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こちらの小説の更新をお休みいたします。なかなか構想が浮かばないので、yahooブログの更新に専念することにします。
2012年10月28日
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「薫、合格おめでとう!」「ありがとう~!」その夜、土方家では薫の合格祝いのパーティーが行われた。「お姉ちゃんとは来月でお別れか・・さびしくなるなぁ。」「大丈夫よ。メール書くからさ。」「本当に?」「嘘吐かないわよ。」美輝子はそう言うと、薫の肩を叩いた。「お前ら二人に話があるんだが・・近々ここを引っ越そうと思うんだ。」「え、何処に?」「単身者専用のマンション。ここは老朽化が激しいし、色々と手狭になってきたからな。それに引越し先のマンションは薫の高校にも近いし。」「そう。お姉ちゃんの渡米に引越し・・息つく暇もないねぇ。」「そうだな。」 薫と美輝子は新生活への期待と不安で胸を膨らませながら、引越しの荷物を纏めたりした。そして漸く、美輝子が渡米する日の朝が来た。「美輝子、パスポート持ったか?」「うん、持ったよ。」「気をつけていけよ。途中まで送ってやるよ。」「サンキュ。」 歳三は美輝子とともに成田空港行きのターミナルバス乗り場へと向かうと、バスが到着するまで時間があった。「ミジュたちにもよろしくな。」「うん、わかった。パパも身体気をつけてね。」「ああ。」「メールは向こうの生活が落ち着いたらするね。住むところはもう決まってるけど、実際に住んでみないとわからないし。」「そうだな。」美輝子がミジュ達と一緒に住むのは、NYのマンハッタン近郊だということは聞いていたが、どんな所なのか歳三はよくわからなかった。「なぁ美輝子、お前は色々と俺や薫を支えてくれたよな。感謝してるよ。」「そんなこと言わないでよ。パパ、向こうであたし、頑張るからね。」美輝子がそう言って笑うと、バスが停まった。「それじゃぁ、行くね。」「ああ。元気でやれよ。」「わかりました。行ってきます!」 美輝子が乗ったバスが見えなくなるまで、歳三は彼女に手を振った。「お帰りなさい、パパ。」「ただいま。」「これから二人きりの生活になるけど、お姉ちゃんの分まで頑張るね。」「あぁ、そうしてくれると助かるよ。」 引越し先のマンションで薫と夕食を食べつつも、美輝子は今頃どうしているのだろうかと歳三はそう思いながら溜息を吐いた。それから数ヵ月後、クラスメイトと笑顔で映っている写真つきのメールが歳三と薫の元に届いた。「元気にしてるんだな、あいつ。」「うん。ねぇパパ、夏休みになったらお姉ちゃんのところに遊びに行っていい?ミジュお姉さんにも会いたいしさ。」「いいぜ、好きにしろ。」「やったぁ~!」「ただし、今度のテストで全科目80点以上取ったらな。」「ちぇ~、そんなことだろうと思ったよ!」「いちいちうるせぇんだよ、お前は!」食卓を囲みながらそう言い合う父と娘の姿を、千尋の遺影が何処か笑っているように見ていた。(完)にほんブログ村
2012年10月19日
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「へぇ、そうだったんだ。前から薄気味悪い人だと思ってたのよね。」美輝子はそう言ってコーヒーを飲んだ。「それよりもお姉ちゃん、荷造りはもう終わったの?」「うん。卒業式が終わったら、すぐに渡米するつもりよ。あたしが居なくなったら、パパのことをよろしく頼むわね。」「わかりました。」姉妹が互いに笑いあっていると、薫の携帯が鳴った。『もしもし、カオルちゃん?』『ミジュお姉さん?お久しぶりです。』『久しぶりね、カオルちゃん。ミキコちゃん、来年の春から一緒に暮らすことになるから、ご挨拶にね。』『そうですか、こちらこそ姉を宜しくお願いします。』『ええ。』通話を終わらせ、携帯を閉じた薫は、姉の方へと向き直った。「誰から?」「ミジュお姉さんからよ。電話だけだけど、挨拶を済ませておいたわ。」「そう。これから色々と忙しくなりそうだわ。」「そうね。お姉ちゃんと一緒に居られる時間は短いんだし。さてと、受験勉強に戻るとするか!」薫は溜息を吐くと、再び参考書とノートを開いて勉強を再開した。「ねぇ、この問題これで合ってるかな?」「うん、どうかしら・・大丈夫よ、これで合ってるわ。」「次の模試でいい点を取らないと、希望校の合格ラインに届くか届かないかの瀬戸際なのよ。」「あまり無理しないようにね。」「わかってるわ。お姉ちゃんみたいに器用じゃないけど、あたしはあたしなりに頑張るわ。」「その意気よ、薫!」 美輝子はそう言うと、妹の肩を叩いた。 冬休みが終わり三学期に突入してから、薫達三年生は受験と模試の日々を送っていた。「あたし、受かったのよ!」「え~、いいなぁ。」薫は溜息を吐きながら、先に志望校の合格が決まった友人の笑顔を羨ましそうに見ていた。「あんたのお姉ちゃん、何処の高校行くの?」「ああ、お姉ちゃんなら渡米して向こうで暮らす予定よ。」「ええ、そうだったの!?てっきり同じ高校に行くと思ってたわ!」「まさか。双子だからって同じ高校に通うなんてないわ。まぁ、明後日に受験を控えているから、気を抜かないようにしなくちゃ。」 数日後、薫は第一志望校の受験に臨んだ。「ただいま・・」「お帰りなさい、どうだった?」「かなり手ごたえあったよ。お姉ちゃんが家庭教師のお陰だよ。」「そう、よかった。」「荷造り、手伝うね。」「ありがとう。あそこのダンボールに変圧器を入れておいてね。向こうじゃ電圧が違うから、何個か持っていかないといけなくて。」「そうだよね。前々から疑問に思ったんだけど、お姉ちゃん英語喋れるの?」「馬鹿だねぇ、あんた。喋れるに決まってるじゃないの!それよりも薫、受験が終わったからって気を抜くんじゃないわよ!」「はいはい、わかってま~す!」 それからほどなくして、合格通知が薫の元に届いた。「入学金高いなぁ・・」「そんな事心配すんじゃねぇよ。」「パパ、ごめんね・・」「大丈夫だ。謝るんじゃねぇよ、薫。合格おめでとう。そういや、美輝子は?」「ああ、お姉ちゃんならケーキ買いに行った。」にほんブログ村
2012年10月19日
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『もしもし、お姉ちゃん?』「ちょと、待ってて・・」美輝子は携帯を握り締めたまま、そっとドアスコープから廊下を覗いた。すると、そこには誰も居なかった。「さっき、誰かがドアを叩いてたんだよね。」『げぇ、キモイ!』「あんたはもう寝なよ。明日早いんでしょ?」『うん・・お休み。』「お休み。」携帯を枕元に置き、美輝子はシーツに包まりながら眠りに就いた。 翌朝、彼女がシーツの中で寝返りを打っていると、突然外から物音がした。(何だろ?)ドアチェーンを掛けたままドアを少し開けて外の様子を窺った美輝子はクマのぬいぐるみが床に転がっていることに気づいた。それと同時に、廊下からコツコツと靴音が聞こえたような気がした。「土方さん、ご家族の方が来てるわよ。」「え、父がここに?」何の連絡もなしに、歳三が長野にやって来る筈がない。「そうよ、だから早くロビーに・・」「父はこのホテルの住所も知りませんし、長野に来るという連絡も受けてません。」「そう?」美輝子の言葉に、顧問は首を傾げた。「でもねぇ、昨夜フロントで電話を受けたときは、お父様の声に聞こえたように思えたけれど・・」「先生、父に一度確認を取っていただけますか?」「わかったわ。」顧問の姿がエレベーターの中へと消えてゆくのを見送った美輝子は、一旦部屋に戻って貴重品をポシェットに詰めると、朝食を取りに大広間へと向かった。「土方先輩、おはようございます。」「おはよう。」 大広間は超満員で、料理を取るにも一苦労だった。「ねぇ、どうしてこんなに混んでるの?」「何でも、大学のチアリーディング部が合宿で来てるそうです。それよりも先輩、昨日キャプテンから聞いたんですが、変な人はホテル内には居なかったそうです。」「そう。」「土方さん、やっぱり昨夜の電話、お父様からじゃなかったわ。」「そうですか。」顧問の言葉に、まだ内田が居るのではないかという恐怖に美輝子は包まれた。 合宿は無事終わり、荷物を纏めた美輝子は後輩達と一緒にバスで東京へと戻っていった。「ただいま。」「お帰りなさい。」「美輝子、大丈夫だったか?」「うん。でもなんだか不安で落ち着かない・・」「大丈夫だよ、あたし達がついてるから。」 その後何事もなく瞬く間に季節が過ぎ去り、あっという間に冬を迎えた。「あ~、こんなんで合格すんのかな?」「あんた、最初から諦めちゃ駄目だって。」受験勉強真っ最中に弱音を吐く薫の頭を、美輝子はそう言って小突いた。「お前ら、ちゃんと勉強しとけよ!」「わかったよ。」「行ってらっしゃーい!」 歳三は友人の結婚式に出席する為、数日間家を留守にした。(あいつら、大丈夫かな・・)「ねぇ、お姉ちゃん、あいつのことはどうなった?」「実はね、あの人警察に捕まったって。何でも、同じ大学のクラスメイトにストーカーしてたんだって。」にほんブログ村
2012年10月18日
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「ねぇ、どうしたの?」「いえ・・何でもありません。」 見る見る顔から血の気がひいてゆく美輝子の様子がおかしいことに気づいたキャプテンは、そう言って彼女に話しかけると、彼女はベッドに入って震え出した。「気分でも悪いの?」「ええ。」まさか、内田が合宿先まで来るなんて、思いもしなかった。一体どうやって、このホテルの場所を調べたのだろうか。「じゃぁ、気分が良くなったら下に降りてきてね。」「はい、わかりました・・」キャプテンが部屋から出て行くと、美輝子は携帯を開き自宅へと電話を掛けた。「え、あいつが長野に来た!?」「どうしたんだ?」「パパ、お姉ちゃんの合宿先のホテルにあいつが現れたって!」「何だって!?」内田が長野に居ることを知った歳三は、恐怖と驚愕で顔を強張らせた。「あいつ、何処から調べたんだろう、お姉ちゃん達が居るホテル。」「薫、美輝子のことは部活のメンバーが守ってくれる。心配するな。」「うん・・」 その夜、薫と歳三は一睡も出来ずに朝を迎えた。「おはよう・・」「美輝子はもう起きてるか?」「電話してみるね。」薫が姉の携帯に掛けると、コール音が何回した後に切れた。「駄目だ、繋がんない。」「まだ寝てるのかもしれないな・・」「そうだよね・・」薫はそう言ったものの、姉が内田に拉致されたのではないかという不安を抱きながら、塾へと向かった。「先輩、どうしたんですか?顔色悪いですよ?」「最近、団地に住んでいる大学生がお姉ちゃんにストーカーまがいのことしてさぁ。合宿先のホテルに訪ねて来たんだって。」「えっ、それ本当ですか?」「嘘なんか言っても仕方ないじゃん。」 夏期講習の一限目を受け、教室で薫はそう言って洋子を見た。「そうですよね。」「その大学生、この前お姉ちゃんを待ち伏せして、結婚しようって言われたんだよ?キモ過ぎない?」「めっちゃキモいですね、それ。大体、美輝子先輩はその人のことをなんとも思っちゃいないんでしょう?」「そうだよ。パパは滅茶苦茶怒ってさ、家に上がりこもうとしたそいつを木刀で殴りかかろうとしてたんだから!学校には連絡入れといたから、大丈夫だと思うけど・・」「警察に言った方がいいんじゃないんですか?」「う~ん、事件性がないと駄目じゃないの?」「取り敢えず、何でもいいから記録に取るんですよ。ICレコーダーとか携帯とかに会話を録音したりしないと。」「そうだね。パパにも話してみるよ。洋ちゃん、サンキュー。」「そうか・・大事になる前に、警察に行って話した方がいいな。」 帰宅した薫がそう言って歳三に洋子からのアドバイスを話すと、彼は溜息を吐きながら新聞を広げた。その時つけっ放しにしていたテレビから、ニュースが流れた。『今日午前8時過ぎ、板橋区のマンションの4階に住む女性が、死体で発見されました。室内には遺書があり、自殺した可能性が高いと・・』画面に死亡した女性の顔写真と氏名が映った瞬間、歳三は息を呑んだ。それは、愛美だった。「パパ、出来たよ。」「お、おう・・」歳三はそう言うと、テレビを消した。 一方長野で合宿中の美輝子は、暫く休んだら気分がよくなったので、部屋から出て部員達が集まっている大広間へと向かった。「もう、大丈夫なの?」「はい。少し休んだら気分がよくなりました。」「そう。あの人、ここには土方さんは居ないって言ったら、諦めて帰っていったよ。」「そうですか・・」内田が本当に東京に帰ってくれたらいいのだが―そう思いながら美輝子はビュッフェテーブルの方へと歩いていった。 部屋に戻った彼女は、自宅に電話を掛けると、薫が出た。『大丈夫、お姉ちゃん?』「うん、もう大丈夫。だから心配しないで早くあんたは・・」 薫にもう内田は東京に帰ったことを美輝子が伝えようとしたその時、ドアが激しく叩かれる音がした。にほんブログ村
2012年10月18日
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「久しぶりだね、美輝子ちゃん。」内田はそう言うと、ニィッと口端をあげて笑った。「実家に帰ったんじゃないんですか?」「ううん。それよりも美輝子ちゃん、折り入って君に話があるんだけど・・」「何の話ですか?」「僕と、結婚してくれない?」「は?」一体彼が何を言っているのか解らず、美輝子は思わず内田の顔を見てしまった。「いやぁ、君と初めて会ったときから、タイプだったんだよねぇ。だから、結婚しよう?」「何言ってるんですか?あなたとは結婚しません!」美輝子は恐怖を覚え、すばやく自転車に跨ると校門から出て行った。ちらりと後ろを振り返ると、内田が鬼のような形相を浮かべて自分の後を追いかけて走ってくるところだった。パニックになりかけながらも、美輝子は必死にペダルを漕ぎ、団地の駐輪場へと自転車を停めると、一気に階段を駆け上がった。「どうしたのお姉ちゃん、怖い顔して?」「さっき・・学校であいつを見たの。」「あいつって・・まさか内田?」水を差し出した薫がそう言って姉を見ると、彼女は静かに頷いた。「結婚しようって言われたの。あいつ何処かおかしいよ!」「落ち着いて、お姉ちゃん。パパにはあたしから話しておくから、お姉ちゃんは休んで。」「ありがとう。」水を一気に飲み干した美輝子は、そのまま部屋着に着替えて奥の和室に入った。「美輝子、どうしたんだ?あんなに慌てて・・」「パパ、ここに住んでる内田って大学生知ってるでしょ?あいつ、学校でお姉ちゃんのこと待ち伏せして結婚しようって言ったんだって。」「何だと、それは本当なのか?」歳三の眦が上がったとき、玄関のドアが誰かに激しく叩かれる音がした。「居るのはわかってんだよ、出てこいよ!」ドアの向こうで聞こえる怒声は、紛れもなく内田のものだった。「てめぇ、こんな時間に何の用だ!」歳三が木刀片手にドアを開けると、内田は突然しおらしくなった。「すいません、あの・・美輝子さんいらっしゃいませんか?」「てめぇ、娘に手を出したら承知しねぇぞ!警察にしょっぴかれる前に帰りやがれ!」「わかりました・・」ドアが閉まり、内田の足音が遠ざかってゆくのが聞こえると、歳三は漸く木刀を下ろした。「パパ・・」「あいつ、おかしいな。暫く美輝子を一人にさせるんじゃねぇぞ、わかったな?」「うん。でもさ、お姉ちゃん明後日には合宿なんだから、たぶん大丈夫だと思うよ?」「油断大敵だぞ、薫。学校側には俺がうまく説明しておく。お前も気をつけるんだぞ。」「わかった・・」 数日後の朝、美輝子が合宿先の長野へと旅立った後、一人で留守番をしていた薫の元に、また内田がやって来た。「薫ちゃん、お姉さんは?」「姉は部活の合宿に行ってます。」「何処なのか、聞いてない?」「知りません!あなたいい加減にしないと警察呼びますよ!?」「また来るから、じゃぁね。」 合宿先のホテルで美輝子は友人と部屋で寛いでいると、キャプテンが部屋に入ってきた。「土方さん、あなたに会いたいって人が・・」「誰ですか?」「さぁ、とにかくロビーに来てくれって・・大学生風の男の人。」キャプテンの言葉を聞いたとき、美輝子の背筋に鳥肌が立った。にほんブログ村
2012年10月18日
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翌日歳三が愛美のバイト先であるコンビニへと煙草を買いにいくと、そこには彼女の姿はなかった。居た堪れなくなって辞めていったのかなと思いながらも、彼が適当に雑誌類が置いてあるところから一冊引き抜いた週刊誌には、こんな見出しが載っていた。“新宿の惨劇を引き起こした女の現在”そこには目の部分はモザイクが入れられているものの、背格好で明らかに愛美とわかる顔写真が載っていた。 記事には愛美が事件後釈放され、最初の夫と離婚し実家から縁を切られたことや、再婚した夫とは再就職先を探している時に出会ったこと、その夫がバツイチ子持ちであること―愛美のプライベートを完全に侵害した記事には、こう結ばれてあった。“罪を憎んで人を憎まず・・そんな諺(ことわざ)が死語になりつつある現在、あなたは彼女が犯した罪を憎むべきか、それとも罪を犯したくせにのうのうと暮らしている彼女を憎むべきか・・どちらを選びますか?”「ねぇ、これ薫のお母さんのことだよね!」部室で休憩していた薫の前に、そう言ってチームメイトの一人が週刊誌を見せた。「そうだよ。」「あの女、近所のコンビニで働いてたんだ!全然気づかなかったなぁ~」「あたしも~!いつもアイス買いに行ってたのに、もう行けないや!」「大丈夫だよ、あの女あそこもう辞めたから。」薫はそう言うと、部室から出て行った。「ただいま。」「薫、愛美のことリークしたのお前だろう?」「ああ、週刊誌のこと?うん、あたしがリークしたよ。彼女、今何処に居るのかわからないだろうけど・・」冷蔵庫からアイスを取り出した薫はそう言って笑うと、歳三の前に座った。「パパ、あの女への復讐は完了したよ。だから彼女にはもう手を出さない。これでいいでしょ?」「薫・・」「汗かいたからシャワー先に浴びるね。」一方的にそう言うと、薫は歳三と目を合わせずに浴室へと消えていった。「本日の練習はこれで終了!」「お疲れ様でした~!」 美輝子が所属する新体操部の練習が終わったのは、夕方の6時半過ぎだった。「先輩、お疲れ様です!」「お疲れ~!」着替えを終えた後輩達が次々と部室から出て行き、美輝子は忘れ物がないかチェックしてから部室に鍵を掛け、駐輪場へと向かった。 夏休み中の駐輪場は、昼間でも人気がなかったが、夜となると暗闇に包まれている所為もあってか、何処か不気味な雰囲気を醸し出していた。早く帰ろうかと彼女が自分の自転車に鍵を挿し込んでそれに跨ろうとしたとき、誰かが美輝子の腕をぐいっと引っ張った。(な、なに?) 恐る恐る彼女が振り向くと、そこには実家に帰省しているはずの大学生・内田が立っていた。にほんブログ村
2012年10月18日
