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2月15日(金)は、本校の研究発表会である。私も授業を公開する。単元は3年「磁石」。教材は「磁石レントゲン」である。実は、4年前の研究発表会でも、この「磁石レントゲン」を教材にして授業を公開した。同じ教材での2回目のチャレンジである。これには、いくつかの理由がある。一つは、本年度の主張が、教材ではなく「子どもの事実」であること。4年前は、単元の導入が公開授業だったため、教材とその提示の仕方がポイントであった。しかし、今回のキーワードは、もちろん「葛藤」である。子どもたちが、磁石や「磁石レントゲン」で起こる現象をどう捉え、その見方や考え方をどのように変容させていくのか。1時間1時間の授業を丹念に振り返りながら、あの手この手を使って、授業をデザインしていきたい。なので、公開する場面は、単元の後半である。(今日から、この単元の授業に入った。リフレクション後、授業の様子を紹介する予定である。できれば、当日の研究会で、それまでの私の「看取り」も話題にできればと考えている。)また、今年1年、授業リフレクションに取り組み「子どもに起こっている事実」が何なのか、少しずつ見えてきた(もちろん、まだまだなのだが)こと。4年前には、「磁石レントゲン」を追究する子どもたちに、どんなことが起こったのか記録すらしていない。4年前を思い出してみると、公開した場面よりも、磁石につかないアルミ缶の表面を必死に削っている子どもの姿や、楽しそうに教科書の上にクリップを置き下から磁石で動かす子どもの姿、休み時間のたびに砂場で砂鉄を集める子どもの姿が強く印象に残っている。4年前には「見えなかった」子どもにおこる「出来事」を看取りたい。なお、講師は慶應義塾大学の鹿毛雅治先生である。講演のタイトルは「子どもの姿に学ぶ授業研究-学びをとらえるリフレクションとは-」。ぜひ、ご参加ください。
2008.01.31
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○かげにこだわること、こだわらせること この単元のはじめから終わりまで、Tくんは、ペットボトルを手放すことはなかった。特にグループで話し合う場面では、必ずペットボトルが登場し、「ペットボトルでは・・・」と話している。Tくんが「かげをつくろう~その1」で撮影したのはペットボトルのかげであった。 Tくんのグループの話し合いの中では「反射(はね返る)」や「透き通る」という「ことば」がよく使われている。もしかしたら、このペットボトルのかげが、子どもたちにそのような「ことば」を使わせたのかもしれない。 しかし、このようなこだわりがあったことから、「かげをつくろう~その8」で、光を「さえぎる」ということの理解へとつながったと考えている。もちろん、本単元は、かげの変化を通して、太陽の動きをとらえることがねらいであり(教科書での単元名も「太陽の動きを調べよう」である)、「かげを教えるのではない」という批判も受けそうである。かげの長さの変化やペットボトルなどの透明なもののかげのでき方を追究させることは、確かに3年生の子どもたちにとって難易度の高い課題である。しかし、今回の実践で、子どもたちはかげにこだわることにより、かげのでき方について「わかり直し」、太陽の「高さを変えながら」移動することを理解することができたのではないか。 PISAの結果の問題について、先日あるコメンテーターがラジオで「『そこまで考えてはいけない、考えすぎてはいけない』という日本の教育がおかしい」といっていたことを思い出した。 子どもたちにこだわらせるならば、とことんこだわらせたい。おそらく、それが一番の近道だろう。 3ヶ月ぶりに振り返った今回の実践。授業記録を読むたびに発見がある。
2008.01.29
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○観察・実験の「意味」を考えることの大切さ 今回、授業記録を読み返す中で、次のような写真をみつけた。 これは、「かげをつくろう~その5」で、懐中電灯を使って実験しているときの写真である。懐中電灯をもっているのがTくん、バトンをもっているのがIさんであり、かげの長さの変化が、陽の「高い・低い」「遠い・近い」のどちらに関係あるかグループで話し合った後、懐中電灯を使って調べている場面である。 Iさんがもっているバトンは、太陽の高さを調べるときに使った簡易太陽高度測定器である。分度器のコピーが貼ってあり、おもりを垂らして、太陽の高度を調べるものである。太陽の高さは「角度」で表されるが、算数で角度を学習するのは4年生である。もちろん、この角度について取り上げるつもりもなく、なんとなく分かればいいと思っていた。しかし、この「甘い考え」が、子どもたちの混乱を引き起こしたのだろう。 なぜIさんはバトンを手にしているのだろうか。授業中に、「バトンをもってっていいですか」と尋ねにきたことは覚えているものの、「どうして必要なのか」「何に使うのか」、全く私は聞いていない。ビデオの中にも、どのように使ったのかは、残念ながら映っていなかった。しかし、授業記録の中で、Iさんのグループで、次のようにバトンが話題になった場面があった。Nくん「分度器ではかったじゃん。バトンにつけて。」Iさん「あれ、あれ。」Mさん「それ・・・。」Nくん「距離っていうのは・・・高さ?」Tくん「(観察結果を持って)これ、使おう。」 子どもたちは、観察したことに「もどろう」としているのである。おそらく40°や60°が何を意味するのかを考えようとしていたのだろう。バトンを使って考えると、少なくとも「遠い・近い」を調べたわけではないということが分かる。また、もしかすると、地面を基準に考えさせていたら、「角度」の概念も体験を伴った理解を促すことができていたのかもしれない。 今回の実践で、「かげの長さの変化」を追究の対象にし「太陽の高さ」を観察させることについて、多くの先生方から「小学3年生には無理ではないか」という意見をいただいた。しかし、私自身が一番に「小学3年生だから」と思っていたのだろう・・・。(つづく)。
