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前回のblogのつづき。「バランスドアクアリウム」について情報館(図書館)で調べた後に自分の考えを書いたノート。前回につづき、いくつか紹介する。まず、NGくんのノート。・・・・・そこまでいろいろと分からなかったが、オオカナダモについている泡は光合成でできた酸素だと分かった。また、アカヒレは熱帯魚のコイ科で、別名・ホワイトクラウドマウンテンミノーであり、中国の広東省、ベトナムに生息している。全長は4cm。メダカと同じくらいなので、プランクトンを食べているかもしれないが、コイ科なのでコイが食べているものなのかもしれない。コイがプランクトンを食べるかと思うが、ジンベエザメも水をのみ込み、その中でプランクトンを食べているそうだ。・・・・・「アカヒレの大きさはメダカと同じぐらいであること」と「ジンベエザメもプランクトンを食べる」ということから、「アカヒレもプランクトンを食べるはずだ」と自分自身を納得させているようにみえる。次に、tkさんのノート。・・・・・私がこの2時間の調べ学習で分かるようになったことは、アカヒレのえさの問題と、なぜ水をかえる必要がないか(なぜ水がよごれないか)ということの2つだ。この2つはおそらくつながっていると思う。水がよごれないのは、び生物がアカヒレのフンや食べ残しを食べているからで、そのび生物をアカヒレが食べているからアカヒレのえさは少しでいいと思う。しかし、オオカナダモについていたもにゃもにゃしたものがなんなのかがよく分からなかった。次の機会にはそのことと、光合成でできた酸素だけしか酸素はないはずだから、本当にそれだけでアカヒレが生きていけるか調べたいと思う。・・・・・おそらく「アカヒレのえさ」と「水をかえる必要がない(水がよごれない)こと」は、つながっている。tkさんらしい表現と鋭い指摘である。ただ、生物同士のつながりを1学期に学習した単純な「食べる・食べられる関係」の延長としてとらえているのだろう。今後、どのようにより複雑で、よりダイナミックなつながりとして「わかり直し」ていくか、楽しみである。※ この記録は、平成26年1月29日のものである。
2014.01.30
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前回のblogのつづき。「バランスドアクアリウム」について情報館(図書館)で調べた後に自分の考えを書いたノート。前回につづき、いくつか紹介する。まず、NGくんのノート。・・・・・そこまでいろいろと分からなかったが、オオカナダモについている泡は光合成でできた酸素だと分かった。また、アカヒレは熱帯魚のコイ科で、別名・ホワイトクラウドマウンテンミノーであり、中国の広東省、ベトナムに生息している。全長は4cm。メダカと同じくらいなので、プランクトンを食べているかもしれないが、コイ科なのでコイが食べているものなのかもしれない。コイがプランクトンを食べるかと思うが、ジンベエザメも水をのみ込み、その中でプランクトンを食べているそうだ。・・・・・「アカヒレの大きさはメダカと同じぐらいであること」と「ジンベエザメもプランクトンを食べる」ということから、「アカヒレもプランクトンを食べるはずだ」と自分自身を納得させているようにみえる。次に、tkさんのノート。・・・・・私がこの2時間の調べ学習で分かるようになったことは、アカヒレのえさの問題と、なぜ水をかえる必要がないか(なぜ水がよごれないか)ということの2つだ。この2つはおそらくつながっていると思う。水がよごれないのは、び生物がアカヒレのフンや食べ残しを食べているからで、そのび生物をアカヒレが食べているからアカヒレのえさは少しでいいと思う。しかし、オオカナダモについていたもにゃもにゃしたものがなんなのかがよく分からなかった。次の機会にはそのことと、光合成でできた酸素だけしか酸素はないはずだから、本当にそれだけでアカヒレが生きていけるか調べたいと思う。・・・・・おそらく「アカヒレのえさ」と「水をかえる必要がない(水がよごれない)こと」は、つながっている。tkさんらしい表現と鋭い指摘である。ただ、生物同士のつながりを1学期に学習した単純な「食べる・食べられる関係」の延長としてとらえているのだろう。今後、どのようにより複雑で、よりダイナミックなつながりとして「わかり直し」ていくか、楽しみである。※ この記録は、平成26年1月29日のものである。
2014.01.30
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今回も、前回に続き「バランスドアクアリウム」に対する「疑問」や「不安」について情報館(図書館)で調べる。今回は、CASIOさんからお借りした電子辞書をグループに1台準備した。子どもたちは、電子辞書を使えば何でも調べられると思っていたのだろうか、電子辞書内のいろいろな辞典や図鑑で「バランスドアクアリウム」と調べるものの、ヒットしない。しばらくすると電子辞書は、情報館にある図鑑に書かれている「分からない言葉」を調べる道具になっていた。授業の最後に、調べたことをもとに、自分の考えをノートに整理する。授業後にノートを見てみると、tmさんは次のように書いていた。・・・・・ 私は、まず水草の役割について調べたんですが、少し疑問に思ったことが一つありました。それは、メダカの食べかすや死体からでるちっ素を吸収?して水草が大きくなるというところです。光合成などするときでも、二酸化炭素と酸素などを吸収し、前勉強したときは、ちっ素を燃やしても、すぐに消えて、ものを燃やすはたらきがなく、78%から変わらないのに、なぜちっ素を吸収して水草が大きくなるのかが分からないです。 次に、バランスドアクアリウムについて調べたときに、バランスドアクアリウムは、えさもエアポンプも必要ないのに、メダカは、1日に1回は、必ずえさが必要と図鑑に書いてあったのに対して、なぜ、バランスドアクアリウムにしても、メダカのえさは必ず1日に1回必要なのかが、疑問に思いました。 次に、分かったことは、夜でも酸素をつくる働きなどがあるということです。昼では、太陽がでるので、明るい場所に置いとくと、自然と、水草が光合成をして、酸素をつくれるし、夜でも蛍光灯でつくれることが分かりました。・・・・・tmさんは「植物が窒素を吸収する」と調べているものの、陸上の植物が大気中の酸素や二酸化炭素を吸収するのと同じように、葉から窒素そのものを取り入れるようなイメージをもったのだろう。また、「窒素はものを燃やすはたらきがない」という事実がどう発展していくか楽しみである。ただ、「水草は暗い場所でも光合成できる」もしくは「光合成はできないが、酸素をつくっている」と誤解していなければいいのだが・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成26年1月29日のものである。
2014.01.30
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前回の授業で語られた「バランスドアクアリウム」の「疑問」と「不安」。今回は、そのことについて情報館(図書館)で調べる。まず、多くの子どもたちが調べたのは「アカヒレ」や「オオカナダモ」のこと。しばらくすると「メダカの飼育」に関すること。世話の仕方とともに生息条件などが書かれている。さらに、数名の子どもは「ビオトープ」や「水草の光合成」について書かれたものを見つけた。そして、7年前に実践したときにも話題になった「自然のサイクル」の図をじっと見つめる子どもも。なかなかノートに書き写さず、何か考え込んでいる様子であった。また、前回の授業で「石が水をきれいにする」というesさんの発言があったからだろうか、「石」について調べる子どももいた。最後には、「アカヒレ」について詳しく書かれたもののなかに「低温に強く、水温が下がると冬眠するので、保温しなくても冬をこせる」とあることをノートに書き写すMKくんの姿があった。※ 今回の記録は、平成26年1月28日のものである。
2014.01.29
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「バランスドアクアリウムで1ヶ月飼育して」気づいたことや考えたことを話し合った後に学習の振り返りをノートに書いたものを「座席表」にまとめた。(座席表のまとめ方や活用の仕方の詳細はこちら。)その中で、次のような記述を見つけた。NSくん「僕は自分の家の寝室をアカヒレのビンの中と考えて、寝ているときに苦しいとか思ったことがないから、それと同じことだと思う。」 少しずつではあるが、自分たちの生活や環境と関係づけて考えようとしているのであろう。
2014.01.27
