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今振り返ると、秋田喜代美先生(東京大学)との出会いは、この6年間の研究だけでなく、私の教師人生を大きく変えるものであった。この研究室訪問のとき、慶應義塾大学の鹿毛雅治先生を紹介していただいたり毎年夏に熱海で行われていたアクションリサーチ研究会に誘っていただいたりした。また、佐藤学先生(学習院大学、当時は東京大学)の研究に関心をもつきっかけになった本「新しい時代の教職入門(秋田喜代美・佐藤学編)」もいただいた。しかし問題なのは、なぜ「わたし」は秋田先生を訪ねようと思ったのか。当時のblogを読み返してみると、当時研究部長だった宮脇先生から「『未来の学び』をデザインする(美馬みのり・山内祐平著)」という1冊の本を紹介され、何となく「授業デザイン」という響きに「新しさ」を感じていることが分かる。そして、「授業デザイン」に関する本を探すなかで、秋田先生の「子どもをはぐくむ授業づくりー知の創造へ」にたどり着いたのである。しかし、そのときの「わたし」は「授業デザイン」そのものよりも「新しさ」に飛びついていることが分かる。当時のblogに「わたし」は次のように書いている。 **********まだ4月5日であるが、今日は本校の校内の研究会だった。(「研究」を中心にした本校の特色がよくあらわれているのだが・・・。)その研究会の中で、新しい方向性を探るために「授業デザイン」という考え方を提案した。「授業デザイン」とは何か。研究会の中でも一番の議論になった。美馬のゆり氏・山内祐平氏は「『未来の学び』をデザインする」のなかで、次のように述べている。 ・・・・・ 私たちが「デザイン」という言葉を使うのには理由があります。教科書にきちんと記述できること、すなわち、構造化された知識や目標が明確に決まったことを教えることについては、教育工学の領域を中心にここ数十年間研究されてきました。教育という営みに、工学的な設計方法を適用するというものです。学習目標を細かく分析し、やさしいものから難しいものへと段階を追って教育する方法です。一方、本書で取り上げたような、複雑で創発的な学びについては、長い間、職人的、芸術的なものとしてとらえられてきました。このような学びを成立させることができる人は、一種の達人として扱われてきたのです。 「デザインする」という活動には、必ずそこに目的があり、対象となる人がいます。デザインは人が媒介する活動であり、誰がやっても同じようにできる解の算出をめざす工学とは異質な要因を持っています。しかし、同時に芸術ほど属人的でもなく、一定の方法論は共有できる活動でもあります。 私たちは、デザインという営みが持っているこのような特徴に注目し、新しい学習環境を構築するときの中心になる概念として、デザインという言葉を使っています。そこでは目的、対象、要因、そこへ至るまでのプロセスなどを意識した活動という意味が込められています。 ・・・・・もちろん、この文だけでは「デザインとはなにか」ということに答えることはできない。しかしながら、私たちが昨年まで「協同的な学び」をめざすなかで、具体的にできなかった部分を明らかにするための「切り口」になるのではないかと考える。2月の研究発表会の中で、「どうして、そんな難しいことができるのか」「どうして、子どもたちはよく話し合うのか」という質問に対し、私は明確に答えることができなかった。また、「なぜデザインなのか」「これまでの授業設計と何が違うのか」という疑問に対して、いま答えられるのは「複雑で創発的な学び」、つまり、「協同的な学び」の実現をめざしているということである。 **********やはり、「わたし」にとって「授業デザイン」は、まだまだ「切り口」「方法」なのである。
2012.06.21
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当時研究部長だった宮脇先生といっしょに、東京大学の秋田喜代美先生の研究室を訪ねる。その年の研究発表会での講演をお願いし、あっさりと断られたのだが、今、振り返ると、この6年間の研究のスタートは「ここ」だったのだと思う。 当時のブログに、「わたし」は次のように書いている。 **********まず、「授業デザインとは何か」ということについて「『設計との違い』で考えると分かりやすい」と答えが返ってくきて、少しあっけにとられる。「授業デザイン」と「授業設計」の違いを考えていたはずなのに、「授業デザインとは何か」ということばかりに気をとられ、これまで私たちが行ってきた「授業設計」そのものについて振り返っていなかったのである。この「授業設計」について、次のような例を挙げて説明された。