2008.01.29
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「かげをつくろう」の実践を終え、3ヶ月が経った。2月の研究発表会に向けて、自分の実践を整理するために、あらためて授業記録を読み返すことにしたのだが、あらためていくつかのことが「見えて」きた。○葛藤が生じるまでには、時間がかかること 「かげをつくろう~その2」で、Nくんのグループでは「光をはね返す」ということが問題になり、実際にかげのでき方を調べて太陽の反対側にかげができることを観察し、かげのできる理由を「反射」では説明できないことを確認したはずであった。しかしながら、「かげをつくろう~その8」で、「どうしてかげはできるのだろう」ということを話題にすると、あちこちから「反射」という声があがる。それまでには、太陽の移動によってかげが変化することを調べたり、懐中電灯でかげをつくったりしているにもかかわらず、である。また、多くの子どもたちが「さえぎる」という言葉を辞書や教科書で知っていたのだが。観察や実験のとき、子どもたちは、どのようにかげを見ていたのだろうか。懐中電灯の高さを変えるとかげの長さが変わる現象を、どのようにとらえていたのだろうか。 ただ、その間、疑問を感じながら観察や実験をしていたようには見えなかった。もしかしたら、子どもたちに「葛藤」が生じていなかったのかもしれない。何かを「わかったつもり」になっていたのか。単元の最後に、あらためてかげのでき方を考えることになり、上手く説明できないことに気付いたのだろう。 少なくとも、葛藤は簡単には生じないし、いつ葛藤が起こるのか事前に予測することはできないということである。教師の仕事は、葛藤を起こすことではなく、葛藤の種をまくことと、生じた葛藤を見逃さないことといった方が、適切なのだろう。(つづく)
2008.01.29
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もう一つ、Oくんが書いたホワイトボードを紹介する。「Mくんのホワイトボードを見てください。ものがあるときと、ものがないときを図で比べていますね。実際にものがあるときとないときを、ベランダで調べたり、懐中電灯を使って調べたりしていいですよ。」すると、子どもたちは一斉にベランダに移動する。しかし、思わぬハプニングが起こる。なんと、9月の終わりにはあった「日なた」がなくなっているのである。Tくん「朝だからじゃない?」Nくん「建物で、さえぎられているのかな?」仕方なく教室に戻り、懐中電灯を使って調べることになった。Tくん「できない。」Mさん「ないとできないね。」Tくん「(ものを置いて)やっぱりさえぎる。ものがあればできない?あれっ?ものがないと、明るくなる。」Iさん「ものを置くと、光があたらなくなる。」ここで「光があたらないと、どうなるのか」と尋ねた。Nくん「暗くなる。」最後に、写真を示しながら「じゃあ、どうしてペットボトルのかげはこうなるのか」と問う。Nくん「透明だから。」Iさん「トイレットベーパーの芯は白で色があるし、けん玉は茶色っぽい色がある。」Tくん「(赤いガラスのコップをもって)だったら、これも同じじゃない?」Nくん「(写真を見ながら)全部透明だったら、全部白になるのかな?かげとはいわないのかな?」Tくん「(ペットボトルに光をあてながら)だけど、かげのところも少々あるんじゃない?」Nくん「どうして少々できるんだろう。これ、透明だよ。」Mさん「端っこだけかげができる。」Tくん「真ん中らへんにはかげできないね。」時間もきたので、次のように説明した。「ペットボトルは、透明だから、光をさえぎろうとしても、全部さえぎることはできない。でも、少しはさえぎることができる。」Tくん「端っことか、口のところ。」この時間で、かげの学習は終わりだが、天気と時間の関係もあり、後日、休み時間を使って「おもしろい」かげをつくることにした。
2008.01.26
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子どもたちは、けん玉・トイレットペーパーの芯・ペットボトルが並んで、そのかげが写っている写真を手にして、「どうして、かげができるのか」考える。Iさん「でも、なんとなーくわかった。ペットボトルがあって、太陽の光がこうしてさえぎって・・・、透き通って、こっち側にかげが・・・。」Tくん「『さえぎる』が・・・。」Iさん「『じゃまをする』って、何をじゃましているのかがわからない。」Tくん「棒をじゃまする?じゃあ、たおれるじゃん。」Mさん「太陽じゃないの?じゃまするって。」Tくん「(写真を見ながら)何が関係あるかな・・・。」多くのグループが「さえぎる」という「ことば」にとまどっている様子である。いくつかのグループからは、またまた「反射する」という「ことば」まで出てきていた。そこで「『反射する』と『さえぎる』は同じことか」と尋ねる。Tくん「反射は、こう、はね返す。さえぎるは、ブチンっと・・・。」