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前回のblogのつづき。「バランスドアクアリウムで1ヶ月飼育して」気づいたことや考えたことを話し合う中で、子どもたち出された話題は「水草の光合成」「アカヒレのえさ」「水の汚れ」そして「水の温度」である。話し合いの前半は、「疑問」や「心配」であったが、esさんの発言をきっかけに、少しづつ子どもたちがかかわり始める。・・・・・esさん「私はkmさんのに答えるのと、自分の意見なんですけど、kmさんのに対して、なんか私が暇なときっていうか何もしていないときに瓶を見ていたら、なんか、水草の周りに、オオカナダモの周りとか葉っぱのところに、なんか、泡みたいのがいくつかついていて、で、それを私はなんか空気、酸素か分かんないんですけど、空気じゃないかなって思って、それは事実だから、だから、一応弱い光でも光合成はできるんじゃないかなって考えたんですけど、またそこから疑問が生まれて、まあ、この場合は光合成はできるかもしれないんですけど、水槽に、普通の水槽で飼っているときも一応水草を入れているのに、その、エアポンプも使っているから、それだったら光合成しているのエアポンプも使っているということになるから、何でかなって思ったのと、あとその、YKくんたちの班はバクテリアとかが水をきれいにしてくれるっていってたんですけど、私は、あの、下に敷いている石が、その、水をきれいにしてくれるんじゃないかなって思って、前テレビか何かで、石には水をきれいにする浄化作用みたいのが聞いたことがある気がするから、だから、その石の役割のおかげで水がきれいになってるんじゃないかなっと思いました。」tmさん「えっと、私はesさんが言ったこととはちょっと違うと思って、やっぱり石がきれいにするっていうのは、あのなんか、ちょっと違うんじゃないかなって思って。その、だったら、メダカも敷いてあるのに、メダカを飼ったことがあるんですけど、そのときにはメダカの周りは汚くなってて、でも私が飼っているアカヒレは汚くならなかったので、やっぱり石が関係あるっていうのは、ちょっと違うんじゃないかなと思いました。」smさん「私もtmさんといっしょで、今金魚とかを飼ってるんですけど、えっと、水槽とかを洗って一時したらやっぱり濁ったりするし、タニシみたいのが出てきたとしても濁ったりするんで、石によって、なんか種類とかがもしあるんだったらそれもあると思うんですけど、種類がなかったらそれは違うんじゃないかなって思います。」esさん「えっと私は、確かに、まあ人によって違うと思うんですけど、うちでメダカを飼ったときは、なんていうんだろ、石は敷かなくて、それだったらもちろん、糞とかもするから汚くなって水替えは必要だけど、この場合は、なんていうんだろ、狭い空間だから、それとその、メダカもたくさんいるとそれだけ早く水も汚くなってしまうけど、この場合は、狭い空間の中でもしかも2匹とか3匹しかいない魚という条件というか、まあ、条件だから、その狭い部屋をあまり掃除せずに1週間に1回ぐらいしか掃除しなくても、あまり人は通らないとかいう部屋だったら、まあゴミも落ちないだろうから、それと同じで、あまり濁らないんじゃないかなって思いました。」T 「あれ(理科室の水槽)に比べれば狭くて、魚の数も少ない。」SMくん「えっと、esさんの今メダカやエアポンプ、水槽だとエアポンプが何で必要なのかという疑問についてぼくの考えなんですけど、えっとその、普通の水槽だったら、あのその、囲まれてなくて、上がちょっと空いてたりするじゃないですか、で、酸素というのは水に溶けにくいから、だから、あの、溶けにくいので、その実験とかしても上に浮いてきたりするので、あの、それでどんどん空気中に、どんどんいって、それで空気中にいくんで水の中にはあんまりその酸素っていうのは入らないと思うので、その代わりにいっぱい酸素というのを取り入れるためにエアポンプが必要なんじゃないかなと思いました。」MKくん「えっと、ちょっと話がずれて、えっと、shさんやGTくんに答えるんですけど、あの、えさがほとんどいらないというのは、えさをあげた場合、アカヒレが全部食べるわけじゃないから、その、少しでも食べ残ったものが、食べ残しが水中にどんどん沈んでいって、石と石の間に挟まる、石と石の間に沈んでいって、それが何回もくり返されると、しだいに下にもある程度のえさが溜まってくるから、で、こないだ1回見たんですけど、アカヒレが、そのなんか、石のところで、なんか、石のところにある何かを食べていたので、それは、食べ残しのえさが下に溜まってるからそれを食べてたから、えさがたぶんほとんどいらないんじゃないのなって思いました。」GTくん「食べ残しっていっても、やっぱり、その、食べ物で、下に溜まってある程度日数が経つと汚れになったのが腐っていって、食べれない状態になると思うので、それは違うと思います。」SMくん「えっと、あれ、さっきMKくんがいった、そのえさが下に溜まっていったって、それは、えさは下に溜まると思うんですけど、ぼくは毎日観察してるんですけど、それで、下に行ってパクパクしてたのは見たことがなくて、普通にえさをやっていったら上に上がってきて食べたり、なんか、水草みたいのに噛みついてたりするんで、あの、下にあったのを食べるのは、それはないんじゃないのかなって思いました。」T 「毎日観察しているんだ。それがえさを食べていたかどうかは?」SMくん「分からない。」tmさん「MKくんがいったことに対して、あの、私はちょっと違うと思って、で、理由は、やっぱりえさは下に溜まっていくかもしれないんですけど、私がえさをあげたときには、上に浮いて溜まってた状態で、そのアカヒレが上に上がってきて食べるっていうことが多かったので、その、あんまり下に下がるんじゃなくて、上に浮いてる感じでアカヒレが食べにくるっていうのじゃないのかなって思いました。」krさん「esさんと同じで、水草の周りに泡がついてたんですけど、それで・・・、それで、その、エアポンプが必要ないんじゃないのかなって思いました。」・・・・・話し合いを通して子どもたちがかかわり合った話題は「アカヒレのえさ」と「水の汚れ」。MKくんの発言からも、子どもたちはえさの食べ残しが水の汚れになることを十分とらえていないことも分かる。おそらくesさんやtmさんが「水をきれいにする」と発言しているものの、「水の汚れ」はこれまでの生活経験からイメージできる程度のもの(例えば、風呂の水の汚れなど)であり、「きれいにする」こととの内実は説明できないことが予想される。また、実際にメダカや金魚を飼育した経験や、1ヶ月間のバランスドアクアリウムの飼育・観察での「小さな気づき」が根拠として挙げられている。おそらく、発言がかかわり合い「対立軸」が明確になったことから、自分の考えを主張するために必要になったのだろう。今回の話し合いが、バランスドアクアリウムの追究を進めるだけでなく、これまでの経験や学習を振り替えるとともに、長期間の飼育・観察の視点をもつことにつながるといいのだが。※ 今回の記録は、平成26年1月22日のものである。
2014.01.26
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バランスドアクアリウムでの飼育をはじめてちょうど1ヶ月。この1ヶ月の間に気づいたことや考えたことを話し合う。グループでの話し合いのあと、学級全体では次のように発言が進んだ。・・・・・kmさん「エアポンプが必要ない理由が分からなくて、えっと、水草は入れているけど直射日光は当たってないから、弱い光では、弱い・・・、直射日光当たってないから、弱い光では光合成あんまりしないから、何でできてるのかなって思いました。」shさん「私は、えさがだんだんいらなく、少なくなってきていいってやつが分かんなくて、あの、それに、あの、えさも元々あんまりいらないというのが分かんなくて、まあ、他の魚とかメダカとかだったら、もっといると思うんですけど、何でそんな少なくていいのかが分かりませんでした。」YKくん「水を手入れしていないのに汚くならなかったのが不思議だと思って、それについて考えたんですけど、IYくんが小さなバクテリアがいて、あの、バクテリアがアカヒレがした糞を食べて、そしてそれで、微生物がそのバクテリアを食べて、その微生物をアカヒレが食べてるから水とかが汚くならないって言ってたんですけど、で、ぼくもそう思ったんですけど、それだったら、バクテリアや微生物は何で少なくならないのかなって思いました。」IYくん「水草とかは、まあ、kmさんの意見もあるんですけど、昼は光合成できるとして、でも、まあ、夜は光が全然当たってないから、真夜中とかは、だから、光が当たってないと呼吸しかできないって、あの、こないだ習ったので、何で呼吸しかできないのに、あっ、酸素はないのにアカヒレは夜中呼吸することができるのかなって。」T 「夜は呼吸しかしていないのは事実ですね。」GTくん「shさんと同じ疑問で、えさはほとんどあげてないのに生きているから、プランクトンか何かがいるんじゃないかなと思ったんですけど、でも、その、水草についてきたっていっても、そんなになんか、水草にいっぱいついてるのは、なんか、おかしいんじゃないかなって思ったから、何で生きてるのかなって思いました。」SMくん「えっとIYくんに対してなんですけど、あのなんか、だから、空気・・・、バランスドアクアリウムは、おの、囲まれてて空気の逃げ場がないっていうか、そういう感じだから、昼に光合成してて少し水に溶けてたのが、溶けてたのを、えっとなんか、アカヒレが、なんかいろいろになって、それをえらで吸ってるんじゃないかなって思って、で、GTくんのは、なんか、プランクトンが水草についてたっていうのはぼくの班でも出たんですけど、なんか、それはちょっとなんか、ついている可能性はあると思うんですけど、あのまあ、それはなんか、ついていた場合はどうなるのかなって思って・・・。」T 「ついていたらどうなるか?」SMくん「ついていなかったら・・・。」MKくん「えっと今、バランスドアクアリウムを飼って、なんかちょっと心配してることなんですけど、あの、なるべく暖かいところで飼ってるんですけど、それでもただ、暖房が効いた部屋でただ飼っているだけで、あの、お母さんとかが外出とかで、長い外出とかで、あの、外に出た場合、あの寒くなって、その暖房が入ってときと暖房が入ってないときでは、だいぶん温度差が激しいから、その温度差でアカヒレが弱ったりするのが、ちょっと今心配です。」・・・・・子どもたち出された話題は、「水草の光合成」「アカヒレのえさ」「水の汚れ」そして「水の温度」である。前の3つはバランスドアクアリウムのひみつに関するものであり、今後もこの3つが追究の中心になテクだろう。また、最後のMKくんの心配は、今回の追究に直接関係あるものではないものの、この1ヶ月の子どもたちの意識を示すものであり、長期間の飼育・観察を支えるとともに、根拠となる事実の「層」を厚くすることにつながると考える。また、そんな中、SMくんが他の水層などと比べてバランスドアクアリウムの特徴に言及していることも興味深い。おそらく、これまでの飼育法との違いに着目している子どもも多いのだろう。ただ、バランスとアクアリウムを単に「特別なもの」ととらえていなければいいのだが・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成26年1月22日のものである。