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「あ・・」「お前、ここで働いてんのか。」 コンビニでレジを売っている愛美の姿に歳三が気づいたとき、彼女は慌ててバックルームへと引っ込んでいった。「パパ、ここに居たんだ!」 部活帰りの薫がスナック菓子でいっぱいになったカゴを提げながら歳三のほうへと駆けてきた。「お前、それ全部食べるのか?」「そんな訳ないじゃん。それにしても、レジ混んでるね。」「ああ。」 丁度夕飯時で、コンビニにはサラリーマンや学生達でごった返しており、レジ前には長蛇の列が出来ていた。「あのレジ、開けてくれたらスムーズに出来るのに。ちょっと店員さん探してくるから、荷物番よろしく。」「ったく、親をこき使いやがって・・」歳三が舌打ちしながらレジの順番を待っていると、漸く列がゆっくりではあるが、動き始めた。ちらりとレジのほうへと見ると、二つしか開いていなかったレジがもう一つレジが開いていた。「お待たせ~」「家にお祖母ちゃんとミジュが来てるぞ。」「そう。じゃぁ早く帰らないとね!」レジ待ちの列はその後スムーズに進み、店内には歳三と薫の二人だけとなった。「すいません、これお願いしますね。」「あ、はい・・」愛美はなるべく歳三たちと目を合わせないように、レジを打った。「そういえば、息子さんを学校の前でお見かけしましたよ。」薫はわざとそう愛美に話を振ると、彼女はビクリと恐怖で身を震わせた。まるで、何かを恐れているかのように。「あんた、今旦那から家追い出されそうなんだって?いい気味だね、人殺しが当たり前の幸せな生活なんて送れないもんね?」愛美にしか聞こえない低い声で薫はそう言って笑うと清算を済ませ、レジ袋を彼女の手からひったくる様に受け取り店から出て行った。「薫、あれは・・」「言い過ぎだっていいたいの?パパの代わりに言ってあげたのよ。」「お前、あいつに何かしたのか?」「まぁね。あの女がしたことをネット上でバラしてやった。それに、あの女の実家周辺や旦那と暮らしている家の近所にもビラを撒いたよ。あの女がバイトする度に同じ事を繰り返したよ、こっちの仕業だってバレないようにね。」薫はそう言うと、口端を歪めて笑った。「パパはあの女のこと、憎くないの?」「それは・・」愛美のことを憎んでいない、恨んでないと言えば嘘になる。この8年間、彼女を殺したいほど憎かった。妻の命を奪っておきながら、のうのうと自由を満喫している彼女に対する憎しみを、歳三は密かに募らせていた。「だからあたしがパパの代わりにやってやったのよ、あの女への復讐を。あの女にはもう逃げ場はないのよ。」「薫・・」「ねぇ、夕飯どうする?あたし、ひいお祖母ちゃんが作ったトッポッギが食べたいなぁ!」先ほどまでの暗い表情とは打って変わって、薫は明るい声を出しながら歳三に微笑んだ。『ひいばあちゃん、会いたかった~』『あらぁ、こんなに大きくなって!』玄関に入るなり薫は清子に抱きつくと、清子も薫を抱き締めて頬ずりした。そんな二人の姿を見ながら、歳三は複雑な気持ちになった。にほんブログ村
2012年10月17日
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「あの・・僕は・・」「パパ、来てたの!」 男子中学生が口を開いて何かを言おうとしたとき、歳三の姿に気づいた薫が校門から出てきた。「お前、携帯忘れてたぞ。」「サンキュー。」薫はそう言って父から彼の背後に立っている男子中学生へと視線を移した。「あんた・・」彼の姿を見つけた途端、薫の顔から笑顔が消えた。「あの、僕はこれで・・」『あんた、一体何しに来たのよ!?』薫は逃げ出そうとする男子中学生の腕を掴みながら、早口の韓国語で彼を怒鳴った。『その花束を、母さんの墓前に供えようとしていたの!?よくもまぁ図々しい!』男子中学生の手から花束を奪った薫は、それで彼の顔を打ち据え始めた。 アスファルトの地面に無残にも潰れた菊の花びらと、花粉が舞い散った。『あんたの顔を見るのも嫌だけど、あんたの母さんのことをあたしは一度も許したつもりはないわ!』「ごめんなさい・・」韓国語が解らないが、怒りで歪んでいる薫の表情を見た彼は、何を言っているのかがわかっているかのようで、薫に対して謝罪の言葉を繰り返していた。『さっさと消えうせろ、この恥知らずが!』一気に捲くし立てる薫がただならぬ様子だと気づいた歳三は、二人の間に割って入った。『おい、一体どうしたんだ?』『パパ、こいつはママを殺した女の息子なのよ!ママの月命日にこいつがママのお墓参りに来てたわ!お姉ちゃんと二人で追い返してやったけど。』薫は鼻息を荒くさせながら、歳三を見た。『何だって?』『あの女が心神喪失で無罪放免になったことを知ってるわ!毎日あの女が自分がしでかしたことに罪悪感を持って苦しんでいるっていうなら許してあげてもよかったんだけど、あの女は自分の罪をすっかり忘れて、再婚して新しい家庭を築いているのよ!』薫はそう叫ぶと歳三の腕を振り解き、呆然と突っ立っている男子中学生の胸倉を掴んだ。『よく聞きなさいよ、あんたやあの女が生きている内は、あんた達を絶対に許さない。あんたは罪人の息子なのよ!』彼女はもう彼に触れるのが汚らわしいというかのように彼を突き飛ばすと、学校の中へと戻っていった。「ええ、薫がそんなことを?」「ああ。あんな顔をしたあいつを見たのは初めてだ。美輝子、薫が言っていたことは本当なのか?」「うん。もう忘れたいのよ、ママの事件は。時々思い出すけれど、そうしたってママが戻ってくるわけないでしょう?」美輝子の言葉は、歳三の胸にグサリと突き刺さった。「どうしたの?」「いや、お前の言うとおりだな。それより、もう準備は出来ているのか?」「ええ。荷造りは殆ど済ませたし、来年の4月までには渡米するつもり。向こうは9月から新学期が始まるから、早く慣れたくて。」「そうか。何だか寂しくなるな。」「パパ、家事が出来るからいいけど、薫と二人じゃ心配ね。あの子少しルーズなところがあるから、この部屋がゴミで埋まってないといいんだけど。」「それは心配するな。俺がちゃんと薫が家事をしているか、監視してやるからよ。」「そう、じゃぁ安心したわ。」美輝子はそう言ってノートパソコンの電源を落とすと、和室へと入っていった。(あんなに小さかった美輝子が、もう来年の春には居なくなっちまうなんてな・・)娘の成長を喜ぶとともに、彼女が自分の手の届かない場所へと行ってしまうことへの寂しさを、歳三は少し感じていた。 夏休みが始まり、そろそろ盆休みの時期に突入する頃、韓国からミジュと清子がやって来た。『ばあさん、元気にしてたか?』『ああ。来年はミキコが一緒に渡米してくれるから、寂しくはないよ。あの家はもう売っちまったしね。』『ミジュ、済まねぇな。赤の他人のお前に、ばあさんの世話をさせちまって。』『そんなこと、気にしないでください。わたしの両親は生まれてすぐに亡くなって施設で育ったんで、おばあさんのことを実の祖母だと思ってるんですよ。』『ほらね、この子が居るからあたしは安心だ。それよりもヨンイル、お前はまだ再婚しないのかい?』『よしてくれよ、独身に戻って自由を満喫してるってのに。』『何を言うんだい、お前はまだ若いじゃないか。』清子が執拗に再婚を勧めてくるので、歳三は煙草を買いに行くといって近くのコンビニへと向かった。 そこで彼は、意外な人物に会った。にほんブログ村
2012年10月17日
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「ちょっと、どうしたのよ!?」「お姉ちゃん、ゴキブリ~!」 薫が震えながら朝刊が置いてあるところを指しているのを見ると、そこには小豆大ほどのゴキブリが居た。美輝子は無言で近くにあったセロハンテープの台座で、それを殺した。「まったく、こんなもんで悲鳴上げないでよね!」「だって、怖かったんだもん~!」「おい、うるせぇぞ!」夜勤明けで疲れている歳三が、不機嫌な顔をしながら娘達を睨みつけた。「まったく、あたしが居なくなったらどうするのよ?ゴキブリ一匹も倒せないなんて・・」「嫌いなんだもん、仕方ないじゃん!」「ああもう、先が思いやられる・・」美輝子はそう言うと、溜息を吐いた。「美輝子、本当に渡米するのか?」「ええ。あたしは向こうでミジュさんたちと暮らすわ。」「そうか・・お前ぇがそう決めたんなら俺は何も言わねぇよ。ただ、親が居ないからって羽目をはずすなよ。」「わかってます。さてと、部活の時間だからもう行きます!」美輝子は愛用のレオタードと道具が詰まったスポーツバッグを肩に掛けると玄関から出て行った。「パパ、お姉ちゃんが居なくなって寂しくなるね?」「うるせぇ・・」「お姉ちゃんの代わりに、あたしが面倒見てあげるからそんなに落ち込まないでよ~!」「薫、今月分の小遣いはこの前渡したろ?まさかもう使っちまったんじゃねぇのか?」「あ、もうこんな時間だ、行ってきま~す!」「こら、ごまかすんじゃない!」歳三の顔色が変わったことに気づいた薫は、慌てて姉の後を追って玄関から出て行った。「ったく、薫のやつ、最近悪知恵が働きやがって・・一体誰に似たんだか・・」歳三は溜息を吐きながらもう一眠りしようとしたとき、テーブルに置いてあった薫の携帯が鳴った。「あいつ、携帯忘れてやがる・・」歳三は舌打ちすると、薫の携帯を手に取った。「もしもし?」『もしもし、あの・・土方さん、ですか?』「ああ、そうだが?それよりもてめぇ、何処のどいつだ?」『すいません、また掛け直します!』電話の相手は名乗りもせずに、一方的に切ってしまった。(ったく、手間かけさせやがって・・)煙草を一本吸った後、歳三は自転車に跨って薫の学校へと向かった。「あ~、携帯忘れたぁ!」「もう、薫またなの!?あんたってどこか抜けてるのよ!」同じ女子サッカー部の愛子がそう言って溜息を吐いた。「携帯忘れたって練習はちゃんとするもん!」「そうこなくっちゃ!」ユニフォームに着替えた薫は、愛子を部室に残して運動場へと向かった。「ったく薫のやつ・・携帯忘れるなんて一体何考えてやがる?」娘達が通う中学校の前まで来た歳三は、そうブツブツ言いながら自転車に跨りながら薫の姿を探した。 彼女は運動場で友人達とボールを追いかけていた。その姿が少しサマになっていたので、歳三は暫くの間運動場を見つめていた。「あの・・土方さんですか?」「ええ、土方はわたしですが、何か?」歳三が背後を振り向くと、そこには一人の男子中学生が立っていた。「俺に何か用か?」にほんブログ村
2012年10月17日
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夏休みに入り、美輝子は部活漬けの毎日を送り、成績が芳しくなかった薫は部活と塾の夏期講習で毎日目が死んだような顔をしていた。「あ~、塾やめたい・・」「そんなこと言わないの、せっかくパパがお金出してくれたんだから!」「はいはい、わかってますよ。お姉ちゃんは成績優秀だから、何処行っても大丈夫だよね?」「まぁね。あ~でも、あたし日本には居ないかな。」「え、どういうこと!?」「実はね・・」薫はこの時初めて、姉が米国へ留学することを知った。「ねぇ、一人で留学なんて心細くない?」「大丈夫よ。パパの学生時代の後輩の、ミジュおばさんと一緒に行くから。」「ああ、だったら安心か。でも韓国に居るひいお祖母ちゃんは?」「そっちも心配ないもん。ミジュおばさんと一緒に渡米するって。」「へぇ・・お姉ちゃん、そのことパパには話したの?」「話したよ、この前。まぁ案の定猛反対されたけどね。」そう言って涼しい顔をしながらパソコンに向かう美輝子だったが、昨夜留学のことを父に切り出したとき、彼と醜い口喧嘩をしてしまった。「俺は反対だぞ!」「何を根拠に反対するのか、教えてよ!」「お前まだ子供なんだから・・」「じゃぁ、パパだってあたしの歳のとき、一人で福岡に行ったじゃん!子供だからって、パパは簡単に諦めなかったんでしょ、違う?」「それとこれとは違う!」「だから、どう違うのか説明してよ!」結局父との会話は平行線を辿り、あれから美輝子は一言も口を利いていない。「ねぇ、パパと仲直りしたの?」「仲直りもなにも・・冷戦真っ只中よ。もう勝手に行こうかな。」「余りやけ起こしちゃ駄目だよ?」「わかってるわよ・・」「ねぇ、それよりここの問題教えてよ。何回この公式に当てはめようとしても解けないの。」「ちょっと貸して・・ばかねぇ、この公式よりも1ページ前に書いてある公式を使って解かないと。」「ああ、本当だ。どうしてあたしって、頭悪いんだろう?」「頭悪くないわよ、使い方を知らないだけ。」「酷~い!」薫と美輝子がそう言いながら談笑していると、薫の鞄に入れていた携帯が鳴った。「誰だろ、こんな時間に・・」鞄から携帯を取り出した薫は、見知らぬ番号から着信が来ていることに驚いた。「それ、ワン切りじゃない?着信拒否したら?」「そうする。」薫はその番号を着信拒否設定すると、鞄の中に携帯を放り込んだ。「あのさぁ、最近あの学生さん見ないよね?」「ああ、大学生の?今地元に帰ってんじゃないの?」夏休みに入ってから、内田の姿がバッタリと見かけなくなったので、双子達は彼が地元に帰省したのだと思い、ホッとしていた。「何かあの人、怖いっていうか、不気味っていうか・・」「得体が知れないっていうか・・」「薫、明日部活で早いんだから寝たら?洗濯物はあたしが取り込んでおくからさ。」「そう、サンキュー。」薫はそう言って鞄を肩に掛けると、奥の和室へと消えていった。 美輝子が洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、向かい側の棟の近くで何かが光るのを見た。それはまるで、建物の陰に隠れて誰かが煙草を吸っているような小さな火だった。なんだか薄気味悪くなった美輝子は、洗濯物を取り込んでベランダの窓に鍵を掛け、カーテンを閉めてから妹が寝ている和室へと向かった。 翌朝、美輝子が起きると、薫の悲鳴がリビングから聞こえた。にほんブログ村
2012年10月17日
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「土方さん、居るの~?」ドアの向こうから聞こえてきたのは、紛れもなく種田兄妹の母・裕子のものであった。(うわ、来た!)薫と美輝子は互いに顔を見合わせると、居留守を使った。「ねぇ土方さん、居るのぉ~!」物音ひとつ立てずに二人がじっとしていると、裕子はますますドアを激しく叩いた。「うるさいわねぇ、一体何の騒ぎよぉ?」隣の部屋のドアが開き、何かと自分達によくしてくれているタナカさんが裕子に話しかけた。「あらあ、すいません、土方さんは?」「土方さんは今日は夜勤よ。こんな夜遅くにいつまでも騒がないでよ、迷惑だわ!」タナカさんはピシャリと裕子にそう言って乱暴にドアを閉める音が聞こえた。「もう、また来ますからねぇ!」ドアの向こうで猫なで声が聞こえたかと思うと、裕子がミュールの音を響かせながら廊下から立ち去る音が聞こえた。「はぁ、助かった。」「だね。タナカさんが居なかったら、今頃どうなってたか・・」薫はキッチンの小窓を少し開けて完全に裕子が立ち去ったのかを確かめると、リビングに戻った。「じゃぁあたし、先にシャワー浴びてるね。」「どうぞお先に。あたしは読書感想文書くからさ。」「そう。」妹がシャワーを浴びに浴室へと消えた後、美輝子はノートパソコンを立ち上げた。「ただいま。」「お帰りなさい、パパ。遅かったわね。」「ああ。今夜はいろいろとあってな。」「ふぅん、そう。そういや、種田さんまた家の前に来て騒いでたよ。」「そうか・・あの人には一度はバシッと言ってやろうかと思ってたんだよ。」「じゃぁさっさとそうしてよ、パパ!あたし達あの人に生活を引っ掻き回されたら堪らないのよ!受験だって大会だって控えているし・・」「わかっているよ、明日保護者会で種田さんに言ってみるよ。」長女にそう言った歳三は、翌日の保護者会で裕子に会った。「土方さん、今度ご飯を作りに行きましょうか?」「いえ、結構です。種田さん、前々からお伝えしたいことがあるんですが、あなたとは結婚する気はありません。」「そんな・・」「では、失礼します。」もうこれ以上裕子と一緒に居たくないので、そそくさと歳三は彼女に背を向けて駐車場へと向かった。「お帰り、パパ。どうだった?」「ちゃんと言って来た。もうしつこく付きまとわれることはないだろうよ。」「そう、よかった。」「これで部活に専念できるわね。」「部活もいいけど、受験勉強はどうなってるのよ?あんたまた塾のテストで赤点取ったって聞いたわよ!」「もう、お姉ちゃんはうるさいなぁ。」薫はブスっとした顔をすると、自分が食べ終わった食器を流しへと持っていった。「夏休みでも忙しいなんて、嫌だわ。まぁ、退屈じゃないからいいけどさ。」「そういや、お前高校はどうするんだ?」「後で話すわ。」「ああ、わかった・・」歳三はこのとき、長女の言葉が妙にひっかかった。にほんブログ村
2012年10月16日
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「ねぇ、何読んでんの?」ピザを注文した薫が再び姉が居るリビングへと向かうと、彼女は文庫本を読んでいた。「ああ、これ?適当に本棚から抜き出してきたんだよ。読書感想文早く済ませようかと思ってさ。」「へぇ。あたしどうしようかなぁ~」「何でもいいって言ってたよ、漫画以外なら。」「最近気になる本あるんだけど、まだ文庫化されてないんだよねぇ。」「お小遣い、まだ残ってるんでしょ?それで買えばいいじゃん。あたしも丁度新しい参考書欲しかったからさぁ。」美輝子がそう言って文庫本から顔を上げたとき、ドアチャイムが鳴った。「あれ、もう来たのかな?」薫がドアを開けると、そこには二年の女子サッカー部員・種田洋子が立っていた。「あら、どうしたの洋ちゃん?」「土方先輩に、折り入ってお話があるんですが・・今宜しいでしょうか?」洋子はちらりと美輝子の様子を窺いながら、そう言って部屋に上がろうかどうか迷っているようだった。「いいよ、あたしは別に。」「そうですか、じゃぁお邪魔します。」洋子はそう言って薫達に頭を下げると、玄関で靴を脱いだ。「で、話って何?」「実は、兄のことなんですけど・・」洋子の兄・博は美輝子達と同じクラスに居て、何かと二人にちょっかいを掛けてきた。「あんたの兄貴がどうかしたの?」「先輩達がお付き合いしている人が居ないかどうか、聞いて来てくれって言われたんですけど・・」「居ないよ、そんなの。部活でクソ忙しいんだから、恋愛にうつつを抜かしている暇ないの!」「そうですか。」「あ、先に謝っておくけどさぁ、あんたの兄貴とは付き合えないから!」薫の言葉に、洋子は少し落胆したかのような表情を浮かべた。「話はそれだけ?」「あとひとつあるんですけれど、母のことなんです。」「ああ、あんたのお袋さんのことね・・」洋子が母親について話し出したとき、薫は急に疲れきったかのような表情を浮かべた。 洋子と博の家は母子家庭で、彼らの母・裕子は保護者会で歳三に会ってからというものの、一方的に熱烈なアプローチを歳三にしてきているのだった。「お見合いをされたと聞いて、母が烈火の如く怒っていました。“土方さんの心を癒せるのはわたしだけなのに!”って。」「ふ~ん、そうなんだ。」洋子の言葉に相槌を打っていた薫の目は死んでいた。「それじゃぁ、わたしこれで失礼します。」「大丈夫、もう暗いけど?」「家が近いんで。」洋子がぺこりと二人に向かって頭を下げ、玄関から出ようとしたとき、再びドアチャイムが鳴った。「すいません、ピザです~!」「あ、は~い!」薫はそそくさとダイニングテーブルの上に置いてある財布を手に取り、ドアを開けてピザを受け取った。「じゃぁ、また部活でね、洋ちゃん!」「失礼しました!」ドア越しに洋子に手を振りながら、薫はピザの代金を払うとドアチェーンを掛けてドアを閉めた。「ねぇ、さっきの話本気なのかな・・」「さぁね。もし本気だとしたらうちに押しかけてくるかも・・」二人がピザを頬張っているとき、再びドアチャイムが鳴り、誰かがドアを叩いている音が聞こえた。にほんブログ村
