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早くも夏休み最後の一日となってしまい、新学期を迎えるお子さんたち、そして家族の皆さんも楽しみで仕方が無いことでしょうね。さて、タイトルを見つけたのは27日付け地元紙のくらし欄。気になったのでそのまま引用させていただきます。 『朝起きられない、たちくらみがする、といった症状があるのに受診しても以上がない。こんな子どもは起立性調節障害(OD)を疑ってみて、と日本小児心身医学会が呼びかけている。不登校を伴う場合もあるが「怠けているのではなく病気。気の持ちようだけでは治らない」と理解することが治療の鍵という。 規律製調節障害かも 脳血流の低下が原因 ODは、ドイツの医師が1950年代に報告した。食欲不振や頭痛などさまざまな症状が午前ちゅに強く現れ、午後は回復、夜は元気になり眠れないことが多い。天候や季節により症状の程度が違うこともあり、約半数に不登校が伴うとされる。 原因は、自律神経の働きやバランスが悪くなり、起きたり建ったりしたときに脳などへの血流が低下、血圧が下がるため。遺伝的な体質やストレスが影響するという。 ただ、一般の診察や検査では異常は見つけにくい。2006年9月、医師向けにODの診療指針をまとめた同医学会作業グループの田中英高大阪医大准教授(小児科学)は「受診しても、気のせいとか精神的な問題と言われることもある。怠け癖や夜更かし、学校嫌いのせいだと思うかもしれませんが、体の病気です」と説明する。 患者は推定で中学生の約1割、女子にやや多い。小学校高学年から増え中学で急増することから、思春期の体の変化が関係するとみられている。 ■家のそばで寝た 大阪府に住む高校1年の少年に症状が出始めたのは、小学4年のころ。起きられず週の約半分は遅刻、休みも増えた。家族にランドセルと一緒に放り出され、家のそばで寝たこともある。中学では母親と呼び出され、生活指導を受けた。 病院を転々とした後、中学一年の後半にODと分かり、現在も治療中。診断がつかなかった答辞を「体がしんどかったが、サボりぐせみたいに見られるのは仕方ないかな、とも思っていた。周りに理解されず苦しかった」と振り返った。 ODと診断されるのは1、立った際に一時的に下がる血圧の回復に25秒以上かかる。2、立ったときの心拍数が1分間に115以上か立つ前より35以上増える。 3、起立中に突然血圧が下がり意識低下、消失が起きるー などの場合。 さらに、心理面の関与を調べるため、問診で保護者や本人に「学校を休むと軽くなる」「気に掛かっていることを言われると悪化する」ことなどがあるか尋ねる。 ■数ヶ月で改善も 治療で優先するのは、本人や保護者がODをよく知ること。まず不安を軽くするためだ。 日常生活ではゆっくり立ち、血圧低下を招く暑い場所を避ける。自律神経の働きを損なうので日中は体を横にせず、散歩など軽い運動も有効。血圧が下がるのを防ぐ薬物療法もある。 敬称だと数ヶ月以内に改善する。生活に支障がある中等症の回復率は1年後で約50%、2~3年後では70~80%。不登校がある重症例では1年後の復学率は約30%で、社会復帰には少なくとも2~3年はかかるという。 学校の理解、連携も必要になるため、同医学会は学校への指針普及にも取り組んでいる。 田中准教授は「保護者は病気を受け入れ、子どもを信じ見守ることが重要。ODと分からないまま困っている子どもは多いと思う。早期の受診が早期治療につながる」と話す。ODの診療医療機関は、低血圧サポートグループのホームページ(http://www.inphs.gr.jp/)を参考に、としている。』 何なんだろう、血圧低下でこんなことが起きるだなんて。ってことは普段から血圧が高い人は要注意ってことになるのかなぁ。私を襲った症状は、寝返りをうったら吐き気に襲われ、立つことさえも出来なかったから、また違うんだろうと思う。でも、何かホルモン系のものが作用しているような?と思ったのは、調理作業中でも胸が悪くなってお手洗いへ駆け込んだことがあるから。薬剤師さんに相談したら、「胃腸よりも、ホルモンバランスが崩れたからや。」と仰った。ただ、心拍数は常に100以上。これも本当は陸上で思いっきり走っているのと同じ状態なんだとか。おい、私の心臓は大丈夫なのかなぁ。。。? と、夏休み最後の日に、心配な方はどうぞ受診または相談されてみてはいかがでしょうか。 エッ?私?私は。。。ただひたすら寝ていました。医者に行く元気があるなら病気じゃない!実はこれが私の信条でして。。。
2007.08.31
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何も昨夜「地元の方の」コーラスの練習があったから思ったわけじゃないけど、何かひな壇に並んだ合唱団を思い浮かべるような咲き方で目を楽しませてくれた朝顔に思わず携帯を近づけてしまいました。といっても画像が携帯なもので、段々になった感じはつかめませんし、五輪を全部写したいと欲張ったらこんなに小さくなってしまって、とても合唱団とはいえませんが、クインテットならこんな感じかな?とお許しくださいまし。 どこの地区か私には不明ですが、猛暑の為、栽培したレタスのうち、半数近くを廃棄処分にしたとか。廃棄せざるを得なかったのは、猛暑が続いたため、中が茶色く変色してしまうのだそうで、カルシウムを十分吸収できなかったことによるものだとか。 スーパーなり、八百屋さんへ行けば手軽に手に入る野菜たちも、農家の人たちのこうした苦労があってこそなんだということをかみ締めさせられました。まぁ、我が家は稲と玉葱だけの兼業農家ですし、来年はどうやら玉葱の作付けは中止するとのこと。 野菜などは本当に天候に左右され、農家の方々のご苦労もとても一言では言い表せません。酷暑、猛暑。。。いつまで続くのでしょう。冷夏と噂されていたこの夏。天然の氷を使ったかき氷屋さんも、後一週間分の氷しか残っていないのだとか。暑いから氷を食べたい。でも、暑いから溶けてしまう。当り前のことなんだけど、人間って贅沢なのかなぁ。。。?
2007.08.31
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思えば3月から全く手をつけられなかったblog。皆さんのお陰で、丸三年が過ぎ、4年目を迎えることができました。本当に有難うございます。亀よりノロい歩みではありますが、楽しみながらこれからも続けたいと思います。どうぞこれからも宜しくお願いします。 長野県上田市で起きた事故については、とても他人事とは思えません。淡路島最南の海岸線をひた走りに走る。なんてことはバイト先が変わったため私自身にはあり得なくなりましたが、右に海をみて走るその海岸線はいつ岩盤が崩れるとも限りません。幸い今回の事故では怪我で済みましたが、大雨の後の災害などが起こることがありませんよう祈るばかりです。
2007.08.31
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おかしいなぁ。欲張って、もう一つ写真を載せようと欲張ったのがいけなかったのか、書きかけた日記が駄目になってしまった。画面を縮小して、楽天フォトに行くことは出来ないのかなぁ。一度に2枚アップロードすれば良かったんだけど、途中のアップというのは無理なのかなぁ。まぁ、気を取り直して。。。と、一日休みで時間が取れないなんて、一体どういう生活してんだろう。落ち着いて座ったらこんな時間。。。おまけに今夜は「地元の」コーラスの練習があるし、時間が無いからと焦っていたのが余計時間を取ることになってしまった。。。 緑の中に何か赤いものを見つけて近づいてみたら、何とボケの蕾がいくつか。葉は夏で暑いせいか、青々と茂っている感じで、冬とはまるで趣が違う。何か、大発見した感じで携帯を近づけてしまった。 姪の娘が丹精していた昨年、満開状態だったのに、何故か今年はやっと今日になって一つだけ花をつけたのを発見したので携帯を近づけてみた。まだまだ朝顔のツルの方が元気でそのうちに覆われてしまいそうな勢いだけど、何とか一つ咲いたのを見つけてホッとした。
2007.08.30
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入院している母が独居のため、郵便物を我が家へ転送する手続きをしたのは私だった。しかし、転送不要郵便物のことなど頭に無かったから、何もかも転送してくれるものと信じていた私がバカだったのか、幸い差出人が母の実家の配達局保険課だったから、長三封筒に入れて我が家へ転送してくださった。どうも郵便局ではそういうことになっているらしい。ところが、その封筒の中には、転居されたのなら転居手続きを取ってくださいなどと書かれている。母は転居したわけじゃない。家屋敷だってそのままなんだから、郵便受けへ入れることは出来た筈なのに、一旦郵便物転送届けが出されると、転送不要の郵便物は全て差出人に返されるらしい。まぁ、転送不要として差し出される郵便物は、明らかにそこに居住しているかどうかの確認が必要な場合に出されることが多い。なので、転送不要だからと差出人に戻されては困る場合だってある。こういうのは一体どうすれば良いんだろう?今回の場合、郵便局が差し出したから私が直接窓口へ行って話をすることができたけど。といっても、母の退院がいつになるものやら、さっぱりわからない。3月の手術だけで済んでいればお盆だって自分の家でのんびりと過ごせただろうに、7月の再手術になろうとは、誰しも思わなかったから、振り出しのまた振り出しに戻ったわけで、秋の彼岸だって自宅で過ごせるかどうか、怪しいもの。ってことは、そろそろ冬支度が必要だったりするのかな? まぁ、そんなことは横へ置いて、郵便物の転送届けの余りにも融通の無さに驚いた次第。まぁ、色んなケースがあると思うけど、家だって屋敷だってそのまんまにして入院しているだけなのに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう。簡易保険のことを知らなかった私も馬鹿だけど。。。誰しも母の入院がこんなに長引くなどと思っていなかったさ。
2007.08.29