Iさん「じゃまするなら、透き通って、後ろ側にかげできないじゃん。」Tくん「じゃあ、ペットボトルの光が、ちょこっとうつった?」Nくん「こういう風に棒が立ってたとしたら、その棒にあたって、光の部分だけが止まるじゃん。そこからいくと、そこにもかげできるじゃん。太陽の光がただあたっているだけなら、かげできないよ。」Tくん「意味がわかんない。」Nくん「だって、太陽があたってたら、ただピカッて光るだけじゃん。」数名の子どもが、ホワイトボードを使って説明をはじめていた。その中の一人の子どもが、次のように説明した。Kさん「この太陽の光が、こう地面にあたって、そのときにこの障害物がなかった、ここにかげはできないで光があたるけど、この障害物があると、太陽の光を遠さないから、かげができないと思う。」Nくん「障害物がないと、かげできないでしょ?だから、太陽がピカッと光って全体に光があたってるけど、ものがある部分だけ光があたってるじゃん。」Tくん「何もなかったら、かげできるのかな?」Nくん「できないよ。」Mさん「できない・・・。」Iさん「Nくんがいったのは、太陽があって、光があって、障害物がなかったらかげはできないって・・・。」やっと「太陽の光」に着目しはじめたということだろうか・・・。(つづく)
2008.01.26
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今回で「かげをつくろう」も最後の授業である。子どもたちにも、このことを伝えると「えー?」という声があがる。まだまだわからないことがあるということだろうか。まず、はじめにかげの変化と太陽の動きを確認する。Aさん「かげは、西から東に動く。」Nさん「太陽は、東から西に動く。」Kくん「南を通って西に動く。」このことを、黒板に整理するが、その間に次のようなことをつぶやいていた。Nくん「南を通って・・・。」Tくん「それじゃあ、かげはさあ、西から北を通って東にいくの?」Nくん「えーっ?」黒板に書き終わり「かげは東から西、太陽は東から西・・・」と話すと、一人の子どもが「逆になっている」と発言した。そこで、「どうして逆になっているのだろうか」と問う。Tくん「だって、太陽がこっちにあったら、かげはこっちにうつるんだし・・・。」Iさん「透き通る・・・太陽の反対側っていうか、ものの反対側。こっちに太陽があったら、ものがあって、その反対側にコピーされて・・・。」Cさんが、「これがものだったら、こっちに太陽があって、こっち(反対)側にかげができる」と黒板を使って説明する。Tくん「だから、かげは西から北に動きながら東にいくんだよ。」Mさん「うん、うん。」続けて「どうしてかげはできるのだろうか」と問う。すると「国語辞典に書いてあった」といくつかのグループから聞こえてくる。Yくん「国語辞典には『太陽の光をさえぎって黒くうつし出されたものの形』と書いてある。」この意味がわかるかと尋ねても、はっきりしない様子。けん玉・トイレットペーパーの芯・ペットボトルが並んで、そのかげが写っている写真を渡し、あらためて「どうして、かげができるのか」問う。Tくん「『さいぎる』って意味を調べてみよう。」Iさん「『さえぎる』って、書いてあるよ。『さえぎる』って、『じゃまをして動きを止める』?」Tくん「ちがうと思うよ、これ。」Nくん「ちがうよ。」Iさん「わたしも・・・。」Tくん「『もので間をへだてて、その先のものを』・・・。」Nくん「へだててって・・・。」Tくん「これだけかよ。」Mさん「教科書にも『太陽の光をさえぎってできる』と書いてある。『どうしてかげができるのか』『太陽の光をさえぎってできる』としか・・・。」Nくん「教科書を閉じましょう・・・。」頼るものがなくなったという感じなのだが・・・。(つづく)
2008.01.25
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「かげをつくろう~その7」を振り返る。○かげが薄くなるというこだわり 授業のビデオを見ると、授業中は聞こえてこなかったNくんのつぶやきに気づく。「あんまり低いと、すごく濃くうつる。」「あんまり高くすると消えるから・・・。」 Nくんは、何にこだわっているのだろうか。かげの「濃さ」と「長さ」をどのように結びつけようとしているのだろうか。これまでの授業記録を振り返ってみると、前時でも「遠いとき、かげははっきりうつらないよ」と発言している。 Nくんがこのように考える理由として、一つは懐中電灯を使った実験があげられるだろう。確かに、懐中電灯を棒に近づけると棒のかげは濃くなし、遠ざけると薄くなる。これは、光の「強さ」が関係している。近づけば強くなるし、遠ざければ弱くなる。もしかしたら、光が強ければかげは長く(大きく)なり、弱ければ短く(小さく)なると考えていたのかもしれない。 また、「かげをつくる」という主題と経験が、そのように考えさせたことも考えられる。第1時で、かげをつくったとき、このグループではペットボトルのかげが一番話題になっていた。そして、あのフラッシュをたいてデジカメにかげが写らないというハプニングが起こったのも、このグループである。「かげをつくる」という活動の中で、Nくんに「かげが濃い・薄い」ということに対するこだわりを持たせたのかもしれない。子どものこだわりに寄り添うといいながら、なかなかできない私である。
2008.01.23