2012年10月16日
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一学期の期末テストの結果が出たが、薫はほぼ全滅だった。「あ~、これで受験は絶望的だわ・・」「塾の夏期講習行き、決定だね。」ちらりと妹の成績表を見ながら、美輝子はさっさと鞄に荷物を詰め終わった。「お姉ちゃんは夏休みどうすんの?部活漬け?」「そうかもね。宿題は読書感想文と社会の作文だけじゃん。」「でも塾は毎日宿題あるんだよね・・あ~、もう終わったよあたし!」「元気だしなよ~!」妹の肩をポンポンと叩きながら、美輝子は教室から出て行った。 学校から一歩出ると、灼熱の太陽が容赦なく彼女の白い肌を刺した。日焼けしないように毎日日焼け止めを塗っているが、部活の後は汗で全て流れ落ちてしまう。新体操部の練習は体育館内で行うので、蒸し風呂状態の体育館で何時間も練習すると、熱中症で倒れそうになるのだ。 女子サッカー部に所属している薫は、最近肌が小麦色に焼けてきていた。屋外のグラウンドで毎日駆け回っていれば自然とそうなるのだが、同級生の中で薫のように焼けている女子生徒は居ないので、なぜか物珍しがられた。「あら、みきちゃん。」早く家に帰りたいあまりに、美輝子が自転車のペダルを漕いで団地の入り口へとさしかかっていると、お節介婆のシノダさんが彼女に近づいてきた。「こんにちは。」「ねぇ、あなたのお父さんのことなんだけど・・」「急いでいるんで、失礼します!」シノダさんに捕まったら一時間も太陽の下に突っ立っている羽目になるとわかっていた美輝子は、脱兎の如く彼女の元から逃げ出した。 駐輪場に自転車を停め、部屋のドアに鍵を差し込んで中に入ると、美輝子は溜息を吐いてクーラーをつけた。明日から夏休みだが、薫は早速女子サッカー部の練習で夕方まで帰らないし、父は夜勤だ。 ピザでも取ろうかと美輝子がそう思いながらテレビをつけると、この前観ていて途中で寝てしまった2時間ドラマの再放送がやっていた。冷蔵庫からコーラのペットボトルと、数日前に開けたポテトチップスを食べながらテレビの前に座って美輝子が2時間ドラマを観ていると、突然ドアのチャイムが鳴った。(誰かなぁ?)シノダさんだったら嫌だなと思いながら彼女がドアスコープで外を覗くと、誰もいなかった。悪戯だと思った美輝子が再びテレビの前に座ると、またチャイムが鳴った。(何なのよ、もう!)美輝子が苛立ちながらドアチェーンを掛けてドアを半開きにすると、そこには最近引っ越してきた大学生・内山悟が立っていた。「みきちゃん、こんにちは。」「ああ、どうも。何かご用ですか?」「あのさぁ、中で話したいんだけど、開けてくれないかなぁ?」悟がニィッと笑いながらそう言った時、美輝子は無言でドアを閉めた。その後彼がチャイムをしつこく鳴らしたが、美輝子は無視した。部活で忙しくなる前にさっさと宿題を済ませようと、彼女は適当に自分の本棚から一冊の文庫本を取り出してそれを読み始めた。「ただいまぁ~!」夕方6時頃、茹でたこのように真っ赤な顔をした薫がリビングに入るなり、床に倒れこんだ。「お帰り~。夕飯ピザ頼んどいたよ。」「ラッキー!お姉ちゃん、なにお母さんのパソコン使ってんの?」「韓国の友達にメールしてんの。」「ふぅん。最近帰ってないけどさぁ、ひいお祖母ちゃん元気にしてるかなぁ?」薫はそう言うと、冷蔵庫からアイスクリームのカップを取り出し、カレー用のスプーンでそれを食べ始めた。にほんブログ村
2012年10月15日
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「よぉ、お二人さん。」種田はニヤニヤしながら薫達に話しかけたが、彼女たちは彼の脇を通り過ぎていった。「ねぇ、さっきのはヤバイんじゃない?」「そんなこと知らないわよ。それよりもあんたの今学期のテストの方が心配だわ。」「美輝子ったら、そればっかり!」双子達が駐輪場で自転車を停めて下足箱で上履きに履き替えていると、誰かが彼らの背後を通り過ぎていった。「おはよう。」「おはよう。」 教室に入ると、クラスメイトの何人かが二人に挨拶を返した。「ねぇ土方さん、今日は数学が一時間目にあるのよ!」「え~、そうなの!」テスト勉強を一ヶ月前からしていた美輝子は、いつもテスト直前になって泣きつくクラスメイトにそう生返事をすると、鞄からノートを取り出した。「お姉ちゃんはいつも余裕たっぷりなんだから。」「あんたが余裕なさ過ぎるのよ。」「だって部活が忙しいんだもん、仕方ないじゃん。」薫は女子サッカー部に入っており、中間テスト終了後に行われる選抜テストのことばかり考えていたので、勉強が疎かになるのも当然だった。「まぁ、あんたの実力なら大丈夫だって。」「そうはいかないわよ。今年の一年は結構凄い子が揃ってるのよ。」「あたしだってこのテストが終われば、大会に向けて練習漬けの日々を送るんだから。」美輝子はノートを閉じて鞄に直すと、溜息を吐いた。彼女は新体操部に所属しており、10月に大きな大会があった。「受験生なのに選抜テストに大会なんて、忙しいったらないわ!」「全くよね!」二人が声を揃えてそう言った時、試験開始のチャイムが鳴った。「あ~、疲れたぁ!」「一日目でそんな事言ってどうすんのよ。これが終わったら夏休みだよ、あと少しだから頑張ろう?」「そうは言ってもさぁ、全然わかんないし!」理科の参考書を小一時間睨んでいた薫は、諦めたかのようにそれを閉じた。「あんたって途中ですぐ諦めるんだから。」「お姉ちゃんとは頭の出来が違うんだもん、しょうがないじゃん!」クーラーが利いた部屋で薫はそう愚痴ると、コーラを一口飲んだ。「ねぇ、パパ今日遅いんだっけ?」「うん。何でも、お見合いだってさ。」「お見合いぃ!?」姉の言葉を聞いた薫は、コーラを吹き出しそうになった。 一方、歳三は都内某所の一流フレンチレストランで、水を飲みながら向かいの椅子に座る振袖姿の女性を見ていた。千尋と死別してから8年、父娘3人の暮らしで満足していた歳三の元に突然見合い話が来たのは、団地のお節介おばさんことシノダさんだった。「土方さん、あなたまだ若いんだから、再婚しないと!」「いえ、俺は・・」「駄目よ、これか女親が必要になる年頃なんだから!」半ば押し切られるような形で、歳三はシノダさんと一緒にレストランに来てしまったのであった。「あの・・土方さんには、娘さんが・・」「おりますが、それが何か?」「いえ、別に・・」「まぁ、ごめんなさいね。亜里沙ったら緊張しちゃって、駄目ねぇ。」振袖姿の女性の隣に座っていた中年女性は、そう言って女性を肘で突いた。 亜里沙という見合い相手は、去年お嬢様大学を卒業して、一流企業に勤めているOLである。「ねぇ土方さん、うちの娘はお花やお茶が趣味で、お免状も取っておりますのよ。それに、来年は日舞を習う予定なんですの。」「はぁ、そうですか・・」勝手に娘の趣味を話し出す母親の言葉を聞きながら、亜里沙は娘達と趣味が合わないなと歳三は思った。 娘達は身体を動かすことが大好きで、初めて二人がした習い事はサッカーと体操教室だったし、中学でも運動部に所属している。「うちの娘達はスポーツが大好きでね、クラブでは新体操部と女子サッカー部に所属してるんですよ。」「まぁ、活発なお嬢様達をお持ちでいらっしゃること・・」 女性の言葉の端々に、少し毒が含まれていることに歳三は気づいた。「ああ、もうこんな時間だ。急用を思い出したので失礼します。」「え、ちょっと、土方さん!?」 突然席を立った歳三に慌てるシノダさんたちをレストランに残して、彼はタクシーを拾って自宅へと向かった。にほんブログ村
2012年10月15日
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「土方さん、遅いわねぇ・・」「そうねぇ・・」「やっぱり、PTAとか途中で面倒くさくて放り出したんじゃない?」 PTAの会合がもうすぐ始まるというのに、千尋が来ないことに痺れを切らしたPTA役員をしている保護者たちは、口々に勝手なことを言いながら壁時計を見ていた。「みなさん、本日の会合は中止とさせていただきます。」「中止ですって?」PTA会長の橋田が教室に入ってきてそう言うと、役員達がざわつき始めた。「何かあったんですか?」「実は・・土方さんが数時間前に新宿駅構内で女性に刺され、搬送先の病院で死亡しました。」「え・・」あまりにも突然すぎる千尋の訃報を受け、誰も言葉を発しなかった。「それで?土方さんは・・」「今ご主人が病院に付き添っております。通夜・告別式の日時はわかり次第後連絡いたしますので、どうか皆さん、本日はお帰りになってください。」 学校から出てきた保護者たちは、みな一様に蒼褪めた顔をしていた。一方、歳三は霊安室で変わり果てた妻の遺体と対面した。「妻です、間違いありません・・」歳三はそう言うと、千尋の顔に被せられていた白い布をそっと取り去ると、彼女を抱き締めて嗚咽した。まさかこんなに突然に、千尋が自分達の前から去ってしまうことなんて思いもしなかった。どうしてこんなことになってしまったのか、わけがわからなかった。「先輩!」「ミジュ・・」霊安室の外で娘達の世話をしていたミジュは、憔悴しきった歳三の顔を見て絶句した。「チヒロさん、数時間前にお昼を食べていたんですよ・・なのにどうして・・」「俺だってわからねぇよ。薫達は?」「寝ていますよ。さっきはショックで泣き叫んでいましたけど・・先輩、疲れたでしょう?お休みになってください。」「悪ぃな。」ミジュの言葉に甘えてすぐにでも家に帰って横になりたかったが、千尋の親戚に連絡をしなければならないし、葬儀の手配をしなければならない。「土方さんですか?」「ええ。」「警察の者です。実は、奥様を殺害した容疑者が数時間前に自首されました。」「そうですか・・」「あなたに会いたいとおっしゃってるんですが・・どうされますか?」「いいえ。」歳三がそう言うと、警官はそそくさと病院から去っていった。「ねぇ、ママはもう帰ってこないの?」「ああ。これからはパパと3人で頑張ろう。」「うん・・」薫と美輝子はまだ母を恋しがって泣いていたが、父が自分達のために悲しみを押し殺そうとしていることに気づき、我慢した。 千尋を刺殺した愛美は裁判で心神喪失状態と認められ、無罪となった。暫く歳三たちの周辺にマスコミが松脂のようにべったりとくっついていたが、それも3ヵ月も過ぎると収まっていった。 それから季節が幾度も移り変わり、8年もの歳月が流れていった。「じゃぁ、行ってきます!」「おう、気をつけて行くんだぞ。」中学3年生となった美輝子と薫は、急いで朝食を食べ終えると、自転車に跨り学校へと向かっていった。「お姉ちゃん、今日からテストだね。」「あんたもしかして、また勉強してなかったの?」「だってあたし、本番には強いもん。」「言い訳しない!」双子達が仲良く自転車を漕いでいると、交差点の前で彼女達はクラス委員の種田に会った。にほんブログ村
2012年10月15日
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「お久しぶりね、ミジュさん。元気にしていた?」「ええ。ソウルから東京に引っ越してまだ一ヶ月しか経ちませんけど、社員の独身寮に入っているので、住むところには困りません。」「そう。そこでも調理師をしているの?」「ええ。」千尋はミジュがホテルの厨房で働き始めたことを知った。「ねぇ、どうしてソウルからここに?」「実は、クビというか、事実上左遷されたんですよ、副支配人に。」「そんな・・」ミジュがソンジュにソウル本社から飛ばされたことを知り、千尋は憤りを感じた。「一体どうして、そんなことになったの?」「何でも人員整理だとか。わたしは向こうでは副料理長だったし、半年前に行われた料理大会でも優勝したのに・・副支配人は真っ先にわたしを切りました。」ミジュはそう言って悔しそうに唇を噛むと、コーヒーを一口飲んだ。「酷い人ね、あなたが仕事を頑張って、努力をしたら副料理長になったっていうのに・・その功績を認めないなんて。」「料理長は副支配人に抗議されましたが、聞く耳を持ってくれなくて・・」「社長は?副支配人が独断で人事権を行使するなんて、許されないことでしょう?」「最近、ソウルでは何かがおかしくなりかけているんです。社長は健在なんですが、副支配人が力を持ちすぎているような気がして・・」「そう。」もっとミジュからソウル本社のことを詳しく聞きたかった千尋だったが、バイトの時間が迫ってきたので、彼女に携帯のメールアドレスを書いたメモを渡して、カフェから去っていった。(ソウル本社で何かがおかしくなりかけている・・この前ソウルに行ったとき、あの人がいろいろとわたし達を詮索していることに、何か関係があるのかも・・) バイト先へと向かう電車の中で、千尋はソンジュが不審な行動を取るのを少し推理してみた。 彼が何かと自分たちを詮索してくるのは、歳三が社長に目を掛けて貰っているからではないだろうか。いずれ彼女は、自分の右腕として歳三をソウル本社へと戻すつもりで居ることをひそかに嗅ぎ付け、虎視眈々と彼を追い落とそうとしているのだ。だから、あんなFAXを学校に送りつけたのだ。どこまでも卑劣で陰湿なのか。千尋はソンジュへの怒りに震えていると、車内のアナウンスがバイト先の最寄り駅を告げた。 彼女はさっとバッグのストラップを握り締めて席から立つと、扉の前へと立った。ほどなくして電車はプラットホームへと滑り込み、扉が開いた瞬間どっと乗客たちが次々と電車から降りていった。 千尋はバッグの中から定期を取り出し、改札を抜けようとすると、突然誰かにバッグを掴まれた。(なに・・?)くるりと彼女が振り向くと、そこには愛美が立っていた。青森の寒村で会った頃の彼女は、一寸の隙なく最先端のファッションにミを包んでいたが、今目の前に立っている彼女はヨレヨレのトレーナーと、ケミカルウォッシュのジーンズを着ていた。「お久しぶりねぇ。」愛美はそう言って、ニィッと不気味に口端を上げた。彼女は何か光るものをバッグから取り出し、突然千尋にぶつかった。にほんブログ村
2012年10月15日
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「土方さん、ちょっと宜しいですか?」「ええ、構いませんが。」 参観日が無事終わり、千尋が一旦着替えをしてバイト先へと向かおうと帰宅しようとしたとき、薫達の担任が彼女を呼び止めた。「何でしょうか?」「あの、あなたのことで保護者の方々の間で妙な噂が立っているようなんです?」「あの噂なら事実無根です。急いでおりますので・・」「あなたが以前ブログで書かれた噂とは違うものが、広まっているのです。土方さん、どうか保護者懇親会に出席なさってくださいませんか?」「わかりました。」やけに担任の言葉が気になった千尋は、バイト先に急用が出来て休むことになったと連絡した後、保護者懇親会に出席した。「それで、噂というのは?」「実は・・今朝学校にこんなFAXが届いたんです。」担任はそう言うと、一枚のFAXを千尋に見せた。そこには、歳三とソンヒが仲良く写っている写真が貼り付けられ、2人は不倫関係にあると書かれていた。「こんなもの、一体誰が?」「匿名のものなので、どなたかは・・」「まさか、あの方ですか?」千尋の言葉に、担任は気まずそうな顔をした。「吉田さんと今回のこととは関係ありません。それよりも土方さん、最近保護者の方から不満が出ているんですよ。」「不満?」千尋がそう言って片眉を上げると、一人の保護者が椅子から立ち上がった。「土方さん、お仕事が忙しいのはわかるけれど、もう少しPTAに参加して貰えないかしら?」最近ファミレスのバイトのほかに、ネットショップを立ち上げた千尋は仕事と家事、育児で忙しく、PTAにまで手が回らなかった。「私たち、育児や家事をしながらPTAの仕事もこなしているんですよ。でも今の人数では限界なんです。一度ご主人と話し合っていただいて、PTAに参加して貰える様に言ってくださらないかしら?」千尋が他の保護者たちを見ると、みな一様に頷いていた。「PTAかぁ・・最近職場で謹慎食らったから、ちょうどいいや。」「職場で謹慎って・・確か、ヤクザの息子絡みで問題起こしたことと関係があると?」「ああ。社長は悪くないと言ってくれたんだが、相手が相手だからな。」「そう・・」夫が職場で謹慎処分になったことや、また新たな噂が町内に広がりつつあることに、千尋は不安を隠せなかった。 千尋はその夜、溜息を吐きながらノートパソコンの電源を入れてネットショップへと接続すると、一通のメールが届いていた。(誰からやろか?)何気なく千尋がメールを開くと、宛先人は歳三の学生時代の後輩・ミジュからだった。“チヒロさん、お久しぶりです。最近日本に来ることになりました。”ミジュが日本に来ることを初めて知った千尋は、すかさず彼女のメールに返信した。“そう、驚いたわ。最近忙しくて会えないけれど、明日は時間があるの。あなたさえよければ、お茶でも飲みながらいろいろと話したいわ。”千尋は「送信」ボタンを押し、仕事に打ち込んだ。 翌朝、彼女がノートパソコンの電源を入れてメールを確認すると、ミジュからのメールが来ていた。“わたしも大丈夫ですよ。仕事が午前中に終わるので。” その日の昼、都内のカフェで、千尋はミジュと久しぶりに会った。にほんブログ村
2012年10月14日
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「お前、俺が誰かわかって言ってるんやろうなぁ、ああ!?」「ええ、存じ上げております。」歳三は男の恫喝に怯まず、そう言って彼を見た。「確か大野先生のお知り合いの方とお聞きしております。あいにく当ホテルは満室でして・・」「そんなことわかってるわ、アホ!一つ位空室を作れって言うてんねや!」フロンドデスクを蹴るのに飽き足りた男は、今度はデスクを拳で叩いた。男の要求は余りにも理不尽で、周囲の客やスタッフ達は歳三が男の要求にどう答えるのか戦々恐々と見守っていた。「申し訳ありませんがお客様、他のホテルに空きの部屋があるか問い合わせいたしますが、それで宜しいでしょうか?」あくまで低姿勢な態度を男に取った歳三は、ちらりと横目で彼の様子を見た。「ねぇ、いつまでこうしとるん?ジロジロ見られて恥ずかしいやないの。」男の連れである、いかにも水商売風の女がそう言って口を尖らせると、男は舌打ちして小声でそうしてくれと歳三に言った。「かしこまりました。あちらで少々お待ちくださいませ。」 結局、他のホテルで空室が見つかり、男の名を聞いて予約手続きを済ませ、歳三は彼らを送り出したのだが、その後が大変だった。“フロント事件”があった数日後、甘粕のデスクに、男の父親から抗議の電話が来たのだった。『あんた、うちの倅をホテルに泊めへんかったやろ?どうなるかわかってるんかいな!』野太くドスの利いた関西弁で捲くし立てられ、甘粕は通話が終わるまでひたすら相手に謝っていた。「そうですよ、土方さんは何も悪くありません。満室だっていうのに無理やり空きを作れだなんて、無茶にもほどがあります!」千夏の意見に賛同して甘粕に抗議したのは、ドアマンの鈴木だった。「だがなぁ・・」「一体これは何の騒ぎだ?」オフィスにスタッフが集まっていることに気づいた社長の酒田は、そう言って甘粕を見た。「社長、実は・・」甘粕が酒田に事の次第を説明すると、彼は低い声で唸った後歳三を見た。「今回のことは、君に非がない。だが、大野先生が君の辞職を要求しているから、一筋縄ではいかんな。だから土方君、君には済まないが、当分の間謹慎処分ということでいいだろうか?」「ええ、構いません。」「今日は午前中で帰りなさい。後のことはわたしがどうにかするから。」「すいません、社長の手を煩わせてしまって・・」「いいんだ。」酒田に頭を下げると、歳三はフロントデスクへと戻っていった。 一方、薫と美輝子は昼休みが終わり、授業が始まっても千尋がいつ来るのかわからずにチラチラと背後を見ていた。「どうしたの、土方さん?」「何でもありません。」(ママ、遅いなぁ・・)薫が国語の教科書を読んでいると、千尋が入ってきた。綺麗な訪問着を着て、髪を美しくセットしたその姿は、同級生たちの母親の中でも美しかった。「あれ、お前の母ちゃん?」「そうだよ。」左隣に座っていた男子が薫の言葉を聞くなり、ジロジロと千尋を見た。薫の視線に気づいた千尋が手を振ると、彼女は嬉しそうに笑って教壇の方へと向き直った。「じゃぁ次、土方さん。」「はい!」薫は元気よく椅子から立ち上がった。にほんブログ村