2014.01.25
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前回のblogのつづき。一昨年の研究発表会の全体会で提案したときのプレゼン(最終回)。・・・・・このような授業の中、そして、授業後に子どもの「論理」を見取り、評価するために、ビデオを使った授業リフレクションと子どものワークシートの記述によるパフォーマンス評価を実施しています。リフレクションとは振り返りのことですが、複数の教師で授業ビデオを見ることにより、発言の良し悪しだけでなく、一つ一つの「ことば」を意味づけるようにしています。また、作成した学習指導要領をもとにルーブリックをつくってパフォーマンス評価を実施し、ワークシートの記述をもとに子どもの思考・判断を評価しました。実際には、複数の教師で行い、それぞれの評価の仕方を修正するとともに、子どもの記述からルーブリックそのものを見直すことも多くあります。この中で、だんだんと子どもの思考の仕方や表現の特徴が読み取れるようになっていきます。実際、この授業リフレクションやパフォーマンス評価の中で、「こんなところでつまずいていたのか」「こんなおもしろい考え方をしていたのか」というたくさんの驚きや発見が生まれてきています。また、この教師の聴き方が子どもの聴き方を育てていると、私たちは考えています。これは、はじめに紹介した映画「ちいさな哲学者たち」の監督インタビューの中の「ことば」です。子どもたちの話を聞くには時間がかかるでしょう。でも、彼らが話すことを信じ、彼らの考える能力を信じることができるはずです。ですから、彼らの話を聴いてください。彼らなりのリズムで歩むのをさまたげないように。私たちは、この3年間の研究に取り組む中で、子どもの声に耳を傾けることの重要性を再確認することができました。子どもの姿に学び続ける「成長する教師」に。そんな教師になりたいということが、今の私たちの願いです。3年間の研究も、いよいよまとめの時期を迎えています。しかし、まだ、まいた種がやっと芽生えた段階でしかありません。これからも、しっかりと「ことばの力」という根を伸ばし、世界に向かって大きく葉を広げ、自ら探究することができる子どもを育てていければと考えています。最後に、劇作家の平田オリザさんの「ことば」を紹介します。 私とあなたは違うということ。 私とあなたは違う言葉を話しているということ。 私は、あなたが分からないということ。 私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないこと。 そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会の中で生きていかなければならないということ。 そしてさらに、そのことは決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ。これからの対話の時代に向け、今後も子どもたちを自立した探究者に誘っていきたいと思います。
2014.01.23
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前回のblogのつづき。一昨年の研究発表会の全体会で提案したときのプレゼン。・・・・・次に、「論理科」カリキュラムの開発について説明します。私たちは、「論理科」のカリキュラムを開発するに当たり、「論理科」の目標を次のように設定しました。じっくりと「みる」「語る」活動を通して、他者と積極的に対話しようとする態度の育成を図り、論理的に考えることのよさと他者に分かりやすく説明する方法についての理解を深めるとともに、「ことば」に対する関心を高めメタ言語意識を養う。です。この目標をもとに、本校では「小学校学習指導要領『論理科』」を作成しています。お手持ちの紀要に乗せておりますので、そちらをご覧ください。また、「論理科」の授業を構想する上で「芸術」「くらし」「科学」の3つの領域を設定しました。そして、この三つの領域の一つに焦点化して1単元を3時間で構想する「タイプ1」と、三つの領域を横断し論理力を総合的に身につけさせるため、より探究的な主題を設定し1単元を10時間から12時間程度で構想する「タイプ2」の、二つのタイプの単元を設定しました。このことにより「論理科」と各教科等における思考のつながりが明確になり、全ての教科等で言語活動を充実させることができると考えます。それでは、実際の「論理科」の授業について説明いたします。私たちは「論理科」の授業において、子どもたち同士の豊かな対話の中で、じっくりと「みて」たどたどしいながらも自分の「ことば」で「語る」ことを大切にしています。そこで、1単位時間の授業の流れを「みる」「書く」「語る」「振り返る」としました。この授業の流れを、4年タイプ1、科学領域の実践を例に説明します。ここでは、昨年「朝食の習慣化」を目的にして各学校に配られたポスターを提示するとともに、あるテレビ番組の中でニュースキャスターが「毎日朝食をとると成績が上がる」とコメントしたことを伝えました。すると、多くの子どもたちは「お家の人も、朝ご飯を食べなさいという」など、これまでの生活経験をもとに「このコメントは正しい」と発言します。しかし、このポスターに書かれていることをじっくりとみてみると、「集中力が高まる、やる気が出るとは書いてけど」と、疑問をもつ子どもがあらわれます。そこで、「毎日朝食をとると成績が上がる」というコメントは本当かという課題を設定し、自分の考えを「書く」時間を設定します。学年や授業ごとに変わるのですが、おおむね8分から10分程度の時間を設定しています。その後、男女混合の4人一組グループで自分の考えを「語る」時間を設定します。自由に自分の考えを語るとともに、友達の考えと比べ自分とは異なる視点に気づくことができるようにします。その後、席をコの字型にし、学級全体で話し合います。ここでは「やっぱり朝ご飯を食べることは大切だ」と多くの子どもが主張する中、「朝ご飯を食べることと、勉強することが必要」「朝ご飯を食べるだけでは成績は上がらない」と、少しずつ根拠と主張のつながりの悪さや、結論の導き方の不十分さが明らかになっていきます。「成績が上がりやすくなるだけで、絶対に上がるというわけではない。」このように根拠となる事実と、そこから導かれる主張の関係を、友達といっしょに見直す子どもの姿を見ることができました。最後に「振り返り」です。話し合ったことを手がかりに、自分の考えや考え方の妥当性を吟味して、あらためて自分の考えを筋道立てて説明します。(つづく)
2014.01.23
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前回のblogのつづき。一昨年の研究発表会の全体会で提案したときのプレゼン。・・・・・このことから3年前(5年前)、私たちは「論理科」をスタートさせました。「論理科」とは、全ての教科等で音声や文章を使って表現すること(言語活動)を通して論理力を高めるために、その中核として新設した教科です。「論理科」では、子ども自身の「ことば」で「語る」ことを大切にしています。「ことば」を使って考える。「ことば」を使って自分の考えや考え方を振り返る。そんな子どもの育成をめざしてきました。本年度(平成23年度)から完全実施されている新学習指導要領でも、論理的な思考力を高めるために、すべての教科等で言語活動の充実を図ることが示されています。本校では、このことはもちろんのこと、その中核として「論理科」を位置付け、各教科等の思考・判断を伴う言語活動と関連づけてカリキュラムを開発し実践することをめざしました。また、私たちは今回の研究に取り組む前から、子どもたちを自立した探究者に誘うため、子どもたちの「聴くー語る」関係を中心にした「みんなで伸びる授業デザイン」づくりに取り組んでいました。この「みんなで伸びる授業デザイン」をより充実したものにするため、その基盤となる部分に「論理科」で育てる「ことばの力」を位置付けたのです。しかし、振り返りを促し、自らの考えを深める「ことば」の力を育てるには、型を学ぶだけでは不十分です。豊かな対話の中で「なぜ」が生まれ、論理的な思考がスタートする。そして、探究の中で腑に落ちる経験をしながら相手に分かりやすく説明する。このような体験をくり返す中で「ことば」の力が育まれると考えます。豊かな対話の中で「ことば」の力を育てる。「対話」から「探究」へ。このキーワードをもとに、研究テーマを「ことばの力に培う『みんなで伸びる授業デザイン』」とし、「ことば」を大切にした各教科等のじゅぎょうづくりと「論理科」カリキュラムの開発の2つを両輪にし、実践を進めてきました。まず、「ことば」を大切にした各教科等の授業づくりについて説明します。ここでは、次の4点を大切にしています。「質の高い課題を設定する」「子ども同士の対話を保障する」「子どもの『語り』を可視化し振り返りを促す」そして「リフレクションにより『語り』を分析する」です。ここで、本年度(平成23年度)実施しました授業の様子を紹介します。5年生の道徳では「父の言葉」という資料を読み、親切や思いやりについて話し合いました。この資料は、黒柳徹子さんが幼少時代に同じ病気に苦しんだ子に対する自分の行為について悩んだ様子が描かれています。病気がよくなった「わたし」は、松葉杖をついている子を見て横道に隠れます。「あなただったら、どうしますか?」この教師の問いかけに子どもたちは「私も隠れると思う」「私は隠れずに話しかけたいけど・・・、相手が傷つくかもしれない」と発言します。そんな中、「そんなにかわいそうだと思うなら、行ってお話ししなさい」という父の言葉から、一人の子どもが「かくれると、いない人になってしまう」と発言します。この「いない人になる」という「ことば」をめぐって、次のように話し合いが進んでいきます。このように、一人の発言をきっかけに、相手の立場になって親切にすること、人と人とがよりよい関係をつくっていくことに対し自分の考えを振り返りながら、お互いの考えを深めることができました。(つづく)