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組閣に沸いた月曜日。27日付け地元紙でこんなタイトルを見つけたのは、勿論経済欄。副題に、組織、技術の継承が課題とあり、釘付けにされてしまいましたので、そのまま引用させていただきます。 『自動車や航空機用などあらゆる金属を削る工作機械に、用途に応じたドリルを固定する精密機械保持工具「ツーリング」。国内トップメーカーの大昭和精機(大阪府東大阪市)は、生産量の8割以上を淡路島内の工場でまかなう。淡路島出身の小峰毅社長は、投信ファンドが注目する株式市場や経済の東京集中には距離を置き、「業界の財産といわれるような企業体を構築したい」と話す。(内田尚典) -成功の要因は、 「旺盛な開発精神。プロ相手の製品で、千分の1ミリ以下の精度が要求される。良しあしは実際に使ってもらえれば分かる。高校卒業後から機械工業の業界で働き、40年前に北口良一社長(現会長)のもと数人で、東大阪から出発した」 「世界にないものを作る気持ちで独自開発に努め、ドリルを締め付ける部品のコレットを全品検査するなど、品質管理を徹底してきた。優れた欧州メーカーとは提携する一方で、中枢技術を維持する別会社も作った」 -淡路島に量産拠点を置いているのは。 「統廃合で売りに出された中学校跡地を取得したのがきっかけ。隣の学校の出身なので思い入れもあった。仕入れや出荷も淡路で直接やっている。進出当初は船便の時間待ちなどで輸送に苦労したが、明石海峡大橋が完成するなど立地の不便さを感じなくなった。国内のほかアジアや米国、欧州で現地代理店を通じて販売する。ブラジル向けも増えてきた」 -東京に拠点を移す企業が増えているが。 「淡路島でまとまった工場用地を確保しており、雇用もしやすい。親子二代や兄弟姉妹で勤めている社員もいる。海外の取引先の関係者をもてなすのにも好都合で、田園風景や特産の淡路ビーフなどが喜ばれる。経理や特殊品生産を担う東大阪とで役割分担ができている。グローバル化による日々の仕事の変化には、テレビ会議などの情報機器の導入で対応する」 -課題は。 「長年かけて築いた会社組織と技術の継承。ものづくりにかける中小企業に共通する課題だ。諸外国に比べ負担が大きい相続税の見直しを訴えている。経営が圧迫され、払えなければ資産を売却するほかない。外部の手に経営が渡った後も、企業理念や開発精神が維持される保障はない」 -上場の予定は。 「メリットがない。持ち合いが盛んだったかつての株式市場ならやれただろうが、バブルが崩壊し、株の買い占めを狙う投資ファンドが出てきた。増配要求や合併買収で短期的な利益を追求する考え方は、うちの方針とは相入れない。技術を磨くとともに、これまで掲げてきた“人間、地域社会と工場の調和”を大切にしていきたい」 こみね・つよし 59年洲本実業高校卒、68年大昭和精機入社。同社に勤務する一方で83年、洲本市内に高品質ツーリングの製造販売会社「ビッグアルファ」を起業した。02年から大昭和精機社長。洲本市五色町出身。 メモ 1967年設立。82年、淡路島に進出。2006年5月に淡路第五工場が完成した。ツーリングの国内シェアは約50%。単体で年商約200億円。経済産業省の07年版「元気なモノ作り中小企業300社」に選ばれた。』 “ビッグ”というとボールペンを思い浮かべる方もいらっしゃると思う。マークが同じだから、全く無関係ではないと思う。凄い会社が淡路島にはあるもんだ。と驚いたので掲載させていただきました。また、社長は実は夫の先輩に当たられるんだ。そして現市長の。勿論夫は電気科だから、出身校が同じというだけになりそうだけど。 道路も走り易く整備され、随分通勤の苦労が軽減されたと思う。実はこういうことだったんだな。と改めて知った次第。
2007.08.28
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初めてHPなるものを解説したのはGAIAXだった私は相変わらずHTMLを使って自分流にアレンジしたサイトなんて作れるべくもなく、移転した場所もやはりGAIAXだった為、廃止されると聞いて移ったのがrakutenのサイト。 紆余曲折を経ながらもここまで続けてこられたのは、皆さんのお陰です。本当に有難うございます。 相変わらず更新もままならない状態が続きそうですが、自分が楽しめるblogとして勝手書き放題に続けて行きたいと思いますので、どうぞこれからも宜しくお願いします。 まだまだ暑い日が続きそうですが、皆様にはどうぞご自愛なさってくださいませ。
2007.08.27
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郵便局でアルバイトをしている身の上(といっても7月10日から)ながら、ずうっと前から入っている生命保険があるため、昨年満期を迎えた簡保の養老保険を引き継ぐことなく満期保険金を受け取ってそのままになっている。 先日、入っている生命保険をもっと有利なようにしませんか?という誘いに乗って契約したら、本日面接士による面接を。ということになった。 今日のシフトは午前8時からだから家を7時前には出ている。仕事を終えて局を出たのはもう午後3時前。一旦母を見舞って戻ったらもう午後4時前。迷いに迷って昼食代わりの物をつまむことにする。 予定では午後4時半ということだったのに、4時過ぎに電話があり、「ちょっと早めてもらえないだろうか?」とのこと。「今お昼にありついたところだからもう少し待って」というと、予定通り午後4時半ということに。そして数分後の電話では「急に他の人と会うことになったから、時間を遅らせて欲しい」とのこと。おいおい。お絞りをレンジでチンして、コップには氷を入れて待ち構えているのに、これ?小口のお客はこんなにもぞんざいに扱われなければならないのかと、腹が立ってしまったものだから、収まらない。 面接士なる人が書類を示して私が記入すべきところを何と、ボールペンの先っぽで指し示すではないか。驚いた!というよりあきれてしまった。ブチ切れた私は「どんな教育受けたんですか?」と怒鳴ってしまった。おまけに「そんなこと言われたことありません!」とのたまう。確かにハサミを手渡すときには気をつけられるだろうが、ボールペンの先っぽを使って指し示すというのはどうだろう。手の指を何本か使うということは思い当たらなかったのだろうか。一体どんな社員教育をしてるんだろう、日本生命さんは。
2007.08.27
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平成10年度 じんけんフェスティバルin南あわじ というイベントがあり、その中で午前11時から始まるという野田淳子さんのトークコンサートは外せないとワクワクしていた私。 大阪に居た頃、堺市役所山彦コーラスに参加していた私は、間近でこの野田淳子さんの歌声に触れる機会に恵まれ、すっかり私のお気に入りの一人になっていて、淡路島でこの野田さんの歌を聴くことができるのなら。ということと、「楽しい方の」コーラスグループで10月7日に行うイベントでも扱う「金子みすずワールド」なんてチラシには書かれていたから尚更聴きたくなってしまった。 勿論金子みすずさんの詩に野田淳子さんが曲を付けられたものだったから、「私と鈴と小鳥と」でも、実際に私が手にしている譜面とはまるで違う。それでも、『みんなちがって みんないい』という部分を耳にすると、あぁ、やはり金子みすずさんなんだ。と思う。トークショーという形式だったから尚更野田淳子さんの金子みすずさんへの思い入れが伝わってくる。 ただ、母を見舞ってその足で給油。思い立って寄り道をしていたもので、開演時間には間に合わず、最初のトークを聞き逃してしまったことが本当に残念。 私が行ったときには、ジェット機の墜落事故で、操縦士たちはパラシュートで無事脱出できたのに、家を焼かれ、家族を焼かれ、黒焦げの死体となってしまった幼子の存在があったこと。 ご自身は1400グラムとちょっとの赤ちゃんを出産され、『命の重み』というものを切々と語っていらっしゃった。幼子たちのお母さんは、子供たちの不幸な結果のことを知らないで、火傷と闘っていらっしゃって、結局は5年の後に力尽きてしまったとのこと。 先日も沖縄で航空機の爆発炎上事故があったばかり。脱出できた人は本当に命からがら。という状況だったようで、犠牲者が出なかったのが不思議なくらい。 また、『大きな歌』というのを作詞作曲されたのが、野田淳子さんのご主人だということを知らされて驚いた。そして、やはり「千の風になって」を情緒たっぷりに歌ってくださる。加藤登紀子さんといい、野田淳子さんといい、「千の風になって」は女性が歌ってこその歌なんじゃないかなぁ?と思えてしまう。思わず一緒に声を出して歌ってしまった。 会場そのものは体育館で可動式の観客席をしつらえたものだから音響設備などは決して良いとはいえなかったけど、ギターの柔らかな音色。そして野田淳子さんのトーク。そして南こうせつさんのコンサートでは必ずバックでギターを担当していらっしゃるという新潟からかけつけてくださった方とのコラボ。名前は書かれていたけどごめんなさい。とってもとっても素敵なひとときを有難うございました♪
2007.08.26
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このとっても気になるタイトルを見つけたのは8月23日付け地元紙の政治欄の中の随想コーナー。スポーツジャーナリスト・二宮清純氏はこのように語っていらっしゃいます。そのまま引用させていただきます。 『猛暑が日本列島を覆っている、熱中症による死者も相次いでいる。炎天下でのスポーツは避けた方がいい。 熱中症を防ぐには汗などで失った水分の補給が求められる。日本体育境界によると「体重の3%の水分が失われると、運動能力や体温調節機能が低下する」という。だから「運動による体重減少が2%を超えないように水分を補給しなければならない」のだ。 また汗からは水分と同時に塩分も失われるため、「水分の補給には0.1~0.2%程度の食塩水が適当」とか。なるほど夏の甲子園を見ていても、選手達はひんぱんに水分を補給している。昔に比べると熱中症対策は随分、進んだように見受けられる。 というのも、私が中学生や高校生だった頃、「水を飲むな」は運動部の指導者の口ぐせだった。読者の中にも練習中、隠れて水をすすったところ、それが監督にバレ、大目玉をくった経験の持ち主が少なからずいるはずだ。 あるプロ野球選手は高校時代、外野へ球拾いに行くふりをして、グラウンドの向こうにある田んぼのの水をガブ飲みしたという。「水を飲むと試合中、“腹が痛くなる”と監督に教えられた。プロに入るまで、ずっとそう信じ込んでいた。“迷信”とは恐ろしいものですね」と苦笑まじりに語った。 まさか、このご時世、やみくもに「水を飲むな」と怒鳴る指導者はいないだろう。しかしだからと言って、今の指導の全てが正しいと言い切るのは早計だ。10年、20年後には「昔はあんな非科学的なことをやっていたんだね」と悔やむようなことを、ひょっとしたら、今の選手たちにやらせているかもしれないのだ。スポーツに限らず現状を疑うことなくして科学の進歩はありえない。 (にのみや・せいじゅん=スポーツジャーナリスト)』 参ったなぁ、『現状を疑うことなくして科学の進歩はありえない』ですって。“逆もまた真なり”ということとは違うかもしれないけど、案外こういうことって多い気がする。現状を打破する意味でも、ちょっと裏側から見てみるだけでパッと目の前が広がるような気になれるのも、こういうことが基本になっていそうな気がする。「認知行動療法」なんて学ばなくとも、誰もが自然に身についているんだ。人間って凄い!でも、地球温暖化を招いてしまったのもやはり人間なんだよなぁ。。。