2012年10月14日
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電話の相手は、歳三の職場であるロイヤル・ホテル東京からだった。「はい・・わかりました・・はい。」歳三はそう言ってメモ用紙片手に、彼は上司と何か話しをしていた。「どうしたの?」「ああ、昨日いろいろと問題があって・・明日出勤することになっちまったんだ。」「そう。じゃぁうちが一人で行くしかなかね。」「ああ、悪いな。」「仕方なかよ、仕事やもん。」 翌日、千尋は娘達に歳三が仕事で参観日に来られないことを話すと、彼女達は泣いて抗議した。「絶対に来てくれるっていったのに!」「パパの馬鹿~!」「そんなこと言わないの!パパだってあんた達のところに行きたいと思ってるんよ!でもお仕事だから行かれんの!」千尋が数分間娘達を説得すると、漸く彼女達は泣き止んだ。「ママが来るけん、それまでちゃんと良い子にしとるんよ、わかった?」「うん、わかった・・」娘達を玄関先で送り出すと、千尋は夫婦の寝室となっている四畳間へと向かった。そこの押入れにある収納箱には、千尋が中洲時代に着ていた着物が大切に入れられていた。(参観日やから、余り派手なものは控えようかな・・)そう思いながら着物を包んでいる和紙を解くと、青地に流水の柄が施された訪問着と、白い帯が出てきた。「これでいいかな。」着物を着るのは久しぶりなので、ちゃんと寸法が合っているかどうか不安だったが、それは杞憂に終わった。 一方、薫と美輝子の参観日に来られなくなってしまった歳三は、フロントデスクで仕事をしていた。「土方さん、宿泊部長がお呼びです。」「わかりました。」同僚に仕事を頼み、歳三がオフィスへと向かうと、宿泊支配人の甘粕(あまがす)がねっとりとした嫌な目つきで彼を見た。「君、今回の問題でどうすべきなのかわかってるね?」「さぁ、わかりかねます。」「とぼけるのもいい加減にしたまえ!」甘粕は苛立ったように、テーブルの端を左手でコツコツと叩いた。その仕草は彼が切れる寸前に取る行動であることを、歳三は気づいた。「まさか、わたしに辞職しろと・・ホテルを辞めろとおっしゃいませんよね?」「な・・それは・・」歳三が直々にソウル本社から派遣され、尚且つ社長自身がヘッドハンティングした人物だということを、甘粕は知っていた。「支配人、今回のことはお客様にも非があったのですから、許していただいてはどうでしょうか?」甘粕と歳三との間に割って入ったのは、フロントオフィスマネージャーの竹中千夏だった。「だがな・・先方は土方君の辞職と謝罪を要求しているんだ。」「土方は接客になんら落ち度はありませんでしたし、クレームをつけてきたのは先方じゃないですか?」千夏の鋭い指摘に、甘粕は怒りで顔を赤くして黙り込んだ。 事の起こりは、歳三がまだこのホテルに勤め始めて間もない、4月初旬のことだった。ある大物代議士の友人である暴力団関係者の息子の宿泊を、歳三が断ったことから、このホテルの存在を脅かすかのような大騒動に発展してしまったのだ。「おい、俺は客やぞ!このホテルは客を選ぶんか!」「そういう意味で申し上げたつもりではございません。ただ今部屋に空きがございませんので・・」「ふざけんなや!」 自分の恫喝に怯まず毅然とした態度を取る歳三に苛立ち、彼はフロントデスクを蹴り始めたのである。にほんブログ村
2012年10月13日
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ソウルから帰ってから、歳三達にはいつもの日常が待っていた。 千尋は自分を誹謗中傷する連中から次第に距離を置き始め、毎日届く嫌がらせのメールや手紙、コメントを無視して毅然とした態度を取っていた。その結果、彼女に対する嫌がらせは減ってゆき、スーパーで彼女の陰口を叩いていた主婦達が普通に彼女に対して挨拶するようになっていた。「へぇ、よかったじゃねぇか。」「こっちが無視してれば、相手は飽きるんよ。ねぇ、最近うち働こうと思うんやけど。」「働くって、そりゃどうしてだ?」「家庭を守るのは大切やけど、家に四六時中居ると息が詰まるんよ。それに子供たちもあまり手がかからなくなったし・・」「わかった。お前ぇの好きにしろ。」「ありがとう、歳兄ちゃん!」千尋はそう言うと歳三に抱きついた。 歳三からパートを許された千尋は、早速近所のファミレスでパートを始めた。「いらっしゃいませ!」中洲でホステスとして働いていた千尋は、接客業が好きだったので、入ってから数日の内にすべての仕事を覚えた。「土方さん、凄いわねぇ。」「いえ、前にこういうバイトしてたんで・・」「そう。だから飲み込みが早いのねぇ。まぁあたし、これが初めてのバイトなのよぉ。」土方家が住んでいる団地の反対側にある住宅街の中に住んでいるナカジマさんと、千尋は親しくなった。「しょうがないですよ、みんながみんな、ベテランじゃないですし。」「それもそうよねぇ。子供の学費の為にも働かなくちゃって思ってねぇ。でも立ち仕事って腰にこない?」「ええ。来ますねぇ。」千尋がナカジマさんと喋っていると、チーフスタッフのサイタさんが彼女たちを睨みつけた。「ちょっとそこ、喋ってないで4番テーブル片付けてよ!」「わかりました。」夕飯の時間帯となると徐々に客が増えてゆき、千尋達はバタバタとホールを走り回った。「あ~、疲れた。」「お疲れ様です。」従業員控え室で私服に着替えた千尋は、そう言ってストレッチをしているナカジマさんに声をかけると、一足先に店から出て行った。 自転車に跨って店から団地へと向かっている途中、娘達が遊ぶ公園の前を通りかかると、近くのベンチにぽつんと誰かが座っているのが見えた。誰だろうと千尋は思いながら横目でちらりとベンチに座っている人物を見ると、それは愛美だった。(愛美さんが、どうしてここに?)彼女にいろいろと嫌がらせされたことを突然思い出し、千尋は彼女に気づかれないようにペダルを踏んで団地へと急いだ。「ただいま~」「お帰り。大丈夫か?」「もう疲れてクタクタ。ご飯は?」「俺が作ったよ。久しぶりに外で働いたご感想は?」「まあ悪くなかね。中洲の高級クラブよりはいいもん。」「そうか。そういえば、明日だったけ、薫達の授業参観。」「どうする?都合つく?」「大丈夫だ。」歳三がそういいながら缶ビールのプルタブを引っ張っていると、携帯がけたたましく鳴った。にほんブログ村
2012年10月13日
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数時間後、軽い熱中症にかかっていた千尋は点滴治療だけで退院できた。「よかったな、大事に至らなくて。」「うん、心配かけてごめんね。」妻を気遣いながらも、歳三はソンジュとの約束を思い出し、彼女が見ていないところで溜息を吐いた。『ヨンイル、夕食はどうするんだい?』『外で友人と会う約束があるんだ。適当に食べてくるよ。』『そうかい、気をつけて行っておいで。』清子に適当な嘘を吐くと、歳三はソンジュとの待ち合わせ場所である江南のクラブへと向かった。『ヨンイル、あなたまた来たの?』店に入ると、華やかなドレスを身に纏ったソンヒが歳三を見ていた。『お前、まだここで働いているのか?』『いいえ。もう今日で辞めるのよ。今からママに挨拶しにいくところ。今後は父の傍に居たいの。』『そうか。』歳三とソンヒが喋っていると、ソンジュが店にやってきたところだった。『これは、これは。渦中の人物が二人して何をしているんだ?』『ただ世間話をしていただけだ。それで、話ってのはなんだ?』『ちょうど良い。君も来て貰おう。』不安そうな表情を浮かべているソンヒの手を、歳三はそっと握った。 3人は奥の部屋に入り、しばらく黙っていた。最初に口火を切ったのはソンジュだった。『君は彼と不倫をしていたね?』『いいえ。彼とは大学時代に付き合っていましたが、彼とは別れましたし、よりを戻す気はありません。』ソンジュの問いにソンヒは毅然とした様子でそう答えたが、彼はどうやら納得いかなかったようだった。『それじゃぁ、これはどう説明するんです?』彼はそう言うと、千尋に渡そうとしていた封筒を取り出し、その中身をぶちまけた。そこには、歳三とソンヒが仲睦まじく食事をしている写真や、キスをしている写真が入っていた。『これでシラを切り通せるとでも?』『ふん、バカバカしいわ!こんなの昔の写真じゃない!あなた、一体何のつもりなの?』ソンヒはそう言って立ち上がると、ソンジュを睨みつけた。『ただの退屈しのぎですよ。』『最低ね、あなた。』ソンヒは憤慨した様子で部屋から出て行った。歳三はじろりとソンジュを睨みつけると、彼女の後を追って部屋から出て行った。『ヨンイル、あの人は変よ。気をつけて。』『ああ。』 クラブを出た歳三は、学生時代によく通っていた食堂でビビンバを食べながら、ソンジュが何故自分を陥れようとしているのかがわからなかった。彼とはロイヤル・ホテルで働いていた時から互いに反目しあっていた。あまり彼と関わり合いになりたくなかった歳三は、日本へと戻る際形式的な挨拶だけで済ませてその後連絡も一切しなかった。だがソンジュの方は、執拗に自分のことを追いかけている。気味が悪い―歳三はぶるりと身を震わせて、残りのビビンバを掻き込んだ。『じゃぁ、今度会うときは秋夕(チュソク)だね。』『ああ、それまで元気でいてくれよ。』『わかってるよ。』 とうとう日本へと帰る日の朝、歳三はそう言うと祖母を抱き締めて彼女との別れを惜しんだ。『おばあちゃん、また来るからね!』『元気でね!』美輝子と薫は目に涙をためながら、それぞれ清子に抱きついた。『お祖母様、短い間でしたがお世話になりました。』『身体に気をつけるんだよ、チヒロ。』『ええ。』清子と別れ、4人は空港へと向かうタクシーに乗り込んだ。 GW最終日とあってか、国際線の出発ターミナルは日本人観光客でごった返していた。「ねぇママ、夏休みにまた来るよね?」「勿論よ。それまでにお勉強頑張ろうね!」千尋が夫と娘達と楽しそうに話をしながら出発ゲートへと向かっていると、藩=ソンジュが彼らの前に姿を現した。『奇遇ですね、どちらへ?』『日本に戻るんです。』『わたしは仕事でシドニーに行くんです。ではこれで。』ソンジュは歳三とすれ違いざまに、こう彼の耳元に呟いた。『お前なんか、簡単に捻りつぶしてやる・・』明らかに挑発ともとれる言葉に、歳三は彼に掴みかかろうとしたが、千尋が歳三の腕を掴んで止めた。「相手にするだけ無駄よ、行きましょう。」千尋はそう言うと娘達と手を繋ぎ、歳三とともに出発ゲートの中へと入っていった。「さっきは助かったぜ。」「あんな人は相手にしないほうがいいの。さてと、もうすぐ出発の時間だから急がないと。」「ああ。」空港内のフードコートで昼食を取った歳三たちは、成田行きの便の搭乗口へと向かった。 ハン=ソンジュが何をたくらんでいるのかは知らないが、自分の家族を脅かすものは決して許さないと、歳三は千尋の隣の席に腰を下ろしながらそう思った。にほんブログ村
2012年10月13日
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何度かのコール音の後、歳三は通話ボタンを押した。『何の用だ?』『君の奥さんを勝手に連れ出したことは悪く思っているよ。』『てめぇ、ふざけんな!』歳三が突然廊下で叫んだので、待合室で待っていた患者やその家族がじろじろと訝しげに彼を見ながら通り過ぎていった。彼は人気のない中庭へと向かうと、若干低い声で再びソンジュと話し始めた。『千尋に何をした?』『君の不倫に関することを、彼女に話そうと思っただけだ。』『俺は不倫なんかしてねぇよ。』『そうかな?じゃぁあのキム=ソンヒが働いているクラブで、今夜8時に会おう。』『ああ、わかったよ。』歳三が携帯の通話ボタンを押して上着のポケットに入れて病院の中へと戻ると、途中で彼は誰かとぶつかった。『あ、すいません!お怪我ありませんか?』『いいえ。ではこれで。』歳三はそう言ってぶつかった女性に頭を下げると、千尋の病室へと戻っていった。『きれいな人だったなぁ・・』一人取り残された女性は、歳三の背中を見つめながらしばらくそこに突っ立っていた。その時、バッグの中に入っていた彼女の携帯がけたたましく鳴った。『もしもし・・』『ユジン、あんた病院に居るの?』『居るわよ。』『早く彼に会って来なさい!』『わかったわよ、うるさいな!』そう言った女性は、母親からの着信を切ると、携帯の電源を切ってバッグの中へと入れた。 彼女―ユジンがここに来たのは、数日前に仲違いした恋人・ソジュンと仲直りしろと母親にうるさくせっつかれたからだった。ソジュンとユジンの母親は、結婚適齢期となっても誰とも交際しない娘と息子の現状に嘆き、見合いを無理やりさせて彼らを引き合わせたのだった。だがユジンは優柔不断で浮気者のソジュンが嫌いで、彼との結婚など考えられなかった。しかし、ユジンの父親で、ハンガングループの会長であるセジョンがソジュンを気に入っている為、彼と結婚せざる終えない状況に陥っている。(もう、帰ろうかな・・)ユジンはソジュンの姿を探すのを諦めて病院から出て行こうとしたとき、彼が一人の女性と仲睦まじい様子で歩いている姿を目撃してしまった。彼女はすぐ傍にあった自販機の陰に隠れ、二人の会話に聞き耳を立てていた。『ねぇ、あの子とはいつ別れるの?』『もうすぐだから待ってよ。』『そればかりね。そんなこと言ってたら、お腹が大きくなってしまうわ。』女性はそう言うと、愛おしそうに下腹部を擦った。それを見たユジンは、ショックを受けた。彼は自分以外の女性を妊娠させ、まんまと自分と結婚するつもりでいたのだ!『この人間の屑!』自然とユジンは身体が動き、幼い頃習っていたボクシングを思い出し、ソジュンのふざけた面に強烈なカウンターパンチを食らわせてやった。『あんたなんか最低!』 ユジンは彼らに涙を見せぬよう、さっと彼らに背を向けて病院から出て行った。にほんブログ村
2012年10月13日
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一方、ソンヒは歳三が父・テジュンを保護したときき、彼の祖母の家へと向かった。『父は何処に?』『今ヨンイルが風呂に入れてるよ。あんたの父さん、酷い生活をしてきたようだね。』清子はそう言ってじろりとソンヒを睨んだ。『お前はあたしのことよりも、父親の身を案ずるべきだろうが!』『すいません・・』『あたしに謝るな。あたしにはヨンイル達が居るが、お前の父さんにはお前だけだ。あの男は嫌なやつだが、あんたの父親であることは変わりないんだからね。』清子は言いたい事だけ言うと、腰をさすりながら寝室から出て行った。その時、歳三とテジュンが風呂から出てきた。『パパ!』『ソンヒ・・ソンヒなのか?』テジュンはそう言ってゆっくりとソンヒに近づいていった。『パパ、ごめんなさい!わたし、パパのことを今まで放っておいて・・すまないことをしたと思ってるわ!』ソンヒは父親に対する申し訳なさと罪悪感で涙を流しながら、テジュンに抱きついた。『いいんだよ、ソンヒ・・お前にはいろいろと酷いことばかり言ってきた。天罰を受けて当然なんだ、わたしは・・』『パパぁ~!』熱い抱擁を交わすキム父娘の姿に、歳三は安堵の表情を浮かべていた。『ここに知り合いが食堂を出してるから、そこで働け。店の二階に空いている部屋がある。風呂やトイレ付だから、地下鉄のホームで寝るよりマシだろう。』『ありがとうございます、感謝します。』そう言って頭を下げるソンヒを見て、清子は照れくさそうに頭を掻いた。『これから親子仲良く暮らすんだよ。』 ソンヒたちの姿が見えなくなると、清子は溜息を吐いて床に腰を下ろした。『もうあいつらには手を貸さなくていいだろうね。それよりもチヒロは遅いねぇ・・』『携帯にかけても出ないんだ。もしかして事故に巻き込まれたんじゃ・・』歳三がそう言ったとき、机に置いていた電話がけたたましく鳴った。『もしもし?』『もしもし、こちらソウル市立病院です。チヒロさんのご家族ですか?』『はい。チヒロはわたしの妻です。』『実は、奥様が熱中症で倒れられまして・・』 数分後、歳三は娘たちと清子を連れて、千尋が搬送された病院へと向かった。『先生、チヒロは大丈夫なんですか?』『ええ。幸い通行人がすぐに通報してくれて、大事には至りませんでした。』『妻に、会えますか?』『ええ。』一般病棟のベッドで、千尋は病院着を纏いぐったりとした様子で寝ていた。「千尋、起きろ。」歳三がそっと千尋の頬を叩くと、彼女はゆっくりと目を開けた。「ごめんなさい、心配かけて・・」「いいんだよ、お前が無事で。」「携帯、どこかに落としちゃって・・」「また新しいのを買えばいい。退院したら、デパートで誰か拾っている人が居るだろうから、探してみよう。」「うん・・」妻が無事であることにほっと胸を撫で下ろした歳三は、携帯が鳴っていることに気づき病室から出た。かけて来た相手は、ハン=ソンジュだった。にほんブログ村
2012年10月13日
