ。』スヨンの言葉に、歳三は目を丸くした。 彼女には金や権力、この世を思い通りに出来るものを全て持っている。だがそれだけで生きていくことは、寂しいものなのだろう。『社長、キム会長がお呼びです。』『そう、すぐ行くわ。』スヨンはそう言うと、ソンジュとともに宴会場から出て行った。「さてと、もう帰ろうか。」「そうやね。」娘達を抱きながら、歳三と千尋がパーティー会場から出て行こうとしたとき、ソンヒが二人の前に現れた。『ヨンイル、そちらの方があなたの奥さんかしら?』ソンヒはそう言って千尋を見た。『初めまして、わたしはキム=ソンヒ。あなたの旦那様とは学生時代に付き合っていたの。』『え・・』ソンヒの言葉を聞き、千尋は驚きで目を丸くしながら彼女を見た。『ソンヒ、一体どういうつもりだ?』『あら、いいでしょう?ねぇヨンイル、食事でもしない?』『駄目だ。』ソンヒの脇を通り抜け、歳三は千尋と共にホテルから出て行った。 秋も終わりかける頃、外の空気が急に冷えてきたように千尋は感じた。「また冬が来るね。」「ああ。」歳三は美輝子の頬をそっと撫でると、彼女は目を開けて彼にこう言った。「パ・・パ・・」「千尋、聞いたか?こいつ喋ったぞ?」「美輝子、しゃべったのねぇ。」帰宅するタクシーの中で、歳三は親としての喜びを噛み締めていた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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千尋は起き上がろうとしたが、何故か身体が全く動かない。『どちら様ですか?』清子が部屋から出てきて、来客に応対している声が聞こえた。暫く横になって耳を澄ませていると、突然清子の怒鳴り声と、女性の悲鳴が聞こえた。 千尋が慌てて外に出ると、そこでは清子が女性の髪を掴んで罵倒していた。『この人でなしが!うちのチェヨンを何処にやった!』『お祖母さん、一体何があったんです?その人は誰なんですか?』千尋が清子と女性との間に割って入ろうとしたとき、女性が外へと逃げようとした。『逃がすもんか!』鬼のような形相を浮かべながら、清子はそう叫ぶと女性のコートの裾を掴んだ。 数分後、千尋と清子は居間で女性と対峙していた。『それで、あなたはこの家に何のご用で?』『実は、うちの娘がお宅のお子さんを誘拐して・・』女性が口火を切ったとたん、清子は彼女に茶を掛けた。『お前の盗人の娘は何処に居るんだ、さっさと連れて来い!』暴れて怒り狂う清子を必死に千尋は押さえながら、女性の話を聞いた。『それで、娘は・・美輝子は無事なんですか?』『ええ。さっき娘に連絡を入れたんですが、もうじき来る筈かと・・』女性がそう言った時、赤ん坊を抱いた若い女性が家に入ってきた。『ママ・・』『ヨンス、こっちへいらっしゃい!』女性は居間から出て、娘に駆け寄ると、彼女は腕に抱いている赤ん坊―千尋の娘・美輝子の寝顔を見つめていた。『ママ、本当にこの子を返さないといけないの?』『当たり前でしょう!さぁ、わたしと一緒に謝るのよ!』『でも・・』母娘が玄関先で言い争っていると、清子がつかつかと女性の娘・ヨンスに近づくなり、彼女の頬を張った。『この盗人め、よくもうちの孫娘を奪ったな!』完全に頭に血が上った清子は、ヨンスの腕から美輝子を奪い取ると、彼女を罵倒した。『人様の子を奪うなんて、お前は親からどんな教育を受けてきたんだ!いいか、お前をタダではおかないから、覚悟しておけ!』ヨンスは地面にくずおれると、泣き叫んだ。『嘘泣きをしても無駄だ。お前達をあたしは許すわけにはいかないからな!わかったらさっさと出て行け!』『今回のことは大変申し訳ないと思っております。どうか・・』清子は弁解する母娘に向かって冷水を浴びせ、家から追い出した。『チヒロ、あんたの娘が戻ってきたよ。』清子の腕に抱かれた美輝子を見た千尋は、娘が無事であることを確かめると涙を流した。『歳三さんに連絡してきます。』