2014.01.23
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本校の現在の研究の中心が「論理的な思考力を育てる」ことであるからだろうか、今でも一昨年まで取り組んでいた「論理科」カリキュラム開発のことが話題になることが多い。2月14日(金)の研究発表会に向けて(?)パソコンを整理していたら、一昨年の研究発表会の全体会で提案したときの発表原稿が出てきた。古いものであるが、せっかくなので紹介する。・・・・・昨年(2011)の夏、フランスの幼稚園で始まった哲学の時間を取り上げたドキュメンタリー映画「ちいさな哲学者たち」が公開されました。映画の中では、「愛」や「自由」、「死」などをテーマに幼稚園の4歳から5歳の子どもたちが考え、語り合います。「ママはなぜ頭がいいの」という教師の質問に対し、「わたしを絶対冷蔵庫に入れないからよ」と答えます。また、「大人は子どもより頭がいいと思う?」という質問には、「そんなことはない。だって大人は『お前たちは何も知らない、何も知らない』って言うんだから。ぼくたちだっていろいろ知っているもの」と答えます。自分の知識と経験を総動員し、相手を説得しようとしています。このように、子どもは本来「論理的」です。また、「語り」の中で「論理」が立ち上がることも分かります。この「語り」と「論理」の関係について、内田伸子先生は著書の中で次のように述べられています。ことばとことばによってつながりの悪いところに筋道をつけようとするうちに、無関係だったことが関係づけられ、因果的なつながりが明確にされていく。そうして、表現する前には気づかなかったことに気づいたとき、考えが深まったという実感が得られるのかもしれない。つまり「論理」とは、ことばとことばのつながりであり、「語る」ことによって「つながり」を意識し、「因果的なつながり」、「論理」が明確になると言うことでしょう。この「語り」は、他者との「対話」の中で促されます。たとえば、ある人が「雨が降っている。かさはいらない」と話したとします。これでは断片的・直感的であり、論理的だとは言えません。しかし他者から「なぜ」と問われることにより、「雨が降っている。でも雨あしも弱く、しばらくするとやみそうだ。しかも今日は暖かくて、少しぐらい濡れても大丈夫。だから、かさは必要ない」と「語り」が促され、「ことば」が整理されていきます。また、「対話」を通して、互いの「ことば」同士がつながっていくことも注目すべき点です。「雨が降っている」という一人の発言から、他者が得た情報がつながっていきます。「雨が降っている。かさは必要か?」「でも、もうすぐやみそうだ。」「暖かくて少しくらい濡れても大丈夫。」「それだったら、かさは必要ない。」このように、ばらばらだった「ことば」が関係づけられ、解釈や仮説、推論までが促されていきます。このことばとことばの「つながり」をより意識し、具体的な授業を構想するために、私たちはトゥールミンが提唱したモデルを「論理モデル」として参考にしています。ことばとことばの「つながり」を意識しながら、「ことば」によって思考を深め、「ことば」によって他者と伝え合い、「ことば」によって自分の考えや考え方を振り返る。そして、より深い学びを促す。そんな力が「ことば」にはあると私たちは考えています。「道具」としての「ことば」を獲得し、他者とかかわり合いながら、より深い学びを実現することが、これからの知識基盤社会を生きる子どもにとって、大切なことなのではないでしょうか。(つづく)
2014.01.23
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2月14日(金)の研究発表会に向け、大変な作業の一つに研究紀要をつくることが挙げられる。そのため、「土地のつくりと変化〜地層のでき方」も授業実践として整理したのだが、その中で「とりあえず」次のような「終わりに」を書いた。・・・・・ 「れき、砂、泥、れき、砂、泥」と規則的な層をつくるペットボトル実験と、ばらつきのある雨樋実験。この2つの実験結果から、実際の地層をつくる一つ一つの層の厚さや構成する土砂の違いを「川の水量の違いによる流れる土砂の量や種類の違い」という根拠となる事実によって説明できることに、多くの子どもたちが気付くことができたのだろう。 このことが実際に経験した豪雨による洪水のことを振り返るきっかけになったのだろうか、授業後のノートには「洪水のとき川は泥で茶色に濁っているが、砂やれきもいっしょに流されているのか」などが書かれていた。 今回の実践を終えて、実際の地層とモデル実験の結果の違いに着目し、実際の川や海をイメージしながら筋道立てて説明しようとする子どもの姿を見ることができた。また実験の結果のばらつきをきっかけに、実験の方法を振り返りながら、モデルの妥当性を検討する場面も多く見られた。これらのことから,単元の最後には、「れきが流れないことはあるけど、実験と違って砂だけが流れることはない」など、実際の地層とモデル実験が違う理由まで説明できることにつながったと考える。今後も「ことば」を大切にしながら、目の前の事実から推論する子どもを育てていきたい。・・・・・本当に「とりあえず」である。研究発表会での提案では、もっと具体的な子どもの姿で振り返ることができればいいのだが・・・。
2014.01.22
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前回のblogのつづき。「どのように御輿来海岸の地層はできたのだろうか」。「1回モデル」から「複数回モデル」に考えを修正したMKくんの発言をきっかけに、次のように話し合いが進んだ。・・・・・SMくん「ぼくも、ばらばらに流れてくると思って、雨樋実験で一番はじめに流れたのが泥で、次が砂で泥だったんで、それは一気にばっとやったからそうなったんですけど、実際の川はゆるやかっていうか、速さに差があるから、だから、最初に泥が流れてきて、次に流れやすい砂が流れてきて、で、ばらばらに流れてきて、れきがゆるやかだったときはあまり流れないから、れきが流れてくるから、その、泥、砂のペースが何回かあって、それでやっと流れてきたれきが積もる。」 T 「今、ゆるやかなのときは泥が流れてきてその後に砂が流れてくるといったけど、そんなことあるのかな?」 SMくん「いや、ゆるやかなとき流れやすいのは泥と砂っていうこと。」 MKくん「だって、砂より軽いのは泥だから。砂が流れているときは泥も流れている。」 ksさん「えっと、私は、泥と砂だったら泥の方が軽いじゃないですか。で、泥と砂とれきだったら、泥と砂が混じりやすい、前だれかがいったんですけど、混ざりやすくて、泥と砂の組みたいのが流れてくるから、その中で層ができて、砂、泥が順番になって、で、層の厚さが違うのは、川から地層があるところまで流れてくる砂とか泥の量が毎回違うから、分厚い層があったり薄い層があったりするんだと思います。」 HNくん「ぼくは広い層があるのは、一気に砂とかが流れてくる量とかが多かったとか、同じものが連続で流れてきたときには大きくなるというのと、ずっと前、最初のやつで砂の上に泥があって、泥の上に砂があるのは、大きい順に沈むってことで、砂、泥で沈んだ後に、1回だけじゃないから流れてくるのは、もう一回降りてきて砂、泥、砂、泥になったというのと、あと雨樋実験の結果から、れきは流れにくいことが分かったから、れきの層が少ないんだと思いました。」 esさん「私はHNくんのもあるんですけど、砂とかれきの層に関してはよく分かんないんですけど、泥にも軽い重いがあると思って、泥の中でも軽い粒はそれだけ軽いから水中でいろいろ浮遊したりして、まあ何日か経ってからようやく沈む、層になる、積もるってことになると思うんですけど、重い泥の粒とかは、それだけ重いわけだから、軽いものよりも水中で浮遊している時間が短いから、先に泥が積もったのは量が少なかったり多かったりと重さで層の厚さも変わるんじゃないかなと思いました。」・・・・・SMくんのはじめの発言を十分に理解することはできなかったものの、そのたどたどしい発言がMKくんの「砂が流れているときには泥も流れている」という発言を引き出すことにつながったと考える。ペットボトル実験や雨樋実験で土砂を一気に流し込んだときの水の濁りと洪水の様子。実験後にすべての泥が沈み終わった後のペットボトルや水槽の水の透明度と普段の川の様子。どれだけ関係づけることができてるか分からないが、少しは意識させることができたのだろう。※ 今回の記録は、平成25年10月22日のものである。
