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日の丸の幟は、室町時代前夜、南朝で登場し、江戸時代には徳川幕府の公用船に掲げられた。同時に、民衆の素朴な『太陽信仰』と響き合い、旗ではなく「めでたい」扇子の意匠として普及した。
日章旗は1859年の開国当時、船に掲げる国旗として採用された。もちろん、幕府は公武合体政策を貫いた時代であった。しかしながら、「都の天子様」の存在はまったく意識に無かった人々にも、縁起が良いものと感じられただろう。 (いうまでもないが、記紀神話は『太陽信仰』に属する王朝由来譚である。)
旭日旗は多数の光線を放つ意匠で、 商船などが掲げる国旗
との区別を際立たせている。1870年の太政官布告では光線を16本とする「陸軍御国旗」に統一された。1889年には、陸軍の旭日旗の「日の丸」部分の位置をやや旗竿に寄せて「軍艦旗」が制定された。
如月氏は、国旗というものはたいていの場合、国としての理念や歴史をデザイン化したものだ、革命や独立など、苦難に満ち、犠牲者の血で彩られた歴史を反映している場合も珍しくない、と言われるがその通りであろう。
旭日旗は、戊辰戦争という『 王政復古 』の内戦に始まり、実質的な 革命 軍旗である。しかし、旧幕府軍が掲げていた旧体制の国旗・日の丸は、この旗に取って変わられることにはならなかった。その理由は何か。
多くの日本人が好きなデザインだったことに帰するのは、暢気に過ぎよう。むしろ、良識ある日本人であれば、敗者を蔑(ないがしろ)にしない懐の深さに改めて着目して頂きたい。
日の丸の意匠は江戸時代には船印になるとともに、民間では祝い事 (非日常の祝祭)に日の丸の 扇子
(縁起物) として用いられていたことは知られている。加えて、光線を伴う赤い半円形の朝日が絵に描かれることがあり、中には、福の神の参詣 土産
(縁起物)になることもあった。

しかしながら、戊辰戦争からの旭日旗の意匠は、中央から放たれた光線が円形には納まらず、旗の 四隅まで埋め尽くし
、また、日輪が地平線の上方向に顔を出すのではなく 上下対称に展開
していて、江戸時代から伝わる縁起物とは明確に異なる 斬新な創作物
である。
過去の軍旗・軍艦旗であり今も自衛艦旗である旭日旗は、街頭で行われる軍の祝賀行事には登場するが、どこかの寺社の参詣土産、「日の丸の扇子」、「正月の掛軸」などとは異なり、縁起の良い品物またはおめでたい意匠としてきた 伝統
は無い。
勝利を祈願する縁起物だからという理由付けで、サッカーの試合で応援席に持ち込みたいという主張は、日本の伝統文化を理解していない。準国旗だと主張する向きもあるが、国内の統一を乱す愚行である。
自らの国旗の歴史を忘れた国民に未来は無い。
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