美輝子を抱きながら子ども部屋に入った千尋は歳三の携帯にかけたが、なかなか繋がらなかった。(どうしたんだろう・・) 一方、歳三は夜勤が回ってきて、一日中フロントデスクに立っていた所為なのか、足が疲れてきたので一旦休憩を取ることにした。「もしもし、千尋?」『歳三さん、美輝子が帰ってきたよ。』「それ、本当か?」『うん。今忙しいから帰ってくるのは無理やと思うけど、報告だけしとくね。』「わかった、ありがとう。」歳三が携帯をポケットに入れると、ミジュが休憩室に入ってきた。「どうしたんですか、先輩?嬉しそうですね?」「ああ。美輝子が帰ってきたんだよ。元気だそうだ。」「良かったですね。」「良かったよ、本当に。さっさと仕事を終わらせて家に帰るとするか。」歳三がそう言いながらフロントデスクへと戻ると、一人の女性客がホテルに入ってきた。『いらっしゃいませ。』『あなたが、チェ=ヨンイルさん?』女性はそう言うと、ゆっくりとブランド物のサングラスを取った。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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『仕事中に何処へ行くんだ?』『今日は早退すると、イ主任からお許しを得ました。なのでこれで失礼致します。』歳三がそう言ってソンジュの脇を通り過ぎようとすると、彼は歳三の手を掴んだ。『娘さんが行方不明なのはわかるが、業務に支障がでないようにしてくれ。』『お言葉ですが、上の空でフロントに立っている俺は邪魔でしかありません。それではこれで失礼致します。』ソンジュの手を振り払うと、歳三は更衣室へと向かった。『イ主任、少しお話が。』フロントデスクでイ主任が業務をしていると、ソンジュが彼に話しかけてきた。『お話とはなんでしょうか、副支配人?』『あなたは公私の区別をわきまえられる方だと思ってましたが、今回のことには失望いたしました。部下の私的な事情でその我が儘を通すだなんて・・』『副支配人、わたしは業務に支障が出ないよう、チョさんに早退を許したのです。あなたはホテルの利益を上げることに躍起になっていますが、利益を上げるばかりではホテル本来のものが失われますよ。』そう言ってソンジュを見つめるイ主任の目は険しかった。 イ主任は40年間、このホテルに勤めてきたから様々な人間模様をフロントを通して見てきた。ホテルは元より、仕事は人間が作り上げるものだ。利益をやたらと追求するソンジュのやり方に、彼は真正面から異を唱えた。『君、一体何を言っているのか判っているのか?』『ええ、わかっておりますとも。わたしが今回のことで解雇されるとしたら本望です。』ソンジュは怒りで顔を赤く染めながら、フロントデスクから去っていった。その足で彼は、社長室へと向かった。『社長、宜しいでしょうか?』『入って。』 社長室のドアを開けてソンジュが入ると、スヨンはパソコンから顔を上げた。『チョさんの件で、お話したいことがあるのですが。』『副支配人、あなたはもっと従業員のことを考えないとね。』そう言ったスヨンの目は、険しかった。『社長もチョさんの肩を持つんですか?』『肩を持つ、持たないの前ではなくて、もっと人の気持ちを慮ったらどうなのかと言っているの。あなたは利益ばかり追求するけれど、それだけではホテルは成り立たないのよ。』『失礼します。』社長室を後にしたソンジェは、舌打ちしながら廊下を歩いていた。何故みな歳三の肩を持つのか―ソンジェはエリートの自分ではなく経営も接客も素人の歳三ばかりをイ主任や社長が気に入っているのかが解らなかった。 ソンジェは裕福な家庭で育ち、何不自由ない暮らしを幼少時から送ってきた。その所為なのか、他人が自分に傅くのは当たり前だと思い、家事や自分の身の回りの世話をしてくれる家政婦や、勉強を教えてくれる家庭教師に感謝の念など抱いたことは一度もなかった。その傲慢さは成人しても変わらなかった。