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『ソウルに居たときは主人が大変お世話になりました。』 千尋は余りソンジュに良い感情を持っていなかったが、ソウルで歳三が何かと彼に世話になったので、挨拶だけしようと思い、そう言って彼に頭を下げると、彼は突然笑った。『どうかなさいました?』『いえ・・普通嫌いな相手に挨拶するのは珍しいなと思って。それが日本人らしさですね。』そう揶揄(やゆ)されて、千尋は少しムッとした。(やっぱりこの人、好かん!)挨拶なんてするんじゃなかった―千尋はそう思いながら早くこの場から立ち去りたかった。『では、わたしはこれで。』くるりと背を向けて立ち去ろうとする千尋の手を、ソンジュは突然掴んだ。(な、何!?)『ちょっと付き合えますか?』『何するんですか、離してください!』突然大声を上げた千尋に、周りの客は何事かと彼らの方を振り向いた。『少し話したいことがあるんです。』『一体何の話ですか?ここでは言えない様なこと?』『まぁ、そうですね。』ソンジュはそう言って口端をあげてニヤリと笑うと、強引に千尋をその場から連れ去っていった。 エレベーターに乗ったソンジュは地下駐車場へと向かい、助手席に無理やり千尋を座らせると車を発進させた。『何処へつれていくんです?』『静かに話ができるところです。』いまいち彼のことが信用できない千尋は、夫に電話をかけようとして携帯を取り出そうとしたが、バッグの中になかった。もしかして、さっきデパートの中で落としてしまったのだろうか。『どうしました?』『携帯を落としてしまいました・・』『そうですか。わたしには関係のないことですが。』千尋はソンジュの言葉が少し癪に障った。 数分後、ソンジュが運転する車はソウル市内にあるカフェの駐車場に停まった。『コーヒーを。』店員に飲み物を注文すると、ソンジュは千尋の方に向き直った。『手短に用件を言ってください。』『あなた、ご主人と学生時代付き合っていたキム=ソンヒをご存知ですか?』『ええ、以前に会ったことがありますが、それが何か?』『あなたのご主人は、彼女と浮気をしていますよ。』ソンジュの言葉を、千尋は鼻で笑った。『馬鹿なこと言わないで!うちの人が浮気するわけないでしょ!』『あなたはご主人のことを信頼しきってるんですね。』ソンジュはそう言ってニヤリと笑うと、一枚の封筒を取り出した。『その中にご主人の浮気の証拠が入ってます。』『こんなものには興味はないわ。』『へぇ、そうですか。』『あなたは非常に不愉快な方ね!』千尋は自分のコーヒー代をテーブルに叩きつけると、カフェから出て行った。(さっきのデパートに戻って、携帯を探さなきゃ・・) 初夏にしては眩しい日差しが千尋の全身を射し、彼女は突然めまいに襲われて倒れてしまった。にほんブログ村
2012年10月13日
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『父の会社が倒産したのは、あなたと別れて何年か経った後よ。それからはもう、地獄だったわ。』コーヒーを飲みながら、ソンヒは当時のことをポツリポツリと話し始めた。『父は金策に駆けずり回り、碌に睡眠や食事も取らない日々を送っていたわ。その無理が祟って、父は倒れてしまったの。』『それで、旦那はどうしたんだ?』『夫はわたしの実家が破産寸前だと知ると、一方的に離婚届を送ってすぐに別れたわ。他に女が居て、更に子供まで居たって聞いたときは、怒りを通り越して呆れたわ。わたしと結婚したのは、金が欲しかったからだって。』没落した両班の令嬢は、そう言って自嘲気味に笑った。『それで、これからどうするんだ?』『借金を返すだけよ。できるだけ早くね。親戚はみんな縁を切ったから、わたしが自分の身体で稼ぐしかないのよ。』『そうか。親父さんをどうして捨てたんだ?』『父はあの通り、プライドの高い人でね・・それは身体が不自由になっても変わらなかったのよ。最初の内は我慢していたんだけれど、もう限界で・・』ソンヒはそう言葉を切ると、コーヒーを飲んだ。『親父さんが行きそうなところはあるのか?』『いいえ。あの人とはもう連絡を絶っていて、今どこにいるのかさえわからないわ。ヨンイル、わたしもう行かなくちゃ。』ソンヒはさっと椅子から立ち上がると、コーヒーショップから出ていった。 家へと帰る地下鉄の中で、歳三はソンヒ父娘を取り巻く厳しい状況に驚くとともに、ソンヒの父・テジュンが今どこにいるのかが気になって仕方がなかった。乗り換えの為電車から降りて向かいのホームへと歳三が移動していると、突然罵声が切符売り場付近から聞こえた。何事かと歳三が人だかりの出来ている場所へと向かうと、そこには数人の若者達が一人の老人を取り囲んで罵声を浴びせていた。『おい、なめてんじゃねぇぞジジイ!』『さっさと金よこせよ!』『おい、てめぇら何してんだ!』歳三が慌てて彼らの間に割って入ると、地下鉄の職員が警笛を鳴らしながら彼らの方へとやって来た。『大丈夫ですか?』歳三は地面に倒れているホームレスを抱き起こそうとしたとき、そのホームレスがテジュンであることに気づいた。 眼鏡は壊れ、服はボロボロで所々すえた臭いがしていた。昔自信に満ちあふれ、デザイナーブランドのスーツを着こなしていたエリートビジネスマンであった彼の姿は、その面影すら残っていなかった。『き、君は・・』『歩けますか?すぐに病院に連れて行きますからね。』テジュンの肩に手を回し、彼を支えながら歳三はソウル市内の病院へと向かった。『軽い打撲だけで、命に別状はありませんよ。ご家族の方ですか?』『いいえ、知り合いです。』一瞬病院に置いて帰ろうかと思った歳三だったが、テジュンを見捨てておけずに家へと連れて帰った。『あんた、なんて姿だい!』玄関先で変わり果てたテジュンの姿を見た清子は、思わずもやしを放り出しそうになった。『ばあさん、テジュンさんを風呂に入れてもいいか?』『わかったよ。一体どこでこの人を拾ったんだい?』『地下鉄の構内でだよ。風呂に入れた後、少し休ませないと。』テジュンを歳三が風呂に入れている間、ソンヒがやって来た。『ヨンイル、まだ居るかしら?』『あぁソンヒ、丁度良かった!さっきあんたの父さんをヨンイルが連れて来たよ!』『まぁ、何ですって!?』ソンヒの目が、驚きで大きく見開かれた。 その頃、千尋はソウル市内にあるデパートで娘の同級生達へのお土産などを買っていた。(あれ、歳三さんにいいわね。) ふと紳士服コーナーを通り過ぎた千尋は、ショーウィンドウに展示されているスーツを見てその値段を確かめたが、余りにも高すぎて諦めた。娘達の教育にこれから金がかかるというのに、あんなに高級なスーツを買う余裕はうちにはない。彼女がデパートを後にしようとした時、誰かとぶつかった。『あ、すいません・・』『大丈夫ですか?』ぶつかった男に謝ろうとしたとき、相手が夫の前の職場の上司であるハン=ソンジュであることに気づいた。『お久しぶりです、副支配人。』『誰かと思ったら、チェさんの奥さんじゃありませんか?』ソンジュは何を思ったのか、そう言って笑った。にほんブログ村
2012年10月13日
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『実はね、父があなたに会いたがっているのよ。』『お前の親父さんが?』ソンヒの言葉を聞いた歳三は、大学時代の苦い思い出が脳裏を過ぎった。 当時、歳三はソンヒと交際しており、将来は結婚を考えていた。しかし、ソンヒの父・テジュンは二人の交際を許さず、ソンヒに財閥の御曹司との縁談を持ってきた。『君の家と私の家では、家柄が違う。我が家は両班(リャンバン)(注*1)、君の家は賤民(せんみん)の出だ。仮にも両班の血をひく娘が、賤民の血をひく息子と結ばれるなど、我が国ではあってはならないことなのだよ。』ソンヒの家に挨拶に言った時、テジュンにそう侮辱されたことは忘れもしなかった。ソンヒとは自然消滅し、テジュンとはあの日以来会ってもいない。そのテジュンが、どうして今更自分に会いたがる理由がわからなかった。『誇り高い両班の家長様が、賤民の俺に会いたくはないんじゃないか?』過去のことを多少皮肉りながら歳三がそう言うと、ソンヒは溜息を吐いた。『あの時、父はどうかしていたのよ。会社も大変な時期だったし・・でもあなたと最後に会ってから脳梗塞になって、右半身が麻痺して言語障害が出てしまって、今は特養老人ホームに居るのよ。』ソンヒの言葉は、俄かに信じられないものだった。 あの自信に満ち溢れ、平気で他人を傷つけていた傲慢な男が病によって身体の自由を奪われてしまうなど、想像もつかないことだった。『言っとくが、俺は親父さんには会わねぇ。ソンヒ、お前とはもう終わったんだ。』『そう・・ではわたしはこれで失礼するわ。』ソンヒはそう言うと、そそくさと清子の家から出て行った。『ばあさん、倒れたことどうして言ってくれなかったんだ?』『ごめんよぉ、あんた達に心配を掛けさせたくなくてね。ソウルには何日居るんだい?』『明後日には帰るよ。本当はこっちに戻って暮らしたいけれど、東京のホテルで働き始めたばかりだからな。』『そうかい。じゃぁ明日、爺さんの墓参りでも行こうかねぇ。』そう言った清子の顔は、何処か悲しそうだった。 翌日、歳三達は清子の夫・ナムジュンの墓がある束草(ソクチョ)へと向かった。『あなた、可愛い孫と曾孫達が来ましたよ。さぁヨンイル、うちの人に挨拶しておくれ。』清子にそう言われ、歳三は娘たちと墓に眠るナムジュンに挨拶をした。『ねぇヨンイル、あんた今度はいつ帰ってくるんだい?』『そうだなぁ、秋夕(チュソク)(注*2)には帰ってくるよ。』墓参りの後、家族で寄った定食屋でクッパを食べながら歳三がそう言うと、清子はため息を吐いた。『そういえば、昨日家に来たソンヒだけどね、あの子の家、今大変なんだよ。昔は羽振りは良かったけれど、リーマンショックで会社が倒産してねぇ。旦那からは離婚されて、一人で父親を養うためにルームサロン(注*3)で働いているんだよ。』『あのソンヒがルームサロンで?』歳三はお嬢様育ちであったソンヒがいくら父親を養うとはいえルームサロンで働くなど、どのような思いを抱えながら生きているのだろう。『何処のルームサロンだ?』『そうだねぇ・・確か、江南(カンナム)あたりだったと思うよ。』 清子から渡されたソンヒの名刺を頼りに、歳三は彼女が働いているルームサロン『スター』へと向かった。『いらっしゃいませ。』彼が店に入ると、50代前半と思しきママが笑顔で彼に近づいてきた。『ここでソンヒって子は働いてないか?』『ああ、あの子ならパク室長の部屋に居ますよ。ここのお得意さまでねぇ、よく指名してくださるんですよ。』『ありがとう。』歳三がソンヒと客が居る個室のドアを叩いて中へと入ると、そこにはパク室長の体にしなだれかかるソンヒの姿があった。『ヨンイル、どうしてここへ?』『少し話をしよう。』ソンヒの腕を掴んで彼女を店の外へと連れ出した歳三は、彼女を睨んだ。『どうして俺に何も言ってくれなかったんだ!』『これはわたしの家の問題よ。あなたには関係のないことよ。』『じゃぁ親父さんが特養老人ホームに居るってのも嘘だったのか!?』『ええ・・そうよ。わたしは、わたしは父を捨てたのよ・・』 ソンヒはそう言うと、俯いた。『わかるように話してくれねぇか?』『わかったわ。ここじゃなんだから、あそこで話しましょう。』 数分後、コーヒーショップで向かい合わせに座ったソンヒは深呼吸した後、自分達の身に起こった出来事を話し始めた。注*1 朝鮮王朝時代の貴族階級のこと。注*2 韓国の旧暦8月15日に伴う祭日。注*3 ホステス付のクラブで、店外での性的サービスも含む。にほんブログ村
2012年10月13日
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「ねぇ、どうしてそんな子と遊んでるの?うちでゲームしようって言ったじゃん!」薫と遊んでいた数人のクラスメイト達は、突然そう言った女児を一斉に見た。「どうしてって、薫ちゃんと遊んでいる方が楽しいもん。」「そうそう。だっていつもゲームしようって言っても、あたし達に触らせてくれないじゃん。」「薫ちゃんと遊んでいる方が楽しいもん!」クラスメイト達の言葉を聞いた女児は地団駄を踏むと、公園から出て行った。「薫ちゃん、気にしなくていいからね?」「うん・・」女児が去った後暫く気まずい空気が薫達の間で流れていたが、彼女達は再び楽しく遊び始めた。もう心配ないだろうと思った歳三は彼女達に声を掛けずに、スーパーで買い物を済ませて帰宅し、昼食を作った。「千尋、飯できたぞ。」「ありがとう。」千尋がノートパソコンの電源を落としたのは、昼の1時を回った頃だった。「一体この時間まで何してたんだ?またブログに何か書いてたのか?」「うん、色々とね。薫はどうだった?」「公園で仲良く友達と遊んでたぞ。もう心配ないな。」「そうやね、美輝子にも友達ができたようやし。問題はあの女ね。」「また吉田さんのことか。飯食ってるときくらい彼女のことは忘れろよ。」「でも許せんのよ、あの女!徹底的に潰してやらんと気が済まん!」千尋はそう言って醜く顔を歪ませながら、テーブルを拳で叩いた。「なぁ千尋、ビラに書いてあることは確かに酷いけど、お前が彼女と同じ土俵に上がって泥仕合までするってのはどうかと思うぞ?冷静になって考えたら、向こうがお前を中傷したんだから、その証拠を集めて告訴した方がいいんじゃねぇのか?」「そうかもしれん。」夫の言葉に怒りで我を忘れていた千尋は、吉田夫人への怒りが収まった。「少し怒りで周りが見えなくなっとった。ありがとう。」「いや、いいんだよ。それよりももうすぐGWだろ?婆さん家にでも行くか?」「いいね。最後に行ったのは旧正月以来のときだし。」 4月下旬、歳三達は久しぶりに清子の元へと訪れた。『元気そうだね、二人とも。もう誰にもいじめられていないかい?』『うん!』『ちょっと待っててね。今からお昼を作るからね。』清子がキッチンへと消えていった後、外の方で何か音がしたので歳三が玄関先に向かうと、そこには花束を持ったソンヒが立っていた。『ソンヒ、どうしてお前ここを知ってるんだ?』『どうしてって・・あなたのお祖母様にはよくしていただいているもの。快気祝いに来たのよ、いけない?』ソンヒはそう言うと、にっこりと笑った。『快気祝い?何のことだ?』『あら、知らないの?じゃあ教えてあげるわ、ヨンイル。この前、あなたのお祖母様仕事中に倒れたのよ。』初めて祖母が倒れたことを知った歳三は、その衝撃を受け暫くその場に立ち尽くしていた。「トシ兄ちゃん・・」千尋が玄関先に現れ、歳三とソンヒを交互に見た。『お久しぶりです。』『あら、お久しぶりね。てっきりヨンイル一人だと思っていたから・・』笑顔でそう話すソンヒとは対照的に、千尋の表情は硬かった。『それで?一体何をしに来られたんですか?』『何をしにって・・お祖母様の快気祝いに決まっているじゃないの。もしかして、あなたもお祖母様が倒れたこと、知らなかったの?』ソンヒは勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべながら、千尋と歳三を交互に見た。 数分後、気まずい空気の中で歳三達は清子とソンヒを囲みながら昼食を食べていた。(突然やってきて、一体何するつもり?)にほんブログ村にほんブログ村
2012年10月13日
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「おはようございます。」「おはようございます。」 千尋が団地の自治会に出席すると、同じ棟に住む数人の主婦達が彼女の方に駆け寄ってきた。「ねぇ土方さん、ブログに書かれていることは本当なの?」「ええ。」「でも吉田さん、かなり怒っていたみたいよ。名誉毀損であなたを訴えるって!」「名誉毀損って・・先にあっちがわたしを中傷してきたんじゃない!冗談じゃないわ!」「それはそうだけど・・」千尋の剣幕に主婦達はたじろぎ、その後自治会が終わるまで何も言わなかった。「あ~、もう腹立つ!」「どうしたんだ、千尋?」帰宅するなりノートパソコンを起動した千尋が浮かべている顔を見て、歳三は何か起きたのだなと解った。「吉田夫人、うちが書いたブログの内容を見て名誉毀損で訴えるって!向こうが先に仕掛けてきたっていうのに!」「おい、落ち着けよ。感情的になったって仕方ねぇだろ?」「でも・・」千尋がブログのコメント欄を見ると、そこには彼女に対する励ましのコメントで溢れていた。「向こうがどうこう言おうが、うちは絶対に負けない!」「少し散歩してくるから、その間に頭を冷やしておけよ。」千尋にそんな事を言っても無駄だと知りながらも、歳三はそう言うと部屋から出て行った。 (ったく、どうなってんだか・・)歳三が団地内を歩くと、各所にある掲示板に千尋を中傷するビラが所狭しと貼られていた。“土方千尋は中洲でホステスをしていた頃、ヤクザの男と付き合い、妊娠した子どもを中絶した。”“千尋の母親はヤクザの愛人で、時折団地に来ては金の無心に来ては騒ぎを起こす。”ビラに書かれている内容はどれも事実無根のものだ。吉田夫人は一体何をしたいのだろうか。歳三は団地内のビラを一枚残らず剥がしまわった。『パパ。』『どうした、薫?』最近家に籠もり、塞ぎこんでいた薫が、自転車に乗りながら歳三の方へと向かってきた。『今日ね、みんなと公園で遊ぶんだ。』『そうか。あれからどうだ?みんなと仲良くなった?』『わたしをいじめてる子達とは、仲良くしてる。じゃぁ行ってくるね。』『気をつけろよ!』去り際自分に手を振った時に浮かべた娘の笑顔を見て、歳三は少し沈みがちだった気分が少し明るくなった。「ただいま。」「お帰りなさい。それ、どうしたと?」「掲示板に貼られてたから、剥がしてきた。薫は公園で友達と遊ぶってさ。」「ふぅん。心配してたけど、仲良くやっているようで良かった。千尋、昼はどうする?お前は疲れているようだし、俺が簡単に作るよ。」「ありがとう。」歳三が冷蔵庫を開けると、そこには余り食材が残っていなかった。「スーパーに行ってくる。」「気をつけてね。」 歳三が駐輪場で自転車に跨り近所のスーパーへと行こうとすると、薫が数人のクラスメイト達と公園で遊んでいた。暫く様子を見ていると、ブランコの方から1人の女児が薫達の方へと走ってきた。にほんブログ村にほんブログ村
2012年10月13日
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「ねぇ、あの人じゃない?」「ああ、土方さんのところの・・」「大人しそうな顔をしてやるわねぇ。」 スーパーでカートを押しながら買い物をしていると、精肉売り場で同じ団地に住む主婦達がヒソヒソと自分を見て話しているのを見た千尋は、彼女達の方へと向かった。「あの、わたしに何か用ですか?」「え・・」「さっき向こうでお話しているのを見ましたので、どうしてわたしに直接話さずにこそこそしてるんだろうと思いまして・・」「大したお話では・・」「そうですか。でも、わたしにとって大したお話にはみえませんでしたけど?」のらりくらりと話題を必死で変えようとする主婦達に、千尋はしつこく食い下がった。「そうですか・・あの、近くのお店でお茶しません?ここでは人目がありますし。」「解りました。」根負けした主婦達は、千尋をスーパーの近くにあるカフェへと連れていった。「あのね、土方さん、こんなことは言いたくないけど・・」「あなたについて変な噂があるのよ。」「変な噂って、どんな噂ですか?」「ええ。昔水商売をしていてヤクザと付き合って、妊娠した男の子を中絶したとか、薬の売人をしてたとか・・それって、本当のことなの?」何処からそんな根拠のない噂が流れているのかは知らないが、千尋はそれを聞いた瞬間腸が煮えくり返った。「確かに昔水商売していたことは事実ですが、噂は事実無根です。一体誰がそんな噂を流したんですか?」「そ、それは・・」「隠さないといけないくらい、あなた方にとってその人は大切な方なのですか?それで皆さん、わたしを団地から追い出そうと?」千尋がそう言って主婦達を睨みつけると、彼女達はいちように項垂れた。「はぁ~い、どなた?」「土方です。至急奥様とお話したいことがございまして。」「暫くお待ちくださいませ。」閑静な高級住宅街の中に、その邸宅はあった。千尋がインターホンを鳴らしてそう言うと、家政婦と思しき女性が数分後に玄関先に現れた。「申し訳ございませんが、奥様はただいま外出中で・・」「そうですか?先ほど二階の窓が開いて誰かの話し声が聞こえましたけれど?」千尋の言葉に家政婦は顔を赤くして、彼女を女主人の元へと案内した。「初めまして、土方千尋と申します。」「あら、あなたがわざわざこちらにいらっしゃるなんて。あなた、お茶をお出しして。」 客間に通された千尋は、噂を流した張本人・吉田夫人とソファで向かい合うように腰を下ろした。「単刀直入に申し上げますが、わたしについて噂を流したのは奥様、あなたですか?」「まぁ何を根拠にそんな事をおっしゃっておられるの?」険しい視線を送る千尋に対し、吉田夫人は悠然と彼女にそう言い放ち、優雅に紅茶を一口飲んだ。「警察庁のキャリアを夫に持たれる奥様が、あらぬ噂を立ててわたしを中傷するなど、嘆かわしいことですこと。」千尋はそう言うと、バッグから一枚のビラを取り出し、吉田夫人の眼前に突きつけた。「このビラに見覚えがおありでしょう?」「さぁ、何のことだか・・」「あなたがそうシラを切るつもりなら、わたしも黙っていられません。」 吉田邸を辞した千尋は帰宅するなり、ノートパソコンを起動させた。(絶対に許さない、あの女・・)千尋は思いの丈を、自分のブログに綴った。その反響は、すぐにあった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年10月13日