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授業後、ビデオを見ながら授業を振り返る。今回は、一人でのリフレクションである。○「糸の長さ」という「ことば」を獲得したこと 今回の授業で一番印象に残ったのは、Iさんの次のような発言である。「えっ、だって糸の長さは同じなんだから。」「長さというのは、遠さとか近さとか。高さとは・・・。長さは、このひもの長さ。(糸をぴんと張って)低い高いが高さ。だから長さは関係ない。」 Iさんは、授業のはじめには、「かげが遠いと・・・」と発言している。このとき、I さんには「高さ」と「遠さ」は、はっきりとはとらえられていない。今回、懐中電灯と棒を糸で結んで実験させたことにより、太陽の「高さ」についてとらえることができるようになったのだろう。しかし、実験をして、その結果を見ただけで、このようなことが起こったのではない。「長さ」という「ことば」を獲得することで、具体的な思考を促したのであろう。 Iさんにとって(おそらく、多くの子どもたちにとって)、「高い・低い」「遠い・近い」という「ことば」は、今回の授業の中では使いにくい「ことば」だったのだ。(私にとっても、このblogを書くときに「遠さ」という「ことば」は、「高さ」「長さ」と比べ、とても使いにくい。)もちろん、目の前に具体物の糸があったことも、大きく関係あると考えている。○「だんだん」から先の「ことば」 逆に、Iさんがなかなか獲得できなかったのが、太陽の動きを説明するときの「だんだん」に続く「ことば」。何度も「太陽は東からだんだん・・・」「だんだん高くなって・・・」と、ボールを実際に動かしながらも「だんだん」から先がなかなか出てこなかった。途中、「だんだん傾いて」という「ことば」も聞かれた。 子どもたちにとって、記録用紙の上に、天球の動き、3次元の動きを再現することは、私が思っていた以上に難しいことであった。Iさんも、なかなかきれいな「カーブ」を描くことができなかった。同時に、この動きをイメージすること、そして「ことば」にすることも難しいのだろう。もちろん、「実際にモデルを動かすこと」と「動きをイメージすること」と「動きを『ことば』にすること」が、どういう順序で獲得されていくかはわからない。ただ、「ことば」が大切だということを再確認することができた。 Iさんにとっての「この糸の長さ」という「ことば」。そして、「だんだん・・・」という「ことば」。つい最近まで「説明できなくても、見てわかればいい」を思っていた私には、授業の中で、全く大切にすることができなかった・・・。(つづく)
2008.01.23
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太陽の高さとかげの長さの関係を次のようにまとめた。その後、「それでは、太陽はどのように動いているのだろうか」と問う。Tくん「ぐるぐる回ってるんじゃないの?」Nくん「そう、ぐるぐる回っている。でも・・・。」Iさん「低いところから・・・。」Nくん「それだと、太陽がぐるぐる回ってるんだと、天動説になっちゃうんだよね。地動説と天動説。」Tくん「だから、それは、太陽がここにあって、地球が回りながら回ってるんでしょ?」Nくん「そう。だから、地球が回っているのに、太陽が回っているように見える。」このグループの話し合う声が聞こえてきたので「それで、かげの変化が説明できますか」と、つい強い口調で問い返してしまった。沈黙の中、「地球から見て、太陽はどのように動きますか」とボールを使っての説明を促した。(よく考えてみると、この発問もおかしい。天動説の説明を促してしまっている。)Iさん「低いところから・・・太陽がここにあったら(棒の真上を通しながら)こういう風に動く。12時ちょうどのところが一番高いから、かげは一番短い。」Nくん「東から西に動くんだよね。」Tくん「簡単じゃん。」Iさん「南を通って・・・。」Tくん「(記録用紙にボールをつけたまま)こう通って、こう動く。」Iさん「(棒の真上を動かしながら)こうでしょ?」Tくん「だけど、上げすぎだって。」Iさん「(もう一度、棒の真上を通しながら)だんだん高くなって・・・。」Tくん「ちがうよ。」Iさん「だから、12時のときに一番短くなったでしょ。」Tくん「そうだよ。でも・・・。」Nくん「でも、(少しボールを傾けて)こっちを通ったじゃん。」Iさん「こっち?」他のグループでも、棒の真上を動かしている子どもがいた。そこで、「太陽は東から西で説明は十分か」と問う。Tくん「太陽は東から西に、あっ、東から南にだんだん・・・。」Iさん「だんだん傾いて・・・、高くなっていって・・・。」Nくん「まあね。」Tくん「わかった。」Iさん「で、正午をすぎるとだんだん・・・。だから、正午のとき一番高くなる。」Tくん「(ボールを動かしながら)東から南に、えーっと、東からどんどん高くなりながら南に動いて、正午をすぎると、どんどん低くなりながら西に沈む。」最後に、「東からでて、棒の上を通って、西へ動く?」と尋ねる。すると「いいえ」という声があがる。Tくん「カーブしていく。」続けて「どうして?」と尋ねると、一人の子どもが次のように発表する。Hくん「真上を通ったら正午らへんは、かげがなくなる。」Tくん「(ピンのすぐ真上に懐中電灯を置いて)全然できないじゃん。」Nくん「正午ぐらいは、すごく高いよ。(懐中電灯を懐中電灯を離しながら)あんまり、かげができないね、真上にすると・・・。」Nくんは、この1時間も、「高い」と「遠い」が混乱していたのだろう・・・。
2008.01.22
