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前回のblogに、トゥールミンの「論理モデル」について、「観察・実験後の考察場面において『このモデルに当てはめながら考えなさい(もしくは、書きなさい)』といった直接的な指導に使うものではない」とし、「まず、教師自身がこのトゥールミンモデルを『頭の片隅におく』ことが大切である」と書いたのだが、まだまだ説明が不十分のようである。このblogでも何度か紹介したが、本校のHPにupしているこれまでの「附属小研究だより」のなかで、何度かこのトゥールミンの「論理モデル」について書いている。まず、「論理科」カリキュラム開発の1年目、平成22年1月「今、なぜ『論理科』なのか」では、次のように書いている。・・・・・ 本年度から移行措置が始まった新学習指導要領では、「言語活動の充実」について、次のように記されています。 ***** 各教科等の指導に当たっては、児童の思考力、判断力、表現力等をはぐくむ観点から、基礎的・基本的な知識及び技能の活用を図る学習活動を重視するとともに、言語に対する関心や理解を深め、言語に関する能力の育成を図る上で必要な言語環境を整え、児童の言語活動を充実すること ***** このことから、単に子どもたちを話し合わせればいいということではなく、子どもたちの「思考・判断・表現」につながる言語活動が求められていることがわかります。 そこで、本校の「論理科」では、論理的に思考し表現するための「ことば」、そして、他者とわかり合うための「ことば」を子どもたちに育むことをめざしています。 特に、次のようなモデルをもとに情報を読み取ったり他者の話を聴いたりすることや自分の考えを筋道立てて「語る」ことを大切にしています。(図省略) このモデルは、ステファン・トゥールミンという人が1950年代に提唱したものです。これまでの授業の中でも、事実と意見を分けることが大切だと言われてきました。しかし「論理科」では、それだけでなく、根拠となる事実や理由づけと主張との関係も、このモデルを使いながら子どもたちに検討させていこうと考えています。・・・・・「情報の読み取り」と「論理的な説明」の両方に有効であると考え、トゥールミンモデルを取り上げている。しかし、2年目から少しずつ変化が見られるようになる。平成23年1月「子どもの『論理』を見取り、言語活動を評価する」では、次のように書いている。・・・・・ それでは、どのように子どもたちの言語活動を評価すればよいのでしょうか。単に発表や記述ができるかどうかではなく、「どのように考えたのか」という思考・判断した過程を評価しなければなりません。話し合いの場においても、活発に発言すればよいというものではないでしょう。 そのためには、子どもたちの発言や記述の中にある「ことば」と「ことば」のつながりに着目する必要があります。(「理由と主張」や「原因と結果」、「情報と情報」など、この「ことば」と「ことば」のつながりのことを、私たちは「論理」と呼んでいます。) 子どもがどのような「ことば」を使っているかということだけでなく、「ことば」と「ことば」をどのようにつないでいるかを意識し問い返すことによって、思考・判断した過程が明らかになっていきます。 特に、トゥールミンが1950年代に提唱した次のモデルは、思考・判断した過程を明らかにする手助けになり、その妥当性を検討することができるようになります。(図省略) 例えば、ある子どもが「昨日と今日の天気は雨だった。明日も雨が降るだろう。」と発言したとします。この子どもが、単に「二度あることは三度ある」と考えて言ったのならば、その思考・判断は十分だとは言えないでしょう。しかし、もしかしたら数ヶ月間の天気を調べたときの経験(雨は2、3日降り続くことが多い、など)をもとに判断しているのかもしれませんし、「梅雨の時期には雨の日が続きやすい」と学習したことを活かしながら考えていたのかもしれません。このことは、子どもに「根拠」や「理由づけ」を問い返したり、これまでのノートなどの学習記録を読み返したりすることによって明らかになるでしょう。 このように、「論理」に着目することによって、子どもたちの言語活動を評価することができるとともに、次の指導に活かすことができます。・・・・・教師自身の評価に役立つと書いている。さらには、平成23年9月「『論理科』で子どもたちの対話をはぐくむ」でも、次のように書いている。・・・・・ しかし、このような子どもたちの「聴く」−「語る」関係をつくるためには、教師自身が子どもの声に耳を傾け、しっかりと「聴く」ことが大切です。教師がしっかりと「聴く」ことによって、子ども同士の考えをつなぎ、子どもと教材をつなぐことができます。また、そのときの「聴き方」が、子どもたちの「聴き方」のモデルになります。 特に、「論理科」では、「理由と主張」や「原因と結果」、「情報と情報」などの「ことば」と「ことば」のつながりを「論理」ととらえ、「聴く」−「語る」関係の中で、この「ことば」と「ことば」のつながりに着目させていきます。 そこで、トゥールミンという人が1950年代に提唱した次のようなモデルを使って、子どもたちの発言を「聴く」ようにしています。(図省略) 例えば、子どもが自分の考えを発言した後に「どうしてそう考えたのか」ではなく「どこからそう考えたのか」と問い返すことにより、根拠を明らかにすることができます。 本校の「論理科」を中心にした研究も、いよいよ3年目。これまで「論理科」の授業ではぐくんできた「対話」によって、子どもたちの「学び」がどんどん広がっています。・・・・・教師自身がトゥールミンモデルを「頭の片隅において」子どもたちの話を聴き、話し合いを深めていく。その姿が子どもたちの「聴き方」のモデルになるということであろう。(つづく)
2013.01.29
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昨年まで取り組んだ「『論理科』カリキュラム開発」では、「論理」を「ことばとことばのつながり」とし、トゥールミンのモデルを「論理モデル」として取り上げた。本年度も、理科授業のなかで子どもたちに論理的な思考を促すため、このモデルを参考にしている。しかしながら、観察・実験後の考察場面において「このモデルに当てはめながら考えなさい(もしくは、書きなさい)」といった直接的な指導に使うものではない。それでは、何のためのモデルなのか。昨年の本校の紀要に、私は次のように書いている。・・・・・ 論理的に思考することや表現することを学ぶことこと。このことにより、自分の「語り」を「論理」に照らし合わせながら振り返ったり言い換えたりすることができるようになるのではないか。なお、ここでの「論理」とは、次の図に示すような「論理モデル」のことを示す。 このモデルは、ステファン・トゥールミンが1950年代に提唱したものである。これまでの授業の中でも、事実と意見を分けることが大切だと言われてきた。しかし「論理科」では、それだけでなく、根拠となる事実や理由づけと主張との関係も、このモデルを使いながら子どもたちに検討させることにより、「語り」の質を高めていきたい。 つまり、「ことば」の意味やつながりを意識して、筋道を明確にしながら自分の「語り」を振り返ったり他者の「ことば」を聴いたりすることができるようになるということである。 このことは、情報の真偽性や考えの妥当性について判断できるということであり、日本での低下が問題とされているPISA型読解力「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれた文章や資料を理解し、利用し、熟考する能力」の育成にもつながるものであろう。・・・・・これは、秋田喜代美先生の「読む心・書く心 文章の心理学入門」(心理学ジュニアライブラリ)を参考にして書いたものである。秋田先生は、この本の中で「批判的読みを助けるモデル」として次のように書かれている。・・・・・ では、実際に文章を読んでいくときにどうすれば批判的に読むことができるでしょうか。知識に対する考え方によって読み方は異なり、知識は絶対普遍なもので権威のある人がつくってくれるものと考えている人は、書かれていることを絶対的に正しい、決まったものとして読みやすいという報告もあります。(中略) 入試問題や問題集などでは、書かれていることを読み取っていけばよいだけの問題が準備されているでしょう。しかし、それだけに慣れてしまうと大変です。なぜなら実社会を生きていくためには、書かれていることがどれだけ信頼できるのかを見抜くことが大切だからです。ものごとをみる見方は多面的ですから、1つのことからもさまざまな考えが出てくるはずです。そのときにその考えを自分が支持していったらよいかを考えていく基盤となるのは、文章を批判的に読みそれを吟味することなのです。(中略) そのために、次のようなモデル(図10※省略)についての知識をもっておくとよいと思います。ステファン・トゥールミンという人が1950年代に提唱したモデルです。文章構造の知識が読むのを助けるように、このモデルを頭の片隅においておくことが、批判的読みの手助けとなると思います。 たとえば天気予報で「明日までに、雲はなくなり、いっそう冷え込むでしょう」という予報の根拠を詳しく文章化し、それを図示してみると図11のように表すことができます。 もちろん、このモデルに全ての文章をあてはめることはできません。ただ、どんな文章でも、書かれていることだけではなく、主張(意見)がどの範囲でいえることなのか、結果として根拠からその主張(意見)しか導けないのか、根拠が具体的な事実として書かれているかなどの視点から読み手の側からその筆者の主張をチェックしていくことは、自分の意見をそこからつくり出していくためにも必要なことです。・・・・・「トゥールミンモデルに当てはめ主張する」というより、「トゥールミンモデルを使って、他者の主張を検討する」、さらには「自分の考えを振り返り、吟味する」という方がピッタリとくるのが分かるだろう。それでは、実際の授業でどうするのか。まず、教師自身がこのトゥールミンモデルを「頭の片隅におく」ことが大切である。このことにより、子どもの発言の「聴き方」が大きく変わるであろう。(つづく)