2014.01.21
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いよいよ「地層のでき方」の追究も最終回。「御輿来海岸の地層は、どのようにできたのか」について話し合う。子どもたちは、見学のときに撮影した写真、地層のあった場所から持ち帰った石、ペットボトル実験で使ったペットボトル、雨樋実験で使った水槽をあらためて見ながら、自分の考えをノートに整理した。学級全体での話し合いでは、次のように発言がつづく。・・・・・IYくん「えっと、雨樋実験で、小石が一番重いってことが分かったから、たぶん、この御輿来海岸は、石が重いから、川で置いていかれてしまって、残りの砂と泥が地層になって、たぶん、御輿来海岸の地層になったんじゃないかなって思いました。」 smさん「私は、ペットボトルの実験をしたときと同じように御輿来海岸の地層もなっているのかなって思って、その、ペットボトルで1回目やったときに、れき、砂、泥ってなって、2回目やったときもれき、砂、泥ってきれいに地層がくり返されてたの、それと同じように、御輿来海岸でも何回もくり返されて固まったんじゃないかなって思いました。」 TRくん「れきは川に流されずに泥と砂と、ちょっとれきが流されて、それで、その図で泥と砂が、泥が多いのは、泥がたくさん流れたということで、川の流れが強いとか弱いとかで流れる量とか変わって、だから、泥、砂の量がばらばらだったりしてるんじゃないかなって思いました。」 T 「どの実験から考えたの?」 TRくん「雨樋実験で、えっと、ぼくたちの班だったら泥がスッと流されてたから、それで水の勢いが強かったから、すぐに流れたんじゃないかなって思って、流れの強さが関係してるんじゃないかなって思いました。」 JTくん「れき、砂、泥の重さが関係してるんじゃないかなって・・・。水で重いものは流されにくいから、小石も同じで、流されにくいんだと思います。」 MKくん「えっと、前この話題が出たときに、ぼくの意見は砂の流れているときと、泥の流れてるときと、ときどき何十回に1回のペースで小石が流れているときがあったって、それをずっと言い続けてたけど、その雨樋実験とペットボトル実験のことを踏まえたら、なんか、この説明じゃできない、おなしいなって思って、それで、新しく考えて、新しく考えたのが、まず、泥が一番上にきた理由っていうのが、この前もいったように泥の一つ一つが水に浮遊して、で、砂とれきがちょうど積もり終わったときに浮遊してたものが降り始めて、それで泥が一番上にくると思って、れきは、そんなやっぱりこないだといっしょで何十回に1回のペースでしかこないから、御輿来海岸のところにもみんなが持ってきた石の中にもあんまりなかったと思って、で、砂っていうのは、れきよりは軽いけど、泥よりは重いから、水にも浮遊しないし、流されないこともないから、普通に川の勢いとかも関係せずに普通に地層に入る、積もると思います。」・・・・・多くの子どもたちが、ペットボトル実験から分かる「粒の大きいものから速く沈む」ということと、雨樋実験から分かる「粒の大きいものほど流されにくい」ということの両方を意識することができているようである。また、MKくんは前々回の授業中に「1回モデル」から「複数回モデル」に近い考えに修正したのだが、十分ではないものの、そのことを友達に分かりやすく説明しようとしていることも興味深い。MKくん自身、これまでの実験や話し合いの中で2つのモデルの違いが明確になったのだろう。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年10月22日のものである。
2014.01.21
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前回のblogのつづき。雨樋実験で、水槽の中にできた地層の「ばらつき」。学級全体の話し合いでは、「実験方法が悪かった」と結論づける発言がつづく。そんな中、実際の地層やペットボトル実験との共通点や相違点が話題になる。・・・・・MKくん「YKくんが、何で泥は上にいったのかって言ったんですけど、ぼくたちの班もそういうことを考えたんですけど、出た答えは、泥は一つ一つが0.何ミリとかで、すごく小さいから、その、水の勢いで、水に浮いちゃって、それでだから、最初入れたときはペットボトル実験でも、なんていうんだろ、透き通ってなくて、濁ってたのは、水に泥が浮いていたわけで、それで2、3日経ったら沈んで、それでれきと砂の上にのったんだと思って。で、ぼくの班で出た疑問が、3種類を全部3分の1ぐらい入れてほぼ同じ量だったのに、なんで、層の厚さが違うのかなって思って、で、考えて、で、何でかというと、たぶん、あの、3種類の重さとか水の当たり具合とかかなって。で、3回目、ぼくたちはれきと砂と泥を交互に雨樋の上に置いていって、そんな置き方をして流しても、やっぱり泥が一番上で、砂が次で、一番下にれきとか砂があったから、一つ一つの砂の重さとかが層の厚さに関係してくると思いました。」 T「層の厚さが違う理由は?」 MKくん「層の厚さが違う理由は、水をかたまりを流したときに、泥と砂とれきの一つ一つの粒の大きさは違うし、しかも1回目と2回目と3回目では雨樋に置いたときの(土砂の)並べ方が違ったから、たぶん、流す方法とかも違ったと思うから、それが層の厚さに関係してくると思って、その御輿来海岸の場合は、例えば、雨が降ったり雨が降らなかったりは、雨が降ったときは量も多い、水、川の量も多いと思うし、勢いもいつもとは変わると思うから、それで、層の厚さがばらばらなんだと思いました。」 JTくん「他の班の層のでき方が違うのを疑問に思って、流すときの勢いと、流しはじめる場所の位置によって変わる。」 ksさん「私は、雨樋の方に注目して考えたんですけど、けっこう前の話し合いで、なんで御輿来海岸は泥と砂が交互になってどきどきれきが出てくるのかって話し合ったって思うんですけど、それを私は雨樋に、私たちの班では1回目と2回目に雨樋にたくさん砂とかが残ったんですけど、その中でもれきが形が大きいからたくさん残ってたんですけど、それから考えたのが、れきと砂と泥の中でれきが一番大きいから、川の水がゆるやかな流れだと流れにくいというので、川とかに雨が降ったときに流れが速くなったりしたときにれきが流れていくから、ときどきれきが出てくるのかなと思いました。」 HNくん「ぼくたちの班では、1回目と2回目は雨樋に置く粒の順番が、れき、砂、泥の順番だったんですけど、3回目に泥、砂、れきの順番でやったら、1回目と2回目の層と形が変わって、泥が下にもきていたので、だから、3つを混ぜてやったらもっときれいにな層の形が見れるんじゃないかなと思いました。」 anさん「私たちの班で、3回目のやつを3種類を混ぜてやったんですけど、そうしたら、一番上は泥の層になったんですけど、その下が、砂とれきが混ざってて、それでなぜか、砂が薄く層になってて、その上にれきがのっかてたというか、それがおかしいなと思いました。」 SMくん「ぼくの自由研究では、失敗してて、土が固まってたりとか、そういう状態で、水が一定で、ザッと速く入れたりせずに、同じスピードで注いでいたんで、れきが流れずに、砂とか泥とかが流れてたんで、だから、失敗したんじゃないかなって・・・。」 T「でも、れきは流れてたでしょ。」 SMくん「一定の速度でずっとホースで入れてたんで、れきがあんまり流れずに、砂や泥が流れたんで・・・。そして、流れてしまった後にれきがゆっくり流れていった。」・・・・・MKくんやksさんの発言から、今回の実験で水の流し方によって層のでき方に「ばらつき」がでたことと「雨の降り方の違い」を結びつけることができつつあることが分かる。また、多くの子どもたちが実際の地層の「ばらつき」を水の勢いと関係づけることができているようである。最後になってしまったが、SMくんの自由研究問題もSMくん自身で解決し、一応納得した様子であった。※ 今回の記録は、平成25年10月16日のものである。
2014.01.17
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前回のblogのつづき。雨樋実験を終えて、気づいたことや考えたことを学級全体で話し合う。・・・・・TRくん「れき、砂、泥を流して、泥が一番端まで流れて、れきが真ん中ぐらいで止まって、砂がそんなに流れなかったから、それがなぜかが分からなくて、それで考えてみたら、水の勢いが強いからそんなふうになったんじゃないかなって思いました。」 SJくん「ぼくの班では、一番奥に泥が行って、その前に砂が行って、一番手前は砂とれきが溜まってて、そのことから、ぼくは小さいものから一番奥の方に流れていくと思いました。」 esさん「私たちの班では、一番上から泥、れき、砂の順番の積もっていて、たしかに、私たちの班で失敗があって、順序の違いもあると思うんですけど、普通だったら、泥と砂が重さが近いから、なんていうんだろ、ペアみたいになって、例えば、泥、砂とか、砂、泥とかの順番に積もるんじゃないのかなって思うんですけど、そこが、一番重さが重いれきが砂と泥の間に積もっていたので、そこが何でかなと思いました。」 OHくん「積もり方なんですけど、さっきesさんがいったのとちょっと違うので間違ってるかもしれないんですけど、れきがだいたい真ん中から上の方まで積もっていて、その間とかに砂が全体的に積もっていて、泥がその上やれきと砂の間に積もっていました。」 T 「だから?」 OHくん「どろは最初の方は浮いてて、それで、れきとか砂が最初に積もって、その、少しずつ泥とかが降りてきて、で、こういう感じになったと思います。」 