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懐中電灯を太陽のモデルにして、高さを変えるとかげの長さがどうなるか。棒と懐中電灯を糸でつないで実験する。Nくん「もっと低くして・・・今度は、もっと高く。」Tくん「(真上から照らして)短い。」Iさん「短くなった。」Tくん「(45°ぐらいにして)けっこう長いよ。(もっと低くして)長い。」Nくん「あんまり高くすると消えるから、もしかしたら、あれに関係がある・・・。」「糸で固定して長さが変えられないようにしましたが、どうでしたか」と尋ねると、「同じ長さでも、かげの長さは変わる」と答え、グループでの話し合いは、次のように進んでいく。Tくん「やっぱり、遠い近いは関係ない。」Nくん「関係あるよ。」Iさん「えっ、だって糸の長さは同じなんだから。」Nくん「あっ、そうか・・・。」続けて、「糸の長さが変わらなくても、かげの長さが変わるということは、どういうこと?」と問う。Iさん「遠い近いは・・・。」Tくん「遠い近いは関係ない。」Iさん「高い低いが関係ある。」Tくん「長さは関係ないけど、高さは関係ある。」Iさん「長さというのは、遠さとか近さとか。高さとは・・・。長さは、このひもの長さ。(糸をぴんと張って)低い高いが高さ。だから長さは関係ない。」多くのグループから「長さは関係ない」という声が聞こえてきた。そこで「何の長さ?」と尋ねると、一人の子どもが次のように発言した。Nさん「太陽と棒の長さは関係ないけど、太陽の高さは関係ある。」ここで、次のように話し、分かったことをまとめることにした。「太陽のまでの長さ、つまり、距離は関係なくて、太陽の高さが関係ある。高さっていうと、ここ(図で太陽から地面に垂直に引いた線)を高さと思っているでしょう。でも、実際には、ここを測ることはできないね。みんなは観察のとき角度で調べたでしょう。(水平を指しながら)0°とか、(真上を指して)90°とか。」(つづく)
2008.01.22
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「どうして、かげの長さが変わるのだろう」。子どもたちに「結論は出た?」と尋ねると「だいたい」と答え、グループで次のように話していた。Tくん「低いと、長かったろう?」Mさん「えっ?低いと長い?」Tくん「そうだよ。低いと長いだよ。」Nくん「そう。低いと長い。」Mさん「高いと・・・。」Tくん「高いと短い。ぼく、高いと長いと思ってた。」Mさん「うん。」Nくん「(西にボールを置いて)こっちだっけ?ちがう。(東において)こっちだよね。」Iさん「太陽の位置が・・・。」Mさん「(ボールを持って)低いんだよね。低くて、こう動くんだよね。まずは、低くて・・・。」Iさん「かげが、あれが高いと長くなっている。遠いと・・・。」Tくん「遠いは関係ない。」Iさん「高いと。」Mさん「高いと低い。遠いとかは関係ない。」Iさん「かげの位置が高いと・・・。」Tくん「かげの位置が高い?意味わかんないよ。」Mさん「太陽が。」Nくん「太陽が高いほど、かげの長さは短い。」このグループでは「高いか低いか」と「遠いか近いか」が解決されていたのだろうか。この会話からは混乱は見られない。ただ、前回の様子では、「高さ」と「遠さ」を明確に区別できたとは言い難い。ここで「前回行った実験で、イスの上に立ったけれど、この場合、高くなっているけれど遠くもなっている」ということを確認した。Iさん「つまり、太陽が動くからでしょ。」Nくん「そうかな?それだけかな。」Iさん「わからない・・・。」Nくん「さっき、太陽をあまり高くすると、消えるっていったじゃん・・・。」子どもたちは、ポカンとした様子である。そこで、次のように指示した。「ピンと懐中電灯の長さが、いっしょになるようにします。そのために糸で結び、糸がピーンとなるところで、太陽が高いときと低いところを比べてください。」この準備ができるまでの間、次のようなことを話していた。Iさん「高いときが・・・。」Nくん「やっぱり・・・。」Iさん「太陽が高いと・・・。」Nくん「あんまり低いと、すごく濃くうつる。」Mさん「こゆく?」Nくん「かげが、はっきり見えてくるってこと。」Tくん「全然、そんな感じはしないけど。じゃあ、長いとはっきりうつるの?」やっぱり、「高い」と「遠い」が混乱している・・・。(つづく)
2008.01.21
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「かげをつくろう~その6」を振り返る。○「懐中電灯をいつ出すか」ということに終始する私 授業中の子どものつぶやきに耳を傾けることができなくなった私(「『混沌』と『混乱』を見抜けない私」や「子どもたちがイスに立ったことを喜ぶ私」)。「懐中電灯を出す」というシナリオができた瞬間、「いつ懐中電灯を出すか」ということに終始していたのであろう。次の手だてばかりに意識がいっているときに、目の前の子どもを看取ることはできないのである。「前へ」ではなく、「もどる」ということが大切だとは、分かっていたはずなのだが・・・。○だとしても、いつ懐中電灯を出せばよかったのか しかし、今でも「考える余地を残す」と「手の内を明かす」との間でも「葛藤」している私。いつ、懐中電灯を出せばよかったのだろうか。 この「懐中電灯」について、二人の同僚の先生から、次のようなコメントをもらった。 I先生のコメント「この時点で、懐中電灯の実験を行えば、子どもたちは納得に向かうと私は簡単に考えていた。その後Sさんの実験の様子を見る。Sさんは、体の位置をを動かしながら実験している。そのなかで、まず、懐中電灯の高さを確認することよりも、近づけたり遠ざけたりしている。この様子も大変興味深いものであった。