2013.01.29
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このblogで紹介している授業記録は、授業ビデオを起こしてきちんとしたプロトコルをつくる場合もあれば、授業ビデオを流し見しながら板書を撮影したものにメモし、それをもとに書くこともある。(もちろん、前者の方がよいのだが・・・。授業リフレクションを授業研究の中心にするといいながら、「時間がない」と言い訳してしまう・・・。)このことと合わせて、最近は「座席表」を見ることも多い。この「座席表」とは、授業中に教師がチェックしたものではなく、授業後の子どもの考えを座席表にまとめたものである。以前は、子どものノートを見たり授業中の発言を振り返ったりしながら私自身が書いていたのだが、最近は、子どもたちに直接書かせている。やり方は簡単で、A2(A3用紙2枚)に拡大した座席表に自分の考えを書いたポストイットを貼り、それをA4もしくはB5に縮小コピーするとできあがりである。ただし、ポストイットの大きさが60mm×55mmと小さく、書き込める量が少ないため、子どもの考えが十分に表れるとは限らないし、子どものノートを一冊ずつ見た方が、授業中のメモ書きなども発見することができるなど、子どもの見取りは深まるだろう。しかし、ポストイットを使った方法の方が断然手間が少なく、スピードも速い。私の場合、次時に子どもたちにも配るので、この方法の方が都合がよい。実は、数年前まであまり「座席表」を重要視していなかったのだが、2年前の社会科の初志をつらぬく会全国集会で報告をしたとき、「授業中に発言した以外の子どもたちの考えはどうしているのか」と問われ、何も答えられなかったことがきっかけとなって授業で「座席表」を使うようになった。(おそらく、安東小学校などで使われている「カルテ・座席表」とは、目的も方法も異なっているのだろう。)であるから、私の授業は前時の板書のコピーと「座席表」をノートに貼ることからスタートすることが多い。子どもたちも、授業前に友達のコメントを見て質問したり「分類」したりすることが多くなったように感じる。もちろん、この「座席表」をつくることが目的ではない。また、「座席表」さえあれば子どもに学びが起こるということでもない。しかし、この「座席表」が、子どもを見取る一つの道具となるとともに、子どもたちのとっては「対話」を活性化させる「きっかけ」になるであろう。
2013.01.24
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このblogに「授業リフレクション」のことを書きながら、ふと思い出した原稿がある。それは、平成22年の夏、社会科初志をつらぬく会全国集会の小林宏己先生(早稲田大学)の基調提案を聞き、「考える子ども」(2010.9月号)に書いたものである。 ・・・・・子どもがともにあること「私は、どう共感しているのか、どう共感しようとしているのか。」 この「ことば」が小林先生の基調講演の中で強く印象に残った。これまで、私自身「子どもに寄り添い、子どもとともに学ぶ教師」にと思ってきたが、私は、何のために子どもに寄り添い、何を子どもの姿から学ぼうとしていたのか。そんな疑問が頭の中をよぎる。 授業中の子どもの発言をていねいに文字に起こし、気になる子どもが何を考えていたのか、そして、どうしてそう考えたのか思慮することも、いつかはその子どものことを授業の中で見取り、適切に働きかけることができるいう教師としての力量を高めることを求めるためのものではないか。子どもの発言から、いろいろな教材を解釈する視点に気づき、その教材についてくわしくなることに満足するためのものだったのではないか。もしかしたら、今まで私が「子どもとともに学ぶ」ことと考えていたことは、いつか「すばらしい教師」になるための一方的で「よこしまな」ものなのではなかったか。 研究集会に参加して基調講演をお聴きした上に、せっかくこの原稿を書く機会をいただいたので、この「子どもがともにあること」について考えてみたい。私は、どう共感しようとしているのか「私は、どう共感しているのか、どう共感しようとしているのか。」 この問いは、これは、これまで私が授業の中で目の前にいて耳を傾けてきた子どもに対するまなざしとまったく正反対のものである。「この子どもは何を考えているのか」と問うことは、あくまでも教師から子どもへの一方通行なものであろう。それに対して、目の前の子どもの姿から、「今の私にはどう見えているのか」と問うことこそ、教室の中での教師の立ち位置を変え、教師と子どもの間に双方向的な関わりを生むものであり、「子どもがともにある」ということではないか。 私は、これまで授業研究会の中で「目の前の子どものために授業者は何をしたのか、何ができるのか」ということを問題にしてきたが、このことも、もしかしたら子どもたちにとって「おせっかい」で、いわゆる「上から目線」なものだったのかもしれない。本当に私は「何かしてあげる、してあげることができる」存在なのか。そんなことよりも、一人の人である子どもたちと、どう関わろうとしていたのか。子どもたちの何を分かろうとしていたのか。どんな教師になろうとしているのか。そして、人が人とともにある社会の中で、私はどんな存在なのか。こんなことを問い続けることこそ、子どもとともに成長する教師の姿なのではないのだろうか。 私と教室にいる子どもが、人と人としての関係をつくっていくこと。当たり前のことであるが、授業という特殊な場で、私はこのことを大切にしていただろうか。 また、小林先生は「考える子ども」に、「全国研究集会に期待する」こととして、授業後の「研究協議を協働的な学びの場へ」するための具体的な取り組みを6点挙げられている。 1)事実の尊重 2)課題・論点の可視化 3)現場主義の徹底 4)権力関係の排除 5)省察の具体化と実践的知見の重視 6)協働の促進 これは、授業者を含め参加者個々の「見え方」や「分かり方」、「納得の仕方」を大切にし、「その人らしく『学ぶ』こと」を保障するというものであろう。私は授業者に「どのように共感しようとしているのか」、今の私を「語る」ことが必要である。なぜ授業者は私が気にならない子どもを抽出児にしたのか。どうして私は授業者と異なる子どもの姿が気になるのか。そして、それにもかかわらず、どうして私は授業者が子どもたちに向けるまなざしを好意的にあたたかいものとして感じるのか。私と授業者を含む参加者が、研究協議会の中で授業者と参観者、参観者同士が人と人としての関係をつくり、ともに悩み、ともに学ぶことが求められている。私の「正しさ」とは このように考えてみると、溜池先生が「考える子ども」の「集会テーマについて考える」に書かれている、「『私』の正しさ」とは何か、「『私以外の人』の正しさと関係し合うことによって生まれる別の正しさ」とは何か、という新たな問いが生まれてくる。 これまで多くの学校の授業研究会で、私は「私の見方ややり方は正しい」と主張してきた。しかし、「子どもがともにある」と考えるとき、「教師としての私の正しさ」という色メガネで自分の授業や同僚であるはずの他の教師の授業を見て、どの「正しさ」が正当かということを議論することは、その色メガネを補修しより強固なものにするにすぎない。大切なことは、私は「どんな色メガネをかけているのか」ということを知り、その色メガネをはずそうとすること。そして、決してはずせないことに気づき、だからといって、はずすことをあきらめるのではなく、色メガネをかけている自分を受け入れながらも、少しでも色メガネをはずして見える世界を見てみたいと願い続けることではないか。 この願いは、私とは違う「正しさ」という色メガネをかけている私以外の人の「正しさ」に共感し、互いの「正しさ」をすり合わせて、ともに色メガネをはずして見える世界を想像しようとすることにつながるのだろう。 いよいよ長かった夏休みも終わり、2学期がはじまる。私は、どのような表情で子どもたちを教室に迎えるのだろうか。楽しみである。・・・・・研究発表会まであと3週間であるが、子どもたちに「研究発表会だからがんばれ」と声をかけそうになる自分を反省しながら、授業リフレクションすることにより「わたしの色メガネ」をはずそうともがいていきたいと思う。
2013.01.24
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2回目の「流水実験」であるが、前回の授業の最後に出された疑問について、グループごとに調べる。「水が流れる速さがよく分からなかった」「もっと大きな石を置いたらどうなるか」という疑問を解消するために、今回、「おがくず」と「小石」を準備した。また、「水の量を増やす」ために、他のグループと協力してジョウロを2つから一気に水を流す姿も見られた。授業後のノートには、次のようなことが書かれていた。・(土を積んだ)山の上の方が流れが速くて、下の方は流れがあまり速くなかった。・曲がっているところの川の流れの速さは外側が速く、内側がおそいことが分かった。急カーブでは、外側ががけになっていることも分かった。・川に少し大きい石を置くと、石と石の間を通って水が流れていた。小さい石は流れる。・水の量を増やすと崖がどんどんけずられていって、水の流れる速さも速くなった。・水の量を増やすと、侵食と運搬の働きが大きくなっていた。・水の量を増やすと、大きな石も運搬した。・水の流れが速いと、侵食の働きが大きい。前回と比べると、「上流だから」「下流だから」という「ことば」が少なくなっていることが分かる。流れる水のはたらきと「流れの速さ」や「水量」を関係づけてとらえるようになっているということだろうか。※ 今回の記録は、平成25年1月23日のものである。
2013.01.23