2007.08.25
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天下の日本国営放送さんには叱られそうだけど、朝方ふと目が覚めたときに、このBGMが流れていました。肝心のお便りの内容はどこへやら。ですが、私ってば、いつもこんな風。音だけに生きてるってわけじゃないけど、アナウンサーさんの流暢な語りよりも、ついつい音楽に耳がいってしまう。。。 「歌の翼」は、実は私が高校一年のときに、三年生の先輩が音楽系大学受験のための日本語の歌として選ばれたものだった。ピアノ伴奏に合わせて丁寧に歌われるのを心地良く聴いていたものだった。 昨夜、随分長い間欠席のままだった「楽しい方の」コーラスグループの練習に参加して、個人的にパート練習をしてくださり、先輩のあのステキな声を間近に聴くことができたばかりだったので、ついついあの頃のことが蘇ってしまった。 イタリア歌曲の方は、私にはまるでわからなかったけど、日本語訳は「虚ろの心」だった記憶が。丁寧にピアノ伴奏をされる一年上の先輩も素敵だったけど、先輩はもっと素敵だった。 さて、今朝聴いたのは珍しくピアノ伴奏にギターが乗っかる感じのアレンジで、BGMには打ってつけなのでは?と感心させられた。 私が耳にしたときは。。。?とお便りの内容はやはり消えてしまっている。男性アナウンサーが「輪ゴムを洗って使う」。。。みたいなことを仰っていたような。
2007.08.25
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地元紙日曜日の教育欄には理科の散歩道というコーナーがあって、19日は温度計について。また副題として海面上昇もほぼ同じ原理と述べられている。そのまま引用させていただきます。 『厳しい暑さが続き、全国で気温40℃を超える地点が相次いでいます。自宅の温度計の赤い液体部分がどんどん上昇していきます。 ところで、温度計は、アルコール温度計と呼ばれますが、なぜかご存知ですか? 中の液体がアルコール、と思いますよね、違います。液体は赤色に着色した灯油や軽油などです。不思議ですね。その理由をたずねて温度計の原理と歴史をたどってみましょう。 温度が上昇すると、気体や液体、固体は、一部の例外はありますが、体積が増えます、温度計はこの性質を利用しています。約4百年前、ガリレオ・ガリレイは、気体である空気の膨張、収縮を利用して温度計を作りました。その後、アルコールや水などの液体を利用するようになっていきます。ところが、アルコールは80度強の温度で、沸騰して気体になるので、他界温度を測りたい場合には使えません。そこで、もっと高い温度まで液体の状態を保っている灯油や軽油が使われるようになったのです。しかし、当時の名残で、アルコール温度計という名前が今もつかわれているとされます。 水銀を使った温度計もあります。理科の実験室で見たことがあるでしょう。体温計もありますね。水銀は、マイナス40度くらいから350度くらいまでの広い幅で液体の状態です。また、膨張する割合はどんな温度であってもほぼ一定であることと膨張する割合が小さいため、精度の高い測定に適していますが、見にくいのが欠点ですね。 ところで、今、地球温暖化が叫ばれ、温暖化による海面の上昇が心配されています。テレビなどでは、温暖化による影響として北極海や南極海の氷が溶けて崩れていく様子が映し出されます。しかし、この映像から、海面が上昇する主な原因は北極海や南極海に浮かぶたくさんの氷が溶けるためと考えていませんか? コップに水を入れ、氷を浮かせます。時間がたてば、氷は溶けますが、水面の高さはほとんど変化しないはずです。浮かんでいる氷が溶けても水面は上昇しないのです。 では何が原因なのでしょうか。温度計は、温度の上昇による液体の膨張を利用していましたね。これと同じ原理で、地球温暖化が進むと、海水が膨張することによって水面が上昇することが、一番大きな原因なのです。大地にある氷河や雪原、氷床が溶けることも原因に加わります。つまり、ある意味で海面の上昇は地球規模の温度計といっていいのです。 私達は、今、一人一人が本当に地球温暖化防止を考えなければならないと思います。 (県立神戸高塚高校 高田泰英)』 “地球の温度計”だとしたら、一定に保つ方法。私たちの手にかかっているというわけですよね。早寝早起きは微々たるものかも知れないけど、前に“節”がつく言葉、あのオイルショックのときに流行りましたよね。節電、節水などなど。確か琴欧州さんもCMでやってますよね。気をつけなければ。
2007.08.24
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地元紙8月20日付けくらし欄で、聞いて! 私の病気としてシリーズで紹介されている、26回目は統合失調症が紹介されている。副題に『あくせくした生活から脱出』とあり、目を惹いたのでそのまま引用させていただきます。 『“統合失調症の一般的な経過と症状”前兆期=発症前のサイン。神経過敏、あせりやすい、ゆっくり休めないなど。 急性期=入院前後に多い。不眠や幻聴、妄想など。 休息期=投薬などで急性期の症状がおさまり、活力が落ちた状態。強い眠気や意欲低下、甘えなど。 回復期=徐々にゆとりが出て周囲への関心が増す。回復に数年かかることもある。 私は週2日、自宅近くの工場で、5時間ほど製品の出荷作業などの仕事をしています。パートで月収3万円ほどですが、一般企業で働けることがとてもうれしい。統合失調症を抱え、再び社会参加できるなんて思っていなかったから。病気を理解した上で雇ってくれる会社に感謝しています。 症状は改善しているとはいえ、健常者よりも疲れやすく、仕事中に休憩が必要なときがあります。「ゆっくりやりよ」という上司のさりげない気遣いがありがたい。できればもっと働いて収入をふやしたい。でも、まだ働き始めて二ヶ月。今は体調を維持し、続けることが大切だと思っています。 ◇ ◇ 発症したのは大学時代で、海外留学中でした。毎日朝8時から夜2時まで語学を学び、頭の中はいつも勉強のことでいっぱい。慣れない外国暮らしに加え、何でも徹底して取り組む性格で、ゆっくり話したり休んだりすることがないまま、次第に行き詰まっていったんです。 留学して三ヶ月ほどたったころ不眠になるなど体調を崩し、現地の精神科を受診。一年間の予定を繰り上げて帰国し、精神科に入院しました。 突然、次の日にスタジアムのステージでギターを弾くと信じてしまうなど、現実からかけ離れた思い込みが激しい状態でした。いずれも「急性期」と呼ばれる病気の初期に顕著な症状でした。 当初は心身を休ませるため、睡眠薬を飲んで一日のほとんどを寝て過ごしました。その後は面会者が来ても起き上がれないほど副作用の強い薬を飲むこともあり、つらかったですね。ただその結果、半年ほどでよくなり、退院しました。 ◇ ◇ 大学を卒業して就職。症状が改善していたので、みんなと同じように一生懸命働けばいいと思い、病気のことは会社に伝えませんでした。 ところが、まもなく心身の落ち込みが激しくなるなど病状が悪化。会社に事情を話すと「なんで入社のときに言わなかったんや」と攻められました。結局、再入院して退職。その後も工場や福祉施設などで働きましたが長続きせず、転職と入退院を繰り返しました。 次第に健常者のように働くことが難しいと考えるようになり、一般企業への就職をあきらめ、障害者作業所を選びました。病気さえなければ、商社マンや銀行員になっていたかもしれないのにと、病気を恨みましたね。 けれど、作業所で同じ病気の患者たちと話すうちに、あせっても仕方がない、ゆっくり病気と向き合っていこうと思えるようになりました。その気持ちがかえって、再就職の足掛かりになったと思います。 病気でつらい思いをしてきたけど、プラスに思うこともあります。ゆとりを持って生きる良さを知ったこと、健康なころは、いつも何かに追われてあくせくしていたから。お金では買えない豊かな気持ちを、病気のおかげで手に入れたんですよ。(聞き手・本田純一)』 こんな風に思えるようになったことが凄いと思う。『お金では買えない豊かな気持ち』こう言い切ってしまえるところがとても素敵だと思う。紆余曲折を経て今があるということ。そして“薬”は確かに便利ではあるかも知れないけど、きつい副作用によって人格までをも変えてしまうとしたら、やはり出来ることなら飲まないに越したことはないと思う。 朝青龍さん。どうか元気になって欲しい。でも、結果を焦らないで、ゆっくりで良いんだと思う。。。って、横綱さんの場合はそんなこと言ってられないのかな?
2007.08.23
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母を見舞って、病院からは一番近い郵便局へ着いたのは午前9時前。私の目的はATMだったから関係なかった(窓口は9時きっかりにしか開かない!)けど、何通かの封書を携えていらっしゃったお客様の姿はどこへやら。窓口が開いていないんじゃ切手も買えない。 素敵な葉書に貼りたいと、50円の記念切手が欲しくなって我が家からは最寄の局へ移動。車を走らせているうちに開局時間になるだろうし、一旦家へ戻りたかったものだから丁度いい。 流石に取り扱い件数の多い特定郵便局だけあって、ずらりと50円の記念切手が揃っている。ラッキー♪ お隣の窓口へ現れたお客様。何故か80円切手しかないからと残念がっていらっしゃる。本当なら5円の手数料を出せば50円と30円の切手に交換できる筈で、もっと厳しく言えば、80円切手を交換するとなれば、手数料の5円を引いて、75円分の切手と交換できるし、郵便料金還付請求というのをすれば30円は戻されたはずなのに、横から私が口をはさもうとすると、窓口の局員さんは「シィッ!」と口に人差し指を当てる。アレッ?いつから還付請求は出来なくなったんだろう? 確かに、さっきから雛形を見るつもりで『郵便ホームページ』を開いてみても、該当の項目が見当たらない。ってことは料金の還付請求はできなくなったってこと?なら、私が横から要らぬ口をはさまないのは正解だったってことなのかなぁ。。。? とおっても窓口の人が親切だったし、我が家からは近いからお気に入りの局だったのに、何だかなぁ。って感じ。 でも、交換手数料の5円を損するだけでそのお客様は50円の切手を手に入れることは出来たはずなのに。。。あれれののれが多過ぎる、一体何故なんだ?