言葉での説明と実際に目の前で起こっていることを、どうにかして確かめていこうとする姿に見える。この姿から、実際に起きている事実(実験結果)を自分のことばや図などによって上手く説明ができる、また、頭で分かっていたことを実際に証明することができるというときに、子どもたちの中で納得に向かっていくことが伺える。 先日、事前に懐中電灯を使って太陽の動きを再現されている場面を見せていただいた。正直、この実験なら子どもたちは太陽の動きをかげの長さと関係付けながら納得していくのだろうと思った。しかし実際の子どもたちは一直線ではなく、紆余曲折しながら納得に向かっていくのだということが、本時の授業で明らかになった。子どものこだわりや疑問はなかなか解消されない。『教師がわからせたつもりになっていることが、これまでいかに多かったか』ということを私自身考えさせられた授業であった。」 Y先生のコメント「しかし、授業はこのまま「遠いー近い」は考えないということで教師がまとめ話し合いが進んでいくが、こここそ、懐中電灯のモデルが登場する機会ではなかったかと考える。もちろん、観察結果からは『近いー遠い』ということは分からないが、『太陽が近いとかげが短くて、遠いと長い』(あるいは、その逆)と考えている子には、そう自分が思いこんでいること自体が前提となっているので、そこには説明だけでは納得できず、やってみないと自分の考えを見直すことにはならない。事実、『かげの長さは、太陽の高さが変わると変わるのだろうか』と懐中電灯をわたされたときも、このグループでは、ピンに懐中電灯を近づけたり遠ざけたりを一生懸命行っていた。『かげの長さは高さと関係がありそうだね』という教師の投げかけに『はい』と答えていてもである。」 いつ懐中電灯を出せばよかったかは、いまでも悩むところではあるが、懐中電灯を出して解決というわけにはいかないということだけは明らかであろう。懐中電灯を出すのは、授業の終盤と考えていたのだが、懐中電灯を出してからが始まりなのである。研究会の中でもらった「きびしい」コメントだが、複数の目で授業を見ることの大切さを改めて実感することができた。
2008.01.17
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「かげをつくろう~その6」を振り返る。○「混沌」と「混乱」が見抜けない私 授業後の研究会の中で、同僚の先生に次のように指摘された。 「本時、何人かの子どもに葛藤が生まれたかもしれない。本時における葛藤『かげの変化を太陽の動きと関係付けて上手く説明することができない状態』からすると、その状態の子は、たくさんいたかもしれない。しかし、『説明できない状態』の子の質にも差が大きいように思う。1つ1つの要素を理解できていない状態、関係付ける段階で理解できない状態の子どもが、『説明できない状態』が即『葛藤』とはいえないを考える。」 まさにその通りである。授業記録を読み返しても、同じ「遠い」という「ことば」でも、子どもたちはいろいろな意味で使っている。もちろん、グループの中でもかかわり合えなかっただろう。つまり、多くの子どもたちが「混乱」していたのである。この状態では「葛藤」は生じない。「かげをつくろう~その2」でも、「ことば」や「要素」のていねいに考えない間は、Nくんには「葛藤」は生じなかった。「ことば」や「要素」を、みんなで1つ1つ確認していくことで、子どもたちは「矛盾」に気付き「混沌」とした状態になっていくのであろう。○都合のよい発言にとびつく私 前にも書いたが、「太陽が遠くなる」という考えをする子どもがいることは、授業前から分かっていた。だから、授業前半に「遠い」「近い」という「ことば」が多くのグループから聞こえてきても、私自身あわてることはなかった。もしかしたら、私の「予定通り」だったのかもしれない。 この「予定通り」に授業が進んだ(指導案通りではなかったが)ことによって、Tくんの「高いとか低いとか、遠いとか近いとかが関係あると思う」という発言に、私が「とびつく」ことにつながってしまった。つまり、Tくんの発言を聞いた瞬間に「『高さ』と『遠さ』を整理して、『懐中電灯』を渡す」というシナリオができあがってしまったのである。このことが、私に子どもたちのつぶやきに耳を傾けることを止めさせ、「『混沌』と『混乱』を見抜けない私」や「子どもたちがイスに立ったことを喜ぶ私」を生んでしまったのであろう・・・。「ある程度」上手く言ったと思った授業なのだが、反省すべきことばかりである。(つづく)
2008.01.16
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今回は、校内の研究授業だったため、授業後の研究会で話題になったことをもとに、授業を振り返る。○「高さ」と「遠さ」を整理したつもりの私 「太陽が遠くなるから」と考える子どもがいることは、前時のリフレクションで分かっていたことである。授業前、私は「観察から分かることは?」と問うて整理すればよいと考えていたし、実際に授業の中で次のように話した。 「遠いか近いかが分かりますか?巻き尺で何mって測ったわけじゃなかったよね。はかったのは何でしたか?」 「高いか低いかだけを調べましたよね。今日は、太陽が高いか低いかは分かりますね。この高いか低いかがかげの長さに関係ありそうですね。かげの長さは、太陽の高さが変わると、どのように変わるのでしょうか。」 しかし、この直後、Tくんは次のように発言している。 「(イスの上に立って)短い、短いよ。遠いほど短いんだよ。」 教師が、説明し、整理したにもかかわらず、それでも子どもたちは「こだわる」ということであろう。