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前回のblogに「授業リフレクションとは、『ああすればよかった』という単なる反省ではない」「授業リフレクションは、方法ではない」と書いた。この6年間、私の授業研究の中心はこの授業リフレクションであるが、「そんなこと誰でもやっている」「昔も授業ビデオをみていた」と指摘されることも多い。この授業リフレクションを説明するには、「授業デザイン」について説明する必要がある。私は、この6年間、授業リフレクションをすることによって授業観を「授業設計」から「授業デザイン」へと転換し、授業デザインの考え方で授業づくりに取り組むようになって、授業リフレクションが授業研究の中心になったのである。目黒悟先生(藤沢市教育文化センター)は「看護教育を創る授業デザイン~教えることの基本となるもの」の中で、「授業デザイン」について次のように説明している。 ・・・・・ いわるゆ「授業設計」は、計画-実施-評価といったように、授業実践の最初の段階(計画のところ)に位置づけられることが多いのですが、実際の授業実践は、計画-実施-評価といった厳密に区切れるわけではありません。つまり、授業のなかで、授業が終わったあとにも続いていくのが授業デザインなのです。このようなことから、いわゆる「授業設計」と区別して、私たちは「授業デザイン」ということばを用いています。 ・・・・・つまり、授業デザインでは、授業中、授業後に「リ・デザイン」することを前提としているのである。目黒先生は、同著の中で、授業を「因果性」ではなく「相互性」で説明する必要があると書かれている。また「『相互性』の場としての授業を生きるということ」として次のように書かれている。 ・・・・・ 私たちは白紙の状態の学習者にはたらきかけているのではありません。この私がはたらきかけている相手とは、「この私を感じて動いている目の前の学習者」にほかなりませんし、この私にはたらき返してくるのは、「『この私を感じて動いている目の前の学習者』を感じて動いている私」を感じて動いている学習者にほかならないのです。ややこしく感じられるかもしれませんが、「常に互いが相手を感じて動いており、自分がはたらきかけている相手の中に自分がすでに含まれている」というのは、まさにそういうことなのです。 授業のなかで私たちは、実はこのような「授業者と学習者のかかわりによって絶えず複雑に変化する授業の場」をすでに生きています。そのことを私たちはどのように考え、引き受けるのかということは、自分自身の「立場」、しなわち自分のなかに授業観を明確にもつことでもあるのです。 ・・・・・同じ指導案でも、授業者が違えば授業も違う。同じ授業者だったとしても、子どもたちが替われば上手くいったものの上手くいかないこともある。授業とは、それだけ複雑な状況の上に成り立つものであり、学びとは「話せば分かる」といった単純なものではないということであろう。もしかしたら、授業リフレクションを知る前の「わたし」は、誰でも上手くいく授業、教材を開発することを目指していたのかもしれない。しかし、本当に必要なのは、目の前の子どもの事実を「ていねい」にとらえることであり、そのことによって、事前の計画を柔軟に修正することができる教師の力量であると考える。そのための「授業リフレクション」なのである。
2013.01.23
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最近、このblogで紹介した記事の中に「授業リフレクション」に触れてものがいくつかある。今年の研究の視点にも、一番目に「リフレクション」を明記している。私がこの授業リフレクションを知ったのは、今から7年前、秋田喜代美先生(東京大学)の研究室を訪ね、佐藤学先生(学習院大学、当時、東京大学)が参加される研究会に参加するようになってからである。研究授業の事後研そのものが授業リフレクションになっていることに驚いたことを覚えている。また、実際に授業後にリフレクションをするようになったのは、鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)に何度か授業を観てもらい、いっしょに振り返りをしていただいてからであるから、ちょうど6年前である。(そのときのことは、このblogの「小さな出来事に学び続けること」に書いた。)それから私の研究の中心が授業リフレクションになっていた。いろいろな論文や雑誌の原稿にも、必ず位置づけるようにしてきた。本校のHPでダウンロードできる「子どもの『論理』を見取り、言語活動を評価する」には、次のように書いている。・・・・・3「論理科」の評価で大切にすること 本校の「論理科」では、授業中・授業後において、次のことを大切にしています。授業中は、なるべくゆっくりと発言することを促し、最後までしっかりと聴く。発言の内容だけ板書するのではなく、指示語や接続語、文章表現として使われる「ことば」も取り上げ、「語り」そのものを可視化するようにしています。また授業後は、ノートやワークシートなど、子どもが記述したものを読み返すとともに、ビデオを使って複数の教師で授業リフレクションを行っています。リフレクションとは「ふり返り」のことですが、発言の良し悪しだけでなく、一つ一つの発言をきちんと意味付けながら、次の授業につながる課題を明らかにするものです。この授業リフレクションの中で、「ここまでできていたのに」「こんなところでつまずいていたのか」「こんなおもしろい考え方をしていたのか」というたくさんの驚きや発見が生まれています。このことは、「論理科」のみならず、全ての教科等で言語活動を評価し、充実させることにつながっていると考えています。・・・・・このことは、昨年の研究発表会の全体発表の最後にも「子どもの姿に学び続ける『成長する』教師に」と主張している。また、授業リフレクションに取り組みはじめた当時、このblogでは、次のように書いている。・・・・・今回、「授業リフレクション」に取り組んだ。もちろん、これまでもビデオを見て振り返ることはあったのだが、その「目的」が異なる。鹿毛先生の「リフレクションシート」の説明を後回しにしているのだが、この「授業リフレクション」について、千々布敏弥氏(国立教育政策研究所)の「日本の教師再生戦略」の中に分かりやすい記述があったので紹介する。 ・・・・・ 静岡大学教育学部附属浜松小学校では、授業のビデオ記録を活用した授業の振り返り(リフレクション)を実践している。授業者は授業のビデオ記録を視聴しながら、自分で気になる場面があったらその場をストップし、そのときの自分の考えや感情、とった行為を説明する。事後的な反省ではなく、その場での自分の内面に忠実に報告する。 授業の振り返りを行う際には、仲間を一人同伴させる。仲間は、授業者の説明を聞きながら、授業者が自分の内面に注意を向けるように促す。授業リフレクションの場合は、ビデオまたは音声テープで記録し、場合によっては文字記録に起こす。文字記録を作成する際には、自分が知覚した場面、その場における自分の解釈、感情、自分の判断、行為を分けて記述する。このような授業リフレクションを通じ、教師は子どもの見方を再構築し、さらには自分自身についての見方も再構築していく(藤岡 1999)。 ・・・・・つまり、授業リフレクションとは、「ああすればよかった」という単なる反省ではない。授業の中で、「子どもと教師が何を経験したのか」を忠実に明らかにしていくことであろう。そのことにより「子どもの見方」と「自分自身についての見方」を再構築することをめざすものである。・・・・・授業リフレクションは、方法ではない。「授業設計から授業デザインへの授業観を転換する」ことであり、「教師の成長を促すもの」であろう。(つづく)
2013.01.21
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今回は、「流水実験」を終えて、分かったことを話し合う。まず、実験の様子を撮った写真をノートに貼り、グループで話し合った。その後、学級全体で話し合う。TRくん「水が、小さな砂や小石を運んでいた。」ksさん「小石は途中で止まっていた。流水実験場AやBは流れが速くて、CとDは流れがゆるやかだからだと思う。」SJくん「土は、カーブの内側にたまっていて、外側はけずられていた。」MKくん「外側がけずられるのは、ボールを転がしたときと同じ。カーブでボールを転がすと外側にぶつかる。水も同じだと思う。」NGくん「体育祭の『台風の目』も同じだと思う。内側が遅くて外側が速い。」GTくん「まっすぐに進むところでは、真ん中がけずられていた。たぶん、真ん中が流れが速いんだと思う。」tmさん「流す水の量が多くて、水の流れが速いと、まっすぐでも両岸がけずれていた。」HNくん「けずられた土は、その下の水が広がっているところにたまっていた。」実験の中で、曲がったところの外側がけずられてどんどん崩れていたため、多くの子どもたちの印象に残ったのだろう。流れの速さにも着目しいることも分かり、「ボール」や「台風の目」の例えもおもしろい。また、カーブができることそのものに着目した子どももいた。JTくん「どのグループの川も、カーブができていた。」T 「実際の白川ではどうだったかな?」C 「実際の白川では、BとC地点の間にカーブが多い。」MRくん「実験で、ジョウロを変えるとき水が一気に流れて、もともとあったカーブの外側に新しい川ができた。その後、内側と中心に土がたまっていった。」anさん「白川のB地点でも、内側と真ん中に土がたまっていた。」話し合いの後半は、実際の白川と比較した発言が多くあった。esさん「実験では、Aが深く、河口付近が浅くなった。実際の白川と違うのはどうしてかなと思った。」KGくん「川幅が河口にいくにつれて広がっているのは、白川と同じ。」hmさん「実験のAにも大きな石が残っていた。これも白川と同じ。」MKくん「実験でAに大きな石が落ちて川がふさがって、水はその石を避けるように流れていた。」最後に、もう一度流水実験をすることを伝え、詳しく調べてみたいことを発表させた。HNくん「もっと水の量を増やしたらどうなるのか。」osさん「実験のとき水が流れる速さがよく分からなかったので、今日あった速いとかゆるやかとか本当にそうか調べてみたい。」IYくん「深さがどうなるかもう一度やってみたい。」shさん「もっと大きな石を置いたらどうなるのか。」子どもたちの問題意識もだんだんと焦点化され、授業デザインが動き出した。次時の流水実験に向け、いろいろな道具を準備する必要がありそうである。※ 今回の記録は、平成25年1月18日のものである。