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「もう帰ろうぜ。これ以上ここに居たって時間の無駄だ。」「そうやね。」 千尋と歳三はクラス会の会場となっているホテルから出て、駅で電車を待ちながら今日は無駄足だったと思っていた。「あんな様子を見るかぎり、親が言っていることを子どもが真似してるんだな。」「そうかもしれんね。何のためのクラス会だったのかわからんかった。」千尋がそう言って溜息を吐くと、電車がプラットホームに滑り込んできた。夕方のラッシュアワーを過ぎているからか、車内は空いていた。「なぁ、今朝あの爺さんにゴミ捨て場で“お前は在日か?”って尋ねられたんだよ。」「あのお爺さんって、西田さんのお舅さん?あの人に何か言われたと?」「まぁな。余り思い出したくないことを色々とな。」歳三はそう言うと、それ以上千尋には話してくれなかった。「千尋、ママ友関係はどうだ?」「あんまり良くないな。ソウルに居た頃はみんな育児サークルで知り合って、幼稚園に娘達が入ってからも気さくに話し合えた人たちが多かったけど、ここでは既存のママ友グループに入っていくのが少し躊躇(ためら)うかなぁ。トシ兄ちゃんは?」「俺も似たようなもんかな。東京のホテルではフロント業務よりも事務仕事がメインになってさ、上司はどちらかというと利益追求主義っぽいんだよ。」「ハン副支配人みたいな?」「まぁ、そうだな。でも反りが合わねぇっといっても、私情を職場に持ち込んじゃならねぇ。」「そうやね。学生の頃は嫌いな子が居ても無視したりしても良かったけど、社会人は終わりがないけん、嫌いな人が居ても私情を挟まんように付き合わないと。そこが難しいところなんやけど・・」「この前ネットで読んだんだが、一番転職するきっかけになったのは、“職場の人間関係”なんだと。いくら給料が良くても、人間関係が最悪じゃぁ、逃げ出したくもなるだろうよ。」夫の話を聞きながら、千尋は中洲でホステスをしていた頃を思い出した。 水商売の世界は上下関係が厳しい縦社会で、新人だった頃、ママに命じられたのは店のトイレ掃除や雑用ばかりで、先輩ホステスからの嫌がらせも酷かった。よほど根性が据わっていなかったら、店から尻尾を巻いて逃げていたのかもしれないが、千尋は何とか耐えてナンバーワンになるまで努力した。 人一倍負けず嫌いだった千尋は、自分をいじめている連中を見返してやるという気持ちで先輩ホステスの技を盗み、接客スキルを磨いた。努力した分、店で一目置かれる存在となったし、先輩ホステス達も千尋をいじめたりすることはしなかった。今思えば、あの高級クラブでの経験が人生の糧となっている。「うちも中洲時代、先輩のお姉さん達から、“役立たずは出て行け”とか言われたし、散々酷いことされたよ。でも挫けんかったんよ。お金を稼ぐ為にプライドを殺して必死に働いたよ。」「プライドよりも生活の方が大切だもんな。俺もお前達を食わせる為ならなんだってやるさ。」 娘達のいじめという、先が見えない戦いに、千尋と歳三は二人で挑むことを決意した。「おはようございます。」クラス会の翌朝、千尋がゴミを出しに行くと、ゴミ捨て場で井戸端会議をしている主婦達がいたので、彼女は大きな声で挨拶した。すると彼女達はそれぞれ互いの顔を見合わせると、そそくさとその場から立ち去ってしまった。(何やろか・・)突然無視されるようなことをした覚えは千尋にはない。先日まで挨拶を返してくれたのに、一体何があったのか。「どうした、千尋?」「さっき奥さん達に挨拶したら、無視されたんよ。」「気にすんな。じゃぁ行ってくる。」「行ってらっしゃい。」 歳三と玄関先でキスして彼を送り出した千尋は、買い物をしにスーパーへと向かった。にほんブログ村にほんブログ村
2012年10月13日
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1945(昭和20)年、8月。日本軍の真珠湾奇襲から勃発した太平洋戦争は、広島・長崎の原子爆弾投下によるポツダム宣言受諾により、敗戦した。だが空襲によって焼かれた東京・大阪などの大都市は焼け野原が広がり、もう米軍機の空爆に怯える日々がなくなったというものの、食糧や衣料品、医薬品などが不足し、先の見えない暗いトンネルの中を、四郎達をはじめとする国民は歩いていた。 四郎は闇市で得たミシンで仕立ての仕事を始め、何とか生計を立てていたが生活は苦しかった。「四郎、ただいま。」「お帰り。」粗末なバラック建ての扉が開き、エーリッヒが疲労を滲ませながら帰宅した。「今日も駄目だったか?」「ああ。みんな飢えてるからな。やっぱり早めに出ないと食い物はなかなか手に入らないよ。」「そうか・・」四郎はミシンを動かす手を止めると、溜息を吐いた。「ここんところ、商売上がったりだよ。闇市を警官が巡回しているからなぁ。」「まぁ、仕方ないだろうよ。さてと、今日もすいとんにするか。」「わかった。」四郎は台所とはいえない粗末な炊き場へと向かうと、僅かながらに手に入れたさつまいもをふかし始めた。その時、誰かが扉を叩く音が聞こえた。「どちら様ですか?」四郎が外から声をかけたが、返事は返ってこなかった。泥棒だろうかと訝しがりながら彼が扉を開けて外へと出ると、そこには美津が立っていた。白い頬は何故か黒く煤けており、腰下までの長さがあった黒髪は肩の辺りで切り揃えられていた。「姫様・・姫様なのですか?」四郎がそう美津に問いかけると、彼女は静かに頷いた。「わたしよ、四郎・・帰るのが遅くてごめんね。」「姫様!」堪らず四郎は、美津を抱き締めた。「ご無事でよかった、姫様。」「あなたもね。これでずっと一緒に暮らせるわ・・」「おい、どうしたんだ・・」外の異変に気づいたエーリッヒがそう言ってバラックから出てくると、美津の姿を見て絶句した。「ただいま、エーリッヒ。」「お帰りなさい、姫様・・」 何処までも澄んだ青空の下、四郎とエーリッヒは漸く美津との再会を果たした。―第3部・完―あとがき少しとびとびな展開になってしまいました。第4部は少し時間を置いて書きます。
2012年10月12日
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1869(明治二)年。 鳥羽・伏見からはじまり、甲州勝沼、会津、仙台と敗走を続けた旧幕府軍は、北へと敗走を重ねた末、蝦夷地へとたどり着き、そこで「蝦夷共和国」を樹立するも、新政府軍によって再び劣勢に立たされることとなった。 四郎とエーリッヒは土方とともに戦ったが、もはや蝦夷地が新政府軍によって包囲されるのは時間の問題だということに気づいていた。「このまま、負け戦を続けるつもりなのか、土方君!?」「じゃぁあんたは投降しろってのか、大鳥さん!」蝦夷共和国に於いて参謀として活躍していた土方は、陸軍奉行・大鳥圭介と毎日のように今後新政府軍に投降するか、徹底抗戦するかで揉めていた。「君はこれ以上、犠牲者を増やすつもりか?」「それがどうした、俺にとっちゃ、ここが最期の死に場所なんだ!」喉奥から振り絞るかのような声を出し、徹底抗戦を訴える土方の言葉を聞いた四郎は、全身を雷で打たれたかのような衝撃を受けた。 土方は、この地で潔く散ろうとしている。「本当か、それ?」「ああ、間違いない。副長は死のうとしている。今まで犠牲となった者達の為にも、最期まで戦おうとしているんだ。」「そうか・・俺達も、副長とともに戦おう。」「ああ。」(姫様、もう少し待っていてください、この戦いが終わったら迎えに行きますから。)首に提げた指輪をそっと握り締めながら、四郎は最後まで土方と戦う決意を固めた。 1869(明治二)年5月。 遂に新政府軍が函館を包囲し、四郎は弁天台場にて新政府軍を迎え撃っていたが、あっという間に孤立してしまった。孤立した彼ら新選組隊士らを助ける為、新選組元副長・土方歳三は弁天台場へと向かう途中、一本木関門にて被弾し、戦死した。皮肉にも彼の死後、榎本武揚は全面降伏し、これにより戊辰戦争は終結した。「終わったな・・」「ああ。」「土方さんは今、局長とどんなお話しをされているのかな?」「さぁな。それよりもわたしたちはこれからのことを考えねばなるまい。死に逝く者が遺した志を、いかに後世に伝えるか・・それが、この戦いを生き抜いたわたしたちに課せられた使命だ。」「そうだな・・」エーリッヒはそう言うと、美しく澄み切った空を仰ぎ見た。 その後四郎とエーリッヒは美津の消息を探しつつも、東京で商売を始めながら天下泰平の明治の世を生きた。だが、彼女の消息はようと知れず、四郎は焦燥を募らせていった。 しかし美津は、彼らのすぐ近くに居た。
2012年10月12日
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戦況はますます旧幕府軍が劣勢になるばかりだった。 鳥羽・伏見の戦いで敗れた新選組は、旧幕府軍とともに敗走に敗走を重ねていった。それとともに、新選組隊士達の肉体的・精神的疲弊が徐々にましていき、些細なことで諍いがたえなかった。「何だと、やるのか!?」「ああ、やってやるよ!」(まただ・・) 甲州勝沼の陣地で四郎とエーリッヒが休憩している時、隊士達が食事の配分を巡って喧嘩をしていた。「やめないか、お前達!」「小さなことで争ったってしょうがないだろうが!」殴り合いに発展する前に、隊士達を四郎とエーリッヒは彼らの間に割って入った。「うるさい、離せ!」「いい加減にしろ!」四郎はそう言うと、隊士の一人の横っ面を張った。「味方同士で諍いを起こしてどうする?敵に隙を作らせそこを付け込まれ、ますます劣勢に立たされるだけだ!それがわからぬのならここから出て行け!」「黙れ、百姓風情が!」四郎の中で、何かが切れる音がした。気づけば彼は、隊士のことを殴りつけていた。「てめぇら、何してやがる!」「副長・・」「後で俺の所に来い。」「はい、副長。」 数分後、土方の元へと向かった四郎は、俯いたまま何も言わなかった。「事情はエーリッヒから聞いた。この事は不問に付す。元々は隊士の諍いを収めようとしたお前を侮辱した隊士が悪い。この事は水に流せ。」「ありがとうございます、副長。」「だが二度目はねぇ、覚えておくんだな。」四郎が漸く顔を上げると、土方が猛禽(もうきん)を思わせるかのような鋭い目で自分を睨みつけていた。「そのお言葉、肝に銘じます。」四郎がそう言って土方の元から去ろうとすると、彼は四郎の手を掴んだ。「生まれのことを罵られても、気にすんな。俺だって散々貧乏百姓だと罵られてきたが、いまや幕臣だ。生まれで人生が決まる時代は、もう終わってんだよ。」土方の言葉に、四郎は全身が震えそうなほどの感銘を受けた。そして彼にどこまでもついていきたいと四郎は思った。「てめぇは骨のある奴だ。」「ありがとうございます。」「周囲の雑音なんか無視しろ。」 土方の元を去った四郎は、心配そうに木陰からこちらを見つめているエーリッヒの姿に気づいた。「どうだった?」「今回のことは不問に付すとさ。なぁエーリッヒ、わたしは副長に何処までもついていこうと思う。お前は?」「聞くまでもないだろう?」 四郎がエーリッヒを見ると、彼は笑っていた。
2012年10月12日
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坂本龍馬が暗殺されたその一年後、戦火は鳥羽・伏見でついた。 伏見奉行所で待機していた新選組は新政府軍を迎え撃ったものの、フランス軍の協力を得て新型兵器を投入した新政府軍に旧幕府軍はたちまち劣勢に陥った。「このままだと、新政府軍の勢いに押されて幕府とともに共倒れになるな。」「ああ。」四郎は何度も戦を経験していたが、この戦いは今までのものとは違った。刀や槍が、銃器に取って代わったのだ。「副長は今どうなさっている?」「さぁ、淀藩の方と会合をなさってるとか。近藤局長さえ、この場に居られたらいいのだが・・」 新選組局長・近藤勇は大阪城へと出仕した帰路の途中、今は亡き新選組元参謀・伊東甲子太郎率いる「高台寺党」の残党により狙撃され、右肩を負傷し労咳を患っていた沖田総司とともに大阪へと護送された。その為、不在となった近藤の代わりに土方が新選組を実質上率いていた。彼は近藤が居なくなってからというもの、昼夜を問わず働いていた。「副長は一体、いつ休まれているんでしょうね?」「さぁ。あの方にとって、新選組は己の人生の結晶だろうよ。」「結晶?」「ああ。わたしが新選組に入隊して間もない頃、一度土方さんと酒を飲んだことがあってな。まぁ、副長は下戸だから、飲んでいたのはわたしだけだったが。」四郎は目を閉じながら、当時のことを思い出した。 まだ新選組に入隊して間もない頃、四郎は土方から飲みに誘われて島原へと赴いた。土方は自分が農家の出身であることや、同じく農家出身である親友・近藤と夢を追い上洛したことを四郎に話した。「おめぇも元は農家の生まれなんだろう?」「なぜ、おわかりに?」「まぁ、勘だがな。おめぇはこれからどうするつもりだ?」「さぁ、わかりません。あちこちさまよった末、ここに流れ着いたものですゆえ。」「そうか。まぁ焦るこたぁねぇよ。己の道なんざ自分で見つけるしか他ねぇんだ。」土方はそう言ってふっと笑うと、四郎を励ますかのように彼の肩を叩いた。「へぇ、そんなことがあったのか。」「まあな。周りからは鬼副長と呼ばれてるが、実際あの方は優しい方なのかもしれん。」「そうだろうな。」二人が話していると、土方の姿が廊下に現れた。「てめぇら、油売る暇があるんなら働きやがれ!」「申し訳ございません、副長!」四郎とエーリッヒは慌てて廊下から去っていった。 その直後、銃声が外に響いた。「何だ!?」「てめぇら、出陣だ!」「はい!」四郎達が出陣すると、既に新政府軍の攻撃は始まっていた。「行くぞ!」「おうっ!」 銃弾が雨のように降り注ぐ中、四郎は愛用の槍を握り締めながら駆けていった。
2012年10月12日
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それからというもの、エーリッヒは忙しいときにも関わらず、四郎の看病を毎日していた。「済まないな、お前の手を煩わせて。」「謝るな、馬鹿。お前に感謝されることはあるが、謝られることは何ひとつしていないつもりだ。」エーリッヒはそう言ってレンゲで粥を一口分取ると、それを四郎の口元に運んだ。「熱いから、俺が冷ましてやろうか?」「そんなこと、俺でも出来る。」四郎は少しムッとした表情を浮かべると、エーリッヒの手からレンゲを奪い、粥に少し息を吹きかけてそれを食べた。「どうだ?」「中々いい。初めてにしては上出来だな。」「まぁな。昔凛のところで働いていたときは、散々こき使われたからな。」「そうか。」二人きりになると、いつの間にか過ぎ去った頃のことを思い出してしまう。「何でだろうな、鬼になってから、最近昔のことばかり思い出すんだ。もう過ぎ去って戻ることのない時間に、再び戻りたいと思うような気がしてならない。」「わたしもだ。戦が起こる前は平和だったからな。それに・・わたしの家族はまだ生きていた。」四郎の言葉を聞いた途端、エーリッヒは黙り込んでしまった。彼の家族は、凛によって虐殺された。凛への憎しみと家族の仇を討つ為だけに、気が遠くなるような長い年月を四郎は美津とともに過ごしてきたのだ。「なぁ四郎、ひとつ聞いてもいいか?」「なんだ?」「初めて・・俺と会ったとき、俺のことをどう思った?」「なんだ、そんなことか。」四郎はくすくすと笑いながら、エーリッヒと初めて会ったときのことを思い出した。敵方についていた彼は堂々と美津の居る城へと入り、勝負を挑んできた。そして彼は美津の側につき、四郎とともに彼女の従者となった。突然恋敵が現れ、四郎はその時心が乱れたが、エーリッヒの美津に対する想いは単なる友愛だと気づいたとき、いつの間にか彼に対する嫉妬は四郎の心から消え去っていた。「はじめは憎たらしくいけすかない奴だと思っていたが、そうではないと気づいたときは島原に居たときかな。」「そうか。あまりお前が姫様とばかり話しているから、てっきり嫌われているのかと思ったよ。」「そうか・・」四郎は布団から出て立ち上がると、文机の上に置いてあった守り袋を手に取った。「なぁ、これを覚えているか?」そう言って彼は、守り袋の中からトパーズの指輪を取り出した。「懐かしいな・・」それを見たエーリッヒのコバルトブルーの瞳が、懐かしそうに細められた。その指輪は昔、美津と3人で友情の印として彼女にもらったものだった。「お前はまだ持っているのか?」「もちろんさ。大事な友情の証だからな。なくさないよう、こうして身につけているよ。」エーリッヒは首から提げている鎖ごと指輪を四郎に見せた。「お前のように身に着けたほうが失くさずに済むかもしれんな。こんな無防備に高価な物を置いていると誰か盗みに入るかもしれないし。」「そうしろ。鎖は俺が用意するから。」「ありがとう。」「何だか照れ臭いな。」エーリッヒはハシバミ色の髪をボリボリと掻きながら、照れ臭そうに笑った。「姫様は、今何処にいらっしゃるのだろう?」「さぁな。だがあの姫様だ、簡単にくたばるようなお方ではない。」「そうだな・・」2人が美津のことに想いを馳せていると、廊下で誰かが走ってくるような音がした。「何だ?」「さぁ・・」「四郎、エーリッヒ、ここに居たのか!」襖が勢いよく開かれたと思うと、十番隊組長・原田左之助が部屋に入ってきた。「原田先生、どうされました?」「さっき土方さんから聞いたんだが・・坂本龍馬が暗殺された!」「何ですって!?」左之助の話を聞いた二人の顔が強張った。1867(慶応三)年11月15日、薩長同盟を成立させた維新の立役者・坂本龍馬は近江屋にて何者かに暗殺され、31歳の若さで没した。彼の死をきっかけに、日本中は動乱と混沌、そして戦の渦へと容赦なく巻き込まれていくのだった。
2012年10月12日