OSくん「ぼくは、3回目に流したとき、(水槽の)右から見たときあまり層になってなかったんですけど、左から見たときはきれいな層になっていたから、それは何でかなといました。」 T 「あなたは、どうしてだと思いますか?」 OSくん「水が流すときに勢いが違った・・・。」 MRくん「ぼくの班は(ノートの図を映しながら)これは上から見た図なんですけど、そのときに、こっちから流していって、ぼくの班はれきが一番端っこまでいって、その上に泥が積もってるって状態になったんですけど、そのときは、水を流す勢いが強かったかられきが一番端まで行ったんだと思うんですけど、そのことから、御輿来海岸を考えると、御輿来海岸はれきがなかったということから、流した川がそんなに勢いがなかったということと、御輿来海岸は少し川から離れた場所にあったんじゃないかなと思いました。」 YKくん「ぼくの班では、砂とれきが混ざってて、泥だけが砂とれきが積もってる上にのってたんですけど、なぜ砂とれきだけが混ざって、泥だけが他の上にのっているのかなっていうのが疑問です。」 T 「あなたはどう思うの?」 YKくん「ぼくは、れきと砂はよく見てみると、同じ大きさのやつも少し入ってるからいっしょになりやすい、そういうものなのかなって、泥はすごく細かくて、いっしょに集まっても叩いたらすぐ出てきそうな感じがしたから、泥だけ出たんじゃないかなっと思いました。」 SMくん「OSくんの質問に、よく考えたら後二つ仮説みたいのが出てきて、一つは雨樋が傾いたか、雨樋を流したときに向きというか雨樋の位置が真ん中じゃないから右側とか左側に傾いたりとか、水槽に入れる板が傾いたりしていたのかなと思いました。」 ・・・・・MRくんは実際に見学した御輿来海岸の地層と結びつけて考えようとしているものの、多くの子どもたちは、「実験の方が悪かった」という結論で終わっているようである。私自身がまんできずに問い返す場面が多くなってしまっている・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年10月16日のものである。
2014.01.17
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本校の研究は「対話」の中で子どもたちの論理的な思考を促し、論理的な思考力を育てることが中心である。たしかに、「対話」は大切であり、子どもたちに「対話」できるコミュニケーション力を育成することは必要である。だが、「対話」は論理的な話し合いかと問われると、疑問が残る。それは、普段私たちは、「対話」は、コミュニケーションをスムーズに進めるためのものではなく、コミュニケーションがスムーズに進まないときに必要なものだととらえているからである。論理的に話し合いが進み、どちらが正当な主張なのかという結論が出るのは「議論」や「論争」である。さらに、これまで正しいとされたものも、「対話」においてはとりあえず仮の状態にする必要がある。私も私の「論理」を崩してあなたの話を聞いた。あなたもあなたの「論理」を崩して考え直してもらえないか、というのが「対話」であろう。もちろん、授業で「対話」を大切にするということは、安易な説得や妥協を大切にするということではない。自分の「論理」を崩し相手の主張を理解しようとしたとき、そして、自分の「論理」や考えを見直そうとしたとき、論理的な思考がはらたく。つまり、「対話」は論理的な思考を促す「きっかけ」になるのである。しかし、私たち教師はこのことを混同しがちである。せっかく「対話」が生じているのに、学級全体としての結論(まとめ)を急がせたり、自分の「論理」を見直そうとしているのに、友達との違いだけをクローズアップし対立させたりする。板書も同様である。お互いの「論理」や考えを見直すきっかけになりそうなことが発言されても「直接関係ない」と板書しなかったり、自分の「論理」や考えを見直そうとたどたどしくも発言しているのに、他の子どもの発言とつなげたりまとめたりする。ただし、この「対話」と個々の論理的な思考は同時並行で生じることもある。であるから、授業中に子どもの「今」を見取り、授業をデザインする力が教師には必要なのだろう。
2014.01.16
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前回のblogのつづき。雨樋実験の結果から、「水の勢い」や「れきと砂の混ざり合い」、そして、「斜面(海底)での土砂の積もり方」について気づきが出されたHNくんのグループ。続けて次のように話し合っていた。・・・・・MSくん「地層は河口付近でできて、見に行った御輿来海岸の地層も昔は河口付近で川の流れが遅くなったり速くなったり、海の面が高くなったり低くなったりして積もるものの種類が変わったのだと思う。」 shさん「どうして実験から分かることじゃなくて、御輿来海岸から分かることを言ったの?」 MSくん「(水槽を指さしながら)れき、砂、泥になってるじゃん。れきは、一番流れにくくて一番早く積もる。」 ksさん「れきは一番流れにくくて、一番早く積もる?・・・。私たちは、上にどんどん重ねていったからこんな結果になったかもしれないし、3分の1ずつ入ったやつをちゃんと混ぜてわーと出してそれを流したらこうなるかな。それをしたい。流す順番によって、これは変わる。・・・、したらペットボトル実験と同じだけど。」 shさん「ペットボトル実験を何回かするってことでしょ?あー、分からなくなっちゃった。」 ksさん「分からない・・・。分からないことって何?この実験で。」 shさん「分かんないことは、・・・。」 HNくん「もう一回やったら、ちゃんと層になるんじゃない?」 ksさん「もう一回してみたい。4回目。・・・、これから分からないこと・・・。重なり方が微妙なんだよな。重い順でしょ、普通。」 HNくん「紙コップとかじゃなくて、どばっと水を流したい。一番端っこにつくくらいに。」・・・・・MSくんの「れきは一番流れにくくて一番早く積もる」という発言。これは、ペットボトルではなく水槽の中の斜面にれきが流れ込むときのきまりを表したものであろう。実際、水槽の中を見てみると、れきの多くが水槽の奥まで行かず手前に積もっている。ペットボトル実験と雨樋実験の違いを話題にしはじめた他の子どもたちに、このことが上手く伝わればよかったのだが・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成23年10月16日のものである。
2014.01.16
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前時に行った雨樋実験で、水槽の中にできた地層の「ばらつき」。今回、授業前半のグループでの話し合いでは、この「ばらつき」が話題になっていた。・・・・・HNくん「水の勢いが足りずに、雨樋の中に粒が残った。また、その粒は砂やれきがほとんどで、泥はちょっとしかなくて泥はよく流れた。っていうのと、れきは手前の方や真中らへんにあって奥の方にはなかった。で、考えたことは、一番上はコーティング的なのをされていて、本物はその上にまたのっていくんじゃないかと思います。たぶん、やってくうちに、混ざっていって、こうちゃんとしたのがでなかった。」 ksさん「ちゃんと固まって・・・。あのさ、順番ってれき、砂の上に泥があって、その上にれきと砂があって泥だよね。」 HNくん「・・・わかんない。」 ksさん「泥は上にあるよね。順番って関係あるのかな。」 HNくん「っていうか、まず最初にれきが・・・、泥の上にれきがいって、その間に砂とか泥が入ってくんじゃない?」 ksさん「こっちから見ると、泥、れきみたいなのの上に、れき、泥、れき、泥みたいに。」 shさん「地層の積もり方は、水の流れ込む向きや速さや量によって変わるし雨樋の傾きにも関係があることが分かった。」 HNくん「ちょっとまって、質問いいですか?それ、どうやって分かったの?」 shさん「地層の積もり方は、水の流れ込む向きや速さや量によって変わるし、雨樋の傾きにも関係があることが分かった。」 HNくん「試してないじゃん。」 shさん「試したじゃん。で、変わったでしょ。はい。あと、時間が経つにつれ、まだ固まっていない層は、形が少し変わることが分かった。私の班の層ははじめは泥が下の方にれきが手前に積もっていったけど、2回目3回目としていくうちに、れきや砂の上に泥が積もっていった。」 ksさん「水を流すときにコップの水一杯だけでも、コップ一杯を勢いよく流して、でも、ここら辺に残ったり、ここら辺に溜まったりしたから、本当の川でも、まあ、一応ここが海じゃん。海に砂とかを運ぶときに時間がかかりそうだなと考えて、あと、水槽の中のやつは、この真ん中らへんに地層ができてて、れきと砂が混ざったものの上に泥がのって、その上にれきと砂がのって泥がのってみたいになって、泥とかはここら辺まで、最後までいってて、他のやつは、だいたい真ん中辺りで止まっていた。というのと、私の予想だったら、こういう風に斜面全部のは地層にならなくて、で、そのことから考えたことは、御輿来海岸のやつは、れきが少なかったから、れきは砂よりも重いから、たまにしか流れてこないのかなと思いました。」・・・・・おそらく、「ばらつき」の原因について話し合っているのだろう。「水の勢い」と「れきと砂の混ざり合い」、さらには、「斜面(海底)での土砂の積もり方」にも言及しているようにみえるのだが・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成23年10月16日のものである。
2014.01.16