2013.01.21
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前回のblogの続き。初等理科の原稿であるが、「5.終わりに」には、言語活動の評価について触れている。・・・・・4.学びの実際 ここでは、第12時と第13時を例にして述べる。第12次は食塩水を加熱し水を蒸発させて取り出した食塩を調べ、第13次では「とけた食塩はどうなったか」話し合わせた。(1)蒸発させたら入れた量より多くなった? 食塩と岩塩を砕いた粒の大きい塩(以下、「岩塩」)の重さを量り、水にとかす。 まず、食塩をとかしたものを加熱すると、子どもたちの予想とはちがったのだろうか、蒸発皿に表れた食塩に驚き、一人の子どもが次のように発言した。「水を蒸発させたら、最初に入れた食塩の量より多くなったような気がする。」 この発言をきっかけに、話し合いが進む。C1:なんで食塩は増えたんだろう。C2:増えるはずはないと思うから湿っていたからふくらんで増えたように見えたんじゃないかと思う。食塩がどんどん増えていったらおかしいと思う。C3:でも、理由は分からないけど最初に入れた食塩の量よりも多くなったような気がする。C4:食塩が増えるんだったら、最初に食塩を買って、水を蒸発させれば新しい塩が作れるということだから、その分食塩を買うお金は減る。そういうことはおかしいから、変わらないか減るかのどっちかだと思う。 実際、まだ取り出した食塩が湿っていたため、十分に乾燥させてから重さを量って調べることを確認し、続けて「岩塩」を水にとかしたものの加熱することにした。実験前、子どもたちは次のように発言した。C5:粒の小さい普通の食塩を蒸発させたときもともとの大きさよりも少し小さいような気がしたから粒の大きいのは出てこないんじゃないかな。C6:いや、ぼくの目では普通の食塩ももとの大きさに戻ったから、粒の大きい塩は、やっぱり粒の大きい塩に戻るんじゃないかと思う。 その後、「岩塩」をとかしたものを加熱し水を蒸発させる。C7:「岩塩」も量が増えた?C8:「岩塩」は、とけるときに砕けて量が多くなったんじゃないかな。C9:「岩塩」も砕いたら食塩みたいになるから、出てくる量は変わらないんじゃないかな。 水にとかす前の食塩と水を蒸発させて取り出した食塩の「量」や「粒の大きさ」の違い。このことが問題になったところで、授業(第12次)を終えた。(2)とかした食塩が集まってくる 次の授業(第13次)がはじまる前、子どもたちは食塩と「岩塩」の粒を指で触りながら観察していた。 授業がはじまり、まず、十分の乾燥させた食塩と「岩塩」の重さを調べる。前回の授業では「増えた」という子どももいたのだが、水にとかす前の重さと変わらないということを確認すると「やっぱり」と声を上げた。 続けて、「水の中に入れた食塩はどうなったのか」と問うと、子どもたちはいろいろな図を使いながら説明しはじめる。しかし、食塩の粒の大きさの違いを上手く説明することはできない様子である。そんな中、一人の子どもが次のように発言した。「本に書いてあったことで、やったことはないんですけど、自然に乾燥させたら、食塩が集まって出てくる食塩が大きくなると思う。」 そこで、他の子どもがもってきた食塩の大きな結晶を紹介する。夏休みの自由研究で、普通の食塩を水にとかして、時間をかけて水を蒸発させたものだと説明すると、子どもたちは驚きの声をあげた。 その後、一人の子どもが図を示しながら次のように自分の考えを説明する。「ビーカーの中に、前誰かが言っていたように水の分子があって、その水の分子と分子の間に食塩がはさまっているんじゃないかなって・・・。」 ここで、図に表されている二つの丸(水の分子と食塩)について確認し、「分子ってよく分からなけど水も粒だってことなの?」と問い返す。すると、次のように発言が続いた。 C10:分子って調べたんですけど、やっぱり最小の粒って書いてあったからめちゃめちゃ小さくて、粒では全然表せない人間では書けないような大きさだと思う。 C13:国語辞典で「とける」を調べたときに「液体の中に他の物質が混ざる」って書いてあっから、水の粒と食塩の粒が混ざるっていうことであってるんじゃないかな。 C14:食塩は水の粒の間にはさまってるだけだから、水が蒸発したら集まってきて目に見える大きさになるってことなの? このように、水を蒸発させるとけるときに小さな粒になってバラバラになっていた食塩が集まって大きな粒になって出てくることとともに、その粒の大きさについても理解を深めることができた。子どもたちは、目に見える事実と目に見えない水の中の現象を「ことば」でつないでいったのである。5.終わりに 今回の実践から、子どもたちの科学的な概念形成のために、考えを「ことば」にしたり話し合ったりする言語活動が必要だということともに、一つ一つの発言の「背景」や「意図」を考えながら評価することが重要だということを指摘することができる。子どもたちの「表現」は教師が一方的つくる基準で一律に評価できるものではない。つまり、「その子どもなりの表現の仕方」の裏には「その子どもなりのわかり方」があり、今後あたらたな評価規準が導入されるとき、子どもの声に耳を傾ける教師のあり方とその「聴き方」が問題になるといえるだろう。【引用文献】 内田伸子「ことばと学び~響きあい、通いあう中で」(1996)金子書房
2013.01.18
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このblogでも紹介した本年度取り組んだ「ものの溶け方」であるが、4年前にも実践し、その様子を初等理科教育(2011.1月号、特集「言語活動の『評価』」)に原稿を書いた。本年度の実践を振り返るために、ここで改めて紹介する。・・・・・「体験」と「思考」をつなぐ−5学年「もののとけ方」の実践から−1.理科学習と「ことば」 子どもたちは、授業の中で多くの「ことば」を発する。観察や実験の結果を根拠に論理的に述べられるものから、思考の途中で文脈のないつぶやきまでさまざまである。これらの「ことば」は、目に見える、または、目に見えない現象を表す言葉であり、子どもたちの自然に対する概念のあらわれである。そのため、授業の中で教師から一方的に示しても子どもたちは受け入れなかったり、同じ「ことば」を使ったとしても捉え方にずれが生じたりする。つまり、子どもたちの概念形成をめざすとき、教師は、この「ことば」に着目し子どもの既有の知識や概念を把握するとともに、「ことば」をきっかけにして子ども同士のかかわり合いを促していく必要がある。2.三つの「ことば」 授業の中で子どもが発する「ことば」は、次の三つに分類することができると考える。 1)自分なりに解釈するための「足場」や「きっかけ」になる「ことば」 2)他者に伝えるための「ことば」 3)自分の中の矛盾や不十分さに気づくための「ことば」 特に、3)の「自分の中の矛盾や不十分さに気づくための『ことば』」について、内田は次のように述べている。 ・・・・・ ことばによってつながりの悪いところに筋道をつけようとするうちに、無関係だったことが関係づけられ、因果的なつながりが明確にされていく。そうして、表現する前には気づかなかったことに気づいたとき、考えが深まったという実感が得られるのかもしれない。 ・・・・・ 「ことば」は、もともともっている知識や概念を再構成するための「道具」として機能するということであろう。つまり、「ことば」によって認知的葛藤が起こり、「ことば」によってその認知的葛藤が解消されるということである。 今回、子どもたちの科学的に概念形成をめざすために、授業中に発せられる「ことば」に着目しながら授業をデザインするとともに、これまでの私たちの授業づくりや評価について見直すことにする。3.授業リフレクションを中心にして 今回、5年の「もののとけ方」の単元において、子どもの「ことば」に着目し、こだわりやつまずきに寄り添いながら授業をデザインしていく。本実践では、「粒子モデル」を活用し、食塩がとける様子を図や言葉で表す活動を取り入れる。子どもたちは、目に見えない現象を、モデルを使って推論し、観察・実験結果に合うように説明することになる。 しかしながら、「ものが水に溶ける」ことは、目に見えない現象であり、捉え方にずれが生じたりすることもある。これまで以上に「溶けたものの重さは保存される」「溶けたものは取り出せる」などの「目の前の事実」から思考することを促す必要がある。 また、授業後には、授業ビデオともとに、リフレクションを行う。特に、次のような「ことば」(発言)を中心に、その意味を捉えるようにする。 ・ 思いがけない発言 ・ たどたどしい発言 このような発言は、子どもたちのこだわりやつまずき、そして、既有の知識や概念とのずれから生まれるものが多く、認知的葛藤が生まれるきっかけとなる可能性があると考える。そこで、授業後に授業ビデオをもとに教師が一つ一つの発言の「意図」と「背景」を考えながら聴くことにより、「どうしてこだわったのか」「なぜつまずいているのか」ということを理解していく。 なお、単元の指導計画(16時間取り扱い)は、次の通りである。 1)食塩が水にとける様子を観察する。(2時間) 2)水溶液の重さを調べる。(2時間) 3)水にとけるものの量を調べる。(5時間) 4)溶かしたものを取り出して調べる。(3時間) 5)水にとけた食塩について説明する。(4時間)(つづく)
2013.01.18