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美津が四郎達の前で鬼神に拉致されてから、3年の歳月が流れた。 その間、幕府の情勢は徐々に悪化の一途を辿り、敵同士であった長州と薩摩が同盟を結び、武力行使による倒幕への動きを一層高めていった。そんな時代の渦に、幕府の為に働く会津藩や新選組も少しずつ巻き込まれていった。 初めて四郎が迎える京の厳しい冬は、故郷のそれとは比べ物にならぬほど、骨まで凍えるかのような寒さだった。その中で上半裸となり毎日鍛錬を欠かさずしていた所為なのか、彼は風邪をひいてしまった。「大丈夫か?」「すまぬ・・鬼が風邪をひくなど、聞いたことがないな。」「ああ、まさしく“鬼の霍乱(かくらん)”ってやつだな。」エーリッヒはそう言いながら、すっかり溶けてしまった氷嚢(ひょうのう)を四郎の額の上から退け、新しいものに変えてやった。「情けないな、こんなときに病に臥せるなど・・」「そう言うな。今はゆっくり身体を休めればいい。」「わかった。」「じゃぁまた用があれば呼べ。」 エーリッヒが部屋から出て行った後、四郎は大きな溜息を吐いた。美津とともに居た頃は、風邪など一度もひいたことがなかった。それ以前に、人ならざるものとなってから一度も病に臥せったことがなかった。そんな自分が風邪をひいたのは、無理をしたからではない。美津が居ないことで、四郎の精神的な支えが少しずつ崩れていったのだ。彼にとって、美津はこの世の誰よりも愛おしい存在であった。だが彼女が自分の前から消え、その行方もわからぬままであることが、知らぬ間に四郎の精神を消耗させていった。(案外弱いな・・) まだ人として生きていた頃、大きな怪我や病気ひとつしなかったのに、美津が居なくなったというだけで風邪をひくなんて、いつの間に自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。自嘲めいた笑みを口元に浮かべた時、不意に喉奥から何かがこみ上げてくるのを感じた四郎は、激しく咳き込んだ。どうやら、痰が喉に詰まっていたらしく、懐紙で口元を覆って痰を吐き出すと急に呼吸が楽になった。四郎は寝ようと思いながら身体を反転させた時、握っていた懐紙が畳の上に落ちた。そして彼は、自分が吐き出したものが痰ではないことを知った。 懐紙は、鮮紅に染まっていた。自分が患っている病は、風邪ではない。かつて新選組の双璧(そうへき)と呼ばれ、最強の剣士と謳われた新選組一番隊組長・沖田総司の身体を今蝕んでいる病魔と同じものに、四郎は冒されていた。(そんな・・そんな筈は・・)四郎が畳の上に落ちた懐紙を握りつぶそうとしたとき、また激しい咳の発作が出た。「四郎、大丈夫か?」「ああ、大丈夫だ。済まないが、薬湯をくれないか?」「ああ、わかった・・」 再び部屋に入ってきたエーリッヒにそう言った四郎は、彼が恐怖と驚愕で綯い交ぜとなった顔を見た。「お前、口から血が・・」「ああ、風邪だと思ったら違っていたらしい。鬼でも労咳になるとは、思いもしなかった。」「畜生、どうしてお前がこんな病に!」エーリッヒは突然そう叫ぶと、畳に拳を打ちつけた。四郎の体調に気づかなかった自分を責めるかのように。「誰の所為でもない。この病は発症するまで時間がかかる。」「だが・・」「わたしは姫様を取り戻すまで、死ねない。だからエーリッヒ、このことはみんなには黙っていてくれないか?」「ああ、わかった。武士に二言はない。」「ありがとう、感謝するよ。」「じゃぁ、少し休んでいろ。俺は薬湯を持ってくる。」エーリッヒは暫く顔を伏せていたが、さっと立ち上がると部屋から出て行った。彼は恐らく、泣いていたのだろうなと思いながら、四郎は眠った。
2012年10月12日
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鬼神の言葉を受けた美津は一瞬きょとんとしたが、すぐさま怒りで顔を赤くさせた。「何それ、どういう意味よ!」「そなたがはなからわしに心を開くなど、考えてもおらぬわ。」「じゃぁ、どういうつもりでここにわたしを閉じ込めるの?」「それは、この国の未来を占ってほしいと思うておるからじゃ。」「はぁ?」鬼神の言葉を受け、美津は思わず言葉が裏返ってしまった。「一体何を言っているの、あなた?わたしは占い師でもなんでもないわ!そんなわたしに、一体どうやってこの国の未来を占えと?」「そなたはまだ己の力を自覚しておらぬな。」鬼神は美津を馬鹿にしたような笑みを浮かべると、すっと彼女に一歩近づき、耳元でこう彼女に囁いた。「後で逃げる算段をつけておるゆえ、適当にごまかせ。」「えっ」美津が思わず鬼神の顔を見つめると、彼はふっと口端をあげて笑った。「皆様、こちらが未来を予言できる少女・ミツです。」突然鬼神に背中を押され、美津は見知らぬ外国人客たちの前に立った。「は、はじめまして・・ミツです。」「まぁ、可愛らしいこと。あなたが未来を占ってくれるのね?」大きな身体を揺らしながら、ロシア大使夫人がそう言って美津の肩を叩いた。「ええ・・」一体どうすればこの場を切り抜けられるのか、美津は考えていた。(適当にごかませと彼は言ったわ。でも、その方法が・・)「美津様、こちらへ。」大使夫人らとの挨拶を終えた美津が所在なさげにウロウロとしていると、自分の部屋に入ってきたメイドが彼女に手招きした。「何かしら?」「これを。」メイドがそう美津に差し出したのは、革張りの表紙がしてある一冊の本だった。「ここには諸外国の情勢が書かれております。それを参考にして、彼らに適当な予言をなさってください。」「そんなことをして、大丈夫かしら?」「旦那様は一時のわがままであなたをここに拉致したことを後悔していらっしゃるのです。どうか旦那様のお気持ちを無下になされませんよう。」「わ、わかったわ・・」「ではわたくしはこれで・・」メイドはそう言うと、すっと大広間から出て行った。 その後美津は渡された本を頼りに諸外国の要人達へ予言をした後、自分の部屋へと戻った。「美津様、おられますか?」「ええ、居るわ。」「失礼いたします。」ドアが開き、メイドが何かを抱えながら部屋に入ってきた。「これにお着替えなさいませ。」美津はベッドに置かれた男物の服を見て、鬼神が彼女をここから逃がしてくれるのだとわかった。「さぁ、お早く!」「わかったわ、着替えを手伝ってくれる?」「かしこまりました。」 数分後、着替えを終えた美津は髪を後ろで一括りに結び、馬に跨ると邸の裏口から外へと飛び出していった。(待っててね、四郎!必ずあなたの元へ戻るから!)
2012年10月11日
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「彼女に一体何をしたんだい?」 突然鬼神の腕の中で崩れ落ちる美津を見た異人の客がそう言うと、彼は美津の身体を抱き上げた。「ちょっと鎮静剤を打っただけだ。」「危険じゃないのか?」「ああ。」鬼神はそう言うと、美津を抱き上げたまま庭園から去っていった。「旦那様・・」「暫く美津の部屋には誰も入るでないぞ。」「かしこまりました。」メイドが慌てて大広間へと戻るのを確認した鬼神は、美津をベッドに寝かせた。「いつになったら、そなたはわしに心を開いてくれるのであろうな、美津よ?」鬼神はそう呟くと、美津の頬をキスした。「ん・・」美津が目を覚めると、そこはいつもの部屋だった。「美津様、お目覚めになられましたか?」「わたしは何時間寝ていたの?」「そうですね・・かれこれ12時間でしょうか?旦那様が鎮静剤を打たれたので・・」「あいつを今すぐ呼んで!」「ですが、旦那様は大広間におりまして・・」「そう、ならばわたしが行くまでだわ。」美津はそう言うとベッドから立ち上がり、寝室から出て行った。 一方、大広間で鬼神は客達とともに談笑していた。「これから日本はどうなりますかな?」「さぁ、それはわかりかねます。」「まぁ、我が国の内戦も終わりましたし、その武器が日本国内に流通することは間違いありませんな。」米国のある大使がそう言って笑うと、彼の傍に立っていた英国大使が相槌を打ちながらこう答えた。「いやはや、我が国もアロー戦争で上海を占領し、清国の次は日本と考えておりますよ。まぁ、インドや清国と違って複雑な航路があるので貿易をするには多少困難でしょうが。」「それはそうですな・・」鬼神が彼らの話に相槌を打ちながらシャンパンを飲んでいると、廊下から騒がしい声が聞こえた。「いけません、旦那様は今・・」「うるさいわね、そこを退いて!」美津の鋭い声が聞こえたかと思うと、彼女が大広間に突如現れた。「おやおや、眠っていたのでは・・」「わたしをいつまでここに置いておくつもり!?」美津はそう叫ぶなり、鬼神の横っ面を張った。―まぁ、何と野蛮な・・―あれでもレディなのかしら?周囲の客が美津の行動に目を丸くしていると、鬼神は打たれた頬をさすりながら美津を見た。「そなたがわしに心を開いてくれるまでだ。」「そんな日は来ないわ、永遠に!」 鬼神は美津の言葉を聞くなり、高い声で笑い始めた。「一体何が可笑しいの?」「いや・・そなたらしいと思ってな。」
2012年10月11日
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メイド達の手によって結い上げられた髪を鏡で見ながら、美津はいつ着替えが終わるのだろうかとイライラしていた。「さぁ、あちらの衝立のほうへ・・」「わかったわよ。いちいち指図しないで。」彼女達は仕事をしているだけなのに、つい美津は声を荒げてしまう。 彼女が衝立の中に入ると、そこには身体を支えるための外套掛けがあった。「あちらに掴まってください。」「わかったわ。」美津が外套掛けに掴まると、メイド達は美津の夜着を脱がし、下着の腰紐をきつく締め付け始めた。「何するの!?」「しばらく辛抱してくださいませ。」「痛いわよ!」一体彼女達は自分に何をしているのだろうか。集団で自分をいたぶって、暗い喜びに浸っているのか。美津がちらりとメイド達を見ると、彼女たちの顔には笑みは浮かんでいなかった。寧ろ、事務的な態度を美津に取って仕事をこなしている。「終わりました。」やがてメイド達の手が腰紐から離れた。全身を映す鏡を見ると、ウェスト部分がすこしくびれたように見えた。だが、胸と腹部を締め付けられて呼吸ができないほど苦しかった。「ねぇ、胸が苦しいんだけど、もうちょっと紐を緩めてくれない?」「申し訳ありませんが、それはできません。」「わたしの言うことがきけないの?」「はい・・」メイド達に少し腰紐を緩めて貰うと、呼吸が楽になった。「では、このドレスをお召しになってくださいませ。」「ええ・・」「まだなのか、彼女は?」「ご婦人のお支度はわれわれよりも時間がかかるものです。」 美津がメイド達によってイヴニングドレスへと着替えさせられている時、薔薇が咲き誇る英国式庭園で、鬼神が退屈そうに銀髪を弄りながら金髪碧眼の英国紳士を見た。「レディ・ミツはどちらに?」「あやつなら変身中だ。もうしばらくしたら出てくるだろう。」「そうですか。彼女とはどちらで?」「まぁ、昔からの誼と言っておこう。」鬼神はそう言うと、紅茶を一口飲んだ。 すると、慣れないドレスの裾を摘みながら、美津が彼らの前に現れた。「一体どういうつもり、わたしにこんな格好をさせて何を企んでいるの?」美津がそう言って鬼神を睨みつけると、彼は美津の美しい変身振りに感心していた。「まさに馬子に衣装とはよう言うたものよ。西洋の衣装を纏ったお前の艶姿もよう似合う。」「ふざけた事言っていないで、わたしを四郎の元に返しなさいよ!」「それはできぬ。」 鬼神はそう言うと、スーツの内ポケットから注射器を取り出すと美津を羽交い絞めにし、その鋭い針を美津の腕に刺した。「やめて・・」あっという間に意識が徐々に朦朧(もうろう)としてきて、美津は鬼神の腕の中でぐったりとした。
2012年10月11日
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「申し訳ありませんが、あなたを外へお通しする訳には参りません。」「そう。なら力ずくで出て行くしかないわね。」美津はそう言うと、メイドを突き飛ばした。彼女が小さな悲鳴を上げたのを聞くと、美津は寝室から出て行った。 いつの間にか連れ去られてたので、この邸がどんな構造なのかわからず、美津は出口を求めて長い廊下を彷徨っていた。(どこ?出口はどこなの?わたしは早く四郎の元に帰らないといけないのに・・) 焦れば焦るほど、美津は邸の奥へと迷い込んでいってしまった。まるでこの邸は迷路のようだ―美津がそう思いながらドアを開けると、そこには別世界が広がっていた。 華やかなドレスに着飾った貴婦人たちが、笑いさざめきながらジロジロと自分を見ていた。それは燕尾服に身を包んでいる男たちも同じだった。まるで珍獣のような目で、美津を見ていた。(何なの、この人たち?どうしてわたしを見ているの?)「美津様、見つけましたよ。」背後から腕を掴まれ、美津が振り向くと、そこにはあのメイドが立っていた。「何するの、放して!」「さぁ、お部屋にお戻りください。」「いやよ、わたしはここから出るの!出て四郎に会うの!」メイドの腕を振り切ろうとした美津だったが、儚げなみかけによらず、彼女の力は強かった。「放してって言ってるでしょう!」「お静かになされませ、美津様。お客様に聞こえてしまいます。」「お客様って、さっきの部屋に居た人たち?」「そうですよ。さぁ美津様、お召し替えを。」 その後はメイドに言われるがままに美津が入った部屋は、化粧室だった。「そちらへお座りくださいませ。」「わかったわよ。」彼女のいうとおりにしたほうがいいと思った美津は、そう言って化粧台の前に腰を下ろした。 メイドが手を鳴らすと、部屋に数人のメイド達が入ってきた。「彼女達があなた様のお世話をいたします。」「一体わたしに何をするの?」「あなた様をお客様の前に立派なお姿にさせる為です。少し辛抱してくださいませ。」「そう、できるだけ早く済ませてね。」「わかりました。」ちらりと彼女が他のメイドたちに目配せすると、彼女達は早速動いた。「髪を梳かせていただきます。」「痛いわね、もっと優しくやってよ!」「す、すいません・・」慣れない環境で突然見知らぬ者に髪を触られ、美津はついメイドに声を荒げてしまった。「いいわよ。さっさと済ませて頂戴、急いでいるんだから。」 メイド達に髪を結い上げている間、美津は仏頂面を浮かべていた。
2012年10月11日
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「ここは・・どこ?」「横浜だ。そなたはここで、わしと暮らすのだ。」「何ですって、冗談でしょう!?」「冗談ではない。」鬼神はそう言うと美津をベッドの上に押し倒した。「やめて、何するの!」「男と女がすることといえば、ひとつだけだ。」鬼神は美津の身体を覆っていたシーツを乱暴に剥ぎ取ると、彼女の白い肌に舌を這わせた。 生ぬるい感触が気持ち悪くて、美津は吐いてしまいそうだった。「いやぁ・・」「いやだと思うのははじめのうちよ。段々慣れてくればよくなる。」美津の言葉を聞いた鬼神はせせら笑いながら、美津の下半身へと手を伸ばした。「いやぁ~!」(四郎、助けて!) 美津は涙を流しながら目を閉じると、何故か四郎の顔ばかりが浮かんできた。彼とだったら、こんな行為をされることも許せるし、嫌ではなかった。だが今自分に跨って腰を振っているのは四郎ではない。この耐え難い責め苦を与えるのは、彼ではない。「ふふ、良い締りじゃ。」鬼神はそう言って舌なめずりした。まるで、美津の苦痛にゆがんだ顔を楽しむかのように。「あなた・・どうしてわたしに執着するの?父上が、わたしの命を救う代わりに、わたしを嫁に差し出すと約束したから?」「それもあるが、もっと違う理由でわしはそなたに執着しておるのじゃ。」「別の・・理由?」「まぁそれは後で話そう。」鬼神はそう言うと、美津の髪をそっと優しく梳いた。「やめて、触らないで!」邪険に鬼神の手を振り払うと、彼は低い声で笑った。「相変わらず可愛げのない。まぁ、そういうところがわしをひきつけるのだ。」「やめて・・」わたしに触れないで。そう言った美津の言葉は、闇へと消えていった。悪夢のような夜はすぐに終わったが、美津は長い時間だと思っていた。「また来るぞ。」「二度と来ないで、あなたの顔も見たくない!」美津はそう言うと、枕で鬼神の顔を叩いた。彼はそんな美津の態度に笑顔を浮かべると、寝室から出て行った。「四郎・・」 漸く一人になれた美津は、枕を抱き締めて従者の名を呼んだ。「四郎、会いたいわ・・」どうして自分はこんなところに居るのだろう。早く、四郎のところに戻らなければ―美津は床に散らばった夜着を拾ってそれを羽織り、寝室から出て行こうとした。だがその時、寝室に一人のメイドが入ってきた。「美津様、どちらへ?」「それはあなたには関係のないことでしょう。そこを退いて。」美津はそう言ってメイドを睨み付けたが、彼女は美津に道を開けなかった。
2012年10月11日
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四郎が渾身の力を込めて投げた刃は、鬼神の肌を傷つけるどころか、地面に突き刺さっただけだった。「愚かなことよ。そなたにわしは傷つけられん。」勝ち誇った笑みを浮かべながら、鬼神はわざと四郎に見せ付けるかのように美津を抱きしめ、彼女の唇を塞いだ。「やめろ!」嫉妬と憎悪で、心が焼け焦げそうだった。「どんな思いだ?愛しい女が、他の男に懸想している姿を見て?」「殺してやる・・」「それは出来ぬだろう。」余裕綽々とした鬼神の態度に、四郎の怒りが沸騰しそうだった。「覚えておけ、お前から必ず姫様を取り戻す!」「ほう、面白い。その日を楽しみにしておるわ。」鬼神はそっと美津の艶やかな黒髪に口付けると、彼女と共に四郎達の前から立ち去っていった。「四郎。」じっと鬼神達が消えたほうを睨みつけていた四郎の肩をエーリッヒが叩くと、彼はまだ恐ろしい形相を浮かべていた。「こんなこと、いうべきではないが・・」「お前に何を言われようとも、姫様はこの手で取り戻す。どんな手を使ってでもだ!」そう言った彼の全身から、禍々しい気が漂ってくるのをエーリッヒは感じた。(四郎は本気だ。) いつも冷静沈着な四郎が、美津のことになると理性を失い見境ない行動へと突っ走る姿を、エーリッヒはいつも見てきた。鬼神の挑発に乗り、彼は今感情的になってしまっている。「落ち着け、四郎。」「これが落ち着いてなどいられるか!」四郎はそう叫ぶと、エーリッヒの胸倉を掴んだ。「お前は悔しくないのか、エーリッヒ?あんな形で姫様をあやつに奪われて!」「俺だって悔しいさ!だが今は感情的になったら駄目だろ。お願いだから今は退却してくれ!」「エーリッヒ・・」エーリッヒの言葉を受け、怒りで熱くなっていた四郎の心が、徐々に冷静さを取り戻していった。今、怒りに任せて鬼神の後を追ってしまったら、取り返しのつかないことになる。何事も冷静さを失ってはいけない。その初心を忘れてしまっていた。「さぁ、帰ろう。」「わかった・・」 肩を落として屯所へと戻った四郎は、朝日が徐々に京の街を照らしてゆくのを眺めながら、美津と過ごした平和な頃を思い出した。(姫様、必ずあなたをお救いたします。) 必ずこの手で美津を取り戻してみせると、四郎は誓った。「ん・・」「気がついたか?」 美津が目を覚ますと、彼女の傍には鬼神が立っていた。