『いつか痛い目に遭わせてやる、チェ=ヨンイル・・』ソンジェは口端を歪めて笑った。 一方調理場では、ミジュが歳三の身を案じていた。『ねぇミジュ、ヨンイルさんとはどんな関係なの?』『どんな関係って、ただの大学時代の先輩と後輩よ。』同僚の詮索に淡々と応じながら、ミジュは作業を進めた。『本当に?あやしいわねぇ?』『そこ、何話してる!さっさと仕事しろ!』料理長に怒鳴られ、同僚は溜息をつきながら自分の持ち場へと戻っていった。(詮索好きな人は何処にでも居るのね・・) 千尋は病院から帰った後、自室で横になって休んでいた。そろそろ夕飯の支度をしようかと思っていたとき、玄関の扉が誰かに激しく叩かれた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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翌日、ミジュが出勤すると、歳三が暗い顔をしてロビーのほうへと歩いているのを見かけて彼女は声を掛けた。「先輩、どうしたんですか?」「ミジュ、おはよう。ちょっといいか?」「いいですよ、まだ時間ありますし。」 休憩室でミジュは、歳三の娘・美輝子が行方不明になったことを知った。「警察には通報したし、警察署で捜索届も出した。でも全然向こうから連絡がないんだ。」歳三はそう言って煙草を口に咥え、火をつけた。目の下には黒い隈が縁取り、碌に睡眠を取っていないように見えた。「これからどうするんですか?」「さぁな、警察から連絡が来るのを待つしかねぇよ。」「ネットで娘さんの写真を載せて情報を集めたらどうですか?事件が起きない限り、警察は簡単に動かないと思いますよ?」「そうだなぁ・・でも俺が持っているパソコン、ハングルには対応してねぇんだ。それに勉強して少しは読めるようになったけど・・」「それならわたしに任せてくださいよ、先輩。ジャーナリストを目指していた大学時代の経験がありますから。」「ありがとう、ミジュ。」「先輩、奥さんのほうは大丈夫なんですか?」「いや・・」 長女・美輝子が突然居なくなり、千尋は半狂乱になって彼女を何時間も捜し歩いた。長女が居なくなって数日経ち、その間千尋は警察署に何度も来ては長女を探すように警官に訴えていた。『どうして娘を捜してくれないんです?今この瞬間にも娘は死んでいるのかもしれないんですよ!?』千尋がそう警官に食って掛かると、彼は溜息を吐いてこう言った。『奥さん、お気持ちはわかりますが、今は慎重に動くしかないんです。』『そんな・・』 絶望に包まれながら、千尋は警察署から出た。『また警察署に行ってたのかい?』千尋が帰宅すると、清子がそう言ってキッチンから顔を出した。『ええ、でもいつも同じ答えしか返ってきませんでした。』『そうかい・・』子ども部屋から薫の泣き声が聞こえ、千尋は彼女に母乳を与えようとしたが、その時異変に気づいた。 いつも溢れ出ては余るほどの母乳が、今日に限って一滴も出てこないのだ。それでも薫の口に乳首を吸わせようとした千尋だったが、彼女は泣くばかりで乳首を吸おうともしなかった。『どうしたんだい?』『おっぱいが出ないんです。』泣きじゃくる我が子を抱き締めながら、千尋はそう言って溜息を吐いた。『一緒に病院に行こう。ヨンイルにはあたしが連絡するから。』 清子に連れられ近所の産婦人科に向かった千尋は、母乳が出ないのはストレスが原因だと医師から告げられた。『暫く様子を見ましょう。』『大丈夫、あの子は生きてるよ。』『そうですよね・・』 休憩時間が終わりかけの頃、歳三は清子から千尋の母乳がストレスで出なくなったと連絡を受けた。『そうか・・わかった・・』携帯を閉じた歳三は、溜息を吐いて椅子に座った。今すぐにでも家に飛んで帰りたい気持ちを抑えて、歳三はフロントへと戻っていった。 今日は二組のカップルの結婚式があるので、彼らの親族が集まり、フロント前は大変混雑していた。