2007.08.23
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朝から私が大っ嫌いな歌い方をされる、秋川さんの「千の風になって」がかなりの売り上げを伸ばしたと報じられている。 本当に新井満さんの気持ちを歌っているのだろうか。私はとある日、ラジオ番組で加藤登紀子さんが歌う「千の風になって」を聴いて、これぞ新井満さんが求めていらした「千の風になって」じゃないかと思った。 悼む歌をろうろうと歌われるのはどうかと思う。例えば、♪千のか~ぜ~に♪のこの『に』を伸ばして歌うのはどうかと思う。 ところが、加藤登紀子さんは本当に語りかけるように歌っていらっしゃった。これが本物の、万人が求めていらっしゃる「千の風になって」なんじゃないかな。と私は昨年NHKの紅白歌合戦で取り上げられたという秋川さんが歌う「千の風になって」を聴いて、思わずチャンネルを変えたくなってしまったのだ。 賛否両論は色々あると思う。クラシカルに歌うのは結構だと思う。でも、アリア風にろうろうと歌う歌ではないように思うのは私だけだろうか。 私は、公立の星佐賀北高校ごとく、加藤登紀子さんが歌う「千の風になって」に軍配を挙げたい!
2007.08.23
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例えば「夏の思い出」という曲は二部合唱で歌われることが多いけど、大抵はメロディーラインの三度下でハモることになる。三度上という「夏の思い出」は聴いたことがない。ところが、この「戦争を知らない子供達」の場合は何度か上でハモるようになっていて、それが絶妙のバランスだったりする。だからついついメロディーよりも、そのハモリの部分に耳がいってしまう私。 髪の毛が長いこと。。。これは多分男性の長髪を指していると思うけど、最近は極端に長く伸ばした男性を見かけなくなった。もしかしたら、これは淡路島という田舎だからなのか。許すも許さないも、長かろうが短かろうが他人のことには見向きもしなくなってしまった現代、事情は違ってきたかもしれない。 涙をこらえて歌う「平和の歌」って一体何だろう?もしかして、ベートーヴェンの「第九」だったりはしないのかなぁ?仲良くすることって、平和の原点そのものな気がするんだけど。
2007.08.22
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『GRAPE BEST1973-1976』というのを発見したのはいつだったろう。高校を卒業したのが1974年だから。。。と既に年齢がバレてしまったけど、まぁ、そんなことはどうでも良い。母の妹宅でありながら、私は高石市の存在すら知らなかった。そんな私を支えてくれたのが、『三年坂』のアルバム。中野サンプラザで行われたという、さよならコンサートのライブ盤だというのを手に入れてから知った私。 アレンジ・指揮を服部克久氏に依頼してそのコンサートは開かれたらしく、服部克久氏の本当に綺麗なアレンジにウットリさせられたものだった。また、さだまさしさんの巧みな話術にも引き込まれてしまった。 どの曲がどう。というのではなく、とても歌詞を大切にされる歌い方。だから好き♪まぁ、同じ音楽でも、この部分が好きとか嫌いとか、好みは人様々だと思う。でも、本人が楽しんで聴く分には良いんじゃないのかな。 というわけで、夫が家出(出勤)したのは午前6時前。今日の現場は神戸市にあるとある大学なのだとか。まぁ、私にはCD三昧で過ごせることがたまらなく嬉しい。本日3回目の洗濯が終わったら、母の元へ急がなきゃ。まぁ、それまでは許してくださいな。 今、今朝から2回目(アルバムは2枚組みだけど、「線香花火」で始まる方)の「雨宿り」が始まったところ。それにしてもどうしてこうも女の子心がわかるんだろうねぇ、さださんてば。
2007.08.21
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何故か月曜日の朝にも新聞に折り込みチラシが入れられるようになって、今朝見つけたのがこのチラシ。 ワ~イ♪あの、野田淳子さんに会えるんだ。なら行かない手はないよね。午後2時から開かれる淡路合唱連盟の理事会に間に合うように、11時から12時30分までという設定も良いじゃん♪ って、このコンサートだけが目的で出かける。なんてちょっといけないのかなぁ。でも会いたい、野田淳子さんに。 『ご来場者には、啓発グッズのプレゼントや淡路ファームパーク イングランドの丘、市内温浴施設の入場割引券をプレゼント』なんて文字も。いや、そんなことはどうでもいい。野田さんの歌声が聴けたならアトは何にもいらない。でも、最初のイベントが午前10時から始まってるんだったら、早目に家を出ないと駐車場の問題が。。。 休みにしてくださった、上席さん、本当に有難う♪
2007.08.20
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バイトのシフトの関係で朝目覚めるのが早くなったのは良いけれど、2回目に回した洗濯物(寝具など)を乾燥機へ放り込んで、先ず母が入院している整形外科へ。保冷剤、カチンカチンに凍らせた湯冷まし、麦茶と、転送されてきた母宛の郵便物を携えて。 ベッドの頭の部分を起こして母はもう朝食を食べる体勢になっていた。枕カバー、ベッドに敷いたバスタオルなどを交換したいからと、車椅子へ移動してもらって手早く綺麗なものと交換。そして、ベッドの下に散乱したゴミを片付ける。朝食が運ばれてきたけど、保留して貰って、母を食べられる体勢に戻して朝食のトレーを受け取る。 持ち込んだ保冷剤はもう溶けてグチャグチャになっている。古くなった湯冷まし、麦茶、洗濯物などを引き取って帰宅。早速洗濯物を洗濯機へ放り込み、引き取った湯冷ましや麦茶は流しへ捨て、今朝沸かして冷めたものと詰め替えて冷凍庫へ。 朝からこんなことができるのは今日のシフトが午後1時からだから。朝8時の出勤だと、とてもこんなことはやっていられない。必死で頑張っても、朝8時の朝食タイムに間に合わないことの方が多い。すると、同部屋の方がテーブルなどを用意してくださる。申し訳ないと思いながら、家政婦さんほどのことはできない自分に諦めの気持ち。 日曜日の朝の楽しみは何といっても「題名の無い音楽会」それに続く恵さん司会の番組。数少ない私のお気に入りのテレビ番組だから、できることなら外したくない。だから焦ってしまう。 昨日買い損ねたお酒をゲットしようと、JS3EZZさんが今日は日直でもあることから、酒造会社へ。 それで結局は「題名の無い音楽会」が始まって15分後の帰宅。私にはこれが精一杯。そろそろ早目の昼食準備をして午後1時からのシフトに備えることにしようっと。
2007.08.19
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月曜日(19日)のシフトがようやく午後1時からと決まったので、今夜のコンサートに出かけることに。 昨年も淡路島でコンサートを開いた木住野佳子さん。確かクラシックがメインだったと思うけど、私は行くことができなかったから、今年こそは。と楽しみにしていた。 ドラムとコントラバスが加わってジャズと言えばジャズの演奏。ご本人はどうやらジャンルには拘りたくない様子。道理で「Nostalgia」はとっても素敵だった。また、「G線上のアリア」の最初の部分をコントラバスが奏でてくれる。チェロとはまた違う響き。へぇ~、コントラバスってこういうことも出来るんだ!と感動。 残念だったのは、田舎のことだから仕方がないのか、子供たちがチョロチョロしていたこと。演奏中にも関わらずお手洗いに抜けては入って来る。二人のお嬢さんを連れたご家族。一人目の女の子に続いてお父さんが監視役で?と思ったら暫くしてもう一人が立つ。で、母親はそのまま席に座ったまんま。まぁ、演奏を聴きに来たんだから、聴いているのが当り前なんだけど、何か違うんじゃない?女の子がお手洗いに立つのに、お父さんが付き添いとは。あきれ果ててしまった。 木住野さんは3歳の頃からピアノを始められたとかで、そのせいか、生のピアノを聴かせたいと思ったらしい親子の多いこと。私ははなから「ジャズ=大人の雰囲気」と期待していたから、まるでアテが外れてしまった。みんなで楽しもうというのは分からないでもないけど、それなら小さい子供が聴いても飽きのこない曲を選んだだろうに。「ジャズ」と銘打ったコンサートに未就学児童はどうかなぁ。座席を埋めることだけを考えたなら、せめて「ふれあいコンサート」ぐらいにして欲しい。それなら小さい子がチョロチョロしようが、走り回ろうが気にはならなかったかも知れない。2000円だから偉そうなことも言えないのかな?