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前回のblogの続き。流水実験後、分かったことをノートに書いて授業を終える。子どもたちのノートには次のようなことが書かれていた。・上流は崩れやすいということが分かった。白川の上流にも土砂崩れが起こっているから、実験と自然の川は、そこの点で同じと思った。・B地点にあった河原と中州ができた。・川のはじめは山と山に挟まれていて、河原の方は広がっている。見学と同じみたいになってきた。・本当の川みたいに下流になるにつれて川幅が広くなっている。・白川と同じように川から海へと流れているように見えた。・白川と同じで水の流れは上流の方が早く、下流はゆっくりだった。・見学に行った実際の白川では、AよりC・D地点の方が深そうに見えたのに、実験ではA(水の流しはじめ地点)の方が深かったのはなぜ?・実験でも上流が流れが速かった。上流では、流れが速いのに石が大きいのはなぜか。これらは、実際の川と流水実験を比べて生まれた気付きであろう。見学したB地点で川が曲がったとことについても、次のように書いている。・急なカーブのところでは外側がけずられ、内側は土がたまっていた。・カーブの所は、外側が流れが速かった。「けずる」以外の働きについても気付きがあった。・最初は砂や小さな石を運んでいたけど、後から運ばなくなった。・下の方は、砂が積もっていた。中には、7月の洪水と関係づけているものもあった。(前時のMSくんの発言がきっかけになったのだろう。)・ジョウロを2つにして、流れをもっと強くしたい。・水の量が多くなると、けずられるのは大きくなる。・川の増水は、川が氾濫して岸に被害が出ることが分かった。また、どれだけ実際の川を意識しているのか分からないのだが、次のように「予想通りだった」というものもあった。・本当に上流ではけずられることが分かった。・予想通り、下流の方が浅かった。・上流はがけ、中流は曲り、下流は広く。どれだけ実感を伴った気付きなのか、少し心配になる・・・。※ 今回の記録は、平成25年1月16日のものである。
2013.01.17
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いよいよ流水実験である。駐車場のすみに土砂を積み上げてつくった「流水実験場」に水を流し、その水の流れや土砂の様子を観察する。本当に寒い日であったが、子どもたちは元気よく校舎を飛び出し、「流水実験場」の前に集まっていた。(おそらく、子どもたちは「川をつくる」と思っているのだろう。ただの水遊び、泥遊びと思っていなければいいのだが。)予定通り5ヶ所から水を流すことができ、子どもたちは交代でジョウロに水を汲みながら、おそるおそる実験を始める。水を流すと少しずつ土砂が削れ始める。しばらくすると溝が長くなり、子どもたちは「川ができた」と声を上げる。その後「山」の中盤を過ぎると、なかなか溝ができなくなり水は広がりはじめた。また、「川」が曲がるところも出てきて、その内側と外側の違いも観察することができた。実験も終わりに近づくと、元々の地面近くで水がたまっていた。子どもたちは「海ができた」と喜んでいた。今回もまた、寒い日であったが、夢中になって水を流しいろいろな発見があっただろう。(つづく)
2013.01.17
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今回は、「白川の見学」と「冬の自由研究」を終えて、分かったことや調べてみたいことを学級全体で話し合う。IYくん「MSくんが、教科書に載っている山をつくって水を流す実験をしたいと言ってたんだけど、その実験で何が分かるの?」MSくん「いろいろ分かると思うけど、7月に熊本が水害になってときのように、水の量を多くするとどうなるか調べてみたい。」ksさん「白川を見学したときA地点は、川はばが細くて、D地点になるまでだんだん太くなっていたけど、どうしてかなと思った。」MKくん「Aは浅く、河口になるにつれて深くなっているように見えた。実験でも同じようになるのか。」tmさん「上流と下流では、水の流れが違った。」smさん「上流と下流では、川幅が違うから、水が流れる速さが違うんだと思う。」tmさん「私は川幅と傾き?上流の方では急になっている。」hmさん「MSくんが川には60tもの水が流れ込むって調べていた。」TRくん「どうしたら三角州ができるのか調べてみたい。」MRくn「Bの川の曲がっているところで、内側と真ん中に土が積もっていたけど、どうして?」AKくん「どうしてAの石は大きくてBの石は小さかったのか。」NGくん「Cでは、石はなくなっていた。」最後に、次時は「流水実験」をすることを伝え、その方法を説明して授業を終えた。「水量」や「流れる速さ」と「川幅」「川の深さ」「石の大きさ」「土砂の堆積」。おおむねこの単元で学習すべきことには気付くことができているのだろう。しかしながら、まだまだ「原因」と「結果」が逆転している子どもがいることも分かる。今後(早急に)、どのように流水実験をさせるのか、どんな流水実験以外のモデル実験を取り入れるのか考える必要がある。※ 今回の記録は、平成25年1月15日のものである。
2013.01.16
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実際の川の観察とともに、今回の実践の中で中心になる実験が「流水実験」である。この実験は、どの教科書でも紹介されているのだが、土で坂をつくり、そこに水を流して流れの様子や働きを調べるものである。今回、2t車2台分の山砂を学校の駐車場のすみに運び込み、この「流水実験場」をつくる。4年前にも山砂を入れ山らしい形にしてたのだが、今回、夏のPTA作業のとき運動場の側溝にたまっていた砂も入れてもらい、何とか一度に5カ所で実験することができるようになった。(4年前の実践後は、毎年計画的に「拡張」していこうと思っていたのだが・・・。)寒い中での3時間ほどの作業。このような環境を常に整備しておくのも理科教師の仕事であることを改めて痛感する。10グループが一度に実験できるよう、来年から計画的に整備・拡張していこう。
2013.01.16
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実際の白川見学後に取り組んだ「冬の自由研究」。子どもたちは、見学の中でもった疑問から、いろいろなことを調べてきていた。(発表の様子や話し合った内容は以前このblogで紹介している。)まず、12月の見学で観察しなかった白川の他の地点について調べたもの。白川が熊本市を横断しているため、家の近くの川の様子を調べている。また、白川と違う川を調べたもの。冬休み中に家の人と出かけて、上流から下流まで調べたものもあった。中には、12月の見学で十分に観察できなかった上流と下流の石の様子の違いを調べたものもあった。本当に寒い中での調べ学習であっただろう。しかし、その中での気付きが、学びを生む「きっかけ」になることが楽しみである。
2013.01.16
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前回のblogの続き。・・・・・2 研究の視点 (1) 子どもの事実と教師の「ねがい」から学びをスタートさせるためのリフレクション (2)「対話」を生み,モデルの探究を促すための課題設定 (3)「ことば」をとらえ,論理的な思考を促すための教師のはたらきかけ3 具体的な取り組み(1) 子どもの事実と教師の「ねがい」から学びをスタートさせるためのリフレクション 一人一人の自然に対する見方や考え方を再構成させためには,子どもたちがもともともっている見方や考え方を教師が把握することが必要である。そこで,次のように単元及び,授業を計画する。 1) 特徴的な発言や思考の仕方をする2,3人の子どもを抽出する。 2) 子どもの発言や行動を授業記録で振り返り,どのような見方や考え方をもつのか想定する。 3) 予定していた課題や教材,活動内容などを修正する。 つまり,日頃の授業をリフレションする中で,子どもの事実から教師の「ねがい」の質を高めるのである。このことが,子どもたちの学びをスタートさせることにつながると考える。(2)「対話」を生み,モデルの探究を促すための課題設定 子どもたち同士の「対話」を生むために,次のような視点で課題設定を行う。 ・ 考えの違いから葛藤が生まれるもの ・ 容易に解明することができないもの ・ 表現する必然性があるもの このことは,図と「ことば」を使った説明を促し,自分なりのモデルをつくることを意識させることにつながる。また,粒や矢印など図にかかれたものが何を表しているのかを具体的に説明させることにより,モデルとしての違いをより明確にすることができる。このことにより,根拠である観察・実験の結果とのつながりを検討しながら合理的なモデルを探究することを促し,見方や考え方を変容させることにつながると考える。(3)「ことば」をとらえ,論理的な思考を促すための教師のはたらきかけ 子どもたちが合理的なモデルを探究するためには,次の4点に留意し教師のはたらきかけを行う。 ・ 小集団を中心にかかわり合いの場を組織すること ・ 板書を工夫し,子どもたちの「語り」を可視化すること ・ 子どもの「ことば」や解釈をきっかけにして,事実に「もどす」こと ・ 授業の前半と後半に自分の考えを書く場を設定し,振り返りを促すこと 特に,本年度は,直感的・断片的な「ことば」にも着目し,モデルとの関係を明らかにしていく。4 成果と課題 本年度は,子どもたちにモデルの探究を促すとともに,そのことと「ことば」との関係を明らかにすることを試みた。その中で,つながりを意識する論理的な「ことば」だけでなく,観察・実験の中で生まれる直感的・断片的な「ことば」が,事実にもどし,モデルをつくり替えることのきっかけになることが分かってきた。今後,授業中の「教師の聴き方・もどし方」をより具体的にしていく必要がある。 ・・・・・モデルをつくるために必要な「論理的な『ことば』」と、そのモデルを見直す「きっかけ」になる「直感的・断片的な『ことば』」。その関係を、次のような図で表してみた。多様で「多元的」な「ことば」が紡ぎあう中で、実感のある学びが促されるのだろう。2月15日(金)の研究発表会まで、あと1ヶ月。子どもたちの「ことば」を大切にながら授業づくりに取り組んでいけたらと思う。