(もちろん、私の「ことば」でしか再現できないが・・・。) 「授業がうまい先生は、机間指導の中で、子どもの考えを把握し、それを指名によってつなげていくことができる。このことにより、あたかも「スムーズ」に授業が流れているように見える。しかしながら、その中で本当に子どもたちは理解しているのだろうか。」 「そんな授業はしていない」といいたいところだが、あたかも「学びあっているような」授業を「演出」してこなかっただろうか。少なからず、子どもの反応を予想し、「一方向的」につなげて「授業設計」をしてきたことは確かである。 秋田先生に「やはり、授業観の転換が必要ですね」と尋ねる。すると「そんな大変なことではない」と、あっさり斬られてしまった。そして、「普段の授業の中にある」と、付け加えられた。「反省的実践」が必要ということであろう。 また、「表現」についても質問する。その中で、いくつかのキーワードになる「ことば」をメモすることができた。 「表現から理解を深める。」 「自分の言葉におきかえる。」 「つぶやきを他者に伝わるものに。」 「思考をたどらせる。」 「他者の思考のプロセスに沿う。」 「わかり直すところに、全員が参加していく。」 このことからも「表現」のための「表現」ではないことが分かる。また、子どもたちの「表現」を重視することによって、「科学者のコミュニティのようにつながる」とも話していただいた。秋田氏がいくつかの著書の中で「知の著者」という言葉を使われていることもあわせて考えると、「表現」する意味(価値)として「他者とのかかわり合い」と「文化的実践」の両面からとらえていく必要がある。 「わかり直すところに、全員が参加していく。」 今回、秋田先生の研究室を訪問し、いろいろな質問に答えていただく中で、一番心に残った「ことば」である。 わかり直すためには、次から次へとステップアップしていく学習ではなく、疑問やつまずきがあったとき、「たちどまって」「もどる」学習が必要である。 ふと、佐藤学氏の「教師たちの挑戦」を思い出す。佐藤氏は、そのなかで次のように述べている。 ・・・・・ 探求し合う教室を創造する教師は、「もどす」ことの意義を熟知している。しかも、「もどす」ことに熟練した教師は、高いレベルの学びに挑戦することに積極的である。課題が子どもに困難なときには、その前段に「もどす」ことで再出発できるし、グループ活動に「もどす」ことによって、一人ひとりの参加を促し、多様な個と個の擦り合わせを組織して高いレベルの学びを実現することが可能になる。 ・・・・・ 前へ、次へのステップではなく、「もどす」ことによって「高いレベルの学び」を実現することができる。やはり、「授業観の転換」が必要である。 ******** 案外、よく書けているのだが、この頃の「わたし」は「授業観の転換」と書きながらも、子ども同士のかかわり合いや授業デザインを「方法の一つ」ととらえていた。
2012.06.18
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今日から、ほったらかし状態だったblogを再会させる(させたい?)。理由はいくつかあるが、大きく次の3つである。 一つ目は、6年間の研究「みんなで伸びる授業デザイン」が一段落したこと。今年、研究部長が井上伸円先生になり、少しは自分自身のこともできると思ったからだ(ここ数年さぼっていた理科の研究会や学会にも足を運ぼう・・・)。また、今6年間を振り返っておかないと、おそらく一生振り返らないだろうとも自分の性格を根拠に考えた。二つめは、昨年12月「授業記録を読む会」に参加された琉球大の道田先生に「どうしてブレないのか」と質問されたこと。リフレクションを中心とした研究がどんどん進んでいる琉大附小の先生方に、今「ブレ」が生まれたのだろう。道田先生には、このblogをよく読んでいただき、コメントもいただいていた。授業デザインに対して「ブレブレ」だった「わたし」が、今ほとんど「ブレなくなった」過程を知りたいといわれるのだ。私自身、前々から「ライフヒストリー」に関心があったため「語ってみよう」という意欲がわいていた。 三つ目は、本年度の研究発表会(平成25年2月15日)で、久しぶりに授業を公開することができること。研究部長をしていた3年間、私の授業を公開することができなかった。授業をするには、このblogは欠かせない。 ということで、週3回を目標にblogをupしたい。特に、この6年間の「あしあと」は、このblogに書き残したことともに、この6年間で40冊にもなったノートを開きながら書いていくことにする。どんな「わたし」に出会えるか、楽しみである。
2012.06.18
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