2007.08.18
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花火の画像を届けてくださった、JS3EZZさんのお友だちが何と山形県から、彼のお勤めの酒造会社・都美人酒造株式会社へ酒蔵見学をしたいと仰ったらしく、JS3EZZさんのご自宅からより遥かに近い場所に住んでいる私もお誘いを受け、一緒に見学させていただくことに。 『無限庵』から出てきた二人連れの若い女性。。。何と、その山形からお越しのご夫妻にはお嬢さんが一人のかたと大学の同級生だということ。また別の青森県出身の方もお兄様が弘前大学では先輩に当たられるという偶然。 お二人は、我が家からは程近いおのころ島神社を参拝され、巫女さんに紹介されたので歩いて来られたとのこと。お若いから出来たことなんだと思う。まぁ、都会暮らしの人にはこれくらいの距離を歩くのは当り前のことかも知れないけど。それにしたって、真っ青な空の下を歩くのだから暑いなんてものじゃなかった筈。 何もかもが機械仕掛けになってしまった現在もかたくななまでに拘って“天秤絞り”を続けている酒蔵。おのころ島神社からだと三原川沿いに南下すること約1キロ?社屋というか工場群が南北に長いものだから、敷地へは辿り着いても玄関は。。。?若い二人には高速バスの時間もあるというので、最後は慌しくなってしまったけど肝心の酒蔵にまつわるお話よりも、青森県の話に花が咲いてしまった感じ。まさか淡路島の酒蔵でこんな出会いがあろうとは。辺見えみりさんのお陰で参拝者が増えたおのころ島神社。早くも縁を結んでくださったということかな? 山形からのご夫妻にしても、大学生のお二人にしても淡路島でどうぞ素敵な思い出ができますよう。。。
2007.08.18
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毎月18日がお給料日とあって、18日が土曜日のため17日に給与明細をいただいたのが嬉しくて、局の玄関脇に植わっていたこのタラヨウ 前から気になっていつか携帯で。と思っていたが、初給料記念日ということで。 正味6時間勤務だから、以前の職場よりはるかに手取りは良いのは当り前だけど、時間だけの計算だとたった15日で90時間も働いたことになるのはやはり嬉しい♪ それにしても不思議な木があるもの。はがき代わりにもなっていたというこの葉。最初に発見した人も凄いと思う。木そのものに目がいってしまい、バックに車がしかもナンバーまでくっきりと写ってしまっていたので切り取ったため、大きさの違う画像になってしまいました。 4月20日は逓信記念日。だから4月20日に植樹されたのかな?郵便局を辞めて随分経ってしまったから今でも逓信記念日そのものが残っているかどうかまでは実は知らない私。
2007.08.17
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根っからのテレビっ子である夫。テレビが無ければ夜も日も明けないらしい。お陰で、大好きなCDが思う存分聴けるチャンスを与えられた私は、思わず、ラッキー♪。 夫にとってテレビとは、どういう存在なんだろう。音がしていれば良いなら別にCDでも良いじゃん。と思うのに、テレビを点けたまま一生懸命鼾をかいている。それが私には不思議でたまらない。 「目のためにも、暫くテレビは我慢しようよ」と私。さて、いつまでテレビ無しの生活が出来るものか。。。こんなのは全く初めての経験だから、パソコン三昧にCD三昧に。。。それからそれから。。。っと、ピアノと真剣勝負もしなければならない私。 テレビなんか無くったって、ちぃ~っとも困らない私。
2007.08.15
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毎月15日はJAあわじ島の広報が入る。毎号に深層として代表者の方のコラムが載せられている。今月号は「昔の食育」と題されていたのでそのまま引用させていただきます。 『小学校二年生ぐらいの頃だろうか。「はい、たくあん」テーブルの真ん中に置かれたたくあんに、さっと箸をだしてたくあんをつかんだ私に、「真ん中から取るな!」と言う父の声がした。恐る恐る手を引っ込めると、父は優しくこう続けた。 「お前のお母さんは偉いぞ。いつもたくあんはシッポからしか取らないぞ」口数少ない頑固な明治男の父から聞いた最初で最後の母への褒め言葉だったかも知れない。 戦争中、食糧が配給制になり、地域で隣組が作られた。干し魚や野菜など当番が分配し、家の軒先の石段などに並べられ、少しでも大きいほう多いほうをと、いい大人が鵜の目鷹の目となる、当番が大きいほうを取ったなどと小競り合いも起こる。 そんな時、母は自分が当番だと明らかに少ないほう、見かけの悪いほうを取る。必ずズルをして、「自分勝手」と評判の悪い人にも一切対抗せず、悔しそうでもなかったという、姉が悔しがって、「お母さん、せめて公平に同じように分ければいいのに」と言って口出しすると、「いいじゃないの、ほんのひと口のことよ。お母さんがひと口少なくすれば済むことでしょう」と言って悠々としていたという。 母は一生を通じてこういう事を貫いた。 それは母の美学、美意識であったと思う。 =「わが家の食卓」 宮崎総子の著書より= 私も榎列尋常高騰小学校の高等1年生の時、朝礼で大東亜戦争突入の詔書が発布され、ラジオから玉音が流れ、実の引き締まる思いをした。 麦と米と半々のご飯であるが、母は麦を下に納めて米を上にご飯を炊く。上をお弁当に入れてくれて、お櫃(ひつ)へ入れる前、釜の中で混ぜる。家内中これを主食として常食する。 麦の量の多い生徒は私の弁当を見て羨む、また冬になると弁当納箱で温めてくれる。おかずは梅干か、たくあん。少数の生徒に卵焼きもある。炭火で温めるためか、たくあんの匂いがプンプンする。「だれかのお弁当が臭い。外に出せ」力のある者が外へ出す。しかし弁当の蓋を開けないと分からない。卵焼きが出てくると羨ましく、わいわい騒ぐ。・・・今の時代の弁当と昔の弁当の相違感が大きく変わってしまった。(前川敬一)』 ことに、母の美学という点でハッとさせられた。今はどうだろう。我先に。が当り前になってしまった。おくゆかしさとか、日本人らしさというのが、この母の美学という一言に収められていた気がする。もう一度、は無理にしても見習える部分から見習って行きたい。
2007.08.15
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NHKの深夜の番組でふと流れてきたこの曲。実は高校の卒業アルバムに私がたった一言載せた言葉がこの、「青年は荒野を目指す」だった。この歌に出てくる、苦しみは分け合ってという言葉が好きで好きになった歌。しかも、この“荒野”には本当に深い意味が込められていると思う。青年だからこれからの人生を物語っているということもある。 若いうちの苦労は買ってでも。というのも今ならとてもわかる気がする。18歳の高校生が今や。。。うん十年を経て、実は自身が高校生だった頃にもうこんなことを考えていたんだ。と驚く始末。 権利ばかりを主張して、義務を果たさない。こういうのはきっとアメリカなどでは通用しないと思う。ところが日本では何故か若者をちやほやしてしまう。この違いは一体何なんだろう? 宗教に根ざした生き方が大きく差をつけてしまったとしたなら、お盆をきっかけに、少しは先祖のお陰ということを考えても良いのではないかと思う。 一人の人間が生まれるということの不思議さ。若者たちは簡単に「出来ちゃった」なんて言うけれど、かなりの競争率を経て生まれてくるんだ。ということ。奇跡に近い出来事なんだ。ということをもっともっとかみしめて欲しい。
2007.08.14
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地元紙の第一面にシリーズとして紹介されている兵庫人第五部は食と農の達人たちとして始まった。何やら麗しき3人の女性の顔写真が目にとまり、ふと真ん中に大好きな加藤登紀子さん!そのまま引用させていただきます。 『「そのときに黙って注(つ)いでくれた友」 酒米の最高峰「山田錦」発祥の里を自任する兵庫県多可町中区。この地のベルディーホールが毎年募る「日本酒の川柳」第一回(2000年度)の特選である。 「詠む人の年齢や経験によっていろんな場面を想起させてくれる。優しくて深い句」と評するのは、奈良市に住む選者の川柳作家大西泰世、「日本酒の川柳は空間があり、絵になる。一人一人のドラマを深くさせる。ワインじゃ様にならないでしょ」 川柳の披露は「日本酒の日」10月1日に加藤登紀子が開くコンサートの一環だ。日本酒が醸す季節感や人生の場面。全国から集まる3千句もの川柳は、日本人の文化と心に清酒がいかに深く沁み込んでいるかを伝える。「私は色っぽいのが好み」と笑う加藤も選者の一人である。 「星ひとつ つまんで入れる秋の酒」は06年度の登紀子賞を受けた。 日本酒が織り成す文化を愛する加藤と大西。二人を結びつけたのは、ホールを自主運営する奥村和恵ら住人たちだ。15年前、全国ツアーで立ち寄った加藤を奥村が自宅に招いた。加藤も気さくに応じ、酒談義に花が咲いた。 この町で加藤による風変わりなコンサートが始まったのは翌年からだ。日本一を自負する山田錦への熱い思いに打たれた加藤と住民との二人三脚。「座布団を敷き詰めて膝(ひざ)を交え、歌と振る舞い酒を味わいながら会場が一つになる。日本酒ならではの粋な空間ができた」と奥村は振り返る。 ホール近くに「登紀子の田んぼ」がある。実った山田錦から生まれた新酒を加藤が命名しコンサートで披露する。 昨年、山田錦生誕70年記念に多可町は「日本酒で乾杯の町」を宣言した。加藤は、これまで名付けてきた酒とコンサートを振り返りながら「私は山田錦の専属歌手」と語り、会場を沸かせた。 奥村は言う。「お酒には日本人に大切なものが詰まっている。登紀子さんの力を借りてそれを私たちは発信したい」 ● 「日本酒で乾杯しよう」。全国に1500以上ある蔵元でつくる日本酒造組合中央会が3年前から繰り広げる活動だ。会長で「白鹿」辰馬(たつうま)本家酒造(西宮市)の辰馬章夫は「乾杯は、どこでも国のシンボルでやるもの。清酒を通して日本文化を見直す。そう呼びかけたいんです」。 海外では現在、健康志向から和食と清酒が急速に普及し、日本文化の評価が高まっている。だが逆に、当の国内では酒の消費が低迷し、伝統的な食文化の姿も薄れゆく。 兵庫は酒米、酒ともに全国一の生産量。辰馬は役割の重さを感じる。 「酒の使命は心をつなぐこと。今の日本にはそれが足りない。心を通わせ互いの奥底に宿るものに触れるとき、誇りと新しい力がわいてくると思う」(敬称略』 折から、我が家だと歩いて行ける距離にある酒造会社。メルマガ発行責任者からお誘いがあって来週出かけることに。「日本酒で乾杯!」淡路島を訪れる方にとりましても、素敵な行程となりますよう。。。 だから、加藤登紀子さんてだ~い好き♪
2007.08.13
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空の色、渡る風に秋を感じる季節。朝顔もいよいよおしまいに近づいて、今朝ふと見つけたのがこの二つの朝顔。私自身が双子なものだから、こんな風に二つ並んで咲いているのが愛おしくて携帯を近づけてしまった。朝顔の葉っぱより、トケイソウの葉の方が目立ってしまう感じだけど。。。来年も綺麗に咲いて欲しい。 元気なセミたちに負けじとカエルの声。晴天続きには歓声に聞こえてしまった。でも、一度っきり。やはり断然セミたちの方が上回っている。
2007.08.12
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郵便局に勤めていた頃、バス通りを渡って通った喫茶店。店長はあの堀内孝雄さん?(漢字が?)ですが。ばりの人で、奥様がそれはそれは色白美人だった。英語が得意なこともあり、BGMは英語のものが多かった。そして、親切にテープに録音してくれたのが、ケニーロジャースのアルバム。私にはアルファベットで書かれた言葉の意味など全くわからなかったけど、メロディーラインがとても綺麗で心を癒してくれた。「追憶」を歌って有名な「バーヴァラ・ストライザンド」=(これも実は?なのですが)とのデュエットの曲もあり、本当に素敵だった。 夫との付き合いが始まった頃、BGMにはお気に入りのテープでと車に積み込んだままにしていてダメにしてしまった為、淡路島のCDショップを探したけど同じのはやはり見つけられなかった。 今朝、NHKのラジオで聴いた「愛のメッセージ」。。。あの頃のことが蘇ってしまった。本当に懐かしかった。昨夜書いたかもメールの1枚に、住吉区にあった寮の近くにお住まいの友人に宛てたのがあって当時を懐かしんでいたばかりだったから尚更かな?