2013.01.15
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2月15日(金)の研究発表会に向け、いろいろな準備を進める。その一つに「研究紀要を仕上げる」ことがある。もちろん、「研究紀要をまとめる」ことが一番の目的になってしまうと本末転倒なのだが、研究発表会に向けて「前に前に」となりがちなときに、いったん立ち止まって自分の実践を振り返るきっかけにはなる。その中で、私たちが「教科理論」と呼んでいるものがある。これは、私たちが何か新しいものを創りだしたというものではなく、教科のテーマを設定した理由を明らかにし、この1年間の具体的な取り組みを示すものである。今回、その「教科理論」を紹介する。なお、教科テーマは「みんなで『きまり』を創りだす理科学習」である。・・・・・1 研究主題について(1) 求められる理科学習 今年(2012)の全国学力・学習状況調査では,初めて理科の調査が実施されたが,その結果から,次の二つの課題があることが明らかになった。 ・ 観察・実験の結果を整理し考察すること ・ 科学的な言葉や概念を利用して考えたり説明したりすること このことから,これまでの理科学習の問題点として,次の二つのことを指摘することができる。 ・ 複雑な状況における事象を検討し科学的に説明することが少なかったこと ・ 観察・実験の結果から考察し結論を導き出す過程を重視してこなかったこと つまり,これからの理科学習においては,獲得した知識を活用しながら,自然の「きまり」をねばり強く探究し説明するという,子どもの「自分事」の活動を創造していくことが求められている。(2)「みんなで『きまり』を創りだす」とは 「『きまり』を創りだす」とは,子どもたちのもっている自然に対する見方や考え方を再構成し,科学的なものに変容させていくことであり,そのためには,他者とのかかわり合いが必要である。なぜなら,子どもたちは,これまでの日常的な経験から自然に対する自分なりの見方や考え方をもっていて,接する自然の事象に対して,客観性のない理解をしたり,独りよがりの納得をしたりしてしまうからである。 このかかわり合いの中で,一人の子どものこだわりやつまずきが,他の子どもたちの見方や考え方を変容させるきっかけになることがある。それは,このこだわりやつまずきが,ある特定の状況における理解の困難さや,他の視点から理解しようとするときに生じたものが多く,他の子どもたちに「わかったつもり」になっていることを気付かせることができるからである。 このように,自然に対する見方や考え方を科学的なものに再構成させるためには,新たな見方や考え方を知り,自分の見方や考え方を振り返り関係付けていくことが必要である。つまり,みんなとのかかわり合いの中で,見方や考え方を科学的なものに変容させていくことができるのである。(3) 昨年度の研究から 昨年度は,考察場面において図を使った説明を促すことにより,同じ「ことば」を使った説明であっても,見方や考え方の違いを明らかにすることができた。しかしながら,その違いを子どもたちに意識させ,よりよい説明を探究することを促すことは十分ではなかった。また,ある程度筋の通った説明がされたとき,理由付けに飛躍があったり,裏付けが十分でなかったりしても容易に納得してしまうことも多くもあった。 そこで,本年度は,課題設定のあり方を見直し,学習活動の中でモデルの探究を明確に位置付ける。また,その中で,論理的な「ことば」だけでなく,直感的・断片的な「ことば」を大切にするとともに,子どもたちがつくり更新するモデルとの関係を明らかにしていく。(続く)
2013.01.15
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このblogでも何度か紹介したが、本校が昨年の2月に出版した「『対話』で広がる子どもの学び〜授業で論理力を育てる試み」が、なんとか重版になりそうである。丸一年をかけてのことではあるが、少しずつではあるが、文科省の研究開発学校の指定を受けていたときの取り組みが評価されているということだろう。文科省の指定を延長しないと決まってからあわてて作りはじめた本であるが、改めて目次をみてみると、構成がしっかりしていることに、我ながら感心する。もちろん、内田伸子先生、鹿毛雅治先生、河野順子先生の原稿が大きなポイントになっているのだが。・・・・・はじめに第1章 ことばの力に培う「みんなで伸びる授業デザイン」―豊かな対話を育む「論理科」カリキュラムの開発と実践―/内田 伸子 はじめに 1.考える力が低下した背景 2.言語力育成への取り組み 3.「論理科」カリキュラムの開発と実践 おわりに第2章 豊かな対話を育む「論理科」のスタート 1.新教科「論理科」をつくる 2.「論理科」で大切にすること 3.「論理科」で広がる子どもの学び 4.「論理科」をめぐる5つのQ&A第3章 対話をつくる授業の実際1.授業づくりのポイント:じっくりと「語る」 1年論理科 実践例1「じてんしゃとさんりんしゃをくらべよう」 三輪車は赤ちゃんにとっての自転車なんだ! 2年論理科 実践例2「素早く準備しよう」 どんな順序で配るといいのかな? 3年論理科 実践例3「あなただったら,どちらを選ぶ?」 全国版なのに熊本弁? 3年社会科 実践例4「熊本市のステキ発見」 「ニセモノ」だけど「偽物」じゃない 5年国語科 実践例5「サクラソウとトラマルハナバチ」 なぜ,筆者は時間の順序で述べないのだろう?2.授業づくりのポイント:じっくりと「みる」 3年論理科 実践例1「動植物園に行こう」 どっちがおすすめ,路面電車とタクシー 3年論理科 実践例2「ポスターのひみつを探ろう!」 どうして砂時計なのだろう 5年論理科 実践例3「発見!ネックスプリングのコツ」 なぜ高く跳べるの 2年音楽科 実践例4 「ラップでつくろう,わたしの音楽」 間に音を入れると「あきない」! 6年算数科 実践例5「分数のわり算」 「4」って何だろう?3.授業づくりのポイント:「対話」をつくる 5年論理科 実践例1「観光ポスターの秘密を探れ!」 「Musashi」版ポスターがつくられた意図は? 4年論理科 実践例2「語り合おう,わたしたちのくらし」 環境のためにリサイクルしてはいけないって本当? 5年論理科 実践例3「国際社会の中で活躍するために」 社内公用語を「英語」に? 1年体育科 実践例4「玉合戦(ボールゲーム)」 ちょっとだけ動いた,その隙に 3年算数科 実践例5「かけ算の筆算」 かけるってどんなこと?第4章 「対話」で広がる子どもの学び―「論理科」の可能性と展望―「対話」による論理的コミュニケーション能力の育成/河野 順子 1.「論理科」カリキュラムの提案 2.「論理科」の学びの分析 3.教科の学びと「論理科」の学びの連関論理をつむぎだす授業/鹿毛 雅治 1.「論理」が理解とコミュニケーションを促す 2.授業プロセスに埋め込まれた論理 3.「論理をつむぎだす授業」へおわりに執筆者,及び,研究同人・・・・・2月15日(金)の研究発表会では、この成果が教科等の授業に生かされているか試されるということである。まずは、私自身が「しっかりと語ることかできるか」ということが問題なのだが・・・。
2013.01.11
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冬休み中に取り組んだ「冬の自由研究」。冬休みが終わり、子どもたちは調べたことをゴッホ画用紙(熊本の方言かもしれないが、B3サイズの画用紙)にまとめてきていた。グループで発表し合った後、分かったことや不思議に思ったことを話し合う。その後、学級全体で話し合うつもりだったのだが、時間がなくノートに「白川見学と冬の自由研究を終えて、これから学習したいこと」を書いて授業を終える。ノートには、次のような「おもしろい疑問」が書かれていた。・なぜ上流の流れが速いのか。・上流と中流に同じくらいの大きさの石があったのはなぜ?・どうして上流と下流では流れがちがうのか。・なぜ河口になるにつれて川幅が広くなるのか。・河口は深く見えるのに、案外浅いのはなぜか。・どうして上流と下流で石の大きさがちがうのか。・同じ上流なのに、なぜ水の流れる速さがちがうとことがあるのか。・浸食、運搬、堆積は、どういうときに、どのように起こるのか。・上流では、浸食はたくさん働くのに、岩は大きいのか。これまで、授業の中で「上流・中流・下流」はもちろんのこと「浸食・運搬・堆積」について一切話をしていないのだが、多くの子どもたちがこれらの「ことば」を使っているということは、おそらく塾で習ったり、冬の自由研究で調べたりしたのだろう。「分かったこと」として、次のようなことも子どものノートには書かれていた。「水源に近づくにつれて、水の勢いは強くなる。」今後、しっかりと子どもたちが「わかり直し」することができる授業をデザインしていく必要があるということであろう。※ 今回の記録は、平成25年1月9日のものである。
2013.01.10