歳三は慣れた手つきでフロント業務を次々とこなしながら、妻のことが気になって仕方がなかった。『チェさん、今日は早く上がりなさい。後はわたし達だけで大丈夫だから。』『すいません・・』歳三がイ主任に頭を下げてフロントを後にすると、ソンジュが彼の前に立ちはだかった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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『もうすぐ双子の100日祝いをしないとね。』『ええ、そうですね。でも全然準備していなくて・・』千尋はそう言って清子と話しながら夕飯を作っていると、外で誰かが扉を叩く音が聞こえた。『わたしが出ます。』千尋は手をさっと水で洗うと、サンダルを履いて外へと出た。『今開けます。』扉の閂を開けた千尋は、そこで一人の男性が立っていることに気づいた。『あの、どちらさまですか?』千尋が声を掛けると、男性はくるりと千尋の方へと振り向いた。『すいません、わたしはハン=ソンジュと申します。ヒジカタトシゾウさんの奥様でいらっしゃいますか?』『ええ、そうですが。それが何か?』『実はご主人の勤務態度のことで、少しお話ししたいことがございまして・・今、宜しいでしょうか?』千尋がソンジュにどう答えようか考えていると、子ども部屋から娘達の泣き声が聞こえた。『すいません、今ちょっと手が離せないものでして。失礼します。』『いえ、こちらこそ。またの機会に伺います。』ソンジュは千尋に頭を下げ、元来た道を戻っていった。『じゃぁ先輩、また明日。』『あぁ、またな。』 バス停の前でミジュを別れた歳三は、自宅へと向かっていった。その途中で、ソンジュが坂道を下りてくるところを見た。『随分と仲が良いんだな?』『あんたには関係ねぇだろう、他人のあら探しが趣味なのか、エリートさんよ?』歳三の言葉に、ソンジュの顔が怒りで赤くなったが、歳三はそんな彼を無視して自宅へと向かった。「ただいま。」「お帰り。さっき副支配人が来たけど、どうしたと?」「何もねぇよ。それよりも娘達は?」「ぐっすり眠っとうよ。お祖母ちゃんが100日祝いをどうするのかって聞いてきたんよ。」「もうそんな時期か・・お宮参りする前にこっちに来ちゃったからなぁ。今から準備するのは大変だよなぁ。」「お祖母ちゃんが写真館を予約しとるって言っとったよ。」「そうか。」歳三はそう言うと、双子達の寝顔を見つめた。「なぁ千尋、俺は仕事が忙しくて家に帰るのが遅くなるから、お前のことが心配だ。」ホテルのフロントスタッフは想像以上に激務で、中には理不尽な要求をするクレーマーも居る。そのクレーム処理でしばしば出勤時間が延びてしまうことがあり、漸く終わった頃には全身の筋肉が悲鳴を上げていた。「うちのことは心配せんでよか。それよりもシャワー浴びてきたら?ご飯にするけん。」「ああ、わかった。」歳三は子ども部屋から出て、浴室に入った。凝り固まった筋肉に温水シャワーを浴びると、リラックスしたような気がした。『ヨンイル、大変だよ!』『どうしたんだ、祖母ちゃん?』浴室から出た歳三は、血相を変えて自分の方へと駆け寄ってきた清子を見た。『チェヨンが・・美輝子が居なくなったんだ!』『何だって!?』『あたしと千尋ちゃんが夕飯の支度をしにチッキンに籠もってるときに、子ども部屋のドアがいつの間にか開いてて・・あの子が居なくなってたんだよ!』『警察にすぐ通報しろ!まだ近くに居るはずだ!』 美輝子を探しに、歳三たちは手分けして近所を探したが、誰も彼女の姿を見た者はいなかった。 まだ冬の寒さが厳しいこの時期に、生後2ヶ月半の赤ん坊が外に放置されたらどうなるか。 歳三は最悪の事態が何度も頭の中を過ぎった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月04日
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