2007.08.12
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私には苦手な葉物。今日も白い部分が入ったハランが入っている。他に、スパイラルバンブー、トルコキキョウ、変わった感じの黄色いスターチスを使って用を右に入れた体の形が直体に。スパイラルバンブーが2本なので、体と用に使って、3枚入っていたハランの1枚を留に。右側に用がくる入れ方の体芯・直体に。2本のスパイラルブルーのうちの立派な方を体、もう1本を用だから体の3分の2の長さに切って入れ、ハランの下の部分を切ってそのまま引っ張り上げて少しだけ削いで幅を狭め、留として使う。トルコキキョウは予め花を見ながら小分けするように切り離しておき、中間添え、控えの花葉枝に使う。残りの2本のハランもそれぞれに削いで形を整えて入れておく。黄色いスターチスも予め小分けにしておき、高低差をつけて入れる。 葉物の扱いにも慣れなければ。と思いつつ、茎が細い花が一緒だとついついためらってしまう。今日はハランに助けられてスターチスも何とかおさまりがついた感じ。剣山に刺さり難い細い茎の花はいつまでたっても苦手なまんま。
2007.08.11
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指導してくださる先生のご都合で、練習日を変更することに。早速、練習会場である公民館へ電話してみた。予定の日を一週間ずらすと、流石にいつもの部屋は予定が入っていた。空いている部屋は和室。で、キーボードが使えなきゃ意味がないので、コンセントの有無を確かめ、いつもの部屋で行われるという会議には支障はないのかどうかまで確かめてOKが出た。 私自身は次に行く約束の時間が迫っていて、必死だったものだからメンバーの人に連絡してくださる人に変更日を告げて、後のことをお願いした直後に公民館からの電話。 最初に掛けたときに長い長い時間待たされて、おまけに保留にさえもしていないからホールで行われているイベントのマイクの音が全部聞こえてくる。おいおい。。。なもので、「私だから良いけれど、次からはちゃんと保留にしてね」と。 そのことが気になって頭が回らなかったのかどうか、やはり私が心配した通り、和室も使えない!とのこと。申し訳なさそうではあるけど、私が長い長い時間待たされたあれは一体何だったんだろう?また、一週間ずらすことになってしまう。 確かに、ケーブル電話を使えばタダだし、そのケーブルじゃない方の電話で掛けた私が悪いのかも知れないけど。 友人との待ち合わせ時間は迫ってくるし、あせりながらも仕方が無いので連絡してくださる人にまた変更のメール。既に何人かの人に連絡済みだったかどうかまでは確かめる余裕もなかったけど、快諾してくださったのでやれやれ。 前にずうっと事務局でお世話してくださった人なら一人で何役もこなして、心配りから気配り、全てにおいて非の打ち所がない人だったのに。その仕事バリバリの人はあっけなく契約期限切れの名のもとに契約打ち切り。どうしてこんなことになっちゃうんだろう?段取りの悪さったら。ほんとにもう。。。
2007.08.11
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もう、7日付の地元紙になるけど、文化欄で見つけた“深呼吸”というコラムの表題は、“女の子”となっている。気になったので、そのまま引用させていただきます。 『「“女の子”は取材が楽で、いいな」 先日、知人の男性記者から通りすがりに耳打ちされた。怒るよりも先に、「この年齢になってもまだ、言われちゃうんだ・・・」と考え込んだ。相手に覚えてもらえるなど「第一関門」を突破するのは、女の方が楽だと思う。そしてそのハードルは、外見が良いほど下がっていくのも本音だ。 だけど、最初のハードルが低いからこそ、その先の「第二関門」にたどりつけないことも多い。 つい先日、知り合って間もない国土交通省の30代のキャリアと情報交換を兼ねて食事をすることになった。こちらは完全な仕事モードである。 ところが彼は突然、「これはデートですか?」と、ねっとりした口調で聞いてきた。ちなみに彼は離婚調停中である。どうしたらそういう思考回路になるのか、ずうずうしいにもほどがある。口角を必死で上げ、「違いますよ」とほほ笑みを浮かべて席を立つと、「ねえねえ、取材費?」と、言外にごちそうすることを求めてきた(ださ~)。“完無視”したけど。 10代のころ、30代の女性は「途方もないオバハン」に思えた。だけど、実際に自分がその年代になってみて驚くのは、いまだにこうした奇妙なセクハラらしきものに遭遇するということ。 ふたりで会わないと突っ込んだ話は聞けないし、食事の誘いを片っ端から断るのも大人げない。自意識過剰という印象を与えるかもしれない。だからといって、気軽に食事を友にしたりすると、相手が勘違いする場合も少なくないし、見知らぬ第三者からもあらぬうわさをたてられることもままある。 さすがに、そのあたりはうまく立ち回れるようになってきたが、結構つまらないことに労力使っているな、私。もっと、仕事そのものに時間を割きたいものだ。 10年近くもフリーの記者を続けてきてわかったことに、仕事の情報を恋愛の駆け引きに使うような人間は大した情報を持っていないということがある。 というわけで、彼の携帯番号は速攻で着信拒否にした。 (ルポライター・横田由美子)』 何か小気味良いものを感じてしまう。でも、実際にはあるよなぁ、まだまだ。そして、男性の前と、女性の前では声が違う?そんなこと、私は絶対にしたくない!むしろ同性である女性には仲良くしたいと思っているけど。それって変かなぁ? 女性用のお手洗いは個室が一つ。なもので使用中であるかどうか明かりでわかる。ところが男性用のお手洗いは職場の入り口すぐ脇にあるし、明かりは点いたままだし、扉は開けっ放しだし。。。コレって何とかならないものでしょうかねぇ。
2007.08.10
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8日付地元紙の『正平調』に目を通したのがこんな時間。今日のシフトは午後3時入りだから気分的にのんびりしたもの。母はやっと家政婦さんの手を借りずとも自立できるように、車椅子での訓練が始まったし、一言お礼は述べたから。。。 と、問題は大気汚染について述べられていたこと。本当に驚く内容だったので、そのまま引用させていただきます。 『日本と同様、中国でも「8」は縁起のいい数字とされる。金持ちになるという意味の「発財」の「発」と発音が似るからとの説もある◆その「8」を並べた「2008年8月8日午後8時」のい開幕する北京五輪まで、1年となった。五輪の組織委は天安門広場のにぎやかな催しで、五輪ムードを盛り上げるという。国の威信をかけた大会だから、盛大な行事になることだろう◆アジアでは東京、ソウルに続く3番目の夏季五輪となる、ぜひ成功してほしいが、北京の大気汚染が気がかりだ。「北京の地図は日ごとに変わる」と言われる建設ラッシュで林立するクレーンが活況の象徴なら、頭上を覆った空の色は不安の象徴か◆それほど中国の大気汚染は深刻だ。年間で75万人が大気汚染などで早死と、世界銀行が推計していた。信じがたい数字だが、不十分な慷慨対策で、大都市の空気は確かに悪い。最近北京を訪れた知人は「予想以上の汚れ」と話していた◆五輪前の突貫工事が続いたころの東京もひどかった。車があふれ、大気汚染に都民は顔をしかめた。スモッグが問題になり始めていたが、開会式の当日、空は晴れ渡った。あのさわやかな秋の青空は、式典でのどんな演出よりも人々の心を弾ませた◆北京五輪のテーマの一つは「緑の五輪」である。十万人収容のメーンスタジアムや選手村などは、大規模な緑地内にできる。もちろん「緑の五輪」には、大気汚染の改善も含まれる。1年後、北京の空がきれいに澄み渡らないと、「8」を並べた値打ちはない。』 私自身は鼻関係の器官が弱く、正直、堺市民会館などで催しがあると、南海電車堺駅から歩くことになる。そして翌日、気分の悪い一日を過ごすことになってしまう。でも、現実に住んでいらっしゃる人が居るのだから、慣れれば平気なのか。。。それほどに淡路島の空気が綺麗ということになるだろうか。 片側3車線もある道路なんて、淡路島には存在しない。確かに、車の量は増えてきているとは思うけど、都会からきた人なら、こんなに走り易い(車が少ないから)道路はないのかな? 神戸市と大阪の違いは、神戸市には海も山も近いけど、大阪には海しかない。山は遠く遠く生駒山系を臨むかそれに連なる山しかないのだから、神戸市との空気の違いを感じてしまうのは私だけではないと思う。 昔、京都へ向いて走っていた筈の車が、何故か空気が悪いのに驚いて飛び起きたことがある。何と、京都へ向かっていた車はいつの間にか阪神高速堺線を走っていた。。。と、これはもう随分昔の話だけど、自分の鼻の敏感さには驚いたものだ。 空気が綺麗ことが、こんなにも贅沢だったとは。。。セミたちが元気なわけもわかった気がする。
2007.08.09
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我が家の庭はセミたちには居心地が良いのか、数匹が一斉に大合唱を始めたりする。ふと観ると、蜘蛛の巣に引っかかってしまった物体。。。何か動いたのを察知して近づいてみると、雄のセミが羽をばたつかせているので、ほうきを持ち出して蜘蛛の巣から外してみた。ところが一生懸命に羽をばたつかせるけれど、飛べない感じ。仕方が無いので、木の幹にそおっと置いてあげたけど、飛べないんじゃ寿命も縮まるのかなぁ。声は元気だったのになぁ。 ただ、これがもしゴキブリだったら。。。?勿論知らん顔してたかも。でも、コレって小動物虐待になるのかなぁ。でも、ゴキブリを助ける気にはなれないなぁ。 と、蜘蛛には悪いことをしてしまったことになるんだろうなぁ。。。
2007.08.08