もちろん、「整理したつもり」になっていた私が一番の問題なのだが・・・。 ○子どもたちがイスに立ったことを喜ぶ私 懐中電灯を子どもたちに渡し、しばらくすると、イスの上に立って棒を照らす子どもが数名見られるようになった。私は、「高い」ときを調べているものと思い、他の子どもたちにもイスの上に立つように促した。もちろん、子どもたちは真上から棒を照らすことになり、「短くなった」という大きな声があがった。この姿を見て私は「大喜び」である。太陽が「高いとき」を調べている(と、私は「整理したつもり」)のだから、かげが短くなったのは太陽が「高く」なったからと考えるものと思いこんでいたのである。 しかし、子どもたちはイスの上に立って「遠いほど短い」と発言している。授業後によく考えてみると、「高さ」による違いを考えさせるためには、イスの上に立たせる必要はなく、むしろ、イスの上に立たせたことで子どもたちに「遠くなった」ということを印象づけてしまったことに気づく。逆効果だったのである・・・。イスの上に立ち「短くなった」と声をあげる子どもたちを見て、単純に喜んでしまった私。私が一番「高さ」と「遠さ」を理解していなかったのである。(つづく)
2008.01.16
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子どもたちは、またまた太陽が「高い」「低い」「近い」「遠い」について混乱している。これを整理するために、次のように話す。「遠いか近いかが分かりますか?巻き尺で何mって測ったわけじゃなかったよね。はかったのは何でしたか?」C「何度。」「高いか低いかだけを調べましたよね。今日は、太陽が高いか低いかは分かりますね。この高いか低いかがかげの長さに関係ありそうですね。かげの長さは、太陽の高さが変わると、どのように変わるのでしょうか。」C「低いときに長い。」「実際に実験できないね。そこで、今日は懐中電灯を用意しています。懐中電灯で、高いとき低いときを試してみてください。」少し強引な懐中電灯の登場のさせ方だったが、子どもたちは「意欲的(懐中電灯を使った実験の珍しさも大きな要因ではあるが)」にモデル実験をはじめた。Tくん「高いときはこうだよ。」Tくん「やっぱり遠いとき・・・。」Nくん「遠いとき、かげははっきりうつらないよ。」Iさん「長くなって、紙はみだした。」Nくん「もっと低くしてみて。」Tくん「超、長いよ。紙はみだしてる。」Tくん「(イスの上に立って真上から照らし)短い、短いよ。遠いほど短いんだよ。(イスにの上に立ったまま懐中電灯を近づけて)あれ、短いまま?・・・高いほど短いんだよ。」最後に「実験でわかったこと」を発表させ、授業を終えた。Hくん「懐中電灯が低いときはかげが長くなって、高いときは短くなるのがわかった。」Nくん「うん、うん。」
2008.01.11
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太陽が「高い」「低い」「近い」「遠い」と子どもたちは混乱している。グループで話題になっていることを発表させても、次のように発言した。Tくん「高いとか低いとか、遠いとか近いとかが関係あると思う。」そこで、「『太陽が高いか低いか』、もしくは、『太陽が遠いか近いか』のどちらがかげの長さに関係あるのか」と問う。すると、グループでの話し合いは次のように続く。Iさん「太陽が高いときは、かげが短くなって、太陽が遠いときは・・・。」Mさん「高いときは短い。」Tくん「うん、高いときは短いんだよ。低いときは長い。」Mさん「そして、遠いときが短い。近いとき短い。」Tくん「えー?」IさんとMさんは、太陽が「高い」「低い」「遠い」「近い」の4つのときのかげの長さを考えている。しかし、他のグループの子どもに発表させると、次のように発言した。Sさん「たぶん、太陽が高いか低いかの方が関係あると思う。」この発言を聞き、Nくんは次のようにつぶやく。Nくん「うーん、だいたい変わらないんじゃないかな?地球と太陽が・・・。」しかし、多くの子どもがまだピンとこない様子。とうとう「太陽が遠いか近いとかは、観察結果からは分かる?」と尋ねた。Nくん「わかりません。」Mさん「わからない。」Nくん「分度器ではかったじゃん。バトンにつけて。」Iさん「あれ、あれ。」Mさん「それ・・・。」Nくん「距離っていうのは・・・高さ?」Tくん「(観察結果を持って)これ、使おう。」前回の観察の「意味」を、少しずつ「わかり直し」ているのだろう。(つづく)
2008.01.10
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前回、子どもたちは「簡易太陽高度測定器」を使って、太陽の高さを観察した。(下の写真は、その結果である。)今回は、まず、この結果から分かることを次のようにまとめた。次に、「どうしてかげの長さが変わるのか」グループで話し合わせる。太陽のモデルであるボールやホワイトボードを使いながら話し合いは進んでいく。Nくん「東から西に、だんだん高くなりながら・・・。」Tくん「遠いほど長くなるんじゃない?近いほど短くなる。」Tくん「(かげの観察記録を見て)やっぱり近いと短いんだよ。」Mさん「近いとき長いんじゃないの?」Nくん「え?遠いときが長いんじゃない?」Iさん「まって。9時40分のときは・・・。太陽が・・・何度だろう?」Tくん「9時40分は40°」Mさん「正午頃は、ここでしょ。こうあがっていくから高いのが一番短いんだよ。近いのが一番短いじゃん。」Tくん「遠いほど短いよ。」