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先日のblogに、2月14日(金)の研究発表会の公開授業では「しみじみとする授業」をめざしたいと書いた。これは、次のような重松鷹泰先生の『わかる・わからせる授業』(1970)にある「よい授業」の三つ条件の中の一つである。・・・・・1)教師その他の予想しないような疑問や意見が出される。2)子どもたちの助け合い協力が著しい。3)授業の途中か終わりか、どこかにしーんとする瞬間、静かな感動の瞬間、しみじみとした感慨がある。・・・・・このことについて、ここ数年の間に溜池善裕先生(宇都宮大学)から念仏のようにくり返し聞かされていたので、昨年8月に京都で開催された社会科の初志をつらぬく会全国集会で溜池先生に会ったときに「どうすれば『予想しないような疑問や意見が出される』ようになるのか」と質問した。その質問の答えかどうか分からないが、溜池先生は「考える子ども」(社会科の初志をつらぬく会 2013.11月)に、次のように書かれている。・・・・・ それではあらためて「よい授業」の条件に戻ってみよう。 1)は自由な雰囲気のある学級でしばしば起こる事態である。高圧的で権威的な教師の下では起こりにくいが、子どもたちが起こす反乱もあり、全く1)が起こらないかと言えばそうではない。だが、「しみじみとする授業」であるには、意外な疑問や意見が教師や仲間たちに受け止められなければならない。意外な疑問や意見であっても、そうであるからこそなお、その子が何を言っているのか、それがどれほどその子にとって意味のあることなのか、それがどれほど仲間全体の前進において意義のあることなのか、それらをその時に子ども達や教師が分からなければならないのである。 2)は「間違えた子、わからない子に、手を伸べ、力を貸そうとし、学級全体が、それぞれに力を出して、問題の解決に当たろうとする」ことである。・・・・・では、私が授業するクラスはどうか。自由な雰囲気があるか。一人一人の発言の意味や意義まで「その時」に分かるほどしっかりと耳を傾けることができているか。間違えた子どもや分からない子どもが、クラス全体の強い助け合いに支えられているか。研究発表会まで、あと1ヶ月。まだまだやらなければならないことがたくさんある・・・。
2014.01.11
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先日のblogで、「4色ボールペンをよく使う」と書いたのだが、その4色の使い分けは次の通り。事務的なことは黒で、授業記録を含め研究的なことは青で書く。赤と緑は、黒と青で書いたものをあとから線を引いたり囲んだりと整理するときに使う。ちなみに、赤は「緊急」や「絶対」、緑は「おもしろい」や「役に立ちそうだ」のときに使っている。これは、斎藤隆「三色ボールペンの情報活用術」(角川書店 2006)を参考にしたのだが、その中に「黒は思考停止の色」と書かれている。本当かどうか分からないが、実際にノートに書き比べてみると、確かに青の方が目に入ってくる。ということで、思考停止の方がいい事務的なことは黒で、形だけでもでも考えたことにしたい研究的なことは青で書くようにしている。青色の効果はどうか分からないが、黒色は考えないと割り切ることできることはメリットといえる。さらに、一冊のノートにほとんどのことを書き止める私にとっては、この黒と青の色分けは読み返すとき便利である。ということで、4色ボールペンは私にとって欠かせない道具になったのである。
2014.01.11
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先日、このblogで次のような子どもの発言は生物同士のつながりを深く理解しているとは言えないと書いたのだが、その後、このblogを読んだ本校の先生に「どこがいけないのか」と尋ねられた。・・・・・「動物が呼吸で二酸化炭素を出すから、植物は光合成することができる。」・・・・・このことについて、コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」(日高敏隆訳 早川書房 1998)には次のように書かれている。・・・・・ アクアリウムは一つの世界である。なぜならそこでは、自然の池や湖とおなじく、いや結局はこの全地球上におけるのとおなじく、動物と植物が一つの生物学的な平衡のもとで生活しているからである。植物は動物が吐きだす炭酸ガスを利用し、かわりに酸素を吐きだしている。植物は動物とちがって呼吸せずその逆をやる、というのは正しくない。植物も動物とまったくおなじように、酸素を吸いこみ炭酸ガスを吐きだしている。しかしそれとはまったく別に、成長しつつある緑色植物は炭酸ガスをとり入れている。植物は自分の体をつくりあげるために炭酸ガスを使うからである。そしてそのさいに植物は、呼吸に使うよりももっと多量の酸素を吐きだすのだ。この余った酸素によって、動物と人間は呼吸してゆける。最終的には植物は、ほかの生物の排出物や死体がバクテリアに分解されて生じた物質を同化して、ふたたびそれを物質の大きな循環の中にくみ入れる。・・・・・「植物は、呼吸に使うよりももっと多量の酸素を吐きだす。この余った酸素によって、動物と人間は呼吸してゆける。」つまり、「Win-Win」といった単純なモデルでは説明できないのである。もし、この植物と動物のつながりを子どもたちが図に整理しようとするとき、酸素・二酸化炭素を表す矢印の太さが問題になってくるのだろう。
2014.01.11
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前回のblogに「とりあえずでも、書かないよりも書いた方がいい」と書いた。付け加えると、できれば「こだわりのある『とりあえず』」がよいだろう。この「こだわり」は、私の問題意識や願いであり、とりあえず何でもよい。たとえば、「『対話』について分かりやすく説明できるようになりたい」とか「自分自身の授業の問題点を明らかにしたい」など。「オチのある文章を書けるようになりたい」でもいい。ただし、必ず締め切りをつくる。そして、こだわりながらも、その締め切りを守ることを優先する。つまり、とりあえずでいいけれど、単なるルーティーンワークではダメ。こだわりは必要だが、動かないのはダメだということ。悩み、もがきながらの一歩は、どんなに小さくても前進なのである。「成長」は、これの積み重ねなのだろう。
2014.01.11
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新学期がスタートし、2月14日(金)に研究発表会を控えているせいか、思い掛けず忙しい。このblogも週5〜7回の更新を目標にしてしまったため、「とりあえず」のupが続いている。しかし、とりあえずでも書かないよりも書いた方がいい。blogを読んでいただいている方には申しわけないのだが、私にとってはメリットが大きい。そのメリットは次の通り。1)書かないと思いついたことを忘れてしまう。2)書かないと考えが整理できない。3)書かないとアンテナを張ろうとしない。さらには「とりあえず」で書いたものでも、あとで使えるものがけっこうある。「とりあえず」の更新が続いていることの単なる言い訳なのだが・・・。
2014.01.11
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以前、このblogに次のように書いた。・・・・・単元後半に「モデルの探究」を促す課題を設定する。このことにより、それまでの観察・実験から見出したきまりの仕組みや意味を問われることになり、「目に見えない」現象や「実際に見ることができない」現象を既有の知識や経験を総動員して想像させることにつながるだろう。このとき、根拠と主張の「距離」を長くするとともに、様々なたとえを使った比喩的な表現を大切にしたい。・・・・・このことについて、内田伸子先生(筑波大学監事、お茶の水女子大学名誉教授)は著書「想像力」(講談社現代新書 1994)の中で「メンタルモデル」として次のように書かれている。・・・・・ 三宅なほみ氏と波多野誼余夫氏は、技能に熟達した人々の認知活動は、世界ないしその一部である手続き(手順)が、どのように作動するかについての頭の中のモデルに基づいていると想定している。このモデルを使って、人は心の中でイメージを動かし一種のシミュレーションをおこない、新しい問題を解いたり、手続きを柔軟に修正したり、新しい手続きを案出したり、案出した手続きを評価したり説明したりすることができるようになる。こうした対象を操作するモデルのことを、認知心理学では「メンタルモデル」とか、「概念的知識」と呼んでいるのである。 ・・・(中略)・・・ しかし、想像力は未来をつくるものであるとすれば、フィクションは吟味するに値する。科学的な予測は、どうしても人間のイメージが希薄になり、抽象論におわることが多い。フィクションならば、状況を設定して、人物も配置し、好きなように人物を動かすことができる。まさに、その状況の中でその人物がどのように動くのかについてメンタルモデルをつくる、一種のシミュレーションをおこなうことになるのである。実際にその状況の中で人物を動かしてみると、現実に解釈したり推理したりしなければならない問題や矛盾が見えてくる。私たちは、わかりにくい「もの」や「こと」を説明するときには、このようなメンタルモデルを構成し、整合性のある表象をつくりあげているのである。 では、こうしたモデルがどのようにしてつくられるのだろうか。モデルは「目に見える」形で与えられる場合ばかりではない。多くの場合は、観察されたことがらにもとづいてつくりあげる。私たちはみな、知っているものにもとづいて、新しいものを概念化しようとするのである。この世に存在しないものを頭の中で描いたり、紙の上に描いたりするときにも同様に、既知のものにもとづいて表象をつくりあげるのである。・・・・・つまり、「モデルの探究」こそ、「創造的な学び」なのである。(つづく)