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私が大好きな赤川次郎さんの小説にもときどき頬を染めたくなるような表現が出てくるが、五木寛之氏には適わないだろう。先日、何かの番組でこれまた私が大好きな野際陽子さんと五木さんお二人が旅するシーンがあって、野際さんの素敵さが尚際立っていた気がする。 その五木寛之氏が、NHKの早朝のラジオ番組に登場して紹介されたのが、この「鉄道員」あの、物悲しげな何ともいえないメロディーは私も大好きだ。サイレンの音に続く叫び声。私自身は映像が苦手なので映画のことは全くわからない。だから多分イタリア語だったろうから、何と叫んでいたのかはまるでわからない。でも、妙にあのサイレンの音が耳に残ってしまう一曲だから不思議。 イタリアを舞台にした映画だったことも、実はネットで今朝調べてみてわかったこと。全くお恥ずかしい。映画には素敵な音楽が散りばめられているのに、映像はとんと苦手なものでサントラ盤を手にするのがやっとだった。 そもそも、カタカナのお名前が苦手になったのは、幼少の折、日本の童話と、外国の童話を同時に渡されて、外国の童話の内容が全く理解できなかったことに始まる。。。そのせいかどうか、4級にはない、3級の二次試験を実は3回も受けなければ通らなかった英検。聞き取りとか発音がまるで苦手だから尚更外国の映画とは縁遠い存在になってしまったのかも。 ドイツ語の「第九」、ラテン語の「レクイエム」などはクリアできたのになぁ。。。
2007.08.08
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地元紙の社会欄には、信じて生きての6回目■兵士のつぶやきとして、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『終戦目前の1945年初夏、井上友志さんは徳島海軍航空隊の下士官として、現在の徳島空港近くの兵舎にいた。 戦局は悪化し、航空機による特攻攻撃が常悪化していた。井上さんの任務は各地の航空隊から徳島を中継し、攻撃拠点の九州へと向かう特攻兵の世話だった。寝食を共にし、弱気になりがちな若い兵士を鼓舞した。「奥にのために死ねるのが羨ましい」と。 250キロ爆弾を積んだ特攻機に同乗し、兵士を九州まで送り届ける。特攻塀はそこで出撃命令を待つが、井上さんは輸送機で徳島に戻る。 わずか3日ほどの交流だが、まだあどけさが残る兵士たちの顔は今も忘れられない。 ある日のことだ、徳島の兵舎で、部屋の窓際に一人でたたずみ、外を眺める18歳くらいの兵士がいた。彼が周囲の人目もはばからず、独りごちた。 「死ぬのはいややなぁ、お母ちゃん・・・」。居合わせた全員がはっとした表情を浮かべた。 数日後に必ず死ぬ若い兵士のつぶやき。「今、まだ生きている」という至極の瞬間をかみしめる心の叫びと感じた。 「わしら軍人はお国のために死ぬことなんて怖くなかった」と井上さん。死ぬことが当り前だった時代だ。入隊してからは洗脳のように死ぬことを教えこまれてきた。 兵士のつぶやきに触れて、井上さんの中に初めて、「生きたい」という思いがわいた。 その日夕、いつものように特攻機に同乗し、九州までその兵士を見送った。その後、彼がどうなったかは知らない。 以来、「生」について考えない日はなかった。生き抜くことを思い続けた。米軍機に兵舎が機銃掃射の標的にされたが、滑走路脇にあったトタン板で身を覆い、九死に一生を得た。 8月15日、戦争はおわった。死ぬことを強いた社会があっけなく崩れ去った。 あの時代をくぐってきた自分を振り返ると、「生きてきたんやなくて、生かされてきたんやな」と思わずにいられない。 毎朝、寺院の清掃の行を終え、タマのような汗を流しながら仏像に手を合わせるとき、脳裏に、若い特攻兵らの顔が浮かぶ。「若くして死ななければならなかった者たちのためにも、しっかり生きないと」 自分を律することは、よく生きること、誠実に生きることだと思う。 「仏を前にすると、素直になれる、真っすぐな気持ちで、毎日の決まり事をこなしていくのは気持ちいいもんじゃよ」 汗ふきタオルを手に、井上さんは寺院への山道を登り続ける。今日も一日が始まる、今日も生きている。』 “死ぬことを強いた社会”そんな事実があったことに目を瞑っていてはいけないと思う。愚かな愚かな戦争。得るものは何も無い筈だから。
2007.08.07
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勤務時間が不規則なこともあり、新聞に目を通す時間も限られてしまう。やはり、書かれていたんだ!と大喜びしたのは実は4日付け地元紙。郷土淡路島が誇る作詞家・阿久悠さんのことが『正平調』で述べられていたので、そのまま引用させていただきます。 『青函連絡船にあった別れの光景は、青函トンネルにはない。しかし、「海峡」を渡る気持ちはかわらないだろう。それを探すのが作詞家と、「津軽海峡・冬景色」を生んだあなたは話した◆「北の宿から」に、「女心の未練でしょう」の一節がある。「-でしょうか」が歌謡曲の定石と知りつつ、あえて言い切った。「過去のデータでヒットは出せても、世の中を塗りつぶすようなエネルギーはでない」と◆作詞家で小説家。すさまじい仕事量だった。頭の切り替えが大変で、作詞を始める前には「今から作詞家!」と叫んだというあなたは、こう語ったものだ。「短時間で書けた方がいい場合が多い。翌日に持ち越すようなものは思い切って捨てる」◆「ミュージックはあるが。ソングがない」と、よくこぼしてもいた。音への関心は強いのに、いい言葉、鋭い言葉を練ろうとしない。「でも、音だけではその歌は人々の記憶に残らない」と、あなたは必ず言い添えた◆街頭で歌うストリートミュージシャンがおもしろいと話したのも、あなただった。間近にいる人へ歌いかけ、共感してもらうには、歌詞が問われる。「言葉が力を取り戻せば、歌もよみがえる」と、あなたは希望を託した◆5千もの作品と故郷淡路島が舞台の小説などを残し、阿久悠さんが去った。珠玉の一言一言を読み返し、思いだしながら、深くうなずく。そして、思う。「みずみずしいといわれるのが、一番うれしい」と話していた阿久さん。あなたの歌詞や言葉は、いまなお、みずみずしい。』 洲本高校出身の同級生には素晴らしい方々がいらっしゃる。阿久さんの訃報には本当に驚かれたと思う。 5千もの数の曲を生み出した阿久悠さん。阿久さんの歌にどれほど励まされ、勇気付けられた人がいらっしゃるだろう。 「津軽海峡冬景色」という曲は、実は75年だったかのレコード大賞受賞曲のひとつだったと思う。「勝手にしやがれ」とか、3~4曲がメドレーになって吹奏楽用にアレンジされたのを私が初めて手にしたのは、高野山での合宿の折だった。ずうっと三連譜になっていて、「うえの はつの やこう れーしゃ おりた ときから~」で始まるアルトサックスの部分には手を焼いてしまった。「もっと歌うように!」とか、「自分で歌わなきゃ!」とか指示を受けながら猛特訓したものだった。そのお陰かどうか、私の数少ないカラオケのレパートリーの1曲になっている。 譜面がなきゃ歌えない。。。カラオケって、歌詞の表示があるのに、どうして譜面が無いのか、とても不思議に思う私。それにしても皆さんのお上手なこと。一体、皆さんどうやって練習しているんでしょう。 と、私が歌うのを阿久悠さんがお聴きになったら。。。? 単に、音程とか速度とか、そんな問題じゃないんですよね。アルトサックスだってむせび泣くような表現は出来るんだし、それに歌詞が加わる歌の場合は細やかな情景までが表現されて当り前かな?どうぞ安らかに。。。 さて、峠三吉の詩に大木正夫が曲をつけた「人間を返せ」の練習に取り組んだのもこの頃だった気がする。今日は原爆祈念日ということもあって、平和への祈りが各地でささげられていると思う。 きっと阿久悠さんも思いは同じだったに違いない。平和であるからこそ大きな声で歌える。。。ずうっと、ずうっとそんな世の中であって欲しい。
2007.08.06
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というタイトルに惚れ込んで読み進めた今日付け地元紙の教育欄。そのまま引用させていただきます。 『全国的に名前の通った大学で講演したときのこと。良い機会なので、話し終わったらこう呼び掛けようと思っていました。「私の話を批判してください」。しかし、そんな雰囲気には全くなりませんでした。講演を終えた私の前には、アドバイスを求める学生が長蛇の列を作っていました。 「このまま就職していいのか分かりません」「人に嫌われているような気がするんです」。延々と続く“人生相談会”。「私の友達に○○な子がいるのですが・・・」と人ごとを装いつつ、明らかに自分の悩みを語る女子学生もいました。 安倍晋三内閣になり、「再チャレンジ」という言葉がよく使われています。敗者復活のイメージでしょうか。ただ注意が必要なのは、再チャレンジする資格は、過去に最低一度はチャレンジした人にしかないということ。私に人生相談を持ち掛けた学生たちは、失敗を恐れ、一度も挑戦しないまま、成功を得ようとしている気がしました。 一つの成功の裏側には、多くの失敗があるものです。成功を得るには失敗が必要なのです。人より早く失敗した人が、人より早く成功すると思ってもいいでしょう。発明王エジソンも、白熱電球を実用化するまでに1万回の実験を繰り返し、9千9百99回の失敗を重ねたそうです。 過保護に育ち、挫折を知らない若者に、いかに失敗を経験させるか。キャリア教育の本質はここにあると思うのです。それには、大人自身が自分の手痛い失敗を語ることが大切です。「誰もが通った道なのだ」と失敗への恐怖感を和らげ、失敗することのハードルを低くする必要があります。 授業や講演の中で、私は自分のみっともない失恋を語ります。大学時代に同じゼミの女性を口説いたら、彼女はゼミのリーダーと交際していた。ゼミ合宿でつるし上げに遭い、人間が怖くなってしまったー。そんな話を聞いた女子高生が、こんな感想文をくれました。 「先生の話のおかげでちょっと変われたかも。“ちょっと”だけど、凄く違う気もする。ありがとう」 恥ずかしい経験だって、誰かに力をあげることはできる。若い人には、どんどん失敗してほしいものです。 (船橋情報ビジネス専門学校職員・鳥居徹也)』 “つるし上げ”とはまた大変な経験をお持ちだこと。と、思ってはみるものの、職場などでは案外仕事上の“つるし上げ”状態は起こり得るかもしれない。でも、改善のための発言ならどんどんした方が良い。と私は思っている。正しいのはどっち?とは言わないまでも、取り扱い要領など、従来のやり方よりこうした方が段取り良く出来るのではないか?と思うことが余りにも多い。 母が入院中の病院は冷房設備が全く無い状態。この蒸し暑いときに。と、私が美容院で頂いた、袋ごと冷やせば何度も使えるタオルを母のために2枚持って行った。使い終わってもまた洗って袋に入れて家の冷蔵庫で冷やせば良いからと、家政婦さんには伝えておいたのに、何と!その袋は?と聞くと、いとも簡単に「あんなもん捨てた!」の返事。これには私もぶち切れた。おいおい、人の話はちゃんと真面目に聞こうよ!