Mさん「一番・・・やってみて。」Nくん「朝、東。だんだんあがってきて、12時頃、真上にくる。」Tくん「ちがう。南。」Nくん「あっ、そうか。」Iさん「でもね、こっち(西)の方が、こっち(南)より遠いじゃん。」Mさん「えっ、でもね・・・。」Tくん「近いほど長いのかな?」Mさん「うん。近いほど長い。」Nくん「太陽がどんどんあがってきて、12時頃ここにあって、一番短くなる。」Iさん「(ホワイトボードを使って)南より、西が遠いじゃん。」Nくん「うん?」Tくん「遠いと近い、どっち?」Iさん「太陽がのぼっていって、正午頃ここらへんにかげができるでしょ・・・。」Nくん「だから、それが何でかって。」Iさん「近ければ近いほど長いっていうけど、正午の方が距離短いじゃん。」Nくん「ちょっとまって、太陽はこういうふうに動くでしょ。」Tくん「12時頃は・・・。」Nくん「12時頃は高いよね。」Tくん「高いほど短い?」Nくん「高いほど短くて、低いほど長いんだよ。」Tくん「と、いうことは・・・。」「高い」と「遠い」、「低い」と「近い」(もしくは逆も)が混乱している・・・。(つづく)
2008.01.10
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「かげをつくろう~その5」を振り返る。○高さを変えながら移動するというイメージをもたせることの難しさ ボールを太陽のモデルにし記録用紙の上で太陽の動きを「再現」するとき、子どもたちはさまざまな動かし方をした。けっこう多くの子どもたちが、ボールの高さを変えず、記録用紙の上をなぞるように動かしていた。授業後、IさんとNくんも次のようなやりとりをしている。 まずIさんが、記録用紙の東側から、棒の真上を通るようにボールを動かす。その様子を見て、Nくんが「ちがうよ」と声をかけ、「こうだよ」と軌道を南に傾けて東から西に動かす。このNくんの動きが実際の太陽の動きに近い。しかし、それを見たIさんは、「こう?」と全くボールを浮かせずに記録用紙の上をなぞるように動かした。Nくんは、もう一度Iさんに「こうだよ」と説明する。 やはり、子どもたちには「天球」をイメージし、そして、3次元の動きを「再現」することは難しいことなのだろう。もちろん、太陽の動きを直接観察することはしていないのだが・・・。○「太陽が遠くなる」という考え方 数名の子どもたちは、かげの長さの原因が「太陽までの距離」と考えているようである。授業の中でも、「太陽が近くなるから」「太陽が離れて」という「ことば」が聞かれた。ここで、2つの疑問が生じる。子どもたちは、どうして太陽までの距離が変わるととらえているのだろうか。また、太陽が「遠い・近い」の変化でかげの何が変化すると考えているのだろうか。 2つ目の疑問について、Rさんは「東からあがって、正午は一番高くなっているからはなれているから・・・」と発言していることから、「太陽が遠くなるとかげは短くなる」とらえているのだろう。これまで、「かげに対する見方」にいろいろなものがあるということを驚いていたが、これからは「太陽の動きに対する見方」も問題になりそうである・・・。
2008.01.10
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授業後の振り返りから、次のようなことが「見えて」きた。○いわゆる「日本型エラー」が起こりそうであること 今回の授業で、何度も混乱したのが「東から西に」か「西から東に」かということである。blogで紹介した場面でも2回混乱している。これは、方角そのものの定着(定着ということばが適当かどうか分からないが、しっかり覚えているかということ)、観察結果の定着、及び、「何が」移動するのかを曖昧にしていることが原因だと考える。 観察結果から「かげ」は「西から東へ移動する」ことを見いだすとともに、このことから「太陽」は「東から西に移動する」ことを推測しなければならない。「何が」「どちらへ」動くのか、それも、同じ「東と西」。「太陽は東から昇り西に沈む」という生活経験が豊富でない限り、混乱するのは当たり前なのだろう。 TIMSS2003で問題になった「日本型エラー」。太陽とかげの関係は正確にとらえることはできるものの、「太陽が西からのぼる」と答えた子どもが2割程度いたという問題。かげと太陽の動きを一度に観察し、このまま授業を終えるとしたら、私のクラスでも「日本型エラー」は確実に起こる。○実際の方角と記録上の方角の間でも混乱が起こること 授業記録の最後に紹介したMさんとNくんのやりとり。「どちらが『北』か」ということで混乱している。このような混乱が起こったグループが、他にも見られたが、その多くのグループは、記録用紙の置き方が実際の北と記録用紙の北が一致していなかった。 おそらく、太陽の動きを予想するとき、多くの子どもたちがベランダ越しに南の空をながめながら太陽の動きをイメージしていたのだろう。こう考えると、記録用紙は、実際の方角と一致するように(実際観察したときのように)机の上に置いた方がいいのだろう。しかし、方向感覚(?)の育成や、論理的(?)に考えさせるために、あえてずらしておいた方がいいのでは、という「いじわるな考え」も頭をよぎる・・・。次時は、どう置かせた方がよいのだろうか・・・。方角については、1学期から(社会でも)学習し、「定着」させていたつもりだったのに・・・。「覚えろ」といって何度も連流させても「忘れる」のであろう。(つづく)
2008.01.09
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