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今回は、白川の見学で気づいたことを、そのときのメモをもとにまとめた。まず、見学中に撮影した見学地点毎の写真をノートに貼り、その写真に直接印などをつけながら書き込んでいく。その後、「川はば」「川岸の様子」「岩・石の大きさや形」などの観点ごとに表にまとめる。子どもたちのノートには次のようなことが書かれていた。【(A)南阿蘇立野】・ゴツゴツして大きな岩がたくさんあった。川をふさいでしまうくらいの大きさだった。・両側が崖になっていて、土砂崩れしているところがあった。V字形になっている。・山に囲まれている。・水がはやく流れているように見えた。・水の量は少なく、川はばは狭い。・岩に当たって水しぶきが上がっていて、水が流れる音が聞こえた。・川は浅いように見えた【(B)菊陽町戸次】・大きい岩が少なく、ほとんどの石が丸みを帯びていた。・(A)と比べて川はばが広く、流れはゆるやかだった。・カーブの内側に石が積もっていた。外側は崖だった。・中心に土や砂がたまってできた陸があった。・カーズの外側の水の色が濃い緑色になっていて、深いのが分かった。・外側の方が、水の流れが速く見えた。・(A)にはなかった河原があった。【(C)熊本市小島】・石は見当たらない。泥や砂が岸にあった。足で踏むと柔らかかった。・一番川はばが広く、水の流れは遅い。風で逆流してるように見えた。・広い河原がある。【(D)河口】・石がなかった。・水が濃い緑色でとても深いと思われる。・どこからが海か分からないぐらい川はばが広い。やはり、実際に自分の目で見ることによって気づくことも多い。明日は、2学期の終業式である。子どもたちに家の近くの川を調べる「冬の自由研究」を宿題にし、授業を終えた。※ 今回の記録は、平成24年12月19日のものである。
2013.01.10
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ちょうど一年前、東京の学術総合センターで開催された「第8回研究開発学校フォーラム」で、3年間の「論理科」カリキュラム開発の取り組みについて報告した。なお、そのときの報告書(要約)と発表資料は、本校(熊本大学教育学部附属小学校)のHPでダウンロードできる。午前中は、「論理的思考力・言語教育」の分科会で研究発表する。その中で、評価者の3名の先生方から、次のような講評をいただいた。・・・・・・ 最初「論理科」と聞いたとき、「小学校で論理科なんて本当に上手くいくのか」と思ったが、中身がきちんとしていて、成功していることに驚いた。成果がかなり出てるなと思った。ただ、一般の学校で行うことを想定すると、論理科を特設すること意義はどうかと思う。論理科とは、いわば方法の科である。方法だけで子どもたちに教えられるのか疑問である。方法を主体に科目を組むということは、かなり高度で、レベルの高い子どもたちと先生たちがいないとできないと思う。一般的な科目として論理科をつくって、学習指導要領をつくって全国の学校でやってくださいといったときに、やれないだろうなと。実績としては大変おもしろくて成功していると思うのだが。むしろ、各教科等で言語力を大切にする授業を開発して、総合学習で集約するのと考えた方が安全のような気がする。論理科で突き進むことができるというのは、その学校の力量がそこまできたということだろう。・ 論理力というときに、熊大附小の「対話の中で論理を育てる、語りの中で論理を築いていく、論理は個人の内部でつくるものではなく対話の中で築いていく」という視点がとても大事だと思う。現在、風評被害などが問題になっており、常識を疑うとか、「本当にそうなのか」という疑いの目をもって 問い直すことが、これまでの義務教育の中で非常に弱かったのではないか。そういうものに切り込んだものだと思い、意欲的なものを感じる。ただ、実際に一般の学校に広めていくというとき、いろいろな方法で効果を測定する必要があるということだろう。・ 私もトゥルミンモデルに関心がある。先生が話されたように「子どもは本来論理的」であり、確かに小さな子どもでも「だって」「でも」と自分の正当性を伝えようとする。そして、その磨きをかけるために全教科で個別にやるより、全教科から論理を抜き出して、方法を中心にしたというのはよく分かる。非常に効果的にはたらけば上手くいくと思う。「芸術」「くらし」「科学」の3領域に分けられているが、トゥルミンの図式的に考え、その根拠は何か。おそらく、「芸術」はハーバーマスの主観的世界と、「くらし」は社会的世界と、「科学」は心理的客観世界で、それぞれの世界においてコミュニケーションを行ったときの妥当性を何にもっていくかということだろう。そのとき、小学校段階で理由の裏付けはどこまで可能かということは疑問が残る。妥当性の中の真理性か正当性かという部分を、やはり中学校高等学校で磨きをかけていく基礎として、これをどう考えるのかということを検討していただきたい。・・・・・考えや考え方の妥当性を、それぞれの教科等や領域でどのように問うていくのか。どこまで理由の裏づけを検討することが可能なのか。まさに今と取り組んでいる課題である。(おそらくハーバーマスも読む必要があるのだろう。しかし、私に理解できるのかどうか・・・。)また、午後はポスターセッションであった。100部ほど準備していた資料が、あっという間になくなり、予想以上の質問に昼食を取る時間もなかった。それだけ注目されていた(注目されている)ということであろう。本年度も、研究開発学校の延長指定を受けている。2月15日(金)には、この1年の研究の成果を、理科の授業で報告できればと思う。
2013.01.09
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2013.01.05のblog『流れる水の働き~「上流と下流」とは~「ねがい」』に、次にように書いた。・・・・・これまで以上に「目の前の事実」から思考することを促すとともに、川の様子と流れる水のはたらきを関係付けることができるような工夫も必要がある。さらには、その事実の一つとして、昨年7月白川を中心に起こった水害も積極的に取り上げていきたいと思う。・・・・・実際、4年前に見学に行ったときと比べ、その様子は大きく変わっていて、見学場所を変更しなければならなかった。特に、南阿蘇村立野では、4年前は立野ダムの工事用道路を使って川のすぐそばまで降りることでき、川岸にはコンクリートの歩道があった。しかし、今回は、その歩道もけずられ、近くにあった橋も流されていて、子どもたちの見学を断念した。4年前(2008.10)の様子今回(2012.12)の様子コンクリートがけずられ大きな石が流されていることとともに、多量の土砂が積もっていることに驚く。おそらく、これから長い年月をかけて流され、大きな石だけが残っていくのだろう。今回ほどの水害は、私たちにとっては初めての経験であり、何十年、何百年に一度のことだろうが、このようなことが長い自然の流れの中で繰り返されてきたのである。このことを、今回の実践でどこまで子どもたちに実感のある理解を促すことができるのだろうか。
2013.01.08
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寒さのおかげで、12時30分には昼食場所の運動公園を出発した。1時間ほどかけて、白川の下流域である熊本市小島(C)まで移動する。河川敷にバスを止め、そこから見学する。子どもたちは、それまでに見学した立野や菊陽町との川幅の違いに驚きの声を上げていた。残念ながら、満潮時刻に近かったため、石や土砂の様子は十分に観察することはできなかったが、大きな石がなく、粘土質の土しか見られないことは何とか確認することができた。昼食時間が短かく時間に余裕ができたため、熊本市沖新町の西部浄化センターまで移動し、河口(D)を観察する。河口の見学後、バスにもどる途中に「どのくらい川幅があるのか」が話題になり、200mを超えることを伝えると、子どもたちは次のように話し合ってた。smさん「水にはけずる力があるから、長い距離を流れているうちに勢いがついたんだと思う。」ynさん「そうだね。たくさん水があるもんね。」「上流から河口までの距離が長い」「下流は水の量が多い」など、見ている事実は同じなのだが・・・。やはり、複数の事実を関連付けるとともに、流れる水の働きを「わかり直す」ことができる授業デザインが必要である。今回も、「けずる」という「ことば」がキーワードになりそうである。※ 今回の記録は、平成24年12月18日のものである。
2013.01.07
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南阿蘇村立野での見学の途中、小雨が降りはじめたので慌ててバスにもどり、10時40分にバスで出発。大津に近づくにつれて雨も止み、一安心する。次の見学地点は、菊陽町戸次(B)。空港から大津に向かう道の途中の空港大橋の上から見学する。ここでは、川がカーブしている様子を観察する。カーブの内側には、石や土砂が積もっている様子が分かる。遠くからではあるが、石の大きさや角が取れていることも見ることができた。また、カーブの外側は、川岸が崖になっているとともに、水の色が変わっていて、水深が深いことが分かる。その後バスで移動し、12時頃に運動公園に到着。昼食を取る。ゆっくりと公園で弁当を食べるつもりだったのだが、あまりの寒さに、バスの中で済ませることになった・・・。(続く)※ 今回の記録は、平成24年12月18日のものである。
2013.01.06
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今回は、バス(今回は大学のバスを使う)で白川の見学に出かける。何とか雨は降っていないものの、ものすごく寒い・・・。8時40分に学校を出発し、途中、大津の道の駅でトイレ休憩をし、南阿蘇村の立野に到着したのは10時ちょうど。まず、白川と黒川の合流地点上に架かる阿蘇長陽大橋の横の展望所から、白川を見学する。ここでは、両岸の切り立った崖と川を遮るようにある大きな岩を観察することができる。次に、道路反対側の展望所から黒川を見学する。ここでは、柱状節理も見ることができるのだが、その奥に、7月の水害による崖崩れを観察することができた。最後に、阿蘇長陽大橋を渡りながら、白川と黒川の合流地点を見学する。ただし、途中で小雨が降りはじめ、駆け足での見学になってしまった。川の近くには、キャンプ場もあったのだが、7月の水害で、下に降りる道路は全て流されていた。(続く)※ 今回の記録は、平成24年12月18日のものである。
2013.01.06