2007.08.05
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『島唄』に三線を加え、『峠の我が家』は無伴奏で。と取り組んだ私たちのコーラス。出来栄えは良かったと思う。私自身は練習に参加できなかった期間が長く、「暗譜で!」と仰る先生の指示をまるで無視状態。やはり譜面が目の前にないと不安で歌えないのは、練習不足によるもの。 月にたった2回の練習なんだから、完璧に参加したいと思うものの、主婦兼、入院中の実母を抱えた身ではどうしても練習を休みがちになってしまう。だから地元のコーラスグループでのステージがやっとのことだった。 OGの方がわざわざ明石海峡大橋を渡って聴きにきてくださり、「凄い良かった!」とお褒めの言葉。これが一番嬉しかった。疲れが一度に吹き飛んだ感じ。 前日まで台風の動きが気になる淡路島だったのに、曇り空ではあったけど雨粒は関係ない一日となり、参加される団員のご家族にとっても移動し易い日だったと思う。 プログラムは16番まで。私たちは最後から2番目の出番となり、午前11時半に集合して発声練習や頼り無い部分を集中して練習。何を今更。という感じもあったけど、この仕上げで素敵な本番が迎えられたのだと思う。 次は11月に行われる『芸能文化祭』に向けての練習が始まる。『千の風になって』はいくつかのグループが発表されたし、全員合唱の曲にも選ばれたから今回の発表は見送り、秋には是非。ということになったので、是非とも仕上げて行きたい。皆様、本当にお疲れ様でした!
2007.08.04
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という記事を見つけたのは3日付け地元紙の淡路版。生存者「戦争、二度と」の文字に涙が止まりませんでした。そのまま引用させていただきます。 『米機襲来淡路沖に散った82人 太平洋戦争終結目前の1945年8月、淡路島沖の鳴門海峡で、宝塚海軍航空隊の予科練習生らを乗せた船が軍戦闘機に襲撃され、82人が亡くなった。丸62年を迎えた2日、生き残った元予科練生や遺族らが、海峡に近い南あわじ市阿那賀の春日寺に集い、63回忌法要が営まれた。出席者は「友の無念を語り継ぐ」と決意を新たにした。(小林伸哉) 法要には、船に乗っていた予科練生4人を含む約30人が出席。若くして亡くなった犠牲者らをしのんだ。 惨状を目の当たりにした元予科練生が振り返る。「カンカン照りで暑い日だった」。62年前の8月2日午前、徳島県鳴門市の撫養港から、機帆船「住吉丸」が予科練生らを載せて出港、淡路島に砲台を築くため阿那賀に向かった。15、16歳の少年が多かった。 正午近く、約110人が乗った住吉丸を米軍戦闘機が上空から機銃掃射。「バリバリバリ・・・」と銃弾は、ほぼ満員の身動きできない状態で船内にいた少年らを襲った。 山本亥歳男さん=加古川市は「お母さん」と叫びながら亡くなった仲間の姿を覚えている。船内は、流れる血と機関室から漏れた油、海水にまみれた。「戦争は嫌。でも行かざるをえなかった。二度とするものじゃない」 当時14歳だった大島正純さん=西宮市は、銃弾が右後頭部に当たり今も長さ5センチ、深さ1センチほどの傷が残る。「どんな名目であっても戦争は絶対にいけない。亡くなった友の無念を語り継ぎたい」と力を込めた。 南あわじ市阿那賀の濱田石一さんは、住吉丸船長の父為三郎さんを亡くした。「悔しい思いは何年たっても忘れない。若い人にも忘れてほしくない」と語った。』 墓碑名にはそれぞれ出身地と年齢が刻み込まれている。小学生だったか、中学生だったかのときに初めて私が訪れたとき、皆さんの年齢の若さには驚かされたことが印象に残っている。また、福良湾を臨む反対側の山頂には、やはり学徒動員で亡くなられた人を悼んで戦没学徒慰霊碑が建てられている。ペンを銃に持ち替えなければならなかった無念さを後世に。ということで、ペン先をイメージした慰霊碑。貴重な戦争関連資料なども公開されていたのが、今は資料などは京都で保管されることとなり、建物は荒れるにまかせる状態となっている。 各地にこうした慰霊碑があると思う。この戦没学徒慰霊碑だけが荒れ放題になっているとしたら、とても残念なこと。そして立ち上げたNPO法人で頑張っている人がいらっしゃる。 戦争犠牲者と一言では表すことの出来ない人たちがいらっしゃる。今の日本があるのはその人たちの尊い犠牲によるもの。と、私たちは感謝しなければいけないのではないだろうか。
2007.08.04
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台風5号は淡路島より遥か西側を通過して日本海へ出たために、かなり酷い暴風雨状態。母を見舞っている最中に、帰れるんだろうか?と心配になるほど。帰宅して、何気にテレビを。勿論2チャンネル(NHK総合テレビ)。そんな気は全くなかったのに、テレビ画面ではさださんの一連の曲のタイトルが流されている。エッ?もしかして今朝のゲストはさださん?♪と、期待通りのさださんの登場にわくわくしながら見入ってしまった。 さて、先ほどからまた北に面した窓が猛烈な勢いで濡れ始めた。こんな日のお弁当の配達は本当に大変だろうなぁ。淡路島には警報が出ていないみたいだから、数の多い金曜日はボランティアさんも出動することになるのに。。。 台風5号はまだまだこれから再上陸すると予想されています。どうぞこれ以上の被害拡大などということがありませんよう。 さて、私がテレビを観始めた時間、たまたま「フレディもしくは三教街=(漢字間違えているかも?)」の《もしくは》の部分の説明をしていた。題名を「フレディ」にするか「三教街」にするかさださんは迷いに迷っていたらしく、《もしくは》と書いていたらしい。そうして出来上がった印刷が「フレディもしくは三教街」となっていたのだとか。私が初めて聴いたのは、グレープの中野サンプラザでのコンサートの二枚組みのアルバム「三年坂」に入っていたから。高石市の叔母の家で下宿住まいを始めた頃だった。右も左もわからない大阪。しかも高石市なんて全く頭の中に無かった状態でのスタートだったから、偶然見つけたこのアルバムは私の心の支えにもなった。 何よりも、話芸が素晴らしい。というか、軽妙な語り口にのめりこんでしまう。そして、歌詞をとっても大切にされる歌い方。グレープというと、「精霊流し」が余りにも有名だったから、私がどうして「三年坂」のアルバムをセレクトしたのか、全く覚えていないけど、私のお気に入りのアルバムナンバーワンとなった。 山口百恵さんが歌って大ヒットした「秋桜」間もなく嫁ぐ娘の気持ちを本当に細やかに綴っている。また、ずうっと「コスモス」とカタカナ表記が主だったこの花を秋に桜と書いてコスモスと読ませたのも、さださんだった気がする。今ではもうすっかり定着してしまったけど。 また、山口百恵さんのお人柄にも触れられて、「へぇ~、そうなんや」と、また山口百恵さんの素敵な一面を垣間見た気がした。
2007.08.03
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淡い色のグラジオラスを体、用、留に使って、サファリアンセットを中間添え、姫ヒマワリ、トウチクランなどを根〆に。先生宅で入れたのには先生の顔が入ってしまったので、自宅で入れたものになりましたが、もう花が開きかけているのには驚く。。。と、入れたのが2日で画像は今日のものなのに、2日の日記にUPするというは反則行為なのかな?後ろにも膨らみを持たせるために、グラジオラスの葉をさり気なく。姫ヒマワリは、大きいヒマワリとは感じがまるで違う。どちらかというと菊の様な。高さに変化をつけて入れ、トウチクランは少しだけ足元を飾る感じに。 初めて、中学生と一緒になった。花材も全く同じで、型も同じに入れたのを見学させていただく。若い人のセンスには驚かされるばかり。姫ヒマワリの扱いがとても上手だった。同じ花を使って入れても、やはり最後はその人のセンスが光ってくる。お花を触るのが本当にお好きという素敵な中学生。 先生と私は既に高校受験から数十年を経てしまったけど、若いって良いなぁ。高校受験はこれからだけど、頑張って欲しい。
2007.08.02
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午後3時からのシフトのため、歯科医院の予約を午前10時半に入れてもらって、診察室へ入ると、何と、ミュージカルキャッツの『メモリー』が流れていた。こちらの歯科医院さんの奥様はかなり音楽に精通していらっしゃると聞いて、まぁ、BGMで歯科医院を選ぶ。なんていうと大袈裟だけど、治療中のあのキィ~ンという表現しがたい嫌な音をかき消すことは出来ないにしても、やはりBGMは不安感を和らげてくれる。お気に入りの曲がかかるとやはり心も和む。歯の治療なんだから、BGMに思わずウットリ。なんてわけにはいかないけれど、かなり痛みを鎮めてくれそうな気がする。 奥様が音楽に精通していらっしゃるという情報は、夫の同僚から聞いた気がする。そういえば、以前勤めていた特別養護老人ホームのBGMも、オルゴールの音からオーケストラ演奏によるクラシック調のものに変わっていたっけ。 人の声、音楽。耳から入る情報は本当に限りがないけれど、心地良いものは芯から和ませるものを持っている気がする。 電話で情報を得るというバイトに就いてみて、話すスピードや声の大きさなどにも気をつけなくてはと思うようになったし、かなりこちらが気をつけて喋っているつもりでも、お客様には“ぶっきらぼう”だったり、“横柄”と取られてしまうようだ。クレームには落ち込みそうになりながら、気持ちを切り替えて行かなきゃ務まらない!
2007.08.01
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