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2011.06.16
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カテゴリ: 戦争映画
東京大空襲・ガラスのうさぎ.jpg


太平洋戦争末期の1945年3月10日、
米軍は本土決戦を目前に日本の首都
東京に対する焼夷弾を用いた大規模爆撃を行った
それが「東京大空襲」である。

日本映画界は1979年、戦争で家族を失った
高木敏子の経験を元に執筆された小説を
映画化したのが「ガラスのうさぎ」である。

昭和十九年、敗戦色が濃くなる一方の日本は
生活必需品が配給制になり、学生は学徒兵として出征し

14歳以上の女学生も女子挺身隊員として徴用された。

東京・両国のガラス工場の娘・敏子(蛯名由起子)と
父・房雄(長門裕之)が最後の「ガラスのうさぎ」の
置物を作っていた。実はこの工場が
軍の指定工場になる予定の為、ガラス工芸が
出来なくなるからである。

小学六年生の敏子の兄・二人も既に特攻隊員として
志願しており、長兄の昭雄(大和田獏)は
戦地への出発を前に家族に別れを告げに来るが
病弱の母(長山藍子)と口論となって
悲しい別れとなってしまう。


お別れは敏子一人が西宮に行ったのだ。

やがて空襲が激しくなり敏子は
妹の友子と文子を連れ二宮に疎開するが
幼い妹達は母恋しさに東京に戻ってしまう。

一人残った敏子は東京の母と妹を心配していた矢先、

3月10日の0時7分、東京に爆撃を開始した。

その目的は市民の生活の場である木造家屋が
多数密集する下町の市街地と散在する町工場もろとも
焼き払う事であり、延焼効果の高い風の強い日と
3月10日が日本の陸軍記念日である事に因み
東京大空襲の実施をこの日に選んだのだ。

東京大空襲の爆撃のために米軍戦闘機・B-29には
通常の約2倍の搭載量である6tもの高性能焼夷弾が
搭載され、弾薬を爆弾投下機から攻撃した。

日本には貧弱な防空能力しか残されていない所為か
敏子に母と妹が行方不明という知らせが入った。

父と二人で工場の焼跡を掘りだすが遺体は見つからず
無残に溶けたガラスのうさぎが出て来るのだった・・・

この映画の原作者:高木敏子は両親と妹たちの
33回忌に寄せて自費出版しており
その父も疎開途中の二宮町で敵機の機銃掃射に遭い
敏子の目の前で命を落としている。

そのため、東海道線二宮駅南口には
「ガラスのうさぎ像」の銅像があり
東京大空襲の惨劇を象徴する像となっている。


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Last updated  2011.06.17 10:39:41
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