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今回の実践は、白川の見学から学習スタートさせる。白川とは、熊本県の北部を流れる一級河川であり、熊本市市街部を南北に分けて貫流している。今回観察するポイントは、一般的な上流の様子を示す南阿蘇立野(A)、中流の様子を示す菊陽町戸次(B)、下流の様子を示す熊本市小島(C)、そして、河口(D)である。そこで、見学の事前指導を兼ねて、グループごとに地形図を渡し、白川を青色でぬらせた。その後、地形図の白川を見て、気づいたことをノートに書かせる。すると、子どもたちは次のように書いていた。・河口に近くなるにつれて川の幅が広くなっている。・菊陽町(B)から小島(C)にかけて川が曲がっているところが多い。・川は、いろんな方向に曲がっている。・小島(C)付近から河口(D)に川は真っすくに流れている。・山や丘を避けて流れている。・菊陽町(B)から河口(D)にかけて、川の中に島みたいなものがある。・川は、山から海に向けて流れている。・白川は、広い範囲で長い距離を流れている。・菊陽町(B)から小島(C)の間のぐにゃぐにゃ曲がっているとことで水害が起きた。これらのことは、子どもたちにとって、そのまま疑問なのだろう。「どうして、川の幅が変わるの?」「どうしてこのあたりはよく曲がっているのか?」などグループで話し合う姿が見られた。おおむね、観察の視点をもたせることができたのだろう。いよいよ来週、見学に出かける。地形図では分からない、実際の川でのたくさんの発見があるであろう。※ 今回の記録は、平成24年12月14日のものである。
2013.01.06
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2月15日(金)の研究発表会に向けて指導案を書く。実践する単元は、5年「流れる水の働き」である。今回、熊本市を流れる白川の上流から下流まで実際に見学し、単元を通して「上流と下流の様子が違う理由」を追究する。4年前に5年生を担任していたときも同じように白川の上流と下流の様子の違いを追究したのだが、その中で次のような子どもの姿があった。それは、それまでに土を盛って水を流す「流水実験」の中で、流れる水の三つの働き「けずる働き」「運ぶ働き」「積もらせる働き」を見出した後、「観察した場所の石の大きさや形が違う」の理由を考える場面であるが、その中でmyさんが自分の考えをノートに書きながら考え込んでいた。はじめは、「上流にあった石が川の働きで運ばれながらけずられていった」と書いていたのだが、途中で、ノートの前のページを何度も見直し、筆が止まってしまう。しばらくすると、大きくバツを書き、はじめから書き直す。ノートには「上流の方が流れが速くてけずる働きも大きいはずだからおかしい」と書かれていた。前時では、雨樋の傾きを変えて水を流す実験を行っている。傾きが急なときには流れが速くなり、ゆるやかなときには流れが遅くなるということを確かめていたのである。このように、本実践で取り上げる「川の上流と下流の違い」は、長い時間をかけて起きた現象であり、教師から一方的に説明しても子どもたちは受け入れなかったり、とらえ方にずれが生じたりすることがある。これまで以上に「目の前の事実」から思考することを促すとともに、川の様子と流れる水のはたらきを関係付けることができるような工夫も必要がある。さらには、その事実の一つとして、昨年7月白川を中心に起こった水害も積極的に取り上げていきたいと思う。また、子どもたちは、「聴く-語る」という他者とのかかわり合いの中で「ことば」を使って推論したり、自分の考えを見直したりすることができるようになっている。この「ことば」を大切にするとともに、事実と関係付けながら思考できるような教師のはたらきかけを行うことにより、一人一人の子どもたちの見方や考え方をより科学的なものに変容させていきたい。
2013.01.05
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2月15日(金)の本校(熊本大学教育学部附属小学校)の研究発表会で、4年ぶりに私も授業を公開する。この冬休みの間に、その指導案を作成するためにパソコンのデータを整理したのだが、以前のいろいろな資料が出てきた。その中に、平成19年3月に開催された日本学術会議主催公開講演会「知識社会における教師の科学的教養と教員養成」におけて内田伸子先生(筑波大学監事、当時お茶の水女子大学副学長)が提案された資料があり、改めて読む。『生活概念から科学的概念へ「-高い専門性と子どもの認知的葛藤を洞察する力-』というタイトルであるが、その後半に次のように私の授業が紹介されている。・・・・・8.「知の受容者」から「自立した知の探求者」へ 6年生の理科は原口淳一教諭は「語り合おう、わたしたちの環境」というテーマで、バランストアクアリウムをつくり自分たちの生活環境を見直すテーマに取り組んでいた。なぜビンの水を取り替えなくても水が澄んでいて魚が生きられるのかという問いのもと、水中の二酸化炭素の変化が視覚的にわかりやすくなるようパワーポイントを使って子どもたちは説明した。アクアリウムの中にバクテリアがいることを前の時間に理解した子どもたちは、バクテリアの働きについて調べ学習をしてきた。 公開研究会の時間には、バクテリアが入ったビーカーと入らないビーカーの水の色を見比べ、試験紙を使って酸性度を検査した。全体会で、バクテリアの働きを討論しているとき、ある女児が「どうしてもわからないことがあるんだけど。インターネットで調べていたら、アンモニアが硝酸を経て硝酸塩になるって書いてあった。硝酸塩はどんなものでどんなことしているのかわからない」と発言し、硝酸塩に拘っていた。 そこで教師はパワーポイントの水中の図を提示した。「硝酸塩」が水草の根の方向に矢印が描かれている画面を見せながら、「矢印をみてごらん」とヒントを出した。 子どもたちは、「根の方に向かっているから、水草に吸収されているのかな」「毒じゃないのかな」「無害なのかな」「栄養じゃない?」「水草の肥料なのかもしれない。」と口々に仮説を述べ始めた。こうして女児の硝酸塩の働きについての拘りに端を発した疑問は、バクテリアを魚が出す排泄物や食べ物の残り粕から作られるアンモニアを分解して、硝酸塩という無害の、水草にとって栄養になる物質へと変えてしまうのではないかという仮説に収束していった。 子どもたちは、「分解」の科学的な理解にはまだ到達していないとしても、バランストアクアリウムの生態系の連鎖システムをダイナミックな相互作用として捉えられるようになった。すなわち、バクテリアが魚の排泄物の有害なアンモニアを水草の栄養になる硝酸塩に変え、硝酸塩を栄養にして水草が成長する。水草は光合成をして酸素をつくりだし、水を浄化するという生態系の連鎖を理解したのである。どの子も「自立した探求者」として協働し創造的な学びをつくりだすのに貢献した。この授業は、理科室の黒板の上の壁に書かれた『みんなできまりを創りだす』という標語通りの素晴らしい展開であった。 岩永聡教諭や原口淳一教諭は、「ちょっと気になる子ども、成績がよくない子どもの拘りやつまづきに、次のステップに進むためのヒントが隠れていることが多い。だから、授業では成績のよい子どもよりも、ちょっと気になる子どもや理解が遅い子どもに注意を払い、彼らの拘りやつまづきの原因を洞察するようにしている」と述べている。原口教諭の授業の終わりに、硝酸塩に拘って、なかなか先に進めなかった女児が、「わたし、授業をかきまぜちゃったかな?」と悲しそうに友だちに語りかけた。すると、その友だちは、「あなたは“なぜ”を大切にしたからとってもよかったよ」と励ましたのである。教師の日頃の子どもたちに対する姿勢、子ども一人ひとりを大切にし、拘りやつまづきを見逃さない姿勢は子どもたちにもしっかり伝わっていることを窺わせる会話であった。 公開授業というと、ともすれば教師にとって都合のいい発言だけをとりあげ自分の目標計画、指導案にはめていく。しかし熊大附属小では違っていた。教師たちが取り上げる発言は優等生のものばかりではない。気になる子どもの発言は教師にとっても手に負えないこともあるに違いない。しかし、あえて取り上げる。「わかり直し」をさせるために子どもたちに「もどす」ようにしている。学びのリフレクションがいたるところで見られるのである。わかったつもりになっていても、このわかり直しの作業の中で子どもたちは自立的に探求する。子ども自身の探求心に導かれて、バラバラの知識がつながり、規則や仕組み、意味が了解されていくのである。こうして、小学校段階から、優れた教師に導かれ、支援されて、「自立した探求者」が育っていくのである。おわりに 教師は、子どもがつまづき、認知的葛藤を体験している、まさにその「瞬間」に子どもの内面を洞察し、子どもが伸びる「瞬間」を見逃さない。答えを全部あからさまにするのではなく、子どもに疑問を返し、わかり直しをさせる。子どもの反応への即妙な対応は、高い専門的知識に裏打ちされ、子どもの内面に起こる認知的葛藤を見抜き、葛藤を解消する手立てを与えることのできる「教育力」なしには実現されないのである。 (略)・・・・・「教師たちが取り上げる発言は優等生のものばかりではない。気になる子どもの発言は教師にとっても手に負えないこともあるに違いない。しかし、あえて取り上げる。『わかり直し』をさせるために子どもたちに『もどす』ようにしている。」 当時の「私」は、このことの重要性にどれだけ気づいていたのだろうか。(今振り返ると、内田先生に見ていただいた授業がたまたまそうであったのではないかとも思えてくる。実際、この後から「私」は授業リフレクションの取り組み始めている。)しかしながら、このことが私の授業の原点である。今年も、「見栄えのよい授業」ではなく、子ども一人一人に学びの起こる「しっとりとした授業」を目指していきたい。
2013.01.04
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