2014.01.10
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東京などで開かれる研究会に参加するとき時間が空くとよく文房具店に行くのだが、いろいろ機能的で便利なものが多く、つい「衝動買い」してしまうことがある。しかし、多くの場合使うのははじめだけで、カバンの隅や机の引き出しの奥で眠ってしまう。結局、使っているのは「4色ボールペン」と「A4ノート」だけ。4色ボールペンは、いつも上着やシャツの胸ポケットに2本刺している。筆箱もいくつも買ったのだが、なかなか上手に使えなかった。ゼブラ製で、よく使う黒と青は替え芯をケース買いし予備を準備している。A4ノートは、コクヨのリングノート。持ち運びにはB5サイズが便利なのだが、「大は小を兼ねる」こと、他の書類を挟んでおいたりバインダー代わりになったりと、A4サイズにしている。こちらも通販でまとめ買いしている。会議、研究、授業記録、メモと、すべてこの1冊に書く。他の紙にメモしたものもこのノートに貼るようにしている。内容ごとに分類していないのだが、ページの上部に必ず日付を書くようにしていて、時系列で整理され必要なときに見つけやすい。スマホやタブレットのアプリも同様である。無料のものが多く、どんどんダウンロードするのだが、結局使っているのは、「エバーノート」と「ドロップボックス」と「ウエザーニュース」、そして、「Gmail」と「Googleカレンダー」。パソコンと同期ができるクラウド系ということもあるのだが、いずれもシンプルなものである。授業中に使うデジタル機器も、使うものが固定化してきた。モニターにはプロジェクターはほとんど使わず、教室に取り付けてある42型(理科室は60型)の液晶テレビ。入力にはタブレットを使うこともあるが、ほとんどの場合が書画カメラである。デジタル教科書を使うこともあるが、教科書をそのまま書画カメラで映してすませることが多い。子どもたちが使うのも、デジカメとタブレット。タブレットでも教育用アプリはあまり使わず、インターネットの検索と、自分たちがデジカメで撮影した写真の閲覧が中心である。もちろん、これは便利なものを使わないということではなく、「使い方がシンプルなもの」「必要なときにすぐ使えるもの」「だれでも無理なく使えるもの」を厳選するということであろう。とはいうものの、文房具好き、ガシェット好きは治らず、家にはガラクタ置き場が必要になっているのだが・・・。
2014.01.09
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いよいよ今日から新学期がスタートするが、先日、保護者のフェイスブックに子どもが持ち帰った「バランスドアクアリウム」が紹介されていた。・・・・・「エドワードとジョン」子どもが二学期の終わりに学校から連れ帰ってきたアカヒレ二匹の名前。理科の実験「バランスドアクアリウム」の可愛い住人である。フィルター付き水槽で金魚を飼っている親には、びっくりすることだらけの飼育方法。水替え無し。餌やりは2週間に一度。しかも瓶の蓋は閉めたまま。なんでもベテランアクアリストの間では究極の水槽だとか。とはいっても、今一つ信じ難い。酸素足りてる?空腹状態では?この冬休みの間、朝一番に安否確認をするのが家族の日課となった。・・・・・この冬休みの間、子どもたちはどんな気持ちで「マイ・アクアリウム」を見つめていたのだろうか。7年前と今回の実践の大きな違いは、実際に飼育すること。この2週間の一人一人の思いと「小さな気付き」を大切にしたい。
2014.01.09
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昨年の5月31日、6月1日に開催された富山市立堀川小学校の研究会参加後に書いたblogを読み返す。・・・・・1日目の午後は、藤井千春先生(早稲田大学)と奈須正裕先生(上智大学)のシンポジウムだった。「子どもと授業」というテーマであったが、話題は「言葉と想像」、そして、「想像と創造」のことが中心になり、私も興味深く(少し知的に興奮しながら)聴くことができた。その中で、次のような奈須先生の「ことば」をメモした。 ・・・・・「重松鷹泰先生(名古屋大学名誉教授、奈良女子大学附属小学校主事で堀川小学校を指導)は、『学力とは想像力』だと。言葉から目の前にないものを思い浮かべること。きっと意味あることだろうと聴く態度も必要。」「想像したことを足場にする。そして、きっと関係あるに違いないと事実化していく。つまり、イマジネート(想像)しながら、クリエイト(創造)していく。」「類推。違うけれど、似ている経験を総動員して想像する。共通するとことを見つけ、違うところを補完する。このことが『読みが深まる』ということではないか。そのときに、身体的なものを伴って実感する。」「教師にも想像力が必要。徹底的に予想すればするほど、子どもはそれを超えていく。この子どもは価値あることを言っているにちがいないと知りたくなる。だから、聴く。」 ・・・・・「想像しながら創造する。」先日のblogでも書いたが、何か新しいものを創造するためには、想像することが必要であり、そこには「類推」など、論理的に思考することが関係しているということであろう。私のメモであり、私が聴いてしまっている部分も多いが、今後のキーワードになりそうである。・・・・・先日のblogに「創造に必要なのは、単なる発想(ひらめきや思いつき?)ではなく、『もの』や『こと』から想像する力」であり、「『創造的な学び』とは、友達の考え(アイディア)を足場(スキャフォールディング)にして、自分の考えを見直し、新しい考えを構築すること」であると書いたことと、関連がありそうである。「きっと関係あるに違いないと事実化していく」子どもが育っているのだろうか。もちろん、そんな態度が育つか育たないかは、教室の文化に一番影響力のある教師次第なのだが・・・。
2014.01.06
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正月休みの間に、2月14日(金)の研究発表会に向けて指導案を書く。その中の「ねがい」(本校では、指導案のはじめに枠囲みして書くようにしている)を次のように書いた。・・・・・ これまでの学習の中で、一人一人の子どもたちが、観察・実験の結果などの事実をもとに推論しながら自分の考えもつことを大切にしてきた。しかしながら、本実践で取り上げる生き物同士のかかわりは、複雑で視覚的にとらえることが難しい現象であることから、教師から一方的に説明しても子どもたちは受け入れなかったり、事実のとらえ方にずれが生じたりすることもある。 実際、「植物の養分と水の通り道」では、次のように子どもたちの発言があった。「動物が呼吸で二酸化炭素を出すから、植物は光合成することができる。」「夜など植物が光合成しないときは、酸素がたりなくなるのではないか。」 これは、実験結果を根拠とした考えではあるものの、生物同士のかかわりに対する理解は十分だとはいえないだろう。 そこで、これまで以上に「目の前の事実」から思考することを促すとともに、生活経験や既習の内容と関係付けることができるような工夫が必要がある。 また、子どもたちは、「聴く−語る」という他者とのかかわり合いの中で「ことば」を使って推論したり、自分の考えを見直したりする。この「ことば」を大切にするとともに、事実を見直しながら思考できるような教師のはたらきかけを行うことにより、一人一人の子どもたちの見方や考え方をより科学的なものに変容させていきたい。・・・・・指導案の書ける量の文章にすると、これまで別の単元の授業で書いた「ねがい」とあまり代わり映えはしないのだが・・・。「バラバラだった知識がつながり、規則や仕組み、意味が了解されていく。そして、生態系の連鎖システムをダイナミックな相互作用としてとらえることができる。」内田伸子先生(筑波大学監事、お茶の水女子大学名誉教授)の「ことば」だが、そんな授業をめざしていく。
2014.01.06
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2月14日(金)の研究発表会で公開する授業「生物と環境〜語り合おう、私たちの環境〜」の授業の中心になる教材は「バランスドアクアリウム」である。教材研究も兼ね、子どもたちといっしょにつくった「バランスドアクアリウム」を冬休み中我が家に持ち帰る。正月休み、この「バランスドアクアリウム」が話題になった(話題にした)。なお、息子も6年生である。・・・・・私 「10日以上えさやりしてないけど、アカヒレは元気だね。」息子「・・・。すごいね。」私 「どうして、えさやりしなくていいのかな。」息子「・・・。何かいるんじゃない。」私 「何かって?」息子「・・・。ミドリムシ。」私 「エアポンプもいらないのは、どうして?」息子「・・・。水草が酸素を出す。」私 「じゃあ、光合成しない夜は?」息子「・・・。夜は夜だよ。」私 「どうして水替えしなくていいの?」息子「・・・。」妻 「水草が浄化してる?」息子「・・・。何かいるんじゃないの?」私 「何かって?」息子「・・・。ミドリムシ。」・・・・・我が家での結論。「バランスドアクアリウム」のひみつは「何かいる」。もしくは「水草の能力」・・・。
2014.01.06
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