2012年10月11日
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「ついに来たわ、復讐の機会が・・」 りえはそう言って頭巾を取り去ると、美津達の居る壬生へと向かった。一方美津達は屍たちを次々と蹴散らしていった。「この調子なら、日没までに片がつきそうですね!」「そうね!」美津が額の汗を拭ったとき、彼女は突然激しい胸の痛みを感じて地面に蹲った。「どうなさいました、姫様?」「わたしから・・離れて!」「姫様?」四郎が心配そうに美津の顔を覗き込むと、彼女の顔は苦しげに歪んでいた。「どうした、一体何が・・」異変に気づいたエーリッヒが美津に駆け寄ろうとしたとき、美津が突然獣のような唸り声を上げた。「姫・・様?」呆然とする四郎とエーリッヒを前に、愛らしかった美津の顔がまるで般若のような恐ろしい形相となり、獣のように牙を剥き出しにして唸った。 突然の美津の異変になすすべもなく、四郎とエーリッヒは彼女から少しずつ後退していった。(姫様に一体何が起きた?あの顔は・・)「漸く目覚めたか、鬼姫よ。」 漆黒の闇の中で玲瓏とした声が響いたかと思うと、ひらりと鬼神が四郎達の前に現れた。「貴様、何しに来た?」「わしはわが花嫁を迎えに来たまでのこと。」鬼神はそう言うと、愛おしそうに美津を見つめた。すると美津も、柔らかな笑みを四郎に向けたのである。目の前で繰り広げられている光景に信じられず、四郎は思わず槍を落としそうになった。「しっかりしろ、四郎!気を抜くな!」エーリッヒに檄を飛ばされ、四郎は我に返って辺りを見渡すと、路地の向こうから屍たちの群れがやってくるのが見えた。「さぁ死人たちよ、新鮮な肉を食らうがいい。」鬼神が屍たちに向かってそう命令すると、彼らはたちまち四郎達の元へと押し寄せてきた。「くそ、このままではやられる!一旦退却するぞ!」「だが、姫様が・・」四郎がそう言って美津の方を見ると、彼女はうっとりとした表情を浮かべて鬼神を見つめていた。その顔には、いつもの愛らしさが戻っている。(姫様・・何故・・)憎んでいた筈の男に笑顔を向ける美津の姿を見て、四郎は激しく動揺してしまい、敵に隙を作ってしまった。「四郎!」エーリッヒの鋭い声で我に返った四郎だったが、彼の脇腹は屍の刃が深々と突き刺さっていた。「おのれ・・」四郎は脇腹に刺さっている刃を抜くと、それを鬼神に向かって投げつけた。
2012年10月10日
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「一体何が起こったの?」「行ってみましょう!」 二人が屯所から飛び出した美津と四郎がそこで目にしたのは、薬によって生ける屍と化した町民達の群れだった。「何、これ・・」「あの薬の所為で、こんなことに・・」「そうよぉ~」神経を逆なでするかのような声が頭上から聞こえ、二人が周囲を見渡すと、屋根瓦の上に振袖姿の凛がちょこんと座っていた。「どう?わたしがこの薬でみんなをあんな姿にしたのよ。素敵でしょう?」「凛、やっぱりあなたが・・」「ほら、怒った。その顔が見たかったのよ、鬼姫様。」怒りに顔を歪ませる美津を見下ろしながら、凛はくすくすと笑った。「ギャァァ~!」 遠くから断末魔の叫び声が聞こえ、美津があたりを見渡すと、そこには生ける屍に襲われている町民が逃げ惑っていた。「この化け物!」美津は長刀を振るい屍の首を落としたが、すぐにその首は繋がってしまう。「ああ、彼らは日光を浴びたら死ぬのよ。それ以外だったら首を切り落としても無駄よ。じゃぁ、楽しいひとときを。」「待て!」四郎が凛の後を追おうとしたが、屍たちが彼の行く手を阻んだ。「くそ、一体どうすれば・・」「四郎・・」徐々に自分たちとの距離を詰めてくる屍たちの目は、皆うつろだった。「朝までまだ時間があるわ!」「それまでに、被害を最小限に食い止めましょう!」「そうね!」 四郎と美津はそれぞれ屍たちと対峙し、彼らの首や胴を切断したが、その数は減るどころか増えるばかりだった。「どうすればいいの?これじゃぁ、キリがないわ!」「そうですね・・」四郎が何とかこの状況を打開しようかと考えたとき、視線の隅に何か光るものを見つけた。(あれは、一体・・)四郎が訝しげにその“光るもの”を見つめていると、突然空気を切り裂くかのような銃声が聞こえた。「今度は一体何が起こったの!?」「姫様、ご無事ですか?」エーリッヒがそう言って拳銃を構えながら、次々と屍たちを撃っていく。彼らの額に銃弾が炸裂し、まるで糸が切れた操り人形のように次々と地面に崩れ落ちていった。「エーリッヒ、一体それは何?」「銀の銃弾です。魔物には銀の銃弾が効くんです。」「そう。やっぱりあの薬、凛の仕業だったわ!」「まさかと思っていましたが、やはりね・・彼女が一体何を企んでいるのかわかりませんが、この者たちを始末しましょう!」「そうね!」 夜の京に、屍たちの不気味な呻き声がこだました。「くくく、始まったわ・・」 鴨川沿いで頭巾を被りながら、りえはそう呟くと笑った。まるで、この騒動を楽しんでいるかのように。
2012年10月10日
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「何だ、お前達は?」四郎がそう言って美津を守るかのように彼女を後ろに下がらせると、槍を抜いた。「その液体を渡して貰おうか?」「それはできんな。」「そうか、ならば死ね!」男達は一斉に四郎と美津に襲い掛かったが、彼らは背中合わせに次々と敵を倒していった。「姫様、ご無事ですか!?」「エーリッヒ、いいところに来たわ!これを副長に届けて!」美津はそう言って懐から謎の液体を取り出すと、エーリッヒへと投げた。エーリッヒは液体を受け止めると、屯所へと戻っていった。「副長、今宜しいでしょうか?」「いいぞ、入れ。」「失礼いたします。」エーリッヒが副長室に入ると、土方は険しい顔をしながら会津藩からの書状に目を通していた。「謎の液体を入手いたしました。」「そうか、見せてみろ。」エーリッヒから謎の液体を受け取った土方は、少し灰色に濁ったそれを見た後、ガラス瓶の蓋を開けて外へと放り投げた。すると茂みに隠れていた猫が液体の臭いを嗅ぎ付け、それをペロリと舐めた。その途端猫は四肢を痙攣させ後絶命した。「これは・・」「こいつはぁ恐らく鉛と阿片を混ぜたものだろうよ。こんなもんを薬と偽って売りつけているふざけた野郎共を、この俺が一網打尽にしてやる!」土方は怒りを抑えるかのように、自らの膝を拳で叩いた。「売っていたのは普通の薬売りだと、四郎から聞きました。ですが、その薬売りは武家風の男からそれを調達したと・・」「そうか。報告ご苦労だった。もう下がっていいぞ。」「はい・・」エーリッヒが去っていった後、土方は地面に転がっている猫の死体を地中深く埋めた。「ったく、何が万病に効く薬だ・・そんなもんがとっくにあったら、親父達は死なずに済んだぜ。」「土方さん、どうしたんです?」ふと頭上で声が聞こえて土方が俯いていた顔を上げると、そこには江戸の試衛館時代からの同志・沖田総司が立っていた。「いや、何でもねぇよ。そういやお前ぇ、顔色が少し悪ぃな。」「最近暑かったから、夏ばてかなぁ。」そう言った沖田はくすくすと笑いながら土方を見た。「何だ?」「いえ・・土方さんっていつもしかめ面ばかりで、早く老けるんじゃないかなぁって。」「馬鹿なこと言ってねぇで巡察してきやがれ!」「はいはい、わかりましたよ。まったく、鬼副長はこれだからおっかないなぁ~」「総司~!」土方の雷が落ちる前に、沖田はそそくさとその場から立ち去った。「鉛と阿片を混ぜた怪しげな薬、ねぇ・・そんなものを作っているのは何者なのかしら?」「医学に通じている者でしょうね。やっぱり、凛が絡んでいるのでは?」「そう考えても良さそうね。」 美津と四郎が井戸端で薬のことを話していると、外から悲鳴が上がった。
2012年10月10日
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凛たちの計画は、着々と進んでいた。 彼女が桂に渡したあの液体は、「万病に効く薬」として洛中に売られ、その言葉につられた町民達が競うように買い求めた。「さぁさぁ、寄っておいで~、万病に効く薬だよ~!」「うちにも頂戴!」「うちにも!」薬売りがガラス瓶に入った液体を取り出すと、女達は奪い合うようにしてそれを手に入れた。ある者は自分の家族の為に、そしてある者は自分の美容の為に、毎日その液体を飲み続けた。その結果、ある出来事が新選組の耳に入った。「謎の液体を飲んだ町民達が次々と病に臥せっているだと?それは本当か、斎藤?」「はい、病に臥せっているものは、一人や二人だけではないそうです。」斎藤はそう言うと、溜息を吐いた。「そうか。斎藤、早速その薬の調査をしろ。」「かしこまりました。」斎藤が副長室から出て行くのを見た美津は、何か嫌な予感がした。「最近、洛中でおかしな薬が流行っているそうですよ。」「おかしな薬?」「ええ。飲めば労咳もたちまち治るという、万病に効く薬だとか。効果はあやしいものですね。」「もしかして、凛が裏でこの騒動を操っているのかもしれないわ。」「だとしたら、また彼女と会うことになるかもしれませんね。」エーリッヒはそう言って、眦をつり上げた。 美津達がいつものように巡察をしていると、何やら人だかりができている。「何かしら?」「行ってみましょう。」美津と四郎が人だかりを掻き分けていくと、そこにはあの液体を売っていた薬売りの姿があった。「旦那、どうです?これが巷で人気の・・」「これで本当に労咳が治るのかどうか、怪しいものだな。」四郎はそう言って薬売りの手から液体が入ったガラス瓶を奪うと、それを地面に叩きつけた。「何をなさるんですか!」「怪しげな薬を売れと命じたのは、誰だ?」四郎が薬売りの胸倉を掴むと、彼は首を横に振った。「うちは何も知りまへん!茶店で団子を食っとったら男に薬を渡されたんどす!」「どんな風体をした男だ?」「顔は笠を被っていて良く見えませんでしたが・・大小を腰に差してたから、多分何処かの藩侍やと思います。」「そうか。さっさと立ち去れ。今度薬を売っているのを見つけたら奉行所に突き出してやる。わたしの気が変わらない内に失せろ。」「へ、へぇ・・」薬売りは商売道具を路上に広げたまま、脱兎の如く四郎たちの元から立ち去った。「薬売りのことを副長に報告しなくてはなりませんね。」「ええ、そうね。」 四郎と美津が連れたって屯所へと戻ろうとしたとき、路地裏から抜き身の刃を光らせた男達が彼らの前に躍り出てきた。
2012年10月10日
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あの日―戦の火蓋が切って落とされ、故郷が紅蓮の炎に包まれるさなか、聖人が住んでいた村が凛率いる敵軍によって襲撃された。その時聖人は辛くも難を逃れたが、村は全滅し、将来を誓い合った許婚は聖人の腕の中で息を引き取った。“どうか・・仇を・・”今わの際に許婚が残したその言葉と、凛に対する憎しみを糧に、聖人はここまで生きて来られたのだ。「何を考えているの?」不意に凛が聖人の方へと振り向くと、彼の顔を覗き込んだ。 月光に弾かれた金の双眸が、禍々しくも美しい光を放つさまを見ながら、あの日村人達はどんな思いで彼女を見ていたのだろうと聖人は思った。「・・いいえ、何も。」「そう。今夜は月が綺麗ね。お前もそう思わないこと?」「ええ。」凛は聖人に抱きつくと、そのまま彼の唇を塞ぎ、後頭部に手を回した。「お前と祝言を挙げる日が待ち遠しくてたまらないわ。その時お前はどんな思いでわたしを見るのかしら?」「さぁ・・」「きっとお前はこう思うはずよ、白無垢に身を包んだわたしを見て、死んだ許婚のことを思い出しては、わたしへの憎しみを更に募らせる筈。」凛は歌うようにそう言うと、金色の瞳で聖人を見た。「どうして・・その事を?」「わたしがお前のことを何も知らないとでも思ったの?わたしに近づいたのは、許婚の仇を討つ為。そして利害が一致したからわたしと共に行動しているだけ。そんなことがなければ、望んでわたしに手を貸したりはしないわよね?」 凛を侮っていたことに、聖人は臍(ほぞ)を噛んだ。彼女はかなり用意周到な性格で、人の裏をかくことも平気でする。罪悪感や良心の阿責(あしゃく)といったものを一切感じないので、望んで悪事に手を染める。それが今、自分に仕えている主の本性なのだ。「ねぇ聖人、お前にわたしが倒せるとでも思っているの?」「思っておりませんよ。」「お前は嘘つきね。でも前の従者と比べてマシだわ。あいつは嘘をつくと顔にすぐ出てしまっていたもの。でもお前は違う。」凛の裏をかくには、感情を押し殺すこと―その事を常に自分の心に念じていた聖人は、凛に本音を言い当てられた時も感情の起伏を顔に出さずにいた。それを見た凛はもう興味を失ったかのような顔をして、聖人に背を向けた。「最近お前はつまらないわねぇ。わたしがからかっても何の反応もしない。まぁ、いいけどね。」「すいません・・」「いいのよ、謝らなくて。」彼女は今何を考えているのか、聖人は未だにわからずにいる。だが人には他人には見せない所はひとつやふたつある。凛の場合は、その部分が多いだけだ。「さてと、またお父様に怒られるわね。」「わたしがうまくやりますから。」「そうこなくっちゃ。」 一度絡みついた蜘蛛の糸は、どう身を捩(よじ)っても逃れる術はない。
2012年10月10日
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「元気そうね。」「誰かと思ったら、四条のお転婆娘か。一体わたしに何のようだい?」「決まっているじゃない、例の計画のことよ。」凛はそう言って、桂に微笑んだ。「もしかして、何かを企んでいるのかい?」「ええ。だってそうしないと、彼女と遊べないんだもの?」「彼女?それは一体誰のことだい?」「今にわかるわよ。」凛はニヤリと笑うと、桂が持っている猪口を奪い、その中に入っていた酒を一気に飲み干した。「ああ、美味しいお酒ね。今夜にぴったりの味だわ。」「君も大変だな、こんな主を持って。」凛を無視して、桂は彼女の傍らに立っている聖人にそう言うと、彼は静かに首を横に振った。「いいえ、この方に長い間お仕えしておりますが、退屈したことは一度もありませんよ。」「そうか・・変わり者だな、君も。」聖人への侮蔑を込めた言葉は彼に届かなかったらしく、彼の笑顔は崩れることがなかった。「さてと、もう顔ぶれも揃ったところだし、計画について話しましょうか?聖人、あれを。」「はい、お嬢様。」聖人はそう言うと、懐からガラス瓶を取り出した。その中には、乳白色の液体が入っていた。「それは?」「計画に使うものよ。成分は教えないわ。西洋で万病に効く薬といえば言いかしらね?」凛の金色の瞳がきらりと光ったのを見て、彼女を信用してはならないなと桂は思った。「そうですか。それで、わたしは何をすれば?」「できるだけこれを洛中にばら撒いて頂戴。」「目的がわからない限り、こちらで協力することはできませんが?」「そう。じゃぁ仕方ないわね、あなたにだけ話すわ。」凛はそう言って立ち上がると、桂の耳元に何かを囁いた。「ほう・・それは面白い。」「でしょう?」桂は凛の顔を見て少し逡巡した後、彼女の計画に協力することを決めた。「これから楽しくなるわねぇ。」「ええ。お嬢様、余りはしゃぎすぎて羽目をはずされませんよう。」「わかっているわよ、そんなこと。」凛はそう言うと、聖人に抱きついた。「さてと、色々と忙しくなるから、今日はもう帰らないとね。」「ええ。」髪に挿した簪を揺らしながら歩く凛の後をついてゆく聖人の浅葱色の瞳には、暗い影がさしていた。(まだだ・・まだ彼女を殺すのは早い。)鯉口へと伸ばしかけた手を、彼はそっと下ろした。 彼女は自分に忠実な従者であると、信じて疑っていない。自分が彼女に対して激しい憎悪と復讐心を抱いていることに気づきもしないで。 この作戦が上手くいったら、彼女を自分の手で葬り去ろうと聖人は決めていた。あの日、戦で失った多くの命の為に、彼は後戻りできない道に踏み込んだのだった。(わたしは絶対にやり遂げてみせる!)聖人の脳裏に、自分の腕の中で息絶えた許婚の顔が浮かんだ。
2012年10月10日
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「姫様、最近長州が怪しい動きを見せているとか・・」「そう。あの後で、長州は少し大人しくなったものかと思ったけれど、見せ掛けだったのね。」茶店で団子を食べながら、美津はそう言って四郎と長州勢の動きについて話していた。 八月十八日の政変で、会津と薩摩が長州勤皇派を京都から追放して以来、長州はなりを潜めてきたが、桂小五郎が再び上洛したという情報を入手した土方達は、長州の動きを警戒していた。その政変後に会津藩から働きを認められ、「壬生浪士組」から「新選組」へと名を改めた美津達は、以前よりも一層巡察に精を出していた。「あの人たちも京から居なくなったのかしら?」「さぁ・・彼女はまだこの京に留まっているでしょう。」「彼女なら、自ら騒ぎを起こしてそうね・・」美津はそう言うと、凛の金色に輝く瞳を思い出した。 彼女と自分は、この世に生まれ落ちたその瞬間から長い因縁で結ばれている。凛は常に人を操り、騒ぎを起こし、策を練っている。あの事件も、彼女が絡んでいるに違いない。「ねぇ四郎、凛は一体何を考えているのかしら?」「それは、彼女にしかわかりません。」「そうね・・」美津はそう言って溜息を吐くと、ぬるくなってしまった茶を飲んだ。「退屈だわ。」 一方、凛は自分の部屋で退屈そうに髪を弄っていた。「どうなさいましたか、お嬢様?」「ここのところ、全然面白くないんだもの。」「そうでしょうか?」そう言って凛の前に腰を下ろした聖人は、にっこりと彼女に微笑んだ。「“彼女”は、着々と事を進めておりますよ。」「へぇ、そうなの?」うつむいていた凛は顔を上げると、金色の瞳を輝かせながら己の従者を見た。「その“彼女”っていうのは誰かしら?一度会ってみたいわ!」「そう急かなくても、すぐに会えますよ。」「楽しみね。」これから始まるであろう騒乱を期待しながら、凛は爛々と瞳を輝かせた。「桂様、わたしです。」「絢か、入れ。」「失礼いたします。」 桂の潜伏先に向かった絢は、彼が泊まっている部屋へと入った。「例のものは準備できました。」「そうか。手筈どおりに計画を進めておけ。」「わかりました。では、わたしはこれで失礼いたします。」「ええ・・」絢が宿から出ると、嬉しそうな顔をした凛が彼女に抱きついてきた。「計画は上手くいきそう?」「ええ。抜かりありません。」「そう。必ず成功させてね。失敗したら、鬼姫様と戦えなくなるもの。」「前からお聞きしたいことがあったのですが・・」「何かしら?」「その“鬼姫様”とあなた様は、切っても切れぬ仲なのですか?」「ええ。腐れ縁、とでも言うのかしら?まぁこっちにしちゃぁ、迷惑なものだけどね。」「そうですか・・ではこれで失礼いたします。」絢は凛の言葉を聞いた後、そそくさと凛の元から去っていった。「何なの、あの子。面白くないわ。」「さぁお嬢様、行きますよ。」「言われなくてもわかってるわよ。」 凛は聖人とともに、先ほど絢が出て行った宿の中へと入っていった。
2012年10月09日
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